三宅島ヘリ観測報告

ヘリコプターからみた
2001年3月26日の三宅島

観察&撮影:宮城磯治@地調

by 宮城@地調; 平成13年3月27日(火)

警視庁ヘリ(同乗者:津久井@千葉大)

・噴煙の勢いはいつも通り(激減したようには見えない)。
・噴煙の脈動が明瞭。
・北西〜北側のカルデラ外縁斜面樹木はほとんど消失し一面の泥(と雨裂)にみえた。 ←後の検討の結果、「樹木が濡れて黒かったため地肌が透けて見えたため」 と結論された。
 
・カルデラ内の噴気孔のうち、西の壁に近い噴気孔の白煙が多く感じられた。


画像のスライドショーは→こちら

お世話になったヘリ

東京ヘリポートより、警視庁航空隊の 「おおとり1号(ベル412ヘリ)」に搭乗。 いつもヘリ観測を支えて下さっている皆様に感謝します。
普段は9時離陸のところ、天候回復を期待して11時30分までこれを延期。

三宅島まで

左:離陸直後に上空からみた都内の様子。視程はよくない。
中:大島。ひくい雲がかかる。
右:大島付近の海上の様子。比較的波が少ない。
※風が弱いほうが、陥没カルデラ内の視程が良い傾向にあります。 したがって波が少ない(風が弱い)ことは、火口内の観測にとっては吉兆です。

三宅島上空に到達

左:到着時、三宅島は低い雲に覆われていた。 しかし、時間とともに急速に雲が晴れていった。 右:上空からみた、富士山と三宅島(と新島および利島)。

沿岸の様子

海への泥水の流入によって海水が変色してみえると考えられる。 その量は、晴天時よりも多く感じられた。

都道沿いのようす

新澪池〜伊ヶ谷(左上から右下に)。

噴煙の様子

3月19〜21日の観察によると、噴煙量がかなり少なくなったとのこと。 しかし、今回の観察では、量が有意に少なくなったようには見えなかった。 (参考: 3月21日(伊藤@地調)、 3月19日(川辺@地調))。

坪田方面に流れる噴煙と、その下の青白いガス。

噴煙には顕著な脈動が見られた。 陥没カルデラ内から次々と大きな煙の塊が放出されている。


12時24分08秒

12時24分24秒

12時25分06秒

12時25分26秒

12時25分54秒

12時26分02秒


12時47分20〜30秒


12時47分56秒

島の北東から見た噴煙。 噴煙や青いガスの量は3月5日(宮城@地調)とほぼ同じくらいに見える。

坪田にながれる噴煙。 ※ヘリの飛行高度を上げて、噴煙の上を飛び越えた。機内でガス嗅は全くなし。

陥没カルデラリムの様子

南西〜北がわ

以下は、「すおう穴のすぐ西がわ」〜「村営牧場上の登山道路」までを、 時計回りに撮影したものです(左から右の順に見ます)。

※クリックした際に表示される解像度の高い画像中に記入された英数字は、 写真に映った場所を特定するための助けになります。これらは 今年2月12日や、 今年1月29日 (どちらも撮影は宮城@地調)にあるものと共通です。

以下は、さらに近距離から撮影したもの。

カルデラリム南西〜北の地区(左上から右下の順に)

新たな降灰か!?

陥没カルデラ周縁斜面の写真の中で特に注目すべきものは、 カルデラ北西〜北(伊ヶ谷〜神着の上流にあたる)の地表面の様子が 激変していることです。

見比べるべき写真:


3月26日(撮影:宮城@地調)

1月29日(撮影:宮城@地調)

今年2月12日や、 今年1月29日 (どちらも撮影は宮城@地調)の時点では、 この部分は樹木(枯れ木?)が沢山生えていました。 また、今年3月14日に高田@地調氏が撮影したビデオにも、 樹木が沢山生えていました。 ところが、当観測日(3月27)日には、 樹木がほとんど見られず多数の雨裂の刻まれた泥がちな地面になっていました。 泥だんご(0.数〜数メートル大?)のようなものが見られます。

さて、この映像の解釈ついては色々議論が進行中です。 以下、時間順に議論の過程を説明しましょう。

  • まず、3月27日の本ページ執筆当初の考え。 問題提起
    「樹木がみえない。灰でうもれたのか?」
    まず、この二枚の写真から考察されることは、 3月中旬?(今年3月14日以降)ごろにこの地区の樹木は泥(火山灰?)で覆われ、 その重みで倒され、そののちに降水によって雨裂を刻まれた、 という考えです (雨裂はすぐに出来ないので、泥をかぶったのは3月27日より何日も前?)。 問題は、その泥がどこから供給されたのかです。 この場所はカルデラ縁斜面の最上部に位置しますから、 これより上流から泥流が来ることは考えられません。 したがって、 この時期(3月14〜27日の間)この付近に降灰があったと考えるのが自然でしょう。 火山観測情報によると、3月19日の朝、 一時的に灰白色の噴煙があがったとのことです。 しかしながら上の写真の灰はかなり多量なので、 真っ黒な噴煙であることが期待されます。 灰白色の噴煙ではとても不足のように思えます。 このことから当初(3月27日本ページ執筆時)、 19日の噴火は小規模であり、本件とは無関係だ思ってました。
  • 3月28日朝の議論:
    「3月19日の降灰で説明可能か?」
    このページを受けて、所内外で活発な議論が始まりました。 所内MLおよび千葉@日大氏の掲示板において東宮@地調氏により、 「3月19日の噴火で火山灰が堆積し、3月25-26日の大雨で雨裂形成した」 という仮説が提唱されました。私はこれに賛同しました: というのは、 この文書によれば、 19日6時50分に突然真っ黒な噴煙が入道雲のようにもくもくと噴出し、 約5〜6分後に黒煙から灰色に変化した(第八日祥丸船長成田氏による) という記述があったからです。 灰白色の噴煙では これだけの灰を堆積させるにはとても不足のように思えますが、 このような噴煙なら、十分な量の火山灰を堆積させる可能性が高いです。 しかも、ひまわり画像を見ると当日9〜10時は南風 (風早@地調による)ように見えるとのこと。つまり噴煙は北に流れるはずです。 本観測で陥没カルデラ北縁山麓の樹木を覆った多量の泥は、 3月19日早朝の火山灰である疑いが、にわかに強まりました。
  • そして3月28日〜29日朝の議論:
    「3月19日の降灰では無理(少なすぎる)そうだ」
    ところが3月19日の降灰だとする説を支持しない事項も色々みつかりました。 まず監視カメラによると、 3月19日の降灰は主に阿古方面(寺田@地震研さん、および気象庁による)、 つまり南西に流れたと考えられるとのこと。 さらに、降灰直後の阿古は「ちょっと埃っぽい程度」 (災対の方の話の又聞き)であり、降灰量は微々たるもだったとのこと。 そうだとすると、 3月19日の噴煙は、真っ黒なみかけによらず、 ほとんど火山灰を含まなかったことになるし、 噴煙がじかに流下した阿古でも微々たる降灰なのだから、 まして当該地区方面(北西〜北斜面)の3月19日の降灰は、 ほとんど無いと考えてよいでしょう。 よって、19日の噴煙は本件とは無関係だと考えてよさそうです。
  • 3月29日午後の議論:
    「そもそも樹木が見えないのは何故??」
    もしそうだとすると、 北西〜北斜面の樹木がほとんど見えなかったのは何故でしょうか??、 また、その地区一帯に火山灰と雨裂が目立ったのは何故でしょうか??。 それまでの議論により、 樹木が3月19日の灰を多量にかぶったとする説はほぼ否定されつつあります。 それでは、樹木が無いから見えない のでしょうか?、 それとも、樹木はあるけれど見えない のでしょうか? その場合光線の具合で樹木が地面と同じ色調になったためでしょうか? それともうすく灰をかぶったために見えないのでしょうか?、 出発点に立ち帰り、あらゆる可能性のなかで、 まず最初に、写真の撮影具合を疑うことにしました。 全ての議論はこれらの写真のうえに立っているからです。 撮影具合を疑うとはつまり、 木々の状態は変らないのに光線の具合等の条件によって、 3月26日の写真には樹木が写りにくかったという可能性 (伊藤J@地調氏による) を検討すること、です。
  • 3月30日夕方〜31日:
    「樹木はある!、泥をかぶり倒れ気味?」
    そこで、東宮@地調さんが当日のヘリ観測の際に、 同じ個所を念入りに撮影&観察してくれました。 同氏はこの場所一帯が泥(灰)をかぶっているように見えたと報告しました「c点」から「cとdの中間地点」の写真)。 そうだとすると、 その泥がどこから来たか(問題提起に戻る) について考えなくてはなりません。 また、同氏によれば、樹々は消滅していないとのこと。 そうだとすると、 はたして樹々消滅したように見えたのは光の当り具合のせいだったのでしょうか?
  • 4月1日:
    「森よりも、木の様子に注目してみよう」
    しかしながら宮城には、あれほど繁茂していた樹々が、 光の当り具合だけで消えて見えるとはとても信じられませんでした。 「服を着て写真をとったのに裸!で写っていたようなものです」 悶々と写真を見くらべているうちに、 「(光線の具合ではなく)樹木そのものの様子が異なっていることが、 見えかたの違いの本質なのではないか?」 という仮説が頭に浮びました。 すなわち、 東宮氏による3月30日の写真1月29日の宮城撮影の写真を比較すると、 どちらも撮影条件は良好だったにもかかわらず、 樹々の写り具合はかなり異なっています。 特に、枝葉の量が大幅に減ったように見えます。 斜面方向に倒れかかった木も目立ちます。 樹木枝葉の有無が、 空から林をながめた際の地肌の見え具合を大きく変化させるであろうことは、 自明のように思えます。 もしそうだとすると、3月26日の写真に樹々が見えなかった理由は、
    ・樹木が泥をかぶって地面と似た色調になったこと、
    だけでなく、
    ・樹木の枝葉の量が大幅に減ったこと、
    によっても、説明できてしまうと思います。
  • 4月2日:
    「樹々の色は、確かに変化したようだ」
    ところが後になって、東宮氏による3月30日の観察結果において、 彼が「泥をかぶった」と評した「この場所一帯」は、 比較的狭い範囲をさしていたことがわかりました。 さらに、 3月30日に撮影されたビデオを細かく検討した結果、 26日に樹々がほとんど映っていなかったにもかかわらず、 1月29日と同様に樹々が繁茂したように見える個所が多々ありました。 枝葉が失なわれたことが26日に樹々が見えなかった理由なのなら、 同じ場所の枝葉がたった四日で茂ったことになりますが、 そのようなことは考えられません。 したがって、上の二つ仮説、 「枝葉の量が大幅に減ったこと」も、 「泥をかぶって地面と同じ色調になったこと」も、 26日に樹々が見えなかったことをうまく説明できないことが判明しました。 これでは議論がまたふりだしに戻ってしまいます、そこでもう一度、 3月30日に灰色〜白の樹々が茂っていた個所と同じ場所について、 3月26日のビデオ画像を検討することにしました。 写真と違ってビデオ画像では様々な方向から対象を見ることができます。 するとやはり、逆光順光にかかわらずほとんど樹木は見えませんでした。 しかしながら、何度もビデオを回すうちに、 一瞬、「黒い樹木が散在している風景」があったのです。 樹木の色そのものが変化(黒;地面と同じ)していたことが、確認できたのです。 なるほど!、この色では、木は写真に写らないはずです!。 ※この辺一帯の木が同じような色だったと仮定することは許されるでしょう。
  • やっと一段落:
    「どうしたら樹々の色が変化するのか。泥で覆われたのか? それとも濡れたためか?」
    以上の観察結果により、 26日の写真に樹々が映らず地肌が直接見えていたことの直接の原因は、 樹木が地面と同じ(黒い)色調になったためである可能性が高い、 と結論できそうです。 では何故、1月29日や3月30日には灰色〜白だった樹木が、 3月26日だけ黒かったのでしょうか。 一番ありそうな説明は、 「これらの樹々が濡れていたこと」です。 26日の撮影は雨あがり直後 (地面からは湯気があがっていました) だったのです。
  • やっと、十分納得の行く説明が得られました。まとめます。
    最初の観察事実:
    ・3月26日の北西〜北側のカルデラ外縁斜面には、 1月29日や2月12日に茂っていた樹木がほとんど見えなかった。
    ・当日当該地区は、一面泥(と雨裂)に見えた(写真&ビデオ)。
    追加された観察事実:
    ・3月30日に当該地区を再観察したところ、樹木は茂っていた。 泥をかぶったり枝葉が著しく減少した個所は、当該地区の一部にすぎなかった。
    ・ビデオを用いて色々な方向から当該地区の樹木を探したところ、 概して樹木は見えないが、一瞬黒い樹木が生えていることが確認できた。
    ・3月26日の観測は雨あがり直後だった。
    ・1月29日の観測は好天で、3月30日は雨あがり(だが時間がたっていた)だった。
    解釈:
    ひとことで言うと:樹木が濡れて黒かったため地肌が透けて見えたため
    ・3月26日の当該地区の写真から樹木が消失した理由は、 それらが黒かったからである。
    ・当該地区が一面泥(と雨裂)に見えたのは、 黒い樹木を透かして地肌が見えたためである。
    ・樹木が黒くなった理由は、それらが濡れたためと考えられる。
    ・逆に、1月29日や3月30日に当該地区に樹木が茂っていたのは、 樹木が白〜灰色だったためである。
    ・同観察時に当該地区に雨裂がほとんど見えない理由、 白〜灰色の樹木によって地肌が透けて見えなかったためである。
    ・この結論は、この地区の樹々が泥をかぶった(降灰)ことを必要としませんが、 それを積極的に否定するわけでもありません。つまり、 2月から3月にかけてこの場所一帯にうっすら灰が降った可能性は否定できませんが、 少なくともその可能性を追及しなければならない理由は、消滅しました。 また、東宮氏による3月30日の観察結果において彼が「泥をかぶった」と評した 「この場所一帯」は、比較的狭い範囲をさしていたことがわかりましたので、 局所的な泥流などによって泥をかぶったとして説明することが可能です。
    ・よって、この件に関する議論は、ここで終結することにします。

雄山登山道路のヘアピンカーブ(GPSなどが置かれていた)。
参考:2000年8月14日におけるこの場所での調査の様子(宮城@地調)

北東〜南東がわ

※電波塔の山頂がわにあった水たまり(1535年火口)が、 陥没カルデラ内に脱落。

陥没カルデラ内の様子

観測開始直後は火口内は白煙で満たされていました(左の写真)。 しかし急速に視程が改善したおかげで、 ある程度噴気口の様子を観察することができました(中と右の写真)。

雄山登山道路の北側にあるカルデラ縁には、 点線状(やや「ミ」型)に割れ目が入っています(右の写真)。

肉眼による観察では、 「噴気孔群のうち西側の壁に隣接したもの」の勢いが これまでになく強まっているように見えました。 その付近の壁の温度が高いことは、 2月12日に行なった熱映像カメラによる観察により、 既に分っていました。

参考:2月12日のヘリ観測(宮城@地調)
熱映像と可視映像との対応を示したムービー(QuickTime, 850K); クリックするとムービーがダウンロードされます。

※このファイルを見るにはQuiciTimeが必要です。

今回も熱映像カメラを持参していました。 ところが残念なことに、ヘリのドアが(連絡不備のため?)開かなかったため、 前回(3月5日)にひきつづき、 赤外線による観察はできませんでした(※窓ごしでは赤外線が透過しないため)。

池や水たまりの様子

この文書ですでに報告したとおり、2000年の9月中旬頃から 三宅島では「みずたまりが赤くなる現象」が関係者らによって報告され、 一時、三宅島の多数の水たまりが赤い色になりました。 しかしその後、水たまりの色は緑っぽく変化しはじめ、 現在はみな(陥没カルデラ内の一つが赤黒いのを除き)緑になりました
参考: 三宅島の水溜の色を時間をおって見る(作成 宮城@地調)


大路池


左:神着の南にある川田沢貯水池
右:神着の南にある姉川砂防ダム


すおう穴


三宅島空港の西にある、1535年火口


左:伊豆の姉川砂防ダム
右:伊ヶ谷の貯水池

三宅島上空を離脱


神津島に向かう。海面にはほとんど波がない。

神津島空港に13時04分に着陸。燃料補給と人員交代。13時45分に離陸。

東京ヘリポートに到着
左:東京ヘリポートにアプローチ
右:着陸直後


2001年3月5日のヘリ観測の行程メモ:

01/3/26 5:30 起床
01/3/26 6:00 つくば市から、東京ヘリポートへ出発
01/3/26 7:10 気象庁より連絡を受ける。天候が悪いので待機。
01/3/26 8:30 東京ヘリポートに到着。ドアオープンの希望を伝える。待機。
01/3/26 10:40 付近のコンビニで昼食を購入。昼食&待機。
01/3/26 11:30 おおとり一号、東京ヘリポートを離陸。ドアオープン不許可。
01/3/26 11:43 海岸線を通過。
01/3/26 11:56 伊豆大島を通過。
01/3/26 12:06 利島、新島を通過。高度約2500フィート。
01/3/26 12:12 視程不良のため三宅島を迂回。島の東方海上にでる。
01/3/26 12:16 三宅島上空に到着。視程が急速に回復しはじめる。
              観察開始。噴煙到達高度は4000ft。白色、下方に青白いガスを伴なう。
              噴煙量が普段より特段少ないとは思えない。
01/3/26 12:52 三宅島上空を離脱。
01/3/26 13:04 神津島に着陸。燃料補給&人員交代。
01/3/26 13:45 神津島を離陸。
01/3/26 13:52 利島を通過。
01/3/26 14:42 東京ヘリポートに着陸。すぐ気象庁に向かう。
01/3/26 16:00? 気象庁に到着。
01/3/26 18:00? 地質調査所(つくば市)に到着。官用車にガソリン補給&返却。


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