19004_1980
地域地質研究報告
5万分の1図幅
宮古島(19) 第 4 号
地質調査所 四国出張所 矢崎清貫
鳥羽水族館(元 地質調査所 地質部) 大山桂
昭和 55 年
地質調査所
目次 I. 地形 [ I.1 ] 内陸部の地形 [ I.2 ] 海岸線の地形 [ I.3 ] 本図幅区画における海底地形 [ I.4 ] 段丘面 II. 地質概説 III. 島尻層群 III.1 大神島層 III.1.1 ピンフ岳泥岩 III.2 城辺層 [ III.2.1 ] ピンフ岳砂岩 [ III.2.2 ] 野原砂岩 [ III.2.3 ] 増原砂岩 [ III.2.4 ] 比嘉礫岩 III.3 平安名層 IV. 琉球層群 IV.1 保良石灰岩 IV.2 友利石灰岩 IV.3 平良石灰岩 IV.4 下地島石灰岩 V. 完新統 V.1 大野越粘土 V.2 風化土壌 V.3 西浜崎古砂丘堆積物 V.4 砂丘堆積物 V.5 ビーチロック V.6 岩屑 V.7 現生サンゴ礁 VI. 地質構造 [ VI.1 ] 断裂系 [ VI.2 ] 走向・傾斜 [ VI.3 ] 背斜・向斜 VII. 応用地質 VII.1 石材 VII.2 水理 VII.3 石油・天然ガス 文献 Abstract 図版
地域地質研究報告
(昭和 55 年稿)
5万分の1図幅
宮古島(19) 第 4 号
本報告は 昭和 48~50 年度にわたって実施された宮古諸島 5万分の1地質図幅研究計画の 1区画の調査・研究の成果である。 調査は 昭和 48~49 年度にわたって 矢崎が地質を, 大山が大型化石を担当した。 調査研究にあたっては 第6次 沖縄 天然ガス資源調査講師団報告 並びに, 1974 年にまとめられた「うるま資源開発株式会社」の 宮古島 島尻層群 有孔虫化石調査報告書らの未公表資料を使用させていただき, 貴重な助言 及び 協力をいただいた。 現地での調査にあたっては 沖縄県 宮古地方事務所の与義一男 氏 及び, 東洋石油開発株式会社 探鉱部の尾川幸保・桑原浩史・中川洋 氏らから 種々貴重な意見 並に 便宜を受けた。 深甚なる謝意を表する。
宮古島は 琉球島弧の主部を構成する非火山性島弧の一部に位置し, 琉球島弧の南西琉球に属する。 北西側は 第 1 図のように 沖縄舟状海盆・大陸棚をへて中国大陸へ, また, 南側は 宮古テーラス・ 南西諸島海溝(いわゆる 琉球海溝)をへて フィリピン海盆に対している。
この図幅区画は 北緯 24°40'~24°50'・東経 125°15'~125°30' の範囲に入る区域で, 宮古島の大部分と 来間島 によって構成され, 合計面積は 159 km2 である。 このうち 来間島は 2.75 km2 で, 宮古本島に近い離島である [ ← 宮古島と来間島の間の海峡の幅は 1 km 強 ] 。
行政的には 平良 市と 宮古郡 城辺 町・ 下地 町 及び 上野 村の 1 市 2 町 1 村により構成される。 島の形状は 平良市を中心とする 宮古島の大部分が包含される地域で 南北 13 km, 東西 23 km のほぼ直角三角形の形状を示している。
本調査地域は 第 2 図にみられるように 全般にわたって平坦で, いくつかの台地状の地形を示しているが, 地形上での大きな単元での特色は 宮古島北部図幅(矢崎・大山, 1979)と同様な 東高西低の傾動化地形が認められることである。 しかし, 細部にわたって検討すると, 第 3 図に示すように 各ブロックごとに特色的な断裂運動に関連する構造地形を示している。
すなわち, [ 第 3 図に示した 宮古島の南東部の城辺町に位置する ] Ⓐ の 比嘉 台地 として一括したブロックは 多少の起伏があるが ほぼ水平の平坦台地を示し, 西側への傾動化地形は認められない。 それに対して [ 宮古島の南部の中央部の上野村に位置する ] Ⓑ の 野原 台地 として一括したブロックでは 東側が急斜面で 西側にゆるい斜面をもつ, 第 4 図のような ケスタ状地形を示す, 3つの山脈状地形が ほぼ島の伸長方向 [ = 西北西 - 東南東 方向 ? ] に平行して発達し, 顕著な 東側から西側への傾動化に伴う傾斜台地が形成されている。 また, [ 宮古島の南西部の下地町に位置する ] Ⓒ の 下地 台地 として一括したブロックは [ 第 3 図の ] 模式 地形断面図でも明らかなように もっとも低いほぼ水平な台地で, 傾動運動は認められない。 なお, [ Ⓒ の下地台地と ] 同一のブロックとして考えている来間島については, 下地台地に比較して標高が高く, Ⓑ のブロックと同様な顕著な傾動化地形が認められることから, Ⓒ のブロックとは異質なブロックと考えている。 [ 本図幅地域内の宮古島の北部の平良市に位置する ] Ⓓ の 大野越 台地 として一括したブロックは Ⓑ のブロックの北への延長部に相当することから, [ Ⓑ のブロックにある3つのうちの西側の ] 2つの山脈状地形域がケスタ状地形を呈し, 傾動化地形も認められるが, 大野越 [ ← 宮古島の東岸の 平瀬尾神崎 の南南西方 2 km 強 ] と 川満 [ ← 宮古島の西側の 与那覇湾 の東岸 ] を結ぶ線(いわゆる琉球弧方向)を境にして 全般にわたっての段差が認められる台地である。
以上のように, 本地域の地形は Ⓐ・Ⓒ のブロックのように水平な平坦台地(第 5 図参照)と Ⓑ・Ⓓ 及び来間島のように傾動化の著しい平坦台地の 2つの異質な要素をもつ構造的地形域に区分される。 このことは 後述する地質構造との関連が深いものと考えられる。
第 6 図は 本地域の標高別の地形区分図であるが, これに [ 添付された円グラフに ] よると 標高 0~20 m までが 17 %, 20~40 m までが 19 %, 40~60 m までが 42 %, 60~80 m までが 20 %, 80~100 m までが 1.7 %, 100 m 以上が僅かに 0.3 % である。 第 7 図に示すように, このうちの標高 80 m 以上の地域は 主として山地状 ないし 傾斜地 及び, 石灰岩露出地域の一部をしめるのに対して, 低標高の大部分は平坦地で耕地として活用されている。 とくに, 全体の 60 % をしめる標高 20~60 m の平坦地は 本地域の基幹産業である砂糖キビ畑である。
第 7 図 [ および 第 3 図 ] にみられる幅の狭い山地状地形域は 北北西 - 南南東方向を示し, [ それと直交する 東北東 - 西南西方向に ] ほぼ等間隙に平行して分布している。 このうちの主なものは [ 第 7 図の Ⅰ(もしくは第 3 図の ①)の ] 長間 [ ← 宮古島の東岸の 与那浜崎 の南南西方 2.5 km ] ~ 横竹 [ ← 国土地理院の地図では 西東 ? ; 宮古島の東岸の与那浜崎の南南東方 5 km ] , [ 第 7 図の Ⅱ(もしくは第 3 図の ②)の ] 西原 [ ← 本図幅地域の北端付近 ] ~ムイガー [ 以下の [注] 参照 ] 及び [ 第 7 図の Ⅲ(もしくは第 3 図の ③)の ] 下崎 [ ← 本図幅地域の北端付近で宮古島の西岸 ] ~ 砂川 [ ← ムイガーの西北西方 3 km ] 山地である。 これらの山地状地形域を 現地では 東側から南西側へ 北 山脈 [ = 長間~横竹 ] ・ 中 山脈 [ = 西原~ムイガー ] 及び 南 山脈 [ = 下崎~砂川 ] という俗称で呼ばれている。
このほか, 地域北東部の海岸線に沿って [ 第 7 図の ① の ] 大浦 [ ← 本図幅の北隣の宮古島北部図幅地域内 ] ~ピンフ岳 [ ← 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の北西方 1 km ] , 東部地域には [ 第 7 図の ② の ] 新城 [ ← 宮古島の東端の東平安名岬の北西方 7 km ] ~ 保良 [ ← 新城の南南東方 2.5 km ] および [ 第 7 図の ➂ の ] 比嘉 [ ← 宮古島の東岸の与那浜崎の南南東方 3 km ] ~ 加治道 [ ← 比嘉の南東方 1 km ] , 北部地域には [ 第 7 図の ④ の ] 西添道 [ ← 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の西方 3.5 km ] ~ 東添道 [ ← 西添道の南南東方 2 km 弱 ] , 西南部の 来間島 には [ 第 7 図の ⑤ の ] 来間 などの山地がある。 これらは いずれも 前述した3つの山地状地形域に比較して 小規模のものである。
[ 第 7 図の Ⅰ(もしくは 第 3 図の ①)の ] 長間~横竹山地(北山脈)は 城辺町 屋敷原 [ ← 長間の北西方 1 km 弱 ] ~長間~横竹らの各部落をへて 南海岸までのびる 延長 7 km に達している。 この山地には 第 8 図でみられるような 本地域の最高標高点(114.6 m)が存在するほか, 標高 104 m 地点 及び 101 m 地点が含まれている。 山脈の幅は狭く 400 m 以下である。
[ 第 7 図の Ⅱ(もしくは 第 3 図の ②)の ] 西原~ムイガー山地(中山脈)は 平良市 西原~南方植物園 [ ← 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の南西方 3 km ] ~宮原 [ ← 宮古島の東岸の与那浜崎の西方 4 km ] ~ 根間地 [ ← 宮古島の東岸の与那浜崎の南南西方 3 km 強 ] の各部落をへて 南海岸のムイガーへ達する 延長 15 km の山地である。 この山地には 本地域で2番目に高い標高 113.1 m を示す地点が含まれているが, 根間地 部落より北西では標高が低下する傾向がある。 山脈の幅は 500 m 以下である。
[
第 7 図の Ⅲ(もしくは 第 3 図の ③)の
]
下崎~砂川山地(南山脈)は 平良市 下崎 部落~
加盛
[
←
盛加
;
宮古島の東岸の与那浜崎の西方 5.5 km
]
部落の西方~野原岳
[
← 宮古島の東岸の与那浜崎の西南西方 5 km 強
]
をへた後に 城辺町と上野村との境界を示す山地をへて 砂川 部落の西方の山地に達する,
延長 15 km 内外の山地である。
この山地には 本地域で4番目に高い標高を示す野原岳が含まれる。
山脈の幅は 400 m 以下であるが,
第 9 図にみられるように,
周辺部が広い平坦部の関係から 東側は切立った山脈状を呈している。
このほかの小規模の山地状地形域は 延長が 3~5 km 未満で, 大浦~ピンフ岳山地(標高 95.5 m)をのぞくと 標高 80 m 以下の低いものである。
以上でのべた山脈状山地域は 第 3 図の Ⓑ のブロック [ = 野原台地 ] に集中し, 第 7 図の地形断面図でも明らかなように 北東側で切立った断崖状を呈し, 西~南西側へ緩斜する。 第 10 図のような いわゆるケスタ状の地形を呈することが, Ⓑ のブロックの共通した地形上の特徴である。
[ 宮古島の ] 南岸では, [ その東西中央付近の ] 友利 付近から [ 東端の ] 東平安名崎 にかけての ほぼ 10 km の海岸線は, 第 11 図に示すような標高 40~60 m の直角に切立った海食断崖の海岸であるのに対して, 友利より西方の海岸は 2 m 内外のベンチが形成され, 部分的に平坦な海食台が 帯状に発達している。 東側の比較的長い海岸は, 第 12 図にみられるような 安息角内外の斜面を示す海岸斜面で, 多くの砂浜海岸が形成されている。 この砂浜海岸の一部には 第 13 図に示すような ビーチロック [ beach rock ; 炭酸カルシウムの膠結作用により 海浜堆積物が膠結されてできた 板状の石灰質の砂礫岩 ] が形成されている。
[ 宮古島の ] 西側の海岸のうち [ 図幅地域北端付近の ] 下崎から [ 与那覇湾の東岸に位置する ] 川満 部落にかけては 10~20 m 内外の海食崖が形成され, 大部分が岩石海岸である。 川満 部落から [ 与那覇湾の西岸の ] 西浜崎をへて [ 来間島の対岸の ] 皆愛 部落までの海岸は 幅の広い平坦な砂丘状海岸で, 大部分が砂浜海岸である。 ノッチ [ notch(波食窪) ] は [ 前記の宮古島の ] 南側の海食崖 及び [ ここで述べた宮古島の ] 西側の下崎~川満 部落間にみられる海食崖らに認められるが, 模式的なものは 北西部の季節風の強い地域によく発達している。
来間島の東側海岸には, 標高 40 m 内外の断層崖が ほぼ北北西 - 南南東の方向に発達しており, その前面には砂浜海岸が形成されている。 西側の海岸は 2 m 内外の幅広いベンチがみられるが, 大部分は岩石浜海岸である。
来間島の南西から友利 部落の南海岸の間には 幅 1 km 内外の波食棚的な礁原がみられ, その末端には現世の礁縁が発達している。 保良 部落の南海岸から東平安名崎をへて 平瀬尾神崎にかけては, 沖合い 1 km 内外に礁壁状の礁縁がみられるが, この礁縁と海岸線に挟まれる礁湖は 意外と凹凸が著しく 礁原とはいえない。 浅海域なこともあって [ 宮古島の ] 西側海岸には 礁縁が形成されていない。
第 14 図は 本地域海域の等深線と海底地形断面を示したものである。 これによると, 北東 - 南西方向を示す, いわゆる琉球方向につらなる海域である [ 宮古島の ] 東方海域と西方海域では 比較的浅海域が広いのに対して, [ 宮古島の ] 南側の琉球海溝側の海域では 浅海域が狭く 急激に深海域になる。
東側の海岸の平瀬尾神崎の東方 約 7 km 付近の海域には, 水深が -2 m 内外の浅い ツフツワ 干瀬 がある。 この干瀬の延長と考えられる潜丘状の高まりが [ ツフツワ干瀬の南東方の ] 東方海域の中部付近までのびていることが [ 第 14 図の ] E-1 と E-2 の海底地形断面図で確認される。 この付近の水深 -100 m の等深線は ツフツワ干瀬から更に 7 km の東方になる。 ツフツワ干瀬を含む東方海域にみられる平坦面は [ 宮古島の東側の海域の ] 北部・中部 及び 南部らによってそれぞれに差が認められる。 すなわち [ 第 14・15 図に E-1 として示した ] 北部では -40~-60 m にかけての平坦面と, -80~-100 m にかけての2つの平坦面が識別出来る。 第 15 図に示すように, この2つの平坦面のうち -40~-60 m にかけての平坦面がしめる範囲は 約 43 % に達し, -80~-100 m に かけての平坦面は 約 25 % の範囲をしめている。 [ 第 14・15 図に E-2 として示した ] 中部では -60~-80 m と -100~-120 m にかけての2つの平坦面が識別される。 -60~-80 m の平坦のしめる範囲は 53 % と約半分以上に達し, -100~-120 m の平坦面は 18 % 内外である。 [ 第 14・15 図に E-3 として示した ] 南部では -20~-40 m にかけての平坦面と -80~-100 m にかけての平坦面が識別出来る。 -20~-40 m のしめる範囲は 約 30 %, -80~-100 m の平坦面のしめる範囲は 28 % である。
以上のように [ 宮古島の ] 東側の海域においては 北部・中部 及び 南部で それぞれの平坦面の位置が異なっている。 特に中部は, 北部 及び 南部に比較して 平坦面の深度が 20 m ほど深くなっている。 この理由は 平坦面形成の以後の断裂系に伴う動きとみなされる。
[
宮古島の
]
南側の海域は 東部・中部 及び 西部にわけられ,
それぞれ異なった海底地形を示している。
[
第 14・15 図に S-1 として示した
]
東部は,
第 17 図
[
← 第 14 図
]
の海底地形断面でも明らかなように 水深 -60 m までの浅海域が狭く,
-60 m 以深から -200 m にかけての海底で 比較的幅の広い 島棚斜面海底域を示している。
第 18 図
[
← 第 15 図
]
でみられるように,
この幅の広い海底域は -100 m 以深で全体の 63 % をしめていることから,
東側海域にくらべて 急激に深くなる海底であることが判然とする。
一方,
-100 m 以浅の海底についてみると,
-60~-100 m にかけて もっともゆるい斜面が識別される。
これらの浅海域についての水深別にしめる範囲をみると,
0~-20 m が 10 %・
-20~-40 m が 15 %・
-40~-60 m が 11 %・
-60~-80 m が 27 %・
-80~-100 m が 37 % となる。
[
第 14・15 図で S-2 および S-3 として示した
]
中部は 本地域の周辺海域の中で もっとも浅海域の狭い地域であって,
沖合い 2 km 内外で 急斜面を示し,
いわゆる大陸棚斜面を形成する。
しかし,
水深 -500~-600 m にかけては 1つの緩斜面を呈するテーラス状の棚がみられ,
さらに,
S-4
[
S-3
]
と S-4 の2本の海底地形断面線とに挟まれる地域である
[
上野村
]
宮国
部落の南方約 5 km 沖合の海域には,
水深 -217 m 内外の浅い 孤立した潜丘状の海底地形が確認されていることから,
複雑な海底地形を示す地域と考えられる。
この中部の -100 m 以深と それ以浅の全体のしめる範囲をみると,
第 18 図
[
← 第 15 図
]
のように 水深 -100 m 以深が 60~70 % を示し,
水深 -100 m 以浅の浅海域は 30~40 % で,
浅海域のしめる範囲の少ないことが判然とする。
水深 -100 m までを拡大して 各深度別にしめる範囲をみると,
第 18 図
[
← 第 15 図
]
の S-2 断面では 0~-20 m までが 32 %・
-20~-40 m までが 12 %・
-40~-60 m までが 19 %・
-60~-80 m までが 19 %・
-80~-100 m までが 19 % である。
S-3 断面では 0~-20 m までが 20 %・
-20~-40 m までが 9 %・
-40~-60 m までが 6 %・
-60~-80 m までが 38 %・
-80~-100 m までが 26 % である。
以上の結果のように,
中部では 0~-20 m にかけた付近と -60~-80 m にかけた付近の2カ所に 幅の狭い,
いわゆる平坦面と思われるものが識別される。
[
第 14・15 図で S-4 として示した
]
西部は 中部に比較して浅海域が広く,
水深 -100 m 以浅は 93 % であるのに対して -100 m 以深は 7 % 内外である。
このうち 緩斜面~平坦面の形成されている水深は -20~-60 m であるが,
特に -20~-40 m が
第 18 図
[
← 第 15 図
]
に示すように 49 % をしめ,
-40~-60 m が 25 % 内外をしめている。
したがって,
西部の平坦面としては -20~-40 m が識別される。
[ 宮古島の ] 西側の海域は [ 第 14・15 図の W-1 がある ] 本図幅の西隣の伊良部島とに挟まれるいわゆる伊良部海峡の北部と, [ 第 14・15 図の W-2 がある ] 来間島の周辺海域の南部地域についてみると 次のようである。 すなわち, 北部は 水深 -20 m 以深が 30 %, それより以浅が 70 % である。 このうち -10~-20 m が 40 % で もっとも広い地域をしめている。 南部は 水深 -20 m 以深が 10 %, 以浅が 90 % である。 このうち 0~-5 m が 35 % でもっとも広い範囲をしめている。
以上のように 本調査地域の周辺の海域の海底地形は [ 宮古島の ] 東方・西方 及び 南方でそれぞれ異なった様相を示している。 [ 宮古島の ] 東側海域と西側海域では いわゆる大陸斜面以浅の海域が広い。 とくに 西側の海域は 大部分が 水深 -20 m 以浅である。 これに対して [ 宮古島の ] 南側の海域は, 前述したように 海岸線に沿って 現世の保礁状の礁壁が造形されていないことなどで明らかなように, 浅海域は 狭く 急激にいわゆる大陸棚以深となる。 しかし 南側の海域の東部 及び 西部には やや浅海域の広い部分もみられる。
矢崎(1977b)によると, 宮古群島の周辺海域の海底平坦面は, -40~-60 m 及び -80~-100 m にかけての2つの平坦面が識別されるとされている。
たしかに, 本図幅区画内の東側海域の北部 及び 南側海域の西部では, 矢崎(1977b)が指摘する -40~-60 m にかけての平坦面と -80~-100 m にかけての平坦面が識別され, かつ 面積的にも広い範囲である。 しかし, 東側海域の中部から南側海域の中部にかけては -60~-80 m にかけての平坦面が識別され, 水深 20 m 内外の差が認められる。 このことは 前述した 現世の保礁状のサンゴ礁の発達の悪いこととも関連するのか, あるいは 平坦面形成後の動きに伴うものなどが考えられる。 特に, [ 宮古島の東方海域の北部と中部の ] E-1 海底地形断面と E-2 海底地形断面との境界付近には, ほぼ NE - SW 方向の断裂との関連が推定される。 したがって, 東側海域の中部から南側海域の中部にかけては, かなり構造的な背景が考慮される地域とみなされる。
本地域にみられる段丘面を氷期との関連について, 矢崎(1977b)は 第 16 図に示すような結果を報告している。 これによると, 標高 90~110 m にみられる 本島でもっとも高い 第 17 図のような段丘面を比嘉面とし, この形成時期を Mindel / Riss 間水期と考え, 関東平野の多摩面に対比している。 標高 60~70 m にみられる 第 18 図の平坦面を野原面とし, この形成時期を Riss / Würm 間水期と考え, 関東平野の下末吉面に対比している。 標高 35~45 m にみられる 第 19 図の平坦面を平良面とし, この形成時期をウルム氷期中の亜間氷期と考え, 関東平野の武蔵野面に対比している。 標高 15~20 m にみられる平坦面を下地面とし, この形成時期をウルム氷期中の亜間氷期と考え, 関東平野の立川面に対比している。 このほか, [ 宮古島の南西海岸部の ] 西浜崎から皆愛 部落の南岸にかけての海岸線にみられる標高 5~6 m 内外の平坦丘陵地を Hypsithemal = 縄文海進に相当するものとしている。
一方, 海底下の平坦面のうち -80~-100 m の平坦面を大陸棚縁とみなし, ウルム氷期の初期に形成されたものとし, -40~-60 m にかけての平坦面は ウルム氷期の末期に形成されたものとしている。
本地域は いわゆる西南日本島弧系の琉球弧に属する。 琉球島弧は 南西諸島海溝(琉球海溝)と対になっている 島弧 - 海溝系の活動度の若い島弧とされている。 琉球島弧は 地形・地質らの特徴から3つのグループにわけられている。 すなわち, 北東部から 東北琉球・中部琉球 及び 南西琉球に区分され, 東北琉球と中部琉球を区分する付近には 吐喝喇 海峡( 渡瀬線 = Tokara Channel ; 小西(1965))があり, 中部琉球と南西琉球を区分する付近には 宮古海峡( 蜂須賀線 = 宮古凹地 ; 小西(1965))がある。 琉球島弧の東北琉球は 火山性島弧と非火山性島弧からなる複数島弧であるが, 南西琉球は非火山性島弧だけからなる単数島弧とされている。 しかし, 最近の海洋調査の拡大とともに 琉球島弧全体を通じて複数島弧とみなされている。
本地域の地質的基盤は, 小西(1965)の先中新世基盤岩の帯状分帯からみれば 国頭累帯(Kunigami Belt)に入り, 宮古山稜(Miyako Positive ; 小西(1965))に近い場所ということになることから, いわゆる 南西琉球に属する。 この南西琉球は 台湾の北進にともなう引っぱりによって, 北東 - 南西方向を示している中部琉球と 東北東 - 西南西の方向を示す南西琉球との変移する会合部に相当することから, 島弧を胴切りする多くの低下帯にともなう 北西 - 南東方向の断層(矢崎, 1978b)が顕著である。
本図幅地域の地質に関しては, 明治初期から末期にかけての 琉球列島全般にわたっての地質旅行記 及び 地質概要報告などの概括が公表された時期と, 大正末期から戦前にかけての 主として古生物学を主体とする, 琉球島弧全体の層序対比などが公表されている時期, 及び, 戦後から現在にいたる間における 地域別な地質精査研究報告が公表されている時期, の3つの時代的変遷をへてきている。
明治初期から末期にかけての主なものとして 富士越(1875)・ 賀田(1886)及び YOSHIWARA(1901a・1901b)らの研究成果が公表されている。 このうち ライマンの弟子だった賀田(1886)は, 明治 18 年というのに, すでに現在の琉球列島の地質学的な骨格となることがらを公表している。 それによると, 琉球列島を下位から花崗岩・ 国頭層群(変成岩)・ 西表層群(第三紀下部)・ 火山岩(主として安山岩)・ 島尻層群(第三紀中部)及び 那覇石灰岩に区分している。 とくに 那覇石灰岩については 新旧2つの石灰岩があって, 古い礁石灰岩は 現在の海水準より高遠の場所にあって, 新礁石灰岩は各島の海水準より低位にあるという指摘がなされている。
大正末期から戦前にかけては, 矢部(1920)にはじまる, 有孔虫化石を主とした琉球列島全般にかけての地質古生物研究が実施され, HANZAWA(1935)によって 琉球列島全体の地質層序が確立し 公表された。 とくに 宮古島の北部の島尻 部落の北部海岸において クジラ骨の化石を採取している。 一方, 1939 年に小林純 氏(南西諸島資源調査団)らの手によって, 棚原 洞穴(現在の [ 南方 ] 植物園の付近)より発見された Elephas [ 旧ゾウ ] や Caprelus [ 小型の鹿 ] などの哺乳類化石を専門とする古生物学者の来島が頻繁となり, 大塚(1940)・TOKUNAGA(1940)・OTUKA(1941a・1941b)らの報告が公表された。 この期間には, 大井上(1922)及び 青木(1932)らは, 主として本地域の地形と地質との関係の研究を実施し, 東側から西方へ傾動する山地状地形の形成が, 主として断層によるものであることを指摘し 公表している。
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戦後から現在に至る間においては 第 1 表に示すような 研究実施地域を本地域に設定し, 精密な調査結果が地質図として完成され, 従来の層群単位の層序の組立から累層 並びに 部層単元となり, かつ多分野にまたがる総括的な研究論文が発表されている。 とくに, DOAN et al.(1960)は 本地域での本格的な地質図 及び 説明書を最初に完成させ, 困難だといわれた琉球石灰岩 並びに 島尻層群の層序区分を確立し 公表した。 第6次沖縄天然ガス調査講師団(1970)は, 琉球政府の要請をうけて 本地域の地質調査・地化学探査 及び 重力探査を実施し, 5万分の1地質図(日本人による最初のもの)を完成させ, DOAN et al.(1960)らと多少異なる, 第 1 表にみられるような層序を確立させ 琉球政府に報告している。 UJIIE and OKI(1974)は 主として浮遊性有孔虫化石から島尻層群の層序区分を実施し, 第 1 表に示す層序を確立させ, BANNER and BLOW(1969)の浮遊性有孔虫化石の標準区のうちの N.17 から N.22 にかけての層準であることを認めて 公表している。 同じ頃に うるま資源開発株式会社(1974)は 石油探査を目的とし, 本地域の周辺諸島の細部にわたっての有孔虫化石の調査を実施し, 前出の UJIIE and OKI(1974)とほぼ同様な結果を報告している。 中川ほか(1976)は, 主として島尻層群の地磁気層序学の立場から 島尻層群を第 1 表に示すように区分し, 島尻層群と地中海沿岸における鮮新統とは, 堆積期において ほぼ平行したものと考えてさしつかえない という意見を発表している。
矢崎(1976・1977b)は 主として岩質・古生物の特徴から, 第 1 表に示すように 島尻層群 及び 琉球層群を 島尻層群を3つの地層に, 琉球層群を4つの岩質名にそれぞれ区分し, 島尻層群の年代を中新世後期から更新世前期, 琉球層群を更新世中期~完新世前期と推定している。 さらに, 矢崎(1977b)は, 琉球層群の各石灰岩を海水面変化との関連において 氷期と段丘との関係を考察し, これらの段丘面を関東平野の各面に対応させている。 それによると 比嘉面 = 多摩面, 野原面 = 下末吉面, 平良面 = 武蔵野面 及び 下地面 = 立川面と考え, 各石灰岩の形成時期を上述した海面変化期の形成であると推論している。 すなわち, 比嘉面 = 保良石灰岩, 野原面 = 友利石灰岩, 平良面 = 平良石灰岩, 下地面 = 下地島石灰岩としている。
以上のような 戦後から現在に至る間のうち, とくに 宮古島地域に関連する主なものを紹介したが, 対比に関しては いまだに多くの異論がある。 島尻層群 並びに 琉球層群についての対比をみると, 島尻層群を中新世(DOAN et al., 1960), 中新世~鮮新世(第6次沖縄天然ガス調査講師団, 1970), 後期中新世~一部は前期更新世(UJIIE and OKI(1974); 矢崎(1978a・1978b), 前期鮮新世~中後期鮮新世(中川ほか, 1976)らの意見がある。 琉球層群については 鮮新世~更新世(DOAN et al.(1960); 第6次沖縄天然ガス調査講師団(1970); 中川(1967・1969); 中川ほか(1976)), 前期更新世~後期更新世(大村(1973); UJIIE and OKI(1974)), 前期更新世~中期更新世~完新世(矢崎, 1978a・1978b)らの意見がある。
本地域の地質系統は 中新世~鮮新世, 一部は更新世にまたがる 島尻 層群, 更新世の 琉球 層群, 完新世の 大野越 粘土・風化土壌・古砂丘堆積物( 西浜崎 層)・砂丘堆積物 及び ビーチロックらによって構成されている。 本地域の地質を総括したものが第 2 表である。
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島尻層群のうち 本地域に分布するものは 大神島 層の上部と 城辺 層 及び 平安名 層である。
本地域にみられる大神島層は その最上部層である ピンフ岳 泥岩 [ Opm ] だけである。 本部層 [ = ピンフ岳泥岩(部層) ] は [ 本図幅地域の北端付近の宮古島の東岸沿いにある ] ピンフ岳(95.5 m)の南東の海岸の 平瀬尾神崎 から北西方向にのびる海食崖に分布し, 厚さは約 170 m である。 上下の関係は 下位の [ 大神島層の ] 南静園 砂岩 [ Ons ] 及び 上位の城辺層の両層に対して整合である。 岩質は 塊状 均一質のシルト岩で, 僅かに 砂岩の薄層(10 cm以下)を部分的に介在する。 本岩には Globigerina decoraperta TAKAYANAGI & SAITO, Globorotalia merotumida BLOW & BANNER 及び Globorotalia plesiotumida BLOW & BANNER などの浮遊性有孔虫化石が採取され, Globorotalia merotumida, Globorotalia plesiotumida が共存し, Globorotalia tumida を産しないことより, BANNER & BLOW(1969)の N 分帯に従うと N.17 に相当する中新世の地層と判定されている。 底性有孔虫化石としては Bulimina aculeata d'ORBIGNY, B. striata d'ORBIGNY 及び Ammonia cf. ketienziensis angulata (KUWANO) が産しているが, 浮遊性有孔虫化石が優勢となる。 大型化石は 僅かに Turritella cingulifera SOWERBY, Chlamys sp. 及び Heterocyathus sp. らが産出されるが, 下位層準のものに比較して小型となり かつ 量も少なくなる傾向がみられる。
城辺層 [ Gs ] は 本地域の東海岸の海食崖 及び 城辺町の北部の台地の凹地に広い分布がみられ, 西方の 与那覇 湾の南部一帯には比較的まとまった小分布がみられる。 このほか, 来間島の東岸の断層崖の一部・ 南東海岸の海食断崖の潮間帯付近 及び, 内陸部の山地状地形域に窓状の小分布がみられる [ ← 地質図の断面図で確認できる ] 。 厚さは 700~750 m 内外が予想されるが, 東方 及び 南方に発散状に厚層化し, 海洋調査の結果(相場・関, 1979)では 2,000~3,000 m という結果が報告されている。 上下の関係は, 下位の大神島層とは整合, 上位の平安名層 [ He ] と岩質的には漸移関係を示し 整合である。 岩質は 全体を通じて暗灰色~青灰色の均一質のシルト岩である。 しかし, 比較的下部層準と上部層準とには それぞれ特徴的な岩相がみられる。 とくに 下部層準には, 岩相状の鍵層として追跡が可能な層準が4枚介在する。 すなわち, 本層の下限を規定する ピンフ岳 砂岩 [ Ps ] , 主と して有孔虫化石を多産する砂岩よりなる 野原 砂岩 [ Ns ] , Clamys (Mimachlamys) satoi (YOKOYAMA) の化石床を介在する 増原 砂岩 [ Ms ] , 及び 安山岩亜角礫岩に多くの貝化石を包有する 比嘉 礫岩 [ Hcg ] らがある。 上位層準は, 下位の層準に比較して細粒 暗灰色~黒色の枚状を呈するシルト岩を主とし, 一部には スランビング・フルートカスト 及び 交斜葉層理が発達する, いわゆる 異常堆積相と呼ばれるものに相当する部分が多く確認されることが特徴である。 このほか, 火山活動との関連とみられる凝灰岩は 野原砂岩より上位の層準に顕著に確認される。 本層には Globorotalia tumida, G. pseudopina, G. crassaformis crassaformis, G. crassaformis ronda, G. plesiotumida, G. margaritae 及び G. conoides らの浮遊性有孔虫化石を多産することから, BANNER & BLOW(1969)の N 分帯に従うと N. 18~N. 20 に相当する地層と判定される。 底性有孔虫の化石としては Globocassidulia subglobosa, Bulimina rotrata 及び Boliuina robusta らが産している。 大型化石は 上・下2枚の化石床によって代表され, 上位の化石床は比嘉礫岩であり, 下位の化石床は増原砂岩である。 比嘉礫岩に含まれる化石の主なものは Glycymeris nipponic, Amussiopecten, Venericardia (Megacardita) ferruginora 及び Venus sp. らである。 増原砂岩に含まれる化石は Clamys (Mimachlamys) satoi の化石床である。
平安名層 [ He ] は 本地域の [ 宮古島の ] 南東海岸の海食崖 及び [ 宮古島の東端の東平安名岬から北西方 6.5 km の ] 新城 部落の西方の低地帯に比較的まとまった分布がみられる。 このほか, ムイガー [ ← 東平安名岬から西北西方 8.5 km ] ・サデフネ [ ← 東平安名岬から西北西方 7 km ] ・保良 [ ← 東平安名岬から西北西方 4 km 強 ] 及び 東平安名岬 にかけての断崖状海食崖の潮間帯に小分布がみられる。 厚さは 約 200~400 m と予想されるが, 前述した城辺層と同様に 発散状に厚層化する傾向があることから, 海域での層厚は増大するものと推定される。 上下の関係は 下位の城辺層とは 漸移関係を示し, 上位の琉球層群とは 傾斜不整合である。 岩質は 砂岩と泥岩との互層で 泥岩勝の互層である。 砂岩は 黄褐色~暗褐色を呈し, 中粒で やや粗雑質である。 泥岩は 暗灰色~黒色を呈し 均一質であるが, 一部に葉理の発達する部分がある。 本層には Globorotalia tosaensis, G. inflata praeinflata, G. crassula viola らの浮遊性有孔虫化石を産することから, BANNER & BLOW(1969)の N 分帯に従うと N.21~N.22 に相当する地層と判定される。 底性有孔虫としては Quinaqueloculina tropicalis, Cassidulina asanoi らが産出している。 大型貝化石は Yoldia (Portlandella), Dentalium yokoyamai らの化石が産出している。
琉球層群は 下位から 保良 石灰岩・ 友利 石灰岩・ 平良 石灰岩 及び 下地島 石灰岩らによって構成され, 本地域の台地状山地や荒地 並びに 北西海岸の海食崖らに広い範囲にわたって分布し, 厚さは 40~135 m 内外である。 岩質は 主として石灰礫岩, 石灰砂岩, 石灰藻砂岩 及び 有孔虫石灰砂岩などによって構成されている。 下位の島尻層群との関係は 傾斜不整合, 上位の完新世の各堆積物とも不整合である。 琉球層群の各石灰岩の関係は 保良石灰岩と友利石灰岩との関係は不整合, 友利石灰岩と平良石灰岩との関係は 一部整合 一部不整合, 平良石灰岩と下地島石灰岩との関係は, いわゆる「うるま変動」(沖縄第四紀調査団, 1976)と呼ばれる変動時の前と以後とに相当し, この間の時間的ギャップが大きい関係もあって, 下地島石灰岩と下位の各石灰岩との関係は明らかな傾斜不整合である。
保良石灰岩 [ Bo ] は 本地域の南東部の台地 及び 海岸の海食崖頂部付近に 比較的模式的な分布がみられるものと, 北西部の [ 与那覇湾の北方の ] 久松 部落付近の丘陵地に小分布がみられ, 厚さは 15 m 内外で, 主として石灰礫岩である。 こ の石灰岩には Tridacna (Vulgodacna) maxima, Conus sp. らの化石が生時の状態で入っている。
友利石灰岩 [ To ] は 本地域でもっとも広い分布を示す石灰岩で, 主として各台地の山地状地形域 及び 荒地らの大部分をしめて分布し, 厚さは 30~74 m 内外で, 主として 有孔虫 石灰 砂岩と, 石灰藻ボールの入る石灰砂岩との互層を示す いわゆる互層型石灰岩である。 しかし, この石灰岩は 包有する化石 及び 互層の組合せからみて 3つの岩相に区分される。 すなわち, [ 1 ] 緻密微晶質でほとんど化石が産出しない塊状 均一質な石炭砂岩を下部層, [ 2 ] 生時の水深が深い場所に棲息する化石を多産する有孔虫砂岩と, 石灰藻ボールの入る石灰砂岩の互層を示す中部層 (この中部層を規定する下限と上限付近には Tm2・Tm1 の鍵層がある), [ 3 ] 上部層には 水深の比較的浅い場所に棲息する大型の二枚貝化石が多産し, 互層の組合せも 石灰藻ボールの入る石灰砂岩が 3 : 7 の割合で優勢となる, いわゆる 石灰藻ボール石灰砂岩勝の互層である。 この石灰岩には Rhinoclauis sp., Ancilla sp., Conus sp., Terebellum ? sp., Strombus (Canarium) sp., Terebra ? sp., Plicatula muricata, Aeguipecten sp., Pecten sinensis, Pecten naganumanus などの大型貝化石を産し, とくに Pecten nagnumanus は化石床的な層状を呈し, 地域全般に追えることから, 鍵層として有効である。 この鍵層より 2~8 m 上位の層準から Perotrochus (Mikadotrochus) hirasei と思われる化石が 筆者らの手により採取されたことから, 本石灰岩の形成時の水深は 以外と深いことが推定される。 このことは 前述した多くの化石内容を検討した結果と合致する。
平良石灰岩 [ Hi ] は 本地域の北西海岸から平良 市街地にかけて模式的な分布がみられ, その一部は [ 野原岳の南西方 500 m の ] 野原 部落から [ 野原の南南西方 3 km の ] 上野 部落へつらなる ほぼ北北西 - 南南東方向の幅の狭い荒地に, 点々とした小分布がみられる。 厚さは 2~30 m で, 主として 石灰藻ボールをルーズの石灰砂岩が包有しているが, 一部には うすいレス状の不純物が混入する うすい砂層を介在する。 この石灰岩は 下部の友利石灰岩と大部分が整合で接するが, 部分的には不整合関係を示す場所もある。 本岩は大型化石に乏しく Trochus sp., Anguipecten sp., Brechits ? sp. 及び Turbo sp. の化石が採取される。
下地島石灰岩 [ Sm ] は 本地域の北西海岸から南西海岸 及び 来間島周辺の海岸の 海水面 +2~+5 m 内外のベンチを構成する石灰岩で, 現在の海岸線に沿った 幅 20~50 m 内外の幅の狭い帯状分布を示し, 形状的には 裾野状ないし礁原状の形態をしている。 岩相上, 本石灰岩は 2つの部層に区分される。 すなわち, サンゴ礫(径 20~50 cm)を包有する石灰砂岩を主とする岩質のものを上部層, 石灰砂岩と有孔虫砂岩との石灰砂岩勝ちの互層を示す層準を下部層として区分している。 厚さは 上下の部層を合せて 6~17 m 内外である。 「うるま変動」という一つの運動の転位以後に形成された石灰岩であることから, 本石灰岩は 下位の各石灰岩を核として裾礁の形態を示して分布している。 したがって, この間の時空的へだたりは大きく, 下位層準の各石灰岩とは明瞭な傾斜不整合である。 この石灰岩には 上下の部層を通じて化石が乏しく, Turbo sp., Chlamys (Mimachlamys) nobilis (REEVE) ? が僅かに産出される。
完新世の堆積物は 大野越 粘土・風化土壌・古砂丘堆積物・砂丘堆積物・ビーチロック 及び 岩屑より構成される。
大野越粘土 [ On ] は 本地域の平坦な耕地の大部分をしめる広い範囲に分布し, 平均層厚は 2 m 内外である。 しかし, 風化砕屑物であることから 風雨にともない 二次的に流出し, 凹地においては極端に厚く, 10 m 内外に達することがある。 岩質は 島尻層群のシルト岩・ 砂岩 及び 琉球層群の石灰岩などの風化砕屑物が粘土化されたもので, 赤色~赤褐色を呈し 鉄分の多い均一質な粘土である。
風化土壌 [ So ] は 本地域の南部の [ 上野村 ] 新里 ・ [ 上野村 ] 宮国 及び [ 下地町 ] 入江 らの各部落の南側海岸にみられ, 標高 2~4 m の海食棚に帯状に分布し, 厚さは 0.5~2 m 内外である。 岩質は 赤褐色~褐黒色を呈する砂まじりな粗雑な粘土である。
西浜崎 古砂丘堆積物 [ S2 ] は 与那覇湾の西方海岸より 前浜をへて入江に達する 南西方海岸の古砂丘陵地に模式的な分布がみられ, 一部は 来間島の南西海岸に小分布がみられる。 主として 炭酸塩岩の砕屑砂であるが, 僅かに石英粒が混じる。
砂丘堆積物 [ S1 ] は 本地域の南側海岸線をのぞいた 北東側 及び 北西海岸線に分布し, 主としてサンゴ砕屑砂を主とする炭酸塩岩の砕屑砂である。
ビーチロック [ B ] は 本地域の砂丘堆積物の分布がみられる砂浜海岸に発達し, 厚さは 1 m 内外である。 主として 炭酸塩岩 及び 生物遺骸らの岩片によって構成される 現在の砂浜海浜の構成物である。
岩屑 [ Te ] は 本地域の東方海岸の海食崖の潮間帯にみられる石灰岩の岩屑である。 この岩屑は, 海食崖山頂部 及び 海岸斜面頂部に露出する石灰岩が 風化によって潮間帯へ落下して来た石灰岩の岩片礫である。
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宮古島の島尻層群は 主として [ 宮古島の ] 北東部から南東部をへて南部に達する海岸線に沿った帯状の分布がみられる。 このほか, [ 本図幅の北隣の宮古島北部図幅地域内の ] 大神島・ 池間島 , [ 本図幅地域の南西部の ] 来間島 , [ 本図幅地域の北西部 および 本図幅の西隣の伊良部島図幅地域内の ] 伊良部島 及び [ 本図幅地域の西部の与那覇湾の南東方の下地町 ] 洲鎌 部落周辺に小分布が明らかにされている。
岩質は 下位から 厚い砂岩の単層を多く挟む砂岩勝砂岩シルト岩互層( 大神島 層), 塊状 均一のシルト岩( 城辺 層)及び, うすい砂岩を挟む泥岩勝砂岩泥岩互層( 平安名 層)などによって構成されている。 本層群の本地域での厚さは 2,000 m 内外が予想されるが, 東方海域では発散状に厚層化して 4,000 m 内外を示す海域調査の結果が発表されている。
本層群の中部から上部にかけては 著しく多量の浮遊性有孔虫化石を産し,
その内容から Globorotalia tumida や Globorotalia plesiotumida を共存すること,
並びに Globorotalia margaritae や Globorotalia conoides を産することで
[
BANNER and BLOW(1969)の浮遊性有孔虫化石の標準区のうちの
]
N.18 と考えられ,
NATORI (1974) の沖縄本島における島尻層群の分帯に対比すれば
Globorotalia (G) tumida tumida (entry) to (entry).
Sphaeroidinella dehiscens dehiscens Interval-zone
[
意味不明
]
に相当する部分が 城辺層の下部層準にみられる。
この層準の同一地点から DOAN et al.(1960)は下記のような有孔虫化石を採取・報告し,
本層準を
Nobarn formation
[
← Nobaru formation ? ;
第 1 表参照
]
と呼び,
いわゆる島尻層群の本地域における上限の地層としている。
本層群の下部層準に相当する大神島層のピンフ岳泥岩
[
Opm
]
には Globigerina decoraperta,
Globoquadrina dehiscns・
Globorotalia merotumida 及び
Globorotalia plesiotumida らの浮遊性有孔虫化石が採取され,
Globorotalia merotumida・
Globorotalia plesiotumida が共存し,
Globorotaria tumida を産しないことより,
BLOW (1969) の N 分帯に従うと
N.17 もしくは N.17 より古い中新世の地層と考えられている。
UJIIE and OKI (1974) は 宮古島に分布する浮遊性有孔虫の層序区分を試み,
それによると 本層準よりやや下位の試料は
BLOW (1969) の標準区分のうち N.17 に調和するものであると指摘している。
したがって,
NATORI (1974) が指摘するような
Globrotalia (T.) tosaensis to Globorotalia (G.) truncatulinoides Interval-zone
及び
Globorotalia (T.) humeross humerosa to Globorotalia (T.) tosaensis Interval-zone
に相当する部分だけの島尻層群ではなく,
Globorotalia (G.) tumida tumida to Sphaeroidinella immatura Interval-zone
及び
Globorotalia (G.) tumida plesiotumida to Pulleniatina primalis Interval-zone
に相当部分が含まれる可能性があることから,
沖縄本島に分布する
豊城層
[
←
豊見城
層 ?
]
に対比される層準があることが明らかである。
このことは 岩質の上からの類似性からみても ほぼ合意出来そうである。
以上のように 宮古島に分布する島尻層群は 岩質的に3つの累層にわけられ, 浮遊性有孔虫層序の区分によると 下部層準が中新世であることが明らかにされている。 このうちの 本図幅地域に分布する島尻層群は, 第 20 図に示すように 大神島層の上部・城辺層 及び 平安名層である。
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命名 : 矢崎清貫(1978a・1978c・1979)
模式地 :
宮古島の北東海岸の
平瀬尾願崎
[
←
平瀬尾神崎
]
から
[
本図幅の北隣の宮古島北部図幅地域内の
]
島尻 部落の北東海岸をへて大神島に達する海岸付近。
分布 :
宮古島の北東海岸の
平瀬尾願崎
[
←
平瀬尾神崎
]
から
[
本図幅の北隣の宮古島北部図幅地域内の
]
島尻 部落の北岸にかけての海食崖・
大神島周辺・
池間島の東方台地 及び 山地地形を形成する東側の断層崖に 帯状の分布がみられる。
層序 : 本層は DOAN et al.(1960)の Ogami sandstone, Ikema sandstone 並びに Gusukube shale の一部が含まれ, UJIIR and OKI(1974)の Nanseien Formation 及び Yonahama Mudstone 下部が含まれ, 中川ほか(1976)の大浦層の一部が含まれる。 本層の下限は 不明であるが, 大神島周辺海域の海上調査記録をみると, 島尻層群と先 島尻層群の不整合位置は -300~-500 m 内外の水深に推定される。 したがって, 大神島層の層厚は 1,200~1,500 m 内外が推定される。
岩質・層厚 : 本層の岩質は 下位から, [ 1 ] シルト岩を主とする 大神島 泥岩 [ ← これは「地質図の凡例」に記載されていない ] , [ 2 ] 含礫質 粗粒砂岩を主とし うすい褐炭を挟む 大神島 砂岩 [ Oos ] , [ 3 ] シルト岩と砂質シルトとの互層である 島尻 泥岩 [ Osm ] (本層の大部分は 大神島~島尻の間の海峡によって その全貌を把握することができないが, おそらく 2~3 枚内外の砂岩層の介在が推定される), [ 4 ] 黄褐色 細粒~中粒砂岩を主とする 島尻 砂岩 [ Oss ] , [ 5 ] 主としてシルト岩よりなる 南静園 泥岩 [ Onm ] , [ 6 ] 黄褐色 中粒~粗粒砂岩とシルト岩との互層(砂岩勝ち)を主とする 南静園 砂岩 [ Ons ] 及び, [ 7 ] 塊状シルト岩で一部砂岩の薄層を挟む ピンフ岳 泥岩 [ Opm ] の7つの部層に区分される。 層厚は 全体で 950~1,400 m 内外である。 これらの部層のうち 本図幅区域に分布するものは 最上部のピンフ岳泥岩で, それより下位層準の大神島層は [ 本図幅の北隣の ] 宮古島北部図幅(矢崎・大山, 1979)に分布する ものである。
命名 : 矢崎清貫
模式地 : ピンフ岳の東側海岸
分布 : ピンフ岳(95.5 m)の南東の海岸の 平瀬尾神崎 から [ 本図幅の北隣の ] 宮古島北部図幅の大浦 部落にかけての [ 海食崖に ] 比較的広い地域にわたって分布する。
層序 : この泥岩は DAON et al.(1960)の Gusukube shale, 第6次沖縄天然ガス調査講師団らの城辺泥岩層の下部層準の一部に相当し, UJIIE and OKI(1974)らの Yonahama mudstone 下部層準に相当する。 上位の城辺層の下限を規定するピンフ岳砂岩 [ Ps ] とは整合関係である。
岩質・層厚 : 第 21 図に見られるように 主として暗灰色~暗青灰色の均一 塊状のシルト岩で, 部分的に 第 22 図にみられるような 10 cm 以下の褐灰色 細粒砂岩の薄層を介在する。 層厚は 150~170 mであるが, 南東方向へ発散状に厚層化する傾向がある。
| 0-1~2 | : ピンフ岳泥岩(Opm)の有孔虫化石 |
| Km-1 | : 城辺層(Gs)? の大型化石 ? |
| Km-2 | : 城辺層 比嘉礫岩(Hcg)? の大型化石 ? |
| K-1 | : 城辺層 野原砂岩(Ns)の有孔虫化石 |
| K-2~11 | : 城辺層(Gs)? の有孔虫化石(K-11 は来間島) |
| Hm-1~2 | : 平安名層(He)の大型化石 |
| H-1~5 | : 平安名層(He)の有孔虫化石 |
化石 : 大型化石は 少ないが, Turritella cingulifera SOWERBY, Chlamys sp. 及び Heterocyathus sp. らが産出する。
有孔虫化石は 浮遊性が優勢となり, うるま資源開発株式会社で実施した宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M・S)によると 第 23 図に示すような産地から下記のような化石が産出されている。
上記した浮遊性有孔虫には Globorotalia merotumida, Globorotalia plesiotumida が共存し Globorotalia tumida を産しないことより, BLOW(1969)の標準区分の N.17 の層準に相当するものであろうとされている。
UJIIE and OKI (1974) は この泥岩の下位層準より
第 3 表のような
[
← 下記のような
]
浮遊性有孔虫の化石を報告し 浮遊性有孔虫の層序区分を試みているが,
それによると この泥岩が含まれる層準を N.17 としている。
命名 : DOAN et al.(1960)
模式地 : 城辺町の北部海岸の [ 宮古島の東岸の与那浜崎の西方 2.5 km 弱の ] 増原 部落から [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南東方 4.5 km の ] 嶺原 [ ← 国土地理院の地図では 福北 ? ] 部落にかけてみられる 第 24 図のような海岸斜面。
分布 : 模式地付近・ [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南南西方 3 km 強の ] 根間地 部落から [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南南東方 3 km ] 比嘉 部落にかけての北部台地 及び [ 根間地の西方の ] 山地状地形域の第 25 図のような断層崖 [ = 大浦断層の断層崖 ] 付近 並びに [ 宮古島の西部の与那覇湾の南東方の ] 下地町 洲鎌 部落付近の丘陵地。 このほか, 来間島の東海岸の第 26 図にみられる断層崖 並びに [ 宮古島の東西中央付近の南岸の ] 友利の南方海岸から東平安名岬にかけての [ 宮古島の ] 南海岸の潮間帯の一部に小分布が確認されている。
層序 : 本層は DOAN et al.(1960)の Gusukube shale, UJIIE and OKI(1974)の Yonahama Mudstone の大部分と Minehara Alternation の一部が含まれ, 中川ほか(1976)の 大野越 層の一部, 与那浜 層の全層 及び 嶺原 層の一部に相当する層準が含まれる。
本層は 下位の大神島層のピンフ岳泥岩 [ Opm ] と整合, 上位の平安名層 [ He ] とも整合関係を示す。
岩質・層厚 :
すでに
第 23 図
[
← 第 20 図
]
の地質柱状図に示したように,
本層の岩質は 全体を通じて 暗青灰色~暗灰色を呈する
シルト岩が主体であるが,
部分的に特徴的な岩質を示す 薄い砂岩・礫岩らを介在し,
そのなかには レンズ状の化石床を挟んでいる。
このほか,
本層の上位層準のシルト岩は 第 27 図にみられるように板状を示し,
凝灰岩の薄層(0.2~0.3 m)を介在する。
また,
第 28 図にみられる断崖の一部には 厚さ 30 m 内外の異常堆積を示す層準がある。
この [ 本層の ] 上位層準のシルト岩に対して, 下位層準のシルト岩は均一質で凝灰岩も少なく, かつ 異常堆積層も認められない。 しかし, 下位層準の均一質のシルト岩は, 風化すると 第 29 図にみられるような 亀甲型のわれ目が出来る特徴がある。
第 23 図
[
← 第 20 図
]
の柱状図に示したように,
上述した特徴的な鍵層的岩質の上下関係は 下位から
ピンフ岳
砂岩
[
Ps
]
,
野原
砂岩
[
Ns
]
,
増原
砂岩
[
Ms
]
及び
比嘉
礫岩
[
Hcg
]
となる。
異常堆積層は 比嘉礫岩より上位の層準のものである。
これらの鍵層的な岩相について, 岩質・層厚 並びに 含有する化石床の中に含まれる化石についてのべる。
命名 : 矢崎清貫
模式地 : [ 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の北西方 1 km の ] ピンフ岳の南東側の崖
分布 : 模式地付近 及び [ 本図幅地域の北端付近の ] 西原 部落の東方の耕地の凹地付近に帯状の小分布がみられる。
岩質・層厚 : 本砂岩は 城辺層の下限を規定するもので, 下位の大神島層のピンフ岳泥岩 [ Opm ] とは整合である。 厚さは 2~4 m 内外の砂岩単層が 2~3 枚集層している部分に相当するものである。 岩質は 黄褐色~褐灰色を呈する中粒 均一質の砂岩で, 下位の大神島層に見られ, 砂岩に比較して淘汰がよく, 研磨度のよい石英粒が多く含まれる。 このほか 有孔虫らしきものもみられるが, 同定していない。
命名 : 矢崎清貫
模式地 : [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南西方 3 km の ] 城辺町 更竹 部落の南方の山地状地形域にみられる大浦断層の断層崖
分布 : 本砂岩は 第 30 図にみられる 中山脈を形成する大浦断層の断層崖付近の裾野付近にだけ 確認されるだけである。
岩質・層厚 : 本砂岩は ピンフ岳砂岩 [ Ps ] の上位約 30~50 m 付近に位置するものと推定される。
本砂岩は 従来は DOAN et al.(1960)らによって,Nobaru formation と呼ばれ, 本地域の島尻層群の最上位の累層として扱っていた。 特に, 本砂岩に含まれる有孔虫化石の同定によって, 本砂岩層をふくめて中新世と断定する主要な根拠となった層準である [ 以下の [注] 参照 ] 。 厚さは 2~4 m である。
岩質は 褐灰~暗灰色を呈し 中粒~粗粒のやや粗雑な感じをうける砂岩で, 主として石英砂 及び 有孔虫砂によって構成される。
本砂岩に含まれる有孔虫化石のうち DOAN et al.(1960)らが公表しているものは 下記の通りである。
また, うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S)によると, 同一地点から採取された 下記のような化石が産出されている。
命名 : 矢崎清貫
模式地 : [ 宮古島の東岸の与那浜崎の西方 2.5 km 弱の ] 城辺町 増原 部落の北部の海食崖
分布 : 模式地付近だけで, そのほかの場所では確認されていない。
岩質・層厚 : この砂岩は 前述した野原砂岩 [ Ns ] の上位にあって, その間隔は 30~75 m 内外と推定される。 岩質は 褐灰~暗褐色を呈し, 細粒~中粒のやや粗雑な感じをうける砂岩を主とする いわゆる化石床である。 厚さは 30~70 cm 内外とうすく, 含まれる化石は ほとんどが イタヤガイ科の二枚貝である。 化石のうちで同定されているものは Chlamys (Mimachlamys) satoi (YOROYAMA) [ ヒオウギ貝 ] で, 化石床の大部分をしめている。 本化石は 沖縄県 久米島 の 阿嘉 砂岩(島尻層群)にも産出されていて, そこでは下部鮮新統に対比されている。
命名 : 矢崎清貫
模式地 : [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南南東方 3 km の ] 城辺町 比嘉 部落の北東部の海食崖
分布 : 模式地付近だけに確認されるもので, その他の地域では確認されていない。
岩質・層厚 : この礫岩は 前述した増原砂岩 [ Ms ] の上位にあって, その間隔は 150~200 m 内外と推定される。 岩質は 集塊岩的様相を示す安山岩亜角礫と, 貝化石らによって構成される特徴的な礫岩である。 安山岩礫は 赤色を示す いわゆる酸化している安山岩礫と, 黒色で新鮮なスコリヤ質の安山岩礫の 2つ以上の安山岩礫が確認される。 礫は 10 cm 以下の亜角礫で, 大部分は 5~7 m 内外の粒形のものが多い。 貝化石の形状は一様ではないが, 全体として安山岩礫と同様の粒形を示すものが主である。 厚さは 1~3 m 内外である。 本礫岩にふくまれる主な化石は 次のようなものである。
上述した化石のうち Glycymeris nipponica YOKOYAMA [ タマキガイ属 ] は とくに多量に確認される。
以上のように 城辺層の中位層準以下には うすい 特徴的な岩層が介在し, 鍵層として当然 追えるものと考えられるが, 露頭範囲が狭少であることから 模式地付近だけでの確認にとどまっている。 しかし, 増原砂岩に含まれる Chlamys (Mimachlamys) satoi (YOROYAMA) の化石床は, 厚さこそ相違があるが, 久米島の阿嘉砂岩(島尻層群)にほぼ同様な化石床として産出されていることから, 一応の対比の目安となる。 とくに 本地域の古生物層位学的な位置づけにおいても, 久米島と同様に下部鮮新統に対応することから, 本層 [ = 城辺層 ? ] の地質時代の決定の一つの根処と考えられる。 本累層 [ = 城辺層 ? ] の層厚は 地域の北西側から南東側に発散状に厚層化する傾向があることから, 北西側でうすく 南東側で厚い。 すなわち, 北西側では 400 m 内外であるが, 南東側では 700~900 m と厚くなる。 とくに 南東側の海域における探査結果では, 本層 [ = 城辺層 ? ] に相当する部分が 2,000~3,000 m 内外と推定されている。
[ 城辺層の ] 化石 : 本層 [ = 城辺層 ] の主体をなす構成岩であるシルト岩には 大型化石が認められず有孔虫化石だけである。 現在までに同定され 明らかにされている [ 化石の ] 産地は 第 23 図に示し, 産出層準の概略的な位置を第 20 図の地質柱状図にすでに示してある。
K-2 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
K-3 産地の引用は UJIIE and OKI(1974)による。
K-4 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
K-5 産地の引用は UJIIE and OKI (1974) による。
K-6 産地の引用は UJIIE and OKI(1974)による。
K-7 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
K-8 産地の引用は UJIIE and OKI(1974)による。
K-9 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
K-10 産地の引用は UJIIE and OKI (1974) による。
K-11 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
命名 : 矢崎清貫(1978c)
模式地 : [ 宮古島の東端の東平安名岬の北西方 7 km の ] 城辺町 新城 部落の北東海岸の海岸斜面から 東平安名岬 にかけての海岸斜面 及び 海食崖。
分布 : 模式地付近 及び [ 宮古島の東端の東平安名岬の北西方 8 km の ] 福里 部落の東方の凹地状の耕地らに比較的広い分布がみられる。 このほか, 東平安名岬から [ その西北西方 4.5 km の ] 保良 部落にかけての南海岸の海食崖, [ 東平安名岬 から西北西方 8.5 km の ] ムイガー断崖 及び [ 東平安名岬 から西北西方 6 km 弱の ] 七又 断崖付近の潮間帯の一部に小分布がみられる。
層序 : 本層は DOAN et al.(1960)の Gusukube shale, UJIIE and OKI(1974)の Minehara Alternation 及び 中川ほか(1976)の嶺原層に相当するものである。
本層は 下位の城辺層 [ Gs ] と漸移関係を示し, 上位の琉球層群とは 傾斜不整合関係をしめしている。
岩質・層厚 : 本層は 褐炭~黄褐色を呈する中粒~粗粒砂岩と暗灰色 緻密質な泥岩との互層である。 互層の型式は 厚さ 2~4 m 内外の砂岩単層と 厚さ 10~30 m 内外の均一質泥岩との互層で, いわゆる 泥岩勝ちである。 砂岩は やや粗雑で 上方細粒化の級化がみられるが, 全体として凝灰質である。 砂は 円磨度のよい石英粒を主とするが, 岩酸塩起源の岩片 並びに 新鮮な石英粒らが 僅かであるが確認される。 泥岩は 均一質 緻密で 有機質にとみ やや粘性のあるもので, 本島に分布する島尻層群全体をつうじて もっとも緻密 細粒なものである。 層厚は, おそらく 城辺層と同様に 南東方向に発散状に厚層化するものと推定されるが, 本地域で確認される層厚は 200~400 m である。
化石 : 本層より産出する化石は 第 23 図で示すような有孔虫化石, 並びに, 保良 部落の南海岸より採取される大型化石が明らかにされている。 有孔虫化石 [ および 大型化石 ] の産出層準の層序的位置の概略は 第 20 図に示してある。
保良 部落の南の海岸よりの [ 採取地点 ] Hm-1 と Hm-2 より産出する大型化石は 次のようなものである。
H-1 産地の引用は UJIIE and OKI(1974)による。
H-2 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
H-3 産地の引用は UJIIE and OKI(1974)による。
H-4 産地の引用は UJIIE and OKI (1974) による。
H-5 産地の引用は うるま資源開発株式会社の宮古島地区有孔虫化石調査報告(1974 ; M.S.)による。
以上, 島尻層群の分布 並びに 岩相についてのべたが, 上位の うすい琉球石灰岩 及び 大野越粘土 [ On ] らによって被覆されることから, 大部分の島尻層群の露頭地域は 限定される。 したがって, 本島における島尻層群の分布の全貌を知ることは困難であるが, 1970 年度に実施した重力探査 並びに 沖縄総合事務局の地下水探査坑井地質を検討して, 本島における島尻層群の各累層の分布を推定すると, 第 31 図に示すようになるものと考えている。
| 累層 | 有孔虫化石 | N 分帯 |
| 大神島層(Ok) | … | N.17 |
| 城辺層(Gs) | … | N.18 |
| … | N.19~20 | |
| 平安名層(He) | … | N.21~22 |
従来は 南西諸島の広い地域に分布する礁石灰岩を 一括して いわゆる 「琉球石灰岩」(YABE and HANZAWA, 1935)と呼んできたが, 石灰岩の層序や形成時期をめぐって 具体的な論議がなされるようになったのは, 本土復帰以後である。 沖縄を占領した米軍は, 戦後 いちはやく 沖縄本島(FLINT et al., 1959), 宮古島(DOAN et al., 1960)及び 石垣島(FOSTER et al., 1960)などの主要の島の地質調査を実施し, その成果を発表した。 宮古島を担当した DOAN et al.(1960)は, 宮古島の周辺離島(大神島・池間島・伊良部島・下地島・来間島)を含めて調査を実施し, その成果を2万分の1地質図として完成させ, 300 頁に達する説明書を発表した。
この地質図 並びに 説明書 本地域における最初の地質総括である。 その後, 第6次沖縄天然ガス調査講師団(1970)により, 地質調査・地化探査 及び 重力探査が実施され, 5万分の1地質図を完成している。 本地域の琉球石灰岩の層序区分を最初に試みたのは DOAN et al.(1960)である。 その後, 本地域の石灰岩の形成時期を含めて 第 1 表に示されるように, 多くの石灰岩名がつけられているが, いまだに異論がある。
しかし, 石灰岩の形成時期 及び 琉球層群の区分については 琉球列島の地質学コロキュム, 第 1 回(1976)・第 2 回(1977)などの討論の結果をみると, 全体の流れとして 琉球層群は更新世に形成されたもので, 新旧2つの石灰岩に区分される ということに対しては 大方の賛同があるようである。
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||
第 32 図に示すように, 本地域に分布する琉球層群は 岩質・包有物らから4つの単元に区分して, 下位から 保良 石灰岩 [ Bo ] , 友利 石灰岩 [ To ] , 平良 石灰岩 [ Hi ] 及び 下地島 石灰岩 [ Sm ] によって構成される。
分布は, [ 宮古島の東岸の与那浜崎の南方の ] 城辺町 比嘉 部落の北部の丘陵地帯(本島でもっとも高標高の台地)と [ 宮古島の西岸の与那覇湾の北方の ] 平良市 久松 部落の東方の山地に推定される2つの地域を中核として, その周辺部に裾礁形態を示して分布したものが, 北西 - 南東方向の断裂運動にともない南西方向へ傾動し, それに 新しい友利石灰岩・平良石灰岩 及び 下地島石灰岩が 第 33 図に示すように 順次形成されたもので, 全般を通じて 南東部が古い石灰岩で構成され, 北西部~南西部にかけて比較的新しい石灰岩に構成される関係から, 西側ほど新しい石灰岩の分布がみられる。
層序関係は, 第 34 図にみられるような露頭でみる限り, 下位の島尻層群との関係は 大きな不整合とみなされないが, 地域の北部と南部では 不整合で接する島尻層群の累層が異なっている。 すなわち, 北部では 島尻層群の下位層準の大神島層と不整合で接し, 南部では 上位層準の平安名層と不整合関係を示していることから, 広域的な単元では 大きな傾斜不整合とみなされる。
| (西端) 友利海岸 |
←→
500 m | ④ |
←→
400 m | ③ |
←→
300 m | ② |
←→
250 m | ① |
←→
600 m | ムイガー断崖(東端) |
第 35 図は [ 宮古島の南岸の東西中央付近の ] 友利石灰岩の模式地であるが, この海食断崖から [ 東方 2.5 km 弱の ] ムイガー断崖にかけての 琉球層群の層序関係と島尻層群との関係を示した地質柱状図が 第 36 図である。 この図で明らかなように, 島尻層群は [ 地点 ] ③ 以東の柱状図において確認され, それより以西では確認されていない。 保良石灰岩は ムイガー断崖と [ 地点 ] ① 及び ② の柱状図で確認されるが, ① と ③ のほぼ中間点にある ② の柱状図では保良石灰岩が欠除し, 友利石灰岩が直接 島尻層群に不整合で接している。 友利石灰岩の下部は 友利海岸と ② 及び ④ の各柱状図で確認されているが, その他の柱状図の地点では未確認である。 すなわち, 保良石灰岩の確認される柱状図においては, 友利石灰岩の下部が欠除していることが判然としている。 さらに, Tm-2 鍵層が 友利石灰岩の下部が確認される場所では厚層化するのに対して, 保良石灰岩の確認される柱状図の地点では薄層化する傾向がみられる。 この図にみられる関係が不整合とみなすか, あるいは 横の関係とみなすかが 問題となる場所である。 筆者らは, 岩相の極端な相違, 並びに 現場の露頭において不整合とみなされる境界が追跡可能なこともあって, 両者の関係をアバット状の不整合とみなしている。 友利石灰岩と平良石灰岩の関係は 本地域の大部分で整合, 一部で不整合とみなしている。 平良石灰岩と上位の下地島石灰岩の関係は, 賀田(1886)の「新旧2つの石灰岩の区分層準」に対応し, 高安(1976)の 「琉球層群の下部(琉球石灰岩)と上部(段丘石灰岩)との境界」に相当するもので, この間には「うるま変動」(沖縄第四紀調査団, 1976)という変動期をへている関係上, 大きな傾斜不整合とみなしている。
岩質は, 石灰岩岩片礫 及び 石灰礫岩の保良石灰岩, 互層型石灰岩と呼ばれる友利石灰岩, 石灰藻ボール [ = 石灰藻球 ? ] 石灰岩の平良石灰岩 及び, サンゴ礫石灰岩を主とする下地島石灰岩に区分される。
層厚は 琉球層群全体で 30~70 m 内外で, このうち 保良石灰岩が 0~15 m, 友利石灰岩が 30~70 m, 平良石灰岩が 4~20 m, 下地石灰岩が 4~16 m 内外である。
化石は 多くみうけるが, 同定出来るものは少ない。 貝化石の多産するのは 保良石灰岩と友利石灰岩の中部 及び 上部で, 平良石灰岩 及び 下地島石灰岩は頻度が少ない。 同定される化石のうち 地域全般にわたって高頻度に産出されるものは Periglypta sp., Pecten naganumanus YOKOYAMA, Plicatula muricata SOWERBY などである。 特に, [ 友利石灰岩の ] 中部層の上限付近には, Perotrochas (Mikadtrochus) hirasei (PILSBRY) と思われる化石を得ている。 この種の化石は 生時のときに 普通は 200~300 m 内外の深さが知られている。 特に, 前述した Plicatula muricata の産出する層準の上下付近には, Flabellum spp., Venus (Ventricolaria) toreuma (GOULD), Nemocandium bechei (REEVE) らの化石が共存している。 これらの化石の種も 生時の水深が普通は 60~230 m 内外といわれている。 このことから検討してみても 友利石灰岩の形成時の堆積環境は以外と深いものと推定される。
以上にのべた化石のうち 産出頻度の多い産地を線で結んでみると 第 37 図のように追えることから, [ これらの化石は ] 鍵層的な意味をもつものである。
命名 : 矢崎清貫(1976)
模式地 : [ 宮古島の南東部の ] 城辺町 保良 部落の南海岸の海食崖の頂部。
分布 : 第 38 図にみられるような 城辺町の北部地域の [ 宮古島の東岸の与那浜崎の西方 2.5 km 弱の ] 増原 から [ その南東方の ] 比嘉台地 [ 第 3 図参照 ] をへて 東平安名岬に達する台地状 ないし 山地状地形域 並びに, 北北西 - 南南東方向を示す山地状の高地などに大部分が分布する。 このほか, 断層運動に伴う転位との関連が考えられる部分が [ 宮古島の西岸の与那覇湾の北方の ] 平良市 久松 部落の東部の丘陵地に小分布がみられる。
層序 : 本石灰岩は いわゆる琉球石灰岩と呼ばれ, 岩体の最下位の層準を構成するものであるが, 比較的薄いこともあって 分布それ自体も余り広くない。 上位の友利石灰岩 [ To ] と不整合。 特に, 下位の島尻層群とは大きな不整合である。
岩質・層厚 : サンゴ礫 及び 石灰岩の岩片礫を含有する石灰礫岩である。 サンゴ礫は 径 30~60 cm 内外のものが主で, 生時の状態を示すものが多い。 石灰岩岩片礫は 径 20 cm 以内の角礫~亜角礫状を呈している。 石基に相当する充填物は 炭酸塩岩砕屑砂岩 及び 有孔虫化石砂岩が主であるが, 一部にはラテライト質の赤色~赤褐色の粘土が割目を充填している。 層厚は 地域によって変化があるが, 15 m 以下である。
化石 :
命名 : 第6次沖縄天然ガス資源調査講師団(1970)
模式地 : [ 宮古島の南岸の東西中央付近の ] 城辺町 友利海岸
分布 : 本図幅地域でもっとも広い範囲に分布する石灰岩で, 地域の山地状地形域の高地の大部分が本岩によって構成されている。 特に, 北北西 - 南南東方向のいわゆる北山脈, 中山脈 及び 南山脈の幅の狭い山頂部に帯状の顕著な分布がみられる。 このほか, [ 宮古島の西岸の与那覇湾の北方の ] 久松~ [ 与那覇湾の東方の ] 川満 ~ [ 川満の南南東方 2.5 km の ] 嘉手苅 を結ぶ 平良 台地 [ ← 第 3 図によると「 野原 台地 もしくは 大野越 台地」? ] と下地台地の段差が変移する斜面, 並びに 来間島の周辺部の山地状地形域に分布する。
層序 : 本石灰岩は いわゆる琉球石灰岩と呼ばれるものを代表する石灰岩 で, 層厚 及び 分布においても 他の石灰岩とは比較にならないほどの広域性をもち, 琉球層群のなかでの重要な部分に相当する。 岩質・基質包有物 及び 化石らから 本岩は 上部・中部 及び 下部にわけられる。 本地域の東部では 下部 及び 中部がよく発達するが, 上部の大部分が欠除するのに対して, 南西部では 下部 及び 中部の大部分が欠除し, 上部が対称的によく発達している。 いわゆる 東から西への 第 39 図に示すような将棋倒的な堆積形態がうかがわれる。 下位の保良石灰岩 [ Bo ] とはアバット状の不整合で, 上位の平良石灰岩 [ Hi ] とは 一部で不整合であるが, 大部分は整合とみなしている。
岩質・層厚 : 下部は 塊状 均一質の炭酸塩岩の砕屑物の細粒物から形成される泥質塊状石灰岩である。 基質は 微晶質である。
中部は 琉球石灰岩と呼ばれる石灰岩のなかで 特徴的な岩相を示す層準で, 普通は 互層形石灰岩と呼ばれている部分に相当するもので, 互層の形式は, 第 40 図 及び 第 41 図にみられるように, 塊状石灰岩の 60~100 cm 内外のものと, 層状の 30~60 cm 内外の有孔虫石灰砂岩との互層である。 塊状の藻石灰砂岩には 藻ボール 並びに 貝化石が多く産出する。 とくに, 中部層の上限を規定する付近からは 水深の深い Perotrochus (Mikadtrochus) hirasei (PILSBRY) が模式地付近で採取されている。
この Perotrochus の産地の下位 2~4 m 付近には Pecten naganumanus YOKOYAMA の化石床( Tm-1 鍵層 )があって, 本地域全般によく追える。 さらに, 本部層 [ = 友利石灰岩の中部層 ] の中位の層準には [ 生息地が ] 水深 60~230 m 内外といわれる Plicatula muricata SOWERBY が多産する層準があって, 鍵層として部分的に追跡出来る。
層状の有孔虫石灰砂岩のうち 本部層の下限を規定する付近には, 偽層を呈する粟石状の有孔虫石灰砂岩( Tm-2 )の鍵層がみられ, 全地域によく追跡出来る。 この Tm-2 鍵層の基底には 場所により有孔虫化石団塊がみられ, そのなかには Opercalina bartchi らしき化石がみられる。
上部は 中部層と同様な互層状を呈するが, 石灰藻石灰砂岩の厚さ 1~4 m の塊状部と主として, 有孔虫石灰砂岩の厚さ 0.1~0.3 m の層状部の比が 8 : 1 内外を示す, いわゆる塊状部勝ちの互層である。 両者の関係は漸移することから 境界は明らかにすることは困難であるが, 介在する二枚貝が 大型となり かつ 浅海域のものが多くなる特徴がある。
層厚は 全体で 30~80 m, 上部は 10~30 m, 中部は 20~40 m, 下部は 10 m 以下である。
化石 : 本石灰岩には 多くの化石がみられるが, 石灰岩に溶けこんでいる関係もあって 同定は困難なものが多い。 しかし, 第 40 図に示したような産地から 次のような化石が産出されている。
命名 : 第6次沖縄天然ガス資源調査講師団(1970)
模式地 : 宮古島 平良市の市街地周辺 [ ← 本図幅地域の中央やや北西の宮古島空港の北西方 1~3 km ? ]
分布 : 主として [ 本図幅地域内の宮古島の北西部の ] 平良港を取りまく周辺海岸線に近い丘陵地に標式的に分布する。 このほか, 南山脈 [ 第 3 図参照 ] と川満~ 嘉手苅 部落を結ぶ 野原台地 [ 第 3 図参照 ] の西縁部の丘陵地に挟まれた台地の上に 孤立状の小丘陵状を呈し, ほぼ北北西 - 南南東につらなるいくつかの小分布がみられる。
層序 : この石灰岩は 主として宮古島の北西海岸線に沿って 限られた地域だけにみられるもので, 層序的な位置づけに多少の異論もあるが, 友利石灰岩 [ To ] と下地島石灰岩 [ Sm ] とに挟まれる層準のものであることは確かである。 しかし, 場所により 下位の友利石灰岩とはかならずしも不整合とは言い切れず, 一部不整合で 一部整合とみられている。 特に, 本図幅のように 友利石灰岩の上部層のよく発達している地域では 明瞭な不整合関係が確認されず, 整合 または 横の関係とみなされる場所が多い。 上位の下地島石灰岩とは, 「うるま変動」(沖縄第四紀調査団, 1976)という変動期を経過してから以後の石灰岩であることから, 明らかな不整合とみなされている。
岩質・層厚 : 主として炭酸塩岩砕屑性の粗粒石灰砂岩と石灰藻ボールによって構成さる石灰岩で, 一見 礫状を呈する。 石灰藻ボールの円礫 3~7 cm と, 基質に相当する部分が 炭酸塩岩砕屑砂によって凝固されているが, 膠結は不完全で 一部は未凝固の部分がみられる。 本石灰岩の基質を構成する砕屑砂は, 風成相起源と考えられるレス状の不純物が多少混入することもあって, 他の石灰岩に比較して褐色~黄褐色が強い。 このことをうらづけするものとして, 本石灰岩の一部には褐色~赤褐色を示す, やや軟弱な風成層とみなされるレス状の砂を多く混入する 厚さ 20~30 cm の炭酸塩岩砕屑砂層が 1~2 枚介在し, 地域的に追えることもあって H-1・H-2 鍵層 としているものを介在している。 全体の厚さは 4~8 m である。
化石 : 本岩は 総体的に化石は少ないが, 宮古農林高校 [ 位置不明 ; 宮古島空港の北西方 3 km ? ] 付近の採石場から下記のような化石が産出している。
命名 : 矢崎清貫(1976)
模式地 : [ 本図幅の西隣の伊良部島図幅地域内の ] 下地島の西海岸
分布 : 本地域の [ 宮古島の ] 北西海岸から平良港~与那覇湾~来間島海峡をへて [ 宮古島の ] 南海岸の [ 東西中央付近の ] 友利部落にかけての海岸線, 及び 来間島周辺の海岸線にみられるものが主なものである。 産状は 海岸線に沿って幅の狭い 海面上 2 m 内外のベンチ状の形状を示して分布する。
層序 : 本石灰岩は, 南西諸島が島嶼化された後に, 主として海水面変動にともなって形成された石灰岩である(矢崎, 1977c)。 すなわち, 「うるま変動」(沖縄第四紀調査団, 1976)以後の時代に形成されたものと推論される。 高安(1976)によると, 沖縄本島における互層型石灰岩と上位の 読谷 石灰岩との関係は 層厚・分布・岩相 及び 構造など あらゆる点で大きな差があり, とうてい同一の範疇に入れることができない としている。 高安(1976)は, このような理由で「うるま変動」以後の石灰岩を段丘石灰岩と呼び, 琉球層群と区別して考えている。 したがって, ここで 本石灰岩を琉球層群として一括してあつかうか, あるいは 区分してあつかうかは 今後の検討課題であるが, 早急に結論が得られる可能性も少ないことから, 本報告では一括して琉球層群としてあつかった。 しかし, 賀田(1886)以来 琉球石灰岩として一括されているもののなかに, 明らかに新旧2つの石灰岩があるという考察結果は, 上述したように 現在も引きつがれ 今後の研究課題として残されている。 筆者らは ほぼ 高安(1976)らの考えと同様な意見をもつものである。
本石灰岩は 下位にある古い石灰岩をオーバーラップすることなく アバット状に接する。 いわゆる裾礁状の形状を示す石灰岩であることから, 場所によっては 核となるものが異なる。 例えば, 北西海岸では平良石灰岩, 与那覇湾付近では直接 島尻層群, 南岸の友利海岸付近では友利石灰岩らと不整合で接している。
岩質・層厚 :
本石炭岩は 模式地付近では 岩質の上から上・下 2 つの部層に区分されるが,
本地域の本岩は 大部分が上部層のサンゴ礫石灰砂岩である。
しかし,
[
宮古島の南西海岸の
]
入江湾の河口付近から
[
その西北西方 2.5 km の
]
皆愛
にかけての海岸線には 下部層の互層型の石灰岩が確認されている。
本石灰岩は
第 35 図
[
← 第 32 図 ?
]
のような岩質の特徴から
塊状を示す上部層と 層状を示す下部層
に分けられる。
上部層は サンゴ礫を包有するサンゴ礫中粒石灰砂岩を主とするが, 下部層は 粗粒~中粒石灰砂岩を主としている。 上部層に包有されるサンゴ礫は 径 20~30 cm 内外の楕円形を示すものが圧倒的に多く, 層理面に対して長軸がほぼ平行している。 サンゴは ほとんどが群体サンゴで, ハマサンゴ・キクメイシサンゴ・ナガレサンゴらが主なものである。 基質は微晶質で硬く, 鏡下でみると 石灰藻を主とする砕屑砂である。
下部層の層状石灰岩は 粗粒~中粒の石灰砂岩と, 粗粒有孔虫石灰砂岩を主とする石灰砂岩であるが, 前者が 30~60 cm に対して 後者は 3~5 cm と薄い互層である。 厚い部分に相当する粗粒~中粒石灰砂岩の基質は 粗晶質で, やや柔かく, 石灰藻とみなされる生物遺骸砕屑物が多い。 これに対して, 薄い部分に相当する粗粒有孔虫砂岩を主とする石灰砂岩の基質は, 有孔虫砂とそのほかの生物遺骸砕屑物であるが, 圧倒的に有孔虫砂が多い。 このようなことが理由になるのか, 切り立った崖においては差別浸食をうけ, 薄い部分が凹み, 厚い部分が凸している。
層厚は 4~16 m 内外が予想されるが, 概して入江湾の河口付近 及び 来間島周辺部で厚く, その他の地域では比較的薄い。 上部層は 2~8 m, 下部層も ほぼ同様な 2~8 m である。
化石 : 本石灰岩に含まれる化石は 二枚貝 及び 巻貝であるが, 全般を通じて少ない。 化石は次のようなものが産出している。
以上, 琉球層群の石灰岩についてのべたが, 本地域を含めたいわゆる宮古島諸島の琉球石灰岩 及び 完新世の石灰岩の対比を考慮すると, 第 3 表に示すようになる。
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本地域に分布する完新統は 大野越 粘土 [ On ] , 風化土壌 [ So ] , 西浜崎 古砂丘堆積物 [ S2 ] , 砂丘堆積物 [ S1 ] , ビーチロック [ B ] , 岩屑 [ Te ] 及び 現生サンゴ礁 からなる。
命名 : 第6次沖縄天然ガス資源調査講師団(1970)
模式地 : [ 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の南南西方 2 km 強の ] 宮古島 大野越の付近一帯
分布 : 本地域の山地状地形域 並びに 海岸線沿いのベンチ付近の荒地をのぞいた, 主として耕地を形成する平坦状の地形域に広い分布がみられる。
層序 : 鹿間時夫(1952)の宮古層 及び, DOAN et al.(1960)が Miyako Soils と呼んでいるものの一部に相当するものである。 矢崎(1977c)が指摘するように, 本粘土は 本地域が陸化された以後, 完新世に至る間において基盤岩の風化によって形成された, 第 42 図にみられるような風化陸成層である。 したがって, 厳密な地質時代を考えると 一部には島尻層群以後から現在に至る地質時代が含まれる。 主として 島尻層群形成以後~ 下地島形成前にかけての時期に形成されたものに対して 本粘土と呼び, 下地島石灰岩形成以後に形成されたものを 後述する風化土壌としてあつかった。
岩質・層厚 : 赤褐~黄褐色の砂質粘土を主とし, 一部に酸化鉄の径 5~7 cm 内外の円礫状団塊を密集的に介在する部分がある。 この酸化鉄団塊の化学組成は SiO : 13.36 %, Fe2O3 : 57.72 %, Al2O3 : 9.00 %, H2O (+) : 14.88 %( [ 地質調査所 ] 技術部の阿部喜久男技官による)である。 層厚は 2~10 m 内外である。
模式地 : [ 宮古島の南岸の西部の上野村の ] 宮国 及び 新里にかけての南海岸線に沿って発達する ベンチの上にみられる耕地
分布 : 模式地付近から [ それらの西方の ] 入江湾の河口付近 並びに [ その対岸の ] 来間島の南西海岸の一部にかけてのベンチ上に 幅 200 m 内外の細長い帯状分布がみられる。
層序 : DOAN et al.(1960)の Miyako soils の一部に相当し, 下地島石灰岩の形成以後の風化陸成粘土である。
岩質・層厚 : 主として琉球石灰岩の風化堆積物 及び 大野越粘土の2次的風化堆積物であるが, 一部には赤褐~褐灰色を示す砂質のレス状の風成堆積物も含まれている。 厚さは 0.5~2 m 内外である。
命名 : 矢崎清貫(1976)
模式地 : 宮古島の西岸の ] 与那覇湾の西方の西浜崎から 前泊 [ ← 西浜崎の南方 3.5 km の「前浜」? ] にかけての海岸線の小丘陵地。
分布 : 模式地付近から入江湾の河口付近 及び, 来間島の南西海岸線に沿う小丘陵地域に幅 200 m 内外の細長い帯状分布がみられる。
層序 : 本砂丘堆積物は おそらく 縄文海進(Hypsithemal) と呼ばれる海進期の形成によるものと推定されるもので, 現海水面より +5~-6 m の小丘陵を構成するものである。
岩質・層厚 : 灰白~暗灰白色を呈する 円磨度の進んだ中粒 均一質の炭酸塩岩砕屑砂を主とする, いわゆる砂丘堆積物であるが, 一部には膠結の進んだ部分もあり, 一見 石灰岩とみなされる部分が発達する。 本堆積物のなかには 不均一で不透明な石英砂 及び レス状の岩片砂が多く混散することから, 後述する新期の砂丘堆積物 [ S1 ] に比較して やや暗灰白色を呈している。 厚さは 1~6 m である。
模式地 : [ 宮古島の西岸の与那覇湾の西方の ] 西浜崎から [ その南方 3.5 km の ] 前浜にかけての海岸
分布 : 模式地付近にもっとも広い分布がみられるが, 地域の北東海岸から東方海岸にかけての砂浜海岸 並びに, [ 本図幅地域の北西部の ] 平良港周辺や [ 本図幅地域の南西部の ] 来間島の船着場付近に小分布がみられる。
層序 : 現海岸線に形成されている現在の浜丘堆積物である。
岩質・層厚 : 灰色~白色を呈する 円磨度の進んだ 中粒 均一質の 炭酸塩岩砕屑砂 及び 有孔虫砂を主としている。 厚さは 2~3 m である。
模式地 : [ 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の南南西方 1.5 km の ] 白川田 水源地の東方の砂浜海岸
分布 :
主として
地域
[
← 宮古島
]
の北東海岸から東方海岸にかけての幅の広い砂浜海岸に模式的な分布がみられる。
このほか,
[
宮古島の西岸の与那覇湾の北方の
]
久松付近の海岸に小分布がみられる。
岩質・層厚 : 主として群体サンゴの岩片礫 及び 石灰岩岩片礫の 径 5~10 cm 内外の亜角礫状礫岩を主とするが, 一部には 粗粒炭酸塩岩岩片を主とする砂岩と互層を示す部分もある。 膠結は かなり進んでおり, 古くは一般家庭の防風用建材として使用されたとのことである。
厚さは 0.5~1.5 m 内外である。
本地域の東方海岸に沿う断崖の潮間帯付近の一部には, 断崖頂部より落下した岩屑状の岩海部が発達する。 岩屑の大部分は 石灰岩の巨礫で, 径 1~3 m 内外のものを主とするが, なかには径 5~10 cm にも達するものが含まれる。
本地域の北東海岸から東方海岸にかけての沖合 500~3,000 m 内外には, 保礁状の礁壁が発達している。 また, 南の海岸線 及び 来間島周辺部の沖合 500~1,000 m には, 礁原状の現生サンゴ礁が形成されている。 これらに対して, 南の海岸の一部である友利海岸から保良海岸に沿う沖合には, 現生サンゴ礁の形成が認められない。 このことは 水深の深さ 並びに 新しい時代の陥没らが考慮される。 このほか, [ 宮古島の東岸の ] 平瀬尾神崎付近からほぼ東方の沖合 3 km に達する縞状の保礁があって, さらにその延長方向 4 km の沖合には 孤立した「ツフツワ 干瀬 」と呼ばれる暗礁がある。
本地域は 琉球弧が北東 - 南西方向から東北東 - 西南西に転位する会合部に相当し, 小西(1965)の宮古山稜に相当する付近に位置している。 本図幅地域の主な断裂系には 次の3つの方向のものがある。 すなわち,
北北西 - 南南東方向を示す断裂系の主なものは, [ 本図幅の北隣の宮古島北部図幅地域の ] 大浦湾から [ 本図幅地域の北端付近の ] 西原をへて南岸のムイガーに達する いわゆる中山脈を形成した 数条の断層(大浦断層)及び, [ 宮古島の西岸の与那覇湾の北方の ] 久松の東方付近から [ 宮古島の南東海岸付近の ] 宮国の西方へつらなる 野原台地と下地台地を区切る変移斜面山地付近にみられる 数条の断層(久松断層)が大きなものである。 これらの断層のうち落差の大きなものは 北山脈 及び 南山脈を形成する断層, すなわち Ⓑ ブロック(第 3 図参照)地域にみられるものが顕著な断層である。 このほか, 地域東方の比嘉付近 及び 新城付近に, ほぼ同一方向の断裂系が多く確認 あるいは 推定されている。 これら一連の断裂系の転位方向は ほとんどが垂直成分のもので, 大部分のものは東側落ちのステップ状の段差を示しているが, 大浦向斜 及び その延長と推定される根間地向斜らの右翼部では, 軸部に対してステップ状の西側落ちの成分を示すものが多い。 落差の大きなものは, 中山脈を形成する大浦湾~ムイガーを結ぶ大浦断層を含む断裂系がもっとも大きく, 100~1,500 m 内外の転位が推定され, これについで 久松の東方~宮国の西方を結ぶ久松断層を含む断裂系で, 落差 70~100 m 内外の転位が推定されている。
北東 - 南西のいわゆる琉球弧方向にほぼ平行する断裂系は, 大浦断層より東方の地域に多くみられる。 このうちの主なものは 新城から友利海岸を結ぶ断層, 保良付近が七又海岸へのびる断層 及び, 白川水源から与那覇湾をへて来間島の北部に達する推定断層がある。 このほか, 東北部に 2~3 条の断層が確認される。 これらの断層の転位方向は ほとんどが垂直成分で, 層序的な欠除が顕著でないことから 落差は少ないものと推定される。
西北西 - 東南東方向の いわゆる大東海嶺方向にほぼ平行する断裂系は, 第 43 図の地質構造図に示すように 高密度である。 このうち特に顕著なものは, 新城の北部から根間地付近をへて [ 宮古島の西岸の与那覇湾の北岸の ] 松原の南方に達する 宮古島のほぼ中心部を胴切するような断層である。 このほか, 地域全体にわたって ほぼこの方向に平行する小断層が数多くみられるが, いずれも小規模のものである。 転位の方向は, 前述した2つの系裂と異なり, いわゆる横ずれの成分を主とする断層である。 特に, 一部では層序的大欠除が推定されることから, 北側の地畳からの つきあげ的な要素を持っている可能性もある。
これらの断裂系のうち 北北西 - 南南東方向を示すもの [ 1 ] は 小西(1965)の指摘する宮古凹地 及び 宮古山稜らを形成する方向のもので, 矢崎(1978b)のいわゆる琉球弧を胴切する低下帯らを構成する変動に伴うものとみなされる。 北東 - 南西方向を示す断裂系 [ 2 ] は いわゆる琉球弧にほぼ平行するもので, 琉球海溝(南西諸島海溝)及び 沖縄舟状海盆らを形成する変動の一連のもので, 坊城ら(1972)の指摘する琉球構造線らも 本断裂系の同様な機構のなかでの形成とみなされる。 西北西 - 東南東方向の断裂系 [ 3 ] は いわゆる大東海嶺方向にほぼ平行するもので, 沖縄本島の南部にみられる 天願 断層らと同一の性格の変動に由来するものと考えている。
以上の3つの断裂系の変動機構の背景をのべたが, 個々の断裂系の新旧については 明瞭な判定をつけかねている。 しかし, 宮古諸島 及び 周辺海域らを含めて検討すると, いわゆる琉球弧方向のもの [ 2 ] がもっとも古く, 新期のものが 大東海嶺方向 すなわち 西北西 - 東南東方向のもの [ 3 ] と考えている。 北北西 - 南南東方向 [ 1 ] を示す いわゆる胴切断層は, 第 44 図にみられるように 大部分で石灰岩を切ることから, 大東海嶺方向の断裂系 [ 3 ] とほぼ同時期ではないかと推定している。
本地域の島尻層群の走向は 概して 北西 - 南東方向のものが主であるが, 一部には東 - 西方向に近いものもみられる。 傾斜は, 従来は 島尻層群の広い分布がみられる [ 宮古島の ] 北東~東部の海岸地域だけの資料によって 南西傾斜の単斜構造とする意見が多かった。 しかし, 内陸部の露頭が多く確認され, そこではいずれも東側傾斜を示していることが判明し, 従来のような単斜構造ではなく 後述するような 1~2 本の向斜構造が確認されている。 なお, 南西傾斜とする従来の考えかたは 地質図に示した低重力地帯と対立していたが, 東側候斜を示すことが判然としている最近の資料が, 本来の島尻層群の堆積盆地の中心部を示す順当な傾斜方向とみなされ, 重力探査の結果に対応出来るものとみなされる。
本地域の島尻層群の中には 保良付近に2条の小さな背斜が確認され, 大浦湾から白川田水源地付近にみられる大浦向斜 並びに, 根間地付近からムイガーの東方へつらなる根間地向斜 の2つの向斜が確認されている。 このほか, 推定であるが, 野原付近 及び 洲鎌付近に 断層に伴う撓曲的な背斜が予想される。
琉球層群の石灰岩が, 道路の補修用 並びに コンクリートブロックの骨材用として, 広い範囲にわたって採石されている。 特に最近は 平良港の港湾工事に伴ない, 第 45 図にみられるような大規模な採石事業が行われている。 このほか, [ 宮古島の南岸の西部の ] 宮国 部落の南部で, 友利石灰岩の上部の塊状部の石灰岩をトラバーチン [ travertine ; 石灰質化学沈殿岩 ] (建材用)として 小規模な切出しが なされている。
本地域の地下水の大部分は 島尻層群の泥質岩と琉球層群との不整合面からの湧出で, 島尻層群の泥質岩が不透水層を形成し, 琉球層群が帯水層の役目をしている。 第 46 図に示すように, 主な水源地は 地域の東部 及び [ 宮古島の西岸の与那覇湾の南方の ] 洲鎌付近の 島尻層群の比較的広い分布地域に集中している。 このうちで 湧出量の大きな水源地は [ 宮古島の東岸の平瀬尾神崎の南南西方 1.5 km の ] 白川田 , [ 宮古島の西岸の与那覇湾の南方の ] 下地 及び [ 宮古島の南岸の東西中央やや東方の ] ムイガーらのものである [ 第 46 図参照 ] 。 特に 白川田水源は 宮古島全島の生活用水として利用され, さらに 離島の池間島 及び 来間島の生活用水を満たす豊富な水源である。
宮古島の平年に降る雨の量は 3.6 億 m3 で, このうち 1.7 億 m3 内外が地下水であることから, 南西諸島のうちもっとも地下水の豊な島とされている。 しかし, 大部分の地下水は, 第 46 図に示したような 島尻層群と琉球層群の不整合面にみられる水源から海へ流出し, 実際に利用されているものは 1 万 m3 /日 内外と推定されている。 この海へ流出する地下水を止めるために, 沖縄総合事務局において地下ダムの建設が進められている。
島の生活用水を満たしている白川田水源は, 地質構造で述べた大浦向斜の軸部に位置していることから, ある意味での地質構造的な地下ダムに相当している。
本地域の陸上部 及び 周辺海域を含めて, 可燃性炭化水素鉱床が期待されている地域であることから, 石油開発関連企業の調査研究が頻繁に実施されている地域であるが, 現在まで 試験坑井は掘られていない。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Miyako-jima (19) No. 4
By Kiyotsura YAZAKI and Katsura OYAMA (Written in 1980)
Miyako-jima, an island of the Ryūkyū Group, is situated along a southern margin of the Eastern China Sea. This island belongs to non-volcanic zone in the Ryūkyū Arc, and there are north to it, a lot of islets, such as Fude-iwa, Ōkami-shima and Ikema-shima, and south-west to it, Irabu-jima and Kurima-shima.
This sheet map area is geologically composed of Neogene - Tertiary sediments (Simajiri Group), Quaternary limestones (Ryūkyū Group) and Holocene sediments. The geological sequence of the area is shown in Table 1.
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Shimajiri Group is divided into the Ōkami-shima, the Gusukube and the Henna Formations in ascending order. However, Pinfudake Mudstone, the uppermost member of the Ōkamishima Formation, and the Gusukube and Henna Formations outcrop in this area.
Pinfudake Mudstone is siltstone with acid tuff and sandstone.
Gusukube Formation conformably overlies the Pinfudake Mudstone, and outcrops in the north-east sea shore and Gusukube-machi. This formation is siltstone intercalated with sandstones (Pinfudake, Nobaru and Masubaru) and conglomerate (Higa), and abundantly yields fossils as shown in Japanese Text. The thickness of this formation is 700 to 900 m.
Henna Formation overlies the Gusukube Formation, and outcrops in the south-east sea shore and Gusukube-machi, south of this area. This formation consists of alternation of sandstone and mudstone (rich in mud layers), and abundantly yields fossils. The thickness of this formation is 200 to 400 m.
This group is divided into the Bora, the Tomori, the Hirara and the Shimojishima Limestones in ascending order.
Bora Limestone unconformably overlies the Shimajiri Group. This limestone outcrops in the east part of this area, and consists mainly of calcirudite. The thickness of this formation is 15 m in maximum.
Tomori Limestone unconformably overlying the Bora Limestone is divided into the lower, the middle and the upper members in ascending order. The lower member outcrops in the south coast of Tomori and consists mainly of massive calcirudite. The thickness of this member is below 10 m. The middle member extensively outcrops in this area and consists mainly of algal calciludite and foraminifera calcirudite intercalated with molluscan bed. This member abundantly yield fossils. The thickness of this member is 20 to 40 m. The upper member outcrops in the west area and consists mainly of alternation of algal calcarenite and foraminifera calcarenite (rich in algal calcarenite layer). This member yields fossils. The thckness of this member is 10 to 30 m.
The Hirara Limestone overlies the Tomori Limestone in partly conformable and partly unconformable relation. This limestone outcroping in the north-west part of this area consists mainly of algal calcarenite with loose carbonate clastic sandstone. It abundantly yields fossils. The thickness of this limestone is 4 to 8 m.
Shimojishima Limestone is divided into the lower and the upper members in ascending order. The lower member unconformably overlies to Bora, the Tomori and the Hirara Limestones, and outcrops in the south-west part of this area. This member is alternation of algal calcarenite and foraminifera calcarenite. The thickness of this member is 2 to 8 m. The upper member outcroping in the west part of this area consists mainly of coral boulder calcirudite and foraminifera clacarenite. The thickness of this member is 2 to 8 m.
Shimajiri and Ryūkyū Groups are covered with Holocene sediments, namely, Ōnokoshi Clay, Soil, Nishihamazaki Older Sand-dune Deposits, Sand-dune deposits, Beach rock and Detritus.
Ōnokoshi Clay composed of brown to red clay is distribured on the surface of plantations in Oura and Nobaru.
The Soil composed of brown to red sandy clay
is distributed on the surface of plantation of lower terrace in Kurima-shima and
Miyaguchi
[
← Miyaguni ?
]
.
Nishihamazaki Older Sand-dune Deposits is on the lower terrace as small hill in Nishihamazaki and Minaai.
The Sand-dune deposits forming 1 to 3 m high hills above the sea level are mostly composed of calcareous sand with small amounts of round quartz grains.
The Beach rock is carbonate clastic sandstone and distributed in north-east to east shore. The thickness is 0.5 to 1.5 m.
In several portions along the eastern shore, large limestone boulders are seen as detritus.
In this area, the major structure is represented by three fault groups, namely, 1) the direction of Kyushu - Palao Ridge meeting at right with the Ryūkyū arc (Ōura and Minami-sanmyaku Faults), 2) the direction being paralell to the Ryūkyū Arc, and, 3) the Daito Ridge direction of WNW - ESE. The Shimajiri Group forms Ōura and Nemaji Synclines dipping 8~18°W. in east wing and 15~25°E.in west wing.
昭和 55 年 12 月 24 日 印刷 昭和 55 年 12 月 28 日 発行 著作権所有 通商産業省 工業技術院 地質調査所 (C) 1980,Geological Survey of Japan