11075_1957
5万分の1地質図幅説明書
(京都 第 75 号)
通商産業技官 平山健
通商産業技官 岸本文男
地質調査所
昭和 32 年
目次 I. 地形 II. 地質 II.1 概説 II.2 秩父系 II.3 長瀞変成帯 II.3.1 長瀞変成岩類 II.3.2 火成岩類 II.4 領家変成岩類・深成岩類および圧砕岩類 II.4.1 領家変成岩類 II.4.2 深成岩類 II.4.3 圧砕岩類 II.4.4 岩石相互の関係 II.5 和泉層群 II.6 新期火山岩類 II.7 鮮新~更新統 II.7.1 大淀層 II.7.2 竜門層 II.8 洪積層・冲積層 II.9 構造 III. 応用地質 III.1 銅 III.2 水銀 III.3 アンチモニー III.4 粘土・石材 III.5 鉱泉 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 31 年稿)
(京都 第 75 号)
本図幅は昭和 29 年(1954)から翌 30 年にかけて, いわゆる中央構造線以北の地域を岸本が, 以南の地域を平山が担当し, 約 140 日の調査によって完成した。
調査当時野外調査中であった名古屋大学志井田功氏は, 鮮新~更新統の地域の調査をともにされ, 未発表資料を提供された。
本図幅は紀伊半島のほゞ中央に位置し, 紀伊半島南部から連なる山岳地帯が, 北部の丘陵性の山岳地帯にうつる境界附近の地域を占めている。 この境界線は図幅地域の中央部をほゞ E ‒ W 方向に横切る縦谷であって, 地質学的には中央構造線 [ 以下の [注] 参照 ] に沿った構造谷である。 この構造谷は図幅地域の東半部において, その特徴を明瞭に, 地形に(空中写真にも)示している。
南方の山岳地帯から連続した 1,000 m 以上の山地が, 図幅地域南東部で白屋岳を主峯とする険峻な山稜地帯を構成し, その山岳地帯から緩やかな北傾斜面が中央の構造谷の附近まで延びている。 山稜地帯は堅硬な古生層で構成され, 斜面の部分は古生層の変成相の, 長瀞変成岩類で構成され, 全体としては地形と岩質との関係をよく表わしている。
前記の構造谷の南北両岸には, やゝ高い台地が発達している。 この台地は 図幅地域の東部の中竜門・小川の両村附近では 450 m 以上の山地として見られるが, 図幅の西端では高度 200 m 附近まで下がり, その間ほゞ連続した面を保って分布している。 この台地は上市町よりも上流では, 吉野川の流路と異なった方向に分布しており, この台地を構成する堆積物(竜門層)のなかにみられる大小の円礫には, 図幅地域の北東約 6 km に位置する室生火山の, 石英安山岩に酷似する岩石を, 多量に含んでいるから, この台地をつくった河川は室生火山附近の地域に, 広大な流域をもっていて SW 方向に流れ, この図幅地内では中央部を, E ‒ W 方向に貫流していたと考えられる。 現在みられる台地は, 上市町の西方では現在の吉野川の流路を挾んで, 相当広大な地域を占め, N ‒ S 方向に 5 km 以上にわたって分布している処もある。 台地面は中央部が低く, N ‒ S 両側にやゝ高くなっている。 その最低部は吉野川の流路よりもやゝ北側を E - W 方向に走っており, 台地を構成する堆積物の層理は台地面とほゞ平行な向斜形を呈し, その向斜軸の位置は台地面の最低部を連ねる線と多くの場合一致しているから, そのような処では向斜の形態がそのまゝ台地面として現われているようである。 この点から考えると, 当時の河川は吉野川の流路よりもやゝ北側を, 東から西に向かって流れていたものと思われる。
図幅地域の北半部, すなわち前記の構造谷以北の地域は, 主として花崗岩質岩石で構成されており, 中央部の雲井茶屋附近は 750 m 位の高度を保っているが, 全体としては低い丘陵性の山地で侵蝕が進み, 小谷が複雑な形を呈して入り乱れ, 老年期に近い地形を呈し, 谷は洪積層で埋められている処が多い。
吉野川は図幅地域の南東部, すなわち上流では横谷を作って曲流し, 屈曲部には洪積層の段丘状の堆積物を残すことが多く, 川上村大滝附近では, かつての流路であったと思われる半月形の池が, 洪積層・冲積層で埋められた谷に残っている。 上市町附近から下流ではほゞ E ‒ W 方向に直線状の縦谷を流れ, 両岸にはやゝ広い段丘を残し, 河成段丘の特徴ある地形を示している。 この段丘は基盤の岩石, および前記の台地を侵蝕して, その上位に堆積しているが, 高度は台地面よりも一般に低い。
図幅地域内に露出する岩石中最古のものは, 南東部に露出する古生層である。 この古生層の露出している地帯を秩父帯と呼ぶ。 この古生層からは図幅地内では化石の産出がなく, 時代は不明であるが, 南隣の山上ケ岳地域の状態から秩父古生層の一部と考えられている。 NW ‒ SE の走向で緩く北東に傾斜して累層し, 岩質は粘板岩・チャート・凝灰岩を主とし, その互層や砂岩・石灰岩を介在している。 この古生層は断層を隔てて長瀞変成帯に接している。 断層は御荷鉾構造線といわれているものの一部である。 長瀞変成帯は長瀞変成岩類と, 小規模に露出する火成岩とから構成されている。 長瀞変成岩類は, 従来三波川系・御荷鉾系などの名称で呼ばれていた岩類で, 古生層の変成相と思われ, その大部分が 変成度の弱い千枚岩・准片岩の地帯(この地域を吉野山帯と呼ぶ)であり, 中央構造線に近い北部には 変成度が進み点紋で特徴づけられた結晶片岩の地帯(この地帯を上市帯と呼ぶ)がある。 これらの変成岩を生成させた変成作用は, 高圧と低温で特徴づけられた広域変成作用である。 長瀞変成岩類の岩種は砂岩・粘板岩・凝灰岩が変質したものを主とし, おのおのの中間の性質をもつものもあり, それらが互層しあう間に, 石灰岩・礫岩・珪岩が変質したものを介在し, 上市帯ではこれらに曹長石の点紋を生成している。
長瀞変成帯は全体として北傾の単斜構造の地層であるが, 東半部では NW ‒ SE の走向で北東に傾き, 西半部では NE ‒ SW の走向で北西に傾いている。 この変化は中央やゝ東寄りに, 走向の方向に褶曲した部分(褶曲軸はほゞ垂直)があって, 岩層が走向方向にも波打っていることに起因している。 この褶曲部は川上村大滝附近に, もっとも強く現われ, 屈曲率が烈しく, 岩層は弧状を呈するが, この屈曲の外側では次第に屈曲率は弱くなり, 国樔 村 新子 附近では屈曲の様子はほとんど見えなくなり, 北側に傾斜した累層となっている。 この褶曲部の西側に NE ‒ SW 方向の断層が見られ, この断層以西の地域は, 東側に見られる走向方向の屈曲ないし褶曲は全く見られず, 単斜構造の北傾の岩層で構成されている。 北傾の単斜構造の地域では岩層の擾乱は少なく, 連続性が強い。 図幅地域は中央構造線に近く, 各種の断層が数多く存在することが予想されるが, 野外で観察されるものは非常に少なく, また推定されるものも少ない。 これは中央構造線に近い部分が, 鮮新~更新統や更新統で覆われていて, 充分な露出をみることができないためでもあろう。 これらの数少ない断層のなかで 中央構造線にほゞ平行なものや, 吉野山帯と上市帯とを分けているものは, 他に較べて大規模なものと考えられる。 すなわちこれらの断層は, 北側に存在していた岩層を切りはなし, 別個の構造をもった地域を, こゝに持ち来たったものと考えられる。
長瀞変成岩類の北側は, いわゆる中央構造線を隔てて和泉層群・花崗岩類の地域である。 中央構造線附近の構造はきわめて複雑であり, 露出する岩石も断層の運動によって種々異なっているが, 地域の大部分においては 白堊紀の和泉層群と思われる岩石が断層の北側に接している。 和泉層群を構成する岩石はほとんど礫岩であって, 部分的に黒色頁岩や砂岩を介在している。 走向は E ‒ W で大部分が北に傾斜しているが, 礫岩では傾斜の方向の不明な部分もある。 和泉層群の岩石の一部(北半部に多い)は圧砕作用を蒙っている。 地域の東端に近い部分では, 長瀞変成岩類の北側に和泉層群が露出せず, 圧砕岩類が露出している。 この部分では断層運動の時に挾みこまれたと思われる和泉層群を, 圧砕岩類中にレンズ状に伴なっている。
和泉層群の北端は北側に広く存在し, 領家帯に属すると思われる変成岩・深成岩類の地域と断層で接している。 変成岩は分布はせまく, 岩種も少ないが, いわゆる領家変成岩類の一部と思われる片麻岩質の花崗岩である。 深成岩類は通常流理を有し, いずれも E ‒ W 方向またはそれに近い方向に, 帯状分布を示すことが多い。 深成岩類は 基性岩体から, 酸性岩体に及ぶ色々な岩石として露出するが, その主成分鉱物や岩相から, 半花崗岩質黒雲母花崗岩・ 中粒黒雲母花崗岩・ 優白色斑状黒雲母花崗岩・ 黒雲母角閃石花崗岩・ 黒雲母石英閃緑岩・ 斑粝岩などに分類される。 これらの花崗岩類は 中央構造線にほゞ平行して, 幅約 3 km の間は圧砕作用を蒙り, さらに中央構造線に近接しては, ミロナイトが局部的にヘレフリンタ様ミロナイトを伴なって E ‒ W 方向に長く露出している。 これらの圧砕岩類は数多くの, また数次の断層運動で生成され, その結果 E ‒ W 方向の帯状分布を示す圧砕岩帯を残したものであろうが, その断層は野外では観察できないものが多い。 それらを貫ぬいて半花崗岩が岩脈状に露出している。 図幅地域の北東部には, 室生火山岩類の石英安山岩が深成岩類を貫ぬいて見られる。
吉野川の南北両岸の山地には, 鮮新~更新世の大淀・竜門の両層が台地状に分布している。 下部の大淀層は故河田喜代助が菖蒲谷層 18) と命名した地層に当っており, 図幅地域の西半部に, 和泉層群で構成された山地に近く分布し, 和泉層群上に不整合に堆積しているが, 一部では和泉層群が大淀層上に衝上している。 上部の竜門層は大淀層およびそれ以前の岩層の上に不整合に堆積している。
吉野川流域, 北側の花崗岩類の地帯の河川の流域, および南大和平野の山沿いには, 洪積層が分布し段丘をつくり, 南大和平野の平坦部および吉野川流域には冲積層の分布がある。
図幅地域の南東隅に露出し, 白屋岳などの高山岳部を構成し, 南方に向かって帯状に連続している。 走向 N 65~75°W, 傾斜 35°N を示す非変成の水成岩層で, いわゆる秩父古生層に属し, 粘板岩・チャート・輝緑凝灰岩を主とし, 砂岩・石灰岩を伴なっている。 図幅地域内では下部が厚い粘板岩で構成され, 上部が主としてチャートで構成されている。 全層厚は 3,000 m 以上と推定される。
粘板岩は暗灰色~黒色を呈し, 層理は明瞭である。 輝緑凝灰岩と細かい互層を作り, また砂質部をまじえる場合もある。 砂岩は下部では粘板岩中に 10 数 m の薄層として挾まれ, 中部にあたる吉野川の流路には, 流路にほゞ平行に 100 m 内外の1層が見られる。 暗灰色, 細粒~中粒で, 層理は不明瞭であり, 非常に堅硬である。
チャートは下部では薄層としてのみ見られるが, 上部の白屋岳附近では数 100 m の厚層として露出している。 多くは灰白色~乳白色で, 時に赤褐色・淡緑色を呈する。 数 cm 幅の縞状層理をもつもの, 無層理, 塊状のものなどがある。 石英の方向性は著しくない。
輝緑凝灰岩は粘板岩と互層して, 下部から上部にわたってみられるが, 下部のものは 3 m 以下の薄層である。 吉野川に沿って厚い1層が露出する。 緑色または緑赤色を呈し, 時に石灰質や層灰質のものもある。 一般に軟弱で泥質の塊状部を有し, 凝灰岩特有の性質を示すが, 局部的には堅硬, 塊状, 緻密で, 火成岩と思われる部分もある。 吉野川沿岸の寺尾の県道わきにみられる塊状の部分は, 緻密な輝石輝緑岩というべきもので, 細粒の輝石が主成分であって, 輝石の間𨻶は 緑簾石・陽起石・緑泥石・蛇紋石・リューコクシンなどで埋められている。 鉱物はソウシュル石化しているものが多く, 短冊形の斜長石はごくまれにみられるのみである。 輝石は無色または淡褐色で, 結晶は自形~半自形を呈する。 裂開に沿って, また周辺部からウラル石に変化している処が少なくない。 このような部分は岩床状の火成岩体か, または輝緑凝灰岩中に捕獲された岩体であるか不明なために, 一応こゝに記載した。
石灰岩は薄層として粘板岩中に介在している。 灰白色~暗灰色であり, やゝ結晶質で化石を含まない。
長瀞変成帯は 長瀞変成岩類(従来の三波川・御荷鉾変成岩などと呼ばれていた変成岩類)と, それらを貫ぬいて小規模に露出する石英安山岩・輝緑岩とで構成されている。
長瀞帯の変成岩類は南側から吉野山帯・上市帯に分けられる。 両者は断層で接していて, 層位的な関係は明瞭でない。 長瀞変成岩類は古生層の変成相と思われ, 各種の千枚岩~片岩で構成されている。 岩石の性質は珪質,珪礬質,石灰質の岩石, すなわち珪岩・砂岩・礫岩・粘板岩・石灰岩などと, 塩基性岩すなわち凝灰岩および塩基性火成岩などが変成作用を受けたものなど, とであり, おのおのの中間の性質をもつものも多く, それらが複雑に互層している。
長瀞変成岩類は本図幅地内では N ‒ S 方向に約 7 km の幅をもっているが, 例えば和歌山県の海南市附近から, 紀の川にかけては約 20 km であり, 本図幅地域の南西にあたる高野山図幅地内では約 5 km であって, 場所によってその幅は著しく異なっている。 おのおのの場所に露出する岩石の層位学的な層準が不明なために, おのおのの場所における岩石を対比することが難しい。
御荷鉾構造線によって古生層と接して広く分布する。 この地域では古生層と, 吉野山帯の岩石とは岩相が異なり, 両者が漸移しているとは思われない。 古生層から吉野山帯の岩石に向かって変成作用が漸移している部分は, この地域では御荷鉾構造線の生成によって露出がなくなり, 岩相にギャップのある部分が接するようになったものと考えられる。
吉野山帯の岩相は珪礬質岩石の量が塩基性岩石の量に著しくまさり, 相当量の砂岩源と思われる珪質岩を介在しており, 礫岩層を含み, 塩基性火成岩体が比軽的少なく, しかも層状含銅硫化鉄鉱鉱床を介在せしめている。 これらの諸点から吉野山帯の岩石を, 他の地方にみられる岩石と較べると, 岩相は徳島県の剣山附近にみられる古見帯・広石帯などの岩相とやゝ類似している。
吉野山帯は岩質的には珪質, 珪礬質, 石灰質および塩基性の岩類であり, 層状含銅硫化鉄鉱の薄層を挾む。
珪質, 珪礬質および石灰質岩石 : 吉野山帯の主体をなす岩石は, 珪礬質千枚岩および同質の片岩である。 南半部には千枚岩質のものが, 北半部には片岩質のものが多い。 黒色~暗灰色を呈し, 微褶曲構造をもち, 縮緬様の縞状を呈する部分が各処にある。 炭質物・絹雲母・石英・斜長石などを主とした, 微細な結晶からなることが多く, 千枚岩質のものはひとつひとつの鉱物の判別は困難である。 やゝ大形の再結晶粒が局部的にみられ, 石英・斜長石の集合した部分が, レンズ状に存在したり, また大形に再結晶した部分と微細な部分とが縞状を呈する場合がある。
石墨絹雲母石英片岩は再結晶が進み, 0.05~0.1 mm の粒状を呈し, 石墨様の炭質物が波状の條線に集合して縞状を呈する。
珪礬質の岩石中には, 時に不規則なレンズ状に, または礫状に砂質部が散在して, 一見礫岩状を呈する部分がある。 この部分は元来礫岩であったものではなく, 珪礬質岩石中に介在していた砂岩層が, 変成作用の時期に, または後期の断層運動などによって引きちぎられ, 現在みられる形を呈して珪礬質岩石中に存在するものと思われる (露出地 : 川上村大滝東方の河岸)。
石英片岩は灰白色・白色・淡緑色などを呈し, 珪礬質の岩石中に層状にみられ, 剝理性が強い。 石英を主成分とし, 炭質物, 絹雲母・緑泥石および鉄鉱などを少量含んでいる。 国樔村新子北部に露出するものは, 絹雲母・緑簾石・方解石などの微晶を含有し, 再結晶もすゝみ, 石英の方向性も強い。
片状砂岩は珪礬質の岩石中に 100 m 以下の岩層として挾まれているが, 時には 500 m 以上の厚さに達する。 珪礬質の岩層と細かい互層を呈する場合もあり, 源岩が砂質頁岩であったと思われる岩石も多い。 直径 0.5 mm 内外の石英・斜長石の他形結晶が数多く散在し, 普通輝石の他形結晶がまれに残存している。 基質は石英・斜長石の微粒や線状に連続した炭質物質からなっている。 基質の石英が相当強い方向性を持っている場合でも, 残存した大形の石英粒は方向性を示さないことが多い。
本帯の中部には薄い礫質片岩が長く連続してほゞ同一層準に存在する。 この層は 時に砂岩質となり, 時に珪礬質となり, 全体としては砂質頁岩中に存在した礫岩が, 変成作用を受けたものと考えられる。 礫は主として 7 cm 以下の直径のもので, 長軸と短軸との比は 5 : 1~10 : 1 に扁平に片理面に平行に延ばされている。 礫の岩質は珪岩質と砂岩質のもので, 時に珪礬質の扁平なレンズ状の礫も存在する。 火成岩源の礫が見られないのは本層の特徴である。
晶質石灰岩は本帯の北部に近く2ヵ所に薄層として露出する。 灰白色で片理が著しく, 絹雲母・緑泥石などの細片を散在させている。
塩基性岩石類 : 珪礬質の岩石に挾まれ, 片状輝緑凝灰岩・輝緑片岩・陽起石緑簾石緑泥石曹長石片岩などが, 多くは 100 m 以下の層厚で露出する。 古生層中の塩基性凝灰岩や, 塩基性火成岩体のあるものが変成されたもので, 再結晶作用が相当すゝんだものが多いが, 南半部では残存鉱物以外の鉱物が細粒なので, 個々の鉱物を識別することが難しいものもある。
片状輝緑凝灰岩は緑色で細粒, ほゞ均一であり, 片状を呈し, まれに塊状部を残している。 輝石・斜長石の残晶を含み, 緑簾石・緑泥石・陽起石・曹長石の細かい結晶によって構成されている。 この種の岩石中には外観は同様であるが, 鏡下にみると陽起石を主成分とした陽起石片岩というべき岩石が, 薄層として存在することがある。 陽起石は繊維状で無色または淡緑色を呈し, その間に普通輝石が散在し, 緑泥石が不規則な形で拡がっている。
輝緑片岩は緻密, 均一な塊状部のやゝ多い准片岩~片岩である。 緑色~濃緑色を呈する。 鉱物は平行に配列し, 輝石・緑簾石・緑泥石を主成分とし, 曹長石・陽起石がやゝ多量に存在し, 黝簾石・ヂルコン・チタン石・鉄鉱・方解石などを伴なっている。
陽起石緑簾石緑泥石曹長石片岩は緑色~濃緑色の片状の岩石で, 時に緑簾石による黄緑色の縞状部が存在する。 緑泥石・緑簾石・曹長石を主成分とし, チタン石・絹雲母・方解石などを伴なう。 本帯の中部にあって層状含銅硫化鉄鉱鉱床の母岩となっている塩基性片岩は, 主として本岩である。
吉野山帯の北側には, 曹長石の点紋で特徴づけられた岩相の上市帯がある。 中竜門村三茶屋附近からほゞ N 70°E の方向に走る断層が, 両帯の境界をなしている。
上市帯を構成する岩石は, 珪礬質の片岩と塩基性岩石とがおもなものであって, 珪質岩は比較的少ない。 いずれも吉野山帯の岩石よりも再結晶が進み, 千枚岩質の処は見られず, 全体が曹長石の径 1 mm 内外の, 点紋で特徴づけられた典型的な点紋結晶片岩である。 本帯は後期の断層運動などに強く作用されており, 肉眼的にも擾乱が烈しく, また鏡下でも片理が乱れ, 片理は不規則な曲線を描くことが多い。
珪礬質の岩石は黒色~灰色を呈し, 黒色部は礬土質のものであり, 灰色の部分は珪質のもので, 両者が縞状をなす部分もある。 主体は石墨絹雲母曹長石石英片岩である。 石英・曹長石・絹雲母・石墨を主成分とし, スティルプノメレン・緑泥石・柘榴石・方解石・緑簾石などを副成分とする。 点紋の曹長石は眼球状を呈し, 径 0.5~1 mm で, なかに包有された石墨は細かい條線の縞を作り, 不規則な曲線を描き, 廻転した形跡をのこしている。 曹長石の周囲は石墨・絹雲母などで取り囲まれていることが多い。 石英は径 0.2 mm ほどの粒状を呈し, きわめて新鮮である。 方向性が強く, 後の擾乱の少ないものはおゝむね B-tectonite の形態を示している。 絹雲母は片理面にほとんど完全に並列し, 0.5 mm 以下の長さである。
珪質片岩は珪礬質片岩中に薄層として互層状に見られ, また塩基性片岩中にも薄層として少量見られる。 石英・絹雲母を主成分とし, チタン石・燐灰石・柘榴石・方解石・鉄鉱などを伴なっている。 石英は径 0.2 mm 内外の不規則な結晶で, 方向性が強く, おゝむね B-tectonite の形態を示す。
塩基性片岩は緑色~濃緑色を呈し, 肉眼的にも直径 1 mm 内外の曹長石の点紋が識別される。 鏡下に見れば ほとんど全部が陽起石緑簾石緑泥石曹長石片岩であって 緑泥石・緑簾石の細結晶を主成分とし, 多くの場合陽起石を混えている。 曹長石は 点紋を作るほか, 細粒としても存在し, いずれも緑簾石の細結晶を線状に並列したまゝ包有したり, 緑泥石・絹雲母を包有したりしている。 絹雲母・斜黝簾石・方解石などを副成分とする。 源岩の性質によって石英粒を含み, 石墨質の黒い線状の配列をみることもある。
本層中の特殊な岩石にスティルプノメレン岩がある。 本岩は大淀町下淵西方の, 吉野川河岸の点紋のある塩基性片岩(走向 N70°E, 傾斜 60~80°N)中に, 長さ約 2 m, 幅約 20 cm の大きさで, 片理面に平行してレンズ状に介在する黒色の岩石である。 肉眼では 黒雲母の集合体のような黒い光沢を有し, 白色の細脈で網状に貫ぬかれている。 鏡下では 0.5 mm × 0.07 mm のスティルプノメレンが ほゞ片理面中に線構造(N 75°E, 5~10°W)と平行して集合し, その間に方解石の集合部と脈とが存在している。 スティルプノメレンの光学的性質は, - (2 V) ≒ 0°, X = 淡黄色~淡黄緑色, Y = Z = 濃黄褐色である。
長瀞変成帯に露出する火成岩類は, 小岩株として露出する石英安山岩・輝緑岩類・蛇紋岩である。 そのほか長瀞変成岩類中に記載した塩基性片岩中にも, 岩床状に存在した塩基性火成岩類の変成されたものも, 局部的にはあるかも知れないが, それらは現在野外でも鏡下でも, 塩基性凝灰岩質の岩石と区別することが困難で, 火成岩として取り扱うことができない。
輝緑岩 : 吉野郡川上村北西部には, 輝緑岩質の小岩株が密集して露出する。 その多くは古生界を変質させた変成作用の継続中またはその直後に貫入し, 継続していた変成作用・交代作用によって部分的に変成されている。 野外では草緑色~暗緑色を呈し, 一般に塊状であるが, 片状の部分も認められ, 長瀞変成岩類の塩基性准片岩や, 片岩と区別し難い部分も多い。 この附近の岩体の一部には, 角礫状に火山岩質の岩石を捕獲している部分もある。 比較的微晶質のもの(輝緑岩質)が多く, 粗晶質のもの(斑粝岩質)はほとんど見られない。 エヂリン輝石・普通輝石を多量に含み, 角閃石・斜長石などを残存鉱物として持つこともある。 普通は輝石・ 緑簾石・ 曹長石・ 緑泥石・ 黝簾石・ 陽起石・ 蛇紋石・ チタン石・ リューコクシン・ 鉄鉱物などが組み合って構成されている。 輝石は透輝石質またはエヂリン輝石質で, 多くは無色, 一部は淡褐色, または帯緑色を呈する。 時にオフィティック構造の石基中に, 0.7 mm 内外の自形~半自形の結晶としてみられる。 周辺部はウラル石・透角閃石などに変化している。
川上村大滝附近の岩体は 暗緑色で, やゝ片状を呈し, 長瀞変成岩類中の塩基性岩と区別することが難しい。 鏡下では半自形~他形の普通輝石が斑晶状に数多く存在し, 周囲は 緑泥石・蛇紋石・リューコクシン・曹長石・ソシュール石質物質・鉄鉱 などの微晶で塡められ, 初生の斜長石は全く認められない。
川上村 東川 南方の橋梁や 衣引 附近の岩体は塊状で, 鏡下にみると玄武岩質であって, 細い長柱状の斜長石が多量に存在し, オフィティック構造を造り, そのなかに斜長石の斑晶(多くは緑泥石・ウラル石におきかえられ, 元の双晶の識別されるものは少ない)が散在し, それらの間は 緑泥石・蛇紋石・ウラル石・鉄鉱・リューコクシン などの微細な集合で塡められている。 輝石はまれに存在する。
中荘村御園南方に露出する3岩体と, 秋野村才谷西方の岩体とは, いずれも前記の輝緑岩の性質のものである。
蛇紋岩 : 川上村衣引の輝緑岩体の北側に, 小さな蛇紋岩体が露出し, またその北方の深山附近の, 吉野川河岸の輝緑岩体の一部にも, 蛇紋岩質の部分がある。 蛇紋石を主成分とし, 透輝石質の輝石が残存し, 劈開に沿って鉄鉱が生成している。
石英安山岩 : 吉野郡竜門村津風呂西方の道路際に, 幅 3 m 内外の, 風化して白色を呈する石英安山岩質岩石の小岩脈が露出している。 肉眼では白色の石基のなかに, 半透明でやゝ灰色の石英の斑晶が散在している。 鏡下では斑晶として石英の融蝕されたものと, 少量の酸性斜長石(ほとんど絹雲母・方解石などにおきかえられている)とが見られ, 石基は大部分がガラス質で, 石英と酸性斜長石の微粒からなり, 緑泥石・方解石が他の鉱物の仮像を作って散在している。
吉野郡小川村栗栖南方の高見川沿岸には, 風化して灰色を呈する岩脈が幅 5 m 内外で, 走向 N 70°W, 約 40°N の傾斜で露出している。 均一, 緻密で, 肉眼では斑晶は認められない。 鏡下では, やゝ斑晶に近い大形の斜長石の仮像をもつ, 方解石の集合結晶や, それよりも小形の黒雲母の仮像の方解石結晶が散在し, 他形の石英粒の大形結晶が含まれている。 石基は 石英の細粒および方解石の細粒(なかには小形の黒雲母の仮像を呈するものもある), 斜長石のやゝ新鮮な細結晶粒で構成されている。 風化が甚だしく, 源岩は不明瞭であるが, 黒雲母石英安山岩の岩脈であったと思われる。
同郡中竜門村柳北方長瀞変成岩類と和泉層群との境界の, 断層帯(約 5 m)の北側に, 断層帯に沿って幅約 3 m の, 同質の岩脈が貫入しており, さらに断層帯の南限から約 7 m 南側の砂岩質な石墨絹雲母石英片岩中にも, 幅約 20 cm の同様な岩脈が見られる。 この岩石はいずれも風化が甚だしく, 表面近くは褐色に変色しているが, 内部は灰色である。 斑晶は少なく, その全部が緑泥石・方解石に変化している。 鏡下では, 短柱状の細かい斜長石の集合した基地に, 方解石に変化した黒雲母の, 仮像の斑晶や細片が散っている。
同村小名東方約 1 km の河中にも, この黒雲母石英安山岩とほゞ同様な岩脈が, 走向 N 80°W, 傾斜 40°N を示して露出している。 本岩も風化が甚だしく, 源岩は明瞭を欠く。
また吉野線六田駅北西の, 北六田から東方下垣内にかけて, 珪礬質片岩中に貫入した幅約 10 m の, 黒雲母石英安山岩の岩脈が露出している。 この岩脈は古くからその存在が知られ, 石材として利用された。 表面は赤褐色に風化しているが, 内部の新鮮な部分は灰白色を呈し, 黒雲母・石英・斜長石の斑晶が肉眼で認められる。 鏡下では 斑晶は石英(融蝕を受けている)・ 黒雲母・ 斜長石 (An 30~40, 累帯構造, アルバイト双晶が著しく, 周縁部が 絹雲母・緑泥石・方解石などの微粒結晶でおきかえられているものがある)などであり, 石基は斜長石・方解石・石英・鉄鉱などの微粒で構成されている。
図幅地域北東部の内牧村に, N 60°W の方向性をもって片麻状花崗岩が分布する。
本岩の岩相は一様でなく, 眼球片麻岩・迸入片麻岩・花崗片麻岩等に類似した種々の岩種があり, それらの相互の関係も複雑であって, 片麻状構造の程度の強弱も様々である。 したがって, これを一括して片麻状花崗岩とした。
鉱物成分は, 正長石・石英・斜長石・黒雲母等である。
この片麻状花崗岩は, これと接する優白色斑状黒雲母花崗岩との関係が不明瞭であるが, 図幅地域の内帯側における最も古い岩体と考える。
黒雲母石英閃緑岩 : 本岩は図幅地内の基性深成岩類を代表する岩石で, 宇陀郡宇太町から大宇陀町松山を中心として, 西南西の高取町附近まで, 長く帯状に分布する。 東部の, とくに松山から宇太町にかけての黒雲母石英閃緑岩は, 風化を受けて粘土質となり, 表土と識別し難くなっている。 そのほか, 後述する大部分の岩石中に捕獲されている。 捕獲岩として存在する場合には, 東部では比較的球形を示すが, 西方に向かうにしたがってレンズ状となり, 時に帯状を示す。
本岩はとくに黒雲母角閃石花崗岩と密接に関係し, 例えば談山神社~竜在峠附近では, 特徴的に両岩石が交互に露出している。 この談山神社附近から南方では, 風化度が低く, 堅硬な岩石となる傾向があり, したがって, それが地形にもよく現われている。 風化度の高い場合には, 黒雲母角閃石花崗岩がサラサラとした砂様を呈するのに対し, 本岩は粘土状になる傾向がある。 本岩は深成岩類のうちでは最も初期の生成になるものである。 肉眼的には黒灰色, 細粒質で, 黒雲母を多く認めることができる。
顕微鏡下では, 全体として細粒で, 細粒~微粒の斜長石(An 10~30)・黒雲母・石英からなり, 微量の磁鉄鉱等を伴なう。 とくに正長石および斜長石の斑晶様のものを認めることが普通である。 石英は西方の 栢 の森・滝畑附近ではやゝ圧砕され, 2 V ≒ 5°を示す。 斜長石は粘土化および炭酸塩化作用を蒙り, 有色鉱物の一部も緑泥石化作用と, 菱鉄鉱を主とする炭酸塩化作用とを蒙っていることがある。
黒雲母角閃石花崗岩 : 前述の黒雲母石英閃緑岩と, 密接に関連した分布を示し, 領家帯の中東部から西方に向かって次第に広域を占め, 西縁部では, ほとんど黒雲母角閃石花崗岩のみが露出する。 そのほか 倉橋・粟原・鹿路一帯においては, 黒雲母石英閃緑岩中に帯状に貫入している。 新鮮な露出面では, 同岩に較べて全体的に優白色であるが, 後述のほかの花崗岩類よりは優黒質で, 黒緑色柱状の角閃石の結晶が, 明瞭に認められる。 また角閃石の結晶は, 南方に向かって大きくなり, とくに大宇陀町牧附近では, 5 cm 以上の角閃石を認めることがある。 同時に, 南方に向かって岩質は固くなって, 漸次ミロナイト化の傾向を強める。 片理はきわめて弱い。 北方の部分は風化作用を強く受けて, 一般に艶のない, 暗緑色の角閃石粒を特徴的にまじえたサラサラの砂質土となっている。
鏡下では石英・正長石・斜長石・角閃石および黒雲母を主とし, 少量の磁鉄鉱と, 時に輝石とが認められる。 角閃石と黒雲母は, 時に若干の緑泥石と菱鉄鉱を伴なうこともある。
竜門岳の南西の谷と芋ケ峠南東部とに, やゝ斑状を呈する黒雲母角閃石花崗岩が露出している。 これと上記の黒雲母角閃石花崗岩との境界は, 詳らかでないが, おそらく漸移すると思われるので, 1異相と考えている。 しかし斑状のものは, 黒雲母角閃石花崗岩よりもミロナイト化が進み, 石英の波状消光がやゝ強い。
優白質斑状黒雲母花崗岩 : 図幅地内北辺の宇賀志村・榛原町・桜井町にかけてと高取山附近とに, 前述の黒雲母石英閃緑岩の北側を形造って露出する。 風化作用を著しく蒙っている。 優白岩で, 斑状構造であるのを特色とし, 風化している場合でも, 斑状組織を留めていることが多い。
本岩は到るところで, 黒雲母石英閃緑岩を球状に, 時には帯状に捕獲し, また同岩中に脈状に貫入する(岩室・嬉河原附近)。 寺川にみられる露出では, 黒雲母角閃石花崗岩を貫ぬいていて, 宇賀志東方で中粒質黒雲母花崗岩に捕獲されている。
顕微鏡下では, 石英・正長石・斜長石(An 8~20)・黒雲母等からなるが, 黒雲母は微晶で少なく, 多少不等粒であり, かつ緑泥石を伴なう。 後述の中粒質黒雲母花崗岩に較べて雲母に乏しい。
本岩は種々の異相岩石を局部的に伴なっている。 すなわち両雲母花崗岩・珪長質花崗岩などである。 なお異相としての両雲母花崗岩は大神・八滝附近に, 珪長質花崗岩は出屋敷西方附近に分布する。
黒雲母花崗岩 : 宇賀志村を中心に露出する。 中粒~粗粒, 一般に風化が著しく, サラサラとした砂質土となっていて, 新鮮な露岩が認められることはほとんどない。
優白質斑状黒雲母花崗岩と比較すれば, 本岩は粒度が異なり斑状組織を持たず, 黒雲母の量が多い。 黒雲母・石英・閃緑岩の大小様々な捕獲岩を有するほかに, ひばり山道端(図幅地域東北縁部に近い区域外)において, 優白質斑状黒雲母花崗岩を捕獲している。 黒雲母角閃石花崗岩との関係は, 両者の接する上宇賀志・大熊その他においても詳らかでない。
顕微鏡下では, ほとんど角閃石を認め得ないで, 石英・正長石・斜長石・黒雲母からなっていて, 完晶等粒質の花崗岩構造を示す。 微量ではあるが, どこの場所でも, ジルコンを伴なう。 部分的には圧砕作用を受けたものもあって, その部分では, 石英は波状消光を示し, 黒雲母は緑泥石化し, かつ屈曲している。
半花崗岩質黒雲母花崗岩 : 宮ノ奥から大峠・熊ケ岳・経ケ塚山附近と高取山との峻しい地形をつくって, 本岩が分布する。 本岩中には, 捕獲岩も, 貫入する岩脈類も認められない。
岩脈状を呈する本岩は, 優白質斑状黒雲母花崗岩・黒雲母石英閃緑岩を初めとし, 黒雲母角閃石花崗岩・黒雲母花崗岩中に貫入し, おゝむね E ‒ W 性の走向を示している。 きわめて優白質で, 僅かに黒雲母を認めることができるほか, 酸化鉄や粘土によって脆弱な岩石となっている。 細粒~中粒で, 概して等粒, 完晶構造を示す。
顕微鏡下では, 主として石英と正長石とからなり, 斜長石・黒雲母を伴なうほか, 時には角閃石や白雲母を認めるが, それらの組み合せと量の多少によって, 種々な異相を形成している。 しかし全体的に有色鉱物はまれであって, 全くそれを欠くことも珍らしくない。 小さな割れ目に富み, その割れ目を絹雲母・緑泥石が充塡することもある。
斑粝岩 : 天香久山には褐色角閃石に富む塩基性岩が, 円頂丘の南および北西側に露出している。
本岩は比較的細粒の緑黒色を呈する岩石で, 顕微鏡下では, 斜長石・角閃石・橄欖石と, ごく少量の磁鉄鉱や燐灰石とからなっている。 これらの主成分鉱物は, 大部分が径 1 mm 内外であるのに, 角閃石は時に径 3 mm 以上のものを認めることができる。 斜長石は An ≒ 90 のアノーサイトである。 量的には有色鉱物よりは少ない。 角閃石は褐色で淡い緑色を帯び, 多色性が弱く, しばしば斜長石と橄欖石との小晶を包んでポイキリティック構造を示す。 量的には最も多く含まれる鉱物で, この角閃石に較べると橄欖石は少ない。
中央構造線から幅約 5 km の間には, 圧砕された花崗岩質の岩石が, 中央構造線にほゞ平行に帯状に分布する。 一般には中央構造線に接近するにつれて, 強い圧砕作用を受けている傾向がある。
圧砕岩類は圧砕の程度によって, 次の3種に大別できる。
その1は, 原岩石の構造を残しているとともに, 石英などの歪みが明らかなものである。 これをミロナイト様黒雲母角閃石花崗岩と名づける。 その2は, 普通にミロナイトと呼ばれる岩石で, 前者よりも圧砕作用を強くうけているが, ヘレフリンタ状ではないもので, これをミロナイトと呼ぶ。 その3は, 淡緑色~白色できわめて堅硬, 緻密なヘレフリンタ状の岩石で, これをヘレフリンタ様ミロナイトと呼ぶ。 これらの各種の圧砕岩類は相互に漸移するようであり, 強い圧砕帯の幅は約 2~3 km に及ぶ。
ミロナイト樣黒雲母角閃石花崗岩 : 本岩の代表的なものは, 鳥ノ塒屋山から竜門岳(904.3 m)西方にかけて急峻な地形を形成し, 芋状に, ほゞ東西方向に長く拡がって分布するものである。 岩相には若干の変化がみられるが, 多くは中粒~粗粒で軽度の片状を呈している。 竜門岳南斜面では, ポーフィロイド状岩に酷似した斑状構造を示すものもある。 細粒の黒雲母石英閃緑岩の大小の捕獲岩を有し, 捕獲岩も珪化・緑泥石化・曹長石化等の作用を蒙って, ミロナイト化している状態を認めることができる。 黒雲母角閃石花崗岩のミロナイト化しない部分を残していることもあり, この場合, ミロナイト化した部分とは漸移するようで, ミロナイトの帯状岩体を挾有しながら, 南部で厚いミロナイトに移化し, その境界は鮮明ではない。 本岩はおゝむね堅硬で, 風化に対する抵抗も強い。
顕微鏡下では, 黒雲母角閃石花崗岩と大差のない鉱物成分を示す。 すなわち石英・斜長石・角閃石を主とし, 黒雲母・正長石を伴なう。 しかし組織は圧砕の証跡をとゞめて, 石英は部分的に粒状化して波状消光が著しく, 斜長石や石英の眼球状の斑状変晶を生じ, また斜長石のアルバイト式双晶面や, 角閃石・黒雲母が屈曲し, 有色鉱物の半量程度が緑泥石化している。 そのほか角閃石と少量の黒雲母は, ともに一定方向に平行配列を示し, 片理を形成することもある。 加えて, 石英の粒状化に伴なって, 長石類も圧砕のために石英との境界が, 不明瞭になっている場合もみられる。 平行裂罅もやゝ発達している。
ミロナイト : 本岩は図幅地域の中央東端の文珠の南方から, 桜峠・牧・別所・滝畑・壼坂寺・大岩・古瀬を結ぶ線を北限として, その南側に帯状に, かつ中央構造線にほぼ平行して分布している。 そのほか別所北方等のミロナイト様岩中や, 圧砕程度のきわめて弱い岩石地域に,レンズ様の分布を示し, 上記主要ミロナイト帯に平行に配列する。 いずれも比較的圧砕程度の低い岩石や, 圧砕作用を著しく蒙った, ヘレフリンタ様ミロナイトとの境界は, 漸移的である。
細峠南方の道路傍に, 黒雲母石英閃緑岩の大きな捕獲岩を有するが, 一般には捕獲岩を認めることは少ない。 これはおそらく圧砕作用が著しいために, 岩体として均質化されてしまう傾向を辿ったものと想像される。 すなわち本岩は, 濃緑~灰白色で, かなり堅硬である。 これは鏡下でも認められる通り, 強い圧砕作用の影響の故である。
鏡下では, 著しい波状消光を示す石英と, 正長石とが斑状変晶様に残り, 多くの亀裂を有し, その周囲は主として小円礫~小粒状の石英からなる。 長石類の粘土化も認められる。 角閃石や黒雲母は, 著しく変形して原形を留めず, 緑泥石化作用を相当強く蒙っている。 これがミロナイトの緑色を示す原因であろう。 網状亀裂のなかに, 微粒状石英・黒雲母と緑泥石および炭酸塩鉱物(屈折率が高い故, 菱鉄鉱 ?)とが充塡することもある。
このミロナイトはその分布状態・岩質などから, おゝむね源岩を推定することができる。 例えば別所附近のものは, 角閃石の残っているものがあり, 黒雲母角閃石花崗岩源であることを思わせるが, 比谷北東に局部的にみられるものは, 角閃石を認め得ず, 黒雲母から変化したと考えられる緑泥石を認めることが多いので, 黒雲母花崗岩源ということを推定させる。
ヘレフリンタ樣ミロナイト : 前記ミロナイト帯の南に当る鷲家と三茶屋の間, 増原と田口の間および牧~別所~薬水の南方に, やゝ広く露出するほか, ミロナイト中にみられる。 いずれも中央構造線に沿って, 平行状態に断続する。 ミロナイト中のものは, 局部的に圧砕作用が強く作用したものであって, 圧砕作用の不均一性を示すものであろう。
外観は, 白色~灰白色でミロナイトとの境界附近では, 帯緑灰白色を示し, きわめて堅硬な岩石である。 一見すれば珪岩様であり, ミロナイトとの境界は漸移的である。 鏡下においては, 小さな亀裂が縦横に発達し, そのなかを石英・炭酸塩鉱物, および褐鉄鉱が充塡しており, 構成鉱物の粒状化が一様にきわめて著しく, 特に石英の針状化と粒状化集合体が特徴的である。 本岩は主として石英からなり, 石英粒の波状消光もきわめて強く, 2 V ≒ 15°± を示す。 有色鉱物はきわめて僅かか, あるいはまったく消失し, 緑泥石もまれで, ミロナイトのごく近くの本岩中に, 緑泥石を比較的多く認めることができる状態であって, 原岩の推定は困難である。
杉山隆二の研究 12) によれば, これらのミロナイトとヘレンフリンタ様ミロナイトとは迸入岩となっている。
鷲家西方の沢(大谷という)においては, 和泉層群に属すると思われる頁岩が本岩のなかにもみ込まれている(和泉層群の項参照)。
内帯の領家変成岩類・深成岩類および圧砕岩類は, ほゞ以下のような関係をもっている。
すなわち, 領家変成岩類に属する片麻状花崗岩は, 深成岩類生成以前の生成にかゝり, 本図幅地域の内帯における最古の岩体である。 これは図幅地域外北東方に広く分布するものが, 本図幅地内に小範囲に露出するもので, 水成岩類の分布をみないために, 時代の推定は困難であるが, 豊橋・足助および恵那山図幅地内における同種の片麻状花崗岩類が, 二畳石炭紀以後の変成作用によって生成されたものであるから, 本図幅地内におけるものもこれと同様のものであろう。
深成岩類としては黒雲母石英閃緑岩が最も初期の生成になり, 他の深成岩類中に広く捕獲されている斑状黒雲母花崗岩, 黒雲母角閃石花崗岩および黒雲母石英閃緑岩の関係は, 倉橋橋の下に明瞭な露出があってよく観察される。 そこでは 黒雲母石英閃緑岩を捕獲した黒雲母角閃石花崗岩を斑状黒雲母花崗岩が貫ぬいている。 また斑状黒雲母花崗岩を中粒黒雲母花崗岩が捕獲する状況は, 上宇賀志ひばり山道傍の好露出でみられる。 経ケ塚山等のように, 半花崗岩質花崗岩の貫入状況が明瞭に観察される処では, 該岩は前述の各岩石を貫ぬくもののようである。
斑粝岩はその産状と岩相とからみても, 迸入の時期は明らかでない。
要するに本図幅地内に分布する深成岩は, 黒雲母石英閃緑岩・ 黒雲母角閃石花崗岩・ 優白質斑状黒雲母花崗岩・ 中粒黒雲母花崗岩・ 半花崗岩質花崗岩の順に生成したものであり, 斑粝岩については生成の順序も詳らかではない。
ミロナイトとヘレフリンタ様ミロナイトとは, これら深成岩類, とくに黒雲母角閃石花崗岩が圧砕されて生成したものであろう。 その時期は領家変成作用以後の数次の断層運動の期間である。
西方の和泉山脈を構成する和泉層群は, 五條町附近でその主体が終り, 以東の地域には, 狭い範囲(中央の最も幅の広い部分で約 800 m)に 和泉層群と類似した岩層が E ‒ W 方向に連続して分布している。 化石による確証はないが, 一応この岩石も和泉層群として記述する。 この岩層の分布状態や, その構造はきわめて複雑であって, 明瞭を欠く部分が多い。
本層群の南限は他の多くの場所において観察されるように, 断層(市の川時階の中央構造線)によって長瀞変成岩類に接しているが, 部分的には(小川村鷲家と小名の間)断層(この断層の時代は明らかでない)によって 圧砕岩類に接し, 部分的には(大淀町馬佐から東方比曽・西増まで)後の時代の 衝上断層(菖蒲谷時階の中央構造線)によって 鮮新~更新統の大淀層と接する場合もあり, また不整合の関係で大淀層・竜門層に被覆される場合もある。 これらの関係のなかで, 小川村鷲家附近にみられる状態は殊に複雑であって, これまでにも2, 3の研究者によって詳細に調査されているが, 意見はまちまちである。 この地点では 南側の長瀞変成岩類の片状砂岩と 圧砕岩類(ヘレフリンタ様ミロナイト)とが断層で接し, 深成岩類のなかに幅 5~30 m の帯状に, 和泉層群と思われる黒色頁岩と礫岩とが圧砕岩化され, また部分的には片状構造を示して介在している。 したがってこゝでは 深成岩類・圧砕岩類の分布範囲のなかに, 和泉層群が断層にかこまれてレンズ状にみられるわけである。 この関係は北谷と鷲家の間の N ‒ S 方向の小谷(イナバタ谷・アシウオ谷・大谷など)においてもみられる。 こゝでは 圧砕された和泉層群の黒色頁岩(鏡下では石英粒が散在してやゝ砂質を示す)が, E - W 方向に細く(3~20 m)帯状に分布している。 この黒色頁岩は走向 N 60°W, 傾斜 60°S 内外を示し, この地域の和泉層群の一般的な走向・傾斜とは異なっている。 黒色頁岩の両側には断層らしい粘土とか, 破砕帯とかは全く見られず, 圧砕岩類との接触部は密着していて, 両者とも変化を受けておらず, 黒色頁岩の一部は 圧砕岩類中に突出した部分(はねこみのような)をみせたりしているが, 断層の生成時に圧砕された, 黒色頁岩が呈した局部的な現象と解され, いわば黒色頁岩の部分が断層帯であろうと思われる。 すなわち生成した断層に, 黒色頁岩がもみこまれて露出するものと解される。 このような複雑な状態は構造の項に詳述するように, 数次にわたるいわゆる中央構造線の運動によって生成した関係と思われる。 本層群の北限は断層(砥部時階の中央構造線)によって深成岩類に接している。
和泉層群は走向ほゞ E ‒ W, 20~80°N の傾斜で傾き, 単斜型を示している。 岩質的には礫岩・頁岩・砂岩で構成されているが, 大部分は礫岩で, 他の2者は多くの場合薄層として介在するばかりである。
礫岩は層理がほとんど認められず, 優白色の膠結物質中に暗灰色, 白色, 赤褐色の円礫や亜角礫が, 径 1~10 cm の大きさでおびただしく存在するものであって, 北部では礫と膠結物質との境が不分明な場合が多い。 膠結物質は 石英(粒状化され波動消光を示す場合が多い)・ 斜長石・ アルカリ長石・ 方解石・ 緑泥石などの微粒の集合物であり, 礫はチャート・砂岩・花崗岩質岩石などが, 圧砕作用を受けたと思われるもので構成されている。 圧砕作用は北部に強く見られ, 南半部では比較的弱い。
頁岩は礫岩中に薄層として介在して, 南部に多い。 層理はよく発達し走向 E ‒ W, 30~80°N に傾斜している。 黒色で褐鉄鉱を含むことがあり, 鏡下では主成分は炭質物で, 石英粒や斜長石の破片を含んでいる。 和泉層群の分布地域の南限に, すなわち大淀町馬佐から竜門村小島峠附近にかけてみられる頁岩層は, 層厚約 100 m に達するものであるが, この層のなかには頁岩・砂岩の角礫を含んだ堅硬な粘土で構成された部分がある。 この部分は黒色を呈している。 断層帯とすれば, 数次にわたって生成した中央構造線の一部か, またはそれに伴なって生成したものであるとの疑もあるが, 露出も断続的であり, 明白でない。
砂岩は頁岩と同じく礫岩中に介在し, やゝ厚いものは小名峠附近に見られる。 灰白色~暗灰色を呈し, 細粒または中粒で, 粒状の石英を主成分とし, 斜長石・方解石・緑泥石・鉄鉱などを含んでいる。 局部的に石灰質の部分がある。 黒色頁岩や砂岩の角礫をもつ部分ができており, このような部分では石英粒も波状消光を呈し, 圧砕作用を受けていることを示している。
石英安山岩類 : 図幅地域北東隅の内ノ牧村・宇賀志村境の入谷岳と伊那佐村の頂部とに, 石英安山岩の熔岩が露出している。 附近は室生火山岩地域 8) に入り, この石英安山岩類もその一部で, 野後図幅地内では, 新第三紀層の山粕層群を覆うので, 上部中新統以後の噴出と考えられている。
両噴出岩体は, いずれも優白質斑状黒雲母花崗岩を覆う。 柱状および箱状節理が, やゝ発達するが, 流理構造は認め難い。 見掛けは灰色を呈し, 石英の斑晶(時に熔融されている)が明瞭である。
顕微鏡下では, 石基の大部分はガラス質で, 斜長石・石英を含み, 石英・正長石の斑晶が点在する。 有色鉱物は黒雲母で, 伊那佐山のものはとくに黒雲母が多量に認められ, 入谷岳のものは少ない。
斜長石は An ≒ 50 の中性長石である。 緑泥石が散在するが, おそらく黒雲母が変質したものであろう。 石英はしばしば破片状を呈し, 径 0.5 mm 内外のものもある。
附近の水銀鉱床の生成時期と噴出時代とはほゞ同一時期なので, 本岩は水銀鉱床の運鉱岩の役割を果した 1), 3) と考えている一群の研究者もあるが, また, これに反対の説を提出している人々 12), 13) もあって, なお結論に達するには程遠い感がある。
リソイダイト : 畝傍山(199.1 m)の東麓から山頂四近にかけて, とくに登山道に明瞭に露出する岩石は, 風化作用を蒙ったために, 純白~灰白色, 粗鬆な珪長岩様または砥石様の外観を呈する。 顕著な流理構造を示し, その方向は頂上南では, N 60°W で北へ 70°傾斜する。 しかし場所によっては, 流理面の走向・傾斜, また流理の形状も変化して一様ではない。 すなわち中腹では流理は細かく 1 mm 前後であるが, 山頂部では板状構造的に粗くなっている。
顕微鏡下では大斑晶は認め難く, 斜長石と少量の黒雲母との微斑晶および石英の小斑晶が散在し, 他はガラス質石基である。
本岩と二上火山との関係について, 春本篤夫 2) は二上火山の各種熔岩活動の順序からみて, 本岩は二上火山の讃岐岩質小火山の噴出時期よりは古期と推測している。
吉野川の北岸の和泉層群で構成された山地の裾に沿って分布している。 かつて河田学士 18) が紀の川下流菖蒲谷において, 菖蒲谷層と命名した地層の東方延長であって, 志井田学土 10) が大淀町附近を標式地として大淀累層と命名したものである。
本層は図幅地域の西方から連続し, 上部の竜門層に被覆されながら, 東方に断続して露出している。 本層の北限は不整合または断層(中央構造線の項参照)によって和泉層群に接している。 全般的には水平であるが, 断層に近い部分は 20°内外の角度で北に傾く処もある。 基底部は礫岩からなり, 礫は径 10 cm 以下の古生層のチャート・粘板岩・砂岩・長瀞変成岩類, 和泉層群の礫岩・砂岩,花崗岩類・ミロナイトなどであり, やゝ花崗質の砂で充塡されている。 この礫岩は大淀町にはよく分布するが, 以東の地域では分布が少なくなり, 和泉層群に接して, 礫質砂岩が分布する場合が多い。 礫岩の上部には暗青色の礫質砂岩層が累重し, さらに上部は, 同様の砂岩・暗緑色~暗青色粘土層および青灰色泥岩中に, 径 30 cm 以下の和泉層群源の礫をもつものが互層している。 この互層中には数枚の黒褐色炭質粘土をレンズ状に介在し (比曽・香東方面の亜炭層は 1 m 内外の厚さを持っている), 植物化石が数多く発見されている。 大淀層の厚さは 50 m 内外である。
大淀層は河田・志井田両氏によれば, 細長い湖水に堆積した湖成層と考えられており, また本層中からは三木・河田・志井田の諸氏によって, 17 科, 26 属, 29 種の植物化石 10), 11) がみいだされており, それらの示すところから本層の地質時代は, 鮮新世より古くない時代と考えられている。 地質図に記載した化石産地は主として志井田功氏によった。
長瀞変成岩類や和泉層群あるいは上記の大淀層を不整合に覆って, 吉野川の南北両岸に, 台地状に断続しながら分布している。 礫層が多く, 層理は明白でないが, 介在する泥土層や砂層はほとんど水平な層理を示し, 北岸では時にゆるい向斜型を示す部分もある。 礫層・粘土層・砂層からなり, 礫層中の礫は, 附近に見られる古期岩類と, この附近では見られない黒雲母石英安山岩とである。 黒雲母石英安山岩の礫は東半部に多く, なかには直径 5~6 m に及ぶ巨礫もある。 この礫は 北東の室生火山地域に露出している黒雲母石英安山岩にきわめて類似している。 粘土層は青緑色・暗緑色を呈するものが多く, 砂岩は時に花崗岩質である。 本層は平均 50 m 内外の厚さであるが, 志賀・千股の中間では 80 m 以上と推定される。
本層は大淀層とは異なり, 古吉野川が作った河床の堆積物と思われている。
いずれも河成堆積物であって, 未膠結の礫・砂および粘土で構成されている。
吉野川の沿岸には, 洪積層の段丘が断続してみられるが, なかでも大淀町附近およびその対岸の下市町附近には, 台地状に広く発達している。 また図幅地域北半部の花崗岩質の岩石でできた, 丘陵性山地に深く入りこんだ小谷の奥の部分にも, 段丘状に洪積層が残留している。
図幅地域西部の平野沿いに, とくに高取町一帯および図幅地域中東部の本郷附近に, 扇状地堆積層が分布する。 いずれも非常に緩やかな傾斜で, その上には人家・田畑が広く発達している。
冲積層は各河川の沿岸・平野・谷間に分布し, 特に図幅地域北西部は奈良盆地(大和平野)の一部となって広く発達している。
本図幅地域は地質構造上, 中央構造線によって西南日本内帯・同外帯に分けられ, 内帯は和泉帯と領家帯に, 外帯は長瀞変成帯と秩父帯に分けられる。 各帯の間はいずれも断層で境されている。
秩父帯の主要部は本地域の南東に広く拡がっているが, その地域の構造が現在では不明なため, 本図幅地域の秩父帯の構造を全般的な見地から, 記述することができない。 図幅地域の秩父帯を構成する古生層は, NW ‒ SE の走向でゆるく北東に傾斜した単斜構造を示している。
秩父帯と長瀞変成帯との間の断層は, 御荷鉾構造線であって, 地域内では川上村寺尾の西の吉野川河床に, 古生層と長瀞変成帯の黒色千枚岩とが, 幅 5 m の間をおいて接する地点で推定される。 断層地点は露出なく, 断層面の傾斜はこの地点では不明瞭であるが, 断層線の分布状態からみると, 北側に 40~70°の傾斜で傾いた断層面を持つようである [ 以下の [注] 参照 ] 。
長瀞変成帯は局部的には, 不規則な形態を示しているが, 全体としては E ‒ W に近い走向で北側に傾斜した, 単斜構造の累層で構成されている。 川上村大滝附近を中心として走向方向に褶曲し, あたかも厚く重なった岩層がまげられて弧状を呈し, 内側のものに皺がよったような形状を呈している。 すなわち東部にみられる NW ‒ SE の走向が, 弧状を描いて NE ‒ SW に変化する。 弧の曲率は南部に強く, 北部に弱く, 国樔村新子附近では弧状は見られなくなり, 走向はもとの方向を保っている。 このように走向方向に波打つとともに, 傾斜の方向にも波打ち, 簡単な単斜構造を示さず, 全体としては 20~30°の北傾の地層であるが, 部分的には傾斜角を異にしている。 例えば中荘村矢治・間の原附近では 5~10°N の傾斜の地域がある。 図幅地域の西半部では弧状構造は現われておらず, 全体が走向 NE ‒ SW の単斜構造を示し, 地層は連続性が強い。 前記矢治附近の水平に近い部分は吉野山附近に現われ, さらに西方に続き, 下市町善城・善城垣内附近から西坊附近の緩傾斜地域となっている。 その緩傾斜地域を挾む南北の両地域は傾斜がやゝ強く, 殊に北側吉野川沿岸では急傾斜の処もある。
弧状構造を呈する東半部の地域には, NE ‒ SW 方向の2断層が推定される。 これらの断層は地層の分布状態からみて, 西側の落ちた正断層であり, 東側のものは落差 500 m 内外, 西のものは(黒滝村金峯神社附近からNE方向に向かい, 中荘村を経て国樔村 入野 に及ぶ)落差も大きく, 水平方向の変位も大きい。 これらの断層の性質と変位とは, 各地塊ごとの層序と, その変位とから推定したものであるが, なかでも東端を三尾鉱山に発した層状含銅硫化鉄鉱鉱床を含む塩基性岩層や, その上位に特徴的な存在を示す含礫片岩の変位をおもな鍵としている。 現在稼行している層状含銅硫化鉄鉱鉱床は, 四郷村三尾鉱山・下市町共盛鉱山・同町戸運保鉱山などであるが, 国樔村中黒東方・中荘村御園西方・下市町稲荷垣内東方など, 同一層準と思われる岩層中には旧坑があって, それらが連続している鉱体であることを思わせる。 以上述べた2断層とその性質をほゞ同じくする断層の存在が, 中竜門村三茶屋から S - W 方向に推定される。 これらの断層を切って, 上市町附近から N 75°E の方向に走る1断層がある。 この断層は北東部では2本に別れて, 東隣野後図幅地域内に続いている。 この断層は水平方向のずれは少ないようであるが, 中央構造線の主断層と平行に走り, 時には断層帯を伴ない, 単なる1, 2本の断層ではなく, 構造的にはさらに複雑に, 数多く, ほぼ平行に走る断層によって構成された広い破砕帯であるらしい。
吉野山帯と上市帯とをわけている断層は, 中竜門村三茶屋附近からほゞ N 70°E の方向に走る大規模なものと思われるが, 本断層は 図幅地域西端の吉野川の曲流部(宇智郡大阿太村の原附近)で見られるばかりで 他に露出はなく, 点紋の生成した岩石の存在する地域の, 南限を断層と推定したものである。
内帯の諸岩類は, 特徴的な E ‒ W に近い方向の, 帯状配列分布を示す。
領家帯中の断層は, 確認困難で, 僅かに北西部の出屋敷・倉橋・今井谷を通る谷を断層谷に考える人 17) があり, また大和水銀鉱山の坑内に, 少なくとも3本の断層を認める程度である。
和泉帯の構造については, 後に中央構造線の項を設けて記述するが, 西部には中央構造線と斜交した, 2本の小断層が見られる。 この断層は花崗岩類と和泉層群との境界線のずれから存在が推定されるもので, 大淀層堆積以前に生成したものであり, 1つは NE ‒ SW, 他は NW ‒ SE の方向に走るが, 地層の水平方向のずれは, 前者が約 300 m, 後者が約 600 m である。
大淀層は分布も狭く, 無層理な部分が多く, ほゞ水平に分布し, 大淀町比曽~西増間にみられる, 和泉層群の大淀層上への衝上(中央構造線の項参照)以外には, 記すべき断層はみられない。 竜門層も大淀層上にほゞ水平に分布し, 中央部では僅かに向斜形を呈している。 本層で構成された台地面も, 僅かに中央の凹んだ地形を呈していることは, すでに地形の項に述べたが, 地層の向斜形については, 堆積後僅かではあるが, 向斜形をとるように, 変形したのであろうとみる人 11) もある。
すでに述べたように(「I. 地形」の最初の段落), 中央構造線は一度の運動でできたものではなく, 数回の運動がその都度断層や破砕・圧砕作用を伴なって, 互に平行ではあるが, ある幅のなかで, 位置を異にして生じたものと考えられる。 したがって中央構造線として取扱われるべきものは, 領家帯・和泉帯および長瀞変成帯に関連して, 上のような性質を備えて起こった数回の運動の結果である。 当地域に存在する断層のなかで, このような性質をもつものを分けると, 次の4種類になる。 すなわち
以上4種の断層は時代を異にして起こったものであるが, 小林貞一は この運動の時期を 鹿塩時階・市の川時階・砥部時階および菖蒲谷時階の4時期に分けて, それら各時期の運動の結果が 4本の主要な圧砕帯・断層として現われていると考えている。 当地域の4種類の断層も, この4時階に生成したと考えれば, 当地域の3帯間の相互関係は一応解釈しうる。
花崗岩類中にはその項に述べたように, 圧砕岩類がほゞ E ‒ W の方向に並列して帯状に分布している。 その圧砕岩類の分布する地帯の幅は約 5 km に及んでいる。 おそらくは断層も生成しているであろうが, 野外で確認し得ない。 鹿塩時階の運動の結果は, このように花崗岩類中に圧砕岩の帯状配列を作っているが, それとともにこの運動の主要な結果は, 領家帯を長瀞変成帯の上に衝上せしめ, それによって生じた断層を生成していると考えられている。 内帯と外帯とを, 初めてはっきり分けた断層はこれである。 本図幅地域東部では, 花崗岩類中のミロナイトが長瀞変成帯と断層で接している。 この断層は鹿塩時階のものであるかも知れない。 しかしながら, この断層の好露出地の1つである小川村鷲家の附近で観察すると, 断層から数 m の所で ミロナイト中に断層で挾みこまれたと思われる黒色の岩石 (長瀞変成岩類中の珪礬質岩石が破砕され粘土化し, さらに堅硬になったようなもの)が存在し, さらに数 m の処で 同様な形態で和泉層群の礫岩(圧砕作用を受けていない)が存在している。 このような状態からみると, 後述する 2), 3) および 4) などの作用の結果がこゝに現われているとも思われ, したがって長瀞変成帯との接触部の断層も, 鹿塩時階の断層がそのまゝみられるのか, それ以後の運動によって起こった断層がみられるのか, 決定し得ないことになる。
四国地方から紀の川沿いに連続して走る北傾の断層で, 狭義の中央構造線として知られるものである。 本図幅地域内の西半部においては, 後期の堆積物に覆われて見られず, 東半部の中竜門村香束以東の谷において見られるのみである。 香束の谷の西側の山稜の背部では, 幅数 m の断層帯を隔てて両者の境界が判別される。 中竜門村柳の谷では, 谷の中央の川によい露出があって, そこでは長瀞変成帯の岩石(片状砂岩・黒色片岩の互層)と和泉層群の黒色頁岩とが, 幅 7 m の破砕帯を隔てて境している。 その断層面は走向 E ‒ W に近く, 傾斜は不明瞭ではあるが, 相当急角度で北に傾いている。 柳の谷以東では, この種の断層面の明瞭な露頭は見られず, 小名峠以東では, 長瀞変成帯は花崗岩類のミロナイトと接する。 この接触部の断層は 1) の項に述べたように 1)~4) のなかのいずれか明らかでない。
和泉層群中には, 例えば竜門村志賀谷・大淀町馬佐附近でみられるように, ほゞ E ‒ W 方向に走る破砕帯がある。 志賀谷では破砕帯の幅は約 160 m に及び, 南側に黒色の粘土が幅約 60 m あって, 北側に粘土化した砂岩が幅約 100 m ある。 この両者はともに走向 N 90°E, 傾斜 40°N の面をもち, 黒色の角礫(径 15 cm 以下)を含んでいる。 馬佐では谷のなかに幅約 10 m の黒色の粘土帯がみられる。 位置および走向などからは, 両者が連続しているように思わせるが, 両者の中間の地域ではその存在を確認し得ない。 この粘土帯は断層によって生じた破砕帯であろうと思われるが, 断層の生成時代については明白でない。 この粘土の破砕帯についてみると, 和泉層群が広い幅で粘土化されていながら, 圧砕作用を受けていない様子は, 和泉層群と長瀞変成帯の岩石との間の断層と性質が類似しているので, あるいはその断層が生成した時期に, それに附随して生成したものであるかも知れない。
この作用はこゝでは一応砥部時階(鮮新世)と考えているが, 地域内ではその時代を決定する正確な証拠はみられず, その点についてはさらに調査の余地がある。
領家帯の南縁に露出する圧砕岩類と, 和泉帯の和泉層群とは, 本図幅地域内では全体が断層によって境されている。 その断層は分布を追跡すると, ほとんど直線状であり, またおのおのの露頭における観察からも, 走向はほゞ E ‒ W で, 北側に急斜するらしく見られる。 接触部の露頭は地域内数ヵ所において, よく観察されるが, その多くは圧砕岩化作用を蒙った花崗岩類と, 圧砕岩化作用を蒙った和泉層群の礫岩との間であって, 判然とした粘土帯を伴なった断層で境することは少なく, 圧砕岩化作用を蒙った両者が, 漸移して行くようにみられる処が多い。 したがって判然とした1本の線として, 断層の位置を決定しがたく, ある幅をもった圧砕帯として, 断層を考える方が適当である。 この事実からみると, このような場所の花崗岩源の圧砕岩類は, 1) の時期とこの時期と, 2回の圧砕岩化作用を蒙っていると思われる。 花崗岩質圧砕岩類と和泉層群の圧砕岩とが見られるのは, この地域の西半部であって, 大淀町矢走の南東, 同町畑屋の南西, 同町田口南方の峠附近などである。 以上述べたように西半部の多くの場所では, 花崗岩類と和泉層群に, 由来した圧砕岩類とが接しているが, 中竜門村柳の谷では, これらと異なる状態が見られる。 柳の谷では和泉層群の礫岩は欠如し, 同層群の黒色頁岩が幅 20 cm の断層帯を隔てて, 圧砕作用を蒙った花崗岩質の岩石に接している。 この地点ではこの断層帯の走向は N 70°E であり, 北側に約 80°の傾斜で傾いている。 断層帯の粘土は, 和泉層群の黒色頁岩に由来したと思われる黒色のもので, 粘土のなかや両側の岩石の面では, 滑動の方向を示すような跡は見られない。 こゝではこの断層が領家帯と和泉帯との境になってはいるが, この断層が両帯間の主要な断層であるかどうかは疑問で, あるいは 主断層(前記の両帯の岩石を圧砕岩化している断層)に伴なって生じた 附随的な, 小規模のものであるかも知れず, その点明白でない。
小名以東では花崗岩質の圧砕岩の露出地域内に, 断層によって挾みこまれたような和泉層群が, E ‒ W 方向に数層細長く露出している。 したがってこゝでは, すでに述べたように和泉層群の南側に露出する花崗岩質圧砕岩が, 長瀞変成帯の岩石と断層で接している。 圧砕岩類中に断層で囲まれて存在するこれらの和泉層群は, 数多くの E ‒ W 方向の大小の断層で切られていて, 小川村鷲家附近では圧砕岩類と和泉層群の黒色頁岩や礫岩とが, 数 m の幅で交互に露出している状態がよく見られる。 こゝでは黒色頁岩も礫岩も圧砕作用は受けていない。 したがってこゝの接触部にみられる状態は, 西半部の状態とはその性質が異なり, むしろ柳の谷の接触部に近い性質を持っている。 故にこゝの断層も 3) の時期の主要断層かどうか疑わしく, この断層の時代は決定し得ない。
大淀町の比曽~西増間の田奈井谷には, 和泉層群が大淀層上に衝上した露頭がみられる。 この露頭での衝上面は走向ほゞ E ‒ W, 北側に 20~30°の傾斜をもち, 断層帯の幅は約 1 m である。 この衝上はこの附近以外では見られず, 比曽以西でも, 西増以東でも, 大淀層は和泉層群上に不整合に堆積したように観察されるだけである。 志井田功 10) は本衝上を 千股 衝上と名づけている。 同氏のいうように, この衝上は和歌山県橋本町北西方の, 菖蒲谷において見られる衝上であり, 小林貞一の菖蒲谷時階(鮮新世以後)の中央構造線の運動に相当するものであろう。
図幅地域内には相当数の鉱山が古くから開発されており, 現在でも銅・水銀・アンチモニーなどの鉱山が数多く稼行されている。 しかしながら, それらはいずれも小規模で, 鉱産額は少ない。
長瀞変成岩類の吉野山帯の中央部には, 層状含銅硫化鉄鉱鉱床が賦存し, 数鉱山がかつて稼行されたことがあるが, 現在稼行されているものは共盛鉱山・戸運保鉱山・三尾鉱山である。
内帯の深成岩の区域は, 北海道に次ぐ本邦有数の水銀鉱産地として知られている。 すなわち黒雲母石英閃緑岩などを, 主要な母岩として浅熱水性鉱脈である水銀・アンチモニーが胚胎し, 稼行されている。 その他, 粘土が小規模に稼行されたり, 石材が採掘されていた処もあるが, 現在はほとんどみるべきものがない。 長瀞変成岩類の吉野山帯中には, 鉱泉が湧出し浴用に供されている。
下市町栃原にある。 かつて明治 40 年頃, 約 10 年間にわたって盛んに稼行されたが, 現在は従業員 6 名で, 手掘りにより小規模に稼行している。
鉱山附近の地質は走向ほゞ E ‒ W, 10~25°N の緩い傾斜を示し, 北西方へ 5°内外で傾斜する線構造をもつ塩基性准片岩で構成されている。 この塩基性准片岩は厚さ約 10 m で, その上下には珪礬質千枚岩が存在し, 全体としては両者の互層帯とみることができる。 塩基性准片岩は, 濃緑色を呈する堅硬な陽起石緑簾石緑泥石曹長石准片岩であるが, 鉱体の周囲には淡緑色の比較的軟弱な部分があり, 一部ではこの部分が粘土のように軟らかい。 しかし軟弱な部分にも, 母岩の組織を残した部分があって, 変質した母岩であることを示している。
鉱床は北西方向へ約 5°内外の落しを示し, ほゞ塩基性准片岩の片理面に沿っている。 しかし鉱体は波状を呈し, また分岐して枝を出した形態を示す部分もあり, 局部的には片理と斜交する部分がみられる。 すなわち鉱体は約 10 m の緑色准片岩中にあるが, その層のなかでは, 片理を切って膨縮をくりかえしながら波状を呈しており, 殊に現在採掘を行っている部分の, 東方下部にみられる走向方向の延長約 10 m, 傾斜方向の延長約 2.5 m, 厚さ 0.1~0.5 m の小鉱体は, 母岩の片理と 20°以上の角度をもって斜交している。
鉱石は塊状, 緻密, 均一な含銅硫化鉄鉱であり, Cu 品位約 6 %(最高 17 %), S 品位 40 % 内外であり, 石英・方解石を脈石としている。 現在は探鉱も実施しておらず, その稼行状態では旧坑内の状況も明らかでない。 鉱石は手選して佐賀関製錬所に送っている。 昭和 27 年再開後約1ヵ年間の出鉱量は約 100 t である。
共盛鉱山の北西約 1.5 km, 下市町と宇智郡南阿太村との境界附近にある。 現在従業員 6 名で, 手掘で小規模に稼行している。
鉱山附近の地質は走向ほゞ N 75°W, 北方へ 10~25°の傾斜を示し, 北西方向に 5°内外で傾斜する線構造をもった塩基性准片岩で構成されている。
鉱床は塩基性准片岩のほゞ同一層準に, 全体としては1枚の板状を呈し, ほゞ片理に沿って賦存している。 しかし詳細にみれば, 鉱体は1枚の板状のものではなく, 数枚の板状(扁平なレンズ状)の小鉱体が きわめて接近して雁行状に配列しているものであって, 小鉱体の間には淡緑色~白色の粘土質の部分がある。 この部分は最高 15 cm の厚さで, 平均は 5 cm 以下である。 この部分は塩基性准片岩の変質部と思われるが, 鉱体が尖滅してからも, その延長線上に連続存在することもある。 現在採掘されている鉱体は走向方向の延長約 80 m, 傾斜方向の延長 45 m 以上, 厚さ平均 10 cm(最高肥大部では 60 cm)である。
鉱石は塊状, 緻密, 均質な含銅硫化鉄鉱で, 方解石・石英・緑泥石などを脈石とし, 平均銅品位約 4~5 %, 硫黄 30~45 % であるが, 一部には銅品位 14 % 内外のものもある。 現在の出鉱量は月額約 10 t である。
大杉・平城の2鉱山も, ほゞ同一層準の鉱体を稼行したものと思われるが, 現在は休山中である。
吉野郡四郷村三尾にあって, 県道から吉野川支流の対岸の北西斜面に開坑している。
附近の地質は塩基性准片岩と珪礬質千枚岩との互層で構成され, 鉱体は両者のなかにあり, 走向 N 50~80°W, 20~40°の傾斜で北東に傾いている。 小断層, 局部的な褶曲により地層の擾乱が烈しい。
鉱体は平均幅 30 cm 内外で, 芋状, レンズ状を呈し, 走向方向の延長は約 250 m にわたって分布している。 鉱石は含銅硫化鉄鉱であるが, 局部的には斑銅鉱・輝銅鉱・自然銅を産出することで知られている。 脈石は方解石・石英である。 銅品位 3~4 %(精鉱では 7~8 %), 硫黄 30~40 % である。 現在は従業員約 20 名前後で, 月産精鉱約 15 t である。
三尾鉱山の対岸には休山中の大盛鉱山があり, さらに吉野郡小川村小栗須には, かつて稼行された小栗須鉱山がある。
位置 : 本図幅地域北東部の奈良県宇陀郡宇太町字大沢にある。
沿革 : 奈良時代に開発され「朱」として利用されていた。 明治 42 年(1909)に新露頭が発見されて以来, 現権者野村鉱業株式会社に及ぶ長期間稼行が断続され, 本邦有数の水銀鉱山として知られている。
| 会計年 | 1931 | 1938 | 1939 | 1940 | 1941 | 1942 | 1943 | 1944 | 1945 |
| 水銀量(kg) | 12.0 | 約 2,100.0 | 約 13,300.0 | 約 23,000.0 | 含有量 12,648.0 | 含有量 9,450.0 | 含有量 5,986.0 | 含有量 2,000.0 | 581.0 |
| 会計年 | 1946 | 1947 | 1948 | 1949 | 1950 | 1951 | 1952 | 1953 | 1954 |
| 水銀量(kg) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1,511.0 | 1,998.0 | 約 4,000.0 |
地質 : 鉱区内には広く黒雲母石英閃緑岩が分布し, そのほかに 黒雲母角閃石花崗岩・優白質斑状黒雲母花崗岩・中粒黒雲母花崗岩が分布する。 いずれも部分的に片状を呈し, それらを含辰砂石英脈が貫ぬいている。 なお, 本鉱床生成との関係について, しばしば論ぜられた黒雲母石英安山岩類は, 東方およそ 2.5 km の入谷岳と北方約 3.5 km の伊那佐山とを形成している。
鉱床 : 前記黒雲母石英閃緑岩等の, 裂罅に沿って胚胎した低温性鉱物(玉髄等)を伴なう, いわゆる浅熱水性裂罅充塡式辰砂石英脈である。 平行する3鉱化体が確認されていて, 鉱化帯の走向はほゞ E ‒ W で, 傾斜は 50°S 前後である。 この鉱化帯は, 走向 N 40~60°W, 傾斜 30~40°S を示す多数の雁行性鉱脈から形成されている。 単一鉱脈は厚さ数 mm から数 m 前後まで膨縮し, とくに鉱脈が数本接近する時は, 見掛上 3 m の厚さを示すこともある。 中央鉱化帯の賦存量が最も大きく, 現在は地表下 75 m まで確認され, なお下部に続く様相を示している。
鉱石鉱物は辰砂を主とし, 黄鉄鉱・白鉄鉱等を少量と微量の自然水銀とを伴なう。 とくに硫化鉄に富む場合がある。 一般的に粘土鉱と石英脈鉱とがある。 鏡下では, 辰砂は長石・石英粒の間𨻶を充塡するか, その周囲に沈澱し, 鉱化期が少なくとも2回と考えるべき産状を示す。
母岩の変質 : 一般に鉱床周辺の母岩は, 強い熱水性変質作用を受けて 絹雲母・高陵土・炭酸塩ならびに玉髄等の珪質物を生成しているため, 岩相は一変している。 風化作用もまた著しい。 したがって, 長石はとくに鉱体近くで完全に陶土化し, 有色鉱物は褪色し, 緑泥石を生成している 16) 。
位置 : 奈良県宇陀郡伊那佐村平井から見田地内にかけて位置する。
沿革 : 昭和 19 年(1943)から約1年間にわたって平井の道端に開坑し, 斜坑で若干探鉱したという。 現在, その坑口を残すのみである。 昭和 29 年(1954)10 月から見田地内の丘陵中腹から開坑して, 現在に及んでいる。
地質 : 見田の斜坑附近は黒雲母角閃石花崗岩で, 平井附近はそのほかに優白質斑状黒雲母花崗岩が分布する。
鉱床 : 現在掘進している見田では, 坑口南東約 20 m に見られる走向 N 60°W, 北傾斜の酸化鉄を含んだ粘土脈を追跡しているが, 未だ辰砂を認め得ない。 平井旧坑のものは, 硑を観察したところでは, 黄鉄鉱を伴なった石英脈を掘進した模様で, 辰砂を確認することを得なかった。 俚言によると辰砂が賦存していたというが, 確かではない。 母岩は粘土化作用と珪化作用とを蒙った, 優白質斑状黒雲母花崗岩と角閃石黒雲母花崗岩とである。
位置 : 奈良県宇陀郡宇賀志村駒帰にあって, 大和水銀鉱山東方約 1.5 km に位置する。
沿革 : 昭和 15 年(1940)から現権者五條の人小松兼松が採鉱し, 同 21 年まで稼行した(第 2 表参照)。 現在は休山し, 施設は荒廃に任せている。
| 年 | 粗鉱(ton) | 品位(%) | 精鉱(ton) | 品位(%) | 生産水銀量(kg) [ 以下の [注] 参照 ] |
| 1941 | 3,840.0 | ||||
| 1942 | 8,599.0 | ||||
| 1943 | 8,568.0 | ||||
| 1944 | 4,890.0 | ||||
| 1945 | 15.0 | ||||
| 1946 | 7.0 | 1.17 | 4.0 | 1.4 | 78.0 |
| 計 | 26,800.0 |
地質 : 鉱区内は, 図幅地内の黒雲母石英閃緑岩の東縁部に当り, 同岩は優白質斑状黒雲母花崗岩に貫入されている。 また, それらを貫ぬいて半花崗岩質花崗岩が露出する。 鉱山の北東約 2 km に, 石英安山岩(黒雲母を含むことがある)が円頂丘(入谷岳)を形成している。
鉱床 : 鉱床は黒雲母石英閃緑岩をおもな母岩とし, 裂罅を充塡した浅熱水性鉱脈である。 鉱脈は走向は N 40°E で, 50°内外をもって北西に傾斜する。 鉱脈は主脈とそれに平行ないし雁行する [ 以下の [注] 参照 ] 小鉱脈群からなり, そのうちで最大の幅を持つものは 3 mに及んだという。 なお, その大きな鉱脈の延長は走向方向に 70 m, 傾斜方向に 60 m まで認められ, いずれの方向にも膨縮し, 水銀の品位も平均 1~2 % であったとのことである 3) 。
鉱石 : 鉱脈は含辰砂石英脈である。 水銀鉱物としては辰砂がおもで, 自然水銀と准辰砂を少量伴なっている。 その他の鉱物は, 白鉄鉱・黄鉄鉱と 石英・玉髄・蛋白石 ?・絹雲母・カオリン・緑泥石・炭酸塩鉱物等である。 通常, 鉱脈は水銀鉱物の緻密な集合体と, 集合体周辺部の鉱染鉱とからなる。
母岩の変質 : 鉱脈附近では著しい絹雲母化作用・珪化作用と炭酸塩化作用を受けたため, 黒雲母石英閃緑岩が優白質斑状黒雲母花崗岩類似の岩石となっているだけでなく, 白色多孔質, 粘土質岩石となっている。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町藤井地内にあって, 榛原町から宇太町に通ずる県道の西方約 200 m に位置する。
沿革 : 本鉱山は, 岡山県の人藤井重治が, 露頭から掘下って探鉱したのをもって開発の創始とする。 昭和 18 年(1943)に帝国鉱発株式会社の経営に移り, それから大規模な探鉱が始められて, 若干の鉱石を得たという。 しかし昭和 19 年 9 月には休山した。 その後, 昭和 29 年 9 月から現権者藤井重治が旧坑の取明けを続けている。
地質 : 附近には黒雲母石英閃緑岩が広く分布し, 僅かに黒雲母角閃石花崗岩・優白質斑状黒雲母花崗岩が貫入して露出する。 坑内において石英粗面岩様の岩石を認めることがあるが, 変質が著しいので判然としない。
鉱床 : 黒雲母石英閃緑岩と, 一部の石英粗面岩様の岩石との裂罅を充塡した浅熱水性辰砂脈で, 鉱染状の辰砂を伴なう。 鉱脈の幅は数 10 cm 程度までで, 品位は平均 0.2 % 前後の様子である。
坑内図および権者の話によると, 鉱脈は2本認められるという。 両者は交錯して, その主脈は N 20°E~N 10°W 走向で 50°W に傾斜し, 他の1本は走向 N 40~90°E で北に傾斜する。 両者の交叉部で落合直りをつくっていたという。
露頭は旧水平坑坑口にあって, 走向 N ‒ S で 50°W に傾斜し, 辰砂が粘土脈中に散在するものである。
母岩は粘土化作用と, 珪化作用および若干の緑泥石化作用とによって変質している。
奈良水銀鉱山の斜坑口南方約 150 m の人家の傍に旧坑がある。 北に 40°をもって掘下っているが, 現在は 4 m で水没している。 これは昭和 6 年(1931)に開坑され, 約1年間稼行したものであり, 50 尺掘下って, その間に若干の水銀を簡易レトルトによって得たという。 また, 鉱床は大和水銀と同様な雁行性裂罅充塡型辰砂脈で, 走向 N 80~90°E, 傾斜 50~60°N であったらしい。 母岩は黒雲母石英閃緑岩で, 粘土化・炭酸塩化・珪化等の変質作用を蒙っている。
位置 : 奈良県宇陀郡宇賀志村東郷地内にあって, 宇陀川畔に位置する。
沿革 : 昭和 17 年(1942)から約3年間にわたって探鉱された。 主として本坑(斜坑)によって探鉱されたが, 一部草ノ谷に残る旧坑も掘進したようである。 いずれもみるべき生産もなくして, 終戦以来休山している。 現在, 坑道は水没し, 施設も残っていない。
地質 : 鉱床の母岩は, 黒雲母石英閃緑岩および優白質斑状黒雲母花崗岩で, そのなかに半花崗岩質花崗岩が貫入している。
鉱床 : 鉱床は本坑においては走向 E ‒ W で, 傾斜N 35°の裂罅に沿って, 胚胎した鉱染状部を伴なう鉱脈であり, 傾斜延長約 40 m を示す。 その部分は珪化作用と炭酸塩化作用が著しい。
草ノ谷斜坑の坑口に露頭があって, 走向 N 65°E で 20°N に傾斜する。 傾斜延長は約 30 m である。 この鉱脈は, 約 25 cm の粘土化部を挾んで上下2本にわかれて存在するものであるが, ともに富鉱部は認められていない。
位置 : 奈良県宇陀郡宇太町向崎地内にあって, 古市場市街地の南の谷間に位置する。
沿革 : 現在みられる水没竪坑と, その北西の埋没斜坑とは, 昭和 18 年(1943)10 月から 昭和 23 年(1948)まで断続して探鉱されたものであるが, 現在は休出中である。
竪坑は 15 m 掘下り, それより水平に南へ 50 m, 北へ 15 m の𨫤押を行ったものという。 この谷間の砂水銀鉱を採集した以外に, 生産はなかった模様である。
地質・鉱床 : 鉱床は黒雲母石英閃緑岩中にあり, 絹雲母粘土を伴なった含辰砂石英脈である。 その鉱脈は露頭部でほゞ走向 E ‒ W, 南に傾斜し, 坑内では走向 NE ‒ SW, 南東に傾斜していたものである。 鉱脈の辰砂部の最大の幅は 5 cm で, 硫化鉄を附随している。 そのほかに, 谷川の底に砂鉱床として水銀を産し, その品位は 0.7 % に達していたが, 鉱脈では品位万分台であった。
産額は昭和 22 年(1947)に粗鉱 38 t(品位 0.7 %)であった。
位置 : 奈良県磯城郡多武峰村針道地内にあって, 針道部落の北東方尺ケ谷と北方経ケ塚山中腹とに分布している。
沿革 : 本鉱山は, 大正初期(1912 年頃)に開発され, 以来稼行を断続し, 第2次大戦中には現権者原沢福康の所有の下に稼行し, 桜井町で製錬を行っていた。 現在は休山中である。
地質 : 坑外および坑内からの廃石を調査したところでは, 鉱床近傍の地質は黒雲母石英閃緑岩を主とし, 黒雲母角閃石花崗岩および半花崗岩質花崗岩が分布している。
鉱床 : 鉱床は黒雲母石英閃緑岩を母岩とした含辰砂粘土脈で, 白鉄鉱・黄鉄鉱を伴ない, かつ後期の方解石脈に貫ぬかれている。 鉱脈周辺の母岩は一般に変質し, 有色鉱物は緑泥石・菱鉄鉱・絹雲母に, 斜長石はカオリンおよび絹雲母に変化し, 暗灰色玉髄質石英脈がまれに貫入する。
尺ヶ谷の鉱床はかなり開発され, 坑道は相当掘進されている。 そのほとんどが N 80°E の方向を示している。
経ケ塚山中腹の鉱床も尺ヶ谷のものと同性質で7坑準にわたって坑道探鉱され, 鉱脈の走向は N 20~30°E, 60°W に傾斜する。 少なくとも4本の鉱脈を採掘したもので, 見掛上最上部の鉱脈と最下部の鉱脈は垂直差 30 m を有する。
多武峰鉱山の生産量は第 3 表の通りである。
| 歴年 | 1927 | 1928 | 1929 | 1930 | 1931 | 1932 | 1933 | 1934 | 1935 | 1936 | 1937 | 1938 |
| 生産水銀量(kg) | 不明 | 5.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 48.0 | 122.0 | 約 200.0 | 168.0 |
| 歴年 | 1939 | 1940 | 1941 | 1942 | 1943 | 1944 | 1945 | 1946 | 1947 | 1948 | 1949 | 計 |
| 生産水銀量(kg) | 約 200.0 | 約 400.0 | 205.0 | 104.0 | 519.0 | 64.0 | 27.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 約 2,062.0 |
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町黒木地内にあって, 松山南西約 3 km の冲積層中に位置する。
沿革 : 第2次大戦中に五條の人, 小松兼松の探鉱に始まり, 終戦まで続行し以後休山している。 大斜坑1と水平坑1を留めている。
地質・鉱床 : 坑道がすべて荒廃, 埋没しているため, 詳細は不明である。 附近には黒雲母石英閃緑岩が広く露出し, 鉱床はこれを母岩とする裂罅充塡石英脈および粘土脈であり, おそらく雁行性鉱脈であろう。
出鉱量に関しては詳らかでないが, ほとんどなかったようである。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町大東地内に位置し, その東丘陵および宇陀川畔に分布する。
沿革 : 昭和 11 年(1936)6 月に露頭が発見されてから, 第2次大戦中を通じて五篠の人, 小松兼松によって稼行されたが, 終戦とともに休止して現在に及んでいる。
地質・鉱床 : 附近には主として黒雲母花崗岩が露出し, その間に多数の半花崗岩と半花崗岩質黒雲母花崗岩とが貫入している。
鉱床は含辰砂粘土脈および石英脈で, 黒雲母花崗岩を母岩とする。 辰砂は主として鉱染状を呈する。 なお, 諸処に露頭と思われる粘土脈を認める。
若干の産出をみ, それを神生鉱山の鉱石と合わせて大東に設置した電気レトルトによって製錬したという。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町栗野および宇太町守道地内に位置し, 一帯に旧坑が散在する。
沿革 : 関戸峠南南東約 2 km の谷合に開坑した大蔵坑は, 大宇陀町松山の人, 高谷亀吉らの開発したもので, 昭和 17 年(1942)末から 18 年半ばまで探鉱され, 辰砂と輝安鉱を伴なう石英脈に逢着したものである。 しかし, 予定富鉱部には逢着せず, 守道地内の守道坑に切換えて若干の富鉱体を得たが, その量の少ないまま終戦で休山した。
地質・鉱床 : 坑道はすべて崩壊し, 詳しい鉱床の産状は掴めないが, 少なくとも5本の坑口を認める。 いずれも黒雲母花崗岩中を掘進している。 諸処に貫入する半花崗岩等の岩脈と鉱床との関係は不明である。 露頭と考えられる粘土脈は附近一帯に散在する。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町岩清水地内の国道北方約 500 m に位置し, 二軒家の上と下に各1本の坑道が N 70°E の方向に開坑されている。
地質・鉱床 : 鉱床は浅熱水性石英および粘土脈であったらしく, 廃石中に絹雲母・カオリン・玉髄等を認めるが, 辰砂を発見することはできなかった。 坑道の掘進方向を𨫤の方向とみれば, 鉱脈は N 70~80°E 走向であるらしい。 黒雲母石英閃緑岩を母岩とする。
位置 : 岩清水神社のすぐ西傍に, 旧帝国鉱発株式会社によって開坑された大斜坑口がある。
沿革 : 第2次大戦中, 北西方向に向け 45°の傾斜をもって掘進されたが, 着脈せずして休山した。
地質・鉱床 : 附近は広く分布する黒雲母石英閃緑岩と, これを貫ぬく黒雲母角閃石花崗岩および黒雲母花崗岩とで構成されている。 一般に粘土化作用が著しい。 斜坑口上部にある露頭と思われる縞状粘土脈には, 辰砂を認めることができない。 しかし神社境内とその下の国道端とには, 鉱石の大転石を認める。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町谷脇地内の丘陵上部にある。
地質・鉱床 : かつて旧帝国鉱発株式会社によって開発された斜坑である。 坑道は完全に埋没し, 情況は不明な点が多いが, 母岩は黒雲母石英閃緑岩である。 廃石中に少量の辰砂を認めることができ, 鉱床は若干の辰砂を伴なった石英脈であろう。 低品位であったために, 開発は短期間で終止したといわれている。
位置 : 奈良県磯城郡多武峰村飯盛塚部落の南東の谷奥に位置する。
沿革 : 詳らかでない。
地質・鉱床 : 附近には黒雲母石英閃緑岩と黒雲母角閃石花崗岩とが繰返し露出し, 鉱床の母岩は前者である。
坑道は2本あって, 1つは N 50°E, 他は E ‒ W に掘進し, その間は約 20 m 離れている。
鉱床は裂罅充塡鉱脈で, 母岩中に粘土脈と方解石脈とを形成し, そのなかに辰砂がビリ状~鉱染状に散在する。 そのほかの部分には辰砂を認め得ない。 脈幅は最大 15 cm で, 鉱脈は白鉄鉱・黄鉄鉱を伴なう。 玉髄は認められない。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町上宮奥と, 同県磯城郡多武峰村針道との境界附近にあって, 松山の西南西約 6 km の大峠東側に位置する。
沿革 : 数本の坑口を認めるが, すべて荒廃し, 沿革・採掘状況等は詳らかではない。
地質 : 附近には 黒雲母石英閃緑岩・ 黒雲母角閃石花崗岩および半花崗岩質黒雲母花崗岩が分布し, 坑口の多くは 花崗岩質黒雲母花崗岩との境界に近いところの黒雲母石英閃緑岩中に位置する。
廃石中にみられるところでは, 絹雲母粘土中に辰砂と黄鉄鉱が散在している。 したがって, 鉱床は含辰砂黄鉄鉱粘土脈であると考える。 坑道が𨫤押したものとすれば, 鉱脈の走向は E ‒ W となる。
位置 : 奈良県磯城郡多武峰村音羽地内にあって, 音羽山観音寺越えの峠から東に約 300 m の道路端に位置する。
地質・鉱床 : 附近には東側の黒雲母石英閃緑岩と, その両側に広く分布する黒雲母角閃石花崗岩があって, 両岩は交錯して露出する。 鉱床は両者を母岩とするらしい裂罅充塡粘土脈で, ほゞ純粋な白色粘土を主とし, 水銀鉱物は少ない。 母岩は著しい粘土化, 緑泥石化および黄鉄鉱化等の変質作用を蒙っている。
坑道は東西2本あって, 東のものは方向 N 20°W, 60°S の斜坑であり, それから少し離れた西のものは, 東に向かっての水平坑であって, 両者は交叉している模様である。 両坑とも𨫤押をしたもので, 鉱脈は走向が E ‒ W で, 南に 60°傾斜している。
位置 : 奈良県磯城郡多武峰村字八井内から針道へ約 400 m 入った沢の左岸に, かつて日本水銀鉱山によって開発された旧坑がある。
地質・鉱床 : 坑道がすでに荒廃し, 詳細を知ることは難しいが, 露頭は現在の坑口から西 15 m にある。 坑道は 15 m 掘進されて含辰砂粘土脈(走向 N 15°W, 傾斜 80°NE)に逢着し, その間, 2 m と 8 m 附近にも辰砂を発見している。 それぞれを𨫤押したが, 低品位であったという 13) 。
鉱床生成に関連して, 母岩である黒雲母石英閃緑岩は, 著しい炭酸塩化作用と高陵土化作用とを蒙っている。
なお, 半花崗岩質岩脈が母岩を貫ぬき, その節理に沿っても辰砂が細脈, ないし箔状に散在していたという 13) 。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町本郷の本郷川右岸に旧坑が2本存在する。
沿革 : 第2次大戦中, 旧帝国鉱発株式会社の手によって探鉱され, 終戦時に放棄されたものである。
地質・鉱床 : 附近の岩石は主として黒雲母石英閃緑岩で, そのなかに優白質斑状黒雲母花崗岩および半花崗岩質花崗岩が貫入する。 2本の坑道のうち, 1つは斜坑で N 60°W 方向で 45°NW に傾斜する。 他の1つは竪坑で, ともに水没している。 これら坑道は, 斜坑口にある粘土脈を追跡したものと思われる。 廃石中に辰砂を認めることはできなかったし, 母岩の変質も軽度である。
前述の各水銀鉱床には, 随伴鉱物として少量の輝安鉱を伴なうものもあるが, 稼行しうるものはほとんどない。
本図幅地内では, 下記の神戸鉱山は比較的まとまったアンチモニー鉱を産出した。
位置 : 奈良県宇陀郡大宇陀町本郷字大西にあって, 松山の西約 3.5 km に位置し, 山元まで小型トラックを通ずる。
沿革 : 昭和 8 年(1933)日窒鉱業株式会社が粘土採掘の目的をもって事業を開始し, 昭和 10 年(1935)2 月から, ぞうが谷含銀輝安鉱鉱脈を, 併せ採掘したものである。 その後, 昭和鉱業株式会社・大和アンチモン鉱業株式会社と引継がれ, 昭和 26 年(1951)来休山している。
戦時中は 15~20 t / 月の水選白土としての絹雲母を産した。 アンチモニー鉱 : 塊 513.0 t, Sb 40 %, 粉鉱 88.0 t, Sb 6.1 % を昭和 22 年(1947)に産出している。
地質 : 附近には, 主として黒雲母石英閃緑岩が, 広く露出し, 他に斑粝岩・半花崗岩を認める。
鉱床 : 裂罅充塡鉱脈で, 輝安鉱・石英・方解石・絹雲母などからなり, 辰砂を少しく含む。 鉱石には粘度質のものと石英質のものとがある。
主要な鉱脈の走向は, NE ‒ SW 系のものと, E ‒ W 系のものとがあり, いずれも南に傾斜する。 粘土質脈は主として絹雲母粘土からなり, その幅は 0.7~5.0 m の間で膨縮し, 平均の幅は 1.5~3.0 m 程度であって, 露頭下部 100 m まで知られている。 ぞうが谷坑では 銀品位 250 g / t を含む 1.5~4.5 m 幅の輝安鉱・石英脈をおもに採集した。
鉱石 : 輝安鉱のほかにその2次鉱物として, 紅安鉱が含まれ, 黄鉄鉱・白鉄鉱・硫砒鉄鉱・閃亜鉛鉱・辰砂を随伴する。 輝安鉱はおもに細粒状で点在したが, 時に大きさ 0.5~1.5 cm の, 針状結晶をも産した。
Sb 20 % の粗鉱を得たこともあると伝えられるが, 平均 Sb 2~3 % である。
位置 : この旧坑は, 奈良県吉野郡竜門村字三津の八王寺神社対岸の河畔に開坑している。
沿革 : 附近一帯は大正初期から断続して探鉱されてきたものであり, 第2次大戦中にも掘進された。
地質・鉱床 : 旧坑附近の地質は主として黒雲母石英閃緑岩であり, 黒雲母角閃石花崗岩が貫入している。
鉱床は粘土を伴なう輝安鉱辰砂黄鉄鉱石英脈であって, 角閃石黒雲母花崗岩を主要な母岩としている。 富鉱体を発見するには到らぬまま放棄したものである。
坑道は坑口から 4 m で𨫤押と竪入に分かれている。
若干の鉱石を得たというが詳らかではない。
粘土採集を目的に稼行された鉱床は, アンチモニーの項に記載した神戸鉱山を主要なものとする。 そのほかに, 水銀鉱床のなかには, 水銀鉱の生成に関係ある熱水変質作用によって生成された 絹雲母粘土を多量に産するものがある。 水銀鉱床でとくに多くの粘土を伴なうものは, 大峠旧坑・音羽旧坑・飯盛塚水銀・黒木水銀・藤井水銀・新羅貴水銀等の諸鉱床である。
神戸鉱山(アンチモニーの項参照): 神戸鉱山の粘土𨫤は, 走向 E ‒ W で南に 70°傾斜するものが主脈であって, 幅 15 m を越えることがあるが, 平均の幅は 13 m である。 走向延長は 100 m 以上あり, かつ, 上下に約 60 m 続いたという。
粘土は絹雲母で, 母岩との間は比較的明瞭な境界を有し, 境界部には母岩と絹雲母とが, それぞれをレンズ状に混入している。 これら粘土鉱をおもに産出したのは, すでに埋没している一坑・四坑・六坑であった。 品位は最良値 50 % 以上, 平均 40 % で, 粒子は比較的細かく, 全体として本邦に産するもののうちでは微細なものの1つである 6) 。
内帯の深成岩類は風化作用に対して弱いので, 石材として余り利用されていない。 室生火山岩類の一部である石英安山岩は昔時から「 榛原石 」とよばれて, 現今まで石材として活用されている。 図幅地内の榛原石は, 現在では採石されていない。
奈良県宇陀郡内ノ牧村の入谷岳の北麓および西斜面には, 昔盛んに石英安山岩類を石材として採掘した跡がある。 なお, 奈良県高市郡高取町南妙法寺において, 昔時(明治時代)黒雲母角閃石花崗岩を石材として長期間採取していたが, 現在は北方・飛鳥・下高家などで少量採石されているに過ぎない。
吉野郡吉野町の吉水神社東側の谷底には, 炭酸含有炭酸鉄泉が湧出している。 重炭酸亜酸化鉄・遊離炭酸を含有しているといわれる。 湧出箇所は1つで, 量もきわめて少ない。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Kyōto, No. 75
By KEN HIRAYAMA & FUMIO KISHIMOTO (Written in 1956)
The Yoshinoyama sheet covers an area lying in the northern part of central Kii peninsula.
The physiographical features of the mountains and river valleys in this area have been determined either by the relative resistibility of the rocks to the denuding agencies or by the tectonic movements.
The area is topographically divided into two parts by the structural valley running the middle part in a latitudinal direction.
The southern part of this area is occupied by the northern extension of high mountain range which started from central Kii peninsular. Mt. Shiraya (1,117m) is the highest ridge in this area. Northern slope of this mountaineous land inclined gently to the structural valley.
The northern half is constructed from the hilly land at an elevation of 750 m maximum, and the surrounding of the land is fringed by terraces and plains.
The river Yoshino flows from SE corner of this area and meandered to NW direction in which the river runs through a transvers valley. At Kamiichi-machi, the course of the Yoshino river changes the direction to N 70°E and flows straight forming a longitudinal valley. This valley is a structural valley already mentioned, and developed along the Median tectonic line, although major parts of the structural valley are now covered by the deposits of later age. The eastern part of this valley is narrow in width and fault-line scarp is well preserved especially in the region between Kona-pass and Washika, Ogawa-village.
Geologically, the highest range of the southern part is consisted of Paleozoic strata, trending NE - SW, and dipping to NW gently. In general, this area is being called under the name of Chichibu terrain and strata are being called Chichibu system. The strata bordered on the metamorphic rocks by a fault, called the Mikabu tectonic line. This line is a reverse fault trending NE - SW and inclining 40~60°to NW. The area comprised of the metamorphic rocks is being called Nagatoro terrain and the rocks themselves are Nagatoro metamorphic rocks. The Nagatoro metamorphic rocks are chiefly composed of phyllites and crystalline schists, which are assumed to be the regionally metamorphosed facies of Paleozoic strata and the basic igneous rocks intruded into the Paleozoic strata. The age of the metamorphism is not clearly decided (post-Paleozoic-pre-middle Cretaceous). These metamorphic rocks widely distribute in an arc structure dipping NW in the western half and NE in the east.
In these metamorphic rocks, there develope small dykes and masses of acidic~basic igneous rocks and ultrabasic intrusives. The acidic rocks are dyke-formed biotite-quartz andesite and are exposed in the northern part of the metamorphic region. The age of these dykes is not cleared up. The basic ones exposed in the middle part of the metamorphic region are now partly represented by metadiabase and serpentinite, showing their long axes roughly parallel to the regional strike of the country rocks. It may probably be assumed that the intrusion of these basic and ultrabasic masses is same with or after the metamorphism of the country rocks in age.
Beyond the Median tectonic line, near the northeastern corner of the sheet, some metamorphic rocks, such as gneissose granites, are found. These rocks may be produced by granitization of Paleozoic strata. These parts are called Ryōke metamorphic rocks in general. Around these metamorphic rocks, many kinds of granitic rocks occupy the wide area of northern half of the sheet. Ages of the granitization which have resulted these metamorphic rocks and of the granitic rocks are not yet decided. Judging from the available facts in other areas, the ages are presumed between upper Paleozoic and Cretaceous. The rocks found at the southern periphery of the granitic region are mylonitized by tectonic movement of later age. Between the mylonitic rocks and Nagatoro metamorphic rocks, there are some sedimentary rocks, so-called Izumi group of Late Cretaceous age. The group exposed in a narrow zone of E-W direction is sandwiched between two faults. The fault of the southern limit is the Median tectonic line as already described, and the fault of the northern limit borders on the granitic rocks. Along the northern boundary, the rocks of this group are also mylonitized together with the marginal part of granitic rocks. This mylonitization is thought to have caused by the fault between them. Overlying the gneissose and granitic rocks at the northeastern corner of the sheet, some biotite-quartz andesitic lavas are exposed. The age of the eruption of these rocks is not known.
Covering the Izumi group and the northern part of the Nagatoro metamorphic rocks Plio-Pleistocene deposits (Oyodo formation and Ryūmon formation) are found. At the northern boundary of the Oyodo formation, a thrust fault is observed as a resultant of latest tectonic movement. Consequently juding from the relations between these five kind of rocks (Nagatoro metamorphic rocks, plutonic rocks, mylonitic rocks, Izumi group, Oyodo formation) there can be presumed at least four stages of tectonic movements in the middle part of this area. From the older they are summarized as follows :
These movements resulted the faults in a narrow zone of 3 km wide, and almost parallel in the direction of E - W. Considering from available facts, they will be decided that the times of these movements are between upper Paleozoic and Pliocene.
Paleozoic strata, belonging to Chichibu system, have their strike in N 65~75°W and dip in less than 35°to N. Kinds of rocks are chiefly clayslate, chert and schalstein accompanying with small quantities of sandstone and limestone. Thickness of these strata reaches more than 3,000 m. Schalstein makes intercalated beds with clayslate. Generally, schalstein is soft and contained many irregular shaped volcanic rocks showing a characteristic texture of tuffaceous origin. But in some parts, the rock is hard and compact and have many common augite crystals. This part is presumed to have been some augite bearing dolerite. But it is not clear whether this rock was sheet or the captive in the tuffaceous bed.
Nagatoro metamorphic rocks include the rock-series from slightly metamorphosed rocks to coarse-grained typical crystalline schists. In any case these rocks are supposed to be regionally metamorphosed Paleozoic strata, caused by the conditions of high pressure and low temperature. The grade of metamorphism is not beyond the chlorite facies, even in the typical crystalline schists. As no organic remains have been found in this area, the stratigraphical position of these metamorphic rocks are not yet clearly defined. Southern and middle parts (called Yoshinoyama zone) are occupied chiefly by the argillo-siliceous phyllitic rocks, fine-grained schist, interbedding thin layers of green semischists. At the middle, bedded deposits of cupriferous pyrite are occurred as elongated lenses. In northern part (called Kamiichi zone), basic schists and argillo-siliceous schists are dominant and both are characterized by spots of ovoid albite-porphyloblasts. Kamiichi zone is bordered on the another by a fault running to southwest in N 70°E direction from Mittyaya, Nakaryūmon village, Yoshino District.
The main members of the Nagatoro metamorphic rocks are classified as follows :
The rocks of these two zones are identified by the difference of metamorphic grade and by the presence of spots (albite-porphyroblast). The spots are 0.2~0.8 mm in diameter, including graphite in bands, small crystals of epidote, titanite, actinolite, etc. These inclusions are arranged mostly parallel to the schistosity, though sometimes, in curved rows indicating rotations of the spots.
The northern half of the mapped area is mainly occupied by the metamorphic rocks, plutonic rocks and mylonitic rocks.
Lithologically, they are gneissose granite, tonalite, biotite-hornblende granite, felsic porphyritic biotite granite, medium-grained biotite granite, gabbro, aplitic granite, and mylonitic rocks. The mylonitic rocks showing zonal distribution are developed in the limitted area of southern part of the granitic region.
The relations between the gneissose rock the granitic rocks and the age of their formation are not yet clearly decided. Mylonitic rocks are the derivatives of above mentioned granitic rocks caused by the tectonic movements of later age.
Izumi group (Late Cretaceous) crops out in narrow zone trending E - W along the northern side of the Median tectonic line. The northern boundary of the group is also a fault bordered on the mylonitic rocks. As the location of the group is just in the tectonic zone, the structure of the group is complicated, and northern part of the group is mylonitized. Lithologically, the group is chiefly composed of conglomerate, subordinating shale and sandstone. No fossils are found in this area.
Volcanic rocks are scattered in the mapped area as lave flows and dykes. Lithologically they are biotite-quartz andesite and lithoidite.
Along the both sides of the structural valley, Plio-Pleistocene deposit is exposed in patches covering the rocks above mentioned. The lower part is called Oyodo formation, and the upper, Ryūmon formation. Lithologically both parts are composed of clay, gravel and sand. In the Oyodo formation, lignite seams are partly intercalated and some organic remains are found. Oyodo formation in the western part is thrusted up by Izumi group. So it is evident that the tectonic movement along the structural valley was repeated in Plio-Pleistocene.
Pleistocene deposits composed of sand, gravel and clay are occurred as terraces along the river Yoshino and along the submontane of the northern hills. Wide alluvial plain composed of alluvial materials is extended in the northwestern part of the area.
Copper Ore : Some cupriferous pyrite deposits of bedded form (Kieslager), named Mio, Kyōsei, Toumbo mine are found in the Yoshinoyama zone of the Nagatoro metamorphic rocks. Ore bodies of lens form are embedded in the basic schist, generally parallel to the schistosity.
The scale is rather small, 30 cm in thickness at Mio mine which is the largest in this area.
Ore is massive, fine-grained and generally associated with banded ore. Principal ore having quartz, magnetite as gangues is cupriferous pyrite, mixed with chalcopyrite, bornite and native copper. Copper content of the ore is 3.5 %, and sulphur, 35 % in average.
Mercury ore : Many small mines are developed in the granitic region of this sheet. All are the fissure filling type of hydrothermal deposits. Ore is composed chiefly of cinnabar, associated with native mercury, marcasite, chalcopyrite and stibnite. The wall rock alteration caused by the invasion of hydrothermal solution is so intensive that sericite, kaolin, carbonate and opal are produced.
Names of mine are listed below:
In some mines, Stibunite has been worked in small scale.
昭和 32 年 8 月 5 日印刷 昭和 32 年 8 月 10 日発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所