GSJニュースレター NO.9 2005/6

タイ国派遣研究者への津波痕跡調査法研修の実施報告
中川 充(北海道産学官連携センター,地質情報研究部門併任)・七山 太(地質情報研究部門)

 6月25日(土)〜7月4日(月),2004年インド洋津波によって被災したタイ国のチュラロンコーン大学の研究者6名が,タイ国政府から派遣され来日した.彼らの滞在期間の10日間のうち4日間を,我々と久田健一郎筑波大助教授でコーディネートし,世界レベルでの研究が行われている北海道東部太平洋沿岸において,津波痕跡調査法研修を実施した.以下にその研修内容を報告する.

 研修は十勝海岸側からスタートした.最初に2003年十勝沖地震津波による被災地である広尾町十勝港を訪れた.次に,十勝海岸の段丘面上に観察される17世紀の巨大津波堆積物とそれを覆う樽前火山と駒ヶ岳火山起源の火山灰の産状を観察し,津波痕跡の分布高度から津波の遡上高が見積もれる事を学んだ.初日最後に,十勝川デルタ地帯に位置する十勝太(とかちぶと)を訪れた.ここでは検土杖の使用法の実習を行い,厚い泥炭層に挟まれた駒ヶ岳,樽前山,白頭山起源の火山灰層と9層の巨大津波の痕跡を記載し,柱状図を作成した.また,沿岸低地において津波堆積物の分布範囲を調べる事によって,津波の遡上範囲の見積りが可能になる事を学んだ

 翌日,根釧海岸に移動し,最初に厚岸町国泰寺を訪れた(写真1).ここで寺院日誌「日鑑記」に記された道東最古(1843年;天保十四年)の地震津波記述を拝見した.次に霧多布湿原において,海岸線から500m以内の限られた地域にしか保存されていない1843年の津波痕跡の存在を示し,「日鑑記」の記述内容の正当性を確認した.

 さらに,日本人の祖先がこの地に入植する1800年代以前から,海岸より数千m以上内陸まで,400〜500年周期で繰り返しこの地を巨大津波が襲っていた事実を参加者が検土杖を使って確認した.ここでは,歴史記録の存在しない地域において,このような地質学的研究手法のみが地震津波履歴解明に有効である事を力説した.そして,この湿原の泥炭層中にも9層の津波痕跡が潜伏しており,火山灰対比によって,この9層の津波痕跡は150km離れた十勝太と同じ層序である事を認識した.

 霧多布湿原においては,この他にもランチボックス法(七山・重野,1998;地質ニュース523号)やpp法(重野ほか,1999;地質ニュース542号)を用いた定方位剥ぎ取り作成実習を行った(写真2).これらランチボックス法やpp法は,簡便かつ安価で,適応範囲が広く,今回の実習中参加者に最も好評であった.

 2日目最後に,海成段丘面上にある霧多布湿原センターからの海側の景色を背景として,活断層研究センターの佐竹健治氏の作成した津波遡上アニメーションを上映し,これらの津波痕跡が2004年インド洋津波のような巨大地震で発生した可能性について概説した.

 最終日には釧路市春採湖を訪れて,凍結した湖沼面上での柱状採泥の方法と過去9500年間に発生した22層の津波痕跡について,分かりやすく解説した.

 彼らはタイ国を代表する研究者達であり,野外研修以外に臨時に行った夜間セミナーにも積極的に参加し議論して頂いた.我々主催者側としても,有意義な時間を共有することが出来た.

 北海道東部太平洋沿岸は,カムチャッカ半島東岸と同様に完新世の火山灰層に恵まれ,これらを用いる事により,津波痕跡の広域対比が理解しやすい.よって,津波痕跡調査法の研修場所としては,火山灰層に恵まれないアメリカ北西岸や南米チリよりも遙かに条件が揃っており,さらに,安全性,交通の便や宿泊の便を考慮するならば世界屈指の研修フィールドとなりうる.

 今後,我々地質調査総合センターの研究者は,インド洋津波の被災地に赴き被災状況を視察するだけではなく,この様な技術研修を積極的に東南アジアの人たちのために開催し,調査の視点と技術の伝承に努めるべきであろう.なお,我々は,招聘に関わる予算確保の目処がつき次第,インド洋津波被災地であるインドネシア,マレーシア,さらにフィリピン,パプアニューギニアやベトナムから順次研究者を招聘し,同様な技術研修会を開催して行く事を検討中である.

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