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「地質の日」の提唱について
下川 浩一(地質調査情報センター)


 地質学がこれまでに社会に対して果たしてきた役割は,古くは鉱物資源や石炭・石油資源の探査にはじまり,石油代替エネルギーの探査,公害等の環境問題対策,地震・火山等による自然災害の軽減へと発展してきました.さらに,最近では,人類の活動が拡大するのに伴い,経済的発展のみを追及した従来型の開発・利用には限界があることが広く知られるようになり,地球規模の環境問題への対応とともに,持続可能な社会を構築するための方策が求められています.この重要な社会的課題を解決するために,地球への環境負荷軽減を強く意識した資源の安定供給,国土開発や都市部の環境問題への総合的対策,地震・火山などの地質災害軽減など,地質学や地質の情報が果たす役割は,ますます重要になってきています.

 一方,最近の高校や大学などの教育界においては,地学離れが進むとともに,一般市民の地質学や地質の情報についての理解が進まず,その重要性が十分社会に認知されていない状況がつづいています.

 そのような現状の中,地質調査総合センターでは,「地質の日」を制定し,地質の情報の利活用について広く知っていただくためのイベントを展開することにより,地質に対する一般の方々の興味・関心を高め,理解を深めるきっかけにしたいと考えています.また,そのような機会を通じて,地質に関係する技術者・研究者を激励したいと思っています.

 「地質」に関する記念日の提案は,地質調査総合センターの前進である地質調査所で1999年9月21日に開かれた所議において,地質図への興味・関心を広げ,かつ広く地質調査に携わる技術者・研究者を激励する日として,「地質図の日」が提唱されたのが最初です.このとき,「地質の日」,「地質調査所の日」というのも考慮されましたが,前者は言葉として具体性に乏しい上,日を特定しにくく,後者は創立記念日のように特定できるものの,共感してもらえる範囲が狭くなるということで,見送られています.また,「地質図の日」の候補として,後述する5月10日と4月3日(明治32年のこの日,日本で最初に全土をカバーした100万分の1「大日本帝国地質図」が発行された)が挙げられました.2000年の地質ニュース3月号巻頭エッセイに,当時の産学官連携推進センター長であった湯浅さんが,「『地質』の記念日を創りましょう」という題で,全国の地質屋さんが産学官で連携し,その地位を向上させる旗印となるようなものとして記念日の提案をされていました.しかしながら,ちょうどその頃,地質調査所を含む工業技術院の独立行政法人化という大規模な組織改編が進められていたため,記念日のことも次第に忘れられてしまいました.

 しかしその後,2006年8月の日本地質学会Newsに,茨城大学の天野さんが「地質学の普及のための『地質の日』制定の提案」という一文を投稿され,ちょうど今年から始まる国際惑星地球年(IYPE)の活動とも重なって,ふたたび日の目をみることになったという次第です.

 2006年11月7日の連絡会議で,地質調査総合センターは「地質の日」を提唱し,5月10日を第一候補とすることを決定しました.この日は,明治9年(1876年),日本で最初の広域的な地質図,200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」が作成された日であるとともに,明治11年(1878年)のこの日,内務省地理局地質課章程が決定された日でもあります.

 なお,「地質の日」提唱の共同発起人として,日本地質学会をはじめとする関連学協会等に参加の呼びかけを行っており,賛同が得られれば,まとまって情報発信する母体としたいと考えています.



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