12034_1954
5万分の1地質図幅説明書
(岡山 第34号)
通商産業技官 広川治
通商産業技官 東郷文雄
通商産業技官 神戸信和
地質調査所
昭和 29 年
目次 I. 地質 I.1 概説 I.2 各説 I.2.1 古生層 I.2.1.1 須留ヶ峯層 I.2.1.2 明延層 I.2.1.3 大屋層 I.2.1.4 古生層の層序および地質構造 I.2.2 三疊紀(御祓山層群) I.2.3 輝綠岩質岩石 I.2.4 閃綠岩ないし斑糲岩 I.2.5 超塩基性岩 I.2.6 古期花崗岩質岩石 I.2.7 時代未詳の花崗岩 I.2.8 第三紀層(?) I.2.8.1 奥谷層 I.2.8.2 凝灰質岩類 I.2.9 安山岩質ないし玢岩質岩脈 I.2.10 変質安山岩 I.2.11 流紋岩 I.2.12 新期花崗岩質岩石 I.2.13 珪長岩質岩石 I.2.14 石英斑岩 I.2.15 玄武岩 I.2.16 安山岩類 I.2.17 冲積層 II. 応用地質 II.1 概説 II.1.1 鉱床と地質構造 II.1.2 鉱床の母岩 II.2 各説 II.2.1 金属鉱床 II.2.1.1 明廷鉱山 II.2.1.2 その他の鉱山 II.2.2 非金属鉱床 II.2.2.1 明礬石および臘石鉱床 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書
(岡山 第34号)
この図幅の南半部は7万5千分の1地質図幅「生野」を作成する予定で, 昭和 23 年より東郷により調査が始められたが, 昭和 24 年, 5万分の1地質図幅「大屋市場」として作成することになった。 昭和 25 年 8 月より, 図幅北半および南半の一部の水成岩地域は主として神戸により, 火成岩地域は主として広川により調査がおこなわれ, 昭和 26 年 4 月, 野外調査を終了した。
この調査にあたり, 三菱金属鉱業株式会社明延鉱業所から貴重な資料の提供を受け, 益するところがはなはだ大であった。
本図幅に分布する水成岩は上部古生層・三畳紀層および第三紀層(?)である。 古生層は水成岩のなかで最も広域を占め, 輝緑岩質岩石・閃緑岩ないし斑糲岩・古期花崗岩質岩石等 (これらはいわゆる夜久野塩基性岩として一括されてきた)とともに, 北東 - 南西ないし東北東 - 西南西の方向性を以て帯状分布を示す。
閃緑岩ないし斑糲岩はほゞ南北の2帯に分れ, この2帯に挾まれた中間帯では, 南帯の閃緑岩ないし斑糲岩に近く, 同じく帯状をなして古生層および輝緑岩質岩石が, また北帯の閃緑岩ないし斑糲岩に近くこれもまた帯状をなして 古期花崗岩質岩石が広く分布する。 この古期花崗岩質岩石の岩体は塩基性岩を貫ぬき, 北東部において尖滅し, その附近から中生層が現出する。 この中生層は三畳紀に属するものであって, 古生層を不整合に被覆し, 北北西 - 南南東の走向を示す。 帯状分布を示す古期火成岩類と三畳紀層との関係は, 図幅内では不明である。 しかしながら, 後述の新期花崗岩質岩石が不規則な分布を示すに対し, この花崗岩質岩石は北東 - 南西方向の帯状分布を示し, かつ 一般に破砕構造を持ち部分的にはミロナイト化されていること等から見て 古期のものとして区別しうる。
図幅の西部地域には安山岩特に変質安山岩が広く分布し, その下部には凝灰質岩石および第三紀層(?)が点々と覗いている。 これら岩類の東縁に沿う如く, 新期花崗岩質岩石ないし流紋岩質岩石の岩体が点々と現出し, 安山岩の一部に接触変質を与えている。 図幅の北東部においては時代未詳の花崗岩質岩石, 南東部においては第三紀の流紋岩, 南西部においては第三紀の石英閃緑岩質岩石が, いずれもやゝ広く現出している。 これら3者は隣接の図幅においてはさらに広い分布を示すものである。 また図幅北東辺においては三畳紀層を被覆して玄武岩が現出するが, これは恐らく北縁の天滝熔岩と一蓮のもので, 北西隅の 氷山 熔岩よりも古いものであろう。
地質構造上特に大きな意味を有する断層は, 北東 - 南西ないし東北東 - 西南西および 北西 - 南東ないし北北西 - 南南東の方向を有するものである。 図上に記したほかにも走向断層があり, また火成岩の発達する地帯にも断層は存在するものと考えられるが, 明らかでない。
層序および地史の概要を第1表に示す。
古生層は岩質によって明延層と大屋層とに分けられる。 明延層のうち, やゝ変質した部分を特に須留ヶ峯層と呼んで区別する。
須留ヶ峯層は図幅北東部南谷村須留ヶ峯を中心として分布し, 主として千枚岩・千枚岩質粘板岩・砂岩よりなり, 稀に粘板岩・礫岩またはチャートを挾有する。 本層の岩質は明延層の岩質と類似しているが, 千枚岩化作用が後者より著しく, 千枚岩によって特徴づけられる。 下記以外の岩相は明延層の記述に従う。
千枚岩 : 緑色・黄緑色・黑色あるいは暗灰色を呈し, しばしば石英の細脈を伴い, かつ層間微褶曲を示すことがある。
チャート : 赤褐色を呈し, 緻密・堅硬で風化に堪え, しばしば山稜を形成する。
須留ヶ峯層の西はいわゆる明延断層, 東は南北性断層で, いずれも明延層と境される。 須留ヶ峯層の分布するこの地域には閃緑岩・輝緑岩質岩石が発達し, その間にレンズないし楔状に千枚岩類が出現する。 千枚岩類の走向・傾斜は N 50~70゚ E, 30~60゚ N であるが, 局部的に走向 WNW, 傾斜 S を呈することもあり, しばしば多くの小規模な褶曲を成している。 緑色千枚岩質粘板岩と 黑色千枚岩質粘板岩とは歴然と区別されるべきものではないことは, 第1図に示した如くである。 粘板岩および砂岩の千枚岩化作用は前者に強く, 後者に弱い。 このことは明延層においても同様である。
本層は千枚岩質粘板岩・粘板岩・砂岩・礫岩および石灰岩よりなる。
千枚岩質粘板岩および粘板岩 : 黑色ないし暗灰色を呈し, しばしば緑色を帯びるが, 風化すれば茶褐色あるいは褐黄色を呈する。 剥理性を有し, 剥理面は一般に光沢を有する。 しばしば帯緑白色粘板岩ないし砂岩の薄層を挾有し, これと細かく随所に尖滅しつゝ互層をなすことがある。 その互層は第2図に示す如く, 帯緑白色粘板岩ないし砂岩と黑色粘板岩とが不規則に入り交るものである (第2図)。 千枚岩化の程度には局部的ないし地域的に強弱があり, 粘板岩から千枚岩質粘板岩へと横に岩相が移化するのが識別できることがある (第3図)。 また層理面に斜交する片理面のある事実も認められる(第4図)。 さらにこの岩石は礫質砂岩ないし礫岩中に 不規則な形(同時侵蝕礫様形態)で出現することもある(第5図)。
砂岩 : 灰青色・灰緑色・灰白色または緑色を呈し, 風化すれば茶褐色ないし褐黄色を呈する。 部分によって粒度を異にし, あるいは礫岩にあるいは粘板岩に漸移し, またしばしば急変することもある。 しばしば石灰質で, 石灰質団球を有することがある。 石灰質の砂岩は風化すると多孔質となる。 また, 特に粗粒の部分には海百合の茎を豊富に含有する部分がある。 一般に砂岩は大屋層の砂岩よりも硬度低く, 常に不定方向に塊状に割れる。 千枚岩質粘板岩中に挾在する場合にも片理は認められず, 塊状で節理を有することが多い。 部分的に粘板岩と同様珪化作用を受けている。
礫岩 : 明延層中処々に見られるが厚さは 4~5 m を最大とし, 一定でなく, しばしば尖滅する。 礫の種類は場所によって相違があるが, チャート・粘板岩・閃緑岩質岩石・花崗岩質岩石を普通とする。 礫の径には粗砂より小礫・中礫までの諸種があり, 礫は稜角が円味を帯びたものが多い。 基質は暗灰色ないし茶褐色の砂岩よりなる。 細粒礫岩中からしばしば海百合の茎が発見される。
石灰岩 : 石灰岩は宍粟郡三方村御形神社南方, 繁盛村百千家満東方, 草木北方, 千町附近および倉床北方, 養父郡南谷村富士野峠北方, 明延西方, 建屋村カカナベ西方および餅耕地西方に見出される。 いずれも連続性に乏しく厚さも薄い。 繁盛村南部および北部における石灰岩は嘗て採石されたことがあるが, 現在は休止している。 三方村繁盛村境の御形神社南, 百千家満東方, 草木北方および千町における石灰岩は同一の層準上にあると考えられるが, 不連続である。 これらを西方のものから順次に記述する。
三方村御形神社南方においては灰白色で結晶度低く, 海百合の茎, 蘇虫類の化石を多く含有する。 しばしば粘板岩の薄層を挾在し, あるいは徐々に石灰質粘板岩層に移化する。 この石灰質粘板岩中より腕足介2種, 海百合の茎および蘇虫類を発見した。 東延においては百千家満に至る間, 三方川沿西岸に 10 cm 内外の薄いレンズとして現われる。 さらに東の繁盛村百千家満東方では下記の層序を示し, 御形神社南方における石灰岩とほゞ同様の産状であるが, 結晶度はやゝ高い。
| 黑色粘板岩 | |
| 石灰質粘板岩 | 20 m |
| 石灰岩 | |
| 石灰質粘板岩 | |
| 石灰岩 | |
| 石灰質粘板岩 | |
| 石灰岩 | 0.5~1 m |
| 石灰質粘板岩 | |
| 黑色粘板岩 |
さらに繁盛村草木北方では閃緑岩に接して塊状石灰岩が分布する。 繁盛村千町附近においては粘板岩ないし砂岩の層理面に平行して, 直径 5~10 cm の餅状の石灰岩があたかも礫の如く多数見出された。 さらにこの西方延長には石灰岩の比較的大きな岩塊が, 粘板岩・砂岩の層理面に平行してレンズ状に介在する。 この最後の2個所のものでは, (1) 石灰岩以外に礫状をしたものが全くない, (2) 粘板岩・砂岩はいずれも石灰質である, (3) 2個所のうち後者において 周辺の石灰質粘板岩ないし砂岩中の化石と石灰岩中の化石とがほゞ等しい, ことからみて, 前者の石灰岩も後者の石灰岩と同様同時堆積物であって, たゞ石灰岩塊が小さく礫状を呈したものと解釈される。 宍粟郡繁盛村倉床北部および この西延と見られる南谷村南部地内に石灰岩が見られる。 こゝではその上下盤に黒色粘板岩が横たわり, 石灰岩は灰白色結晶質で風化すれば茶褐色となる。 石灰岩中に粘板岩の薄層を含まない。 蘇虫類様化石を含有している。 養父郡南谷村明延西部地域の礫岩中の石灰岩は しばしば小レンズ状を呈して存在するが, 例えば第6図および第7図のように あたかも繁盛村千町附近におけると同様な現象が見られる。 さらにこの石灰岩は特に粘板岩中に小塊として挾まれ, 風化した場合には一見化石の印象の様な空隙を生じている。 養父郡建屋村カカナベ西方において石灰質角礫岩が見られるが, その基質から紡錘虫を発見した。 たゞし個数少なく, かつ保存不良のため属種は明らかでない。 この岩石は暗青灰色でしばしば礫質粘板岩の黑色斑状が顕著である。 風化すれば石灰質の部分が溶蝕し, 多孔質となり, 茶褐色を呈する。 建屋村餅耕地西方においても石灰岩が見られるが, 暗灰色ないし灰青色で侵蝕面は白色を呈する。 この石灰岩は結晶質で化石は発見できない。
兵庫県宍粟郡西谷村附近すなわち引原川沿いに ホルンフェルス化作用を受けた灰白色の緻密・堅硬な岩石が広範囲に分布する。 しばしば帯緑白色の径 2 cm 内外の点紋を有する。 層理は全く識別できない。 これは近傍に分布する新期花崗岩質岩石による変成と見做され, その原岩は三方村近傍の明延層と一連のものとみられる。
本層は主として黑色粘板岩および灰色砂岩よりなり, 薄い礫岩を挾有する。
粘板岩 : 暗灰色ないし黑色, 緻密・堅硬であり, 風化すれば灰白色を呈する。 不定方向に角状ないし短冊状に割れる性質を有する。 層理はほとんど観られないが, 砂岩ないし砂質粘板岩に移行する境界においては 走向・傾斜を測定することができる。 古期花崗岩質岩石近傍においてしばしば石英の細脈が認められるが, この火成岩による変質程度は一般に弱い。
砂岩 : 灰白色ないし灰色, 緻密・堅硬である。 風化すれば黑褐色ないし黄褐色を呈する。 しばしば石灰質である。 常に塊状ないし角状に割れる。 走向・傾斜は前記粘板岩と同様に境界面において測定することができる。
礫岩 : 養父郡西谷村藏垣, 南谷村下浦・田野に薄い礫岩が介在する。 礫の径は 2~3 cm で, 藏垣では黑色頁岩の角礫が顕著であり, 田野・下浦ではチャートの礫が顕著である。 礫岩層は極めて薄く最厚 2~3 m であって, かつ連続性に乏しい。
大屋層は図幅地域の北部すなわち養父郡大屋村・西谷村・南谷村北部を占め, ほゞその中央部では古期花崗岩質岩石および閃緑岩の整合状貫入岩体が発達し, その火成岩体の北部には粘板岩が, 南部には砂岩が広く分布している。 走向は明延断層以東では N 60~70゚ E, 断層以西では N 70゚ W, 傾斜はいずれも 50~70゚ N である。 すなわち, 見掛上北傾斜の単斜構造であるが, これを西南日本内帯の複雑な地質構造から推すと, 単なる単斜構造であるか否かは今後の検討を要する。 大屋層においては化石は全く未発見で地質時代の決定は困難であるが, 後記する三畳系の御祓山層群よりは古い。 大屋層の岩石を近傍地域の地層に対比するならば, 京都府天田郡下夜久野村千原に分布する地層に酷似する。
須留ヶ峯層および明延層は図幅地域の南半の大部分に亘って分布する。 全体の走向は東北東で図幅の東北辺より南西辺に向って走る。 しかしながら傾斜は一様でなく, 南にあるいは北に傾き幾つかの背斜・向斜によって褶曲し, 走向断層および傾斜断層によって断層地塊に分たれているようであるが, いずれもその位置を確かめることはできない。 明延層の礫岩は明延より富士野峠に通ずる道路上, 富士野峠より富士野近傍苅谷, 瀬谷さらに南では宍粟郡繁盛村東公文・横山近傍等にみられ, 特に明延地域において顕著であるが, 三方村遊屋・富山越近傍に至ると 古期花崗岩質岩石・閃緑岩および輝緑岩質岩石によって遮断される。 明延地塊の明延層は西南に延びて繁盛村・三方村に連続する。 明延地域では礫岩が厚く, 単斜構造を示すが, 繁盛・三方地域では礫岩は薄く, 背斜および向斜構造を示す。 すなわち, 明延地塊と繁盛・三方地塊とでは堆積相の変化を顕著に示している。 明延地塊では特に富士野峠近傍においては, かなり厚い顕著な礫岩層を追跡できるが, それより下位には礫岩層は見当らない。 その下位の地層とは岩相・構造を少しく異にするが, その間の関係およびその礫層の地史学的意義は明らかでない。 養父郡建屋村においても明延層をみるが, この地域では礫岩層はみられず砂岩・粘板岩の互層で, 比較的粗粒の砂岩がみられ, 礫質石灰岩を挾有する。 また, 建屋村カカナベ・餅耕地附近では千枚岩質となっているが, 朝来郡山口村佐中西方では比較的塊状を呈し 普通の粘板岩にほゞ近いもので, たゞ新期花崗岩質岩石に貫入される近傍においては 低度のホルンフェルス化作用を受けている。 明延層は須留ヶ峯層よりも千枚岩化の程度が低く, 閃緑岩または輝緑岩の貫入が少ない。 すなわち図幅内では輝緑岩の貫入と千枚岩化作用との間には ある関係があるもののようで, 貫入岩の周辺ほど千枚岩化作用の度が強い。 そこで明延層と須留ヶ峯層とを境する明延断層の意義を考察してみると, 地下深所で閃緑岩・輝緑岩などの火成岩貫入作用を受けたものが いわゆる須留ヶ峯層であって, しからざる地下浅所の部分が明延層であり, それらを境するものがいわゆる明延断層であると解釈される。 次に富士野・明延近傍における明延層の層序を表記すると(上より)
須留ヶ峯層は細粒堆積物が多く, 礫岩ないし礫質堆積物に乏い。 また石英質岩石ないしチャート質岩石が観察されることは注目に値する。 これらの岩相の比較からみて, 須留ヶ峯層は遠海の堆積物で明延層は近海の堆積物であると推定しうる。 明延層(須留ヶ峯層を含めて)の地質時代は 養父郡建屋村カカナベ西方において, 礫質石灰岩から紡錘虫が発見されるところから, その一部は二畳石炭紀に属することは確実である。 明延層中, 明延西部の含礫層の時代および地史学的意義は今後の興味ある問題で, 古生物学的研究を特に必要とする,
明延層と大屋層とは東北東方向の断層によって境されると推定されるが, 層序的上下関係は決定できない。
本属群は養父郡南谷村糸原・田野東方・岩井北方・建屋村森西方すなわち 御祓山(773.1 m)を中心として分布し, 礫岩および砂岩を主とし粘板岩を挾有し全体として粗粒堆積物から成る。 本層群からは数ヵ所で動物化石が見出された。 層位はおゝむね走向 N 30゚ W, 傾斜 30゚ NE である。 西方に分布する 東北東方向の走向を有する 大屋層とは直接の接触面は観察されなかったが, 両層間の岩質および構造の相違から傾斜不整合関係にあると見做される。
本層群は少なくとも2つの構造地塊に分たれる。 それらを北から大屋地塊および御祓山地塊と呼ぶ。 2地塊を境するものは東北東方向の断層で, 御祓山地塊の南限は大部分凝灰岩ないし凝灰岩質角礫岩によって被覆されるが, 建屋村カカナベ北方においては 東北東方向の断層(擾乱帯)を以て明延層と境される。 両地塊の層序はそれぞれ次の如くであって, 大屋地塊の下部には御祓山地塊に欠除するより下位の岩相が存在する。
| 大屋地塊 | 御祓山地塊 |
|---|---|
| 粘板岩 | |
| 砂岩・粘板岩 | |
| 砂岩 - 礫岩互層 | |
| 砂岩 | 粘板岩 |
| 砂岩 - 礫岩互層 | 砂岩 - 礫岩互層 |
| 粘板岩・砂岩 | |
| 砂岩・礫岩 (礫岩は粘板岩の同時侵蝕礫様の岩石を含むを特徴とし, 粘板岩を挾有する) | |
大屋地塊においては下部に特異な岩層を有する。 すなわち粘板岩の同時侵蝕礫様の岩石を含む砂岩ないし粗粒砂岩が, 黑色粘板岩を挾有して分布する。 地層はおゝむね走向 N 20゚ W, 傾斜 50゚ E であって, 西方に分布する走向 E - W, 傾斜 50゚ N の大屋層とは直接接触面は観察し得ないが, 不整合関係にあるものと考えられる。 さらにこの地層は糸原の家の奥谷北側にも分布するが, 谷沿いに走向 E - W, 傾斜 50゚ N の大屋層と見なされる黑色粘板岩が分布している。 しかし不整合面の露頭を確めることはできない。 この地層の上位に重畳する礫岩・砂岩・粘板岩は前記の地層とは異なり, 大屋地塊・御祓山地塊のいかんを問わず分布する。 礫岩層はしばしば 20 m 以上の厚さを有するが, その正確な厚さは算定できない。 礫岩は砂岩と互層し, 多くを数える。 礫はチャートが最も多くかつ大きい。 黑色粘板岩がこれに次ぎ, 閃緑岩質岩石も含まれる。 礫の最大径は 10 cm 内外で小礫は 1 cm 以内である。 礫は水蝕をよく受け大部分が円礫である。 この礫岩層と互層しあるいはその上位に石灰質灰白色砂岩がある。 風化すればおゝむね黄褐色ないし茶褐色となる。 これらの地層は大略走向 N 20~30゚ W, 傾斜 30゚ NE である。 さらに前記砂岩層の上位に黑色ないし暗緑灰色粘板岩が重畳する。 風化面は茶褐色を呈する。 節理が多少発達し層理は顕著でない。 この上位に前記砂岩・礫岩層に酷似した相の地層が重畳するが, 層厚は前者より厚い。 これらの上位には砂岩・粘板岩層および粘板岩層が重畳する。
近畿北部の三畳紀の堆積岩を通覧しても, このような礫岩・砂岩・粘板岩は多くは見られないが, 京都府志高層群はこれに酷似する岩相である。
さらに西南日本内帯においては 東北東方向に帯状に分布する堆積岩中に三畳紀層も含まれていて, すなわち夜久野地方ないし舞鶴地方に分布する 難波江・河西・夜久野・日置の各層群が古生層中に介在し, ともに褶曲運動に参加しているのに対し, 御祓山層群はこの構造帯を被覆する構造にあるのでより後期のものと推定され, この構造は志高層群にむしろ類似する。
また御祓山層群からの動物化石群は 古生代または新生代の要素を含まず Myophoria, Gervilleia, Nucula, Gastropoda からなり, 志高動物化石群に酷似する。 これらの岩質・構造および古生物学的見地からみて, 御祓山層群はほゞ志高層群(上部カーニックないしノーリック階) に対比し得るものであろう。 たゞし時代の最後的決定は産出小型動物化石の鑑定をまっておこないたい。
岩石 : 一般に暗緑色ないし暗灰緑色, 局部的に紫緑色ないし紫褐色を呈し, 一般に塊状・緻密で細粒ないし微粒である。 しばしば方解石脈・緑泥石脈・緑簾石脈, 時には石英脈が不規則に認められる。 岩体の縁辺部において特に緻密・微粒なものと, 剥離性が強く輝緑凝灰岩様の外観を呈するものとがある (南谷村岩井・南良辺附近, 繁盛村黑原・井内附近, 西谷村若杉附近, 三方村溝谷附近等)。
南西の三方村附近に見られる岩石中には, 古期花崗岩質岩石の貫入の際その影響を受けたと考えられ, 粗粒となっていて斑糲岩ないし閃緑岩と明瞭に区別しがたい部分もある。
顕微鏡下では斑状組織やオフィティック組織の認められる岩石もあるが (西谷村若杉・南谷村明延), 等粒のものが多い。 構成鉱物のうち特に有色鉱物は変質しているが, 角閃石・単斜輝石の残晶が認められる(西谷村中間北西)。 紫褐色を呈する岩石は特に変質の程度が著しく, 鉄質物に富む暗褐色の基地に 僅かに斜長石らしい外形をしたものが認められるに過ぎない。 また彎曲した短冊状の斜長石が存在するもの, 脈状や球顆状をなした方解石が認められるものもある(南谷村南良辺附近)。 古期花崗岩質岩石との境界附近のこの岩石中には, 淡褐緑色の粒状の比較的新鮮な角閃石が認められる。
片状輝綠岩質岩石 : 神子畑附近に現出する暗緑色片状の岩石であって, 塊状の輝緑岩質岩石に移過するようである。 淡緑色の角閃石を主成分とし, ほかに斜長石(曹長石?)・ソーシュライト・チタン石等から成る。 斑晶はなく, レンズ状ないし楕円形のチタン石の小粒が片理に沿って連なる。
輝綠岩質岩石と他の岩石との関係 : 古生層の砂岩および粘板岩とは一般に明瞭な境界をなし, その部分では粘板岩はやゝ硬くなり輝緑凝灰岩様の外観を呈することがある。 明延川の東側に発達する本岩体内には, 緑色千枚岩・黑色千枚岩・珪岩等が帯状または島状に挾まれ, 北東 - 南西方向へ伸び, 北西または南東に傾斜する。 また特に明延附近の古生層の千枚岩中には 0.5 cm 内外の厚さで幾條も剥離面に沿うて存在する状態が認められる。
明延川東方の本岩体の分布状態から, その東西両側において北北西 - 南南東の断層が推定される。
本岩類と 斑糲岩ないし閃緑岩および古期花崗岩質岩石との関係については後に述べる。
岩石 : 本岩類は緑灰色を呈し, 有色鉱物と無色鉱物の割合や粒度はところにより変化し, 閃緑岩質, 時に斑糲岩質である。 西谷村筏南西では, 同一の露頭で粗粒のものから細粒の輝緑岩質のものまで見られる。 塊状の部分もあるが一般に片状構造や流理構造が認められ, しばしば無色鉱物や緑簾石からなる脈が発達する。
西谷村佐治見附近において 古期花崗岩質岩石中に島状に現出するものは変質の程度が強く, 結晶形は不明瞭で縞状構造を示し, 剥離性を有することがある。
また三方村溝谷南東では粗粒の斑糲岩質岩石が, 一見蛇紋岩様のみかけを呈する。
本岩類は顕微鏡下ではしばしば圧砕構造を示す。 斜長石は一般に変質しソーシュライト化している。 累帯構造は認められない。 有色鉱物としては褐色ないし緑色の角閃石に富み, 少量の単斜輝石を伴う。
本岩類は新期花崗岩質岩石の近くでは黑色で硬くなり, ホルンフェルス様の感じを与える(西谷村横行北)。 たゞし肉眼で斜長石の認められる部分もある。 この岩石を顕微鏡で観察すると, 主として淡緑色の角閃石・曹長石(?)および塵埃状の鉄質物から成り, 角閃石の縁辺部は細く針状を呈する。 さらに花崗岩質岩石に接近した部分では角閃石の結晶形は明瞭となり, 塵埃状の鉄質物はほとんど消失する。
他の岩石との関係 : 本岩類の貫入時に, 古生層や輝緑岩質岩石に与えたと考えられる変成現象は明瞭でないが, この岩石が夜久野地方で三畳紀層を貫ぬいていることが知られている。 中生層を貫ぬく輝緑岩質岩石が, いわゆる夜久野塩基性岩の分布地帯に知られていない等のことから, 輝緑岩質岩石より新しいものと考えられる。
明延附近においては, 閃緑岩ないし斑糲岩と輝緑岩質岩石との接触面は, 北西に傾く事実が認められている [ 明延鑛業所卜部技師の談話による ] 。
古期花崗岩質岩石との関係は後に述べる。
西谷村大谷から若杉に至る道路側に現出する。 著しく変質を受けた斑糲岩質岩石中に, 岩脈状をなして僅か数 m の間露出するもので, 黑色部と淡緑灰色の部分とが縞状をなしている。
顕微鏡下では蛇紋石(一部脈状), 無色の単斜輝石の大晶と破壊された小片, 繊維状の透角閃石に近い無色角閃石, および無色に近い柘榴石からなる。 柘榴石は単斜輝石のなかに取り囲まれ, あるいは繊維状の透角閃石が楔状に柘榴石の結晶中に突入している。
岩石 : 一般に粗粒で帯緑灰白色ないし淡緑色を呈する。 ところによっては中粒で,花崗斑岩質ないし石英斑岩質の部分もあり (南谷村和田北西・藤無山北東部等), 結晶粒が不明瞭でやゝ縞状を示す部分もある (南谷村明延北東・西谷村筏南方等)。
また石英や有色鉱物の量も異り, 塩基性岩に近いところではしばしば石英の量が減少し, 有色鉱物の量が増加する。 石英は乳濁色を呈し, 有色鉱物は一般に緑色で結晶形は明瞭でない。
顕微鏡下では圧砕構造が認められ, 著しいものはミロナイトとなっている。 斜長石は曹長石ないし灰曹長石であって, 累帯構造は認められない。 有色鉱物はほとんど屈曲した緑泥石と緑簾石とからなり, 角閃石や黑雲母の残晶が僅かに認められる。
本岩類西部の新期酸性岩類の近くにおいては, 本岩類 [ 以下の [注] 参照 ] の斜長石の内部は汚濁するが, 周辺部は新鮮となり時には内部を石英脈が走り, あるいは斜長石の内部に新鮮な部分が脈状に認められる。 南谷村田野附近にもこれと同様の現象が認められる。 また西谷村若杉西方においては曹長石と石英による文象構造が認められる。
他の岩石との関係 : 本岩類は古生層に著しい接触変成作用を与えておらず, 両者の間に混成現象は認められないが, しばしば, 古生層中に岩脈をなして幾條にも入り込み(三方村溝谷附近), あるいは接触面近くに珪化作用や緑泥石化作用が認められる (西谷村佐治見西方・藏垣北方・中間南東・本岩体の北東部)。
塩基性岩類との境界附近においては接触変成現象が認められるほか, 塩基性岩に対しては枝状に入り込み, 有色鉱物に富む石英閃緑岩ないし花崗閃緑岩質の漸移相を 生じているところも見られる(西谷村横行から栗下に通ずる道路附近, 須留ヶ峯西側, 三方村小原附近)。 また塩基性岩が捕獲岩状となり本岩体中に介在する。 若杉から大路に通ずる道路の山頂附近には斑糲岩質岩石の捕獲岩があり, 大きな石英粒が浸染している。 西谷村筏の南方川床においては, 古期花崗岩質岩石と閃緑岩ないし斑糲岩の接触部が見られるが, そこでは粗粒の花崗岩質岩石から中粒ないし細粒のものを経て, 粗粒で無色鉱物の脈を有する閃緑岩質岩石へと移化している。
この岩石は図幅北東部建屋川東部地域に現われ, 隣接図幅にやゝ広く分布している。 淡紅色を呈し, 粗粒で均質であり, しばしば小さい晶洞を有することが特徴である。 主要構成鉱物の1つとしてパーサイトが認められ, 有色鉱物は緑泥石化している。 石英および斜長石には新鮮なものと汚濁されたものとがあり, また徴弱な波動消光を示すものがある。 汚濁されたものゝ周辺部はしばしば新鮮である。
但馬竹田図幅における現出状態から, 新期花崗岩質岩石よりも古いものと推定される。
本層は図幅地内西部において, 安山岩および凝灰質岩類に被われて多数の小区域に分れて分布するほか, 図幅北東隅および南東隅にも分布する。 本層は頁岩・砂岩・礫岩からなりしばしば凝灰岩質である。 走向は一般に NNE で E~W に傾斜する。
頁岩 : 黑色を呈し堅硬・緻密である。 不定方向に割れその破面は凹凸を示す。 しばしば光沢を有する雲母の小片を含有する。 よく成層し層理は明瞭である。 頁岩がもっともよく発逹し, 宍粟郡奥谷村宮中・引原附近では珪化作用を受け, 灰白色の珪質頁岩状を呈し層理は明瞭でしばしば著しい節理が発達する(第8図)。
砂岩 : 緑色ないし緑灰色を呈し, 不定方向に割れ, 一般に凝灰岩質である。 頁岩としばしば互層し, 層理は明瞭である。
礫岩 : 粘板岩および砂岩と互層するが, 比較的下部に発達する。 礫はチャート質岩石・頁岩・流紋岩質岩石・珪岩等で 径は 5 mm ~ 2 cm, 角礫状のものが比較的多い。 しばしば凝灰岩の角片を含み, 凝灰岩質である(第9図)。
図幅内北東部すなわち 朝来郡山口村佐中西方・ 餅耕地西方および養父郡建屋村カカナベ西方・ 南谷村岩井附近 に大屋層・明延層・御祓山層群および輝緑岩・閃緑岩を被覆して分布する。 図幅西部では戸倉峠・鹿伏西方等に分布する。 岩質は変化に富むが, 大別して凝灰岩および凝灰角礫岩に分けられ概して流紋岩質である。 顕著な凝灰角礫岩は 山口村佐中西方および建屋村餅耕地西方基盤岩に接近する附近に著しく発逹し, 凝灰岩と互層する場合もある。 凝灰角礫岩は径 1 cm 内外の礫を含有し, しばしば流理構造を肉眼および鏡下に観察することができる。 外観は変化に富むが一般に緑灰色を呈し, 風化すると黄褐色となる。 不定方向に割れる。 礫は黑色粘板岩および流紋岩質岩石であって, 一見水蝕礫岩に酷似する。 基質は鏡下において石英が顕著でしばしば流状方向に伸びる。 長石を含みかつ流紋岩片および絹雲母を有することがある。 一般に石基は不明瞭である。 戸倉峠附近では安山岩や絹雲母緑泥石千枚岩質岩石の角礫を含み, 諸処で珪化作用を受けている。 検鏡の結果角稜を持った石英・緑泥石ないし, 炭酸塩鉱物に置換された有色鉱物と曹長石とを含有するが, 石基は明瞭でない。 石英は特に顕著である。
奥谷層および凝灰質岩類の地質時代を決定する化石は未発見であるが, 北隣図幅地域の地質に徴し第三紀に属せしめて誤はないであろう。
南谷村明延附近, 西谷村筏・佐治見・中間・若杉附近等各地に露出する。
明延附近の岩脈は黑色を呈し, 南谷鉱床附近においては北東 - 南西方向に走る。 肉眼では斑晶として斜長石および有色鉱物が認められる。
顕微鏡下では有色鉱物は主として, 帯緑淡黄色の紫蘇輝石および単斜輝石であって, 多少緑泥石化しているが, 角閃石または黑雲母から由来したと考えられる緑泥石もある。 石基に見られる有色鉱物は緑泥石化しており, 緑泥石が球顆状をなした部分もある。 その他, 柘榴石を多量に含む安山岩質岩脈も認められる。
佐治見附近に現出する暗灰色の玢岩質岩石は 角閃石・普通輝石および紫蘇輝石の斑晶を有する。
この岩石は普通帯緑暗灰色を呈し, 多少プロピライト化したものであるが, 珪化作用を受けたもの(奥谷村戸倉-宮中間), 黄鉄鉱が鉱染したもの(西谷村横行西方・若杉峠)および ホルンフェルス化したものがある(奥谷村鹿伏)。
顕微鏡下では有色鉱物は通常緑泥石・炭酸塩鉱物・鉄質物等で交代され, 橄欖石および斜方輝石が存在したかどうか一般に不明であるが, 単斜輝石は変質していても大概の場合に認められる。 斜長石は比較的変質し難いが, 一部炭酸塩鉱物で交代され, 一部は小粒として散点する。
鹿伏東方においては変質しているが, 普通角閃石の小片を含んだ含橄欖石 - 紫蘇輝石 - 普通輝石安山岩が現出する。
斑晶と石基鉱物との間に大いさの区別がつけ難い安山岩は, 因幡街道東側および奥谷村戸倉附近に多い。
奥谷村鹿伏の新期花崗岩質岩石に接して見られるホルンフェルス様岩石は, 暗紫色を呈し堅硬である。 顕微鏡下では波動消光を示す石英脈が認められ, 斑晶は灰曹長石ないし中性長石が主であって, 時には単斜輝石や角閃石が存在する。 石基には斜長石のほかに淡褐黄色の黑雲母の小片が不規則に群集している。
変質安山岩はその分布状態から, 奥谷層の水成岩および第三紀凝灰質岩石を被覆するものと考えられる。 また上に述べたように, 一部接触変質を受けていることおよび流紋岩の章で述べる事実から, 変質した安山岩の一部は 少なくとも一部の新期酸性岩類の生成以前に噴出したものと考えられる。
岩石 : 長石や石英の斑晶には種々の大きさのものが見られ, 長石には淡紅色のものと白色のものとがある。 石基は灰色ないし暗灰色である。 石英は一般に新鮮で両錐形または破片状をなし, しばしば湾入した輪廓を示す。 長石はやゝ汚濁し累帯構造は認められない。 有色鉱物は角閃石または黑雲母から由来したと考えられる緑泥石が主であるが, それらが方解石で交代されていることもある。
他の岩石との関係 : 藤無山附近の流紋岩は, 分布状態, 岩体の西側に珪化作用を受けた凝灰質岩石が存在すること, 岩体の東側に変質した安山岩の転石が存すること, 既に述べたように 流紋岩質岩石との接触附近の古期花崗岩質岩石に見られる変質現象 等から考えて, 一部の安山岩の後に貫入したもので地表を流動したものではないようである。
各地に小岩体をなして点々と露出するが, 特に藤無山の南東地帯に多数の岩体が古生層を貫ぬいて発達する。
長谷村附近の流紋岩の岩体に囲まれて, 笠杉山附近では変質した安山岩があり, 附近の閃緑岩ないし斑糲岩も変質しているので, この流紋岩は貫入した部分もあると考えられるが, 南東部のものでは表面を流動した疑いがある。
図幅内では新期花崗岩質岩石との関係は明瞭でないが, 図幅南東部においては現出状態や鉱床の賦存状態から判断すれば, 流紋岩はおゝむね新期花崗岩質岩石より古く噴出したものと考えられる。
この岩石は処々に分布し, 同一の岩体においても岩相や成分がかなり異り, 一般に中粒で花崗岩質組織を有するが, 斑状で花崗斑岩ないし石英斑岩質組織のこともある。 成分の点では花崗岩ないし石英閃緑岩の範囲にあるが, 図幅南西部の岩体は全体として石英閃緑岩質である。 処によっては捕獲岩が認められ, また既に述べた如く変質安山岩等に接触変成作用をおよぼしている。
古期花崗岩質岩石と異る点は次の如くである。
西谷村横行南東から藤無山の山麓にわたり, 小岩体をなして断続し, 一般に周囲の岩石より低い地形を占めて露出する。
西谷村若杉南方には花崗斑岩質の部分もあるが, 一般に淡紅色・緻密・堅硬な岩石で珪長質物よりなり, 淡紅色を呈する曹長石の斑晶が僅かに認められ, 稀に石英の斑晶が存在する。 有色鉱物は緑簾石らしい鉱物の集合体で交代されている。
本岩と新期花崗岩質岩石との関係は明瞭でないが, 新期花崗岩質岩石の小岩体中に 花崗斑岩質ないし石英斑岩質の部分が認められること, 淡紅色を呈すること, 北西 - 南東方向に並ぶこと 等から, 時期的にも成因的にも両者は一連のものでないかと考えられる。
本岩は横行北西の新期花崗岩質岩石の周辺部に認められるほか, 倉床には小岩株として現出する。 淡紅色および白色を呈し, 累帯構造を示す斜長石および しばしば湾入した輪廊をもつ石英の大きな斑晶(径 1 cm に達するものがある) で特徴づけられている岩石で, 黑雲母および角閃石は緑泥石化している。
図幅の北東辺の御祓山層群を被覆して分布する。 暗灰色を呈し緻密であるが, 稀に酸性岩源と思われる径 2 cm ほどの捕獲岩片を含有する。
顕微鏡下では新鮮な橄欖石玄武岩であって, 斑晶は橄欖石・単斜輝石・紫蘇輝石および斜長石であるが, 量の割合は部分によって変化し一般に紫蘇輝石および斜長石は少ない。 石基は間粒状組織を示し, 主として斜長石・単斜輝石および橄欖石から成る。
新鮮な安山岩は, 図幅の北縁に分布するやゝ塩基性の天滝熔岩(含橄欖石 - 普通輝石安山岩)と, 西北西隅に分布する氷山熔岩(紫蘇輝石 - 普通輝石安山岩)に分けられる。 天滝熔岩は恐らく図幅北東辺の玄武岩と一連のもので, 分布状態や地形から見て氷山熔岩より古いものであろう。
天滝熔岩は暗灰色を呈し, 玄武岩に似た部分もあり, かなり塩基性である。 斑晶は斜長石・橄欖石および普通輝石で, 量の割合は部分によって変化する。 石基は間粒状または塡間組織を示し, 斜長石・普通輝石・橄欖石等が認められる。
氷山熔岩は灰色を呈する。 斑晶の主な鉱物は斜長石・普通輝石・紫蘇輝石で稀に橄欖石を含む。 石基は塡間組織を示し, 主として斜長石・単斜輝石および紫蘇輝石からなる。 戸倉附近の転石を顕微鏡で観察すると, 紫蘇輝石の周辺に単斜輝石の小粒から成る薄い縁があり, 斜長石は単斜輝石の小粒を包有する。
新鮮な安山岩と新期酸性岩類との新旧関係は不明である。
大屋川流域・明延川流域・建屋川流域・三方川流域・引原川流域に主として分布し 前記諸岩石類の砂礫により構成されている。 三方川流域三方町北東方においては, 顕著な段丘堆積物が見られる。
図幅内において, 地質構造上明らかに 北東 - 南西ないし東北東 -西南西の方向が大きな意義を有し, また北西 - 南東の方向も断層に関係があり, 新期酸性岩類の貫入も一部この方向に関連している如く配列している。
さて鉱床の生成についても, やはりこの2つの方向が大きな意義を有している。 すなわち明延鉱山南谷の含銅硫化鉄鉱鉱床は, 北東 - 南西ないし東北東 - 西南西の方向を有し, 輝緑岩質岩石中に島状に伸びる千枚岩を母岩として, ほゞその片理の方向に沿うて胚胎される。 生野・明延・岩美,ほか多数の鉱床の存在により この地帯が北西 - 南東に走る顕著な鉱床地帯である 22) ことは既に指摘されたところであるが, 明延の鉱脈鉱床のほか, 点々と分布する小鉱床の多くはこの帯上に存在する。
さらに明延附近の鉱脈鉱床について見れば, 鉱脈群の多くの方向はこの2つの方向を示し, 地質構造上の2つの方向が鉱脈の方向を規制したものと考えられる。
金属鉱床において富鉱体の胚胎される母岩は, 千枚岩質水成岩および細粒の輝緑岩質岩石であって, 剥離性のない水成岩・閃緑岩ないし斑糲岩およびその他の火成岩類には 富鉱体は存在しない。 非金属鉱床の母岩は流紋岩である。
兵庫県養父郡南谷村和田にあり, 山陰本線鹿駅より自動車が通じている。 また播但線新井駅から神子畑選鉱場まで約 12 km の間自動車が通じ, 神子畑から鉱山専用電車により 8 km の明神隧道を経て本鉱山に達し, 産出鉱石はもっぱらこの経路により搬出される。
明治 33 年 4 月三菱鉱業株式会社により開発され, 錫および銅の採掘に着手した。 大正 2 年南谷鉱区を買収し, 含銅硫化鉄鉱の採鉱を始めた. 昭和 15 年~同 18 年の間には明神隧道に 10 トン電車を通じ, 産出鉱量は最盛期に達した。 終戦後三菱鉱業株式会社は解体され太平鉱業株式会社 [ 以下の [注] 参照 ] が経営している。
本鉱山は鉱石の種類に富み, 戦時中増産の要請に応じ採鉱に全力を傾注した結果, 探鉱開発は著しく不定し可採鉱量が激減した。
銅・錫鉱床群および含銅硫化鉄鉱の年次による鉱量および品位は第2表の如くである。
| 年次 | 数量 | 品位 | ||
|---|---|---|---|---|
| 銅 | 錫 | |||
| 銅錫鉱床群 | 昭和 15 年 | 100 * | 1.08 | 0.76 |
| 同 22 年 | 130 | 0.66 | 0.27 | |
| 同 23 年 | 110 | 0.82 | 0.34 | |
| 含銅硫化鉄鉱 | 昭和 15 年 | 100 * | 3.10 | |
| 同 22 年 | 20 | 2.59 | ||
| 同 23 年 | 20 | 2.59 | ||
| * 1940 年の鉱量をそれぞれ 100 とする。 | ||||
昭和 26 年現在では明延断層東部地区の錫・タングステン鉱の鉱量が減り, 北部地区の錫・銅地帯の開発計画を進めている。 また明延断層西部地区では, 昭和 24 年度より継続中の 銅・亜鉛・鉛鉱を目的とする探鉱開発坑道を掘進していたが, 北西に進めたものは古期花崗岩質岩石に逢着して中止のやむなきに至り, 西部地区の北東 - 南西方面に探鉱を進めなければならない状況にある。 たゞし明延断層が鉱床生成以後とすれば, 錫・タングステン鉱脈群の延長が切断されて地下に存在するかどうかが問題である。
鉱床の型から見れば, 錫・銅・亜鉛・鉛・金・銀鉱脈鉱床と 含銅硫化鉄鉱鉱床の2つに分類できるので, 以下それぞれに分けて述べることにする。 坑内に関しては, 文献, 太平鉱業株式会社の資料および卜部技師の談話に拠り記載する。
明延の北東 1 km 須留ヶ峯の西斜面にある。 輝緑岩質岩石中に 北東 - 南西の方向に延びる黑色および緑色千枚岩ならびに珪岩があり, 緑色千枚岩は黑色千枚岩に比し著しい片状構造を示す。 南西部には 古期花崗岩質岩石 ならびにそのミロナイトの小岩体および閃緑岩ないし斑糲岩が現われ, 北部に安山岩質岩脈が千枚岩の走向とほゞ平行して走る。
母岩は鉱体に接近すると一般に著しく珪化作用を受ける。
鉱床は 緑色千枚岩・黑色千枚岩・珪岩および輝緑岩質岩石中に存在する 偏平狭長レンズ状黄鉄鉱鉱床であって, 肥大部は特に緑色千枚岩の層面に沿って胚胎され, 黑色千枚岩中では分散尖滅する。 鉱体はしばしば極めて多数の小断層により転移し複雑な形態を呈する。 鉱体は縁辺部に近づくに従い次第に石英を増加して珪質となり, 黄鉄鉱および黄銅鉱を散点する。
鉱石は含銅硫化鉄鉱で, 主として粒状黄鉄鉱およびその間隙を充す黄銅鉱よりなり, 脈石は石英を主とし, このほか随伴鉱物として少量の 磁硫鉄鉱・磁鉄鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱・珪灰鉄鉱?・緑泥石・緑簾石 およびマンガン黝簾石等を伴う。
方鉛鉱および閃亜鉛鉱は黄鉄鉱および黄銅鉱より後に生成されたもので, 鉱体以外の石英脈中に存在する。
錫・銅・亜鉛・鉛鉱脈鉱床 : 明延川に沿いほゞ南北に走る明延断層を境として, その東部地区は主として 変質した輝緑岩質岩石および閃緑岩ないし斑糲岩から成り, 輝緑岩質岩体中に緑色粘板岩ないし千枚岩・珪岩等が 細く北東 - 南西の方向に伸びて存在する。
断層の西部地区は 東部地区に比べて変成度のやゝ低い黑色粘板岩ないし千枚岩が発達し, 薄い礫岩や砂岩を挾有する。 その成層面の走向は一般に北東 - 南西で北西に傾斜する。 この西部地区の北西部では輝緑岩質岩石や古期花崗岩質岩石が現出し, 水成岩の剥離性は失われる。
また所々に流紋岩・安山岩および玢岩の細い岩脈が見られる。 坑内 [ 以下の [注] 参照 ] においては安山岩岩脈は鉱体を切るが, 鉱脈により切られるものは認められない。 また流紋岩が鉱体を切るのは認められないが, 流紋岩中には鉱体は胚胎していない。
母岩の変質状態について見ると, 鉱脈に接する粘板岩は一般に珪化作用および緑泥石化作用を受ける。 また緑簾石化作用も認められるが, 輝緑岩質岩石の変質したものに特に緑簾石が多い。 明延断層のほか, 鉱床生成以前および以後の北東 - 南西およ北西 - 南東方向の断層が多数存在し, 鉱床生成以後の断層は落差 30 m に達するものがあるが一般に落差は小である。
特に明延を中心として主要鉱脈が発逹し, 大仙・二本松・大同・赤栄・百間・恵比寿・大黑等多数の鉱脈が存在する。 変質した輝緑岩質岩石およびそれに近いところ, 特に明延川の東部においては, 外側部に行くに従って亜鉛・鉛が増加し錫が減小するが 主として錫鉱を胚胎する鉱脈群が N 50゚ W の走向を有し, 北東に 60~80゚ の傾斜を保って併走する。 明延川の西部の水成岩中では, 東部に北西 - 南東の方向を示した鉱脈が発逹し, 西に進むと東西方向の鉱脈が発達して銅鉱の量を増加する。 さらに西に進むと N 30~40゚ E の方向をとり, 亜鉛・鉛を含む鉱脈群が発逹する。 ところが鉱脈群の方向に変化があっても, 水成岩の走向および古期火成岩の方向性にはほとんど変化が認められない。
錫鉱脈群の母岩はほとんど輝緑岩質岩石であり, 一部千枚岩ないし粘板岩であって, 閃緑岩ないし斑糲岩および古期花崗岩質岩石中においては, 鉱脈の発逹は極めて不良である。 閃緑岩ないし斑糲岩と 輝緑岩質岩石および千枚岩ないし粘板岩との境界附近では, 鉱脈のあるものは あたかも閃緑岩ないし斑糲岩の岩体を避ける如く 北東 - 南西の走向を示す。 西部地区の銅・亜鉛および鉛を含む鉱脈の母岩は, 砂岩を挾む千枚岩質の粘板岩であって, 輝緑岩質岩石や他の岩石中には稼行できる鉱脈は存在しない。 たゞし前に述べた如く, 東部地区においては 輝緑岩質岩石を母岩として 亜鉛・鉛を多量に含む鉱脈が外側部に存在する。 以上一連の鉱脈群は 赤栄・大仙・五節および大寿地区の一部を含む範囲を中心として, 各種金属鉱物の累帯分布が認められ, 層位上の下位にあたる中心部より外側部に向い, 錫・銅・亜鉛・鉛・銀鉱の順に漸移していることが認められている。
主要鉱物は黄銅鉱・斑銅鉱・錫石・鉄満俺重石・閃亜鉛鉱および方鉛鉱であり, 局部的に硫砒鉄鉱に富む部分もあるが黄鉄鉱は極めて少ない。 その他鉱脈構成鉱物としては, 螢石・灰重石・蒼鉛・輝蒼鉛鉱・輝水鉛鉱・磁鉄鉱・磁硫鉄鉱・菱鉄鉱・石英・玉髄 および黄玉が報告されている。
錫石の富鉱帯は赤栄5坑道地並以下坑道まで約 130 m の間であり, 大仙・二本松𨫤等では海抜 500 m のレベルを中心として その上下にそれぞれ 70~80 m の間である。 大仙脈等の大鉱脈は幅 3~4 m に達することがある。 黄銅鉱の富鉱帯は鉱脈の上部にあり, 赤栄脈においては5坑道地並以上である。 外側部における方鉛鉱と閃亜鉛鉱との割合は Zn : Pb = 2 : 1 である。
金・銀鉱脈鉱床 : 大立鉱床 48) は明延の南西直距離約 3.5 km, 繁盛村富士野の大身谷山に存在する。 最も盛んに稼行されたのは明治 20~30 年間で, 次に昭和 14~17 年の間を主とし, 大山3坑は年産数 100 t あて出鉱した。 以後休山状態にあったが, 昭和 25 年より再び明延鉱業所により採掘されている。
地質は千枚岩質粘板岩および粘板岩よりなり, しばしば硬砂岩の薄層を挾む。 一般走向は N 50゚ W, 傾斜 20゚ S で近くに流紋岩の岩脈が露出する。
主脈は一條で大身谷山山頂近くに賦存し, 走向は NW, 傾斜 50~60゚ S である。 またこの北西方向の主脈と斜交する淡立𨫤は支脈と考えられるもので, 東西の方向性を有し鉱石の品位はすぐれている。 大立鉱床の主脈は上部(大身谷坑・大山坑)は金・銀を主とし, 中部(内匠谷2坑)は銅分に, 下部(内匠谷3~4坑)は鉛・亜鉛分に富む。
神子畑鉱床は明延の南東直距離約 5 km の地にある。 明治 17 年開発され, 明治 22 年頃, 銀の生産量は生野鉱山の出鉱量の半ばに達したことがある。
附近の地質は輝緑岩質岩石および閃緑岩ないし斑糲岩から成り, 流紋岩および安山岩の岩脈により貫ぬかれる。 現在休山状態にある。
昭和 17 年以降の産出額は第3~8表の通りである。
| 年別 | 数量 トン | 品位 % | 含有量 kg | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 銅 | 錫 | 亜鉛 | タングステン | 銅 | 錫 | 亜鉛 | タンクステン | ||
| 昭和 17 年 | 534,807 | 0.67 | 0.40 | 0.14 | 0.034 | 3,559,671 | 2,131,239 | 75,538 | 184,211 |
| 同 18 年 | 538,867 | 0.71 | 0.26 | 0.22 | 0.619 | 3,829,039 | 1,374,771 | 1,164,477 | 101,440 |
| 同 19 年 | 336,710 | 0.78 | 0.21 | 0.72 | 0.013 | 2,628,110 | 701,328 | 2,435,162 | 45,312 |
| 同 20 年 | 101,604 | 0.68 | 0.17 | 0.006 | 0.41 | 696,096 | 176,189 | 422,614 | 6,544 |
| 同 21 年 | 77,915 | 0.63 | 0.25 | 487,918 | 192,076 | 431,214 | 6,496 | ||
| 同 22 年 | 75,395 | 0.91 | 0.3 | 683,211 | 270,016 | ||||
| 同 23 年 | 91,494 | 1.3 | 0.3 | ||||||
| 同 24 年 | 157,112 | 1.2 | 0.3 | 1,891,100 | |||||
| 同 25 年 | |||||||||
| 同 26 年 | |||||||||
| 年別 | 数量 トン | 品位 | 含有量 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 銀 g / t | 銅 % | 銀 kg | 銅 kg | ||
| 昭和 17 年 | 9,124 | 33 | 4.04 | 301,205 | 368,517 |
| 同 18 年 | 12,492 | 31 | 3.77 | 381,850 | 471,085 |
| 同 19 年 | 11,225 | 24 | 2.30 | 265,773 | 387,503 |
| 同 20 年 | 3,249 | 21 | 1.11 | 68,970 | 74,817 |
| 同 21 年 | 455 | 12 | 2.68 | 5,481 | 5,059 |
| 同 22 年 | 773 | 40 | 2.99 | 31,353 | 20,691 |
| 同 23 年 | 2,998 | 2.67 | |||
| 同 24 年 | 2,411 | ||||
| 年別 | 数量 トン | 品位 | 含有量 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 金 g / t | 銀 g / t | 銅 % | 錫 % | 金 kg | 銀 kg | 銅 t | 錫 t | ||
| 昭和 17 年 | 13,338 | 0.8 | 179 | 16.67 | 0.17 | 14 | 3,274 | 3,057 | 30 |
| 同 18 年 | 17,925 | 0.7 | 185 | 17.22 | 12 | 3,317 | 3,084 | ||
| 同 19 年 | 9,569 | 0.8 | 202 | 19.50 | 0.18 | 7 | 1,939 | 1,862 | 17 |
| 同 20 年 | 2,794 | 0.4 | 182 | 18.17 | 0.16 | 1 | 492 | 507 | 4 |
| 同 21 年 | 2,109 | 0.6 | 201 | 19.30 | 0.35 | 1 | 425 | 407 | 7 |
| 同 22 年 | 3,127 | 0.6 | 196 | 17.11 | 0.24 | 2 | 615 | 554 | 7 |
| 同 23 年 | 5,892 | 17.0 | |||||||
| 同 24 年 | 10,939 | 15.5 | 1,702 | ||||||
| 同 25 年 | |||||||||
| 年別 | 数量 トン | 品位 | 含有量 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 金 g / t | 銀 g / t | 銅 % | 亜鉛 % | 金 kg | 銀 kg | 銅 t | 亜鉛 t | ||
| 昭和 18 年 | 1,057 | 0.7 | 106 | 12.04 | 24.7 | 0.8 | 112 | 126 | 259 |
| 同 19 年 | 1,834 | 0.6 | 155 | 12.58 | 24.4 | 1.1 | 284 | 230 | 446 |
| 同 20 年 | 348 | 0.4 | 179 | 13.72 | 17.78 | 0.1 | 62 | 52 | 61 |
| 年別 | 数量 トン | 品位 % | 含有量 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 銅 | 錫 | タングステン | 銅 | 錫 | タングステン | ||
| 昭和 17 年 | 2,671 | 90 | 46.25 | 4.24 | 23 | 1,235 | 113 |
| 同 18 年 | 1,718 | 67 | 41.8 | 3.35 | 11 | 718 | 57 |
| 同 19 年 | 791 | 50 | 37.8 | 2.59 | 3 | 298 | 20 |
| 同 20 年 | 163 | 72 | 34.2 | 1.46 | 1 | 55 | 12 |
| 同 21 年 | 142 | 72 | 49.7 | 3.03 | 1 | 70 | 4 |
| 同 22 年 | 167 | 62 | 53.7 | 3.06 | 1 | 89 | 5 |
| 同 23 年 | 224 | 53.7 | |||||
| 同 24 年 | 321 | 51.3 | |||||
| 同 25 年 | |||||||
| 年別 | 数量 トン | 品位 | 含有量 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 銀 g / t | 銅 % | 硫黄 % | 銀 kg | 銅 t | 硫黄 t | ||
| 昭和 17 年 | 処理せず | ||||||
| 同 18 年 | 403 | 91 | 6.03 | 39.9 | 36 | 24 | 241 |
| 同 19 年 | 362 | 144 | 11.75 | 39.4 | 52 | 42 | 139 |
| 同 20 年 | 242 | 106 | 7.9 | 39.9 | 25 | 19 | 94 |
| 同 21 年 | 70 | 93 | 7.78 | 39.55 | 6 | 5 | 28 |
| 同 22 年 | 785 | 41 | 2.73 | 33.15 | 32 | 21 | 260 |
| 同 23 年 | 3,078 | 3.08 | |||||
| 同 24 年 | 2,412 | 2.70 | |||||
赤金鉱山 : 図幅中央部, 明延西南西直距離 3.5 km の地にある。 帯緑色粘板岩と輝緑岩質岩石および古期花崗岩質岩石との境界近くで, 粘板岩中に胚胎され附近には探鉱跡がある。 黄銅鉱および黄鉄鉱を含む石英脈である。 昭和 10 年頃から休山状態にあるが, その頃まで銅を採堀し昭和年代には月 10,000 貫程度の産額を示した。
大身谷鉱山 : 図幅中央部富士野南西 1.5 km の地点で粘板岩中に胚胎される。 附近に砂岩・礫岩も存在し, 砂岩は剥離性をおびる。 金銀および銅を僅かに採掘したことがある。 現在休山状態にあり, 埋藏量は期待できない。
高野鉱山 : 図幅南縁三方村高野西方 2 km の地点にあり, 石英閃緑岩および石英斑岩ないし流紋岩と, やゝ石灰質の粘板岩との接触部附近に胚胎される。 鉱体は幅 10 m, 走向 N 70゚ W, 傾斜 70~80゚ S であって, 附近に柘榴石・ヘデンベルグ輝石等のスカルン鉱物が生成されている。 鉱石は磁鉄鉱・赤鉄鉱が主で, 黄鉄鉱・閃亜鉛鉱および方鉛鉱が伴われる。 分析の結果は次の如くである。
| Fe | Mn | SiO2 | P | S | Cu |
| 65 % | 0.2 | 2.5 | 0.03 | 0.01 | なし |
昭和 14 および 15 年の産額および品位は次の如くである。
| 粗鉱(t) | 品位(%) | 精鉱(t) | 品位(%) | |
|---|---|---|---|---|
| 昭和 14 年 | 12,050 | 50 | 8,830 | 65 |
| 同 15 年 | 13,400 | 50 | 10,000 | 65 |
その他の鉱山 : 西谷村中間に採堀跡がある。 母岩は閃緑岩ないし斑糲岩であって 黄鉄鉱・硫砒鉄鉱(?)・斑銅鉱等が石英脈近くに鉱染され, 閃緑岩ないし斑糲岩は緑泥石化している。
この北西 1.3 km の 粘板岩と斑糲岩ないし閃緑岩の境界附近にも採掘跡があり, 鉱石は 黄銅鉱・斑銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱・磁硫鉄鉱等を含む石英脈であるが, 現在休山状態にあり鉱量は期待できない.
建屋村添谷に採掘跡があり, 銅・銀および鉛を採掘したといわれ, 中生層(?)中に胚胎する。 鉱体は北東 - 南西の方向を有す。 支那事変当時 6~7 年間手堀されたらしいが, 現在休山状態にある。
明礬石鉱床は図幅南東部にあり, 長谷村栃原部落より北西 25 km 離れた谷の北斜面中腹に胚胎している。 昭和 23 年度には月 150~160 t 採掘し, 昭和 24 年度は月 600 t の採堀を続けている。
鉱床の上位および東方一帯には蝋石鉱床を胚胎し, 両鉱床とも流紋岩中に胚胎している。
明礬石鉱床の形態は塊状体であって長径 80 m, 短径 50 m, 上下 70 m にわたって賦存し, 中心部は良好であって周辺に向って品位は低下する。 なお詳細は別記文献表に掲げてある出版物に記載されている。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Okayama, No. 34
By OSAMU HIROKAWA, HUMIO TŌGŌ and NOBUKAZU KAMBE
The area of this sheet map comprises the northern part of Hyōgo Prefecture in the Central Japan, locating in the north-western half of an important metallogenic province, which is called the Ikuno-Akenobe mining district.
The geological successions and history are summarized in Table 1.
The upper Palaeozoic sediments are divided into the following three formations, namely the Surugamine, the Akenobe, and the Oya, owing to the difference of the rock facies as well as on the tectonic relations.
The Surugamine forma tion consists mainly of green phyllite and sandstone, which is considered to be a metamorphosed facies of the Akenobe formation. The Akenobe includes phyllitic clay-slate, clay-slate, sandstone, conglomerate, calcareous clay-slate and limestone, variable in rock facies in places. The limestone and the calcareous clay-slate yield the fauna including Brachiopoda, Crinoid stems and Bryozoa. Crinoid stems are also found in some coarse-grained sandstone, and indeterminable Fusulinid was discovered from some calcareous conglomeratic sandstone. The rocks near Nishidani-village, Shiso-gun are also considered to belong to another metamorphosed variety of the Akenobe, including compact, gray-white hornfels without marked stratifications. The Oya is composed of black clay-slate and gray sandstone with thin intercalations of conglomerate. The upper Palaeozoic rocks accompanied with elongated bodies of the intrusive rocks show a banded disposition, trending northeast to south-west with steep inclinations. This general trend together with the fault-systems of NE-SW or NW-SE direction is of the most improtant significance to the general geologic structure of the area.
This group is composed mainly of coarse-grained sediments comprising conglomerate and sandstone with black clay-slate. It covers the Palaeozoic Oya formation with clino-unconformity. The fauna of Myophoria spp., Gervilleia spp. and Gastropodagen. et sp. indet. were discovered from sandstone members at several horizons and localities, and some of the fauna is fairly allied to the Shidaka fauna [ Kambe, N. (1951) ] whlch have been reported as Triassic.
The rocks are generally compact. They are so much altered that the original textures are largely obliterated, leaving the relicts of hornblende and monoclinic pyroxene among the alteration products. They frequently bear phyllitic appearance and partly pass into hornblende schist.
Diabasic rocks are intruded in the Palaeozoic sediments in the forms of dykes or sheets trending northeast to southwest in concordance with the Palaeozoic structure. The contact s between them are always sharp, though some hardend effects are observable on the sediments near the contacts. In some cases belts of green phyllite, black phyllite or quartzite are contained in the diabasic bodies in parallel with theire longation. At contact with the older granitic rocks, hornblendes of fresh appearance are newly formed in the diabasic rocks. The relation of those rocks to the Triassic formation is obscure in the present area.
They range from dioritic to gabbroic in mineral composition as well as in texture, and show, in places, remarkably schistose or fluidal structures. The principal constituents are plagioclase and hornblende with rare pyroxene, and the plagioclase is considerably altered to saussurite and others.
The ultra-basic rock consisting of serpentine, monoclinic amphibole, pyroxene, tremolitic amphibole, garnet and others is found in such a small space neglectible in the mapped area.
The dioritic-gabbroic rocks are intrussive in shape of large masses or small off-shoots into the Palaeozoic sediments, paralleling to their northeast-southwest directions. They are distributed largely in two zones ; and the one is in particular association with the diabasic rocks in the south, and the other, with the older granitic rocks in the north. It is suggested by the mode of occurrences of the dioritic-gabbroic rocks that the rocks have been intruded after the diabasic rocks. Some contact-metamorphic phenomena by the older or the younger granitic rocks are conceivable on the diroitic-gabbroie rocks near the contact. The relation of this rocks to the Triassic sediments is not obserable.
Those rocks are, generally, coarse-grained, greenish gray in colour and in some places porphyry-like in texture. The relative proportions of the felsic mineral to the mafic are various, being richer in mafic minerals, close to the basic rocks. Under the microscope, they are, as a rule, cataclastic or mylonitic in the extreme case, in structure. The feldspar shows neither graphic texture nor zonal structure.
They are intruded in the Palaeozoic sediments and the basic igneous rocks being disposed alternatively each other in a banded zone. The sediments are, as a rule, not markedly changed in character in contact with the rocks under consideration, while the basic rocks are metamorphosed distinctly into more acidic facies, close to the latter ; the inclusions of the basic rocks are not uncommonly contained in the granitic rocks. In the neighbourhood of the younger acidic rocks, the feldspar in the rocks under consideration is turbid at the core, but fresh at the margine, and in some cases, cutted by veinlets of quartz. The relation of these rocks to the Triassic sediments is not observable.
It is coarse-grained, pink-coloured, and more homogeneous and more altered than the younger granitic rocks.
It crops out in various, separated and limited areas under the tuffaceous rocks or the andesites in the western half of the mapped area. The formation consists of black shale, sands tone and conglomerate, and is frequently of tuffaceous nature. It is considered to belong to the Tertiary age from the lithological similartities to the Tertiary formations known in the adjacent district on the north of the area.
The tuffaceous rocks consisting of acidic tuff and tuff-breccia are developed covering the Tertiary formations as well as the older rocks in several places.
There appear many, small dikes in the area mapped. They are of andesite, dacite or porphyrite.
The altered andesite or propylite is commonly greenish dark gray in colour, undergone with some silicification, carbonitization and chloritization. Mafic constituents are obliterated beside monoclinic pyroxene. Near the contact with the younger granitic rock it turns dark purplish in colour and contains newly formed, minute flakes of biotite, scattering in the ground mass, which indicates that the effusion of the andesite in some part preceded the intrusion of the younger acidic rocks in a part.
The rock is porphyritic with phenocrysts of quartz and pink-coloured feldspar in gray ground mass. Mafic constituents are biotite or hornblende, but they have been largely altered to chlorite.
The volcanism played seems to be partly before or after the intrusion of the younger granitic rocks in the time, the rhyolite is intrussive in some places and is assumed lava flows in others.
They are generally medium-grained, granitic or porphyritic in texture and vary from granite to quartz diorite in composition. On some andesites and sediments, as mentioned above, contact phenomena are exhibited by intrusion of the younger granitic rocks.
Those younger granitic rocks are different from the older granitic rocks, in the following characters : a) irregular forms of intrusive bodies without banded zones, b) more remarkable in contact metamorphism, as compared with that of the older granitic rocks. c) either of quartz and plagioclase are generally fresh and show no cataclastic structure, though weak wavy extinctions are observed in an exceptional case, d) orthoclase is, in general, pink in colour, showing often a micrographic structure with quartz, e) plagioclase shows frequently a zonal structure.
This is hard and compact, containing a small amount of phenocrysts of albite and quartz. It may be assumed that the rock has an intimate relation to the Younger granitic rocks in the age of intrusion and genesis from the following evidences : a) the rock is generally pink in colour, simillar to the younger granitic rocks, b) in small bodies of the younger granitic rocks, texural transitions from granite porphyritic to quartz porphyritic are observable, and c) the distributions of the felsitic rock in field are arranged in the direction of NW-SE together with some younger granitic bodies.
This is exposed at the marginal part of the younger granitic rocks or as independent stocks. It is characterized by large phenocrysts of quartz and feldspar.
This is exposed as lava flows. It is hypersthene-augite-olivine basalt and is dark gray in colour, fresh and compact without remarkable phenocrysts. It contains the fragments of an acidic rock.
The andesites occur as lave flows covering the vast area in the northwestern part of the mapped area. The lavas of fresh andesite are divided into two types, the Tendaki and the Hyonosen.
The Tendaki lava is olivine-bearing augite andesite and is dark gray in colour ; the Hyonosen is olivine-bearing hypersthene-augite andesite showing gray in colour.
Alluvium occupies the tributaries of Oya, Akenobe, Takinoya, Mikata and Hikiwara rivers and is composed of sand or gravel of the several rocks as described already.
Two directions of NE-SW and NW-SE are of the important significance on the general geologic structure as well as to the structural control of ore deposits in this area. The country rocks of metallic ores are principally phyllitic slate and fine-grained diabasic rocks, and nonmetallic ores are deposited in rhyolite.
Two types of the ore deposits, namely, hydrothermal veins which are characterized particularly with the copper-tin contents and "Kieslager" the cupriferous pyrite deposits in bedded forms, are worked in the mine.
(a) Veins : Numerous copper-tin veins running in parallel arrangement appear in the mine. The ores are of complex mineral composition in which principal constituents are chalco-pyrite, bornite, cassiterite, wolframite, zincblende and galena, other minerals being scheelite, native bismuth, bismuthinite, pyrrhotite, fluorite, siderite, quartz, chalcedony and topaz. Pyrite is extremely poor, although some veins are abundant in arsenopyrite. The country rocks of the veins are the diabasic rocks or the phyllitic rocks of the Palaeozoic formations, In the central and eastern part of the mineralized area the veins have general strike of NW-SE and very steep inclination to NE in the diabasic rocks. The veins are characterized with copper-tin in the central part, and with chalcopyrite, zincblende and galena in the easte rn part. In the western part of the area the phyllitic sediments are developed as country rocks and the veins turn their direction westwards, increasing copper contents. And in the more western part the veins are characterized by zincblende and galena, and turn their strike and dip further to NE-SW and NW, which coincide with the trends of the country rocks.
There appear Otate veins about 3.5 km to the southwest of the Akenobe area. The principal vein strikes NW., dipping 50~60゚ southward. The vein contains principally gold and silver at the upper horizons, becoming richer in copper at the middle and in zincblende at the bottom.
(b) Kieslager : The Minamidani deposits belong to this type and show bedded forms. The ore deposits are found especially in the green phyllite, although there are poor ores in the black phyllite or in the diabasic rocks. The ores are cupriferous pyrite associated with magnetite, pyrrhotite, galena, zincblende, lievrite (?), chlorite, epidote, thulite, quartz and others. The ores become quartzose and finally to quartz masses on the margin of the ore bodies.
The deposit occurs on the southwestern corner of the mapped area. Alunite is found in the rhyolite as massive replacement which is surrounded by pyrophyllite ores.
昭和 29 年 3 月 15 日印刷 昭和 29 年 3 月 20 日発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所