15074_1957
5万分の1地質図幅説明書
(鹿児島 第 74 号)
通商産業技官 沢村孝之助
通商産業技官 松井和典
地質調査所
昭和 32 年
目次 図版「霧島火山」 I. 地形 II. 地質 II.1 四万十層群 II.2 鮮新世安山岩類 II.2.1 小林流紋岩 II.2.2 小林安山岩 II.2.3 永池安山岩 II.2.4 佐賀利安山岩 II.2.5 矢岳安山岩 II.2.6 烏帽子岳安山岩 II.2.7 牧園安山岩 II.3 霧島火山 II.3.1 栗野安山岩類 II.3.2 白鳥安山岩類 II.3.3 韓国群 II.3.4 高千穂群 II.3.5 噴気作用について II.3.6 有史時代の活動記録 II.4 姶良火山軽石流 II.5 更新世砂礫層 II.5.1 高原砂礫層 II.5.2 六観音砂礫層 II.5.3 軽石質砂礫層 II.6 火山灰および軽石層 II.7 冲積砂礫層 III. 応用地質 III.1 褐鉄鉱 III.2 硫化鉄鉱 III.3 硫黄 III.4 カオリン質粘土(霧島粘土) III.5 ボーキサイト質粘土(万膳粘土) III.6 石材 III.7 地熱資源および温泉 III.8 山崩れ 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 31 年稿)
(鹿児島 第 74 号)
本図幅の調査は, 昭和 28 年 9 月中旬から 10 月下旬まで沢村および松井により, また昭和 29 年 2 月から 3 月にかけて沢村により行われた。 松井は栗野岳~甑岳地域と新燃岳~高千穂峰地域とを主として担当し, 沢村は残余の地域を担当した。 なお, ほゞ同時に行われた霧島地熱地帯の綜合調査 1) の1つとして, その地帯の1万分の1地質図が沢村により作られている。 また, 火山岩 18 種の分析を本所高橋清技官が行った。
なお, 本文中の岩石記載には, 久野久の斑晶と石基の鉄苦土鉱物斑晶組み合せによる岩石分類記号 2) , すなわち, 斑晶組み合せの種類をアラビア数字, 石基のそれをローマ字で示す方式を第 4 表として附記した。 また石基の色指数 2) , すなわち石基中の鉄苦土鉱物の量比の値を, 色指数の知られている岩石薄片と比較して, その概略値を示した。 久野久は色指数 35 以上のものを玄武岩, 10 以下を石英安山岩としている。
本図幅地域はほとんど霧島火山によって占められ, 図幅地域の周辺に, その基盤が僅かにみられるにすぎない。
すなわち, 図幅地域南東部の低い山地は中生代の水成岩からなり, 霧島火山の山麓部にみられる丘陵あるいは小山塊は, 第三紀の安山岩類からなり, ともに霧島火山の基盤となっている。 なお, 図幅地域の南部と北東部には広い台地が発達しているが, これはいわゆるシラス台地で, 霧島火山の活動前半に, 時を同じくして活動した姶良カルデラ 3) の噴出した軽石流からなっている。
図幅地域周辺を広くみると, 図幅地北方の熊本県南部には海抜 1,300 m の, 南方の鹿児島県中央部には 600~1,200 m の, いずれも先第三系で構成された山地がある (図幅地南東部にみられる 海抜 400~500 m のよく開析された低平な山地もその一部である)。 これらの山地に囲まれた地域は, 広大な盆地となっていたが, 現在大部分は姶良カルデラ軽石流に埋められ, またその一部には新第三紀~第四紀の安山岩類が, 通常 700 m 以下の高さの丘陵を作っていて, 完全な盆地地形を呈してはいない。 しかしこの山地に囲まれた盆地は, いわゆる火山性構造盆地(Volcano-tectonic depression)であり, 霧島火山はこの盆地の東縁に生じたものと考えられる。 なお, 霧島火山とともに琉球火山帯に属する桜島火山 [ 以下の [注] 参照 ] は, この盆地の南東縁にある。
霧島火山の北側(北隣図幅内)には, さらに1つの盆地, すなわち加久藤盆地がある。 これはその東部を中生層あるいは古生層の山地に囲まれ, その西部は第三紀の安山岩からなる山地に囲まれており, 1つのカルデラといわれ 4) ており, 図幅地内に点在する鮮新世安山岩類も, そのカルデラ壁の一部を構成するものである。 霧島火山はこのカルデラ壁南縁近くに生じたものと考えられる。
シラス台地は図幅地域の南西部では海抜 250~450 m, 北東部では 200 m の高さをもっている。 この台地面は図幅地域南西部では軽石流の原堆積面であるが, 図幅地域北東部では多くは段丘面で, 2次堆積物であるいわゆる「水成シラス」に覆われている。
霧島火山は NW - SE に長く(約 30 km), NE - SWに短い(約 20 km)楕円形の地域を占め, そのほとんど全部がこの図幅地域に含まれる。 霧島火山は多数の小規模な火山体からなる複合火山で, 阿蘇・桜島火山のような巨大なカルデラはもたず, また軽石流も噴出していない。 またそれらに較べると 巨大な火口 -- その多くは火口湖である -- をもつホマーテ型の火山に富む点でも異なる。
霧島火山を構成する各個の火山(最高峯 韓国 岳は海抜 1,700 m)の大部分は, 熔岩のみからなる楯伏火山に属するが, それに新旧種々の時期のものがあり, 火口の形態をみても, 栗野岳・蝦野岳・湯の谷岳のように僅かにそれと察せられるものから, 韓国岳その他のように, きわめて美麗な火山形態を示すものまである。
ホマーテにも, 直径が 1 km に達するほゞ完全な円形を呈する火口をもつもの (韓国岳・大浪池・新燃岳), それより火口の小型のもの(御鉢・中岳・丸岡山)などがある。 コニーデには飯盛山・ 甑 岳・高千穂峰などがある。 またほとんど火山砕屑物からなり, コニーデ型を呈するものに 夷守 岳, ホマーテ型に属するものに 大幡 山が あるが, これらは霧島火山では例外的な存在である。 この大幡山は前述中岳とともに, これも例外的である二重火山に属する。 これら火山は一般に広い裾野あるいは熔岩台地と, 傾斜の強い山頂部とをもっており, その典型は高千穂峰である。
霧島火山にはマール, ないしは僅かに1回熔岩流を流し出しただけの砕屑丘が多数存在し, 前者には硫黄山, 韓国岳の東西山腹の爆裂火口, 大幡池・御池などがあり, 後者には白紫池・不動池および六観音池がある。 なお御池は規模が大きく, 径約 1 km の火口をもち, 多量の軽石を噴出している。
これら諸火山の配列をみると, 霧島火山全体の延長方向, すなわち, NW - SE に並ぶ傾向が著しく, 同時にこれと直角の NW - SE 方向に並ぶ傾向も認められる 5) 。 しかし美麗な火口を保有する火山, すなわち更新世後期から現世にわたり活動したもののみをみると, 韓国群と高千穂群との2群にわけられる。 前者は図幅地域の西半部にあって, 飯盛山~甑岳~韓国岳~大浪池に連なる南西に凹面をむける弧をつくり, あるいはその弧の内部に存在し(白紫池その他), 後者は図幅地域東半部にあって, 夷守岳~新燃岳~高千穂峰~御池に連なる北東に凹面を向ける弧をつくっている。 この両群の境界線は, 北方に延びては 加久藤盆地の北側で第三紀安山岩類と先第三紀水成岩類との分布の境となり, 南方に延びては 四万十層群が露出する区域の西限線に連続するもののようである。 またこの線の東側には, 栗野安山岩類がほとんど分布しない点も注意され, この境界線は当地域の地質構造に大きな意義をもつものと考えられる。
本図幅地内にみられる最古の地層は四万十層群, すなわちジュラ紀~白堊紀に西南日本の外帯側に広く堆積した地層である。 これは強い擾乱を蒙っている。 鮮新世安山岩類(A)はこの図幅地域を東端として, 九州南部の広い地域に起こった 新第三紀の激しい火山活動に伴なって生成した岩石の一部であって, 流紋岩や種々の安山岩からなる。 その侵蝕の程度や岩質からみて, それらは, 2, 3回に生じたものと思われる。 小林流紋岩(A1)はその最も初期のもので, 角閃石流紋岩の岩脈であろう。 これとの相互関係はみられないが, おそらくこれに次ぐ時期に噴出したと思われるものが 小林安山岩(A2)・ 永池安山岩(A3)および佐賀利安山岩(A4, 5)で, いずれも中性の斑状輝石安山岩からなる。 なお, この期の最後には角閃石安山岩(A5)が生じている。 これらはほとんど火山形態を失い, 丘陵状を呈している。 佐賀利安山岩が侵蝕されて後に, これを覆って生じたものが牧園安山岩(A8, 9)である。 これは 矢岳安山岩(A6)・烏帽子岳安山岩(A7)とともに最後の時期に生じたもので, 一般に微細な斑晶に著しく富んだ, やゝ塩基性の安山岩からなる。 たゞし 牧園安山岩の下部(A8)は火山砕屑物を多量に伴ない, 上部(A9)は酸性の安山岩からなっており, 前者は外輪山を, 後者は中央火口丘を構成したものと考えられる。 なお, この時期のものには火山形態が残っている。 以上の安山岩類の時代は層位的な資料はないのであるが, 変質していないこと, 霧島火山とは切離されること, から一応鮮新世とした。 なお, これら安山岩類のうち, 図幅地域東半部に分布する A2, A3, A6 および図幅地域西半部に存するものの一部(A7)などは, ピジオン輝石質岩系 2) に属し, 残余は紫蘇輝石質岩系に属する。
おそらく第四紀にはいって直ちに栗野安山岩類(K)が噴出して, 鮮新世安山岩類を覆い, 広大な楯状火山を構成した。 これはそれ以前に生じた安山岩類に較べて著しく規模が大きく, その活動中心は韓国岳附近にあったものと考えられ, またその岩質は次期の白鳥安山岩類によく似ていることから, これが霧島火山としての最初の活動と考えられる。 そのはじめには中性の橄欖石含有輝石安山岩(K1)が噴出し, 低平な楯状火山をつくり, 次いでその山体上に輝石安山岩(K2)からなる栗野岳と, 角閃石輝石安山岩(K3)の湯の谷岳とが, おそらく寄生火山として生じた。 この2つも楯状火山で, 火山砕屑物は栗野岳の下部に薄層として存するに過ぎない。 角閃石輝石安山岩は栗野岳の東方に分布するが, より低い位置を占めるのは, 陥没に原因するものと考えられる。 同じく図幅地域東半部でも, 栗野安山岩の大部分は陥没しているもののようで, この地域では僅かに御池・小池の岸に露われているにすぎない。
次いで栗野安山岩類が侵蝕され, 崖錐あるいは高原砂礫層(g1)がその山麓部に堆積し, その後に白鳥安山岩類(L)の活動が起こった。 これは栗野安山岩類の山体頂部を覆い, さらにその中腹にまで分布する楯状火山を構成し, また図幅地域東端の御池附近にも, 1つの独立した火山体をつくったもののようである。 白鳥安山岩類もそのはじめ橄欖石輝石安山岩(L1)からなる主要部が生じ, 次いでその山体上に寄生火山として, 蝦野岳・獅子戸岳などの輝石安山岩と橄欖石輝石安山岩(L2)が生じた。 輝石安山岩は著しく酸性ガラス質で, 細かな気泡に富み, 一見軽石と見誤り易いもので, 蝦野岳・獅子戸岳の活動初期に少量噴出された。 しかし図幅地域東半の丸岡山の山腹には著しく多量に存在し, その一部は黒色を呈し, また最下部のものは自破砕熔岩(Autobrecciated lava)となっている。 おそらく, これらは丸岡山附近に存在した寄生火山の噴出したものであろう。 なお, 白鳥安山岩類の山体の頂部は, 韓国岳その他の噴出物に覆われつくされているために, 地形に現われていないが, その分布からみて, カルデラが存在するもののようである。
以上の2期の活動を終って後は, 霧島火山には小規模な火山が相ついで噴出し, 図幅地域西部には韓国群, 図幅地域東部には高千穂群が生じている。 その初期には酸性ないし中性のガラス質安山岩が噴出し, 後期には塩基性ないし中性の緻密な安山岩が生じ, その活動は更新世から現世にわたっている。 なおこの説明書では, 姶良火山の噴出した最後の軽石流を, 更新世の最後の時期を示すものと考えている。
韓国群ではまず六観音池(M1)が活動した。 これは白鳥安山岩類からなる山体の一部に生じた湖水に, 六観音砂礫層(g2)が堆積して後, その堆積末期に熱雲と思われる岩滓層を生じ, 次いで輝石安山岩の熔岩を流出している。 これに次いで大浪池(M2, 3)と韓国岳(M4, 5)とが順次生じた。 これらはその活動の初めに, 流動性に富み, 橄欖石斑晶の多い, やゝ塩基性の熔岩を流出し, 河川沿いにはるか下流にまで到達させた。 それ以後には, 凝灰角礫岩に似た外観の軟弱な熔岩の薄層を何回も流出し, 大火口を有するホマーテ型の火山体をつくった。 以上のものは岩質からみて, 更新世に活動したものと思われる。 現世には霧島火山の山麓部に甑岳(O1)・飯盛山(O2)の円錐丘を生じ, 以来活動は弱まって,マールないしはそれに近い活動を行ったにすぎない。 この時期の熔岩は橄欖石輝石安山岩で, 甑岳のものがやゝ風化が進んでいるが, その他はきわめて新鮮で, 一見塩基性安山岩のようである。 なお各火口の活動の初期に流出した熔岩は流動性に富み, 後期のものは粘性が大きい。
高千穂群では火山活動が旺盛で, 長期にわたっており, 新燃岳と御鉢とは有史時代にも活動している。 高千穗群の活動は, 大幡池附近に分布する緻密な輝石安山岩(N1)の形成に始まると考えられる。 この火山体の東半は大爆発のために崩壊したもののようで, いまなお大幡池の東側には絶壁がみられる。 なお大幡池は この期の活動とは無関係に, おそらく韓国群のマール生成期に関連して生じたものと考えられる。 次いでガラス質で粘性に富んだ輝石安山岩からなる丸岡山(N2), 続いてほとんど岩滓あるいは軽石からなる二重式火山の大幡山(N3, 4)が生じたものと考えられる。 なお大幡山の基底には, 六観音砂礫層に対比される砂礫層が存在する。 韓国群ではこれに続いて大浪池・韓国岳の活動があるが, 高千穗群にはこのような特異な熔岩は存在しない。 これに代わって, 図幅地域東半部での北端と東端とに, 岩石の外観はむしろ現世の火山に似た 夷守岳(N5)と二つ石火山(N6)とが生じている。 これは橄欖石玄武岩・橄欖石安山岩ないし橄欖石輝石安山岩で, その岩質は鮮新世の烏帽子岳安山岩などに似ている。 夷守岳はほとんど岩滓からなり, その最初の熔岩はいわゆるシラスの堆積直前に噴出しており, 霧島火山の更新世における最後の活動と考えられる。 現世においては高千穗群は韓国群と同じく, 新鮮で鉄黒色を呈する橄欖石輝石安山岩が主として生じている。 すなわちその初めには二重式火山である中岳(P1, 2)が生じた。 その中央火口丘は輝石安山岩からなり, その一部は外輪山壁をのりこえて外輪山腹に分布するが, これは気泡に富み軽石に近い外観を呈している。 次いで 高千穗峰(P3, 4)・新燃岳(P7)・御鉢(P6)などが順次に構成された。 こゝでも韓国群におけると同様に, 初期には流動性に富む熔岩を流出している。 その好例は高千穗峰であって, その南麓には広大な熔岩台地があり, 頂部は円頂丘に近い性質をもった粘調な熔岩に覆われて, 三角錐のような形状を呈する。 なお, 粘性の高い熔岩には岩滓が伴なわれており, 新燃岳・御鉢の火口附近にも高千穗峰の頂部と同じく, 熔岩の間に岩滓がやゝ多量に挾まれている。 また大幡池と御池のマール(P5, 6)は, おそらく新燃岳と御鉢の活動前に生じたものであろう。 御池は角閃石含有輝石安山岩質軽石を多量に噴出している。
以上の霧島火山の岩石の大部分は紫蘇輝石質岩系に属し, 一部のみ, すなわち 高千穗群で韓国岳に遠いところに存在する火山の岩石のみが ピジオン輝石質岩系に属する。 全般的な特徴としては, 伊豆箱根地方の火山岩に較べてはやゝアルカリに富み, 通常の琉球火山帯の岩石に似ていること, また, 橄欖石斑晶を含む岩石が多く, 相当酸性の安山岩にもしばしば微斑晶として橄欖石が含まれていることがあげられる。
図幅地域外の鹿児島湾頭を占める姶良火山(カルデラ 3) )から, 霧島火山の活動期中に噴出された軽石流が, 本図幅地域内にも分布する。 大規模な軽石流の常として, その下部は熔結凝灰岩(Aw), いわゆる「灰石」となり, 上部は未凝固の軽石凝灰角礫岩(Ap), いわゆる「シラス」となっている。 霧島火山との関係をみると, 灰石もシラスも夷守岳の初期の熔岩の噴出直後に生じたもので, 栗野安山岩類と白鳥安山岩類とを覆い, 飯盛山・高千穗峰・新燃岳・御鉢の熔岩に覆われている。 なお, 軽石流の堆積直後に, 図幅地域北東部では侵蝕があり, 2次堆積の軽石砂礫層(g3), いわゆる「水成シラス」が生じている。
なお, 霧島火山の活動期を通じて, 種々の時期に火山灰・軽石が噴出され, 霧島火山の東麓に厚く堆積している。 また, 霧島火山の活動は現在では数多くの噴気孔の存在で示され, 霧島火山山頂の硫黄山およびその西方の海老野をはじめとして, 南西麓に多数存在し, 霧島地熱地帯を形成している。
なお, 伊田一善等 6) によれば, 霧島火山の北西端には, 飯盛山の熔岩をも変位させている, 現世の小規模な衝上運動がみられ, その方向は南東から北西に向かっている。
霧島火山の噴火記録 5), 7) は多数残されており, 600 戸以上の人家が焼失したこともある。 その活動形式は, 岩滓を噴出するのみで, 熔岩は流出していないもののようである。
霧島火山の噴気作用によって, 褐鉄鉱・硫化鉄鉱, あるいは粘土鉱床などが生じているが, 硫黄山の昇華硫黄を除いては, いずれも小規模あるいは低品位のものである。 当地域には温泉の数が多く, 昔から有名である。
砂岩(Mss)と頁岩(Msh)との互層で珪岩(Mch)を伴なう。 砂岩と頁岩とは数 10 m 以上の厚さをもち, ほとんど層理を示していない。 国分図幅地域のものに較べると一般に擾乱が激しく, 特に御池南東方の谷底などでは, 頁岩は剝理の著しい千枚岩となり, また砂岩は長径 20 cm ほどのレンズとなって千枚岩中に散在している。
この擾乱は東隣図幅との境界附近で急激に弱くなり, そこでは層理も比較的整然としている。 なお, このように擾乱の著しい地域には, 小規模な山崩れが頻発している。
砂岩 : 新鮮な場合は濃緑色を呈するが, 通常は褐色である。 白濁した斜長石片に富んでいる。 無層理, 塊状, 堅硬であるが, 擾乱によって細かな節理が発達し, また角礫化していることが多い。 時には小豆大の礫を散点することもある。
頁岩 : 青色~緑色を呈し, 風化して黄褐色となる。 塊状で軟弱であるが, 通常擾乱によりやゝ堅硬となっている。 なお, 御池の南方には赤色を呈する凝灰質頁岩がみられる。
チャート : 白色あるいは青色を呈し, やゝ頁岩質で, 10 cm 前後の薄い層理をもっている。 その厚さは通常数 m 以下である。
構造 : 概して NE - SW の走向を示し, 北西方に傾斜する単斜構造である。 その傾斜は 30°以上で, まれに 60°に達する。 小断層が著しく発達している。
図幅地域の北東隅小林市の南に, 冲積層中に東西にならんでいる比高 15 m の小丘をつくり, その側壁に僅かに露出する。 ほゞ直立する流理をもち, 貫入岩体(岩脈 ?)の残片と考えられる。 軽石質砂礫層に覆われ, 他の岩石との関係はみられないが, その産状, 風化状態からは, 当地域で最も古い鮮新世の火山岩と考えられる。
新鮮な部分は灰青色を呈するが, 通常白色を呈するガラス質の岩石で, 斑晶に乏しい。
小林市の周辺に点々と小丘を作って露出する。 崖錐と思われる亜円礫の多いローム質礫層, またはよく円磨された礫からなるやゝ固結した礫層を伴なう。 安山岩は緻密な青色の岩石で, 板状節理がよく発達しており, 熔岩流の侵蝕された残片と考えられる。 ときには熔岩表層部の岩滓状を呈する部分もみられ, 前述礫層に覆われている。 なお礫層は腐植土層を間にして, いわゆる「シラス」あるいは夷守岳熔岩に覆われている。 侵蝕の程度と岩質とから, 第三紀に噴出したものと考えられる。
小林市西方の芹川附近には橄欖石普通輝石安山岩(IVb → c)が, 小林市近郊には橄欖石輝石安山岩(Vd → c)がみられる。 肉眼的に前者は小型斑晶に富み, 後者はそれに乏しいが, ともに鉄苦土鉱物斑晶の量が少ない。
図幅地域南端から南隣国分図幅地域にかけて, 四万十層群からなる山地の上に, 低平な, しかし侵蝕の進んだ台地を構成する。 その下部には凝灰角礫岩があり, これを覆って約 60 m の厚さの橄欖石輝石安山岩(Vd → c)の熔岩が広く分布する。 なお, 国分図幅地内には凝灰角礫岩の下にさらに1枚の熔岩が存在するが, 当地域にはこれはほとんど分布していない。 橄欖石輝石安山岩は暗青~黄褐色を呈する緻密な岩石で, 柱状節理に富む。 その岩質は小林安山岩の橄欖石輝石安山岩に似て, 石基の色指数もほゞ同じであるが, 鉄苦土鉱物斑晶はやゝ大型(長径 2 mm 以下)であり, 集斑状集合体に富み, 石基は完晶質である点がやゝ異なる。 なお, 橄欖石斑晶は紫蘇輝石の核として存在する。 また紫蘇輝石・普通輝石は通常単斜輝石粒からなる反応縁を有する。 集斑状集合体は径 1 mm 程度の小型のもので, これに斜長石と篩状構造を呈する普通輝石とからなるものと, 斜長石・紫蘇輝石・鉄鉱からなるものとがみられる。
図幅地域西部に, 栗野安山岩類の下に広く分布し, 各所に露われ, また佐賀利山(海抜763 m)を構成する。 侵蝕は進んでおり, 熔岩の分布も現在の地形とほとんど無関係である。 いわゆる「シラス」に覆われており, 高岡山の南方健崎では「灰石」にも直接に覆われている。 その侵蝕の程度から, 小林・永池安山岩と同期に噴出したものと考えられる。 なお, 一部は風化してボーキサイト質粘土となっている。
佐賀利山安山岩の岩石は, 一般に斑晶と石基との区別がはっきりし, また優白質な点で他の安山岩と容易に区別される。 橄欖石輝石安山岩は健崎附近に, 輝石安山岩は広く各地に露われ, 角閃石安山岩は主として佐賀利山を構成している。 その分布からみて, 塩基性より次第に酸性の岩石が噴出したもののようである。 なお, これらはほとんど火山砕屑物を挾まない。 図幅地域南西部の 浅谷 附近では, 板状節理のよく発達し, その表層部は岩滓状を呈している約 40 m の厚さの熔岩が3枚重なっている。 岩滓状部は通常風化し泥土化しており, 一見凝灰岩の風化したもののように見られ易い。 なお, 高岡山附近のバス道路沿いには, 径 1 m 以下の角礫を多量に含む, いわゆる自破砕熔岩(Autobrecciated lava)が露われている。 佐賀利山とその南西の小丘をつくる角閃石安山岩は, 円頂丘あるいは岩脈と思われ, 小丘には N 45°W, 70°N の板状節理がよく発達する。 図幅地域西端の竹田にみられる角閃石安山岩は, 熔岩流をなしたものと考えられ, その下部に厚さ約 20 m の角閃石安山岩質凝灰角礫岩が, 強く風化され, 軟弱となって露われる。
長径 0.5 mm の柱状を呈する輝石粒の集合体がしばしば存在し, これはおそらく角閃石の変質したものである。 きわめてまれに, 同程度の大きさの緑色角閃石がみられることがある。 石基の色指数は約 15 で, 斜長石・アルカリ長石・紫蘇輝石・鉄鉱・ガラスからなり, 褐色ガラスからなる球顆が存在することもある。
長径 2 mm の柱状を呈する斜長石・角閃石とともに, 少量の, 径 0.6 mm の, 他形を呈する紫蘇輝石が斑晶として存する。 石基は斜長石・アルカリ長石・普通輝石・紫蘇輝石・鉄鉱・ガラスからなり, その色指数は約 10 である。
高千穗峰の北に, 比高 400 m の鐘状を呈する矢岳は, 本岩によって構成される。 矢岳の山頂部は径約 500 m の馬蹄形の凹地を呈しており, これは侵蝕された火口の跡と思われる。 山体は著しく侵蝕されており, 数枚の熔岩からなるもののようである。 いずれも青褐色を呈する緻密な岩石で, 多量に存在する斑晶がすべて小型である点で, これまで述べてきた安山岩類と肉眼的に容易に区別される。 概して下位にやゝ塩基性の, 斑晶の量の少ない岩石がみられ, 上部に向かって変化してゆくが, すべて輝石安山岩(Vc)である。 なお緑色スピネルがまれに含まれている。
図幅地域南部の比高 600 m の円錐丘, 烏帽子岳をつくる。 その山頂には侵蝕された火口があり, 南東に開口する。 熔岩はこの火口を中心として, 四方に約 20°の傾斜で流れ下っており, 南腹では1枚の熔岩が, 現在の地表面の一部を作るところもみられる。 火山砕屑物はしばしば存在し, 特に霧島神宮の西側の谷や烏帽子岳南東腹などに厚く発達する。 よく成層した, 細粒, 緻密な濃赤色火山灰層が主であって, 火山灰質の基質に富んだ礫層を伴なう。 礫層は烏帽子岳南西麓のバス道路沿いによくみられ, その一部は礫に富み崖錐状を呈し, 熔岩を挾んでいる。 火山灰層は南麓ではほゞ水平に堆積しているが, 南東腹では 20~30°の傾斜をもっている。 熔岩は一般に板状節理に富み, その表層部は岩滓状を呈するが, この部分は通常風化して泥土となっている。 熔岩の外観は矢岳安山岩に似て, 微細な斑晶に富む青黒色, 緻密な岩石である。 斑晶の大きさは斜長石で長径 2 mm 以下, 鉄苦土鉱物では 1.5 mm 以下で, 径 0.1~0.3 mm の微斑晶の量が著しく多い。 なお, 微斑晶状斜長石は卓状を呈する点が特徴である。 石基は完晶質あるいはそれに近い。 橄欖石輝石安山岩(Vb → c, Vc)が最も多量に存し, 輝石安山岩(Vd → c)もまたまれではあるが存在する。
前述 Vb → c 型に似ているが, 斑晶には紫蘇輝石が, 石基にはアルカリ長石が多く, 色指数は 30 前後であり, 橄欖石はみられない。
前述安山岩類に似ているが, 橄欖石斑晶を欠き, 石基もアルカリ長石・珪酸鉱物に富み, その色指数は約 30 である。 なお石基には, 微斑晶状の紫蘇輝石が橄欖石に代って存在するが, これは常に単斜輝石に包まれて存する。
佐賀利山の東に分布し, 佐賀利安山岩が侵蝕されて後に, その間の低地を埋めたものであって, 熔岩の分布は現在の地形をほゞ形成している。 栗野安山岩類に覆われ, いわゆる「シラス」・「灰石」にも覆われる。
この安山岩類は上下2部に分けられ, この両者の活動期の間には, ある程度の活動休止期間が考えられる。 下部の安山岩類(A8)はゆるやかに南西方に傾斜する台地を作り, その分布の北端は比高 60 m 以下の崖となっている。 この崖は北方に凹面を向ける弧状を呈し, その内部には激しい硫気作用による変質岩がみられ, またよく成層した珪華が数 m の厚さで残存している。 なお同様の珪華は内の野の南西 700 m の川岸にも露われている。 上部の安山岩類(Ag)は下部の安山岩類を覆って, その北方に分布し, 比高 400 m の, よく開析された山地を作る。 その山頂部は後の熔岩に覆われているために不明瞭であるが, おそらく山頂の湯の池は火口湖であろう。
牧園安山岩の下部には, 濃赤色を呈する火山灰層・岩滓層が厚く発達し, よく成層している。 この間に挾まれる熔岩には, いわゆる自破砕熔岩が多く, 緻密な熔岩は少ない。 熔岩は輝石安山岩(Vd)で, 微細な斑晶に富み, 矢岳安山岩に似た外観を呈する。 上部は熔岩のみで構成され, 火山砕屑物は存在しない。 熔岩には岩滓状部が厚く発達しているが, その中心部は緻密で板状節理を呈する。 その岩質は下部の熔岩と異なり, 斑晶に乏しい細粒の輝石安山岩(Ve)である。 なお, 上部の熔岩中には朱色を呈する軽石片をシュリーレン状に含み, また外来岩片に富み, いわゆる熔結凝灰岩に見まちがい易い熔岩と, ガラス質で流理の著しい熔岩とがあり, 前者は上部の熔岩の下位を, 後者は上位を占める。 その鏡下の性質はほゞ同様である。
前述輝石安山岩(Vd)より優白質(色指数 15 前後)で, 石基には普通輝石なく, また紫蘇輝石の量も少ない。 アルカリ長石と黒雲母の量は多い。 黒雲母は紫蘇輝石斑晶とアルカリ長石とが接する部分に存在し, また普通輝石斑晶の周辺に, 紫蘇輝石粒とともに反応縁となって存在する。
霧島火山の南西麓を構成し, また図幅地域東端の御池・小池にも僅かに露われる。 図幅地域西部では, 緩やかに傾斜する広大な裾野状の地形をつくり, その北端の栗野岳は南北に延びた馬背状の地形を呈し, 海抜 1,094 m の高さをもつ。 その南西部, 三角点の西側には, 激しく侵蝕されているが火口と考えられる深い谷があり, 西方に開口している。 また図幅地域南部の烏帽子岳の北側の湯の谷岳も栗野安山岩類からなり, その山頂には侵蝕により拡大された径 1.5 km の火口がある。 これは南西方に開口しており, その内部の岩石は硫気作用によって白色粘土化している。
栗野安山岩類はときに橄欖石あるいは角閃石を含有する輝石安山岩からなり, 楯状火山を構成したもので, 牧園・烏帽子岳安山岩を覆い, いわゆる「シラス」に覆われる。 火山砕屑物はほとんど存在せず, 僅かに栗野岳の周辺, 海抜 800~900 m 附近に, 西腹より南腹に向かって次第に高い位置を占めて, 点々と露われているにすぎない。 その最もよい露出は栗野岳南腹の山崩れの跡である。 こゝではその下端に約 5 m の厚さで, 軽石を含有する凝灰角礫岩が, 約 10 cm の厚さの細粒砂層を挾んでみられる。
凝灰角礫岩の基質も砂質で, 泥流堆積物の疑がある。 なお砂層は N 65°E, 10°N の走向・傾斜をもつ。 また大浪池の南西麓のいわゆる霧島地熱地帯では, 熔岩の間に挾まって白色粘土層あるいは礫層が, 数 m 以下の厚さでしばしばみられる。 崖錐は山麓部によく発達していて, 長江川下流の浜川原(図幅地域外)などにその好例がみられる。 白鳥山西方のバス道路上で, 白鳥安山岩類との間にみられるよく成層した火山灰質砂層も, またその一部である。
熔岩はすべて厚さ 20 m 前後であるが, これに板状節理のよく発達した緻密なものと, 不規則な節理の発達するガラス質の粗雑なものとがある。 前者の表層部は緻密であるが, 後者では気泡に富み, 軽石状を呈する。 一般に風化しており, ときには砂状を呈する。 一般に風化しており, ときには砂状を呈するまでに至っているが, 長江川のような深い谷底には, 新鮮な熔岩もみられる。 熔岩は橄欖石含有輝石安山岩・輝石安山岩・角閃石輝石安山岩などである。 橄欖石含有輝石安山岩(K1)は初期に噴出したもので, 広大な, 低平な楯状火山をつくったものである。 その下部は Vd 型, 上部は Ve 型であり, まれに石英および角閃石の捕獲斑晶を有するものが長江川沿いに露われている。 なお, 図幅地域東端の小池に露われるものは Ve 型であり, 御池にみられるものは角閃石の捕獲斑晶を有する Vd 型のものである。 輝石安山岩(K2)は栗野岳を構成し, 先に述べた凝灰角礫岩の上位を占める。 角閃石輝石安山岩(K3)は湯の谷岳を構成し, また白鳥山の東腹にも分布する。 湯の谷岳に火口が認められることから, これは輝石安山岩に次いで噴出したものと考えられる。
前述の安山岩とほとんど同様であるが, 石基はさらに優白質(色指数15前後)で, 普通輝石を欠き, 紫蘇輝石のみを少量含有する。
橄欖石含有輝石安山岩(Vd)に似ており, 橄欖石斑晶をもたぬ点のみが異なる。
橄欖石含有輝石安山岩(Ve)に似ており, 橄欖石斑晶の代わりに角閃石斑晶を有するものであるが, 石基はさらに優白質(色指数 10 前後)である。 なお通常ガラスに富み, 普通輝石を欠くが, 石基の結晶度の高いものには, 普通輝石と紫蘇輝石とが存在することもある。
図幅地域の中央部に広く分布し, ほとんど熔岩のみからなる低平な楯状火山体を構成する。 栗野安山岩類を覆い, その間には崖錐あるいは高原砂礫層とみなしうる砂層・礫層がしばしば存在する。
白鳥安山岩類は栗野岳安山岩類と同様に, その初期に橄欖石輝石安山岩(L1)からなる低平な山体を構成し, その上に輝石安山岩と橄欖石輝石安山岩(L2)とからなる蝦野岳や獅子戸岳を形成した。 蝦野岳は海抜 1,305 m を示し, その頂上には直径約 600 m の侵蝕された火口が残されている。 獅子戸岳は韓国岳の東側に, 1,428 m の高さをもってそびえているが, 山体は全く破壊され, その周辺, 特に西部には強い硫気作用の行われた形跡があり, 岩石が白色粘土化しているところもみられる。 なお御池北西方に孤立した小丘をなす部分は, 山麓部に生じた寄生火山の侵蝕されたものと考えられるが, 二つ石火山の噴出物に覆われその形態は不明瞭である。
火山砕屑物は熔岩に伴なって, まれに存在する。 すなわち, 図幅地域北西部の飯盛山北東麓の轟滝には, 熔岩の間に約 10 m の厚さの火山灰層がある。 また白鳥温泉附近には, 熔岩の間に厚さ数 m の火山灰層があり, これは当時の堆積物と考えられる, よく円磨された径約 30 cm の礫を含有し, やゝ固結した砂質礫層(厚さ約 1 m)を伴なっている。 また図幅地域東部の新湯南西方には, 軟弱な凝灰角礫岩が白色粘土層に覆われて観光道路切割に露われ, 同質のものがさらに新湯の北東方にもやや広く分布する。 なお図幅地域東端の高原町近くには, よく成層した岩滓と火山灰との互層が, 10 m 以上の厚さで広く分布し, 輝石安山岩の熔岩に覆われ, また「シラス」に覆われている(図版 11)。 おそらく, 丸岡山附近に存在した白鳥安山岩類中期の寄生火山の活動の先駆として生じたものであろう。
白鳥安山岩類の岩質は栗野安山岩類に似る点が多いが, 一般に風化の程度の弱いこと, 肉眼的には大型斑晶にやゝ乏しく, 微細な斑晶の量が多いこと, 鉄苦土鉱物斑晶には大型のものがやゝ多量であること, 等で識別される。 熔岩は緻密で板状節理に富むものが多く, ガラスに富み不規則な節理をもつものも存在するが, その量は少ない。 主として橄欖石輝石安山岩(Vd)がみられ, 輝石安山岩(Vd)を伴なう。 前者は下部と上部に, 後者は中部に分布する。 下部でもその最上位にみられる橄欖石輝石安山岩はやゝ塩基性で, 橄欖石斑晶に富んでおり, 流動性も高かったようで, その分布は局部的である。 蝦野岳頂部の橄欖石輝石安山岩は, 大型斑晶を含まぬためにその外観は他と異なるが, 鏡下では他と同じ性質を示す。 輝石安山岩はガラス質で, 細かな気泡に富み, そのなかで白色を呈するものは軽石によく似ているが, 厚い塊状の熔岩流として存在している。 丸岡山附近には, この種のものが多く分布しているが, ここでは通常黒色を呈している。
韓国岳の北西側に, 径 500 m の火口湖が存在する。 火口壁の南東部に海抜 1,300 m の最高点があるが, その他は海抜 1,210 m 前後の 20 m に足りぬ比高の火口壁となっている。 その北麓海抜 1,050 m 附近に基盤となる六観音砂礫層があり, これを覆って約 30 m の厚さの岩滓層がみられる。 これはやゝ風化しているが黒色を呈し, 無層理で熱雲堆積物の疑がある。 これより上には数枚の熔岩が存在するが, いずれも輝石安山岩で岩滓層と同じ岩質のものである。
大浪池は比高約 500 m のホマーテ型の火山で, その頂上に完全な円形を呈する直径約 1 km の火口湖がある。 火口壁は比高約 170 m あって, その上部約 100 m は絶壁となり, それ以下は崖錐に埋められた斜面となっている。 火口壁には緻密な, しかし流理構造の著しい熔岩が2枚みられるが, 山麓部には 数~数 10 m の厚さの凝灰角礫岩状を呈する 軟弱な熔岩が何枚も累重しており, その末端の新湯附近では, それはむしろ熱雲堆積物の凝固したもののような外観を呈する(図版 1)。
これらの熔岩はいずれも輝石安山岩(M3)であるが, 初期に噴出したと思われる橄欖石輝石安山岩(M2)が, 新湯(大浪池南方)の東方および西方において輝石安山岩の下に出現している。 西方のものは急傾斜で中津川に流れ入り, 霧島地熱地帯のほゞ中央部を流れ下り, 丸尾の滝を径て, さらに下方において2流に分岐しながら, 延長約 4 km に達している。 熔岩は柱状節理がよく発達した, 橄欖石斑晶に富む黒色新鮮の安山岩で, その末端部にはやゝ風化した岩滓状部を厚く伴なっている。 なお, これは丸尾の滝の西方では, 現在活動している硫気孔のために局部的に白色粘土化している。
霧島火山の最高峯であるが,
比高僅か 600 m のホマーテ型の火山で,
頂上に直径 900 m の大火口を有する
(図版 6)
。
火口壁は約 300 m の高さをもち,
その上部約 200 m は絶壁となっている。
なお雨期には火口底に水がたまるという。
また韓国岳の北西腹と南西腹とには爆裂火口が存在するが,
これについては後に述べる。
火口壁の上部約 100 m の間には, 火山砕屑物を全く挾まない緻密な熔岩(板状・柱状の節理がある)が 数枚みられるのみであるが(図版 2), 山腹には緻密な熔岩はまれで, 軟弱なやゝ円磨された礫の形を呈する緻密な部分と, その間を埋める火山灰質の部分とからなる集塊岩状を呈する熔岩が分布し, 大浪池熔岩を覆っている。 熔岩の厚さは 10~30 m で, 縞伏を呈する流理構造を示す場合が多い。 縞は球顆に富むガラス質の部分と, 微斑晶に富み結晶度の高い部分とからなり, 両者は複雑に入り乱れている。 これら熔岩は輝石安山岩(Va → d ?)で, 地質図上で M4 としたものである。
韓国岳でも大浪池と同じく, その活動の初めに流動性の高い輝石安山岩(Vd)の熔岩を流出している。 地質図上で M5 としたもので, 霧島川沿いに細長く分布する。 これは大浪池の南東麓で大浪池の凝灰角礫岩状を呈する熔岩を覆い, 韓国岳の後期の熔岩に覆われる。 その表層部はやゝ岩滓質であるが, 内部は緻密な灰青色を呈する熔岩で, 不規則な柱伏節理をもっている。
岩質は上述輝石安山岩に似ている。 たゞし, 結晶度の高い部分の石基には 0.1~0.5 mm の微斑晶がやゝ多量に存在し, これは斜長石・橄欖石・普通輝石・紫蘇輝石からなる。 その間は細かな輝石と多量のガラスに埋められている。
韓国岳の北西に聳える海抜 1,301 m のコニーデ型火山であるが, その頂上には直径 500 m の浅い火口をもっている(図版 3)。 その山腹から裾野にかけて崖錐ないし火山円礫層が広く発達し, 開析もやゝ進み, 熔岩も多少風化している。 しかし, その岩質は飯盛山のものに似ており, おそらく韓国群においては, 現世に入って初めての活動を行ったものと考えられる。
甑岳はその活動の初めに岩滓を抛出して, 北西方に厚く堆積させ, 甑岳西側の谷の上流部では約 10 m の厚さを示している。 しかし, その分布は狭く, 西方の白鳥神社附近では, 僅かに厚さ 40 cm および 20 cm の岩滓層として, 火山灰層中に挾在するのみとなっている。 この爆発活動に続いて橄欖石輝石安山岩の熔岩を数回流出した。 その初期の熔岩は流動性に富み, 北方に広い裾野を作ったが, 次第に粘性をまし, 最後には急傾斜の山頂部をつくった粘性の大きな熔岩を流出した。 なお, 熔岩は後期のものほど僅かではあるが酸性となっている。 また火口では硫気作用が行われたようで, 附近の岩石はやゝ変質している。
図幅地域の北西端に聳える海抜 846 m のコニーデ型火山で, 頂上には狭小な浅い火口が存在する。 ほとんど開析されておらず, 北麓より北西麓にかけて広大な裾野を展開している。 熔岩のみからなる火山であって, 下位にはやゝ酸性の輝石安山岩(橄欖石斑晶を含まず, 普通輝石斑晶も少ない)がみられ, 上位にはやゝ塩基性の橄欖石含有輝石安山岩(たゞし, 橄欖石微斑晶は常に存する)が存在する。 いずれも新鮮で, 光沢に富む鉄黒色を呈し, 赤褐色を呈する熔岩表層の岩滓状部もほとんど風化していない。 一般に気泡に富んでいる。 なお, 長さ 6 mm の普通輝石および斜長石斑晶を散点する特徴がある。
韓国岳の北西方白鳥山の東腹にある径 200 m のきわめて浅い池である。 この周囲は硫気作用によって僅かに変質している。 この池から輝石安山岩の流動性に富む熔岩が流出しており, 長江川沿いにはるか下流にまで達している。 直接の関係はみられないが, その分布からみて, 飯盛山の熔岩より新しいものと考えられる。 熔岩の外観は飯盛山のものによく似ているが, 局部的に斜長石大晶をやゝ多量に含有する点が異なる。 なお長江川下流の熔岩末端部では, 熔岩表層の岩滓状部を, 偽層理をもつ青色火山砂層が一様に覆い埋めている。
韓国岳と白紫池とのほゞ中間にある直径 150 m の湖で(図版 3), 相当の水深をもっている。 白紫池の輝石安山岩と全く同一の外観・岩質の熔岩を北方に流出し, 甑岳の東・西および南麓を覆っている。 おそらく, 白紫池とほとんど同じ時期に流出したものであろう。 不動池湖岸において, よく成層した火山灰と軟弱な凝灰角礫岩との互層が, この熔岩を覆って厚く発達している。 なお, 不動池の水 8) は強酸性(pH 2.2)で, 水温はやゝ高い(21 ℃)。
不動池の東隣を占める砕屑丘で, 比高 50 m に及ぶ。 その噴出物は不動池の噴出物を覆う。 硫黄山の噴出物の下部は, 硫気作用によってやゝ変質した軟弱な凝灰角礫岩からなり, 上部は新鮮な, 径数 10 m に達するパン殻火山弾の累積からなる [ 以下の [注] 参照 ] 。 この火山弾はきわめてガラス質であるが, 不動池の熔岩に似た輝石安山岩である。 なお硫黄山の火口内には, いまなお硫気孔が活潑に活動しており, 火口南半部の岩石は著しく変質して, 珪石にまでなっている。 また硫黄山の南麓では, 大正の頃には硫気作用が激しく行われたもので, 現在は全く休止したが, 附近の岩石には粘土化が著しい。
韓国岳の西腹には,
直径約 500 m の半円を描く爆裂火口があり
(図版 4)
,
北西方に開口している。
その噴出物は多量の角礫を含み,
泥質の基質をもつもので,
韓国岳北西麓に広く分布し,
硫黄山の噴出物を覆っている。
爆裂火口の北部には,
硫気作用によって変質し,
白色粘土化した部分があり,
小火口状を呈する。
これは明治 30 年代
5)
に崩壊したものという。
その崩壊により泥流が小規模であるが生じている。
韓国岳の東腹の琵琶池も爆裂火口である。 これは短径 200 m の楕円形の火口で, 雨期にのみ水をたゝえる。 この爆裂により破壊された韓国岳の岩石は, 泥流堆積物状を呈して附近に堆積している。
これら爆裂火口には, マグマに由来する岩片は存在せず, すべて韓国岳の山体をつくった岩石の破片を抛出している。
韓国岳の東方の大幡池の周辺には, 緻密な輝石安山岩が広く分布している。 大幡池の東側にみられる絶壁はその火口の残片であり, 火口の東部は, 大爆発によって失われたものと考えられる。 なお大幡池そのものは, これより後に生じた爆裂火口である。
この輝石安山岩と白鳥安山岩類その他との関係は, 夷守岳その他の噴出した岩滓・火山灰に覆われて, 直接にはみられなかったが, その分布からみて, これが高千穂群の最初の活動によって生じたものと考えた。 輝石安山岩は板状節理のよく発達した, やゝ厚い熔岩として, 多数存在し, 火山砕屑物を挾んでいない。
大幡池の北側にドーム状の小丘をつくる(図版 5)。 頂上には径約 250 m の浅い鍋状火口がみられる。 数枚のガラス質輝石安山岩質熔岩からなり, 大幡池の緻密な安山岩を覆う。 その外観は 丸岡山の山麓を構成する軽石様の輝石安山岩(白鳥安山岩類)に酷似しているが, 流理構造に富むこと, 石基には単斜輝石のみで, 紫蘇輝石を含まぬことから区別される。
新燃岳の北に存在し, 低平な卓状を呈する二重式火山である(図版 5)。 ほとんど岩滓質の火山砕屑物のみからなるために, 地形はやゝ不明瞭となっているが, 直径約 1 km のカルデラをもつ外輪山と, 長径 500 m の楕円形を呈する火口をもつ中央火口丘とが認められる。 さらに後者の火口内には, 3個の浅い鍋状凹地が存在する。 外輪山は中央火口丘より高く, 前者は海抜 1,800 m, 後者は 1,350 m の高さをもっている。
大幡山の北西麓には六観音砂礫層に対比される火山円礫層があり, 5~10 m の厚さの火山灰層を間にして, 大幡山で唯一の熔岩である輝石安山岩に覆われる。 この熔岩と, 外輪山の山頂近くに分布する, やゝ固結し熱雲堆積物と疑われる凝灰角礫岩とを除くと, 他はすべて暗灰色~褐色を呈する粗雑な火山砕屑物である。 これは粗・細, 種々の粒度のものがあり, よく成層している。 その基質は岩滓ないし軽石質であるが, 角礫には種々の安山岩が認められる。
図幅地域の北東部に 1,344 m の高さに聳えるコニーデ型の火山で(図版 5), その北麓には広い熔岩台地をつくっている。 頂上には火口が残存するが, その東壁は全く破壊され, 夷守岳で最大の侵蝕谷が東方に続いている。 この侵蝕谷の末端部は, 現在崖錐に埋められて低平な冲積地となっている。
夷守岳北麓の熔岩台地は, 各所で軽石質砂礫層に覆われているが, 姶良火山軽石流との直接の関係は認められない。 しかし小林市周辺その他で, 軽石流の直下に常に存在する 赤黄色の軽石層(約 10 cmの厚さで降下軽石層である)が, 熔岩台地を直接に覆っている。 すなわち夷守岳は軽石流の噴出直前に活動を始めているものである。 なお, 丸岡山の熔岩は覆っているが, 大幡山との関係は不明である。
夷守岳の大部分は美麗に成層した岩滓層からなる。 その下部はやゝ酸性で, 岩滓も淡色であり, その一部は軽石質であるが, 上部は塩基性で赤褐色を呈し, まれには紡錘型の火山弾も認められる。 岩滓は夷守岳の山体のみならず, その周辺に広く分布するが, 地質図には省略してある。 熔岩には, 北麓の熔岩台地を作り岩滓状を呈する表層部の厚い橄欖石輝石安山岩, 熔岩台地とコニーデとの境界附近に分布する橄欖石玄武岩, 山体上部(海抜 900 m 附近)に存する輝石含有橄欖石玄武岩 の3枚が認められる。 なお, 夷守岳の北西腹, 林業軌道の東側の海抜 700 m から 800 m の間に, 南北に走る岩脈がみられる。 これは橄欖石含有輝石安山岩である。
橄欖石玄武岩に似て, 0.7 mm 以下の小型の普通輝石・紫蘇輝石斑晶を有し, 石基の色指数は 45 前後である。 なお, 輝石斑晶は常に単斜輝石粒の反応縁に包まれている。
橄欖石輝石安山岩(Vb)に似ているが, 粗粒であり, 特に鉄苦土鉱物の大型斑晶に富む点で異なる。 石基の色指数は 35 前後で, 2 V ≒ 0°のピジオン輝石が存在する。
高千穂峰の東に存在する海抜 1,300 m の火山で, その頂上には径 500 m の火口がある。 火口の東壁は破壊され, 山体もやゝ侵蝕が進んでおり, 夷守岳に先立って生じたものとも考えられる。 姶良火山軽石流との関係は他の火山の熔岩にへだてられて認められない。 ほとんど熔岩のみからなり, その外観は夷守岳のものによく似た, 長径 1 mm 以下の小型斑晶のみを多量に含有する, 橄欖石普通輝石安山岩と輝石安山岩とである。 しかし, この火山の北東端と南西端とには, 長さ約 2 mm の斜長石を多量に含み, 小型斑晶に乏しい橄欖石紫蘇輝石安山岩が分布する。 おそらく, 本火山で最初の熔岩であろう。 この火山では概して下位に橄欖石斑晶を有する安山岩が, 上位には橄欖石を欠く安山岩がみられる。
上述橄欖石普通輝石安山岩に似ているが, 長径 3.5 mm 以下の自形を呈する紫蘇輝石斑晶を含有する。 これは常に少量の単斜輝石粒からなる反応縁に包まれている。 なお, 普通輝石は常に波動消光を示し, 双晶をなし, ときには紫蘇輝石の核として存在する。 石基もよく似ているが, 少量のクリストバル石が存在している。 色指数は約 30 である。
新燃岳と御鉢の中間にあって, その高さは海抜 1,360 m, 大幡山に似た卓状を呈する二重式火山である。 外輪山には長径 700 m の楕円形を呈するカルデラがあり, その南東部に低い中央火口丘がある。 中央火口丘には径 200 m の浅い火口があり, 中央火口丘の北西側には小規模な爆裂火口がみられる。 大幡山と違い火山砕屑物はない。
中岳の熔岩の岩質は新燃岳のそれによく似ており, 高千穂群のなかでは, 現世における最初の活動によって生じたものと考えられる。
外輪山(P1)は橄欖石含有輝石安山岩からなり, その初期の熔岩は流動性に富み, 低平な裾野を形成している。 熔岩の外観は新燃岳のものと酷似しており, 野外で識別することは困難である。 中央火口丘(P2)は輝石安山岩からなり, この熔岩の延長 [ 以下の [注] 参照 ] は外輪山壁をのりこえて南および東方に流れ下り, 海抜 1,100 m 附近に熔岩台地をつくっている。 この熔岩は酸性でガラス質であり, 気泡に富んで軽石に近い外観を呈している。
図幅地域東部に海抜 1,574 m の高さに聳えており, その頂部は急斜面でかこまれ三角錐のようであるが, 山腹から次第に傾斜が減って, 山麓, 特に南西部には広い熔岩台地が発達している。 この台地をつくる熔岩は姶良火山軽石流を覆っている。 山体の侵蝕程度からみると, おそらく中岳より新しいものと思われる。
高千穂峰は詳しくみると, むしろ二重式火山である。 すなわち海抜 1,400 m 附近に, 最初直径約 700 m と考えられる第1次の火口があったのが, その後第2次の小規模な火山体によって, 火口縁の東部を僅かに残すのみで, 火口を全部埋めつくされたものである。 第1次の火山体(P3)は何枚もの輝石安山岩・橄欖石輝石安山岩熔岩からなり, 岩滓は火口の東壁にやゝ厚くみられるだけである。 なお, この岩滓層は N 85°W, 40°S の急傾斜を示している。 第2次の火山体(P4)は1枚の輝石安山岩と岩滓(図版 6)とからなる。 岩滓は熔岩の流れ出る前後に相当多量噴出した。 これは高千穂峰の北腹に広く分布するが, 地質図には省略した。 熔岩は流動性にきわめて乏しく, いわゆる流動円頂丘をつくった。 その末端では約 15 m の厚さをもっている。 なお, 第2次の火山体の頂上は岩滓に埋立てられて, 火口はみられない。
熔岩はすべて新鮮で鉄黒色を呈し, やゝ多孔質である。 二つ石の熔岩にやゝ似るが, 長径 2 mm 前後の斜長石斑晶が細粒のものとともに散在しているので, 肉眼的にも区別される。 第1次火山体の中腹部以下に分布する輝石安山岩はやゝ酸性で, その石基の色指数は約 20 である。 なお, この熔岩は紫蘇輝石斑晶の量が少ない。 中腹より上方にかけては石基の色指数 25 前後の橄欖石輝石安山岩が分布し, 頂上の第2次火山体は色指数 30 の輝石安山岩からなる。 すなわち後期の熔岩ほど塩基性となる傾向を示している。 しかし, いずれも斑晶の組み合せとその量に差はあるが, ほとんど同じ岩質をもつている。 こゝには頂上の熔岩を記す。
大幡山の北に, 直径 500 m の大幡池がある。 その周辺は比高約 20 m の緩やかな丘で池をとりまいている。 この丘は池の基盤をつくる緻密な安山岩の角礫を多量に含む凝灰角礫岩からなり, その一部は丸岡山を覆っている。 この池は次に述べる御池とともに, 韓国群における爆裂火口とほゞ同時に生じたものであろう。
高千穂峰の東方に存在する径 1 km を超える爆裂火口湖で, 深度 101 m, その形はやゝ不規則である。 多量の角閃石含有輝石安山岩質軽石を噴出し, これは湖岸に 20 m 以上の崖をつくり, 周辺に広く分布している。 すべてよく成層した降下軽石層で, 軽石流は存在しない。 軽石の大きさはときには径 20 cm に達することもあるが, 通常 5 cm 以下である。 なお, 軽石層中には烏帽子岳安山岩, あるいは栗野安山岩類のものに似た輝石安山岩塊もしばしばみられる。 その大きさも, ときには径 20 cm のこともあるが, 通常軽石より小型である。 なお, この軽石層は後に述べる「牛のすねローム」を覆っており, 後者は高千穗峰の熔岩を直接に覆っていることから, 御池の活動は高千穂峰より後のものである。 新燃岳・御鉢との前後関係は明らかでない。
なお, 御池西隣の小池も爆裂火口といわれた 5) が, これはむしろ二つ石火山の熔岩による堰止湖と考えられる。
韓国岳の東にあるホマーテ型の火山で, 海抜 1,421 m の高さを有する(図版 7, 8)。 有史時代に噴火の記録があり, その基底部の岩滓層は, 後に述べるように「牛のすねローム」を覆っている。
新燃岳の海抜 1,300 m 以下は緩やかな裾野となっているが, それ以上は急傾斜を示しており, その頂上には直径 750 m のほゞ完全な円形を呈する火口がある。 火口底の中心やゝ西よりに径 150 m, 深さ 3 m の緑色の水をたたえた池がある。 火口底のその他の部分はほとんど砂礫に埋められているが, 浅い窪地が数ヵ所あり, 小田 5) によれば, 火口南部に直径 5 m, 深さ 5 m の爆裂火口があり, その底に熔岩をのぞかせていたという。 火口南壁には, 岩脈のような形状をした巨岩塊が凸出し, 火口底から火口縁に続き, さらにのびて2つにわかれている(兎の耳といわれている)。 これは新燃岳最後の熔岩と考えられ, その下部には硫気孔のあとが残っている。 火口壁は南東部で約 200 m, 北西部で約 150 m の絶壁となっている。 その上部約 80 m には熔岩と岩滓との互層が露われている。 熔岩は南西部に多く, 他ではまれである。 岩滓は黒色を呈し新鮮で, よく成層しているが, 東壁下部にはやゝ淡色の岩滓もみられる。 岩滓は火口附近に厚く存するが, 山腹でも熔岩を覆って広く分布している。
新燃岳の最初の活動は岩滓を噴出した。 これは南西麓の新湯附近に, 10 m 以上の厚さでよく成層して露われている。 その基盤には韓国岳の基底熔岩があり, ときに 白色粘土層を挾む泥質の火山円礫層・ 牛のすねローム・ 黒色火山灰層と累重し, 岩滓層に覆われる。 なおこの岩滓層中には炭化木片が含まれており, 新燃岳北麓には立木のそのまゝ炭化しているところもみられる。 この岩滓層の直上には熱雲と疑われる岩滓質の熔岩があり, 霧島川の上流部に分布している。 またこの種の岩滓層は霧島神宮附近には存在せず, 緻密な熔岩がローム質礫層あるいは崖錐を直接に覆っている。
新燃岳の火山体の大部分は緻密な熔岩からなっている。 これはきわめて新鮮で, 鉄黒色を呈し, 細かな気泡に富む表層部がよく発達している。 やゝ大型の斑晶に富んでいる点で, 高千穂峰の熔岩と容易に識別される。 その大部分は輝石安山岩で, 橄欖石含有輝石安山岩を伴なうが, その間に前後関係は認められない。 いずれも紫蘇輝石岩質岩系に属する岩石である。 なお, 霧島神宮附近にみられる熔岩は輝石安山岩であるが, 橄欖石仮像をやゝ多量に含有している。 また火口南縁に凸出する巨岩塊は橄欖石含有輝石安山岩で, その一部は南西腹に僅かであるが, 熔岩として流れ下っている。
全体としては上述橄欖石含有輝石安山岩に似ているが, 橄欖石斑晶を含まぬ点で異なっている。
高千穂峰の西側に存在する, 径約 600 m の広い火口を有するホマーテ型の火山である(図版 9)。
有史時代にしばしば噴火しており, その最後の活動は大正 2 年 11 月から翌年 1 月にかけて行われている。 なお, この活動は桜島火山が活動を開始するとともに止んだという。 現在もなお火口底には噴気孔が存在する。
火口壁には3枚の熔岩が岩滓層と互層して露われている。 岩滓は火口附近のみに分布し, 中腹以下にはみられない。 熔岩はきわめて新鮮で, 新燃岳のものによく似る輝石安山岩であるが, やゝ塩基性であり, 大部分はピジオン輝石質岩系に属する点で区分される。 紫蘇揮石質岩系に属するものは北東山麓に, 高千穂峰と矢岳との間に広く分布し, おそらく最も初期の熔岩と考えられる。 この石基の色指数は 20 前後であるが, 後期の熔岩ほど塩基性で, 頂上のものは 30 あるいはそれ以上の色指数をもつ。
上述輝石安山岩よりやゝ酸性で, 石基輝石として普通輝石と紫蘇輝石が存すること以外は, ほとんど同様である。 石基は新燃岳のものと異なって完晶質である。
霧島火山には噴気作用が現在もなお盛んに行われている。 山頂部では韓国岳西側の硫黄山に最も激しく, その西の海老野(図版 10), あるいはきわめて微弱であるが御鉢にもみられる。 山腹では, 南西側のいわゆる霧島地熱地帯, すなわち牧園町銀湯より霧島村湯之野までの広い地域に多数の噴気孔が存在し, 栗野岳西腹・白鳥山北腹にもみられる。 なお過去に硫気作用が激しかったが, 現在は全く活動を停止したところとしては, 南西麓の牧園町内の野附近または韓国岳東側の獅子戸岳西側の地域がある。 また僅かに温泉が湧く程度にまで弱勢となったところとしては, 湯の谷火口内, あるいは霧島地熱地帯西部の金湯・大良湯などがある。
現在, 噴気活動の最も激しいところは硫黄山で, こゝでは噴気中に多量の H2S, SO2 が含まれており, 硫気孔に属する型のものである。
これに次ぐところは海老野で, こゝでは噴気中に 1 % 前後の容量の酸性ガスが含まれており, その組成は CO2 85~90 %, H2S 1~4 %, SO2 0.6~2.8 %, N2 その他 5~12 %(いずれも容量比)である 8) 。 霧島地熱地帯の噴気は, それに較べて水蒸気の量がきわめて多く, 酸性ガスは 0.2 % 程度しか含まれていない。 その組成は CO2 63~85 %, H2S 13~34 %, SO2 痕跡, N2 その他 0.7~6.4 % となっている 1) 。 噴気孔は一地区に数個存在するのが普通であるが, 手洗温泉附近のように, 80 個以上が密集して存在する地区もまたみられる。 また熱水に満されて, いわゆる湯沼となっている所も多く, その規模の大きなものとしては, 湯之野・ 手洗温泉北西方の牧園鉱山(峠の東側に2個, 西側に1個ある), および鳥地獄がある。 鳥地獄は手洗温泉の北東方にあり, こゝには泥火山が多数みられる。
噴気孔の存在する地区は必ず変質しており, その中心部には カオリン質の白色粘土 またはそれが微細な硫化鉄に鉱染されて青黒色を呈する粘土が分布し, 周辺部には僅かに変質して褐色を呈し, もろくなった安山岩が新鮮な安山岩に漸移する形で分布する。 なお噴気作用が激しく, 溶脱作用の極度に進んで生じる珪石も, まれに, 例えば牧園鉱山の峠の西側, あるいは湯之野北方の新湯入口などに存する。 このような変質帯は, 霧島地熱地帯でみられるように, 相隣接するものが接続して著しく不規則な形状を示すこともあるが, 多くは円形または楕円形に近い形をもっている。
噴気作用は一地区内でも常に移動しているもので, その好例は霧島山頂部にみられる。 すなわち, 現在硫黄山と海老野に著しい活動がみられるが, 大正年間には硫黄山とその西麓に著しく, 硫黄山を中心とする活動が, 硫黄山を除いて漸次西方に移動する傾向を示している。 現在その西端は, 白鳥山中腹の森林地帯中にあり, 水蒸気は木根に沿って上昇してきており, その温度は低く, その附近にはまだ変質作用は全然みられない。
霧島地熱地帯をみると, 噴気作用 -- 少なくもその最盛期 -- は1地区から他地区へと移動しており, 移動方向は南西から北東に向かっているもようである。 この地帯に存在する 20 に近い地区は, 霧島火山東部にみられる火口の配列方向に平行して, NW - SE に配列する数群にわかれている。 また, これに直交する方向の配列もみられる。 後者の例として, 丸尾・林田・栄の尾(および明礬)地区をみると, 噴気作用は漸次この順に衰退期に入っている。 すなわち丸尾では, 変質帯の周辺をとりかこんで, 変質作用を全く蒙っていない熔岩が分布し, 変質岩との間には, その北端で白色粘土を伴なう砂礫層が存在している。 これはよく成層しており, 湖成層と考えられる。 ところで, 林田ではその熔岩が変質しており, よく成層した白色粘土層を間にして, 新鮮な熔岩に覆われ, その熔岩が栄の尾では激しく変質している。 以上の地区では現在も噴気作用が残っており, また丸尾では, 流れ込んできた大浪基底熔岩が, 現在活動中の噴気孔の近くでは全く白色粘土化している。 このことからみて, 各地区の活動の最盛期は南西方に位置するものほど早く終っているが, 噴気活動はその後も非常に長い期間継続しているものといえよう。 すなわち更新世中期以前より現在にまで続いているのである。 熔岩と各噴気地区との関係は第 2 表に示した。
霧島火山には現在噴煙もなく, きわめて静隠である。 しかし, 元来はなかなか活潑な火山であって, 18 世紀末までの噴火回数では阿蘇・浅間についで3番目であり, 13 世紀前半までをとれば富士山の 10 回に次いで, 7回の噴火記録をもっている(第 3 表)。
霧島火山の活動は 9, 10, 13~14 世紀頃に, 150 年あるいは 300 年の長い活動休止期間があるが, その他の期間には約 60 年ごとに活動の集中して起こる時期がある 7) 。 これに従えば, 近年は活動期に入っていることとなる。 しかし, こゝで神社焼失, あるいは多くの死傷者の生じたような大被害の起こった活動をみると, これは 1112~1234 年, 1566~1717 年の間に, すなわち約 450 年の周期で前後 120~150 年の間に起こっている。
霧島火山の活動はその記録からみると, 岩滓を噴出するのみで, 熔岩を流出した例はほとんどないもののようである。 活動は古いほど激しく, 788 年には黒色岩滓を2尺も近郊に堆積しているが, それ以後このような例はみられない。 なおこの活動以後, 霧島は暫く静隠で, 高千穂峰と御鉢の中間の 背門丘 には, 神社があったといわれている。 しかし, 837 年, 843 年, 857 年, 858 年には神社の社格が上っており, これは小活動を示すとも考えられる。 これに次ぐ 945 年の活動により, 神社は御鉢西麓(高千穂河原であろう)に移され六社権現と称された。 12 世紀の活動には神社の焼失が伝えられるが, 1235 年には六社権現が焼失し, その後 15 世紀末まで再建されなかった。 この最後の活動は御鉢であろうといわれる 7) 。 16~17 世紀には激しい活動があり, 1566 年 10 月 31 日には死亡者が多数あったといわれるが, その頃の記述は簡単で, 詳しい状況は不明である。
17 世紀末の活動は御鉢と考えられる。 新井白石の霧島山の記 7) (1692 年)によれば, 当時御鉢は火口湖で御池と呼ばれていた。 その状態は下のように記されている。
なお 1706 年には, 六社権現がふたゝび焼失している。
1716 年には新燃岳が活動を始めた。 すなわち 3 月 11 日(旧暦 2 月 18 日), 「笈掛岳の北, 金剛界胎蔵界雨部池の辺, 新燃2ケ所燃出る 5) 」とあり, 11 月 9 日には激烈な活動となり, 狭野神社他焼失し, 瀬戸尾権現(小林)では信者中から5名の死者を出した。 続いて 1717 年 2 月 7 日, 同 2 月 13 日にも激しい活動があり, この時期の活動で, 死者1, 負傷者 30, また牛馬 420 頭と田畑 6,000 余町歩に被害があった。 新燃岳の火口は, その後ふたゝび水で満されたもようである。
これに次いで, ふたゝび御鉢が活動し, 18 世紀末の安積艮斎の霧島山記 7) には, その噴煙状況を記している。
1822 年 1 月 20 日に新燃岳が活動し, 霧島川(当時松永川)に硫黄(泥水であろう)を流出し, 下流に大きな影響を与えている。
1880 年(明治 13 年)に御鉢が爆発し, 以降激しく噴気し, 多量の硫黄を堆積し, 一時はこれを採取したが, 1888 年の爆発により飛散してしまったという。 なお, この活動以前には御鉢はきわめて静隠で, 火口底には樹木も茂っていたという。 なお, その後も御鉢は活動を続け, 1845 年 10 月 16 日には, 狩猟中の者のうち4名が死亡し, また 1896 年 3 月 15 日には登山中の仏国人が負傷し, 案内者が死亡するという事故を起こしている。 御鉢の活動も 1914 年 1 月 8 日の爆発で終り, 現在は火口底からかすかに噴煙するのみとなっている。 なお, 最後の爆発で, 南東麓の牛のすね部落に栗の実大の降石があった。
図幅地域の南部および東部に分布する軽石流は, 姶良火山(カルデラ)の流出したものである。 国分図幅地域でみると, 水成堆積物を間に挾んで数枚の軽石流がみられるが, この図幅地域にはその最後のものが分布する。 しかし, 伊田によれば 9) , 霧島 火山北西麓の加久藤盆地に, 湖成層に挾まり旧期の軽石流が存在するとのことで, 図幅地域の西端にはその一部が存在する可能性がある。 この旧期の軽石流は飯盛山の生成前に, 栗野安山岩類と鮮新世安山岩類からなる山地の間の鞍部をのりこえて, 加久藤盆地に入ったものと思われる。
図幅地域南部に分布する軽石流の表面高度をみると, これは図幅地域南西端では海抜 280 m, 烏帽子岳の山麓では 400 m, 高千穂峰南西麓では 460 m になっており, 軽石流が霧島火山地域の山地にはい上ったものと考えられる。 図幅地域東部の軽石流は中生層山地内の2, 3の峠をこえてまわりこんだものと思われ, やゝ淘汰された形跡がある。 すなわち, 高原町附近の 20 m 以上の厚さをもつ軽石流をみると, これに含まれる軽石塊がほとんど径 4 cm 以下の小型のもののみで, 通常の軽石流にみられる径 10 cm の軽石塊は, その下底部数 m の間に僅かにみいだされるにすぎない。
軽石流は栗野安山岩類を各所で覆っており, 白鳥安山岩類も高原町の西方で覆う(図版 11)。 夷守岳の基底熔岩も軽石流の噴出直前に生じたものである。 軽石流が飯盛山の熔岩に覆われるところは, 図幅地域北西端でよくみられ, また高千穂峰の熔岩には, 図幅地域南東端牛のすね部落附近で覆われている。
軽石流はいわゆる「シラス」と呼ばれる軽石凝灰角礫岩(AP)と, 「灰石」と呼ばれる熔結凝灰岩(AW)との2部分からなり, 後者は常に下位を占めるが, 両者の境は漸移して, きわめて不明瞭である。 シラスは一般に白色を呈するが, まれに黒色を呈する部分があり, これは風化の進まぬ新鮮な部分と考えられる。 軽石塊を多量に含み, 淘汰の悪い, 粗雑な凝灰角礫岩で, 安山岩・砂岩・頁岩などの細礫を少量含有する。 その基質は軽石砂からなる。 ほゞ垂直な切割・トンネルなども安定で, 崩壊し難いが, 水の侵蝕に対しては著しく弱く, 水を含めば流動する性質を示す。
「灰石」は通常灰黒色, 時には白色を呈する。 緻密なガラス質の岩石で, 径 15 cm 以下の軽石塊・黒曜石塊に富み, その多くは偏平となっている。 熔結凝灰岩に特有の流理に似た構造を示している。 なお, 小型の外来岩片を含んでいる。 なお, 霧島神宮附近あるいはその西方中津川の川底には, 軽石塊あるいは黒曜石に乏しい白色の灰石がみられる。 この図幅地域の灰石はすべて角閃石紫蘇輝石石英安山岩, あるいは紫蘇輝石安山岩である。 シラスに較べ硬く, 不規則な柱状節理をもっている。 また流水に磨かれて滑らかな面を生ずる特徴がある。 しかし, 通常の安山岩に較べては著しく軟弱で, 石材として利用されている。
図幅地域東部において, 白鳥安山岩類および軽石流に覆われて広く分布する。 よく円磨されてはいるが, 淘汰の悪い安山岩質の礫を含み, その基質は火山灰質である。 やゝ固結しており, その厚さは 7 m 以上のもののようである。 なお, 小林市西方の今別府附近その他では, 凝灰質泥層を伴なっている。 これとほゝ同時期のものと考えられるものは, 図幅地域西端にも軽石流の下に存在し, ときには泥層を伴なっている。 また蝦野岳の南西麓に広く分布する。 これは下位から, 黄色または白色を呈する泥層, 黄色泥質礫層, やゝ固結した巨礫からなる礫層と累重し, その厚さは 20 m に達する。
白鳥安山岩類からなる山体上に, 小規模に生じた湖成層と考えられる。 その1つは白鳥山の南西麓, 海抜 1,150 m 附近に露われる風化した火山灰と, 砂とのきわめて細かな互層で, ほゞ水平に堆積しており, 6 m 以上の厚さをもつものである。 これは滞水層となっているために, この地層の露われている所には小川が存在し, それより離れては, 水はすべて伏流となっている。 また六観音池の北西方海抜 1,020 m 附近を基底として, 約 15 m の厚さの火山灰質礫層と, 厚さ約 25 m の灰青色砂層とが存在し, 六観音池の岩滓層に露われている。 なお, 砂層は N 65°W, 15°S の走向・傾斜を示す。 この北の海抜 900 m 附近には青色砂層の挾在する白色粘土層と, 凝灰質泥岩の角礫を多量に含有する凝灰角礫岩とが約 300 m の厚さをもち, N - S, 20°E の走向・傾斜を示している。 またこの北方の川底には, よく成層した火山灰質褐色泥岩と砂岩との互層が, 軽く波状を描いて, 高さ 15 m, 長さ 50 m の露頭となって露われている。 これは礫に乏しく, まれにガラス質安山岩の角礫ないし亜角礫を含むのみである。 これら低位置に分布するものは, 当時の火口瀬の堆積物であろう。
これと同時期と考えられる砂礫層が, 図幅地域東部の大幡山北西麓にみられる。 これは海抜 1,200 m 附近に分布し, ほとんど無層理の火山円礫層からなる。 これは円磨された礫に富むが, むしろ崖錐のようなもので, その下部は礫が小さく, 上部は大型の礫(径 20 cm)を含んでいる。 厚さ約 10 m の成層した火山灰層を間にして, 大幡山の岩滓に覆われている。
軽石流の分布地域にしばしばみられるが, その大規模なものは図幅地域北東端の地域に限られている。 いわゆる「シラス」の2次堆積物で, 通常細かな層理をもち, ときには偽層理も示す。 厚さは 3 m 以下で, ときにはその下部に, 安山岩礫からなる礫層が存することがある。
小林市附近の海抜 200 m の台地の表面に火山灰層に覆われて存在し, 段丘面をつくるものと考えられる。 この種の面は国分図幅地域東半部にもやゝ大規模に発達している。 この図幅地内では, この面の形成を更新世末と考える。
本層は地質図には省略してあるが, 図幅地域全般に分布し, 特に霧島火山の東側に厚く, 15 m 以上に達することもある(第 4 図)。 本層は軽石流を間に挾んでおり, おそらくその初期のものは白鳥安山岩類の活動期に遡るであろう。 火山灰は風化して暗褐色を呈し, いわゆるロームとなっている。 まれには赤色を呈する部分もみられるが, これはあまり広くは分布しないようである。 岩滓あるいは軽石もしばしば存在し, その層厚の変化が著しい(図版 12)。 その多くも風化しているが, 構造はよく残っている。
最下位をしめる火山灰は, 当地方で炭焼釜を築くための釜土として賞用されるもので, 白濁した斜長石片を散点し, ほとんど層理を示さない。 数 m 以上の厚さをもつが, 図幅地域南東端の湯之元附近など, それの特に厚く発達している地域では, 腐植土を間に挾み, または下部に軽石片を散点する部分があるなど, 不明瞭な層理を呈することもある。 小林市周辺から高原町にかけては, 軽石流の直下に特徴のある軽石層がみられる。 これは 10~30 cm の厚さをもち, よく成層した降下軽石層で, 夷守岳の基底熔岩を覆っている。 霧島火山周辺に広く分布し, きわめて特徴のあるものに「牛のすねローム」がある。 これは図幅地域南東部の牛ノ 臑 部落附近に厚く発達しているもので, 韓国岳や大浪池, さらに高千穂峰の熔岩を覆い, 御鉢や新燃の熔岩に覆われ, 霧島火山の火山灰としては末期のものの1つである。 これは上下2部からなり, 上部は赤黄色軽石砂層で, 下部は青黒色シルト層である。 後者には長さ 1 cm 以下の葉柄のような白色片を多量に含有している。 おそらく高千穂, または新燃岳の火口湖の活動に際して生じたものであろうが, 詳細は不明である。
霧島火山の山麓部, あるいは軽石流からなる地域の河川の沿岸に, しばしば存在する。 ときには低い段丘もつくっている。 その多くは淘汰の悪い巨礫からなる礫層で, 砂・泥・粘土を挟んでいる(第 7 図)。 たゞし小林市周辺に存在するやゝ広い冲積平地では, 礫層は細粒であり, ロームとしばしば互層している。
本地域は火山地域であり, 地下資源に乏しいが, 硫気作用ないしは噴気作用が激しく行われているために, それと関連して 褐鉄鉱・硫化鉄鉱・硫黄あるいはカオリン質粘土などが小規模ではあるが生じており, また火山灰の一部はボーキサイト質粘土となっている。 温泉は豊富であって, 古くから有名である。 なお, 軽石流の一部, 熔結凝灰岩(灰石)も石材として利用されている。
図幅地域西部の栗野岳温泉の西方川底にみられる。 温泉から沈澱したもので, 珪華と互層し木の葉化石を含有している。 長さ 200 m, 幅 30 m の区域内に存在し, 0.7~3 m の厚さをもつが, 品位の変化が著しい。 その最良部は Fe2O3 40~45 % であり, 昭和 20 年から 22 年までに 450 t の鉱石を産した 10) 。
大浪池南西麓の手洗温泉附近には, 小規模な硫化鉄鉱床が散在している。 いずれも噴気孔の多数存在し, 高温の水をたたえた湖沼に生じたもの, あるいはその湖沼から流れ出る河川の沿岸に堆積したもので, 現在もなおその現象がみられる。 手洗温泉北東方の鳥地獄の池, 手洗温泉北方の川沿いにも露頭が存在するが, 稼行されているものは手洗温泉北西方のもので, 牧園鉱山と呼ばれている。
牧園鉱山は姶良郡牧園町字手洗にあり, 昭和 26 年 7 月から作業を始めたものである。 鉱床は手洗温泉北西方の 974 m 三角点を含む尾根の北側と, 南側との2ヵ所にある。 前者は白水沢鉱床, 後者は湯之池鉱床と呼ばれ, いずれも高温の水をたたえた池となっている。 湯之池鉱床はまた上の池と下の池との2ヵ所に分かれている。 硫化鉄鉱は現在もなお池底に堆積しているが, その高品位部は基盤となる熔岩上に堆積した砂礫層, あるいは崖錐が交代されて生じた部分であって, 常に白色粘土中に不規則な形状を呈して, 青青色~黒褐色の泥鉱として存する。
韓国岳西側の硫黄山の昇華硫黄は古くから有名であって, 現在も白鳥鉱山(宮崎県西諸県郡飯野町地内)として盛んに採取されている。 硫黄山の火口内に噴出する硫気ガスを煙道内(延長数 100 m)に導き, 煙道中につめられた変質安山岩の岩粉に硫黄を吸着させて採取する。 この原鉱品位は S 40~50 % で, この原鉱はさらに海老野にある製錬所(図版 4)で精製される。 精製硫黄は月 100~150 t 産出されている。
高千穂峰西側の御鉢火口内には, 明治の前半には天然硫黄があり, 採取されたというが, その後の爆発のために, 現在は全く存在しない。 なお手洗温泉の北東方, 山城の北には, 冷水より硫黄が沈澱しており, 湯の華として採取されている。
噴気作用によって変質した白色の粘土で, 霧島地熱地帯の各所に産し, 古くから「さつま焼」の原料として使用されている。 耐火度 SK 29~36.5 で, 耐火原料としても概して好適であるが, 品質の良好な白色の部分が少なく, また青色粘土と混在することが多いので, 白色陶磁器原料としては不適当である。 その鉱量は 10万 t 以上に及ぶ。
霧島火山南西麓に分布し, 扇 の 迫 部落南西約 400 m に最もよく発達し, 附近には探鉱坑道の跡もある。 いわゆるローム層中に存在し, 黄褐~赤褐色を呈し, その下部には白色粘土薄層を伴なう。 厚さは 0.9~3.5 m, その品位は Al2O3 25~38 % で, SiO2 を 36~49 % 含有する。 なお釜土として賞用され, 霧島火山東麓に分布する最下位の火山灰層もこれに類するものと思われる。
姶良火山軽石流の一部で, 灰石と呼ばれる部分は熔結凝灰岩で, 容易に切出すことができるので, 石材として広く利用されている。 しかし, 図幅地域内ではその多くは川底に露われ, 採石に不便なために, 図幅地域南西部の宿窪田附近で, 小規模に採取されているのみである。
また栗野安山岩類中の板状節理に富む熔岩は, 道路用のバラスとして利用され, 霧島温泉と宿窪田の中間の下中津川附近, あるいは佐賀利山の北西などで採石されている。 いずれもその近傍で利用されるのみである。
図幅地域内に多数存在する噴気は, 近年地熱発電に利用することが考えられ, 烏帽子岳東側の湯之野, あるいは霧島山頂の海老野などで利用研究が行われている 1), 8) 。
当地域には多数の温泉があるが, その多くは噴気と関係のあるものである。 すなわち温泉の大部分は, 海老野地域と霧島地熱地帯との激しく活動している噴気地帯に密集している。 また, その他の地域に存在する温泉でも, 栗野岳温泉・白鳥温泉は噴気地帯にあり, 大幡温泉もまたこれに類するものと考えられる。
韓国岳西方の海老野地域の温泉は, 噴気地帯に存在するにかゝわらず, 一般に Cl' に富んでいる。 その最も著しいものは硫黄山の西麓に湧出する温泉で, 温度がやゝ低い(50 ℃)が, pH 1.6 の酸性明礬緑礬泉で, Cl' 729 gr / l, SO4" 2,030 gr / l, Al''' 289 gr / l を含有している。 しかし, 一般には Cl' 30~190 gr / l を含有し, pH 約 2 である。 たゞし, 温度は 28~72.5 ℃ の広範囲を占めている。 なお, 海老野の変質帯の南縁部に湧出する温泉は土類泉で, pH 6.2~6.6, HCO3' を多量(832 ppM という例もある)に含み, 50~90 ℃ の温度をもっている 8) 。
霧島山南西麓の霧島地熱地帯にもまた多数の温泉があるが, これは海老野のものに 較べて Cl' 含量が少ない。 その特に少ないもの, すなわち 地下水中の含有量とほゞ同量の 6 gr / l ないしはそれ以下しか Cl' を含まぬものは, 銀湯・太良湯・金湯・常磐湯および鉾投・手洗, あるいは丸尾温泉の一部と湯之野にみられる。 これらの多くは含緑礬硫化水素泉である。 その酸性の最も強い温泉は手洗に存在し, これは pH 2.2 で, SO4'' 888 gr / l を示し, Cl' は僅かに 2.3 gr / l である。
Cl' に富む温泉は, 概して上述の温泉の南側にある。 これは地域的に含有量が異なり, 手洗附近で 13~32 gr / l, 栄の尾・明礬地域では 39~52 gr / l, 丸尾周辺で 35~511 gr / l であって, 南方に位置するものほど含有量が多い 1) 。 温泉の多くは単純硫化水素泉あるいは炭酸含有硫化水素泉であり, ときには弱食塩泉・単純泉なども存在する。 栗野岳西腹に存する栗野岳温泉, 白鳥山北腹の白鳥温泉もこの種の酸性泉である。 韓国岳の東, 大幡池の南東側の大幡温泉は温度 27 ℃ の炭酸泉である。 なお, 白鳥温泉の北西約 1.5 km の小部落には, 温度 30 ℃ の単純泉が湧出している。
霧島火山の周囲にもまた温泉がみられる。 図幅地域南西端に近い横瀬温泉・間手原温泉は, 熔結凝灰岩中の割れ目から湧出するもので, 前者は温度 60 ℃ の重曹泉で, 後者は 37 ℃ の炭酸泉である。 図幅地域南東端の湯之元温泉は, 高原砂礫層中から湧出するもので, 温度 40 ℃ 前後の炭酸泉である。 なお, この附近は一般に地温が高く, 高原砂礫層に伴なって温泉が広く分布するものと思われる。 なお, 図幅地域南端の中生層山地内には, 温度 19.5 ℃ のツアナ鉱泉が存在し, 新燃岳西麓の霧島川上流部, あるいは下流の霧島川第一発電所北方では, 炭酸鉄あるいは褐鉄鉱を沈澱する冷泉が多量に湧出している。
図幅地域南東部の中生層山地中の擾乱の著しいところには, 小規模な山崩れがしばしば起こっているが, 霧島地熱地帯の噴気による変質地域には, やゝ規模の大きな山崩れが起こり, 災害を生じている。 例えば近年には明礬温泉の南縁部に2回, 新湯温泉に1回起こっている。
すなわち, 昭和 17 年 8 月 23 日には高千穂旅館裏が, 昭和 24 年 8 月 16 日には霧島旅館裏が, 昭和 29 年 8 月 18 日には新湯旅館附近が崩れ, 旅館を埋没している。 いずれも豪雨があって後に崩壊し, 噴気変質帯にしばしばみられる山崩れに属する形式のものである。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Kagoshima, No. 74
By KŌNOSUKE SAWAMURA & KAZUNORI MATSUI (Written in 1956)
The mapped area is located at the southern Kyūshū and it covers the area of the Kirishima volcano. As the basements of the volcano, the Shimanto group (M) and the Pliocene andesites (A) constructing the low mountainlands or hills around the volcano crop out.
The Shimanto group is considered that it has deposited in the age of Jura to Cretaceous and covers vast area along the Pacific coast of Southwest Japan. In this area, it is composed of thick alternations of sandstone and shale accompanied with subordinate amount of chert, and yields no fossils. It is somewhat sheared and faulted.
The Pliocene andesites are grouped into three. Hornblende rhyolite (A1) seems to be the remain of a dike which occurred at the first stage of the Pliocene volcanism. At the second stage, porphylitic pyroxene andesite (A2~4) and hornblende andesite (A5) were formed. The latter occurred as dome or lava flow in the final of the second stage. After a period of denudation, andesites of the third stage (A6~9) constructed volcanic cones here and there. The forms of them have been destroyed, but the situations of craters are now discernible. Most of the cone are composed of basic andesites, which are easily distinguished megascopically by the abundance of minute phenocrysts. In the final stage, however, acidic andesite (A9) occurred perhapes as central cone of andesite (A8), which intercalates abundant amounts of scoria between lava flows. The Pliocene andesites, except the A8, almost wholly consist of lava flows and no-pyroclastics. The andesites of east area, namely A2, A3, A6, and A7 belong to the pigeonitic rock series, but the others belong to the hypersthenic rock series.
The rocks of the pigeonitic rock series contain as groundnass pyroxene, only monoclinic pyroxene, while those of the hypersthenic rock series contains orthorhombic pyroxene with or without monoclinic pyroxene.
The activity of the Kirishima volcano seems to have succeeded from the Pliocene volcanism and continud until Recent. A number of active fumaroles are present on the summit and the southwestern foot of the volcano, and many records of explosions happned in the time from the middle of 8 th century. The Kirishima volcano is a composite volcano consisting of many cones. These cones are mostly shield volcanoes of andesite, but there are no aspite. Generally speaking, their forms are homate or conide. Homates which are rather rare among the volcanoes in Japan predominate over the volcano. Among these cones only two are double volcano, and one of these two is the basaltic pyroclastic cone which is also rare in Kirishima. Many maars or craters which have expelled lava only once are created in the later stage of the activity. The rocks of the Kirishima are olivine-pyroxene andesite or pyroxene andesite. It is the characteristic of the volcano that olivine is often found as minor phenocrysts even in the acidic andesite. Most of the rocks belong to the hypersthenic rock series, except the rock developd in the eastern end of the volcano.
The activity of the Kirishima is divided into three stages, namely the stage of Kurino andesite (K), that of Shiratori andesite (L), and that of Karakuni group (M and O) and Takachiho group (N and P).
At the first stage, were formed a broad shield volcano (K1) composed of lavas of olivine-bearing pyroxene andesite, and on its slope, paracitic cones of pyroxene andesite (K2) and hornblende-pyroxene andesite (K3) were found. The cones also belong to shield volcano. At the end of the activity, the eastern half of the volcano seems to have subsided deeply.
At the second stage, after the deposition of Takaharu sand and gravel bed (g1) on and around the Kurino andesites, volcanic activity repeated the course of the first stage, and constructed main bodies of shield volcano consisting of olivine-pyroxene andesite (L1) and parasitic schield volcanoes of acidic pyroxene andesite and olivine-pyroxene andesite (L2). Some of the andesite are so glassy that they look like pumice. The summit areas of the volcanoes seem to have subsided later, but they are wholly covered by the later lavas and show no volcanic features geomorphologically at present.
At the third stage, the centers of the activity migrated here and there, and many small cones and maars were formed. They are grouped as Karakuni group in the western half of the sheet and Takachiho group in the east. In both groups, rather acidic andesite gave rise in the earlier stage of activity and basic andesite in later stage. Nearly between these stages, pumice flow of Aira volcano which will be mentioned later extruded in this area.
The activity of the Karakuni group, which was weaker than that of the Takachiho group, gave rise Rokukannon-ike (M1), than Onami-ike (M2, 3) and Karakuni-dake (M4, 5) in its earlier stage. The Rokukannon-ike poured out scoria flow on the lake deposits of Rokukannon sand and gravel bed (g2) at first, and then massive flows of pyroxene andesite. The Onami-ike and Karakuni-dake, both are being beautiful homate with the craters of about 1 km in diameter, flowed out at first very fluidal lava of olivine-pyroxene andesite along the valley on the southern foot, and then poured out many flows of autobrecciated lava of pyroxene andesite or olivine-pyroxene andesite which are soft and resemble tuff-breccia. The activity of Holocene has constructed conide of Koshiki-dake (O1) and limori-dake (O2) composed of basic to intermediate olivine-pyroxene andesite. The former scattered scoria at the beginning of the activity. Following the construction of these cones, the activity became very weak and flowed out lava of olivine-pyroxene andesite only once from the craters of Byakushi-ike (O3) and Hudo-ike (O4), or scatterd pre-existing rocks with subordinate amounts of juvenile pyroxene andesite blocks (Iwo-yama O5) or without juvenile blocks (O6) .
The Takachiho group is rather complicated in its history and the relations between each cone are not strictly discenible. For the first, massive lavas of pyroxene andesite composed Ohata-ike (N1). The eastern half of the cone seems to have been destroyed by a great explosion at the final stage of the activity. The lake Ohata-ike itself is a explosion crater which scattered only pre-existing rocks in later time, namely perhaps at the same time of the activity of the maars of the Karakuni group. Following the andesite of Ohata-ike, a glassy acidic pyroxene andesite constructed Maruoka-yama (N2), and then double pyroclastic cones of Ohata-yama (N3, 4). At the base of Ohata-yama, exists massive lava of pyroxene andesite, and it covers gravel bed which would be correlated to the Rokukannon sand and gravel bed (g2). Following the activity of these andesites, basalt and basic andesite constructed Hinamori-dake (N5) and Hutatsuishi (N6). The appearance of the rocks of both volcanoes resembles well each other.
Hinamori-dake is a pyroclastic cone with a few lavas of olivine basalt or olivine-pyroxene basaltic andesite. Hutatsuishi is composed only of lavas of olivine-pyroxene andesite or pyroxene andesite. The basal lava of the Hinamori-dake is covered by the pumice bed which has fallen just before the out-pouring of the last pumice flow of the Aira volcano, and so the activity of the Hinamori-dake seems to be the last one of Pleistocene age. Following these, it seems that Naka-dake (P1, 2) was constructed. It is a double cone consisting of somma of olivine-pyroxene andesite and a central cone of pyroxene andesite. Then Takachihono-mine (P3, 4), Shinmoe-dake (P7) and Ohachi (P8) came to active one by one. These cones consist of olivine-pyroxene andesite or pyroxene andesite. They flowed out fluidal lava in the early stage, and more viscous lava in the later stage. The extreme case is the Takachihono-mine, which has broad lava plauteau on its southern foot and trigonal summit on its top, which was formed by the filling up of older crater by massive lava and scoria. And so, the Takachihono-mine has no crater on the summit. The maars of Ohata-ike (P5) and Miike (P6) seem to have been active between the ages of activities of these cones. Among them, the Miike has scattered abundant amounts of hornblende-bearing pyroxene andesite pumice.
The rocks of the Kirishima volcano belong almost to the hypersthnic rock series as mentioned before. Only the rocks of Maruoka-yama (N2), Hinamori-dake (N5), Hutatsu-ishi (N6), Takachihono-mine (P3, 4) and Ohachi (P8) belong to the pigeonitic rock series.
Among the many fumaroles in the Kirishima volcano, the most active ones cluster at the west summit of the volcano, namely on the Iwo-yama and in the Ebino plain. In former days, the activity was severe near Iwo-yama, but it migrated from east to west gradually except the crater of Iwo-yama. At present, new fumaroles become active at the side of Shiratori-yama, where only water vapour rises from the depth along the roots of tree. The fumaroles cluster also in many places of the southwestern foot of the Kirishima volcano. The migration of activity is also seen in this area and the direction is from south to north.
Some fumaroles entered in their active state before the eruption of the Shiratori andesites and remain active still at present. There are also fumaroles at the west side of the Kurino-dake, and the north side of the Shiratori-yama.
The records of the eruption of the Kirishima volcano begin with that of 742 A.D. The activities of 1566 and 1716 were in large scale and resulted in the death of many persons, but there is no record suggesting the outpouring of lava flow. It is known the explosions the end of 17 th century to have took place at two centers, namely Shinmoe-dake and Ohachi.
The pumice flow (Ap and Aw) distributed around the Kirishima volcano is poured out from the Aira volcano (caldera), which is the somma of the Sakura-jima volcano. It is a loose pumice tuff-breccia with some welded part in its lower part. The flow covers the Kurino and the Shiratori andesites, and is covered by lavas of Iimori-dake, Takachihono-mine and Ohachi. The pumice flow in the northeastern part is covered directly by a thin bed of pumiceous sand and gravel (g3), which is the secondary deposit derivied from the pumice flow.
There are many ash beds erupted in many stages on and around the Kirishima volcano, but they are omitted in the geological map as their total thickness is less than 15 m or so.
Alluvial sand and gravel bed (a) developes well in the north-eastern part of the sheet, but its thickness seems to be less than 3 m.
The mineral resources in this area are rather scarting except iron sulphide, sulphur and kaoline clay which have intimate relation to the activity of fumarole. Mines under operation are the Makizono and Shiratori mines. The former digs iron sulphide at the bottoms of small lakes, west of the Onami-ike. The lakes are filled with hot water, and the sulphide is being deposited also at present. The Shiratori mine collects sulphur from the fumarolic gas of Iwo-yama, west of Karakuni-dake.
Kaolin clay is the alteration product of the fumarolic activity and exists in the field of fumarole in this area.
There is also bauxitic clay which is intercalated in the older ash bed in the southwestern foot of the volcano, but the quality is rather bad.
Hot spring are abundant in this area. Most of them exist in the fumarolic field. There are also hot springs and mineral springs destributed around the volcano, but they are small in scale.
昭和 32 年 10 月 10 日印刷 昭和 32 年 10 月 15 日発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所