10017_1967
地域地質研究報告
5万分の1図幅
金沢(10)第 17 号
通商産業技官 角靖夫
昭和 42 年
地質調査所
目次 I. 地形 I.1 台地(開析扇状地) I.2 低地 I.3 河川 I.4 海岸および海底 II. 地質 II.1 概説 II.2 呉羽山礫層 II.3 高位開析扇状地堆積物 II.4 低位開析扇状地堆積物 II.5 河岸段丘堆積物 II.6 扇状地堆積物および沖積堆積物 II.7 砂丘堆積物 II.8 河床堆積物 II.9 海浜堆積物と海岸侵食 III. 応用地質 III.1 鉱泉 III.2 地下水 文献 Abstract
地域地質研究報告
5万分の1図幅(昭和 40 年稿)
金沢(10)第 17 号
この図幅地域は, 南隣の 魚津 図幅とともに, 昭和 33 年に調査された。 地質図に記入した重力異常の分布は, 富山県が帝国石油株式会社に依頼して昭和 39 年に測定した結果から, 富山県の許可をうけて編集したものである。
この図幅地域には, 黒部市付近の陸地のほかに, 富山湾の東部が含まれている。 陸地は, 更新世扇状地に由来した標高 300 m 未満の台地と, 現世の黒部川扇状地などの低地とからなりたち, 海底の大部分は, 富山湾床へ向かう陸棚斜面にあたる。 低地には, 黒部川・ 片貝川 ・布施川の下流が流れ, これらの河口付近の海岸に, 小さい砂丘が分布している。 なお, この地域の海岸地は, 黒部川扇状地が海に臨んでいる部分などで, 強い海岸侵食をうけている。
砂丘・海岸の地形に関しては, II 章のなかでふたたび述べる。
この台地は, 数段の開析扇状地によって構成されている台地で, 黒部川と布施川との間を占めて, 図幅地域の東方 2 km 余りの所まで拡がっている [ 以下の [注] 参照 ] (第 1 図参照)。 台地をつくる開析扇状地は, その高度と開析程度の違いから高位と低位との2群に区別され, 高位の扇状地は更新世中期に, 低位の扇状地は更新世後期に形成されたものと考えられる。 どの扇状地も, この台地に形成時の拡がりのうち, 南部だけが残っている。
高位開析扇状地 : 台地の大部分を占めており, 上面が, 東方の図幅地域外も含めて 100~420 m の標高にあって, 東方ほど高い。 原地形はかなり開析されている。
この開析扇状地は単一の扇状地でないと推測されるので [ 以下の [注] 参照 ] , 5万分の1地形図によって幅 250 m 以下の谷を埋めて 第 1 図の等高線と第 2 図の断面をつくり, 勾配や開析状態などから扇状地面の細分を試みると, 第 1, 2 図中に示した Ia・Ib・Ic の3区分が設けられる。 この区分は, 一応, 形成期の違いに基づく区分に相当すると考えられる。
Ia は, 第 1, 2 図において台地の南縁で標高 280 m 以上, 北縁で 320 m 以上を占める部分であって, ほとんどが東方の図幅地域外 [ 泊 図幅地域内 ] に存在する。 この部分では, 扇状地の原表面そのものはまったく侵食されてしまっている。 第 1 図によって求められる表面の勾配は, 平均 7~8 %, 緩い部分で 6~7 % の値にある。 堆積物の基底面の勾配は, 平均 10~12 % と見積られる。
Ib は, 上面の標高が南縁で 220~280 m, 北縁で 260~320 m である。 Ia ほど開析をうけていないが, 原地形面がほとんど失われている。 第 1 図によると, 上面の勾配は変化が多く 4~8 % である。 堆積物の基底面は, Ia の場合よりも一段低い位置にあり, 勾配が 3~6 % と推定される。
Ic は, 中山 [ ← 図幅地域の南東隅から北北西方に 2 km ] 以西を占めていて Ib より低い。 原地形面は, 過半が削剥されているが, Ia・Ib に較べればよく保存されている。 上面の勾配は, 平均 5 % 前後, 緩部が約 3 %, 急部が 7 % 余りであり, 堆積物の基底面の勾配は平均 3 % 前後である。 なお, Ic は同時期の黒部川・布施川両系の扇状地が複合した形態を示している。
高位開析扇状地の半ばは, 黒部川から取水された用水によって灌漑をうけ水田化されているが, 残りは草・灌木地や荒地であり, 谷壁と山腹斜面には著しく利用しにくい所がある。
低位開析扇状地 : 高位開析扇状地の西側に位置する低い開析扇状地で, 前沢・田家野・東尾崎などに分布している。 前沢と田家野の部分は, 本来一続きであった黒部川系扇状地であって, 深井(1953)によって前沢隆起扇状地と名付けられ, その上面が藤井(1963, 1965)によって前沢面と呼ばれている。 東尾崎付近のものは, 片貝川系の扇状地の末端部であって, 前沢隆起扇状地とほぼ同じ時期に形成されたものと考えられる。
前沢隆起扇状地は, 吉城寺付近の 100 m 前後から田家野付近の 10 m 弱までの標高を占めている。 南東縁は高位扇状地と段状の境で接しており, 北縁は沖積面より一段高い位置にあり, 西縁は沖積面と交差している。 高位扇状地との境は, もと比高 30~40 m の崖であったと思われるが, 現在では周辺より少し急な傾斜地をなしているにすぎない。 しかし, 吉城寺付近では今もなお高度差 30 m 余りの段が残っており, 田家野付近では 10 m の高度差をつくる 15°前後の急傾斜地が認められる。 扇状地の上面は, 黒瀬川が高位扇状地との境にそって下刻した部分以外では, ごくわずかの開析しか受けていないので, 原地形がよくわかる。 また, この上面はまったくの一面ではなく, 吉城寺付近では, 明らかな勾配の変換線があって主部より一段高い部分が存在し, 田家野近くでは, 20°くらいの急傾斜と約 15 m の高度差を示す段地形が観察される (これらの境は第 1 図に破線で表示)。 どちらも主部の面が形成される少し前にできた面であろう。 主部の上面の勾配は, 一般に 3~4 % で, 緩い部分が 2 % 程度である。
低位開析扇状地の表面は, ほとんど田地や畑地として利用されている。
[ 以下はこの「I.1 台地(開析扇状地)」の項の全体に関する記述 ]
以上に述べたような高位, 低位の開析扇状地は, 富山湾の東岸, 南岸の低山地の前面に普遍的に分布していて, この地方の地形に特色を加えている。
渡辺(1929, 1932)は, この地方一帯の古い扇状地(渡辺は隆起三角洲と呼んでいた)について, 現世の黒部川・片貝川および 図幅地域外 [ 本図幅地域に南隣している魚津図幅地域内 ] の早月川・上市川・常願寺川の扇状地の傾斜率が 9~20 ‰ しかないのに対して, それぞれの河岸にある隆起扇状地の傾斜率は, 20~80 ‰ もあってはるかに大きく, しかも古い時期のものほど大きい値をもっていることを指摘した。 そして, 海岸線付近を軸にした増傾斜運動による立山山地の隆起と海側の沈降が継続した結果, 何段もの扇状地ができ, また, 古い扇状地ほど大きい増傾斜的変位をうけたと解釈した。 この渡辺の解釈は高位, 低位の開析扇状地群が形成された要因をついているが, 更新世の氷期・間氷期に対応して起こったと考えられる海面変化もまた, 扇状地群形成の重要な原因であったであろう。 これらの海面昇降は, 同時に, 扇状地に, 初生傾斜の強い堆積面が形成されたり, 侵食が複雑に進行される機会を与えたに違いない。
低地は, 大部分が現世に黒部川によって形成された扇状地であり, 一部分が片貝川の現世の扇状地と布施川の河岸平地である。 これらの平地は, 大部分が田地として利用されている。
黒部川扇状地 : 黒部川扇状地は, 黒部川が山地から平地へ出た地点, 愛本(東方の図幅地域外, 第 1 図参照)を頂点として海岸まで拡がった, 半径 12~14 km, 夾角約 60°, 総面積 90 km2 余りの典型的な扇状地である。 この頂部から海岸までは比高が約 130 m で, 表面の大部分が 10 ‰ 前後の勾配をもっている。 勾配は下流部が少し緩く, 扇頂部と中央の一部が幾分急であって, 大きい部分では 15~20 ‰, もっとも小さい部分では 4 ‰ である。 扇状地の表面には緩い起状のひだが放射状に存在し, これにそって 平曽川 [ ← 黒部川の北方 1.5 km 付近の 入善 町を流れる二級河川 ] などの小川や灌漑用水路が流れている。 なお, 藤井(1963, 1965)・吉川(1952a・b)は, 幅数 100 m の黒部川の旧河道が数~10 条存在することを明らかにしている。
生地 から立野・石田にかけての地域は, 扇状地の前縁で, 地下水位の高い比較的多湿な平地である。 また, 越湖 ・荒俣・芦崎・高瀬 [ ← 平曽川の河口の北岸の其木の東方 0.5 km ] 付近の平地は, 扇状地の前縁に近い部分にあたるが, 海岸砂丘でかこまれているため排水が悪くなっている。
黒部川 : 図幅地域内では, 低い自然堤防と人工堤防に囲まれた幅数 100 m の河床のなかを, 表流水が不規則な分流をつくって流れている。 表流水は, 増水時には河床をかなり広く覆って流れるが, 平常, 水量が少なく, 渇水時には伏流的になる。 ただし, これらの状態は, この地域より上流に大正末期から逐次 発電用ダムがつくられ, また農業用水の取水が増し, さらに近年 活溌に堤防工事, 上流の砂防工事が行なわれたことが影響している状態である。 黒部川は過去に幾度か氾濫して, この図幅地域に被害をもたらしたことがある。
片貝川 : 図幅地域内に, 河口付近の下流部だけが含まれている。 河床に砂・礫が厚く堆積し, 河水が伏流的に流れ, 天井川の傾向をおびている。
海岸 : 北半部の海岸線は, 黒部川扇状地が海に接しているため, 扇状地表面の等高線に並走するような弧状の輪郭を示して海側へ張り出している。 海岸には, 全体を通じて浜の発達がわるく, 浜の幅が数 10 m をこえる所はごく少ないが, 海岸地に海食崖がみられる所は多く, 処々に, かなり強い海岸侵食作用をうけている箇所がある(II.9 章参照)。
海底地形 : 田山・佐野(1952), 海上保安庁(1951, 1952)によって概説する。 この地域の海底は, 比較的急な勾配で西北西~北西方向へ低くなり, 深度 1,000 m 前後の富山湾床に達している。 深度約 100 m までは, 一般に 1~2 km の幅で連続する陸棚状の地形をつくっているが, 生地から芦崎の間ではこの幅が狭い。 陸棚斜面は, だいたい, 岸から 2~3 km 沖で深度 300 m, 3~5 km で 500 m, 6~8 km で 800 m に低下している。 陸棚斜面の上部には 10 本前後の洋谷が存在し, 経田 [ ← 片貝川の河口の南方 0.5 km ] の沖の深度 550~800 m 付近には小さい海底山脚とこれをはさむ谷状地形があり, 吉原 [ ← 図幅地域東端付近の海岸沿い ] の沖の深度約 250~600 m には東北東 - 西南西方向へ伸びる数段の階段状地形がある。 湾床部に属する深度 800~1,050 m の間には, ゆるい起伏があり, 1~3 km 間隔に支谷を分岐する谷地形が認められている。
なお, 田山・佐野(1952)は, 海底地形の特徴からいくつかの段丘と断層を推定している。
陸棚斜面上部にある上述の洋谷の形成期を地史的に考えれば, 深度 450 m 余りに達している洋谷は, 呉羽山礫層の堆積後~高位開析扇状地堆積物の堆積前の期間に, 深度 300 m 以浅に留まっている洋谷は, 高位開析扇状地堆積物堆積後~低位開析扇状地堆積物堆積前の期間に 形成されたと推定される。
三日市図幅地域の地表には, 第四紀の堆積物だけが分布している。 この第四系は, 第 1 表に示すように, 更新世前期と考えられる呉羽山礫層, 更新世中期・後期の扇状地堆積物・河岸段丘堆積物, 現世の扇状地堆積物・沖積堆積物および砂丘堆積物である。
| 地質年代 | 堆積物 | |
| 現世 | 扇状地堆積物 | 砂丘堆積物 |
| および | ||
| 更新世 | 沖積堆積物 | |
| 河岸段丘堆積物 | ||
| 低位開析扇状地堆積物 | ||
| 高位開析扇状地堆積物 | ||
| 呉羽山礫層 | ||
| 新第三系(露出しない) | ||
これらの堆積物は, 大部分が礫と砂からできており, 全体の厚さが数 100~1,000 m に達している。 呉羽山礫層などの更新統は, 海岸付近の平地の下にも広く存在し, さらに陸棚斜面の基盤になっていると推定される。
第四系をつくる粗粒砕屑物の供給源は, この地域の東方に分布する飛騨変成帯の変成岩・探成岩, 中生代の火山岩・深成岩, 新第三紀の火山岩などであり, この地域は, 第四紀において山麓扇状地性の環境におかれた場合が多かったと解釈される。 また, 呉羽山礫層が 10°前後, 高位開析扇状地の堆積物が数度, 低位開析扇状地の堆積物が 2~3°, 現世の扇状地面が 30' くらい西へ向かつて傾斜していることは, 飛騨・立山山地の隆起と西方の富山湾の相対的沈降が 更新世初期以降の地殻運動の大勢であったことを物語っている。
第四紀層の下位には, この地域の東方に露出する新第三系(第 1 図参照)の延長が 1,000~2,000 m の厚さで存在するとみなされる。
この礫層は, 富山市街の西方の呉羽山丘陵に分布する呉羽山礫層 (藤井・坂本(1961)の再定義による)にほぼ対比され, 更新世前期に堆積したと考えられる。 図幅地域内では, 高位開析扇状地堆積物の下位を占めて, 布施川北岸の阿弥陀堂・中陣付近に露出している。 模式地では呉羽山礫層として厚さ数 10 m の地層しか知られていないが, ここでは層厚数 100 m の地層がみられる。 図幅地域周辺の呉羽山礫層は, 第 1 図に示したようにかなり広い範囲に露出しており, さらに, 地層の堆積状態と地質構造から考えると, 図幅地域内の平地下全域に伏在するとみなされる。
呉羽山礫層は, この地域内で高位開析扇状地をつくる礫層によって不整合に覆われており, 隣接の魚津図幅および黒部図幅地域内で, 鮮新統と考えられる室田累層の上に不整合に重なっている。 個々の露出での地層の傾斜(西へ 10~20°), 成層の状態, 南隣の魚津図幅地域の構造から判断すると, この地域での構造は, 全体として西へ 10°弱で傾く単斜構造と推定され, 厚さは, 露出している範囲について 400~500 m と見積もられる。
地層は, おもに中礫礫層から構成されているが, 上下を通じて大礫礫層・巨礫礫層 [ 以下の [注] 参照 ] がかなりまじり, 下部にシルト質細粒砂層が含まれている。 礫層は, 概して, 無層理か, あるいは厚さ 1~3 m(部分的に数 10 cm)おきの層理を示していることが多い。 ただし, これらの層理は, 礫の大小, 礫の疎密, または礫の配列によるものであるから余り明白ではない。 礫層の基質は淘汰のわるい砂で, 細礫からシルトまでが混合しており, 比較的量が多い。 基質の砂は一般に石英・長石が多く, 粒が角張り, 一部では黒雲母を目立つほどに含んでいる。
礫は, 全般に亜円礫と亜角礫が多く, この地層の下部には亜円礫が, 上部には亜角礫が優勢に含まれる。 なお, 上部には扁平な形の礫がかなり認められる。 礫の岩石種については, 大多数が酸性火山岩(流紋岩など) [ 以下の [注] 参照 ] および酸性深成岩(おもに花崗岩閃緑岩)であり, 少数が片麻岩・片麻状酸性深成岩・珪質岩(石英片岩など)・安山岩などである。 この礫種の組合わせは, 地層の上下を通じて根本的には変わらないが, 酸性火山岩に関して, 斑状の流紋岩類(熔結凝灰岩がかなりある)が下部に多く, ガラス質および隠微晶質の流紋岩が上部に多いという変化が認められる。
呉羽山礫層は, 元来 固結していない地層であるうえ, 風化によって礫が半ばもろくなっているため, 全体が相当軟弱である。
この堆積物は, 厚さ 100 m 余りの礫層で, 呉羽山礫層を不整合に覆って, 台地を構成している。 Ⅰ.1 項で述べたように, 台地は, かなりの開析をうけているが, 扇状地の一部としての特徴をそなえており, 地形の復元によって それぞれ形成期の違う扇状地面に当たると思われる Ia・Ib・Ic の3部分に分けられる。 このうち図幅地域内に露出しているのは Ib・Ic の部分を占める堆積物である。 Ib と Ic とは, ほぼ阿弥陀堂と中山を結ぶ線によって境され, その東側が Ib, 西側が Ic であって, 扇状地面の勾配, 開析状態および堆積物の性質が違う [ 以下の [注] 参照 ] 。 なお, 堆積物は全体として数度の西向き傾斜で分布し, 平地下にもかなり拡がっていると推定される。
Ib の堆積物 : 大部分が大礫を多く含む礫層であって, 厚さが 100~150 m に及んでいる。 阿弥陀堂付近の大きい崖で巨礫を含む大礫礫層がよくみられる。 その礫の大多数は直径 13 cm 以上の大礫であり, 最大礫は径 40 cm 余りの巨礫である。 礫の円磨度は, 円形ないし亜角形で, 亜円形がもっとも多い。 礫の岩石種は, 径 3 cm 以上の礫については, 量の多いほうから 花崗閃緑岩・酸性火山岩(流紋岩など)・片麻岩・片麻状深成岩・安山岩が普遍的で, ほかに中生代の細礫礫岩などがある。 径 3 cm 以下の中礫については, 花崗閃緑岩・酸性火山岩が多量, 珪質岩・片麻岩・片麻状探成岩などが少量である。
礫層は全体に風化をうけて, 基質と礫の半数以上とが軟弱になっている場合が多い。 とくに表層はいわゆる赤色・褐色の古土壤に属すると思われる土壤に変わっている。 このような状態は中山付近でもっともよくみられ, 表層約 3 m がほとんど土状になり, そのなかにわずかに花崗閃緑岩などの風化小片が残存している。 土壤は, おもに淡黄褐色であるが, 表面近くが黄褐色~褐色あるいは赤褐色, 所によって腐植質のごく表層が濃褐色をおびている。 土壤のなかには, 礫層の組織が残っていることがあるが, 元来の位置で礫層が土壤化した部分とともに, 礫層風化物の崩土から由来した部分がかなり含まれているようである。
Ic の堆積物 : 厚さが 100~130 m と見積られ, おもに大礫礫層からなっている。 一般に, 径 10~30 cm の礫が多く含まれ, 最大礫の径は 50 cm をこえる。 礫の円磨度については, 大礫・巨礫の大部分は亜円形と亜角形, 中礫の多くは普通に亜角形, 所によつて亜円形を示している。 礫の岩石種については, 径 3 cm 以上には, 花崗閃緑岩がもっとも多く, 次に片麻状花崗閃緑岩・片麻状石英閃緑岩・片麻岩・酸性火山岩が多く, 安山岩が少量, 中生代の細礫礫岩・結晶片岩・石灰岩などが微量含まれており, 径 3 cm 以下には, 珪質変成岩(石英片岩など)・チャート・花崗閃緑岩類・酸性火山岩が多い。 礫層の基質は, 淘汰のわるい砂であって, 比較的量が少ない。
堆積物は, 全般に深くまで風化をうけ, 表層が土壤化している。 風化の状態は表層から下層へ向かって次のようである。
| 推定層厚(m) | ||||
| 1-a | 黄褐色~赤褐色土 | 0~1.5 | ||
| 1-b | 黄褐色土 | 0~2 | ||
| 2 | 赤褐色~黄褐色の礫層風化土 | 1~5 | ||
| 3 | 赤褐色~黄褐色の大部分風化した礫層 | 5~20 | ||
| 4 | 半ば風化した礫層 | 10~30 | ||
| 5 | 部分的に風化した礫層 | 数 10 | ||
1-a は分布が狭い。 火山灰起源の土壤とも考えられるが, 粘土状に変わっていて母材が明らかでない。
1-b は, 1-a に覆われることはなく, 別個に表層を占め, 褐色や赤褐色をおびる部分を含む。 一般に花崗閃緑岩などの風化した小片が含まれ, 礫層の風化物が地表を移動した後に土壤化したものとみなされる。
2 は, 礫層全体が原位置で土状に変わったものである。
3 は, 礫層が大部分軟弱化したものである。 硬いままで残っている礫は, 細粒な花崗閃緑岩, ガラス質の流紋岩質岩石などの礫である。
4 は, 半数ぐらいの礫が硬いままで存在し, 粗粒な花崗閃緑岩・ 半晶質や隠微晶質の流紋岩質岩石・ 安山岩・ 粗粒な片麻状深成岩などの礫が軟弱になっている。
5 は, 礫層の基質と一部の礫とが軟化している。 軟化している礫は, おもに, 粗粒な花崗閃緑岩と安山岩との礫である。
若栗 [ ← 三日市の東方 4 km の図幅地域東端 ] の南西方で, 1-a と 3 にあたる土壤が, 黒部川扇状地の田地への客土材料として採取された。 3 と 4 の部分は, 谷壁での崖くずれを起し易い。 5 の部分の崩壊物中からは石材として玉石などがとれる。
[ 以下はこの「II.3 高位開析扇状地堆積物」の項の全体に関する記述 ]
高位開析扇状地の堆積物が上述のように深層まで風化していることは, 注目に値することである。 これは, 堆積物が, ほかの堆積物に覆われたことがなく, しかも大河川の侵食から免れて, 削剥より風化を先行してうける位置におかれてきたためであり, そのうえ, 次のような風化に有利な条件が加わっていた結果であろう。 風化を促進したおもな条件としては, 扇状地堆積物が透水性の大きい礫層であり, 下位の呉羽山礫層もまた未固結の砂礫層であったこと, 氷期~間氷期間の海水準変動に応じて地下の水理状態がかなり変動したであろうこと, さらに更新世においてもこの地域が南東方に高山地を控えていて多雪, 多雨な気候になり易かったことが挙げられる。
高位開析扇状地堆漬物の堆積時期は, 藤井(1965)によつて, 表層に赤色土壤が存在することから, 松井・加藤(1962)の研究結果と比較して, いわゆる 下末吉 期(Riss - Würm 間氷期)あるいはそれ以前と推定されている。 現在これ以上くわしいことがわからない。
この堆積物は, 厚さ 20~30 m の礫層で, 削剥をうけた高位開析扇状地堆積物の西縁を不整合に覆って, 高位開析扇状地より一段低い扇状地をつくっている。 低位開析扇状地面の前縁は沖積平地面と交差しているが, 両者の堆積物間の関係は直接みられない。
礫層は, 径 13 cm 以上の大礫を多く含んだ大礫礫層で, 中礫と巨礫をかなりの量まじえている。 礫は, 亜円礫がもっとも多く, 亜角礫と円礫が次に多い。 礫の岩石は, おもに 花崗閃緑岩(比較的細粒なものが多い)・ 斑状の流紋岩類(熔結凝灰岩を含む)および珪質岩(石英片岩など)である。 高位開析扇状地の堆積物に較べると, 全体として, 礫の径が小さく, 円磨がよく, 斑状の流紋岩質岩石・珪質岩などの堅硬な岩石の礫が多い。 また, 高位開析扇状地堆積物の上半部ほどには風化されていない。 なお, 低位開析扇状地堆積物の表層には, 数 10 cm から最高 1.5 m 前後の厚さをもった黄褐色の土壤が存在している。
この堆漬物は, 厚さ数 m の礫質堆積物であって, 布施川の下流の北岸にわずか分布している。 上面は, 布施川の谷平地面(水田面)より 7 m 前後高い。 表層に黄褐色の土壤がみられ, 本体の礫層も風化して軟弱である。
これらの堆積物は, 更新世末期から現世後期にかけて, 厚い所では数 10 m の厚さに集積したもので, 黒部川扇状地をはじめ諸低地を構成している。 堆積物の性質については, 地下に関する資料が少ないため後述の程度しかわからないが, おそらく, 黒部川から供給された扇状地堆積物が大きい割合を占め, これに諸種の河川堆積物, 沼沢・潟湖・三角洲・浅海の堆積物が組合わさっているものと推測される。
表層 : 富山県庁の表層地質調査(藤井, 1963)によって全容が明らかにされ, 表層地質図として示されている。 この調査では, 深さ数 10~100 cm に達するまでの堆積物が 検土杖 [ boring stick ] によって調べられている。 その結果によると, 多くの場所で, 20~数 10 cm 以浅が砂・泥, 以探が礫質層である(この境は所によっては数 10 cm より深い。 表層の砂・泥は 黒部川などの氾濫原堆積物が土壤化して細かくなったものとみなされている)。 表層が砂である場所は, 海岸付近と黒部川沿岸であり, 黒部川の南側, とくに開析扇状地の周囲と布施川の谷内平地の表層は, 概して泥である。 このほかの地域では, 一般に砂泥(砂と泥の混合物)が表層を占め, とくに黒部川の北では黒部川沿岸と海岸付近を除いて砂泥が普遍的に分布している。
北部の吉原付近にある高さ数 m の海食崖では, 第 5 図(後述する「II.9 海浜堆積物と海岸浸食」の項で示す) の ①・② に示したように, 下位に厚さ 1~1.5 m 以上の礫層があり, その上を, ① では厚さ 1 m の微細粒砂貿泥が, ② では厚さ 1 m の無層理な海浜成の細・中粒砂が覆っている。 ① の砂質泥の基底部には, 厚さ数 cm の腐植質泥とその上に重なる厚さ 1 cm の灰白色粘土が認められる。 下位の礫層は, 無層理の大礫礫層であって, 基質が粗粒から細粒にわたる砂である。 礫は, 直径がおもに 5~20 cm, 最大 50 cm 余りで, 亜円礫と次に亜角礫が多く, 大部分が花崗閃緑岩・花崗閃緑岩質片麻岩・珪質の片岩からできている。
以上述べた表層の堆積物について, 黒部川扇状地の大部分と片貝川・布施川などの谷平地に分布しているものは, それぞれの河川によって供給された堆積物にあたるが, 其木 [ ← 平曽川の河口の北岸 ] 付近以南の海岸に近い平地の表層は, 砂丘や浜堤の背後にできた湿地の堆積物であると指摘(奥田, 1951 ; 深井, 1952 ; 藤井, 1963)されており, 前述のように吉原付近の表層もまた浜や海岸地の堆積物である。
黒部川扇状地堆積物の表層は, 一般に水田の耕土にされているが, 籟瀬(1957)が述べているように, 概して耕土に適する土壤の深さが浅く, 保水性が小さいので肥効成分の流亡がはげしいという欠点をもっている。 近年, この耕土としての欠点を改良するため, 大規模な流水客土が扇状地の全域にわたって実施された。 客土材として, この図幅地域内からは, 若栗 [ ← 三日市の東方 4 km の図幅地域東端 ] の南西方の高位開析扇状地の赤色土が使われた。
下層 : 海岸近くの地域について, 10 本ほどの深井戸の試錐記録(藤井, 1963 ; 野間・高橋, 1960 ; 森,1962 ; 経済企画庁, 1963)がある。 このうち代表的な井戸の柱状図を第 3 図に示す。 これらの資料によると, 数 10~100 m 以浅の堆積物は, おもに砂層や礫層からなり, 泥質層をはさんでいる。 泥質層は数 10 m 以浅に多く, 所によっては相当の割合を占めて連続的に存在していると判断される。 これらの柱状資料のうちでは, 数 10 m 以浅がほぼ広義の沖積層(約 2 万年前以降の堆積物)に属し, 以深が 開析扇状地堆積物の延長あるいは それと前後する時期の堆積物にあたるのであろう。 なお, 藤井(1965)によると, 石田 [ ← 黒瀬川の河口から北東方 1.5 km ] 付近の地下 30~50 m に貝殻層や Laebiostrombus Japonica [ Laebiostrombus japonicus(シドロ)? ] を含んだ泥層がある。
砂丘は黒部川・片貝川の河口付近の海岸など, 数カ所に分布している。 どの砂丘も, 面積が 0.5 km2 未満の小さいもので, 高さが数 m を超える所はごく少なく, 内陸への拡がりが一般に 500 m に達していない。 地質図には, 低平な飛砂の集積地も, 砂丘に加えて記入してある。
砂丘地は, すでに, 松の植樹林などによって, ほとんど固定されて砂の移動が弱くなっており, 海食をうける箇所も海岸堤防で守られている。 また, 陸側の平坦な部分には, 古くから集落があり, 畑地がかなり拡がっている。
これらの砂丘の前面には, たいてい海食崖が認められ, この地域の砂丘の特徴となっている。 しかし, 全般の形状、 とくに風向方向の断面形については共通点が少ない(第 4 図参照)。 其木( 園家山 )と 越湖 の砂丘は, 内陸側へ寄った位置に標高 10 m を超える最高部があり, 海側が起伏をもった緩斜面, 陸側が急斜面になっている。 芦崎と荒俣の砂丘は, 高さが数 m 以下であって, 後浜のすぐ内側にもっとも高い部分があり, 陸側へ緩やかに低くなっている [ 以下の [注] 参照 ] 。 以上の4つの, 黒部川の河口付近の砂丘は, 所によって, それぞれ中粒・細粒砂あるいは粗粒・中粒砂が主体になってできており, 砂丘の高まりの伸びが N 10°E - S 10°W ないし N 40°E - S 40°W の方向性をおびている。 なお, 荒俣と越湖の砂丘の海食崖では 飛砂の下に浜の堆積物である含礫粗粒・中粒砂や細粒砂があるのがみられる ( [ 後述する「II.9 海浜堆積物と海岸浸食」の項に示した ] 第 5 図および第 6 図参照)。
片貝川の河口の両側にある砂丘地は, 後浜の堆積物より 1~2 m 高い程度の砂地で, 処々 NE - SW の方向性をもった波形の緩い起伏を含んでいる。 ここの飛砂は細粒砂から粗粒砂にわたる粒度の砂である。
これらの砂丘は, おもに現世の中期に発生, 成長し, 後期に海食をうけたと思われ(後述する「II.9 海浜堆積物と海岸浸食」の項参照), そのなかでそれぞれ違った経過をたどってきたと考えられる [ 以下の [注] 参照 ] 。 現在は浜から供給される砂が全般に少ないから, 片貝川の河口付近以外の砂丘は, 消滅して行く傾向にある。 しかし, 砂丘の人工固定を解除すれば, 風によって飛砂の害をうけるようになるであろう。
黒部川 の河床堆積物は, 礫と砂が混合したものであって, 主粒度や砂・礫比がごく狭い範囲内でもかなり変化している。 このうち, 黒部橋付近と河口付近では次のような性質をもっている。
黒部橋(旧名は桜井橋)周辺の河床では, 礫勝ちかあるいはわずか砂勝ちの砂・礫堆積物が多く認められ, 礫まじりの砂は比較的少なく, とくに砂ばかりの堆積物は局部的にしかみられない。 この付近の礫は, 大部分が礫と中礫であって, 50 cm 程度の最大径を示し, 一般に, よく磨滅されて亜円形あるいは円形である。 また球状の礫が優勢に認められるが, 相当な割合を占めて扁平な形状の礫が存在している。 礫の材料は, おもに花崗閃緑岩・片麻状石英閃緑岩・結晶片岩であって, 一部が珪質岩・流紋岩・玢岩・中生代礫岩・変質斑糲岩などである。
河口付近では, 粒度が全体として黒部橋付近より小さく, 礫はおもに中礫と径 13 cm 以下の大礫で, 最大径が 30 cm 前後であり, 砂は一般に泥質であって, 礫より量比が大きい。 礫の岩石は, 黒部橋付近とだいたい同じであるが, 花崗閃緑岩が減り, 珪質岩が増している。
片貝川 の河口近くでは, 河床に, 礫の多量混じった砂が厚く堆積している。 礫は, だいたい直径 30 cm 以下で, 大部分が中礫と径 13 cm 以下の大礫である。 礫の岩石種は, 花崗閃緑質片麻岩・花崗閃緑岩・閃緑岩質片麻岩・珪質結晶片岩などである。
黒部川・片貝川の河床の礫・砂は, 土木建築用に利用されている。
この地域の海には, 黒部川・片貝川から礫まじりの土砂が多量に排出されるが, 海岸には, 浜が発達していなくて, 侵食をうけている箇所が多い。 海岸侵食の対策には, 近年大きな努力が払われている。
海浜堆積物 : 昭和 33 年 11 月に観察したところ, 第 5, 6 図に示したような状況が認められた。 全般に, 礫をかなり含む砂が堆積している所が多いが, 一部には, ほとんど礫あるいは砂ばかり集積した箇所がある。 礫には, 花崗閃緑岩・片麻状深成岩・片麻岩・結晶片岩が多く, そのほか玢岩・珪質岩・安山岩などがある。 礫の多くは, 黒部川・片貝川から排出されたものらしいが, 海食が強い所などでは, 扇状地礫層から最近削り出された礫が相当認められる。
浜の堆積物に対する海食の進行について, 堆積物の性質や海岸地の地形から判断すると, 第 5 図に記入したように, (1) はげしく海食をうける箇所(強い海食作用が働くと思われる), (2) 侵食が少しずつ進行するか, あるいは侵食と堆積がだいたい均衡している箇所 (海食営力が弱い場合とは限らない, 堆積物が供給されるため海岸地に侵食が及ばないと考えられる場合がかなりある), (3) 浜に堆積物が増加される傾向にある箇所, の区別がつけられる。
海岸侵食 : これに関しては, すでに, いくつかの観点から研究が行なわれ, 富山県の海岸対策協議会の報告類をはじめ, 多数の論文が発表されている。 ここでは, 海岸侵食に関連する地質現象の変遷をとりまとめ, 地史的観点から考察を加える。
記録上, 海岸線の後退がもっとも大きかったのは, 吉原付近とみられている。 吉原の集落は, 奥田(1951)によれば, 明治以前にも海岸線の後退によって内陸へ移動されていたが, 明治時代に入ってから, とくにはげしい移動をうけてきた。 奥田(1951)の付図によると, 吉原付近の海岸線は, 明治 43 年以後 100~200 m も後退している。
地盤の昇降については, この地域が更新世中期以来 傾動していたので, 現在の海岸付近では, 沈降が起こった場合と隆起が起こった場合とがあったであろうが, 更新世中期・後期の扇状地堆積物の位置から推定すると, 沈降や隆起が大規模に起こったことはないとみなされる。 2,000~3,000 年以降には, 藤井(1964, 1965)が述べているように, 堆積物自体の沈下を上回って 1 m 未満の上昇があったと推定され, また, 最近の 30 年間には, 水準測量の結果から, この地域が上昇性をおびていたことが明らかにされている。
海水面の変化については, 富山地方の全体が, 少なくとも更新世後期以降, 普遍的な海水面昇降の影響をうけてきている。 諸氏の研究(藤, 1965a, 1965b ; 藤井, 1964 ; 北陸第四紀研究グループ, 1962)によれば, Würm 氷期の最大海退期(約 2 万年前)以降上昇を続けた海水面が, 現世の縄文前期(6,000 年前頃)に現在の基準面から約 6 m まで高まり, その後低下に向かい, 縄文中期から弥生期にかけては低く, 3,000~4,000 年前頃に 現在の基準面下 1~2 m まで低下していたと推定されており, 弥生期末頃(約 1,500 年前)から ふたたび海面が上昇して現在の水準になったとみなされている。
黒部川扇状地の堆積は, 後背の高山地から供給される多量の氾濫砕屑物と排出砕屑物が 扇状地や海浜に集積することによって継続してきたのであって, 更新世の末期以来, 多くの場合, 海面上昇, 地盤沈降, 海岸侵食の影響に打勝って進行してきたと思われる。 黒部川扇状地の変遷は, 先に「II.6 扇状地堆積物および沖積堆積物」の項で紹介した 藤井(1965)の考察などを参考にして, 次のように推測される。 Würm 氷期の最大海退期から現世初期(約 1 万年前)までは 海面がかなり急速に上昇したが, 扇状地は, 少なくとも, 三日市から舟見野あるいは入膳(図幅地域外, 先に示した第 7 図参照)を結ぶ線から内陸では成長を続けていた。 その後, 約 6,000 年前までの期間は, 以前より緩やかに海面が上昇したのであるが, 扇状地の面積が拡がり, その前面の海岸線も長くなったため, おそらく, 扇状地や前面の三角洲などの発達が鈍くなって, 扇状地と海の境は三日市と入膳とを結ぶ線, あるいはそれより少し海側へ寄った位置を占めて一進一退していた。 そして, この間に, 現在の扇状地のなかに認められる多数の黒部川の旧流路が形成されたものらしい。 約 6,000 年前以降, 2,000~3,000 年前までの間には, 海面の低下に応じて, 扇状地の前面に海浜の堆積物が堆積し, 砂丘ができ, 湿地堆積物・氾濫堆積物が拡がっていった。 この間に黒部川の流路が現在の位置に定まり, また, この終わり頃に陸地が扇状地を土台にしてもっとも海へ張り出した。
以上述べた諸種の地史的状況を総合すると, 現在, 黒部川扇状地の前面で進んでいる海岸侵食は, 著しい地盤沈降または海面上昇があることによって起こっているのではなく, 黒部川扇状地が更新世末期以降に急速に発達して海側に突出し, とくに, 約 6,000 年前の海水面の最高期以後おもに海水面の低下, 陸地の隆起という環境変化によってその前縁に平地を拡げていたので, 海水面の低下が止まるにつれて 海食営力を強くうけはじめた現象として起こっていると解釈される。
現在の海岸侵食は, 3,000~4,000 年前を中心とした海面低下期が終わる頃から起こりはじめ, おそらく, 1,500 年前頃から一定の傾向をもって進行してきたものと推測される。 この海面低下期に, 陸地がもっとも海へ張り出していた位置を, 海岸地・海底・砂丘などの地形から推定し, その後の海岸侵食によって陸地が後退した量を見積もれば, 吉原付近で最大数 100 m, 黒部川河口周辺で 100 m 程度の侵食をうけてきたとみなされる。
この地域では, 鉱産資源があまり得られないが, 現在, 地下の資源として, 地下水・鉱泉などが利用されている。
黒部市 生地 町付近で, 食塩泉に属する鉱泉水(温泉水相当の固形成分を含む)が得られ, 一般の浴用として利用されている。
生地町 字, 角内田 3395 番地の湧出水は, 明治 44 年に内務省衛生試験所で分析され, アルカリ性食塩泉と判定されている。 また, 大正 15 年に, 生地町 字, 吉田新 214 番地の深さ 40 間の穿井の水が, 望月直・志甫徳次郎の分析によって, 硫黄および土類を含む食塩泉(3,635 マツへ [ mache or M.E. ] の放射能を伴う)として記録されている(富山県衛生試験場鉱泉台帳, 昭和 6 年編による)。 昭和年間にも, 第 2 表に示した鉱泉水が認められ, 利用されてきた。
| 1 | 2 | 3 | |
| 残存固型 物質総量 | 9,850 | 11.504 | 17,580 |
| K+ | 207.32 | 79.74 | 199.64 |
| Na+ | 2,674.86 | 3,404.16 | 5,495.26 |
| NH4+ | 0.45 | 微量 | - |
| Ca2+ | 132.97 | 144.33 | 220.77 |
| Mg2+ | 316.55 | 358.72 | 372.29 |
| Fe2+ | 0.02 | 0.35 | 0.65 |
| Mn2+ | 0.15 | 痕跡 | 0.53 |
| Al3+ | 0.52 | 3.12 | 0.28 |
| Cl- | 4,935.61 | 5,951.41 | 9,824.80 |
| HCO3- | 98.82 | 148.84 | 172.02 |
| Br- | - | 痕跡 | 111.76 |
| SO42- | 649.59 | 807.17 | 214.16 |
| HPO42- | 0.04 | 痕跡 | 痕跡 |
| H2SiO3 | 17.55 | 20.20 | 18.04 |
| CO2 | 17.77 | 5.28 | 8.52 |
| pH | 微弱酸性 | 7.3 | 7.4 |
これらの鉱泉水は, 扇状地堆積物・三角洲堆積物を主にした 現世・更新世の堆積層中から採水されており, その化学組成から, 成因上 海水と深い関連をもっていると考えられる。
この地域の低地には, 一般に地下水がゆたかで, なかでも現世扇状地の末端部では, その堆積層中に, 黒部川などの表流と天水から涵養された比較的質のよい地下水が多量存在している。 自由面地下水は, 低地の諸集落で利用されているが, 被圧面地下水は, 海岸近くで工業用水・飲用水として部分的に使用されているにすぎない。 今後の有望な地下水資源としては, 黒部川の下流部沿岸などの被圧面地下水が注目されている。
次に, 既存の文献によって, おもに現世の黒部川扇状地での賦存状態について概説する(第 7 図参照)。
黒部川扇状地の地下水は, だいたい, 扇状地に特有な形式で存在していて, 地形上の扇央部である図幅地域東部が地下水の通過帯, その下流側が湧水帯, 海岸近くが自噴井地帯にあたっている。
黒部川扇状地の自由面地下水 については, 吉田(1941~42)が, はじめて扇状地全域にわたる地下水面等高線図をつくり, 扇状地の頂部から海岸に達する断面で, 扇頂から約 2 / 3 隔たった付近に地下水面の傾斜変換点があり, それまでは地下水面の傾斜が大, それ以遠は小であることをとらえた。 扇状地表面の勾配がほぼ一定しているから, 地表から地下水面までの深さは, 扇状地の中間部で深く, 末端部できわめて浅くなる。 吉田が調査した昭和 15 年 8 月には, 図幅地域内の若栗・荻生付近 [ ← 黒部川の南方 1 km ] と福島付近 [ ← 黒部川の北方 1 km ] とがもっとも地下水位の低い地帯となっていて, 地表から地下水面までの深さが 10~13 m であった (当時の利水施設はすでに現状に近くなっていた)。
この扇状地地下水の通過帯にあたる地下水位の低い地帯は, 昭和 34 年 10~11 月に行なわれた 野間・高橋(1960)の調査結果にもよく現われている(第 7 図)。
地下水位は, 海岸に近づくと相対的に高くなり, 黒部川以南ではだいたい標高 10 m の等高線に沿って, 以北ではおおよそ 15 m 等高線に沿って湧水が認められ, 杉林となっている湿潤地(杉沢と呼ばれている)が多く存在する。
臨海地帯の被圧面地下水 の賦存状況は, ある程度知られているが, 海岸から離れた地域の被圧面地下水に関しては, 深井戸がないので実態がわかっていない。
臨海地帯の被圧面地下水は, 多くの場合, 地下 20~25 m にある粘土質層(現世堆積物に属する)より下の 砂・礫層に滞水しており, この地域最深の 130 m の深井戸底まで滞水が認められているが, 滞水の基底や成層状態は不明である。 深度 30~40 m の井戸で取水されている例が多く, 2 m 以下, 所によって 4 m までの自噴能をおびているという。
野間・高橋(1960)によれば, 昭和 34 年 10~11 月に測定された水の比抵抗 [ 電気抵抗率 ; 慣例的な単位は Ω・cm ] は, 黒部川の両岸で 12,000 Ω-cm 以上, 黒部川から離れるに従って両側とも値が減り, 生地・石田付近で 8,000 Ω-cm 以下, また片貝川近くで 10,000 Ω-cm 内外であった。 野間・高橋は, 地下水が黒部川の沿岸でもっとも盛んに流動しているとみなされ, 片貝川近くでは片貝川水系の水が滲透していると考えられると述べ, また, 水の比抵抗とだいたい逆の関係をもって, 水温が 11~14 ℃ の範囲で変化することを明らかにしている。
臨海地域の被圧面地下水の pH は, 中性ないし弱アルカリ性の場合が多く, 全硬度は比較的低く, Cl- は 2~5 ppm 程度である(高倉, 1950, 1951, 1960 ; 高倉ほか, 1962)。
地下水の産出量 は, 森(1962)によって, 第 7 図のように見込まれている。 野間・高橋(1960)は, 黒部川の下流沿岸地帯が, 地下水を多量に求めることができる地域であり, とくに黒部橋付近から少し下流へかけての黒部川右岸地帯において, 被圧面地下水が豊富に期待されることを指摘している。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Kanazawa (10) No. 17
By Yasuo SUMI (Written in 1965)
The mapped area is situated in the northeast of Toyama prefecture, central Japan, and represented topographically by the lowlands along the east coast of Toyama bay. The lowlands occupy the down-stream of the river Kurobe and is covered with the Quaternary sediments, about 500 m thick. The stratigraphic succession of the deposits of Quaternary age is shown in Table 1.
| Geological age | Deposits | |
| Recent | Fan deposits | Sand dune deposits |
| and alluvial deposits | ||
| Pleistocene | River terrace deposits | |
| Lower dissected fan deposits | ||
| Higher dissected fan deposits | ||
| Kureha-yama gravel bed | ||
| Neogene Tertiary (Not exposed) | ||
It should be noted that fanglomeratic deposits, among others, prevail throughout the whole sequence. This fact suggests that since early Pleistocene the area has been tilted westward on one hand and the back mountainous area around the Hida mountains has been eroded away vigorously on the other.
Kureha-yama gravel bed has a thickness of about 400 m and is composed of cobbly gravel with a little amount of sand. The strata exposed locally along the valley of the river Fuse, beneath the higher dissected fan deposits, must be distributed widely under the ground, extending to far the continental slope in the east of Toyama bay. In the eastern adjacent area, this bed rests on the Pliocene with an erosional break.
This fan, though originally distributed broadly, lost its greater part by the dissection in late Pleistocene, and is preserved only in the southern part of its original extent at present.
The deposits are 100 to 150 m in thickness and are composed mostly of cobbly beds with some boulders. Their upper part about 20 m thick is considerably decomposed, particularly being turn into reddish-brown soil at the top of nearly 3 m thick. As the strata were inclined westward by the tilting subsequent to their deposition, the original surface plain of the fan has a westerly inclination of 3° to 6° and at present decreases from 400 m above the sea in the east to 100 m in the west.
The fan is situated below 100 m high on the west side of the higher fan. Forming a surface plane which is not so much dissected as that of the higher fan, the deposits with a thickness of about 20 m lie unconformably on the eroded surface of the higher fan deposits and are mantled with yellowish-brown soil of 1 m thick. Because the coarse clastic materials were derived from the previous fan deposits, the lower fan deposits are composed mainly of gravels which are maturer than those of the higher.
It is considered that the fan was formed at a stage within the Wurmian glacial age and its sediments in the coastal area are covered by the younger ones underground.
Along the river Fuse, there is found a terrace gravel bed deposited by the river in about latest Pleistocene. Decomposed cobbly beds together with a sheet of brown soil constitute the deposits which are below 10 m thick.
After the period of the greatest lowering of sea level in the Wurmian stage, the area became a depositional area once again, and sediments such as fan, flood plain, marsh and sand dune deposits prevailed therein to make the nearly present configuration.
It attracts one's attention that in early Recent the river Kurobe, changing its course, splendidly enlarged its fans by the deposition of stream loads which have decreased ever since. The most part of the coastal area has been eroded away incessantly since the latest Recent epoch and in this connection the sand dunes also have suffered erosion enough to take the present abnormal shape.
It is known that particularly at certain places within the north of the area, coastal erosion has taken place as far as 100 m landwards for a hundred years or so to lose some parts of the coastal area and will continue for the future.
In this area, some ground water and mineral water are in use.
The mineral water at Ikuji has been locally used for bath from old times. Every mineral water is gathered from the Quaternary strata that consist mainly of fan and delta deposits, and its chemical composition has some resemblance to the sea water's.
Ground waters are richly contained in the sand and gravel beds of late Pleistocene age all over the area. Above all, the confined ground water near the mouth of the river Kurobe is most abundant and useful.
昭和 42 年 1 月 25 日 印刷 昭和 42 年 2 月 1 日 発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所 (C) 1967,Geological Survey of Japan