15094_1964

5萬分の1地質図幅説明書

垂水 たるみず

(鹿児島 第 94 号)

通商産業技官 太田良平

地質調査所

昭和 39 年


目次

I. 地形
I.1 概説
I.2 東岸地区
I.3 西岸地区
II. 地質
II.1 概説
II.2 時代未詳層群
II.3 第三紀流紋岩
II.4 第三紀安山岩
II.5 阿多火山軽石流
II.6 姶良火山軽石流
II.7 垂水砂礫層
II.8 旧期ローム層
II.9 降下軽石層
II.10 2次堆積軽石層(いわゆるシラス)
II.11 喜入砂礫層
II.12 新期ローム層
II.13 冲積層
III. 応用地質
III.1 金・銀鉱
III.2 砂鉄鉱
III.3 石材
文献

Abstract

1 : 50,000 地質図幅説明書(昭和 36 年稿)

垂水 たるみず

(鹿児島 第 94 号)


この図幅は昭和 35 年に 40 日間の野外作業を行ない, 引き続き内業をなし完成したものである。 調査に当たり鹿児島県庁企画調査室・垂水市役所および喜入町役場から諸便宜が供与された。

I. 地形

I.1 概説

この図幅地域は鹿児島県のほゞ中央部に位置する。 鹿児島湾を隔てて東西に相対する両陸地は, それぞれ大隅半島および薩摩半島の一部であり, これらを説明の便宜上, 東岸地区および西岸地区と呼ぶ。

西岸地区において, 海岸線がほゞ直線状に長く延びているのが注目される。 また東岸地区においても同様で, 垂水付近に台地をなして拡がる比較的新しい地層を除けば, その背後にある山地は, 西岸地区で直線状をなす海岸線と, およそ 21 km の間隔を保って, これとほゞ平行に図幅地域外に延びている。 北隣の鹿児島図幅地域内には姶良カルデラがあり, 南隣の開聞岳図幅地域内には, 阿多カルデラがあって, この図幅地域は両カルデラの中間部に位置する。 松本唯一 3) は「鹿児島湾は陸地の中に深く彎入した平面的輪廓において特異であるが, 海図を検し垂直的輪廓を考えると, さらに特異であるのに気がつく。 すなわちほとんど陸地で囲まれた海湾でありながら甚だ深く, 200 m を超える個所が少なくない。 かつては地質構造的地溝であって, その陥落帯ないしその延長に桜島・開聞・霧島および硫黄岳が噴出したと考えられていたが, それは逆であって姶良・阿多両火山が多量の物質を溢出させたので, その負圧力が大カルデラを生成せしめ, 次いで中間部の陥落を誘導し現今の地形を生じた」と述べた。 前述のほゞ平行に走る東西両海岸線は, 両カルデラの中間にある陥落地帯の両縁をなすものと考えられる。

I.1 東岸地区

この地区を地形的に次の3地域に分けることができる。 すなわち東方に分布し高く険しく連なる山地と, その麓に緩傾斜をなして拡がるいわゆるシラス台地と, そして台地と台地との間や海岸にある冲積平野の3つである。 前記の山地は高隈山地の西端部に当たり, 時代未詳層群からなるが, 花崗岩質マグマの迸入の影響を著しく受け, ホーンフェルス化し堅硬な岩石に変わり, 峨々たる山嶺を連らね壮年期の地形を示し, 最高点の 大箆柄 おのがら 岳(図幅地域外)は海抜 1,236.8 m である。 いわゆるシラス台地の高隈山地に続く部分は, 海抜約 200 m であるが, 西方ほど次第に低く, 垂水市街付近では高さ数 10 m の断崖を連ね海に臨んでいる(図版 1)。 このように東方ほど高く西方ほど低く, 本城川南方の台地上で, ほゞ原地形を示すと思われる平坦部の傾斜角は約 1.5°であり, これをそのまゝ延長し海面との交点を求めれば, 垂水市街西方約 2,400 m の沖に達する。 すなわち現在の海岸線との間の部分は, すでに侵蝕し去られたのであろう。

図版 1 本城川左岸から北方を望む。 ほゞ平坦な台地がいわゆるシラス台地で左側に垂水市街が見え, そのうしろに桜島が聳えている。 台地の右に続き高隈山地があり, 台地のうしろ中央に高く望まれるのが咲花平で大隅石の産地として知られている。

この図幅地域内ばかりでなく地域外をも含めて広く概観すると, 東隣の鹿屋図幅地域内にある高須・古江, この図幅地域内にある 浦河内 うらんこつち ・馬込および新御堂を通り, 北隣の鹿児島図幅地域内にある 海潟 かいがた とを結ぶ線はほゞ直線状をなし, これは既述のように構造線であって, この線から東側には 第三紀およびそれ以前の古期岩石や 姶良・阿多両火山噴出の熔結凝灰岩などが高く険しい山地を連ねて分布し, 滝やシラス台地に向かい断層崖を連ねているが, 西側にはこれらの岩石はまったくみられず, それ以後の新しい地層だけが分布し, かつ山麓に低い台地をなして拡がっており, 地形および地質に著しい相違がみられる。 いわゆるシラス台地の表面は姶良, または阿多カルデラの方向に高度を増しているのではなく, 高隈山地の方向に高くなっている事実は注目すべきであり, この台地の構成物質の大部分が高隈山地から供給されたことを示している。 現在ではこの台地に深い峡谷が刻まれ幼年期の地形を示し, 海岸の近くでは谷と谷との間に広い冲積平野がみられる。 陥落地帯の東縁をなす海岸線はほゞ直線状であるが, 垂水付近にのみいわゆるシラス台地ができて海岸線が突出しているのは, 背後の山地の分水嶺が高隈山地を東方に深く入り込み, したがって供給された物質の量が多かったためと解される。 この台地の南方海岸, たとえば古江や高須方面では海岸に沿い分水嶺がこれと平行に走っている。

I.3 西岸地区

西岸地区の地形を特徴づけているのは, ほゞ直線状をなして走る海岸線であり, この海岸線に沿いほとんど連続して断崖が連なり, 岩石がよく露出している。 この海岸線は前記の陥落地帯の西縁をなす構造線であって, 時代未詳層群や姶良・阿多両火山の熔結凝灰岩などが, 直ちに海に臨んでいるので, 陥落は両熔結凝灰岩の流出以後であることは間違いない。 しかし姶良火山の熔結凝灰岩は, 岩質がやゝ軟弱であるため, 海岸線は前記の構造線の位置から, いくらか後退していると考えられる。 現在 海中にある七ッ島, およびその北方約 1 km にある2島は, いずれも姶良火山の熔結凝灰岩からなっている。 阿多火山の熔結凝灰岩は, やゝ硬いため岬をつくることが多く, また磯をなして露出している。

時代未詳層群は図幅地域西縁に沿い, 壮年期の山嶺を連ね分布しており, 岩質の相違が山容にかなりよく現われているのが注意される。 たとえば砂岩からなる山地は堅硬であるため, 急傾斜の山体をつくり, 頁岩からなる山地は一般に比較的緩やかであって, 各種岩石の重畳からなる場合には, 山嶺の連亘により地層の走向が窺われる。 また熔結凝灰岩の分布する地域はなだらかな山容を示し, 時代未詳層群および安山岩が, 一般に峨々たる山容をつくっているのと対照的である。 いわゆるシラス台地は, 上記の諸岩石からなる山地の山麓に幼年期の地形を示して拡がっており, その分布高度は海抜 100 m 以下で, 基盤の起伏を一様に覆い, 海に向かい緩やかに傾斜している。 かつては現在の海岸線よりもさらに東方の海中へ延びていたと想像されるが, すでに侵蝕し去られたのであろう。 喜入部落付近の海岸線は, やゝ突出しいわゆるシラス台地が直ちに海に臨み, 基盤岩は露出していない。 この台地の成因は東岸地区における垂水付近のシラス台地と同様で, 背後の山地の分水嶺が, 付近よりも西方へ入り込んでいて, 供給された物質が多かったためと思われる。 いわゆるシラス台地は高さ数 10 m の断崖を連ね, これに深い峡谷が刻まれており, ときには台地と台地との間に冲積平野が拡がっている。 喜入駅北方には侵蝕から取り残され島のように孤立したシラス台地がある(図版 2)。

図版 2 中名西方の山地から海を望む。 島のように孤立したシラス台地のうしろに喜入市街がある

II. 地質

II.1 概説

この図幅地域内の最古の岩石は, おそらくジュラ~白堊紀と考えられる時代未詳層群である。 東岸地区で高隈山地をつくる時代未詳層群は, 西岸地区に分布するものと岩相をやゝ異にし, 前者の方が変質がすすんでいる。 すなわち 前者は黒色粘板岩と砂岩との互層からなり, 後者は砂岩層・頁岩層・砂岩頁岩互層および礫岩層の重畳からなるが, 両者の層序関係は鹿児島湾を隔てているため不明である。 また流紋岩および安山岩は西岸地区で見出され, 第三紀の噴出と思われる。

第四紀更新世に入って姶良火山, および阿多火山が相次いで噴出し活動を始めた。 阿多火山の主体は南隣の開聞岳図幅地域内にあり, その軽石流は周囲の山地の谷を填めて延び, この図幅地域内でもその一部が西岸地区にみられる。 姶良火山の主体は北隣の鹿児島図幅地域内にあり, 少なくとも数回に亘り軽石流を流出したが, この図幅地域内でもその一部が西岸地区北縁に近く分布しており, こゝでは阿多火山の1軽石流の上に載っている。 なおこの図幅地域内では, これら軽石流はほとんど熔結している。 これら火山噴出物の量が莫大であったので, 姶良カルデラおよび阿多カルデラを生じ, 続いて両カルデラ中間部の陥落を惹起し, 現在の鹿児島湾の地形がほゞできた。 東西両地区の海岸線は, 陥落地帯の東西両縁の構造線にほゞ相当し, 西岸地区では姶良・阿多両火山軽石流はこの構造線により断たれている。

第 1 図 垂水台地模式断面図

その後, 高隈山地から本城川をはじめ, その他の諸河川により運ばれてきた岩屑は, 山麓に扇状地を形成した。 この堆積物を垂水砂礫層と呼ぶ(第 1 図)。 この砂礫層中の礫のなかに, 高隈山地にある姶良火山の熔結凝灰岩が含まれているのは, 注目すべき事実である。 垂水砂礫層の上には旧期ロームが載っている。 その後, おそらく姶良カルデラから噴出したと思われる莫大な量の軽石が, 鹿児島県中部から南東部一帯の山野を広く覆って降下した。 山地に堆積した軽石は, やがて雨や風のため山麓に洗い流され再堆積し, いわゆるシラス台地をつくった。 これを2次堆積軽石層と呼ぶ。 西岸地区の喜入付近には, この上に喜入砂礫層があるが, これは局部的の扇状地堆積物である。 以上の諸岩石の上に新期ロームが載っている。

現世に入り隆起が行なわれ, シラス台地は侵蝕された。 また河川や海浜に沿い冲積層が分布している。

II.2 時代未詳層群

この図幅地域内における分布は, 東岸および西岸両地区とも狭少であるが, 南九州一帯に広く分布し, 時代未詳層群あるいは時代未詳中生層と呼ばれているものの一部である。 東岸地区に分布する本層は, 高隈山地の西端部をなすものであるが, この図幅地域内における分布がきわめて狭い上に, 西岸地区に分布する本層とはかなりの距離を隔てており, またいずれにも化石を産出せず, 岩相もかなり異なっているため両者を対比することは難かしい。

文献 2) によると, 薩摩半島南西端の川辺郡笠沙町 野間池の近くで, 本層中に鳥の巣石灰岩の小レンズ状体があり, このなかに上部ジュラ紀と思われる珊瑚および石灰藻の化石を産出するという。 この地点は, この図幅地域西縁から西方へ約 33 km を隔てている。

東岸地区

黒色粘板岩および砂岩の互層からなり, 一般に著しい接触変質を受けている。 東隣の鹿屋図幅地域内では, 本層の一般走向は N 15~30°E で, 西方に急傾斜しているが, 前述のように高隈山地の山脚を, 姶良・阿多両カルデラ中間の陥落地帯の東縁をなす構造線が走っているため, この構造線に近づくに従って, 本層の走向は次第にこの構造線の方向に変化し, 岩石も擾乱を受けている。 また地質図幅に示したように, 2本の断層があり地形にも現われている。 黒色粘板岩は堅緻であり, 剥理はあまり発達していない。 砂岩は濃灰色, 細粒で塊状を呈し堅い。

西岸地区

この図幅地域内では西縁に沿った狭長な分布であるが, さらに西隣の図幅地域内に連続し広大な面積を占めている。 砂岩層・頁岩層および砂岩頁岩互層などの, 厚い重畳からなり, 砂岩層中にはまれに礫岩層を挾んでいる。 本地区の時代未詳層群は西縁中央部付近をほゞ北東 - 南西方向に走る断層により, 地質構造を異にする南北両地塊に大別される。 北方地塊の一般走向は, N 10~40°E で常に北西方へ 25~55°傾斜し, 層理は比較的整然としているが, 南方地塊の一般走向は 前者とは異なり N 0~25°E でおおむね西方へ 20~65°傾斜することが多く, ときに走向は前記の値を外れ, また東方へ傾斜することもある。

砂岩層は厚い砂岩からなるが, ときに砂岩頁岩互層・頁岩または礫岩を挾むことがある。 まれに厚さ 10~40 cm の炭質頁岩も見出される。 砂岩は細粒質で, 新鮮なものは濃青色を呈し, 堅硬かつ塊状で個々の粒は判別し難い。 風化作用に対し抵抗が強いため, 急傾斜の山体をなし聳えることが多い。 しかし風化すると黄褐色になり個々の粒を判別し得る。 またこのなかに大豆大以下の黒色角礫に富んだ層準もみられる。 頁岩層は主として黒色頁岩からなり, ときに砂岩を挾むことがある。 黒色頁岩は層理がよくみられ, 層理に沿い薄く剥がれ細片に砕け易い。 また容易に風化して黄褐色になり粘土状を呈する。 まれにやゝ堅く粘板岩と呼ぶべき岩相もみられる。 砂岩頁岩互層は, 一般に厚さ 3~20 cm 程度の砂岩および頁岩の互層からなり, 層理がよく発達している(図版 3)。 この砂岩は岩質が堅く頁岩中に板状に挾まれているのが普通であるが, ときにレンズ状を呈する。 これら砂岩層・頁岩層および砂岩頁岩互層はそれぞれ漸移し明瞭な境界はない。 厚さ 5~30 m 程度の大きい単位で, 互層するものは地質図幅では砂岩頁岩互層に含めた。 礫岩層は鶏卵大以下の種々の粒度の円礫からなり, ときに厚さ 1 m 以下の砂岩をレンズ状に挾むことがある。 礫は古生層の粘板岩およびチャートを主としよく円磨されている。

図版 3 樋高 てたか 付近の海岸でみられる時代未詳層群中の砂岩頁岩互層の露頭

II.3 第三紀流紋岩(R)

西岸地区の2カ所に分布する。 西部のものは山腹の道路に沿い, 多くの熔岩の転石が分布しており, 露頭は見当たらなかったが, 凝灰角礫岩も伴なっているので, 地表に噴出したものと思われる。 熔岩は全体が塊状で灰白~灰褐色を呈し, そのなかに 長さ 1~1.5 mm の長石・ 径 0.5~1 mm の石英および 長さ 0.5 mm 以下の黒雲母が点在している。 鏡下に検すると, 斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石・カリ長石・石英および黒雲母からなる。 斜長石は柱状で, 中性長石に属し, 一般に汚濁しており, カリ長石は少なく, 汚濁が著しい。 石英は清透で熔蝕を受けている。 黒雲母は柱状で黄~赤褐色の著しい多色性がみられ, 縁辺または劈開に沿い緑泥石化がすすんでいる。 また微斑晶として鉄鉱を伴なう。 石基は微晶質である。

東部のものは熔岩と凝灰岩からなる。 熔岩の外観は前者とはやゝ異なり, 塊状で灰緑色を呈し, 長さ 1~1.5 mm の多くの長石がそのなかに散在し, ほかに径 1 mm 以下の石英が点在しているが黒雲母は認められない。 鏡下では斑状組織がみられ, 斑晶は斜長石・カリ長石・石英および黒雲母からなる。 斜長石は柱状で中性長石に近い曹灰長石に属する。 カリ長石は少なく著しく汚濁している。 石英は清透で熔蝕を受けており少量である。 黒雲母は結晶外形により, その存在が認められるに過ぎず, 緑泥石・酸化鉄などの2次鉱物にまったく変わっている。 ほかに微斑晶として鉄鉱を伴ない, 石基は微晶質である。 凝灰岩は灰白色を呈し, 軟弱で薄く剥げ易く, 褐鉄鉱が侵染している。

II.4 第三紀安山岩(A)

西岸地区の南縁に沿い分布し, 南隣の開聞岳図幅地域内に山頂を有する 種子尾 たねお 山の北方山腹に当たる。 種子尾山は海抜 497 m でかなり侵蝕されているが, ほゞ火山形態を留めており, おそらく前記の流紋岩よりも新しく第三紀末ごろの噴出と考えられる。 この図幅地域内のみの調査によると, これは時代未詳層群の上に載り, 熔岩ばかりではなく火山砕屑岩の露頭もかなり多くみられるので, 成層火山と考えられる。 熔岩は堅硬でかなり新鮮な感があり, 長さ 1.8 mm 以下の斜長石および長さ 1.5 mm 以下の輝石の両斑晶が, 青黒色の石基中に密に存在している。 鏡下に検すると, 斑状組織が認められ多斑晶質で, 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で, 亜灰長石に属し, おおむね清純であるが, 著しくガラスに富んだものもみられ累帯構造が著しい。 まれに円味を帯び, 全体が汚濁したものが見出されるが, おそらく外来結晶と思われる。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の多色性がみられ, 微細な鉄鉱を包有するものが多い。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, 多色性はほとんど見られず (100) 双晶を示すものがある。 そのほか微斑晶として鉄鉱を伴なう。 また斜長石・紫蘇輝石および普通輝石などからなる聚斑状集合がしばしば見出される。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜斜方両輝石および粒状の鉄鉱などからなる。 火山砕屑岩は, 凝灰角礫岩を主とし火山礫凝灰岩および凝灰岩を伴なう。

II.5 阿多火山軽石流(At)

西岸地区の中部から南部に分布する軽石流は, 南隣の開聞岳図幅地域内に分布する阿多火山軽石流に連続しているので, 同火山噴出物であることは確実である。 この地区内の軽石流はほとんどすべて熔結している。 谷川市および 揖宿 いぶすき 郡など鹿児島湾に面する側と, 湾に面しない川辺郡とを境する分水嶺を隔てて, 阿多火山軽石流は両側に分布している。 後者の 手蓑 てみの 付近では, 旧地形の谷をうづめ, 南西方から侵入してきたと思われ, 現在でもその表面はほゞ平垣で農耕地になっている。 手蓑から分水嶺を越え, 平川に至る街道の峠(海抜 340 m)の切割で観察すると, 峠の場所にも厚さ数 m の熔結凝灰岩が露われており, また手蓑から 樋高 てだか に至る道路の峠(海抜 380 m)にも露出しているので, 軽石流は前記の谷に進入したのちこれら峠にのし上げ, そして乗り越えて鹿児島湾側に流下したと考えられる。

鹿児島湾側に分布する岩体は, 南隣の開聞岳図幅地域内に分布する阿多熔結凝灰岩に, 海岸に沿い連続しているので, 前者の大部分は後者の方向から進入してきたと考えられる。 この図幅地域南西隅の小田代付近では, 当時の谷間をうづめた形で分布し, その最高所は海抜 360 m である。 また平川部落の西方約 1.8 km の高野(図幅地域外)は鹿児島湾側に属するが, 海抜 200 m の高さまで分布している。 したがって阿多火山軽石流の流出当時において, 山地ではこれらの高さまでのし上げたと解せられるが, 浜付近の海岸では 阿多火山軽石流の上に姶良火山軽石流が直接に載っている点を考慮すると, これら軽石流の流出後に著しい地殻変動があって, 地塊がかなり転位しているのかも知れない。

前述のように阿多火山軽石流はほとんど熔結しており, 非熔結部は基盤に接する部分にわずかに見出されるにとどまる。 すなわち樋高付近の海岸で道路際の切取部を観察すると, こゝでは時代未詳層群の上に厚さ 30~150 cm のロームを隔てて阿多火山軽石流が載り, その基底の 80~120 cm の部分は弱熔結であるが, ガラス質レンズの大きさは熔結部とあまり異らない。 弱熔結部は風化がすすみ軟弱となり褐色を呈し, 熔結部に漸移する(図版 4)。 また基盤に直接に接触する付近では, 明らかに軽石凝灰角礫岩と呼ぶべき岩相も認められるが, 厚さ 10~30 cm であまり顕著ではない。 なお, 上記のロームは特記しなかったが, この地方でみられるロームのうちでもっとも古いものである。 以上と同様の事実は, 平川から野屋敷を経て知覧街道を手蓑に越える峠付近においても観察される。 軽石流の基底は上記のように非熔結であるが, この図幅地域内でみられる軽石流の表面には, 非熔結部はまったく認められない。 これはすでに削剥されてしまったためであろう。

図版 4 樋高 てだか 附近の海岸でみられる阿多火山軽石流(P)岩体の基底部。 時代未詳層群(F)の上にローム(L)を隔てて載り岩体下方は非熔結である

阿多熔結凝灰岩の岩相はすべてが必ずしも同じではなく, またかなり厚いので, 必ずしも1回の流出によるものではないとも考えられるが, 野外で分類しこれを図示するのは難かしい。 もっとも普通に見られるものは, 全体が濃青色を示し, そのなかに長さ 1.2 mm 以下の微細な斜長石が一面に撒布され, 粗鬆であり一見ガラス質安山岩のような外観を示し, このなかに一般に長さ 20 cm 以下(まれに 1.60 m)で, 幅 4 cm 以下の黒色ガラスがレンズ状に長く延びている(図版 5)。 なお本質は容易に風化しローム様の外観を呈し, 一般に柱状節理はみられない。 新鮮な部分を鏡下に検すると斑状組織がみられ, 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 後2者は小形で少ない。 斜長石は柱状または破片状で, 曹灰長石に属し清純であるが割れ目に沿いガラス化が進んでいる。 紫蘇輝石および普通輝石は破片状のことが多い。 ほかに しばしば変質した黒雲母が見出され, また微斑晶として鉄鉱を伴なっている。 石基は淡褐~褐色で, 著しく押しつぶされた shard [ 裂片 ] 構造がみられるが, ときに再結晶作用のため この構造がわかりにくくなっている。 そしてこのなかに 柝木状の斜長石・柱状の斜方輝石および粒状の鉄鉱などの微晶が点在している。 またまれに鏡下の小孔隙に鱗珪石やパーガス石が生成していることがあり, また凝灰岩と思われる包有物が見出されることがある。

図版 5 阿多火山熔結凝灰岩

II.6 姶良火山軽石流(Ar)

これは西岸地区の北部に分布し, 海岸に沿い崖をなしほゞ連続してよく露出している。 これは姶良火山噴出物という確証はないが, 北隣の鹿児島図幅地域内に連続し分布しており, かつ南方へは延びていないのでそのように取り扱った。 浜 部落北方約 500 m の海岸(錦江病院の北側)では, 阿多熔結凝灰岩のかなり凹凸の著しい岩体の上に, 姶良火山軽石流が直接に載っているのが認められる。 後者もほとんど熔結しているが, その基底の少なくとも約 1 m の部分は非熔結である。 この下位にある阿多熔結凝灰岩は, 流出当時にその表面にあったと考えられる非熔結部はすでに削剥されているので, 両者の間に時間的間隙があったと推察される。 五位野 ごいの 部落の南方約 400 m の谷間でも, 阿多熔結凝灰岩が河床に広く露出し, 姶良熔結凝灰岩がその両岸に崖を連ねているのがみられるが, こゝでは両者の接触部は露出していない。 阿多熔結凝灰岩は, 比較的堅いため海岸に岬や磯をなし, 広く露われることが多いが, 姶良熔結凝灰岩は前者に比較すれば粒鬆で侵蝕され易い。 七ツ島およびその北方の2島は姶良熔結凝灰岩からなり, 侵蝕から取り残されたものである。 なお前者は石材として利用されていないが, 後者は採取し易いため五位野駅付近で盛大に稼行されている。 姶良熔結凝灰岩は新鮮なものは全体が灰青~濃青色を呈し, そのなかに長さ 20 cm 以下で幅 10 cm 以下(ときには長さ 1 m 近くあり, 幅 30 cm に達する)の黒色レンズが延びており, 基質は粗鬆であるため風化し易く容易に紅色化し, そのため黒色レンズが浮き出したようになる。 なお柱状節理はみられない。 鏡下に検すると斑状組織がみられ, 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 後2者は小形で少ない。 斜長石は柱状または破片状を示し, 中性長石に近い曹灰長石に属し, 清純であるがしばしば割れ目に沿いガラス化している。 紫蘇輝石および普通輝石は破片状のことが多い。 またまれに変質した黒雲母が見出され, ほかに微斑晶として鉄鉱を伴なう。 石基は著しく圧縮された shard 構造を示すが, 所によっては 再結晶作用のため この構造がわかりにくくなっている。 そのなかに斜長石・斜方輝石および鉄鉱などの微晶が点在している。 またまれに孔隙に鱗珪石が生成しており, ほかに安山岩または凝灰岩と思われる包有物がみられる。 この岩体の表面には非熔結部は認められないが, すでに削剥されてしまったのであろう。

上記の岩質のものとは別に, 古屋敷付近の海岸に, 少規模ではあるが同じく姶良火山熔結凝灰岩と思われるものが露われている。 これは阿多火山熔結凝灰岩の上に厚さ数 m の火山角礫層を隔てて載り, 厚さは不明であるが少なくとも数 m あり, 真黒色を呈し, 基質は風化して脆くなり, そのなかに長さ 30 cm 以下の黒色レンズが含まれていて, この上に前記の岩質のものが載っている。 分布は局部的であるが, 地理的に考えおそらく姶良火山から噴出したものであろう。

II.7 垂水砂礫層(T)

これは東岸地区のいわゆるシラス台地の下位に広く分布しており, 背後の高隈山地から運搬されてきた砂礫が, 山脚に扇状地をなし堆積したもので, その礫は高隈山地を構成する諸岩石, すなわちホーンフェルス・黒色粘板岩・砂岩および黒雲母花崗岩などからなり, いずれも人頭~拳大あるいはこれ以下のものが多いが, 本城川上流付近では一抱え大に達するものがある。 一般に円磨度は低い。 本城川上流の新光寺の付近で, この砂礫層中に姶良火山熔結凝灰岩の礫を見出したが, これは重要な事実である(図版 6)。 すなわち 姶良・阿多両カルデラの生成に引き続き両カルデラの中間部も陥落したが, この砂礫層の堆積は姶良火山軽石流の流出以後であり, かつ中間部の陥没以後であることを示す。 この砂礫層の真の厚さは基盤が露われていないため不明であるが, 現在地表で見られる露頭では, 少なくとも数 m はある。 この砂礫層は礫を主とする場合が多いが, 本城川沿岸では砂と砂礫とが互層していることがある。 西岸地区において, 喜入付近のいわゆるシラス台地の下位にも 同様の砂礫層があっても差支えないと考えられるが, 露出不充分のため見出し得なかった。

図版 6 垂水砂礫層(T)中に姶良火山熔結凝灰岩の礫がみいだされ, この上に旧期ローム(L)を隔てて姶良火山降下軽石層(A)が載る

II.8 旧期ローム層

これは垂水砂礫層の上に載り, 姶良降下軽石層に覆われて見出されるが, 地質図幅では図示が困難であるため, 垂水砂礫層と併せて示してある。 西岸地区においても, 姶良火山の降下軽石層に覆われほとんど常に見出されるが, 地質図幅では省略してある。 旧期ローム層の上限とその上に載る降下軽石層との間には, ほとんど常に厚さ 1~3 cm の褐鉄鉱層がみられる。

これは降下軽石層が多孔質であるため透水層となり, 褐鉄鉱を沈澱したのによると思われる。 まれに砂礫層の上にローム層を欠き, 降下軽石層が直接載っていることもある。

II.9 降下軽石層(Ap)

これはこの図幅地域ばかりではなく, おそらく鹿児島県中部から南東部の山地を, 広く一様に覆ったと考えられる。 しかし降下軽石は移動し易いため, 山地に堆積した軽石は, その後ほとんどすべて山麓部に洗い流され, 2次堆積軽石層, すなわちいわゆるシラスの台地をつくった。 山麓部や平坦地に堆積した降下軽石層は, 2次堆積軽石層に覆われて見出されるが, 西岸地区の北縁に近い場所ではかなり薄く, 厚さ 10 cm 以下のことやあるいはまったく欠いていることもある。 これはおそらく海岸または河川の流路などに当たっていたため, ほとんどあるいはまったく削剥されてしまったのであろう。 この降下軽石の噴出源については, 近隣諸図幅地域内の資料が不充分のため不明であるが, この図幅地域内においては, 東岸地区の方が西岸地区よりも軽石の径が大きく, かつ遙かに厚く堆積しており, また北方の諸図幅地城においても分布が広く厚いので, おそらく姶良火山の晩期の火山活動の産物であろうと想像される。 なお図幅地域東縁に近い 小谷 こたん 部落付近, および北東隣の岩川図幅地域内の 大野原 おおのばる 部落付近で, この降下軽石層のなかに化石林が見出された。 これは樹幹が直立したまゝ黒焦げになって降下軽石層中に埋没している。

東岸地区

扇状地をなして拡がる垂水砂礫層, および背後の高隈山地や, これらの上に載る旧期ローム層などを広く一様に覆って降下堆積したもので, 厚さは 5~10 数 m に達する。 もちろんこれだけの厚さの軽石が, 一時に継続して堆積したのではなく, どの露頭を観察しても, おおむね厚さ 5~100 cm で, おのおのほゞ一様の粒度からなる各種軽石層が幾枚も重なっており, 火山灰層を挾むこともあり層理がみられる。 基盤岩との関係を直接に観察し得る場所では, 常に基盤岩の起伏に平行して堆積しており, 基盤岩が平坦であれば, この降下軽石層も水平の層理を示す。 降下軽石層の一般の特徴として, 1枚の軽石層は分級がよく, ほとんど同じ粒度の軽石の集積からなっており, かつ軽石は角張っていて各個体の間には間隙がある。 軽石の大きさは鶏卵~大豆大程度が普通で, まれに安山岩火山礫を含むことがある。 この降下軽石層は高隈山地の西側斜面においては, 海抜 200 m 以下の場所で2次堆積軽石層に覆われて見出され, これより高い位置にあったものは, すべて押し流されたため現在ではまったく見られないが, 高隈山地の内側の平坦地, たとえば北東隣の岩川図幅地域内の南西隅付近では, 厚い降下軽石層がなお処々に残存して見られ, 厚さ 20 m に達することがまれではない。 本城川上流の 新見堂 しんみどう 内野 [ 内ノ野 ? ] (鹿屋図幅地域内)で観察すると, 姶良火山の熔結凝灰岩の上に, 厚さ 15~20 cm の旧期ロームを隔ててこの降下軽石が載っている。

この軽石の岩質は, 東岸地区でもまた西岸地区を通じても同様であって, 鏡下に検すると斑状組織が認められ, 多石基質で, 斑晶は斜長石・石英および紫蘇輝石からなる。 斜長石は中性~曹灰長石に属し, 破片状のものが多く, 一般にやゝ円味を帯びており, 清純で累帯構造が著しい。 石英は清透で不定形を示し, 著しい融蝕を受けており, また割れ目が発達している。 紫蘇輝石は破片状のものが多く, 淡褐~淡緑色の著しい多色性がみられる。 石基はまったくのガラス質で軽石構造を呈する。

西岸地区

北縁に近い場所を除き, 2次堆積軽石層の下位に常に見出される。 厚さは一般に 50 cm 内外で, 軽石の径は北方部では胡桃大であるが, 中南部ではおおむねうずら豆~小豆大以下のことが多く, しばしば火山灰を混じて成層している。 このように軽石の粒度および厚さを, 東岸地区のそれらに比較すると格段の差が認められる。 これはおそらく噴出源の南西方に位置しているためであろう(図版 7)。

図版 7 時代未詳層部(F)の上に褐鉄薄層(L)および姶良火山降下降石層(A)を隔てて 2次堆積軽石層(S)が載る

II.10 2次堆積軽石層(いわゆるシラス)(As)

これは図幅地域内の地形を特徴づけているいわゆるシラス台地の大部分を構成する。 本層の下位にはほとんど常に降下軽石層, 上位には新期ローム層がある。 鹿児島県中部から南東部一帯を広く覆った降下軽石層のうち, 山地に降下堆積したものが雨や風のため, 山麓部に洗い流され, 2次的に堆積したものと考えられる。 したがって 軽石流にみられる熔結現象は, 本層では基底部においても認められない。 種々の粒度の軽石がその破砕片とともに堆積したもので, 緻密質ではあるが凝結しておらず, 不透水層であるローム層を載いているため, ほゞ垂直の崖を連らねて露出している。 岩体は崩れ易くしばしば深い谷が刻まれている。

東岸地区

図版 8 垂水駅うらでみられるシラス台地の断面。 これは図版 1 の前面にある台地の左端に当る。 堆積時に少なくとも数回の間歇があったことがわかる

厚さは 100~150 m に達するが, 全体が引き続いて堆積したのではなく, 少なくとも数回の間隙があった。 このことは垂水駅裏にあって海岸に臨む高さ約 40 m の崖で, もっともよく観察することができる(図版 8)。 こゝでは数枚の2次堆積軽石層が不整合に重なっている。 元垂水や宮脇付近の崖においては, 一旦堆積した軽石層が侵蝕されて谷をつくり, この上に不整合に上位の軽石層が載っているのが認められるが, これはおそらく河川の流路に当たっていたためであろう。 2次堆積軽石層には種々の岩相があり, 層理を示すことなく全体として塊状をなすのが普通であるが, まれにやゝ層埋がみられ, あるいは偽層が発達していることもある。 垂水付近のいわゆるシラス台地の海岸沿いで観察すると, 一般に海抜 7 m 以下の場所では整然と成層することが多く, これ以上の高さの場所では, このようなことがきわめて少ないので, あるいは当時この高さまで海進していたのではないかと想像される。 高城川上流の南東方や中流の本高城付近などでは, 現今の河岸に沿い水平の層理がかなり良くみられる場所があるが, 分布は局部的であるので, おそらく堆積当時に湖があったと思われる。 本層は軽石とその細片とからなるが, 軽石の分級は一般に悪く, 拳大から微細片に至る種々の粒度のものが雑然と入り混じっており, 軽石は角がとれ かなり円くなっている(図版 9)。 また, ときには背後の山地の岩石を伴なうことがある。 全体として凝結しておらず, ハンマーで叩くとサラサラと容易に崩れ, 一般に灰白~淡紅色を示す。 南方海岸の宮脇から宇住庵にかけ海岸に露われている本層は, 軽石がやゝ角張っており, 原位置からあまり動かなかったと推察されるが, これより西方の宮脇から浜平にかけて海岸に露われている本層は, 軽石がかなり円くなっており, 前者よりも長い距離を運ばれてきたと思われ, また高隈山地の岩石, とくに拳大以下のホーンフェルスを多く含んでいる。 上記の両岩相のうち, 前者の侵蝕面の上に後者が不整合に載っている現象が, 宮脇付近の海岸の崖で観察することができる。 本城川の北方区域でも, 西海岸に近く分布するものの方が, 高隈山地に近く分布するものよりも一般に軽石の円磨度が高い。 また本城川の南北両側の台地を通じ, 最上部にある軽石層は, 高隈山地を構成する岩石の人頭~拳大の岩塊を, しばしば多く包有していることがある。 すなわち, これらの現象は高隈山地に堆積した降下軽石が, 次から次へと運搬されてきたことを示す。

図版 9 2次堆積軽石層。 扁平な形状の軽石が横臥している点に注意

西岸地区

西岸地区においては, 本層の材料となった降下軽石層が東岸地区に較べ元来から薄く, かつ軽石の粒度も小さかったため, 2次堆積軽石層も東岸地区に較べはるかに薄く, もっともよく発達した喜入および前之浜付近でも 70~75 m である。 また西岸地区内においても, 軽石の粒度は北部より南部の方が小さい傾向がみられ, また軽石塊よりもはるかに破砕片に富んでいてシラスの名にふさわしい。 また本層は一般に風化作用のため淡紅色を帯びることが多い。

次に北縁部に分布する本層について述べる。 これは層序および岩相が他とは異なり, 下位に旧期ローム層や降下軽石層を欠き, 姶良火山軽石流の上に直接載っている。 降下軽石の2次堆積層中の軽石は, 大形のものはほゞ大きさが等しいが, 本層では不均一で拳大のものもある。 したがって本層はこれまで述べてきた降下軽石の2次堆積層ではなく, 鹿児島市街地の西方一帯に非熔結の姶良火山軽石流が広く分布しており, その2次堆積層ではないかとの疑もある。 しかし, その方面の調査はまだ行なわれていないので, 将来の決定をまつことにする。

II.11 喜入砂礫層(K)

西岸地区の喜入市街の西方台地に分布し, おそらく新期ローム層堆積以前の扇状地堆積物と思われる。 2次堆積軽石層の削剥面の上に載り, 厚さは 50~150 cm あり, 人頭大以下の各種亜角礫からなる。 これらは背後の山地を構成する時代未詳層群の岩石で, なかにレンズ状の砂を挾むことがある。

ほかに浜 部落北側の海抜数 m のところに, 時代未詳層群の上に載り, 拳大以下のよく円磨された礫層がみられた。 分布が狭いので地質図幅には記載してないが, 海岸の堆積物と思われる。

II.12 新期ローム層(1)

これは冲積層を除く全地域を覆って広く分布し, 2次堆積軽石層の上に不整合に載っているが, 台地の上など平坦な地形の場所では, とくに厚く堆積しており, 地質図幅ではこの部分のみを記載した。 このローム層は主として褐色ロームからなり, 軽石の密集部を混じえ, あるいは軽石がローム中に散点していて, 火山砕屑物に由来すると考えられる。 このローム層の厚さを概観すると, 東岸地区の方が西岸地区よりも遙かに厚く, 西岸地区内では北部の方が南部よりも一般に厚い傾向がみられるので, このローム層の大部分は, おそらく桜島火山を噴出源とすると想像される。 なおこのローム層中に含まれた軽石は, 常に黄色を呈するのが特徴であり, これより下位にある姶良火山の降下軽石層および2次堆積軽石層の軽石が, 常に純白色で新鮮な感があるのと対照的である。

東岸地区

本城川およびその他の河川の侵蝕作用が始まる以前に, 全地域を覆って広く堆積したが, いわゆるシラス台地などの平坦な場所ではとくに厚く, 厚さ 2~5 m ある。 このローム層の層序をもっともよく観察できるのは, 本城 部落の南方の台地に登る道路沿いの崖で, こゝでは厚さ 2.6 m に達する。 2次堆積軽石層の風化面の上に, 厚さ 105 cm の下部層(主として褐色ロームからなり, 基底に小豆大以下の軽石の密集部があり, 上半の 60 cm の部分は黒色ロームでこれには縦に顕著な割れ目がみられる), 厚さ 45 cm の中部層(下半部は胡桃大以下の軽石の密集で, これが上半部の濃灰色ロームに漸移する)および 厚さ 110 cm の上部層(下半部は胡桃大以下の橙黄色軽石の密集で, 上半部の橙黄色ロームに漸移する) の順で各層がそれぞれ不整合に重なっていて, 最上部に厚さ 50 cm の黒色火山灰層が載っている。 これはおそらく桜島火山から噴出した現世堆積物と思われ, 東岸地区一帯に広く分布し, 現今の地形に平行に堆積し無光沢・黒色の火山灰からなる。 他の場所においても上記の場所ほど明瞭ではないが, やはりこれら3層のロームの全部または上方の1~2層が重なってみられ, その上に黒色火山灰層が載っている。 時代未詳層群からなる山地の上にもローム層が厚く堆積し, ことに比較的平坦な場所では, 厚さ数 m に達することがあるが, 地質図幅では省略してある。

西岸地区

冲積層を除く全地域を覆い広く分布しているが, 北縁や西縁に近い台地上ではとくに厚く約 2 m あるので, 地質図幅ではこの部分のみを記載した。 ほかにもローム層の厚い場所は少なくなく, たとえば五位野の南西方の平坦地付近では 1.5~2 m ある。 一般に南方ほど薄い傾向があり, 喜入付近のいわゆるシラス台地の上では約 1.3 m である。 図幅地城西縁の手蓑付近や, 南縁に近い小田代付近などでは, 東岸地区と同様に3層に分けられ, 厚さ 50~100 cm の下部層(下半部は褐色ロームで上半部の黒色ロームに漸移し, これには縦に顕著な割れ目がみられる), 厚さ 40~80 cm の中部層(下半部は大豆大以下の黄色軽石の密集で, これが上方の褐色ロームおよび黒色ロームに漸移する)および 厚さ 20~30 cm の上部層(大部分は大豆大以下の軽石の密集からなり, 特徴ある橙黄色を示し, 上方にときに黒色ロームを有する)が, それぞれ不整合に重なり, さらにこの上に厚さ 30~50 cm の黒色火山灰層が不整合に載っており, これは現世の堆積物と思われる。 他の場所でもこれら3層または上方の1~2層がみられる。 また各ローム層の間に, 厚さ 20~30 cm の亜角礫がみられることがあるが, これは堆積間隙時における扇状地堆積物と思われる。 北部の向原台地にもロームが広く分布している。 この台地は平坦ではなく段丘地形がみられ, 最上段の堆積原面と思われるものの上に載っているロームは, やはり3層に分けることができるが, これより以下にある面の上には上方の1~2層が載っている。

II.13 冲積層(a)

河川および海浜に沿い分布し, 礫・砂および粘土からなる。

III. 応用地質

この図幅地域内に産する鉱産資源には, 金銀鉱・砂鉄鉱および石材がある。 金銀鉱は西岸地区中部の 中名 なかみょう 駅付近の喜入鉱山で産したが, 調査当時は休業中であった。 砂鉄鉱は西岸地区の海浜に産し, 石材は西岸地区の北縁近くに分布する姶良火山の熔結凝灰岩から得られる。

III.1 金・銀鉱 10)

喜入鉱山は同町の中名にあり, 指宿線中名駅の西方約 1 km に位置し, 筆者の調査当時には休山中であったので, 文献によりその概要を述べる。 この鉱山は 1918 年に発見され, 19 年に試掘に着手し, 22 年に採掘権を得て 180 m 地並の第2坑道および 160 m 地並の第3坑道を掘さくし, 本𨫤および山神𨫤を稼行した。 山元に製錬所を設置し, 1日 4 t の鉱石を処理し, 一時は盛況を呈したが, 間もなく休山した。 その後再開したが, 1936 年に岩崎与八郎ほか2名が事業を引き継ぎ, 38 年から岩崎産業 KK により本格的に探鉱され, 相当の埋蔵量を確認したので, 索道や道路の建設を行ない生産につとめ漸次隆盛に向かった。 当時の生産量は次のようである。

1942 年   2,705 t(Au 9.46 g / t, Ag 59.88 g / t)
1943年(3カ月間) 1,831 t(Au 8.89 g / t, Ag 54.93 g / t)

ところが 1943 年 4 月に金鉱業整備令のため休山した。 戦後は 1952 年に再開し, 第2坑および第3坑の取り明けを行ない, また2号𨫤および本𨫤の開発に着手したが, 本格的操業に至らず 56 年にふたゝび休山した。

鉱床は時代未詳層群の砂岩および粘板岩などに胚胎した裂罅充填含金銀石英脈であって, 本𨫤・山神𨫤・2号𨫤および東𨫤を主要脈とし, ほかに多数の細脈がある。 本𨫤は走向 N 80°E・傾斜 70°N で平均𨫤幅は 1.2 m であるが, 富鉱部は第2坑道地並で𨫤幅 1.5 m, 延長 43 m(Au 20 g / t), 第3坑道地並で𨫤幅 1.2 m, 延長 80 m(Au 40 g / t・Ag 300 g / t)である。 西方の延長は断層で断たれ, 東方は𨫤幅および品位がともに低下している。 山神𨫤は本𨫤の断層先の延長と推定され, 走向ほゞ E - W, 傾斜 60°N でさらに西方 50 m で断層により断たれている。 第3坑道地並は採掘がおわり, さらに下部の開発を計画中に休山したが, 品位は Au 40 g / t・Ag 300 g / t であった。 2号𨫤は平均𨫤幅 1.2 m, 延長 84 m(Au 10 g / t・Ag 20 g / t)で, 東𨫤は平均𨫤幅 0.5 m, 延長 25 m(Au 10 g / t・Ag 10 g / t)である。

III.2 砂鉄鉱5)6)7)

西岸地区の海浜に沿い打揚げ砂鉄が賦存し, ことに中名 - 喜入間の約 1,500 m の海浜は, 鹿児島湾内の数多の産地のうち屈指のものである。 太平洋戦争中, 中名付近の海浜で日本鉱業 KK が稼行し, 精鉱月産 500 t の実績をあげた 1946 年に 日本鉱業 KK 佐賀関製煉所が企業計面を樹てたことがあり, その調査書によると砂鉄鉱層は幅 20~70 m, 平均 40 m, 延長 1,650 m, 厚さ 1~2.5 m で粗鉱量 310,000 t(Fe 11 %)に達し, 含鉄砂鉄量 40,000 t(Fe 44 %)に及ぶ。 1950 年に九州砂鉄 KK が4カ月間に約 1,500 t を, また 52~53 年にかけて 2,500 t(Fe 57~58 %)をそれぞれ生産し, 八幡製鉄所に送鉱した。 53~54 年に大沢某が約6カ月間稼行し, 最盛時には月産 700 t に達した。 なお 1954 年に中名~喜入~前之浜の沖合にある海底砂鉄につき調査したことがあった。

筆者の調査当時には喜入付近と, 七ツ島付近との海岸の2カ所で, 小親模に稼行されていた。 いずれも台風時などに波浪により打揚げられた砂鉄を数人程度で作業しており, 海浜表面における砂鉄の濃集部を, 手工具で掻き集め簡単な乾式磁力選鉱機にかけて分離している。 中名付近の海浜は, これまで度々移行されたが, 鉄道・田畑および民家などに近接しているため, 高潮の際を考慮し調査当時は稼行されていなかった。

III.3 石材

指宿線五位野駅付近に採石場が 10 数カ所あり, いずれも姶良熔結凝灰岩を採取している。 規模は小さく従業員は 3~数人のことが多く, 手工具により採取加工しており, 石垣石や土台石などに使われている。

文献

1) 松本唯一 :
The Four Gigantic Caldera Volcanoes of Kyushu, Jap. Jour. Geol. Geogr.,Vol. 19,Sp. No., 1943
2) 江口元起 :
鳥の巣の珊瑚類, 日本三畳系の地質(地質調査所報告特別号), 1951
3) 松本唯一 :
阿蘇火山, 地質巡検案内書(九大理地鉱教室), 1952
4) 木下亀城・宮久三千年 :
鹿児島県高隈山地鉱床調査報告, 鹿児島県企画室, 1953
5) 原田種成 :
鹿児島県指宿郡および肝属郡下の砂鉄鉱床概査報告, 地調月報,Vol. 5, No. 3, 1954
6) 嶋田芳造・樋上寛 :
鹿児島県谷山 - 生見地区砂鉄鉱床調査報告, 未利用鉄資源 I, 1954
7) 吉村正二・桜井哲 :
鹿児島県垂水 - 坂本地区砂鉄鉱床調査報告, 未利用鉄資源 I, 1954
8) 羽田重吉・木村義弘・桑原昌伝 :
鹿児島県喜入地区(海底砂鉄)砂鉄鉱床調査, 未利用鉄資源 II, 1955
9) 浜地忠男・石原舜三 :
鹿児島県高隈山地鉱床調査報告, 地調月報, Vol. 9,No. 11, 1958
10) 九州地方鉱山会 :
九州の金属鉱床, 1959
11) 太田良平 :
シラス, 地質ニュース,No. 87, 1961

EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000

TARUMIZU

kagoshima, No. 94

By RYOHEI OTA (Written in 1961)


Abstract

GEOLOGY

The mapped area is situated in the southern Kyushu and geologically between Aira and Ata volcanoes, both being remarkable for the gigantic caldera and enormous peculiar volcanic products. The oldest rock in the area is undated strata with no fossils. The formation found at the eastern district facing the Kagoshima bay is somewhat different to that of the western district in its lithological character, i. e. the former shows rather advanced metamorphic effects than the latter. The former is composed of alternation of black clayslate and sandstone, while the latter is a thick accumulation consisting of sandstone, shale and alternations of the both, being accompanied with conglomerate. Rhyolite and andesite of Tertiary are found in the western district.

In Pleistocene, pumice flows flowed out of the both volcanoes and are extensively distributed over the southern Kyushu. The pumice flows found in the area are almost welded. At the seashore near Goino station in the western district, we can see the fact that a pumice flow of Aira lies on a pumice flow of Ata. The flowout of abundant materials caused the formation of the both calderas and the depression of the middle part successively. The seashore line, nearly straight in the western district shows the western border of the depressed part. Later, Tarumizu sand and gravel bed , a fan deposits, was formed at the foot of mountainland which is the eastern border of the depressed part. This bed is overlain by the older loam .

Afterwards, abundant pumices were widely ejected all over the southern Kyushu. This pumice fall deposit is due to Aira volcano. The secondary deposit of pumice is a sediment formed by the disintegration of the pumice fallen on the mountainland and it usually forms terraces with gentle slope toward sea. Kiire sand and gravel bed is a local fan deposit which was formed afterwards. Younger loam overlies the above-mentioned rocks. There are alluvium along sea and rivers.

ECONOMIC GEOLOGY

Iron sand is now under working in small scale along seashore in the western district. Building stone is quarried from welded tuff of Aira volcano at the neighbourhood of Goino station. Gold and silver have once been obtained at the western mountain of Nakamyo station.


昭和 39 年 2 月 18 日 印刷
昭和 39 年 2 月 25 日 発行
著作権所有 工業技術院 地質調査所

(C) 1964 Geological Survey of Japan