10085_1958
5万分の1地質図幅説明書
(金沢 第 85 号)
通商産業技官 山田直利
通商産業技官 村山正郎
地質調査所
昭和 33 年
目次 I. 地形 II. 地質 II.1 概説 II.2 片状ホルンフェルス II.3 変輝緑岩類 II.4 黒雲母花崗岩類 II.5 木曾駒花崗岩 II.6 伊奈川花崗岩 II.7 石英斑岩 II.8 花崗斑岩 II.9 苗木・上松花崗岩 II.10 岩脈 II.11 新第三系(瀬戸層群) II.12 玄武岩類 II.13 古期扇状地堆積層 II.14 段丘堆積層 II.15 崖錐および新期扇状地堆積層 II.16 冲積層 III. 応用地質 III.1 金属鉱床 III.2 非金属鉱床 III.3 亜炭および陶土 文献 図版 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 32 年稿)
(金沢 第 85 号)
本図幅の野外調査は昭和 30 年度に実施され, 図幅地域のうち西部は主として村山が, 東部は主として山田がそれぞれ調査した。 調査に際しては, 野尻・妻籠・坂下の各営林署から種々の便宜を与えられた。 また東京教育大学柴田秀賢教授および大木靖衛氏からは, 未公表の貴重な資料をいたゞき, 益するところが大であった。
本図幅地域内では, ほゞ木曾谷を境として東部の木曾山脈と西部の阿寺山脈とが対立し, さらに南西部はずっと低くなって美濃高原となる。 これらの境界は主として断層であり, その断層運動(第三紀末~第四紀)に伴なって木曾山脈は阿寺山脈に対し, 阿寺山脈は美濃高原に対し, それぞれ相対的に著しく隆起したものと思われる。 すなわち, 木曾山脈と阿寺山脈とは 三留野 - 妻籠 - 馬籠 峠をむすぶ NNE - SSW 方向の線(北半部は木曾川本流にほゞ一致し, 南半部は馬籠峠断層に一致する)によって境される。 阿寺山脈と美濃高原とは, 川上 川 - 坂下町をむすぶ NW - SE 方向の線(いわゆる阿寺断層 8), 22) )によって境される。 この阿寺断層は, 図幅地域をはなれた北西方の付知・加子母・下呂を経て荻原にまで追跡され, その延長は 80 km に及んでいる。
木曾駒ガ岳(2,960 m)を最高峯とする木曾山脈の南端部が, 本図幅地内にあらわれており, 主として領家花崗岩類からなるが, 南西部では石英斑岩および苗木・ 上松 花崗岩がその一部を占めている。 越百 川・浦川・与川・ 蘭 川などの木曾川の支流によって深く削られ, 本図幅地域内でもっとも急峻な地形をつくっている。 しかし山稜部には各処に平坦面ないし小起伏面が残存し, そのうちでもとくに 摺古木 山(2,200 m)・ 南木曾 岳(1,677 m)・南沢山(1,587 m)などにおいて明瞭に認められる。 また本図幅地内の木曾山地の中央部に, ほゞ南北に走る断層帯( 清内路 峠断層)は地形にもよくあらわれており, 清内路峠をはじめいくつかの峠・鞍部を通る。 この断層の北方の延長部は, 上松図幅地内において木曾山脈西麓のケルンバット地形 5), 9), 33) をつくっており, 木曾山地の急激な隆起を物語っている。
阿寺山脈の南東部が本図幅地内にあらわれており, 大部分が石英斑岩・花崗斑岩, 苗木・上松花崗岩などの新期酸性岩類によって構成される。 柿其 川・川上川などの木曾川支流によって削られているが, 山稜部は比較的平坦であり, その高度は北部の夕森山附近(1,500 m 内外)から南へ向かって次第に減じ, 木曾川を越えて 高土幾 山附近に達すると 1,000 m 内外となる。
本図幅地内でもっとも低く, 最高は高峯山(944.7 m)であるが, 普通は高度 400~600 m の丘陵地を形成し, 図幅地域をはなれて西方へ広くつゞいている。 当地域では大部分第三紀の瀬戸層群や玄武岩・扇状地堆積層などによって覆われている。 河岸段丘は, この高原を削って流れる木曾川およびその支流落合川に沿ってやゝ広く発達し, 坂下町では少なくとも3段の面が識別される。
本図幅地域は主として, 東半部を占める領家帯 [ 以下の [注] 参照 ] の変成岩類・花崗岩類および西半部を占める新期酸性火成岩類からなり, それらを被覆する瀬戸層群・玄武岩類および第四紀層は, 主として図幅地域南西部に僅かに分布している。 これらの地質を総括して第 1 表に示す。
| 現世 | 沖積層 | |
| 崖錐および新期扇状地堆積層 | ||
| 洪積世 | 段丘堆積層 | |
| 古期扇状地堆積層 | ||
| 鮮新世 | 玄武岩類 | |
| 瀬戸層群 | 上部砂礫層 | |
| 夾亜炭層 | ||
| 下部礫層 | ||
| 新期酸性火成岩類 (中生代末期 ?) | 岩脈(文象斑岩・石英斑岩・珪長岩) | |
| 苗木・上松花崗岩 | ||
| 石英斑岩(火山角礫岩挟有)~花崗斑岩 | ||
| 領家変成岩類および花崗岩類 | 伊奈川花崗岩 | |
| 木曽駒花崗岩 | ||
| 黒雲母花崗岩類 | ||
| 変輝緑岩類 | ||
| 片状ホルンフェルス | ||
中部地方内帯では主要な構造として, 領家帯・非変成古生層帯・飛騨帯の3帯が NE - SW 方向にのびて帯状に配列するが, 一方新期酸性火成岩類, とくに石英斑岩はこれとほゞ直交する NW - SE 方向にのびた広大な分布を示し, その南東端は領家花崗岩類の地域にまで入りこんでいる。 本図幅地域は, このような領家帯と, 石英斑岩とが交錯する部分に相当し, しかも石英斑岩に引続いて苗木・上松花崗岩 [ 以下の [注] 参照 ] が広汎に貫入している。 このために, 本来の領家帯西縁部の状態を復原することは非常にむずかしい。
本図幅地域北方の上松図幅 33) および伊那図幅の地域内には, 非変成ないし低変成度(黒雲母粘板岩で代表される)の古生層が広く分布し, 南東にゆくに従って次第に変成度が高まり, 片状ホルンフェルス帯を経て, 赤穂図幅 30) 地内の太田切川流域では縞状片麻岩が広く発達する。 しかし, それより以南では領家変成岩の分布は非常に断片的となる。 本図幅地内でも, 変成岩類(ほゞ上述の片状ホルンフェルス帯の変成度を示す)は すべて領家花崗岩類の広汎な貫入を蒙り, 大平峠附近その他において断片的に分布する程度であるが, このようなホルンフェルスの片理は, 中部地方領家帯の一般的な構造方向(NE - SW)を明瞭に示している。 これらの片状ホルンフェルスとはかなり離れているが, 本図幅地域南西部の馬籠部落附近に 苗木・上松花崗岩に捕獲された片状ホルンフェルスがあり, 領家変成帯の西縁は少なくともそれより西方にあったと考えられる。
本図幅地内の領家花崗岩の大半を占める伊奈川花崗岩(粗粒角閃石黒雲母花崗岩)は, 北東方の赤穂図幅地内において命名されたものであり, 赤穂・飯田・上松・妻籠の各図幅地域にまたがって分布し, さらに南方に広がっている。 この花崗岩のなかには, 上述の片状ホルンフェルスをはじめ, 変輝緑岩・細粒~中粒黒雲母花崗岩(いわゆる門島型 10) )などの大小の岩体が捕獲されている。 また伊奈川花崗岩の西側には木曾駒花崗岩(中粒斑状黒雲母角閃石花崗閃緑岩)が分布し, 伊奈川花崗岩と大部分断層関係で接するが, おそらく伊奈川花崗岩以前に貫入したものと考えられる。 たゞし, 木曾駒花崗岩の本体 30) (赤穂図幅において木曾駒花崗岩Iとされた中粒角閃石黒雲母花崗閃緑岩)は, 赤穂図幅地内において領家変成帯の構造を切って貫入し, それに対して著しい接触変成作用 30), 32) を与えているが, このような木曾駒花崗岩の本体と, 本図幅地内に分布する斑状の部分との相互関係は, 明らかでない。
以上の領家帯の形成後, 中生代末期にはいって本地域はふたゝび火成活動 6) の舞台となった。 まず, 広大な地域にわたって石英斑岩 [ 以下の [注] 参照 ] が流出した。 その内部に石英斑岩質の火山角礫岩を各処に挾有しているので, この噴出は繰返して行われたものであろう。 石英斑岩に引続いて花崗斑岩がそのなかに貫入し, 最後にこれらすべてが苗木・上松花崗岩によって貫入をうけた。 苗木・上松花崗岩のマグマは貫入, 固結に際して, 石英斑岩~花崗斑岩に対して明瞭な熱変成作用を与え, また花崗岩自身も広範囲にわたってその周縁相(浅部相)をもつにいたった。 この酸性火成活動の末期には, 交象斑岩 [ 文象斑岩 ? ] ・石英斑岩・珪長岩などの岩脈が活動し, そのあるものは領家花崗岩類を貫ぬき, あるものは明らかに苗木・上松花崗岩を貫ぬいている。
本地域の南西方に当る岩村・瑞浪・瀬戸などの地域では, 第三紀中新世にはいって瑞浪層群が堆積したが, 本地域には及ばなかった。 その後鮮新世に至って, 図幅地域南西隅の中津川市周辺が堆積盆地化し, 種々の陶土原料を含む夾亜炭層や砂礫層からなる, 陸成の瀬戸層群 14) が堆積した。 瀬戸層群全体からみれば, 本地域はその周辺部に相当する。 この堆積の末期に坂下町附近において玄武岩の噴出があった。 第四紀にはいり, 本地域南方の後背山地(恵那山など)の急激な隆起に伴なって 多量の扇状地堆積物が供給され, その後これらを刻む河川に沿って段丘堆積層が堆積した。
本図幅地域の地質構造の方向を代表するものには, ① NE - SW, ② NW - SE, ③ N - S~NNE - SSW の3方向がある。 第1の方向はすでに述べたような領家変成岩の構造の方向である。 第2の方向は, 石英斑岩の生成に関与した構造運動の方向であろうと推定されるが, 現在みられるものは, 石英斑岩と苗木・上松花崗岩との両者を切る直線状の阿寺断層であり, この断層谷に沿って瀬戸層群の堆積や玄武岩の噴出が行われた。 第3の方向は, 第四紀にはいってからの木曾山脈の隆起に伴なって生じたと思われるもので, 清内路峠断層や馬籠峠断層などで代表される。
本岩は, 主として伊奈川花崗岩の分布地域の南半部に大小の岩体として分布し, とくに大平峠周辺においてやゝ広く発達する。 地域の北半部では, 越百川の流域に幅 2 m 内外の黒雲母ホルンフェルスの1岩体が認められるだけである。 このほか, 図幅地域南西部の馬籠部落北方には, 苗木・上松花崗岩中に捕獲された幅 10 m 内外の小岩体がある。 以上の片状ホルンフェルスは, すべて, いわゆる秩父古生層の粘板岩(少量の砂岩・チャートを混える)に由来する 領家変成岩に包括されるものと思われる。
大平峠周辺のホルンフェルスは, 細粒で弱い片理をもち, その走向は N 40~60°E であるが, 傾斜は一定しない。 伊奈川花崗岩および細粒黒雲母花崗岩は各処で本岩の片理の方向に沿って貫入し, その末端は珪長質の細脈として本岩中にしみこんでいるが, これらの花崗岩による熱変質は不明瞭である。 粘板岩に由来するホルンフェルスは, その鉱物組合せから, (1) 菫青石黒雲母ホルンフェルス・ (2) 黒雲母ホルンフェルス・ (3) 白雲母黒雲母ホルンフェルスの3種が区別されるが, (1) がもっとも多い。
苗木・上松花崗岩に捕獲されたホルンフェルスは, 粘板岩を原岩とし, 黒雲母の平行配列による顕著な片理をもっているが, 上述のものよりもずっと細粒(石英の平均粒度 0.05 mm 内外)であり, また微細な絹雲母がやゝ淡色の黒雲母と相集まって, 径 1 mm 内外の斑点状をなしているなどの違いがみられる。
本岩は伊奈川花崗岩の分布地域にのみ存在し, とくにその北部の越百川および浦川流域に多い。 普通幅数 m~数 10 m の岩脈状あるいは岩床状を呈し, しばしばほゞ水平に近い層状をなして伊奈川花崗岩中に数多く密集する。 常に伊奈川花崗岩に由来するアプライト質ないしペグマタイト質の細脈に貫ぬかれており, また飯田図幅地内で観察される場合と同じく, 本岩の花崗岩化作用の産物と考えられる細粒黒雲母花崗岩(いわゆる門島型 10), 30), 31) )の岩相を密接に伴ない, それらが全体として伊奈川花崗岩に捕獲された様相を呈している。
本岩は普通細粒, 緻密, 暗緑色~灰緑色であり, 片理構造をまったく有しない。 混成作用を強く蒙った部分には, 長さ 5 mm にも達する斜長石の斑状変晶の散点することが多い。 その鉱物組合せは, (1) 斜長石 + 角閃石 + 黒雲母 + 少量の普通輝石, (2) 斜長石 + 角閃石 + 黒雲母 + 少量の石英, (3) 斜長石 + 石英 + 黒雲母 + 少量の角閃石, などであるが, (1) の組合せのものは南部の漆畑部落にみられるだけであって, 他の大部分は (2) と (3) である。 本岩が輝緑岩質岩石に由来するものであることは, 鏡下の組織の特徴から読みとることができる(図版 II - 1 参照)。
以上述べた岩類のほかに, 清内路峠の北方には, 角閃石玢岩ないし角閃石安山岩に由来すると思われる変成岩がある。 本岩は幅 10 m 内外の岩脈として主としてホルンフェルスを貫ぬき, 部分によっては原岩の流理構造(?)をとゞめている。 斑晶の角閃石(?)はすべて微細な黒雲母と鉄鉱の集合物に変化しており, 石基は完全に再結晶して, 半自形斜長石と粒状石英との集含物に変わっている。
本岩類は, 変輝緑岩類と同じく, 伊奈川花崗岩の分布地域内の各処に, 大小の岩体をなして分布する。
北部の越百川・浦川・与川の流域では, 幅数 m~数 10 m 程度の岩脈状ないし岩床状の小岩体をなして, 伊奈川花崗岩に捕獲されており, また変輝緑岩類の縁辺部またはその内部にもこれと同質の優白色の部分が生じている。 このような産状は飯田図幅 31) 地内の細粒黒雲母花崗岩の場合とまったく同様である。 本岩類は灰白色~青灰色, 細粒, 緻密の黒雲母花崗岩を主体とし, 径 1 mm 内外の黒雲母, ときには斑晶状のカリ長石や石英を散点する。 ところによっては粒状の石英を増し, やゝ中粒になった部分もある。
中央部の摺古木山から 床浪 本谷の上流にいたる, 高度 2,000 m 内外の山稜をつくるやゝ大きな岩体は, 比較的均質な中粒黒雲母花崗岩からなり, 飯田図幅地内の市田花崗岩によく似ている。 粗粒の石英や斑状の斜長石がとくに顕著である。 伊奈川花崗岩との関係は明らかでないが, おそらくそれより以前に形成されたものと思われる 31) 。
南部の清内路峠 - 大平峠の附近のものは, 暗灰色, 細粒, 緻密の黒雲母花崗岩であり, ホルンフェルスと密接に相伴ない, そのなかへ細脈としてしみこむことがある。 本岩中には変輝緑岩質の部分はほとんど含まれていない。 伊奈川花崗岩との境界は普通きわめて明瞭であり, その附近で伊奈川花崗岩自体, およびそれに由来する アプライト質ないしペグマタイト質の細脈によって貫ぬかれることが多い。
南端部の清内路村にも細粒~中粒の黒雲母花崗岩が分布するが, 上清内路では柱状の緑色普通角閃石を主成分鉱物として加え, またレンズ状の塩基性包有物を各処に含む。 また下清内路では 淡紅色の柘榴石をもつアプライト質岩脈によって各処で貫ぬかれている。 本岩は南方へ続いて, 7万5千分の1恵那山図幅 4) で片状構造をもたない角閃石黒雲母花崗岩と呼ばれている, 大きな岩体に連続するものと思われる。 伊奈川花崗岩との関係は不明である。
本岩は本図幅地域の北半部に分布し, ほゞ NE - SW 方向の伸びをもって, 北方の上松図幅地域に続く。 本岩の主体は, その東縁部で N - S~NNE - SSW 傾向の断層群(清内路峠断層)によって, 東方の伊奈川花崗岩と境されているが, 西縁部および南縁部では新期の苗木・上松花崗岩によって囲まれ, その貫入を蒙っている。 しかし伊奈川花崗岩中にも, 上述の断層群に近接した地域にかぎって, 本岩の径数 10~数 100 m の小岩体が分布しており, そこではおそらく伊奈川花崗岩によって貫入, 捕獲されたものと推定される。 なお, 北方の上松図幅 33) 地内の倉本附近では, 本岩の延長に相当する岩石が伊奈川花崗岩(この附近ではやゝ優白色)に接し, それに由来する大小の花崗岩質の脈によって貫ぬかれているという事実がある。
本岩は, 長径 2~3 cm の斑状のカリ長石を散点する中粒, 優黒色の角閃石黒雲母花崗閃緑岩を主体とする。 処によっては斑状構造を欠き, このような部分は, 赤穗図幅 30) 地内において 木曾駒ガ岳を形成する中粒角閃石黒雲母花崗閃緑岩(いわゆる木曾駒花崗岩 I)と, まったく同質である。 片状構造はまったく認められない。 長径数 cm~数 10 cm の卵形ないしやゝ角ばった塩基性包有物が, 普遍的かつ多量に存在することが特徴である(図版 1 参照)。
緑色普通角閃石・黒雲母・斜長石の組合せからなるものが多いが, しばしば角閃石の中核部にレリック様の普通輝石が含まれており, また少量の石英やカリ長石の加わることがある。 斜長石は普通長さ 0.2~0.5 mm 程度の, 半自形拍子木状ないし粒状を呈し, 累帯構造が著しく, ときには長さ 2~3 mm の斑状変晶に成長していることがある。
本岩は, 本図幅地内の領家帯の大半を占める。 灰白色粗粒の角閃石黒雲母花崗岩を主体とし, 斑状にカリ長石を散点することが多い。 片状構造は普通認められないが, 越百川・浦川・黒川流域などでは有色鉱物の配列によるやゝ微弱なものが認められる。 レンズ状の塩基性包有物も, これらの地域を除いては比較的乏しい。 有色鉱物は, いくつかの個体が相集まってカリ長石や斜長石のふちをとりまいたり, クロット状を呈する傾向が強く, 単独の結晶をなすものはまれである。
伊奈川花崗岩の分布地域には, すでに述べたように, 片状ホルンフェルス・ 変輝緑岩類・ 黒雲母花崗岩類・ 木曾駒花崗岩などの大小の岩体が各処に分布しており, その多くは伊奈川花崗岩によって捕獲, 迸入され, また種々の混成作用をうけている(各項目参照)。 伊奈川花崗岩と, その西方の石英斑岩, 苗木・上松花崗岩および木曾駒花崗岩とは, 大部分 N - S~NNE - SSW 性の断層群によって区切られているため, 相互の貫入関係が明らかでないことが多い。 このうち, 石英斑岩は清内路峠附近において本岩を被覆することがほゞ確実である。 本岩と苗木・上松花崗岩との接触関係は確実にはわかっていないが, おそらく後者が前者を貫ぬいたものと推定される。 また本岩体内の各処(上山沢・下山沢上流・大平北方・広瀬北方)には, 本岩と明瞭な境界をもたずに, 苗木・上松花崗岩の本体とほとんど区別できない優白色粗粒黒雲母花崗岩の岩相が存在するが, 本岩とともにこゝで記載することにする (「II.9 苗木・上松花崗岩」の「粗粒黒雲母花崗岩」の項参照)。
木曾 - 美濃 - 飛騨地方に, 広大な分布を示す石英斑岩類のほゞ南東端に相当する部分が, 本図幅地域の北西部および南西部に分布している。 本岩は次のようなことから, 主として地表に溢流して生じたものと考えられる。 (1) 清内路峠附近では, 本岩は領家花崗岩類に対して地形的に上位に存在し, それらを被覆するように思われる(境界部は露出不良のため確認できない)。 (2) 吾妻村南沢山・ 男埵 山および中津川市板橋北方には, 本岩中に厚さ数 10 m 程度の火山角礫岩が, ほゞ水平に挾有されている。 (3) 中津川市玉蔵橋附近の木曾川沿いの露頭には, 北方へ緩い傾斜(30°以内)を示す流理構造が認められる(図版 2 参照)。 (4) 北方の上松図幅地域においては, 本岩は各地で古生層を不整合に被覆し, またその基底部に礫岩・火山砕屑岩などからなる阿寺層 28), 33) (上部白堊系 ?)を伴なっている。
本岩はきわめて堅硬であり, 風化面では灰白色~淡褐色を示すが, 新鮮な部分は暗灰色~青灰色を示すのが普通である。 径数 mm~1 cm の石英・長石および有色鉱物の斑晶が, 緻密, 暗灰色(ときにはほとんどガラス質)の石基中に散在し, 一般に過斑晶質である。 また古生層に由来する捕獲岩の小断片を含むことが多い。
本岩は, 苗木・上松花崗岩との接触部に近づくと, 著しく熱変質をうけ, 石基は再結晶し, 新鮮な露頭でも灰白色を呈するようになる。 このような熱変質は, 北西部の柿其川・岩倉沢・田立ノ滝沢・川上川などの流域においてとくに顕著であり, 水平距離 1 km 以上にわたってその影響がみられる。 これらの地域では, 苗木・上松花崗岩もとくに広汎な周縁相(浅部相)をもっている。 図幅地域内の他の地域のものも鏡下では明らかに熱変質の影響が認められ, 北方では上松図幅地域内の奥三界岳附近, 南方では中津川図幅地域内の富士見台高原に至ってはじめてその影響のないものがあらわれる。
本岩は南沢山および男埵山附近では, ほゞ 1,200 m 程度の高度に沿って, 石英斑岩中に断続約に挾有される。 径数 10 cm 以下の石英斑岩の角礫および 古生層のチャート・粘板岩・砂岩 (多くは弱い熱変成作用をうけたホルンフェルスである)の角礫を主とし, 凝灰質の物質で充塡され, 非常に堅硬である。 また中津川市板橋北方では, 本岩は主として石英斑岩の角礫からなり, その下底部(高度 420 m 内外)は石英斑岩をほゞ水平に覆っており, また苗木・上松花崗岩に由来するペグマタイト脈が, 明らかに本岩と石英斑岩の両者を貫ぬいている。
本岩は各処で石英斑岩に伴なって産し, 暗緑色~暗灰色の石基(石英斑岩よりやゝ粗粒)中に 長さ 1~3 cm 程度の長石および石英を散点し, 著しく斑状かつ過斑晶質である。 山口村 高土幾 山周辺・吾妻村南沢流域・田立村田立ノ滝附近などに, 比較的大きな岩体が分布するが, それらと石英斑岩との関係は不明である。 本岩は図幅地域南西隅の落合川ダム上流の木曾川沿いにおいて, 石英斑岩と狭い幅で交互にあらわれ, また著しく圧砕されている。 玉蔵橋南方の道路沿いにおいても 花崗斑岩は石英斑岩との接触部附近で同様な圧砕作用を蒙っている。 一方, 玉蔵橋から数 100 m 上流の木曾川の河床では, 石英斑岩の流理構造を明らかに切って貫入している, 脈状の花崗斑岩が認められる。 以上の諸事実から考えると, 本岩の主要部は下部でほゞ固結を終え, 石英斑岩の流出後断層運動に伴なって上昇し, 現在の位置を占めたが, その一部分は石英斑岩中に脈状に貫入したものと思われる。
本岩は, 苗木・上松花崗岩の貫入をうけ, 接触部附近では石基はやゝ優白質に変わるが, 一般に花崗岩による影響は石英斑岩の場合ほど明瞭ではない。
本岩は上松・妻籠・付知の3図幅地域にまたがって分布し, 全体として中部地方内帯の広大な石英斑岩類のほゞ南東端部に位置する。 付知図幅地域内の苗木附近では古くから稀元素鉱物を胚胎するペグマタイト鉱床 6) を産することで有名である。 本図幅地内ではアンチモン・銅・鉛・亜鉛などの小規模な鉱床を各処で胚胎している。 本岩は木曾川本流および支流の蘭川・川上川・落合川などの流域に発達し, 他の岩石とくに石英斑岩~花崗斑岩に対して相対的に高度の低い地域に露出する。 本岩の主体は比較的均質な粗粒黒雲母花崗岩であるが, 石英斑岩類に近接する附近には, 斑状黒雲母花崗岩および アプライト質黒雲母花崗岩などからなる周縁相(上部相:浅部相)が広く発達しており, また図幅地域南西部の中津川市内には, いわゆる苗木型と称せられる細粒~中粒黒雲母花崗岩の岩相が発達している。
当地域の苗木・上松花崗岩の主部を構成し, 優白色, 塊状である。 黒雲母は径 1~3 mm の独立自形の結晶として散在することが多いが, ときにはそれらが集合してクロット状を呈する。 石英とアルカリ長石に富み, 前者は透明淡褐色~灰色で, 粒状ないし自形の径 5 mm 以下の斑晶状をなし, 後者は不透明白色で, ときには長さ 2~3 cm の斑状の結晶をなす。
本岩と伊奈川花崗岩とは, 粒度や色についてはよく似ているが, つぎのような諸点で普通は容易に区別できる。 (1) 塩基性包有物が非常にまれである, (2) 片状ホルンフェルス・変輝緑岩類・細粒~中粒黒雲母花崗岩などの大小の捕獲岩体は 絶無に近い(たゞし南木曾岳東方の大井戸沢上流には, 木曾駒花崗岩を捕獲し, 同化したと思われる中粒優黒色の岩相がある), (3) 角閃石をほとんど含まない(たゞし吾妻付大妻籠附近には 黒雲母のクロットに伴なってほゞ自形の緑色普通角閃石が生じている), (4) 黒雲母はクロットをなすことはあっても, シュリーレン状に配列して片状構造を呈することがない, (5) 石英はしばしば自形結晶をなす。 しかし, 上山沢・下山沢上流や広瀬北方地域などの伊奈川花崗岩は, しばしば著しく優白色で, 角閃石の量も少ないため, 本岩と識別が困難である場合が多く, 本岩の生成に伴ないその影響を広範囲にわたって蒙ったものと思われる。
本岩は木曾駒花崗岩を明らかに貫ぬき, その境界は常に明瞭である。 大桑村城山北方では, 本岩の縁辺部に幅 2~3 cm のアプライト質花崗岩の縞状の部分が生じ, その外側に著しく有色鉱物の濃集した部分があって, 直接木曾駒花崗岩につゞいている(第 2 図参照)。 与川支流の南沢上流でもこれと同様な関係がみられるが, この場合には肉眼でも明瞭な文象組織を示す脈状および塊状のペグマタイトが接触部に沿い, 両方の花崗岩にまたがって生じている。 しかし与川支流の下山沢上流では, 川筋に沿って両者が数 10 m 程度の幅で何回もくり返して現われ, その接触部には, しばしば両者が混り合って片状構造をもった岩相が, 数 m にわたって生じていることがある。 この下山沢上流のものは苗木・上松花崗岩体の東端部に相当し, その岩相は, 前述の伊奈川花崗岩との境界附近のものと同じく, 比較的深部の岩相を代表するものではないかと考えられる。
本岩が石英斑岩~花崗斑岩に近接すると, 後述するような周縁相がかなり広い範囲にわたって生じるのが普通であるが, 吾妻付南沢流域など(とくに垂直に近い接触面をもつ場合)では, 本岩はアプライト質縞状部を経て直接石英斑岩~花崗斑岩に接し, 後者に対して狭い幅で顕著な熱変成作用―再結晶作用を与えている(第 3 図参照)。
この岩相が発達するのは 図幅地域北西部の柿其川流或・田立ノ滝附近・川上川流域および 図幅地域南西部の落合川上流附近などであり, 石英斑岩~花崗斑岩をとりまくようにして分布しており, これらとの接触部から水平距離数 10 m~1 km の幅で発達する。 この岩相の部分は, その地形約な分布から考えて, 底盤状の苗木・上松花崗岩が石英斑岩類に接触する, その天井に近い部分が露出しているものと推定されるから, この周縁相は同時に上部相(浅部相)を代表するものであろう。
この周縁相はもちろん均質なものではなく, 斑晶状の石英や長石(ときには黒雲母)による 顕著な斑状構造を示す部分(斑状黒雲母花崗岩)や, あまり斑状構造を示さない アプライト質の部分(アプライト質黒雲母花崗岩)が混り合っている。 本岩相に伴なって塊状のペグマタイトが不規則に生じ, またしばしば黒雲母の濃集した黒色の部分が, 幅数 cm の縞をなして何本も平行に走っている。 苗木・上松花崗岩の本体を構成する粗粒黒雲母花崗岩と同様な岩相も, この周縁相のなかに出現する。 アプライト脈はこれらのすべてを直線的に切って貫入している(第 4 図参照)。 この岩相と苗木・上松花崗岩の本体とは狭い範囲で漸移するらしい。
石英斑岩類に対しては, 苗木・上松花崗岩の本体が直接貫入している場合よりも, はるかに広い範囲にわたって熱変質を与えており, このため接触部附近の石英斑岩類のあるものは著しく優白色になり, 一見細粒斑状花崗岩とよく似た外観を呈することがある(柿其川上流など)。 また, 幅数 cm~数 10 cm のアプライト質ないしペグマタイト質の脈として, 接触部附近の石英斑岩類を貫ぬき, そのあるものでは, 1つの脈のなかに アプライト質の部分とペグマタイト質の部分とが いろいろな関係をもって共存している(第 5 図参照)。
主として中津川市板橋附近に分布し, 西方の付知図幅地域につゞいて, いわゆる苗木花崗岩 6) の主体を形成するものである。 本岩の特徴としては, (1) 塊状ないし晶洞式のペグマタイトが普遍的かつ漸移的に存在し(図版 3 参照), (2) しばしば黒雲母の濃集した優黒色の部分を捕獲岩様に包有し, (3) 一般に黒雲母は径 1 mm 内外でクロットをつくらずに散点し, (4) ほゞ自形の石英とカリ長石とが平均 2~3 mm 程度の等粒状組織を構成し, 斑状構造を示すことなく(図版 IV - 3 参照), (5) 斜長石の量が非常に少ない, などの諸点が挙げられる。 板橋北方では, 石英斑岩に対してほゞ水平な接触面をもって下方から接し, 石英斑岩はその熱変質をうけて著しく優白色となっている。 なお本岩と類似の花崗岩は, 田立村伊勢山西斜面や大桑村柿其川流域などにおいて局部的に発達することがあるが, その附近の粗粒黒雲母花崗岩との関係は明らかでない。
黒雲母文象斑岩・電気石含有黒雲母石英斑岩・珪長岩からなり, 各処で領家花崗岩類および苗木・上松花崗岩を貫ぬく。 石英斑岩の流出にはじまる新期酸性火成活動の最末期の活動によると考えられる。
本岩は, 図幅地域北東部の浦川流域および与川流域において, 各処で伊奈川花崗岩および木曾駒花崗岩を貫ぬく。 幅数 m~10 数 m 程度であるが, N 70~80°E 方向(この附近の断層の一般走向と一致)に細長く伸びていることが多く, ときには延長数 km に達する。 これと同質の岩脈は, 大桑村城山西方において苗木・上松花崗岩中に貫入しており, こゝでも同様な傾向の断層に沿っている。 本岩は烈しく変質作用をうけているため, 一般に暗灰色を呈することが多いが, 鏡下では石基の微文象組織が特徴的である。 斑晶は石英・斜長石・黒雲母を主とし, ほとんどアルカリ長石をもたない。 変質作用によって絹雲母・緑泥石・葡萄石・炭酸塩鉱物・緑簾石・黝簾石などが多量に生じ, 黒雲母や斜長石は大部分これらの鉱物によっておきかえられている。
川上川流域の奥屋部落南方において, 苗木・上松花崗岩を貫ぬく。 幅 10 m 内外の岩脈が数本密集して露われ, そのうちの1本は走向 E - W, 傾斜 40°N である。 接触部附近の花崗岩は烈しく圧砕されており, また岩脈と同様電気石を含んでいる。
斑晶は石英・斜長石および黒雲母からなり, 斜長石や黒雲母は大部分緑泥石や炭酸塩鉱物などの集合物によっておきかえられている。 石基は脱ガラス化作用をうけており, 普通は隠微晶質, かつ珪長質である。 電気石は主として斑晶の斜長石を交代して生じており, 長さ 1~2 mm の長柱状をなし, ときにはそれが放射状に集合する。 多色性は E ≒ ほとんど無色, O ≒ 淡青色である。
坂下町川西および川上村栗沢流域において, いずれも苗木・上松花崗岩を貫ぬく岩脈をなす。 前者は走向 N 80°E, 直立で, 幅 1 m, 接触面に平行な流理構造を示す。 後者については詳細は不明であるが, かつて窯業原料として採掘されたことがある。 両者とも白色で, 有色鉱物に乏しく, 少量の石英および斜長石の長さ 1~3 mm の斑晶が散点するほかは, 主として隠微晶質, 珪長質の石基からなる。
本図幅地域の南西部には, 石英斑岩・花崗斑岩・花崗岩の基盤の上に不整合に陸成の鮮新統が分布している。 この鮮新統は礫層・夾亜炭層・陶土層などからなり, その岩相, 分布などの点から, 瑞浪地域で土岐砂礫層などと呼ばれているものと一連の地層である。 これらの地層を総括して, 瀬戸層群(槇山, 1950 14) )と呼び, 本地域のものはその東端部に相当する。 第 2 表には東濃地方の新生界の層序を対比して示した。
本地域の瀬戸層群は, 下部礫層・夾亜炭層・上部砂礫層の3層に区分される。 下部礫層の分布は著しく局部的であり, 一方上部砂礫層は西方につゞいて苗木地方に広く露出している。
落合川駅の東側斜面およびその木曾川対岸に非常に狭く分布する。 径 50 cm 以下の安山岩の角礫および亜角礫を主材とした堅硬な礫岩であり, 少量の古生層・石英斑岩および花崗岩の礫を含む。 厚さは 10 m 内外である。 落合川駅東側では明らかに夾亜炭層の下位にある。 この安山岩礫を検鏡すると, 主として普通輝石紫蘇輝石安山岩(褐色角閃石の斑晶が加わることがある)であり, 石基は細かい短冊状の斜長石とガラスとからなり, ハイアロピリティック組織を示し, 少量の紫蘇輝石を含む (久野久の分類による紫蘇輝石岩系の Ve ないしは VIe に相当する)。 この礫の起源は不明である。
中津川市地内の各処にかなり連続して分布し, また神坂村にも断片的に露出する。 落合川駅東側の部分をのぞき, すべて直接に基盤岩類を被覆する。 本層は 蛙目 粘土・ 木節 粘土・亜炭層・白粘土・磨砂および砂層の互層からなり, その厚さは不明であるが 20 m 近くあるらしい。 亜炭は炭化の進まない木質亜炭であるが, かつて稼行されたことがある。 また白粘土および木節粘土は現在各処で稼行されている。 本層の上部は一般に礫混りの砂層が多く, 上位の砂礫層に移化することもある。 本層はしばしば 10°以内の緩い傾斜を示し, 中沢次郎(1948) 13) によれば落合川と木曾川の合流点附近を中心とした, 緩い向斜構造が考えられている。
中津川市山ノ田川駅東方の陶土採掘場の亜炭層中から, 次の植物遺体を採集した(採集 : 坂本亨, 同定 : 三木茂 [ 同氏の私信による ] )。
なおこのほかに, 三木茂(1956) 26) により以下のような植物遺体が報告されている。
主として夾亜炭層を被覆するが, まれに直接基盤岩類を覆う。 中津川市および神坂村地内のものは, 古生層のチャート・粘板岩・砂岩などの 径 10 cm 以下の比較的淘汰のよい円礫ないしは亜円礫を主材とし, 花崗岩質の砂質物で充塡される。 礫には, 古生層のほかに石英斑岩・花崗斑岩・花崗岩・安山岩などが加わることが多いが, これらの種類や量は後背地の岩石の性質によって決定されているらしい。 厚さは 20 m 以下である。
坂下町西方の台地では, 本層は直接基盤岩類を被覆し, 玄武岩熔岩に覆われる。 木曾川の支流川上川に沿ってさらに北方にゆくに従って, 本層の分布は次第に断続的となり, 玄武岩が直接石英斑岩を覆うことが多い。 礫の種類もこれに従って古生層のものが減少し, 石英斑岩や花崗岩が増加し, また上位の玄武岩と同質の礫も各処で含まれるようになる。 この附近では厚さは 10 m 内外である。
本岩の主体は坂下町西方の, 比較的起伏の少ない台地を構成し, 現在の川上川に平行な走向 N 40°W の阿寺断層に沿って, その西側に延長 6 km に達する分布を示し, さらに西方の付知図幅地内につゞく。 現在この台地は東側では川上川, 西側では外洞川によってそれぞれ下刻されている。 台地の北部ではほゞ高度 500 m の面をもって, 石英斑岩およびそれを覆う瀬戸層群の上部砂礫層を被覆しているが, 南部へゆくほど高度を滅じ, 乙姫岩西方ではほゞ高度 400 m の面をもって上部砂礫層を被覆する。 本岩の厚さは, 北部では 100 m 近くあるものと考えられる。 主として暗褐色ないしは茶褐色の橄欖石玄武岩からなり, 板状節理が顕著であるが, 部分的に同質の本質火山礫凝灰岩を含む。 下位の砂礫層には古生層や石英斑岩などの礫に混って, 玄武岩の亜円礫ないしは亜角礫が混在しており, またこの玄武岩台地の表面にも, 玄武岩の礫が花崗岩質の砂で充塡されている礫層が, 局部的に認められるので, 本岩は瀬戸層群の上部砂礫層の堆積の末期に噴出したものと考えられる。
これと同様な玄武岩は, 田立村摺鉢山や柿其峠北方の山地などに分布し, また柿其峠南西方には, 基盤の花崗岩の破片を多量に含んだ, 玄武岩質の火山礫凝灰岩も露出している。 さらに北方の柿其川下流では, 幅 10 m 内外の玄武岩の岩脈が粗粒黒雲母花崗岩を貫ぬいている。 これらの岩類の分布をむすぶと, 柿其峠を通る N 40°E の線にほゞ一致するが, 地形的にもこの線に沿った断層の存在が推定される。
斑晶は橄欖石・普通輝石および少量の斜長石からなる。 柿其峠北西のものは橄欖石のみである。 石基は短冊状の斜長石・粒状の単斜輝石・柱状の斜方輝石および磁鉄鉱を主とし, 完晶質で間粒組織(intergranular texture)を示すが, 普通これに少量のアルカリ長石およびまれに鱗珪石が加わり, ときにはまた斜方輝石を欠いて橄欖石が加わる。 久野久の分類による IVd, IIId および IVb に相当する(図版 IV - 4 参照)。
以上の玄武岩類と同質のものは, 北方の上松図幅地内の各処に分布し, 高所の平坦面を被覆し, しばしば高位段丘礫層(?)を伴なっている。
本層は 恵那山北麓の広大な扇状地面 (全体として北西方へ向かって緩傾斜する)を形成する礫層であり, その北端部に相当するものが本図幅地域に分布している。 主として瀬戸層群の上部砂礫層を被覆し, ときには直接基盤岩類を被覆する。 岩村盆地の広岡礫層(糸魚川,1955) 23) に対比される。 瀬戸層群の上部砂礫層が古生層の円礫を主材とするのに対して, 本層は径 50 cm 以下の淘汰のわるい石英斑岩の角礫ないしは亜角礫を主材とし, 花崗斑岩の礫を混え, 粘土化した茶褐色の基質で充塡され, しばしばレンズ状の粘土層を挾有しているなどの, 明瞭な違いを示している。 しかし, 本層の最下部はこの上部砂礫層から明瞭な境界をもたずに移化することがあり, 両者の関係ははっきりしない。 本層の厚さは 50 m 以上である。 落合川およびその支流の阿川はこの古い扇状地面を削り, その谷筋に沿って段丘礫層を堆積させているので, 本層が段丘形成以前であることは明らかである。
木曾川およびその支流の与川・蘭川・川上川・落合川などに沿って発達し, 坂下町では少なくとも3段の面が識別される。 各地で崖錐や新期扇状地堆積層によって覆われている。
本層は断層が確認あるいは推定された地帯に沿って広く発達する傾向がある。 すなわち, N - S~NE - SW 傾向の断層(それぞれ, 東方から清内路峠・馬籠峠・柿其峠を通過するもの)および NW - SE 傾向の断層(坂下町を通るいわゆる阿寺断層)に沿って広く分布し, 基盤岩類および段丘堆積層を覆っている。
主として木曾川に沿って分布し, 坂下町附近でやゝ広い。
吾妻村押手部落の対岸に, かつて試掘された押出前山鉱山があるが, 現在は坑道もつぶれ詳細は不明である。 また吾妻村大沢流域にも数ヵ所で露頭がみられる。 これは粗粒黒雲母花崗岩(苗木・上松花崗岩)中の輝安鉱石英脈であり, 鉱石部の幅は 3 cm 以内で, 著しい粘土帯を伴なうが, あまり連続しない。
読書村柿其川流域および川上村小豆沢流域(いずれも苗木・上松花崗岩中)において, 銅・鉛・亜鉛を含む石英脈がかつて探鉱されたことがあるが, 現在は廃山となっている。
読書村柿其川流域において, 苗木・上松花崗岩を貫ぬく螢石石英脈が探鉱されたことがある。
読書村岩倉西方に苗木・上松花崗岩を貫ぬく走向 E - W, ほゞ直立, 幅 3 m の石英脈の露頭があり, 小規模に稼行されている。
神坂村馬籠峠南東方約 1 km の地点に, 石英斑岩を貫ぬくペグマタイト脈の露頭があり, 本調査当時探鉱が行われていた。 本脈は東方へ 15°内外の傾斜を示し, 厚さは 10~50 cm で変化に富み, 黒雲母および電気石の巨晶を伴なっている。
川上村栗沢流域において, 苗木・上松花崗岩を貫ぬく珪長岩岩脈があり, その変質生成物と考えられるものが, かつて陶石として試掘されたことがある。
瀬戸層群の夾亜炭層からは, 昭和 20 年前後の燃料不足時代に各地で亜炭が採掘された。 当時の状況は中沢次郎の報告(1948) 13) に詳しく述べられている。 おもな亜炭の産地は, 山ノ田・山中・清水平・北野・山ノ田川などであり, 各地での炭層の平均の厚さは 1~2 m である。 亜炭は炭化の進まない木質および樹皮を主とし, 暗褐色~暗黒褐色を呈する。 現在はまったく採掘されていない。
前述の夾亜炭層は, 亜炭を介在する種々の陶土層, すなわち蛙目粘土・木節粘土・白粘土などを含んでおり, そのうちでもおもに白粘土と木節粘土とが現在窯業原料として稼行されている。 主要な産地は以下の通りである。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Kanazawa, No. 85
By NAOTOSHI YAMADA & MASARŌ MURAYAMA (Written in 1957)
In the Inner Zone of Central Japan, the Ryōke metamorphic zone, non-metamorphosed Paleozoic zone and the Hida metamorphic zone, trending from northeast to southwest, are zonally distributed from south to north in order. The major basement structure of the Inner Zone is controlled by this NE - SW trend. Clearly cutting the above-mentioned structure, younger acid igneous complex occurs as an enormous body with the elongation of NW-SE trend. The area of this sheet-map is situated on the intersecting part of the Ryōke zone and the younger acid igneous complex. Namely, the eastern half of the area, which is a part of the Kiso mountain range, is chiefly occupied by the Ryōke metamorphic rocks with the structure of NE-SW trend and the associated granitic rocks of probably early Mesozoic age. While, the western half, which is a part of the Atera mountain range and the Mino highland, is chiefly occupied by the acid hypabyssal rocks and the associated granitic rocks of probably late Mesozoic age.
Covering these rocks, Neogene Tertiary and Quaternary sediments and olivine basalt occur to a small extent mostly in the Mino highland.
Geologic sequence in the area is shown schematically in Table 1.
| Recent | Alluvium | |
| Talus and younger fan deposits | ||
| Pleistocene | Terrace deposits | |
| Older fan deposits | ||
| Pliocene | Olivine basalt | |
| Seto group | Upper sand and gravel bed | |
| Lignite-bearing bed | ||
| Lower gravel bed | ||
| Younger acid igneous complex (Late Mesozoic ?) | Granophyre, quartz porphyry and felsite (dyke) | |
| Naegi-Agematsu granite | Fine to medium-grained biotite granite (Naegi type) | |
| Porphyritic biotite granite and aplitic biotite granite (marginal faces | ||
| Coarse-grained biotite granite | ||
| Biotite-hornblende granite porphyry | ||
| Augite-bearing biotite-hornblende-quartz porphyry interclating volcanic breccia | ||
| Ryoke metamorphic rocks and associated granitic rocks | Inagawa granite (coarse-grained hornblende-biotite granite and biotite granite) | |
| Kisokoma granite (medium-grained porphyritic hornblende-biotite granodiorite) | ||
| Biotite granites (fine to medium-grained hornblende-bearing biotite granite) | ||
| Meta-diabasic rocks (fine grained augite-bearing biotite-hornblende diorite and hornblende-biotite-quartz diorite) | ||
| Schistose hornfels (cordierite-biotite hornfels and muscovite-biotite hornfels) | ||
In this area, the Ryōke metamorphic rocks (schistose hornfels) are poorly exposed and they are invaded by the granitic rocks for the most part, mainly by the Inagawa granite. Among the Ryōke granitic rocks, the Inagawa granite shows the most widespread distribution on the east side of the Seinaiji-tōge (pass) fault, and it includes numerous large and small xenolithic bodies of schistose hornfels, meta-diabasic rocks, biotite granites, etc. The Kisokoma granite, on the other hand, occupies the area of the west side of the Seinaiji-tōge fault.
It is partly captured and concordantly injected by the Inagawa granite, and in parts by fine-grained biotite granite. It seems to be derived generally from clayslate and sandstone of Paleozoic. It is fine-grained (0.1~0.2 mm in size of recrystallized quartz) and has slight schistosity of NE - SW trend. Under the microscope, cordierite-biotite hornfels, muscovite-biotite hornfels, biotite hornfels, etc. are distinguished.
They occur universally in the Inagawa granite as many sheet-formed or irregular bodies about 10 m in width and are closely accompanied by fine-grained biotite granite (so-called Kadoshima granite) which represents the extremely granitized products of them. They are fine-grained, massive and dark-greenish or dark-greyish in colour. They generally preserve the diabasic texture, and are composed of plagioclase, green hornblende, biotite, quartz and, rarely, augite in decreasing order.
Some of them occur as small sheet-formed or dyke-formed bodies captured by the Inagawa granite, but the others form the relatively large irregular bodies as near the Surikogi-yama. They are commonly fine to medium-grained, rather homogeneous, and very similar to the Ichida granite in the "Iida" sheet-map area to the east. In Seinaiji village, they contain green hornblende and abundant basic ovoid inclusions.
The main body is enclosed and intruded by the Naegi-Agematsu granite (coarse-grained biotite granite) except on the eastern border where it is in contact with the Inagawa granite by the Seinaiji-tōge fault. Near the fault, small xenolithic bodies of the Kisokoma granite are included in the Inagawa granite. The Kisokoma granite is medium-grained, rather melanocratic hornblende-biotite granodiorite, and bears abundant basic ovoid inclusions. In most parts, it shows the distinct porphyritic appearance due to the abundance of large potash-feldspar crystals and can be distinguished, in this point, from the granite which constructs the Kisokomaga-take in the "Akaho" sheet-map area.
It occupies almost half of the northern Ryōke Zone of Central Japan and forms the large "batholithic" mass. It is generally greyish-white in colour, slightly schistose in some parts and distinctly porphyritic in others. It is mostly coarse-grained hornblende-biotite granite but, in the west, it is gradually changed to more leucocratic biotite granite which is very similar to the Naegi-Agematsu granite in some parts. At many places, it carries small lenticular basic inclusions. Numerous xenolithic bodies such as schistose hornfels, meta-diabasic rocks and fine to medium-grained biotite granites, are included in it, and the boundaries of these bodies with the Inagawa granite are not gradational, but mostly sharp and distinct.
After the long period of upheaval and denudation of the Ryōke zone, quartz porphyry was erupted over the district and, succeedingly, granite porphyry was locally formed (intruded ?) in it. The Naegi-Agematsu granite was intruded into both the quartz porphyry and the granite porphyry and affected distinct thermal metamorphism. The final stage of the igneous activities is indicated by the various dyke rocks such as granophyre, quartz porphyry and felsite. All these igneous activities are assumed to have taken places in late Cretaceous period.
It is separated into three masses by the invasion of the Naegi-Agematsu granite and by the faulting of later period. It is assumed that a part of the rock at least flowed over the surface. It is intercalated sporadically with volcanic breccia, which chiefly consists of angular quartz porphyry breccias and ccurs as nearly horizontal beds about 10m in thickness.
The rock is dark-grey or bluish grey in colour in the fresh outcrop, and shows, in general, a highly persemic appearance due to the abundance of quartz, plagioclase and orthoclase phenocrysts. Some parts of it contain abundant small breccias of chert and clayslate. Original mafic phenocrysts are assumed to be hornblende, biotite and, rarely augite, although they are mostly converted by the thermal metamorphism into the aggregates of fine-grained acicular pale bluish green hornblende and scaly greenish brown biotite. The groundmass is generally cryptocrystalline and sometimes shows evident flow structure or micro-spherulitic texture, but it becomes to have even-grained mosaic texture consisting of recrystallized quartz and potash-feldspar near the contact with the Naegi-Agematsu granite.
It always shows the close association with quartz porphyry, although the exact relation between the two is mostly uncertain. It is characterized by the highly porphyritic and persemic appearance and by the dark greenish hollocrystalline groundmass (0.05~0.1 mm in size of quartz and potash-feldspar). Mafic minerals such as green hornblende and biotite are very abundant, while potash-feldspar (microcline ?) phenocrysts are rather poor. Thermal metamorphism due to the intrusion of the Naegi-Agematsu granite is distinct but not so intense.
It forms a continuous mass for the most part. It shows nearly vertical contact relations with the Inagawa granite and the Kisokoma granite in the east. But in the west, it occupies the part of relatively low position compared with quartz porphyry and granite porphyry showing nearly horizontal contact plane. Accordingly, it is assumed to be subjacent to them. The following three rock-facies are distinguished.
1) Coarse-grained biotite granite : It occupies the main part of Naegi-Agematsu granite. It is leucocratic, massive and generally lacking in hornblende. Basic inclusions and basic schlierens are absent for the most part. It is clearly intruded into the Kisokoma granite, usually forming the fine-grained aplitic band of 2~3 cm width along the sharp contact plane. Where it is in contact with the Inagawa granite, the contact relation is very puzzling, because the rock-facies of both granites become rather similar near the contact. In some cases, it directly comes in contact with quartz porphyry and granite porphyry without distinct marginal facies and, in such cases, the contact plane is nearly vertical.
2) Porphyritic biotite granite and aplitic biotite granite : They are found as the marginal facies of the Naegi-Agematsu granite only near the contact with quartz porphyry and granite porphyry and, at the same time, they represent the shallow facies of it. The porphyritic facies and the aplitic facies are mixed with each other, showing a highly heterogeneous rock feature. Pocket-formed pegmatites and aplitic bands are very abundant. Perhaps, they seem to grade into the coarse-grained biotite granite.
3) Fine to medium-grained biotite granite (Naegi type) : It occurs locally in the southwestern part of the area and is widely developed in the western neighbouring area where it has been named as the Naegi granite. It is equigranular in texture consisting of quartz and potash-feldspar, and abundant in pocket-formed pegmatite or druse pegmatite.
1) Biotite granophyre : It is intruded into the Inagawa granite as several dykes which have about 10 m width and the trend of N 70~80°E, and rarely intruded into the Kisokoma granite and the Naegi-Agematsu granite. It shows dark-greyish colour due to alteration. Micrographic structure of the groundmass is characteristic.
2) Tourmaline-bearing biotite-quartz porphyry : It is intruded into the Naegi-Agematsu granite near Okuya in Kawaue village.
3) Felsite : It is intruded into the Naegi-Agematsu granite in Sakashita town and in Kawaue village.
The Neogene Tertiary in this area corresponds to the eastern marginal part of terrigenous Seto group which is probably Pliocene in age. It covers, unconformably, the above-described younger acid igneous complex. The Seto group in this area is divided into three beds as follows, although the lower bed is only poorly developed :
Near Yamanotagawa-station, Sequoia sempervirens ENDL. and other plant fossils are included in the lignite bed. Toward the north, lignite-bearing bed becomes to disappear and, near Sakashita town, only the upper sand and gravel bed (nearly 10 m in thickness) occurs intermittently, being covered by olivine basalt.
The main part occurs along the Atera fault near Sakashita town, forming the rather dissected lava plateau. Commonly, it covers the upper sand and gravel bed of the Seto group which includes a small amount of basalt pebbles, but, in the north, it directly covers quartz porphyry and biotite granite. The eruption of it is assumed to have taken place in the end of deposition of the Seto group and, therefore, to have been in late Pliocene. The lava is rather homogeneous augite-olivine basalt, and is 50~100 m thick. The groundmass of the rock consists chiefly of plagioclase, monoclinic and rhombic pyroxene and magnetite, with small amounts of alkali feldspar and tridymite. Similar rocks occur here and there to the north of Sakashita town, and they show roughly straight arrangement along the Kakizore-tōge fault of NE-SW trend.
Older fan deposits consist of angular boulders of quartz porphyry and granite porphyry. They cover the upper sand and gravel bed of the Seto group in general, and forms the vast fan which is developed on the foot of Ena-san (mountain) to the south.
Terrace deposits are distributed along the Kiso-gawa and its tributaries. Near Sakashita town, three terrace planes can be distinguished at least.
Talus and younger fan deposits have a tendency to be developed along the major faults, such as the Seinaiji-tōge fault, the Magome-tōge fault, the Kakizore-tōge fault and the Atera fault.
Alluvium chiefly occurs along the Kiso-gawa.
Stibnite-quartz veins in Azuma village and copper-lead-zinc veins in Yomikaki and Kawaue villages were prospected in the past time, but now they are not worked.
Quartz veins at Iwakura and fluorite-quartz veins at Kakizore, both in Yomikaki village, were once explored.
Pegmatite vein at Magome in Misaka village is now explored.
Pottery stone was quarried in the past time from altered felsite dyke in Naegi-Agematsu granite in Kawaue village.
Lignite was quarried at many places from the lignite-bearing bed of the Seto group, but now it is not worked.
Ceramic clays are now quarried from the lignite-bearing bed at several places such as Yamanotagawa, Itabashi and Kitano.
昭和 33 年 12 月 1 日印刷 昭和 33 年 12 月 5 日発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所