11048_1954
5万分の1地質図幅説明書
(京都 第48号)
通商産業技官 斎藤正次
通商産業技官 礒見博
地質調査所
昭和 29 年
目次 I. 地形 II. 地質 II.1 概説 II.2 各説 II.2.1 結晶片岩類 II.2.2 秩父古生層 II.2.3 結晶片岩類と秩父古生層との関係 II.2.4 輝緑岩および斑粝岩 II.2.5 橄欖岩および蛇紋岩 II.2.6 中生界ないし古第三系 II.2.7 新第三系 II.2.8 赤石裂線および光明断層 II.2.9 第四系 III. 応用地質 III.1 含銅硫化鉄 III.1.1 峯ノ沢鉱山 III.1.2 その他の鉱床 III.2 マンガン III.3 滑石 III.4 珪石 III.5 石灰岩 III.6 ベントナイト III.7 地辷りおよび山崩れ 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書
(京都 第48号)
図幅西半部の結晶片岩類・古生層等の地域は斎藤が, 東半部の中生界・第三系等の地域は礒見が, それぞれ分担して調査した。 なお本所の上村不二雄・松井和典の両名が 短期間づつ斎藤に同行して野外調査を補助した。 図幅南部の第三系に関しては, 京都大学の槇山次郎教授の調査による未発表資料を利用させていただくことができた。
この地域は静岡県の西部にあって, 赤石山地の南縁部を占める。 山地は図幅北部では海抜約 900 m に達し, 南へ次第に低く, 図幅南部では海抜 300 m 内外となり, 次いで遠江平野に臨む丘陵に終っている。 南部の低山地の部分を除くと, 山地は多くの谷で深く刻まれて, 斜面は急傾斜を呈することが多い。 しかし, 山頂部は起伏が著しくなく, 長く続く山稜を作る傾向がある。 図幅内で標高が最も高いのは秋葉山であるが, これも上述の山稜の一部であって, 周囲より特に秀でているものではない。 これらのことからみて, この地方は一度平坦化された後に隆起し, 現在の壮年期地形は, その後の削剥作用によって主として形成されたものと思われる。 なお山稜や河谷の走る方向が, そこに分布する岩層の走向や構造線等の地質状態と一致している場合が多く, このことも現地形が主として侵蝕によって生じたことに関連があると思われる。
図幅内の大河川である天竜川とその支流 気田 川とは, 両岸に特に急な斜面を伴ない, 穿入曲流(entrenched meandering)の性質を示し, これらの流路は地質と無関係な点もある。 しかし, 天竜川は結晶片岩類の東限を作る南北断層の近くを辿り, かつ結晶片岩類の地帯から逸脱することがないので, その流路は大綱においては地質によって支配されているといえよう。 また気田川は図幅内では横谷を作っているが, 図幅の北縁部から北隣図幅にかけては, 気田附近を南北に走る断層によって, 流路が明瞭に決定づけられている。
地質学上の西南日本の内・外帯を境する中央(構造)線は, 図幅の北西隅外の数 km の近くを, ほゞ NE–SW の方向に走っている。 図幅地域の大部分は, 西南日本外帯の他の地方にみられると同様な古期岩層, すなわち結晶片岩類, 秩父古生層, 四国の四万十川累層群に相当する 犬居 ・ 光明 ・ 三倉 ・伏間等の主として中生代, 一部は古第三紀と思われる諸層群, および塩基性ないし超塩基性の変質火成岩類によって構成される。
これらの古期岩層の地質構造は, 西南日本外帯に特有な帯状構造を基本的には示している。 しかし, この地方では, 後に生じた顕著な構造線によって, 著しく地塊化されているのが特徴といえる。 そして, それぞれの地塊は別個の岩層で構成されていることが多い。
天竜川の東に, 赤石裂線と呼ばれる著名な構造線が南北に走っていて, これから西側には結晶片岩類と秩父古生層とが, 東側には中生代の諸層群が主として分布する。 赤石裂線より西側の地域では, 図幅南西部において, 北西から南東に流れる阿多古川の附近を境にして, 両側の地帯で結晶片岩類の岩相および構造にかなりの相違がある。 赤石裂線より東側の地域では, 気田川上流から南下し, 赤石裂線とほゞ並走する光明断層と呼ばれる顕著な構造線があって, これを境にして, 西側地帯は光明層群, 東側地帯は犬居および三倉層群によって, 主として構成される。
古期岩層の走向には, ほゞ ENE–WSW と, ほゞ N–S との2方向性が認められ, 前者は上述の4地帯のうち阿多古川以西の地帯および光明断層以東の地帯に, 後者は赤石裂線を挾んで図幅中央を占める2地帯にみられる。 前者はこの地方以西の西南日本外帯に, 後者はこれより北東のいわゆる赤石楔状地の特に北半部において, それぞれ支配的な方向性である。 この両方向性がこの地方において交錯することや, 赤石裂線や光明断層のような大きな南北断層が走ることは, 西南日本外帯のうち, フォッサマグナに近いこの地方の地質構造上の特異性といえよう。
図幅南縁の丘陵地には, 中新世の 二俣 ・ 大平 ・ 家田 および 倉真 層群, 鮮新世の 大日 砂岩層等を含む新第三系ならびに更新世の新旧の礫層がみられる。 新第三系は, 図幅外南東方の大井川下流あるいは掛川町地方に模式的に発達するものの 西縁部に当る。 更新世の礫層は, 掛川地方あるいは図幅南西方の三方原等に広く発達するものの続きである。 赤石裂線および光明断層は, この丘陵地附近で多くの断層に分岐して, 楔形の二俣地塊および 万瀬 地溝をそれぞれ抱き, 新第三系の分布は, これによって支配されている。 たゞし鮮新統およびそれ以後の地層は, 断層に影響されることなく, これらを覆蔽している。
赤石裂線以西の結晶片岩類の地域は, 図幅の南西部の阿多古川の谷をほゞ境にして, 北東・南西の両地帯に分かれる。 両地帯ともに, 北西の図幅外において中央線で断たれる。 中央線は両地帯が接合する附近において, その方向が北々東から東北東に彎曲している。
阿多古川より北東の地帯は, 当図幅の結晶片岩類地域の大部分を占め, さらに北隣図幅に及ぶ。 この地帯では, 岩層はほゞ南北に延びた帯状構造を示し, 詳しくは, 岩層の走向はほゞ北隣図幅内では中央線と並行した NNE–SSW, ほゞ当図幅内では阿多古川の谷に並行した NNW–SSE の方向をとり, 全体として西に突出した弧状を呈する。 傾斜は主として西である。 この地帯を構成する岩石には, 比較的著しく変成された結晶片岩が多く, ことに西部では変成が著しく, 点紋片岩等も現われる。 たゞし, 走向に沿って南部に至ると変成の著しくない千枚岩が多くなる。
阿多古川より南西の地帯は, 西隣の三河大野図幅内に連続しそこで広範囲を占めている。 そこでは岩層は東北東に延びた帯状構造を示す。 傾斜は一定しないが, 北のことが多い。 北部には, 比較的著しく変成された結晶片岩が分布するが, 主要部では千枚岩が多く, さらに南へは非変成の古生層に連なる。 なお, 中央以南には, 変質輝緑岩や蛇紋岩がしばしば現われる。 秋葉山図幅では, この地帯の東端部が僅かに現われ, かつ小地塊に分断され, あるいは岩層の方向性が屈曲して構造が乱れている。
結晶片岩類の上記両地帯全体を秋葉山・三河大野両図幅を通じて比較すると, 岩石の片理の傾斜が, それぞれ概して西と北との相違はあるが, いずれも中央線に向う点で一致する。 岩石の変成は, 両地帯ともに中央線に近い見掛上の上部で概して著しく, そして, 北東地帯の見掛上の下部と南西地帯の見掛上の上部とに やゝ似た変成相が認められるが [ 後述する「II.2.1.3 竜山帯」と「II.2.1.4 舟着帯」の章を参照のこと ] , 全体としては北東地帯の方が南西地帯よりも変成が著しい。 西南日本のうち, 例えば四国等のような, 結晶片岩類の帯状構造が規則正しい所と較べると, 岩相の全般からみて, その北側の部分にこの図幅の地方の北東地帯, 南側の部分に南西地帯がそれぞれ該当する。 以上のことからみて, 北東地帯ではその東側に連続して現われるはずの南西地帯に相当するものと, 非変成古生層との大部分を, 赤石裂線によって欠除して, 四国の四万十川累層群に相当する中生界と直接し, 南西地帯ではその北側に現われるはずの北東地帯に相当するものの大部分を, 中央線によって欠除した様相を示している。
北東・南西の両地帯は広くみると構造上離反しているので, 互いに構造線をもって接合すると予想される。 たゞし, 両地帯が接する阿多古川附近では, 南西地帯の東端が, 全体的にみて, その岩層の方向性を南東に彎曲している結果, 両地帯の構造が部分的に一致した様子を呈する。 そして, この間に特に著しい構造線の存在を野外では未だ確めていない。
阿多古川より北東の地帯は, そのほゞ中央を南北に走る断層によって, 西側の阿多古帯と東側の 竜山 帯とに分けられる。 また南西の地帯は西隣図幅にみられる帯状構造に従って, 北から 舟着 ・ 鎮玉 および石神帯に分けられ, これらの構造的に分けられた各帯を構成する岩相には多少の差異がある。 変成が比較的著しい見掛上の上位から順次に各帯につき記述する。
阿多古帯は, 点紋片岩を含む等この地方では変成の最も著しい結晶片岩からおもに構成される。 たゞ南部では千枚岩質のものが多い。 岩層の走向は N–S ないし NNE–SSW あるいは NNW–SSE, 傾斜は 20~50°W のことが多い。 点紋片岩が発達している附近では傾斜は一般に緩くて浪打ち, かつ方向も部分的には変化する。
阿多古帯に現われる岩層は見掛上の上・中・下部の3岩帯におおむね分けられる。 たゞしこれらは層序的の意味をもつものではなくて, 変成相の相違によって区分されるものであり, これらの境では岩相は漸移する。
上部岩帯は図幅の北西隅にみられ, おもに黒色片岩からなる。 この岩帯の黒色片岩は石墨および絹雲母の光沢が強いのを特徴とし, またやゝ珪質のこともある。 微弱な点紋を持つものもあるが, 多くは無点紋である。
中部岩帯は, 図幅北西部において, 白倉附近および沢丸以南の両地区に分れて分布する。 両地区は倉野附近を東北東に走る断層によって相対的に転位した関係にある。 この断層は特に倉野以西で地形にも明瞭に現われ, また沢丸の西のトンネルの入口では断層角礫を露呈している。 この中部岩帯は点紋片岩および石英片岩によって特徴づけられ, 無点紋片岩を併せ含み, これらが繰り返すものからなる。 これらの各岩石の分布は, 概観した場合には, 岩石の片理面によって示される方向性に一致して延びている傾向がある。 なお紅簾石片岩を少しく含む。
点紋片岩には緑色片岩と黒色片岩とがあり, 両者は細かに互層する。 緑色片岩の岩種としては, 点紋陽起石緑簾石緑泥石片岩・ 点紋緑簾石緑泥石片岩・ 点紋緑簾石方解石緑泥石片岩等がある。 一部では緑簾石の代りに斜黝簾石が含まれる。 輝石や普通角閃石は通常含まれない。 黒色片岩は点紋石墨石英片岩ないし点紋絹雲母石英片岩である。 また緑色・黒色片岩の中間の例えば点紋絹雲母緑泥石石英片岩等もある。 上記の各岩の点紋は曹長石からなる肉眼的な杏仁状の斑状変晶である。 点紋は包有物(inclusion)に富み, 緑色片岩のものは斜黝簾石・陽起石・紅簾石・鉄鉱物等, 黒色片岩のものは炭質物・柘榴石・緑簾石等の微晶を包有する。 稀には, 緑色片岩の点紋の包有物が, 黒色片岩の点紋中に観られる種類の鉱物であることもある。 緑色片岩には, 点紋曹長石とは異なる斜長石が散在することがあり, この種のものは形が角張り, 集片双晶をなし, 曹長石よりも高い屈折率を示し, 包有物を欠く。
石英片岩は堅硬である。 おもに石英の微晶からなるが, 炭質物・絹雲母等をもかなり含み, おもに砂質岩から変成されたものと思われる。
無点紋片岩は阿多古帯の他の岩帯中のものと性質が特に違わない。
紅簾石片岩は点紋緑色片岩や石英片岩中に数 10 cm 以下の厚さで介在し, 長く続かない。 地質図に示した露出のほかに, この岩帯の所々に転石がみられる。 岩石は有点紋または無点紋の紅簾石石英片岩ないし紅簾石絹雲母石英片岩である。
下部岩帯のうち, 中部岩帯に接する鴨野・笹敷附近には珪質黒色片岩がおもに分布する。 珪質黒色片岩は 石墨・絹雲母の光沢の強い部分と石英質の部分とが細かい縞を作るものからなる。 点紋は笹敷の東の峠東斜面の露出で微かに認められたが, 一般には生じていない。 この岩帯では珪質黒色片岩の片理が微摺曲をしていることが多く, これが著しいものでは片理が束状になり, 風化によって岩石が崩れる際に葉片状にならずに棒状の砕片を生じる。 かようなものは笹敷東方の稜線附近に多く観られる。 この岩帯には砂質岩源の片岩も少しく現われる。 この種のものは, 砂岩構造をほとんど失っているが, 淡色で片理が粗いことによって, 一般の泥質岩源のものと見分けられる。
砂質岩源の片岩を検鏡すると, 石英はまったく細粒化されており, これに塡められて, 集片双晶を営む斜長石の破砕された結晶が散在するのがみられる。
天竜川近くの 両島 ・ 日明 ・大園附近には, 上述の珪質黒色片岩等からなる下部岩帯とほゞ同層準の地層が分布するが, 岩石は千枚岩質である。
阿多古帯を通じて, 無点紋の緑色片岩は少ない。 無点紋緑色片岩は陽起石緑簾石緑泥石片岩であることが多い。
阿多古帯には沢丸および日明附近に石灰岩が少しく介在する。 沢丸附近のものは, 珪質黒色片岩中に介在し, 厚さ約 1 m であって, 黒灰色を呈し, 著しい片理を示す。 日明附近のものは黒色千枚岩中に介在し, 厚さ数 m で, 白色を呈し, 少しく片状である。
阿多古帯の上・中部には蛇紋岩ないし滑石片岩が少しく挾有される。 蛇紋岩は板温石その他の変成鉱物だけからなり, 橄欖石等の初成鉱物を残していない。 滑石片岩は軟弱で, 著しい片理を持ち, 滑石・透角閃石・緑泥石等で構成される。
竜山帯は天竜川に沿う地帯を占める。 岩層の配列方向は, 図幅北部では平均して N–S, これより南では NNW–SSE で, 阿多古帯との間の断層はこれとほゞ並行である。 片理面の傾斜は 30~50°W のことが多い。 片理面に線構造がみられることがあり, その落しは常に 10°以下に緩く, 北あるいは南に向う。
竜山帯の西半部すなわち見掛上の上半部はおもに黒色片岩からなり, 東半部は黒色片岩とこれとほゞ等量の緑色片岩との複雑な集りからなる。 岩石の変成は全般的には著しいが, 南部では弱く, すなわち中北部の結晶片岩と同層準にあるものが, 南部では千枚岩ないしは原岩の性質を残す片状岩であるのが認められる。 点紋片岩や石英片岩は変成の著しい北部にも分布しない。 また蛇紋岩もまったく見られない。 緑色片岩に富む東半部には含銅硫化鉄鉱床が胚胎する。
黒色片岩はおもに泥質岩源であるが, 一部は砂質岩源である。
泥質岩源の黒色片岩は石墨絹雲母石英片岩で代表され, 光沢があり, 片理が著しく, 往々線構造を現わし, また片理面に沿って石英の小レンズ体に富む。 横山附近から南では, 岩石は次第に千枚岩質になり, 最南部の 伊砂 ・ 船明 附近では, 片理が弱く光沢も鈍い片状粘板岩といゝうるものが現われる。
砂質岩源の黒色片岩は, 薄層をなして所々に介在し, ことに竜山帯の見掛上の上部のほゞー定層準に断続して, 顕著に現われる。 このうち北部の白倉・ 安蔵 附近のものは, 著しい片理を示し, 砂岩組織をほとんど失っている。 しかし, 泥質岩源の黒色片岩に較べ, 淡色であること, 片理の間隔に厚味があって岩石が板状を呈すること, 粗粒質かつ珪質の感があること, 等によって識別される。 南部の津行・伊砂附近のものは片理が弱く, 砂岩組織を明らかに残し, 結晶片岩というよりも破砕構造を示す片状砂岩というべき部分もある。
白倉附近の砂岩片岩は帯緑灰色, 珪質, 堅硬である。 鏡下では 細粒の石英・曹長石・方解石・絹雲母・陽起石等が 縞状に配列するのが観られる。 炭質物は少ない。
津行附近の片状砂岩は, 鏡下では, 幅の膨縮する縞状の破砕構造を示す。 石英・斜長石のほかに微細な絹雲母・方解石・緑泥石・炭質物等からなる。 石英はモルタル構造を示し, 個々の結晶は波動消光を行う。 斜長石は変質して汚濁している。
緑色片岩は一般には判然とした片理を示すが, 北部の峯ノ沢鉱山附近には, 片理が弱くてやゝ塊状を呈する部分もある。 片理に沿い一部は片理を切って走る石英曹長石脈が少なくない。 緑色片岩の岩種としては, 角閃石緑簾石曹長石片岩・ 陽起石緑簾石緑泥石曹長石片岩・ 緑簾石緑泥石曹長石片岩・ 方解石緑泥石曹長石片岩等がある。 これらには黄鉄鉱の肉眼的の結晶がしばしば点在する。 鏡下では上記の造岩鉱物のほかに, 石英・ 絹雲母・ 黝簾石・ 斜黝簾石・ チタナイト・ リューコクシン・ 燐灰石・ 鉄鉱物等が多少みられる。 緑色片岩に角閃石を含むものがあるのは, 竜山帯の岩相上の1つの特質である。 角閃石は青緑色の普通角閃石に属し, 結晶の周辺・劈開等に沿って緑簾石・リューコクシン等に変化している。 石打附近に露出する緑色片岩には輝石が含まれるが, これは竜山帯ではむしろ例外的である。
竜山帯の南部では緑色片岩も緑簾石緑泥石千枚岩などの千枚岩質の岩石となる。
緑色片岩と黒色片岩との境は, 多くは片理に一致しているが, 部分的には斜交することもある。 両岩は急に変移し, または 10 数 m 幅の中間帯を経て移化する。 中間帯の岩石は緑泥石・緑簾石・絹雲母・炭質物・曹長石・石英等を混有し, 全体として緑色を呈するが, 絹雲母の光沢を持ち, また黒色片岩に似た葉片状の片理を示す。
舟着帯は西隣図幅の舟着村附近に東北東の方向性を示して広く分布し, そこでは3岩帯に分けられる。 このうち中央の岩帯が, 秋葉山図幅の北西隅に延びている。 この部分では岩層は方向性を南東に彎曲しており, 東側に接して分布する阿多古帯と構造が調和した様子を示す。
この岩帯には黒色片岩が少なく, 緑色片岩ないし緑色岩が多い。 黒色片岩はかなり著しく変成された石墨絹雲母石英片岩である。 緑色の岩石は 緑簾石緑泥石曹長石片岩・ 輝石緑簾石緑泥石曹長石片岩・ 緑簾石角閃石片岩・角閃岩等である。 またこの岩帯には輝緑岩ないし斑粝岩もみられる。 角閃片岩ないし角閃岩は主構成鉱物として緑色普通角閃石を含む。 角閃石を含む岩石を産することは竜山帯と相通じるが, この岩帯の方がより顕著である。 またこの岩帯では輝石を含む岩石が所々で認められるが, 竜山帯では極く稀である。
鎮玉帯は西隣図幅の鎮玉村附近に広く分布する。 秋葉山図幅内では, これとは断層で離隔された小地塊をなして現われるが, 構成岩類は鎮玉村渋川附近でみられるものとよく一致する。 構成岩類の走向は ENE–WSW ないし WNW–ESE であり, 傾斜はおもに南である。
構成岩類は黒色千枚岩およびこれと緑色千枚岩との互層である。 黒色千枚岩は微細な絹雲母・炭質物・石英等からなり, 片理が波状に屈曲していることが多い。 緑色千枚岩は厚層状をなし, あるいは葉片状の薄層をなして黒色千枚岩と互層する。 微細な緑簾石・緑泥石・曹長石等からなり, またこれらの鉱物からなる基質のなかに, 輝石や斜長石の砕片を散点することが少なくない。 なお鎮玉帯では, 輝緑岩ないし斑粝岩, 橄欖岩ないし蛇紋岩が頻出し, これが鎮玉帯を多分に特徴づけている。
石神帯は図幅南西部に分布する。 結晶片岩類の他帯とは断層で境され, または輝緑岩で隔てられているが, 南に分布する非変成の秩父古生層とは層序的に連続し, この間に著しい構造線も変成作用の急変も認められない。 構成岩類はいずれも変成が著しくなく, おもに泥質岩源の黒色千枚岩ないし片状粘板岩であって, 所々に片状砂岩の薄層を, また極く稀に緑色千枚岩を挾有する。 走向はほゞ E–W であるが, 阿多古川に沿う附近では NW–SE である。 変成度は岩層の走向と斜めに南西に赴くに従って低く, したがって奥谷の北方から西隣図幅の東久留米木新田附近では最も低い。
黒色千枚岩は石墨絹雲母石英千枚岩に属し, その片理は一般に平面状であって小摺曲を示さない。 片状粘板岩は弱い片理を示し, 鏡下では絹雲母・炭質物等は片理に沿って配列するが, 石英のやゝ大型のものは片理に沿わずに点在するのがみられる。
砂質岩源のもののうち, 北部の西奥附近でみられるものは, 明らかな板状片理を示し, 片理面上には線構造もみられ, かなり変成されている。 南部の石神の西方でみられるものは, 片理が弱く, 砂岩組織を保っている。 これらはいずれも微細な石英・絹雲母・炭質物等からなり, このなかに, 波動消光を示す石英や, 集片双晶面が彎曲した斜長石を大型な残晶として含む。
図幅南西隅において, 結晶片岩類の南側に非変成の岩層が分布し, これは岩質上, 西南日本外帯において秩父古生層あるいは秩父系と概称されるものに当る。 構造は複雑であるが, 阿多古川より西では, ほゞ東西に走る向斜状の構造がみられる。 同様な岩層は赤石裂線の東側にも小地塊に分断されて分布する。
本層は見掛上の下位から 都田 層と 井伊 谷層とに分けられる。 真の上下関係は不明であるが, 西隣図幅地域では両層の関係は整合的である。 厚さは西隣図幅における分布をも考慮して, 都田層 900 m 以上, 井伊谷層約 2,000 m と見掛上は算出されるが, 地質構造が未詳であるので, 真の厚さは不明である。
都田層は西隣図幅の都田川に沿って模式的に露出し, そこでは粘板岩を主とし, 砂岩を多く挾む。 秋葉山図幅でみられる都田層は長石附近において, 三方原礫層に覆われた谷の小範囲に露出する塊状の砂岩だけである。
井伊谷層ではチャートが顕著であり, いわゆる輝緑凝灰岩および石灰岩を伴ない, この他に粘板岩を多く含み, 砂岩はむしろ少ない。 チャートは厚さ数 10 m 以下の層をなして多数現われる。 いわゆる輝緑凝灰岩には, 火山砕屑岩のほかに, 輝緑岩質等の火成岩をかなり混える。 石灰岩は厚さ数 10 m に達することがあり, 数層準に分布する。 結晶質であって, 化石を含まない。 粘板岩には層理の明らかなものと, 無層理で小角片に割れ易いものとがある。
阿多古川以西に分布する井伊谷層の東部では, 岩石は片理を示し, その構成岩類はそれぞれ石英片岩・緑色千枚岩・片状石灰岩・黒色千枚岩等となる。
赤石裂線の東側に分布する井伊谷層は片理を示さない。 このうち二俣町北方の地塊のものは, 砂岩をもかなり含み, かつ構造からみても, その東側に分布する光明層群と似た点もあるが, チャートが著しく発達することによって区別される。 赤石裂線に接する部分では烈しい破砕を受け, チャートが角礫化したり, チャート・砂岩等が円礫状となって膠結され, 一見礫岩様を呈することがある。
図幅の南西部にみられる向斜状構造では, 西隣図幅内に及ぶ部分をも含めると, 中軸部には古生層の井伊谷層が分布し, 南翼には非変成の都田層が, 北翼には石神帯の片状岩類が, ともに井伊谷層の見掛上の下位に連続している。 そして, 石神帯は黒色千枚岩と片状砂岩とからなり, 緑色千枚岩に乏しいことからみて, 石神帯の片状岩類は都田層の変成相にほかならないと思われる。
井伊谷層にあっても, 向斜の北翼や東部において, 石神帯に隣接する附近では, 岩石は片理を生じており, 岩質だけからみると結晶片岩類に属せしめてもよいほどである。 一方, 向斜の南翼の非変成都田層に近い側や, 広く西隣図幅に亘っては, 片理はみられない。 石神帯および古生層地域を通じて, 片状岩と非片状岩との分布の境は, 大体において岩水寺から長石・堀谷・奥谷を経て西隣図幅の東久留米木新田を通る。 この境は, 井伊谷層のなか, すなわち秩父古生層と概称しうる地層のなかを通り, そして地層の層序上の区分とはかなり斜交している。 いゝ換えると, 結晶片岩類と秩父古生層とは相漸移し, 変成作用は岩層の上下方向に南に弱くなるとともに, 走向に沿っても変化し, 同一層準のものが東では結晶片岩類, 西では非変成古生層でありうる。
西隣図幅では, 結晶片岩類の南側に, いわゆる御荷鉾式緑色岩類が広く帯伏に分布し, この南縁附近に明瞭な断層が長く走り, これによって北の結晶片岩類地域と南の秩父古生層地域とがほゞ区劃されている。 しかし秋葉山図幅に入る附近から, この断層の延長は石神帯のなかを走り, 両側に片状岩を伴ない, 上述の意義を失っている。 この図幅では変成帯の境はこの断層より南にあって, そこには特別な構造線は認められない。
輝緑岩および斑粝岩は, 結晶片岩類のうちの多くは鎮玉帯および石神帯, また地質図では省略したが稀には舟着帯に, 片理にほゞ沿った岩体をなして現われる。 なお秩父古生層の井伊谷の地帯にもみられる。 結晶片岩類中に現われるものは, いわゆる御荷鉾式緑色岩類であるが, これらと古生層地帯にみられるものとは, 岩質・出現状態に本質的な相違は認められない。 ことに杉峠附近の岩体は石神帯と井伊谷層との境に斜行し, かつ井伊谷層の片状部と非変成部とが移化する線とも斜行して延びている。
岩石は緑色ないし暗緑色を呈し, 密質な輝緑岩質と粗粒質な斑粝岩質とがあり, 両者は多くは漸移するが, 一部には後者が脈状に前者のなかを走ることもある。 多くは塊状であるが, 結晶片岩類と接する辺縁部では片状を呈することがある。 鏡下ではかなり変成されていて, 微晶の黝簾石,隠微晶の蛇紋石?, あるものでは透角閃石を混えた基質中に, 粗粒の輝石が斑状に多量に散在し, 斜長石はその仮像すらも通常認められない。 杉峠の岩体の両端部や, 白野附近の岩体には角閃石も混在する。
輝石は普通輝石に属し, 裂開が発達して異剥石のことが少なくない。 結晶の外廓は円味を帯び, または彎入して自形を失っている。 片理を示す岩石では, 輝石の周 囲に透角閃石が片理の方向に延びて簇生することがある。 白野附近の岩体の角閃石は, 帯緑の褐色普通角閃石に属し, 輝石とは分離し, あるいはこれを取囲んで存在する。 結晶の周辺は淡青緑色の陽起石質角閃石に変質している。 杉峰岩体の角閃石は淡青緑色を呈し, 輝石粒の間に介在する。
輝緑岩および斑粝岩の貫入時代は明らかでないが, 岩体の一部には片理があることからみて, 結晶片岩類を生じた変成作用の, おそくとも末期以前である。
橄欖岩および蛇紋岩は, 結晶片岩類の鎮玉帯に, あるいは輝緑岩および斑粝岩に伴ない, また二俣町の北方地塊では古生層を貫ぬいて現われる。 橄欖岩は黒色, 緻密, 堅硬であって, 橄欖石および輝石からなる。 しかし常に多少の蛇紋岩化作用を受けている。 蛇紋岩化が進んだものは, 軟弱, 灰白色あるいは緑色を帯び, 板温石・温石綿・水滑石・鉄鉱物等の集合物に変じているが, 橄欖石ことに輝石は通常少しく残存する。 結晶片岩類の阿多古帯に現われる蛇紋岩は初成鉱物を通常残さず, こゝに述べるものとは相違する。
橄欖岩はその出現の時代が明らかでないが, 少なくとも一部は輝緑岩および斑粝岩に関係がある。
本層群は図幅の北東部に分布し, 西は光明断層をもって光明層群と, 南は断層をもって三倉層群とに境される。 おもに黒色の粘板岩ないし珪質の粘板岩からなり, 所々に砂岩・頁岩の互層を挾有する。 粘板岩ないし珪質粘板岩は, 小さく波打った細かい層理を示してやゝ千枚岩質であり, また層理に沿って厚さ 2~3 cm のチャートないし脈石英の小レンズを含み, この岩質上の特徴によって犬居層群は三倉層群から区別される。 走向は一般に N 60°E で, 傾斜は 50°NW である。 たゞし単なる単斜構造ではなくて, 多くの走向断層を伴なう等斜摺曲をなすものと解される。 本層群の厚さは, 見掛上 2,500 m であるが, 構造が複雑なため正確には不明である。 犬居層群の地質時代は詳らかでないが, 仮りに中生代と考えておく。 岩質からみて, 三倉層群よりも古いと思われる。 光明層群やまた二俣町以西に分布する秩父古生層とは, 岩相が相違する。
三倉層群との間の断層は, 熊切村石打松下や長蔵寺南方の熊切川南岸で観察される。 すなわち本層群の千枚岩が, 三倉層群の厚い粘板岩と著しい擾乱帯をもって接している。
本層群は赤石裂線と光明断層とに挾まれる地帯の主体を構成し, 北隣図幅にも延長して分布し, 少なくとも門桁西方まで追跡される。
岩相 : 本層群は, 主として砂岩および粘板岩からなり, 所々にチャートおよび石灰岩のレンズ状薄層を, また稀に礫岩を含み, なお1条の顕著な輝緑凝灰岩層を挾む。 本層群の模式地は犬居町長沢の谷である。 レンズ状石灰岩を多く含むことと, 砂岩・頁岩(粘板岩)の細互層がさほど発達していないこととによって, 三倉層群から区別される。 しかし例えば光明山西部のように, 三倉層群のものに似た細互層を含む部分もある。
砂岩は青灰色ないし暗灰色, 細粒ないし中粒で, 長石に富み, かつ黒色粘板岩の小角片を含むことが多く, また稀に粗粒となり, 礫質砂岩ないし礫岩に移り変ることがある。 層理をあまり示さない。 不規則方向の節理に富み, 稜角のある砕塊に崩れ易く, したがって光明層群の地帯では山腹斜面には多量の崖錐を, また河床には多量の礫をみることが多い。 砂岩の節理面に沿っては白色の充填物が観られることが少なくない。
粘板岩は黒色ないし暗灰色を呈する。 秋葉山上では粘板岩が特に厚い。 本層群の西部(見掛上の上部)では, 細角片に破砕する頁岩質のものが多く, 東部では粘板岩劈開の発達したものが多い。
砂岩と粘板岩とは厚薄不定に互層し, また細互層においても層面は平行せず不規則であって, 三倉層群にみられる規則正しい縞状互層は多くない。
秋葉山南麓の気田川畔および光明村下 百古里 西部の川底では, 小礫が密集している礫岩が局部的にみられたが, 直ちに消滅して砂岩に移化する。 また光明村大渓・ 只来 南方の谷等には礫岩の転石がみられた。 礫岩の礫は粘板岩・チャート・堅硬な砂岩等からなり, 径 5 cm 以下の円礫である。 大渓および只来の転石では礫はすべて偏平である。
輝緑凝灰岩層は当図幅地域から, 北隣図幅の気田川西岸に沿って気田村勝坂を経て水窪町門桁に及び, 延々 30 km に亘って追跡される。 この総延長の中央部に当る部分では厚さ 200~300 m に達する。 この厚さは光明山以南では急に減じて只来西方や大渓では 20 m 内外となり, また北方でも勝坂以北では急に減少する。 本層はいわゆる輝緑凝灰岩とこれに密接に伴なうチャートおよび石灰岩とからなる。 輝緑凝灰岩は, 赤褐色の軟弱な粘板岩様の岩石に変質していることが多いが, 変質の弱い部分では緑色あるいは鶯色を呈し, そのうちには斑晶をもち, あるいは塊状で, 鏡下で輝緑岩構造を示し, 明らかに火成岩であることが認められるものもある。 輝緑凝灰岩層中のチャートは赤色・緑色・青色・白色等雑多な色を呈する。 一般に輝緑擬灰岩層の厚い所では, チャートの発達も著しい。 光明山や長沢西方では, 赤色の板岩が桃色の石灰岩に移化するのがみられる。 なおチャートがマンガン鉱を含むところがある。
チャートおよび石灰岩は, 上記のほかに, 粘板岩等のなかにも小レンズをなして点点と介在する。 チャートは灰白色を呈し, いずれも厚さ数 m ないし 10 数 m 位のもので, また走向に沿っても連続性はなく, 珪質の粘板岩に移化する。 たゞ光明村下百古里および敷地村の西方の尾根には, 光明断層に接する部分に, 少なくとも 300~400 m に亘って追跡される顕著なチャートがある。
石灰岩も厚さ数 m ないし 10 数 m で, 走向に長く続かない。 多くは灰白色, 結晶質であり, 珪質物その他を混有して不純である。 犬居町長沢および気田村久保田の石灰岩は, 他の石灰岩とやゝ趣を異にする。 すなわち長沢のものは暗灰色を呈し, ストロマトポロイドが密集している礁状石灰岩であり, 模式的な鳥巣石灰岩の化石を産する。 次の化石が鑑定される。
久保田の石灰岩は黒色を呈し, 径 2~3 cm の顕著な蠕状構造を示す。 その核は Milleporidium sp. のストロマトポロイドであり, 周囲は Girvanella と思われる石灰藻であり, この両者とも鳥巣石灰岩に普通な化石である。 本層群中の石灰岩の分布は, 輝緑凝灰岩層の両側, なかでもそれ以東に多く, 上記の含化石石灰岩はいずれもこの部分に介在する。 秋葉山西側には石灰岩はまったくみられない。
本層群の厚さは, 見掛上は 3,500 m に達するが, 地質構造が未詳であるために真の厚さは不明である。
構造および地質時代 : 光明層群の構造は正確には不明である。 一般に走向は赤石裂線および光明断層にほゞ平行に NNE–SSW であり, 傾斜は 50°W である。 幅数 m の擾乱部を伴なう走向断層や, また小規模な地層の繰り返しあるいは欠除が所々に観察されるので, 西に傾斜する複雑な等斜摺曲構造をしていると解される。 走向に斜交する断層もみられるが, 輝緑凝灰岩層が著しく転位されることなく, 長く追跡されることからみて, この種の断層は構造上大きな意昧を持たないと判断される。
光明層群はそのなかに典型的な鳥巣型石灰岩を含むので, 少なくとも一部はジュラ紀である。 しかし光明層群全体が果して鳥巣統に対比しうるか否かは不明である。 この層群に発達する輝緑凝灰岩は, 西南日本外帯の中生界としてはむしろ異例に属し, 古生界に多いのが普通であるが, レンズ状石灰岩が輝緑凝灰岩層の上下にあまねく点在すること, 含化石鳥巣型石灰岩を含む部分と輝緑凝灰岩層との間に 層位学的聞隙が認められないこと, の2つの理由によって, 光明層群全体を一応中生界に属するものと考える。 そしてこの地方全般の地体構造上, 光明層群においても地層は全体として逆転しているものと推察されるので, 上部ジュラ紀を示す鳥巣型石灰岩は本層群の上部に出現していることとなる。
三倉層群は光明断層以東の地帯の主体を構成して分布する。 岩相により, 北部に分布する下位の 田能 層と, 南部に分布する上位の原田層とに分けられる。
田能層 : 田能層は, 砂岩と黒色粘板岩とが, それぞれ厚さ約 10 cm をもって規則正しく互層する, いわゆるフリッシ型堆積物によっておもに構成される。 砂岩は細粒で石英粒に富み, 粘板岩は 1~2 mm 幅の縞を示すことが多い。
三倉村北部等では, 互層のなかに厚さ 10 数 m から数 10 m に及ぶ無層理の泥質岩層が所々にみられる。 かように互層のほかに比較的厚い泥質岩層を含む岩相を田能相と呼ぶ。 これに対して三倉村一ノ瀬附近では, 互層のなかに厚さ数 m もある砂岩層が頻繁に含まれ, また互層する砂岩も中粒である。 かような岩相を一ノ瀬相と呼ぶ。 そして, 田能相と一ノ瀬相とは相互に漸移する。 すなわち, 三倉村方面の田能層では田能相が卓越し, 一ノ瀬相はその南で一部を占めるが, 東方の熊切村花島方面では砂岩の発達が著しくて一ノ瀬相が卓越する。 花島方面の一ノ瀬相は 東隣の7万5千分の1静岡図幅で熊切層とされたものの西の延長に相当する。
田能層中には礫岩も少しは含まれるらしく, 犬居町中山の東方の谷にその転石がみられる。 この礫岩は, チャートや砂岩からなる径 2 cm ほどの円礫を粘土質物で膠結したものである。
原田層 : 本層は粘板岩層と砂岩頁岩互層ないし砂岩層とからなる。 これらはおのおの厚く, おおむね4帯をなして存在する。 粘板岩・砂岩および互層の岩質は田能層のものに類似するが, これらがいずれも数 100 m づつの著しく厚い単一の岩層を構成し, また砂岩が田能層のものより粗粒であるのを特徴とする。 すなわち吉川北岸に沿っては, 田能層にはまったく観られない厚さ 400 m の砂岩層が発達する。 この砂岩は帯青色, 無層理, 中粒ないし粗粒, 石英質であって, 時に黒色粘板岩の角礫を含む。 原泉村一帯に露出し, 本層の最南部を占める所には特に粗い砂岩がある。 この砂岩は 径数 mm のチャートや砂岩の円粒を砂で膠結したむしろ礫質砂岩というべきものである。 三倉村黒田から大河内にかけて, 本層の最北部を占める粘板岩層は, 厚さが場所によって変化するが最大 500 m にも達する。 天方村・原田村間の尾根の南側に分布する粘板岩層は, 北東部では 400 m の厚さをもつが, 南西部では尖滅して砂岩頁岩互層に移化する。 かような岩相の移化現象は原田層南部において特に著しい。 また原田層全体としてみれば, 南に分布するものほど, そして地層が逆転していると考えられるので上位ほど, 粗粒の岩石が多い傾向がある。
田能層分布地の北方の熊切村田黒一長蔵寺附近の熊切川南岸には, 厚さ 300~400 m で, 走向に連続性を有する粘板岩層が分布する。 この粘板岩層は岩質が原田層最北部の粘板岩層とまったく類似するところから, これと同一層の断層による繰り返しで出現したもので, 田能層には属さないと思われる。
森町向天方から原田村久居島に至る峠の西側には, 砂岩頁岩互層中に漂木と思われる石墨化しかつ珪北された炭質物が含まれる。
原田層は静岡図幅で家山層および鍋島層とされたものを併せたものに相当する。
構造および地質時代 : 三倉層群は砂岩・頁岩およびその互層からなる単調な地層であって, 鍵層がないためにその地質構造は良くはわからない。 一般走向は NE–SW で, この方向性は山稜・河谷の方向等の地形によく現われている。 傾斜は 50°NW 内外である。 擾乱された場合を除けば大抵上記の走向・傾斜を有する。 しかし構造は単純な単斜構造ではなくて, 多くの走向断層を伴なう複雑な等斜褶曲であり, そして北側に分布する田能層の方が, 南側に分布する原田層よりも褶曲および変動の度がはなはだしいので, 地層は全体として逆転構造にあると解される。 地質構造が不明確であるので, 三倉層群の正確な厚さは不明である。 見掛けの厚さは田能層 5,400 m, 原田層 4,600 m, 合計 10,000 m であるが, 真の厚さはもっと小さいであろう。 走向断層において擾乱作用の激しい場合には, 破砕された粘板岩中に円磨された砂岩の球が入り込んで, 礫岩状を呈することがある。 このような擾乱は, 三倉村上野平・天方村 椋 地および栗ノ島にみられる。 上野平のものは田能層と原田層とを境する断層帯に, 後2者は原田層内部の粘板岩層と互層とを境する断層(地質図には省略)に それぞれ該当する。 別に褶曲および走向断層を切って NNW–SSE に走る断層等がある。 図幅南東部に示した2つの断層や また犬居層群と三倉層群とを境する走向断層を切って, 犬居町和泉平の北西を北北西に走る断層はこの種の顕著なものである。
三倉層群は化石を産出しないので, その地質時代は不明である。 しかし三倉層群の上部はその岩質が, 古第三系をも含む可能性がある伏間層群に次第に似てくる。 したがって, 三倉層群はジュラ系を含む光明層群よりも全体として新しく, 一応白堊紀のものと考える。
本層群は森町西方の丘陵を占め, 光明断層南端の分枝断層によって境されて, 楔状に三倉層群中に挟み込まれて分布する。 模式地は伏間の谷とする。 おもに頁岩と砂岩とからなるが, 全般に破砕作用を受け, 崩壊して泥と砂とからなる観がある。 破砕程度は分布を限る断層附近ではことに著しい。 この破砕作用は褶曲運動のほかに, その後の光明断層の活動による引曳り込みの影響を強く受けて生じたものと思われる。
砂岩は灰白色であるが, 表面は紫色や赤色に汚染されていることが多い。 大抵は軟く, かつ脆弱であるが, また堅い団塊をなすこともある。 頁岩は黒灰色であるが, 風化してチョコレート色, 時には白色の泥状を呈する。 一般に走向は NE–SW, 傾斜は 50°NW 内外であるが, 構造は単純な単斜構造ではなくて, 複雑に褶曲や断層を繰り返している。 したがって地層の厚さはまったく不明である。 また森町大洞院附近から北方では, 破砕作用を強く受けた伏間層群が, ほとんど破砕されていない三倉層群中にパッチ状に揉みこまれて複雑に分布している。
本層群のうち破砕作用の弱い部分は, 例えば原泉村に露出する三倉層群の最上部と岩相が類似するので, 本層群は三倉層群の最上部ないしは大井川地方の瀬戸川層群の下部に相当し, その地質時代はさしあたり白堊紀末ないしは古第三紀であると考えておく。
伏間西方の貯水池の近くに鹹水井があって, 砂岩頁岩互層中に湧出している。 水質は油田地帯の鹹水とほとんど一致し, 化学成分は次の如くである。
| Na . | 2,219 | |
| K . | 69 | |
| Ca .. | 19 | |
| Mg . | 0.5 | |
| Cl' | 3,040 | |
| SO4" | 7 | |
| CO3" | 360 | |
| HCO3' | 1,100 | (単位 mg / L) |
| (本所 中村久由技官 分析) | ||
本層群は二俣町附近に分布し, 東側では光明層群ならびに古生層の井伊谷層を不整合に被覆し, 西側では赤石裂線によって切られている。 最下部の基底礫岩から砂岩・淤泥岩・泥岩を経て 最上部はふたゝび砂岩・礫岩となり, 1つの沈積輪廻を示す。 地質図にはこれを3部層に区分して示す。
基底部の礫岩砂岩層は厚さ約 50 m である。 不整合は光明村船明の南東の山上, 大渓の西方の谷等で観察される。 不整合の直上では光明層群から由来したと思われる 砂岩・粘板岩の大形角礫が密集した淘汰の悪い礫岩層であるが, 上方に向って礫が小さくなり, チャート・珪質砂岩・珪質頁岩等の円礫を増す。 礫岩の膠結物は砂質である。 二俣東方の阿蔵・神田方面では基底部は礫岩に乏しく, 砂岩によって代表される。 砂岩は軟弱, 中粒ないし粗粒で, 無層理, 塊状である。 所々に礫を, また往々に泥灰質団球を含む。 光明層群の砂岩を被覆する場所では, 本層群の砂岩はその堅さの相違によって識別される。 阿蔵東方の久延寺の墓場の砂岩, 阿蔵南側の神社附近の砂岩中の泥灰質団球, 神田北方の天竜院の墓場の砂岩から保存不良の貝化石を産するが, 種の決定に堪えるものを見出していない。 この基底層は上位に向って砂岩淤泥岩互層を経て本層中部の泥岩層に移行する。
中部の泥岩層は本層群の主体を構成し, 厚さ約 350 m に達する。 おもに泥岩からなり, これは新鮮な場合は青灰色ないし黒色であるが, 多くの露出面では褐色に汚れている。 無層理で, 割目に富み, 小角粒になって崩落し易い。 一部では玉葱状風化構造を呈する。 稀に砂岩ないし淤泥岩を挾むことによって, 僅かに層理がみられる。
上部の礫岩層は厚さ約 50 m で, 上記の泥岩層から淤泥岩または砂岩泥岩互層を経て急に移化する。 礫岩は多量の礫を砂でやゝ硬く膠結したもので, 突出した地形を作る。 礫としてはチャート・珪質粘板岩および珪質砂岩が多く, これらは小さくて, 拳大以下であり, よく円磨されている。 また稀に中性火山岩・炭化木片および結晶片岩も含む。 二俣町北端の二俣川新河道切割には, 中部の泥岩層との移化部が露出する。 そこでは二俣層自体の淤泥岩が角礫となって砂岩中に乱雑に入り込み, その上位は礫岩へ移化するのがみられる。
二俣層群は層理不明瞭な地層を多く含むので, その構造はくわしくは不明であるが, 全体として走向 NNW–SSE, 傾斜 W の単斜構造である。 たゞし小断層や小褶曲が見られ, かなり擾乱されている。
本層群は次に述べる大平層群と同一地層と思われる。
本層群は, 敷地村・一ノ宮村附近の万瀬地溝を構成する新第三系の最下部の地層である。 二俣層群と比べて, その上部の礫岩層を欠くほかは岩相も層序も同様であり, すでに槇山次郎によって研究されているように, 二俣層群に一括してもよいが, 分布区域が離れているので, こゝには区別した。 分布は万瀬地溝内の次の諸所にみられ, 全体としてみると地溝の辺縁部に露出しているにすぎない。
(1) 万頼地溝西縁断層に沿う部分 : 下部は厚さ 10~20 m の基底礫岩または砂岩からなる。 礫岩中の礫には, 三倉層群または光明層群から由来したと思われる砂岩の円礫が圧倒的に多く, その大きさは時に径 20~30 cm に及ぶ。 チャートや珪質頁岩の小円礫も含まれる。 この上には淤泥岩があり, 厚さ 10 m 内外で, 下位の砂岩から移化する。 塊状, 無層理で, 青灰色を呈する。 上部はおもに泥岩からなり, 下位の淤泥岩から移化し, 厚さは約 80 m である。 岩石は青灰色, 無層理で, 縦横に細かい割目に富み, 二俣層群のものとまったく同質である。
(2) 万瀬地溝の北の尖端部 : 下部はチャートを主とする礫を混えた粗粒の砂岩で, 上位に向って次第に淤泥岩に移化し, 厚さ 20 m 内外である。 礫岩は発達していない。 上部は無層理で割目に富む泥岩のみからなり, 厚さ 100 m 内外である。
(3) 大平附近 : 上部の泥岩がやゝ広く分布する。
(4) 虫生 附近 : 本層群の下部に当る塊状, 無層理の泥岩および砂岩が, また上部に当る割目に富む泥岩が露出する。
(5) 岩室部落東側の谷 : 断層に沿って約 50 m の幅を以て NNE–SSW の走向で青灰色の淤泥岩および泥岩が分布する。 それぞれ本層群の下部および上部のものである。
化石としては大楽地の沢の奥, 下百古里の西方等の砂岩中に保存不良の介化石を産するだけであって, 時代を指示するに足りないが, 槇山次郎の研究によれば, 本層群は大井川層群の下部に相当し, その地質時代は中新世古期(F1)である。
大平層群では岩石の層理が不明なことが多いので, 精しい地質構造はわからないが, かなり褶曲している。 たゞし上記の各露出地における傾斜をみるに, (1) では 40°E 内外, (2) では 10°E 内外, (3) と (4) ではともに東に緩く, (5)では 40°W 内外であり, 要するに地溝の西部では東に, 東部では西に傾斜し, 全体として南北を軸とする向斜構造にあると考えることができる。 光明層群および三倉層群とはいずれも断層で接している。
家田層群は万瀬地溝内の新第三系のうち, 大平層群の直上に位するものであり, 地溝の西半分に広く露出する。 本層群は青灰色頁岩と中粒ないし細粒の灰白色砂岩とが, それぞれ厚さ 10~30 cm を以て互層するいわゆるフリッシ型堆積物からなる。 たゞし砂岩は時に厚さ 3 m に達し, また地溝西部に露出する本層群の下部では往々礫岩質になることもある。 互層の成層面にはしばしば植物の葉片の化石が, また大平附近には漂木がみられる。 また大平南方や万瀬では厚さ約 1 m の白色凝灰岩が介在する。 家田層群の厚さは約 40 m である。
下位の大平層群との関係については, (イ) 大平附近の敷地川に沿って崖があり, そこで大平層群の泥岩と家田層群の互層との境を示す露頭が点々とみられるが, 露頭相互で境の高さが 10 m 内外の差があること, (ロ) 大楽地の沢の奥では両層群は一見整合状に分布するが, 家田層群の最下部を示す互層中の砂岩が著しく礫岩質であること, によって, 両層群は不整合にあると推定される。
家田層群は多くの小褶曲を伴ないつゝ全体として向斜構造をなしている。 向斜軸は北に沈み, その位置は主要分布地域の東縁近くにある。 しかしながら, その東方の虫生および岩室附近に離れて小露出する岩層では, ともに西へ 40°内外に傾斜しているので, 全体としては構造は対称的であり, その東翼の大部分が断層によって欠け, 倉真層群の獅子ケ鼻礫岩が分布する地塊の下に潜在するに至ったのである。 そしてこの向斜構造は, 大平層群の向斜構造とともに全体として1つの大きな構造に属し, 中心の家田層群の分布地は, その周りの大平層群の分布地よりも 断層によって相対的に沈下したところであることが多い。
家田層群は槇山次郎によって命名されたものであって, その研究によれば大井川地方の大井川層群の上部に相当し, その地質時代は中新世古期(F1)である。
二俣町附近では二俣層群が基底礫岩から泥岩に移り, 上位がふたゝび礫岩となる単一な沈積輪廻を示すのに対し, 万瀬地溝では大平層群は上位の礫岩を欠き, フリッシ型の家田層群によって被覆され, その間に堆積聞隙が認められる。
倉真層群は図幅南東縁において, 万瀬地溝・森町北方および飯田村 - 原泉村の3地区に分布する。 槇山次郎によって下位から天方層および松葉層に区分され, 天方層は下位からさらにハラミシ礫岩・ 天ノ宮 砂岩および戸綿泥岩に分けられる。 そして天ノ宮砂岩中には Turitella s-hataii NOMURA, Caltellus izumoensis YOKOYAMA 等の化石を含み, 倉真層群の地質時代は中新世中期(F2)とされている。
本図幅では松葉層は飯田村 -原泉村地区のみに露出し, その他の部分では天方層だけが分布する。 以下各地区ごとに記述する。
(1) 万瀬地溝 : 本地溝内の天方層の分布は敷地村獅子ケ鼻公園と, 一ノ宮村北部との互いに断層で境される2地区にさらに区分される。
獅子ケ鼻公園では倉真層群の基底の礫岩が著しく発達し, 厚さは 300 m に近い。 これを特に獅子ケ鼻礫岩と呼ぶ。 礫岩は主として三倉層群または光明層群の砂岩その他粘板岩, 稀には緑色片岩・千枚岩・チャート等の礫を, 中粒ないし粗粒の砂で膠結したものである。 また礫として大平層群または家田層群の泥岩や淤泥岩も含まれる。 礫岩中には砂質部が不規則な形で挾まれ, 特に上部に多い。 この種の砂岩は礫岩に比して軟かく, 獅子ケ鼻公園の崖で凹みを作って特異な景観を呈する。 本礫岩の基底は断層に切られて露出していない。
一ノ宮村北部では三倉層群の粘板岩を不整合に覆って, 天方層が厚さ 100 m 以下をもって分布する。 基底部の約 10 m は小礫に富んだ粗粒砂岩からなり, これより上位は次第に粒度を減ずる。 一般にこの地区の砂岩は塊状, 無層理で, 風化面では玉葱伏構造を呈する。 下部の中粒砂岩は絶壁に近い小渓谷を作る特性がある。
万瀬地溝の天方層は全体として緩く傾斜するだけであって, ほとんど摺曲を示さず, 下位の大平層群・家田層群とは構造的に異なる。 獅子ケ鼻公園の断崖は, 獅子ケ鼻礫岩の分布する地塊の西縁断層の走る位置にある。 断層東側の相対的に沈降した地塊に分布する礫岩の方が, 西側に分布する家田層群の岩石よりも硬いので, 侵蝕差によって現在では逆に東側に高い崖を作っている。 この断層の落差は少なくとも 150 m を下らず, 実際にはこれより遙かに大きいのであろう。
(2) 森町北方 : この地区の天方層の基底部はハラミシ礫岩であって, 獅子ケ鼻礫岩とまったく同一岩相を呈するが, 厚さは 20 m 内外で遙かに薄く, また所によっては砂岩相を呈し, ことに東部の城下の北方等では礫岩相がほとんどない。 この礫岩層は直接に三倉層群を不整合に覆い, 不整合面の直上では三倉層群の砂岩の大塊を密に含んで淘汰が悪く, 上方へは次第に礫の大きさを減少して砂岩に移化する。
ハラミシ礫岩の上には天ノ宮砂岩が続き, この砂岩は灰白色を呈し, 玉葱状風化構造を呈する。 厚さは天ノ宮附近では 100 m 内外に達する。
本地区の天方層は南に緩く傾斜する。 分布の東西両端は断層で切られているが, 断層の外側にも天方層下部の砂岩や礫岩がなお露出する部分があるので, これらの断層の落差はさして大きくはない。
(3) 飯田村 - 原泉村 : この地区では, 基底部に厚さ 30~40 m のハラミシ礫岩がある。 礫岩中の礫はおもに三倉層群の砂岩・粘板岩, 稀にチャートからなる。 基底礫岩の上には天ノ宮砂岩が続き, その厚さは 100 m 内外と推定される。 無層理, 灰白色で, 玉葱状構造を有する。 天ノ宮砂岩は上位に向って戸綿泥岩に移化し, 原野谷川に沿って分布する黒灰色, 軟弱な泥岩がこれであり, 厚さは 100 m 内外である。 これより上位は凝灰質泥岩・泥岩・砂岩等からなる松葉層である。 図幅内ではその一部が小区域を占めて分布するに過ぎない。 この地区の倉真層群も, 三倉層群を不整合に覆って南に緩斜する。 森町から原野谷川に抜けるほゞ東西に走る断層があって, これによってその附近では倉真層群は三倉層群と接するが, 両層群の分布状況からみて, この断層もさほど著しい落差をもつものではない。
二俣層群を切って玄武岩の小岩脈があり, 厚さ約 1.5 m, N 60°W に走る。 岩石は黒色, 緻密の粗粒玄武岩である。
斑晶 : 斜長石・淡菫色の含チタン輝石
石基 : 斜長石・輝石・緑泥石・方解石・鉄鉱物からなり, 間粒組織
大日砂岩層は図幅南部の万瀬地溝中に分布する。
本層は厚さ約 40 m であり, おもに黄褐色の砂からなる。 基底部は礫に富み, この礫は三倉層群または光明層群の砂岩が主であり, その他粘板岩もある。 下底から 10 m の所に厚さ約 5 m のベントナイト層が介在し, これは掛川地方で堀田凝灰岩と呼ばれるものに当る。
大日砂岩層は, 南西に緩く傾斜し, 所によって倉真層群あるいは直接家田層群・三倉層群を被覆し, また万瀬地溝の諸断層をも覆う。 本砂岩層を切る著しい断層はない。
本層は掛川地方に模式的に発達し, その地質時代は鮮新世古期(H1)である。
伏間周辺の丘陵上には所々に礫層が薄く断片的に乗っているが, これらは大日砂岩層の基底層に相当するものであろう。
この構造線は結晶片岩類と光明層群との分布によって明瞭に追跡され, ことに気田川の合流点附近以南では地形によく現われ, また所々に断層角礫・粘土等を露呈すること等によって確認される。 図幅内では断層面は大体において 60°以上の急角度にて東へ傾斜する。 二俣南方の鹿島では 45°E に傾斜する。 図幅北縁の峯の沢鉱山から北方では, 角度が非常に緩くなり, 水平に近いところもあり, 名合鉱山の東方以北ではふたゝび中角度にもどるらしい。
南端の二俣附近では枝断層を出し, 主断層との間に非変成の古生層を挾み込み, またこの部分に二俣層群が分布している。 現在みられる断層は二俣層群を切り, その堆積後に活動した正断層である。 しかしながら断層附近で, 光明層群および古生層はしばしば強く圧砕され, 例えば光明村大渓地方では光明層群の砂岩は破砕され, これが膠結して礫岩状を呈し, また船明附近ではチャートの角礫化されたものが固結している。 かような異常な圧砕作用は二俣層群中には認められず, また二俣層群西限の断層面にある角礫は膠結されていないので, この構造線は繰り返し活動したものであって, 槇山次郎が指摘したことがあるように, 二俣層群堆積前にすでに構造線の前身ができ上っていたのである。 そして構造線の起源は次に述べる光明断層の活動史に鑑み, おそらく古第三紀末に遡るのであろう。
光明断層は両側に分布する光明層群および三倉層群の 岩相および走向の差異によって明瞭に追跡され, また南北に連なる直線状の谷をしばしば作っている地形からも検出される。 断層面は全体として急角度である。 南部においては分岐して, 間に楔状の万瀬地溝を作り, そのなかに新第三系が分布する。
万瀬地溝の西縁および東縁を区切る断層は, それぞれ新第三系の家田層群および天ノ宮砂岩を切っている。 しかしながら, この両断層の外側にある中生界の光明層群および三倉層群のなかに 著しい擾乱帯が発達し, 例えば下百古里の西方では, 西縁断層から外側 500 m の間に亘って, 数 m おきに多数の平行断層があり, 同様なことは大楽地の沢の西側でも見られる。 このような激しい擾乱は, 大平層群・家田層群および倉真層群中には観られない。 したがってすでに槇山次郎が指摘したように, 新第三系の堆積以前において, 断層活動があり, 光明断層の前身および万瀬地溝の骨組ができ上っていたものと推定される。
伏間層群が光明断層によって挟み込まれたのは, 本層群が全般的に激しい破砕を受けていることからみて, 光明断層発生の時期のできごとと考えられる。 要するに, 光朋断層の最古の活動は伏間層群堆積後, 大平層群堆積前であり, したがって古第三紀末であろう。
大平層群および家田層群が参加する褶曲構造には, 天方層は参加していない。 したがって, 中新世古期と中新世中期との間に著しい褶曲運動が生じたと考えられる。 大平層群および家田層群は地溝内の西半分だけに分布し, かつその構造は地溝西半分の形態に順応している。 これに反して, 褶曲運動後に生成された天方層は地溝の東方にも広く分布している。 すなわち, 下部中新統と中部中新統との堆積地域は, 著しく異なっている。
地溝内には天方層を明らかに切る断層があり, これらによって地溝の地質構造は完成された。 これらの断層には既存の構造線の再活動によると考えられるものが少なくない。 万瀬地溝の諸断層はすべて鮮新統の大日砂岩層に覆われている。
以上を要するに, 万瀬地溝は古第三紀末から中新世新期までの長期間にわたって活動したのである。
万瀬地溝の諸断層に沿って所々に硫黄臭を発する湧泉があり, その数9ヵ所に達する。 また家田層群の向斜軸に当る擾乱帯にも3ヵ所の湧泉がある。 湧泉は光明層群や三倉層群の地域中, 例えば光明村大渓・熊切村胡桃平近傍等にも存在する。 大渓における例で, 光明層群の褶曲および 走向断層を切る小断層に沿って湧出することからわかるように, これらの諸湧泉は新しい (少なくも万瀬地溝では中新世以後の) 断層に密接に関係している。 湧泉の一部の分析値は次のごとくである。
| 産地 敷地村 虫生 | Na . | 86 |
| K . | 9 | |
| Ca .. | 19 | |
| Mg .. | 0.5 | |
| Cl' | 17 | |
| SO4" | 81 | |
| CO3" | 25 | |
| HCO3' | 196 | (単位 mg / L) |
| (本所 中村久由技官 分析) | ||
二俣町東方の野辺村附近の丘陵上に砂礫層があり, これは槇山次郎によれば 掛川町方面に模式的に発達する更新世古期の小笠山礫層に相当する。
図幅内では, 礫層は南西に緩く傾斜している。 かなり開析, 削剥されて堆積平面をほとんど残さず, 南部の平野近くを除けば尾根上だけに狭く分布する。 野辺村附近では厚さ約 60 m である。 下部は先第三系の砂岩や第三系の諸層に由来する岩礫を含み, 上部は淘汰不良の砂と砂利とからなる。 赤褐色に汚染された部分が多い。
この礫層も赤褐色を呈する部分が多い。 おもに淘汰不良の大小の円礫と砂とからなる。 礫としては堅硬な砂岩・粘板岩・チャート・ 結晶片岩・千枚岩・変質緑色岩・花崗岩質岩石等よりなる。 分布北縁部では古生層由来の角張った岩塊が多い。 灰ノ木・下堀谷附近の谷筋等には, 砂層数層が現われ, 礫層部とそれぞれ数 m の厚さをもって互層する。
本礫層はわずかに南へ傾斜する。 厚さは下堀谷附近では 70 m 以上である。
この礫層は小笠山礫層よりも開析を蒙ることが少なく, かつ分布の最高点が約 150 m であり, 小笠山礫層のそれ(約 250 m に達する)よりも低い。 したがって三方原礫層は小笠山礫層よりも新しい。
本礫層の分布する台地上では, 地下水の貯溜が少なく, かつ塩基の流亡によって土壊が酸性となり地味が痩せ, したがって草地・松林が多い。
本礫層は天竜川筋に分布する河岸段丘堆積物であり, この地方および遠く背後地から由来する各種岩類の円礫をもつ砂礫層である。 段丘は少なくとも上下2段ある。 上段は現河床から 20~30 m の高さにあり, 赤褐色に色づいた部分が多く, 三方原礫層に相当するものである。 下段は現河床から数 m の高さにあり, 礫層は赤褐色に酸化されていないで, 現河床のものと見掛上の差異はない。 西鹿島附近に広く分布するこの下段は, 南方は漸次冲積平野に低下する。
気田川にも, かなり上流まで小規模な河岸段丘堆積物がある。
本層は大小河川の現氾濫原に堆積した礫・砂および粘土からなる。
天竜川および気田川は山地に穿入した河谷を流れ, 河が大きい割合には氾濫原はあまり発達していない。 これらの河川は 結晶片岩類・光明層群・三倉層群等のいずれも 砕片に崩れ易い岩石に富む岩層中を長く流下しているので, 多量の砂礫を供給されるが, その大部分を下流に運搬してしまう。 天竜川が二俣町附近で平野に注ぎ出ると, 急に河道を拡げて分流し, これらの砂礫を多量に堆積し, 図幅よりも南では扇状地状に広大な砂利河原を発達せしめている。
地下資源としては, 結晶片岩類に胚胎される含銅硫化鉄鉱, これに次いでは秩父古生層中の石灰岩が重要である。
この地域には地質上, 地辷り・山崩れ等を生じ易い所が少なくない。
含銅硫化鉄鉱鉱床は結晶片岩類のなかの竜山帯の東半, 緑色片岩類が多い部分に存在する。 稼行中のものとしては峯ノ沢鉱山がある。
地質および鉱床 : 鉱山は図幅北縁にあり, 天竜川東岸の山腹に位置する。 操業の中心となっているのは, 図幅境にある峯ノ沢本鉱床と, その北に続く水汲鉱床とである。
峯ノ沢本鉱床は緑色片岩中にある層状鉱床で, 走向 N20°E, 傾斜 30~45°W, 走向延長約 800 m, 厚さ平均 4 m, 傾斜に沿う深さ 170 m の1つの大きな鉱床である。 たゞし深部では母岩を挾んで2枚に分かれている。 鉱床の南端は鉱山南側の大沢と呼ばれる谷附近を通る E–W 断層で断たれている。 北方に向っては, 小断層で転移しつつ, 全体として鉱体は衰弱する。 富鉱体の落しは 7°S で, したがって富鉱体はむしろ水平に近く延びたものといえ, 走向延長が大きい割合には深部に続かない。 鉱石は縞状ないし塊状を呈する。 黄銅鉱および黄鉄鉱を主とし, 閃亜鉛鉱を含み, 所によって磁鉄鉱を多量に含み, あるいは磁硫鉄鉱を混える。 𨫤石は脈石英のほかに, 母岩を構成する緑泥石・緑簾石等からなる。 鉱床に接する母岩は著しく緑泥石化されて黒緑色を呈し, また石英細脈を多く持つ。 鉱石の平均品位は銅 1.0 %, 亜鉛 1.5 %, 硫黄 18 % といわれる。
水汲鉱床は, 峯ノ沢本鉱床の北の延長に当るものが E–W 断層で切られて北東に転移し, かつ鉱化作用がふたゝび勢を得た部分と考えられている。 緑泥片岩を母岩とする。 母岩の走向は N 10°W, 傾斜は 30°W, 線構造は南へ約 10°に落す。 鉱床の厚さは最大 7.5 m に達する。 鉱石の平均品位は銅 1.2 %, 亜鉛 1.5 %, 硫黄 22 % といわれる。 鉱体の上盤側は珪質でかつ磁鉄鉱に富む。 鉱床の北方にも E–W 断層があり, これと南方の断層との間約 200 m の範囲に鉱床は賦存すると推定されている。
水汲鉱床の北方の図幅外には, 久根鉱山の支山である名合鉱床に至る間に, 奥城・蟹沢・ 牧野 ・大萩等の露頭がある。 また鉱山南側の大沢の南の山地には, 井戸沢・ 西ケ池 沢等の露頭がある。 鉱床の附近には小断層や地辷りが多いので, これらの露頭や地表の鉱石塊は, 鉱床の本体から移動しているおそれがあって, 探鉱を困難にしている。
鉱業の現状 : 鉱山は日本鉱業株式会社によって経営され, 昭和 26 年における従業員数は約 500 名である。 峯ノ沢本鉱床は, 水平・上下ともにおもな探鉱・開発を終り, 古くから引続き採掘されている。 水汲鉱床は開発の初期にある。 その他の露頭の一部に関しては探鉱が進められている。 採掘された鉱石は, 全泥優先浮游選鉱法によって, 銅・亜鉛および硫化鉄のそれぞれの精鉱とされる。 最近数年間の産額を次に示す。
| 年 | 銅精鉱 | 硫化鉄精鉱 | ||
|---|---|---|---|---|
| 鉱量(t) | 品位(銅 %) | 鉱量(t) | 品位(硫黄 %) | |
| 昭和 22 | 734 | 15.0 | 3,915 | 46 |
| 23 | 1,013 | 16.6 | 6,758 | 46 |
| 24 | 1,018 | 18.1 | 3,303 | 44 |
| 25 | 2,156 | 17.9 | 16,862 | 45 |
| 26 | 3,643 | 12.1 | 21,193 | 45 |
| (資源庁統計) | ||||
別に亜鉛精鉱は月産約 60 t といわれる。
西川村西 雲名 の北約 2 km の天竜川西岸の県道の下に, かつて含銅硫化鉄鉱を小規模に探鉱した旧坑がある。 この坑道は約 24 m の𨫤押を行い, 断層に当って終っている。 昭和 26 年以来日本鉱業会社等によって大沢鉱山と称せられて, 探鉱が再開され, 旧坑の北西方において磁気探鉱の結果を基にして, 新たに坑道が設けられている。
大沢鉱山の天竜川対岸にも旧坑があり, その鉱床は走向延長約 60 m, 厚さ最大 1.2 m, 鉱石の平均品位銅 0.8 %, 昭和 5~10 年の間に約 200 t を出鉱したといわれる。
竜川村伊砂附近にも, かつて探鉱された鉱床があるが, 施設はまったく残っていない。 この附近はおもに黒色千枚岩からなるが, 記録によれば, 鉱床はそのうちに介在する緑色千枚岩を母岩とし, 走向 N 40°E, 傾斜 30°W で, 厚さ 30~50 cm であった。 露頭は 300 m の間に点在していたが, 鉱床は連続性の乏しいレンズ状鉱体の集りであった。 露頭下約 200 m に設けた通洞では着脈しなかった。 鉱床附近には走向 N 35°E, 傾斜約 70°E の断層が多く存在したといわれている。
光明村大渓の東方には, 光明層群の輝緑凝灰岩およびこれに伴なうチャートに附随して, マンガン鉱があり, かつて少しく採取されたことがある。 鉱石はおもに栗色マンガン鉱である。
竜川村西雲名附近等には結晶片岩中に少量のばら輝石を産し, これが地表附近では黒色マンガン鉱に化しているが, 採掘に足るものはない。
上阿多古村落合の東方には, 結晶片岩中に滑石片岩があり, そのうち滑石に富む部分が小規模に採取されている。
竜川村大白木の北東に, かつて珪石を採取した跡がある。 母岩は黒色片岩であって, その片理の走向はほゞ NW – SE, 傾斜は 30°W である。 珪石の露頭は数ヵ所にみられ, 鉱床は母岩の片理を切って走る雁行状の石英脈からなると推定される。 石英脈の1つは走向 N 80°E, 傾斜 40°N, 厚さ最大 6 m, たゞし母岩を挾むので実厚 1~3 m, 延長数 10 m である。 珪石としては, 酸化鉄や黒色片岩が多く混っているので, 品質はあまり良くない。
秩父古生層の井伊ノ谷層には, 石灰純度の高い厚い石灰岩層が諸所に介在する。 赤佐村岩水寺附近の石灰岩層は, 平地に接して鉄道に近く位置しており, 東洋産業株式会社と根堅石灰工業所との両採掘場によって採取されている。 月採掘量は前者では 1,500 t, 後者では 400 t といわれる。 いずれも現地に消石灰焼成工場を有する。
光明層群にも石灰岩が含まれているが, 珪質物を含んで不純であり, かつ岩体も小さい。
鮮新統大日砂岩層には厚さ約 5 m の凝灰岩層が介在し, これのべントナイト化した部分を岩室附近で採取したことがある。
結晶片岩類・犬居層群・光明層群・三倉層群および伏間層群の分布する地域では, 片理・劈開または節理に富む岩石や, 軟かい泥質岩あるいは硬軟の岩石が細かに互層するものが多く含まれ, 加えて摺曲・断層等で強く擾乱されているので, 岩石は一般に崩壊しやすく, 山崩れ・地辷り等を生じ易い。
天竜川の河谷は山地に深く穿入していて, 河岸はとくに急傾斜であり, 流域には崩れ易い結晶片岩ないし千枚岩が分布するので, 大雨の後には崩壊を惹起して, 河谷に沿う交通路を杜絶させることが多い。
犬居層群・光明層群・三倉層群等に多く存在する砂岩頁岩互層においては, 頁岩が水を含むと膨脹して互層の内部から地表に押し出されて流失し, 岩盤を緩めて崩壊を誘致することがある。 また三倉層群等に多く存在する走向断層による擾乱部には, 小規模な山崩れが至る所に生じている。
犬居町和泉平と小奈良安とには, 地辷りがあって緩慢に進行中である。 和泉平の部落は, 稜線に近く位置する平坦地にあり, この平坦地が辷りつゝある。 家屋は傾き, 平坦地の面積は次第に狭くなっている。 この原因は, この地に分布する三倉層群の田能層に属する粘板岩のうち, 断層によって擾乱された部分が黒色泥状と化し, これが地下水によって洗い出されて, それより上位の岩層が辷るからである。 地辷り地の下方の谷には多量の黒色泥が堆積している。 小奈良安においても, 和泉平と同様の現象がみられる。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Kyōto, No.48
By MASATSUGU SAITŌ & HIROSHI ISOMI (Written in 1954)
The area mapped is constructed chiefly of the rocks which are characteristic of "the Outer Zone of Southwest Japan", such as crystalline schists, Paleozoic and Mesozoic sediments, and basic to ultrabasic igneous rocks. The zonal distributions and the intense foldings of rocks, which are common in the Outer Zone, prevail also in this area, but these structures are disturbed by conspicuous faultings in later times.
In the southern part of the area mapped the Neogene Tertiary and Pleistocene deposits are exposed showing gentle structures. The extensive and typical occurrences of these deposits are known in the districts adjacent south and east of the mapped area.
The crystalline schists belong to the so-called Sambagawa and Mikabu, or the Nagatoro metamorphic complex.
They consist mostly of black- or green-colored tectonites. The black-colored ones are usually represented by highly fissile graphite-sericite-quartz schist or phyllite. On advanced metamorphism black schists increase in siliceous nature. In some weakly metamorphic parts occur schistose clayslate and sandstone which retain the original sedimentary textures. The green-colored rocks are composed chiefly of epidote, chlorite, actinolite and albite in varying proportions, and contain green hornblende sporadically. Some weakly metamorphosed rocks carry pyroxene and soda-lime feldspar which are the relict minerals from the original rocks. In case of special metamorphism, both of the black and green schists carry large rounded or eye-shaped porphyroblasts of albite which give spotted appearances in hand specimen.
A belt which is presumably a tectonically disturbed zone runs with northwest trend along the River Atago in the southwestern part of the mapped area, and this belt divides the terrain of the crystalline schists into the northeastern and southwestern parts.
The northeastern part covers the major part of the crystalline schists terrain. The rocks in this part have generally north-north-west strikes and westward dips. They are mostly crystalline schists remarkably metamorphosed. The southwestern part of the crystalline schists terrain possesses an extensive area in the west adjacent map. In that area the rocks are arranged in zones with east-north-east trend, and are, on the whole, more weakly metamorphic than those in the northeastern part. In the area mapped there occurs only the eastern edge of this part, and its structure is disturbed.
Each of the two parts is further divided, tectonically, into several zones, as follows :
Atago zone : This zone is the western half of the northeastern part of the crystalline schists terrain. It is composed mostly of quartz schists, siliceous black schists, spotted schists, and non-spotted black and green schists. Piedmontite-bearing schist, schistose limestone, serpentine and talc schist crop out as small lenticular bodies.
In the southern part of this zone the rocks are weakly metamorphic and phyllitic, whereas they seem stratigraphically equivalent to some of the above noted, remarkably metamorphosed schists.
Tatsuyama zone : This zone is the eastern half of the north-eastern part of the crystalline schists terrain and is bounded from the Atago zone by a strike fault. The composing rocks are black schists and green schists which are remarkably metamorphosed in general. Hornblende is contained in some of the green schists.
In the southern part of this zone, however, the rocks turn weakly metamorphic phyllites, schistose clayslate or schistose sandstone.
Funatsuki zone : This zone is the northernmost of the south-western part of the crystalline schists terrain. Green-colored rocks including epidote-chlorite-albite schist and amphibolite are predominant, the remainders being small patches of black schists. Some of the green schists contain pyroxene.
Shizutama zone : This zone represents the central parts of the southwestern part of the crystalline schists terrain. It is constructed of repetitions of black and green phyllites, and is cut by many intrusive bodies of diabase and peridotite-serpentine. The green phyllite commonly contain angular fragments of pyroxene and soda-lime feldspar in the matrix of epidote, chlorite, albite and other minerals.
Ishigami zone : This zone is the southernmost of the south-western part of the crystalline schists terrain. The rocks in this zone are weakly metamorphic. They comprise black phyllite, schistose clayslate, schistose sandstone and a little green phyllite. They are considered to be the schistose equivalents of the Paleozoic Miyakoda formation.
The Chichibu Paleozoics are divided into two formations, the Miyakoda and the Iinoya, which are conformable in apparently ascending order.
The Miyakoda formation is represented by a small outcrop of massive sandstone in the area mapped, whereas the formation consists of clayslate and sandstone at the type-locality situated in the west adjacent map.
The Iinoya formation consists of clayslate, chert, limestone, so-called "Schalstein" and a little sandstone. Limestone appears as thick beds, but yields no fossils because of crystalline nature. "Schalstein" includes not only basic tuff but also diabasic massive rocks. In the eastern part of the Iinoya formation, all of the above-noted rocks gradually bear schistosities and turn to black phyllite, quartz schist, schistose limestone and green phyllite, respectively. The transitional line between the non-schistose and schistose parts traverses, with northwest trend, obliquely to the stratigraphical trend.
They occur as elongated bodies nearly concordant along schistosities or beddings chiefly in the Shizutama and Ishigami zones of the crystalline schists terrain as well as in the area of the Paleozoic Iinoya formation.
The rocks are green and are somewhat metamorphosed. They are mostly dense diabasic and partly granular gabbroic in appearance. These two are commonly in transition, but some of the gabbroic rocks clearly cut the diabasic ones. Under the microscope, large or small, blastoporphyritic grains of augite with rounded or embayed outlines are abundantly seen in the matrix of minute to cryptocrystalline crystals of zoisite, serpentine minerals and occasional tremolite. Some of the rocks contain also hornblende as a blastoporphyritic constituent. Plagioclase or even its pseudomorph is commonly absent, thus the original igneous textures are hardly observable. Some marginal parts of the rock-bodies which occur in the area of the crystalline schists bear schistosities.
The geological age of the rocks is obscure, but it may be, at latest, not later than the completion of the metamorphism of the crystalline schists.
Peridotite is composed of olivine and subordinate amounts of pyroxene. It is more or less serpentinized.
Peridotite and serpentine occur as large or small, lenticular or irregular bodies particularly in the Shizutama zone or in association with the diabase and gabbro. The age of occurrence is obscure, but some part of the rocks, at least, are intrusives intimately related to the diabase and gabbro.
The geological age of the Inui group is unclear. Because of the stronger disturbances of rocks, the Inui is probably older than the Mikura in age.
In this group sandstone and clayslate are predominant. They alternate in varying thickness. The sandstone locally turns conglomeratic. Other constituents of the group are numerous small lenses of chert or limestone and a persistent layer of so-called "Schalstein", i. e., basic pyroclastics mixed with diabasic massive rocks. Some of the limestone bodies are of reef-limestone crowded with corals, stromatoporoids and calcareous algae, these fossils being typical in the "Torinosu limestone" known in the Outer Zone of Southwest Japan.
The presence of the limestone of the Torinosu type indicates a part of the Kōmyō group, at least, to be Jurassic in age.
This group is a thick, geosynclinal sediment composed monotonously of sandstone and clayslate (or shale). Thinly bedded alternations of sandstone and clayslate (or shale), the flysch-type deposits, are common.
The geological age is not clear, but is tentatively assumed to be Cretaceous.
The Mikura group is divided into the following successive two formations, which are probably older to younger, reversely to the apparent inclinations of strata.
Tanō formation : This formation is mostly of rhythmic alternations of sandstone and clayslate, in which individual layers are 10 cm ± thick. Clayslate beds, more than 10 m thick, are included in a certain parts, whereas sandstone layers, several meters thick, occur in others. The former facies is named the Tanō type and the latter the Ichinose type. The two facies change to each other, laterally.
Harada formation : In this formation, each of sandstone, shale and rhythmic alternation occurs as beds several hundred meters thick. The rocks which exposed in the more southern areas, that is, on the upper horizons are more coarse-grained in general.
This group occurs in the wedge-shaped block bounded by faults in the southeastern margin of the area mapped. The constituting rocks are sandstone and shale, and they are heavily crushed particularly near the faults. The uncrushed parts quite resemble the upper part of the Mikura group. The Fusuma group probably corresponds to the uppermost part of the Mikura group or the lowerpart of the Setogawa group exposed near the River Oi east of the present district. The Fusuma group is tentatively considered to be of Cretaceous or Paleogene age.
The Futamata group unconformably covers the Kōmyō group and is cut away by a fault at the top. It is about 450 m thick and consists of basal conglomerate and sandstone, siltstone and mudstone, and upper conglomerate and sandstone. These rocks are successively conformable and show, as a whole, a complete cycle of sedimentation. The structure is roughly westward monoclinal, though small disturbances prevail throughout the group. The group has been correlated with the lower part of the Oigawa group in the east neighboring district and assigned as older Miocene in age.
The southern end of the fault traversing between the areas of the Kōmyō and Mikura groups splits into diverging faults embracing a wedge-shaped trough, in which various groups of the Neogene Tertiary are exposed. The Odaira group which crops out at the marginal parts of the western half of the trough represents the lowermost of the Neogene. The lower part of the group is made up of conglomerate, sandstone and siltstone, and the upper part is of mudstone. This group is equivalent to the Futamata group, but is treated with another name because of the separated sedimentational basins.
This group covers the major part of the western half of the faulted trough. It is composed of flysch-type alternations of sandstone and mudstone, nearly 400 m in total thickness. Together with the underlying Odaira group, it forms a roughly symmetrical syncline with an axis of north-south trend, but the eastern wing has sunk down by faultings and has been hidden under the overlying Kurami group. The Odaira and Ieda groups may be disconformable, although they are bounded by faults on common exposures. The Ieda group is correlative with the upper part of the Oigawa group which is older Miocene in age.
The distribution of the Kurami group extends farther east beyond the eastern half of the faulted trough. The Kurami group is unconformable to the Ieda group but this relation is not actually observable because of a presence of faults.
The Kurami group is divided into the Amakata and Matsuba formations in ascending order. The Amakata formation consists of conglomerate, sandstone and mudstone. The conglomerate at the base is variable in thickness, up to 300 m thick in the west and practically absent in the east. The Matsuba formation comprises tufaceous mudstone, mudstone and sandstone.
The group has suffered many block movements, but shows a gently monoclinal structure as a whole and does not join in the foldings observed in the Odaira and Ieda groups. The Kurami group is middle Miocene in age.
A small dike of basalt carrying titaniferous augite cuts through the Futamata group.
This bed is composed mostly of sand, carrying gravel at the base and a bentonite layer, 5 m thick, near the base. It rests unconformably on the Kurami group or older rocks and gently inclines southwestwards, suffering no remarkable faultings. It is older Pliocene in age and is the basal part of the Pliocene series known in the Kakegawa district, southeast of the mapped area.
Ogasayama gravel : This gravel bed is heavily dissected so as to have lost the original flat surface. The distribution is up to 250 m above sea level. The typical occurrence is known in the Kakegawa district, and the age of the bed is informed to be older Pleistocene.
Mikatagahara gravel : The Mikatagahara gravel measures more than 70 m in maximum thickness in the area mapped and consist of gravel intercalated with sand layers several meters thick. The flat surface is well preserved and the highest occurrence of the gravel is nearly 150 m above sea level. This bed is younger than the Ogasayama in age.
Tenryūgawa gravel : Two sets of terrace deposits, at least, are observed along the River Tenryū and its tributaries. The upper is comparable to the Mikatagahara gravel in altitude and the lower is situated several meters high above the alluvial plain.
Alluvium : Even along the large rivers such as the Tenryū and the Keta, alluvial plains are ill-developed within the mapped area, because these rivers are of the entrenched meandering natures.
Cupriferous pyrite deposits are embraced along the schistosity-planes of the crystalline schists in the Tatsuyama zone, especially in its eastern part where green schists occur in abundance.
The Minenosawa mine is now working. The ore deposits are in green schists. The main ore deposit is 800 m in horizontal length, 170 m along dip-side depth and 4 m in average thickness. The ore shoots pitch down with 7° southwards, similarly to the general pitch of the lineations seen on the country rocks. Because of the low-angled pitch the ore shoots are vertically not persistent as compared with the horizontal extentions. The ores are massive or banded. They consist of pyrite intimately mixed with chalcopyrite and sporadically with magnetite, pyrrhotite and spharelite. The wall rocks adjacent from the ore deposits are chloritized and are cut by irregular veinlets of quartz. The raw ores contain 0.9 % Cu, 1.3 % Zn and 18 % S in average. The production in 1951 amounted to about 3,600 tons of copper concentrate (12 % Cu) and about 21,000 tons of pyrite concentrate (45 % S). Exploitation on the main ore deposit is almost finished and prospectings are carried out in the surrounding area, especially for a ore body at the northerly extension of the main ore deposit. The prospectings have been troubled by many faults and surface land-slides.
Limestone of the Paleozoic Iinoya formation is very large in amounts. Some of the limestone bodies having facilities of transportation are quarried to roast into lime powders.
Other mineral resources are not economically important. They are as follows :
Manganese ores occur in chert or "Schalstein" of the Kōmyō group. Soft pure parts of talc schists occurring in the Atago zone are mined on small scales. A quartz lode cutting across the schistosities of black schists in the Tatsuyama zone was once quarried as silica stone. The bentonite occurring in the Dainichi sandstone was once worked.
In the area composed of the pre-Tertiary strata, rocks are commonly fragile or soft owing to schistosities, cleavages, closely jointed characters, pelitic natures or heavy disturbances by tectonic movements. Because of these geological features this area is apt to suffer accidents of land-slips and land-slides.
昭和 29 年 11 月 25 日印刷 昭和 29 年 11 月 30 日発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所