12018_1962
5万分の1地質図幅説明書
(岡山 第 18 号)
通商産業技官 太田良平
地質調査所
昭和 37 年
目次 I. 地形 I.1 日野川左岸地域 I.2 弓ガ浜 I.3 大山火山 II. 地質 II.1 概説 II.2 石英閃緑岩 II.3 花崗岩類 II.3.1 花崗斑岩 II.3.2 粗~中粒黒雲母花崗岩 II.3.3 細粒両雲母花崗岩 II.3.4 優白質黒雲母花崗岩 II.4 石見層群 II.4.1 玉造累層 II.4.2 大森累層 II.5 新第三紀岩脈 II.6 粗面玄武岩類 II.6.1 橄欖石粗面玄武岩 II.6.2 普通輝石橄欖石粗面玄武岩 II.7 無斑晶安山岩 II.8 粗面安山岩 II.9 大山火山 II.9.1 外輪山 II.9.2 孝霊山 II.9.3 名和軽石流 II.9.4 弥山熱雲 II.10 湖成層 II.11 御来屋砂礫層 II.12 福市砂礫層 II.13 段丘堆積層 II.14 砂丘堆積層および冲積層 III. 応用地質 III.1 砂鉄 III.2 亜炭 III.3 石材 III.4 皆生温泉 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書(昭和 34 年稿)
(岡山 第 18 号)
この図幅の野外調査は昭和 32 年度に 45 日間実施した。 グリーンタフ地域の層序については, 広島大学 迎 三千寿 助教授から多くの教示を受けた。
この図幅地域内を, 地形上の特徴から日野川左岸地域・弓ガ浜および大山火山に3大別することができる。
この地域は先第三紀の深成岩類, これらの上に載るグリーンタフ, それを貫く鮮新世の火山岩などからなり, 海抜 100~300 m の起伏した丘陵地帯をなし, 全体として北方ほど低く, この地域内の最高点は法勝寺部落 東北東方の 329 m 高地である。 一般に壮年期地形を示しかなり開析され, 丘陵地帯を北流する法勝寺川・伯太川をはじめ 諸河川の沿岸には冲積平野が開け農耕地となっているが, 米子・安来両市街の中間の山地は直ちに海に臨み, 溺れ谷地形を示しており, この地域内には河岸段丘は見られない。 岩質の相違が地形に現われた例として, 米子市街 南西方約 5.5 km の清水寺付近や, 図幅地域南縁に近い御内谷付近などの安山岩地域が挙げられる。 こゝでは岩質が硬いため侵蝕作用に耐え, 周囲の山地よりが高く聳えている。 同様な例は法勝寺部落 東方や清水寺 南方の流紋岩地域でがみられる。 また伯耆溝口駅 北西方に粗面玄武岩の熔岩台地地形がみられるのは注意を惹く。 この地域内にはほゞ NE - SW 方向に延びた谷が平行して多くみられるが, この方向の構造線が発達しているがのと思われ, また野外で認め得る断層はたいていこの方向を示している。 たとえば伯太川沿岸の山辺部落付近の道路際の崖では走向 N 65°E, 傾斜 85°NW の断層が認められ, 北側は優白質黒雲母花崗岩で, 南側は玉造累層 米子凝灰岩層に属する凝灰角礫岩からなる。 またその上流の母里部落 西方および南西方一帯の道路際で多くの小断層がみられ, 全体として破砕帯をなしているが, これら断層の多くは走向 N 65~75°E であって, N 30°W 内外のものがこれに次いでいる。
大山火山外輪山が形成された当時, その噴出物は法勝寺川を一時せきとめ湖を形成したため, 流域の諸所に湖成層がみいだされる。 また岸本駅 西方では日野川左岸地域にも大山火山噴出物が分布しているが, 大山火山外輪山が形成された当時における山体の傾斜度から推察すると, 岸本駅 南方においても噴出物は日野川を越え左岸地域に及んでいたと考えられ, 岸本・伯耆溝口両駅付近では おそらく海抜 100 m 内外の高さで当時の日野川を一時せきとめていたらしい。 やがて日野川下流からの頭部侵蝕が始まり, 前記の高さの侵蝕基準面が次第に低下して, 現今みられる河岸段丘を残したと考がられる。
弓ガ浜(夜見ガ浜)は日野川河口付近から北西方に長く延びた砂洲で, 美保湾に向かい緩やかに彎曲し, 長さ 18 km あり, 幅は 3~3.5 km である。 主として花崗岩質の砂からなり, 広漠とした平野をなしているが, そのなかに比高 2~5 m の砂丘が点在し単調を破っており, したがってこの地域には水田はまったくなく, もっぱら野菜畑として利用されている。 基盤岩は米子市街付近に露出しているもの以外には粟島でみいだされるに過ぎず, これらを基点とし日野川により運ばれてきた砂粒が, 主として海流の作用で次第に堆積生長し砂洲を形成するに至った。 出雲風土記(733)には「相向夜見島云々」とあるので, 弓ガ浜は奈良朝時代には島であったらしい。 また伯耆志によると和田~大崎部落付近は長い間海峡であったといわれ, 現今でも大切戸と呼ばれており, 砂洲を形成したのはずっと後のことらしい。 弓ガ浜の先端が島根半島に迫る部分は「中江の瀬戸」と呼ばれ, 幅約 500 m の海峡をなし中海と美保湾とをつないでいるが, 弓ガ浜と島根半島とが連続しないのは, 海水の潮汐作用によるもので, その速度は 3~4 ノットである。 現今ではこの砂洲は半島の海岸線に平行に東方に発達する傾向があり, 文久 3 年(1861)に境港東方の汀線に接近して建造された池田藩の台場が, 現今では汀線から 200 m 近くも離れているという。
大山火山の主体は東隣の大山図幅地域内にあり, 山体の占める面積は同図幅地域内のみならず, 周辺の赤碕・倉吉・湯本・ 根雨 ・米子および美保関の諸図幅地域内にまで及んでおり, 東西約 35 km, 南北約 30 km の広さに達し, 中央円頂丘の 弥山 (海抜 1,720 m)は中国地方の最高峯である。 大山火山の外輪山は厚い凝灰角礫岩で特徴づけられ, 熔岩流は外輪山山体の主として上部に挾まれ, あるいはその上に載っている。 その後, 山頂部に馬蹄形の陥没カルデラを生成した。 続いて山腹に豪円山・ 鍔抜 山などの多くの寄生円頂丘を生じ, さらにカルデラ内に中央円頂丘の弥山が出現した。 間もなくその北東部に爆裂活動がおこり名和軽石流を流出し, 続いてその爆裂カルデラ内に中央円頂丘の 三鈷 峯が現われた。 その後, ふたゝび弥山山体に著しい爆裂活動がおこり, 弥山熱雲を流出し, 山体, とくに南北両側は著しく破壊された。 この図幅地域内でみられる外輪山山体には, 深い放射谷が刻まれており, 一般に壮年期の地形を示すが, 弥山熱雲は当時の谷間をうずめて堆積し, 山腹にみられる 桝水原 ・大平原および大原千町のような緩傾斜の平坦地をつくり, その間に谷が刻まれ幼年期の地形を示す。 孝霊山 [ 以下の [注] 参照 ] は大山火山の寄生火山で, 外輪山はほとんど凝灰角礫岩のみからなり, 著しく侵蝕がすゝんでいる。 カルデラ内に中央円頂丘として出現した西山および東山は, その後の爆裂活動のため山体がかなり破壊されているが, 東山の南東部には原地形がかなりよく保存されていて, 侵蝕の程度から推察すると東山の出現時期は弥山とあまり違わないように思われる。
この図幅地域内における最古の岩石は石英閃緑岩で, 図幅地域南縁に近い伯耆溝口駅付近と 図幅地域南西隅の 母里 部落付近の2ヵ所でみいだされる。 前者は花崗斑岩に貫かれ, 両者はいずれも角閃石石英閃緑岩に属する。 花崗岩類は図幅地域南縁および西縁に近く分布し, 花崗斑岩・ 粗~中粒黒雲母花崗岩・ 細粒両雲母花崗岩および優白質黒雲母花崗岩に分けることができる。 これらの生成順序については, 細粒両雲母花崗岩が粗~中粒黒雲母花崗岩を貫く事実以外は明らかではないが, 岩相から考えるといずれもいわゆる山陰型花崗岩に属し, 白堊紀末期に相前後して迸入したものと思われる。 なお花崗岩類により接触変質を与えられた火山岩類が, 図幅地域南西隅付近にきわめて小規模の岩体として諸所にみいだされ, この岩体は断層によりグリーンタフに接しており, 岩相から硯石層群と考えられるが, 小岩体なので地質図幅には記載していない。
図幅地域西半部は山陰グリーンタフ地域の東端部に当り, 第三紀中新世における激しい火山活動の産物は, 前記諸岩石の上に不整合に載っている。 これは標式地における 石見 層群に対比しうるもので, 玉造累層と大森累層とに分けられるが, この図幅地域内では石見層群の上に載る出雲層群を欠いている。 玉造累層の最下部は特徴ある花崗砂岩層からなり, 化石は含まれていない。 標式地ではこの上に黒色頁岩層が載っているのであるが, この図幅地域内ではこれを欠き, 凡例に示したように流紋岩熔岩および火山砕屑岩からなり, 後者中に薄い泥岩層が挾まれていることがある。 大森累層はこの上を厚く覆い, 安山岩熔岩および火山砕屑岩からなる。 鮮新世に入ってから粗面玄武岩類・無斑晶安山岩および粗面安山岩の活動が行なわれた。 この地方における断層運動は, 西隣の松江図幅地域内に分布する松江層(鮮新世初期)堆積以後といわれているが, この粗面玄武岩類が断層運動を受けているのは注目される。
日野川右岸地域は大山火山の西麓に当り, 外輪山の一部・寄生火山の孝霊山の諸岩石, および大山火山中央円頂丘の弥山出現以後に流出した 軽石流および熱雲堆積物などが分布しており, いずれが第四紀更新世の生成である。 法勝寺川沿岸の諸所に分布する湖成層は, 大山火山外輪山が形成された当時に流路が一時せきとめられたため生じたものである。 また東方海岸に分布する 御来屋 砂礫層は, 外輪山完成後に山頂付近に陥没カルデラを生じた際, 山腹の一部もやゝ沈下し河川の流路となり, そして生じた浅海および河川の堆積物である。 福市 砂礫層は弥山熔岩に著しく酷似した礫が含まれているので, 御来屋砂礫層よりが新らしい浅海の堆積物と思われる。 いずれも地質時代は不明であるが更新世後期の生成らしい。 また日野川沿岸には段丘堆積物がみられる。
現世の堆積物には海浜や河川の流域に砂丘堆積物および冲積層がある。
伯耆溝口駅東方と図幅地域南西隅の母里部落付近とに分布し, いずれも角閃石石英閃緑岩に属する。 これらの地質時代については, 前者が白堊紀末の迸入と思われる花崗斑岩に貫かれ, 後者が石見層群に覆われているという事実以外に明らかでない。
険しい山地を構成し, 南隣の根雨図幅地域内にも延びている。 肉眼では中粒完晶質で斜長石・石英および角閃石が認められ優黒質である。 鏡下に検すると完晶質で主として斜長石・石英および角閃石からなり, 磁鉄鉱・ジルコン・燐灰石および褐簾石を伴なう。 斜長石は半自形で中性長石に属し, 累帯構造はほとんど認められず, やゝ汚濁し微細な絹雲母や緑簾石などを多く生じている。 石英は常に他形で清透である。 角閃石は半自形で緑色角閃石に属する。 場所により多少の差はあるが多くの場合, 上記の諸鉱物の間隙に, あるいはこれらを交代して 微小な淡緑色黒雲母・緑簾石およびモザイク状の石英などが多く生じている。 これらの現象はおそらく後述の花崗岩体により接触変質を受けたためと思われる。
道路に面し狭少な区域に露出するのみであるが, 全体として暗灰色を呈する細粒完晶質岩石で, しばしば硫化鉄の微粒が点在し, このような場合には青味を帯びている。 鏡下に検すると完晶質で粒状組織を示し, 主として斜長石および角閃石からなり, 石英および磁鉄鉱を伴ない, 副成分鉱物としてジルコン・燐灰石がみいだされる。 斜長石は自形~半自形で曹灰~中性長石に属し, 累帯構造は結晶の縁辺にわずかに見られ, おおむね清純であるが部分的にガラス化および絹雲母化がすゝんでいる。 角閃石は柱状自形で緑色角閃石に属する。 石英は他鉱物の間を塡め清透である。
花崗岩類はその岩相からいわゆる山陰型花崗岩に属するもので, 白堊紀末の迸入と考えられている。 花崗斑岩・ 粗~中粒黒雲母花崗岩・ 細粒両雲母花崗岩および優白質黒雲母花崗岩に分けられ, これらのうち粗~中粒黒雲母花崗岩は, 南隣の根雨図幅地域内に連続して分布するばかりでなく, この地方一帯に広く底盤状に分布している。 花崗斑岩は岩質および鏡下の観察から, おそらくこの粗~中粒黒雲母花崗岩の先駆として迸入したと思われ, 伯耆溝口駅から桝水原に登る道路に沿い, あるいは付近の川底付近で石英閃緑岩に接触変質を与え, かつこれを貫いているのが認められる。 細粒両雲母花崗岩は粗~中粒花崗岩を貫いている。 優白質黒雲母花崗岩と粗~中粒黒雲母花崗岩および細粒両雲母花崗岩との関係については, 直接に接触した個所がないため不明であるが, 岩質から考えて前者はおそらく後2者よりがやゝ遅れて迸入したらしい。
南隣の根雨図幅地域内には硯石層群が広く分布しているが, この図幅地域内では, 母里部落から南西方一帯の区域において優白質黒雲母花崗岩に接触し, あるいはこのなかに包有され, 著しくホーンフェルス化した流紋岩または安山岩が, しばしば小屋~牛馬大の岩塊としてみいだされ, これらは硯石層群のものと考えられるが, あまりに小岩体なので地質図幅には記載してない。 もっとも顕著に認められるのは下卯月部落 南方の沢の入口付近で, そのほか同部落 西方 300 m 付近の道路際や母里部落 西方の谷などにも認められる。 この区域には小断層がすこぶる多く, 全体の岩石が擾乱を受けており, この状態を地質図幅ではかなり模式的に画いてある。 これら接触変質を受けた岩塊が比較的新鮮な同種岩石, すなわち石見層群中のそれと接触する場合には必ず断層で境していて, 決して漸移することはない。 したがって優白質黒雲母花崗岩の迸入する以前には, この区域に硯石層群が広く分布していたと考えられる。
伯耆溝口駅 北東方に分布する。 これは全体として灰紅色を呈する細粒完晶質の岩石で, 鏡下では斑状組織が認められ斑晶は長さ 8 mm 以下の斜長石, 長さ 8 mm 以下のカリ長石, 径 7 mm 以下の石英および長さ 1.5 mm 以下の黒雲母からなる。 斜長石はおおむね卓状を示し灰曹~中性長石に属し, 累帯構造は著しくなく, 劈開に沿い微細な絹雲母を多量に生じている。 カリ長石にはまれにパーサイト組織が認められ通常は著しく汚濁している。 石英は清透で斑状を呈するが, 縁辺部は石基諸鉱物の間隙を塡めている。 黒雲母は少量かつ小形で緑泥石化している。 石基部は諸斑晶とほゞ等量にあり, 完晶質で主として微細な長石・石英の集合からなり, 注意すべきことには場所により多量の緑簾石を生じており, ほかに緑泥石もみいだされ, なお副成分鉱物として磁鉄鉱・ジルコンおよび燐灰石などを伴なっている。
主として図幅地域南縁に沿って分布するほか, 大山火山西麓の桝水原南方の谷にもみいだされる。 南隣の根雨図幅地域内にも連続して広く分布するばかりでなく, この図幅地域内の安来市街~ 門生 部落付近のグリーンタフ中に, 外来岩片として包有されていることがあるので, この付近の地下にも分布していると推察される。 おおむね粗粒質であるが, まれに中粒質に移化した部分がみいだされる。 粗粒質の部分は優白質かつ完晶質で, 肉眼では長石・石英および黒雲母が認められ, 風化して崩れ易く新鮮な資料は得難い。 しばしばアプライト脈を伴なっている。 鏡下に検すると自形~半自形粒状組織で, 主として斜長石・カリ長石・石英および黒雲母からなり, 磁鉄鉱を伴ない, ほかに副成分鉱物としてジルコンおよび燐灰石がみいだされる。 斜長石は自形~半自形の柱状を示し, 中性長石に属しまれに縁辺部に累帯構造がみられる。 結晶の中核は汚濁しあるいは高陵土・絹雲母などに変わっていることが多く, 縁辺は清純で両者の境は比較的明瞭である。 カリ長石は半自形を示すことが多く, やゝ汚濁し常にパーサイト構造が認められ, また微斜長石構造の見られることがまれではない。 石英との接触部にミルメカイトを生成していることがある。 石英は他鉱物の間隙を塡め常に清透である。 黒雲母は淡黄~濃褐色の著しい多色性を示し一部緑泥石化しており, 包有したジルコンの周囲に多色性ハロの認められることがある。
中粒質に移化した岩体は法勝寺部落 北西方付近で見られるが, 風化して崩れ易く新鮮な試料は得難い。
図幅地域南縁に近く粗粒黒雲母花崗岩を貫く小岩体としてみいだされ, 肉眼では全体として灰紅色を呈し細粒完晶質で長石・石英および黒雲母が認められる。 鏡下に検すると半自形粒状組織を示し等粒状で 主として斜長石・カリ長石・石英・雲黒母および白雲母からなり, 磁鉄鉱を伴ない副成分としてジルコン・燐灰石・チタン鉄鉱などがみいだされる。 斜長石は灰曹長石と中性長石とのほゞ中間の化学成分を有し, おおむね清純で累帯構造はほとんど見られない。 カリ長石は半自形で微斜長石構造の認められることが多く, またパーサイト構造の認められる場合もあり, ときには1個体で両構造がともにみられる。 石英は他鉱物の間を塡めときには斑状にやゝ大きく成長しているが, その縁辺部は他鉱物の間隙を塡め常に清透である。 黒雲母は半自形で淡黄~濃褐色の著しい多色性を示す。 白雲母は少なく半自形である。
これは図幅地域西縁に近く安来市街から母里部落付近にかけて分布し, なお西隣の松江図幅地域内に延びている。 優白質の中粒完晶質で, 肉眼ではほゞ等粒の長石・石英および黒雲母が認められる。 鏡下に検すると自形~半自形粒状組織で, 主として斜長石・カリ長石および石英からなり黒雲母および磁鉄鉱を伴ない, 副成分鉱物としてジルコンおよび燐灰石がみいだされる。 斜長石は自形柱状のものが多く, 灰曹~中性長石に属し, 累帯構造はまれに縁辺部にわずかに見られる。 通常 結晶の内核は汚濁し, 縁辺部は清純で両者の境は明瞭である。 カリ長石は他鉱物の間を塡めやゝ汚濁し, 常にパーサイト構造が認められ, ときに微斜長石構造がみられる。 石英は半自形~他形でまれにカリ長石に対し自形をとり, 常に清透でやゝ波状消光を示す。 黒雲母は少量かつ小形であるが, 自形をとり淡黄~濃褐色の多色性がみられ, 一部緑泥石化している。
この図幅地域の西半部の山地はいわゆる山陰グリーンタフ地域の東端部に当り, 模式地における石見層群に対比し得られる地層からなり, 下部から玉造累層と大森累層とに分けられる。 基盤岩の分布から考えると 現在の米子市街付近を中心に南方へ入り込んだ湾に堆積したらしく, 玉造累層最下部の清瀬花崗砂岩層は基盤の優白質黒雲母花崗岩の上に不整合に載り, 全体として古い地層ほど周縁に, 新しい地層ほど北方に分布している。 玉造累層堆積の時期には流紋岩質の火山活動が盛んであったが, これに反し大森累層堆積の時期には安山岩質の火山活動が行なわれた。 両累層を通じ水成堆積岩類は玉造累層の下部にみいだされるのみであるから, この地域は比較的早く陸化したらしい。 模式地では大森累層の上に出雲層群が載っているが, この図幅地域内ではこれを欠いている。
米子・安来両市街付近およびこれらの南方に広く分布し, 模式地における同名の地層に対比され, 下部から清瀬花崗砂岩層・ 米子凝灰岩層・ 福寄火山砕屑岩・ 吉佐火山砕屑岩および法勝寺流紋岩の5部層に分けることができる。 清瀬花崗砂岩層は特徴ある花崗砂岩からなり, この岩層堆積の途中から流紋岩質の火山活動がおこり, 逐次激しくなり多量の火山物質を堆積し, あるいは流出した。 米子凝灰岩層のなかには薄い泥岩が挾まれていることがあるが, これから上位の諸岩層中には水成堆積岩はまったくみられない。
伯太川沿岸で優白質黒雲母花崗岩の周辺に分布し, 清瀬~新御堂付近を模式地とし厚さは数 100 m に達する。 この岩層は花崗砂岩を主とする。 花崗砂岩は主として粗~中粒の長石および石英からなり軟弱で崩れ易い。 この岩層のうち上方部は次第に淡緑色の流紋岩凝灰岩をレンズ状に挾むようになり, 場所によっては厚さ 1 m に及ぶ。 これにより走向・傾斜を測定すると清水寺 西方では N 20°W・30°E を示す。 米子凝灰岩層との境界では凝灰質砂岩となり, 移化するのが常である。
米子市街付近と安来市街付近および母里部落付近に分布し, 米子市城山付近を模式地とし厚さは 180 m 以上に達する。 米子市街付近に分布するものは通常風化作用がすすみ粘土化し, 全体が塊状で灰紅~灰褐色を呈しているが, 城山付近の新しい切割で観察すると, 流紋岩凝灰岩および火山礫凝灰岩または凝灰質砂岩などの互層からなっており, 新鮮なものは灰~灰褐色を呈し一般に塊状であるが, まれに層理がみられ, 城山東麓では走向 N 60~80°W・傾斜 20°± N を示す。 この岩層は流紋岩質ではあるが顕著に石英を含むことはない。 またしばしば灰褐色泥岩と互層することがある。 この岩層中には流紋岩熔岩が岩脈または岩床状に多く認められるが, 地質図幅ではすべて省略してある。 城山南方約 1.2 km の県道際で見られる1熔岩は, 肉眼では斑状組織を示し 長さ 2~5 mm の長石および 径 2~4 mm の石英の両斑晶が淡緑色石基中に比較的密に散在している。 これを鏡下に検すると斑晶は斜長石・正長石および石英からなり, ほかに有色鉱物斑晶の仮像をなし緑泥石・緑簾石など2次鉱物の集合からなるものがあるが, 結晶外形から推察し, 黒雲母を主とし角閃石があったと考えられる。 斜長石は柱状で灰曹~中性長石に属し, 一部またはほとんど全部が 絹雲母・高陵土などの2次鉱物に変わりまたは全体が汚濁している。 正長石も全体が汚濁している。 石英は清透でやゝ融蝕されている。 微斑晶として磁鉄鉱を伴なう。 石基は微晶質で汚濁している。 弓ガ浜側の粟島神社のある丘陵を構成する岩体は流紋岩熔岩からなり同様の産状と思われ, 肉眼では 長さ 1.5 mm 以下の斜長石および径 1.2 mm 以下の石英が 淡紅色石基中に比較的密に散在し, 褐鉄鉱が汚染している。 鏡下では斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石・正長石・石英および黒雲母からなる。 斜長石および正長石はともに清純である。 石英は清透でやゝ融蝕を受け石基部が彎入している。 黒雲母は小形で少なく, 柱状で淡黄~濃褐色の著しい多色性がみられ, オパサイト化作用はほとんど受けていない。 石基は微晶質である。
安来付近に分布するものは前記の米子付近に分布するものと同じく風化作用が著しい。 主として流紋岩凝灰岩および火山礫凝灰岩からなるが, 十神山 東麓付近では凝灰角礫岩が多くみられる。 この岩塊は人頭大以下の種々の大きさで, 安山岩を主とし, 石英斑岩・花崗斑岩・新第三紀砂岩などが含まれており, 基質は黄褐色でまれに灰褐色泥岩を挾む。 伯太川沿岸の山辺部落付近でも凝灰角礫岩がみられ, こゝでは人頭大以下の流紋岩の岩塊を有する。 安来市街付近の本岩層の層理は一般に不明瞭であるが, 十神山南東麓付近ではほゞ水平であり, その東方にあって中海に臨む羽根部落付近では走向・傾斜は N 80°W・22°N である。 清水寺付近では本岩層中に小規模の黒鉱鉱床が胚胎し, かつて探鉱されたことがあるという。 米子凝灰岩層は母里付近にも分布しているが, 安来付近に分布するものとほゞ同様である。
法勝寺部落と母里部落との間に分布し, 福寄部落付近を模式地とし厚さは 150 m 以上に達する。 この部層は流紋岩凝灰角礫岩などの火山砕屑岩からなり, ほとんど熔岩を挾んでおらず, 塊状でまれに層理がみられ, 一般に風化して淡褐色を示し, 粗鬆で崩れ易い。 母里部落東方約 800 m の道路際で黒雲母花崗岩の拳大以下の岩塊を包有し, その東方の猪小路から安田宮内に通ずる道路際でも, 同様の人頭大以下の岩塊を包有しているのが認められる。
中海海岸の吉佐付近から法勝寺部落付近に至る間に広く分布し, 吉佐からその南方の関山に至る間を標式地とし, 厚さは数 100 m に達する。 この部層は 主として流紋岩凝灰角礫岩および火山礫凝灰岩からなりしばしば凝灰岩を伴ない, まれに熔岩を挾む。 粗鬆で新鮮なものは灰青色であるが, 一般に風化して灰緑色を呈し, ほとんど常に胡桃大(まれに鶏卵大)以下の安山岩の異質火山礫を包有し, また石英粒が点在している。 天万 部落 南方の山地では黒雲母花崗岩の岩塊を包有している。 塊状で層理は認められない。 熔岩は吉層部落から南方 300~500 m の道路際で見られ, これは 長さ 1.2 mm 以下の長石斑晶および 径 1.5 mm 以下の石英斑晶が灰黄色石基中に比較的密に散在しており, 大豆大以下の安山岩火山礫に富んでいる。 鏡下では斑晶は斜長石・正長石および石英からなり, ほかにおそらく黒雲母から変わったと思われる2次鉱物の集合がみられる。 斜長石は柱状または破片状で灰曹長石に属しおおむね清純であるが, 正長石はやゝ汚濁している。 石英は破片状であるが一部は融蝕され円くなっている。 また微斑晶として磁鉄鉱を伴なう。 石基は微晶質である。
この部層の模式地は法勝寺部落の東方山地で厚さは 300 m 以上ある。 主として厚い熔岩からなり, ときに火山砕屑岩を伴なう。 熔岩は斑状組織が認められ 灰褐色の石基中に径 1~2 mm の長石・石英・黒雲母の斑晶が比較的疎らに点在している。 鏡下に検すると斑晶は斜長石・正長石・石英および黒雲母からなり, 黒雲母は小さくかつ少ない。 斜長石および正長石は柱状でやゝ汚濁し, 石英は清透でやゝ融蝕されている。 ほかに磁鉄鉱の微斑晶が点在している。 石基は微晶質で流状構造が見られる。 熔岩はしばしば胡桃大以下の安山岩の異質火山礫を包有している。 法勝寺部落東方の谷で認められる凝灰角礫岩は 拳大(まれに人頭大)以下の流紋岩および黒色粘板岩の岩塊を包有している。
清水寺付近から天万および母里部落付近までの間に点在して分布し, 玉造累層の上に不整合に載り, 模式地における同名の地層に対比される。 安山岩質火山活動の盛んであった時期の産物で, 下部から門生火山砕屑岩および清水寺安山岩の2部層に分けることができる。
中海沿岸の門生部落付近からその南方にかけて分布し, 門生~清水峠付近を模式地とし厚さは 100 m 内外である。 この部層は安山岩火山礫凝灰岩からなり, まれに熔岩を伴なう。 火山礫凝灰岩は新鮮なものは灰緑~灰青色であるが風化して灰褐色を呈することが多く, 塊状で層理はみられない。 包有する安山岩の火山礫は大豆大以下である。 政部落付近や 未明 部落付近では 拳大(まれに人頭大)以下の黒雲母花崗岩の異質岩塊を包有している。
この部層は主として安山岩の熔岩からなり, ときに火山砕屑岩を伴なう。 清水寺付近を模式地とし, ほかに点々と広く分布し厚さは 100 余 m に達する。 これらの現出形態については, 図幅地域南縁に近く分布するものは熔岩流として現出したと思われるが, 米子市街西方に海を隔てて 八尋鼻 付近に分布するものは, 岩体の形態とその南方に分布している米子凝灰岩層の走向・傾斜とを考え併せ, おそらく貫入岩体と思われる。 なお地質図幅には記載してないが, 須崎付近に米子凝灰岩層を貫く安山岩岩脈があり, 羽根部落と後山部落とを通ずる峠付近にが安山岩の転石が多くみいだされ, 露頭はないが岩脈があると思われる。 清水寺付近に分布するものは熔岩流であるか貫入岩体であるか明瞭ではない。 天万部落付近に分布する3岩体は熔岩ではなく凝灰角礫岩からなり, 岩質から考えておそらく同時期のものと思われる。 これは全体として濃灰~黒色を呈し人頭~胡桃大の安山岩の火山岩塊に富み, 堅硬で節理を欠くが基質は風化し易く脆い。
清水寺付近に分布する熔岩は, 長さ 1.2 mm 以下の斜長石が暗青色石基中に点在した堅緻な岩石で, 有色鉱物斑晶は肉眼では明らかではない。 鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は曹灰長石に属しおおむね清純で累帯構造が著しい。 紫蘇輝石はほとんど緑泥石化し結晶外形によりその存在が推察されるが, 普通輝石は新鮮で淡緑色を示し多色性はほとんど見られない。 ほかに磁鉄鉱の微斑晶が点在し, 斜長石・紫蘇輝石および磁鉄鉱などからなる聚斑状集合が認められる。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および粒状の鉄鉱やこれらの2次鉱物からなる。
米子市街西方に海を隔てて八尋鼻付近に分布する熔岩は, 長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が灰緑色石基中に散点する緻密な岩石で, 有色鉱物斑晶は肉眼では明らかではない。 鏡下ではかなり変質が進んでいるが斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で新鮮な部分はほとんどなく 絹雲母・緑簾石および高陵土などに変質している。 紫蘇輝石は緑泥石化のため原鉱物はまったく残っていないが, 結晶外形によりその存在が推察される。 普通輝石は一部は緑泥石化しているが, 新鮮な部分もみられ淡緑色で多色性はほとんど見られない。 微斑晶として磁鉄鉱がみいだされる。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石, 粒状の鉄鉱およびこれらの2次鉱物からなる。
図幅地域南縁に近く御内谷付近に分布する熔岩は堅硬な岩石で, 灰褐色石基中に長さ 1 mm 以下の斜長石および輝石の斑晶が散在している。 鏡下では斑状組織が認められ, 斜長石は柱状で曹灰長石に属し, 一部は絹雲母・緑簾石・高陵土などに変質している。 ほかに おそらく紫蘇輝石および普通輝石から変質したと思われる緑泥石の仮像が点在している。 微斑晶として磁鉄鉱がある。 なお斜長石・緑泥石および磁鉄鉱からなる聚斑状集合を有する。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石, 粒状の鉄鉱および緑泥石などからなり, また燐灰石がやゝ多く, ときに微斑晶程度の大きさのものがみられる。 この岩石は他所に分布するものとはやゝ岩質が異なり, また流紋岩との上下関係も明らかではない。
図幅地域南西隅の母里付近に分布するものは, 熔岩および火山砕屑岩(凝灰角礫岩・火山礫凝灰岩および凝灰岩)の互層からなり, いずれも変質が甚だしい。 熔岩は母里・神宮寺間の道路際に良く露出しており, この熔岩と花崗岩類との関係についてはこの図幅地域内では明確でないが, 根雨図幅地域内において井尻部落 東方約 1.2 km, あるいは南方約 1.3 km において, この熔岩が粗粒黒雲母花崗岩の削剥面の上に載り, あるいはその角礫を包有しているのが認められる。 この熔岩は 長さ 1 mm 以下の斜長石が暗青緑色石基中に散点した堅硬な岩石で, 方解石・緑簾石などを生じ, また風化作用を受けて玉葱状に剥離する。 鏡下に検すると斑晶は斜長石のほかに有色鉱物の仮像をした緑泥石が認められる。 斜長石は柱状で曹灰長石と亜灰長石との中間の化学成分をもち, 一部は絹雲母・高陵土などに変質していて反覆累帯構造の著しいものも認められる。 ほかに磁鉄鉱の微斑晶が点在している。 石基は微晶質である。 火山砕屑岩は暗緑色を呈し塊状で不規則な割れ目が多く, 凝灰角礫岩塊は人頭大以下である。
石見層群の分布地域に多くの岩脈がみられるが, 地質時代は必ずしも明確ではないのでこゝに一括する。 十神山付近にみられる粗面安山岩岩脈は粗面安山岩の項で述べる。
玉造累層の福寄火山砕屑岩層に属する凝灰角礫岩を貫き, 走向・傾斜は N 60°E・20°N で幅約 2 m である。
優白質黒雲母花崗岩を貫き走向・傾斜は N 45°E・85°NW で幅は 30~80 cm である。 著しく風化している。
石英閃緑岩を貫き, ほゞ東西の走向で直立し, 幅は約 1.5m である。
大森累層の門生火山砕屑岩を貫き, 走向は N 20°E でほゞ直立し, 幅 7~8 m である。 この岩石は著しい風化作用を受け, 肉眼では灰色の石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が散在し, 有色鉱物斑晶はみられない。
中粒黒雲母花崗岩を貫き走向・傾斜は N 15°W・55°W で幅は 2.5 m 以上あり, 風化が甚だしく粘土化している。
優白質黒雲母花崗岩を貫き走向・傾斜は N 65°E・35°S で, 幅約 1 m あり, 風化が甚だしく粘土化している。
優白質黒雲母花崗岩を貫き走向・傾斜は N 55°E・55°SE で幅は約 1 m である。
図幅上に示した2本の岩脈のうち北方のものは, 実際は2本であるが省略して1本にして示してある。 これは粗面玄武岩質火山礫凝灰岩を貫き, 走向 N 70°E で直立し, 幅は数 m あり節理がよく発達している。 堅硬な岩石で 紫褐色の石基中に 長さ 2 mm 以下の斜長石および角閃石の斑晶がまばらに点在している。 鏡下では多石基質で斑晶は斜長石のみでおおむね清純であり, ほかに微斑晶として長柱状の緑色角閃石と柱状の鉄鉱が認められる。
南方のものは粗粒黒雲母花崗岩を貫き, 走向 N 70°E でほゞ直立し幅は約 5 m で著しく風化している。 肉眼では風化作用のため全体が灰黄色を呈し個々の鉱物は認められない。 鏡下に検すると無斑晶質で全体が著しく変質しているが毛氈状組織が認められ, 柝木状の斜長石, 輝石の仮像をした緑泥石, 粒状の鉄鉱, そのほか緑簾石・絹雲母・高陵土などの2次鉱物からなる。
伯耆溝口駅 西方一帯に熔岩台地をなして分布し, 粗粒黒雲母花崗岩の上に載り大山火山噴出物に覆われている。 この岩石の地質時代については, 岩質および地形の侵蝕程度を他地域に比較し鮮新世初期と推察した。 粗面玄武岩類は橄攪石粗面玄武岩と普通輝石橄欖石粗面玄武岩とに分けられ, 前者は南方に後者は北方に分布し, 両者の噴出順序については露出が十分でないため確実ではないが, 岩質から推察すると前者の方が先と思われる。 伯耆溝口駅 西方の丘陵に登る坂路の途中で観察すると, この橄欖石玄武岩は最下部に本質火山礫凝灰岩を伴ない, その走向・傾斜は N 50~65°W・20°± N である。 これが熔岩と互層しつゝ遂に厚い熔岩のみとなる。 普通輝石橄攪石玄武岩は熔岩のみからなり火山砕屑岩を伴なわないようである。
この熔岩は全体が鼠黒色を示し緻密で個々の斑晶は明らかではなく, 板状節理がよく発達し, ときにある方向に伸長した米粒大以下の孔隙に富む。 鏡下では斑状組織が見られ斑晶は橄欖石のみである。 橄欖石は長さ 0.4~1.0 mm(まれに 2 mm)の短柱状を呈し無色であるが, 縁辺および割れ目に沿いイディングス石化がすゝみ, 反応縁は認められない。 石基は間粒状組織で柝木状の斜長石, 短柱状の橄攪石, 柱状の普通輝石および4角形・板状または粒状の鉄鉱などからなり, これら諸鉱物の間を緑泥石が塡めている。
この熔岩は全体が濃灰色を示し緻密で個々の斑晶は明らかでない。 鏡下では斑状組織がみられ斑晶は橄欖石および普通輝石からなる。 橄攪石は長さ 0.3~1.2 mm の短柱状で無色であるが, 縁辺および割れ目に沿いイディングス石化がすゝみ, 反応縁はみられない。 普通輝石は長さ 0.3~0.8 mm の柱状で淡緑色を示し, 多色性はほとんど見られず劈開および割れ目が発達している。 石基は間粒状組織を示し柝木状の斜長石, 短柱状の橄欖石, 柱状の普通輝石および4角形・板状または粒状の鉄鉱などからなり, 微細な針状の燐灰石を伴ない, また鏡下の孔隙に金雲母が生成していることがある。
孝霊山周辺の6ヵ所に大山火山噴出物に覆われて分布し, これと酷似した岩石は大山・倉吉両図幅地域内にがみいだされ, そこでは山陰型花崗岩類の上に載っている。 地質時代についての資料はほかにないが, 他地域においても粗面玄武岩に伴なって産することが多いので, 後者とほゞ同時期と推察した。 この岩体は熔岩のみからなり, その外観は特徴があり, 全体が鼠黒色を呈し個々の斑晶はあまり明瞭でなく通常板状節理が発達している。 鏡下に検すると無斑晶質でとくに斑晶と呼ぶべきものはないが, まれに長さ 1.2 mm 以下の斜長石が見られることがある。 これは柱状で結晶内核は汚濁しているが縁辺部は清純であり, また結晶外形ははっきりしている。 ほかには 融蝕され汚濁した斜長石や角閃石または黒雲母から由来したと思われる オパサイトが認められ, これらは外来結晶であろう。 このオパサイトの縁辺の鉱物はやゝ生長しているので, 外来結晶は地下深所で包有されマグマとやゝ反応したと推察される。 また著しく汚濁し, かつ融蝕され, おそらく原鉱物がカリ長石であったと推察されるものもある。 石基は毛氈伏組織で流状構造が見られ, 長さ 0.3 mm 以下の柝木状の斜長石・長柱状の斜方輝石および粒状の鉄鉱などからなり, まれに柱状の単斜輝石を伴ない, またこれら諸鉱物の間を塡めて覆瓦状の方珪石がみいだされる。 この岩石に花崗岩質岩石を混成した事実が認められるのは注意すべきである。
粗面安山岩には 安来 港の入口に海抜 93 m の小丘をなして聳える熔岩円頂丘と, 付近の2ヵ所にみいだされる岩脈とがある。
これは 十神 山と呼ばれ基底には同岩質の凝灰角礫岩がある。 この岩体の地質時代については石見層群よりが後期という以外に判定する資料がないが, 西隣の松江図幅地域内の大海崎付近に分布する粗面安山岩と同じとして取り扱った。 前記の凝灰角礫岩は 人頭大以下の粗面安山岩岩塊が黄灰色の火山灰で塡められたものである。 熔岩は風化を受け易く新鮮な資料を容易には得難いが, 新鮮なものは 灰緑色の石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石および角閃石の斑晶が散在している。 鏡下ではかなり変質作用を受けているが斑状組織は残っており, 斑晶は斜長石および角閃石からなる。 斜長石は柱状で一部またはほとんど全部が緑簾石および絹雲母などに変質している。 角閃石は仮像としてみいだされるにとゞまり, 緑泥石・緑簾石など2次鉱物の集合に変わっている。 副成分鉱物として長柱状の燐灰石が点在し, 磁鉄鉱から変わったと思われる褐鉄鉱もみいだされる。 石基は変質のため全体が汚濁しているが粗面岩組織が窺われ, 柝木状の斜長石のほか柱状の紫蘇輝石や鉄鉱も見られるが, 変質していることが多く, それらの間を再結晶したガラスが塡めている。 カリ長石の存在は変質作用のため確認できない。
これは前記の熔岩とほゞ同時期の貫入と思われる。 2ヵ所のうち, 十神山南東方にある岩脈は米子凝灰岩層を貫き, 幅 3~数 m あり, 走向は N 75°E でほゞ直立している。 肉眼では灰緑色の石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石および角閃石斑晶が点在している。 中海沿岸の八ツ神付近の岩脈は米子凝灰岩層を貫き, 幅約 10 m で走向は一定しないが, ほゞ南北で傾斜は不明である。 径 50 cm 内外の柱状節理がよく発達している。 やゝ風化を受け灰緑色の石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が点在し, 有色鉱物斑晶はあまり明らかでない。 鏡下に検すると変質は著しいが斑状組織は認められる。 斑晶斜長石はほとんど, あるいはまったく緑簾石・絹雲母などの2次鉱物に変質し, 有色鉱物はまったく緑泥石化し, 結晶外形からも原鉱物を推定できない。 ほかに副成分鉱物として磁鉄鉱および燐灰石が認められる。 石基は粗面岩組織を示し柝木状の斜長石, 粒状の鉄鉱その他緑泥石・緑簾石などの2次鉱物からなる。
この図幅地域の東半部は大山火山の西麓部に当り, 外輪山の一部, 寄生火山の孝霊山および大山火山中央円頂丘 弥山 の出現後に生じた名和軽石流・弥山熱雲などが分布している。
外輪山山体は主として厚い凝灰角礫岩からなり, 山頂部付近ではそのなかに熔岩流岩体が薄く挾まれているが, この図幅地域内では認められない。 凝灰角礫岩は人頭大以下の火山岩塊および火山礫が, 火山灰とともに凝結したもので, 全体として灰褐色を呈し粗鬆である。 火山岩塊および火山礫はほとんど角閃安山岩質であり, 細分すると種々の種類が含まれている。 なお淀江市街南方や日野川左岸地域などの山麓部では, 初生堆積物の上に裾野堆積物の載っているのが見られ, 火山岩塊および火山礫はかなり円くなっているが, 地質図幅では両者を区別することが難しいのでまとめて示してある。
孝霊山は大山火山の寄生火山であって広義の大山火山に包含される(図版 2)。 無斑晶安山岩を基盤とし, まず外輪山が形成された。 外輪山は著しく侵蝕され現在では原地形はほとんど残っていないが, 現在における最高点の鍋山は海抜 606 m あり, 主として凝灰角礫岩からなり熔岩流岩体を挾んでいないようである。 山頂に径約 4 km のカルデラがあったと推察され, そのなかに西山, 次いで東山の両中央円頂丘が出現した。 両中央円頂丘はその後の爆裂活動のため山体の一部が破壊され山麓に泥流を流下した。 東山および西山の両中央円頂丘熔岩は, いずれも紫蘇輝石含有黒雲母角閃石安山岩に属し, 肉眼的にもまた鏡下においても互に酷似しほとんど区別し難い。
主として厚い凝灰角礫岩からなり, 凝灰角礫岩は 拳大以下の種々の大きさの角閃安山岩質火山岩塊および火山礫が 灰色の火山灰で凝結したものである。
西山は熔岩円頂丘で, その山体南方にはかなりはっきりした馬蹄形の爆裂火口があり, 山麓に西山泥流を流した。
西山をなす熔岩は明らかに斑状組織が認められ, 長さ 2.5 mm 以下の斜長石, 長さ 2 mm 以下の角閃石および 径 1.8 mm 以下の黒雲母が灰褐色の石基中に散在しており, 石基は風化して灰赤色を呈することが多い。 鏡下では斑晶は斜長石・角閃石および黒雲母からなり紫蘇輝石を伴なう。 斜長石は柱状で曹灰長石に属しおおむね清純であるが, ガラスに富むものもみられ著しい反覆累帯構造を示す。 角閃石は黒色縁に包まれ酸化がすゝみ緑黄~赤褐色の著しい多色性を示す。 黒雲母も同様に黒色縁に包まれ褐黄~赤褐色の著しい多色性が見られる。 紫蘇輝石は柱状で淡緑~淡褐色の多色性を示す。 なお紫蘇輝石が内側に, 角閃石が外側にある両者の平行連晶が認められる。 微斑晶として磁鉄鉱を伴なう。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状の斜方輝石および粒状の磁鉄鉱などからなる。
東山は熔岩円頂丘でその北側には3個の爆裂火口があり, 山体は著しく破壊されているが, 南側には原地形がかなり良く保存されており, 侵蝕程度から比較すると, その出現時期は大山火山中央円頂丘の弥山と著しい差がないように推察される。
東山をなす熔岩は明らかに斑状組織が認められ, 長さ 2.5 mm 以下の斜長石, 長さ 2 mm 以下の角閃石および 径 1.8 mm 以下の黒雲母が灰褐色の石基中に散在しており, 石基は風化して灰赤色を呈することが多い。 鏡下に検すると斑晶は斜長石・角閃石および黒雲母からなり紫蘇輝石を伴なう。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し, おおむね清純であるがしばしばガラスを包有し, 著しい反覆累帯構造を示す。 角閃石は黒色縁で包まれ酸化がすゝみ緑黄~赤褐色の著しい多色性を示す。 黒雲母も同様に黒色縁で包まれ黄~赤褐色の著しい多色性が見られる。 紫蘇輝石は柱状で淡緑~淡褐色の多色性を示す。 なお微斑晶として磁鉄鉱および燐灰石を伴なう。 また黒雲母の結晶外形を保持し, 斜長石・普通輝石などの粒状集合からなるものが認められ, ほかに 斜長石・角閃石・黒雲母および磁鉄鉱などの粒状集合からなる外来岩片がみいだされる。 石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状の斜方輝石および粒状の鉄鉱などからなる。
主として東山の北方山麓に当時の谷間をうずめて堆積し, 分布区域内には流レ山が点在し起伏に富んだ地形を呈する。 これは東山熔岩の火山岩塊が同質の火山礫および火山灰とともに凝結したもので, 火山岩塊は人頭大以下の大きさで亜角礫状であり, 基質はかなり粘土化していて軽石は含まれていない。 南方山麓にも同様の地形が認められ, 表土が厚く樹木が繁茂して露出はないが, 同様の堆積物と推察される。
西山山頂南方の爆裂火口から流出したもので, 当時の谷間をうずめて堆積し起伏に富んだ地形を呈する。 西山熔岩の人頭大(まれに4斗樽大)以下の火山岩塊および火山礫が累々と堆積したもので, 軽石を含まずまた凝灰質の部分が少ない。 この爆裂火口はすり鉢形で, 内面は急傾斜をなし, 地形的にみてかなり新らしいと思われる。
この図幅地域内では北東隅の小区域にみいだされるのみであるが, 東隣の大山図幅地域内に連続して大山火山北方山腹に広く分布している(図版 3)。 大山火山山頂付近にある三鈷峯の位置する爆裂カルデラが生成した際に生じたと考えられ, 北方山腹を奔川しつつ3条に分れ他の2条は海岸近くの山麓で停止したが, 北東隅付近に分布するものは海岸から海中に及んだ。 人頭大(まれに4斗樽大)以下の軽石および 鶏卵大以下の火山礫が火山灰とともに凝結したもので, 全体として灰紅色を呈する。 軽石はかなり円くなっていてこれは流動に基づくと解釈される。 火山礫は角張っていて種々の岩種が含まれているが, いずれも角閃安山岩質で, 弥山熔岩に著しく酷似したものが少なくなく, したがって弥山出現後にこの軽石流が生じたと推察される。 軽石と火山礫との量比はほゞ半量ずつの場合が多いが, 軽石の方が9割ほどになったり1割ぐらいのこともあって一定しない。 基質は緻密な凝灰質でやゝ硬くしまり, 断崖をなして露出することが多いが熔結しておらず, したがって柱状節理はみられない。 御来屋砂礫層の上に少なくとも厚さ 40 cm のロームを隔てて載っており, この岩体の基底には, 名和駅構内や旧奈和部落(大山図幅地域内)付近では 黒焦げになった樹幹がしばしばみいだされる。 軽石流の厚さは一定しないが, 山腹でおそらく数 m 内外と思われ必ずしも厚くはない。 またこの流出は必ずしも全部が1回におこったのではなく, 旧奈和部落付近の露頭では, この堆積物中に厚さ 10 cm の火山灰質細砂層が挾まれているので, 少なくとも1回の間隙があったと推察される。
これは図幅地域の東部に広く分布し, 名和軽石流の上位にある。 これは弥山熔岩の火山岩塊および火山礫が火山灰とともに凝結したもので, 全体として灰褐色を呈する。 この堆積物に包有された火山岩塊および火山礫は弥山熔岩のみであり, 堆積物は弥山の周辺に放射状に分布し, 弥山から遠ざかるに従い分布高度が次第に低くなっているので, この生成が弥山の爆裂に原因していることは明瞭である。 すなわち 弥山の出現後に主として山体の南北両側に著しい爆裂がおこり熱雲を流下させたもので, そのため弥山は熔岩円頂丘の原地形を失ない峨々たる山容を呈するようになり, 原地形はわずかに西側に見られるに過ぎない。 この堆積物中の火山岩塊は弥山に近づくほど大きい傾向があり, 大山部落(大山図幅地域内)付近では径 1 m に近いものがあるが, 一般には拳大以下の大きさでかなり角張っている。 基質は岩塊と同質で緻密であり, かなりしまっているが柱状節理はほとんど見られない。 一般に軽石はほとんど含まれていないが, 場所により胡桃大の軽石がまれにみいだされ, また火山岩塊や火山礫がやや軽石質になっていることがある。 断崖の露出において, 人頭大以下の火山岩塊が横に1列に並び包有されているのが認められることがある。 図幅地域南縁に近い富江部落付近では, 拳大以下の火山岩塊および火山礫と, 胡桃大以下の軽石とがほゞ等量に包有されているが, このような例はきわめてまれである。 一般に熔結していないが, 根雨図幅地域内の栃原~大坂間の道路際の崖で, わずかに熔結し不完全な柱状節理を並べて露出しているのが認められる。
天万部落付近から上流の法勝寺川およびその支流に沿い, 海抜 50~70 m の高さに少なくとが 12 ヵ所でみられる。 これは大山火山の噴出に際し, 外輪山堆積物が法勝寺川を一時せきとめたとき堆積したもので, 主として灰青色, 緻密の粘土からなり, 厚さは 50 m 以下である。 また御内谷部落 北方では 粗粒黒雲母花崗岩のすぐ上に同花崗岩起源の砂が載り水平の層理を示すが, これもほゞが時期のものであろう。
これは図幅地域北東隅の海岸に沿いよく露出しているばかりでなく, 東隣の大山図幅地域内に連続し広く分布しており, 大山火山外輪山を構成する凝灰角礫岩の上に載り, 名和軽石流によって覆われている。 厚さは場所によって異なるが, 大山火山北方山腹の神田部落付近(大山図幅地域内)では 海抜 360 m の高さにまでみいだされており, 層理は常にほゞ水平である。 通常拳大(まれに人頭大)以下の安山岩礫が砂とともに弱く凝結したもので, 礫はかなり水磨され円くなって球形に近いものからやゝ角張ったものまであり, 層準によって一定しないし, 同層準でも種々の形状のものが混在していることがある。 また礫を含まず礫質砂・粗粒砂あるいは中粒砂と呼ぶべき層も含まれ, しばしば偽層をなし, ときにはこれらが礫層と互層することもある。 安山岩礫は大山火山を構成する各種の熔岩であるが, 弥山熔岩や三鈷峯熔岩は含まれていない。
図幅地域中央部に分布し福市~四塚付近にもっとも良く露われている。 大山火山外輪山の噴出物の上に不整合に載り, おそらく浅海の堆積物と思われる。 本層は下部層と上部層とに分けられ両者は整合である。 下部層は厚さ 3 m 以上あり, 整然とほゞ水平に成層し, ときには偽層を示す。 砂礫からなり, 礫は拳大以下でよく円磨され, ほとんどすべて安山岩質であって, 大山火山の弥山熔岩に著しく酷似した礫が含まれているので, 本層は大山火山中央円頂丘の弥山の出現以後における堆積物と思われる。 上部層は厚さが少なくとが 5 m あり, 黄色軽石を含む砂礫からなりよく凝結し緻密である。 砂礫は大豆大以下でほゞ分級されたものが上下に漸移していて, 層理は著しくないが見られる場合はほゞ水平である。 黄色軽石は拳~大豆大のものが多く, これ以下のものもありよく円磨されている。
この上部層の上に 褐赤・褐橙・黄褐など種々の色を呈する雑色ローム(厚さ 0.5~3 m)が載っており, その上に明らかな不整合をもって 黄色軽石層(厚さ 1.5~2 m)および褐色ローム(厚さ 0.3~0.8 m)が載っている。
これらは地質図幅には記載してない。 図幅地域内の山地を覆いローム層が広く分布しており, これは火山灰の風化によるものと考えられ, したがって種々の地質時代のものがある。 このロームは色によって細分することができるがおおむね褐色を呈し, 既述のように軽石層を挾むことがある。 この軽石層は全体が黄色を呈し胡桃大(まれに拳大)以下の軽石が集積したもので, 風化が甚だしく場所によっては土壌化している。 厚さは一定しないが 0.5~ 3(最大 8) m のことが多く, 分布は局部的で連続しないことが多い。 これは 軽石は動き易く堆積後に当時の谷間などに移動し集積したためと思われる。 しかし 粗面玄武岩の熔岩台地など比較的平坦な場所の上では連続して広く分布している。 この図幅地域内では 地域東縁に近い赤松池から母里部落を結ぶ線から南側に多く見られ, 弥山に近づくほど厚く, かつ径も大きい傾向がある。 たとえば大山火山西麓斜面の小林・丸山部落付近では, 厚さ 2 m 以上の褐色ロームの上に厚さ 3~5 m の軽石層が載り, その上に厚さ 1 m 前後の褐色ロームおよび黒色土壌がある。 天万部落西方の湖成層の上には厚さ 2 m 内外の軽石層が載り, その上に褐色ロームがある。 この軽石層は大山図幅地域内の資料によると, 弥山熱雲流出以後に弥山付近から抛出されたもので, 主として東方に延び, 弥山東方約 80 km の場所まで及んでいる。
日野川沿岸に分布し礫および砂からなり, 層理は水平であるが偽層や尖滅が顕著である。 礫は人頭大以下で大山火山熔岩がほとんど大部分を占める。
砂丘堆積層は弓ガ浜の西海岸に沿い比高 2~5 m の小丘をなして点在し, 砂からなる。
冲積層は河川の流域・海岸および弓ガ浜などに分布し, 礫・砂および粘土からなる。
この地域内の鉱産資源にはとくに顕著なものはなく, 砂鉄が日本海岸および弓ガ浜の西岸に産し, 土木用石材が石見層群分布地域の諸所で採取されているが, いずれも規模は小さい。 なお亜炭が伯耆溝口駅 東方の大山山麓の谷間の段丘で一時稼行された。 皆生温泉は観光地として有名である。
日野川河口から北西方約 4 km の間でみられる。 皆生温泉の東側では汀線に長さ 5 m 内外, 幅 3 m, 厚さ 0.5~1 cm 程度の打上げ砂鉄が数ヵ所に数層みられ, 最大の厚さを有するものは地表から約 10 cm の深さにあり, その厚さは 4 cm に達する。 一般に粗粒で粒度は径 0.4~ 2 mm である。 濃集部の着磁率は良好で 50~70 % あり, 品位は Fe 58~62 % に達するが TiO2 は少なく 5~7 % に過ぎない。 また皆生温泉西側では, 汀線における打上げ砂鉄と 汀線から 5~10 m 後退した段丘上に分布する浜砂鉄とがみられ, 後者は暴風時に打上げられたものと考えられ, その規模は前者よりも大きい。 たとえば皆生温泉西方約 100 m 付近では前者の規模は長さ 10 m 内外, 幅 2~3 m, 厚さ 2~5 cm であるが, 浜砂鉄は長さ 50 m 以上, 幅 10 m 内外, 厚さ 15 cm に達する。 この程度の浜砂鉄は早く採取しないと次の暴風のとき運び去られるので, 暴風後にすぐ採取する。 ほかに 皆生温泉から北西方の飛行場付近までの間にも5~6ヵ所打上げ砂鉄がみられる。 現在では冬期に主として打上げ砂鉄を採取しており, 原砂を水洗あるいは磁選して送鉱する。 夏期は打上げ砂鉄が少ないので操業しない。
米子に近い中谷部落から [ 中海に面した ] 葭津部落に至る約 7 km の間に, 数個の鉱層がほゞ雁行状に, 全体として汀線に平行に分布しており, これらは 1937~45 年の間に稼行され, ほとんど採掘ずみで現今では葭津地区以外は稼行価値に乏しい。 各鉱層の規模は長さ 200~500 m, 幅最大 30 m であって厚さは 10~20 cm(最大 50 cm 余)である。
淀江部落西端の海岸では打上げ砂鉄は認められなかったが, 貯鉱が約 0.5 t あり, 着磁率は 57.9 % であった。 佐陀川西側の海岸では打上げ砂鉄は見られなかったが, 防風林のある砂丘中に砂鉄の薄層が認められた。
御来屋部落の東端海岸で, 打上げ砂鉄の薄層がわずかに見られた。
鳥取県日野郡岸本町大原・真野両地区にある。 大原地区のものは大山火山西麓を流下する谷間の河川に沿った小規模の段丘堆積物で, 炭層の大部分は侵触し去られ縁辺部が南北両岸にわずか存在するにとゞまる。 筆者が訪れた当時には採掘は休止していたが, 文献によると, かつて日野村の遠藤某が井戸掘を試みたが出水のため中止し, 次いで鉱業権は岡山県の村上清七に, さらに 1943 年 2 月岸田耕一に移り, 同年 10 月まで試掘を続けたが出水のため中止した。 この間 300 t を尼崎日立鉄工所に送ったという。 南岸のものは層厚 60 cm あり, 木質亜炭であるが燃焼し易い良質のもので 4500 Cal. 以上と考えられる。 河川の流路に直角に坑道を掘進したが約 20 m で炭層はなくなったという。 北岸のものは前者と同一水準に露頭があるが, 層厚 30 cm および 6 cm の2枚になっている。 真野地区のものは神社横にあり, 1943 年 11 月に岸田耕一が着手したが村民の反対にあい中止した。 上記と同様の堆積物で層厚は 80cm あるが炭質は不良で木の葉が多いという。
この地域内には著名な石材産地はないが, 採掘の容易, 搬出の便利および消費地の近接などの諸条件に恵まれ, 石見層群分布地域の諸所に産地があり, 安山岩・流紋岩および火山砕屑岩などが採掘され, この地方の家屋の土台・石垣・バラスおよび築港工事などに利用されている。 いずれも規模は小さく人員は 5~10 名程度で手工具により採掘している。 そのおもながもの位置を地質図幅に符号で示した。
米子市街北東方約 1 km の海岸にあり, その間にバスが通じている。 往時海岸の沖合に漁夫が泡の場と称えた場所があり, 魚の吐く泡と誤信されていたが, 海岸線の進出により 1900 年頃海岸の浅瀬で湧泉が発見され, 1920 年頃以後に栄えた。 泉質は含塩化土類食塩泉に属し泉温は約 70 ℃ あり, 現今ではボーリングにより温泉を得ている。 岩盤は約 40 m 下位にあり新第三紀頁岩層からなるという。 かつて付近一帯の海岸線は漂砂のため年々進出していたが, 1935 年頃からは後退がすすみ, 旧泉源は海中に没し, 旅館も被害を受けるようになったので, 現在では護岸工事の実施により阻止に努めている。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Okayama, No. 18
By RYŌHEI OTA (Written in 1959)
Quartz diorite of unknown age is the oldest rock in the mapped area. After then, granites , consisting of granite porphyry, coarse- to medium-grained biotite granite, fine-grained two-mica granite and biotite leucogranite, intruded one after another in this order at the end of Cretaceous period.
The Iwami group , which overlies the eroded surface of granites, is extensively distributed not only in the mapped area, but also in the west neighbouring areas. The group is a product resulted from violent volcanic activities in the Miocene epoch and it can be divided into Tamatsukuri formation and Omori formation. Furthermore, the former can be divided into five members and the latter into two members as shown in the legend. The lowest member of Tamatsukuri formation is mainly composed of arkose without fossil. In the middle of sedimentation of arkose, volcanic activities occurred and became violent. Members above the arkose are the thick accumulation of rhyolite lavas and pyroclastic rocks, intercalated with mudstone in the lower part. Omori formation is composed of andesite lavas and pyroclastic rocks. In Pleistocene, trachybasalt , aphyric andesite and trachyandesite flowed out one after another. The trachybasalt can be divided into olivine basalt and augite-olivine basalt, and the former was dislocated owing to crustal movement .
Daisen volcano , which was active in Pleistocene, is the highest in Chūgoku district. The eastern half of the mapped area is the southern foot of Daisen volcano and it is composed of thick tuff-breccia of the somma, various rocks of parasitic volcano, Kōrei-zan, and pumice flow and nuées ardentes which poured down after the appearance of Misen, a central dome of Daisen volcano. Kōrei-zan is composed of somma, two central domes and two mud flow deposits. The lake deposit is a temporary sediment at the time of construction of the somma of Daisen volcano.
The Mikuriya sand and gravel bed is considered to be a fluvial deposit at the time of forming collapse caldera of Daisen volcano. Fukuichi sand and gravel bed is a shallow sea deposit. There are terrace deposits of Pleistocene along the Hino-kawa. As the Recent sediments, there are sand dunes at Yumigahama spit and alluvium along seashore and rivers.
Iron sand at both sides of Yumigahama spit and peat in terrace deposit along a valley at the foot of Daisen volcano had ever been worked. Building stone is obtained from various rocks which belong to the Iwami group, but in a small scale. Kaike hot spring is noted as a sightseeing place.
昭和 37 年 7 月 22 日 印刷 昭和 37 年 7 月 28 日 発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所