11102_1979
地域地質研究報告
5万分の1図幅
京都(11) 第 102 号
同志社大学 工学部 鈴木博之
和歌山大学 教育学部 原田哲郎
大阪府立 藤井寺高校 石上知良
京都大学 理学部 公文富士夫
和歌山県立 大成高校 中屋志津男
大阪府立 山本高校 坂本隆彦
京都大学 理学部 立石雅昭
京都大学 理学部 徳岡隆夫
地質調査所 海洋地質部 井内美郎
昭和 54 年
地質調査所
目 次 1. 地形 2. 地質概説 3. 音無川層群 3.1 瓜谷累層 3.2 羽六累層 3.2.1 羽六累層下部層 3.2.2 羽六累層上部層 3.3 音無川層群の地質時代 3.4 音無川層群の砂岩および古流系 3.4.1 砂岩 3.4.2 古流系 4. 牟婁層群 4.1 安川累層 4.1.1 安川流域の安川累層 4.1.2 大河付近の安川累層 4.1.3 大塔川源流域の安川累層 4.2 打越累層 4.2.1 打越背斜北翼の打越累層 4.2.2 打越背斜南翼の打越累層 4.2.3 合川複向斜南翼の打越累層 4.2.4 平瀬 - 鮎川断層以北の打越累層 4.2.5 大塔川流域の打越累層 4.3 合川累層 4.3.1 合川複向斜部の合川累層 4.3.2 栗栖川周辺の合川累層 4.3.3 大塔川・四村川流域の合川累層 4.4 牟婁層群の産出化石と地質時代 4.5 牟婁層群の堆積構造と古流系 4.6 牟婁層群の礫岩および砂岩 4.6.1 礫岩 4.6.1 砂岩 5. 熊野層群および田辺層群 5.1 熊野層群 5.2 田辺層群 6. 岩脈 6.1 酸性火砕岩 6.2 石英斑岩 6.3 八丁涸漉変質帯 7. 第四系 8. 地質構造 8.1 本宮断層 8.2 音無川帯の地質構造 8.3 牟婁帯の地質構造 8.3.1 褶曲 8.3.2 断層 8.4 熊野層群・田辺層群の地質構造 9. 応用地質 9.1 鉱床 9.2 温泉 9.3 石材 9.4 地すべり 文献 Abstract 図版
図の目次 第 1 図 (本図幅地域北部の航空写真) 第 2 図 (大塔川渓谷) 第 3 図 (栗栖川の町並と河岸段丘) 第 4 図 紀伊半島の四万十累帯の構造区分 第 5 図 栗栖川図幅およびその周辺地域の地質総括図 第 6 図 音無川層群の柱状図 第 7 図 (瓜谷累層) 第 8 図 (羽六累層) 第 9 図 (羽六累層) 第 10 図 音無川層群の砂岩の鉱物組成 第 11 図 牟婁層群の柱状図 第 12 図 (安川累層) 第 13 図 (安川累層) 第 14 図 (安川累層) 第 15 図 安川流域の安川累層・打越累層のルートマップ 第 16 図 古座川源流大河付近の安川累層のルートマップ 第 17 図 (打越累層) 第 18 図 (打越累層) 第 19 図 (打越累層) 第 20 図 (打越累層) 第 21 図 (合川累層) 第 22 図 (合川累層) 第 23 図 (合川累層) 第 24 図 (合川累層) 第 25 図 (合川累層) 第 26 図 (合川累層) 第 27 図 (合川累層) 第 28 図 栗栖川図幅およびその周辺地域の古流系 第 29 図 牟婁層群の礫岩の礫種構成 第 30 図 牟婁層群の砂岩の鉱物組成 第 31 図 牟婁層群の砂岩の石英量およびカリ長石量 第 32 図 牟婁層群と熊野層群の不整合関係を示すルートマップ 第 33 図 熊野層群の柱状図 第 34 図 (熊野層群) 第 35 図 (酸性火砕岩岩脈) 第 36 図 (石英斑岩岩脈) 第 37 図 八丁涸漉変質帯と熊野酸性火成岩類との関係 第 38 図 栗栖川図幅および新宮図幅西部地域の地質構造および断面図 第 39 図 打越背斜軸部のルートマップ 第 40 図 (打越背斜軸部の褶曲とスケッチ) 第 41 図 牟婁層群のフリッシュにみられる小褶曲のスケッチ 第 42 図 新宮図幅西部地域の地質図
表の目次 第 1 表 栗栖川図幅地域の牟婁層群の層序と従来の層序との対応関係 第 2 表 鮎川温泉の化学成分 第 3 表 本図幅地域内の主な地すべり地
図版の目次 第 Ⅰ 図版 音無川層群の砂岩の顕微鏡写真 第 Ⅱ 図版 牟婁層群の砂岩の顕微鏡写真 第 Ⅲ 図版 オーソコォーツァイト礫,流紋岩礫と顕微鏡写真 第 Ⅳ 図版 酸性火砕岩,石英斑岩の顕微鏡写真 第 Ⅴ 図版 牟婁層群合川累層の斜交葉理と流痕 第 Ⅵ 図版 牟婁層群合川累層の礫岩 第 Ⅶ 図版 本宮断層付近の破砕帯 第 Ⅷ 図版 音無川層群,牟婁層群にみられる小褶曲
地域地質研究報告
(昭和 53 年稿)
5万分の1図幅
京都(11) 第 102 号
紀伊半島の四万十累層群については, 古くは鈴木達夫による 7.5 万分の1「田辺」および同「 御坊 」図幅があり, その後, 5万分の1地質図幅「 動木 」・ 「新宮」・ 「 阿田和 」・ 「那智 [ ← 那智勝浦 ? ] 」および「 田並 」が出版されている。 著者らを含む「紀州四万十帯団体研究グループ」は, 1960 年代から紀伊半島の四万十累層群の研究を続けてきた。 本図幅域に関連した研究についてみると, 原田は 牟婁 層群の層序と構造についてのべ, フリッシュ相についての堆積学的な検討を行ない(HARATA, 1964・1965), 徳岡は 日置川 沿いの地質断面を示し, 礫岩および砂岩について検討し(徳岡(1966); TOKUOKA(1967)), 鈴木は牟婁帯の地質構造について検討している(鈴木, 1970・1973・1975)。 また, 原田ほか(1967)および紀州四万十帯団体研究グループ(1972)は 図幅東北部の 四村川 ・ 大塔川 地域, 東南部の 古座川 の上流地域の地質について報告している。
本報告は昭和 53 年度の地質調査所の事業として原田と徳岡が委嘱をうけ,
上記の研究グループがこれまでに得てきた資料をもとに,
補足調査をおこなった結果を加えて作成したものである。
[
本図幅の
]
東に隣接する新宮図幅域の西部に分布する牟婁層群については,
本図幅域のそれと密接な関係を有することから,
[
新宮図幅地域の西部の
]
地質図を第 42 図として
[
巻末に
]
示し,
本報告中にあわせて記載を行なった。
また,
本報告に記述した
化石の産地,
古流向の測定地点,
礫種構成の検討地点,
砂岩組成の検討地点および図表に関連した地点などを
巻末に
[
独立した印刷物の
]
付図として一括して示す
ことにした。
本報告の基礎となったものは 研究グループによる牟婁層群の長年にわたる調査と, 鈴木博之による栗栖川地域を中心とした研究である。 音無川 帯については「はてなし団体研究グループ」の成果によるところが大きい。
本報告をまとめるにあたり「紀州四万十帯団体研究グループ」, 「はてなし団体研究グループ」に参加された各位に厚くお礼申しあげます。 砂岩の検鏡にあたっては 久富邦彦 氏と別所孝範 氏の協力を得た。 地質調査所の水野篤行 課長には貝化石について教えていただいた。 また, 同じく [ 地質調査所の ] 寺岡易司 技官には 本図幅の作成で援助をうけるとともに 原稿についての御意見をいただいた。 これらの方々に厚くお礼申しあげます。
本図幅地域には [ 図幅地域の東部・南北中央のやや南の ] 大塔山 (1,122 m)を主峰として 山頂高度 500~1,100 m の山々が連なり, その間を 富田 川 [ ← 図幅地域北西部を南西に流れる ] ・ 日置 川 [ ← 図幅地域中央やや西部を南に流れる ] , 日置川の支流である 安川 [ ← 図幅地域中央付近を西方に流れる ] および 前の川 [ ← 図幅地域のやや東方の南部地域を西~北西方に流れる ] , 十津川 [ or 新宮川 or 熊野 川 ] の支流である 大塔川 [ ← 図幅北東部を北東方向に流れる ] および 四村川 [ ← 図幅北東部を南東方向に流れて大塔川に合流する ] , 古座川 [ ← 本図幅地域の南東隅付近 ] などの河川が流れている。 これらのうち 安川・前の川・大塔川・古座川はいずれも大塔山にその源流を発している。
主要な山地を連ねた稜線は 岩相分布や地質構造に強く規制されている。 大塔山の西に連なる 高尾山 [ ← 大塔山の南西方 7 km ] ・ 法師山 [ ← 大塔山の西方 4 km ] ・ 百間山 [ ← 大塔山の西方 7.5 km ] の稜線, 野竹法師 [ ← 大塔山の北北西方 6 km ] ・ 獄山 [ ← 大塔山の西北西方 9 km ] ・ 太尾ノ嶺 [ ← 大塔山の西方 14 km ] ・ 麦粉森山 [ ← 大塔山の西方の図幅地域西端付近 ] を連ねた稜線, 笠塔峯 [ ← 大塔山の北方の図幅地域北端付近 ] ・ 狼𡴭山 [ ← 笠塔峯の南西方 2.5 km ] ・ 鷹巣山 [ ← 鷹ノ巣山 ? ; 狼𡴭山の南西方 6 km ] ・西ノ峰 [ ← 鷹ノ巣山の南西方 3 km ] を連ねる尾根筋は いずれも 牟婁 層群 打越 累層の厚い塊状砂岩 [ U ] の分布と一致している。
河川の流路方向についてみると, 主流の富田川, 日置川や大塔川は大構造とほぼ直交する横谷となっているが, それ以外の河川の多くは 泥岩の分布域や地質構造に一致する縦谷をなしている。 安川は [ 図幅地域南北中央部を東西に横切る ] 打越背斜の方向と一致し, 大塔川の支流にみられる北西 - 南東方向の谷 [ = 大塔川の南西 - 北東方向の流路と直交する谷 ? ] は この地域の地層の一般走向とほぼ一致する。 [ 図幅地域の南部・東西中央よりやや西部の ] 熊野 川は 合川 複向斜の一部をなす熊野川背斜の位置とほぼ一致している。 日置川や富田川の支流についても 同様に 構造支配をうけた谷がいくつかみられる。
大きな断層も地形に顕著に表われている。 [ 図幅地域北部・東西中央付近を東北東 - 西南西方向に横切る ] 本宮 断層に沿っては [ 日置川水系の ] 野中川が断層線谷をなしていて, ケルンコル [ kern col ; 断層鞍部 ] , ケルンバット [ kern but ; 断層小丘 ] 地形がよくみられる(第 1 図). [ 図幅地域北部・東西中央付近の ] 近露 から [ その東北東方 5 km の図幅地域北端付近の ] 小広 峠にかけての地域では, 本宮断層に伴う破砕帯地すべりによる地すべり地形がよく発達している。 [ また, 図幅地域中央やや北の部分を東北東 - 西南西方向に横切る ] 平瀬 - 鮎川 断層も地形によく表現されている。
本図幅地域の牟婁層群分布域には, 紀伊山地の現在にまで引続く隆起運動を反映して 主要な河川沿いにも平地部はほとんどなく, 典型的な V 字谷が各所にみられる。 大塔山の周辺地域では 牟婁層群の下部層が広く熱水変質を受けているため 地層が硬化しており, 流域には廊下と絶壁か続いている(第 2 図)。 本宮断層以北では 音無川 層群の泥岩を主とする地層が広く分布するため 浸食がすすんでおり, やや低平な山地をなしている。
本図幅のほとんどの地域は山地で占められていて 沖積平野は発達していない。 わずかに近露と [ 図幅地域北西部の ] 栗栖川に小規模な河岸段丘と沖積平地がみられ, 水田耕作が可能で, 本図幅地域内の人口集中地となっている(第 3 図)。 前の川の上流の 木守 [ ← 百間山の南方 2.5 km ] 付近にもごく小規模の沖積平地があり, 水田がつくられている。
紀伊半島の四万十累帯は 北から南へ 日高川 帯, 音無川 帯 および 牟婁 帯に区分される(第 4 図)。 日高川帯は白亜系を主とする日高川層群, 音無川帯は始新統と推定される音無川層群, 牟婁帯は漸新統ないし下部中新統の牟婁層群から構成されている。 日高川帯と音無川帯は 御坊 - 萩 構造線により, また, 音無川帯と牟婁帯は 本宮断層 [ ← 本宮構造線 ? ] によって境される。 これら3つの地層群は全体として四万十地向斜という一つの地向斜の堆積物とみなされ, 一括して四万十累層群とよばれている。
日高川層群は泥質岩が優勢で, チャートや緑色岩を挾有し, いわゆる優地向斜相を呈する。 音無川層群にはチャートはみられず, ごくまれに薄い緑色岩や赤色頁岩および緑色頁岩を伴い, 全体としてフリッシュ相 [ = リズミカルな砂岩・泥岩互層などの構造が見られる堆積岩の相 ] が卓越している。 牟婁層群には緑色岩やチャートはまったく存在せず, 砂岩が優勢で, 各種のフリッシュ相を主とする劣地向斜相がみられる。
本図幅地域は 牟婁帯の北半部と音無川帯の南縁部を含んでいる。 牟婁層群については 最上部層を除き ほぼ全層準の地層が露出するが, 音無川層群の場合は 最下部および最上部はみられない。
音無川層群は 下位より 泥岩を主とする 瓜谷 累層, 泥質フリッシュおよび等量フリッシュからなる 羽六 累層 下部層, 砂質フリッシュおよび砂岩を主とする羽六累層 上部層, 各種のフリッシュからなる 伏菟野 累層に分けられる [ 以下の [注] 参照 ] 。 ただし, 伏菟野累層は本図幅地域には分布しない。 本層群の全層厚は 1,400 m である。
牟婁層群は 下位から 安川 累層・ 打越 累層および 合川 累層に区分され, 全層厚は 7,500~9,000 m である。 安川累層は塊状砂岩と泥岩およびフリッシュ, 打越累層は塊状砂岩と砂質フリッシュ, 合川累層は礫岩・含礫泥岩・砂岩・泥岩およびフリッシュなどからなる。
中部 中新統の 熊野 層群と 田辺 層群は それぞれ図幅地域の東部と西部にごく小範囲を占めて分布し, 牟婁層群を顕著な斜交不整合で覆っている。 両層群とも数 m~数 10 m の基底礫岩砂岩層に始まり, 上位にシルト岩へと移化していき, 全層厚は 2,000 m から 3,000 m である。 本地域ではそれらの最下部のみが分布する。
熊野酸性火成岩類に伴う火砕岩岩脈と石英斑岩岩脈は 熊野層群や田辺層群の堆積後の活動で, 安川, 大塔川および四村川沿いに小規模な岩脈としてみられる。 大塔川の源流付近や四村川の上流には, これらの活動に関連したと考えられる熱水変質帯が認められる。
第四系の発達は極めて悪く, 河川沿いのごく狭い地域に段丘堆積層と沖積層がみられるにすぎない。
本図幅地域を中心とする層序と地史を第 5 図に概念的に示す。
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音無川層群は 北側の [ = 本図幅の北隣の龍神図幅地域内に分布する ] 日高川層群とは御坊 - 萩構造線で, 南側の牟婁層群とは本宮断層で画される。 音無川層群は 当初は鈴木達夫(1939)が [ 本図幅の西西隣の印南図幅地域を含む ] 7.5 万分の1御坊図幅で 印南 統とよび, 松下(1953 ; p. l91)は印南累層とよんで日高川層群に含めた。 橋本(1971)はこれを印南層群とした。 いっぽう, 紀州四万十帯団体研究グループ(1968)は, 本図幅の東に隣接する地域 [ = 新宮図幅地域 ] で 牟婁層群の下部層として音無川ムロ層の名称を使用した [ 以下の [注] 参照 ] 。 その後, はてなし団体研究グループ(l977b)は 音無川帯全域の調査結果にもとづき, あらたに音無川層群と呼ぶことを提案した。 本図幅ではこれを踏襲する。
はてなし団体研究グループ(1977b)によると, 音無川層群は 瓜谷 累層・ 羽六 累層および 伏菟野 累層に分けられる。 模式的な層序は図幅外の西の海岸地域でみられるが, どこにおいてもつぎにのべるような共通した特徴を示す(第 6 図の 左 [ ← 左端 ] の柱状図)。 瓜谷累層は 暗灰色ないし淡緑色の塊状泥岩を主とし, 上部に成層した珪質頁岩をしばしば挾有し, 石灰質団塊を普遍的に含む。 最上部には赤色ないし緑色頁岩を挾む。 羽六累層の下部層は 泥質フリッシュと等量フリッシュを主とし, 砂質フリッシュを伴う。 泥質部には まれに石灰質団塊や石灰質泥岩のレンズを含む。 羽六累層の上部層は 主として 1~4 m の塊状砂岩と砂質フリッシュからなり, 礫岩を挾有する。 礫岩は中礫~大礫, まれに巨礫大の円礫ないし亜円礫からなり, 花崗岩・流紋岩・石灰岩まれに石英片岩や緑色片岩などの礫を含む。 砂質フリッシュには底痕が発達する。 伏菟野累層は 泥質フリッシュ・等量フリッシュおよび泥岩からなり, 礫岩を伴う。
音無川層群は本図幅地域の西北部に本宮断層以北のせまい範囲に露出し, 上にのべた音無川層群の模式層序(伏菟野累層を除く)にほぼ対応する層序が 近露 の北方および 福定 の北方でみられる。 ここでは瓜谷累層の上部から羽六累層 上部層の下部に至る層準がくりかえし露出し, 岩相の横への連続性は非常によい。 柱状図を第 6 図に示す。
瓜谷累層から羽六累層にかけてみられる赤色ないし緑色頁岩を含む層準は, 音無川帯に広く追跡が可能で, 有効な鍵層となっている(はてなし団体研究グループ, 1975)。 また, 瓜谷累層から羽六累層にかけては, しだいに上位にむかって泥質岩に式する砂質岩の比率が増大し, それとともに 全体として砂質岩は細粒から粗粒になる という顕著な岩相変化が認められる。 本層群の全層厚は 1,400 m である。
瓜谷累層は 音無川帯の南縁に ほぼ本宮断層に沿って分布する。 近露の北方の鴨折谷林道では やや破砕された黒色泥岩がみられる(第 7 図)。 ほとんど塊状の泥岩からなるが, まれに 10~20 cm に成層する泥質フリッシュ(砂質部の厚さは 2~5 cm)をはさむ。 [ 図幅地域北西隅から南南東方 4 km の ] 岩崎から [ その東北東方 2 km の ] 皆ノ川入口にのびる瓜谷累層は やや青味がかった黒色の塊状硬質泥岩で, まれに成層する。 人頭大の石灰質団塊がまれに含まれている。 これらの地域には 模式層序 [ の最上部 ] にみられるような [ 鍵層となる ] 赤色および緑色頁岩は顕著ではなく, まれにやや緑色の泥岩がみられるにすぎない。 本累層の層厚は 170 m 以上である。
羽六累層 下部層は 断層で [ 切られて ] くり返しあらわれ, 比較的広い面積を占めて露出する。 瓜谷累層 [ Ur ] とは整合で, フリッシュの始まりをもって羽六累層の下底とする。 下半部は 単層の厚さ 5~20 cm の泥質フリッシュであり(第 8 図), 上半部は単層の厚さ 15~50 cm の等量フリッシュである。 いずれにおいても 砂質部は中粒ないし粗粒で, 級化層理を示し, 砂質部から泥質部への移行はかなり急激であるが, 漸移している。 まれに海底地すべりによるスランプ褶曲がみられる。 小断層や小褶曲が多く発達していて 正確な層厚は明らかでないが, 400~1,000 m と推定される。
羽六累層 上部層は西北部の福定の北方から鴨折谷林道にかけて, および [ 図幅地域北西隅から南南東方 5 km の ] 栗栖川の北方から [ その東方 3 km の ] 政城山 に分布する。 鴨折谷では, 下部は単層の厚さ 20~60 cm の砂質フリッシュ(第 9 図), 上部は 1~5 m に成層する塊状粗粒砂岩からなる。 まれに単層の厚さ 15~50 cm の等量フリッシュをはさむ。 砂岩およびフリッシュの砂質部は中粒ないし粗粒で, 泥岩の同時侵食礫を多く含み, 粗粒砂岩はしばしば径 2~3 cm の礫を含む。 層厚は約 500 m である。
本図幅地域内では生痕化石は多産するが, 時代決定に有効な化石は未だ発見されていない。 橋本(1971)は印南地域の音無川層群相当層から Bathysiphon sp., Haplophragmoides ? sp., Cyclogyra ? sp., Langena ? sp., Dentalina sp., Globigerina ? sp., Polymorphinid の産出を報告し, 古第三系としている。 [ また, ] 紀伊半島の四万十累層群の層序や構造配置からみて, 紀州四万十帯団体研究グループ(1975)は 音無川層群は始新統の可能性が強いとしている。
音無川層群では羽六累層の下部から上部にかけて次第にフリッシュの砂質部の厚さが増し, 羽六累層の最上部には厚く成層した塊状砂岩がみられる。 これらの砂岩の鉱物組成をカリ長石を染色した薄片で検討した [ 以下の [注1] 参照 ] 。 また, 同様に染色した切片についても補助的に検討した [ 以下の [注2] 参照 ] 。
鉱物組成を検討した結果を第 10 図に示す。 音無川層群の砂岩は 石英 : 37~46 %, カリ長石 : 6~16 %, 斜長石 : 10~29 %, 岩片 : 9~24 %, 基質 : 5~13 % であり, 後にのべる牟婁層群の砂岩と比較的よく似た組成を示す。 しかし, 音無川層群の砂岩は牟婁層群の砂岩に比べて やや暗灰色を示し, また 粗粒であることが多く, みかけは異なっている。
石英には単一結晶からなる粒子が多く, その半分近くは弱い波動消光を示す。 多結晶の石英からなる粒子もかなり存在する。 カリ長石にはパーサイト構造やマイクロクリン双晶がしばしば認められる。 斜長石にはアルバイト双晶がしばしば発達するが, 風化・変質していることが多い。 岩片には花崗岩が多いが, 流紋岩, 頁岩, チャート, ホルンフェルスも認められる。 基質は隠微晶質石英と粘土鉱物からなる。 音無川層群の砂岩の代表的な顕微鏡写真を [ 巻末の ] 第 Ⅰ 図版に示す。
音無川層群の砂岩の鉱物組成は 全体としてまとまっているが, 切片による測定資料を含めて検討すると カリ長石の量が羽六累層の下部層で少なく, 上部層で多くなる傾向が認められる。
本図幅地域内では 西部 [ = 図幅地域北西隅から南東方 7 km ] の 政城山 の北方の羽六累層 下部層にひとつだけ, 北東 → 南西の古流向が知られているのみである。 しかし, 音無川層群全体についてみると 羽六累層には流痕がしばしば発達しており, は てなし団体研究グループ(1975・1977a)によって以下のような古流系が知られている。 西部 [ = 本図幅の西隣の田辺図幅地域内 ] の海岸地域においては 羽六累層の最下部では北 → 南であるが, 下部から上部にかけては東 → 西, 東北東 → 西南西の古流向が卓越している。 本図幅の西に隣接する [ 田辺図幅地域内の ] 奇絶峡 地域では 東 → 西とともに南 → 北の古流向, また東に隣接する [ 新宮図幅地域内の ] 本宮 地域では 東 → 西あるいは東北東 → 西南西の古流向を示す。
鈴木達夫(1939)は [ 本図幅の西西隣の印南図幅地域を含む ] 7.5 万分の1「御坊」図幅で 図幅の南部の地層を牟婁統とよび, 松下(1953 ; p. 192)は これを牟婁層群とよびかえた。 村山(1954)は [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅において東牟婁層群, 水野(1957)は [ 本図幅の南東隣の ] 那智 [ ← 那智勝浦 ? ] 図幅において紀南層群とよんだ。 原田・徳岡・松本(1963)は 牟婁層群を 下位より 音無川 ムロ層, 四村川 ムロ層, 請川 ムロ層に区分し, HARATA(1964)は 本宮町周辺(本図幅地域の東北部および その東の隣接地域 [ = 新宮図幅地域 ] )の層序について報告した。 しかしながら, 紀州四万十帯団体研究グループによる牟婁帯全域の調査が進行するにつれ, 音無川ムロ層は牟婁層群から除外したほうがよいこと, また, [ 本図幅地域内の ] 四村川流域や [ 本図幅の東隣の新宮図幅地域内の ] 請川周辺の地層を牟婁層群の模式層とすることは適切でないこと が明らかになってきた。 そこで, 同グループは地層名として暫定的に A・B・C … の記号を使用し, 各地の層序について記載してきた。 その後, 牟婁帯全域にわたる調査が進展した結果, 同グループ(1977)は牟婁帯の北部地域 [ 以下の [注1] 参照 ] に分布する牟婁層群を新しく 下位より 安川 累層, 打越 累層, 合川 累層に3分することを提唱した。 本図幅ではこの地層名を用いる [ 以下の [注2] 参照 ] 。
この新しい層序区分と従来本図幅地域で用いられた層序との対応関係を第 1 表に示す。 本地域の牟婁層群の柱状図を第 11 図に示す。
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牟婁層群は [ 本図幅の ] 東隣の新宮図幅の西部地域にも分布し, 東牟婁層群として記載されている(村山, 1954)。 今回の本図幅調査に際し この地域についても調査し, 従来よりやや詳しく検討したので, 地質図を [ 本報告書の ] 末尾に第 42 図として示す。 [ 新宮図幅の西部地域の ] 地質の記載については 本図幅の対応する各地層の項に含めてのべる。
安川累層は 日置川の支流の安川流域 [ ← 図幅地域中央やや東の打越背斜沿いの地域 ? ] , 古座川の源流の 大河 付近 [ ← 図幅地域南東部 ] , 大塔川の源流域 [ ← 大塔山の北部の地域 ? ] に広く分布する [ 以下の [注] 参照 ] 。
塊状砂岩および泥岩からなる下部層(Y1 層)と 成層泥岩およびフリッシュからなる上部層(Y2 層)に分けられる。 安川累層が広く分布するのは大河付近であるが, 構造が複雑なため 安川流域を模式地とする。 代表的な岩相を第 12・13・14 図に示す。
安川累層は打越背斜の軸部をなして露出する。 ルートマップを第 15 図に示す。
Y1 層 [ = 安川累層の下部層 ] : 大塔山山頂から [ その北西方 2.5 km の ] 宗小屋谷 および安川の支流の大塔谷 [ ← 大塔山の北方 2 km 強 ] 周辺にかけて分布し, さらに [ 大塔山の北西方 5 km の ] 小鮫谷 付近にも小規模に露出する。 単層の厚さ 1.5~2.5 m の塊状中粒砂岩を主とし, 泥岩や 15~40 cm に成層した砂質フリッシュを伴う。 細礫を含む塊状粗粒砂岩がまれにみられる。 全体に熱水変質をうけて白色化し, また 堅硬である。 本層の厚さは 150 m 以上である。 安川流域の Y1 層はつぎに述べる大河付近の Y1 層の上部に相当する。
Y2 層 [ = 安川累層の上部層 ] : 10~25 cm に成層する泥岩にはじまり, 泥質フリッシュ・等量フリッシュ・砂質フリッシュの順に重なる。 成層泥岩には, しばしばシルトないし細粒砂からなり 級化層理を示す厚さ数 cm の粗粒部がある(第 13 図)。 泥質フリッシュおよび等量フリッシュは主に 5~20 cm に成層するが, まれに 20~40 cm に成層する砂質フリッシュや 40~100 cm の砂岩層を挾む。 砂岩は上位に多くなる傾向が認められる。 まれにフリッシュの砂質部から砂岩岩脈が分岐し, 上下の地層中に入りこんでいる。 本層の厚さは 600 m である。
牟婁層群の最も下位の層準が 打越 背斜の延長部をなして本地域に広く分布する。 ルートマップを第 16 図に示す。
Y1 層 [ = 安川累層の下部層 ] : Y1 層は下部, 中部, 上部に細分される。 下部は 2~5 m の厚さで成層する中粒ないし粗粒砂岩が主で, 泥岩やフリッシュを伴う。 砂岩には まれに中礫からなる厚さ 1~2 m の礫岩層が挾まれる。 中部はラミナのある成層泥岩が優勢で, まれに砂岩・礫岩・含礫泥岩・フリッシュを伴う(第 12 図)。 上部は塊状中粒ないし粗粒砂岩とラミナをもつ成層泥岩が主で, しばしば中礫ないし大礫からなる厚さ 2~15 m の礫岩層やフリッシュを伴う。 全般的に熱水変質を受けていて, 砂岩は白色化している。
Y2 層 [ = 安川累層の上部層 ] : [ 図幅地域南東隅から西方 3 km の ] 市平 付近と [ その北北西方 3.5 km の ] 玉の谷の奥に分布する。 成層泥岩と 5~15 cm に成層する泥質フリッシュを主とし, しばしば砂質フリッシュや砂岩を伴い, まれに中礫からなる礫岩層を挾む。
大塔山の尾根筋に Y1 層 [ = 安川累層の下部層 ] の上部に相当する塊状砂岩が露出する以外は Y2 層 [ = 安川累層の上部層 ] が広く 大杉谷 [ ← 大塔山の北北西方 3.5 km ] , 中小屋谷 [ ← 大塔山の北方 3 km 弱 ] , 熊野川町の奥山谷の上流 [ ← 大塔山の東方 2.5 km ] , さらに [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅の小原谷 [ ← 本図幅地域の南東隅から北方 5 km 強の 足郷山 の東方 1 km 強 ] の上流 [ = 南方 ? ] に分布する。 Y2 層の最下部は塊状泥岩で, この上に 5~20 cm で成層する泥質フリッシュおよび 10~30 cm で成層する等量フリッシュの厚層が重なる(第 14 図)。 フリッシュ部には砂質フリッシュや成層泥岩, まれに単層の厚さ 0.5~2 m の塊状砂岩も挾まれる。 大杉谷の上流の Y2 層には塊状粗粒砂岩が発達する。
打越累層は 塊状砂岩と砂質フリッシュ [ U ] からなり, 岩相がどこまでも一様な厚層である。 安川累層に整合に重なる。 図幅内の中央部から西部にかけて 打越背斜(北翼は平瀬 - 鮎川断層で断たれてくり返す)と 合川複向斜をなして広域に分布する。 いっぽう, 東の大塔川の流域では急激に厚さを減ずる。 成層泥岩や泥質フリッシュをまれに伴い, 最上部には顕著な礫岩層がみられる。 打越累層は岩相が一様なため 細分することは困難である。 地質図には 比較的連続して追跡される いくつかの泥岩層 [ ms ] および 礫岩層 [ Cg ] が示されている。 打越累層の模式地を打越背斜の北翼の 打越から平瀬までの日置川沿い [ ← 図幅中央部やや西より ] とする。 打越累層の岩相を第 17~20 図に示す。
打越累層は 安川累層の上位に整合に重なる 厚さ 4 m の塊状砂岩をもってはじまる。 下部は 2~10 m に成層する塊状の中粒ないし粗粒砂岩を主とし, 単層の厚さ 50~100 cm の砂質フリッシュ, 単層の厚さ 5~30 cm の等量フリッシュを伴う。 中位よりやや下の層準に数 10 m の成層した黒色泥岩ないし泥質フリッシュを挾む。 この黒色泥岩ないし泥質フリッシュは東へ厚くなり, 西には尖滅する。 中部と上部では 2~10 m に成層する塊状の粗粒砂岩が優勢で, しばしば細礫と泥岩の同時侵食礫を含む。 斜交葉理がみられることもある。 0.5~2 m に成層する砂質フリッシュも挾在し, 生痕や流痕を多産する。 最上部には 中礫ないし巨礫大の円礫ないし亜円礫からなる厚さ 30 m の礫岩層がある(第 18 図)。 この礫岩層の下位には 5~20 cm に成層する砂質フリッシュが挾まれ, 砂質部には ripple cross-lamination がよく発達し, 砂質部の上面には漣痕がみられる。
[ 日置川の東方 1.5 km の位置にある ] 和田川では日置川とほぼ同様な岩相がみられる。 [ 日置川の ] 西の竹ノ又川 [ ← 打越の西方 3.5 km ] や赤木谷 [ ← 麦粉森山の北東方 1 km ] では 塊状の粗粒砂岩の量が相式的に減少し, 砂質フリッシュや等量フリッシュが増加し, 上部に成層泥岩層が挾在する。 日置川にみられる漣痕を多産する砂質フリッシュ層はよく連続し, 下小川 [ ← 鮎川の東方 500 m ] の東方では見事な漣痕の露頭がみられる(第 19 図)。 最上部の礫岩層は西へ薄くなり, 次第に尖滅し, 塊状砂岩もこの方向に細粒化する。 日置川沿いでの本層の厚さは 2,000 m である。
塊状砂岩と砂質フリッシュを主とするが, 上部の礫岩層が北翼に比べて厚く発達する。 日置川沿いでは, 下部は単層の厚さ 0.5~3 m の砂質フリッシュ(泥質部の厚さは 1~20 cm) および 4~6 m に成層する塊状の中粒ないし粗粒の砂岩からなる。 まれに成層泥岩や泥質フリッシュを挾む。 上部は単層の厚さ 2~5 m の塊状の粗粒砂岩を主とし, 2~20 m の中礫ないし大礫(まれに巨礫)からなる礫岩層を少くとも 10 枚挾む。 上部層の比較的下部には 厚さ数 10 m の成層泥岩層が挾在する。
南の 合川 貯水池 [ ← 図幅地域南西隅から東南東方 6.5 km ] 付近では 日置川と同様な岩相がみられるが, さらに西の深谷 [ ← 麦粉森山の東南東方 4 km 弱 ] や 川原谷 [ ← 図幅地域南西隅付近 ] では岩相が変化し, 下部に砂質フリッシュや等量フリッシュがふえ, 塊状砂岩が減少し, 上部の礫岩層も西へ次第に尖滅してゆく。 いっぽう, [ 日置川の ] 東の 半作峯 [ ← 打越の南方 2 km ] から 百間山 [ ← 半作峯の東方 3.5 km ] の南斜面にかけては礫岩層が厚く発達する。 本層の厚さは 2,200 m である。
[ 大塔山の南西方 6 km の ] 前の川の源流部と [ その南~南東方の ] 古座川の支流の 成井 谷, 玉の谷, 栃の谷に [ 打越累層(U)は ] ほぼ一様な岩相で分布する。 単層の厚さ 1~8 m の中粒ないし粗粒の塊状砂岩と 30~100 cm に成層する砂質フリッシュからなり, まれに成層泥岩, 泥質フリッシュを伴う。 厚さ 50~70 m の成層泥岩および泥質フリッシュが2層準にみられ, 比較的よく連続して追跡される。 最上位の礫岩層は 木守 周辺と 五味 でみられ, 厚さ 20 m で 中礫ないし大礫からなる。 本層の厚さは約 3,000 m である。
日置川沿いでは 下部は砂質フリッシュと塊状砂岩からなり, 上部では塊状の中粒ないし粗粒砂岩が優勢となる。 これらに等量フリッシュ・泥質フリッシュ・成層泥岩を伴う。 下部には厚い砂岩層と等量フリッシュの互層がみられる(第 20 図)。 等量フリッシュには流痕や生痕が発達し, 砂岩の岩脈がまれにみられる。 上部の塊状砂岩は 2~20 m の厚さで, しばしば泥岩の同時侵食礫が密集して含まれる。 また, 粗粒部には細礫や中礫を含む。 最上部に厚さ数 m の中礫ないし大礫からなる礫岩層が挾在するが, 西方に厚くなり, [ 平瀬の北西方 1.5 km の ] 小合川 [ 読み方不明 ; 巨鼇 川 ? ] から [ 平瀬の西方 3.5 km の ] 坂又 峠にかけては大礫を含む厚さ 10 m の礫岩層となる。
[ 日置川の ] 東の 宇井郷谷 [ ← 平瀬の北東方 5 km ] から 紀美谷 背斜の西翼にかけては 層厚をやや減ずるとともに中粒砂岩が優勢となる。 紀美谷背斜の東翼では 下部に 10~30 cm に成層する泥質フリッシュを多く挾む。 本層の厚さは 日置川沿いで約 2,000 m であるが, 紀美谷背斜部では薄くなり 約 1,500 m である。
野竹法師 山・ [ その南東方 2 km の ] 黒蔵谷 の奥・ [ その南東方 2.5 km の ] 柏山 から南東にのびる尾根, さらに [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅の 奥山谷 [ ← 奥山谷は本図幅地域の東端・南北中央やや南に位置している ] および小原谷 [ ← 本図幅地域の南東隅から北方 5 km 強の足郷山の東方 1 km 強 ] にかけて分布するが, 黒蔵谷以東では急激にその層厚を減じ, 黒蔵谷で約 600 m である。 黒蔵谷の奥では塊状の中粒ないし粗粒の砂岩を主とし, 30~100 cm に成層する砂質フリッシュ, 単層の厚さ 10~40 cm の等量ないし泥質フリッシュおよび成層泥岩を伴う。 塊状の粗粒砂岩には まれに細礫が含まれる。 柏山から奥山谷, さらに小原谷にかけては, まれに中礫ないし大礫を含む塊状の粗粒砂岩と 単層の厚さ 1~3 m の中粒砂岩からなり, 砂質フリッシュ・泥質フリッシュおよび成層泥岩を伴う。
合川累層は打越累層と整合で, 打越累層が一様な岩相を呈するのに対して, 礫岩・含礫泥岩・泥岩・砂岩・フリッシュ・泥岩といった多様な岩相を呈し, また 岩相変化に富む。 合川複向斜部と北西の栗栖川周辺, 北東の四村川, 大塔川流域に分布する [ 以下の [注] 参照 ] 。
合川累層は K1 層から K5 層 [ の5層 ] に分けられる。 K1 層は成層泥岩と泥質フリッシュ, K2 層は礫岩と塊状砂岩, K3 層は等量フリッシュおよび砂質フリッシュ, K4 層は礫岩, 含礫泥岩および砂岩, K5 層は泥質フリッシュおよび成層泥岩からなる。 代表的な岩相を第 21~25 図に示す。
K1 層 : 一般に数 cm から 30 cm に成層する泥岩で, 塊状を呈する部分もある(第 21 図)。 しばしば 5~40 cm に成層する泥質フリッシュを挾む(第 22 図)。 泥質フリッシュには生痕がよくみられる。 K1 層は どこでも一様な岩相を示し, よく連続する。 合川複向斜の両翼では薄く 150~250 m で, 軸部の木守付近では厚く 500~600 m である [ 以下の [注] 参照 ] 。
K2 層 : 合川貯水池付近では中礫ないし巨礫大の礫岩が優勢で, 塊状砂岩・砂質フリッシュ・等量フリッシュおよび泥岩を伴う(第 23 図)。 熊野 川ではほとんど中礫ないし大礫大の礫岩からなり, 塊状の粗粒砂岩と含礫泥岩を伴う。 これより東の木守付近では 礫岩層の発達が悪く, 主として粗粒の砂岩からなり, さらに南の五味付近では塊状砂岩および砂質フリッシュとなる。 層厚は 200~300 m である。
K3 層 : 八丁坂 向斜および 大峯 向斜の両翼に分布するが, 両域で若干 岩相を異にする。 前者 [ = 東側の八丁坂向斜の両翼 ? ] では 5~20 cm に成層する等量フリッシュと泥質フリッシュおよび成層泥岩が優勢で, 砂質フリッシュや砂岩, まれに礫岩を伴う。 後者 [ = 西側の大峯向斜の両翼 ? ] では より泥質で, 成層泥岩と 5~30 cm に成層する泥質フリッシュが圧倒的に優勢で, ごくまれに砂質フリッシュや砂岩を伴う(第 24 図)。 小規模なスランプ褶曲や scour-and-fill 構造 [ = 下部の層準まで浸食された窪みや溝ができて, 引き続いた堆積物で埋められた構造 ] がみられる。 本層は 八丁坂向斜部で 650~800 m, 大峯向斜部で 400 m の層厚をもつ。
K4 層 : 八丁坂向斜の両翼と大峯向斜の南翼に分布する。 主として礫岩(第 25 図), 塊状砂岩, 砂質フリッシュからなる。 下部には塊状のシルト質泥岩および含礫泥岩を伴う。 本層の厚さは 500 m である。
K5 層 : 八丁坂向斜および大峯向斜の軸部にわずかに分布する。 成層泥岩からなり, 大峯向斜部では 含礫泥岩を伴う。 ここ [ = 大峯向斜の軸部 ? ] では下部の 100 m のみが露出する。
K1 層 : 平瀬 - 鮎川断層より南の K1 層は, 3~15 cm に成層する泥岩および 5~30 cm に成層する泥質フリッシュからなる。 最下部の泥質フリッシュには径 1 mm 程度のパイプ状の生痕が密集して産する。 泥質フリッシュには斜交葉理の発達した lenticular bedding がよくみられる(第 26 図)。 平瀬 - 鮎川断層以北の K1 層は, 成層泥岩および泥質フリッシュの他に等量フリッシュや砂質フリッシュを伴う。 [ 平瀬の北西方 1.5 km の ] 小合川 [ ← 巨鼇 川 ? ] 付近では 円磨された中礫~大礫からなる厚さ 1~5 m の礫岩層や含礫泥岩を伴う。 [ 鮎川の北東方 1 km 弱の ] 小川の泥岩中には こぶし大から人頭大の石灰質団塊が含まれる。 本層の層厚は 600~800 m である。
K2 層 : 塊状の粗粒~極粗粒砂岩の厚層からなり, 最下部に厚さ 10 m の中礫~大礫の礫岩を伴う。 砂岩にはしばしば細礫や泥岩の同時侵食礫が含まれる。 分嶺山 から [ その北東方 7 km 弱の ] 悪四郎山 にかけて塊状の粗粒~中粒砂岩層が圧倒的に優勢で, 下部には 10~30 m の厚い礫岩層を, 最上部には砂質フリッシュを含む。 本層の厚さは 250~300 m である。
K3 層 : [ 分嶺山の西方 1.5 km の ] 北郡 付近によく発達する。 5~20 m の泥質フリッシュ・等量フリッシュを主とし, 成層泥岩および砂質フリッシュを伴い, まれに塊状砂岩や合礫泥岩を挾む。 泥質フリッシュには生痕が豊富にみられ, また北郡の砂質フリッシュには Paleodictyon [ = 網目模様の生痕化石(巣穴の跡 ?) ] を多産する(第 27 図)。 等量フリッシュや砂質フリッシュには平行葉理が発達し, 底痕がよくみられる。 本層の層厚は 600 m である。
K4 層 : [ 栗栖川の南南西方 2.5 km の ] 滝尻 から栗栖川に至る 富田川 沿い分布する。 礫岩と塊状の極粗粒~粗粒砂岩からなり, 中粒~細粒砂岩, 砂質フリッシュをまれに挾む。 塊状砂岩にはしばしば斜交葉理がみられる( [ 巻末の ] 第 Ⅴ 図版 1)。 礫岩は厚さ 5~30 m で, 円磨された大礫~巨礫からなる。 [ 栗栖川で北西方から富田川に合流する ] 鍛冶屋川 の入口付近には, 泥質石灰岩礫を多量に含む礫岩層や 泥岩の同時侵食礫を多量に含む礫岩層がみられる( [ 巻末の ] 第 Ⅵ 図版 1 と 2)。 本層の厚さは 600 m 以上である。
K1 層 : [ 図幅地域北東隅から南西方 5 km 強の ] 大瀬 付近および [ その南方 2 km の ] 大塔川の上流の 高山谷 , [ その南方 2.5 km の ] 黒蔵谷 , [ その東南東方 3 km の ] 笹ノ瀬川, [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅の [ 熊野川 町 ] 畝畑 の南に分布する。 大瀬付近では成層泥岩からなり, 泥質フリッシュ・砂質フリッシュを伴う。 大塔川の上流域および畝畑の南では 10~30 cm に成層する泥質フリッシュが優勢で, まれに砂質フリッシュや中粒砂岩を伴う。 本層の厚さは 500 m である。
K2 層 : [ 図幅地域北東隅から西南西方 4 km 弱の ] 四村川の支流の 武住谷 , 大塔川の高山谷, 笹ノ瀬川, 畝畑付近に分布する。 武住谷では塊状の中粒砂岩と単層の厚さ 20~50 cm の砂質フリッシュを主とし, 泥質フリッシュを伴う。 大塔川では塊状の中粒砂岩および 単層の厚さ 10~50 cm の砂質フリッシュ, 等量フリッシュを主とし, 泥質フリッシュや成層泥岩を伴う。 [ 本図幅の東隣の新宮図幅地域内で 柏山の東南東方 5.5 km の ] 畝畑では 20~50 cm に成層する砂質フリッシュおよび 10~40 cm に成層する等量フリッシュを主とし, 泥質フリッシュや成層泥岩を伴う。 本層の厚さは 700 m である。
K3 層 : 四村川流域と大塔川流域に 桧葉 断層・ 皆地 断層で [ 切られて ] くり返し, 広く露出する。 下部は塊状泥岩および成層泥岩が優勢で, 単層の厚さ 10~20 cm の泥質フリッシュや等量フリッシュを伴い, まれに砂質フリッシュや塊状砂岩を挾む。 上部は単層の厚さ 10~50 cm の砂質フリッシュおよび等量フリッシュを主とし, 泥質フリッシュおよび塊状砂岩を伴う。 [ 本図幅の東隣の新宮図幅地域内の ] 畝畑の北では 下部は泥質フリッシュ, 上部は砂質フリッシュを主とする。 各層準に豊富に底痕を産する。 本層は 断層によるくり返しや小褶曲が多いため 正確な層厚は求められないが, 約 1,300 m と推定される。
K4 層 : 本図幅内では北東隅の仲番 [ 読み方不明 ; なかばん ? ] 付近にわずかに分布するにすぎないが, [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅域では 湯の峰 から 請川 にかけて分布する。 中粒ないし粗粒の塊状砂岩を主とし, 単層の厚さ 20~80 cm の砂質フリッシュ, 単層の厚さ 10~40 cm の等量フリッシュおよび礫岩を伴う。 本層の下底の礫岩層はよく連続し, [ 新宮図幅地域内の ] 川湯 付近でもっとも厚く 50 m に達する。 礫岩層は西方へ薄くなり, 湯の峰以西では礫まじり砂岩に移化する。 本層の厚さは 850 m である。
K5 層 : 本図幅域には分布しないが, [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅域の [ 本宮町 ] 請川から [ 本宮町 ] 小津荷 にかけて分布し, 北を本宮断層で断たれる。 下部は単層の厚さ 10~40 cm の泥質フリッシュおよび等量フリッシュからなり, 上部は成層泥岩を主とし, まれに砂質フリッシュおよび砂岩を伴う。 NATORI(1964)は [ 本宮町 ] 本宮の [ 熊野川(新宮川)の ] 対岸の泥岩から [ 二枚貝の化石である ] Solemya muroensis, Pitar kotoi, Pitar hataii を報告している。 本層の厚さは 500 m 以上である。
本図幅地域の牟婁層群では 生痕化石が各種のフリッシュに多産するが, 時代決定に有効な化石の産出は極めて少ない。 安川累層からは [ 化石は ] 発見されていない。 打越累層および合川累層からは次のような化石が報告されている(Loc. は付図参照 [ 以下の [注] 参照 ] 。
水野(1973)は, 紀伊半島南部海岸地域に比較的多産する貝化石群を考慮にいれて, 牟婁層群の地質時代を漸新世後期ないし中新世前期としている。
牟婁層群 下部層の安川累層は 成層した泥岩と泥質フリッシュが優勢で, 塊状砂岩や礫岩を伴う。 中部層の打越累層は厚く成層した塊状砂岩と砂質フリッシュが圧倒的に優勢な厚層で, 上部層の合川累層は礫岩・含礫泥岩・泥質フリッシュから主に構成されている。 合川累層にはスランプ構造や削りこみがよくみられる。 各種のフリッシュの砂質部には 一般に級化層理がみられ, 平行葉理や斜交葉理が発達している。 厚く成層した塊状砂岩は泥岩の同時侵食礫を含むことが多い。 一般に漣痕の発達はよくないが, [ 平瀬 - 鮎川断層沿いの ] 鮎川から和田 [ ← 平瀬の東北東方 2.5 km ] にかけての打越累層の最上部の砂質フリッシュ [ U ] には見事な舌状漣痕が発達している(第 19 図)。 フリッシュをなす地層には一般に底痕がよく発達している。 底痕には流痕と荷重痕および生痕があり, しばしば相伴って産する。 流痕には flute cast, groove cast をはじめとし, current crescent cast, brush cast, bounce cast, prod cast などがみられる。 大塔川流域の静川付近や 日置川流域の打越背斜の南翼には各種の流痕が見事に発達している( [ 巻末の ] 第 Ⅴ 図版 2)。
HARATA(1965)による大塔川および日置川沿い, ならびに原田ほか(1967)による大塔川流域で得られた古流向の資料を加えて, 本図幅および新宮図幅西部地域における古流向を付図 [ 栗栖川図幅および新宮図幅西部地域の観察地点図 ] に示す。 さらに, 西および南に隣接する地域の資料をも加えて, 第 28 図に牟婁層群の古流向を一括して示す [ 以下の [注] 参照 ] 。
つぎに各累層ごとの古流系についてのべる。
安川累層 [ Hl, Hu ] : 岩相が一般に泥質で, 流痕の発達が悪いことと, 後にのべる 八丁 涸漉 変質帯 [ ← 野竹法師の東方 2 km ] のなかに位置する安川累層の分布域が熱水変質作用をうけているために 地層面がゆ着しており, 地層の底面の観察が困難なことから, 計測された古流向は少ない。 下部では 西 → 東の古流向があり, 最上部では 打越背斜の軸の両翼にわたって 北 → 南の側方流が認められる。
打越累層 [ U ] : 古流系は複雑であるが, 全体としては 東北東 → 西南西で, 打越背斜の軸にほぼ平行する軸流が支配的である。 これに直交あるいは大きく斜交する北あるいは南からの側方流が認められる。
合川累層 [ K1~5 ] : 打越累層の古流系より複雑である。 打越累層に支配的な東北東 → 西南西の軸流が本累層においても やや優勢であるが, 北あるいは南からの側方流がしばしば認められる。
礫岩は牟婁層群中にしばしば発達する。 礫岩の礫としては 後にのべるような種々の岩石が認められ, それらは殆んど円礫からなり, 亜円礫や亜角礫をまれに伴う。 これらの礫岩はすべて砂質の基質を持っている。 安川累層 では細礫ないし中礫, まれに大礫を含む礫岩がみられる。 厚さは数 10 cm から数 m で, しばしば砂岩層中にレンズ状あるいは楔状に産する(第 12 図)。 打越累層 はほとんど砂岩からなっているが, 粗粒な部分には細礫が多く含まれている。 中礫ないし大礫, まれに巨礫を含む礫岩は打越累層の上部に発達し, 厚さは数 m から数 10 m に及ぶ(第 18 図)。 合川累層 には礫岩がひんぱんに挾まれ, 礫は中礫~大礫を主とし, しばしば巨礫を含む。
打越累層 では 礫岩は 打越背斜の北翼より南翼によく発達している。 打越背斜の北翼の日置川および [ その東方 2 km 弱の ] 和田川では 中礫~巨礫からなる厚さ 30 m の礫岩があるが, 南翼の日置川や合川貯水池では ほぼこれに対応する層準に中礫~大礫, まれに巨礫からなる厚さ 2~20 m の礫岩が 10 層以上認められる。 合川累層 でも同様の傾向が認められる。 すなわち, 打越背斜の北翼では [ 本図幅の西端・南北中央よりやや北の ] 富田川と [ 本図幅の東隣の新宮図幅西部地域(巻末の第 42 図参照)の ] 川湯から本宮にかけて K4 層に顕著な礫岩がみられる以外には 礫岩層はあまり発達していないが, 合川複向斜部では K2 層および K4 層に礫岩がひんぱんに挾まれている。 これらの多くは 1~2 m の厚さであるが, まれに 50 m にも達する。
以上にのべた砂質基質をもつ礫岩のほかに, 泥質の基質中に円礫が散在した 含礫泥岩が安川累層と合川累層にみられる。 合川累層の含礫泥岩は合川複向斜部によく発達する。
礫岩の礫種構成についての検討結果を第 29 図に示す [ 以下の [注1] 参照 ] 。 検討した礫岩の位置は付図 [ 栗栖川図幅および新宮図幅西部地域の観察地点図 ] に示されている。 これらの [ 第 29 図の ] 礫岩はいずれも砂質基質の礫岩 である。 礫種としては砂岩,チャート・酸性火山岩類・石灰岩の礫が多い [ 以下の [注2] 参照 ] 。 花崗岩の礫は量的には少ないが, ほとんどの地点で認められる。 オーソコォーツァイト [ Orthoquartzite(ドイツ語); よく円摩された石英砂 ] の礫は打越背斜の北翼では確認されておらず, 背斜より南の地域では 層準にかかわりなく, どの礫岩においても数 % から 10 % 程度含まれている( [ 巻末の ] 第 Ⅲ 図版 1)。 石英片岩や緑色片岩の礫は [ 本図幅地域の西端の ] 打越背斜の北翼の富田川 および [ 本図幅の東隣の新宮図幅西部地域の ] 川湯~本宮の合川累層の礫岩層にごくわずかに認められる。 顕微鏡下での観察によると, 酸性火山岩類とした礫の大部分は流紋岩類で, 溶結構造を示すものも多い( [ 巻末の ] 第 Ⅲ 図版 2)。 石灰岩礫は 石英や長石の陸源砕屑物質をかなり含んだ 泥質のマイクロライト [ = 微晶 ? ] である。
牟婁層群の砂岩について音無川層群と同様の方法で鉱物組成を検討した。 おもに厚い塊状砂岩を検討したが, 比較的厚い砂質フリッシュも一部 含まれている。 試料の採取地点および 以下に検討した鉱物組成のうちの石英量および長石量は 付図 [ 栗栖川図幅および新宮図幅西部地域の観察地点図 ] に示されている。
牟婁層群の砂岩の鉱物組成を検討した結果を第 30 図および第 31 図に示す。 また, 安川累層と打越累層の代表的な砂岩の顕微鏡写真を [ 巻末の ] 第 Ⅱ 図版 1 と 2 に示す。 牟婁層群の砂岩は全体として比較的よくまとまった組成をもち, 石英 : 33~54 %, カリ長石 : 0~20 %, 斜長石 : 12~28 %, 岩片 : 7~16 %, 基質 : 6~23 % の範囲にある。
石英粒は単一の結晶からなるものが主であるが, 多結晶の石英からなるものも 10~20 % を占め, 石英粒の約半分近くは弱い波動消光を示す。 カリ長石にはパーサイト構造やマイクロクリン双晶を示すものが普遍的に認められる。 カリ長石は新鮮なものが多いが, 風化したものもある。 まれに部分的に炭酸塩によって置換されたものもある。 斜長石はしばしばアルバイト双晶をなすが, 双晶のみられないものも多い。 斜長石の多くは風化・変質している。 岩片には花崗岩・流紋岩・頁岩が多い。 隠微晶質石英から主として構成されている岩片がかなりあるが, これらのほとんどは流紋岩類と推定される。 その他にチャート・ホルンフェルス・シルト岩・結晶片岩などの岩片が認められる。 基質はおもに隠微晶質石英と粘土鉱物からなるが, まれに少量の炭酸塩基質をもつ砂岩もある。 熱水変質作用をうけて白色化した砂岩では 基質が再結晶していて, 砂粒と基質の識別がやや困難である。 上記の主成分の他に 同時侵食の泥岩破片や ジルコン・電気石・ザクロ石・緑れん石・黒雲母・白雲母などの重鉱物, 二次的に形成されたと考えられる緑泥石やセリサイトがごく少量認められる。
層準ごとの鉱物組成の特徴について薄片で検討した結果をつぎにのべる。
安川累層 [ Hl, Hu ] : 石英 : 33~48 %(41 %) [ 以下の [注] 参照 ] , カリ長石 : 0~14 %(7 %), 斜長石 : 12~26 %(19 %), 岩片 : 8~17 %(12 %), 基質 : 13~23 %(18 %)である。 打越累層の砂岩と比較すると カリ長石が少なく, 斜長石がやや多く, 基質もやや多い。 岩片は流紋岩類が多く, 花崗岩は比較的少ない。 淘汰度は打越累層の砂岩に比べて悪い。
打越累層 [ U ] : 石英 : 35~55 %(42 %), カリ長石 : 9~23 %(14 %), 斜長石 : 10~21 %(16 %), 岩片 : 9~18 %(13 %), 基質 : 6~17 %(11 %)である。 全体として組成がよくまとまっており, カリ長石が多いことが特徴的である。 岩片中には花崗岩が多いが, 流紋岩類もかなり多い。 本層の砂岩には中粒のものが多く, 淘汰度は比較的良好である。
合川累層 [ K1~5 ] : 石英 : 34-54 %(43 %), カリ長石 : 0~16 %(9 %), 斜長石 : 12~27 %(19 %), 岩片 : 8~18 %(12 %), 基質 : 7~23 %(14 %)の範囲である。 安川累層および打越累層と比較して鉱物組成のばらつきが大きいが, 合川累層が岩相変化に富み, また 古流向にもばらつきが大きいことを反映しているようである。 カリ長石量は全体としてばらついているが, 上部ほどカリ長石が多くなる傾向が認められる。
以上にのべたことから, カリ長石量についてみると 下部の安川累層においては平均 7 % と少なく, 中部の打越累層では平均 14 % と非常に多くなる。 上部の合川累層ではばらつきが大きい。 いっぽう, 石英量についてみると 層準ごとの変化といった特徴は認められない。 このような薄片での検討結果は, 第 31 図に示したように 切片での検討においても同様に認められる。
牟婁層群は 東部においては中部中新統の熊野層群, 西部においてはこれと同時代の田辺層群によって顕著な斜交不整合で覆われる。 熊野層群は [ 本図幅の ] 東の新宮図幅地域および その南 [ = 本図幅の南東隣 ] の 那智 [ ← 那智勝浦 ? ] 図幅地域に広く分布し, 詳しい記述がなされている(村山(1954); 水野(1957))。 本図幅地域の熊野層群は南東隅にその基底部が小規模に分布するにすぎない。 田辺層群は [ 本図幅の ] 西の田辺図幅地域に広く分布するが, 本図幅では南西隅に基底部がわずかに分布するのみである。 熊野層群および田辺層群は いずれも全体として盆状構造をなしてゆるく傾いており, 2,000 m ないし 3,000 m の厚さを有する。 それらの時代は中新世中期である。
本図幅地域の南東隅に熊野層群の基底部が小規模に分布し, 親谷 [ 以下の [注] 参照 ] および杉谷でよく観察される。 [ この熊野層群の基底部は ? ] 熊野層群の下部層である 小口 累層(村山, 1954)の下部に相当する。 本図幅地域の熊野層群は, 基底礫岩および砂岩からなる Ku1 層と, その上位の砂質シルト岩およびシルト岩からなる Ku2 層とに区分される。 親谷 および杉谷のルートマップを第 32 図および第 16 図に, 柱状図を第 33 図に示す。
Ku1 層 : 最下部は円磨された中礫ないし大礫からなる厚さ 2 m の礫岩にはじまり, この上に 同じく円磨された中礫をレンズ状もしくは散在して含む塊状の中粒砂岩がのる (第 34 図の左図)。 礫はほとんど砂岩からなり, 基質も砂で, 礫と基質とが識別しにくいこともある。 この砂岩は上位にむかって細粒になり, 塊状の細粒砂岩に移化する。 一部では成層砂岩を挾む。 本層の厚さは 親谷 で 250 m, 東の杉谷では薄くなり 120 m である。
Ku2 層 : Ku1 層の細粒砂岩は上位に細粒化して Ku2 層の最下部の砂質シルト岩に漸移する。 Ku2 層は最下部に薄い砂質シルト岩を挾むが, 大部分は黒色シルト岩からなる。 砂質シルト岩は淘汰が悪く, 時にまだら状に細粒砂岩を含むことがあり, 成層することはまれである。 砂質シルト岩はまれに貝化石を産する。 黒色シルト岩は砂質シルト岩から漸移し, ほとんどが塊状であるが, まれに砂岩の薄層をラミナ状に挾み, しばしば 20~40 cm に成層する(第 34 図の右図)。 本層の厚さは本図幅地域では 350 m 以上である。
牟婁層群との不整合関係 : 熊野層群と牟婁層群との関係は 親谷 と杉谷とで確認される。
親谷 では牟婁層群 [ 以下の [注] 参照 ] は単層の厚さ 5~30 cm の等量フリッシュおよび砂質フリッシュからなり, 走向は ほぼ東西, 北へ 25~35°傾斜している。 熊野層群(Ku1 層)は細粒~中粒の塊状砂岩からなり, 走向は ほぼ南北, 東へ 20~35°傾斜している。 塊状砂岩は円磨された中礫を数層準に挾む。 礫はほとんど砂岩で, 礫と基質とが識別しにくいこともある。 牟婁層群と熊野層群は走向 N 35°W, 70°東落ちの小断層で接する。 しかし, 親谷 を挾む両側の尾根には断層以西にも熊野層群の砂岩(まれに円礫を含む)が露出しており, 熊野層群が斜交不整合で牟婁層群を覆うことは明らかである。
杉谷では 親谷 と同様に牟婁層群と熊野層群は小断層で接する。 牟婁層群(安川累層の Y1 層)は塊状の細粒砂岩と成層泥岩からなる。 北東 - 南西の走向, 北傾斜であるが, 熊野層群との境界近くでは 南東へ 35°傾斜する。 熊野層群(Ku1 層)は塊状の中粒砂岩からなり, 円磨された砂岩の中礫ないし大礫が散在している。 この上に重なる成層砂岩の走向はほぼ東西で, 南へ 20~30°傾斜する。 ここでも 尾根では断層以北にも熊野層群の露頭がみられ, 牟婁層群を斜交不整合に覆うことがわかる。
[ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅地域では, 熊野層群(宮井層群)と牟婁層群(東牟婁層群)の関係は 斜交不整合であることが認められているが, 同図幅の南西隅では両者が一部 断層関係で接するとされている(村山, 1954)。 しかし, 上にのべたような本図幅地域での両層群の不整合関係は, 付図 [ 栗栖川図幅および新宮図幅西部地域の観察地点図 ? ] に示されるように, 新宮図幅で断層関係とされたところでも認められる [ ← この部分を理解できない ] 。
[ 図幅地域南西隅付近の ] 川原谷 の南から西に入る小沢の尾根近くに田辺層群がごく小範囲に分布する。 ここでは牟婁層群(打越累層 [ U ] )は単層の厚さ 50~200 cm の塊状の中粒ないし粗粒の砂岩と 20~50 cm に成層する砂質フリッシュからなり, 東西の走向で 南に 45~60°傾斜している。 この露頭の数 m 上方に田辺層群が露出している。 田辺層群は 走向が N 20°W, 西へ 5°傾斜する。 ここでは不整合の露頭は見られないが, 近くの 品瀬川の滝 [ = 八草 の滝 ] 付近(図幅外 [ ← 本図幅の南西隣の周参見図幅地域内 ] )で斜交不整合が観察される。
田辺層群は基底礫岩および砂岩からなる Tb1 層とシルト岩からなる Tb2 層とに区分される。
Tb1 層 : 最下部に細礫をもつ厚さ数 m の淘汰の悪い粗粒~細粒の砂岩にはじまり, 青灰白色の細粒砂岩に移化する。 塊状であるが, 上部ではわずかに成層する。 本層の層厚は約 60 m である。
Tb2 層 : Tb1 層の砂岩は上位に次第に細粒となり, 本層のシルト岩に漸移する。 本層は 10~40 cm に成層する暗灰色シルト岩からなる。 シルト岩はまれにウニ化石を産する。 本層の厚さは 120 m 以上である。
本図幅の牟婁帯中には酸性火砕岩の小岩脈がいくつか存在する。 岩脈は数 cm から最大 8 m の幅をもち, 数 m から 1 km の長さに直線状にのびる(第 35 図)。 まれに分枝したり, 屈曲するものもある。 これらの岩脈の分布は [ 後述する「8. 地質構造」の項で示される ] 第 38 図に一括して示されている。 火砕岩岩脈は灰白色~暗灰色で, 中粒~極粗粒の斑晶を比較的多く含む。 軽石片も普遍的に認められ, まれにザクロ石を伴う。 ほとんど変質をうけていない黒色泥岩や砂岩の角礫をしばしば多量に含む [ 以下の [注] 参照 ] 。
鏡下での観察によると 基質は比較的少なく, 斑晶が多い。 基質は隠微晶質である。 斑晶はほとんどが破片状で, 石英・斜長石・カリ長石が多く, 葉片状の白雲母や変質した黒雲母, まれに電気石や磁鉄鉱もみられる。 軽石片, 流紋岩質の類質岩片, 泥岩やチャートの異質岩片もしばしば含まれている。 軽石片のなかには火山ガラスの形態がよく保存されている。 酸性火砕岩の顕微鏡写真を [ 巻末の ] 第 Ⅳ 図版 1 に示す。
石英斑岩の小岩脈が本図幅地域の数カ所でみられる。 最大のものは [ 図幅地域北東隅付近の ] 柿原 から久保峠にかけて西北西方向にのびる数 m から最大 50 m の幅をもつ岩脈で, 柿原の川床では一部が分枝して西に延びている(第 36 図)。 柿原から桧葉にかけては 桧葉背斜の軸面に沿って岩床状に貫入している。 [ 柿原の西方 3 km の ] 武住谷 の奥には別の岩脈が北西 - 南東方向に最大幅 6 m で延びている。 この岩脈の延長上にあたるかどうか不明であるが, 桧葉の西にも幅 1 m 程度の岩脈がある。 他に [ 大塔山の北東方 4 km の ] 大塔川の支流の笹ノ瀬川の 雨泊滝 の上流に南北方向(N 10°E)に延びる幅 1 m の岩脈があり, また, [ 大塔山の北北西方 1.5 km の ] 大塔谷の最上流部にも 同様に南北方向(走向 N 10°W, 傾斜 55°W)の幅 50 cm の岩脈が露出している。 これらの岩脈はいずれも母岩に若干の熱変質を与えている。
柿原から久保峠にかけての岩脈は [ 本図幅の ] 東の新宮図幅地域の川湯まで延びている。 川湯温泉はこの岩脈から直接湧出しており, [ 日本最古の温泉の ] 湯の峰 温泉も地下に伏在する同様の岩脈に熱源があると推定される。
鏡下では これらの石英斑岩は 隠微晶質の石基中に斑晶として石英, まれに斜長石, カリ長石および黒雲母を含む。 石英は多少 融蝕をうけている。 顕微鏡写真を [ 巻末の ] 第 Ⅳ 図版 2 に示す。
古座川上流の大河 [ ← 図幅地域南東隅から北北東方 2.5 km ] から大塔山, [ その北方の ] 大塔川の上流を経て四村川の上流に至る北北西 - 南南東方向の幅数 km の帯状の地域 [ = 大塔山の北北西方 6 km の地域 ] は「八丁個漉変質帯」(原田ほか, 1967)と呼ばれている(第 37 図)。 ここでは全体に岩石が硬化しており, フリッシュの層理面はゆ着して不明瞭になっている。 砂岩はすべて白色化し, 泥岩も一部 白色化している。 泥岩や一部の砂岩中には黄鉄鉱が認められる。 変質鉱物としては石英, 緑泥石が普遍的であり, 他に黒雲母・絹雲母・電気石・緑れん石・榍石・曹長石・黄鉄鉱などが認められる。 とくに 砂岩の粘土質基質や泥岩中には多くの細粒の石英が二次的に生じており, さらに泥岩中には黒雲母の微結晶が斑点状をなして集合していることがある。
上述したように, この変質帯中には 大塔川の上流に石英斑岩の小岩脈が同じ延びの方向をもって露出し, その南への延長方向には [ 本図幅の南東隣の ] 那智 [ ← 那智勝浦 ] 図幅(水野, 1957)の文象斑岩岩脈, [ 那智図幅の南隣の ] 串本図幅(広川・水野, 1965)の 橋杭岩 をなす紫蘇輝石石英安山岩岩脈がある(第 37 図)。 これらのことから, 熱水変質帯の形成はこれらの一連の岩脈群と密接に関連したものと考えられる。
本図幅地域にみられる酸性火砕岩, 石英斑岩および熱水変質帯は態野酸性火成岩類の活動と密接な関連をもつものと思われ, 熊野酸性火成岩類の活動様式やその規模を考察する上で重要である。
図幅地域内には平野部はほとんど発達しない。 わずかに 近露 , 栗栖川, 木守 に小面積の平地があり, 水田地帯となっている。
近露, 栗栖川, 打越および木守には小規模な段丘面の発達がみられ, 礫, 砂および泥からなる薄い段丘堆積物が分布する(第 3 図)。 沖積層は 日置川では近露, 富田川では栗栖川および 北郡 , 前ノ川では木守周辺の小範囲にみられ, いずれも礫, 砂および泥からなる。
本図幅の北部には 音無川帯と牟婁帯を画する本宮断層がほぼ東西に走る。 音無川帯には逆断層による地層のくり返しと小褶曲の発達がみられる。 牟婁帯には1級から5級の規模を異にする多数の褶曲がみられる [ 以下の [注] 参照 ] 。 打越背斜と合川複向斜は牟婁層群全体の構造を規制する第1級の褶曲である。 本図幅地域および [ 本図幅の東隣の ] 新宮図幅西部の地質構造と地質断面を第 38 図に示す。
| 級 | 軸延長距離 | 軸間距離 | |
| 1 | 10~20 km | 5~10 km | |
| 2 | 3~10 km | 1~5 km | |
| 3 | 1~3 km | 500~1,000 m | |
| 4 | 50~1,000 m | 10~500 m | |
| 5 | 50 m 以下 | 10 m 以下 |
音無川帯と牟婁帯を画する大規模な構造線 で, 地形にもよく表現されている [ 以下の [注] 参照 ] (第 1 図参照)。 断層は 栗栖川から 政城山 の南斜面を通り, 熊野古道に沿って近露から野中川, 小広峠を抜け, 図幅東端で久保峠の南方, 仲番を経て [ 本図幅の東隣の新宮図幅地域の ] 湯の峰の北方のトンネル付近を通り, 本宮へ抜ける。 この断層 ないし その破砕帯の露頭は 栗栖川中学校の裏や野中川沿い, 湯の峰の北方でよくみられる。
栗栖川中学校の裏のガケには 本宮断層に伴う破砕帯が幅広く露出する( [ 巻末の ] 第 Ⅶ 図版 1)。 牟婁層群を構成するフリッシュの砂質部や塊状砂岩が 径数 cm から数 m のレンズ状やボール状, ときに菱形のブーディン [ boudin ; ソーセージ or 腸詰 ] 構造をなす。 泥岩は強く剪断されて へき開が発達し, それに沿って石英の細脈がみられる。 この破砕帯中には数本の断層があり, 走向は東西, 北へ 30~50°傾斜している。
近露の東方の野中川沿いにも 破砕帯の露頭がいくつか認められる。 国道 311 号から分れて 野中川に下る道路のガケによい露頭がみられる。 ここでは 東北東 - 西南西の走向で北へ 40~60°傾斜する断層が多数あり, 付近の泥質フリッシュが剪断され, 砂質部は 径数 cm から数 10 cm のブーディン構造がみられる。 泥岩の一部は粘土化している。 本宮断層の位置はこの少し北側と推定される。 野中川の川筋は一種の断層線谷と推定され, この谷の北斜面には地すべり地形がみられる。
新宮図幅地域の湯の峰温泉の北方のトンネル付近には, 多数の断層とブーディン構造を示すフリッシュが広くみられる。 断層は東西の走向で, 北へ 20~50°傾斜し, 幅数 10 cm の断層粘土帯を伴う。 本宮断層はこのトンネルの南方を通ると推定される。 この付近の音無川層群の泥質フリッシュは 幅約 200 m にわたって顕著なブーディン構造を示している。
以上の露頭の観察から, 本宮断層は幅広い破砕帯を伴い, 北に 30°から 60°傾斜する大規模な逆断層と推定される。 政城山の周辺では断層面は観察されないが, 音無川層群が南にはり出して分布することから かなり低角の衝上断層であると判断される。
音無川層群の一般走向は, 西部では西北西 - 東南東, 中央部で東 - 西, 東部では東北東 - 西南西で, 北へ 30~60°傾斜している。 音無川帯には本宮断層に斜交する西北西 - 東南東走向の逆断層が数本あり, それによって 音無川層群は覆瓦構造をなしている。 逆断層付近のフリッシュはブーディン構造を示すことが多い。 [ 図幅地域北西隅から東南東方 4 km の ] 皆の川 と [ その東南東方 2 km の ] 福定 を通る断層から南の地域では 走向性逆断層による断層変形が主である。 これに対し, これよりも北の地域では小褶曲がよく発達する( [ 巻末の ] 第 Ⅷ 図版 1)。 小褶曲の多くは波長数 m から数 10 m の規模で, 軸は東西方向に延び 非式称で, 背斜では南翼が, 向斜では北翼が高角でかつ短かく, 波面はゆるく北に傾斜している。 [ 福定の西方 500 m の ] 清水谷では 単層の厚さ 5~10 cm の砂質フリッシュの中に同心型の褶曲構造がみられる。
牟婁帯には多様な規模と形態をもった多数の褶曲構造が存在する。 褶曲軸の長さと波長を基礎に褶曲をその規模で区分すると, 第1級から第5級の褶曲が識別できる。 鈴木(1975)が論じているように, これらの褶曲は階層関係にあるのではなく, 構造的位置と岩相に支配されて それぞれ特有の規模と形態をもっているとみなされる。 たとえば 2~3級の褶曲構造はどこにでもみられるわけではなく, 合川複向斜の南東翼にとくによく発達している。
以下に代表的な褶曲構造についてのべる。
打越 背斜 : 牟婁層群全体の構造を決めている第1級の褶曲構造で, 西の [ 図幅地域南西隅付近の ] 川原谷 から北東方向に延びて, 太尾ノ嶺 を経て 打越付近から東西方向となり, 安川沿いに大塔山へ延び, さらに南東に向きを変えて 大河 へ延びる。
大塔山から大河にかけての地域では 全体としてゆるい背斜をなす。 安川流域では 南北両翼とも 50~80°傾斜した軸面が垂直の ほぼ対称的な背斜構造である。 打越から西では 軸面が北傾斜の非対称褶曲となり, 川原谷付近では両翼とも 50~60°北傾斜の等斜褶曲となる [ 第 38 図参照 ] 。
背斜軸は 打越の南方の日置川沿いの道路 および 川原谷の [ 北西方の図幅地域西端をまたぐ ] 卒塔婆 トンネルの南出口 [ = 川原谷側の出口 ] 付近で観察された。
前者 [ = 打越の南方 ] では 北傾斜北上位 [ = 北斜面の北側の上位 ? ] の地層と北傾斜の逆転層が 間に屈曲部を介在せずに直接 接しており, 折りたたまれた形になっている。 付近の地層には滑り面が多く, とくに 泥岩にはへき開が密に発達する(第 39 図)。
後者 [ = 川原谷の北西方の卒塔婆トンネルの南出口付近 ] では 背斜の軸部で厚い砂岩がブロック化しながら褶曲しており, 軸面付近には 幅 50~200 cm の破砕帯を伴う断層がみられる(第 40 図)。 南翼には規模の小さい褶曲を伴なっている。
合川 複向斜 : 打越背斜に対応する第1級の向斜構造で, 第2級の2つの向斜とその間の1つの背斜(北から 大峯向斜 , 熊野川背斜 , 八丁坂向斜 )からなる。
[ 合川複向斜の ] 大峯 向斜 : 三ツ森山 から 半田峯 [ 読み方不明 ; はんだみね ? ] を経て, 大峯を通り 殿山の南方へ延びる向斜構造。 北東端では開いた非対称褶曲であるが, 西では軸面が 35~50°北に傾斜した等斜褶曲となる。 南翼の厚い K4 層が北翼にみられないことから, 軸のすぐ南に軸に平行な逆断層が推定される。 屈曲した軸部は大峯の北方の道路でみられ, K3 層の成層泥岩が向斜をなしている。
[ 合川複向斜の ] 熊野川 背斜 : 百間山 付近では非対称な開いた背斜構造であるが, 南西方では軸面が南に倒れた等斜構造をなす。 [ この背斜の西側の ] K4 層の分布状態からみると, 軸面に沿った逆断層が推定される。
[ 合川複向斜の ] 八丁坂 向斜 : 法師山 から南西方向に八丁坂を通り, [ 図幅地域南端付近の ] 大野垣内へ延びる向斜構造。 北東端では南西へ 30~40° プランジした [ = 水平面から傾斜した ] 軸をもつ開いた対称褶曲であるが, 南西では 北翼は高角で北傾斜した逆転層で, 南翼は低角で北傾斜した正順層となる非対称褶曲である。
紀美谷 背斜 : 四村川の支流の紀美谷 [ ← 図幅地域北東隅から西南西方 6 km 強 ] から 皆根川 [ 読み方不明 ; かいねがわ ? ] にかけて北東 - 南西方向に約 5 km 余り延びる背斜構造。 北翼は 40~60°北傾斜, 南翼は高角の南傾斜, 一部は北傾斜に逆転する非対称褶曲で, 褶曲軸は北東端で 30~40°北東へプランジしている。 軸部の安川累層 [ 上部層(Y2) ] には小褶曲がみられる。
前ノ川 背斜 : 合川複向斜の南東翼部に発達する2~3級褶曲群のうち 最北端に位置する褶曲構造。 前ノ川の源流沿いに東西に延びる軸をもち, 南翼が急傾斜する開いた非対称背斜である。 褶曲軸は 30~50°西へプランジする。 打越累層 [ U ] の最下部および最上部はこの褶曲に参加していない。
高尾山 向斜 : [ 前ノ川の南方 1 km の ] 高尾山の北斜面を通り, 西北西 - 東南東方向に延びる軸をもったゆるく開いた対称褶曲。 褶曲軸は東部で 15~25°, 西部では 40°北西へプランジしている。
平井川 背斜 : 高尾山向斜の南に平行して 7 km 余り延びる背斜構造。 西の前ノ川では開いた対称褶曲で 軸は西北西へ 45°プランジするが, 東の 成井 谷ではほとんどプランジせず 軸面が直立する対称褶曲となり, さらに東の玉の谷や栃の谷では非対称となって軸面が 55~60°北に傾斜し, 南翼は北傾斜で逆転している。
玉の谷 向斜 : [ 図幅地域南端付近で ] 平井川背斜の南に平行して西北西 - 東南東に延びる 開いた非対称褶曲。 その主要部は [ 本図幅の ] 南の江住図幅地域内に存在し, 本図幅地域にはその西端部のみがみられる。
地ノ谷 [ 読み方不明 ; ちのたに ? ] 背斜 : [ 図幅地域西端付近の 麦粉森山 の北東方 2.5 km の ] 地ノ谷を通り 東西方向の軸をもつ第3級の褶曲構造で, 軸面は北へ 80°傾斜し, 南翼は高角の北傾斜で 逆転している。 西端部では 軸は西北西へ 30~50°プランジしている。 打越背斜の軸とは斜交しており, [ 太尾ノ嶺の西方 1 km 弱で牛越背斜を切る ] 千ノ垣内 断層と平行することから, この断層運動に伴って形成されたと考えられる。
桧葉
背斜 :
[
図幅地域北東部の
]
四村川
沿いの
桧葉
(
新宮図幅地域
[
← 本図幅地域の北東隅から南方 2 km 強
]
)
から北西へ延びる等斜背斜で,
合川累層の K3 層の等量フリッシュの中にみられる。
桧葉や
[
その北北西方 1 km の
]
柿原
付近では軸面近くに石英斑岩
[
QP
]
が貫入している。
南翼は軸にほぼ平行する桧葉断層で切られている。
桧葉背斜の南東への延長は 新宮図幅地域の
十九良
谷の上流にみられる。
静川 背斜 : 大塔川の静川から四村川の 皆地 に延びる等斜背斜構造. 南翼は皆地断層で断れている。
その他の褶曲 : 第4・5級の小褶曲はフリッシュの中に発達し, [ 図幅地域中央やや東の ] 打越背斜軸部の [ 安川沿いの ] Y2 層, [ 図幅地域北西隅から南南東方 5 km の ] 栗栖川周辺の K1 および K3 層 [ ← K1 層は栗栖川の周辺には見あたらない ] , [ 図幅地域北東部の ] 大塔川・四村川流域の K3 層に認められる(第 41 図および [ 巻末の ] 第 Ⅷ 図版 2)。 同様のフリッシュであっても 南の合川複向斜の周辺では小褶曲はほとんどみられない。
牟婁帯では 断層面や断層破砕帯の露頭が直接みられることはまれで, 岩相も単調であることから 断層の確認は困難なことが多い。 以下におもな断層についてのべる。
平瀬 - 鮎川 断層 : 牟婁帯ではもっとも大きな断層の1つである。 平瀬では幅 20 cm の断層粘土帯を伴う高角断層, [ その南西方 3 km の ] 田井中ではほぼ垂直な断層と破砕帯, [ その西方 2 km の ] 堂目木 と [ その西南西方 3 km の ] 小川ではフリッシュ中にみられるブーディン構造, [ その西方 1.5 km で図幅地域西端の ] 向越 では幅 50 cm の破砕帯, 鮎川の下付(田辺図幅地域)では幅 60 cm の断層粘土帯がみられる。 断層の両側で打越累層 [ U ] の分布が大きくずれることから, 大規模な逆断層と推定される。
千ノ垣内 断層 : [ 図幅地域南西部の ] 日置川から千ノ垣内への道路入口, その西の支谷, 千ノ垣内の南東の沢の中に 幅 10~20 cm の断層粘土帯を伴うほぼ垂直の断層面の露頭がみられる。 西の赤木谷 [ ← 麦粉森山の北東方 1 km ] でも幅 20 cm の断層粘土帯を伴い, 東西の走向, 垂直の断層面がみられる。 ここでは断層面に擦痕が認められる。 断層の移動量は西部でより大きいと推定される。
深谷 断層 : [ 図幅地域西端付近の麦粉森山の東南東方 3.5 km の ] 深谷では北東 - 南西走向, 60°北傾斜の断層である。 [ 図幅地域南西隅付近の ] 川原谷 では断層面はみられないが, 擾乱帯が認められる。
合川 複向斜付近の断層 : 断層の露頭はみられないが, 地層の分布状態から 北側がのしあげる2つの逆断層の存在が推定される。
大搭川 流域の断層 : [ 図幅地域北東隅付近の ] 桧葉 背斜の南翼に沿う逆断層( 桧葉断層 )および [ その南方 2~3 km の ] 静川背斜の南翼に沿う逆断層 ( 皆地 断層 )が認められる。 いずれも幅数 10 cm の破砕帯を伴っている。
新期の南北性断層 : 栗栖川, 近露 や打越の周辺にはいくつかの南北性断層の存在が 地層の分布や褶曲軸のずれから推定される。
両層群とも 図幅内では [ 熊野層群は南東隅, 田辺層群は南西隅付近の ] ごくせまい面積を占めて分布するにすぎない。 構造は安定しており, 熊野層群は東南東方向へゆるく 20~30°傾斜し, いっぽう 田辺層群は西南西方向へ 5~10°傾斜している。
現在稼行されている鉱山は本図幅地域には存在しないが, かっては小規模ながら稼行された金属鉱山がいくつかある。
鮎川 鉱山 : 麦粉森山の東南の赤木谷の上流(AⅤ)に位置し, 打越累層の上部に挟在する泥岩中に形成された鉱床である。 走向 N 80°E ないし東西, 南へ 70°傾斜する割れ目を充填している。 品位良好(Fe : 50 %, S : 30 %)の磁硫鉄鉱を産出した(平沢ほか, 1958)。
高垣 [ 読み方不明 ; たかがき ? ] 鉱山 : 本図幅地域の南西隅 [ から北方 2.5 km ] の 上富田 町 篠原の東方(AⅥ)に位置する。 打越累層 [ U ] 中部の砂質フリッシュの中に発達した走向 N 40~50°W, 傾斜 60~70°S の割れ目を充填した鉱床である。 磁硫鉄鉱(品位は Fe : 50 %, S : 35 %)を主とし, 黄銅鉱をわずかに伴う(平沢ほか, 1958)。
皆根 [ 読み方不明 ; かいね ? ] 鉱山 : [ 図幅地域北東隅から西南西方 7 km の ] 四村川の支流の皆根川の奥(FⅡ)に位置するが, 正確な位置は明らかでない。 安川累層 [ Y2 ] のフリッシュ中の層面(走向 N 60°E, 傾斜 60°N)にそって充填した鉱床である。 磁硫鉄鉱, 閃亜鉛鉱, 方鉛鉱, 黄銅鉱を小規模に産出した(地質調査所, 1956)。
道湯川 鉱山 : 四村川の支流の 湯川 川 [ ← 図幅地域北東隅から西南西方 5 km 弱 ] の奥(GⅠ)に位置するが, 正確な場所は明らかでない。 合川累層 [ U ] のフリッシュの中の鉱脈(走向 N 60°E, 傾斜 60°N)で, 自然金(0.2~0.3 g / t), 自然銀(3~10 g / t)と輝安鉱を産出したことがある(地質調査所, 1955)。 付近に露出する石英斑岩 [ Qp ] の貫入活動に伴う鉱床と考えられる [ ← 石英斑岩(Qp)の岩脈は湯川川の東方 1 km 弱の 武住谷 に貫入している ] 。
富田川の中流の鮎川の北方に鮎川温泉(AⅣ)が湧出している。 合川累層の K2 層の塊状砂岩中に深度 20 m のボーリングによって泉源を得, ポンプ揚水している。 泉温は比較的低い。 付近に熱源となる火成岩の露頭は存在しない。 砂岩中の断裂もしくは砂岩中に滞留する熱水によるものと推定される。 温泉水の化学成分を第 2 表に示す(中村ほか, 1958)。
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[ 近露の南西方 2.5 km の ] 日置川の支流の瀬ノ川谷(CⅡ)と, 図幅南西端の川原谷(AⅥ)に小規模な石切場があり, 土木用の石材を稼行している。 いずれも打越累層 [ U ] の灰白色の塊状の中粒砂岩である。 これらの砂岩には平行葉理がともに発達しているために 切り出しやすく, かつ強度も大きいので 良好の石材である [ 以下の [注] 参照 ] 。
本宮断層およびそれに附随する断層付近には 地すべりがよく生じている。 本図幅地域では第 3 表の通りである(建設省ほか, 1973)。
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[ 図幅地域北西隅付近の ] 中辺路町 内井川の地すべりは, 温 川, [ その東南東方 2 km 弱の ] 皆の川 , [ その東南東方 2 km 弱の ] 福定を通る断層に伴って 音無川層群の羽六累層の下部層 [ Hl ] の泥質ないし等量フリッシュ中に形成された幅広い破砕帯に生じた「破砕帯地すべり」である。
[ 成城山の西方 1.5 km の ] 中辺路町 高原 の地すべりは, 音無川層群の羽六累層の下部層 [ Hl ] の泥質フリッシュ層の層面が地形斜面とほぼ一致する「流れ盤地すべり」であるが, 付近を走る北東 - 南西方向の断層となっている。
[ 図幅地域北西隅から南方 6 km 強の ] 中辺路町 峰 の地すべりは「流れ盤地すべり」で, 合川累層の K4 層の厚い塊状砂岩のうえにのった等量フリッシュ層が 斜面沿いに滑動したものである。
中辺路町 近露の東方の一里石の地すべり(津田, 1963)は, 本宮断層の破砕帯が日置川の屈曲部の攻撃斜面と一致したために 斜面の下部を深くえぐられて発生したものと考えられる。
この他に, 中辺路町 近露の東方の野中川に沿う地域にも 小規模ながら地すべり地形がみられる。 ここでは, 野中川の北斜面を 本宮断層が幅広い破砕帯を伴って 東北東 - 西南西にのびており, さらに これと平行する断層が野中川および南の斜面にもあり, これらの断層群による「破砕帯地すべり」である。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Kyōto (11) No. 102
By Hiroyuki SUZUKI, Tetsurō HARATA, Tomoyoshi ISHIGAMI, Fujio KUMON, Shizuo NAKAYA, Takahiko SAKAMOTO, Masaaki TATEISHI, Takao TOKUOKA and Yoshio INOUCHI (Written in 1978)
In the Kii Peninsula, the Shimanto Belt is divided into three zones from north to south, that is, the Hidakagawa, the Otonashigawa and the Muro Zones (Fig. 1). The sheet-map area occupies the southern part of the Otonashigawa Zone and northern half of the Muro Zone, both of which are bounded by a major fault called the Hongū Tectonic Line. The Otonashigawa and Muro Groups have the thickness of 1,600 m and 9,000 m respectively. The Kumano and Tanabe Groups of middle Miocene overlie the Muro and Otonashigawa Groups unconformably. Dikes of acid pyroclastic rocks and quartz porphyry, activated in the later stage, are found in several places. The stratigraphy around the sheet-map area is summarized in Table 1.
| Age | Stratigraphic division |
Thickness
(m) | Litho-facies | |||
| Holocene | Alluvial Deposits | 2~5 | gravel, sand and mud | |||
| Pleistocene | Terrace Deposits | 5~7 | gravel, sand and mud | |||
|
Middle
Miocene | Kumano Acid Igneous Rocks |
| quartz porphyry and acid pyroclastics | |||
|
Tanabe Group
[
in SW region
]
Kumano Group [ in SE region ] |
| Siltstone | ||||
| conglomerate and massive sandstone | ||||||
|
Early
Miocene ~ Oligocene | Shimanto Super-group | Muro Group |
Kōgawa
Formation | K5 | 500 + |
bedded mudstone and
alternation of sandstone and mudstone rich in mudstone |
| K4 |
500~
850 |
conglomerate,
pebbly mudstone,
mudstone and sandstone | ||||
| K3 |
400~
1300 |
alternation of sandstone and mudstone
and bedded mudstone | ||||
| K2 |
200~
700 | massive sandstone and conglomerate | ||||
| K1 |
150~
800 |
bedded mudstone and
alternation of sandstone and mudstone rich in mudstone | ||||
| Uchikoshi Formation |
500~
3000 | conglomerate and massive sandstone | ||||
|
massive sandstone and
rare bedded mudstone | ||||||
|
alternation of sandstone and mudstone
rich in sandstone and massive sandstone | ||||||
|
Yasukawa
Formation | Y2 |
450~
600 |
bedded mudstone and
alternation of sandstone and mudstone | |||
| Y1 | 1300 + |
massive sandstone,
mudstone,
alternation of sandstone and mudstone and conglomerate | ||||
| Eocene | Otonashigawa Group | Fudono Formation | 200 + |
alternation of sandstone and mudstone
rich in mudstone and equal in quantity | ||
|
Haroku
Formation | Upper | 500 |
sandstone,
conglomerate and
alternation of sandstoen and mudstone rich in sandstone | |||
| Lower |
400~
1000 |
alternation of sandstone and mudstone
rich in mudstone and equal in quantity | ||||
| Uridani Formation | 170 + | mudstone | ||||
|
Upper
Cretaceous | Hidakagawa Group |
|
| |||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
The Otomashigawa Group is divided into the Uridani, Haroku and Fudono Formations in ascending order, but no Fudono Formation is found in the mapped area. It is 1,000 to 1,600 m in thickness, comprising an upward-coarsening sequence as a whole. It may be assigned as Eocene, although no reliable fossil evidence has been obtained yet.
The Uridani Formation (170 m +), only its upper part of which outcrops in the area, is composed mostly of dark gray or pale greenish massive mudstone. The Haroku Formation is divided into two parts. The Lower member(400~1,000 m) consists of alternation of sandstone and mudstone and the Upper member (500 m) mainly of alternation of sandstone and mudstone rich in sandstone and thick-bedded sandstones and sometimes intencalated with conglomerate.
The Muro Group consists in ascending order of the Yasukawa, Uchikoshi and Kōgawa Formations. Its total thickness is 7,500 to 9,000 m. The geologic age can be assigned as Oligocene to early Miocene by molluscan fossils.
The Yasukawa Formation is exposed along the Yasukawa and upper reaches of the Kozagawa, and around the Ōtō-yama. It is subdivided into two members. The Lower member (Y1 ; 1,300 m +) consists of thick-bedded sandstone, mudstone and alternation of sandstone and mudstone and sometimes intercalated with conglomerate, while the Upper member (Y2 ; 450~600 m) is composed mainly of bedded mudstone and alternation of sandstone and mudstone rich in mudstone.
The Uchikoshi Formation occupies a wide area in the sheet-map and overlies conformably the Yasukawa Formation. It consists of a thick monotonous sequence (1,500~3,000 m)of medium- to coarse-grained massive sandstone and alternation of sandstone and mudstone rich in thick-bedded sandstone. In the upper part, several conglomerate layers are intercalated. Near the top of the Formation, ripple cross-laminations are well displayed in flysch facies. At the Ōtō-gawa, the Uchikoshi formation decreases its thickness to about 600 m.
The Kōgawa Formation is mainly exposed in the Kōgawa Synclinorium in the southern part of the mapped area and further in the north-western and in the north-eastern parts. It overlies the Uchikoshi Formation conformably and its thickness is 2,000 to 3,500 m. Lithologically it can be subdivided into five members. The lowest member(K1 ; 150~800 m) consists of mudstones and alternation of sandstone and mudstone. The K2 member (200~700 m) is composed of conglomerate and thick-bedded sandstone, while the K3 member (400~1,300 m) consists of various types of flysch sediments. The K4 member (500~850 m)is composed of conglomerate, pebbly mudstone and massive sandstone, and the K5 member (1500 m +) of mudstone and alternation of sandstone and mudsnone rich in mudstone. Because this formation is covered unconformably by the Kumano Group, the upper boundary of K5 cannot be ascertained.
Although fossil occurrences are generally rare in the Shimanto Belt, some molluscan fossils have been discovered from the Muro Group in the mapped area. These are Lucinoma sp., Callista sp., Turritella sp., Acila (Truncacila) sp., Portlandia (Portlandella) watasei in the Uchikoshi Formation, and Acila (Trunacila) sp., Portlandia (Portlandella) watasei, Clinocardium ? sp., Costacallista ? sp. in the Kōgawa Formation. The Geologic age of the Muro Group is clarified by these fossils as Oligocene to early Miocene.
Various internal and external sedimentary structures are observed in flysch facies. On the basis of paleocurrent analysis, the sediment which forms the Uchikoshi Formation was mainly supplied by longitudinal currents from ENE to WSW, and partly by lateral currents from north and south. There are found various trends in the Yasukawa and Kōgawa Formations.
Conglomeratic layers are often intercalated in the Muro Group. In the Yasukawa Formation, several beds of pebble conglomerate are intercalated in the Y2 member, while in the Uchikoshi Formation thick beds of pebble and / or cobble conglomerate are intercalated in the Upper-most part. In the Kōgawa Formation conglomerate is found frequently, especially in the K2 and K4 members. Clasts of acid volcanic rocks, chert and sandstone are predominant, while those of shale and limestone are subordinate. Granitic clasts are commonly contained, although these are small in quantity. Less than five or ten percent are exotic clasts of orthoquartzite and their occurence is limited only to the south of the Uchikoshi Anticline. The mineral composition of thick-bedded sandstones analysed systematically, indicates the results of quartz (33~54 %), potash feldspar (0~20 %), plagioclase (12~28 %), rock-fragments (7~16 %) and matrix (6~23 %). The mineral composition is not changeable in each formation, however, it is likely that the amount of potash feldspar increases upwards from the Yasukawa to the Uchikoshi Formations.
The Muro Group is overlain with a remarkable clino-unconformity by the Kumano Group in the eastern part and by the Tanabe Group in the western part of the mapped area. These Groups are clearly assigned as middle Miocene by fossil evidences. Only the basal part of the Groups is found in the present area. It is composed of conglomerate and sandstone in the lower and of siltstone and mudstone in the upper part.
Small dikes of pyroclastic rocks and quartz porphyry are scattered in the area. Pyroclastic dikes are composed of crystal tuff containing abundant pieces of mudstone and sandstone. These igneous rocks are supposed to have intimate relationships in origin with the Kumano Acid Igneous Rocks outcropping widely in the eastern part of the Kii Peninsula. A narrow zone of hydrothermal alteration (Hatchō-koshika Altered Zone ; Fig. 37 in Japanese text) trending NNW - SSE is found around Ōtō-yama.
Terrace deposits and Alluvial deposits are found narrowly around the villages of Chikatsuyu, Kurisugawa and Komori. These are composed of gravel, sand and mud.
The Hongū Tectonic Line bounding the northern Otonashigawa and the southern Muro Zones, is the largest reverse fault in the area trending E to W. It is accompanied by a wide shear zone, in which several recent landslides are found. The Otonashigawa Group dips steeply to the north, and several faults showing the repetition of the strata are found. Minor folds are frequently observed. The Muro Group are disturbed by many folds and faults. The Uchikoshi Anticline and the Kōgawa Synclinorium are the major folds of the Group. There exists a reverse fault (Hirase - Ayukawa Fault) along the north wing of the Uchikoshi Anticline and several middle scale folds are concentrated in the south wing ofthe Kōgawa Synclinorium.
No workable mines exist in the sheet-map area, however, there are several abandoned mines, which once produced small quantities of ascenopyrite [ ← arsenopyrite(硫砒鉄鉱 ; Fe As S)? ; 「9.1 鉱床」の項によると磁硫鉄鉱(pyrrhotite ; Fe_1-x_S)を3鉱山で産出していたらしい ] ore. Ayukawa hot spa uses the bicarbonate rich water. Massive sandstones of the Muro Group are quarried at few places as road stone and aggregate of local demands. Landslides in small scale are found in several places along the Hongū Tectonic Line.
昭和 54 年 1 月 5 日 印刷 昭和 54 年 1 月 9 日 発行 著作権所有 通商産業省 工業技術院 地質調査所 (C) 1979,Geological Survey of Japan