10043_1975
地域地質研究報告
5万分の1図幅
金沢(10) 第 43 号
[
地質調査所
]
野沢保
[
地質調査所
]
河田清雄
[
地質調査所
]
河合正虎
昭和 50 年
地質調査所
目次 まえがき I. 地形 II. 地質 II.1 地質概説 II.2 飛驒変成岩類 II.2.1 概説 II.2.2 構造 II.2.3 岩相 II.2.4 原岩 II.2.5 化学組成 II.2.6 変成作用 II.2.7 原岩および変成作用の時代 II.2.8 地層区分 II.2.9 袖峠層 II.2.10 芦谷層 II.2.11 天生層 II.2.12 三合谷層 II.2.13 小鳥川層 II.2.14 二屋層 II.2.15 水無層 II.2.16 西又層 II.2.17 花崗岩質岩石(天生型花崗岩) II.3 古生界 II.3.1 概説 II.3.2 上広瀬層 II.3.3 森部層 II.3.4 高草洞安山岩類 II.4 閃緑岩および斑粝岩 II.5 船津花崗岩類 II.5.1 概説 II.5.2 広瀬花崗岩 II.5.3 船津花崗岩 II.5.4 水無花崗岩 II.5.5 森安花崗岩 II.5.6 小花崗岩体 II.6 古期岩脈 II.7 中生界 II.7.1 概説 II.7.2 手取累層群 -- 石徹白層群 A. 古川累層 a. 種村礫岩層 b. 沼町互層 c. 杉崎砂岩層 d. 太江頁岩層 B. 稲越層 C. 地質構造 II.7.3 海具江層 II.7.4 濃飛流紋岩 II.7.5 小鳥川流紋岩類 II.7.6 大雨見山火山岩類 II.7.7 花崗斑岩 II.7.8 閃緑玢岩 II.7.9 流紋岩類相互の関係 II.7.10 珪長岩 II.8 新生界 II.8.1 新期岩脈 II.8.2 楢峠層 II.8.3 更新堆積物 II.8.4 現世堆積物 II.9 活断層 III. 応用地質 III.1 磁鉄鉱 III.2 マンガン鉱 III.3 黒鉛 III.4 陶石 III.5 珪石 IV. 災害地質 文献 Abstract
地域地質研究報告
5万分の1図幅
(昭和 49 年稿)
金沢(10) 第 43 号
本図幅地域の地質の研究は, 1959 年から 1968 年までの野外調査に基づいて実施された。
本稿の著者の間の執筆の分担は, おおむね次の通りである。
| I. | 地形 | (野沢保) | ||
| II. | 地質 | |||
| II.1 | 地質概説 | (野沢保) | ||
| II.2 | 飛驒変成岩類 | (野沢保) | ||
| II.3 | 古生界 | (野沢保) | ||
| II.4 | 閃緑岩および斑糲岩 | (野沢保) | ||
| II.5 | 船津花崗岩類 | (野沢保) | ||
| II.6 | 古期岩脈 | (野沢保) | ||
| II.7 | 中生界 | |||
| II.7.1 | 概説 | (河合正虎) | ||
| II.7.2 | 手取累層群 | (河合正虎) | ||
| II.7.3 | 海具江層 | (河合正虎) | ||
| II.7.4 | 濃飛流紋岩 | (河田清雄) | ||
| II.7.5 | 小鳥川流紋岩類 | (河田清雄) | ||
| II.7.6 | 大雨見山火山岩類 | (河田清雄) | ||
| II.7.7 | 花崗斑岩 | (河田清雄) | ||
| II.7.8 | 閃緑玢岩 | (河田清雄) | ||
| II.7.10 | 珪長岩 | (野沢保) | ||
| II.8 | 新生界 | |||
| II.8.1 | 新期岩脈 | (野沢保) | ||
| II.8.2 | 楢峠層 | (野沢保) | ||
| II.8.3 | 更新堆積物 | (河合正虎) | ||
| II.8.4 | 現世堆積物 | (河合正虎) | ||
| II.9 | 活断層 | (野沢保) | ||
| III. | 応用地質 | (野沢保) | ||
| IV. | 災害地質 | (野沢保) | ||
協力関係 : 本研究にあたって, 上広瀬 層の砂岩については角靖夫, 上広瀬層・ 高草洞 安山岩類・古期岩脈・新期岩脈および 楢峠 層の火山岩については一色直記, 古期岩脈の低変成作用については奥村公男, 応用地質のうち特に陶石について佐々木政次および高田康秀が, それぞれ, 著者に教示するところがあった。 また, 本研究関係の岩石の化学分析は, 前田憲一郎・大森江い・川野昌樹および東京石炭鉱物研究所が実施した。 検鏡に使用した薄片は, 大野正一・村上正・宮本昭正・安部正治および佐藤芳治が作成した。
辞謝 : 本図幅地域の飛驒変成岩類および船津花崗岩類の研究については, 名古屋大学の石岡孝吉の教示に負うところが少くない。 また, 地質調査所の白波瀬輝夫(当時 東京教育大学), 広島大学の鈴木盛久および岐阜大学 教育学部 地学教室の河井政治および学生諸氏には, おもに野外調査について教示, 協力をうけた。 その他, 古生層をふくめて, 地学団体研究会 ひだ団体研究グループ, 数次にわたって文部省 科学研究費をうけた綜合研究グループ, 朝日科学奨励金をうけた「飛驒山地の地質研究会」などの研究グループからも, 多くの教示, 協力, 討論をうけた。 あわせ記して深く謝意を表すものである。
本図幅地域は, いわゆる飛驒山地のほぼ中央にあたる部分で, 海抜約 500 m から 1,500 m にわたっている。
本図幅地域の地形は, 戸市 川 [ ← 図幅中央やや東の野口からその東北東方 2.5 km の戸市, およびその東北東方 5 km の 数河 を経て図幅地域北東隅やや南に流れる ] - 稲越 川の上流(稲越 - 柳瀬 [ ← 柳ヶ瀬 ? ] - 保 )- 栗谷 [ ← 栗ヶ谷 ? ; 図幅地域の西端・南北中央やや南 ] をむすぶ線によって, 南北のかなり対立的な特徴をもった二地域に分けられる。
北半は, 一般に急峻な壮年期地形を示し, 高度も 1,500 m をこえる山稜が多い。 この地域は, おもに飛驒変成岩と船津花崗岩類からなり, 東北東 - 西南西方向に走る大きな活断層である 跡津川 断層および同性質の 牛首 断層( [ 後述する「II.9 活断層」の項に示した ] 第 8 図参照)が, それぞれ, 宮川 [ ← 神通川の上流部 ; 図幅地域南東隅やや北から北東に流れ, 方向を変えつつ最終的には図幅地域北端から北に流れる ] - 小鳥 川 [ ← 跡津川断層沿いに流れる ] および 水無 谷 [ ← 図幅地域北西隅付近 ? ] の深い直線的なしかも長距離連続する断層谷をつくる。 主要な山稜も, これらの断層の影響で東北東 - 西南西方向に走る。
宮川の下流 - 小鳥川にそそぐ支谷は, 跡津川断層に直交する方向のものが多い。 跡津川断層は右ずれの水平変位をもつ。 そのため, 支谷は合流部でいずれもそれに調和して右にねじまげられている。
北半地域で注目される地形の一つは, 高位の平坦面の存在である。 例えば, [ 図幅地域北西部の ] 水無山の西方では, およそ 1,400 m の高度で 河谷の開いたゆるやかな地形が数 km2 にわたって発達し, 湿地帯をつくり, 大池と呼ぶ池も存在する。 [ 図幅地域北東隅付近の ] 流葉 山の西方では, およそ 1,100 m の高度で 高原状のゆるやかな地形が数 km2 四方にひろがり, 湿地帯や小さな池をつくっている。 このような, けわしい山地の頂部に平らな地形の, 高原状の部分が局部的に発達することは, 飛驒山地では稀なことではない。 水無山でも流葉山でも, これらの平坦な地形は若い堆積物によってつくられるのではないようで, うすい堆積物をはがすとすぐ基盤があらわれてくる。 これは, 北半地域の山脈の稜線がおよそ 1,200~1,400 m の高度で, 比較的変化に乏しく, ために遠望すると高原をのぞんでいるようにみえさせ, かつて, 飛驒高原と呼ばれる高原地形が存在した可能性を考えさせるものである。
北半地域では, 宮川および小鳥川の蛇行する部分に小規模な河岸段丘が各所に発達している。
戸市川 - 稲越川より南半の地域は, 1,500 m 以上の高度をもつ山地もありながら, 河谷は広く開き, ゆるやかな地形を呈し, 老年期に入ったものと考えられる。 この地域には, 活断層がよく発達していて,地形に著しい影響をあたえているのが特徴的である。 まず, 宮川以西の部分はおもに濃飛流紋岩からなるが, 全体がいくつかの方向の活断層群によって不規則な菱形の山塊に分けられる。 その断層は, 跡津川方向 [ ← 跡津川断層の方向 ? ] あるいはそれに近い方向の東北東 - 西南西方向, やや東北 - 南西よりの南北方向, および宮川の中流部に平行な北西 - 南東方向が主で, とくに跡津川断層方向は顕著である。 宮川以東では, 活断層より古い断層もこれに加わるらしく, ほぼ東西および南北方向の断層の影響も地形に著しい。
南半地域にも高位平坦面が存在する。 例えば [ 図幅地域南端東西中央・南端から北方 4 km の ] 小鳥 峠の西方の高度 1,100 m 付近に 数 km2 にわたって高原状のゆるやかな地形の部分が発達し, 湿地帯も形成されている。
南半地域には, 小鳥峠付近をはじめ各地に湖沼性, 扇状地性崖錐性, および段丘性堆積物が発達する。 [ 図幅地域東部の ] 宮川および 荒城 川ぞいには広い沖積平野が発達する。
本図幅地域は西南日本内帯の北縁東よりに位置し, おもに時代未詳の変成岩, 上部 古生界, 中生代 前期の深成岩, ジュラ~白亜系, 後期白亜紀~古第三紀の火山岩類, 新第三紀の火山岩類および第四紀の堆積物からなる。
時代未詳の変成岩は飛驒変成岩類とよばれ, 原岩は古生界の可能性が大きい。 上部 古生界は, 石炭紀の 上広瀬 層および 森部 層, ならびに二畳紀の 高草洞 層 [ ← 高草洞安山岩類 ] からなる。 中生代 前期の深成岩は船津花崗岩類と総称される。 飛驒変成岩類, 上広瀬層, 森部層, 高草洞層および船津花崗岩類は飛驒帯の構成要員である。 本稿では飛驒帯の構成を下記のように定義しておく。
ただし, 飛驒外縁帯は, これまで飛驒外縁構造帯, 飛驒構造帯などと呼ばれてきたものである。 また, 本図幅地域の飛驒外縁帯には蛇紋岩はみいだされていない。
このような飛驒帯は西南日本内帯の基盤岩類のつくる帯状配列の最北帯にあたり, 新潟県 青海 [ ← 糸魚川の西方 ] から島根県 隠岐 [ ← 隠岐諸島 ? ] にいたる長い分布を示している。 本図幅地域は, 飛驒帯の隠岐をのぞいた本土部分のほぼ中央南縁に位置し, 飛驒変成帯の南縁の一部と飛驒外縁帯をふくんでいる。 飛驒外縁帯は, この地域付近では幅がわずか数 km でせまいので, その大半が本図幅の範囲にほぼふくまれてしまっている。
ジュラ~白亜系堆積物は 手取 累層群で, 本図幅地域は飛驒山地に広く発達する本層群の分布の南限で, 本層群の上半部のみがみいだされている。
後期 白亜紀の珪長質火山岩類は, 濃飛 流紋岩, 小鳥川 流紋岩類, 大雨見山 火山岩類および岩脈類からなり, 一連の火成活動の産物と考えられる。 最も広い分布をしめる濃飛流紋岩は, 岐阜県から富山県にわたって広大な分布をしめ, いわゆる環太平洋地域の「後期白亜紀酸性火成岩類」の 日本列島における代表的岩体の一つである。 本図幅地域は, 濃飛流紋岩の分布の北限に近い。
新第三紀火山岩類は, おもに 楢峠 層の主体をつくるディサイトで, 本図幅地域に近接した富山県地方に 発達の広い [ ← 広く発達している ? ] 中新世 北陸層群中の火山岩に対比される。
第四紀堆積物は, 主要河川や主要河谷ぞいに河岸段丘崖錐, 扇状地堆積物などとして堆積する他に, 比較的 高地に湖沼性の堆積物としても分布する。
本図幅地域には, 跡津川 断層とよばれる東北東 - 西南西の大活断層が走り, これに関連する断層系も発達し, 地質および地形に著しい影響をあたえている。
本図幅地域の地史は, 簡単にまとめると次のようになる。
| 地質時代 | 層序 | ||||
| 新生代 | 第四紀 | 現世 | 現世統 | ||
| 更新世 | 更新統 | ||||
| 第三紀 | 新第三紀 | 楢峠層 | |||
| 古第三紀 |
大雨見火山岩類 | ||||
| 中生代 | 白亜紀 | 新白亜紀 | |||
| 小鳥川流紋岩類 | |||||
| 濃飛流紋岩 |
?↓ | ||||
|
| 海具江層 | ||||
| 古白亜紀 |
手取
塁層群 |
石徹白
層群 | 稲越層 | ||
|
古川層 | |||||
| ジュラ紀 | ↓ | ||||
|
| |||||
| 船津花崗岩類 | |||||
| 三畳紀 | |||||
|
| |||||
| 古生代 | 二畳紀 | 高草洞安山岩類 | |||
| 石炭紀 | 森部層 | ||||
| 上広瀬層 | |||||
| 時代未詳 | 飛騨変成岩類 | ||||
この地域の最も古い岩石は飛驒変成岩類で, その原岩は地質学的には時代が確立していないが, 構造・岩相や化学的性質からみて, 前カンブリア紀層ではなく, 中部または下部 古生層と考えられる。 しかし, 飛驒変成岩類の一部に前カンブリア紀の同位元素年令を示すものがあることや, 変成岩類の岩相から原岩の堆積物供給原地は遠くないと考えられることなどからみて, 現在の飛驒帯からあまり遠くない地域に 前カンブリア紀層が分布していた可能性は小さくない。 ただし, 現在, 前カンブリア紀層が確認されているわけではない。
飛驒変成岩類の原岩の古生層および飛驒外縁帯の古生層は 三畳紀末ころまでに数次の変成作用をうけた。 最も大規模であったのは 低圧型で飛驒変成岩類の形成の主要な役割をはたした変成作用で, 二畳紀未~三畳紀に最高に達したらしい。 同じ頃, 飛驒外縁帯でも変成作用がおきた。 同位元素年令によると, 飛驒変成岩類にもほぼ 5 億年および 2.5 億年の年令集中があり, 外縁帯でもほぼ 4 億年の年令が測定されている。 これらの数字の意義についてはさらに検討の余地があるとしても, 飛驒変成岩類の主要な変成作用に先立って先駆的あるいは別の古い変成作用が, それぞれ飛驒変成帯および飛驒外縁帯に 1~2 回はあったものと考えられる。
飛驒変成岩類の主要な変成作用にひきつづいて, 或はその終了前から, 飛驒変成帯全域にわたって船津花崗岩類の形成作用がおき, 飛驒変成岩類をとりかこみ, 或はその中へ小岩体をつくった。 ジュラ紀の礫岩の礫から判断すると, この頃に地表では広範囲にわたって多量の珪長質火山岩をふくむ火山活動が盛であったらしい。
前期ジュラ紀に入ると飛驒帯の一部に凹地が形成され, 後造山期性の厚い粗粒堆積物がたまった。 本図幅地域では, 後期ジュラ紀~前期白亜紀になって上部 手取統の粗粒堆積物が形成されている。 手取統は堆積中から激しい擾乱をうけた。
後期白亜紀になると, 火山構造性陥没をともないながら濃飛流紋岩を主体にした一連の珪長質火成活動がおきた。 この火成活動はわれ目噴出型の火山活動を主にし, おもに多量の溶結凝灰岩を形成した。 また, 一部では溶岩や珪長質深成岩をともなった。 同位元素年令でみるとこの火成作用は古第三紀までつづいたらしい。
新第三紀に入るとグリーンタフ造山運動の一環として北陸地方にも火成活動がおき, 飛驒帯の基盤岩地域にもわずかながら波及した。 本図幅地域でも, ごく一部で, 岩脈や, 飛驒変成岩類や船津花崗岩類のつくる山地の項部付近に分布する デイサイトなどがこれにあたる。
第四紀には, 第三紀未からはじまるといわれる跡津川断層の運動が 現在までもひきつづいていることは注目される。
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本岩類は本図幅地域の北西部に分布し, おもに石英長石質片麻岩からなっている。 本岩類は, 飛驒山地全体からみると, 飛驒帯の主要な構成岩類で, 数岩体に分れて分布する。 本図幅地域の本岩類は, 飛驒山地における飛驒変成岩類の分布のほぼ中央にある 最大の岩体の「神通川岩体」の南縁西よりの部分にあたっている(第 1 図)。
本図幅地域では, 飛驒帯は東北東 - 西南西方向に配列し, 北側に飛驒変成岩類, 南側に古生層がならび, 両者の間にいくらか不規則な形で船津花崗岩類が貫入している。 このため, 飛驒変成岩類と古生層との直接的関係を観察することはできない。
本岩類と船津花崗岩類との関係は複雑で, 全体としては, 本岩類の南縁を船津花崗岩類がとりまく。 しかし, 一方では, 本岩類の中に船津花崗岩類の小岩体が分布し, 他方では, 船津花崗岩類の中に本岩類の原地性包有岩塊が 一定の地域に集中して多数みいだされるという入りくんだ関係にある。 これについては船津花崗岩類の項 [ II.5 船津花崗岩類 ] でのべる。
本岩類の分布地域にも現世まで活動していると考えられる跡津川断層や牛首断層などがあり, 古い断層とからみあって構造を複雑にしている( [ 後述する「II.9 活断層」の項の ] 第 8 図)。 これらの断層の中で, 跡津川断層および牛首断層は明らかに現世まで活動している大断層である。
これらの両断層は 現世あるいはそれに近い時代だけでなく更に古い時代にも活動していたようで, 両断層を境にして本岩類の岩相・構造は著しく相違し, 本岩類は構造的に三分された形になっている。 ここで注意しておきたいのは, 現在の跡津川・牛首両断層と [ 飛騨変成岩類の ] 構造的な境界線が厳密に一致するかどうかはたしかでない点である。 しかし, 少くともほぼ近接したものであることはたしかなので, 本稿では一応, 一致したものとしてのべておく。
この部分では, 地層の分布をみるとほぼ東北東 - 西南西にのび, ゆるく北に傾いていて, 個々の露頭での地層面もこれに平行している。 これは, 本図幅地域付近の飛驒変成岩類の大構造に整合的である。 この部分の北西部, 牛首断層に接する部分は, 多量の飛驒変成岩類の原地性包有岩塊をもった船津花崗岩類である。 この包有岩塊は近接する飛驒変成岩類と整合的な構造をもっている。
この部分では, 地層の分布は断層の北側とほぼ平行している。 例えば, 黒鉛鉱床をともなうアルミナ質岩層は東北東 - 西南西方向に長く連続している。 しかし, 個々の露頭では地層面はこの地層の分布方向とはほぼ直交し, 南北または北々西 - 南々東方向に走り, 急立している。 部分的には, この方向に軸面をもった小規模な褶曲構造のくりかえしがみとめられる。 すなわち, 断層の南側は, 北側の構造が断層にほぼ垂直で 急立した軸面の等斜褶曲に近い褶曲構造をつくったものに相当する。 このような構造は, 東方へゆくと 宮川付近の跡津川断層に斜交する断層の発達した地域を境に漸移的に変化する。 この付近では, 地層がみだれていて構造が充分明らかでない。 しかし, わかっているところでは, この地域から東方ではほぼ北東 - 南西方向の褶曲があらわれ, 宮川以西のような南北性の褶曲の影響はなくなるようである。 また, [ 図幅地域東西中央やや東・北端付近の ] 宮川の東岸の北部の 岸奥 ・ 林 [ ← 跡津川断層の直上 ] 付近では, 跡津川断層以北地域の構造にほぼ整合的な傾向が強くなる。
牛首断層をはさんでは, 跡津川断層の場合のような著しい構造上の対立が知られているわけではない。 牛首断層の南側では船津花崗岩類が優勢で, 北側では, 花崗岩質部分をはさみながらも, 飛驒変成岩類が著しく優勢である。 このような岩相の不連続性は牛首断層の変位運動によるものと考えられる。 この部分の飛驒変成岩類は, ほぼ南北に走り北に傾いた軸をもった大きな向斜構造の南の軸端部にあたっている。
跡津川・牛首両断層とも, それぞれ両側の変成岩層の連続性などから, 数 km の右ずれ水平移動が推定されている。 この移動は, 少くとも本図幅地域の飛驒変成岩類に関する限り, 現世の断層運動にだけ帰せられるものではないと考えられる。 さきにのべた跡津川断層をはさむ変成岩類の構造上の問題の他に, 両断層ぞいで, それぞれ, 船津花崗岩類のミロナイト化された部分があるという事実もみいだされている。 両断層の古い変位運動が 船津花崗岩類の活動に時期的に関係する可能性を示すものと思われる。 ちなみに, 船津花崗岩のミロナイトは, 後述するように, 右ずれの水平移動の方向をもつ可能性が大きい。
本岩類は多様な岩相をふくんでいる。 それらは 一応 次のように4種類の変成岩と花崗岩質岩石に大別される。
これらの内, 花崗岩質岩石というのは, 後述するような飛驒変成岩類中に貫入する船津花崗岩類の小岩体と異り, 多くは径数 m または 1 m 以下の小岩脈, レンズなどとして飛驒変成岩類と密接な関係を保って産出し, 飛驒変成岩類の一部として取扱う方が適当と考えられるものである。
本岩類の代表的な変成岩における おもな鉱物組合せは次の通りである。 ただし, 石英長石質変成岩は, 純粋に石英と長石だけからなる変成岩はほとんどないので, それぞれの特徴にしたがってアルミナ質変成岩, 苦鉄質変成岩, および石灰質変成岩のいずれかの項にまとめてのべておく。
これらの岩種の量的関係についてみると, 本岩類の大半をしめるのは石英長石質片麻岩で, アルミナ質, 苦鉄質および石灰質片麻岩は量的には少い。 石灰岩は著しく分布が広いようにみえるが, 石英長石質岩層のはさみが多いので, 石灰岩そのものの量は寸見してうける印象より著しく少い。 また, 石灰岩の一部にはドロマイトがふくまれるが, 全体の量からみると著しく少量である。
上述の変成岩類の各岩種に対応する原岩としては, 一応 次のようなものが考えられる。
本岩類の原岩岩種および各岩種の分布・産状から, 本岩類の原岩の特徴をいくつかあげることができる。 その一つは, 岩相の不安定性である。 不安定性の内容は, 一つは各種岩相の混合的, 中間的岩相が多いことで, 淘汰のよい純粋な泥岩や砂岩が少く, 純粋な石灰岩もまた少い。 火山岩原と考えられる岩石についても, 溶岩と考えられるものは存在するとしてもごく少量で, 凝灰岩質と考えられる岩相の場合も, 砂岩質あるいは石灰岩質物質と入りまじった不純な岩相が多い。 また, 層相変化も頻繁で, 一つの岩相が数 10 m の厚さに達することはほとんどなく, 石灰岩や泥質岩原の変成岩では数 cm または数 10 cm の規則的, または不規則な石英質岩層との互層であることが多い。
また, 本岩類には, 特定の黒鉛に富んだ層準以外にも黒鉛が少量ずつひろく分布し, ほとんどの堆積岩原の変成岩の中にふくまれることは特徴的である。
その他, 砂岩原と考えられる変成岩が多いのに, 礫岩原と考えられる変成岩がほとんどみいだされていないことも奇異である。 また, チャート起原の変成岩もほとんど発達していない。
本図幅地域で 天生 層とよばれる累層の中に デーサイトまたは流紋岩の構造をよくのこした岩層がはさまれていることは, 飛驒変成岩類全体からみてめずらしいことで, 本図幅地域以外では富山県 宇奈月 地方が有名である。
本岩類の原岩における岩種の量比関係については, 変成岩の岩相の量比関係から容易に推定されるので, あらためてのべない。
本岩類の原岩をまとめて考えてみると, 大半は淘汰の悪い砂質岩石で, 石灰質, 泥質および火山岩質物質をそれぞれ少量ずつまじえるものが大半をしめる。 少量の石灰岩岩層, 泥岩層および火山岩層をはさみ, 岩相は不安定である。 これは, 原岩が近接した供給源から 堆積盆地または供給原の絶えない変動などの不安定な条件の下で堆積したことを考えさせる。 後にのべる本岩類の化学組成はグレイワッケ質砂岩の類型に属し, 上記の見解を支持し, 本岩類の地向斜性堆積物に由来することを考えさせるものである。 したがって, 原岩が古生層に属する可能性はかなり高い。 しかし, かつて野沢(1959)は原岩を飛驒帯の南方の古生層の延長と考えたが, 岩相からみて, 南方に広く分布する上部古生層には類似するものがみあたらないように思われる。 さらに下部に相当するものであろう。
また, 原岩は前カンブリア紀とは考えにくいが, 後述のように, 原岩の堆積物供給原地が前カンブリア系であった可能性は必ずしも小さくないと考えられる。
本岩類の大半をしめる石英長石質片麻岩の化学組成をみると, Na2O に富み K2O に乏しく, Al2O3 / Na2O 比も小さいなどの特徴がある。 PETTIJOHN その他(1972)の砂岩の分類にしたがえば 完全にグレイワッケの領域に入ってしまう(第 2 図)。 このような傾向は本図幅地域以外の飛驒変成岩類一般についても著しい。
なお, 天生 花崗岩は化学組成(第 2 表の No. 12)も周囲の変成岩に影響されるが, 一般に変成岩にくらべて SiO2 ばかりでなく K2O がふえる傾向がある。
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飛驒変成岩類については, 原岩, 変成史, 変成作用の性質など充分わかっていない点が多い。
変成作用についていうと, 飛驒変成帯全域にわたって珪線石があらわれ, 北縁では紅柱石をふくみ, 北縁東端では藍晶石も加わる。 したがって, 大半の地域は紅柱石 - 珪線石タイプの低圧変成相系列に属し, 一部に低圧中間群がふくまれることになる。 岩石の大半はおもに角閃岩相に属する。 これを 主要期の変成作用 とよんでおく。
飛驒変成岩類は地域によって多少の相異はあるが, 全般に主要期変成作用後に後退的変成作用をうけ, アクチノ閃石, 緑泥石・緑簾石・ぶどう石・沸石などを産し, 緑色片岩相, 変成グレイワッケ相, あるいは沸石相に属するようになる。 これを 後主要期の変成作用 とよんでおく。
変成構造, 変成作用の経過などについては詳細はまだ明かにされていない。
変成作用の解明を複雑にしている要因はいくつかあるが, 1, 2をあげると次のようなものがある。
1つは, 飛驒変成帯のごく一部で 角閃岩相よりさらに高度の鉱物相の存在の可能性を示す岩石が発見されていることで, SUZUKI(1970)は 河合村 羽根谷でコランダム - 微斜長石の組合せからグラニュライト相, ざくろ石 - 普通輝石の組合せの変成岩の研究(鈴木, 1973b)から, 明瀬でエクロジャイト相の存在を主張している。 これらのグラニユライト相の可能性ののべられている岩層は, いずれも 角閃岩相の変成岩の中に 数 m または数 10 m の規模で「島状」にとりかこまれているもので, その実態はまだ充分明らかでない。 この間題は, 前カンブリア紀層および前カンブリア紀変成作用の存在問題とも結びつくものである。
次には, 前カンブリア紀問題とは別に, 主要期変成作用以前に古生代に変成作用があった可能性の問題である。 後述するように, 同位元素年令からは 2 億年前後の主要期変成作用以前に, ほぼ 5 億年とか 2.5 億年とかの変成作用の存在が示唆されている。 これらが主要期変成作用の前駆的現象なのか別の変成作用なのか明らかではない。 ちなみに, 飛驒外縁帯でもほぼ 4 億年の変成岩同位元素年令が測定されている。 ただし, 地質学的には, 古い変成作用について, 飛驒変成帯にも外縁帯にも現在まだ積極的な支持があるわけではない。
その他, 飛驒変成岩類に対する船津花崗岩類の影響がよくわかっていないことも問題である。 飛驒変成帯では, 船津花崗岩類は変成岩類よりはるかに広く分布し, 変成岩類をとりまくばかりか変成岩類分布地域の内にも大小の規模で分布している。 船津花崗岩類の接触変成作用は古生層側でみるとあまり著しいものではない。 しかし, 船津花崗岩類の活動はいくつかの段階にわたり複雑で, 変成岩類に対する影響はよくわかっていない。 FUJIYOSHI(1970)は, 変成鉱物の帯状分布から変成岩類に対する船津花崗岩類の影響を強調している。 その他, 白亜紀花崗岩も変成帯内部に分布するので, 実状はさらに複雑である。
飛驒変成岩類の原岩および変成作用の時代については, これまでに若干ふれたが, 本図幅地域では新第三系と考えられる 楢峠 層におおわれるという事実しかなく, 飛驒変成帯全体でもジュラ~白亜紀の手取累層群におおわれるという事実以外に 直接 年代を規定する証拠はない。
本岩類の同位元素年令についてみると, K - Ar 法および Rb - Sr 法による 180 m. y. の著しい集中, 240 m. y. および 500 m. y. の小さな集中が目立っている(野沢, 1968)。 この他, これらの集中値の中間値, あるいはさらに古い年令も少数だが散点している。 なお, これらの集中値の中で 180 m. y. という値は 船津花崗岩の同位元素年令とほぼ一致している点は注目される。 これについては, 飛驒変成作用の主要期が 船津花崗岩類の深成作用の時期とほぼ接近していたものと考えられる。 しかし, 飛驒変成作用の主要期はもっと古いのだが, 船津花崗岩類の影響で若返ったという説もある。
また, 主要期変成作用との関係はわからないが, 前章でのべたように, 同位元素年令からは 180 m. y. 前後と考えられる主要期変成作用以前に 何かの熱的事件, おそらく変成作用が数回あった可能性がある。
原岩の時代についても直接的な地質学的な証拠はない。 本岩類の主化学成分についての組成が地向斜堆積物の性質をもつことはすでにのべた。 同位元素組成についていうと, Rb - Sr 法によるアイソクロン令年も古生代を示し, Sr 初生値も大半は 0.705~0.708 で, 古生代のマントルに由来する物質を示唆するという(SHIBATA et al., 1970)。 山口(1967)は本岩類中のジルコンの Pb207 : Pb206 年令を測定し, 1,493 m. y. より古いという結果をえているが, このジルコンは detrital [ = 岩屑性 or 砕岩質 ] だとしている。 すなわち, 本岩類の原岩に堆積物を供給した原山地は前カンブリア紀ということになる。
本岩類についてのこれらの原岩および変成作用の古生代~中生代説に対して, 原岩を前カンブリア紀とし, たとえ古生代~中生代に変成作用があったとしても それ以前に前カンブリア紀において既に変成作用をうけていたという説もある (文献が多数あるので省略するが, SATO(1968)あるいは市川・その他(1970)の P.8 など参照されたい)。
後主要期の変成作用については, 船津花崗岩類が著しく類似した変成作用をうけているので, 船津花崗岩類の深成作用末期あるいはそれにひきつづく時期で, 大きくみると主要期変成作用にひきつづくと考えてよいであろう。
飛驒変成岩類は前項でのべたように多様で, 岩相は頻繁に変化し, 入りくんで分布するので, 地層区分は単純な岩相区分によることができない。 主要な岩種の組合せから8層に区分される。 それらは, 見かけ上の下位から, すなわち分布の南側から次の通りである。
| 1. | [ II.2.9 ] | 袖峠 層 | [ Ht ] | |||
| 2. | [ II.2.10 ] | 芦谷 層 | [ Hs ] | |||
| 3. | [ II.2.11 ] | 天生 層 | [ Ha ] | |||
| 4. | [ II.2.12 ] | 三合谷 層 | [ Hd ] | |||
| 5. | [ II.2.13 ] | 小鳥川 層 | [ Hk ] | |||
| 6. | [ II.2.14 ] | 二屋 [ ← 二ッ屋 ? ] 層 | [ Hf ] | |||
| 7. | [ II.2.15 ] | 水無 層 | [ Hm ] | |||
| 8. | [ II.2.16 ] | 西又 層 | [ Hn ] |
本層は本図幅地域の飛驒変成岩類の見かけ上の最下位層で, 断層や船津花崗岩によって分布がとぎれるが, ほぼ N 60°E 方向にのびた分布をしめし, 宮川村 袖峠付近から宮川沿岸にのび, 一度とぎれてまた 高登 山の南方につづく。 構造は, 宮川沿岸および高登山南方では露頭での層理・片理はこのような分布とはほぼ直交し, ほぼ南北に走り 急立する。 ただし, 南北といっても, 宮川の沿岸ではやや北西 - 南東より, 高登山の南方ではやや北東 - 南西よりの傾向がある。 宮川以東の袖峠付近ではやや不規則になり, 傾斜のゆるい部分もでてくる。
本層は船津花崗岩のミロナイト性貫入をうける。
本層は石灰質の石英長石質変成岩類で特徴づけられ, おもに次のような岩石からなる。
これらの岩石のうちでは, 透輝石斜長石石英片麻岩が大半をしめ, 伊西 型片麻岩 [ 以下の [注] 参照 ] とよばれるものの一種である。 黒雲母をもっている片麻岩は少量でかつ個々の層はうすく, 厚さ数 m のことが多い。 石灰岩も厚いものはなく, 幅数 m~10 数 m のレンズで, 石英にとんだ薄層をともなうこともある。 多量に分布する透輝石斜長石石英片麻岩は一般に不均質で, 粗粒から細粒, 透輝石の量比によって明色のものから暗色のものまである。 一般に粗粒・明色の岩相が多く, しばしば平行構造を欠く。
石灰岩をふくめて, ほとんどの岩種に部分的に黒鉛片がふくまれる。
本層の原岩は石灰質砂岩を主とし, 石灰岩, 泥岩などの薄層をまじえた地層と考えられる。
なお, 本岩の一部には球状岩が形成され, 宮川の川原の一部で径約 30 m の地域に径約 10~20 cm の球が分布する。 球は露頭で散点し, 濃密な分布をせず, 球殻の発達の不完全なものも少くない。 個々の球は放射状核部と2層または3層の円心球殻からなる。 球殻は透輝石殻と斜長石殻のくりかえしからなっている。 球状岩の中には機械的にわれたような半球や球の破片もふくまれ, アグマタイト [ agmatite ; 古い岩石の角張った破片が花崗岩質の物質で固結されてできたミグマタイト ] に似た様相の部分もある。 球状岩の石基は付近の透輝石石英片麻岩よりも透輝石が少く, 粗粒・明色である。 本岩の形成過程には液相状態が少くとも一時期には存在したと考えられる(野沢(1969); ただし, この球状岩は白波瀬輝夫によって発見されたものである)。
本層は見かけ上 袖峠層 [ Ht ] の上にのり, 宮川村 上小谷 から宮川沿岸へいたり, 芦谷をへて 上朝川原 谷の中流へ, さらに 小鳥 川の上流の 保 付近から 明瀬 [ ← 明ヶ瀬 ? ] ・ 栗谷 [ ← 栗ヶ谷 ? ] へ, ほぼ東北東 - 西南西方向に 断層でずれたり船津花崗岩にさえぎられたりしながら分布している。
本層の構造は, 宮川より西方ではほぼ南北方向に走り, 直立に近い層理・片理をもつ部分が多い。 宮川より東方では西方の等斜褶曲状構造がゆるやかになり, 規則性はくずれてくる。
本層と見かけ上の下位の袖峠層との関係は整合的で, 宮川では境界はやや北西 - 南東によった南北性の小断層で, 袖峠層の透輝石斜長石石英片麻岩と本層の角閃石黒雲母斜長石石英片麻岩とが接している。 この断層は跡津川断層の南方の等斜褶曲地域でよくみられる片理方向の小断層とみられる。
本層の岩相は, 角閃石および黒雲母あるいはそれらが単独でふくまれる石英長石質片麻岩で特徴づけられ, おもに次のような岩石からなる。
多くの岩種に多少とも黒鉛がふくまれる。 角閃石や透輝石をもつ岩種にはチタン石がふくまれ, 角閃石黒雲母斜長石石英片麻岩には しばしばざくろ石がふくまれる。 ISHIOKA(1967)は 石灰岩に関係する花崗岩質岩脈の中にエジリン輝石を明瀬でみいだしている。
本層の岩種のうちでは, 量的には, 角閃石斜長石石英片麻岩と 黒雲母角閃石斜長石石英 ± 微斜長石片麻岩がもっとも多い。 黒雲母斜長石 ± 石英片麻岩や石灰岩は少く, かつ薄く, 10 m 以下の厚さの場合が多い。
本層は主に中性または苦鉄質火山噴出物を少量まじえた砂岩で, 部分的にごく少量の泥岩および石灰岩の薄層をはさんだ原岩に由来すると考えられる。
本層は見かけ上, 芦谷層 [ Hs ] の上位にのり, 宮川村 夏坪谷 [ 読み不明 ] ・ 下小谷 から宮川沿岸へつづき, さらに小鳥川の南岸を跡津川断層ぞいに天生・明瀬まで, ほぼ東北東 - 西南西方向に, 断層でずれたり, 船津花崗岩に貫かれたり, 楢峠層 [ Na ] のデイサイトにおおわれたりしながら分布がつづいている。
本層の構造は, 芦谷層と同様で, 宮川より西方では走向はほぼ南北, 傾斜は直立に近い。 [ 河合村の ] 元田 付近では, 小さな等斜褶曲に近い急立した褶曲もたしかめられている。 また, 南北方向で直立した方向の小規模な断層もよく発達している。 宮川より東方の 小谷 地域では構造はゆるやかになり, 走向はほぼ地層の分布方向に一致して東北東 - 西南西方向に走り, 同方向に軸をもった褶曲構造もあらわれるようである。
本層と見かけ上 下位の芦谷層との関係については, 両者の識別は比較的容易である。 両者の境界については, 宮川の西方では一部は断層であり, 一部はせまい幅の漸移帯で交錯している。 下小鳥川発電所の送水隧道 [ 位置不明 ] 内では両者の境界付近に小規模な花崗岩体があり, 一部ミロナイト化している。 両者の境界で多少の変位があったのかもしれない。 宮川の東方地域ではほぼ整合的漸移である。
本層の岩相はアルミナ質石英長石質変成岩で特徴づけられる。 その見かけ上の上部層準に黒鉛に著しく富んだ地層がほぼ全域にわたってつづくこと, および下小谷~夏坪谷付近には デイサイト質火山岩の構造をのこした変成岩層がふくまれることも注目される。 おもな岩相は次の通りである。
大半の種類の岩石に黒鉛がふくまれ, しばしば濃集する。 また, 黒雲母をふくむ岩相にはしばしば白雲母が共存する。 どの岩種でも黒雲母は多少とも変質する。 黒雲母は, 特に角閃石と共存する時は, ほとんど緑泥石またはぶどう石に交代されている。
上記の岩石のうちで, 量的には, 角閃石黒雲母斜長石石英微斜長石片麻岩が最も多い。 ざくろ石角閃石黒雲母斜長石石英片麻岩も広く分布するが, 中にはざくろ石が径 2 cm 以上にも達するものがあり, 一つの層準をつくるらしく, 黒鉛の濃集する層準の見かけ上の上位, すなわち北側に, 下小谷, 稲越川の川口, [ 河合村の ] 新名 [ 位置不明 ; 高登山の北方 1.5 km ? ] , 天生 などでみいだされる。 黒鉛の濃集する層準は, 地質図で黒鉛鉱床 [ = 記号 C ] の分布からたどられる層準で, 著しくアルミナ質で, ざくろ石黒雲母斜長石片麻岩などを多産する。
下小谷の神社 [ ← 白山神社 ? ] 前から夏坪谷へかけて, デイサイト起原の黒雲母斜長石石英片麻岩が分布する。 本岩は自形の斜長石斑晶の他に, 現在はモザイク状集合になった まるい石英斑晶もふくんでいる。 本岩は厚さ 10 m 以上, 溶岩なのか火砕岩なのか明かではない。 同様な岩石は月瀬付近にも小規模にみとめられる。
また, 黒雲母斜長石石英片麻岩の中には 石英 - 電気石の小レンズ(幅 0.5 cm, 長さ 1~2 cm)が「かすり模様」状に比較的規則正しく多数分布している部分もある。
SUZUKI(1973)は本層のざくろ石 - 単斜輝石, 単斜輝石 - 斜方輝石, 珪灰石 - 単斜輝石 - 斜長石などの, とくに月瀬付近で見出された組合せについて, その鉱物化学的性質などもあわせて, エクロジャイト相あるいはグラニュライト相の局部的な存在を主張している。
本層は飛驒変成岩類の中では比較的アルミナ質ではあるが, その原岩は, 全体としては石灰質物質, 苦鉄質または中性火山岩質物質を局部的にまじえた, 泥まじりの砂岩が大半をしめるものと考えられる。
本層は見かけ上, 天生層 [ Ha ] の上位にのり, 天生層と小鳥川層 [ Hk ] との間に入る。 宮川以東にだけ発達し, 宮川以西では本層がなく, 天生層の上に直接 小鳥川層がのる。 本層はほぼ宮川に平行に東北東 - 西南西方向にのびるが, 構造はもめていて, 東北東 - 西南西方向の軸をもった褶曲構造があるようである。
接近する船津花崗岩の中には変成岩の原地性包有岩塊がふくまれ, 本層との境界の識別は困難な部分が少くない。 一部では, 境界と推定される付近にミロナイトが発達している。 天生層とは整合的で漸移する。
本層の岩相は芦谷層 [ Hs ] に類似するが, 芦谷層ほど角閃石に富んだ岩相は少い。 主要な岩相は次の通りである。
上記の岩石のうちで, 量的には, 黒雲母角閃石斜長石石英 ± 微斜長石片麻岩が著しく多い。 また, 本岩は船津花崗岩類との関係が密接で, その中に船津花崗岩類の小岩体がしばしば分布する。 また, 変成岩の中に局部的に石英や微斜長石に富んだものが多いのも 船津花崗岩類に関係があるのであろう。
なお, 岸奥の南方には閃緑岩あるいは斑粝岩 [ Dq ] が地質図に記入されているが, その産状は必ずしも明確でなく, 変成岩として本層の一部として取扱うべきかもしれない。
本層は見かけ上, 宮川ぞいでは三合谷層 [ Hd ] の上位に, 小鳥川ぞいでは天生層 [ Ha ] の上位にのり, おもに跡津川断層ぞいに発達する。 本層はほぼ東北東 - 西南西方向にのび, 一部は断層で変位させられたり船津花崗岩に貫ぬかれたりする。
本層の構造は, 跡津川断層の北方, すなわちほぼ小鳥川・宮川以北の部分では地層の分布とほぼ平行した層理・片理をもち, 東北東 - 西南西に走り, 北西へゆるくかたむく。 跡津川断層以南にはみ出した部分, 落合や 大無雁 などではいくつかの断層にはさまれてもめ, 一部では, ほぼ北東 - 南西方向に軸をもった小褶曲のくりかえしもみとめられる。
本層は南側で三合谷層と天生層に接する。 三合谷層とは整合的に漸移する。 天生層とは大部分が断層関係にあるので, 関係はたしかめられていない。 船津花崗岩類との関係では, 森安花崗岩 [ Gm ] には貫入されるが, 水無花崗岩 [ Gz ] との関係は複雑で, 一部は本岩に由来する原地性包有岩塊にとんだ花崗岩質岩石に漸移的にうつっている。
本層は袖峠層 [ Ht ] に似るが, 袖峠層よりはるかに石灰岩が多く, 石灰岩および石灰質片麻岩以外の変成岩の量比が著しく小さい。
主要な岩相は次の通りである。
上記の岩石のうちで, 量的には, 透輝石斜長石石英片麻岩と石灰岩がもっとも多く, 黒雲母透輝石斜長石石英片麻岩や角閃石透輝石斜長石石英片麻岩も少なくない。 石灰岩にはさまれて石英岩や黒雲母片麻岩も少量分布する。
石灰岩は大半は方解石であるが, ドロマイトも少量ふくまれる。 ドロマイトは [ 河合村の ] 中沢上 や 上ケ島 などでみいだされるが, 幅数 m で石灰岩層にはさまれる。 また, 石灰岩層は石英長石質片麻岩と数 m 以下の薄さで規則的にまたは不規則に互層し, 石灰岩ばかりで厚い地層をつくることがない。 それ故, 見かけ上, 厚さ数 100 m の石灰岩層も石灰岩だけの総合計は約 10 m にすぎないことが多い。 これは, 多量に分布しながら本層が石灰石資源として利用されにくい理由でもある。
ドロマイトの付近には ざくろ石・ フォルステライト・ コンドロダイトあるいは原鉱物不明の蛇紋石粒をふくんだスカルンがしばしば形成される。 その他, 透輝石や珪灰石をふくんだスカルンも多い。 石岡(1970)は 上島谷 [ ← 上ケ島谷 ? ] でアンドラダイトとグロッシュラールの安定に共存したスカルンをみいだしている。
本層の一部の角閃石斜長石石英片麻岩には しばしばざくろ石がふくまれる。 また, 角閃石斜長石石英片麻岩には黒鉛片のふくまれることがまれでない。 一部の角閃石斜長石片麻岩は角閃石と長柱状自形の斜長石からなり, 角閃石の内部に単斜輝石の核部をもっていて, 火山岩に由来する可能性がある。
本岩層の原岩としては石灰岩・石灰質砂岩・石灰質泥質砂岩が主で, その他, 泥質砂岩・苦鉄質あるいは中性火山岩質物質をまじえた砂岩 および少量の苦鉄質あるいは中性の火山岩をふくんだ累層と考えられる。
なお本岩層は本図幅地域一帯におよそ 20 km に近い長さで連続し, 特徴的な鍵層となっている。
本層は見かけ上, 小鳥川層 [ Hk ] の上位にのり, 東北東 - 西南西にのび, 北東端と南西端はそれぞれ森安花崗岩 [ Gm ] および水無花崗岩 [ Gz ] によって切られ, 北方は第三紀の楢峠層 [ Na ] によっておおわれる。
本層の構造はおおむね分布に平行した層理・片理の走向をもち, ゆるやかに北へかたむく。 ただし, 本図幅地域の東北端では, いくらか地層は北東 - 南西よりの走向をもつようである。
本層は南側で小鳥川層に接するが, その関係は整合的な漸移である。 森安花崗岩には鋭い境界線で貫入されるが, 水無花崗岩との境界はきわめて不明確で, 地質図に示した境界線付近に近づくと本層の中に花崗岩質の小岩体, レンズ, 岩脈などがふえてくる。 本岩に接する水無花崗岩もまた原地性包有岩塊として多量の本層岩石をふくんでいる。
本層はとくに特徴づけられるような岩種の発達に乏しい石英長石質岩石からなり, 石灰質層, アルミナ質層および苦鉄質層はごく局部的で, 厚く発達することはない。
本層は, 小鳥川層とは石灰岩および石灰質変成岩が少いことで容易に区別される。
本層の主要な岩相は次の通りである。
これらの岩種のうちで, 量的には, 黒雲母斜長石石英微斜長石片麻岩・ 黒雲母角閃石斜長石石英片麻岩・ 角閃石透輝石斜長石片麻岩および角閃石斜長石石英片麻岩がもっとも多い。
本層の岩石が, とくに北西側で水無花崗岩の影響を著しくうけることは前述の通りで, 本層内部でも花崗岩質脈あるいはレンズが多く, 石英や微斜長石をふくむ岩相が多いことも水無花崗岩に関係のあることかもしれない。
羽根谷 の上流では, 本層のアルミナ質片麻岩の一部に コランダム白雲母微斜長石斜長石片麻岩が SUZUKI(1970)によってみいだされている(鈴木, 1973b)。
また, 黒雲母斜長石石英片麻岩の一部には, 例えば二屋では自形の斜長石斑晶と細粒の石英長石質石基をもつものがあり, 明らかに珪長質火山岩を原岩とすると考えられる。 また. 斜長石斑晶と長柱状の斜長石とを主とした石基からなる 中性または苦鉄質火山岩起原と考えられる岩相もふくまれる。
角閃石斜長石石英片麻岩や 角閃石黒雲母斜長石石英 ± 微斜長石片麻岩には しばしばざくろ石がふくまれる。 また, 角閃石で特徴づけられる片麻岩にも黒鉛片を多少ともふくむものが少くない。
本層にはマンガン鉱床 [ = 記号 Mn ] がふくまれる。 しかし, チャートに由来する変成岩はその付近にみいだされていない。
本層の原岩については, 一部に石灰質, 泥質あるいは火山岩質の部分をふくむが, 大半は泥まじりの砂岩, いくらか石灰質の砂岩, 苦鉄質または中性の火山岩物質をまじえた砂岩などの砂岩類に由来するものと考えられる。
本層は本図幅地域の北西端にあって, 南は牛首断層で切られて水無花崗岩 [ Gz ] に接する。
本層は西北西 - 東南東に走り, 北東に傾く。 本層は [ 本図幅の西隣の白川村図幅地域から 本図幅地域を経由して 本図幅の北西隣の 下梨 図幅地域へと流れる ] 利賀 川の東方で南北方向に走り, 南に傾く軸をもった大きな向斜構造の軸端および西翼の一部にあたるもので, この向斜の軸端の一部は牛首断層で切られ, 南西方に数 km 変位させられている。 なお, 本層の構造は [ 本図幅地域の北西隅の ] 水無谷と 利賀谷 [ ← 利賀川 ? ] の合流点付近では断層のためにいくらかみだれている。
本層と南方の二屋層 [ Hf ] の間には水無花崗岩 [ Gz ] が分布し, その中に原地性包有岩塊として飛驒変成岩類が多くふくまれているので, 本層と二屋層の間には さらに別の岩層として識別されるべき片麻岩層が存在するのかもしれない。
本層は石灰岩および石灰質の石英長石質片麻岩によって特徴づけられ, 小鳥川層 [ Hk ] と類似した岩相をもっている。
[ 本図幅地域の北西隅にある ] 本層は, 西側では見かけ上 水無層 [ Hm ] の上位にのり, 南東側では牛首断層に切られて水無花崗岩 [ Gz ] に接する。
本層は水無層の項でのべた利賀川の向斜構造の軸端部にあたるので, 西側から東側へ北北西 - 東西 - 北北東へと走向が変化する。
本層と水無層との関係は整合的で漸移する。
本層は一部にアルミナ質および石灰質の部分をはさみながら, 全体としてはアルミナ質および苦鉄質物質をまじえた石英長石質片麻岩を主としている。
主要な岩相は次の通りである。
これらの岩種のうち, 量的には, 黒雲母斜長石石英片麻岩, 角閃石黒雲母斜長石石英微斜長石片麻岩および 透輝石黒雲母斜長石石英片麻岩が大半をしめる。
黒雲母斜長石石英片麻岩や 角閃石黒雲母斜長石石英微斜長石片麻岩にはざくろ石がしばしばふくまれる。 また, 珪線石・ざくろ石を主とする片麻岩も含まれる。
本層には [ 次の章で記載する ] 天生型花崗岩 がレンズ状あるいは不規則な岩脈状にしばしば多量に発達する。
飛驒変成岩類の中には, 平行構造が全くないか或は著しく弱く, 一般に明色で粗粒の花崗岩質岩石が小規模に, しかし広く, ほとんどの地域でみいだされる。 本岩石は飛驒変成帯全域でみいだされるが, 一般にその中では東方で少く西方へゆくにつれてふえる傾向があり, 本図幅地域および北隣の「白木峯」図幅地域の西半では著しく多量になり, 個々の露頭で変成岩より多いという場合が少なくない。
本岩石は, 壁岩の飛驒変成岩類の層理, あるいは片理に平行なレンズ, またはそれらを切る岩脈あるいは不規則な外形の塊状で, レンズまたは岩脈の幅は多くは数 m または数 10 cm, 塊状の場合も径 1 m 以内のことが多い。 本岩石と変成岩類との境界は漸移的の場合が多い。 また, 本岩石の中に変成岩類の原地性包有物または変成鉱物の残存することがあり, 片理構造ものこっていることがある(第 3 図)。
本岩石の岩相は多様で, 一般には微斜長石, 石英および斜長石を主とし, 周囲の変成岩類の性質に応じて, 例えばアルミナ質変成岩の中にあれば黒雲母やざくろ石, 苦鉄質変成岩の中にあれば角閃石, 石灰質変成岩の中にあれば透輝石やチタン石をそれぞれともなう。 本岩の長石類は, 大半はうすい青紫色がかった灰色を呈し, 岩石全体に灰色の色調をあたえている。
本岩石と飛驒変成岩類との区別は しばしばまぎらわしい。 本岩石がレンズ状の場合, 変成岩類中の石英長石質層との区別は困難なことがある。 とくに, 片理構造のしばしば貧弱な透輝石斜長石(± 微斜長石)石英片麻岩との区別は困難で, 「 伊西 型」ともよばれるこの種の片麻岩のかなりな部分は 「天生型」花崗岩の石灰質岩相の可能性がある。
本岩石と船津花崗岩類の一部, 水無花崗岩 [ Gz ] および一部の小花崗岩体 [ g ? ] との区別も場合によっては困難である。 これらの花崗岩類は, 少くともその一部で飛驒変成岩類に対し交代性 emplacement によって形成されているので, しばしば類似した様相を呈するからである。 本岩石と船津花崗岩類は一般には長石の色がちがうが, 本岩石の一部にも赤桃色がかった長石の部分があり, まぎらわしい。 本稿では本岩石は船津花崗岩類とは別にしたが, 本来, 本岩石が船津花崗岩類の早期あるいは深部岩相であるという可能性は, 検討に値するように思われる。
本岩石の形成作用は交代性 emplacement であることは, さきにのべた岩相や周囲の飛驒変成岩類との関係から明かである。 ごく一部では流動した部分もあったようである。
本岩石は, 従来, 「天生花崗岩」, 「灰色花崗岩」, 「古期花崗岩」などと呼ばれてきた。 これらの内で「天生花崗岩」という名称は最も古いのではないかと思われるが, 天生花崗岩というのは もともとは西隣の「白川村」図幅地域にあった(旧)天生鉱山付近の アルミナ質変成岩に関係した本岩石およびそれに類似した岩石のことをいうらしく, 本稿で取扱うように 「飛驒変成岩類のすべての岩種に関係して形成された花崗岩質岩石を包含するかどうか」 はたしかでない。 それで, 本稿では「天生型花崗岩」という名称を用いることにする。
なお, 本岩石の形成時代は飛驒変成作用の主要期末期と考えられる。 しかし, 飛驒変成岩類を前カンブリア紀と考える説に立つと, 本岩石も飛驒変成岩類との密接な関係や, 前カンブリア紀の グラニュライト相変成岩に多いといわれる長石の青色がかった灰色のせいで, 前カンブリア紀ということになる。
本図幅地域の南東隅には 小面積ながら特異な礫岩層として有名な上広瀬層, および その上位の泥質の 森部 層からなる石炭系と, 二畳系と考えられ 上広瀬層の一部をおおう 高草洞 安山岩類が分布する。 石炭系 [ の上広瀬層と森部層 ] は弱い変成作用をうけて片岩化し, 飛驒外縁帯に特徴的な岩相の一つを示している.
飛驒外縁帯と飛驒変成帯は接近していながら おもに船津花崗岩類によってへだてられ, 両者の関係は明らかでない。 飛驒変成作用の主要期は後期 二畳紀~三畳紀と考えられるのに, 飛驒外縁帯では二畳紀およびそれ以前の古生層が 飛驒変成帯の高温低圧型の変成作用の影響をうけていない事実は奇異に思われる。 両帯はその形成作用の主要な過程で相互に独立したものであったのであろうか。
上広瀬層および森部層は 本図幅地域では年代決定に有効な化石がみいだされていないが, いずれも東隣の「船津」図幅地域の古生層との連続性および岩相の類似性から, それぞれ「船津」図幅地域の 荒城川 層および森部層に対比される。 その変成年代についても直接的な地質学的証拠は不充分である。 森部層の同位元素年令は約 170 m. y., 上広瀬層中の花崗岩類礫は 109 および 159 m. y., 高草洞安山岩類は 134 m. y. で(柴田・野沢, 1974), いずれも 船津花崗岩類や濃飛流紋岩に関係した熱影響の検討の必要性のある数字と考えられる。 したがって, 変成年代についても石炭紀より若いことだけが確実である。
飛驒外縁帯の結晶片岩の同位元素年令には [ 新潟県 糸魚川の西方の ? ] 青海 地方でほぼ 4 億年の測定がある。 そうすると, 本図幅地域のように石炭紀層が変成したのとは別の, さらに古い変成作用が外縁帯に存在したことになる。
飛驒外縁帯の結晶片岩全体を 三郡 変成岩の一部とする考えがあるが, その当否は別として, もし同時期のものがあるとするなら, 本図幅地域に分布する結晶片岩がそれに相当するのかもしれない。 両者の地質学的・岩石学的関係は充分明らかにされていない。
本層は本図幅地域の南東のすみにせまい分布をしめ, おもに礫岩・凝灰岩・砂岩および砂質泥岩からなる [ ← 上広瀬層の礫岩層 ? ] 。 本層は著しく成熟度の低いこと, 礫に多量の花崗岩質岩石をふくみ基質に火山岩質物質の多いことなどを特徴とし, 国府町 上広瀬の「あじめ橋」付近の宮川の川原でよく観察できる。 それで, 本層は上広瀬層と名づけられている(野沢・礒見, 1956)。
本層の分布は, 新しい断層にかこまれて北東 - 南西方向にのびた長方形の小山稜をつくり, 幅約 2 km, 長さ約 6 km 以上にわたっている。
本層の構造をみると, ほぼ分布の長軸に平行した N 65°E の方向の軸をもつ背斜構造をつくる。 その軸は水平に近く, ほぼ分布の中心を通る。 両翼の傾斜は 60°前後, 軸に近い部分ではほぼ対称的であるが, 軸をはなれると傾斜の逆転している部分もあり, 多少構造がみだれているようである。
本層では, 高草洞 の北方の背斜軸部に近い露頭で級化層理がみとめられ, 見かけの上下が其の上下を示すことがたしかめられている。
本層は森部層 [ M ] の下に整合的に位置することが, 背斜の南東翼にあたる 小八賀 川( [ 本図幅の東隣の ] 「船津」図幅地域)の沿岸でみとめられる。 東隣の「船津」図幅地域では森部層の下位には 荒城川 層が整合的につづき, 荒城川層の中には [ 荒城川沿いの ] 宮地 [ 以下の [注] 参照 ] や 三之瀬 で類似した礫岩層が小規模ながらはさまれている。 荒城川層が苦鉄質火山岩を主にすること, 上広瀬層の礫岩の基質にも礫にも苦鉄質火山岩質物質が多いことなどとも考えあわせて, 上広瀬層は荒城川層の同時異相と考えられる。 [ 「船津」図幅地域内では ] 荒城川層は化石によって下部 石炭系と推定されている(礒見・野沢, 1957)。
本層は三畳紀の船津花崗岩に貫かれ, 接触変成作用をうける。
本層の厚さは, 基底が見られないのでわからないが, 少くとも 300 m をこえると推定される。
本層の岩相 [ = 地質図の凡例で K とした部分の岩相 ] は全体にわたって礫岩が優勢で, およそ半分をしめる。 残りは苦鉄質凝灰岩・砂質凝灰岩・砂質泥岩およびグレイワッケ質砂岩を主とし, 石灰岩・石灰質砂岩および泥岩の薄層をはさむ。 礫岩の基質は変化に富むが, これら共存する非礫岩相とほぼ同じものからなっている。 一般に非礫岩相および礫岩基質の火山岩は, 本層の下部層準と考えられる「あじめ橋」付近に向って漸移的に多くなる。 火山岩はおもに玄武岩と思われる苦鉄質のもので, 凝灰岩・凝灰角礫岩・スコリア質ラピリ凝灰岩などである。 火山岩質の円礫や角礫片にはごく少量の中性および珪長質火山岩もみいだされる。
砂岩を基質とする礫岩は, 「あじめ橋」より上流で凝灰岩を基質とする礫岩より上部層準と考えられる部分に多い。 凝灰岩を基質にする礫岩から 凝灰岩質物質とおもに花崗岩質の砂質物質がまざりあったり, 互層したりしながら砂岩質基質の礫岩へ漸移する。
砂岩は全般に陶汰がわるく, 砂粒も角ばったものが多い。 砂粒はおもに花崗岩質および火山岩質物質からなり, 両者はいろいろな程度にまざりあい, 暗灰色 - 灰色 - 灰白色の多様な色調を呈する。 シルト様の部分にも細粒の火山岩質物質のみいだされることが多い。 火山岩質物質は中性または苦鉄質火山岩質物質が多いが, 珪長質火山岩質物質も少量みいだされる。
石灰岩 [ = 地質図の凡例で L とした部分 ] は高草洞で本層から採掘稼行されたことがあり, かなりな量があったものと推定される他は, 一般に幅数 m のレンズ, または, 不規則な径数 cm の塊状のことが多い。
礫は多様な礫種からなり, 円磨度も多様であるが, かなり角ばった花崗岩質礫もみとめられる。 礫径は, 花崗岩質礫についてみても径 1 m に近いものから数 cm のものまでが混在し, 著しく陶汰がわるい。 また, 礫と基質の量比も不規則に変化している。 礫質はおもに 花崗岩質岩石・ 珪長質火山岩・ 砂岩・ 泥岩・ 石灰岩および基質の一部と関係すると思われる苦鉄質~中性火山岩などである。 花崗岩質および珪長質火山岩質礫は, 花崗閃緑岩・ アダメロ岩・ トーナル岩・ 文象花崗岩・ アプライト・ 流紋岩などである。 花崗岩質礫にミロナイト化したものがしばしばふくまれていたり, カリ長石斑晶をもつ流紋岩質礫とともに 著しくソーダ質でカリ長石をほとんどふくまない流紋岩質礫があることも特徴的である。 化学組成でみると, 一般に Na2O が多く K2O に乏しい傾向がある(第 3 表, 第 4 図)。 火山岩質礫は基質と同源と考えられ, 玄武岩質および安山岩質である。
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さきにのべた本層の花崗岩質礫の K - Ar 年令は 供給原地の花崗岩質岩石の形成年代を示すものとは考えられない。 また, 花崗岩質礫をはじめ礫の成熟度は著しく低いので, これらの礫の供給原地は近接した位置にあったものと考えられる。 しかし, まだ, 現在 地表にこれにあたる岩体はみいだされていない。
本層は広域変成作用をうけ, 苦鉄質火山岩質の部分には緑泥岩・緑簾石・アルバイトおよび石英などが, 泥質・砂質の部分には白雲母・アルバイト・石英などの再結晶が著しい。 片理は, 一般には礫岩や粗粒砂岩が多いのであまり著しくないが, 礫の少い部分ではよく発達する。 片理は, 巨視的には層理にはほぼ平行するが, もともと層理が明瞭でないことが多いのでたしかでない。
部分的にアクチノ閃石や草緑色の黒雲母が形成されているが, 広域変成作用によるものか, 船津花崗岩類の熱影響によるものか識別しにくい。
本層には, とくに火山岩質物質が多いあじめ橋付近に, 石英脈・緑簾石脈・方解石脈およびぶどう石脈が発達している。 とくに緑簾石脈は部分的によく発達して, 岩石全体が草緑色になる程である。 たまたま, この付近は船津花崗岩類との接触部に近く, これらの脈の形成が広域変成作用によるものか, 船津花崗岩類の接触変成作用によるものかがきめにくい。 しかし, 少くとも石英脈は接触部をはなれると数も大きさも急速に減少するので, 船津花崗岩類の影響をうけたものであろう。
本層は飛驒外縁帯にあり, 特異な様相をもっているので, これまでもしばしば問題にされ, その堆積時代についてもジュラ紀説, 後期 二畳紀説, 三畳紀説などがあり, 「船津」図幅(礒見・野沢, 1957)では石炭紀と考えられた。 加納(1962)は本岩を「大谷式礫岩」の一つとし, 礫の起原を前カンブリア紀と推定した。 KONISHI and OMURA(1967)は本層の石灰岩から Collenia を発見したが, 時代のくわしい決定には直接 役立たなかった。
本層は本図幅地域の南東隅に上広瀬層 [ K ] に附着したせまい帯状の分布をしめ, おもに泥質砂岩からなり, 高山市 中切 部落 [ ← 中切町 ? ] の裏, あるいは [ 本図幅の南東隣の「高山」図幅地域内の ] 松本の国道 41 号線ぞいでよく観察できる。 本層は東隣「船津」図幅地域で森部層と名づけられている(野沢・礒見, 1956)。
本層の分布は東隣地域もふくめて幅約 1 km, 長さ約 10 km にわたるが, 本図幅地域では上広瀬層の背斜の南東翼部に数 100 m の幅で, 東北東 - 西南西方向にのびる。 本層の構造は走向 N 60~80°E, 比較的急立し, 小規模な褶曲構造もみとめられる。 本層には, 東隣「船津」図幅地域では上広瀬層と同時異相と考えられる荒城川層が接近して分布し, 本図幅地域で向斜構造が予想されるが, 構造の複雑さと露出不良のため たしかめられていない。
本層の時代は, 化石がみいだされていないのでたしかではないが, 上広瀬層および荒城川層に整合的に漸移するので, 下部 石炭紀と考えられる。
本層を構成する岩石はおもに砂岩から泥岩にいたる砕屑岩で, 泥質砂岩がもっとも多い。 その他, 少量の石灰岩およびごく一部に安山岩質岩石もはさまれている。 砕屑岩類は一般に淘汰作用がわるく, 部分的にラミネーションが発達する。 安山岩質岩石は上広瀬層の場合と全く同一で, もともと斜長石と角閃石らしい苦鉄鉱物を斑晶としていたもので, 現在は, 斜長石はほとんどアルバイト化し, 苦鉄鉱物斑晶は緑簾石と緑泥石との集合になっている。
本層はすべて広域変成作用をうけ, 砕屑岩類には白雲母・緑泥石・アルバイト・石英などが再結晶している。 安山岩質岩石も同様である。 片理は細粒の砕屑岩について著しく, 砂粒の粒度が増大すると弱くなる。
なお, ごくまれに草緑色の黒雲母をふくんだ泥質片岩や, アクチノ閃石をふくんだ緑色の片岩がみいだされる。 その分布はたしかめられないが, 近傍の船津花崗岩類の熱影響に関係する可能性も考えられる。
同位元素年令の測定は, さきにのべたように高山市 松本の白雲母石英片岩について 170 ± 5 m.y. という(柴田・野沢, 1974)。 この年令は明らかに地質学的に推定される年代より若い。 船津花崗岩類の同位元素年令はほぼ 180 m. y. といわれるので, その熱影響をうけたものかもしれないし, 或はまた, 飛驒変成岩類の主要期変成作用の影響をうけているものかもしれない。
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本岩類は本図幅地域の南東隅に約 500 m2 のせまい分布をしめる。 岩石は暗灰色の角閃石安山岩で, すべて熱変成作用をうけている。 本岩類は高草洞の北東方の上広瀬層 [ K ] のつくる山稜の頂部をしめ, 山頂のテレビ塔およびそれにいたる道路付近によく露出する。
本岩類は上広瀬層をおおう形で分布し, その基底は海抜約 800 m で水平に近い。 上広瀬層との直接的関係はたしかめられていないが, 上広瀬層の背斜軸部の構造を水平に切る形で分布するので, 上広瀬層を不整合におおう溶岩流またはその中へ貫入したシートと考えられる。
本岩類の接触変成作用は北方に近接する船津花崗岩類によるものと考えられる。 船津花崗岩類は上広瀬層を貫いて, 類似した接触変成作用をあたえているからである。 したがって, 本岩類の時代は三畳紀の船津花崗岩より古く, 石炭紀の上広瀬層より若いことになる。 上広瀬層あるいは荒城川層中の安山岩質岩石には片理が著しく, 本岩類とは対比しにくい。 東隣の「船津」図幅地域には二畳紀の 丹生川 層が分布するが, 丹生川層には安山岩質岩石もふくまれ, 片理も発達していない。 それで, 直接的証拠はないが, 本岩類は, 一応, 丹生川層に対比されるものと考えておく。
本岩類は, 変成作用および船津花崗岩類による接触変成作用の影響で, 原岩の性質は充分明らかではない。 本岩類は一般に角閃石安山岩で, 比較的均質であって, 基底に近い部分でわずかに石基の粒度が低下している場合がある程度である。 本岩類の斑晶は長さ 1.5 cm に達する斜長石, 角閃石および鉄鉱で, 石基は拍子木状の斜長石がめだっている。 斑晶や石基の一部を交代して 淡緑色黒雲母・(緑泥石)・緑簾石・アルバイト・石英および方解石が形成され, 石英脈・石英緑簾石脈なども発達している。
さきにのべた本岩類の 134 m. y. という K - Ar 年令は 上記の地質学的見解とくいちがうので, 若返り年令と考えられるが, 若返りの原因については明確でない。
飛驒変成岩類の分布地域には, 少数ではあるが, 閃緑岩および斑粝岩の小岩体が分布する。 河合村 井谷 や 角川 によく露出するもので, それぞれ径数 100 m, 外形は明らかでない。 本岩類には地質図に示すことの出来ないような小岩体もあり, さらに転石は広く各地でみいだされている。
本岩類にはまれに弱い平行構造のみとめられることがあるが, 大半の場合はない。
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本岩類の岩相は多様で, 細粒から粗粒まで, 明色から暗色まで, 一岩体の中でさえ変化する。 岩種も閃緑岩から中・細粒の斑粝岩までにおよび, 主要な造岩苦鉄鉱物はおもに普通輝石および角閃石である。 まれではあるがかんらん石斑粝岩も宮川村 小谷 夏坪谷 [ 読み不明 ] (化学組成は第 5 表の No. 1)や河合村 栗谷 [ ← 栗ヶ谷 ; 図幅地域西端・南北中央やや南 ] (ISHIOKA, 1967)から報告されている。 また, 小林(1953)は, 落合付近の斑粝岩からしそ輝石と異剝輝石とを記載している。
本岩類と周囲の飛驒変成岩類との関係を河合村 井谷の閃緑岩についてみると, 両岩の境界は飛驒変成岩類の構造を切っているが, その関係は漸移的である。 すなわち, 閃緑岩は周辺に近づいて明色になり, 閃緑岩が径数 10~数 cm の小塊に分れてトーナル岩質石基の中へうめられた漸移帯をへて, 変成岩類にうつりかわっている。
本岩類には平行構造がないので, 変成岩類が 剪断力条件になくなってから [ ← 剪断力が著しい状態の終了後 ] の貫入であろう。 本岩類と変成岩類との漸移関係からみると, 変成作用が完全に終ってからの貫入とは考えにくい。 変成作用の主要期の末期近くの形成と考えるのが妥当であろう。
本岩類は船津花崗岩類との成因的関係が推定されるが, 本図幅地域では両者の接触がないのでたしかめられない。 東隣の「船津」図幅地域では, かんらん石斑粝岩が船津花崗岩類の中に漸移的境界をもってとりこまれ, 船津花崗岩類の形成完了前の貫入と考えられている。
また, 河合村 栗谷には谷口より数 100 m の地点に産状の明らかでない斑粝岩質岩体が露出する。 産状が明らかでないので地質図では岩株状に記載してある [ ← 確認できない ] が, たしかでない。 同様な岩体は河合村 落合にもみいだされる。
船津花崗岩類というのは 飛驒帯においておもに三畳紀の形成と考えられる一連の花崗岩類の総称で, ほとんど飛驒帯全域に分布し, おもに飛驒変成岩類の主体をはさんでその南縁と北縁に分布するが, 変成岩地域内部にも分布する。 本図幅地域は飛驒変成帯の南縁に分布する岩体のほぼ中央部にあたっている。
本岩類はおよそ次の2型に分類される。
現実には, この両型に分類しにくい岩型もあらわれる。 下之本型岩石に船津型岩石から物質添加の行われた岩石や, 船津花崗岩類と飛驒変成岩類との間の相互作用によって生じた岩石などがあって, 単純でないからである。
本図幅地域にはおもに下之本型からなり, 一部に船津型岩石をともなう広瀬 花崗岩 [ Gs, Gt ] , 船津型の船津 花崗岩 [ Gf ] , 船津型に近いが飛驒変成岩との間に複雑な岩型を生じた水無 花崗岩 [ Gz ] , 船津型の森安 花崗岩 [ Gm ] およびその他の小花崗岩体 [ g ] が分布する [ 以下の [注] 参照 ] 。 これらの諸岩体はそれぞれ独立して分布し, 接触関係がないので相互関係は直接にはわからない。 産状, 岩相, 化学組成, 同位元素年令などから, すべて船津花崗岩類に属させるのが妥当のように思われる。
本図幅地域における船津花崗岩類の主要な分布は, 飛驒変成岩類の南縁といっても, 本岩が厳密に変成岩類の分布の南限をかぎるというわけではない。 小岩体ではあるが, 船津花崗岩の南側にも変成岩類は分布するし, 船津花崗岩類の中には 飛驒変成岩類の岩片が原地性包有岩塊として広く南側の端までふくまれている。
本岩類は, 一般に飛驒帯において, 飛驒変成岩類に接する側に下之本型岩石が, その外側に船津型岩石が分布する傾向がある。 しかし, 本図幅地域では, 船津型の船津花崗岩が直接に飛驒変成岩類に交代性接触またはミロナイト性貫入をしている。 また, 広瀬花崗岩は船津花崗岩 [ Gf ] の南にあって下之本型岩石 [ Gs ] を主体としている点も特異である。 広瀬花崗岩には少量ながら船津型岩石 [ Gt ] もついているので, 下之本型岩石と船津型岩石が一組になった独立岩体と考えるべきかもしれない。
本岩類は一部で古生層にミロナイト性貫入をし, 弱い接触変成作用をあたえる。
本岩類と飛驒変成岩類との接触は交代性またはミロナイト性貫入で, その接触影響は識別しにくい。 北隣の「白木峯」図幅地域などでは花崗岩類からカリ長石の交代形成作用があり, [ 富山県の東部の滑川市や魚津市を流れる ] 早月川 地方では, FUJIYOSHI(1970)によると著しい熱変成作用が変成岩類にあたえられているという。 本図幅地域でもそのような作用が推定されるが, 確認はされていない。
本岩類の形成順序は次のように考えられる。
本岩類と前述した閃緑岩・斑粝岩 [ Dq ] および後述する [ 「II.6 古期岩脈」の項で述べる ] 古期岩脈 [ r, n ] とは, 成因的に一連の火成作用に属する可能性が強いように思われる。
本岩類の形成時代については, 本図幅地域では石炭紀層を貫くこと, 他の地域でもジュラ~白亜紀層に不整合におおわれる事実以外に地質学的証拠はない。 同位元素年令は K - Ar 年令で約 180 m. y. に集中する(野沢, 1968)。 およそ三畳紀~ジュラ紀の形成と考えてよいであろう。
本岩は本図幅地域の南東隅に, 古川町の南東方で宮川および荒城川の沿岸に小面積をしめて分布する。 岩相は角閃石花崗閃緑岩が大半をしめるが, 閃緑岩やトーナル岩質の部分もあり, 大部分は下之本型 [ Gs ] に属する。 しかし, 広瀬町の東方では赤桃色の斑状花崗閃緑岩も発達し, この部分は船津型 [ Gt ] である。 本岩は宮川の沿岸, [ 図幅地域東端の宮川の北岸の ] 国府町 上広瀬, [ 宮川をはさんだ上広瀬の南方 1 km の ] 糠塚 などでよく観察することができる。
本岩は 国府町 上広瀬の宮川沿岸の「あじめ橋」の下流や糠塚で古生層の上広瀬層 [ K ] をつらぬく。 本岩は接触部約 10 m ± でミロナイト質になる。 上広瀬層は接触部約 50 m で苦鉄質火山岩質石基の中にアクチノ閃石が形成され, 緑簾石が多量にふえ, 石英脈もふえる。 砂質石基の変化はあまり明瞭でないが, 一部で草緑色の黒雲母が形成されている。 これらは接触作用の影響であろう。
本岩と他の船津花崗岩類との関係は接触がないので明らかでない。
本岩内での船津型岩石 [ Gt ] と下之本型岩石 [ Gs ] の関係は, 船津型岩石に由来すると推定される赤桃色アプライトが下之本型をつらぬくので, 一応, 船津型岩石の方が若いと考えられる。
本岩には, 一般には平行構造はない。 しかし, 部分的に暗色の板状またはレンズ状の包有岩が平行して何枚もふくまれていることがあり, そのような部分ではレンズに平行な構造のあらわれることがある。 このような平行構造は, 本図幅地域では, ほぼ東西または東北東 - 西南西方向に走る傾向がある。
本岩にふくまれる下之本型の主要な岩相は 角閃石閃緑岩・角閃石黒雲母石英閃緑岩・トーナル岩・角閃石花崗閃緑岩などで, 著しく不均質である。 もっとも多量に分布する角閃石花崗閃緑岩は下之本型と船津型の中間型である。 すなわち, 典型的な下之本型岩石は微斜長石を含まないか, あるいは少量であり, 典型的な船津型岩石は角閃石でなくて, 黒雲母を主要苦鉄鉱物としているが, 飛驒山地では, しばしば, 下之本型岩石と船津型岩石の境界付近で 下之本型岩石の中へ船津型岩石から微斜長石をつくるような物質が渗透して, 中間的な岩型が形成されていることがある。 本岩の場合も, 本来の下之木型岩石が船津型岩石から微斜長石を供給されて, 花崗閃緑岩化したものと考えられる。
本岩の大半をしめる下之本型岩石 [ Gs ] についての一例を下に記載する。 船津型岩石 [ Gt ] については, 次項でのべる船津花崗岩のミロナイト化の弱い斑状アダメロ岩と同一なので, 記載は次項 [ II.5.3 船津花崗岩 ] にゆずる。
さきにのべた板状またはレンズ状の暗色包有物は厚さ 5~50 cmで, 数 10 m 以上もつづくものがあり, 多くは 5~50 cm の間隔をへだてて平行に何枚も重なっている。 これらの包有物は, ほとんど細粒の閃緑岩または石英閃緑岩で, 角閃石の他に少量の変質した黒雲母をふくむこともあり, 平行構造をもつ場合ともたない場合がある。
研究史 : 柴田(1954)は, 本岩を古川町 野口付近に分布する花崗岩, 本稿でいう船津花崗岩, 柴田によると野口花崗岩に対比した。 さらに彼は [ 広瀬町の西方 2.5 km の ] 海具江 や [ 広瀬町の北方 2.5 km の ] 桐谷 に分布する岩体を「国府型花崗岩」として, ジュラ紀 手取統を貫き, 花崗斑岩や石英斑岩に移化するとした。 礒見・野沢(1957)は, 隣接する「船津」図幅地域の本岩延長部で, 本岩を船津花崗岩類の一部と考えた。 河合(1961)は, 本岩は手取統を貫くが, 花崗斑岩や石英斑岩には移化しないと考えた。 河田(1966)は, 本岩は手取統を貫かず, 逆にそれによって不整合におおわれ, 石英斑岩相をともなわず, 船津花崗岩類の一部であると主張した。
本稿は礒見・野沢(1957)および河田(1966)の見解を採用した。 この見解に基づく「広瀬花崗岩」という名称は, 国府型花崗岩(柴田, 1954)や国府花崗岩(河合, 1961)とは範囲と定義が異る新称である。
なお, 上記の文献中に本岩の主要岩相を船津花崗岩類の船津型に属するとしている場合があるのは, はじめにのべたように一部に船津型岩石が存在することの他に, 本来の下之型岩石と船津型岩石に由来する 微斜長石の交代渗透作用の著しく加わった部分があり, 赤桃色を呈し, 船津型と肉眼的によくにる場合があるからであろう。
本岩は東隣の「船津」図幅地域から連続して 飛驒変成帯の南縁でもっとも大きい岩体を形成し, 船津花崗岩類のうちの船津型と呼ばれる岩型を代表するものである。 本岩は赤桃色 斑状 粗粒のアダメロ岩を代表的な岩型とするが, 飛驒変成岩類や下之本型岩石との関係やミロナイト化作用の影響で複雑な岩相を呈する。 古川町 野口付近の宮川沿岸, あるいは 戸市 付近の国道 41 号線ぞいで好露出がみとめられる。
本岩の分布は飛驒変成帯の南縁部の構造にほぼ平行にのび, 全体では, 幅約 8 km, 長さ約 50 km の岩体の西半が本図幅地域にあたっている。 本岩の分布は, 本図幅地域の西半で幅せまくなり尖滅してゆくようにみえる。 しかし, 本岩の南方に分布する濃飛流紋岩の中には 船津花崗岩によく似た包有岩塊がみとめられるので, 現在の地表分布より幅広いことはたしかである。
また, 本岩の南縁には, [ 野口の東南東方 2.5 km の ] 杉崎 の北東方にみられるように飛驒変成岩の原地性包有岩塊 [ Gf - c ] を多くふくんでいたり, [ 図幅地域西端の ] 栗谷 [ ← 栗ヶ谷 ? ] 付近のように本岩の南にさらに飛驒変成岩 [ = 芦谷層(Hs) ] が分布していたりすることがある。 本岩は飛驒変成帯のほぼ南縁を限るといっても, 一部では変成帯内部へつきこんだ形で貫入し, 大きくみると縁辺花崗岩帯を形成している。
本岩と飛驒変成岩との関係は, 本図幅地域の西半ではおもにミロナイト性接触 [ Gf - m ? ] で, 東半ではおもに交代性貫入 [ Gf - c ? ] である。 すなわち東半では, 本岩周辺部で変成岩の原地性包有物を多くもち, 本岩の代表的な岩相といくらか異る岩相が発達している。
本岩と船津花崗岩類の他の岩型との関係は接触がないので直接にはわからない。 しかし, 広瀬花崗岩では, 船津型岩石 [ Gt ] が下之本型岩石 [ Gs ] をつらぬく関係にあるので, 一応, 大きくみると, 船津型を主体とする船津花崗岩は 下之本型を主体とする広瀬花崗岩より晩期の貫入と考えられる。
本岩は岩相変化に富むが, 東隣の「船津」図幅地域をふくめてみると斑状アダメロ岩をおもな岩相とし, 斑状でないアダメロ岩・ 黒雲母花崗閃緑岩・ 角閃石黒雲母花崗閃緑岩・ トーナル岩・ アプライト・ ペグマタイトおよびこれらのすべての岩種のミロナイト相をふくんでいる。 この他, 閃緑岩・角閃岩など本岩固有のものか 外来岩片であるのか たしかでない苦鉄質岩相が, しばしばかなり大きく包有されている。
本岩のミロナイト化作用や包有岩塊の影響をうけていない斑状アダメロ岩は, 必ずしも最も広い分布をしているわけではなく, その他の複雑な岩相の方が広い。 しかし, 船津花崗岩類の基本的岩相なので一例を記載しておく。
斑状アダメロ岩の他に広い分布をしめるのは角閃石をもった多様な岩石で, 戸市・野口・ 大谷 [ ← 戸市の西方 5 km ] など岩体の北縁の一部に多く, 一部で「野口花崗岩」と別称されたこともある。 一般に角閃石花崗閃緑岩トーナル岩・石英閃緑岩などで, 細粒から粗粒, 明色から暗色まで変化が多い。 多少とも微斜長石に交代され, 花崗閃緑岩質になっていることが多い。
船津花崗岩類は,全体にわたってプロトクラシス [ protoclasis ; 一部が結晶化したマグマの運動の間に部分的に破砕された鉱物が形成される作用 ] からミロナイト化作用にいたるさまざまな様相の破砕と, 再結晶作用をうけた岩石をふくんでいる。 本稿では総括してミロナイトと呼ぶことにする。
船津花崗岩類は, とくに本図幅地域においては, 大半はミロナイト化作用をうけている。 ミロナイト化作用をうけた岩石は, 原岩がアダメロ岩や花崗閃緑岩の場合, 肉眼的には鉱物境界がぼやけ, 一定方向にのびて配列し, 部分的に縞状構造が発達し, 岩石全体が草緑色になり, 緑簾石・緑泥石・ぶどう石・方解石・石英などのそれぞれ細脈がふえて一定方向に走る。 鏡下でみると, 斑晶状の微斜長石・石英および斜長石がまるみをおびてのびた外形になり, その間隙は完晶質で細粒の石英・長石粒がうめ, 斑晶の長軸も細粒帯も一定方向に配列する。 苦鉄質鉱物ばかりでなく斜長石も変質が著しく, 斑晶状鉱物にはすべて変形が著しい。
ミロナイト化によって生じた平行構造は大きくみると岩体ののびにほぼ平行で, 東西または東北東 - 西北西方向に走る。 東隣の「船津」図幅地域の 東町 付近では, 本岩のミロナイト中の包有岩塊の回転から推定される水平方向の変位は右ずれである。 垂直方向の変位についてはわかっていない。
ミロナイト化作用をうけた岩石の中で微斜長石の行動は特異で, 斜長石と異り比較的破砕されないで, 自形またはそれに近い半自形のまるみをおびた巨晶が細粒帯にとりこまれている場合が多い。 細粒帯と微斜長石斑晶は同じ方向に流理に似た構造をつくり「眼球」様になる。 「眼球」も大きさや形など多様で, 径 3 cm 以上のものまであり, 細長いレンズ状から角ばった自形に近いものまでがふくまれる。 いずれも, 赤桃色の「眼球状微斜長石」が 草緑がかった色調のミロナイト質石基中にうめられた美しい外観を呈するにいたる。 ミロナイト化が著しくなると「眼球」が細長いレンズ状になり, ついには, 赤桃色の眼球状レンズと緑泥石などにとんだやや草緑色の石基部分が 細かな縞状片麻岩のような外観を呈するようになる。
本岩は, その北縁で飛驒変成岩に接する部分で, 約 1.5 km の幅のミロナイト質接触帯をつくる。 この帯の中では, 船津花崗岩は おもに草緑色の細粒壁土状の石基の中に 多少とも変形した微斜長石斑晶をふくんだ岩石になる。 微斜長石斑晶は一般には接触部へ近づくと小型化し, 形もまるく, あるいはひきのばされたような外形となる。 この帯にはアプライトやペグマタイト質の岩脈も多く, その一部はミロナイト化され, 一部はされていない。 アプライトの一部には白色の片岩様になっているものもあり, 一部には, ミロナイトを横断して, ほとんどミロナイト化作用をうけていないものもある。 このような接触帯ミロナイトは野口の北方の宮川沿岸でよくみることができる。 野口の北方でみられるところでは, このミロナイト帯は変成岩との境界に平行なほぼ東西性の構造をもち, その中には一部で角閃石雲母片麻岩がはさみこまれている。 接触部では, 比較的ミロナイト化をうけていない片麻状花崗閃緑岩質岩石や石灰岩塊なども包有しながら, 透輝石片麻岩を主とした変成岩にかわってゆく。
本岩のミロナイト岩相には, 前述のようにアプライトやペグマタイトがミロナイト化作用の影響を一部はうけるが, 一部は全くうけずに発達していることがある。 これからみると, ミロナイトの形成時期は 船津花崗岩の活動末期のペグマタイトやアプライトの活動時期と相前後するものと考えられる。
赤桃色または白色のアプライト脈は本岩に大小の規模で存在し, また直線的な境界のものから入りくんで屈曲したものまであって, 多様である。 南方の古生層の中にまでのびたものは見当らないが, 北方の飛驒変成岩中にはよく似たアプライトがしばしばよく発達する。
ペグマタイトはまれであるが, 処によっては大規模な塊状, あるいはポケット状の発達をする。 おもに微斜長石と石英からなり, 径数 10 m に達するものが古川町 数河 付近に発達し, その中の石英は珪石鉱床として移行されたこともある。 このような鉱床は, 数河の北西方の高山山頂付近でも稼行されたことがある。
本岩の包有岩塊は, 岩体の南縁の杉崎の北西方や北縁の高山や流葉山付近にみられる原地性包有岩塊と, その他の苦鉄質包有岩塊からなっている。
原地性包有岩塊は, 杉崎の北西方の石灰岩層 [ = 飛騨変成岩類の晶質石灰岩レンズ(l) ] で示されるように, 花崗岩中の包有岩塊でありながら数枚の石灰岩レンズがほぼ整合的な相互関係を保持し, 花崗岩の貫入以前の層位学的位置をのこしていることを示すものである。 同様な石灰岩レンズは流葉山や高山の北方でもみとめられる。 このような部分には, 石灰岩レンズの他に, 同様の相互関係を保って, 角閃石をもった苦鉄質片麻岩や草緑色の黒雲母をもった片麻岩, 透輝石をもった片麻岩, 石英に富んだ珪質片麻岩など 飛驒変成岩類に由来すると考えられる原地性包有岩塊がふくまれる。
その他の苦鉄質包有岩塊は, 閃緑岩質またはトーナル岩質で角閃石と黒雲母をもつものもあり, 角閃石あるいは黒雲母のみのものもあり, 形は塊状, レンズ状などで大きさもさまざまである。 この中にはいわゆる ovoidal xenolith と呼ぶべきものもあり, また, 中には, 苦鉄質古期岩脈の花崗岩化されのこりと考えられるものもある。 起原については, いずれもたしかでない。
本岩は変質が著しく, 良好な試料を入手することが困難で, とくに代表的な岩相については化学分析にたえる試料が入手できなかった。 ミロナイト質岩石のうちから比較的風化変質の著しくないものをえらんで分析に供したので, 第 6 表にあげた化学分析値は本岩の化学成分を代表するものではないが, 一般的傾向の一部を示すものとしてあげておく。
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本岩の化学組成を日本産花崗岩の平均組成(ARAMAKI et al., 1972)にくらべると(第 5 図), アダメロ岩ではあまりちがいがないが, 花崗閃緑岩では著しい差がある。 すなわち, 本岩は日本産花崗岩平均にくらべて SiO2, FeO および MgO に乏しく, Al2O3, Na2O および K2O に富んでいる。 この原因は充分明らかでないが, 現実の鉱物量比からは微斜長石が多量であること, 苦鉄質鉱物に乏しいことなどに対応すると考えられる。
本岩の形成時代について, 地質学的には, 石炭紀以後ジュラ~白亜紀以前ということしかわからない。 同位元素年令については, 試料不良で充分測定されていないが, 山口(1967)によると, 戸市の「眼球片麻岩」のジルコンの Pb207 : Pb206 年令は 253 ± 8 m. y. という。 佐藤など(1961)は野口の淡紅色花崗岩の微斜長石の Pb - Sr 年令は 890 m. y. というが, 単鉱物の測定で測定の詳細が公表されていないので, この数字の意味は明らかでない。
本岩は, その野口付近の部分について「野口花崗岩」と呼ばれ, 東隣の「船津」図幅地域の本岩主体部と区別されたことがある。 SATO(1968)は, 眼球様ミロナイトと共に「野口花崗岩」をジルコンの形態的研究などから, 前カンブリア紀 花崗岩の船津花崗岩活動期における「再生」の可能性をのべている。
また, 眼球様ミロナイトは これまでしばしば「眼球片麻岩」(Augen gneiss)とよばれてきた。 本稿では片麻岩という名称が広域変成作用の産物とまぎらわしいので採用しなかった。
本図幅地域の北西部には, 北隣の「白木峯」図幅地域および西隣の「白川村」図幅地域へかけて, 飛驒変成岩類の中に幅約 5 km, 長さ約 15 km, 北東 - 南西方向にのびた花崗岩体が分布する。 本岩体は 他の船津花崗岩類とちがって著しく多量の飛驒変成岩類を原地性包有岩塊 [ c ? ] としてふくみ, 個々の露頭では花崗岩より変成岩の方が量的に多かったりすることもあるが, 全体として花崗岩の方が量的に優勢な地域を本岩の分布と考えておく。
本岩は多量の包有岩塊のせいで一般に不均質である。 中には, 包有岩塊のほとんどない細粒アプライト質の部分もある。 原地性包有岩塊にとんだ岩相は利賀村 水無林道で, アプライト質の岩相は河合村 天生谷などでよく観察できる。
また, 天生谷の南方の飛驒変成岩中にもおよそ 2 × 4 km2 の小花崗岩体があり, 岩相が本岩の包有の塊にとむ岩相によく似ているので, 水無花崗岩に属すると考えておく。
本岩には-般に平行構造はない。 ときには, 変成岩質包有岩塊に由来すると考えられる平行構造がみられることがある。
本岩は飛驒変成岩の一般的走向の方向にのび, 調和的な分布外形を示している。 本岩と飛驒変成岩との境界は明確でない。 すなわち, 変成岩と花崗岩との量比は境界付近で漸移的に変化するからである。 本岩のアプライト質岩相の部分は飛驒変成岩と一部は断層で, 一部は貫入関係にある。 本岩と他の船津花崗岩類との関係は接触がないので直接にはわからない。
本岩は飛驒変成岩類中の花崗岩質部分, いわゆる「天生型花崗岩」と岩相や産状に共通するものが多い。 両者は連続的な同一花崗岩となる可能性もあるように思われるが, その関係は未だ充分明確でない。
本岩は飛驒変成岩を貫き, 第三紀と考えられる 楢峠 層 [ Na ] のデイサイトにおおわれること以外に時代を指示する地質学的事実はない。
本岩の変成岩質包有岩塊に富んだ部分 [ c ? ] の岩相は鉱物組合せ, 粒度および構造が著しく不均質で, 一露頭でも変化が著しい。 それはおもに包有する変成岩の性質を反映している。 一般には, 本岩は粗粒アダメロ岩で, おもに微斜長石・石英および斜長石からなり, 少量の黒雲母あるいは角閃石をともなう。
本岩の一部はミロナイト化作用をうけている [ ← 地質図上に「Gz - m」の領域は見あたらない ] 。
化学組成 : 本岩は不均質なので全体の傾向をとらえにくいが, 分析した3試料についてみると, 日本花崗岩の平均(ARAMAKI et al., 1972)にくらべて船津花崗岩と同様の傾向で, SiO2 や FeO に乏しく K2O に富むことを示しているが, その他, Na2O や CaO にいくらか乏しいのは 現実の鉱物量比で斜長石が比較的少ないことに対応するものであろう(第 6 表, 第 5 図)。
宮川村 林の北方には本図幅地域から北隣の「白木峯」図幅地域へかけて, 東西約 4 km, 南北約 2 km の範囲に赤桃色 斑状アダメロ岩が分布する。 本岩は林の [ 宮川の ] 対岸の森安谷でよく観察できる。 本岩は飛驒変成岩類 [ ← 小鳥川層(Hk)? ] を非調和的に貫き, 接触部も森安谷では比較的単純な面で境される。 本岩は周縁部でアプライト質になり, ペグマタイトが接触する場合もある。
本岩の岩相は船津花崗岩の代表的岩相によくにた船津型のアダメロ岩である。 岩石全体が比較的均質で変成岩に由来する包有岩塊が少い点は, 飛驒変成岩類中に散点する小花崗岩と異り, また, 下之本型岩石や原地性包有岩塊の多い帯, あるいはミロナイト帯をへないで飛驒変成岩類に接している点は, 船津花崗岩にくらべても特異である。 本岩は船津花崗岩類の中でもとくに珪長質, 明色, 粗粒で, アプライトやペグマタイトに富み, 中井・氏家(1959)の自働車による放射能探査によると, 船津花崗岩類一般が 10,000 cpm(count per minute)であるのに, 本岩は 20,000~22,000 cpm に達し, 飛驒山地の諸岩石中最高であるのも 本岩が全体としてペグマタイト質であることに関係するのであろうが, 鉱物学的に確かめられていない。
本岩には変成岩包有岩塊が少いことは前にのべたが, 暗色の包有団塊はしばしばふくまれる。 それは角閃石・黒雲母トーナル岩, 細粒 暗色の角閃石閃緑岩質岩石などで, 多少とも周囲のアダメロ岩の滲透をうけていることが多い。
飛驒変成岩類の中には径 50~500 mの花崗岩の小岩体が広い範囲にわたって散点している。 とくに, 変成岩類分布の南縁, 船津花崗岩に近い部分に多く, 河合村 落合の北方の宮川沿岸, 天生鉱山の坑内やその南方の小鳥川沿岸の 月瀬 [ ← 月ヶ瀬 ? ] 付近などでよく観察できる。 これらの小岩体は, 接触部でみると, 飛驒変成岩類を非調和的に貫くが, 境界は鋭いものでなく数 m のせまい幅の漸移帯をもつことが多い。
これらの小花崗岩体の岩相は多様で, 船津花崗岩あるいは森安花崗岩に類似した赤桃色 斑状のアダメロ岩の場合も, 比較的細粒 白色のアダメロ岩や花崗閃緑岩の場合もある。 どちらかというと, 中粒~細粒でアダメロ岩~花崗閃緑岩が多いようである。 しばしば平行構造をもつ場合がある。 やや暗色の岩相を代表する天生鉱山2坑内の岩石について記載しておく (化学組成は第 6 表の No. 10)。 小花崗岩体にはさらに珪長質の岩石が少くないことを付記しておく。
本岩類の形成時代については, 飛驒変成岩類を貫くこと以外に地質学的事実は知られていない。 同位元素年令では, KUNO et al.(1960)が河合村 小無雁 の小岩体の片麻状黒雲母角閃石石英閃緑岩の黒雲母の K - Ar 年令として 175 m. y., SHIBATA & NOZAWA(1966)が 河合村 荒町の天生鉱山の坑内の小岩体の 黒雲母花崗閃緑岩の黒雲母の K - Ar 年令として 167 ± 12 m. y. の測定をしている。 他の船津花崗岩類とほぼ同時期の貫入と考えてよいであろう。
本岩類の化学組成については, 化学分析が一ケしかしてないので全体の傾向はわからないが, その分析結果からみると, 本岩も船津花崗岩と同じ傾向をもつもののようである(第 6 表, 第 5 図)。
飛驒変成岩および船津花崗岩類の分布地域には多数の火山岩質岩脈が分布する。 これらの岩脈の中には楢峠層 [ Na ] のデイサイトや北陸地方の第三紀 中新世 火山岩類と同一と考えられる新期岩脈 [ d ] もふくまれるが, その他に, 飛驒変成岩類や船津花崗岩類の壁岩と密接な関係をもち, 多少とも変成作用をうけた古期岩脈がある。 それは次のような特徴をもつことが多い。
古期岩脈の岩相は多様であるが, およそ流紋岩質岩石 [ r ] と安山岩質岩石 [ n ] に二大別することができる。 流紋岩質岩脈も安山岩質岩脈も河合村 落合ダム [ 位置不明 ; 宮川村 落合の近辺 ? ] 付近でよく観察できる。 ここではまた新期岩脈も発達している。
古期岩脈は多数分布し, 地質図に示した数よりはるかに多い。 岩脈は集中分布することがしばしばあり, 地質図に表現しつくせないからである。 古期岩脈の分布は, 全体としては, とくに規則性・集中性はないようである。 また, その分布は飛驒変成岩類と船津花崗岩類の分布地域に限られ, 古生層あるいは中生代以後の地層の中にはみいだされていない。
古期岩脈の方向性も規則的でない。 一ケ所に数脈ある場合, しばしば交叉する。
古期岩脈の大きさは多様であるが, 幅 0.1~2.0 m のものが多い。 形は直線的であったり, 屈曲したりし, 変成作用の著しいもの程, すなわち早期貫入岩相ほど屈曲が著しい傾向がある。
古期岩脈は大半が広域変成作用をうけている。 変成の程度が岩脈ごとに異っていることは注目される事実である。 片理を生じている場合, その方向は岩脈の伸長方向とも周囲の変成岩の平行構造とも斜交することが多い。
古期岩脈は大半が安山岩質 [ n ] で, 流紋岩質の脈 [ r ] は 100 脈以上の観察の中で数脈にすぎない。 両種岩脈の前後関係はわかっていない。
流紋岩質岩脈には斜長石と石英を斑晶にするものが多い。 斑晶はときに斜長石だけであったり, 斜長石・石英およびカリ長石のこともあり, 石英およびカリ長石のこともある。 角閃石や黒雲母もふくまれているらしいが, 現在はすべて変質している。 チタン石或はざくろ石骸晶をふくむものもある。
流紋岩質岩脈は大半が多少とも変成作用をうける。 もっとも著しい場合は, 緑簾石緑泥石ぶどう石アルバイト石英片岩となって著しい片状構造を呈する。 弱い影響しかうけていない場合はほとんど新鮮な流紋岩で, ぶどう石が散点しているにすぎない例もある。 まれに, ぶどう石をふくまず, 白雲母が形成されている場合もある。 流紋岩質岩脈は少数なので, 変成作用の程度の限界はよくわかっていない。
安山岩質岩脈は多様な岩相を呈している。 一般に変質, 変成作用が著しいので充分確かではないが, 斜長石あるいは斜長石と角閃石を斑晶にした安山岩が多い。 一部にはデイサイトもふくまれる。 しかし, その他に, しそ輝石安山岩, 普通輝石安山岩, 両輝石安山岩などもあり, 粒度も岩脈ごとに著しく異っている。 その上, 変成作用がさまざまな程度に影響をあたえ, 岩相をより複雑にしている。
安山岩質岩脈のうちでもっとも著しく変成作用をうけた岩脈は, 周囲の飛驒変成岩類や船津花崗岩類とほぼ同じ鉱物相に達し, 細粒 暗色の角閃石斜長石片麻岩あるいは角閃岩になり, いくらか弱い変成作用をうけた岩脈では アクチノ閃石・緑簾石・緑泥石・ぶどう石などが発達し, もっとも変成作用の弱い岩脈ではぶどう石だけがみとめられる。 一般には, それぞれの岩脈の貫入時期の早期か晩期かによってうける変成作用の程度が異るのであろう。
古期岩脈の化学組成については, 変成度の低い岩石については変質が著しいなどの理由で適当な試料が入手できず, かなり変成した岩石だけが分析された。 分析の結果は, 変成作用のために, もともとの火山岩質岩石の組成とはいくらか変っている可能性がある。 分析結果(第 7 表)についてみると, これらの岩石の化学組成は普通の安山岩やデイサイトとしては多少異常で, それぞれ変成作用の影響, 例えば, 第 7 表の No. 3 の岩石のアルバイト化作用, No. 2 の岩石のぶどう石の発達などに影響されているものと考えられる。
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古期岩脈の大半は火山岩質あるいは半深成岩質であるが, 中には変成作用の結果, 片麻岩様岩石になったものもみいだされる。 多くの古期岩脈をみると, ほとんど未変成の火山岩質岩石から 強く変成した片麻岩様岩石までの漸移的な岩型をたどることができるので, 古期岩脈は もともとすべて火山岩質あるいは半深成岩質岩脈として貫入したものと考えられる。 貫入した火山岩脈は大半が多少とも変成作用をうける。 中には, 変成作用によって片理を生じているものがあるが, その片理は一般に壁岩の飛驒変成岩類の片理と斜交することは前述の通りである。 その変成作用についてみると, もっとも早期貫入の岩脈は飛驒変成作用の主要期変成作用をうけ, もっとも晩期貫入の岩脈は,後主要期変成作用の影響さえみとめにくいものがある。 大半はおもに後主要期変成作用をうけている。 したがって, 古期岩脈の火成作用は 飛驒変成作用の主要期から後主要期の終了あるいは終了以後までつづいたことになる。
また, 古期岩脈がもともと火山岩質であったことや, 壁岩の飛驒変成岩類と異る方向の片理をもつことなどを考えると, この飛驒変成岩類および船津花崗岩類が その変成・深成作用の期間中に地域的に上下運動をおこし, 上昇してわれ目ができて岩脈を迸入させ, 沈降して再変成作用をおこすという事件が 少くとも一回以上おきたと考えることが可能のように思われる。
なお, 船津花崗岩類中の岩脈については飛驒変成岩類中の場合と全く同じなので, 同一火成作用に属するものと考えられる。 船津花崗岩類中の岩脈の場合, 船津花崗岩類の深成作用の最終期と考えられるミロナイト質岩石を貫くものもあるので, 岩脈の活動は 船津花崗岩類の深成作用の最終期, あるいはそれ以後までつづいたということになる。
飛驒変成岩類および船津花崗岩類中の古期岩脈は 一般に花崗岩質岩石中で「にせ岩脈」, 「捕獲岩質岩脈」, 「変成岩脈」, "ghost dyke" などと呼ばれているものに相当すると考えられる。
北陸および飛驒の中生界は, ジュラ紀前半の 来馬 層群・ ジュラ紀後半から白亜紀にわたる 手取 累層群・ 白亜紀後半の 足羽 層群と 濃飛 流紋岩などがある。 第 8 表に手取累層群分布地域の中生界の対比表を示す。
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本累層群は来馬層群に引つづいた地層で, 下半を 九頭竜 層群・上半を 石徹白 層群に区分される。
九頭竜層群は域外の九頭竜川流域に最も広く分布し, 庄川の上流の牧戸付近・常願寺川の上流の東坂森谷および神通川の支流の 久婦須 川の上流の桐谷に知られるのみで, 域内には見出されない。 前田(1958a ほか)によると, 本地域の古川累層の一部は九頭竜層群とみなされている。 しかし, ここでは石徹白層群に含めた。
九頭竜層群は飛驒変成岩類および船津花崗岩類を不整合に覆って堆積し, その露出は断片的である。 古生代の堆積岩と本層群との関係は九頭竜川の上流で断層で接する。
石徹白層群は擾乱された九頭竜層群を不整合に覆うほか, 飛驒変成岩類および船津花崗岩類を広い範囲で不整合に覆い, また, まれに古生界の堆積岩類をも覆う。 九頭竜層群は諸所に断片的に分布するのに対し, 石徹白層群は九頭竜川・ 手取川・ 庄川・ 神通川(宮川を含む)・ 常願寺川など諸川の上流に広く分布する。
手取累層群は嶮岨な山岳地帯に分布するので, その研究に多くの困難が伴い, かつ, 地質構造が複雑なので, 研究者によって地層の細分に意見の不一致があり, 地層の名称にも異るものが与えられている。
大塚専一(1890)はいわゆる手取植物群を含む地層の分布を明らかにして, 手取川流域を模式地として手取統とよんだ。 この頃は本累層群は中上部ジュラ系と考えられたものである。 研究の進展につれて, 本累層群は顕著な不整合によって上下に2分されることが判明した(前田, 1952 ほか)。 これら上下の部分の正確な地質時代はなお未知のものが残されるが, 下半は中上部ジュラ系であり, 上半は最上部ジュラ系を含む可能性があるが, 主体は下部白亜系なので, ここでは双方を含めて手取累層群, 下半を九頭竜層群, 上半を石徹白層群とした。
これに対して, 全体を手取層群とよぶものは下半を九頭竜亜層群とし, 上半を2分して, 下から石徹白および赤岩の2亜層群とする(前田(1952, 1958a・b, 1961a・b&c); 松本(1967); ほか)。 これらを比較すると石徹白亜層群は第 8 表の尾口累層に当り, 赤岩累層とそれより上位の部分が赤岩亜層群に相当する。
石徹白層群の上位には上部白亜系の足羽層群がのる。 足羽層群はさらに上位の 面谷 流紋岩類(濃飛流紋岩の類似岩)と密接な関係にある。 すなわち, 両者はある時は不整合, 他の場合は整合ないし漸移関係であって, 足羽層群は面谷流紋岩類の噴出に先だち, その累積地の縁辺部の小窪地に堆積した陸成層である。
足羽層群の分布は一般に小規模で断片的であり, 域外西方で 平家岳 累層(河合ら(1957a)ほか)・ 足羽 層(松尾(1954)ほか)・ 大道谷 層(前田(1959b); 河合(1961a); ほか)などとよばれ, 新白亜紀のいわゆる足羽型または大道谷型の植物化石を含み, 流紋岩質物質にとむ地層である。
濃飛流紋岩などは中部地方に広く分布し, かつて石英斑岩または花崗斑岩とよばれ(坂(1887); 野田(1910); 野田ら(1919)), その主要なものは浅所貫入岩とみられていた。
濃飛流紋岩は中部地方に広大な面積をしめる岩体の一部で, 本図幅地域でも広い分布を示している。 本岩は飛驒変成岩類, 古生層および中生層 手取累層群を基盤として形成され, おもに流紋岩 - 流紋デイサイト質溶結凝灰岩からなる。
本図幅地域東部の 大雨見山 火山岩類, 西部の 小鳥川 流紋岩類は, いずれも, 濃飛流紋岩に類似する性質をもち, 一連の関係深い火成作用の産物と考えられる。 また, 閃緑玢岩・花崗斑岩および珪長岩の岩脈もこれらの火成作用に関係するものであろう。
濃飛流紋層は石徹白層群を不整合に覆うとみるもの(河合, 1961b)と, 両者は断層関係にあるとするもの(KAWADA, 1971)の2つの見解がある。 本図幅では断層関係として取扱った。
本地域の周辺には九頭竜層群は存在せず, 石徹白層群だけが断片的に見出される。 第 6 図にその地質略図を示す。 この略図では濃飛流紋岩類は石徹白層群を不整合に覆ったとして取扱っている。
本地域の石徹白層群は狭い幅をもって東西にのびる。 この南北2列の石徹白層群はともに向斜構造を形成し, 2列の間の背斜部の地層は削剝されつくして存在しない。
北列のものは, 西方域外の横谷 [ ← 本図幅の西隣の白川村図幅地域の東端 ? ] から東にのびて域内に入り, 中央部を横切って 保 ・ 黒内 ・ 下野 ・ 杉崎 ・ 柏原 の南方から東に向って域外の 荒原 [ ← 本図幅の東隣の船津図幅地域の西端 ? ] をへて本郷 [ ← 本図幅の東隣の船津図幅地域の中央付近 ? ] の西部に達する。 この北列は 飛驒変成岩類・船津花崗岩類・濃飛流紋岩および大雨見山火山岩類などによって 部分的に断たれている。
南列のものは, 西方域外の横谷の南部・域内の古川町 山本から桐谷をへて, 東側域外の宮地・東方の横尾および 赤谷 - 栃尾 [ 位置不明 ] 付近などに断片的に分布が知られる。
[ 手取累層群 -- 石徹白層群では ] 礫は一般に亜角礫ないし亜円礫が多い。 変成岩の礫は比較的少ないが, 基底部に拳大以下の角礫が含まれるが, 上部に向って量が減少する。 砂岩や粘板岩の礫は一般に亜角礫ないし亜円礫で, 域内では量は余り多くなく, 大きさは拳大に達するものは少ない。 域外の本郷 [ ← 本図幅の東隣の船津図幅地域の中央付近 ? ] 付近では砂岩や粘板岩の礫はかなり豊富で, 人頭大またはそれより大きいものも珍しくなく, 角礫ないし亜角礫が多い。 Ortho-quartzite [ 正珪岩 = 円磨された石英からなる岩石 ] や石英斑岩礫は一般に亜角礫ないし円礫からなる。 砂岩は一般に粗粒ないし中粒のアルコーズ質で, 細粒のものは少ない。 頁岩は一般に砂質である。 灰色ないし暗灰色頁岩は上部に比較的多く挟まれる。 頁岩や砂質頁岩には植物化石が多く含まれるが, 保存はあまり良好ではない。 以下の化石が見いだされる。
これらのほか, Xenoxylon latiporosum の破片, 多数の樹根や根毛が見い出される。
本層群は下から 古川累層 および 稲越層 に区分される。
本累層は下から 種村礫岩 ・ 沼町互層 ・ 杉崎砂岩 および 太江 頁岩 の4層に区分される。
本層は船津花崗岩類を不整合に覆う。 この不整合関係は, 古川町 上気多 [ ← 図幅地域東端付近・南北中央の 安峰山 の西南西方 2 km ] および国府町 桐谷 [ ← 安峰山の南南東方 2 km ] の北方などの北列の南限部, 半田 [ ← 桐谷の南南西方 1.5 km ] 付近における南列の南限部で認められる。 域外東方の本郷の西部の北列の南限部では古生界の堆積岩を不整合に覆っている。
上気多および半田では本層の最下部に原地性の粗粒なアルコーズ質含礫砂岩があり, 上部に向って急激に礫岩に漸移する。
本層は礫岩を主体とし, 薄い砂岩や頁岩をはさむ。 礫岩は一般に直径 30 cm, ときには 60 cm に達する巨礫を多く含む。 礫種は船津花崗岩類・ 変成岩類・ ortho-quartzite・ 砂岩・ 粘板岩・ 玢岩 - 輝緑岩・ 安山岩・ 玄武岩および石英斑岩を主としている。
本層の厚さは域内で 200~250 m, 域外東方の本郷付近では厚くて 350 m である。
本層は種村礫岩層より漸移し, 砂岩と頁岩との互層からなり, 礫岩をはさむ。 砂岩は一般に中粒であるが, 下部には粗粒のものが多い。 粗粒のものは一般にアルコーズ質である。 細粒のものは上部で優勢である。 頁岩は灰色ないし暗灰色を呈し, 黒雲母片にとむ。 本層の下部には砂質頁岩がやや多いが, 上部になるにつれて量を減じ, 灰色ないし暗灰色頁岩が増加する。 また, 炭質物を多く含み黒色を呈するものもある。 頁岩には多くの植物化石が含まれる。 以下の化石が識別された。
前田(1958)によれば Nilssonia Kotai (YOKOYAMA) も得られている。
礫岩は下部にやや多いが, 厚さは 2~3 m で, 種村礫岩層の上部のものと同様で一般に円礫にとみ, 礫の大きさは鶏卵大よりも小さいものが普通である。
本層の厚さは沼町付近では 150 m にすぎないが, 下気多 では約 220 m, 大坂 峠 [ ← 安峰山の東方 2.5 km の図幅地域東端 ] 付近では 400m に達する。 山本 [ ← 安峰山の西南方 2.5 km ] の東方では厚さは 280 m である。
本層は種村礫岩層とともに, 石徹白層群の最初の堆積輪廻を示す堆積物である。 この堆積輪廻は, 標式地である石徹白川流域の, 前田(1952)による 山原 礫岩層と 葦谷 頁岩層とからなる堆積輪廻に相当する。
本層は北列において, [ 本図幅地域 ] 中央部の [ 河合村 ] 信包 より東側にしか見出されていない。 上位の太江頁岩層とともに不顕著ではあるが, 古川累層の上部の堆積輪廻をつくる。 標式地の石徹白川流域の前田(1952)による大渕礫岩から 伊月 頁岩にいたる堆積輪廻に相当する。
本層は主として砂岩からなり, 頁岩と薄い礫岩とをはさむ。 砂岩は沼町互層のものとともにアルコーズ質で, 中粒ないし粗粒であり, 細粒のものは比較的に少ない。 頁岩は灰色ないし暗灰色, ときに黒色を呈するが, 下部には砂質のものが比較的に多い。 礫岩は下部に薄いものがはさまれ, しばしば含礫砂岩や粗粒砂岩に移化する。 礫岩は沼町互層の下部のものと似るが, これよりもやや砂質である。 頁岩にはわずかながら植物化石が含まれる。 Coniopteris burjensis, Cladophlebis sp., Czekanowskia rigida, Podozamites lenceolatus が下部の頁岩から見出されるにすぎない。
杉崎および太江の南東方から Nipponitrigonia ? sp. および Belemnite その他の介化石を産する。 粗粒の砂岩または礫岩から化石を産するが, 保存はあまりよくない。 同一層準である粗粒砂岩ないし含礫砂岩は 信包の南方の石切場・中野 [ 位置不明 ; 杉崎の南西方 1.5 km の宮川付近 ? ] の北方の石切場ならびに杉崎の南東方の尾根等に現れ, 二枚介の破片を含む。 前田(1958,1962)は Nipponitrigonia furukawensis MAEDA, Inoceramus sp., Nucula sp., Ammonite, Echinoid などを報告した。 これらの化石によって本層は海成層であることが示される。 前田(1958, 1961, 1962 ほか)は本層を九頭竜層群の一部と見做した。 前田(1962a・b&c)は Nipponitrigonia sagawai とともに N. furukawensis は上部ジュラ紀を示すとしたが, 本累層の堆積輪廻は模式地の石徹白層群のものと一致し, 上位の太江層の化石群は石徹白層群のものなので, 本層は下部白亜系と思われる。
本層の厚さは杉崎付近で 200 m, 信包および野中で 250 m, 大坂峠付近で凡そ 300 m である。
本層は杉崎砂岩層から漸移し, 頁岩を主とし, 砂岩を伴う地層である。 太江層は本地域では北列に限って見出される。 東部では北限にそって分布するが, [ 図幅地域中央の ] 黒内 から西では北列の南北両限にそって現れる。 北限のものは 保 から中部の 信包 まで, 北限にそって石徹白層群に背斜軸があり, その軸部に大江層が現れる。 信包では北東 - 南西および南北性の2つの断層があって, これによって切断されて西からつづいた太江層は転位され, ここから東に向って背斜部は見出されない。
北限にそった背斜構造に並行して, 西域の「幅の上」 [ ← 保の南西方 500 m ] から東にのびる向斜構造がある。 この向斜軸は北側の背斜軸とともに, 保および脇谷などを通る南北性の断層で切られるが, その転位は著しくない。 向斜の南翼に当る 中田 ・牧谷の上流( 竜が洞 )および脇谷に太江層が断片的に分布する。 その東の延長部は黒内の南部に現れる。 黒内の南部では太江層は向科の軸部を占める。 信包の断層で転位された太江層は信包から東では石徹白層群の北限部にそって現れる。 信包の東部から 下野 に達し, 宮川ぞいの沖積層の下に没し, 太江 の南部に現れ, 野中・神原峠の西部および柏原の南部にのびる。 神原 [ ← 神原峠 ? ] 付近から東では太江層は大雨見山火山岩類に覆われるので露出は断片的である。
本層は 信包 の東を境にして東西に分れており, 石徹白層群の北限にそって見かけ上は一連のものであるが, 西半部のものは背斜軸部, 東半部のものは向斜軸部を占めている。
本層の厚さは 150 m ないし 200 m である。 保の西部・ 保・ 中山 [ 位置不明 ] の西部・ 柳ケ瀬・ 牧谷の入口およびその上流の滝ケ洞・ 脇谷・ 湯峯峠・ 黒内・ 太江および野中の南部から 半鹹半淡棲介化石 Neomiodon tetoriensis (KOBAYASHI & SUZUKI) を多産し, しばしば Ostrea sp. も見出される。 黒内の南西部では多数の Neomiodon とともに Batissa sp., Viviparus (Sinotaia ?) onogoensis KOBAYASHI & SUZUKI, Melanoides vulgaris minima KOBAYASHI & SUZUKI も数は少ないが見出される。 本地域では Neomiodon を除くと他のものは少ない。
太江層からはまた Marchantites Yabei, Equisetites ushimarensis, Onychiopsis elongata, Cladophlebis distans, C. sp., Podozamites lanceolatus, Taenioptenis emarginata, Xenoxylon latiporosum が産出する。 前田(1958)は他に Cladophlebis denticulata, C. exiliformis, Nilssonia nipponenis YOKOYAMA, N. orientalis HEER, Ginkgoites Nathorsti の産出を報じた。 前田(1958)の沼町層から Neomiodon を産出するとされたものは, 黒内から西方で向斜の南翼部を占める太江層と思われる。
前田は域外東方の栃尾付近の栃尾頁岩砂岩互層から Polymesoda (Isodomella) kobayashii MAEDA, P. (Paracorbicula) sanchuensis (YABE & NAGAO), Viviparus sp., Melanoides sp. ならびに数種の植物化石を報じた(前田, 1958)。 この付近では地層が擾乱されており, かつ露出が不充分なので, 地層の細分ができなかったが, おそらく 沼町互層・杉崎砂岩層・太江頁岩層および それらの上位の稲越層にわたる地層があると思われる。 前田は栃尾層を赤岩亜層群に含めたが, Polymesoda などを産する地層はおそらく太江層か, または杉崎層の上部と推定される。
前田(1960)は 本地域西方の栗ケ谷の奥(横谷)付近に 手取累層群の小分布があることを報告した。 下から沼町頁岩砂岩互層・杉崎砂岩頁岩層および太江礫岩層に区分している。 沼町層から Ostrea sp., Neomiodon tetoriensis, Melanoides vnlgaris minima, Viviparus (Sinotaia ?) onogoensis が報告された。
標式地の1つである [ 石川県の ] 手取川の上流にみられる赤岩累層に相当する地層を本地域では稲越層とよぶ。
域内では黒内から西の北列の向斜部を占め, その南北両側には太江層が現れ, 両層は整合関係にある。
最下部には比較的に顕著な礫岩にとむ地層がある。 主部は砂岩を主体とし, 頁岩および礫岩を伴う。
本層は山岳地帯に分布し, かつ露出があまりよくなく, 地層の細分はできなかった。
下部の礫岩は珪長岩・花崗岩類・ortho-quartzite・砂岩および粘板岩の礫を含み, アルコーズ質の砂で充填される。 珪長岩や粘板岩は夏蜜柑大の礫がかなり顕著で, 礫は亜角礫ないし円礫である。 花崗岩や砂岩の礫は一般にクルミ大に達しない。 このような礫岩は砂岩と互層し, 連続性に乏しく, 含礫砂岩から粗粒砂岩に移化する。
中上部では珪長岩や粘板岩の礫は少くなり, クルミ大に達しない亜円礫ないし円礫を含み, 細礫のものが多く, 淘汰は比較的によくなっている。
礫岩の厚さは一般に薄く, 数 m をこえることはまれである。
砂岩は一般にアルコーズ質で, 中粒ないし粗粒のものが多く, 細粒のものは少ない。 上部では細粒の部分の比率が少し増す。 頁岩は一般的に薄層で, 厚いものでも数 m をこえることは少ない。 砂質頁岩にとむが, 1~2 m の厚さの灰色ないし暗灰色頁岩もある。
本層は本図幅の北東隣の「東茂住」図幅 [ ← 国土地理院の区画では「有峰湖」図幅 ] 地域内の跡津川累層に似る。 稲越層の下部の礫岩が優勢な部分は 南俣谷 礫岩層に類似するが, 主部は跡津川累層の主部の 和佐府 互層に比べると頁岩の量が少ない。
本層は 10 数 m ないし数 10 m の厚さで 堆積小輪廻(cyclothem)がくり返されるようである。 これは九頭竜川上流および手取川上流の赤岩累層と似ている。
下部の砂岩からまれに Ostrea sp. の破片が見出され, 牧谷 [ ← 竜ヶ洞の北方 1 km ] の中流では転石から Gryphaea(?)sp. が採取された。 前田(1958a)は 脇谷 [ ← 竜ヶ洞の東北東方 2 km ] から Inoceramus sp., 小谷 [ 位置不明 ] の中流から "Mytilus" sp. を採取し, この層準を杉崎層と見做している。 本層からは僅かながら植物化石も得られ, 牧谷から Cladophlebis sp. および Onychiopsis elongate が識別された。
九頭竜川の上流の九頭竜層群の上部からは菊石を多産し, それによって九頭竜層群の上部は上部ジュラ系であることが知られている。 いわゆる手取植物群とよばれるものは, 大石三郎(1940)によると Onychiopsis series に属する。 その主要な植物群は石徹白層群のとくに尾口 相当層から産出する。 この Onychiopsis series に属する植物群は山口県の西部の豊西層群の清未層, 南朝鮮の下部白亜系 洛東統ないし新羅統からも得られる。 石徹白層群に産出する Neomiodon を含む地層には Nakamuranaia, Nippononaia, Plicatounio などを産するが, かつて Neomiodon tetoriensis は上部ジュラ紀を示すものと考えられていた。 これらの介化石は豊西層群の七見層にも見出され, Nakamurama などは洛東~新羅統から産出している(OTA(1960)ほか)。
九頭竜層群と石徹白層群との間には不整合関係があるので, これらのことを総合して考えると, 石徹白層群の最下部には一部にジュラ系 最上部のチトン階を含むかも知れないが, その主体は下部白亜系とみられる。
手取川の上流には赤岩累層の上に明ケ谷累層が重なる。 明ケ谷累層には, いわゆる石徹白植物群とともに新白亜紀型の Sequoia sp. がまれに産出する(河合, 1961a)。 明ケ谷累層の上位には足羽層群がのり, これから中生代型の植物群とともに新生代型の植物群がえられ, いわゆる新白亜紀を示す足羽植物群を構成している(河合(1961b); 松尾(1954))。 したがって, 明ケ谷累層の地質時代は古白亜紀 最末期(または新白亜紀 最古期)とみるべきである。
すなわち, 古川累層の地質時代は主体が高知(領石)ないし有田(大島)階, 稲越層はその大部分が宮古階とみて差支えないと思われる。
石徹白層群は九頭竜川・庄川・常願寺川(和田川および真川)の上流地域, および 久婦須 川流域の桐谷付近で九頭竜層群を不整合に覆うが, 他の地域では一般に飛驒変成岩類および船津花崗岩類を覆っている。 域内では石徹白層群は船津花崗岩類の上に不整合で重なり, 域外東方の本郷付近では古生界の砂岩粘板岩層の上にのる。
石徹白層群は本地域内では大雨見山火山岩類によって不整合に覆われる。 濃飛流紋岩は石徹白層群を不整合に覆うと思われるが, 直接の関係は確認されていない。
北列の石徹白層群は北側が断層で切られて, 船津花崗岩類と接する。
全体として2列になって並走するが, 石徹白層群は 信包 を境として東側のものと西側のものとでは地質構造に違いがある。
東側のものは北限にそって向斜構造があるのに対して, 西側の石徹白層群には北限にそって背斜構造が形成されている。
東側の本層群の南列は北側が断層で, 南側では基盤を不整合に覆い, 向斜構造が形成されている。 信包の南の 笹ケ洞 [ 位置不明 ] では石徹白層群に背斜構造がある。 この背斜構造は東側の南北両列の2向斜の間の背斜の一部と思われる。
石徹白層群は多くの断層によって切断されるが, 信包を通る南北性の断層が最も大きな転位を与え, ついで信包を通る北東 - 南西方向のもので, 他の多くの断層による転位は何れも小さい。
石徹白層群の北列の西限には, 断層関係によって西側は船津花崗岩類, 南側には飛驒変成岩類が接する。 それらの産状は, 石徹白層群が小鳥川の河流にそって現われるのに対して, 船津花崗岩類や飛驒変成岩類は比較的に急峻な山地に分布する。 全体としてみると, ここでは石徹自層群は 船津花崗岩類および飛驒変成岩類からなる衝上岩体の半窓から現れるようにみえる。
西端部の栗ケ谷の南西には飛驒変成岩類と濃飛流紋岩との間に稲越層の小露出がある。 周辺の地層との関係は詳らかではないが, ことによると濃飛流紋岩および飛驒変成岩類の構造上の下位から露出している可能性がある。
域内では国府町 海具江 [ ← 広瀬町の西方 2.5 km ] の北部の小さい沢の入口に見られる。 北側には船津花崗岩類 [ Gs ] の小露出があり, 西側には濃飛流紋岩 [ Rh ] が広く分布する。 地層はほとんど水平であるので, 濃飛流紋岩の下位から現れると推定される。
本層は礫岩を主とし, 粗粒砂岩・頁岩・炭質頁岩および薄い粗悪な炭層を伴なう。 礫岩は 流紋岩および花崗岩の亜角礫ないし角礫が アルコーズ質ないし流紋岩質物質にとむ砂で充填される。 礫の大きさは拳大以下である。 砂岩は一般に凝灰質であり, 頁岩は砂質であって炭質頁岩に移化する。 下限は未詳だが, ここでは厚さは 10 m に達しない。
西南日本内帯の白亜紀末 珪長質火山岩類としての濃飛流紋岩は, 領家帯の北縁から美濃帯を経て飛驒帯に達する。 全体の分布は NW - SE に伸長し, その長さは約 130 km で, 幅は最大 50 km に達する。 分布総面積は約 5,000 km2 である。 岩体の主要部分は美濃帯にあり, 古生層内部に生じた断裂帯に沿って噴出した火砕流堆積物を主体とする火山性累層である (山田・河田・諸橋, 1971)。
岩質は流紋岩~流紋デイサイトを主体とし, 溶結凝灰岩が主要部分を占めている。 溶結凝灰岩は脱ガラス化により微細な珪長質鉱物を生じている。 また, 後期白亜紀~古第三紀の花崗岩類により貫入された部分では, 熱変成作用により再結晶している。 したがって, 堅硬で緻密な岩石となっている。 しかし, 破片状の斑晶鉱物や扁平化した軽石片により, 溶結凝灰岩の特徴を残している。
本地域の濃飛流紋岩は, 全体の分布からみてその北縁部に相当し, 飛驒帯の変成岩や花崗岩類, 飛驒外縁帯の古生層, および手取累層群が濃飛流紋岩の基盤を構成している。
岩体の北縁は手取累層群と断層で接し, また, 北西縁部でも 明ケ瀬 付近で飛驒変成岩類と断層で接する。 柳ケ瀬 の南方の 真ノ谷 [ 読み方不明 ] や 滝ケ洞 では手取累層群 [ Ti, Tt ] は濃飛流紋岩との境界付近で著しく破砕されている。 この地域では, 両者の接触面の露頭は確認できない。
滝ケ洞では手取累層群と濃飛流紋岩との境界部に花崗斑岩の小岩脈 [ p ] が認められる。 これと同類の貫入岩は [ 本図幅の西に ] 隣接する「白川村」・ [ 南西隣の ] 「白山」・ [ 南隣の ] 「 三日町 」図幅地域内で濃飛流紋岩を貫いている。 したがって, この岩脈は手取累層群と濃飛流紋岩との境界部の弱線に沿って貫入した可能性が強い。
岩体の東縁は宮川の西岸で船津花崗岩類や飛驒外縁帯の古生層と断層で境される。 主要な断層は NNW - SSE を示している。
[ 図幅地域南東隅付近の ] 寄洞 の南では小さな谷を境として東側に船津花崗岩類 [ Gs ] が露出し, 西側には濃飛流紋岩が分布する。 両者は共に断層により著しく破砕され, 断層角礫や粘土を生じている。
本地域内の濃飛流紋岩には構造不明の部分が多く, 水中堆積層の発達は不良である。 したがって, 層序区分の決定は不可能に近い。
本地域内の濃飛流紋岩は大部分が溶結凝灰岩で, 一部には非溶結凝灰岩もふくまれる。 一般に変質作用や脱ガラス化作用, および熱変成作用などをこうむっているために, 非溶結凝灰岩の分布を明らかにすることは困難である。
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溶結凝灰岩は岩質的に流紋岩と流紋デイサイトとに大別される。 主要な岩相と特徴は第 9 表に示した。 また, 本地域内における流紋岩と流紋デイサイトの概略の分布は第 7 図に示した。 これによれば, 畦畑 [ ← 海具江の西方 4 km ] ・ 小鳥 峠 [ ← 畦畑の西南西方 3.5 km ] およびソウツイ谷 [ ← 小鳥峠の西南西方 3 km ] を結ぶ線を境として, その北側に流紋岩が分布し, 南側には流紋デイサイトが分布する。 しかし, 古川町の南方の宮川の西岸には流紋岩が分布しており, この地点は小鳥峠と畦畑を結んで東方に延長した線より南にずれている。
流紋岩 溶結凝灰岩は青味を帯びた灰色を示し, 斑晶の容量は全岩の 30 % 程度である。 斑晶の中ではとくに石英が大きく, 径 3~4 mm に達する。 マトリックスは脱ガラス化により微晶(主として石英)を生じている。 しかし, 多くの場合, 溶結構造を認めることができる。 本質レンズ(軽石片)は一般に少量で, また小さい。 一般的には長径 2~3 cm である。 本質レンズは暗灰色を呈するが, 風化などにより変質して, しばしば灰白色を呈することがある。 異質岩片は一般に少ない。 しかし, 岩体の北縁で手取累層群と接する付近では砂岩や粘板岩の破片がしばしばふくまれる。
流紋デイサイト 溶結凝灰岩は暗緑色または暗灰色を呈し, 斑晶の容量は全岩の 40 % 前後に達する。 流紋岩にくらべて苦鉄質鉱物に富むために全体として緑色が強い。 マトリックスは脱ガラス化が進んでいるが, 溶結構造のなごりをとどめている。 本質レンズは一般に多く, 大きいものでは長径 3~5 cm に達する。 暗緑色を呈し, 苦鉄質鉱物や変形した斜長石斑晶(径 2 mm)に富む。 異質岩片は少ない。
花崗岩によるものらしい熱変成作用をこうむり, ホルンフェルス化した溶結凝灰岩には, 淡紅褐色を呈する黒雲母や緑色普通角閃石が再結晶作用により生じている。 マトリックスは再結晶の程度により粒度が変化する。
[ 四十八滝の南方 2 km(?)の ] 新田 の西方やソウツイ谷の一部ではホルンフェルス化した流紋デイサイトが露出する。 この地域には熱変成作用を与えた花崗岩の露頭はみられないが, 地下浅処に潜頭花崗岩の存在が推定される。
溶結凝灰岩の主要な斑晶鉱物は第 9 表に示した。 珪長質鉱物は石英・斜長石およびカリ長石で, 苦鉄質鉱物は黒雲母・角閃石・単斜輝石および斜方輝石である。 この他に, 褐簾石が少量ふくまれることがある。
流紋岩の斑晶のうち珪長質鉱物では, 石英についでカリ長石が多く斜長石は少い。 また, 苦鉄質鉱物の斑晶についてみれば, 黒雲母と単斜輝石がふくまれる。 角閃石は, とくに変質による分解が著しいために, 原形をとどめないことが多い。 したがって, 識別が困難である。
流紋デイサイトの斑晶では, 石英と斜長石にくらべてカリ長石が少ない。 苦鉄質鉱物の斑晶では, 単斜輝石についで斜方輝石が多く黒雲母は少ない。 角閃石については, 前述したように識別が困難である。 以下は各斑晶鉱物を記載する。
石英は複六方錐を示すものもあるが, 多くは破片状である。 一般に清澄で包有物に乏しい。 まれに融蝕されたものがある。
カリ長石は卓状または破片状で, ペルト石構造が認められるものが多い。 双晶面や割目に沿って, 絹雲母や炭酸塩鉱物を生じているものもしばしば認められる。
斜長石(オリゴクレース~アンデシン)は一般に卓状で大型の斑晶となる。 変質により緑泥石や炭酸塩鉱物により交代されていることが多い。
黒雲母は一般に長さ 1 mm 程度で緑泥石化が著しい。 変質の著しいものでは無色となり, 不透明鉱物により交代されている。 しばしば撓曲したものがみいだされる。
単斜輝石は短柱状で長径 0.5~1 mm, 変質の著しいものでは緑泥石や鉄サポナイトにより交代されている。
斜方輝石には反応縁として淡緑色の角閃石をもつものが多い。
本岩類は図幅地域の南西端に近い小鳥川の沿岸に露出する。 南北方向の延長は約 4 km で, 幅は最大約 1 km である。 明ケ瀬 の南で岩脈として濃飛流紋岩を貫くもの以外は断層で濃飛流紋岩と接する。 本岩類は流理構造のよく発達した 流紋岩溶岩 と 凝灰角礫岩 からなる。 全層厚は 300 m に達すると推定される。
流紋岩溶岩は淡褐色または灰褐色を示し, ガラス・石英および長石などからなる緻密な石基をもつ。 一般に斑晶に乏しいが, 少量の石英や斜長石,およびカリ長石をふくむ。 流理構造がよく発達し, 一般に N 30~40°W の走向を示し, NE に 25~40°の傾斜をもつ。 船原の南西の小鳥川の西岸では, 石英とアルカリ長石からなる球顆(直径 1~2 cm)を多量に生じた流紋岩がみいだされる。
鏡下では, 本岩中にごく少量の石英・斜長石およびカリ長石の斑晶がふくまれる。 苦鉄質鉱物は乏しく, まれにみられるものも変質により分解し, 識別は困難である。 石基は脱ガラス化により, 主として石英の細粒結晶(粒径 0.3~0.5 mm)の集合からなる。 また, 一部では隠微晶質石基を呈する。
球顆は石英とアルカリ長石の共生からなる。
舟原付近の小鳥川の河床とその東方のソウツイ谷にかけて露出する。 灰白色または淡緑色を呈する。 礫は一般に直径 3~5 cm で亜円礫が多い。 礫は斑晶に乏しい緻密な流紋岩溶岩(前述のものに類似)と, 砂岩および頁岩(手取累層群)を主体とし, 他に少量のチャート様の珪質岩がみいだされる。 花崗岩や溶結凝灰岩の礫はきわめてまれである。
マトリックスは淡緑色を呈し緻密である。 概して層理はよくないが, 舟原の小鳥川の東岸やソウツイ谷では明瞭な層理の発達した部分がある。 この部分は水中堆積層である。 走向は N 30~40°W で, NE に 25°の傾斜を示す。
本岩類の主体は, 図幅地域の東に隣接する「船津」図幅地域内に広く分布する。 本岩類の名称は, 分布のほぼ中心にあたる大雨見山に因んで名づけられた(礒見・野沢, 1957)。 本地域内では, 本岩類は古川町の北東方の 安峯山 から さらに北東の神原峠にかけての山稜と 十三墓岐 より大坂峠に至る山稜一帯を占め, 基盤岩類を広くおおっている。
本岩類は十三墓岐とその北西方で船津花崗岩類を不整合におおう。 十三墓岐の花崗岩石切場跡 では, 船津花崗岩類の直上部に厚さ数 m の礫層が分布する。 礫は船津花崗岩類, 手取累層群の砂岩および流紋岩質火山岩からなり, 亜円礫である。 大きいものでは直径数 10 cm に達する。 マトリックスはアルコース質で膠結度は比較的良好である。 層理は基底部付近で N 20°E を示し, SE に 30°の傾斜をもつ。 本礫層は分布位置や礫の種類などからみて, 大雨見山火山岩類の基底礫岩である可能性が強い。 十三墓岐付近の旧道では, 粗粒の船津花崗岩類を直接に凝灰岩がおおっている露頭がある。 両者の境界面は N 25°E で 30°E の傾斜を示している。 凝灰岩中には少量の流紋岩質火山岩の礫が認められる。 礫は亜円礫で, 直径 2~3 cm である。 この部分では花崗岩類の礫は認められない。 凝灰岩中には一部で層理が発達し, N 10°E で SE に 15°の傾斜を示している。
大雨見山火山岩類は, 安峯山とその周辺地域で手取累層群を不整合におおっている。
濃飛流紋岩とは, 直接に接するところがないために関係は不明である。
笠原・下野(1974)は, 本岩類下部にはさまれる炭質頁岩から Aquilapllenites の数種を発見し, 最後期白亜系(へトナイ世)に属することをたしかめた。
大雨見山火山岩類は, 本地域では標高 740 m から 1,100 m にわたって分布し, その高度差は 350 m である。 全体の構造は明らかではないが, 測定しえた軽石レンズの葉理面から推定して, その傾斜は 10~15°である。 したがって, 現在みられる層厚は約 300 m と推定される。
十三墓岐より大坂峠に登る道路に沿って下部より上部が順次露出する。 前述の十三墓岐の花崗岩の石切場跡に露出する礫層が「基底礫岩」とすれば, これが最下部で, その上に凝灰岩や 凝灰角礫岩 が発達する。 しかし, 厚さはところにより変化し一定しない。
凝灰角礫岩の上部は主として 溶結した流紋岩 からなり, 標高約 900 m まで露出する。 大坂峠付近では, さらに上位にあたる 玉ずいをふくむ流紋岩溶岩 と凝灰岩が露出する。 玉ずいをふくむ流紋岩の見掛上の上位には, 球顆(石英とアルカリ長石の共生からなる)の発達する ガラス質溶結凝灰岩 が分布する。 その厚さは約 20 m である。
マトリックスは淡緑色を帯びた灰色または灰白色を呈し, 石英や長石類の破片と火山灰およびガラス片とからなる。 また, 長さ 2~3 cm の軽石片をふくむ。 礫には船津花崗岩類と手取累層群との砂岩および頁岩がふくまれる。 礫は亜角礫で, 一般に直径 3 cm 内外である。 下部では花崗岩礫はやや大型となる。
淡褐色または灰色で, 変質の著しい部分では灰白色を呈する。 石英・斜長石および少量のカリ長石の斑晶がふくまれる。 苦鉄質鉱物には黒雲母が認められる。 その他の苦鉄質鉱物は変質による分解が著しく識別が困難である。 マトリックスには脱ガラス化が認められるが, 溶結構造は保存されている。 斑晶の容量は全岩の 25~30 % である。
安峯山の南方で採取した溶結凝灰岩中にはサニディン [ sanidine = 玻璃長石(単斜晶系のアルカリ長石) ] がふくまれる。 サニデインは長径 1~1.3 mm で, 自形 柱状を示す。
淡褐色を呈し, 緻密な石基をもつ。 斑晶に乏しく, 少量の石英と斜長石がふくまれる。 石基中には球状またはレンズ状の玉ずいを多量に生じている。 玉ずいは灰色または淡褐色で, 縞状の同心球を形成する。 小型のもので直径 2 cm, 大きいものでは 10 cm に達する。
淡褐色を呈し, 斑晶に乏しい。 まれに石英と斜長石との斑晶がふくまれる。 一部には脱ガラス化が認められるが, 全般にはよくガラスが保存されている。 ガラスは淡褐色を呈し, 溶結構造が顕著である。 直径 2~3 mm の淡紅色を呈する球顆(石英とアルカリ長石の共生からなる)を 多量に生じている。
本岩は, 濃飛流紋岩の北縁で手取累層群と接する 柳ケ瀬の南方の滝ケ洞および真の谷に岩脈として露出する。 幅数 m で, 伸長方向は NEE - SWW である。 灰白色を呈し, 斑状組織が著しい。 珪長質斑晶鉱物は石英・斜長石およびカリ長石からなる。 いずれも自形で, 長さ 5 mm に達する大型斑晶がふくまれる。 苦鉄質鉱物の斑晶は黒雲母が少量認められる。 黒雲母以外の鉱物は, 変質による分解が著しく識別が不可能である。 石基は珪長質鉱物からなり完晶質である。
本岩は滝ケ洞 [ の北方 750 m ] で手取累層群を貫ぬく岩脈として露出する。 延長部は確認できないが, ほぼ NEE - SWW に伸長している。 灰色を呈し, 斑晶として斜長石(オリゴクレース~アンデシン)・黒雲母および単斜輝石などからなり, 石基はやや酸性の斜長石・石英およびカリ長石からなる。 一部では微文象構造が発達する。
本岩は手取累層群を貫ぬく以外に時代を決定する資料がない。 飛驒帯の後期白亜紀の貫入岩類中に該当するものがあるかどうかわからないが, 一応 最後期白亜紀岩類にふくめた。
小鳥川流紋岩類 [ Rk ] の主要岩体は濃飛流紋岩 [ Rh ] と断層で接する。 しかし, 同岩類中の岩脈は [ 明ヶ瀬の南南東方 1.5 km の ] 楡谷 で濃飛流紋岩を貫ぬいている。 また, 南に隣接する 「三日町」図幅地域内の金山洞 [ 読み方と位置不明 ] には小鳥川流紋岩類に類似の珪長質火山岩類が発達する。 両者の分布地域は約 5 km の距離しかない。 金山洞では, 珪長質火山岩類は明かに濃飛流紋岩の見掛上の上位にある。 しかし, 濃飛流紋岩の層序が未区分の現段階では, 前記火山岩類の位置づけは困難である。 同火山岩類に共通の特徴としては, 凝灰角礫岩中に飛驒帯の花崗岩類や手取累層群の礫をもつことである。 濃飛流紋岩の噴出の中心が美濃帯古生層中にあると考えられていることからみて, 前述の火山岩類は, 飛驒帯を基盤として発生した地域的な小規模火山活動の産物として, 濃飛流紋岩の火山活動の一環としてふくめられる可能性が大きい。
大雨見山火山岩類は, 前述の大雨見山(1,336 m)をほぼ分布の中心として, 飛驒帯を基盤として噴出した火山岩類である。 濃飛流紋岩と接触するところがないため野外での関係は不明である。 大雨見山火山岩類分布地域の東には, 日本アルプスの笠ガ岳(2,897 m)付近を中心に, 類似の珪長質火山岩の分布が知られている。 両者はいずれも分布の中心が飛驒帯にあり, 全体の分布の拡がりは E - W である。 濃飛流紋岩が美濃帯古生層の断裂帯に沿って噴出し, NNW - SSE に伸長した分布形態をとるのに対して, 大雨見山火山岩類や笠ガ岳の火山岩の分布はこれに直交する。 したがって, 濃飛流紋岩とは別の噴出口から噴出し, 火道の中心も飛驒帯にあったと推定される。
本地域では, 大雨見山火山岩類の主体は溶結凝灰岩で, 岩質は流紋岩~流紋デイサイトである。 岩相の特徴も濃飛流紋岩に類似する。 大雨見山火山岩類下部の炭質頁岩から発見された化石が示すように, [ 大雨見山火山岩類の形成時期を ] 最後期白亜紀(へトナイ世)とすれば, 濃飛流紋岩とほぼ同時期と考えて差支えない。
古川町 数河 では船津花崗岩の中に珪長岩脈が分布する。 現在は露出が著しく不良になっているが, 佐々木・高田(1971)によると, 本岩脈は幅 5 m ±, 延長数 100 m, ENE - WSW 方向にのび, ほぼ直立するという。 本岩は, 鏡下では, 石英粒と絹雲母化の著しくすすんだ長石からなっている。
[ 図幅地域の南西隅から東方へ 4 km の ] 清見村 大谷では, 濃飛流紋岩の中に珪長岩脈がみいだされている。
このような珪長岩脈はあまり数多く知られていないが, 数河地域に隣接する「船津」図幅地域内の山田地域には同様な岩脈が数多く分布し, 山田陶石として稼行されていたこともある。
本岩の火成作用についてはよくわかっていない。 後期白亜紀~古第三紀の珪長質火山活動の晩期の迸入岩脈と考えておく。
本岩の一部はかつて陶石として開発されたことがある。
本図幅地域では, 白亜紀から古第三紀にまでひきつづく珪長質火山岩類をのぞくと, 新生界はせまい分布をしめるにすぎない。 時代は確実ではないが, おそらく新第三紀 北陸層群の火成活動に対比される新期岩脈および楢峠層, ならびに第四紀堆積物の分布がみとめられる。
「II.6 古期岩脈」の項でのべたように, 飛驒変成岩類および船津花崗岩類の分布地域の中には第三紀に形成されたと考えられる [ 新期 ] 岩脈が分布する。 古期岩脈との区別は, すでに古期岩脈の項でのべたが, 野外では独立した節理系をもつことで容易に区別されることが多い。 しかし, まぎらわしい場合もあり, 地質図でも古期岩脈のうち安山岩質で, しかも晩期に形成されたものと新期岩脈との区別は必ずしも確実ではない。
新期岩脈は安山岩質岩脈だけで, 流紋岩質岩脈はみいだされていない。
新期岩脈は河合村 落合ダム [ 位置不明 ; 宮川村 落合の近辺 ? ] 付近でよく観察できる。
新期岩脈は, 分布の規則性については確実でないが, 方向についてはいくらか規則性があるらしく, 一露頭で数脈が分布する場合には平行することが多く, 古期岩脈のように交叉することはないようである。 一般に, 壁岩の節理や小断層の方向に近入することが多く, 小断層面に新期岩脈が迸入し, さらに断層面がうごいて, 岩脈に密着して断層粘土脈が形成されたりしている。 全体としての方向の規則性はたしかでない。
新期岩脈は飛驒変成岩類や船津花崗岩類の分布地域だけでなく, さらに南の濃飛流紋岩地域にも分布する。 濃飛流紋岩地域には珪長質岩脈も分布し, 中には安山岩質岩脈と平行して迸入しているものもあり, ここにのべる新期岩脈の一部に珪長質のものがあるのかもしれない。 または逆に, 新期岩脈としてとりあげた安山岩質岩脈の一部に第三紀 中新世より古く, 珪長岩脈と共にとりあつかうべきものがあるのかもしれない。 一応, ここでは岩相の類似から北陸地方中新世 火山岩類に対比しておく。
新規岩脈の大きさは古期岩脈と大差なく, 幅 0.1~2.0 m, 形は直線的なものが多い。
新期岩脈の岩相も多様で, 角閃石安山岩・ 普通輝石安山岩・ しそ輝石安山岩・ 両輝石安山岩・ かんらん石安山岩などの安山岩類の他に少数ではあるが玄武岩もある。
濃飛流紋岩をつらぬく例については古川町の西方などで観察される。
本層は河合村 二屋 [ ← 二ッ屋 ? ] の北東方および 月瀬 [ ← 月ヶ瀬 ? ] の南西方の山稜部に分布し, おもにデイサイトからなっている。 二屋 地域の岩体は北隣の「白木峯」図幅地域へひろがり, 楢峠付近で最もよく観察されるので楢峠層とよぶ。
本層は飛驒変成岩類および船津花崗岩類をおおって, 二屋 地域では海抜約 1,100 m, 月瀬 地域では約 900 m 以上の山稜に分布する。 分布からみると, 基底は多少凹凸があるが, 約 150 m 以内の差なので, 大きくみるとほぼ水平にのっているようにみえる。 月瀬 地域の岩体は山稜の中腹をとりまき, 山頂部には再び飛驒変成岩類が露出している。
本地域では 本層と飛驒変成岩類あるいは船津花崗岩類との直接的関係はみられなかったが, 楢峠ではデイサイトの下位に幅 1~2 m の礫層がほぼ水平に分布し, 不整合関係がみとめられる。
本層の厚さは, 最も厚い部分で 二屋 地域も 月瀬 地域も数 100 m と推定されるが, 確実にはわからない。
本層のデイサイトには流理構造がみえ, 溶岩と考えられる。
本層の岩相は, デイサイトといっても, 月瀬 地域と 二屋 地域でいくらか岩相を異にする。
月瀬 岩体は岩体のどの部分も鏡下では類似したデイサイト~流紋岩であるが, 肉眼的には, 暗灰色, 赤褐色など多彩で, 1~2 mm 幅の流理状縞模様のあるものから流理構造のほとんどみられないものまでがある。 鏡下では, 斑晶は 1~3 mm の斜長石・しそ輝石および鉄鉱であり, 石基は極めて細粒で, 拍子木状の斜長石を多く含み, 一般に珪長質で, 微粒の鉄鉱や鉱石を少量ふくむ。 赤褐色の岩相はこれら微量の輝石および鉄鉱の酸化によるものであろう。
二屋 岩体も同じくデイサイトであるが, いくらか苦鉄質で, また, 岩相変化も多少著しい。 岩石は, 肉眼的には, 多孔質, 暗灰色~淡灰色, 斜長石斑晶が大きくかつ多いものから微粒で少量の岩相までがふくまれる。 鏡下でみると, 斑晶は多量の斜長石・しそ輝石および少量の鉄鉱・燐灰石などが普通にふくまれる他に, 普通輝石・かんらん石・角閃石・黒雲母等のふくまれる部分もある。 なお, 角閃石や黒雲母は一般にオパサイト化が著しく, しそ輝石と普通輝石は連続する部分もある。 かんらん石はほとんど変質している。 石基は拍子木状の斜長石を多量にふくみ, 一般に珪長質, 微粒の鉄鉱や輝石がみとめられる。 流理構造は一部をのぞいてない。 なお, 孔隙にはトリヂマイト [ tridymite ; 高温(1 気圧で 870 ℃)で石英から相変化し, さらに高温(1 気圧で 1470 ℃)でクリストバライトに相変化する ] 後のクリストバル石仮晶の発達しているものがある。
本層の時代は, 直接的には飛驒変成岩類より若いことしかわからない。 本層は, 飛驒山地の山稜部における水平に近い分布からみて, 飛驒山地の準平原化した時代の噴出とも考えられるが, 本地域に接近して分布する第三紀 中新世の北陸層群 岩稲 累層の中には安山岩類が発達するので, 確実な理由があるわけではないが, 一応, 本層も岩稲累層相当層と考えておく。
本地域内には, 丘稜状山地の頂部および河川の沿岸の緩斜面などに小規模ではあるが砂礫層の分布がみられる。
数河付近, 小鳥峠付近, 保 の南から黒内および古川町付近には更新世に湖沼が存在したと思われる。
保から黒内にかけては丘稜性山地の頂部に顕著な砂礫層がのっており, 真ノ谷では厚さは 40 m を算する。 礫は付近の基盤を構成する花崗岩類・流紋岩・砂岩および頁岩からなり, 礫は一般に角礫ないし亜角礫で, 大きいものは直径が数 m に達する。 砂は花崗岩・変成岩・流紋岩および砂岩などの風化物から供給され, アルコーズ質で, 一般に角粒からなる。 礫および砂は場所によっては淘汰が不良である。 薄い粘土層をはさむ。
砂礫層の縁辺部には しばしば崖錐性堆積物があり, また, 脇谷 [ ← 竜ヶ洞の東北東方 2 km ] の南部および黒内の南部には扇状地堆積物がある。 [ 本図幅地域の ] 南西部の [ 清見村 ] 江黒付近および [ 本図幅地域の南東部の ] 古川付近の宮川ぞいには小規模な段丘堆積物が砂礫層の一部を構成する。 段丘堆積物の分布は小規模なので, ここでは区別されていない。
宮川およびその支流にそって現世層の分布がみられる。 おもなものは [ 国鉄 ] 高山線 [ 飛騨 ] 細江 駅付近から南東に向うもの, および [ 広瀬町の東北東方 2 km の本図幅地域の東端の ] 八日町をへて東に向うもので, 古川盆地の主体をつくる。 本層は礫・砂および粘土からなる。 宮川や荒城川の川床にはしばしば基盤岩類が現れるので, 最も厚い部分で 20 m と思われる。
本図幅地域にはいくつかの大きな活断層と, それにともなう小規模な活断層が網目状によく発達し, 地質および地形に深刻な影響をあたえている。
本図幅地域を切る最大の活断層は, 宮川村 林と河合村 角川 間の宮川と, 角川と 天生 とを結ぶ小鳥川の流路にほぼ一致するもので, いわゆる跡津川断層の一部である(村田, 1914)。 跡津川断層は, 本図幅地域の活断層に主導的な役割をはたし, 他の活断層はほとんどすべて跡津川断層に平行か, あるいは何かの関係をもった方向に走っているようである。 跡津川断層は [ 本図幅の北東方の ] 「立山」図幅地域の立山付近から 「五百石」- 「東茂住」- 「白木峯」- 「飛驒古川」各図幅地域をへて「白川村」図幅地域にいたり, 荘川付近で阿寺断層の延長部分と交叉する付近まで延長 60 km 以上もつづく大活断層で, ほぼ N 60°E 方向に直線状に走り, ほぼ直立し, 右横ずれ, 南東側おちの変位をもち, 阿寺断層とは共軛的関係にある可能性も考えられている(第 8 図)。
本図幅地域で跡津川断層は小鳥川をはさんで接近した平行な3断層に分れる。 この断層は しばしば粘土をともなった破砕帯を発達させている。 天生谷付近で, この断層をほぼ垂直に横切る隧道内でみると, 断層はおよそ 40 m 余りの粘土および含角礫粘土層をはさみ, さらにその外側に約 20 m ずつの破砕帯をつくっている。 この断層は天生 部落付近や宮川村 林付近では第四紀堆積物を切っている(松田, 1966)。
天生 ~ 角川 間の小鳥川の流路は跡津川断層の断層谷であって, これにそそぐ北側の支谷はすべて合流点で西側へそれぞれ数 100 m 屈曲している。 この断層は右横ずれだからである。 飛驒変成岩類の岩層の連続からみた水平変位量は右へ約 3 km, 松田(1966)によると天生地区で 2.2 + km, 林地区で 3 ± 0.5 km という。 なお, この断層面上の条線は水平に近いものが多い。 また, この断層面は垂直に近く南落ち, 松田(1966)によると落差数 100 m という。
小鳥川のすぐ北側に並走する断層についても, これに交叉する支谷の交叉点での屈曲がみとめられる。
跡津川断層にほぼ平行して本図幅地域北西端を切る牛首断層も, ほぼ同様な性格をもっている。 水無谷は牛首断層の断層谷で, 水無谷と利賀川の合流点では断層面や粘土をともなった破砕帯などよく観察される。
本図幅地域の跡津川断層より南東方, おもに濃飛流紋岩の分布する地域には, 跡津川断層に平行またはいくらかずれるが, 北東 - 南西方向に走る断層群が発達している。 これらの断層群の発達は濃飛流紋岩の中で著しく, ほぼ船津花崗岩類や中生代手取累層群の中ではあまり顕著でない。
跡津川断層の変位の時期について, 松田(1966)は第三紀後期にはじまったとしている。 跡津川断層と一致するかどうかは厳密には確かでないが, 飛驒変成岩類の変成作用期に ほぼ同じ位置で同じ方向の変位がおきたらしいことは飛驒変成岩類の項ですでにのべた。 また, この断層ぞいに金属鉱床の濃集分布が知られている(堀田・武田, 1953)。 これらの事情は, 跡津川断層の現在の変位が第三紀後期から始るとしても, それ以前にほぼ同じ位置に先駆的な地殻運動のあったことを示唆しているように思われる。
本図幅地域内には磁鉄鉱・マンガン鉱・黒鉛・陶石および珪石の鉱床が賦存する。
河合村 曲渕 [ ← 図幅地域中央付近 ] および 上島谷 [ ← 上ヶ島 谷 ? ; 小鳥川沿いの上ヶ島の北西方 1.5 km ] には磁鉄鉱鉱床があり, 曲渕のものは稲越鉱山として採掘されたことがある。 跡津川断層付近に発達する磁鉄鉱鉱床列の一部である。
本鉱床は曲渕の東方にあり, 船津花崗岩類が芦谷層 [ Hs ] または小鳥川層 [ Hk ] の飛驒変成岩類に接する付近にあり, 鉱床の母岩は変成岩と花崗岩からなっている。 鉱床は飛驒変成岩類中の石灰岩を交代するスカルンで, 鉱体は層厚 3 m ±, 長径 6 m ±のものが数層あるという(堀田・武田, 1953)。 鉱石は磁鉄鉱を主とし, 磁硫鉄鉱・黄鉄鉱および黄銅鉱からなる。 堀田・武田(1953)の当時の資料で既採掘量は約 20,000 トン, 確定鉱量は約 20,000 トン, 平均品位は約 40~50 % という。
現在, 休山中である。
本鉱床は河合村 二屋 [ ← 二ツ屋 ? ] 部落の南方にあり, 飛驒変成岩類の小鳥川層 [ Hk ] と 二屋 層 [ Hf ] の境界付近に分布する。 角閃石黒雲母斜長石石英片麻岩, 角閃石透輝石斜長石石英片麻岩, 石灰岩 [ L ] などを母岩とする。 とくに珪質変成岩は伴われていない。 数鉱脈あり, 幅 3 m 以上のものもあり, 延長も 100 m 以上のものもあるという。 鉱石は菱マンガン鉱を主とし, 方鉛鉱・閃亜鉛鉱・黄鉄鉱・黄銅鉱など硫化鉱物をふくむ石英脈をともなう。 富成・桑波田(1962)の報告によれば, 推定鉱量 13,000 トン, 品位は炭酸マンガン鉱で Mn : 30 % 以下, 二酸化マンガン鉱で MnO2 : 55 % 程度という。
本鉱山はかつて銀山として稼行されたことがある。
飛驒変成岩類中の含黒鉛アルミナ質片麻岩層は処々で黒鉛鉱床を形成する。 黒鉛鉱床は, 天生層 [ Ha ] の見かけ上の上部層準と 二屋 層 [ Hf ] の中部以上の層準でみいだされる。
天生層の黒鉛鉱床は東からいうと以下の通りである。
| 虎谷鉱山 | 河合村 夏坪谷 | |
| 角川 鉱山 | 河合村 小無雁 | |
| 芦谷 鉱山 | 河合村 下朝川原 谷 | |
| 元田 鉱山 | 河合村 元田 | |
| 天生 鉱山 | 河合村 荒町 |
二屋 層の黒鉛鉱床は以下の通りである。
| 金剛堂鉱山 | 河合村 二屋 部落の東方 | |
| (試掘) | 河合村 二屋 部落の北方 |
天生層の黒鉛鉱床は天生層の一定の層準に連続している。
これらの黒鉛鉱床は, 含黒鉛片麻岩層中の黒鉛が濃集して形成されたもので, 濃集の機構は褶曲, 破砕などの構造運動と花崗岩質岩石の活動が関係するもので, よくもめた地域に花崗岩の細脈を伴って富鉱部が形成されていることが多い。 このような部分は細鱗または土状のことが多く, 土状の鉱床の方が一般に品位が高い(野沢, 1952)。 鉱床は一般に層状またはレンズ状で, 片麻岩中に整合的にはさまれることが多い。 しばしば土状で粘土鉱物をまじえた高品位の鉱体が断層をうめたり, 片麻岩中の不規則な外形のわれめをうめたりしていることもある。
現在稼行しているのは天生鉱山のみである。
本鉱山は もともと天生 部落より東南方約 5 km の山中に天生鉱山と呼ばれる有名な銀山があり, 荒町に選鉱場があったが, 第二次大戦で銀山は閉山し, 選鉱場付近の黒鉛の採掘に着手し, 今日に到っている。 天生鉱山付近はほぼ南北方向に直立した軸面をもつ等斜褶曲や南北方向の断層など, 構造はみだれて著しく複雑で, 花崗岩の小岩体も貫入している。 付近の母岩は ざくろ石黒雲母斜長石石英片麻岩, 角閃石透輝石斜長石石英片麻岩などである。 鉱体は幅 0.5~1.5 m, 長さ 10~30 m のレンズ状または層状鉱体数層で構成される。 品位は 3~10 %, 鉱量は約 200 トン(C として)といわれている。
古川町 数河および清見村 大谷付近では陶石が採掘されている。 数河では珪長岩脈, [ 清見村 ] 大谷では濃飛流紋岩の一部を稼行する。 佐々木・高田(1971 および 1972)の調査によると, おもな性質は次の通りである。
船津花崗岩を貫く珪長岩脈の陶土化したものを稼行している。 同岩脈は東北東 - 西南西方向におよそ 750 m にわたって断続し, 個々の岩脈は長さ 100 m 以上, 幅 5~8 m, 方向は一定しない。 鉱石は石英およびセリサイト [ sericite ; 絹雲母 ] を主とする。 化学組成でみると Fe2O3 がいくらか高く, アルカリが変化に富んでいることが特徴である。 鉱量は全体では 10 数万トンに達する。
この付近は 二本木 地区と呼ばれ, 南隣の「三日町」図幅地域の二本木を中心に数多くの鉱床があり, 当地方はその北端にあたる。 鉱床は濃飛流紋岩の一部がレンズ状に陶石化したもので, 森茂 [ ← 大谷の西方 2 km の森茂峠付近 ] と大谷の両鉱山の他にも小露頭がある。
鉱層はそれぞれ数層あり, 各鉱層は厚さ 4~20 m, 形は断層のため明確でなく, 各鉱層は陶石化の弱い流紋岩によってへだてられている。 鉱石はおもに石英およびセリサイトからなる。 化学組成では大谷鉱山で Na2O がかなり多い他は, 陶石としてほぼ安定した一般的組成をもつ。 鉱量は森茂鉱山が約 7 万トン, 大谷鉱山が約 2 万トンと考えられる。
船津花崗岩にはまれにポケット状のペグマタイトが発達し, その中に石英の塊状鉱体がふくまれることがある。 石英塊は径数 10 m で, 品位は良好であるが, 個々の鉱体が小さいので採掘は容易でない。 古川町 数河の南方および宮川村 高山 [ ← 数河の北東方 2.5 km ] の北方などで採掘されたことがあるが, 現在は稼行されていない。
本図幅地域内で災害を生ずるおそれの大きいものの一つは前述の跡津川断層である。 跡津川断層は現在も活動し, 松田(1966)によると北側が隆起しているという。 跡津川断層は, かつて 安政 2 年(1857 年)2 月 26 日の飛驒大地震 [ ← 安政 5 年(1858 年)2 月 26 日の飛越地震(角川地震) ? ] の際には著しい災害をもたらした。 武者(1951, p. 692~726)によると, [ 河合村の ] 角川 地域で死者 19 名, 全壊家屋 45 軒, 半壊 34 軒, 難をまぬがれた家がわずかに 5 軒, さらに [ 河合村の ] 元田 地域では立石 [ 位置不明 ] および荒町 部落の 9 戸の 53 名が 1 名を除いて全壊埋没している。
本図幅地域は古期岩石が基盤を形成し, 地震も比較的少いが, 跡津川断層系の活断層地域として常時観測と予防措置がのぞまれるところである。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Kanazawa (10) No. 43
By Tamotsu NOZAWA, Kiyoo KAWADA & Masatora KAWAI (Written in 1974)
The area studied is situated in the midst of the Hida Mountains in the northern part of Central Japan. Geologically, it lies in the Hida Belt which is the northern-most belt of the zonal arrangement of basement rocks in the Inner Zone of South-west Japan. The Hida Belt in this quadrangle area comprises two parts, the northern half, Hida Metamorphic Belt and the southern half, Hida Marginal Belt .
The Hida Metamorphic Belt is mainly composed of Hida Metamorphic Rocks of probably Paleozoic age and Funatsu Granitic Rocks of Triassic age. And Hida Marginal Belt is mainly composed of partly metamorphosed Middle and Upper Paleozoic formations.
Small masses of gabbro and diorite are exposed in the Hida Metamorphic Belt.
Andesitic, dacitic and rhyolitic dykes of older age, probably contemporaneous with the Hida metamorphism or the Funatsu granite plutonism are intruded into the Hida Metamorphic Rocks and the Funatsu Granitic Rocks and are weakly metamorphosed.
Tetori Super-group of Jurassic~Lower Cretaceous age is exposed in a narrow belt and is in contact with the Funatsu Granitic Rocks, partly with fault and partly with unconformity.
Late Cretaceous~Paleogene Tertiary felsic volcanics, Nohi Rhyolite , Odorigawa Rhyolites , Oamemiyama Volcanic Rocks and felsic dykes cover or intrude most of the basement rocks in the southern half of the quadrangle area.
Dacite lava [ ← Nara-tōge Formation ] of probably Neogene Tertiary age covers partly the basement rocks in the north-western part of the area.
Dykes of younger age, probably of Neogene, are intruded into the Hida Metamorphic Belt and are andesitic or basaltic in character.
Pleistocene and Recent deposits are exposed in some areas in this quadrangle area.
Geotectonically, one of the characteristic features of this quadrangle area is large-scaled activities of recent faults. Among several trend systems of recent faults, ENE - WSW trend is most predominant.
| Geologic age | Stratigraphy | ||||
| Cenozoic | Quaternary | Recent | Recent deposits | ||
| Pleistocene | Pleistocene deposits | ||||
| Tertiary | Neogene | Nara-tōge Formation | |||
| Paleogene |
Ōamemi-yama Volcanics | ||||
| Mesozoic | Cretaceous | Neo-cretaceous | |||
| Odori-gawa Rhyolites | |||||
| Nōhi Rhyolite |
?↓ | ||||
| Kague Formation | |||||
| Paleo-cretaceous |
Tetori
Super Group |
Itoshiro
Group |
| ||
| Inagoe Formation | |||||
|
Furukawa Formation | |||||
| Jurassic | ↓ | ||||
|
| |||||
| Funatsu Granitic Rocks | |||||
| Triassic | |||||
| ↓ | |||||
| Paleozoic | Permian | Kosobora Andesite | |||
| Carboniferous | Moribu Formation | ||||
| Kami-hirose Formation | |||||
| Age unknown | Hida Metamorphic Rocks | ||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
The Hida Metamorphic Belt is one of the largest regionally metamorphosed terranes in Japan. Rocks composing the Belt are mostly quartzo-feldspathic gneisses [ = 石英長石質片麻岩 ] , and their predomionant mineral associations in this quadrangle area are as follows ;
Limestone is also abundant. It often accompanies many skarn minerals, such as diopside, garnet, forsterite, chondrodite, wollastonite, scapolite, etc.
Amphibolite occurs in a relatively small volume, though hornblende-bearing quartzo-feldspathic gneiss is abundant throughout the Belt. Hornblende - plagioclase - quartz gneiss and hornblende - biotite - plagioclase - quartz ± microcline gneiss, are common and often contain garnet porphyro-blast.
Aluminous gneisses are intercalated in quartzo-feldspathic gneisses and are garnet - sillimanite biotite - plagioclase - quartz gneiss, corundum - muscovite - plagioclase (+ microcline) gneiss, etc.
Most of the quartzo-feldspathic gneisses, aluminous gneisses and limestones bear graphite flakes.
Chemistry of quartzo-feldspathic gneiss is quite similar to that of grey-wacke sandstone. So, the original rocks of the Hida Metamorphic Rocks are supposed to be geosynclinal sediments, mainly sandstone intercalating a lot of thin layers of limestone and small quantities of shale, as well as volcanic rocks of mafic, intermediate and rarely felsic character.
It seems peculiar that there is no sign to indicate conglomerate as original rocks, in spite of wide-spread occurrence of metamorphic rocks probably derived from sandstone.
The structure of the Hida Metamorphic Belt runs, generally speaking, ENE - WSW, dipping gently north-west-wards. Some local distortions are found ; for instance, on the southern side of the Atotsu-gawa Fault, minor folding with axis of N - S direction develops repeatedly.
The Hida Metamorphic Rocks in this quadrangle area are divided stratigraphically into eight formations. They are successively conformable and change gradually to each other. They are as follows, arranged after the order of zonal distribution from south to north.
Each formation contains almost similar varieties of metamorphic rocks to each other, but the proportion of each variety of metamorphic rocks is different to each formation. On this basis, each formation is defined.
It is characterized by limestone and calcic quartzo-feldspathic gneisses, such as diopside - plagioclase - quartz gneiss, biotite - diopside - plagioclase gneiss, etc. A cluster of orbicules [ = 球状岩 ] is found in diopside - plagioclase - quartz gneiss on the river side of the Miya-gawa River.
It is characterized by relatively mafic quartzo-feldspathic gneisses such as hornblende - plagioclase gneiss, biotite - hornblende - plagioclase - quartz gneiss, etc. Garnet-bearing hornblende - plagioclase gneiss is found sporadically.
It is characterized by aluminous quartzo-feldspathic gneisses, such as biotite - plagioclase gneiss, biotite - plagioclase - quartz - microcline gneiss, etc. Besides, garnet-bearing varieties, graphite seam, etc., though not in a large amount, are also contained. A peculiar variety, quartzo-feldspathic gneiss derived from dacite with idiomorphic blasto-porphyritic plagioclase is exposed in Kodani.
It is similar to the Ashi-tani Formation, though a little more felsic than the latter. Biotite - hornblende - plagioclase - quartz gneiss is the most predominant variety.
It is similar to the Sode-tōge Formation, and is characterized by limestone and calcic gneisses. It contains abundant limestone seams. Among limestone seams, rarely dolomitic ones are found. Skarn which comprises wollastonite, diopside, forsterite, chondrodite, garnet, scapolite, etc. is found in some limestones.
It is composed of quartzo-feldspathic gneisses with no distinctly predominant variety and is different from the Odori-gawa Formation in the scarceness of limestone. Corundum - biotite - muscovite - plagioclase - microcline gneiss is exposed in a thin seam in hornblende - diopside - plagioclase - quartz - microcline gneiss at Hane.
It is quite similar to the Odori-gawa Formation.
It is characterized by partly aluminous and partly mafic quartzo-feldspathic gneisses, such as biotite - plagioclase - quartz gneiss, hornblende - biotite - plagioclase gneiss, diopside - biotite - plagioclase - quartz, etc. Garnet - sillimanite - biotite - plagioclase - quartz gneiss is intercalated in calcic gneiss near Mizu-nashi.
"Amō Granite" is not a name of any definite formation of the Hida Metamorphic Rocks but is a name given to small granitic masses, lenses, veinlets or pools, commonly several meters across, exposed in the Hida Metamorphic Rocks. It occurs in most kinds of gneisses, changing its character according to the nature of the wall gneiss. It has mostly no gneissosity except the remnant of paleo-structure of gneiss replaced by it. It is considered to have been formed by a metasomatic process.
It has been often called "grey granite" because of its grey or pale purplish blue tint of felsic minerals.
Though it is commonly small in this area, it often forms large masses several kilometers across in the vicinity of this quadrangle area.
The metamorphism of the Hida Metamorphic Rocks is divided into two stages. The first one is mainly of low-pressure type and belongs to amphibolite facies. And the second one is of retrogressive character and belongs to lower facies with abundant epidote, prehnite, chlorite, muscovite, etc. There would not be a large interval between these two metamorphism but some crustal movement, such as upheaval to provoke dyke activity, is believed to have taken place between the two stages of metamorphism.
The age of original rocks of the Hida Metamorphic Rocks is supposed to be Early or Middle Paleozoic and the age of metamorphism, Late Paleozoic or Early Mesozoic. However, some geologists insist the possibility of poly-metamorphism, that is, the original rocks would be of Pre-cambrian age and the first metamorphism, too, and the second metamorphism of Late Paleozoic or Early Mosozoic age. The debate is not yet settled.
Lower Carboniferous system, Kami-hirose Formation and Moribu Formation and presumably Permian system, Kosobora Andesite are exposed in the southeastern corner of the quadrangle area. Carboniferous system is one of the predominant members of the Hida Marginal Belt.
Kami-hirose Formation is mainly of conglomerate containing granitic pebbles in a matrix of tuffaceous sandstone. Its matrix is metamorphosed weakly to muscovite - chlorite - albite - quartz schist, etc. Granitic pebbles are characterized by the poorness in K2O in contrast to the high content of Na2O, chemically.
Moribu Formation covers conformably the Kami-hirose Formation and is mainly composed of shale and shaly sandstone. It is metamorphosed into chlorite - albite - muscovite - quartz schist, etc.
Kosobora Andesite covers the Kami-hirose Formation unconformably and is mainly made of hornblende andesite. It is free from regional metamorphism and is to be correlated to the Permian system nearby after its petrographical similarity.
In the Hida Metamorphic Belt, there are exposed small masses of diorite and gabbro, several tens or hundreds of meters across, in several localities. Some of the gabbro contain olivine besides pyroxene.
Funatsu Granitic Rocks cover a large area, larger than the Hida Metamorphic Rocks in this quadrangle area, as well as throughout the Hida Metamorphic Belt. Their main masses are arranged as if to envelope the main mass of the Hida Metamorphic Rocks. Besides, subordinate small masses are also exposed even in the midst of the Metamorphic Rock region.
Petrographically, the Funatsu Granitic Rocks are divided into two types, as follows ;
In this quadrangle area, there are exposed several masses of the Funatsu Granitic Rocks.
Hirose Granite is composed of mainly tonalite of the Shimonomoto type and partly granodiorite of the Funatsu type. It is intruded into the conglomerate of the Kamihirose Formation.
Funatsu Granite is the largest mass surrounding the southern periphery of the Hida Metamorphic Belt. It is mostly composed of adamellite and granodiorite and belongs to the Funatsu type. It is in contact with the Hida Metamorphic Rocks partly by metasomatic emplacement, and partly by mylonitic intrusion. In the mylonitic contact, a broad mylonitic peripherical zone develops with abundant "Augen [ = 眼球 ] "-like porphyroblasts of microcline.
In some part of the Funatsu Granite there are contained abundant inclusions of gneisses and limestones derived from the Hida Metamorphic Rocks. These inclusions are autochtonous [ = 原地性 ] and retain the original stratigraphic relation to each other and to the neighbouring metamorphic rock formations.
Mizu-nashi Granite is emplaced in the Hida Metamorphic Rock region and belongs to the Funatsu type. It contains, in most part, abundant autochtonous inclusions of the Hida Metamorphic Rocks.
Moriyasu Granite is also exposed in the Hida Metamorphic Rock region and is typically of the Funatsu type. It has scarsely any inclusions of the metamorphic rocks.
Small masses of granitic rocks are scattered in the Hida Metamorphic Rock region. Most of them are similar to the non-porphyritic adamellite or granodiorite of the Funatsu type.
In the Hida Metamorphic Belt there are intruded many dykes. Some of them are younger ones of Tertiary age and the others are older ones which are metamorphosed in various degrees. Their metamorphism is mainly of greenschist facies or lower grade facies and rarely goes upto amphibolite facies similar to the wall, the Hida Metamorphic Rocks.
They are often intruded by granitic veinlets ramifying from the wall and have intersecting joints common to the wall.
They are mostly andesitic, dacitic and rarely rhyolitic in character. They are metamorphosed into epidote - chlorite - actinolite - quartz - plagioclase schist, (garnet) - epidote - chlorite - prehnite - albite - quartz schist, etc.
The Tetori Super-group is divided into the Kuzuryu and Itoshiro Groups in the northern and west~south-western exterior of this quadrangle area, i.e. the upper reaches of the Kuzuryu River, Sho-Kawa (R.) and Jyoganji River. The middle-upper Jurassic Kuzuryu Group is not exposed in this area.
The Itoshiro Group extends from west to east in central part of this area and forms two narrow rows of synclinal structure.
The Group unconformably overlies the Hida Metamorphic Rocks and the Hirose Granite, and unconformably underlies the Upper Cretaceous Nohi Rhyolite and the Upper Cretaceous or Early Tertiary Ōamemi-yama Volcanics.
This group is composed of the Furukawa Formation in the lower half and the Inagoe Formation in the upper.
This formation is divided into the Tanemura Conglomerate, the Numa-machi Alternation, the Sugizaki Sandstone and the Taie Shale Members in ascending order which are successively conformable.
Tane-mura Conglomerate Member : It is the basal member of the Furukawa Formation and underlain unconformably by the Funatsu Granitic Rocks. The thickness varies from 200 to 250 meters. This member is chiefly composed of conglomerate and sandstone, and partly of shale. The boulders and cobbles of this member are of granitic rocks, gneisses, rhyolite, ortho-quartzite and Paleozoic clastic sediments, and the matrix of conglomerate is mainly arkose sand. This member yields plant fossils of Onychiopsis elongata and others.
Numa-machi Alternation Member : It is composed of alternation of sandstone and shale, with conglomerate, and bears many plant fossils of so-called "Itoshiro flora". The thickness of the Member varies from 220 to 400 meters.
Sugizaki Sandstone Member : This Member is composed of sandstone, shale and conglomerate. The thickness varies from 200 to 300 meters. It yields plant fossils of Podozamites lanceolatus and others, but the plant is poor. According to S. MAEDA (1959 and 1962), Nipponitrigonia furukawensis, Inoceramus sp. and other shells were found in Shimono and Sugizaki in Furukawa-Town. This member is the only marine formation among the members of the Itoshiro Group.
Taie Shale Member : The member is composed chiefly of shale and partly of sandstone, and yields non-marine fauna of Neomiodon tetoriensis, Ostrea sp. and other shells at Myogase, Hō, Taki-ga-bora, Yanagase, Teramura, Kurouchi, Taie and Nonaka. Xenoxylon latiporosum and other Itoshiro type plant fossils are also contained in some localities. The thickness varies from 150 to 200 meters.
Some geologists maintain that the Tetori Series is Upper Jurassic in age, on the basis of ammonite fossils in the Kuzuryu Group. On the other hand, S. OISHI (1931 and 1940) pointed out that Tetori fossil flora belongs to the Onychiopsis Series and is affined to the flora of the Naktong Series and Shiragi Series, south Korea, and the Toyonishi Group of the western Chugoku district, Japan. In the past, the non-marine shell fossils were assigned to Jurassic, but it has become known lately that the fossils are closely related to those in the Yoshimo Formation of the Toyonishi Group, and that Nakamuranaia, Nippononaia, Plicatounio etc. are common with the Lower Cretaceous Naktong-Shirage Series, South Korea, and the Wakino Sub-group (Kwanmon group) of the western Chugoku and the northern Kyushu (OTA, 1960). The non-marine shell fossils were previously thought to occur beneath the ammonite-bearing bed in the Kuzuryu Group, but in fact they occur only in the lower half of the Itoshiro Group. Thus, the Furukawa Formation is considered to be composed chiefly of Early Paleocretaceous (Kochian) beds, although it cannot be concluded that Tithonian does not occur.
Lithologically the lower part of this formation resembles the Minami-matadani Conglomerate Member in the northeastern adjacent quadrangle area and the upper part is similar to the Wasabu Alternation Member. Therefore, this formation is considered to be equivalent to the Atotsu-gawa Formation in the Higashi-mozumi quadrangle. This formation yields Ostrea sp. and Gryphasa (?) sp., and some plant fossils. It is exposed only in the synclinal part of the western half of this area and is, roughly speaking, separated into the lower and the upper main part. The lower part is composed of conglomerate and sandstone with shale, and the upper main part alternation of sandstone and shale.
The Asuwa Group separated from the Tetori Super-group is thought to belong to the Neo-cretaceous system (probably the Urakawan stage) on account of the Asuwa flora and the so-called "Omichidani flora" in the upper reaches of the Kuzuryu River. If the age of the Myogadani Formation in the upper reaches of the Tetori River could be assigned to latest Paleo-cretaceous (late Miyakoan) or Early Neo-cretaceous (Gyliakian) as suggested by the occurrences of Sequoia sp., then that of the Inagoe Formation would be Middle to Upper Paleo-cretaceous (Aritan to Miyakoan).
It crops out at a small exposure in Kague, Kokufu Town, the south-eastern part of this area. The formation is composed of conglomerate, tuffaceous sandstone, shale and coaly shales. The thickness is about 10 meters.
The Nōhi Rhyolite extends in a NW - SE direction from the northern margin of the Ryoke Belt to the Hida Belt, passing through the Mino Belt, in Central Japan. The length of elongation is about 130 km, with a maximum width 50 km.
Nōhi Rhyolite distributed in this area is the northern part of the whole mass. Its northern margin is bounded on the Tetori Super-group by fault to the west of Furukawa Town. Its eastern margin is also bounded on the Hida Belt by fault.
The Nōhi Rhyolite consists mainly of rhyolite or rhyodacite welded tuff and contains a small amount of non welded tuff. In general, it abounds in phenocrysts which amount up to a maximum of 40 % of the whole rock. The principal phenocrysts are quartz, oligoclase-andeisne, potassium feldspar, biotite, hornblende, monoclinic pyroxene, and ortho-rhombic pyroxene. In many cases, almost of the ferro-magnesian minerals are altered to chlorite and clay minerals. Generally, the glass in the matrix is partly devitrified [ = 不透明 ] to produce quartz.
Odori-gawa Rhyolites is distributed along the upper stream of the Odori-gawa River in south-western corner of this quadrangle area. It is composed of rhyolite lava and tuff-breccia. The lava has a distinct flow structure that trends N 30°W, with a dip NW 20~30°. The boundary between the Odori-gawa Rhyolites and the Nōhi Rhyolite is demarcated by faults of two different trends, NW - SE and NE - SW, intersecting with each other at nearly right angle.
The rock is a pale brownish grey lava showing non-porphyritic texture. The spherulites which are composed of quartz and alkali-feldspar occur in many parts of this lava, usually 1~2 cm in diameter.
The main part of the Ōamemi-yama Volcanic Rocks is distributed in the Funatsu quadrangle area. It is composed of rhyolite - rhyodacite welded tuff, lava, tuff-breccia and conglomerate. The thickness of the Ōamemi-yama Volcanic Rocks is about 300 m. The Volcanic Rocks cover the Funatsu Granitic Rocks and the Tetori Super-group. The conglomerate is found at the base of the Ōamemi-yama Volcanic Rocks and contains pebbles derived from the Funatsu Granitic Rocks and the Tetori Super-group. These pebbles are mostly subround in shape, ranging from several to 10 cm in diameter. The matrix is composed of arkose sand and felsic ash.
The rhyolite - rhyodacite welded tuff is dark grey or pale grey when fresh. The welded texture is usually distinct. The principal phenocrysts are quartz, oligoclase - andesine, potassium feldspar and biotite. The welded tuff near the Anpo-zan area contains sanidine phenocrysts.
Around the Osaka Pass, ovoidal chalcedony and spherulite occur abundantly in the rhyolite. Each nodule of the chalcedony is 3~10 cm in diameter.
Granite porphyry occurs as dykes near the boundary between the Tetori Super-group and the Nōhi Rhyolite. The rock is pale grey and porphyritic in texture. It contains large phenocrysts of a potassium feldspar, plagioclases, quartz and biotite. Groundmass is composed of micro-crystalline aggregates of felsic minerals.
In the south-eastern part of Yanagase, the diorite porphyrite occurs as a dyke, and is intruded into the Tetori Super-group. The rock is grey in color. Its phenocrysts are plagioclase, biotite and clinopyroxene. Groundmass is mainly composed of plagioclase and a small amount of quartz and potassium feldspar.
Felsite dykes, several meters in width, are intruded into the Funatsu Granite and the Nōhi Rhyolite. They are possibly members of the late Cretaceous~Paleogene Tertiary felsic volcanic rocks. They are mostly decomposed to clay.
A lot of younger dykes of probably Miocene age is intruded into the Hida Metamorphic Rocks, the Funatsu Granitic Rocks and the Nōhi Rhyolite. They are hornblende andesite, augite andesite, augite - hypersthene andesite, olivine andesite, and rarely basalt. They have distinct independent joints not common to the wall and are free from any regional metamorphism.
Dacite~rhyolite formation covers the top of some mountains in the Hida Metamorphic Belt. It is considered to be lava and its phenocrysts are commonly hypersthene, plagioclase, apatite and iron ore. Besides, rarely augite, olivine, hornblende or biotite are contained. A thin conglomeratic bed is found at the base of the formation.
It is supposed to be of Miocene age.
A number of small Pleistocene deposits containing gravel, sand and clay is exposed along the Miya-gawa River and some other rivers and their tributaries, and also on gentle slopes of hilly areas especially in the southern half of the quadrangle area. They are deposits of fan, terrace, talus and lake.
Recent deposits are exposed along flowing rivers, especially in the Furukawa Basin.
An important fault, more than 60 km long in the Hida Mountains, intersects the quadrangle area in ENE - WSW direction, along some parts of the Miya-gawa River and the Odori-gawa River. It is called Atotsu-gawa Fault and its movement is right-lateral and its north-west side is relatively upheaved.
In this quadrangle area, there is several kinds of metallic and non-metallic ore deposits, that is, magnetite, manganese ore, graphite, potter's clay and silica.
At present, a graphite mine and several potter's clay mines are working.
Graphite is taken from some aluminous formations of the Hida Metamorphic Rocks, mainly from the Amō Formation. Potter's clay is taken from felsite dykes and some clayey seams of the Nōhi Rhyolite.
昭和 49 年 12 月 28 日 印刷 昭和 50 年 1 月 4 日 発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所 (C) 1975, Geological Survey of Japan