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緊急調査 :
熊本県水俣市宝川内集地区土石流災害   〜泥分の少ない土石流〜

地球科学情報研究部門  斎藤  眞
中澤  努
地圏資源環境研究部門  田口雄作

図:100万分の1日本地質図第3版
図1 100万分の1日本地質図第3版
(地質調査所, 1992) より

平成15年 (2003年) 7月20日午前3時半頃、熊本県水俣地方を襲った集中豪雨によって、 水俣川水系宝川内川支流集川の上流右岸側で斜面崩壊が発生しました。 多量の水を含む崩壊土砂は河床の礫とともに土石流として流れ下り、 下流の水俣市宝川内(ほうがわち)地区の集 (あつまり) 集落で死者15人を出す大災害となりました (写真1)。 また同市深川新屋敷地区でも斜面崩壊によって4名の方が亡くなられました (写真2)。 被災に会われた方にお悔やみ申し上げると共に、今後の被害軽減のため、地質の観点から調査を行いました。

なお、産業技術総合研究所地質調査総合センターでは、 地質調査所時代の1997年に水俣市の南隣の鹿児島県出水市で起こった土石流災害について検討を行っています (中澤, 1997; 田口, 1997)。今回の土石流との比較も示します。

写真:水俣市宝川内集地区を襲った土石流
写真1 
水俣市宝川内集地区を襲った土石流。(2003. 9. 4 撮影)。
白矢印は土石流本体が流れた方向、青矢印は主に水が流れた方向。
A, B の位置は写真4に対応。

水俣市深川新屋敷地区の斜面崩壊
写真2
水俣市深川新屋敷地区の斜面崩壊 (2003. 9. 5 撮影)。
上部の急斜面の下の傾斜の変更点付近から崩壊している。
中澤, 1997; 田口, 1997

崩壊地周辺の地質

土石流発生地域の地質は、山本 (1960)、豊原ほか (1988) に報告されています。 九州の四万十帯の知見 (例えば、斎藤ほか, 1996)、本地域付近の 長谷ほか (1997) の年代データ、永尾ほか (1999) の火山岩類の対比を基に検討すると、 土石流発生地域は、四万十帯白亜紀付加コンプレックスの上に、鮮新世の肥薩火山岩類の凝灰角礫岩 (-2.5Ma)、 安山岩 (2.5-2.0Ma) が覆っていると判断できます。 この安山岩は、本地域周辺でテーブル状の特徴的な平坦面 (写真3) を作っていて、 "洪水安山岩" (永尾ほか, 1995) と呼ばれているものです。

崩壊地付近から南方を望む
写真3 崩壊地付近から南方を望む。矢印が "洪水安山岩" のつくる平坦面。

崩壊地周辺の地形

今回の土石流災害の要因となった斜面崩壊は水俣川水系宝川内川支流集川の右岸側斜面で発生しました。 第2図に示すように、集川は南北に細長い集水域を持ち、上流域には山頂付近およびそれより下位の計2段に比較的広い緩斜面域を持ちます。緩斜面域の周辺は急傾斜の斜面が分布し、 特に南東側および西側には、侵食の進んだ、比較的規模の大きい、古い地すべり・崩壊地形が認められ、 滑落崖が急斜面を形成しています。 集川はこれら地すべり・崩壊地形に挟まれた南北に細い高まりに深い侵食谷を形成し、 南方向に流下しています。今回の崩壊はこの集川の下刻によって形成された急傾斜の右岸側斜面で発生しました。 崩壊地は、河床の勾配が下流側へ急になる遷急点の直下の急斜面に位置し、 いわば侵食・崩壊の最前線に相当すると考えられます。  なお集川周辺には、地質構造に起因すると考えられる、ほぼ東西方向のリニアメントが数本認められます。 これらのリニアメントは尾根の傾斜の不連続、および直線状の谷地形で特徴づけられます。

崩壊地周辺の地形判読結果
図2 崩壊地周辺の地形判読結果
(基図は国土地理院発行 1:25,000 地形図「水俣」を使用しました)。

集川の地質

集川では、崩壊地周辺より上では肥薩火山岩類が分布しますが、崩壊地の下では、 四万十帯の白亜紀付加コンプレックスと肥薩火山岩類が複雑に分布し、両者の断層関係が1カ所と、 不整合関係が2カ所観察できます (図3)。基盤の四万十帯付加コンプレックスには、 付加体形成後の断層運動によってできたと考えられる節理が発達します。 肥薩火山岩類にも断層は発達します。中流部には完全に崩壊していない凝灰角礫岩からなる小規模な地すべり体が沢沿いに残っています。今後注意が必要と思われます。

土石流の特徴

集川の川沿いや、集落の下で土石流が土砂を堆積したところには、基本的に岩石 (砂礫) だけが存在し、 泥がほとんどありません。そして、集川沿いで岩石の堆積したのは河床とその脇に限られます。 小尾根が張り出した部分 (写真4) を2箇所で乗り越えていますが、 上流側では乗り超えた部分に土石流起源の岩塊が残っているものの、 家屋が流出した下の部分には岩塊はほとんど無く、水の流れた痕がはっきりと残っていました。 泥分の多い土石流の場合、岩のまわりの泥水の比重が大きくなって、岩を浮かせながら流れ下ります。 この土石流の場合、基質の部分が泥に乏しく、比重も水に近く、岩が浮く状態ではなかったことから、 川沿いだけに土石流の岩石が堆積したものと考えられます。

崩壊地及び土石流氾濫域のルートマップ
図3 崩壊地及び土石流氾濫域のルートマップ。
[もっと大きな拡大図]

集地区を上流側から見たところ
写真4
集地区を上流側から見たところ。
白矢印は土石流本体が流れた方向、
青矢印は主に水が流れた方向。
A, B の位置は写真1に対応。

崩壊地の特徴

崩壊地の地質は、上部が柱状節理の発達する安山岩溶岩、中部が凝灰角礫岩、 下部は安山岩溶岩 (自破砕様の角礫組織有) からなっています。 残留する崩壊土砂には巨大な安山岩岩塊が多く含まれ、一部には柱状節理がみられることから、 今回の災害は、主に上部の安山岩溶岩の崩壊によって引き起こされたと考えられます。

また今回の調査では、凝灰角礫岩と下位の安山岩との境界付近から湧水が確認されました。 詳しい分析はこれからですが、現地での分析ではその水は地中での滞留時間が短そうだという推測がなされました。 これらのことから今回の崩壊は、豪雨によって短時間に極めて多量の雨水が山体に浸透し、 凝灰角礫岩とその上位の安山岩溶岩の境界あるいはそれ以上まで、地下水で飽和された際、 粘土化し透水性の低い凝灰角礫岩と安山岩溶岩との境界付近あるいは凝灰角礫岩の上部をすべり面として崩壊が発生したと考えられます。

崩壊地の写真及びスケッチ
写真5 
崩壊地の写真及びスケッチ。
マウスポインタを画像に載せると、
解釈スケッチが出ます。

出水市針原川の土石流との比較

1997年7月10日の出水市針原川土石流 ( 地質ニュース 1997年9月号参照) では深層風化した山体が大きく崩壊し、 多量の泥分を含む泥水が岩塊と一緒になって流れ下りました。 しかし、今回の集川では土石流堆積物に泥がほとんどありません。この違いは、今回の土石流が崩壊地上部の、 節理は発達するが比較的新鮮な安山岩の崩壊によって引き起こされたもので、 集川の河床にあった礫を含んで流れ下ったものであったことが考えられます。
 また、今回の豪雨では、集地区と同様の地質のセッティングで発生したと推測される斜面崩壊が、 近傍で頻繁に認められました。深川新屋敷もそのひとつです。 これは安山岩に節理があって雨水を通しやすいのに比べて、凝灰角礫岩が水を通しにくく、 雨水がその境界を流れて地表に噴出し、崩壊を引き起こしたと考えられます。

引用文献

永尾隆志・長谷義隆・井川寿之・長峰  智・阪口和之・山元正継・周藤賢治・林田賢一(1995):
九州の平坦面を形成する安山岩の地質学的・岩石学的特徴 − "洪水安山岩" の提唱−, 地質学論集, no.44, 155-164.
永尾隆志・長谷義隆・長峰  智・角縁  進・阪口和之 (1999) :
不均質なマグマソースから生成された後期中新世〜中期更新世の肥薩火山岩類 −火山岩の分布と化学組成の時空変化からの証拠−, 岩鉱, vol.94,461-481.
中澤  努 (1997):
出水市土石流災害の概要と周辺の地質, 地質ニュース, no.517, 42-47.
PDF (1.4MB)
山本  敬 (1960):
肥薩火山区の火山地質学的ならびに岩石学的研究, 九州工業大学地質学研究室, 90p.
長谷義隆・永尾隆志・長峰  智・阪口和之・山元正継・壇原  徹 (1997)
肥薩火山区火山岩類のフイッション・トラック年代. 日本地質学会西日本支部会報, no.97, 18.
田口雄作 (1997):
出水市土石流災害発生要因への水文学的アプローチ, 地質ニュース, no.517, 48-55.
PDF (704KB)
豊原富士夫・村田正文・長谷義隆 (1988):
表層地質図「水俣・出水」. 土地分類基本調査「水俣・出水 (御所浦町除く)」, 1:50,000, 熊本県, 21-35