火山研究情報 トップへ
浅間山火山の噴火情報 トップへ
浅間山火山2004年の噴火情報 トップへ
浅間火山の概略 トップへ

1783年噴火 (天明噴火)

天明噴火 (1783年) の噴出物の分布天明噴火 (1783年) の噴出物の分布

1783年 (天明3年) 噴火は前掛山山頂火口より発生し、主に北麓に大きな被害を生じたことで知られている (Aramaki, 1956)。天明噴火では東麓から北関東にかけて広く軽石や火山灰が降下したほか、北麓には吾妻火砕流、鎌原 (かんばら) 火砕流・岩屑流、および鬼押出溶岩が流下した。
噴火は1783年5月9日より開始し、山頂火口から小規模な噴火が断続的に続いたが、同年7月中〜下旬より本格的なプリニー式噴火に移行した。噴火の最盛期は8月4日夜から5日で、東山麓から北関東にかけて降下した軽石の大部分はこのとき噴出したと考えられる。また噴火最盛期には軽石の噴出と同時に吾妻火砕流が北東山腹に流下した (安井ほか1997)。8月5日には鎌原火砕流・岩屑流が発生し、北麓の鎌原村などの集落を破壊・埋積した。さらに、吾妻川に流入した鎌原岩屑流は火山泥流となり吾妻川から利根川流域に被害をもたらした。

従来、鬼押出溶岩流の流出は鎌原火砕流の発生直後と考えられてきた (Aramaki, 1956) が、4日夜のプリニー式噴火によって形成された火砕丘の崩壊・二次流動によって発生したとする考え方が提唱されている (安井・小屋口1998)。また鎌原火砕流については、流下しつつある鬼押出溶岩流の先端部の崩壊によって発生したとの考え方が提唱されている (田村・早川、1995など)。
1783年噴火の総噴出量は0.5km3 (DRE) と推測される (Yasui and Koyaguchi, 2003)。

降下火砕物

天明噴火降下火砕物 (浅間Aテフラ) の分布 (町田・新井2003、新編火山灰アトラスより)