付加体

 海嶺で生まれた海洋プレートはとても長い時間をかけてゆっくりと移動し、海溝やトラフと呼ばれる海の深い場所で一般に大陸プレートの下側に潜るように沈み込んでいきます。そして沈み込む際に、海洋プレートに載っている堆積物や溶岩などがこそぎ取られて大陸プレートにくっつくということが起こります。このくっつく現象を「付加作用」、くっついたものを「付加体」といいます。
 海洋プレートが移動を続ける間、海洋プレートの上にはチャートや石灰岩、海底火山による溶岩などがたまっていきます。その一方で海溝やトラフに近いところでは陸地側から供給される堆積物もたまります。海洋プレートは1億年とか2億年といった時間をかけて移動するので、結果として海洋プレートが沈み込むときに作られる付加体には、陸地側からの新しい堆積物と1~2億年前にまでさかのぼる堆積物や溶岩とが混じっていることになります。
 日本列島のいろいろなところで、例えばジュラ紀の堆積層の中にペルム紀や三畳紀の時代の石灰岩や溶岩などが断片的に含まれていると、かつてはそのような古い時代のものは断層で切られていて不連続であるといった解釈がなされていましたが、今では「付加体」で説明することができます。
 海洋プレートは大陸プレートに対して斜めに沈み込んでいくため、付加体はその前に作られた付加体の下側にくっつきます。つまり新しい付加体は古い付加体よりも下位に位置することになります。地質学においてもっとも重要な法則の一つ「地層累重の法則」は、新しい地層は古い地層の必ず上位に位置することを説いていますが、付加体についてはこれが逆転しています。

付加体の形成を示す概念図

付加体の形成を示す概念図

筑波山の地質

 筑波山はつくば市の北端部にある山で、東側に女体山(標高877 m)、西側に男体山(標高871 m)という二つのピークをもっています。このようなほぼ同じくらいの高さのピークをもつ山を「双耳峰(そうじほう)」といいます。
 筑波山の二つのピーク一帯には斑れい岩が、麓には花こう岩が分布しています。地質調査総合センターの研究報告「真壁地域の地質」によれば、斑れい岩はおよそ7500万年前、花こう岩は6300~5300万年前に形成されました。斑れい岩と花こう岩との関係は、筑波山中腹が大小の礫からなる崖錐堆積物に覆われているため地表では詳しく観察できないのですが、筑波山の下を掘削した霞ケ浦用水筑波トンネル内で花こう岩が斑れい岩を貫いている様子が確認されました。
 花こう岩が形作られた時期、もともと周囲にあった中生代ジュラ紀から白亜紀にかけての堆積岩が花こう岩の熱で変成し、「高温低圧型」に区分される変成岩が生じました。変成岩の原岩は砂岩や泥岩などで、筑波山の南東側や北側に分布しています。
 筑波山を中心にして周囲に展開する山地、台地、低地、湖や川を含めた広範な地域は、2016年に日本ジオパークの一つ「筑波山地域ジオパーク」に認定されました。地形、地質、生物、文化、歴史などたくさんの魅力にあふれた地域として、地域振興とともに保全や教育に活かすことが期待されています。

南西側から見た筑波山

南西側から見た筑波山

アイソスタシー

 地質まんがの中で、騎士くんは「山はまわりより高いから、上に向かって高くなろう高くなろうって成長したんでしょ?」と話しています。騎士くんのこの考えは山の成因をかなり正しく言い当てていて、別の言い方をすれば「大地が高くなろうとする(隆起する)勢いが、大地を削って低くしようとする(浸食する)力を上回っているときに山ができる」となります。
 隆起と浸食の程度がほぼ同じだとできた山の高さは変わりませんが、隆起の勢いが衰えてしまえば、山はしだいに削られていき低くなってしまいます。山はその地肌が雨で流されたり風で吹き飛ばされたり、あるいは山本体が氷河で削られたり地震の揺れで崩れたりして浸食されます。これは重力の作用であるということもできます。
 では大地の隆起はいったいどのようにして起こっているのでしょうか。それを説明する基本の説が「アイソスタシー」です。アイソスタシーは水に浮いた氷をイメージすると分かりやすいかもしれません。氷は水よりも軽いので水に浮いていますが、厚い氷ほど水面から出る部分が大きくなります。このイメージを地球に当てはめてみると、氷がリソスフェア(岩石圏ともいう)、水がアセノスフェア(岩流圏ともいう)に相当します。

水に浮かぶ氷。大きな氷のほうが小さな氷よりも水面上に大きく出る。
 

 リソスフェアは地殻とマントルの最上部とを合わせた固体の層で、プレートとして動きます。一方、アセノスフェアはリソスフェアの下位に位置するマントルの上部層で、大部分が固体でありながら非常に長い時間スケールでは流体の振る舞いを示します。
 アイソスタシーは本来、地殻が上部マントルの上に浮いていて、地殻の重さと地殻に働く浮力とが釣り合っているとする説のことで、日本では「地殻均衡説」と訳されています。しかし、固体のリソスフェアと流体の振る舞いを示すアセノスフェアという物質の性質による区分がなされたので、現在は「アイソスタシーはリソスフェアとアセノスフェアとの間で成り立つ」と表現してもよいでしょう。

地殻と上部マントル、リソスフェアとアセノスフェアの概念図(大西洋などの例)。地表からの深さ約100 km から 200 km の間には地震波の伝わる速度が遅い低速度層がある。
一般にこの低速度層の上面を境にリソスフェアとアセノスフェアとを区分する。
 

 リソスフェアがアセノスフェアの上にあるためには、リソスフェアのほうがアセノスフェアよりも軽くなくてはなりません。そのリソスフェアを軽くしているのが相対的に密度の小さい地殻の存在です。水に浮いた厚い氷のほうが薄い氷よりも水面から大きく出るように、大陸や島弧域のように地殻が厚いところは薄いところよりも上に出っ張って標高が高くなります。地殻の厚さと標高とはおおざっぱには比例するということができます。
 インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートとがぶつかっているところでは、インド・オーストラリアプレートのほうがやや重く(密度が高く)ユーラシアプレートの下に潜り込んでいます。すると二つのプレートが重なってリソスフェアを構成する地殻の厚さがとても厚くなり、リソスフェアの上面である地表面の標高が高まります。二つのプレートがぶつかって生じた褶曲や断層運動によって山脈が形成されたのに加えて、ここでは常に大地を持ち上げ標高を高くしようとする働きが継続しているので、高い山は高い山のままであり続けているといえます。
 アイソスタシーの説明でよく取り上げられるのがスカンジナビア半島です。この半島は最終氷期(約7万年前から約1万2千年前まで続いた寒冷な時代)に厚さおよそ2,000 m にも達する氷河に覆われていました。その後、地球環境が温暖になるにしたがい(間氷期)、氷河はほとんど溶けてなくなりました。氷河の重みがなくなった分だけスカンジナビア半島一帯はいわば軽くなり、この荷重の均衡をとるためにスカンジナビア半島は今も隆起し続けています。

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