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地質で語る百名山 トップへ

両神山

酒井彰
written by Akira Sakai

登山者に人気の山

埼玉県秩父市の西北西約10kmにそびえる標高1,723.0mの山が両神山(りょうがみさん)です。今も多くの登山客を喜ばすこの山は東西にいくつかの登山ルートを持っています。その一つは、東側から両神村日向大谷から薄川沿いに清滝を経由するルート。二つ目は同じく東側から両神村白井差から小森川に沿って昇竜ノ滝を経るルート。さらに西側からは、かつて秩父鉱山のあった大滝村小倉沢から八丁峠経由で登るルートがあります。

地質が形作る山景

登山者に人気のこの山の形の秘密はそれを形作る岩石にあったのです。遠くからこの山をながめると、ゴツゴツとした険しいシルエットが目立ちます(写真1参照)。

写真:登山途中に遠望した両神山

写真1
登山途中に遠望した両神山
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写真:両神山山頂

写真2
両神山山頂
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両神山をつくっている岩石には「チャート」と呼ばれるものが多くを占めます。チャートの成分はSiO2(水晶と同じ)で、硬度7(鉄よりも硬い)を示します。そのためチャートの山は風化しにくく(土になりにくく)、前述のような険しい表情の山並みをつくり、山頂が露岩であることが多いのが特徴です。また、風化浸食に強いチャートは、その分布がそのまま山の稜線を形作る結果となります。この様子は、地質図(写真3)からもご覧いただけるでしょう。

写真:5万分の1地質図幅「万場」

写真3
5万分の1地質図幅「万場」
実際に山をご覧になる機会がありましたら、複雑な地質を挟んで、チャートと緑色片岩がつくる、それぞれの山の形を対比してみてください。

両神山をつくるチャート

チャートの大きな特徴として、その硬さをすでに紹介しました。それでは、このチャートはどうやってできた石なのでしょう?チャートは遙か昔に、陸地から遠く離れた大洋の海底に積もったプランクトンの殻からできた、堆積物なのです。大きさが 0.05~0.2 mm の「放散虫」と呼ばれる動物プランクトンの殻からできていて、私たちはチャートの中に残る、放散虫の殻の形の特徴から、それが生きていた時期を推定し、地層の地質時代を特定することがあります。放散虫のように、顕微鏡でしか見えない、小さな化石を微化石といいます。微化石の研究によって、両神山をつくっているチャートは、今から2億5千万年から1億5千万年前(古生代ペルム紀後期から中生代ジュラ紀中期)に堆積したものだということがわかっています。

地質と山景、周囲の山では...

先に紹介しました地質図(5万分の1地質図幅「万場」)には、この両神山の北東部に二つの山が描かれています。群馬県藤岡市と万場町との境界を画している東御荷鉾山(ひがしみかぼさん:標高1246.0m)と、西御荷鉾山(にしみかぼさん:標高1286.2m)です。この二つの山からは、両神山とは対照的に丸い山容が見てとれます。これらの山を形作っている岩石は、「緑色片岩」と呼ばれるものです。チャートに比べ柔らかく風化されやすいこの岩石が、これらの山の暖かみのある優しいシルエットを作ったわけです。

この地質図には、一枚の地下断面図(写真4)が付けられています。残念ながらこの断面は、図幅の中央部をほぼ南北に結んだもので、両神山や二つの御荷鉾山は重なっていませんが、チャートの山と緑色片岩の山が作るシルエットの違いは、何となく読みとれるのではないでしょうか?

写真:5万分の1地質図幅「万場」の断面図
写真4 5万分の1地質図幅「万場」の断面図
(断面の位置は写真3の説明をご覧ください)

ちなみに「御荷鉾」という地名は地質学的に有名で、西南日本の地体構造区分の一つ「三波川帯の御荷鉾緑色岩類」として知られています。ところがここでは「みかぼ」ではなく「みかぶ」と呼ばれています。最初に命名した方が地名を読み違えてしまったようです。

地質図の入手方法は こちら です。