08073_1979
地域地質研究報告
5万分の1図幅
東京(8) 第 73 号
地質調査所 環境地質部 岡重文
新潟大学 理学部 島津光夫
地質調査所 環境地質部 宇野沢昭
地質調査所 環境地質部 桂島茂
地質調査所 環境地質部 垣見俊弘
昭和 54 年
地質調査所
目次 I. 地形 I.1 山地 I.2 丘陵・台地・河岸段丘 I.2.1 相模川東岸 I.2.2 相模川西岸 I.3 低地 II. 地質概説 II.1 丹沢山地の地質 II.2 相模平野の地質 III. 小仏層群 IV. 新第三系 IV.1 大山亜層群 IV.1.1 唐沢川層 IV.2 煤ケ谷亜層群 IV.2.1 不動尻層 IV.2.2 大沢層 IV.2.3 谷太郎層 IV.2.4 寺家層 IV.3 愛川層群 IV.3.1 宮ケ瀬層 IV.3.2 舟沢層 IV.3.3 中津峡層 IV.3.3.1 中津峡凝灰岩 IV.3.3.2 順礼峠礫岩・砂岩・泥岩 IV.4 貫入岩類 IV.5 変質 IV.6 三浦層群,上総層群およびそれらの相当層 IV.6.1 中津層 IV.6.2 藤沢付近の上総層群 IV.6.3 多摩丘陵の上総層群 IV.6.4 大磯丘陵の鷹取山層 V. 第四系 V.1 相模層群(古期ローム層を含む) V.1.1 長沼層 V.1.2 屏風ガ浦層 V.1.3 大庭砂礫層および雑色ローム層 V.1.4 下庭層および下庭ローム層 V.1.5 座間丘陵礫層および藤沢ローム層 V.1.6 早田層および早田ローム層 V.1.7 七国峠層および七国峠ローム層 V.1.8 土屋層および土屋ローム層 V.1.9 下末吉層および下末吉ローム層 V.2 新期段丘堆積層および新期ローム層 V.2.1 善行礫層および武蔵野ローム層下部 V.2.2 相模野礫層および武蔵野ローム層中部 V.2.3 台砂礫層および武蔵野ローム層上部 V.2.4 中津原礫層および立川ローム層下部 V.2.5 田名原礫層および立川ローム層中部 V.2.6 陽原礫層および立川ローム層上部 V.3 沖積層 V.4 埋没段丘 V.5 軽石流堆積層 V.6 ローム層の鍵層と鉱物組成 V.7 丘陵・台地別の第四紀地質 V.7.1 相模川東岸 V.7.2 相模川西岸 V.8 第四紀の構造運動 VI. 応用地質 VI.1 温泉・鉱泉 VI.2 地下水・地盤沈下 VI.3 骨材・砕石 文献 付図 Abstract
地域地質研究報告
(昭和 53 年稿)
5万分の1図幅
東京(8) 第 73 号
藤沢地域の地質の研究は 昭和 49 年から 51 年までの野外調査に基づいて実施し, 丹沢山地の新第三系については島津が, その他の新第三系と白亜系については垣見が, 平野とその周辺の第四系については岡・宇野沢・桂島が それぞれ分担した。
本地域の第四系に関しては, 昭和 48 年以降に 関東 第四紀研究会が 藤沢および大磯丘陵地域において団体研究を行い 広範囲に地表調査を実施した結果, 新たな見解を表明している。 また, 昭和 49 年から 52 年にかけては, 地質調査所の地震予知研究において 第四紀の地殻変動の解明のための野外調査と オールコアボーリング(合計 17 本 ; 総深度 559 m)を実施した。 これらの調査資料にもとづいて新たな知見を得ることができたが, これは本研究を進めるに当り きわめて有益であった。
丹沢山地の調査には新潟大学の小松宏昭, 成田賢の両氏に協力していただき, また 現地では山岸雅・ 同秀香 [ ← 山岸秀香 ? ] の両氏に種々 便宜をいただいた。
第四系の研究を進めるに当り 都留文化大学の上杉陽 助教授, 日本大学の遠藤邦彦 博士には 現地においてローム層について検討していただいた。 ボーリングコアについては 上記の両氏および東京都立大学の町田洋 助教授に検討していただき, 特に 町田 助教授には ローム層の中の鍵層の鉱物組成およびその鉱物の屈折率について御教示をいただいた。 貝化石は 地質調査所の大山桂 主研 [ ← 主任研究官 ? ] に同定していただいた。 ボーリング資料の収集にあたっては 神奈川県 建築部, 公害対策事務局, 広域水道企業団, 関係市町村, 日本道路公団等から協力を受けた。 神奈川県立博物館の松島義章氏からは 未公表のボーリング資料を利用させて頂いた。 ここに上記の方々 ならびに, 有益な助言を与えられた関東 第四紀研究会の方々に対し 厚く御礼申し上げる。
「藤沢」図幅地域は 東径 139°15'~139°30', 北緯 35°20'~35°30' の間を占め, 関東平野の南西部の神奈川県のほぼ中央に位置している。 本地域の西方には海抜 1,600 m に 丹沢 山地が連なり, その東端は 本地域の西縁に達している。 また, 本地域の北~東方には海抜 210~70 m の 多摩 丘陵が連なり, その一部は本地域の北東隅をかすめ, 南西隅には 大磯 丘陵の一部がみられる。 このように, 本地域は 西~北~東側を山地・丘陵に囲まれた盆地状の地域によって占められており(第 1 図), その中央を 相模 川が北から南へと貫流している。 図幅地域の大部分を占める この盆地状の地域は 主として 相模川によって形成された 開析扇状地・河岸段丘・沖積低地からなっている。 相模川の東岸では 海抜高度 150~50 m の 相模原 台地 [ = 相模野 台地 ] が連続的に発達し, 西岸の台地は 中津原 ・ 尼寺原 [ ← 尼寺原 ? ] ・ 愛甲 ・ 伊勢原 などの台地に分断されている。 これらの河成台地の間には, かつての海岸平野として形成された部分が 断片的な丘陵として残っている。 また, 地域中央の相模川ぞいには 相模川の沖積低地が南北に細長く連なり, 南縁には 相模湾北岸の海岸低地の一部が東西に発達する(第 2 図)。
本図幅地域の西方 [ = 本図幅の西隣の 秦野 図幅地域内 ] には 丹沢山地を構成する 大山 (1,246 m [ ← 1,252 m ? ] ), 塔ケ岳 [ = 塔ノ岳 ] (1,491 m), 丹沢山(1,567 m), 蛭ケ岳 (1,673 m)などの山々が東西に連なっているが, 図幅地域内では 大山の東斜面と その東側に 小鮎 川の深い峡谷をへだてて南北に走る山稜とからなっている。 前者 [ = 大山の東斜面 ] には [ 図幅地域北西隅付近の ] 辺室 山 [ ← 辺室 山 ? ] (644 m), [ 図幅地域南西隅の北方 4 km 強の ] 弘法 山(230 m [ ← 234 m ? ] )などが, 後者 [ = 大山の北東側 ] には [ 図幅地域北西隅の東方 3 km の ] 華厳 山(602 m), [ その南東方 500 m の ] 高取 山(522 m), [ 図幅地域北西隅から南東方 6 km 弱の ] 白山 (284 m)などがある。 この山地 [ = 丹沢山地 ] は山腹から山脚にかけて急斜面をなしている。 なお, 丹沢山地には海抜 800~1,000 m の範囲に断片的ながら小起伏面が分布しているが, 本地域内には認められない。 山地は図幅地域の 20 % の面積を占めている。
本図幅地域の中央を南北に流れる相模川の両岸には 頂部に僅かな平坦面を残す丘陵と, 頂部に広い平坦面を残す台地と段丘がある。 この丘陵と台地の地形面の区分 [ 以下の [注] 参照 ] は第 3 図と第 1 表のとおりである。
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多摩丘陵 は 本図幅地域の北方 [ = 本図幅の北隣の八王子図幅地域内 ] にある八王子市から 東方 [ = 本図幅の東隣の横浜図幅地域内 ] の横浜市まで広がり, 本図幅地域では 図幅地域東北端にわずかに認められるにすぎない [ ← 第 1 表にも記載されていない ] 。 海抜高度は 95~65 m で, 侵食の進んだ丘陵である。 多摩丘陵の地形面は多摩面とされているが( 関東ローム研究グループ [ 以下の [注] 参照 ] , 1965), 侵食面と堆積面があり, 図幅内は小起伏の侵食面である。
座間 丘陵 は 座間市から海老名市までの東西 1.0~0.5 km, 南北 9.0 km と南北に細長い丘陵で, 頂部に平坦面を僅かに残している。 この面は 関東ローム研(1965)によって多摩 Ⅱ 面に対比され, 神奈川県(1955)は侵食面と考え, 町田(1973)は多摩面に対比したが, 岡ほか(1977)は座間 Ⅰ・Ⅱ 面に区分し, 座間 Ⅰ 面を藤沢面(多摩 Ⅱ 面)に, 座間 Ⅱ 面を土屋面に対比した。 座間 Ⅰ 面の地表の海抜高度は 90~50 m, 4.9 ‰ の傾斜で北から南に低くなる。 座間 Ⅱ 面は 丘陵の南西部(東西 0.5 km・南北 3.0 km)と 丘陵の東側(東西 1.0 km・南北 2 km)に孤立して残っている。 この地形面の地表の海抜高度は 80~50 m, 5~9 ‰ の傾斜で北から南に低くなる。
高座 丘陵 [ 以下の [注] 参照 ] は 綾瀬 市から藤沢市まで 南北 9.0 km, 東西 0.5~5.0 km の北から南に広くなる三角形状の丘陵で, 東西と北は台地によって限られ, 南は低地に削られている。 この丘陵の頂部には小起伏の平坦面が広がり, やや侵食の進んだ丘陵である。 この丘陵は成瀬(1957)によって 下末吉 面に対比され, 町田(1973), 岡(1974), 岡ほか(1977)によって追認されている。 丘陵の海抜高度は北部が 46 m, 中央部が 35 m, 南部が 60 m と南北で高く中央部で低くなる。 丘陵の北半分では 5 ‰ の傾斜で南に低く, 南半分では 12 ‰ の傾斜で北に低くなる。 このような地形は 地殻変動により中央部が沈降した結果生じたものとされている(成瀬, 1952)。
相模原台地 は 本図幅地域の北方 [ = 本図幅の北隣の八王子図幅地域内 ] にある相模原市から藤沢市まで南北 28 km, 東西 10 km と南北に長い開析扇状地である。 本図幅地域では南北 17 km, 東西 9 km で, 図幅地域の東半部の大半を占めている。 この開析扇状地は 地形面としては 善行 面と相模野面に大別されるが, 相模野面が台地の主面をなしている。
善行面は 境 川を挾んで藤沢市と横浜市にまたがる東西 2.0 km, 南北 4.0 km の台地である。 この面は成瀬(1957)によってゴルフ場面 [ ← このあたりにゴルフ場はないが, … ] と呼称され, 下末吉面と 武蔵野 面との間の地形面として設定された。 その後, 町田(1973)によって小原台面に対比され, 吉川ほか(1973)によって武蔵野 Ⅰ 面と呼称された。 善行面は広い平坦面を持ち, 地表の海抜高度は 50~40 m, 5 ‰ の傾斜で南から北に低くなる。 このように 南から北に低くなるのは 高座丘陵と同様に地殻変動によるものである。
台地の主面をなす相模野面は広い平坦面を持ち, 地表の海抜高度は北部で約 80 m, 南部で 35 m, 南端部で 50 m になる。 [ 国鉄 ] 相模線 宮山駅 [ ← 相模川の東岸で東海道新幹線の南方 1 km ] と小田急電鉄 湘南台駅 [ ← 境川の西方 500 m で東海道新幹線の南方 4 km ] を結ぶ線の北側では 3.3 ‰ の傾斜で南に低くなり, 南側では 3.9 ‰ の傾斜で北に低くなると同時に, 全体的に南西に傾斜して低くなる。 この形態は高座丘陵の場合と同じ成因による。
海老名市から寒川町にかけての相模原台地の西縁で [ 相模川の東側に ] 南北に細長くつづく相模野面は, 前述の台地主部の相模野面より地表の海抜高度が(南部で 15 m, 南端部で 23 m)低いが, これは 初生的に低かったことが予想される [ 以下の [注] 参照 ] 。 しかしながら, 寒川町 宮山付近 [ = 国鉄 相模線 宮山駅付近 ? ] より南側では台地が北に傾斜し, 全体的には西に傾斜して低くなるのは 地殻変動によるものである(岡ほか, 1977)。
相模野面は 成瀬(1957)によって飛行場面 [ ← 厚木飛行場の面 ? ] と呼ばれて 武蔵野面と対比され, 岡ほか(1973)によって追認されている。 なお, 吉川ほか(1973)によって武蔵野面が3面に区分されたが, [ 相模野面は ] そのうちの 武蔵野 Ⅱ 面に対比することができる。
低位段丘 [ = 河岸段丘 ? ] は 座間丘陵の西側の相模川ぞい, 藤沢市の境川・引地川ぞい, 綾瀬市を流れる 目久尻 川ぞいなどに発達する。 これらのうち相模川ぞいの段丘面には 中津原面, 田名原面および 陽原 面が [ 以下の [注] 参照 ] , 境川・引地川ぞいには 台 面(武城野 Ⅲ 面), 中津原面および田名原面が, 目久尻川そいには 台 面がある。 これらの地形面は 成瀬(1957), 戸谷(1961), 貝塚ほか(1969), 町田ほか(1971)によって区分されたものである。
相模川の西岸の丘陵・台地は 相模川と丹沢山地を源流とするいくつかの中・小河川によって作られたが, 同時に, これらの河川によって丘陵・台地が分断されている。
中津原台地 は中津川と相模川にはさまれ, 本図幅地域北方 [ = 本図幅の北隣の八王子図幅地域内 ] の愛川町から厚木市までの 東西 3.0~0.5 km, 南北 9.0 km の開析扇状地で, 図幅地域では東西 1.0~0.5 km, 南北 5.5 km と南北に細長い台地をなしている。 台地は高位の中津原面と低位の田名原面に区分され, 中津原面は台地の主面をなし, 田名原面は 台地の南部で僅かに見られるだけである。 台地の北部は 比高 20~30 m の急崖で低地に接し, 海抜高度は北部で 80 m, 南部では 25 m と 10 ‰ の傾斜で南に低くなる。
荻野 台地 は厚木市にあり, 中津川と荻野川にはさまれた東西 2.0 km, 南北 4.0 km と南北に細長い扇状地性の台地で, 地形面は中津原面, 田名原面および陽原面の3面に区分される。 中津原面は崖錐状の台地で, 田名原面は台地の主面を形成し, 陽原面は 台地の南西方の荻野川に沿って帯状に分布している。 台地の海抜高度は北部で 100 m, 南部では 30 m で, 田名原面は 10.3 ‰, 陽原面は 16.7 ‰ の傾斜で南に低くなる。 台地の東側は 10~20 m の急崖で低地に接している。
飯山 台地 は厚木市にあり, 荻野川と小鮎川にはさまれた開析扇状地で, 東西 3.0 km, 南北 0.5 km の東西に細長い台地である。 台地は 中津原面, 田名原面および陽原面の3面に区分され, 中津原面は 北側の山地に接した岸錐状の台地で, 田名原面は台地の主面を形成し, 荻野川と小鮎川によって作られている。 陽原面は小鮎川に沿って帯状に分布している。
尼寺原 [ ← 尼寺原 ? ] 台地 は厚木市にあり, 小鮎川と 恩曾川 [ ← 恩曾川 ? ] にはさまれ, 主として小鮎川の扇状地として形成された 東西 4.0 km, 南北 1.5 km と東西に細長い台地である。 台地の海抜高度は西部で 80 m, 東部で 45 m と 10.8 ‰ の傾斜で東に低くなる。 台地の地形面区分は 関東ローム研(1965)により下末吉面に対比されたが, 工藤(1969), 神奈川県(1971)は武蔵野面と対比し, 台地の一部を多摩 Ⅱ 面と立川面に細分した。 貝塚ほか(1969), 岡ほか(1973)は下末吉面に対比し, 加藤(1974)はボーリング資料により 多摩面から立川面まで5面に区分し, 岡ほか(1977)もボーリング資料にもとづいて4面に大別した。 本報告では地形面を6面に区分した [ 以下の [注] 参照 ] 。 台地の北部の侵食の進んだ孤立丘は座間 Ⅰ 面に, 台地の東部の 狐塚 [ 位置不明 ] の独立丘は 早田 面に対比した。 台地の主部のうち 北部を尼寺原 Ⅰ 面として下末吉面に, 南部を尼寺原 Ⅱ 面として善行面にそれぞれ対比した。 前者は小鮎川の扇状地として形成され, 後者は恩曾川の扇状地として形成された。 台地の北西部の 低位段丘 は田名原面に, 台地の北東部の 低位段丘 は 台 面にそれぞれ対比した。
長谷 丘陵 は厚木市にあり, 恩曾川 と 新玉川 にはさまれた東西 3.0 km, 南北 1.0 km と東西に細長い丘陵と, 丘陵北方の恩曾川沿いに帯状に連らなる低位段丘からなる。 丘陵は頂部に僅かに平坦面を残し, 海抜高度は西部で 60 m, 中央部で 50 m, 東部で 70 m と中央部が低く起伏に富んでいる。 丘陵の北部には海抜高度 40 m の河岸段丘がある。 長谷丘陵は関東ローム研(1965)によって多摩面に対比され, 岡ほか(1977)によって丘陵と河岸段丘の3面に区分された。 本報告では 丘陵の東部および西部を長谷 Ⅰ 面として早田面に, 丘陵の中央部を長谷 Ⅱ 面として土屋面に, 台地北部の河岸段丘を相模野面にそれぞれ対比した。
愛甲 台地 は厚木市と伊勢原市にまたがり, 新玉川の扇状地として形成された東西 2.0 km, 南北 1.5 km の台地で, 台地には広い平坦面が広がり, 台地の北東と北西部には小起伏面がある。 海抜高度は西部で 45 m, 東部で 25 m と 10 ‰ の傾斜で東に低くなる。 台地は比高 10 m の急崖で沖積低地に接している。 この台地の地形面は関東ローム研(1965)によって多摩面に対比され, 貝塚ほか(1969)は下末吉面に, 加藤(1974)は武蔵野面と多摩面に区分した。 本報告では 台地の西部と東北部の小起伏面を土屋面に対比し, 台地の主面を善行面に対比した。
高森 丘陵 は 伊勢原市にあり, 愛甲台地の西側で, 東西 2.0 km, 南北 1.5 km の侵食の進んだ扇状地と段丘からなっている。 海抜高度は北部で 40 m, 南部で 20 m と南に低くなる。 丘陵は関東ローム研(1965)によって多摩面と対比されたが, 本報告では丘陵の大部分を土屋面と対比し, 台地の南東部を善行面と対比した。 丘陵の東部は北方からの扇状地として形成され, 丘陵の西南部は 西方からの扇状地として形成された。
日向 扇状地 は 厚木市と伊勢原市にまたがり, 丹沢山地に挾まれ, 牧馬 ~ 煤ケ谷 構造線 [ 以下の [注] 参照 ] に沿い東西 1.0 km, 南北 3.5 km と南北に細長い複合扇状地で, 海抜高度は西部で 120 m, 東部で 70 m と 30 ‰ の傾斜で東に低くなる。
この日向扇状地は 主として玉川 [ = 旧玉川 ] , 日向川と渋田川の扇状地として形成された。 関東ローム研(1965)は立川面に対比したが, 岡ほか(1973)は下末吉面から立川面までに区分した。 本報告では4面に区分し, 下末吉面, 相模野面, 田名原面および湯原面に対比した。 下末吉 相当面は東西 0.5 km, 南北 0.7 km で海抜高度が 50 m の日向川の扇状地として形成されたが, 現在では独立丘として認められるだけである。 相模野 相当面は玉川, 日向川, 渋田川の扇状地として形成され, 海抜高度は西部で 130 m, 東部で 80 m と 50 ‰ の傾斜で東に低くなる。 田名原 相当面は日向川の扇状地として形成され, 海抜高度は北部で 110 m, 南部で 70 m と 40 ‰ の傾斜で南に低くなる。 日向川は この扇状地の形成期には 主として南流して現在の鈴川と合流していたと見られる。 陽原 相当面は玉川と日向川の河岸段丘として形成され, 両河川が合流して新玉川に流れる。 日向川の流向は, 下末吉面および相模野面の形成期までは東に流れて新玉川に流入していたが, 田名原面の形成期には南に流れて鈴川に流入し, 陽原面の形成期には再び東に流れて新玉川に流入している。
上粕屋 扇状地 は 伊勢原市にあり, 日向扇状地の南側に位置し, 牧馬~煤ケ谷構造線に沿って広がり, 東西 1.5 km, 南北 3.0 km と南北に細長い複合扇状地で, 海抜高度は北西部で 100 m, 南部で 40 m と 33~27 ‰ の傾斜で南に低くなる。 関東口ーム研(1965)は立川面に対比したが, 岡ほか(1973)は武蔵野面および立川面に対比した。 本報告では3面に区分し, 相模野面, 台 面および 陽原 面に対比した。 相模野 相当面は鈴川の扇状地として形成され, 25 ‰ の傾斜で西から東に低くなる。 台 相当面は鈴川の扇状地として形成され, 本扇状地の主面を形成し, 27 ‰ の傾斜で南と東に低くなる。 陽原 相当面は扇状地の末端で 帯状に細長く分布している。
伊勢原 台地 は 伊勢原市にあり, 歌川 と 鈴川 に挾まれた東西 2.5 km, 南北 4.0 km の扇状地で, 海抜高度は北部で 60 m, 南部で 30 m と 8.1 ‰ の傾斜で北から南東に低くなる。 この台地は 関東ローム研(1965)は下末吉面に対比したが, 町田ほか(1968), 貝塚ほか(1969)は武蔵野 Ⅲ 面と一部を下末吉面とし, 岡ほか(1973)は下末吉面に, 加藤(1974)は多摩面から武蔵野面までの4面に区分した。 本報告では4面に再区分し, 早田面, 土屋面, 善行面および相模野面に対比した。 早田 相当面は 台地の中央部に径 0.5 km の独立丘として見られるが, 独立丘の斜面は周囲の扇状地に漸移している。 土屋 相当面は台地の東部にあり, 19 ‰ の傾斜で西から東に低くなる。 土屋 相当面の東半分には 台 面を形成した時期の東京軽石流堆積物がある。 善行 相当面は鈴川の扇状地として台地の主面を形成し, 8.1 ‰ の傾斜で北西から南東に低くなる。 なお, 台地全体としては西部が高く東部から南部が低くなる。 相模野 相当面は台地の北部で歌川に沿って帯状に分布し, 海抜高度は西部で 33 m, 東部で 20 m, 13 ‰ の傾斜で東に低くなる。
鶴巻 台地 は 秦野市にあり, 鈴川と 大根川 にはさまれた東西 1.0 km, 南北 2.0 km の侵食の進んだ台地で, 沖積低地によって小区域に別れている。 海抜高度は西部で 40 m, 東部で 30 m と東に低くなる。 この台地は 関東ローム研(1965)によって立川面に対比されたが, 町田ほか(1968)は下末吉面に対比した。 本報告でも下末吉面に対比した。
北金目 台地 は 秦野市と平塚市にまたがり, 大根川と 金目川 にはさまれた東西 3.0 km, 南北 1.5 km と東西に細長い台地で, 沖積低地とは急斜面で接している。 海抜高度は西部で 80 m, 東部で 45 m と 20.6 ‰ の傾斜で東に低くなる。 この台地の地形面は 関東ローム研(1965)によって立川面に対比されたが, 町田ほか(1968)は武蔵野 Ⅲ 面(東京軽石流堆積面)と立川面に区分し, 岡ほか(1973)は下末吉面, 武蔵野 Ⅲ 面および立川面に区分した。 本報告では3面に区分し, 下庭 面, 下末吉面および中津原面に対比した。 東京軽石流は南から北に台地を横断して流れ, 堆積物が見られるが, 独自の地形面は形成していない。 下庭 相当面は台地の西部に分布し, 沖積低地とは比高 30 m の急斜面で接している。 下末吉 相当面は台地の北部にあり, その北方にある鶴巻台地と同じ海成段丘である。 海抜高度は西部で 45 m, 東部で 25 m と 22 ‰ の傾斜で東に低くなる。 中津原 相当面は金目川沿いに帯状に分布し, 海抜高度は西部で 80 m, 東部で 30 m と 20 ‰ の傾斜で東に低くなる。 中津原 相当面は 沖積低地と 3~5 m の急崖で接している。
大磯 丘陵 は 平塚市から本図幅地域南西方 [ = 本図幅の南西隣の小田原図幅地域内 ] の小田原市まで, 東は相模川, 南は相模湾, 西は 酒匂川 , 北は秦野盆地に限られた東西 16 km, 南北 9 km の丘陵で, 山地・丘陵および台地が複雑に入り組んで分布している。 本図幅地域内では丘陵の東北部のみがみられ, その海抜高度は南部で 150 m, 北部で 40 m と北に低くなる。 大磯丘陵の東北部の地形面は 下庭面, 早田面, 七国峠 面, 吉沢 面(下末吉面)に区分される。 これらより新らしい地形面としては [ 中井町 ] 遠藤原 の東京軽石流堆積面( 台 面)と金目川にそう低位段丘面(中津原面)がある。
下庭 面は本図幅地域の南西部にあり, 後述の早田面と吉沢面にはさまれ, 地形からは他の地形面と区別することは困難である。
早田 面は 頂部に僅かな平坦面を残す侵食の進んだ丘陵で示され, 丘陵の海抜高度は南部で 130 m, 北部で 50 m と 80 ‰ の傾斜で北に低くなる。 早田面は海成段丘で, 旧汀線は早田面の現在の分布の西縁および北縁とほぼ一致している。 このことは, 現在の北下りの地形は 早田面形成以後の構造運動によって形成されたものであることを示している(町田(1973); 岡ほか(1977))。
七国峠 面は 主として本図幅地域の南西にはずれた付近に広く発達している丘陵で, 丘陵の海抜高度は 100 m で 北に低くなる。 七国峠面は 西から東に流れる旧河川により形成された河成段丘と考えられているので, 現在の北下りの地形は 七国峠面の形成以後の構造運動によって作られたものである。
吉沢 面(下末吉面)は [ 大磯 ] 丘陵の北部から東部にかけて 早田面の北側に分布し, 丘陵の海抜高度は南部で 70~90 m, 東部で 30 m と 40 ‰ の傾斜で南から北東に低くなる。 吉沢面は海成段丘で, 旧汀線は南部の早田面とのさかいに沿って分布する。 吉沢面の北下りの地形は 早田面と同じく 構造運動によって形成されたものである。
東京軽石流の堆積面は 本図幅地域の南西端部にあり, 頂部に広い平坦面がある。 この面は 台 面と対比されている。
今泉 面(中津原面)は 金目川に沿って帯状に分布し, 金目川の河岸段丘として形成され, 海抜高度は西部で 80 m, 東部で 60 m と 13 ‰ の傾斜で東に低くなる。 なお, 今泉面は 金目川の北岸の河岸段丘と同時面である。
沖積低地は 貝塚ほか(1969)によって 以下のように区分されている。
扇状地帯 は 座間市付近より上流の低地で, 海抜高度は 30~35 m で 2.5 ‰ の傾斜で南に低くなる。
自然堤防地帯 は 座間市付近より平塚市 神川橋 [ ← 東海道新幹線の南方 2 km で相模川にかかる橋 ] 付近まで 海抜高度 30~8 m までの地帯で, 自然堤防は現在の相模川に沿って帯状に分布し, 自然堤防と丘陵・台地の間には後背湿地が広かっている。
砂州・砂丘地帯 は 相模川の下流域と 国鉄 藤沢駅から茅ケ崎駅にかけての東西 9 km の地域で, 相模川の下流の西岸側には砂州と砂丘が発達し, 藤沢市から茅ケ崎市にかけては砂丘が東西に連らなり, 砂丘と台地の間と 各砂丘の間には堤間湿地が東西に連らなっている。
相模川の西岸側の中・小河川沿いの低地帯は 上流の山地近くでは扇状地帯で, 下流では自然堤防地帯になる。 なお, 相模川の下流域には現河床に沿って旧河道が多く見られる。
本図幅地域の地質系統を総括して第 2 表に示す。
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| 地層名 | 第 2 表の区分(上位の層群) | 地質図の凡例の区分 |
| 不動尻層 | [ 丹波層群 ] 煤ケ谷亜層群 | [ 丹波層群 ] 大山亜層群 |
| 順礼峠礫岩・砂岩・泥岩 | 愛川層群 中津峡層 | [ 上位の層群なし ] |
本地域の中・東部の面積にして約 80 % の部分は第四系で占められ, 低い丘陵および台地と低地からなる相模平野を構成している。 先第四系は主として西部に分布し, 丹沢山地の東端を構成している。 そのほかには, 南西隅に大磯丘陵, 南東隅に三浦半島, 北東隅に多摩丘陵をそれぞれ構成する新第三系がわずかに認められるにすぎない。 以下には, 丹沢山地と相模平野に分けて, それぞれの地質の大要を述べる。
[ 本図幅地域の西部の丹沢山地と本図幅地域の南西隅・南東隅・北東隅に分布する ] 先第四系は 白亜系と新第三系よりなる。
小仏 層群 [ Ko ] は 西南日本外帯に連続的に発達する四万十累層群の一部に相当し, 関東山地に広く分布するが, 本地域では [ 図幅地域北西隅の東南東方 7 km 前後の位置に ] 小分布を示すにすぎない。 本層群は [ その ] 南西側を通る [ 荻野川に沿った ] 藤ノ木 ~ 愛川 構造線で丹沢山地の新第三系(愛川層群)と接している。
丹沢山地を構成する新第三系は 南部フオッサマグナの代表的なグリーンタフで, 層厚 10,000 m 以上にも達する火山性の地層であり, 丹沢層群と愛川層群に区分される。 本地域の両層群については見上(1955・1958・1962)が詳しく研究し, 本地域から落合 [ ← 秦野市 落合 ? ] にかけての地域の調査により 新第三系の上半部の層序を確立した。 本報告でも見上の層序区分と地層名の大部分を踏襲した。 今回の調査でも 日向川~大山にかけての地域を除いて 見上の地質図と大きく変らないが, 見上の調査した当時と比べると 林道の開発が進み, 露出が増え, 新知見が加わった点がある。 火山岩の性質や変質岩(低度変成岩)については新しい事実が認められた。 なお, 本山地のうちの とくに標高 100 m 以下の地域には ローム層が厚く発達しているが, 地質図では山地のローム層は省略した。
本地域内のいくつかの地点( 大山 , 煤ケ谷 , 不動尻 , 大沢 , 谷太郎 , 寺家 , 舟沢 , 順礼峠 , 市道 [ ← 市道 ? ; 厚木市 上古沢 市道 ] )は 見上によって命名された丹沢層群の上部および愛川層群の模式地である。 現在の5万分の1地形図には模式地となった地名が記載されていないので, 地質図中に必要な地名を示した。 また, 沢の名や林道名についても 記載上 必要なものは清川村の地図をもとにして示した。
本地域の層序や地質構造を概観するため, 周辺地域を含めた地質図を第 4 図に示した。
本地域の新第三系は 下位の 丹沢 層群 と 上位の 愛川 層群 に分けられ, 前者 [ = 丹沢層群 ] は さらに 大山 亜層群 (下位)と 煤ケ谷 亜層群 (上位)に2分される。 丹沢層群と愛川層群は 落合断層 [ 以下の [注] 参照 ] で接しているが, もともとは整合であったと考えられる。 両層群をとくに区分する必要も認められないが, ここでは従来の区分を踏襲した。
大山 亜層群 は本地域の西部(丹沢山地の中央部)では 本谷川 層と唐沢川層に2分され, さらにそれぞれいくつかの部層に分けられているが, 本地域に分布するものは唐沢川層に相当するものと考えられる。
唐沢川 層 [ Ka ] は 見上(1962)により 下部の 布川 火山角礫岩と 上部の唐沢凝灰岩に2分されている。 本地域では玄武岩質火砕岩を主とし, デイサイト凝灰岩, 泥岩をわずかに挾むもので, 大部分は唐沢凝灰岩に相当するものと考えられる。
煤ケ谷 亜層群 は 本地域の煤ケ谷 [ ← 図幅地域の北西隅からその南東方 6 km 前後までの地域の名前 ] を模式地として命名されたもので, 下位から大沢層(不動尻デイサイト凝灰岩と大沢凝灰岩), 寺家層, 落合層 [ 以下の [注] 参照 ] に区分される。 見上(1955)は大沢凝灰岩と寺家層の間に谷太郎層を設けたが, その後, 見上(1962)は谷太郎層を大沢凝灰岩と一括した。 これは 調査地域が拡がるにしたがい区分の必要がなくなったためと推察される。 本報告では 記述の便宜上 谷太郎層を独立した地層として扱う。 また, 不動尻デイサイト凝灰岩を不動尻層, 大沢凝灰岩を大沢層として記述する。
不動尻 層 [ Fu ; 地質図の塗色は黄緑色 ] は淡灰緑色のデイサイト火山礫凝灰岩~粗粒凝灰岩で, 淡青緑色のパッチを含んでいる。 ほかにはわずかに泥岩を挾在するだけである。 本層は良好な鍵層で, 北西方(本地域外 [ の上野原図幅地域内 ] )に連続して分布している。
大沢 層 [ Os ] はデイサイト火砕岩と玄武岩~安山岩質火砕岩を主としている。 谷太郎 川ではデイサイト火山礫凝灰岩が多いが, [ 本図幅地域の北西隅付近の ] 四十八瀬 川, 辺室 [ ← 辺室 ? ] 林道では玄武岩~安山岩火山礫凝灰岩が多く, 大西沢では同質粗粒凝灰岩が多い。 本層は北西方 [ = 本図幅の北西隣の上野原図幅地域内 ] の中津川, 早戸 川ではデイサイト火砕岩が主体となる。 [ 本図幅の西隣の秦野図幅地域内の清川村 ] 唐沢林道では貝化石が認められる。
谷太郎
層
[
Ya
]
は凝灰質泥岩,
玄武岩凝灰岩,
デイサイト凝灰岩の互層で,
まとまった玄武岩~
安山岩火山礫凝灰岩~
凝灰角礫岩を顕著に含むことで寺家層と区別されるので 独立させた。
しかし,
[
図幅地域北端・東西中央やや西方の
]
中津川以北ではこのような岩相は発達していない。
露出は必ずしも良くないが,
南部の
[
伊勢原市
]
比々田
[
←
比々多
? ;
鶴巻温泉の北北東方 1 km
]
,
[
秦野市
]
北矢名
[
← 鶴巻温泉の西南西方 1 km
]
付近に同様な岩相を示す地層が分布するので 本層として取扱った。
見上(1962)は大沢凝灰岩として取扱っている。
大山亜層群
[
の唐沢川層(Ka)
]
との関係は南西部では断層と考えられる。
寺家 層 [ Gi ] も谷太郎層と類似した岩相であるが泥者が卓越している。 貝化石を含み, 見上(1955)は Chlamys kaneharai (YOK.) などの化石を報告している。 礫岩を主とする落合層は本地域には分布していない。
愛川 層群 は [ 本図幅地域の北端・東西中央やや西方の ] 愛川町を模式地として命名された。 下位から宮ケ瀬層, 舟沢層, 中津峡層に区分される。
宮ケ瀬 層 [ My ] は安山岩質火砕岩を主とし, デイサイト凝灰岩, 泥岩, 砂岩を伴っている。 下位の寺家層 [ Gi ] とは落合断層 [ ← 牧馬~煤ケ谷構造線 ? ] で接している。
舟沢 層 [ Fu ; 地質図の塗色は空色 ] は泥岩, 凝灰質砂岩の互層を主としているが, 安山岩およびデイサイト火砕岩を挾在している。
中津峡
層
[
Nk
]
は見上(1955)により以下のように5層に細分されている。
これらの細分した5層の相互の関係は指交関係とされている。 本地域には 中津峡火山角礫岩と石老山磯岩・砂岩は分布していない。 また, 順礼峠礫岩・砂岩と市道泥岩・砂岩の関係は露出が悪く確められないので, 本報告では [ 順礼峠礫岩・砂岩と市道泥岩・砂岩を「順礼峠礫岩・砂岩・泥岩」として ] 一括した。
中津峡 凝灰岩 [ Nk ] は 安山岩火山礫凝灰岩, 凝灰角礫岩が主で, デイサイト凝灰岩, 泥岩・砂岩をわずかに挾在する。 また, 一部に安山岩溶岩が挾まれる。 愛川層群の中で最も厚く, 分布も広い。
順礼峠 礫岩・砂岩・泥岩 [ J ] は 中津峡凝灰岩 [ Nk ] と指交している。 先第三系の礫を含む礫岩・砂岩の互層, 砂岩・泥岩の互層からなる。 同様な礫岩は中津峡凝灰岩の中にもレンズ状に挾まれ, また岩相は石老山礫岩・砂岩にも共通している。
本地域は丹沢層群・愛川層群の大部分の地層の模式地を含み, 対比上の問題は少ない。 しかし, 岩相・層厚からみて 本地域に分布する大山亜層群がすべて唐沢凝灰岩 [ = 唐沢川層(Ka)の凝灰岩 ] に相当するかどうかは 今後 周辺地域を調査して明らかにする必要がある。
本地域の寺家層 [ Gi ] と舟沢層 [ Fu ; 空色 ] の中の泥岩の中には Globigerina sp., Cyclamina sp. などの有孔虫を産するが, 時代を決める資料にはならない。 しかし, 地域外 [ = 本図幅の北西隣の上野原図幅地域内 ] の早戸川付近の不動尻層 [ Fu ; 黄緑色 ] , 落合層からは 産状は異なるが Lepidocyclina nipponica が産出し, 中期中新世(Blow の N.8~N.9)であることが知られている。 また, 寺家層, 舟沢層, 中津峡凝灰岩 [ Nk ] からは Chlamys kaneharai などの貝化石を産する。 愛川層群と丹沢層群は整合・一連の地層であり, ともに中期中新世と考えられる。
本地域の主要な断層, 構造線としては [ 図幅地域北西部の ] 藤ノ木 ~愛川構造線と落合断層( 牧馬 ~煤ケ谷構造線 [ の南方への延長部 ] )がある。 前者は断層面を確認できないが, 荻野川沿いの地形にあらわれている。 後者も本地域では確認できないが, 地形によくあらわれている。 [ 図幅地域北西隅から南東方 5 km 弱の 清川村 ] 別所の以南ではこの構造線の延長は明らかでないが, 尾崎付近 [ ← 清川村 煤ケ谷 別所の付近 ] の小鮎川の岸に破砕帯がみられ, また, [ その南方に延びる ] 尾崎~ 上谷戸 [ ← 厚木市 七沢の付近 ] の間でも火砕岩が破砕されており, 南北に近く延びているものと推定される。
一方, [ 七沢の南方 2 km 弱の ] 日向から [ その南西方 5 km の 伊勢原市 ] 子易 を通り [ 本図幅の西隣の秦野図幅地域内の 国道 246 号線の ] 新善波 トンネルに至る [ 南西方向に延びる ] 断層が推定される。 この断層の西側は大山亜層群 [ Ka ? ] , 東側は谷太郎層 [ Ya ] である。 構造も西側では NW - SE~NWW - SEE で北に緩く傾斜するのに対し, 東側では NNE - SSW で 65~80°の東傾斜である。 これは 七沢 付近で 牧馬~煤ケ谷線 [ ← 落合断層 ? ] と交叉すると考えられる。
また, [ 本図幅地域の北西隅の東南東方 5 km 強の 厚木市 ] 尾台 [ 読み方不明 ; おたい ? ] の小鮎川の岸のカーブ付近に NNW - SSE 方向の顕著な破砕帯が認められる。 これの延長と思われる破砕帯が [ 厚木市 ] 矢崎 [ ← 屋台の南方 2 km 強の市道の東方 1 km ] 付近に認められるが, その方向は南北に近い。
これらを総括すると, 藤ノ木~愛川構造線, 牧馬~煤ケ谷構造線 [ および落合断層 ] , 日向~善波を通る断層で 先第四系は大きく西部, 中央部, 東部の3つのブロックにわけられる。
西部ブロックの地質構造は南部では一部を除いて単斜構造を示し, 下位の大山亜層群 [ Ka ] から上位の寺家層 [ Gi ] まで重なっている。 南部の大山地域では NW - SE~NWW - SEE の走向で 20~30°で北に傾斜し, 日向~不動尻 [ ← 七沢の西方 3 km 弱 ] 地域では NW - SE 走向となり, 30~40°の北傾斜となる。 その北部の谷太郎川の中流では ほぼ同様であるが, 牧馬~煤ケ谷構造線に近づくにつれ NNW - SSE 走向となり, 60~70°東傾斜となる。 一方, 大西沢, 水の尻沢, 物見峠 [ ← 図幅地域北西隅から南南東方~南方へ 4~3 km ] など本地域の西縁部では走向 NNE - SSW から NS あるいは NNW - SSE に変化し, 50~80°西傾斜で逆転している。 この逆転部位の境は見上(1962)の大山~中川 [ 位置不明 ] 帯の一部にあたる。
中央部のブロックは愛川層群の分布地域で, 走向は NNW - SSE から南に向い NS となり, さらに NNE - SSW と変化し, 弓なりの構造で東傾斜の単斜構造を示しているが, 東部の真弓 [ ← 図幅地域北西隅から東方へ 5 km ] 付近では西傾斜を示す。 岩相も真弓, 荻野 [ ← 真弓の南東方 1.5 km にある上荻野 ? ] 付近は泥岩が多く 向斜が推定されるが, 露出が悪く確かめられない。 同様に 向斜は順礼峠 [ ← 七沢の北東方 1 km 弱 ] 付近, 岡津古久 [ ← 七沢の南東方 3.5 km ] 付近にも推定されるが, 露出が悪く確かめられないので 地質図には示さなかった。
東部のブロックは小仏層 [ Ko ] の分布地域で, NW - SE の走向で西傾斜を示す。
牧馬~煤ケ谷構造線の南方延長についての資料としては, 神奈川県温泉研究所の研究者によるブーゲ異常の分布図(平賀ほか(1970・1973); 第 5・7 図)と, 基盤岩類(新第三系)の等深線図(神奈川県 温研 地下水調査グループ(1970); 第 6 図)がある。 これらによれば, 同構造線の南方延長は地溝状の凹地をなして 大磯丘陵まで連続していると推定されている。
「藤沢」図幅地域の大部分は 第四紀後期の海成層・陸成層・風成層によって占められている。 これらの地層は 新第三系の 三浦 層群・ 上総 層群を基盤とし, 相模川の下流域を中心とする第四紀 後期の構造運動(相模造盆地運動), 海水準の変動および火山噴出物という3者の複雑なからみあいの中で形成された。 当地域では, 中・後期 更新世の海進(海水準の相対的な上昇による海域の拡大)のうち 第一級の規模をもつものが2回認められる。 最初のものが 屏風ガ浦 海進であり, 新らしいものが広義の 下末吉 海進である。 この両者の間には少なくとも2回の海進が認められ, このほかに後氷期の海進( 繩文 海進)がある(第 8 図)。 最初の屏風ガ浦海進から広義の下末吉海進までの堆積物を 相模 層群と呼んでいる(神奈川県(1955); 成瀬(1959); 三梨ほか(1977))。
相模層群 は 長沼層, 屏風ガ浦層, 大庭 砂礫層( 雑色 層), 下庭層, 座間 丘陵礫層(藤沢層), 早田 層, 七国峠 層, 土屋層および下末吉層( 吉沢 層)の9層に区分される(第 3 表)。 本層群は 全層にわたって火砕物の多い堆積物で, 大庭砂礫層より上位の地層は ローム層との関係にもとづいて層序が確立され, 水成層と風成層の対比が行なわれている。
|
藤沢図幅
(1979) |
大磯丘陵西部
(1978) |
横浜南西部
(1975) |
東京付近
(1969) |
相模地区
(1976) |
| … | ||||
長沼 層 [ Na ; 地質図の塗色は橙色 ] は 屏風ガ浦海進の初期の堆積物で, [ 本図幅の ] 東隣の「横浜」図幅地域ではスコリヤまじりの砂層で, 中浅海性の貝第石を多産し, 層厚は約 55 m である。
屏風ガ浦 層 [ By ; 以下の [注] 参照 ] は 屏風ガ浦海進の極大期の堆積物で, [ 本図幅の ] 東隣の「横浜」図幅地域の磯子区・戸塚区から 図幅地域内の厚木市・大磯丘陵にかけての内湾に堆積し, 相模積成盆地をほぼ埋積した。 盆地の東南縁部(横浜市 戸塚区)付近で層厚は約 60 m である。 相模川の下流域を中心とする相模造盆地運動は現在まで続いていることから, 本層は相模川の下流で最も厚く, 北から東にかけて薄くなる。
ローム層 (関東ローム層)は本地域の陸上に降下した第四紀の火山灰の総称である。 ローム層の厚さは 新期ローム層 [ 以下の [注1] 参照 ] だけでも 10 m 以上に達し, 沖積低地を除く地表にはすべて分布している。 したがって, 本図幅地域においては 水成堆積層の堆積面からほぼ連続して降下堆積したローム層のみを地質図に示し, かつ, その名称は最下部のローム層のそれのみを示した。 たとえば, 下末吉ローム層(記号 SL)として塗色した場所には 下末吉ローム層およびそれ以上のローム層が堆積していることを表わしている。 その他の地域 [ = 下末吉ローム層(SL)として塗色した地域以外の地域 ] に 斜面堆積したローム層およびその二次堆積層は 厚さの大小にかかわらず すべて省略し, その直下の地質を示している [ 以下の [注2] 参照 ] 。
ローム層の大部分は箱根火山の噴出物であるが, その最上部は富士火山の噴出物が主体をなしている。 このほか, ごくまれには両火山以外から由来した火山灰層も認められる。 これらは西方の火山からの噴出物なので 大磯丘陵では厚く連続的に堆積しているが, 東~東北方へ急激に薄くなり, かつ, 一部の鍵火山灰層が欠除するようになる。 大磯丘陵のローム層は 上杉・遠藤(1974), 上杉(1976)によって 総合柱状図(第 9 図)の詳細と [ それに含まれるローム層の ] 層序(第 4 表)および層厚(第 5 表)が明らかにされた。 この総合柱状図によると, [ 大磯丘陵の ] ローム層の全層厚は約 240 m で, 225 枚の鍵層の軽石とスコリヤが識別されている。
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ローム層の名称は 風成火山灰層に対して与えられているので, 本報告においてもこれに従う。 火山灰が水中堆積した場合には 水成層の名称で呼ぶことにするが, 鍵層が明らかな場合には「水中に堆積したローム層」と呼ぶこともある。 たとえば, 下末吉ローム層に対応する火砕物が水中に堆積している場合, これを下末吉層の一部として扱う。 ここで, 下末吉層 [ S ] は下末吉ローム層 [ SL ] の降下時代の水成層に対して与えられた名称であると定義する [ 以下の [注] 参照 ] 。
| 水成層 | ローム層 |
| 大庭砂礫層(雑色層 ; Zo) | 雑色ローム層(ZoL) |
| 下庭層(Si) | 下庭ローム層(SiL) |
| 座間丘陵礫層(藤沢層 ; F) | 藤沢ローム層(FL) |
| 早田層(So) | 早田ローム層(SoL) |
| 七国峠層(Sh) | 七国峠ローム層(ShL) |
| 土屋層(Tu) | 土屋ローム層(TuL) |
| 下末吉層(S) | 下末吉ローム層(SL) |
大庭 砂礫層 ( 雑色 層) [ Zo(and ZoL) ] と 下庭 層 [ Si(and SiL) ] は 相模積成盆地がほぼ埋積されてからの地層で, 陸成層から始まり, その後に海面の上昇によって海成層が堆積し, ふたたび陸成層が堆積するなど 陸成層と海成層が互層している。 本図幅地域の南西隣「小田原」図幅地域では 礫・泥の互層と火砕物からなり, 本図幅地域の南東部では火砕物まじりの砂層と礫層で, [ 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱の ] ボーリング B-1 では 礫層, 砂層, シルト層からなり, 陸成層から海成層に漸移している。 層厚は 90 m であるが, 上限は [ 次に述べる ] 座間丘陵礫層に切られている。
座間 丘陵礫層 (藤沢層) [ F(and FL) ] と 早田 層 [ So(and SoL) ] および 七国峠 層 [ Sh(and ShL) ] は大部分が陸成層で, 早田層を堆積する時期に 大磯丘陵から相模原台地の南部にまで海域が広がっている。 座間丘陵礫層は 粘土まじりの礫層とシルト層からなる。 早田層は 大磯丘陵の早田 [ ← 図幅地域南西隅から東北東方 2 km ] で海成の砂層からなり, 相模原台地の南部の大庭 [ ← 図幅地域南東隅から西北西方 5 km ] で生痕第石のある砂層になるが, [ 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱の ] ボーリング B-1 では植物片の多く混入した砂層・シルト層で陸成層である。 このように, 早田層を堆積した時期の海域は 大磯丘陵の早田付近から相模原台地の南部付近までである。 七国峠層は 大磯丘陵の七国峠 [ 位置不明 ; 図幅地域南西隅付近 ? ] で河成礫からなり, 相模原台地でも砂層とシルト層からなり [ ← 図幅地域南東部で七国峠層(Sh)と七国峠ローム層(ShL)のどちらも確認できない ? ] , 陸成層と考えられる。 座間丘陵礫層から七国峠層までの層厚は [ ボーリング ] B-1 で約 64 m である。
土屋 層 [ Tu(and TuL) ] と 下末吉 層 [ S(and SL) ] は 前述のごとく屏風ガ浦海進に次ぐ大規模な海進(広義の下末吉海進)の堆積物で, [ 本図幅の ] 東隣の「横浜」図幅地域の戸塚区 戸塚駅付近から 大磯丘陵の東北部の鶴巻台地に至る範囲に海成層が堆積している。
[ 本図幅の東隣の横浜図幅地域内の ] 横浜市 戸塚区 戸塚駅付近から [ 本図幅地域の南東部の ] 相模原台地の南部にかけての土屋層は 陸成層から始まり, 海域が拡大して海成層が堆積し, その後 陸化して河成礫層が堆積し, 再び海面が上昇して海成層が堆積している。 このように堆積環境の変化に伴なって岩相も変第し, 内湾性の貝化石と木片, 木の葉, ピートまじりの砂・泥互層から再び内湾性の貝化石の産出する砂, シルト層になる。 層厚は相模原台地の南部で約 50 m で, 地表では層厚約 20 m まで認められる。
土屋層の堆積後に約 10 m - も海面が低下し, その後 再び 海面が上昇して広い範囲に平坦な波食台を形成した。 この波食台に堆積した下末吉層が 大磯丘陵の土屋, 鶴巻台地, [ 綾瀬市から藤沢市までの ] 高座丘陵を作り, 厚木市の尼寺原台地には扇状地礫層が堆積した。 また, [ 本図幅の ] 東隣の「横浜」図幅地域でも 戸塚駅付近まで広い波食台が形成された。 下末吉層の層厚は約 10 m ± である。
更新世末期には 相模原台地を始め 多くの台地が形成され, 扇状地礫層と段丘礫層が 本図幅地域の大半を占めて分布している。 これらの段丘群は 武蔵野ローム層に整合におおわれる段丘群(3段に区分する)と 立川ローム層に整合におおわれる段丘群(3段に区分する)に区分される [ 以下の [注] 参照 ] 。
| ローム層 | 段丘の地層名 | |
| 武蔵野 ローム層 | 下部(M1L) | 善行 礫層(M1) |
| 中部(M2L) | 相模野 礫層(M2) | |
| 上部(M3L) | 台 砂礫層(M3) | |
| 立川 ローム層 | 下部(NaL) | 中津原 礫層(Na ; 地質図の塗色は水色) |
| 中部(TaL) | 田名原 礫層(Ta) | |
| 上部(MiL) | 陽原 礫層(Mi) | |
前者 [ = 武蔵野ローム層に整合におおわれる段丘群 ] は 扇状地性の相模原台地の主面を形成している。 扇状地礫層の層厚は 5~10 m で, これらの礫層をおおっている 武蔵野・立川ローム層 [ 以下の [注] 参照 ] の厚さは 15~20 m である。
後者 [ = 立川ローム層に整合におおわれる段丘群 ] は 本図幅地域の北西部に分布し, 大部分は扇状地性の礫層からなり, 層厚は 10~2 m である。 これら礫層をおおっている立川ローム層の厚さは 12~4 m である。
| 冲積層の堆積物 | 層序の記号 |
| 扇状地堆積物 | Ag |
| 自然堤防堆積物 | As |
| 低湿地堆積物 | Am |
| 砂丘堆積物 | Ass |
| 現河床堆積物 | [ なし ] |
相模川の沿岸に発達する沖積層と 東海道線沿いの海岸低地に発達する沖積層に関しては, 土木建設工事に伴なう多数のボーリング資料と 工業用の井戸資料がある。 これらの資料から見ると, 相模川沿いの沖積層の下には旧河谷が伏在しており, その谷底の深さは 相模川河口付近で現海水準下 86 m 以深に達していることがわかる。 この河谷を埋積した沖積層は, 貝塚ほか(1969)によると 基底層, 下部層, 中部層, 上部層および頂部層の5層に区分されている。 沖積層の基底層から中部層までは 礫と泥炭まじりの泥層からなる河成層で, 上部層は貝殻片の多い砂層を主としている。 この上部層は, 相模川下流域から茅ケ崎市, 藤沢市にかけて分布する砂丘を形成した 繩文海進の堆積物と一連の堆積物である。 その後, 頂部層でふたたび河成層が堆積した。
本地域を含む南関東においては, 新第三紀末から第四紀初期にかけては沈降期, すなわち 上総 層群の堆積期であった。 第四紀の中頃に 南関東は広範に隆起・陸化し 削剥されたのち, 急激な海進により相模層群の堆積の場となった。 相模層群の基底の不整合は 長沼不整合 (槙山, 1928)と呼ばれ, この時期を境として南関東の構造運動の様式も変化したと考えられる。 長沼不整合にはじまる相模層群の基底部は 多くの場所で基盤の凹所を埋積(アバット)し, 次いで波食台の上にオーバラップして広範囲に拡がっている。 その後は 海水準の変動に伴ない 幾つかの堆積期(海進期)と陸化期(海退期)をむかえたのち, 最終間氷期の海進堆積物である下末吉層 [ S(and SL) ] に至っている。 本地域の相模層群においても 以上のような海水準変動の反映はもちろん認められるが, 相模造盆地運動は長沼不整合から現在まで続いている。 しかし, その盆地は屏風ガ浦層 [ By ] でほとんど埋積された。 このことは 大塚(1937)の戸塚湾の提唱以来知られており, 神奈川県(1955)は 堆積盆地の形態を明らかにしたうえ, 成瀬(1952)とともに 相模原台地の段丘面高度分布から 後期更新世にも堆積盆地中心部の沈降が継続していることを指摘した。 この盆地は 相模積成盆地(成瀬・戸谷(1957); 成瀬(1960))と称され, この盆地を形成した第四紀の構造運動は 相模造盆地運動(貝塚, 1974)と呼ばれて, 現在も継続している。 また, この盆地は相模構造盆地ともいわれる。 相模構造盆地の最近における地殻変動のなかでは, 本図幅地域の中央部を東北東 - 西南西方向に横断する沈降帯(町田(1973)の秦野~横浜線 ; 貝塚(1974)の秦野~横浜沈降帯)の運動が顕著である。 この沈降帯以南においては 1923 年の関東大地震の時に顕著な隆起を示した。 主としてこの沈降帯以南において 1923 年型の地震時の地殻変動と沖積段丘(沼面)の示す地殻変動が相関していることから, 貝塚(1973)は この沈降軸をもって 相模トラフ系の地震性地殻変動区のヘリを示すヒンジラインと想定している。
小仏層群は関東山地の南部に広く発達し, 西南日本外帯の四万十累層群に相当する地層である。 小仏層の名は 20 万分の1地質図幅「東京」(鈴木, 1888)においてはじめて用いられ, 当時は古生層と考えられていた。 その後, 本層群の地質時代については幾つかの説があったが, 藤本(1931)によって白亜紀と推定され, 現在に至っている。 本層群は化石に乏しく, きわめてまれに白亜紀を指示するもの(Bryozoa, Inoceramus など)を産するものの, 模式的に発達している小仏峠 [ ← 本図幅の北西隣の上野原図幅地域内 ] 周辺地域において 5,000 m 以上(藤本, 1931)あるいは 10,000 m(牧野, 1973)に達すると推定されている本層群のすべてが白亜紀に属するか否かは未詳である。
本図幅地域における小仏層群は [ 図幅地域の東西中央やや西より・ ] 北端部の中津川と荻野川に挾まれた小区域に分布しているにすぎないが, [ 本図幅の ] 北隣の「八王子」図幅地域から模式地の小仏峠付近まで連続して発達しており, 本地域のものが小仏層群の地表における分布の南限に当る。
本層群は当地域では剥理性に富む黒色頁岩を主とし, 厚さ数 m 以上の暗灰色 細~中粒砂岩を挾むのが一般的であるが, 厚木市 市島 [ ← 図幅地域北端 ; 棚沢の北方 500 m ] 付近では 暗灰色 中~粗粒砂岩が数 10 m の厚層をなして発達している部分も見られる。 砂岩はその中に黒色頁岩の偽礫を多量に含み, 級化層理を示すものが多い。
本層群は 荻野川 沿いに推定される 藤ノ木 ~愛川構造線によってその南西側を新第三系の愛川層群 [ の中津峡凝灰岩(Nk)? ] と接し, 北東側は新第三系の中津層 [ Nt ] および段丘礫層 [ の中津原礫層(Na ; 水色)もしくは立川ローム層下部(NaL)? ] に不整合におおわれている。 本地域では走向は北西方向, 傾斜は南西へ数 10°であり, 確かめられた限りでは正常(南西側上位)である。 当地域の本層群が模式地の本層群全体のどの層準に当るかは明白でないが, 構造的な位置および岩相から見て 下部の 小伏 層(牧野, 1973)に相当するものであろう。
命名 : 本図幅地域外 [ = 本図幅の西隣の秦野図幅地域内 ] の中津川の支流の清川村 唐沢川を模式地として 見上(1955)により命名された。 模式地が離れていること, 本図幅地域の唐沢川層の上半部が模式地のものと岩相が異なる などの問題があるが, 混乱をさげるため この地層名を踏襲した(第 10 図)。
分布 : [ 順礼峠の西方 1.5 km or 厚木市 七沢の北西方 1 km 弱の ] 大沢より南西に入る沢, 日向 川, 大山付近などに広く分布している。
層厚 : 構造が明らかでないため正確に厚さを求めにくいが, 1,500 m ± と算定される。
岩相 : 玄武岩火山礫凝灰岩, 玄武岩~安山岩火山礫凝灰岩および粗粒凝灰岩を主とした地層であり, その中に玄武岩溶岩, デイサイト凝灰岩や泥岩を挾んでいる。 大山およびそれ以南と 以北では岩相を異にしている。 これは変質のちがいによるものかもしれないが, 以北の岩石は一般にち密で 硬いのに対して, 以南の岩石は色がくすんでおり, やや粗しようである。 大山の西方(図幅西隣 [ = 秦野図幅地域内 ] の大山不動尊付近)のデイサイト火砕岩と泥岩より下部 [ の岩層 ] は それより上部 [ の岩層 ] と2分される可能性がある。
日向川沿い(上部層)では玄武岩火山礫凝灰岩を主とし, デイサイト粗粒~火山礫凝灰岩をわずかに挾在する。 日向川の南方の林道では玄武岩溶岩を挾在する。 玄武岩火山礫凝灰岩はち密で 硬く, 暗褐色であるが 雑色を示すものが多い。 玄武岩溶岩は灰黒色, 塊状で, 無斑晶質である。 デイサイト火山礫疑灰岩は珪質で, 灰色の地に鮮青緑色のパッチを含み, 赤または黒色の玄武岩の細礫を含む。 デイサイト粗粒凝灰岩は灰~淡灰緑色の塊状で, 日向川の上流では白い礫を不規則な縞状に含んでいる。
鏡下では 玄武岩火山礫凝灰岩は玄武岩の礫の間に 濁沸石 [ laumontite ] , ぶどう石 [ prehnite ] を生じ, 礫のアミグダル [ amygdale ; 杏仁状構造 ] には 輝沸石 [ heulandite ] が生じている。 デイサイト火山礫凝灰岩は自形の斜長石, 破片状の普通輝石とサポーナイト [ saponite ? ] 化したガラスからなり, ガラス中には輝沸石を生じている。 アミグダルの発達した普通輝石玄武岩を含んでいるが, そのアミグダルには輝沸石, ぶどう石を生じている。 玄武岩溶岩は斜長石, 普通輝石, 一部にかんらん石(完全にサポーナイト化)の斑晶と斜長石, ガラスよりなる石基からなる。 普通輝石は半自形で やや褐色をおび, 砂時計構造を示しているので, アルカリ玄武岩かもしれない。
大山 以南の本層は玄武岩~安山岩火山礫凝灰岩, 同質粗粒凝灰岩を主としている。 玄武岩~安山岩火山礫凝灰岩は灰緑黒色で, 紫または黒色の玄武岩の礫が多い。 鏡下では 斜長石, 普通輝石の結晶と基質のガラス, 玄武岩礫よりなり, 基質のガラスはサポーナイト~混合層, 緑色雲母よりなり, 孔隙には ぶどう石, 濁沸石, 束沸石 [ stilbite ] を生じている。 礫の玄武岩は普通輝石の斑晶を含んでいる。 デイサイト火山礫凝灰岩は灰緑~淡緑色で鮮青緑色のパッチを含む。 霜ふりまたは網目状に濁沸石を生じている。 鏡下では 斜長石, 普通輝石と基質のガラスからなる。 ガラスはサポーナイト~混合層, 濁沸石に変質している。
下位層との関係 : 本地域では確かめられないが, 丹沢山地の東部では下位の [ 大山 亜層群の ] 本谷川 層と整合である。
命名 : 見上(1955)により, 谷太郎川の上流, 厚木市 不動尻 [ ← 厚木市 七沢の西方 3 km 弱 ] を模式地として命名された。
分布 : [ 本図幅の西隣の秦野図幅地域内の ] 四十八瀬川の最上流, [ 本図幅地域の北西隅から南方に 3.5 km の ] 物見峠付近, 不動尻, さらに [ 厚木市 ] 七沢から [ 伊勢原市 ] 日向薬師 [ ← 日向の北西方 1.5 km ] にかけての地域に分布する。
層厚 : 谷太郎川の上流で 900 m
岩相 : デイサイト火山礫凝灰岩を主とし, 同質 粗粒凝灰岩, 軽石凝灰岩を伴う。 粗粒凝灰岩は 粒度のちがいで縞状を示すことが多い。 一部に疑灰質 頁岩, 細粒凝灰岩を挾んでいる。 デイサイト火山礫凝灰岩は一般にち密で硬く, 珪化している部分もある。 沸石化の進んだものは 粗しようとなっている。 灰色~淡灰緑色で, 鮮やかな青緑色のパッチを生じているものが多い。 暗緑色, 赤色の安山岩の細礫を含むことがある。 粗粒凝灰岩も ち密で 硬い。 灰青緑色で, 珪化している部分もある。 ラミナにそい 沸石のフィルムを生じているものもある。 風化すると暗灰褐色を示し, 安山岩質火砕岩と区別しにくい。
[ デイサイト火山礫凝灰岩 ? は ] 鏡下では 斜長石, 普通輝石, 石英の結晶と基質, 礫からなる。 斜長石は新鮮で, 自形~半自形を示すものが多い。 石英は他形, 普通輝石は破片状のものが多い。 基質はサポ-ナイトと微粒の石英, ガラスからなり, 一部は放射状のモルデン沸石 [ mordenite ] の集合になっている。 不動尻付近のものには一面に濁沸石を生じている。
下位層との関係 : 整合。
命名 : 見上(1955)により, [ 順礼峠の西方 1.5 km or 厚木市 七沢の北西方 1 km 弱の ] 厚木市 大沢を模式地として命名された。
分布 : [ 本図幅地域の北西隅付近の ] 四十八瀬川から谷太郎川さらに大沢付近まで分布している。
層厚 : 約 1,000 m
岩相 : デイサイト火山礫凝灰岩, 安山岩~玄武岩凝灰角礫岩~火山礫凝灰岩, および塩基性 粗粒凝灰岩を主とし, 凝灰質砂岩~頁岩を挾在する。 含礫 雑色 凝灰角礫岩を挾在することもある。 谷太郎川では安山岩火山礫疑灰岩が多いが, [ その北側の ] 鳥屋待沢 [ ← 地質図では「大西沢」になっている ] , 辺室林道では粗粒凝灰岩が多い。 四十八瀬川では紫蘇輝石・普通輝石安山岩溶岩を挾んでいる。 また, 安山岩凝灰角礫岩の中に 30 cm 大の花崗岩礫を含んでいる。 唐沢林道では安山岩凝灰岩, 凝灰質砂岩中に貝化石の破片を含み, 凝灰質砂岩中には植物片を含んでいる。
デイサイト火山礫疑灰岩は比較的 上部に多く, とくに四十八瀬川では厚い。 岩質的には不動尻層 [ Fu ; 黄緑色 ] のそれと区別しにくい場合が多いが, 沸石化が弱い。 鳥屋待沢では 下部は濃青緑色の 1 cm 大のパッチを含むものがある。
デイサイト火山礫凝灰岩は灰色~淡灰緑色を呈し, 一般に ち密で 硬い。 珪質 濃青緑色 凝灰岩の礫と 玄武岩の礫を含む。 風化すると褐黒色を呈し(鉄サポーナイトの酸化による), 塩基性火砕岩と区別しにくいことがある。
鏡下では [ デイサイト火山礫凝灰岩は ] 斜長石, 普通輝石の結晶と基質(サポーナイト化したガラス)からなり, 石英, 紫蘇輝石を含むこともある。
斜長石は新鮮で 自形~半自形を呈するが, 破片となっているものもある。 普通輝石, 紫蘇輝石, 石英は破片状である。 基質は不規則な せんい状で, 緑~黄緑色のサポーナイト, セラドナイト [ celadonite ] とガラスまたは脱ハリ化 [ = 失透(devitrification) or 「脱ガラス化」 ] した石英粒からなり, ガラスの一部は放射状で複屈折の小さいモルデン沸石, あるいは板状の輝沸石の集合に変化している。 アミグダルの発達した変質した玄武岩, 普通輝石玄武岩の小礫を含んでいる。
玄武岩~安山岩凝灰角礫岩~火山礫凝灰岩は暗褐色で, 一般に ち密で 硬いが, 粗しようで 沸石を斑点状に生じているものもある。 風化すると黒褐色となる。
[ この岩石は ] 鏡下では大部分が玄武岩の礫からなり, 基質の少ないもの, 基質に斜長石, 普通輝石を含むものなどがある。 輝沸石, モルデン沸石, サポーナイトを生じている。
下位層との関係 : 漸移, 整合。
命名 : 見上(1955)により, 清川村 谷太郎を模式地として命名された。
分布 : 四十八瀬川から唐沢林道, 辺室川および辺室林道, 谷太郎付近, さらに別所の西方まで分布するが, その南部は第四紀層 [ の武蔵野ローム層中部(M2L)や立川ローム層上部(MiL) ] に蔽われて露出していない。
本地域の南部の
[
伊勢原市
]
日向
,
比々田
[
←
比々多
;
鶴巻温泉の北北東方 1 km
]
付近
[
および鶴巻温泉の西方
]
には NNE 方向の
断層
[
← 構造線 ?
]
の東側に谷太郎層に類似した地層が分布する。
関係は不明であるが,
[
この地層を
]
本層に含めた。
層厚 : 約 400 m
岩相 : 凝灰質泥岩, 玄武岩 細~粗粒凝灰岩, デイサイト 細~粗粒凝灰岩の互層, 安山岩火山礫凝灰岩~凝灰角礫岩, デイサイト火山礫凝灰岩からなる。
粗粒の火砕岩の岩相は大沢層と区別しがたいが, 泥岩, 細~粗粒凝灰岩が出現する部分から上を谷太郎層とした。 これら細粒岩の互層は唐沢林道 以南には3層あり, 比較的良く追跡される。
凝灰質泥岩は灰黒色, 玄武岩 細~粗粒凝灰岩は黒色で, 泥質岩と区別しにくいが, 風化面は褐黒色で 玉ねぎ状を呈する。 デイサイト凝灰角礫岩は塊状で, 灰色の基質に赤・黒色の細礫, および鮮青緑色の軽石のパッチがめだち, 雑色を呈する場合が多い。 軽石は風化すると褐色となる。 デイサイト火山礫凝灰岩は淡灰緑色で 緑色の軽石(風化すると黒褐色の「ミソ」)を含み, 全体として粗しようである。
比々田
[
← 比々多
]
付近の本層も凝灰質泥岩,
玄武岩粗粒凝灰岩,
デイサイト細粒凝灰岩,
安山岩火山礫~凝灰角礫岩よりなる。
善波
[
← 鶴巻温泉の北西方 1 km
]
の採石場に産する含礫 玄武岩火山礫凝灰岩の礫の玄武岩は暗赤紫色で,
気孔が多く,
気孔は沸石でうめられている。
[
この礫は
]
紫蘇輝石~普通輝石玄武岩で,
鏡下では紫蘇輝石,
普通輝石,
斜長石の斑晶と石基の斜長石,
普通輝石,
ガラスからなる。
紫蘇輝石は普通輝石の反応縁をもつ。
下位層との関係 : 北部では整合, 南部では大山亜層群 [ の唐沢川層(Ka) ] と 断層 [ ← 構造線 ? ] で接する。
命名 :
見上(1955)により,
清川村 寺家(5万分の1地形図の
[
清川村
]
下原の
北
[
← 北西 ?
]
)を模式地として命名された。
分布 : 下原の北の県道沿い, [ 下原の北方 1 km 強の ] 法論堂 付近, さらに [ 下原の南東方 1 km 強の ] 別所付近まで分布する。
層厚 : 200 m 以上
岩相 : 黒色泥岩を主とするが, 凝灰質砂岩と互層する場合が多い。 淡灰色のデイサイト粗粒凝灰岩, 同質火山礫凝灰岩~凝灰角礫岩および灰黒色の玄武岩~安山岩火山角礫岩も県道沿い, 法論堂付近に分布している。
デイサイト質火砕岩は下部に, 玄武岩~安山岩質火砕岩は上部に多い。 泥岩中には有孔虫, 玄武岩~安山岩質火砕岩中には貝化石を含んでいる。
デイサイト火山礫凝灰岩は淡い緑がかった灰白色で, 褐色の玄武岩の細礫を含む。 淡青緑色のパッチを含むものがあるが, 一般に 粗しようで, 1 cm 大に砕ける。 鏡下では 斜長石, 石英, 普通輝石の結晶と基質のガラスおよび玄武岩の細礫が認められる。 ガラスはサポーナイトに変質し, また放射状のモルデナイト [ mordenite ; モルデン沸石 ] を生じている。 化石のとけた方解石を含む。 玄武岩礫はアミグダルの発達したものである。
玄武岩~安山岩凝灰角礫岩は灰黒色, 粗しようで, 玄武岩礫が安山岩礫より多い。 玄武岩は普通輝石の斑晶とガラスで, ガラスはサポーナイト~混合層に変化している。 安山岩は部分的に方解石化した斜長石と サポーナイト~混合層, 緑れん石・方解石に変質した有色鉱物を含んでいる。
見上(1955)により 次の化石の産出が報告されている。
下位層との関係 : 整合
命名 : 見上(1955)により, [ 本図幅の北西隣の上野原図幅地域内の ] 中津川沿いの清川村 宮ケ瀬を模式地として命名された。
分布 : [ 図幅地域北西隅付近の ] 法論堂林道から [ その南西方 4 km の ] 宮野をへて [ その南方 1.5 km の ] 上谷戸 まで分布している。
層厚 : 約 400 m
岩相 : 安山岩火山礫凝灰岩~凝灰角礫岩を主とし, 中間に凝灰質頁岩, デイサイト凝灰岩の互層, 上部には安山岩粗粒凝灰岩~凝灰質砂岩が重なる。
安山岩火山礫凝灰岩は灰緑色の基質と赤または緑色の安山岩礫からなり, 煤ケ谷亜層群の岩石と比べてややしめった感じ(粘土鉱物が多いためか)をうける。
鏡下では [ 安山岩火山礫凝灰岩は ] 斜長石, 普通輝石(小さい), まれに石英の結晶と 安山岩, 玄武岩の礫が認められ, 基質にはサポーナイト~混合層, ぶどう石, 濁沸石, 輝沸石を生じている。 ぶどう石や沸石の産状は一様でなく, ぶどう石は脈状をなしているものもある。
安山岩粗粒凝灰岩は灰黒色, 塊状で, ラミナの発達したものが多い。 鏡下では斜長石, 普通輝石, 石英の結晶と化石の破片と思われる方解石が認められる。
下位層との関係 : 落合断層 [ ← 牧馬~煤ケ谷構造線 ? ] で接している。
命名 : 見上(1955)により, 小鮎川沿いの清川村 舟沢 [ ← 図幅地域北西隅から東南東方 5 km ] を模式地として命名された。
分布 : [ 図幅地域北西隅付近の ] 法論堂林道から舟沢, [ その南方 1 km 強の ] 貉坂峠 をへて [ 順礼峠の南南東方 1.5 km の ] 神明前, 竹林寺 [ 位置不明 ] まで分布するが, 舟沢以南は露出が悪く 詳細は不明である。
層厚 : 260 m 以上
岩相 : 泥岩~凝灰質泥岩(頁岩), 凝灰質砂岩を主としているが, これらは互層する場合が多い。 安山岩凝灰角礫岩, 同質粗粒凝灰岩, デイサイト粗粒凝灰岩を挾在する。
泥岩, 砂岩は一般に凝灰質で, 灰黒~黒色を呈し, 硬く, ラミナが発達し, 一部では乱堆積を示す。 植物破片を含むことがある。
安山岩凝灰角礫岩は灰黒色で, 安山岩の礫を含む。 安山岩礫は斜長石の斑晶を含むが, 紫蘇輝石を含むものもある。 安山岩粗粒凝灰岩は灰黒色で, 束沸石の網状脈の発達したものもある。 鏡下では斜長石, 石英(少量), 普通輝石の結晶と安山岩の細礫を含み, サポーナイト~混合層, 束沸石, 化石の破片と思われる方解石を含んでいる。
下位層との関係 : 整合。
見上(1955)により 中津峡を模式地として命名された。 見上は舟沢層 [ Fu ; 空色 ] より上位の地層を中津峡層とし, それをさらに中津峡火山角礫岩, 中津峡凝灰岩, 順礼峠礫岩・砂岩, 市道泥岩・砂岩の4部層に区分した。 本地域に分布するものは後の3部層であるが, 順礼峠礫岩・砂岩と市道泥岩・砂岩は露出が悪く, 区分が難かしい。 中津峡凝灰岩と順礼峠礫岩・砂岩の関係も明らかでないが, 以下では2部層にわけて記述する。
模式地 : 小鮎川沿いの舟沢~尾台間 [ ← 図幅地域北西隅から東南東方に 5 km 強 ]
分布 : 高取山から小鮎川をへて下古沢 [ ← 順礼峠の東方 2 km ] , 岡津古久 [ ← 下古沢の南方 2.5 km ] まで分布するが, 小鮎川以南は極めて露出が悪い。
層厚 : 550 m 以上
岩相 : 安山岩火山礫凝灰岩, 凝灰角礫岩が主で, ときに含礫凝灰岩, 凝灰質泥岩, デイサイト火山礫~粗粒凝灰岩を挾んでいる。 また, 各種 安山岩溶岩を挾む。
[ 図幅地域北西隅から東南東方 3.5 km の ] 高取山の東方で [ その東北東方 2 km の ] 真弓の西方(ゴルフ場 [ = 大厚木カントリークラブ ] )には安山岩火山礫凝灰岩, 安山岩溶岩, 凝灰質泥岩, 砂岩が分布している。
真弓の東の道路の切割(ゴルフ場)には 泥岩とそれに挾在するデイサイト凝灰岩が露出している。 横林 [ 位置不明 ; 上荻野の南東方 ? ] の砕石場には凝灰質砂岩が露出している。 礫岩をレンズ状に挾在する。
一方, [ 市道の東方 1 km の ] 矢崎の砕石場には安山岩火山礫凝灰岩, 凝灰質泥岩, 砂岩が露出している。 [ 順礼峠の東方 1.5 km 弱の ] ネポン工業付近にも露出があるが, 断層により破砕されている。
岡津古久の付近には安山岩凝灰角礫岩~火山礫凝灰岩が分布し, デイサイト凝灰岩を挾んでいる。
全体として本層の安山岩質火砕岩はしめった感じ(粘土化進み)で, 礫は斑状の安山岩が多い特徴がある。
安山岩凝灰角礫岩は暗緑色で, やや粗しょうで, 緑色または赤紫色の安山岩の礫を含んでいる。 鏡下では やや曹長石化した斜長石, 普通輝石の結晶と安山岩, 玄武岩の礫と基質からなる。 基質にはサポーナイト, 濁沸石, ぶどう石が生じ, さらに方解石, 緑れん石を含むものもある。
安山岩溶岩は [ 図幅地域北西隅の東南東方 5 km 強の尾台の南東方 500 m の ] 岩坂のかんらん石 - 普通輝石 - 安山岩, [ 図幅地域北西隅付近の ] 法論堂林道の粗面岩質安山岩( [ 第 6 表の岩石試料 ] 75071706)などがある。 前者は赤褐色で, 1 cm 程の斜長石の斑晶がめだつ岩石で, 鏡下では斜長石, 普通輝石, サポーナイト化したかんらん石の斑晶と石基の斜長石, 普通輝石が認められる。 後者 [ = 第 6 表の岩石試料 75071706 ] は 一見 玄武岩細粒凝灰岩を思わせる黒色, 塊状, ち密な岩石で, 鏡下では 拍子木状の斜長石と細柱状の普通輝石およびガラスからなる(粗面岩組織が認められる)。 モルデン沸石の細脈が生じている。
[ 図幅地域北端の ] 真弓の安山岩凝灰角礫岩の角礫には かんらん石 - 普通輝石 - 紫蘇輝石玄武岩や透輝石 - 普通輝石玄武岩( [ 第 6 表の岩石試料 ] 75071902)がある。 前者は黒色, ち密, 斑状の岩石で, 鏡下では 斑晶はかんらん石, 普通輝石, 斜長石で, 石基は普通輝石, 拍子木状斜長石およびガラスからなる。 かんらん石は完全にサポーナイトに変質しているが, まわりにピジオン輝石の反応縁を生じている。
その他, 地域外であるが, かんらん石 - 普通輝石安山岩( [ 第 6 表の岩石試料 ] 75071717)にもピジオン輝石を含んでいる。 この安山岩は 斑晶としてかんらん石(Fo 68~65), 普通輝石, 斜長石(An 78)を含み, 石基は普通輝石とピジオン輝石および拍子木状の斜長石からなる。 かんらん石はピジオン輝石の反応縁をもっている。
[ 上記の ] 普通輝石安山岩, かんらん石 - 普通輝石玄武岩, かんらん石 - 普通輝石安山岩の分析値を第 6 表に示す。
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下位層との関係 : 舟沢層 [ Fu ; 空色 ] と整合。
命名 : 見上(1955)により 順礼峠 礫岩・砂岩および 市道 [ ← 市道 ? ] 泥岩・砂岩と命名されたものを 一括して 順礼峠 礫岩・砂岩・泥岩とした。
模式地 : 順礼峠および市道付近
分布 : 順礼峠から [ その南方 1 km の ] 馬場までと, 市道から [ その北方 1 km の ] 大門の西方まで分布している [ 以下の [注] 参照 ] 。
層厚 : 不明
岩相 : 3~5 cm 大の礫を含む礫岩と砂岩の互層, および泥岩・砂岩の互層で, デイサイト粗粒凝灰岩を挾在する。 礫は円磨度が高く, 円礫~亜円礫で, 礫種は先第三系の砂岩, チャート, 粘板岩が主である。 同様な礫岩は中津峡凝灰岩中にもレンズ状に挾在する。
下位層との関係 : 順礼峠付近で舟沢層 [ Fu ; 空色 ] に整合に重なり, 市道の北方で中津峡凝灰岩 [ Nk ] と指交している。
本地域には丹沢層群の中の各所に小貫入岩体が認められる。
おもなものは石英閃緑岩および閃緑岩で, 四十八瀬川 [ ← 図幅地域北西隅付近 ] , 日向 川の上流 [ ← 日向の西方の図幅地域西端付近 ] , 日向川から大山に至る林道 [ ← 子易 の北西方 1 km ? ] , 辺室 [ ← 辺室 ? ] 林道 [ ← 図幅地域北西隅から南南西方 2 km 強 ] などに産している [ 以下の [注] 参照 ] 。
粗粒玄武岩の岩脈は日向川, 下子易 [ ← 子易下 ? ; 子易の南東方 500 m ] の南方に, 安山岩の岩脈は尾崎 [ ← 清川村 煤ケ谷 別所の付近 ] や岩坂 [ ← 厚木市 尾台の南東方 500 m ] などの小鮎川の川岸などに産している。 その他, 辺室林道の一か所に流紋岩の岩脈が認められた [ 以下の [注] 参照 ] 。
石英閃緑岩は中粒で 変質しているものが多い。 普通輝石と角閃石を含むものと, そのいずれかを含むものとがある。 斜長石は半自形~自形, 石英は他形である。 普通輝石は灰緑色の角閃石に変化しているものが多い。 角閃石は他形, 淡褐緑色で, アクチノ閃石に変化している場合が多い。 少量の黒雲母を伴うものもある。 磁鉄鉱, 燐灰石, スフェンを伴う。 緑色雲母, ぶどう石を生じているものもある。
閃緑岩もほぼ同様な鉱物組成をもっている。
本図幅地域内の丹沢層群, 愛川層群の火山岩類は低度変成作用を受け 種々の変質鉱物を生じている。 変質鉱物の産状は以下のように6種類に分類できる。
これらのうちで (a)~(e) は ほぼ同時に生成したものと考えられるが, (f) は同時 または より後期である。 [ 顕微鏡および X 線により同定した ] 変質鉱物の種類は次の通りである。
変質鉱物の組合せは 丹沢層群の分布地域内では規則的に変化するが, 愛川層群では規則性がなく, 変質も局在している。
丹沢層群の火山岩類(火砕岩および溶岩)中の変質鉱物の組合せは大きく次の2つにわけられる。
(1) の鉱物組合せをもつ岩石は 大山亜層群の唐沢川層 [ Ka ] の大部分 および 煤ケ谷亜層群の不動尻層 [ Fu ; 黄緑色 ] の一部で, [ 厚木市 ] 不動尻 [ ← 七沢の西方 3 km 弱 ] ~ [ 伊勢原市 ] 上子易 [ ← 子易上 ? ; 子易の南西方 500 m ] ~ [ 秦野市 ] 才玉 [ ← 図幅地域南西隅から北方に 4.5 km の弘法山の北方 500 m ] を結ぶ線の西部の岩石である。 煤ケ谷亜層群の残りの岩石は (2) の組合せをもっている。
愛川層群の宮ケ瀬層 [ My ] と舟沢層 [ Fu ; 空色 ] の一部には (1) の組合せをもつ岩石があるが, その他の岩石は丹沢層群より変質が弱く, 沸石鉱物は脈状に産する場合が多い。
丹沢層群にみられる上述のような低度変成作用は 丹沢山地の他の地域, 北東方の早戸川地域(島津ほか, 1970)の場合とほとんど変りがない。 愛川層群と丹沢層群の変成作用の関係は明らかでない。
なお, 大山付近の変質については 神奈川県 温泉研究所が詳しく調査している (大山地区地質調査班, 1970)。
三浦半島から北方の多摩丘陵へと続く中新世後期から更新世前期にかけての海成層は かっては 一括して三浦層群と呼ばれていたが, 三梨ほか(1968)によって南関東の海成 新第三系が再検討された際, 黒滝 不整合 を境に下位の部分(中新統 上部 [ 以下の [注] 参照 ] )のみを三浦層群とし, 上位の部分(鮮新統~更新統 下部)は上総層群と呼んだ。 本報告においてもこの呼称に従うこととする。
上総層群は 本図幅地域では 南西隅にその最下部, 北東隅に中部が辛うじて露出しているにすぎない。 しかし, 本地域の中・東部を占める更新統 相模層群の下位には 上総層群が広く分布しているものと推定されている。
本地域の北端部に露出する中津層は, 多摩丘陵との位置関係等から三浦層群~上総層群 下部に相当するものと推定される。 また, 本地域の南西隅の大磯丘陵に小分布する鷹取山層は, 岩相の類似性から丹沢山地の南緑の足柄層群に対比されているが, その所属にはまだ疑問がある。
本層は [ 本図幅の ] 北隣の八王子図幅地域内の愛川町 小沢 付近を中心とする相模川の両岸に模式的に発達し, 貝化石を多産することで知られる。 鈴木(1932)により中津統と称され, 層序と貝化石の本格的記載がなされた。
模式地の中津層(中津統)は, 鈴木によれば次の5層から成る。
小島(1955)の中津累層の区分も大局的には同様である。 層厚は鈴木(1932)によれば 670 m 以上, 小島 [ 1955 ? ] によれば 470 m 内外である。
鈴木(1932)によれば, 本層から産出する化石は 貝化石だけで下部から 140 種, 上部から 82 種に及んでいる。 このうち 下部の化石は東海地方の掛川層群の大日フォーナと特に共通種が多い。 鈴木は 掛川層群のフォーナがまったく黒潮要素のみから成るのに対し, 中津層のそれはむしろ親潮要素が強いとし, 両層の堆積盆地間に障壁の存在を推定した。 しかし, 本層の化石を再検討した小島(1955)は, 中津層の堆積期にも黒潮が優勢であり, 時々 親潮が入りこんだ程度であったとしている。
本層の時代について, 鈴木(1938)は貝化石により鮮新世とし, 下部層を東海地域の下部 掛川統に, 上部層を中・上部 掛川統 および 三浦半島の小柴層 下部(現在の上総層群 下部)に対比した。
また, 本層の特に上部層中にはおびただしい凝灰岩(軽石質, スコリア質, 石質, 結晶質)の薄層を挾むが, それらの有色鉱物の組成から, 小池・村井(1950)は 本層下部を房総半島の豊岡 亜層群(現在の三浦層群の最上部)に, 上部を同じく関 亜層群(上総層群の下部)に対比した。 中世古・沢井(1950)も 有孔虫化石群から 同様の対比を行った。 これらによれば, 中津層の下部は三浦層群に, 上部は上総層群にそれぞれ属することとなる。 最近の生層序と年代層序に基づく池辺(1978)の総括によれば, 中津層は鮮新世 後期の掛川統 周智階に対比され, 上総層群の下部に当るとされている。
本図幅地域では 中津層は図幅地域の北端部にあたる中津川の両岸, すなわち, 右岸は厚木市 才戸 ~市島間, 左岸は愛川町 坂本付近に断片的に露出しているにすぎない。
市島付近では 中津層が白亜系 小仏層群 [ Ko ] を不整合に蔽う所が認められる。 そこでは凹凸に富む不整合面上に 小仏層群由来の現地性の角礫と ひん岩等を主とし, まれに軽石の円礫を含む 淘汰不良の青灰色 泥質砂岩が乗っている。 その上位は灰色 無淘汰の砂質泥岩, 中・細粒砂岩ないし泥質砂岩, 泥質砂岩とラミナの発達した細粒砂岩の細互層などの 1~数 m 単位の互層からなる。 砂質泥岩や泥質砂岩の中には 層状またはポケット状に小円礫を含む。 また貝化石のキャストを豊富に含む部分があるが, 同定不能であった。 基底部の厚さは 観察できる範囲で 20 m 以上ある。
この上位には断片的な露頭しかないが, 才戸橋から約 250 m 上流の右岸の段丘礫層の下位には 無層理 灰色粗粒シルト岩が見られる。 シルト岩中にはまれに厚さ 5 m 以下のゴマ状の軽石質細粒凝灰岩を挾む。 また, 対岸の坂本においても, 中津川の河岸あるいは段丘礫層の下に 無層理 灰色粗粒シルト岩および泥質砂岩が認められる。 シルト岩の中には厚さ数 cm の細粒砂岩を虫食い状に挾むほか, Acila などの貝化石のキャストや炭質物も見られる。
鈴木(1938)によれば, 当地域に露出する中津層は, 岩相および含有第石から 基底部の砂岩・砂質泥岩層は神沢層に, その上位のシルト岩層は大塚層に当るとしている。 このうち市島付近の神沢層の相当層からは次の化石を報告している(属・種名は原記載のまま)。
また, 才戸橋の西方及び坂本のシルト岩(大塚層)からは以下のような二枚貝化石を得ている。
なお, 神奈川県(1955)は 厚木市 棚沢 [ ← 才木の南西方 500 m ] において 第四系 相模層群の基底部をなす長沼層 [ Na ; 橙色 ] および屏風ガ浦層 [ By ] の相当層が 中津層および小仏層を不整合におおい 小分布するとしている。 しかし, 筆者らは この地域では 小仏層を不整合におおう地層は 中津層と, 長沼層よりはるかに新期と思われる段丘礫層しか認めることができなかった。
本図幅地域の南東隅に, 鎌倉地域に発達する 上総層群のうちの最下部に近い部分 がわずかに露出している。 この地層は ラピリ大のスコリヤを多量に含む凝灰質粗粒砂岩からなり, 斜交葉理を示し, 風化して黄褐色となり, ローム層と酷似した外観を呈する。
本層は 赤嶺ほか(1956)の深沢 凝灰質粗粒砂岩層に当るが, これは三梨ほか(1976)によれば 野島層の異相である。
本図幅地域の北東隅の横浜市 旭区 上川井 町付近に 多摩丘陵がわずかに分布している。 この地区の地表は厚いローム層におおわれていて その下の地層を見ることかできないが, 隣接地域の調査結果(三梨ほか(1976)など)によれば 上総層群の中部 (小柴層と鶴川層の相当層)の 泥岩がち砂泥互層(未固結の砂と やや固結したシルト岩の互層)が分布していると推定される。
本図幅地域の南西隅に 大磯丘陵の鷹取山を構成している鷹取山層の一部が分布している。
本層は模式地(平塚市 鷹取山の東麓および南麓)においては 円~亜円礫からなり, 安山岩礫が多く, 比較的淘汰のよい礫岩を主体とし, しばしば中~細粒砂岩, まれに黒色泥岩を挾んでいる。 また, 下部には 安山岩の溶岩や火山角礫岩からなる部分もある。 本図幅地域内では厚いローム層におおわれていてほとんど露頭がなく, 岩相については不明である。
相模層群の名は, はじめ 神奈川県(1955)が横浜の西部において 新第三紀 三浦層群(広義)を不整合におおう堆積物の総称として与えたもので, 長沼統(大塚, 1937)を最下部とし, 最上部は沖積層までを含めたものであった。 次いで, 成瀬ほか(1957)は 「相模野礫層(下末吉層相当と考えていた)以上の地層を除く下位のもの」と再定義して用い, さらに, 三梨ほか(1976)の地質図においては, 相模野礫層(武蔵野 Ⅱ 礫層に当る)以上の地層を除き, 下末吉層およびそれ以下の地層について 相模層群の名を与えている。
本報告においては, 相模層群の名を三梨ほか(1976)の定義を一部改めて用いることとする [ 以下の [注] 参照 ] 。 この場合, 相模層群は更新世 中期から後, すなわち 最終間氷期の海進極大期の地層までを一括したものであり, その中に多くの不整合を含んだ 通常の層群(1つの ネプトン [ = 堆積盆地 ? ] を構成する一連の地層群)の概念とは異なるものである。 この期間に陸上に降下した火山灰層は古期ローム層と呼ばれ, 主として箱根火山から由来したものである。
以下の [ 長沼層と屏風岩層を除く ] 各節においては, 相模層群の水成の各層とそれに対応する(同時代の)ローム層ごとにまとめて記述する。 ただし, 模式地や岩相等は 水成層について記述されている。
命名 : 大塚(1937)によって命名されたが, 関東第四紀研究会(1974)は上位の 田谷 砂礫層を含めて長沼層とした。
模式地と岩相 : 模式地は 鎌倉市 玉繩 から横浜市 戸塚区 長沼付近で, 岩相は 下部砂層, 中部砂礫層および第部砂層に区分されている。 下部砂層中には「田谷スコ」と呼ばれる厚さ 20 cm のスコリヤ層が2枚, 上部層には軽石層が2枚はさまれ, 下部層と上部層から海成貝化石を多産する。
層序 : 相模層群の最下部層に当り, 下位の上総層群などを不整合におおい, 上位の屏風ガ浦層 [ By ] とも不整合関係にある。
分布 : 本図幅地域では 厚木市 西部の小鮎川の下流両岸に, ローム層または段丘礫層におおわれて 断片的に小分布している。 [ 図幅地域北西隅から東南東方 8 km の ] 久保の東方の小鮎川の北岸の河崖では 暗灰色シルト岩(数 10 m)をはさむ細粒~微細粒砂岩と シルト岩の薄互層(一層の厚さ 3~15 cm)からなり, 下部に細礫岩をはさんでいる。 この地点では厚さ 5 m 以上が見られる。 この直上部は [ 久保の南方 500 m の ] 台 の東方において 沖積低地と段丘にはさまれて露出している。 ここでも淘汰のよい細粒~微細粒砂岩と泥質砂岩またはシルト岩との薄互層からなる。 砂岩はラミナを有し 炭化した植物化石片を含む。 さらにその上部は [ 久保の東南東方 1 km の ] 千頭~ [ その南方 1 km 強の ] ゴルフ場 [ = 厚木ゴルフ場(本厚木カントリークラブ) ] 間の道路の西側の段丘の下に見られ, 含礫泥岩・細粒砂岩・砂質~粗粒シルト岩の互層からなる。 この道路の東側約 400 m 間の段丘下にも厚さ計 10 m 以上の本層が露出し, 細粒砂岩薄層をはさむ粗粒シルト岩および砂質シルト岩からなる。 シルト岩の一部には軽石小片を含む。 本層のシルト岩はやや固結しているが, 砂岩は未固結に近い。 本層は海成層と思われるが, 下部は潟成層の可能性もある。 全層厚は 100 m 以上ある。
小鮎川下流の本層は これまでまとまった報告がなく, また今回の調査では時代を示す直接の証拠は見出されなかった。 固結度や平均 18°におよぶ地層の傾斜から見て, 上総層群の可能性も考えられるが, ここでは長沼層あるいは大磯丘陵の二宮層群に対比しておく。
命名 : 槙山(1930)によって長沼統 屏風ガ浦層と命名され, 大塚(1937), 成瀬(1960), 関東第四紀研究会(1974)によって再区分・再定義された。
模式地 : 横浜市 磯子 区のプリンス ホテルの崖
分布・層序・岩相 : [ 本層は ] 図幅地域内の地表には認められない が, 相模原台地の地下には シルト, 砂および礫層が広く分布し, 大庭砂礫層 [ Zo ] に不整合におおわれている。 なお, 模式地での岩相はスコリヤ質の砂層からなっている。
命名 : 大庭砂礫層は成瀬(1952)によって命名。 横浜市 戸塚区の「おどり場砂層」と対比されたが, 筆者らの調査でより下位のものであることが判明した。 雑色ローム層は 遠藤・上杉(1972)により命名され, 上杉(1976)により再定義された。
模式地 : 藤沢市 大庭 [ ← 図幅地域南東隅から北西方 5 km ] の大庭城跡の崖
分布 : 相模原台地
層序 : 下限については明らかではないが, 上限は座間丘陵礫層 [ F ] によって不整合におおわれている(第 12・13 図)。
岩相 : 模式地(第 12 図参照)では褐色 粗粒(径 5~10 mm)のスコリヤ薄層をはさむ粗・中粒砂で, 分級度が良く, 平行ラミナがあり, 落差 1.0~1.5 m の小断層(N 20~30°E・70°N)が発達している。 層厚は 10 m まで認められ, 大庭付近(第 13 図参照)では 上限は座間丘陵礫層 [ F] に不整合におおわれている。 [ 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱の ] ボーリング B-1( [ 巻末の ] 付図 第 2 図)によると, 大庭砂礫層の全層厚は 54 m で, 下部砂礫層, 中部砂層, 上部砂礫層に区分される。 下部砂礫層 は 中礫と泥炭まじりの粗粒砂・細粒砂の互層で, 一部にスコリヤまじりのシルト層がある。 層厚は 14 m で, 全体的に陸成層の層相である。 中部砂層 は 緑灰色の中・細粒砂で, 厚さ 0.5~1.0 m のシルトをはさみ, 全層に泥炭の薄層(1 cm ±)をはさんでいる。 上部は中礫まじりの砂になる。 本層には「雑色ローム層の鍵層(Tll-9)」が水中堆積し, 岩相から陸成層と考えられ, 層厚は 29 m である。 上部砂礫層 は 砂礫と礫の互層で, 径 7 cm 以上の亜円礫を主とし, 礫種は緑色凝灰岩が多く, 層厚は 11 m である。
雑色ローム層 は ボーリング B-1 では上部砂礫層の上位に厚さ 5 m の風成層として堆積し, やや固結した青灰色ローム層で, 鍵層のスコリヤは Tll-30~33 の4枚が認められる。 本図幅地域では 雑色ローム層は [ ボーリング ] B-1 で確認しただけである。 なお, 模式地の大庭砂礫層と B-1 の大庭砂礫層の対比は, 鍵層が正確には対比できないが, 模式地のスコリヤの薄層は 雑色ローム層の水中堆積と考える。
命名 : 府川(1974)。 上杉(1976)が再定義
模式地 : 大磯丘陵の西部の中井町付近
層序 : 模式地では 下位の雑色ローム層 [ ZoL ] を一部不整合におおい, 上位の 曾我山 上部層 [ = 二宮層群 曽我山層 ? ] に不整合におおわれている。 本図幅地域内では雑色ローム層を不整合におおい, 座間丘陵礫層 [ F ] に不整合におおわれている。
岩相 : [ 図幅地域南東隅から西北西方 5 km 弱の ] 藤沢市 大庭の芙蓉カントリークラブ入口に厚さ 5 m + の大礫まじりの中礫層があり, その上位にある厚さ 3 m の褐色ローム層の中に 下庭ローム層の鍵層 Tll-72 があることから, 前記の礫層を下庭層に対比した(第 14 図)。 なおこの礫層は 上位の下末吉層 [ S ] に不整合におおわれている。
ボーリング B-1( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)の下庭層は 全層厚 28 m で, 下部砂層, 中部シルト層, 上部砂層に区分できる。 下部砂層 は緑灰色の微細粒砂で, 中粒砂をはさみ, 分級度が良く, 層厚は 8 m である。 木片や木の葉を多く含むことから陸成と見られる。 中部シルト層 は 灰色 砂質シルトで 貝殻細片がまじり, 上部では貝殻細片が密集している。 層厚は 8 m で 海成層である。 上部砂層 は 灰色 中粒~粗粒砂で 砂質シルトの薄層をはさみ, 貝殻細片が産出し, 層厚は 10 m である。 下庭層は 始めは陸成層で, その後に海成層に漸移している。
なお, 本層の上限は座間丘陵礫層 [ F ] に不整合におおわれている。 前述の芙蓉カントリークラブ入口の礫層に当る部分は [ ボーリング ] B-1 では上位の座間丘陵礫層に切られている。 [ 本図幅地域の南西隅から北東方 2.5 km の ] 平塚市 土屋のボーリング B-15( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)では 下位の砂層(赤褐色スコリヤまじりの中粒砂で 1.3 m まで掘進)は下庭層であり, その上のローム層のうちの下から 11 m は下庭ローム層で, 鍵層のスコリヤは Tll-58~72 までのうち7枚が認められる。 なお, B-15 の地点では 下庭層の堆積面は埋没段丘化し, 下末吉層 [ S ] におおわれている。
命名 : 座間丘陵礫層は 岡・桂島・宇野沢(1977) [ によって命名された ] 。 藤沢ローム層は遠藤・上杉(1972)によって命名されたが, 府川(1975)および上杉(1976)によって再定義された。
模式地 : 座間丘陵礫層は [ 図幅地域の北端から南方 1 km 強・相模川の東方 2 km の ] 座間市 緑ケ丘のボーリング B-2 の深度 31 m より下位。 藤沢ローム層は [ 本図幅の南西隣の小田原図幅地域内の ] 大磯丘陵の中井町 藤沢。
分布 : 大磯丘陵と相模川の両岸
層序 : 下位の下庭層 [ Si ] を不整合におおい, 上位の早田層 [ So ] に不整合におおわれている。
岩相 : ボーリング B-2, B-3 [ ← 図幅地域の北端から南方 6 km 弱・相模川の東方 3 km ] , Loc. 26 [ ← 図幅地域の北端から南方 500 m 強・相模川の東方 w km ] の座間丘陵礫層は 粘土と大礫まじりの扇状地性の中礫礫層で, 凝灰角礫岩の礫を主とする。 層厚は 17~30 m である。 藤沢ローム層は [ ボーリング ] B-2 と B-3 によると 暗灰~暗青灰色のやや固結した塊状の風化火山灰を主とし, 層厚 5.0~6.5 m で, 鍵層のスコリヤは Tlu-21 と Tlu-34 の2枚が認められる( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)。 [ 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱の ] ボーリング B-1 の座間丘陵礫層は 厚さ 16 m の粘土まじりの礫層からなり, 礫種は凝灰角礫岩を主とし, 上部 2.0 m は砂礫層になる。 礫層の上位には厚さ 8.0 m の藤沢ローム層(風成層と水成層が互層している)があり, 鍵層のスコリヤも Tlu-25, 31, 34 の3枚が認められる( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)。 [ 本図幅地域の南西隅から北東方 2.5 km の ] ボーリング B-15 には厚さ 13 m の藤沢ローム層があり, 暗青灰色でやや固結しており, 鍵層は Tlu-1~34 のうちの 14 枚が認められる( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)。
対比 : 大磯丘陵の西部の曾我山層の上部(稲垣ほか, 1978), 横浜 西部の新沢層(府川, 1975)に対比される。
藤沢ローム層の F.T. 年代 [ 以下の [注] 参照 ] は Tlu-24 が 275,500 ± 20,000 B.P., Tlu-25 が 243,000 ± 18,000 B.P. と測定されている。
命名 : 遠藤・上杉(1972) [ が命名した ] 。 府川(1975), 上杉(1976)によって再区分・再定義された。 稲垣ほか(1978)は 早田層と後述の七国峠層 [ Sh ] を含めて明沢層とした。
模式地 : [ 図幅地域南西隅から東北東方 2 km 弱の ] 平塚市 早田
分布 : 本図幅地域の南西部(大磯丘陵)に模式地があり, 相模原台地の南部と, ボーリング B-1 [ ← 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱 ] , B-2 [ ← 図幅地域の北端から南方 1 km 強・相模川の東方 2 km ] , B-3 [ ← 図幅地域の北端から南方 6 km 弱・相模川の東方 3 km ] にも認められる(第 15 図および [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照).
層序 : 下位の藤沢ローム層 [ FL ] を不整合におおい, 上位の七国峠層 [ Sh ] に不整合におおわれている。 相模原台地の南部では 下位の座間丘陵礫層 [ F ] を不整合におおい, 上位の 高座丘陵砂礫層 [ = 下末吉層(S)? ] に不整合におおわれている(第 13 図参照)。
岩相 : 模式地では 斜交葉理の発達した分級度の良い褐色 中粒砂で, 化石はまったく認められないが 海成層(遠藤ほか, 1972)とされている。 早田ローム層は褐色 風化火砕物からなり, 粘土化が進んでいる。 鍵層は軽石層とスコリヤ層からなり, 38 枚の鍵層がある。 なお, 鍵層に黒雲母を含んでいるものが多いのが特徴的である(第 9・15 図参照)。 ボーリング B-1 では 厚さ 35 m の早田層があり, 多くの鍵層が認められる。 鍵層は Tm-1~35 までのうちの 11 枚あるが, 大部分はロームまじりの砂か, シルトを挾む砂層の中にある。 とくに Tm-3・4・8・10 付近には木片や木の葉の細片が多く, 鍵層 Tm-3・8・35 付近は風成ローム層になっている。 なお, Tm-2 の軽石流も認められる( [ 巻末の ] 付図 第 2 図参照)。 [ 図幅地域南東隅の西北西方 5 km の ] ボーリング B-7(付図 第 2 図)と 露頭(第 15 図の Loc. 10)には 厚さ 4 m の早田ローム層と, 鍵層 Tm-1・2 および軽石流堆積物があり, その直上に早田層の生痕の多いシルト層がある。 [ 図幅地域の北端から南方 1 km 強・相模川の東方 2 km の ] ボーリング B-2 と [ 図幅地域の北端から南方 6 km 弱・相模川の東方 3 km の ] ボーリング B-3 には厚さ 16~18 m の早田ローム層があり, 鍵層 Tm-2~31 のうちの5枚以上が認められる。
対比 : 本層は 横浜市 戸塚区の 舞岡 層および舞岡ローム層に対比され, 多摩丘陵の多摩 Ⅱ ローム層の一部に対比される。 鍵層 Tm-2 は多摩 Ⅱ ローム層の「ドーラン軽石」に, Tm-8 は「バヤリス軽石」に対比される。
早田ローム層の F.T. 年代は Tm-8 が 235,000 ± 12,000 B.P., 246,000 ± 12,000 B.P., Tm-18 が 225,000 ± 24,000 B.P., Tm-33 の軽石流堆積物が 194,000 ± 14,000 B.P. の値が得られている。
命名 : 遠藤・上杉(1972) [ が命名した ] 。 遠藤ほか(1974), 府川(1975), 上杉(1976)によって再区分・再定義された。
模式地 : [ 本図幅の西隣の秦野図幅地域内の ] 平塚市 七国峠
分布 : 大磯丘陵の東部と相模原台地の西部(ボーリング B-1 [ ← 本図幅地域の南東隅から北西方 7 km 弱 ] , B-2 [ ← 図幅地域の北端から南方 1 km 強・相模川の東方 2 km ] , B-3 [ ← 図幅地域の北端から南方 6 km 弱・相模川の東方 3 km ] )。
層序 : 模式地では下位の早田ローム層 [ So ] を不整合におおい, 上位の土屋層 [ Tu ] に不整合におおわれている(第 16 図)。
岩相 : 模式地では砂礫層であり, 礫は淘汰の良い小円礫, 砂は分級度の良い粗粒砂からなり, 層厚は 30 m 位である。 ローム層の厚さは 9 m 位で, 鍵層はスコリヤ層と軽石層からなり, Tm-39~50 までの 12 枚である(第 9 図および付図 第 2 図参照)。 ボーリング B-1 には厚さ 4 m の七国峠層があり, その下部は 0.5 m の青色シルト層, 上部は軽石まじりの砂礫層, シルト層で, 最上部には鍵層 Tm-50 がある(付図 第2図参照). ボーリング B-2 および B-3 には厚さ 2.0~2.5 m の七国峠ローム層があり, その中に2枚の鍵層 Tm-44・50 が含まれている。
命名 : 遠藤・上杉(1972) [ が命名した ] 。 上杉・遠藤(1974), 上杉(1976)によって再区分・再定義された。
模式地 : 土屋層は 大磯丘陵の西部の大井町 滝ノ前で, 土屋ローム層は平塚市 土屋。
分布 : 大磯丘陵。 相模川両岸(ボーリング B-1・2・3・14)。 相模原台地の南部
層序 : 下位の七国峠ローム層 [ ShL ] を不整合におおい, 上位の下末吉層 [ S ] に不整合におおわれている(第 17 図と第 16 図参照)。
岩相 : 土屋層は 模式地では砂礫層からなり, ローム層の厚さは 55 m で, 鍵層はスコリヤ層と軽石層からなり 42 枚の鍵層がある。 ボーリング B-1 では厚さ 2 m の土屋層と 厚さ 3 m の土屋ローム層があり, 鍵層 Tm-1~19 までのうちの8枚の軽石層が認められる。 ボーリング B-2・3 では灰褐色のやや固結した風化火砕物からなり, 厚さは 4~13 m であり, 鍵層は 3~6 枚認められる(第 9 図および付図 第 2 図参照)。
相模原台地の南部の藤沢市 伊勢山辺 [ ← 図幅地域南東隅の北北東方 2.5 km ] 付近に広く分布する土屋層は, 町田ほか(1976) [ 以下の [注] 参照 ] によって 下部礫層, 中部シルト層, 上部砂層に区分されている。
下部礫層 は大~中礫(最大径 40 cm)からなり, 淘汰の悪い円~亜円礫で, 層厚 2.0 m + の河成礫層である。 礫種は緑色凝灰岩, 閃緑岩, 角閃石トーナル岩, 砂岩, 粘板岩などからなる。 引地川の下流の西岸側の宗賢院では ローム層や薄い粗粒砂を挾み, 細礫まじりの中礫を主とし, 円礫の多い淘汰の悪い砂礫層になっている(第 18 図)。 ボーリング B-14 [ ← 図幅地域中央やや西部の 厚木市 岡津古久の東北東方 2 km 強 ] では 凝灰角礫岩の亜円礫からなる粘土まじりの礫層になる。
中部シルト層 は 下部礫層を整合におおうシルト層で, 一部では泥や砂を挾んでいる。 層厚は 5~15 m + まである。 下部には2枚の軽石層があり, この鍵層は本報告の Tu-23・33 に当る(付図 第 2 図参照)。 また, この軽石層の層準から Palaeoloxodon naumanni(ナウマンゾウ)の臼歯の化石が報告された。 軽石層付近には流木・木の葉の化石が多く, 町田ほか(1976)によって Purnus cf. Burgerina(イヌザクラ)も報告された。 軽石層の 6.5 m 上位から Juglans Sieboldiana hosenjiana(ホウセンジグルミ)の実が産出した(第 19 図)。 境川の下流の東岸の私立藤沢高校グランドでは(第 20 図と第 18 図参照), 厚さ 10~20 cm の砂層をはさんだ明灰色 半固結シルト層になる。 小田急電鉄 善行駅の西方では 砂・泥互層になり, タニシが産出した [ 長田敏明氏談 ] 。 引地川の下流の東岸では暗青灰色シルト層で, 黒色 粗粒スコリヤ層が 3~4 枚あり, 木片が多産する。 宗賢院には厚さ 4.0 m の土屋ローム層があり, 鍵層の Tu-23・33 軽石層が認められる(第 18 図参照)。 ボーリング B-14 では鍵層 Tu-23 が 風成層で下方の礫層をおおっている。 中部層の上部からは [ 図幅地域南東隅から北方に 6 km 弱の ] 横浜ドリームランドの北西部で次の大型化石の印象が産出する(鑑定 : 大山桂 主研)。 なお, 本層は青色泥層, 青色砂・泥互層である。
| Tegillarca granosa bisenensis | ハイガイ | |
| Dosinorbis (Phacosoma) japonica | カガミガイ | |
| Dosinella penicillata | ウラカガミ | |
| Mya(arenomya)arenaria oonogai | オオノガイ |
上部砂層 は 青灰から褐色で, 葉理が発達した粗粒砂とシルトまじりの細粒砂からなり, 貝殻の細片がまじり, 分級度は良い。 層厚は 4 m + で上限は不明である。
このように, 本層は下部礫層と中部シルト層の下部は陸成で, 中部シルト層の上部から上部砂層は海成層になる。 この海成層からは 前記の内湾性で暖流系の貝化石の印象が多産し, 町田ほか(1976)によって Limopsis sp., Venericardia ferrginosa が報告されている。 なお, 成瀬(1952)は この層準から次の貝化石と有孔虫化石の産出を報告している。
| 有孔虫化石表(藤沢市 亀井野) | 100 個中 | ||
| Quinqueloculina seminulum | 2 | ||
| Nonion grateloupi | 2 | ||
| Pseudononion japonicum | 15 | ||
| Pseudononion tredecum | 22 | ||
| Elphidium crispum | 2 | ||
| Elphidium advenum | 9 | ||
| Elphidium advenum var.depressula | 10 | ||
| Elphidium aff. subglunulosum | 7 | ||
| Bolivina cf. nobilis | 1 | ||
| Bulimina aculeata | 1 | ||
| Reussella cf. haizumensis | 1 | ||
| Discorbis ? spp. | 2 | ||
| Eponides spp. | 6 | ||
| Rotalia papillosa | 8 | ||
| Rotalia japonica | 11 | ||
| Planulina wuellerstorfi | 1 | ||
[ 図幅地域南東隅から北西方 5 km の ] 引地川の下流の西岸の藤沢市 大庭 字 丸山 (第 21 図)からは 次の貝化石が産出する(鑑定 : 大山桂 主研)。
| Batillaria zonalis | イボウミニナ | |
| Batillaria multiformis | ウミニナ | |
| Hinia festiva | アラムシロ | |
| Tegillarca granosa bisenesis | ハイガイ | |
| Crassostrea ariakensis | スミノエガキ | |
| Trapezium japonicum | ウネナシトマヤガイ | |
| Meretrix lusoria | ハマグリ | |
| Fabulina nitidula | サクラガイ |
ボーリング B-1 では 風成の土屋ローム層の中・下部を土屋層の上部がおおっているが, ここでは 貝殻細片の密集した砂, シルト層になる。
対比 : 土屋層は 横浜市 西部の戸塚層, 鶴見区 下末吉の鶴見層に対比される。
土屋ローム層の F.T. 年代は Tu-23 の 160,000 ± 11,000 B.P., 下末吉 埋没土層の TAu-12 の 147,000~143,000 B.P. と測定されている。
命名 : 下末吉層は大塚(1930) [ が命名した ] 。 関東第四紀研究会(1970)によって下部の鶴見層が分離され 再定義された。 下末吉ローム層は 関東ローム研(1956) [ が命名した ] 。
模式地および岩相 : [ 模式地は ] 横浜市 鶴見区 下末吉で, 波食台に堆積した中粒砂,砂礫層からなり, 層厚も 2~5 m 位で, 谷埋め堆積物がある時には層厚が 10 m + となる。
分布 : 大磯丘陵。 相模川両岸。 本図幅地域では 下末吉層は各地に分離して分布し, それぞれ固有の地層名が付けられている。 大磯丘陵では 平塚市 吉沢 を模式地とし, 吉沢層および吉沢ローム層 (町田・森山(1968)が命名し, 上杉(1976)が再定義)と呼ばれる。 相模原台地の南部の 高座 丘陵では 高座丘陵砂礫層 (成瀬・戸谷(1957); 貝塚・森山(1969))と呼ばれ, 相模川の西岸の 厚木市 尼寺原 [ ← 尼寺原 ? ] 台地では 尼寺原ゴルフ場礫層 (岡・桂島・宇野沢(1977)によって命名)と呼ばれている。
大磯丘陵の下末吉層は 下末吉海進の時期の波食台堆積物と湖成堆積物からなり, 前者は褐色 中粒砂で 分級度が良く, 基底に穿孔貝の生痕がある(第 22 図)。 なお旧汀線付近(平塚市 土屋)での層厚は約 5 m である。 湖成堆積物は泥炭と泥炭質泥層からなり, 層厚は 3~5 m で, 旧打線より西~北側(土屋 惣領分 から 寺分 や金目川の両岸)に分布している。
相模原台地の南部の下末吉層は, 波食台に堆積した中粒~粗粒砂と三角州に堆積した砂礫層からなる。 砂層は 台地の西部に分布し, 砂礫層は 淘汰の悪い大~中礫を主体とする風化礫まじりの砂礫層で, 層厚は約 10 m である。 礫種は 凝灰角礫岩, 砂岩, 斑岩, チャート, 石英閃緑岩などである。 充填物は粗粒砂で, 局部的には粗粒砂がレンズ状に入っている。 砂礫層は 大庭付近で 東西に 200~300 m の幅で南北に細長く分布し, 藤沢市の西部から茅ケ崎市にかけて 小礫まじりの砂から分級度の良い褐色 中粒砂に漸移し, 層厚は約 10 m である(第 13 図と第 22 図参照)。 なお, 相模原台地での旧汀線は 東海道新幹線の北側で, 座間丘陵に接する付近に予想される [ 以下の [注] 参照 ] 。
厚木市 尼寺原台地では 本層は粘土まじりの扇状地性の礫層からなり, 層厚は 10 m 以下である。
下末吉ローム層は 模式地の横浜市 鶴見区 下末吉よりも 大磯丘陵の吉屋および吉沢 [ 位置不明 ; 「吉屋」は「土屋」か ? ; これらは Loc. 42 と Loc. 46 の地名か ? ] において 完全な柱状図が得られている(第 9 図および第 22 図参照)。 吉沢 付近の下末吉ローム層は 粘土化の進んだ褐色から灰褐色, あるいは青灰色の火砕物で, 水中堆積するとやや固結している。 鍵層は大部分が軽石層で, Klp-1~6 まではすべて水中に堆積している。 下末吉期の旧汀線付近では Klp-8 付近より上位の鍵層が風成層として堆積している。 なお, 旧汀線付近は 鍵層 Klp-15 付近まで古砂丘砂におおわれている個所もある。 相模原台地の南部では 下末吉ローム層の厚さは約 12 m 位で, 鍵層は Klp-7~Kmp-11 までのうち 11 枚の軽石層がある(第 22 図参照)。 なお, 一部には 鍵層 Kmp-5~7 までが古砂丘砂におおわれていることもある。 茅ケ崎市 折戸では 鍵層 Kmp-1~7 までが古砂丘砂におおわれている。 [ 図幅地域南東隅から北西方 10~8 km の位置に北から南に配列している ] ボーリング B-4・5・6 では 下末吉ローム層の厚さは 14・12・16 m で, 鍵層は Klp-7~Kmp-12 までのうちの 11 枚の軽石層がある(付図 第 2 図参照)。 [ 図幅地域の北端から南方 6 km 弱・相模川の東方 3 km の ] ボーリング B-3 の地点の崖(第 23 図と付図 第 2 図参照)には, 下末吉ローム層の厚さが約 6.5 m で, 鍵層は Klp-6~Kmp-11 までのうち 10 枚の軽石層がある。 [ 図幅地域中央やや西の ] 厚木市 長谷の東京農大の構内では 厚さ 6.0 m, [ その西北西方 1.5 km の ] 厚木市 愛名の愛名学園でも 厚さ 5.5 m の下末吉ローム層が斜面堆積し, 鍵層 Klp-7~Pm-1 までのうちの 11 枚の軽石層がある(第 24 図)。
下末吉ローム層の F.T. 年代は Klp-7 が 128,000 ± 11,000 B.P., Klp-13 が 117,000 ± 10,000 B.P., Kmp-1 が 98,000 ± 12,000 B.P., Pm-1 が 70,000~90,000 B.P. である。
ここでいう新期段丘堆積層は 最終間氷期の海進極大期以降の海退期に堆積した地層を一括したものであり, 吉川ほか(1973)の言う M 面(武蔵野面)と Tc 面(立川面)の堆積層に区分される。 M 面は 南関東ではさらに 約 7 万年前の M1 面(武蔵野 Ⅰ 面, 小原台 面), 約 6 万年前の M2 面(武蔵野 Ⅱ 面, 三崎 面), および約 5 万年前の M3 面(武蔵野 Ⅲ 面, 中台 面)に区分されており, 本図幅地域でもそれぞれに対応する段丘堆積層が存在する。 このうち M1 および M2 面は 海退途上における海面停滞期 または 小海進期に形成されたものと考えられている。 Tc 面はすべて河岸段丘で, 本図幅地域では時代の異る3つの段丘堆積物が区別される。
新期ローム層とは [ 下位の ] 武蔵野ローム層と [ 上位の ] 立川ローム層を合せたものに対して従釆から与えられてきた名称である。 なお, 本報告においては, 地質概説 [ =「II. 地質概説」の項 ] で述べたローム層の区分の規準変更の理由により, 従来の下末吉ローム層の上部の一部(小原台埋没土層の直上以上)を 武蔵野ローム層に含めることにする。
命名 : 善行礫層は新称。 成瀬・戸谷(1957)により相模野礫層 B と命名されたものと同じ。 武蔵野ローム層は関東ローム研(1956) [ が命名した ] 。
模式地 : 藤沢市 善行
分布 : 藤沢市の東南部から 横浜市 戸塚区 西富 [ ← 図幅地域南東隅から北西方 2 km の藤沢市 西富 ? ] , 相模川の西岸の 尼寺原 [ 尼寺原 ? ] 台地, 愛甲 台地および伊勢原台地。
層序 : 下位の土屋層 [ Tu ] を不整合におおい, 上位の立川ローム層に不整合におおわれる。
岩相 : 礫層は淘汰の悪い中~大礫からなり, 円~亜円礫で, 扇状地性の河床礫層である。 層厚は 2~5 m で, 礫種は砂岩, 頁岩, 緑色凝灰岩, 石英閃緑岩などからなる。 尼寺原( [ 図幅地域北西端から南東方 10 km に位置するボーリング ] B-12)では尼寺原礫層とよばれ, 粘土まじりの扇状地性の礫層で, 層厚は 5~10 m である。
武蔵野ローム層下部(従来の下末吉ローム層の上部)は, 小原台埋没土の直上から吉岡ラピリ(Y.P)の直下の埋没土までで, この部分のローム層の厚さは約 5 m である(第 9 図参照 [ ← 第 9 図では吉岡軽石層(ラピリ)の略号は「Y.P」でなく「YL」になっている ? ] )。 鍵層は小原台軽石層(O.P)だけである。 この軽石層は 大磯丘陵で厚さ 30~50 cm, 善行で 50 cm あるが, 厚木市 長谷や尼寺原では急激に薄くなり, 褐色ローム層の中に径 5 mm の黄色軽石が点在する状態なので, 「クリヨーカン軽石」と言う俗称がある。
対比 : 善行礫層は町田(1973)によって三浦半島の小原台砂礫層と対比され, 吉川ほか(1973)によって武蔵野 Ⅰ 面と呼称された。
模式地(横須賀市小原台)では 小原台砂礫層は Pm-1 軽石(F.T. 年代は 7~9 万年)の堆積直後に離水したが, 本図幅地域では 小原台軽石 [ O.P ] (F.T.7 万年)の堆積前後に善行礫層が離水している(第 25・26 図)ので, この点から言えば 模式地の小原台面よりいくらか後れて離水している。 しかしながら, この程度の離水時期の差から段丘面および堆積物を区分することは 通常は困難なので, 本報告でも本層を一応 小原台砂礫層と対比する。 なお, 小原台軽石の F.T. 年代は 66,000 ± 6,000 B.P. である。
命名 : 成瀬・戸谷(1957)が相模野礫層 C と命名したが, 本報告において「相模野礫層」と改名した。
模式地 : 相模野礫層は藤沢市 大庭。 武蔵野ローム層の模式地は武蔵野台地であるが, より完全な柱状 [ 図 ] は町田・森山(1968)や上杉(1976)によって大磯丘陵の東部で得られており, 本報告においても大磯丘陵のものを基準として扱う(第 9 図参照)。
分布 : 相模川の両岸一帯
層序 : 下位の下末吉層 [ S ] を不整合におおい, 上位の立川ローム層に不整合におおわれる。
岩相 : 礫層は淘汰の悪い大~中礫からなり, 直径 1.0 m の巨大な亜円礫の混じる円~亜円礫で, 充填物は粗粒砂からなる扇状地性の礫層である。 礫種は凝灰角礫岩, 緑色凝灰岩, 斑岩, 砂岩, チャートなどからなり, 層厚は 6~8 m で 北から南に薄くなる。
武蔵野ローム層中部は 粘土化のやや進んだ褐色ロームで, 一部では青灰から灰色になり, やや固結している。 なお, 本層は相模野礫層を整合におおっている。 武蔵野ローム層中部の層厚は 大磯丘陵で 3.5 m, 藤沢市付近では 2.0 m 位である。 鍵層は 吉岡ラピリ(Y.P), 安針 軽石(A. P)の2枚である(第 27・28 図)。
対比 : 相模野礫層は成瀬ほか(1957)によって武蔵野礫層に対比されたが, 現在では 吉川ほか(1973)により武蔵野 Ⅱ 面の礫層と対比される。
命名 : 台砂礫層は新称
模式地 : 藤沢市 大庭 字「台」の 大庭 神社
分布 : 境川と引地川の下流域
層序 : 下位の土屋層 [ Tu ] を不整合におおい, 上位の立川ローム層に不整合におおわれている。
岩相および対比 : 台砂礫層は 淘汰の悪い中礫の円~亜円礫からなり, 充填物は粘土まじりの粗粒砂で, 層厚は 0.5~1.0 m である。 武蔵野ローム層上部は褐色で 粘士化が進み, 台砂礫層を整合におおっており, 層厚は 8~17 m である。 鍵層は三浦軽石(M.P)から BCVA [ = 青色粗粒火山灰(密集層) ] まで5枚以上ある。 台砂礫層の直上から 40 cm の褐色ローム層をへて, 三浦軽石層 [ M.P ] と東京軽石層 [ T.P ] のある露頭(第 13 図参照)から, 三浦軽石層が礫層の直上に堆積したり, 東京軽石層が水中堆積している露頭(第 29 図)まである。 このように, 台砂礫層の離水年代には相当の幅があるが, これらを一括して台砂礫層とし, 武蔵野 Ⅲ 面(M3 面)の礫層と対比する。
武蔵野ローム層上部の鍵層の F.T. 年代は, 東京軽石(T.P)の軽石流堆積物が 49,000 ± 5,000 B.P., BCVA が約 40,000 B.P. の値が得られている。
命名 : [ 中津原礫層は ] 戸谷(1961) [ が命名した ] 。 ローム層は貝塚・森山(1969) [ が命名し ] . 町田・鈴木・宮崎(1971)によって再定義された。
模式地 : 中津原礫層は [ 本図幅の北隣の八王子図幅地域内の ] 愛川町 中津付近。 立川ローム層の模式地は多摩川の北岸の立川段丘であるが, そこでは鍵層が認め難い。 スコリヤを含む もっとも完全な断面は, 貝塚ほか(1969)および町田ほか(1971)によって 大磯丘陵および相模原台地の北部において得られている(第 30 図)。
分布 : 相模川両岸, 大磯丘陵, 境川・引地川の下流にあり, それぞれ固有の名称で呼ばれている。
層序 : 下位の相模野礫層 [ M2 ] を不整合におおっている。
岩相 : 礫層は淘汰の悪い大~中礫からなり, 径 50 cm 以上の大礫も多く, 亜円礫に円礫のまじる扇状地性の礫層である。 礫種は緑色疑灰岩, 頁岩, 砂岩, チャートなどで, 層厚は 6 m 位である。 金目川沿いの段丘礫層は 淘汰の悪い大~中礫で, 径 30 cm 以上の大礫が多く, 円礫まじりの亜円礫からなる扇状地性の河岸段丘礫層である。 層厚は 5~15 m + で, 現在の河床近くで急激に厚くなる。 相模川の東岸にある海老名市付近の中津原礫層は 淘汰の悪い大~中礫で, 径 40 cm の大礫が多く, 円~亜円礫である。 層厚は 6 m + で, 下限は沖積面より下位にある。 境川や引地川沿いの段丘礫層は, 淘汰の悪い砂礫層と分級度の悪い小礫まじりの粗粒砂からなり, 層厚は 1.2~1.5 m + である。
立川ローム層は 明褐色で粘土化の進んでいないローム層で, 中津原礫層を整合におおっている。 層厚は 中津原台地で 8~12 m, 金目川沿いの河岸段丘では 10~12 m, 海老名市付近で 9~10 m, 引地川の下流域で 9~10 m である。 鍵層は黒ガラから赤スコまでの4枚のスコリヤ層と, 丹沢パミス(姶良火山灰 AT)と呼ばれる1枚の軽石層がある(第 31 図および第 9 図参照)。
対比 : [ 図幅地域南西隅付近の ] 平塚市 金目川沿いにある中里段丘礫層と北金目段丘礫層は本層に相当し, 武蔵野台地の立川段丘礫層 [ 以下の [注] 参照 ] に対比される。 丹沢パミスは 九州の姶良火山の火山灰である(新井ほか, 1976)。 鍵層の F.T. 年代は 黒ガラが約 30,000 B.P., 丹沢パミスが 14C 法により 21,000 B.P. である(第 9 図参照)。
命名 : 戸谷(1961)が命名。 貝塚・森山(1969)は本層を4段の段丘群に細分した。
模式地 : [ 本図幅の北隣の八王子図幅地域内の ] 相模原市 田名原
分布 : 相模川の中・上流域の両岸
層相および対比 : 礫層は 本図幅地域の北部で淘汰の悪い大~中礫からなり, 径 50 cm ± の大礫が多く, 円~亜円礫で, 層厚は 3~10 m である。 中津原台地の南部では 淘汰の悪い大~中礫からなり, 径 30 cm ± の大礫が多く, 層厚は 4 m + である。 下荻野台地の礫層は 淘汰の悪い 中礫まじりの大礫を主としており, 径 90~100 cm の大礫が見られ, 円礫まじりの亜円礫からなる扇状地性の礫層である。 礫層の厚さは約 11 m あるが, 堆積状態からみて 上部の 3~5 m が田名原礫層であり, その下位のものは相模野礫層 [ M2 ] か相模層群と思われる。 飯山台地の段丘礫層は 淘汰の悪い大礫まじりの中礫で, 円礫まじりの亜円礫からなる。 層厚は 1~3 m + である。
礫層をおおっている立川ローム層の厚さは [ 本図幅の北隣の八王子図幅地域内の ] 相模原市 礫部で 5 m, 中津原台地の南部で 5~6 m, 下荻野台地で 5~7 m, 飯山台地では 8~10 m になる。 なお, 立川ローム層中部の下限は 相模野第1スコリヤ(S1S)の 50~70 cm下位にある(第 32 図)。 鍵層は 丹沢パミスと相模野第1スコリヤ層がある。 田名原礫層は 武蔵野台地の調布付近より上流の立川段丘礫層に対比される。
命名 : 戸谷(1961)が命名。 貝塚・森山(1969)は本層を5段の段丘に細分した。
模式地 : [ 本図幅の北隣の八王子図幅地域内の ] 相模原市 陽原
分布 : 相模川の上流から中流域と相模川の西岸側
岩相および対比 : 模式地での礫層は 淘汰の悪い中礫で, 最大径 20 cm, 平均 5~10 cm の円~亜円礫からなる。 本図幅地域内では, この礫層は沖積面下に埋没する。
礫層をおおう立川ローム層上部の厚さは 荻野台地で 2.0 m, 尼寺原台地で 4.0 m になる。 大磯丘陵では赤スコが鍵層として報告されているが, 本図幅地域の北部では認められない。
陽原礫層は 武蔵野台地の青柳段丘礫層と対比される。
本地域では 工場用の深井戸や, 東名高速道路・小田原~厚木バイパス [ 道路 ] ・国鉄 新幹線などの工事のために沖積層に多くのボーリング調査が実施されている。 これらの資料にもとづいて 貝塚ほか(1969), 神奈川県(1972)は沖積層の基底形態と層相を明らかにした。 最近になって, 神奈川県水事業団や 地盤沈下対策のためのボーリング調査などの多くの資料が新たに得られているので, 貝塚ほか(1969)の資料にこれらの資料を加えて検討した。
相模川の中・下流域の沖積層の下には大きな埋没谷がある。 この埋没谷の谷底は 現在の相模川の河床に沿って南北に連なり, 埋没谷の両岸は 相模川の河口付近で急斜面になり, 本図幅地域の南端部には 谷幅約 1.5 km の埋没谷底平野がある。 本図幅地域の南部から東名高速道路にかけての埋没谷の谷壁は 西岸側は緩傾斜で, 東岸側はその脚部が急傾斜になる。 埋没谷底の深さは 相模川の河口付近で海面下 86 m - になり, 本図幅地域南部で 84 m -(沖積層の厚さは約 90 m), 東名高速道路付近で 40 m(沖積層の厚さは約 55 m), 河口より 19 km 上流の座間市付近では 0 m(沖積層の厚さは約 30 m)になる。
貝塚ほか(1969)により, 沖積層は 岩相にもとづいて 基底, 下部, 中部, 上部および頂部層の5層に区分されている(第 7 表)。 本報告でもこの区分にしたがって以下に述べる。
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東海道線沿いの東西断面(第 33-1 図)によると, 基底礫層 と 下部礫層 は厚さ 10~30 m の玉砂利まじりの礫層からなる。 下部礫層の上位には厚さ 5~35 m の 下部泥層 がある。 下部泥層は 砂泥互層, 礫まじり砂層になるなど 横方向への岩相の変化が激しい。 下部泥層には貝化石の記載はなく, 一部に泥岩質泥層がある。 下部層全体の厚さは 40~60 m で, 埋没谷の大部分を埋めて平坦化している。 下部泥層の上位には厚さ 10~40 m の 上部砂層 がある。 この砂層は三角州前置層の砂 または 砂州の砂で, 一部に礫まじりの砂泥, 砂・泥互層がある。 本層には貝化石の細片が多産し, 松島ほか(1974)は辻堂付近で次の貝化石を報告している。
| Glycymeris albolineata | ベンケイガイ | |
| Meretrix lamarcki | チョウセンハマグリ | |
| Umbonium (Suchium) giganteum | グンベイキサゴ | |
| Cyclosunetta menstrualis | ワスレガイ | |
| Gomphina (Macridiscus) melanaegis | コタマガイ |
この貝は浅海底の砂底に生息するもので, 現在の紀伊半島以南の海況を示している。 本層の下限の海抜高度は 西部の大磯丘陵寄りで -40 m, 相模川の現河床付近で -30 m, 茅ケ崎市で -20~-10 m と西から東に下限高度が高くなり, 層厚も東方では 薄くなる。 上部砂層の上位には 浜堤礫, 砂丘砂があり, 砂丘砂は 相模川の西岸から茅ケ崎, 藤沢市にかけて広く分布している。 太田ほか(1968)によると, 砂丘砂は 相模湾から平塚市 古真土 [ ← 相模川の西方 1 km 強・図幅地域南端から北方に 2.5 km ] までの間に第1~7砂丘までの砂丘堤列が東西に連らなり, 本図幅地域内には3堤列が認められる。 砂丘の高度は 相模川の西岸で 6~9 m, 茅ケ崎市で 12 m, 藤沢市で 25~32 m と西から東に著しく高くなっている。 これは 砂丘の基底高度が 2~17 m と西から東に高くなることと, 砂丘砂の厚さが 4.5~16 m と西から東に厚くなることの相乗効果のためである。 砂丘堤間地は 頂部泥層からなり, 泥炭質泥が 5~10 m の厚さで堆積している。 頂部泥層は [ 図幅地域南西部の ] 金目川の西岸にも分布し, 厚さ 5~10 m の泥炭質泥層からなる。 東海道新幹線の北方 200 m 地点のボーリング資料によると 上部砂層には貝化石が多産するが, この地点より北方のボーリング資料には 貝化石の記載が無くなることから, 海成層の北限は 東名高速道路と東海道新幹線の間にある。 金目川と鈴川沿いでは 北金目台地の東側まで貝化石の多産する上部砂層があるので, 鈴川沿いでは小田急電鉄 小田原線より南側に, 金目川沿いでは [ 金目川の南岸の ] 南金目付近に海成層の北限があると見られる。
[ 地質図の上の中央から北東隅に向かう線 F~F1~F2 に対応する ] 東名高速道路沿いの断面( [ 巻末の ] 付図 第 1-3 図参照)では 下部の礫層は玉石まじりの礫からなり, 層厚は 5~25 m + あり, 礫層の上位には厚さ 15~20 m の泥層がある。 泥層は 砂泥互層, 泥・礫互層と岩相が変化する。 泥層の上位には 泥層と礫層がある。 厚木市から座間市にかけては 現在の河床沿いに 10~20 m の厚さに礫層および砂層があり, 砂層と台地との間には 10 m + の泥層(泥炭質泥層)がある。 沖積層が扇状地性の礫層になるのは 相模川沿いでは座間市役所より上流域, 中津川沿いでは中津川橋より上流域, その他の中・小河川では 丘陵・台地が山地に接する付近より上流においてである。
相模原台地を刻む中・小河川沿いの沖積層は 各河川の中・下流域で厚さ 5~10 m の泥炭質泥層からなるが, [ 図幅地域南東部の ] 境川と引地川の下流が海岸の沖積低地と接する付近では 20~30 m の厚い泥炭質泥層からなっている。
貝塚ほか(1969)は 相模川低地や海岸低地の下位には埋没段丘があり, その段丘面が田名原面や陽原面と同時面である可能性を指摘した。 本報告では 従来のボーリング資料を再検討すると同時に, 新たなボ一リング資料にもとづいて 埋没段丘の再検討を行なった。 埋没段丘の対比は 主としてボーリング杜状図に記載されているローム, 軽石, ローム層の厚さなどに基づき, 段丘礫層の海抜高度を含めて検討した。
相模川の西岸側 では, [ 相模川の西方 1 km 弱・図幅地域南北中央やや北の ] 小田急電鉄 本厚木駅の北と西側で 沖積層の下位に厚さ 3~4 m のローム層がある。 その下位の礫層の海抜高度は 10~2 m と南に低くなり, 中津原面から陽原面までのいづれかの段丘面に対比できる。 東名高速道路沿いでは, 相模川の河床直下より西方の沖積層の下に厚さ 7, 10,15 m のローム層があり, 愛甲台地(M1 面)に接している。 礫層の高度とローム層の厚さから 田名原面, 下末吉面, 土屋面に対比することが可能である。 また, 土屋面より下位に 座間 Ⅰ 面と対比可能な段丘がある (ボーリング資料によると ローム層の厚さは 25 m + で, 軽石層とスコリヤ層が多数記載されている)。
小田原~厚木バイパス道路沿いの断面(第 33-2 図参照)では, ホーリング資料と道路に隣接する丘陵・台地の礫層の高度, 埋没段丘の礫層の高度, ローム層の厚さ, 軽石とスコリヤの記載から 次のような対比が可能である。 大磯丘陵から金目川の河床にかけては, 土屋ローム層 [ TuL ] より古いローム層が埋没段丘になり(ローム層の厚さは 25 m +), 伊勢原台地の東側では土屋面が埋没段丘になり(ローム層の厚さは 9~20 m), 歌川沿いには扇状地性の 台 面(ローム層の厚さが 7~9 m)が埋没段丘になり, 高森丘陵から愛甲台地にかけては 土屋面(ローム層の厚さ 12 m), 早田面(ローム層の厚さ 9 m), 座間 Ⅰ 面(ローム層の厚さ 17~22 m ?)と それぞれ対比可能な埋没段丘がある。 北金目台地の東側の埋没段丘は ローム層の厚さが 13 m で その中に軽石層があり, 下位の砂層には貝化石が記載されていることから 下末吉面との対比が可能である。 伊勢原台地の南側にある埋没段丘は ローム層の厚さが 9 m で, 下末吉面との対比が可能であり, 下末吉層 [ S ] の下位にも厚さ 5 m + のローム層(土屋ローム層 [ TuL ] ?)が記載されている。
相模川の東岸側 では, 座間市 [ の国鉄 相模線 ] 入谷 駅 [ ← 相模川の東方 1.5 km・図幅地域北端の南方 3 km 弱 ] の東側の沖積層の下位には 2面に区分できる埋没段丘がある。 埋没段丘礫層の海抜高度は 高位の礫層が 20~24 m, 低位の礫層が 13~16 m で, それぞれ 2.0 m と 1.5 m のローム層におおわれている。 この埋没段丘は 高位面が田名原面, 低位面が陽原面と対比することが可能である。
[ 国鉄 ] 相模線 寒川 駅 [ ← 相模川の東方 1.5 km・図幅地域南端の北方 3 km 強 ] 付近の埋没段丘は ローム層の厚さが 5~16 m で 軽石層があり, 礫層の高度が東側の台地の礫層と全く一致することから 相模原面(M2 面)に対比される。
[ 寒川駅の東南東方 2 km の ] 茅ケ崎市の香川から [ その南南東方 2 km の ] 茅ケ崎にかけて広がる埋没段丘は 磯層の高度から2面に区分される。 高位面は厚さ 13 m のローム層におおわれ, 低位面は 7 m のローム層におおわれている。 高位面は相模原面(M2 面), 低位面では東京軽石と軽石流堆積物を確認し, 東京軽石層の直下に礫層があるので 台 面(M3 面)と対比する。
丘陵・台地の下位にも多くの埋没段丘があり, 藤沢市 大庭(第 13 図参照)では 土屋面が台面におおわれており, ボーリング B-1 では 前述のごとく 古い段丘が新しい段丘におおわれている。 大磯丘陵の土屋(第 34 図)のボーリング B-15 では 早田ローム層 [ SoL ] が下末吉層 [ S ] におおわれ, 同時に下庭面も下末吉面におおわれている。
大磯丘陵に堆積しているローム層のうち 早田ローム層 [ SoL ] から武蔵野ローム層 [ M1L・M2L・M3L ] までのローム層中に5枚の軽石流堆積物が認められる。 この軽石流堆積物は 箱根火山を供給源として 酒匂 川, 大磯丘陵を横切り, 一部は現在の相模川までも横切って 藤沢市の東部から [ 本図幅の東隣の横浜図幅地域内の ] 横浜市 戸塚区 戸塚駅の東方にまで達している。
早田ローム層 [ SoL ] の Tm-2 の軽石流堆積物は [ 図幅地域南西隅付近の ] 平塚市 土屋の東海大学野球場, [ 図幅地域南東部の ] 藤沢市 大庭, ボーリング B-1 で認められ, 大磯丘陵から相模原台地の南部一帯に分布している。 層厚は 平塚市 土屋で 1.5 m, 藤沢市 大庭で 0.3~1.0 m +, ボーリング B-1 で 0.7 m になる。 早田ローム層の Tm-33 の軽石流堆積物と 土屋ローム層の Tu-1 の軽石流堆積物は 平塚市 土屋と早田で認められるが, 大磯丘陵より東方では認められない。
武蔵野ローム層内の東京軽石層(降下軽石)の直上に見られる東京軽石流堆積物は [ 図幅地域南西隅付近の ] 中井町 遠藤原 から大磯丘陵の東部一帯に点在し, 秦野市 下大槻 と南矢名および伊勢原台地の東南部から東部までは地表で認められ, さらに [ 国鉄 相模線 寒川駅の東南東方 1.5 km の ] ボーリング B-10, [ その南南東方の茅ヶ崎の南方の図幅地域南端付近にある ] 茅ケ崎市役所(沖積面下の埋没段丘)で確認されている。
東京軽石流(第 35 図)は 中井町 遠藤原付近で北と東に分岐し(第 36 図), 北への流れは 金目台地を横切り, 伊勢原台地の東部を通り, その東北端付近まで達している。 東に流れた軽石流は 相模川を横切り, 相模原台地の南端をかすめ, 現在の海岸沿いに東進した。 軽石流堆積物の層厚は 中井町 遠藤原で 10~15 m +, 大磯丘陵の東部で 3~10 m +, 金目台地で 10 m, 伊勢原台地で 1~5 m, 相模原台地の南部で 1.5 m, 茅ケ崎市役所で 1.0 m ± になる。
大磯丘陵に堆積しているローム層の全層厚は 軽石流堆積物を含めると約 300 m に達し, 柄沢 口ーム層 [ 以下の [注] 参照 ] から立川ローム層までの 10 層に区分されている(第 9 図参照)。 このローム層の全体的な特徴は, 柄沢口ーム層から藤沢ローム層までは 鍵層の大部分がスコリヤ質で, スコリヤ質ローム層であることである。 早田ローム層は 軽石質とスコリヤ質の鍵層が互層状に繰り返し, 2枚の軽石流堆積物をはさんでいる。 七国峠ローム層から武蔵野ローム層中部までは 鍵層の大部分は軽石質で, 3枚の軽石流堆積物をはさむ軽石質ローム層である。 武蔵野ローム層上部から立川ローム層の鍵層はほとんどスコリヤ質で, スコリヤ質ローム層になっている。
雑色 ローム層 [ ZoL ] の鍵層はほとんどスコリヤ層で, 各層の層厚は 10~190 cm で 50 cm ± のものが多い。 鉱物組成 [ 以下の [注] 参照 ] は 一般に hyp ≧ au > mg, または hyp > mg > au であるが, 鍵層 Tll-22, 50 には角閃石があり, Tll-9 は ho ≫ mg > hyp > bio と鉱物組成が異なっている。 特に黒雲母の入る鍵層は箱根火山の噴出物ではなく 他の火山 (例えば 西方の御岳火山など)の噴出物と言われている。
下庭 ローム層 [ SiL ] の鍵層はほとんどスコリヤ層で, 各層の層厚は 10~90 cm で 50 cm ± 位が多い。
藤沢 ローム層 [ FL ] の鍵層もほとんどがスコリヤ層で, 一部に軽石質の鍵層があり, 各層の層厚は 20~100 cm で 50 cm ± 位が多い。 鉱物組成は hyp > mg > au である。
早田 ローム層 [ SoL ] の鍵層の半分は軽石層で, 半分がスコリヤ層である。 鍵層の厚さは軽石層のものは 80~300 cm と厚く, スコリヤ層のものでは 10~50 cm と薄い。 また, 厚さ 20 m と 10 m の軽石流堆積物が2枚はさまれている。 鉱物組成は 一般に hyp > mg > au または mg > hyp > au であるが, Tm-2 の下部は hyp > au > mg > ho, Tm-8 は mg > ho > au で, いづれも角閃石がある。 また, Tm-6, 9, 10, 15 と 19 の下部および 21 は ho > mg > bio または ho > mg > hyp > bio, あるいは ho > mg > hyp ≒ au ≫ bio となり, いづれも角閃石と黒雲母の入っている特徴的な軽石群である。
七国峠 ローム層 [ ShL ] の鍵層は軽石層で, 層厚は 10~90 cm であり, 厚さ 50 cm の軽石流堆積物が1枚はさまれている。
土屋 ローム層 [ TuL ] の鍵層は大部分が軽石層で, 各層の厚さも 20~375 cm と厚く, 土屋ローム層の下部には 下位から厚さ 375 cm, 250 cm, 320 cm の軽石層が集中している。 また, Tu-1 の上位に厚さ 5 m の軽石流堆積物がある。 鉱物組成は 一般的に hyp ≧ mg > au で, Tu-15, 18, 33 には hyp > mg ≫ au > ho または ho > au > mg といづれも角閃石があり, Tu-9 は ho > mg > bio で, 角閃石と黒雲母のある特徴的な鍵層である。
下末吉 ローム層 ( 吉沢 ローム層) [ SL ] の鍵層も軽石層で, 各層の層厚は 30~220 cm で, 100 cm - 位のものが多い。 鉱物組成は hyp > mg > au または mg > hyp > au で, Kmp-1, 7, 9 および 10 は hyp > mg > au > ho または mg > hyp > au > ho で角閃石があり, Kmp-5, 6 は hyp > mg > au > ol でかんらん石があり, Pm-1 には黒雲母がある。
武蔵野 ローム層 [ M1L・M2L・M3L ] の鍵層は 下部から中部が軽石層で 上部がスコリヤ層になる。 軽石質の鍵層の厚さは 35~260 cm で, 東京軽石層の直上に軽石流堆積物がある。 スコリヤ質の鍵層は 10~50 cm と薄くなる。 鉱物組成は 一般に hyp > au > mg であるが, 小原台軽石層は mg > hyp > au > ho で, 吉岡ラピリは hyp > mg > au > ol であって 角閃石やかんらん石が認められる。
立川 ローム層 [ NaL・TaL・MiL ] の鍵層は すべてスコリヤ層で, 各層の層厚は 10~50 cm である。 鉱物組成は ol ≫ hyp > au > mg(関東ローム研, 1965)とかんらん石が急激に増加する。
このように, ローム層全体の鉱物組成としては紫蘇輝石 [ hyp ] , 普通輝石 [ au ] , 磁鉄鉱 [ mg ] が大部分を占めているが, 一部に角閃石 [ ho ] または角閃石・黒雲母 [ bio ] を含む鍵層がある。 これは箱根火山とは別の火山からの噴出物と考えられている。 また, 武蔵野ローム層から立川ローム層にかけて かんらん石が出現してくるのは, 火山灰の供給が箱根火山から富士火山に変ったことがその理由と考えられている。
なお, 町田ほか(1974)は鍵層の特徴を明らかにしたカタログを報告している(第 37 図)。
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本図幅地域内には多くの丘陵・台地が発達し 地形面ごとに地形・地質が異なるので, それぞれの丘陵・台地ごとに それを構成する地質の概略を述べる。
座間丘陵 では 前述のごとく相模川の扇状地礫層が堆積し, この礫層の上位に藤沢ローム層が整合にかさなっている。 その後, 丘陵の東側と南側が河川により削られ, 河床礫が堆積して 新たに土屋面を形成した。 武蔵野・立川ロームの降灰期にも丘陵の西と東が削られ, 現在の南北に細長い丘陵になった。 座間 Ⅰ 面には 藤沢ローム層から立川ローム層まで厚さ約 40~60 m のローム層が堆積し, 座間 Ⅱ 面には 土屋ローム層から立川ローム層まで厚さ約 40 m のローム層が堆積している。 なお, [ 相模川の東方 3 km・図幅地域南北中央付近の ] 海老名市 杉久保では 下末吉期の古砂丘砂(厚さ 2~10 m)が堆積しているので, ローム層と古砂丘砂で厚さ約 50 m に達している。
高座丘陵 は 前述のごとく 下末吉海進の波食台として形成され, 高座丘陵砂礫層 [ = 下末吉層(S)? ] は三角州に堆積した層厚 3~10 m の砂礫層である。 下末吉海進の旧汀線は座間丘陵に接し, 波食台は北から南に緩傾斜で低くなり, この波食台堆積物を下末吉ローム層 [ SL ] が整合におおっている。 武蔵野ロームの降灰期には 相模川や中津川などによって丘陵の周囲が削られ, 現在の丘陵になった。 高座丘陵には 下末吉ローム層から立川ローム層までの厚さ約 20~35 m のローム層が堆積している。
善行面 は 相模川の扇状地に堆積した礫層を基底礫層とし, この礫層を武蔵野ローム層下部 [ M1L ] が整合におおっている。 善行面には 武蔵野ローム層下部から立川ローム層まで厚さ約 15~18 m のローム層が堆積している。
相模野面 は 武蔵野ロームの降灰期に相模川の扇状地として形成された。 相模川は 座間丘陵と高座丘陵を削り, 図幅地域の東部では多摩丘陵を削り, 同時に扇状地礫層を広範囲に堆積した。 相模野面には 武蔵野ローム層中部から立川ローム層まで厚さ約 18~20 m のローム層が堆積している。
台 面 は 相模原台地内の河岸段丘として形成され, 段丘礫層を武蔵野ローム層が整合におおっている。 台面には 武蔵野ローム層から立川ローム層まで厚さ約 13~15 m のローム層が堆積している。
中津原・下荻野・飯山台地 は いづれも立川期の段丘群からなり, 相模川・中津川・荻野川・小鮎川の扇状地 または扇状地性の河床堆積物により形成された。 中津原面は それぞれの台地で扇状地として形成された。 田名原面の形成期には, 中津原台地では 相模川と中津川によって台地の南部が削られて 扇状地性の河床礫層が堆積し, 下荻野と飯山台地では この時に形成された扇状地が台地の主面をなしている。 陽原面は, 下荻野台地の南端部と飯山台地の南東部にせまい幅に堆積した河床礫層により形成されている。 それぞれの地形面における立川ローム層の厚さは, 中津原面で 8~10 m, 田名原面で 5~8 m, 陽原面で 2~4 m である。
尼寺原台地 は 主として小鮎川の扇状地として形成された。 台地の北部の座間 Ⅰ 面では ローム層の下位に相模層群のシルト層があるだけで, このシルト層とローム層の間に水成層が有るのか, あるいは, 侵食されて欠除しているのか明らかではないが, 従来の資料から 一応 座間 Ⅰ 面と対比した。 台地の東部にある狐塚の孤立丘は, ローム層の厚さが 38 m + あることから 一応 早田面に対比した。 下末吉海進期には 小鮎川の扇状地性の礫層が堆積して台地の主面を形成した。 この地形面を尼寺原 Ⅰ 面として下末吉面と対比した。 尼寺原 Ⅱ 面は 恩曾川の扇状地性の河床堆積物により形成され, この段丘礫層を武蔵野ローム層下部 [ M1L ] が整合におおっているので 善行面に対比される。 その後, 小鮎川は 台地の北部に田名原面, 陽原面を形成した。 尼寺原 Ⅰ 面には 下末吉ローム層から立川ローム層まで厚さ約 22 m のローム層が堆積し, 尼寺原 Ⅱ 面には 武蔵野ローム層下部から立川ローム層まで厚さ約 25~30 m のローム層が堆積している。 ローム層は尼寺原 Ⅱ 面の方が厚く堆積しているが, [ 巻末の付図 第 2 図の ] 柱状図(ボーリング B-11・12)で明らかなように, 東京軽石層より上位のローム層が Ⅰ 面では薄く(9.5 m), Ⅱ 面では厚い(18.5 m)ことによるものである。
長谷丘陵 の長谷 Ⅰ 面は 小鮎川の扇状地として形成された。 この扇状地礫層を早田ローム層 [ SoL ] が整合におおうと考えられるので, 同面は早田面に対比される。 長谷 Ⅱ 面も小鮎川の扇状地として形成され, この扇状地礫層を土屋ローム層 [ TuL ] の上部が整合におおっていることから 土屋面に対比される。 長谷 Ⅰ・Ⅱ 面には それぞれ早田ローム層から立川ローム層までと 土屋ローム層から立川ローム層までの 厚さ 50~55 m と 40~45 m のローム層が堆積している。 長谷 Ⅱ 面形成後に 恩曾川が丘陵の北部を削り 河床礫を堆積した。 この河床礫堆積面を武蔵野ローム層中部 [ M2L ] が整合におおっていることから, この面は相模野面に対比される。 この面には 武蔵野ローム層中部から立川ローム層まで厚さ 20 m のローム層が堆積している。
愛甲台地と高森丘陵 は 土屋ローム層の降灰期に 小鮎川・歌川の扇状地として形成され, 善行面の形成期には 玉川の扇状地性の礫層が愛甲台地の主面を形成した。 なお, 台地と山地の境付近には 古期ローム層が斜面堆積している(第 38 図)。 高森丘陵の東海大学附属病院 [ ← 岡津古久の南南西方 2.5 km ] のボーリング資料によると, 基底堆積物(砂層)の直上に Tu-8 軽石層があり, ローム層の厚さは 35 m + ある。 愛甲台地の土屋面は ローム層の厚さが 30 m + で, 基底礫層の直上には Tu-23 軽石層が堆積していると予想される (東海大学附属病院の地形面は土屋 下位面で, 愛甲台地は土屋 上位面に対比される)。 愛甲台地の主面には 武蔵野ローム層下部から立川ローム層まで厚さ約 22 m のローム層が堆積している。
日向 ・ 上粕屋 扇状地 は 玉川・日向川・渋田川・鈴川により形成された。 日向扇状地の下末吉面においては 小原台軽石層の 2.0 m 下方までのローム層を確認しているが, ローム層全体の厚さは不明である。 相模野礫層 [ M2 ] の堆積期には 日向川が東と南に分流して扇状地礫を堆積した。 一方, 上粕屋扇状地では 鈴川が南流して扇状地を形成した。 武蔵野ローム層上部の降灰期には 日向川は南に流れて歌川に流入し, 鈴川は 相模野面の扇状地礫層を削り, 南に流れて 上粕屋扇状地の主面を形成した。 田名原面形成期には 日向川の一部は東に流れて新玉川に流入したが, 大部分は南に流れて扇状地礫層を堆積して, 日向扇状地の主面を形成した。 なお, 日向川は南流して鈴川に合流している。 陽原面の形成期には 日向扇状地の玉川・日向川とも扇状地性の河床礫を堆積して地形面を形成し, 上粕屋扇状地でも 渋田川と鈴川が河床礫を堆積し 地形面を形成している。 これらの礫層をおおっているローム層の厚さは, 礫層の上限が不規則で凹凸が激しく 正確には明らかではないが, 相模野面で 15~17 m +, 台 面で 8 m +, 田名原面で 6 m +, 陽原面で 3~4 m + になる。
伊勢原台地 は 鈴川と日向川の扇状地として形成された。 台地中央の孤立丘は従来の資料から早田面に対比した。 台地の東部のボーリング資料によると 40 m + の厚さのローム層があり, ローム層の下位には厚さ 20~30 m の砂または礫層があることから, 台地の東部は土屋層 [ Tu ] の堆積面とした。 この土屋層は 鈴川などの扇状地性の堆積物で, 高森丘陵と同じ頃に形成されたと考えられる。 善行面の形成期には 扇状地礫層が土屋層を不整合におおい, 台地の主面を形成した。 相模野面の形成期には 台地の北部に日向川の扇状地性の礫層が堆積した。 伊勢原台地の構成層は すべて沖積面より下位にあるので, 地表では認められない。 なお, 台地の南部から東部にかけて, 東京軽石流堆積物が 露頭とボーリング資料によって明らかにされている。 土屋面には 土屋ローム層から立川ローム層まで厚さ約 35~50 m のローム層が堆積し, 善行面には 武蔵野ローム層下部から立川ローム層まで厚さ約 25 m ± のローム層が堆積している。 台地の北部の相模野面には 武蔵野ローム層中部から立川ローム層まで厚さ約 15 m ± のローム層が堆積している。
金目台地 は 主として下庭層 [ Si ] の波食台堆積物を構成層として形成された。 ボ一リング資料によると, 台地の中央から西部では ローム層の厚さは 42 m + で 下限は明らかではなく, ローム層には多くの軽石層が記載されている。 後述の大磯丘陵の地形面の分布形態から, 一応 下庭層の堆積面とした。 台地の北東部は 金目川沿いの露頭とボーリング資料から 下末吉面と対比した。 下末吉層 [ S ] は 西部では陸成の泥層で, 東部では波食台に堆積した砂層である。 北金目河岸段丘は 金目川の扇状地性の礫層によって形成され, 中津原面と対比されている。 下末吉面には 下末吉ローム層から立川ローム層までの厚さ 30 m + のローム層が堆積し, 中津原面には立川ローム層が 5~11 m の厚さで堆積している。 なお, 東京軽石流は [ 図幅地域南西隅から北北東方 3.5 km の ] 南矢名の根古屋と [ 図幅地域南西隅から北東方 4 km 弱の ] 東海大学付近との2か所で 台地を横断して北に流れた。 軽石流堆積物の厚さは [ 根古屋の南西方 500 m 弱の ] 秦野高校の東方で約 10 m である。
大磯丘陵 には 一部に第三系の鷹取山層 [ Tk ] があり, 鷹取山層の西側には海成の早田層 [ So ] と早田ローム層 [ SoL ] が堆積し, 早田層の西側に七国峠層 [ Sh ] がある。 早田層の北側には下庭層 [ Si ] と 吉沢 層 [ = 下末吉層(S) ] が堆積している。 ボーリング B-15 によって下庭面が明らかになり, これは丘陵の西部から北部にかけて分布している。 早田層の分布は 土屋付近を旧汀線とし, これより南側に限られている(旧汀線の北と西側には下庭面がある)。 早田面の西側に七国峠面がある。 下末吉海進により 早田面の北側に波食台が形成され, 下末吉層(吉沢層)が堆積した。 下末吉海進の旧汀線は 土屋から上吉沢にかけて東西に述なり, 堆積物は中粒砂で, 基底には穿孔貝の生痕が見られる(第 22 図参照)。 土屋の 中里から矢沢 [ 位置不明 ] にかけての下末吉層は 泥炭質泥層, シルト層からなる陸成層で, 金目川沿いに秦野市 下大槻まで続いている。 なお, 下末吉層は早田層, 下庭層を不整合におおっている。 金目川沿いの下大槻 南平 では 扇状地性の河床礫層が 下末吉ローム層と東京軽石層を不整合におおっている(第 36 図参照)。 この段丘面は中津原面と対比されている。 なお, 東京軽石流は 中井町 遠藤原から北と東に流れ, 大磯丘陵の東北部の上吉沢や片岡 [ ← 上吉沢の北東方 2 km 弱 ] で東京軽石流堆積物を確認している。
本図幅地域内の第四紀の運動については, 大塚(1937)が本地域の東部から横浜市 戸塚区にかけて 西に開いた沈降盆の存在を指摘し, 戸塚湾と呼称したときから注目されはじめた。 成瀬(1952)は 相模原台地の基底礫層の形態から段丘変形を提唱し, 神奈川県(1955)は, 相模川の東岸の現在の東海道新幹線の南側が最も低くなる盆状構造によって, 段丘が変形していることを指摘した。 成瀬ほか(1957)は この盆状構造を「 相模積成盆地 」と命名した。 その後, 町田(1973)・岡(1974)・上杉ほか(1977)・岡ほか(1977)によって, 段丘変形速度や盆地の形成様式などが研究されている。 今回の調査により多くの埋没段丘の存在が認められたため, 相模造盆地運動の実態がさらに明らかになった(第 39 図)。
東海道新幹線の南側で ほぼ東西を軸とし 西方にプランジ [ plunge ; 水平面から傾く ] する向斜軸があり, この向斜軸より南では段丘面が南側(海側)へ向って高度を増していることから, 活褶曲による段丘変形の存在が従来から指摘されている。 この向斜軸は 大塚(1937)の戸塚湾形成時の向斜軸部と一致し, 町田(1973)により秦野~横浜線, 貝塚(1974)により秦野~横浜沈降帯と呼ばれている。 [ 藤沢市の西部の ] ボーリング B-1 と B-7 での早田軽石層 [ SoL ] の傾斜と相模野礫層 [ M2 ] の傾斜から, 戸塚湾形成時の沈降軸部は 相模野礫層堆積以降も 沈降運動を続けていると考えられる。 向斜軸の南側は全般的に南東に高度を増しているので, 向斜軸の南側は相対的に隆起傾向にあると考えられている。 しかしながら, より詳しく検討すると次のようなことが言える。
このように, この地域は 善行礫層の堆積以前は 沈降の傾向を示し, 善行礫層の堆積以降は隆起の傾向を示している。
茅ケ崎市 芹沢 二本松 [ ← 小出 二本松 ? ; ボーリング B6 付近 ? ] から寒川にかけては 東西 4 km, 南北 1.5 km の隆起帯(寒川ドーム)が存在する。 ここでは高座丘陵砂礫層(下末吉層 [ S ] )と相模野礫層 [ M2 ] (武蔵野 Ⅱ 礫層)の変形量がほとんど等しいことから, 寒川ドームの隆起は相模野礫層が堆積した頃から始まったと考えられる。 寒川町役場 [ ← ボーリング B9 の西方 500 m ? ] 付近の相模野礫層は 西方の相模川に向って急激に沈降し, [ 国鉄 ] 相模線 寒川駅付近では沖積層におおわれて埋没段丘礫層になり, 礫層の上限高度は海抜 -14 m に達している。 東海道新幹線の北側にある座間丘陵礫層 [ F ] は陸成層で, 多摩丘陵の「おし沼砂礫層」に対比されているが, 礫層の上限高度は 座間市で +50 m, 東名高速道路の南側で -20 m(8 ‰)と現在の海面より低くなる。 また, 座間丘陵の南部には土屋層 [ Tu ] が堆積しているが, 堆積面の傾斜は 12~16 ‰ と南に低くなる。 座間丘陵礫層も土屋層も陸成層なので 初生的に北から南に傾斜してはいたが, 座間丘陵礫層が現在の海面より低くなることや, この礫層より高位に土屋層が堆積していることから, 座間丘陵礫層の堆積後で土屋層の堆積するまでの間に 丘陵は南に傾動沈下していたと考えられる。 座間丘陵の東側に広がる相模野面は 基底礫層の傾斜が 3.4 ‰ で 現在の相模川の河床勾配とほぼ一致し, また, 下末吉海進の波食台として形成された高座丘陵砂礫層も水平に近いことから見て, 構造盆地の北部は 下末吉層堆積以後はほとんど変形していないと考えられる。
本図幅地域北部の中津原, 下荻野, 飯山台地は 立川期の段丘礫層 [ = 中津原礫層(Na)・田名原礫層(Ta)・陽原礫層(Mi)? ] によって構成されている。 相模川をはさんで東西に分布するこれらの礫層は, 図幅北部で両岸の高度差が 20 m にも達している。 この高度差が段丘変形に起因するものか, 初生的なものかは 現在のところ明らかではない。
上荻野におけるボーリング資料によると, 従来から報告されている藤ノ木~愛川構造線によると見られる破砕帯が認められる。 荻野川は この破砕帯に沿って北西から南東に流れているが, 流域の段丘変形については明らかではない。 尼寺原台地, 長谷丘陵は, 古い段丘堆積物が新しい段丘堆積物におおわれていることから, 多摩丘陵周辺などで見られる段丘分布とはことなり 沈降域の特徴を示している。 しかしながら, これら地域においても善行面形成以降の段丘は 新しい段丘ほど低位にある。
伊勢原台地においては, 古い扇状地性の礫層は 新しい扇状地性の礫層より高度が低く, 台 砂礫層(M3)は 沖積層におおわれている(ボーリング資料による)のに対し 相模野面の基底礫層が一番高位にあることから, 相模野礫層 [ M2 ] の堆積期までは沈降していたと見られる。 伊勢原台地は 台地の形成と基底堆積物の形態から 西から東へ傾動沈下していると考えられる。 なお, 台地の西縁(鈴川の沖積低地)は 南北に延びる牧馬~煤ケ谷構造線の延長 [ = 落合断層 ? ] の上に当り, 花井(1934)によって 伊勢原断層 と呼ばれ, 西落ちの活断層とされている。
日向・上粕屋扇状地の地下には ボーリング資料により 南北に延びる破砕帯が知られているが, この破砕帯は 牧馬~煤ケ谷構造線の延長 [ = 落合断層 ? ] の上に当る。 同構造線の推定位置に対して 南北方向に [ ← 南北方向に延びる ? ] 地溝状地形が認められる。
[ 大磯 ] 丘陵 北東部の土屋でのボーリング B-15 によると, 下庭層 [ Si ] および下庭ローム層 [ SiL ] が確認され, 早田付近の早田層 [ So ] と下庭層の関係は 第 34 図のようになっている。 すなわち, 南部の隆起により現在の地形が形成されたものである。 下末吉層 [ S ] (吉沢層)の堆積以前に地形は逆傾斜し, 下末吉層の堆積後も 全体的に北方への傾動沈下が続いている。 金目川をはさんで 北側の北金目台地にも下末吉層が分布しているが, 海抜高度は大磯丘陵側とほぼ一致(45~50 m -)している。 しかしながら, [ 金目川の南側の ] 大磯丘陵の北部の下大槻の 南平 では 下末吉層は泥炭と軽石層の互層で, 軽石層の走向・傾斜は N 60°W・20°N になり, 上限は東京軽石層と軽石流堆積物に不整合におおわれている。 これに対して [ 金目川の北側の ] 北金目台地では 同じく泥炭層と軽石層が互層しているが, ほとんど水平で, 全体的には東に緩く傾斜している。 このように, 金目川をはさんで下末吉面の形態が異なっている。 金目川は 金目川の西方の [ 本図幅の西隣の秦野図幅地域内の ] 渋沢断層(東西方向で北落ちの正断層)の延長上に当っており, [ 金目川の ] 南北の下末吉面の形態の差異は この断層運動を反映していると考えられる。
図幅南部地域では 沖積層基底の形態と埋没段丘の分布形態が洪積台地の変動地形と類似しているので, 更新世の活構造運動は 現在まで続いていると考えられる。
相模川の東岸では 前述のごとく 寒川ドームの西端が 沖積層におおわれ, 埋没段丘礫層の高度が海抜 -14 m に達しているが, 茅ケ崎市役所付近の沖積層の下には 東京軽石層と軽石流堆積物を堆積している埋没段丘礫層の海抜高度が -16 m にあり, 東海道線に沿った沖積低地の基底は 東から西に緩く傾斜し, 相模川の埋没谷に接している。 本地域の南隣の [ 平塚図幅地域内の ] 海岸沿いでは 沖積層におおわれる更新統が急激に薄くなり, 沖積層が直接 新第三系第総層群をおおっている。 これらのことから, 藤沢市から茅ケ崎市にかけての東海道線沿いの沖積低地は, 相模構造盆地南緑の運動を反映しつつ形成されていると考えられる。
相模川の西岸では, 伊勢原台地の西側を流れる鈴川の沖積層の基底が 金目川における基底に比較して 低いことから, 牧馬~煤ケ谷構造線 [ の南方延長の落合断層(もしくは 伊勢原断層 ?) ] に沿う沈降運動が予想される。 相模川下流域を中心とする沈降運動は 相模川沿いの南北方向の沈降軸と, 東北東方向の沈降軸(秦野~横浜沈降帯)によって規制されているが, このうち南北方向の沈降帯は, 相模川両岸の丘陵・台地が すべて 相模川方向に傾斜し, 古い段丘堆積物が新しい段丘堆積物の下位にあることから明らかである。 また, 東北東方向の沈降帯としては, 前述した東海道新幹線の南側にみられる秦野~横浜沈降帯のほか, 茅ケ崎市 堤付近と 東海道線沿いの2か所に 東西にのび 西方にプランジする副次的な向斜軸がある。 このような向斜軸の存在は 相模川の西岸側では明らかではない。 ただし, 伊勢原台地と高森丘陵にはさまれた東西方向の歌川沿いの沖積低地には 沖積層におおわれた 台 砂礫層 [ M3 ] (扇状地性の礫層)が埋没していることから, 東西方向の沈降帯が存在する可能性がある。
本図幅地域には 牧馬~煤ケ谷構造線 [ の南方延長 ] に沿って 広沢寺, 七沢温泉, 別所, 伊勢原, 飯山などの鉱泉があり, また, 図幅地域の南西部には鶴巻温泉がある。 牧馬~煤ケ谷構造線 [ の南方延長 ] 沿いの鉱泉は 構造線 [ = 落合断層 or 伊勢崎断層 ? ] に関係して形成された割れ目からの湧出と考えられ, 鶴巻温泉は破砕帯の地下深部 2~3 km から数 10 度の温泉が上昇し, 地層中の間隙水や塩分を溶かしこんでくると考えられている。
広沢寺 温泉と 七沢 温泉 は 厚木市 七沢にあり, [ 小田急電鉄 ] 伊勢原駅や本厚木駅からバスが通じている。 鉱泉は 丹沢層群 大沢層 [ Os ] の火砕岩の割目から湧出し, 深さ 1~4 m で自噴している。 泉温は 20~22 ℃ で pH が 6.8~9.8 の単純炭酸泉で, 12 軒の旅館と七沢リハビリテーションが利用している。 神奈川温泉療養施設の温泉孔井では 深さ 364 m でメタ酸(H2SiO3)が 65.04 mg / kg 含まれ, 温泉法の温泉に該当する。
別所
鉱泉と
飯山
鉱泉
は
厚木市
[
← 清川村 ?
]
別所および
[
厚木市
]
飯山にあり,
[
小田急電鉄
]
本厚木駅からバスが通じている。
水温が 15~18 ℃ で,
pH が 6.9~9.4 である。
数軒の旅館に利用されている。
伊勢原 鉱泉 は 伊勢原市にあり, [ 小田急電鉄 ] 伊勢原駅からバスが通じている。 泉温は 18~19 ℃ で, pH は 9.5~9.7 の硫黄泉である。
鶴巻 温泉 は 秦野市 鶴巻にあり, 小田急電鉄 小田原線が通じている。 泉温は 17~32 ℃, pH は 6.5~8.3, 溶存物質の多い(6,000~7,000 mg / kg)含塩第土類弱食塩泉で, 化石海水型として他の丹沢山地の温泉とは区別されている。 小田急線 [ 鶴巻温泉 ] の駅前には温泉街をつくっている。
第 8 表は温泉・鉱泉の分析表である。
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本図幅地域内の地下水は 相模川沿いの低地帯と海岸沿いの低地帯, 相模川の東西に広がる台地の地下水に区分される。
相模川の東岸 では 台地の基底にある礫層と 礫層の下位にある相模層群の砂礫層が帯水層になっている。 台地の地下水は 水位降下 1 m 当り日量約 200 m3 程度の半被圧地下水帯である。 本図幅地域の北東部の境川沿いには 水位降下 1 m 当り日量 1,000 m3 の被圧地下水帯がある。 相模鉄道より北側では 自由地下水の帯水層の厚さが 35 m 前後あり, 相模鉄道の南側では 自由地下水の帯水層が 10 m ± と薄くなるので, 被圧地下水の帯水層から揚水している。 相模鉄道の北側では 孔径 350 mm で 3,000 m3 / 日を揚水している井戸が多い。 相模鉄道の南側では 孔径 150 mm で 2,500 m3 / 日を揚水しているが, 500~150 m3 / 日の井戸が多い東海道新幹線の南側では 孔径 300 mm で 1,878 m3 / 日であるが, 台地の南端部では 孔径 250 mm で 500 m3 / 日と揚水量が減少する。 なお, 台地の北東部の境川沿いでは, 孔径 250 mm で 3,018 m3 / 日と 台地内では最も多量の地下水を採水している。 台地の地下水は水質が良好なので, 上水道, 農業, 工業用水に利用されている。
相模川の西岸 では 台地の基底礫層と 礫層の下位にある相模層群の砂礫層が帯水層になっている。 中津原, 尼寺原台地の地下水は 自由地下水で, 量的には多くない。 愛甲台地では 孔径 330 mm で 1,656 m3 / 日を揚水している。 上粕屋扇状地では 孔径 250 mm で 1,233 m3 / 日, 扇状地の南端では 孔径 200 mm で 3,627 m3 / 日を揚水している。 伊勢原台地では 孔径 250 mm で 1,260 m3 / 日の揚水が記録されているが, 全体的には浅井戸が多く, 最近の水需要の増大によって 冬期の渇水時には井戸水の枯渇が見られる。 大磯丘陵では, 本図幅地域の南隣の「平塚」地域においては 地表から 200 m 下方の地下水を揚水しているが, 本図幅地域では 家庭用の浅井戸で自由地下水を利用しているにすぎない。
低地 の地下水は 相模川流域に豊富な彼圧地下水が存在し 上水道や工業用水に利用されているが, 茅ケ崎市の東部から藤沢市, および中小河川の低地では多量の地下水は得られていない。
相模川の中流の厚木市の北部の低地帯では 帯水層が地表から 60 m 以浅で 層厚が 20~30 m あり, 孔径 350 mm で 2,800 m3 / 日を揚水している。 厚木市の南部から東名高速道路の北側までの 相模川東岸の低地では 帯水層が地表から 80 m 以浅で, 2~3 層の帯水層がある。 この地域では 孔径 350 mm で 8,000~3,600 m3 / 日を揚水しているが, 相模川の西岸では 孔径 350 mm で 3,600~2,000 m3 / 日の揚水に止まっている。 東名高速道路より図幅地域南端部までは 帯水層が地表から 80 m 以浅で, 帯水層が2層あり, 層厚はそれぞれ 10~30 m で, 地下水量は最も多い。 これら帯水層のうち 浅い帯水層は表流水の影響を受けており, 深い帯水層は, 水質から, 洪積台地の侵透水によって函養されていることが明らかになっている。 揚水量は 孔径 300 mm で 4,700 m3 /日から 孔径 400 mm で 4,300 m3/日と, 1孔当り 3,000~4,000 m3 / 日の地下水を採水していた(昭和 42 年)。 図幅地域の南端部には地下水盆があり, 地下水頭面は地下水盆の形にほぼ一致している。 昭和 42 年に平塚市で地下水調査をした報告によると, 昭和 42 年に平塚市における工業用水の総揚水量は 79,000 m3 / 日で, 昭和 33~42 年の 10 年間で地下水位が約 30 m 低下した(第 40 図)。 平塚市の海岸沿いの地域では地下水に海水が混入し, 内陸域では化石水が混入し始めたので(第 41 図), 地下水の揚水を規制した結果, 昭和 48 年頃から地下水位は回復の傾向をたどり, 昭和 48~49 年での 1 年間で 5~10 m 以上の地下水頭が回復している(第 42 図)。 なお, 昭和 51 年の総揚水量は最盛期に比して半減している(府川ほか, 1978)。 相模川の東岸で寒川町から茅ケ崎市の西部にかけては 孔径 350 mm で 5,000~3,000 m3 / 日を採水し, 下流域では地下水の豊富な地域になっている。 茅ケ崎市の東部から辻堂や藤沢の低地帯では 西から東にかけて地下水量が少なくなり, 茅ケ崎市の西部で 2,000~3,000 m3 / 日, 辻堂付近で 1,500 m3 / 日, 藤沢付近で 1,200 m3 / 日の揚水が可能と報告されている。 茅ケ崎市 茅ケ崎付近から茅ケ崎市の西部にかけて地下水量が急激に増加するのは, 地下水盆の影響によるものと考えられる(小川ほか, 1965)。
地盤沈下 は 平塚市では昭和 41 年頃から局部的に知られており, 昭和 46 年度に水準測量した結果, 地盤沈下量が明らかになり, 昭和 43~49 年の 6 年間に最大 346.2 mm の沈下が記録された。 その後, 地下水の汲み上げを規制した結果, 地下水頭の上昇とともに 沈下量は減少し, 昭和 50 年には 一部をのぞき 地盤が上昇している(第 43 図)。 海老名市では 昭和 41 年頃より地盤沈下が始まり, 昭和 43 年には沈下量が増大し, 水田が沼地になるなど被害が明らかになってきた。 これは 一事業所が多量に地下水を汲み上げた結果であると報告されている。 このように, 地下水の過剰揚水による地下水頭の低下が 地盤沈下に関連していることが明らかになっている。 平塚市においては 地下水頭の上昇よリ 1 年後に地盤が上昇し始めたことが知られている。 このように, 平塚市では 地盤沈下は除々に回復にむかっているが, 相模川の東岸側では依然として地盤沈下が拡大経続している。 寒川付近は現在でも多量に揚水されており, 過剰揚水によって地盤沈下を起こしていると考えられる。
本図幅地域には各所に骨材や道路敷石のための採石場がある。 最も規模の大きなものは小鮎川の支流(高取山の麓)に位置し, 東神興産, 相模興業の2社により中津峡凝灰岩 [ Nk ] および舟沢層 [ Fu ; 空色 ] の安山岩質火砕岩を採掘している。 その他, 矢崎 [ ← 市道の東方 1 km ] (川畑組), 横林 [ 位置不明 ; 上荻野の南東方 ? ] (武相砂利), 市道(浦田砂利)などがあるが, いずれも中津峡凝灰岩を採掘している。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Tokyo (8) No. 73
By Shigefumi OKA, Mitsuo SHIMAZU, Akira UNOSAWA, Shigeru KATSURAJIMA and Toshihiro KAKIMI (Written in 1978)
The mapped area is situated in the eastern part of the Tanzawa Mountains of the South Fossa Magna region. Cretaceous and Neogene Systems are distributed in the western margin of this area, but most of the area are occupied by the Quarternary System which is developed in and around the Sagami Sedimentary Basin. Cretaceous System is the Kobotoke Group correlated with the Shimanto Group. Neogene System in the Tanzawa Mountains is composed of the Ōyama and Susugaya Sub-groups of the Tanzawa Group and the Aikawa Group. These groups are the so-called Green Tuff formation and are mostly composed of volcanic rocks of Middle Miocene.
Boundary between the distribution areas of the Tanzawa and Aikawa Groups and the Kobotoke Group is the Tōnoki - Aikawa Tectonic Line and also boundary between those of the Tanzawa Group and the Aikawa Group is the Makime - Susugaya Tectonic Line(Ochiai Fault).
Stratigraphical sequence is shown in Table 1.
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The Kobotoke Group, composed of shale and sandstone, is locally distributed in this area, but shows large distribution through north-western part of this area to the Kanto Mountains.
In this area, the Neogene Tertiary of the Tanzawa mountains was ever studied by Mikami(1955, 1958, 1962). Stratigraphical division shown in Table 1 is nearly the same as that by Mikami.
The Ōyama sub-group is divided into the Hontani-gawa and Karasawa-gawa Formations, and these formations are sub-divided into several members respectively. The Karasawa-gawa Formation in this area corresponds to the Karasawa Tuff Member and is mainly composed of basaltic pyroclastic rocks intercalated with dacitic tuff and mudstone.
The Susugaya Sub-group is divided into the following four formations ; Fudō-jiri, Ōsawa, Yatarō and Jike Formations in ascending order.
The Fudō-jiri Formation is mainly composed of pale greyish green dacitjc lapilli tuff and coarse tuff. The Ōsawa Formation is composed of dacitic lapilli tuff and basaltic to andesitic lapilli tuff and coarse tuff. The Yatarō Formation is composed of alternation of tuffaceous mudstone and basaltic to dacitic tuffs and is distributed in the following two areas ; Yatarō area and Hibita area. The formation of Hibita area located in the southern part of the mapped area is bordered on fault from the Karasawa-gawa Formation. Although the Jike Formation has similar rock facies with the Yatarō Formation, mudstone is predominate in the Jike Formation and contain yields many molluscan fossils such as Chlamys kaneharai.
The Aikawa Group is divided into the following three formations ; Miyagase, Funazawa and Nakatsu-kyo Formations in ascending oder.
The Miyagase Formation is mainly composed of andesitic pyroclastic rocks intercalated with dacitic tuff, mudstone and sandstone. The Funazawa Formation is mainly composed of alternation of mudstone and tuffaceous sandstone with andesitic and dacitic pyroclastic rocks.
The Nakatsu-kyo Formation was divided into the following the members by Mikami(1955) ; Nakatsu-kyo Volcanic Breccia, Junrei-tōge Conglomerate and Sandstone, Ichido Mudstone and Sandstone, Nakatsu-kyo Tuff, and Sekiro-zan Conglomerate and Sandstone. The Nakatsu-kyo Volcanic Breccia and Sekiro-zan Conglomerate and Sandstone Members are not distributed in the mapped area. In this report, the Nakatsu-kyo Formation is divided into the Nakatsu-kyo Tuff, Junrei-tōge Conglomerate, Sandstone and Mudstone, which includes the Ichido Mudstone and Sandstone.
The Nakatsu-kyo Tuff is mainly composed of andesitic lapilli tuff and tuff breccia intercalated with andesite lava, dacitic tuff, mudstone, sandstone and conglomerate. The Junrei-tōge Conglomerate, Sandstone and Mudstone is inter-fingered with the Nakatsu-kyo Tuff and is composed of alternation of conglomerate, sandstone and alternation of sandstone and mudstone. Conglomerate is composed of pre-Tertiary pebbles and pyroclastic matrices.
Main faults of the Tanzawa area are the Tonoki - Aikawa and Makime - Susugaya Tectonic Lines. However, southern extension of these faults are not confirmed because southern part of this area is covered by the Quaternary deposits. The presumed fault drawn in the Hibita area is the boundary between the Karasawa-gawa and Yatarō Formations.
The Ōyama and Susugaya Sub-groups change in structural trend from NNW - SSE direction of the southern part through NW - SE of the cnetral part to NWW - SEE of the northern part. Dips of these groups are 20 - 70° toward east, but in the upper streams of Hemurosawa and Fudosawa some of the Fudō-jiri and Ōsawa Formations dip 50 - 80° west-ward.
Structure of the Aikawa Formation is in harmony with that of the Tanzawa Group and has trend of NS to NE - SW and dips 30 - 50° east-ward.
The Nakatsu Formation developed mainly in the northern adjacent area is found narrowly at the river-side of Nakatsu-gawa. The formation covers the Cretaceous Kobotoke Group unconformably, and begins with conglomerate and muddy sandstone and is followed by siltstone. It abundantly yields molluscan fossils of the Kake-gawa Fauna indicating late Pliocene in age.
Other Upper Pliocene to Lower Pleistocene strata are exposed at small restricted areas of the mapped area, and are concealed under the late Quaternary strata. The Takatori-yama Formation in Ōiso Hills is composed mainly of conglomerate which contains round to subround pebbles of andesite. Members of the Kazusa Group distributed widely in the Yokohama district and Tama Hills are found only in The north-eastern and south-eastern corners of this quadrangle area.
The Quaternary strata excluding those of the Lower Pleistocene are most widely developed in the mapped area. They are classfied into the Sagami Group including the Older Loam Formations, the Younger Terrace Deposits, Younger Loam Formations and the Holocene Deposits. The(Kanto)Loam Formations, weathered volcanic ash layers, cover entirely the mapped area except for the area where the Holocene deposits are developed.
The Sagami Group overlying unconformably the Neogene and Lower Ploistocene strata forms a broad sedimentary basin named as Sagami Sedimentary Basin. The group is rich in pyroclastic material and is divided into the Naganuma, Byōbugaura, Ōba, Shimoniwa, Zama-Kyuryo, Sōda, Shichikuni-tōge, Tsuchiya and Shimo-sueyoshi Formations in ascending order.
The Naganuma Formation is of the products in the early stage of the basin-forming movement and the next Byōbugaura Formation is of those in the migrating and expanding stage of the basin. In the mapped area, however, both formations are almost entirely concealed under the younger terrace-forming formations. The Ōba Formation and following younger formations are either of ancient coastal plane deposits or of flood-plane deposits which correspond to the specific stages of the change in sea-level probably due to the glacial eustasy. Among them the Shimo-sueyoshi Formation is of the deposits which were formed during the last interglacial transgression. Each sedimentary surface of these aqueous formations is followed by the corresponding eolian Loam Formation, and forms a terrace plane. The Older Loam Formations are composed mainly of andesitic volcanic ash derived from the Hakone Volcano.
After the Shimo-sueyoshi Transgression, the Younger Terrace Deposits were formed mainly as the fluviatile deposits of ancient Sagami-gawa river at different altitudes refrecting the lowering of the sea-level. They are classified into, in ascending order, the Zengyo (M1), Sagamino (M2)and Dai (M3) Formations of the Musashino (M) Stage, and the Nakatsu-hara, Tana-hara and Mina-hara Formations of the Tachikawa (TC) Stage. The Younger Loam Formations, namely the Musashino and Tachikawa Loam Formations are mainly composed of basaltic ash derived from Fuji Volcano, but in the lower part of the Musashino Loam Formation andesitic ash and pumice beds from Hakone Volcano are intercalated.
In the lower reaches of the Sagami-gawa river, many burried terrace deposits and overlying Loam beds are found from the drilling data.
Beneath the Alluvial deposits along the Sagami-gawa river, an ancient river valley is concealed. The bottom of this valley is 8 6 m deep below the recent sea-level, nearby at the mouth of the Sagami-gawa. Lower 50 meters of the Alluvial Deposits filling this valley are composed of fluviatile sand and gravel, and upper 30 meters of them are of marine sand containing molluscan shells. Sand dunes formed during and after the Jōmon Transgression period are well developed along the coastal belt in the southern-most of the mapped area.
A synclinal axis of the Sagami Group is running through at the south-side of and nearly parallel to the railway of Shinkansen Line, and plunges toward the west. The Shimo-sueyoshi Surface and younger terrace planes of the latest Pleistocene are tilted toward this axis. Besides, location and trend of this axis coinsides approximately with those of the "hinge-line", a northern limit line of co-seismic uplift region, of the Great Kanto Earthquake of 1923. It is considered, therefore, that the tectonic movement which formed the Sagami Sedimentary Basin has been sill active at the present time.
At the lower reaches of Sagami-gawa river, the Quaternary basin plentifully yields artesian water of good quality which have been much discharged for industrial use. At the district around the mouth of Sagami-gawa, the moderate yield is about 8,000 cubic meters a day par well of 300 mm in diameter.
In 1966, at Hiratsuka City, total pumpage for industry was recorded as 79,000 cubic meters a day. Such a large pumpage was an over-draft and had brought about the progressive increase in lowering of the artesian head and land subsidence. Since then, the pumpage have been controlled by the ordinance, and, in 1976, it decreased into a half of that in the period of maximum discharge. As results, the artesian table recovered and the rate of subsidence had remarkably decreased. However, in the east-side of the lower stream of Sagami-gawa, the subsidence is still continued.
昭和 54 年 8 月 23 日 印刷 昭和 54 年 8 月 30 日 発行 著作権所有 通商産業省 工業技術院 地質調査所 (C) 1979,Geological Survey of Japan