08011_1972

地域地質研究報告
5万分の1図幅

東京(8) 第 11 号

那珂湊 なかみなと 地域の地質

地質部 坂本亨
地質部 田中啓策
地質部 曽屋龍典
応用地質部 野間泰二
応用地質部 松野久也

昭和 47 年

地質調査所


目次

I. 地形
I.1 台地
I.1.1 那珂台地
I.1.2 久慈台地
I.1.3 東茨城台地
I.2 低地
I.2.1 久慈川下流の冲積低地
I.2.2 新川下流の冲積低地
I.2.3 那珂川下流の冲積低地
I.3 海底地形
II. 地質概説
III. 上部白亜系 -- 那珂湊層群
III.1 岩相
III.2 層序
III.3 対比
IV. 上部白亜系または古第三系 -- 大洗層
V. 新第三系
V.1 殿山層
V.2 多賀層
V.3 久米層
V.4 離山層
VI. 第四系
VI.1 見和層
VI.1.1 那珂台地の見和層
VI.1.2 久慈台地の見和層
VI.1.3 東茨城台地の見和層
VI.2 茨城粘土層
VI.3 河成段丘礫層
VI.3.1 久慈川沿岸の河成段丘礫層
VI.3.2 那珂川沿岸の河成段丘礫層
VI.3.3 中丸川ぞいの河成段丘礫層
VI.4 斜面堆積物
VI.5 ローム層
VI.6 冲積層
VI.6.1 久慈川下流の冲積層
VI.6.2 新川の冲積層
VI.6.3 那珂川下流の冲積層
VI.6.4 波食台堆積物
VI.6.5 風成砂
VII. 応用地質
VII.1 地下水
VII.2 天然ガス
VII.3 石材
文献

Abstract

地域地質研究報告
5万分の1図幅 (昭和 47 年稿)

東京(8) 第 11 号

那珂湊 なかみなと 地域の地質


那珂湊図幅の調査は, 昭和 39 年度から 41 年度にかけておこなった。 野外調査にあたっては, 白亜系および白亜系ないし古第三系を田中が, 新第三系および第四系を坂本が, 第四系のうちローム層については曾屋が分担した。 また, 空中写真にもとずく地形調査は松野が, 地下水に関する資料収集は野間が担当した。 なお, 42 年度以降も, 坂本は那珂湊およびその周辺の地域の研究を, 地震予知グループの予算によって続行しており, その成果はこの図幅に盛込まれている。

説明書の記述にあたっては, 地形・新第三系・第四系の項を坂本が, 白亜系および白亜系ないし古第三系の項を田中が, 第四系のうちローム層の項を曾屋が, 応用地質の項を野間が, それぞれ分担・執筆した。

本図幅調査および説明書の作成に関連して, 珪藻化石については宇都宮大学の阿久津純助教授の, 貝化石については大山桂技官の, 岩石薄片については河田清雄技官の検討をうけた。 また, 茨城大学の大山年次教授・斎藤登志雄助教授からは, 那珂湊~ 大洗 おおあらい 地域の地質について多くの教示をうけ, 垣見俊弘技官からは新第三系の小構造について, 佐藤博之技官からは新第三系中の火山岩について, 現地での教示をうけた。 空中写真による地形区分については, 西村嘉四郎技官の援助によるところが大きい。 岩石薄片の作製は, 村上正・安部正治・佐藤芳治技官が担当した。 さらに, 地域内の多数のボーリング資料の収集にあたっては, 関係市町村・公団・事業所などの援助をいただいた。 地震予知グループの研究に関連しては, 伊藤吉助・後藤進・相原輝雄・宇野沢昭・岡重文・故 金井孝夫技官らの協力をうけた。 ここに以上の方々に対し, 深甚の謝意を表する。

I. 地形

那珂湊図幅地域は, 関東平野の北東隅に位置し, 北緯 36°20'~36°30', 東径 140°30'~140°45' の間を占める。 この図幅地域は, 東半部は海であるが, 西半部では北を 久慈 くじ 川, 南を 那珂 なか 川の低地に画された那珂台地の東半が主体となつている。 久慈川の北側には, 阿武隈山地につづく久慈台地が, 那珂川の南側には, 広大な常陸台地の一部である東茨城台地の一端が, わずかにみられる。 これらの台地の主部は, いずれも 最終間氷期の海面上昇期の海成層( 見和 みわ 層 = 成田層上部)の構成する隆起海岸平野である。 また, 那珂台地の両側や東茨城台地側の北側には, その後の海面低下にともなって形成された河岸段丘が連続的に発達している。 これらの台地表面はローム層が広くおおっている。

図幅地域内には, 那珂川・久慈川の下流部がみられ, その沿岸には幅広い沖積低地が発達する。 また, 新川や中丸川など那珂台地を刻む小河川の下流部にも, 広い沖積低地がみられる。 これらの沖積低地の地下には, いずれも深い埋積谷がかくされている。 埋積谷の原型は, 最終氷期の海面低下期に, 陸上で河谷として形成されたものであるが, その後, 後氷期の海面上昇にともなって, 次第に埋積されてきた。 埋積層の大半は, この地域では, 海成層であり, 表層のごく薄い部分だけが, 河川の堆積物であるにすぎない。

I.1 台地

I.1.1 那珂台地

那珂台地は, 北縁と東縁がそれぞれ 15 km 内外, 南西縁が約 20 km の長さをもつ, 直角二等辺三角形状の台地である。 台地の北縁と南西縁には, 久慈川と那珂川の河岸段丘が, 2~3 km の幅でつづく。 台地の主部は, 更新世後期の海成層(見和層上部)によって構成される隆起海岸平野である。

第 1 図 那珂台地とその周辺の地形概念図

台地主部 : 貝塚(1957)は, 那珂台地主部の面を, 台地両縁の河岸段丘面と区別し, 那珂台地面とよんだ。 那珂台地面は, 第 1 図に示したように, 全体としてはなはだ平坦であり, 西端部の海抜 50~55 m から, 東縁部の 30 m 前後まで, 次第に低下する。 ただし, 第 1 図の 32.5 m 等高線にみられるように, この台地の東縁部は, そのすぐ西側にくらべて, わずかに高くなっている。 これは新期の砂丘の形成による高まりではない。 那珂川以南の常陸台地主部では, 東木(1929), 貝塚(1957), 斎藤(1959a)らがしばしば指摘しているように, 鹿島灘ぞいの鹿島・行方台地の隆起帯(海抜 40 m +)と, その西側の水戸~石岡を結ぶ浅い凹地(海抜 30 m -)とが, ほぼ南北に伸びている。 那珂台地東縁の高まりとその西側の凹所も, 不明白になってはいるが, この常陸台地における隆起帯と凹所との北方延長にあたるものであろう。

第 2 図 那珂台地の水系図(西村嘉四郎 原図)

台地の主部は, 東から新川の, 南から中丸川の水系によって開析されている。 これらの中小河川には, 下流部では幅は広く勾配はゆるいが両岸を急崖で画された冲積低地が発達しており, 上流部は台地を浅く広くきざんだ勾配のゆるい谷となっている。 両者の中間には, 谷幅がせまく勾配の急な, 峡谷状の部分が, 小規模に発達する。 那珂台地における水系分布の状況は, 第 2 図に示した。 台地南部の中丸川ぞいでは, きわめて小規模な段丘がみられるが, これが本地域でもっとも新期の段丘となっている。 また, 台地内を東西に流れる谷の南岸には, しばしば, 緩傾斜の小さな斜面が断続的に分布している( [ 後述する「VI.4 斜面堆積物」の項の ] 第 79 図)。

那珂台地主部の表層には, 厚さ 3 m 内外のローム層が全面的に発達している。 また, 台地を構成する見和層とローム層との間には, ほぼ全域にわたって, 厚さ 3~4 m の粘土層(茨城粘土層)がはさまれる。

額田 ぬかだ 段丘 : 那珂台地の北縁には, 久慈川の南岸沿いに, 台地主部より一段低い河成段丘が, 2~3 km の幅で東西に連続している。 この段丘を貝塚(1957)は, 那珂川沿岸の段丘とあわせて 上市 うわいち 段丘とよんだ。 ここでは, 額田段丘とよぶことにする。 図幅地域内では, 西端の那珂町 額田付近から, 東海村の海岸まで, 約 10 km の間つづき, 東海村の原子力研究所の主部は, この段丘が現世の海岸砂丘におおわれた部分に位置している。 上流側へは, [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 瓜連 うりづら [ 本図幅の北西隣の常陸大宮図幅地域内の ] 大宮の市街地をのせる台地へつづき, さらに上流へ久慈川の峡谷部までつづいている。 そして, この段丘は, 久慈川の右岸側(西~南岸)のみに連続的に発達し, 左岸側ではみられない。

東木(1929, 1932)は, はじめてこの段丘を台地主部から区別したが, この段丘のうち, [ 日本原子力東海発電所・研究所の西方 1.5 km の ] 原 - 真崎を結ぶ線より上流側を河成, 下流側を海成としている。 しかし, 河成と海成を区別した理由については, 何ものべていない。 大倉(1955)は, 段丘を構成する堆積物の検討から, 台地主部を海成, 台地両縁の段丘を河成と結論した。

この段丘は, 上流部(額田付近)で 3~5 m, 下流部で 8~9 m の厚さをもつ河成礫層(額田礫層)によって構成されている。 礫層の上位は厚さ 2~3 m のローム層が全面的におおっており, 礫層とローム層との間には, 局部的に厚さ 1 m 以下の灰白色粘土層がはさまれる。

額田段丘の表面高度は, 図幅地域内の東西約 10 km の間で, 西端の海抜 30 m + から東端の 20 m - まで, 約 10 m 低下する。 そして, 那珂台地の主面との高度差は, 東部での約 10 m から西部での 5 m - と, 西方へ次第に小さくなる。 それにしたがって, 両者をさかいする段丘崖も西方へ次第に不明白となり, 瓜連付近では, 両者の差はほとんど認められなくなる(第 1 図)。 しかし, 段丘の表面は, 額田段丘ではいちじるしく平滑であり, 那珂台地の主部でみられるゆるく波うつような小起伏は認められない。

上市 うわいち 段丘 : 那珂台地の南西縁にも, 北縁の額田段丘と同様に, 幅 1~3 km の河岸段丘がつづく。 この段丘は, 那珂川南岸で水戸の市街地をのせる台地を模式として, 上市段丘とよばれる(貝塚, 1957)。 図幅地域内では, 約 13 km つづき, 最下流では那珂湊市街の北方の海岸に達している。 上流へは那珂川の両岸に [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 石塚 [ ← 茨城県 東茨城郡 城里町 ? ] などの市街地をのせる広い台地としてつづき, 那珂川が 八溝 やみぞ 山地を横断する峡谷部でも断続的に発達する。 さらに上流では, 那須野が原の扇状地の末端まで, この段丘の連続がみとめられる(小池, 1961)。

那珂川の北岸の上市段丘の表面高度は, 台地西端の海抜 50 m + から, 海岸での約 20 m まで, 20 km の間で約 30 m 低下する。 台地主部とのさかいは, 一般に不明白であり, とくに図幅地域より西方では, 台地面と段丘面との高度差はほとんど認められない。 両者の縦断面の比較は, [ 後述する「VI.3.2 那珂川沿岸の河成段丘礫層」の項の ] 第 76 図に示した。 なお段丘表面は, 額田段丘と同様に台地主部と比べていちじるしく平滑である。

上市段丘は, 厚さ 10 m 前後の河成礫層(上市礫層)によって構成されている。 礫層の上位には, 厚さ 2~3 m のローム層が全面的に発達しており, 礫層とローム層との間には, 1 m 以下の厚さの灰白色粘土層が局部的にはさまれる。 上市段丘と額田段丘とは, 段丘面や構成層の状態からみて, 同時期に同様な環境下で形成されたものと言える。

海岸砂丘 : 那珂台地の海岸ぞいには, 磯崎以南の岩礁海岸を除いて, 久慈川の河口から 阿字ガ浦 [ ← 阿字ヶ浦 あじがうら ? ] まで, 南北 11 km にわたる砂丘がつらなっている。 砂丘は, 台地下のせまい海岸低地をおおい, さらに台地上へ(南部では那珂台地主部に, 北部では額田段丘に)広がる。 その幅は, 南部の水戸射爆場 [ ← 阿字ヶ浦の北西方 1.5 km ] 付近で最大 3 km に達する。 この砂丘は, 東海村の東部でみると, 台地東縁と海岸低地の間で南北にのびる 2~3 列の砂丘列からなっている。 各砂丘列は, 北東方向の稜線をもち, 雁行状に配列する小丘群からなっている。 砂丘分布地域の南半の水戸射爆場付近でも, とくに海岸近くで, 砂丘列が, 北東 - 南西方向に配列する様子は, 地形図や空中写真に明白に示されている。 また, この砂丘地帯の南端の磯崎付近の台地端において, 小笠原(1948)は, 風食地形の存在を報告している。

I.1.2 久慈台地

図幅地域の北端にわずかに見られる久慈の台地は, 阿武隈山地の南端につづく部分であり, 阿武隈山地の東縁の太平洋岸に 2~3 km の幅で断続的に分布する海岸段丘の南端にあたっている(大倉, 1953 ; 中川, 1961)。 台地構成層は, 那珂台地の主部と同じ後期更新世の海成層であり, もともとは, 那珂台地と一連の波食台を形成していたものである。 しかし, 台地表面の傾斜は, 第 1 図にみられるように, 那珂台地に比べて, いちじるしく急斜しており, かつ, 台地面は, 海抜 20 m から 30~40 m までと, 海抜 40~50 m から 60 m までの平坦面, および両者の問をつなぐ緩傾斜面とからなっている。 堆積物は, 上・下の面とも同様な砂~礫まじり砂層である。 緩傾斜面ではときとして堆積物を欠き, 基盤岩の上を直接にローム層がおおっている。 この地域から北西へは, 上位の面が数 km にわたってつづく。 この台地の海側には, 高さ 25 m 前後の海食崖がつづき, 砂丘はみられない(第 3 図)。

第 3 図 久慈の北方の海崖

I.1.3 東茨城台地

図幅地域南西隅に東茨城台地の一端がわずかにのぞいている。 ここでは南西側に海抜 30 m 前後の平坦な台地があり, 那珂台地の主部と同様に, 見和層(上部)によって構成されている。 その北東側には, 3段の河岸段丘が順次配列する。 最上位の河岸段丘は, 海抜 22.5~17.5 m の高さで, 那珂川北岸の上市段丘より幾分低い。 坂本・野問(1969)はこの段丘を塩ガ崎段丘とよんで上市段丘と区別したが, 上市段丘自体の表面にも多少の起伏はあり, とくに区別する必要はないであろう。 台地主部との比高は約 10 m であり, 那珂台地の場合と違って, 台地面と段丘面とのさかいは明白である。 この段丘は, 厚さ 5 m 程度の河成礫層によって構成されている。

第2の段丘は 谷田 やだ 段丘 (貝塚, 1957)とよばれるもので, 谷田~ 東前 とうまえ の約 4 km の間に局部的に分布するにすぎない。 段丘の表面高度は, 海抜 13~14 m で, 下流側へ低くなる。 上市段丘との比高は 7~8 m で, 明白な段丘崖でさかいする。 構成層は, 厚さ 2 m 以上の河成礫層である。 第3の段丘は, 坂本・野間(1969)が 栗崎 くりさき 段丘 とよんだもので, 分布は六反田~栗崎の約 3.5 km の間にかぎられる。 表面高度は 8~6 m で, 谷田段丘とは約 4 m の高さの段丘崖でさかいする。 冲積面との比高はきわめて小さく, 一見 段丘とはみえないものである。 下流側で冲積面下で没するものとみられる。 この段丘は, ローム層におおわれていて, 地表で構成層をみることはできない。 試錐資料によって, 礫層の存在が知られているにすぎない。 以上に述べた各段丘をおおって, 中部に鹿沼軽石層をはさむローム層が発達している。

那珂川ぞいのより上流では, 栗崎段丘より下位のものとして, 上国井段丘(坂本・野間, 1969), 御前山段丘(貝塚, 1957)などが知られている。 図幅地域内では, これらに対応する段丘は地表ではみられないが, その一部は, 冲積層下に埋没している。 以上の各段丘の縦断面の比較は, [ 後述する「VI.3.2 那珂川沿岸の河成段丘礫層」の項の ] 第 76 図に示した。

I.2 低地

I.2.1 久慈川下流の冲積低地

第 4 図 久慈川の下流域の微地形区分

久慈川下流には, 幅 3~4 km の広い冲積低地が発達する。 図幅地域内では, 河口部を除いて, その南半部がみられるにすぎない。 この冲積低地には, 地形図からもうかがわれるように, 多くの自然堤防や旧河道がみられる。 第 4 図にこの低地の微地形の区分を示した。 小池(1960)は, 久慈川南岸の自然堤防を, 新旧のものに2分した。 空中写真の判読では, 旧期のものをさらに2分することができる。 もっとも古い時期のもの(Ⅰ)は, 自然堤防・ポイントバー [ = 蛇行洲 ] ・河道の跡が, かなり明白に, 連続的に残っており, そこから推定される旧河道はいちじるしい蛇行を特色としている(第 5 図)。 第2の時期の自然堤防(Ⅱ)から推定される旧河道は, 現在のものとあまり変らない直線的なものである(第 5 図)。 新期の自然堤防・ポイントバー(Ⅲ)は, 現河道の両岸に発達する。 旧期の自然堤防・ポイントバーは海抜 6 m 前後で, 現自然堤防(海抜 2.5~3 m)とは, 高さ 2~3 m の崖でさかいされる。 小池(1960)が指摘しているように, 旧自然堤防などは, 現在より海面の高かった時期に形成されたと思われる。

第 5 図 久慈川の下流の河道変遷

久慈川北方の自然堤防は, 茂宮 もみや 川の影響下に形成されたと思われるが, 分布は断片的である。 ここでは, 新旧2期のものを区別したが, 久慈川沿岸のものとの関連は明白ではない。

久慈川の現河道は, この冲積面をいく分 下刻して流れる。 河口では, 海岸砂州のため, いちじるしく北に偏して海に注ぐ。 洪水の際には, 久慈市街付近での溢水をさけるため, 砂州の付根を切り開き, 河水を直接海へ排水することもおこなわれる。

なお, 南岸の台地を刻んで久慈川に合流する小河川の谷底は, いちじるしい低湿地となっていることが多い。 例えば, 額田と 入向山 いりむこうやま [ ← 額田の南東方 1 km ] との間の谷には, かつて「 有ガ池 [ ← 有ヶ池 ありがいけ ; 額田の東方 2.5 km の本米崎に揚水機場がある ] と呼ばれる泥深い沼沢地があったという。

I.2.2 新川下流の冲積低地

新川の下流部は, 海岸砂丘に出口を扼されて, いちじるしく低湿な冲積地となっている。 かつてここは, 真崎浦 まざきうら とよばれる沼沢地であったが, 1856 年(安政 3 年)以降の干拓によって(最終的には, 1910~1930 年の干拓によって), 現在みられるような水田地帯となった。 今でも排水はポンプによっておこなわれている。 この低地をとりまく台地の端には, 繩文中期の貝塚が3カ所あるが, いずれも淡水貝を主としている。 後氷期海進の最大期に内湾となったこの地域が, 湾口の砂州の形成によって, 繩文中期にはほぼ淡水化していたものと思われる(小池, 1960)。

I.2.3 那珂川下流の冲積低地

図幅地域の 西部 [ ← 西南部 ] には, 那珂川の下流の幅 2.5 km 内外の冲積低地がみられ, 北からは中丸川の下流の低地が, 南からは 涸沼川 かぬまがわ 沿岸の幅 2 km 内外の低地が合している。 しかし, 那珂川は, 那珂湊と大洗の2つの台地にはさまれた峡谷を通つて海に注いでおり, 河口での低地の幅は, 0.5 km 以下にすぎない。

第 6 図 那珂川の下流域の微地形区分

那珂川両岸の冲積低地には, いくつかの自然堤防や放棄河道がみられる(第 6 図)。 第 6 図で旧期Ⅰとした自然堤防から推定される旧河道は, 蛇行がいちじるしい。 また, 旧期(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)の自然堤防は, いずれも最下流部で北北西~南南東方向に並んでおり, 斎藤(1959a)が指摘しているように, 那珂川が大洗市街付近で海に注いでいた時期の河道を示すと思われる。 新期の自然堤防としたものは, いずれも現河道にほぼ平行している。

第 7 図 那珂湊市 釜上神社の隆起海食地形

中丸川の下流部は, きわめて低湿な冲積地となっている。 この低地にのぞむ台地の崖下(釜上神社付近)には, 海食によるノッチや海食洞がみられる(第 7 図)。 海面が現在より 4~5 m 高く, 那珂川・中丸川の下流部一帯が広く入江となっていた時期に形成されたものであろう。 また, 東茨城台地の北縁には, 古くから有名な大串貝塚(繩文前期)や谷田貝塚(繩文早期)が知られている。 後者は淡水貝を主とする「主淡貝塚」であるが, 前者はヤマトシジミ・ニホンシジミなどの淡水貝のほかに, ハマグリ・アワビ・サザエなどの海生貝をまじえた貝塚である。

I.3 海底地形

この地域では, 東海村沿岸を中心として, 海底地形, 底質の詳しい調査が行なわれており, その成果は茂木・岩渕(1961), 加賀美・奈須(1964)等に報告されている。 ここでは, 大陸棚の幅は約 27 km あり, その外縁の深さは 140 m である。 大陸棚上には, -20 m 以浅の現海成面と, -25~-50 m・-100~-140 m の平坦面が認められている。

現海成面は, 東海村沖で約 1.5 km, 磯崎より南で約 2.5 km の幅をもち, 主として淘汰のよい細粒砂よりなっている。 -25~-50 m の平坦面は, 幅 7~8 km で, 10 m 内外の起伏があり, 高所には岩盤が露出し, 低所を埋めて礫が分布する傾向がある。 -50~-100 m の間は, 30°程度の傾きをもつ ゆるい平滑な斜面である。 幅は約 5.5 km で, 中・細粒砂が分布する。 -100~-140 m の間は, 大陸棚外縁の平坦面であり, 傾斜は 30" [ ← 30 秒 ? ] 程度にすぎない。 表面はきわめて平坦で, シルト質砂でおおわれている(第 8 図)。

第 8 図 東海村・那珂湊沖の底質(加賀美・奈須(1964)による)

II. 地質概説

那珂湊図幅地域において, もっとも広く発達している地層は, 第四紀後期の 下末吉 しもすえよし 海進に伴って形成された 見和層 であり, この地層が, 本地域を特色ずける 久慈・那珂・東茨城台地などの海抜 30 m 前後の平坦な台地を構成している。 見和層は, 層序的に下部層・中部層・上部層と3分される。 下部層は河谷を埋積した海進初期の地層であって, その分布は先久慈川・照沼・勝田・先那珂川凹地に限られ, 大部分が台地地下に伏在している。 この河谷埋積層は, 下半部が礫層, 上半部が泥質層よりなり, 厚さは最大 45 m に達するが, 地表ではその最上部の数 m しか見られない。 中部層は, 下末吉海進の進行の途中で起った 一時的な海面低下に伴って生じた小凹地を埋積した地層と推定されるものであり, おもに河成礫層よりなっている(坂本, 1972)。 本地域内では, 東茨城台地に分布が限られており, 厚さも 5 m 程度にすぎない。 南隣地域では, 分布も広く, 層厚も大となる。 見和層上部は, 下末吉海進の最盛期に形成された広大な波蝕台をおおって広がる 厚さ 20 m 内外の砂~砂礫層である。 本地域からさらに, 南~南西方へ広がり, 関東平野中・南部の台地を構成する成田層上部(下末吉層)に連続する。

見和層より新らしい更新統は, 那珂台地の南北両側, 東茨城台地の北側を縁どる河岸段丘礫層である。 河岸段丘礫層には, 地表で認められるもののほかに, 冲積層下に伏在する埋没段丘のものもある。 久慈川の南岸では, 地表で見られる 額田段丘礫層 (層厚 5~10 m)のほかに, 河口付近で2段の埋没段丘礫層が知られている。 那珂川の沿岸では, 地表で3段の段丘礫層が認められるが, そのうち最上位の 上市段丘礫層 (層厚 5~10 m)が, 久慈川沿岸の額田段丘礫層に対比される。 上市段丘礫層より新らしい段丘礫層は, 谷田段丘層 栗崎段丘層 とよばれる。 栗崎段丘礫層を含めてそれより古い段丘層の上位には, 中部に鹿沼軽石層をはさむ ローム層 が重なっている。 この被覆ローム層は, 宇都宮地域の 宝木 たからぎ 田原 たわら ローム層, 南関東の武蔵野・立川ローム層に相当する。 鹿沼軽石層を挾まず, より新期のローム層のみをのせる地形面は, 本地域内の地表では, 中丸川・新川など台地内の小河川に沿って分布する小規模な段丘面・緩斜面のみである。 那珂川の下流部でも, ボーリング資料などにより, 2段の埋没段丘礫層が認められており, そのうち上位のものの分布が広い。

図幅地域内の久慈川・新川・那珂川の沿岸に発達する 冲積層 に関しては, 土木建設工事に伴う多数のボーリング資料などがある。 これらの資料からみると, 冲積層下には旧河谷が伏在しており, その谷底の深さは久慈川の河口で現海水準下 60 m, 那珂川の河口付近で 80 m に達することが判る。 この河谷を埋積した冲積層は, おおざっぱにいって下半部が腐植を含む砂シルト互層, 上半部が貝殻片をもつ砂層を主としている。 この上半部と下半部との間には, 不整合が存在する可能性がある。

以上のような第四系に不整合におおわれ, 第四系の基盤をなすものは, 本地域ではおもに新第三系である。 新第三系は, 久慈台地の全部, 那珂台地の大半で台地の基部を占めるほか, 地表では見られないが東茨城台地でも, 第四系の下位に伏在している。 先新第三系としては那珂台地の東南部の磯崎~那珂湊間の海岸, およびその南隣の大洗付近にかけて, 上部白亜系の那珂湊層群と上部白亜系ないし古第三系の大洗層が露出している。

新第三系は, 層序的に殿山層・多賀層・久米層・離山層と4分される。 殿山 とのやま は, 白亜系の間に挾み込まれた形で, 那珂湊から平磯にかけての海崖の基部にわずかに露出するにすぎない。 殿山層の層厚はこの海崖で見られる限りで約 190 m で, その下部は泥岩および砂岩泥岩互層を, 中部は砂岩と砂岩礫岩互層を, 上部は塊状の砂質泥岩を主としている。 上部からは, 貝・ウニ・クジラ類などの化石を産する。 殿山層はその分布が孤立しているため, 他の新第三系との直接の関係はたしかめられない。 しかし, おそらく多賀層の下位にあたるものであろう。 本層の時代は, 中新世中期とみなされる。

多賀 たが は, 本地域において, もっとも広く分布する先第四系である。 この地層に対して, 今まで地域ごとに色々な地層名が与えられてきたが, ここではすべて一括して, 多賀層と呼ぶことにした。 多賀層は, どこでもほぼ一様な暗青灰色・塊状の泥岩~砂質泥岩であって, 岩相変化に乏しい。 また, いたるところで Macoma など深海泥帯生の貝や Sagarites・ウニなどの化石を含むが, とくに多産することはない。 多賀層の時代は中新世後期とみなされている。 構造的には, 那珂台地とその周辺を含めて, 東に開いた一つの大きな半盆状構造を呈するとみられるが, あまりはっきりしたものではない。 なお, 本層中には, 流紋岩質の水中火砕流堆積物が挾まれており, 露出地ごとに, 部田野 へたの 軽石凝灰岩部層 阿字ガ浦 軽石凝灰岩部層 と呼ばれる。

久米 くめ は, 本図幅地域内では, 北縁部にごくわずかのみ見られる地層である。 この地層の主体は, 北隣の [ ← 北西隣の常陸太田図幅地域内の ] 常陸太田付近に分布するが, そこでは下部の厚さ 40~50 m の礫岩と上部の厚さ 300 m の泥岩とからなっている。 しかし, 本図幅地域内では, 泥岩の小露出や基底礫岩の転石が見られるにすぎない。 多賀層とは不整合関係とされ, その時代は鮮新世前期とみなされる。

離山 はなれやま は, 久慈台地の南端に小さく分布する。 軽石質~凝灰質砂岩を主とした, 層厚約 30 m の地層である。 多賀層とは不整合関係にあるが, 久米層との関係ははっきりしない。 本層からは, ゾウ(Stegodon)やサメの歯の化石が産出しており, その時代は鮮新世前期あるいは後期とされている。

上部白亜系は図幅地域南部の海岸に沿って露出し, 那珂湊層群 と呼ばれる。 那珂湊層群は海成層で, おもに砂岩・シルト岩と, それらの互層からなり, ときどき礫岩をはさむ。 砂岩は多くの場合タービダイト(turbidite)であり, シルト岩はアンモナイト・イノセラムスなどの化石を産する。 下限・上限ともに不明で, 厚さは少なくとも 1,500 m 内外である。 本層群は大部分がヘトナイ統に対比される。 那珂湊層群は築港層・平磯層および磯合層に区分される。 築港 ちっこ は孤立した小露出にすぎず, 主として砂岩からなる。 平磯 ひらいそ 磯合 いそあい に整合におおわれ, 両層を通じて砂岩シルト岩互層が卓越し, さらに平磯層にはシルト岩も厚く発達している。 本層群は北東へ比較的ゆるく傾斜する同斜構造をなす。 那珂湊層群は 地体構造上の位置・岩相・化石内容などの点で 西南日本内帯における同時代の和泉層群に酷似する。

上部白亜系または古第三系と推定される地層は 大洗層 と称される。 大洗層は那珂湊市街地付近の台地周縁部にみられるが, 図幅地域南方の大洗海岸に標式的に露出する。 那珂湊層群との直接の関係は認められず, 中新統 多賀層に傾斜不整合におおわれる。 大洗層はおもに礫岩からなり, 薄い砂岩やシルト岩を伴い, 図幅地域の南方ではおもに陸成(河川成)・潟成・沼沢成層からなり, 炭層や植物化石層をはさむ。 大洗層は下限・上限ともに不明で, 全体で 1,000 m あまりの厚さを有する。 本層の時代は 植物化石群(大洗植物群)の内容などから 従来上部白亜紀の比較的後期とみなされてきたが, これについては検討の余地が残されており, 古第三紀の可能性もある。 図幅地域の大洗層は南東へ沈むゆるい向斜構造をなす。

以上に述べた那珂湊地域の地質を簡単にまとめると, 第 1 表に示したようになる。

第 1 表 地質総括表

時代 層序 摘要
第四紀 現世 冲積層 後氷期 海進
更新世
埋没段丘礫層
ローム層の堆積
海退
段丘
礫層
栗崎
谷田
上市・額田
見和層 上部層
中部層
下部層


礫・泥
下末吉 海進

新第三紀 鮮新世 離山層 ↓ ? 軽石質~凝灰質砂岩 ← Stegodon 海成
久米層 ↓ ? 礫岩・泥岩
中新世 多賀層 泥岩 ← 水中火砕流
殿山層 泥岩
砂岩礫岩互層
砂岩泥岩互層

古第三紀 または 白亜紀後期 大洗層 礫岩 ← 大洗植物群 陸成
白亜紀後期 ヘトナイ世 那珂湊層群 砂岩シルト岩互層 海成

III. 上部白亜系 -- 那珂湊 なかみなと 層群

上部白亜系 那珂湊層群は図幅地域南部の海岸に沿って露出する。 この上部白亜紀層は, 尾崎・斎藤(1955)および斎藤(1956)によって確認されるまでは, 下部白亜系に対比されたこともあったが, 上部白亜系または古第三系と考えられる大洗層とともに 一般には新第三系とみなされてきた。 図幅地域周辺の上部白亜系および大洗層の層序学的・古生物学的研究は すでに SAITO(1958, 1959, 1961, 1962)および OYAMA(1960, 1961)によって総括された。

上記の諸研究者によって上部白亜系に対比された地層は那珂層群と総称され, 大洗層と那珂湊層とに区分された。 大洗・那珂湊両層間の直接の関係はみられないが, 大洗層が那珂湊層の南側に分布し, 両層ともに北へ傾斜すること, さらに古生物学的資料や堆積相などから, 大洗層は那珂湊層の下位とみなされてきた(尾崎・斎藤, 1955 ; 斎藤, 1956 ; OYAMA, 1960 ; SAITO, 1961)。 いっぽう, 植物化石(大洗植物群)の内容から, 大洗層を那珂湊層より下位ではないと考え, 暫定的に上部白亜系(へトナイ統)に対比しながらも, 大洗層の年代の再検討が必要だとする見解もある(松尾, 1964)。

ここでは, 大洗層を上部白亜系から除外し, 大洗層を含めた意味での那珂層群の名称を用いない。 したがって, 上部白亜系を那珂湊層, すなわち那珂湊層群(田中, 1970)だけに限る。

最近, 那珂湊層群を構成するタービダイト層の堆積的特徴や堆積様式が 田中(1970)によって論述され, さらに同層群および大洗層の礫岩中にみられる火山岩礫の供給源が 田中・河田(1971)によって考察された。

III.1 岩相

那珂湊層群は海成層からなり, それを構成する地層は岩相的には 比較的厚い砂岩・シルト岩,砂岩泥質岩互層および礫岩に大別される。

[ III.1.1 ] 砂岩相

砂岩は一般に灰色を呈し, ときどき暗灰・緑灰・青緑灰色を呈する。 概して中・粗粒であるが, ときどき極粗粒となる。 層理面の間隔(一般的な場合をかっこ内に示す)によって, 無層理砂岩(3 m 以上), 極厚層理砂岩(1~3 m)および厚層理砂岩(0.6~1 m)が区別される。 いずれのタイプの砂岩相でも通例泥質岩の「はさみ」はなく, たとえあったにしても数 cm 以下である。

級化層理は無層理砂岩では通常認められないが, 極厚層理砂岩では多くの場合不明瞭ながらも存在し, ときどき比較的明瞭に発達することもあり, 厚層理砂岩になると一般に比較的明瞭に発達する。 極厚層理砂岩・厚層理砂岩ではしばしば級化層理が単層内で繰り返されている。 葉理(平行葉理・斜交葉理)は 無層理砂岩・極厚層理砂岩の場合わずかにしかみられないが, 厚層理砂岩ではしばしば発達している。 方向性をもつソールマーク(sole mark), たとえばフルートキャスト(flute cast)・ グルーブキャスト(groove cast)は厚層理砂岩にときどきみいだされるが, 極厚層理砂岩には このようなソールマークの代りに 方向性のないロードキャスト(load cast)がしばしば発達する。 砂岩はときどき泥質岩の, ときには泥灰質岩の偽礫を含む。

[ III.1.2 ] 砂岩泥質岩互層相

一般に砂岩がちの互層である。 極厚層理砂岩泥質岩互層(砂岩層厚約 1~3 m ; 泥質岩層厚 0.1 m 以下)・ 厚層理砂岩泥質岩互層(砂岩約 0.6~1 m ; 泥質岩 0.1 m 以下)・ 中層理砂岩泥質岩互層(砂岩約 0.3~0.6 m ; 泥質岩 0.3 m 以下)および 薄層理砂岩泥質岩互層(砂岩約 0.1~0.3 m ; 泥質岩 0.3 m 以下)に区別される。 以上のうち, 薄層理砂岩泥質岩互層がもっとも少ない。

互層を構成する砂岩は, 下位の泥質岩と常に侵食面をもって接し, 両者の境界は鮮明である。 砂岩は前述の泥質岩をはさまない砂岩相の場合と同様の色を呈し, 概して中粒, ときどき粗粒である。 砂岩には級化層理がよく発達し, 極厚層理互層や厚層理互層の場合ではしばしば砂岩単層内に級化層理の反復が認められる。 砂岩における葉理(平行葉理・斜交葉理)の発達は 極厚層理互層の場合は貧弱であるが, 他のタイプの互層ではしばしば顕著である。 コンボルート葉理(convolute lamination)もときどきみられる。 ロードキャストのほかに方向性をもつソールマークも 極厚層理互層・厚層理互層や中層理互層の砂岩にはしばしば発達している。 砂岩は泥質岩の, ときには泥灰質岩の偽礫を含むことがある。 砂岩にはまれに Ostrea らしい二枚貝の殻の破片が含まれるが, これは再堆積したものであり, 底棲生物の自生性遺骸はまったく包蔵されていない。 以上に述べた諸特徴から判断すると, 互層を構成する砂岩は 前記の砂岩相の少なくとも一部(とくに厚層理砂岩の一部)とともに タービダイトとみなされる。

互層における砂岩から上位の泥質岩にいたる一連の地層(級化層)に関しては, 標式的に下位より 級化部・ 平行葉理部・ 斜交葉理部(以上砂岩)・ 葉理部・ 均質~塊状部(以上泥質岩)の5単位が識別される。 しかし, 例外的に級化部の下位にきわめて薄い平行葉理部が発達することもある。

互層を構成する泥質岩はしばしば下位の砂岩に漸移的であり, また泥質岩自体は下部から上部へ向かって細粒になる。 したがって, 泥質岩層の少なくとも一部(下部)は 混濁流(turbidity current)に由来すると考えられる。

[ III.1.3 ] シルト岩相

シルト岩は, 砂岩と互層する以外に, 単独の厚層(薄くて数 m, 厚くて 100 m 以上)をなし, 暗灰・黒灰色を呈する。 シルト岩にはときどき砂岩葉層が発達し, またときどき石灰質団塊が多数含まれる。 団塊は概して扁平で, 径 30 cm 以下である。 さらに, 泥灰岩質の薄層もみられる。 シルト岩相にはアンモナイト・二枚貝などの化石が含まれている。

砂岩葉層に富むシルト岩には層理がよく発達するが, 砂岩葉層・団塊ともにまれなシルト岩はしばしば無層理である。 さらに, シルト岩はしばしばスランプ(slump)に由来する褶曲構造を示し, 砂岩のねじれた岩片を含んでいる。

[ III.1.4 ] 礫岩

礫岩は 泥質岩をはさまない砂岩や 砂岩泥質岩互層を構成する砂岩単層の級化部に発達する。 礫岩層の厚さは一般に数 cm~数 10 cm である。 礫岩は多くの場合に細礫・中礫大の円礫からなり, 径 10 cm 以上のものはまれで, 基質は砂である。 礫の淘汰は良いこともあれば悪いこともあり, しばしば礫岩は級化層理を示す。 例外的に大礫が著しく多い礫岩もみられる。

礫は大部分が火山岩類(流紋岩・流紋デイサイトが多く, 石英安山岩.安山岩もある)で, ほかに古期堆積岩類(スレート・チャート・砂岩)・ ホルンフェルス・ 花崗岩類・ グラノファイアー・ 石英斑岩などもあるが, 花崗岩類はきわめてまれである。 火山岩類の礫は, 上部白亜紀前期と考えられている奥日光流紋岩類, または現在みられないが これに相当ないし類似する火山岩類から由来したと推定されている。 那珂湊層群の礫岩は 後述のように 花崗岩類の礫に富み火山岩類の礫に著しく乏しい大洗層の礫岩とはきわめて対照的である。


前記の主要岩相のほかに, 那珂湊層群を通じて種々の層準に スランプ層 が発達する。 スランプ層の代表的なタイプとして, シルト岩相や砂岩泥質岩互層相にみられる褶曲層あるいは傾動層と含礫シルト岩とがある。

シルト岩相におけるスランプ性褶曲層は 含有砂岩葉層あるいは葉理の褶曲によって認められるもので, 砂岩のねじれた岩片を含むことがある。 砂岩泥質岩互層相のスランプ性褶曲層あるいは傾動層には, スランプ構造が互層を構成する砂岩または泥質岩の単層に限られる場合と, 単層群に関与している場合とがある。 後者のもっとも大規模な例は厚い逆転層で示されるもので, これについては後で述べる。

含礫シルト岩は古期岩類の礫を雑然と含む淘汰不良の無層理砂質シルト岩である。 厚さは 3 m 以下で, 外来の円礫(礫の種類は礫岩の場合と同じ)のほかに, しばしば ほぼ同時期の砂岩のねじれた, または角張った岩片(最大約 1.5 m)を含み, Slump overfold や spiral slump ball を示し, さらにスランプに由来する褶曲構造を示すこともある。 外来礫の最大径は約 21 cm である。 含礫シルト岩層の下底にはしばしば侵食面が認められ, またこの地層内ではときどき礫径が下から上へ向かって減少する。 含礫シルト岩はいわゆる pebbly mudstone で, submarine mudflow に由来する。

III.2 層序

那珂湊層群の岩相層序の大区分は, 根本的には SAITO(1961)が行なった区分に従ったが, その区分における部層単位の地層を累層単位の地層とみなし, また地層名の一部を改称した。 すなわち, 那珂湊層群は築港層・平磯層(平磯町部層を改称)および磯合層に区分される。 さらに, 平磯層の上部および磯合層については 堆積輪廻(ここでは相対的に粗い堆積物に始まり, 次第に粒度を減じながら細かい堆積物に終る一連の地層で示される)にもとづいて 層序細分を試みた。

那珂湊層群のうち, その主体を構成する平磯 - 磯合層の露出範囲の地質図を第 9 図に, これらの地層の柱状図を第 10 図に示す。 平磯 - 磯合層の層序学的記述に関しては, 第 10 図に示した事項はできるだけ省略する。

第 9 図 那珂湊海岸の上部白亜系地質図

第 10 図 那珂湊層群の層序柱状図。 層序柱状図の右側に示した礫岩部については, 幅の大小によって, ひんぱんに, ときどき, またはまれに挾在する場合を区別した。

[ III.2.1 ] 築港 ちっこ [ Ck ]

築港層は那珂湊 築港の北東方に孤立してきわめて狭く露出する。 本層と他の白亜紀層との層序的関係は明らかでなく, また上部白亜系あるいは古第三系と考えられる 西側の大洗層とは断層関係にあるものと推定される。 いっぽう, 築港層と北側の中新統 殿山層とは傾斜不整合の関係にあるとされている(尾崎・斎藤, 1955 ; SAITO, 1961)。

下限・上限ともに不明で, 露出する限りの厚さは約 30 m である。 おもに青緑灰・灰色の無層理中粒砂岩からなる。 とくに砂岩が青緑灰色を呈する点が特徴的である。 本層の下半部では, 砂岩はしばしば粗粒となり, またときどき厚さ 10~30 cm の細礫質部をはさむ。 化石は未発見である。 地層の走向はほぼ N - S, 傾斜は東へ 30~40°である。

築港層は OYAMA(1960)および SAITO(1961)によって 北東方に露出する平磯層の下位にくるとみなされたが, 実際には両者の直接の開係は明らかでない。 築港層によく似た地層は, 磯合層の最下部細分層 Is1 の基底より約 70 m 上位に 少なくとも 20 数 m の厚さにわたって認められる。 すなわち, この部分では約 10 m の青緑灰色・無層理の含礫粗粒砂岩があり, 少し上位に約 10 m の灰~青灰色の厚層理含礫中粒~粗粒砂岩がみられる。 さらに, 磯合層中部の Is4 の下部にも 築港層に類似した厚さ 20 数 m の青緑灰色・極厚層理の含礫中粒~粗粒砂岩が認められる。 以上に述べたことと白亜紀層の露出地域の周辺の地質構造からみて, 築港層は 磯合層の一部(たとえば磯合層最下部)が 平磯層と中新統殿山層とを境する断層によって繰り返されたものであるという可能性もある。

[ III.2.2 ] 平磯 ひらいそ [ Hr ] [ 以下の [注] 参照 ]

[注]
平磯層と殿山層とを境する断層は, SAITO(1961)によると, N 10°W~S 10°E の走向をもち, 幅約 30 m の破砕帯を伴う。

平磯層は南西側の中新統 殿山層と断層関係 [ 上記の [注] 参照 ] にあるため, 下限は不明であるが, 上位の磯合層に整合におおわれる。 厚さは 580 m 内外である。 平磯層は磯合層に比べてはるかに泥質岩に富む。

平磯層の下部はおもにシルト岩からなり, 2枚の顕著な砂岩層(厚さ 7~9 m)をはさむ。 シルト岩は一般に砂岩葉層をひんぱんにはさみ, 多数の石灰質団塊を含む。 シルト岩にはスランプ性褶曲構造がひんぱんに発達し, ときどき含礫シルト岩もみられる。 下部の厚さは約 220 m である。

平磯層の上部は砂岩・砂岩シルト岩互層・シルト岩の種々の厚さの交互層からなり, 全体としてシルト岩のほうが砂岩よりもむしろ優勢である。 砂岩では概して葉理の発達がきわめて悪い。 シルト岩の性状は本層下部のものとほとんど同じである。 シルト岩にはスランプ性褶曲構造が発達するが, 全体として本層下部の場合ほど顕著ではない。 含礫シルト岩もときどき挟在する。 平磯層の上部では下部に比べて砂岩が多くなり, また礫質部も よりひんぱんにみられるようになる。 要するに, 平磯層の上部は急激な岩相変化をもって下部に重なるが, 岩相全般からみると, とくに砂岩 - 頁岩比からみると, 平磯層の下部と上位の磯合層との漸移部にあたる。

平磯層上部は下位から Hu1・Hu2 に2分される。 Hu1 は Hu2 に比べて より砂岩に富む。 Hu1 の下部のシルト岩中に挾在する約 20 cm のスランプ層中には軽石粒が散点している。 Hu2 の中部には帯緑灰色 細粒凝灰岩の葉層が, Hu2 の上部には厚さ約 5 cm の酸性ないし中性の灰白色 細粒凝灰岩が挾在する。

平磯層および次に述べる磯合層の砂岩にみられる 方向性のある堆積構造(たとえばフルートキャスト, グルーブキャスト, パーティング線構造 parting lineation など)から, これらの粗粒堆積物を運搬した流れ(混濁流)は ほぼ北西から南東に向かう方向をとったことが明らかにされている。

平磯層の下部からは次記のような化石の産出が知られている(SAITO, 1961, 1962)。

軟体動物
Didymoceras awajiense (YABE)
D. nakaminatoense (SAITO)
Pravitoceras (?) sp.
Inoceramus (Endocostea) cf. balticus BÖHM
Margarites cf. inornatus (GABB)
ウニ
Niponaster nakaminatoensis SAITO
有孔虫
Textularia sp.
Dentalina sp.

なお, 本層の下部からは Lucina (Myrtea) cf. ezoensis NAGAO も発見された。

さらに, 平磯層から次のような胞子および花粉化石が検出されている(OYAMA, 1960 ; SAITO, 1961, 1962)。

胞子
Anemia exiloides (MALYAVKINA)
Moliria mutabura BOLKHOVITINA
Polypodiaceoisporites
Granulatisportes (or Cyatheaceiusoirutes)
花粉
Cf. Ginkgo labia - pollenites ROUSE
Taxoceoipollenites
Populoipollenites
Tricolpites cf. triangulatus (NILS - ERIK ROSS)

平磯層は上位の磯合層とともに見掛上 単純な構造を呈し, 走向 NW - SE または WNW - ESE, 傾斜 30~40°NE の同斜構造をなす。

[ III.2.3 ] 磯合 いそあい [ Is ]

磯合層は平磯層を急激な岩相変化をもって整合におおう。 上限は海中に没して不明である。 砂岩・砂岩泥質岩互層・シルト岩の種々の厚さの交互層からなり, しばしば礫岩をはさむ。 厚さは約 930 m である。 本層は堆積輪廻にもとづいて下位から Is1~Is8 の8層に細分される。 Is3 の上部から Is4 の下部にいたる部分(厚さ約 70 m)は大規模なスランプ層を形成し, 北へ比較的ゆるく傾斜する那珂湊層群は 例外的に この部分において南へ 60~80°の傾斜をもって逆転している。 逆転部分は南北両側の地層と断層関係にあるが, 断層は後生構造変形によるものではなくて, スランプに伴って生じたものとみなされる。 両断層を境として岩相がほとんど変化しないので, このスランプ層と両側の地層, すなわち上下の地層との間には大きい層序的間隙がないと考えられる。

磯合層における岩相の垂直的変化, とくに砂岩 - 頁岩比および礫岩の発達状況の垂直的変化を大観すると, Is1 から Is7 に向かって 粗粒堆積物が全体として減少していくような一つの堆積輪廻が認められ, さらに Is8 になると粗粒堆積物がふたたび増加して別個の一輪廻の開始がみられる。

砂岩についてみると, 泥質岩をはさまない砂岩は Is8 においてよく発達し, これに対して中層理砂岩泥質岩互層や薄層理砂岩泥質岩互層 (これらは他のタイプの互層に比べて砂岩の量比が低い)は Is1 の上半部にもっとも厚く発達する。 粗い砂岩(たとえば粗粒砂岩)は Is1 の下半部に, より細かい砂岩(たとえば中粒砂岩)は Is1 の上半部においてもっとも卓越している。 砂岩部における級化層理は大局的にみてIs2 - Is5ではよく発達し, Is8 ではあまりみられない。 砂岩部における葉理(主として平行葉理)は Is6 - Is8 よりも Is2 - Is5 においてよりよく発達している。 Is 6 の上部や Is7 の中部の砂岩には谷型の斜交葉理が顕著にみられることがある。 方向性をもつソールマーク (たとえばフルートキャスト・グループキャスト(第 11 図))は とくに Is1 の中部, Is2 の中部においてしばしば観察される。

第 11 図 那珂湊層群 磯合層(Is7)の砂岩層の下面にみられるグルーブキャスト

シルト岩は Is1 - Is2 では砂岩葉層に富み, また Is1 では石灰質団塊を多く含む。 これに反して, Is3 - Is8 におけるシルト岩は全体として砂岩葉層・石灰質団塊両方に乏しい。 シルト岩は Is4 の上部から Is5 にかけて粒度が細かく, シルト質粘土岩に近い。 シルト岩はときどきスランプ性褶曲構造を示し, このようなスランプ層は Is1 - Is2 および Is8 に発達し, Is6 にも知られている。

礫岩は本層中で Is2 においてもっともよく発達し, 礫径も全体として大きく, 中礫が優勢である。 とくに Is2 の下部にみられる厚さ約 7.5 m の礫岩(第 12 図)は注目をひく。 この礫岩層は 礫岩部と砂岩部とが雑然と入り混ったり 地層が屈曲するなど不規則に成層したりして, 全体がスランプ構造を示す。 礫岩部は中礫~大礫大の円礫(径 17 cm に及ぶものもある)からなり, 大礫の多いことが目立ち, 淘汰が悪い。 礫岩部の基質は粗粒~中粒砂岩で, 部分的に泥質を帯びる。 Is1 の下部や Is8 にも礫岩が少なからずみられ, 中礫が卓越している。 他方, Is5 において礫岩がもっとも少なくなると同時に, 礫の大きさも全体としてもっとも小さくなり, 一般に細礫である。

第 12 図 那珂湊層群 礫合層(Is2)にみられるスランプ性礫岩

含礫シルト岩は 種々の層準に挾在する Is1 - Is2 では上位層に比べて礫径が全体として大きく, Is5 - Is6(最上部を除く)では他の細分層に比べて含礫シルト岩は少なく, 礫径も減少する。

凝灰質岩はまれにしかみられないが, Is4 の中部に厚さ 40 cm 前後の酸性ないし中性の灰青緑色 細粒ガラス結晶質凝灰岩が, Is5 の最上部に厚さ約 10 cm の灰白~淡灰色の凝灰質砂岩が挾在する。 後者には 顕微鏡下でみると 石英・斜長石の破片とともに熔結凝灰岩の小破片や軽石片が多く含まれている。 この凝灰質砂岩のすぐ近くの含礫シルト岩中にも軽石片が散点する。

堆積構造としては, これまでに述べてきたことからわかるように, タービダイト砂岩にふつうにみられる種々のソールマークや内部構造が発達するほかに, スランプ構造もしばしば存在するが, 特記すべきものは 地層が完全に固結する以前に形成された構造と判断される厚さ約 70 m の逆転層である。 逆転した部分は両側の地層とスランプに伴って生じたと考えられる断層で境される。 これは 大規模なスランプ構造または 傾斜した海底上の mass sliding に由来した構造と解すべきであろう。 さらに, Is2 の下部にシルト岩岩脈(第 13 図)が, Is3 の最下部に泥岩岩脈が認められる。 前者は最大の幅約 6 cm, 見掛上の長さ 80 cm 以上で, 上位の砂岩層内に達し, 後者は幅約 2 cm, 見掛上の長さ約 180 cm である。 後者の岩脈は砂岩層を切るもので, 直下の泥質岩から上へ向かって貫入している。 いずれの岩脈も走向 N 15~25°E, 傾斜 90°内外である。

第 13 図 那珂湊層群 磯合層(Is2)にみられるシルト岩岩脈

化石は一般にシルト岩中から産出する。 とくに化石が多いのは Is6 および Is7 における比較的厚いシルト岩で, これらは Baculites の多いことが特色である。 さらに, Is1 の上部の比較的厚いシルト岩中からも Baculites が産出している。 なお, Is3 の最下部の泥質岩と互層する砂岩には Ostrea らしい化石の破片が若干見いだされている。

磯合層からは下記のような大型化石の産出が報告されている(SAITO, 1961, 1962)。

軟体動物
Acila (Truncacila) cf. hokkaidoensis NAGAO
Ezonuculana mactraeformis (NAGAO)
Ostrea sp.
Inoceramus cf. shikataensis NAGAO and MATSUMOTO
Inoceramus sp.
Lucina nakaminatoensis SAITO
Licina (Myrtea) ezoensis NAGAO
Tellina sp.
Rostellaria sp.
Baculites inornatus MEEK
B. cf. rex ANDERSON
Baculites sp.
ウニ
Diadema sp.
Niponaster nakaminatoensis SAITO
サメの歯
Isurus nakaminatoensis SAITO

さらに, Cf. Brunonia cassidaria (YOKOYAMA)(Is7)および Polyptychoceras sp.(Is6)もみいだされた。

有孔虫化石としては次のようなものが知られている (SAITO, 1961, 1962)。

Bathsiphon alexanderi CUSHMAN
B. sakuensis ASANO
Rzehakina episona (RZEHAK)
Silicosigmoilina futabaensis ASANO
Bramletteia ezoensis TAKAYANAGI
Haplophragmoides horridus TAKAYANAGI
Haplophragmoides sp.
Dentalina gracilis D'ORBIGNY
Lenticulina obirashibensis TAKAYANAGI
Robulus cf. matsumotoi TAKAYANAGI
Robulus sp.
Saracenaria sp.
Globotruncana paraventricosa (HOFKER)

生痕化石はときどき砂岩層の層面や内部にみられる。 例として, 砂岩層の層面に発達した樹枝状の生痕(第 14 図), Is1 の最上部の1砂岩層中に 堆積面に対して急角度に入っている砂管状生痕(第 15 図)をあげることができる。 さらに, 生痕化石はしばしばシルト岩中にも多くみいだされ, それに伴って生物擾乱(bioturbation)にもとづく葉理の乱れも観察される。

第 14 図 那珂湊層群 磯合層(Is7)の砂岩の層面にみられる生痕化石

第 15 図 那珂湊層群 磯合層(Is1)の砂岩層内部にみられる砂管状生痕化石

III.3 対比

那珂湊層群産の主要化石としては, 前述のように平磯層から Didymoceras awajiense, D. nakaminatoense, Pravitoceras (?) sp., Inoceramus (Endocostea) cf. balticus が, 磯合層から Inoceramus cf. shikotanensis, Baculites inornatus, B. cf. rex, Polyptychoceras が産する。

上記の化石によって, 平磯層は大部分がヘトナイ統 下部階 (中部 - 上部カンパン階 Middle - Upper Campanian)に対比されるが, 下へは浦河統 最上部亜階(下部カンパン階 Lower Campanian)に及ぶ可能性がある。 磯合層はヘトナイ統 下部階 - 同統 上部階 (マーストリヒト階 Maastrichtian)の下部に対比される。 Inoceramus cf. shikotanensis の産出地層は Baculites cf. rex とともに Is7 の中部, すなわち Is7 中の3枚の厚いシルト岩層のうち最下位のもの(砂岩薄層をひんぱんにはさむ),Baculites inornatus および Polyptychocercs の産出地層は Is6 の上部, すなわち Is6 中の2枚の厚いシルト岩層のうち下位のもの(砂岩薄層をひんぱんにはさむ)である。 したがって, ヘトナイ統の下部・上部両階間の境界 Is6・Is7 は間の境界あたりに求められる。

IV. 上部白亜系または古第三系 -- 大洗 おおあらい [ Oa ]

大洗層は那珂湊市街地周辺の台地周縁部に露出する。 本層は中新統 多賀層に傾斜不整合におおわれ, 東側の那珂湊層群 築港層と断層関係にあると推定される。

大洗層は図幅地域南方の [ 大洗図幅地域内の ] 大洗海岸に標式的に露出する。 大洗層全体からみると, 図幅地域ではその上部ないし最上部だけが露出しているとみなされる。 本層は全体で少なくとも 1,000 m あまりの厚さを有する。 大洗層はおもに礫岩からなり, 薄い砂岩やシルト岩をはさむ。

礫岩は細礫~大礫大の円礫からなり, 大礫の多いことが目立ち, 巨礫もみられる。 礫岩は, 礫が雑然と密集して淘汰が悪く無層理のこともあれば, 礫径の差や配列の粗密によって層状を呈することもある。 ときどき厚さ数 10 cm の砂岩をはさみ, 斜層理を示す場合もある。 礫岩の基質はアルコース質の砂である。 礫には古期岩層の頁岩・砂岩や花崗岩類が多く, これらは一般に他の種類の礫よりも大きい。 礫はよく円磨されているが, 砂岩礫の円磨度は花崗岩類の場合よりも劣る。 礫には上記の種類のほかに, チャート・ホルンフェルスがあり, さらに火山岩類(たとえば流紋岩・安山岩)の礫もまれにみいだされる。

礫岩に挾在する砂岩は厚さ数 10 cm で, 粗粒~極粗粒のこともあれば, 細粒~中粒のこともある。 シルト岩は厚さ数 10 cm で, 暗灰色を呈し, 砂岩に伴って礫岩中に挾在する。 なお, 図幅地域南方 [ ← 本図幅の南隣の大洗図幅地域内 ? ] では石炭層や植物化石層が知られている。

図幅地域の大洗層は南東ないし東南東へ沈むゆるい向斜構造をなし, 傾斜は 10~30°である。

対比 : 大洗層は, 植物化石群(大洗植物群)の内容および 那珂湊層群と同様に北へ傾斜し, 後者の南側に分布すること, および岩相の垂直変化の状況から, 上部白亜系 ヘトナイ統(浦河統の最上部の亜階に及ぶ可能性がある)の 那珂湊層群より下位とみなされ  同じく上部白亜系の浦河統の上部階に対比されてきた(尾崎・斎藤, 1955 ; 大山, 1956 ; OYAMA, 1960 ; SAITO, 1961)。 いっぽう, 松尾(1964)は この植物化石群に第三紀的要素(たとえば Sabarites など)が多いことを重視して, 大洗層を暫定的にヘトナイ統の上部に対比しながらも, 同時に本層の年代について再検討の必要性を強調した。 さらに, 花粉化石の Aquilopollenites, 胞子化石の Aneimia および Shizaea が発見されていないので, 大洗層が上部白亜系であると断言することは困難である [ 以下の [注] 参照 ] 。 要するに, 現在では古生物学的資料から, 大洗層の時代が上部白亜紀または古第三紀のいずれであるかを確定することができない。

[注]
本所の徳永重元技官の談話による。

V. 新第三系

V.1 殿山 とのやま 層(斎藤, 1956) [ Tn ]

那珂湊から平磯まで, 南北約 1 km の間の海崖の下半部にのみ露出している。 露出は一連であるが, 上位に第四系の上市礫層が不整合にかさなっているため, 高さにして 3~5 m 幅の部分が見られるにすぎない。 南限はかつて白亜系との間に不整合がみとめられたという(斎藤, 1956)が, 現在では確認できない。 北限も白亜系と断層で接するという(SAITO, 1961)。 本層については, 斎藤(1956)の詳しい報告がある。

第 16 図 a 那珂湊の北方の海崖の殿山層。 崖の下部の傾斜した層理を示す部分。 その上位は上市礫層

第 16 図 b 殿山層と上市礫層との不整合(那珂湊の北方)

殿山層は, 岩相的に近接地域の新第三系ときわめて異なっており, かつ, 後述の多賀層などと直接に接するところが見られないので, 他の新第三系との層序関係は不明である。 しかし, 一般には, 岩相・構造・化石などから, 多賀層より下位のものと見なされている。 殿山層の露出する海岸のスケッチと, そこでの模式的な柱状図を第 17・18 図に示した。 これでみられるように, この海岸には, 約 190 m 厚の殿山層が露出している。

第 17 図 那珂湊の北方の海崖の殿山層

第 18 図 殿山層の模式柱状図

殿山層の下部, 約 40 m 厚の部分は, 全体として軽石まじりで暗灰色塊状の泥岩と, 泥岩砂岩互層とからなっている。 互層はあまり明白なものではなく, その砂岩は細粒~粗粒でときに細礫をまじえる。 互層をつくる泥岩は暗灰色 塊状で, ときに炭質物を多量に含む。 この上部には, 25 cm 厚の軽石凝灰岩をはさみ, また, 生痕の多い砂質泥岩層をはさむ。

中部の約 80 m は, 砂岩と砂岩礫岩互層よりなる。 砂岩はおもに細礫を含む淘汰不良のもので, ときに不明白な斜交葉理がみられる。 砂岩は, 下半部で軽石質であり, 炭質物の破片も多い。 また石灰質の団塊が層状に並んでいる。 礫岩は, 約 10 層が認められ, 各層の厚さは 2~5 m であるが, 膨縮はいちじるしい。 礫岩の礫はほとんどが白亜系の砂岩の円~亜円礫であり, ふつう 20~50 cm 大, ときに 80 cm 大のものも含まれる。 礫はかなり密集しており, 配列の方向性は認められない。 この礫岩は, 礫の円磨度が高いことが一つの特色である。 また, この礫岩層には, ときに多数の方解石細脈が発達している。

第 19 図 a 殿山層の礫岩(牛久保海岸)

第 19 図 b 殿山層の礫岩(牛久保海岸)

殿山層の上部約 70 m は, 暗灰色 塊状の砂質泥岩を主としている。 全体として軽石まじりであり, 何枚かの泥質細粒砂岩層をはさむ。 また, 下半部では球状・板状の石灰質団塊が層状に並んで入る。 この泥岩の下部には, 海棲の貝化石を多産する部分があり, 保存はよくないが, Anadara・Modiolus・Dosinia・Paphia・Turritella・Teredinid などを産した。 この他, ウニ(Astricripeus)も産し, また, 団塊中にクジラ類の骨片の密集したものもみられた。 大山・斎藤(1957)は, 殿山層から多数の貝化石を報告しているが, そのうちおもなもののみを示すと第 2 表のようである。 これらの貝化石からみると, その時代は中新世中期といえる。

第 2 表 殿山層の貝化石(大山・斎藤(1957)によりおもなもののみを示した)

Calliostoma namuchakuensis HATAI and KOTAKA
Turritella s-hatai NOMURA
Calyptoraea cf. tubira OTUKA
Crepidula zyobanica NOMURA and HATAI
C. cf. symmeirica NOMURA and HATAI
Nassarius simizui OTUKA
Cancellaria pristina YOKOYAMA
Megasurcula kurodai OTUKA
Ringicula ninohensis OTUKA
Nucula (Ennucula) akitana OTUKA
Acila yanagawaensis NOMURA and ZINBO
Crassostrea cf. gigas (THUNBERG)
Venericardia siogamensis NOMURA
Lucnoma acutilineatum (CONRAD)
Clinocardium cf. shinjiense (YOKOYAMA)
Katherinella iizukai (YOKOYAMA)
Cardilia cf. yudaensis (OTUKA)

殿山層は, 全体として, 北西 - 南東方向の走向をもって北東へ傾き, その傾斜は 10~20°である。 また, 殿山層には, 全体的に多数の小断層が発達している。 小断層のうちもっとも古い系統のものとして, 南北方向のものと N 30~60°W のものとがあるが, 両者とも走向のばらつきはかなり大きい。 両者とも正断層であって, 断層面は閉じている。 また, 断層面に沿って, 石灰質脈が発達し, 凸出していることもある。 これより新しい系統の小断層としては, ほぼ南北の走向を示すものがある。 これは正断層で, 断層面は開いている。 断層の落差の大きいものでは, 角礫帯や剪断帯を伴う。 もっとも新しい系統の小断層は, 逆断層であって, 断層面は開いている。 また, この断層面の周囲に節理がよく発達することもある。

V.2 多賀 たが 層(槇山, 1920) [ Tg, Hp, Ap ]

多賀層という地層名は, 古く常磐炭田地域の第三系の上部層に対して名ずけられたものであるが, 同炭田地域の南端部にあたる久慈付近に発達する泥岩層に対しても, 以前からこの名前が適用されてきた(徳永(1927)など)。 この多賀層に相当する地層は, 本図幅地域内では久慈付近以外にも広く発達しているが, 上位を第四系におおわれて地表での分布が分断しているため, 各地域ごとにさまざまな名前で呼ばれてきた。 例えば, 図幅地域北西部 [ ← 本図幅の西隣の水戸図幅地域内 ] では 瓜連 うりずら 層(阿久津, 1952), 那珂湊地域では磯崎層(斎藤, 1956), 水戸地域では水戸層(斎藤, 1959b), 水戸~那珂湊地域では常磐泥岩累層(鈴木, 1954)などの地層名が提唱されており, また, [ 本図幅の北西隣の常陸大宮図幅地域内の ] 常陸太田付近で命名された源氏川層群(鈴木・大森, 1953)という地層名も, ときに本地域に適用されている。 このようにさまざまな名前で呼ばれているが, その対象となっているのは, すべて特有の青灰色の色調を呈する, 塊状・均質・単調な泥岩を主体とする一様な地層であり, ここではこれらをすべて一括して「多賀層」と呼ぶことにする。

多賀層は, 本図幅地域内ではどこでもほぼ一様に, 新鮮なとき青灰色で, 風化して灰白色を呈する, 塊状・均質で層理の発達の悪い砂質シルト岩ないしシルト岩を主体とする。 全域を通じて, 水平的・垂直的な岩相変化に乏しく, はなはだ単調な地層である。 露頭では平滑な壁状の崖をつくることが多く, 風化するにしたがって表層部から露出面に平行な板状に剥落することが多い。 この砂質シルト岩ないしシルト岩には, 久慈付近では数 cm~1 m 厚の白色 細粒凝灰岩や軽石凝灰岩がひんぱんにはさまれる。 また, 細粒砂岩の薄層もときにはさまれる。 久慈付近の多賀層の柱状図は第 20 図に示した。 額田付近では, かつて多賀層の泥岩が石材としてごく小規模に採掘されたことがある。

第 20 図 久慈付近の多賀層の桂状図

久慈付近では, 本層の上限近くに, 巨大な泥岩ブロック(最大径 10 m 内外, ふつう 2~3 m 大)をもった乱堆積層が発達している(第 21 図 a, b)。 ブロックをつくる泥岩は, 多賀層の泥岩と同じ岩質のものであり, ブロック間の基質は, 日立変成岩類の径 10 cm 大以下の円~亜円礫がレンズ状に密集したり, あるいは散在して含まれたりしている含礫泥岩である。

第 21 図 a 多賀層中の同時侵食礫(久慈の西部)

第 21 図 b 多賀層中の同時侵食礫(第 21 図 a と同じところ)

新川沿岸では, 泥岩層中に下半部に泥岩礫を多く含む軽石質粗粒砂岩層(厚さ約 2 m)がはさまれており, その基底がいちじるしい凹凸を示すことがある(第 22 図 a, b)。 鈴木・菊地(1960)が新川の下流部に鮮新統を図示しているのは, この含礫粗粒砂岩層をさかいにしてのことと思われるが, 含礫砂岩層の上下で泥岩の岩相に大差はなく, 含まれる化石も同様である。

第 22 図 a 多賀層中の同時侵食( [ 東海村 ] 須和間 すわま の南方の新川の沿岸)

第 22 図 b 多賀層中の同時侵食(第 22 図 a と同じところ)

一方, 那珂湊北方の 部田野 へたの および磯崎付近では, 軽石凝灰岩が発達している。 これをそれぞれ部田野 軽石凝灰岩部層(鈴木, 1954), 阿字ガ浦 [ ← 阿字ヶ浦 ? ] 軽石凝岩部層(尾崎・斎藤, 1955)とよぶ。 両者はともに多賀層中にはさまれた水中火砕流の堆積物であり, 岩質などからみて同層準のものであろう。

多賀層は, 層理の発達が悪く, 岩相が単調なため, その厚さははっきりしないが, おおよそ 400~700 m 程度のものであろう。 本層の下限は, 図幅地域北縁では, すぐ北隣の地域 [ ← 本図幅の北隣の日立図幅地域 ? ] での状況および茂宮付近での試錐結果 [ 以下の [注] 参照 ] からみて, 日立変成岩類あるいは花崗岩類を直接に不整合におおっているとみてよい。 南部の那珂湊地域では, 那珂湊市街の中央に孤立した小丘の北西隅(反射炉跡の西側の崖)で, 大洗層の上に多賀層が不整合にかさなっていると推定されている(鈴木, 1954)。 ところが, 水戸市東部の浜田 [ ← 図幅地域西端 ] で行なわれた深さ 1,000 m の天然ガス試掘井では, 深さ 80 m までが第四系, 780 m までが多賀層とみられ, 以下 1,000 m まで新第三系がつづく。 多賀層より下位の新第三系は, 大門層・塩ノ草層など(斎藤, 1952)にあたるとみられる。

[注]
日立市 茂宮における天然ガス試掘井では, 深度 190 m で, 多賀層の泥岩が花崗岩をおおっている。 泥岩の基底には, 厚さ 2 m 程度の礫岩が発達する(井島ほか, 1957)。

以上のような多賀層の直下にくる岩層の状況は, 那珂台地における重力分布と比較してみると興味深い。 重力調査の結果では, 那珂町 菅谷 [ ← 図幅地域西端・南北中央やや北 ] 付近に低重力域の中心があり, 図幅地域内では東から西へ重力値が小さくなる(鈴木・菊地, 1960)。 このことは, おそらく本図幅地域の海岸ぞいでは, 多賀層の下位に先新第三系の基盤が直接しており, それより西方の内陸部では, 多賀層の下位に新第三系が厚く発達していることを示すものであろう。

なお, 本層と前節で述べた殿山層との層位的な関係は不明であるが, 後者 [ = 殿山層 ] が下位を占めるものと思われる。 また, 久慈付近では, 本層の上位に, 久米層・離山層が不整合にかさなる。 さらに, 図幅地域全体にわたっては, 本層の上位に, 第四系の見和層・上市礫層が水平に広がっている。

多賀層からの貝化石は, 各地いたるところで発見されるが, ここで扱った地域内では, 1カ所に集中して多産することはない。 化石としては, Acila, Portlandia, Macoma などの貝やウニ・魚鱗・Sagarites などがふつうに見られ, 有孔虫・放散虫・海綿骨針・珪藻などの微小化石も多い。

多賀層の地質時代については, 以前から中新世あるいは鮮新世といろいろな議論があったが, 最近では一般に中新世後期とみなされている。

那珂台地とその周辺における多賀層の大局的な構造として, 井島ほか(1957)・OMORI(1958)は, 一つの大きな盆状構造を考えている(第 23 図)。 たしかに大まかな傾向として, 多賀層は, 北部の久慈付近では南へ, 中部の新川沿岸では東へ, 南部の那珂湊付近では北へ傾いており(第 24 図), 新川の河口付近を中心とした盆状構造を予想させるものがある。 しかし, この地層は, 全般的に傾斜がゆるく, 岩相が単調であり, 有効な鍵層がないために, 大局的な構造についても, 地域的な構造についても, 現段階では確かなことはいえない。

第 23 図 那珂台地とその周辺の新第三系の構造(OMORI(1958)による)

第 24 図 那珂湊付近の第三系の走向・傾斜

多賀層を切る小断層として, 先に述べた殿山層分布地域の北方にあたる磯崎の海岸では, 南北性の1系統のみが認められる。 これには, 断層面が東へ傾くものと西へ傾むくものとがあり, セットをなしている。 断層の落差は, 0~30 cm と小さい。 断層面は開いているものも, 閉じているものもあるが, いずれも固結していない。 この小断層には, 下部の泥岩層のみを切って, 上部の固結した軽石凝灰岩層を切らないものもある。

久慈付近の多賀層では, 小断層の分布密度はきわめて小さい。 小断層には新旧のものがあり, 古いものは正断層で, 落差は 5~60 cm 程度, 面が閉じており, 南北性のものと東西性のものとの2系統が認められる。 この小断層はときに引ずりを伴ない, 撓曲に移化する。 古い小断層は, 離山層を切らないものと見られる。 新らしい小断層は, N 20~30°E の走向が一般的で, 落差は小さい。 面は閉じており, 雁行する傾向がある。 新らしい小断層は, 多賀層と離山層とをともに切っている。

[ V.2.1 ] 部田野 へたの 軽石凝灰岩部層 [ Hp ]

那珂湊市 部田野 へたの からその西方・北方へかけて分布する, 多賀層中にはさまれた流紋岩質の水中火砕流の堆積物である。 全体としてよく固結しており, 厚さは 50 m 以上に達する。 この凝灰岩層は, 軽石塊が雑然と密集し層理を示さない塊状の部分(厚さ 10~30 m)と, 葉理のよく発達した部分(厚さ数 m)との 2~3 回の繰返しからなっている。

塊状の部分では, 最大径 5 cm 程度, ふつう 2~3 cm 大の丸味をおびた軽石が, その大部分を占める。 軽石は, 白色で絹糸光沢が強く, 有色鉱物は認められない。 ここでは, 軽石の他に, 径 20 cm 大以下の泥岩角礫がかなり多量に含まれている。 この角礫となっている泥岩は, その岩質からみて, またときに Sagarites の化石を含んでいることからみて, 多賀層の泥岩を同時侵食的に取り込んだものであることが判る。 基質の占める割合はきわめて少ないが, ときに 1~2 mm 大の岩片がまじり, 黒雲母片を含むこともある。

葉理の発達した部分は, おもに平行な葉理を示して配列する 0.5~1 cm 大の軽石の集合よりなり, 上部ではそれと緻密な凝灰岩との細互層もみられる。 軽石の岩質は, 塊状の部分と変らない。

部田野軽石凝灰岩は, 部田野部落の西方で, 小規模ながら装飾用石材として切り出されている。 また, この凝灰岩層のつくる台地の先端の釜上神社境内では, 顕著な海食地形がみられる( [ 前述の「I.2.3 那珂川下流の沖積低地」の項で示した ] 第 7 図)。

[ V.2.2 ] 阿字ガ浦 [ ← 阿字ヶ浦 あじがうら ? ] 軽石凝灰岩部層 [ Ap ]

阿字ガ浦 の名勝と海水浴場で知られる那珂湊市 磯崎の北方の海崖に局地的にみられる。 多賀層の泥岩の上にかさなり, 上位を見和層によって不整合におおわれて, 最大 4 m 程度の厚さの部分が見られるにすぎない。 この凝灰岩層も部田野凝灰岩部層の場合と同様に, 塊状・無層理の部分と葉理のよく発達した部分とからなっている。 塊状部では, 白色軽石の径 1 cm 大以下の角片が密集しており, 2~3 cm 大の泥岩 角礫も多少含まれている。 基質はきわめて少ない。 軽石の岩質も部田野凝灰岩部層の場合と同様である。 葉理の発達した部分では, 0.5 cm 大以下の軽石片が, 整然とした平行葉理をつくって配列している。

この軽石凝灰岩は岩質的に部田野付近のものと同じであり, おそらく両者は同層準のものであろう。 すなわち, 阿字ガ浦 海岸のものは, 同一の水中火砕流堆積物のより末端の部分を示すものであろう。 ただ ここでは, 分布がへだたっているので, 一応別々の地層名をつけて扱った。

尾崎・斎藤(1955), 斎藤(1956)は, 上述の 阿字ガ浦 部層が, 磯崎の海崖において, 下位の多賀層(= 磯崎層)に不整合でかさなっているとし, かつ, 斎藤(1956)は 阿字ガ浦 部層と久慈地域の離山層とを対比し, ともに鮮新統とみなした。 しかし, その堆積機構からいっても, 阿字ガ浦 部層を多賀層中の挾みと見なした方がよい。 露頭でも, 第 25・26 図に示したように, 泥岩層との間に岩相の急変はあるが, 不整合を示すような証拠はない。

第 25 図 磯崎の海崖のスケッチ

第 26 図 磯崎付近の地質柱状図

V.3 久米 くめ 層(斎藤, 1952) [ Km ]

図幅北縁の久慈台地西側にきわめてわずかに分布している。 もっとも, この分布は, 北方地域 [ = 本図幅の北隣の日立図幅地域 ] からの連続として推定されるものであって, 図幅地域内にはっきりした露頭があるわけではない。 図幅地域内では, 灰褐色を呈し塊状で軽石まじりの細砂質泥岩や, 団塊を含む暗灰色の塊状泥岩の小露出がみられ, また, 地表に散乱する大礫から泥岩層の下位に礫岩の存在が推定されるにすぎない。

久米層の全体的な層序は斎藤(1952)・鈴木・大森(1953)に詳しく報告されているが, 図幅地域にもっとも近い所では, 国道 6 号線に近い茂宮~大橋 [ 位置不明 ; 日立市 大和田町の日立電鉄線 大橋駅の近辺 ? ] 付近でよく見られる。 ここでは, 第 27 図の柱状図に模式的に示したように, 下部に礫岩が, 上部に泥岩がおもに発達する。

第 27 図 久米層の模式柱状図(日立市 茂宮~大橋付近)

下部の礫岩層は, 径 30~50 cm 大 ときに 1 m 大に達する 日立変成岩の円~亜円礫や花崗岩角礫の密集した部分と, 3~5 cm 大の変成岩・花崗岩の円~亜円礫のあまり密集していない部分とが 3~5 m 厚ごとに繰返しているもので, 後者ではいちじるしい斜交葉理が発達している。 また, この部分では, 基質は花崗岩質の粗粒砂であるが, ときには 1~3 cm 大のよく円磨された円礫のみが密集し, 礫の間にすき間のあいた部分がレンズ状にはさまれることがある。 この礫岩は, 一般にあまり固結しておこらず, 上位の段丘層(見和層)との区別はかならずしも明白ではないが, 礫岩層の一部は石灰質物で膠結され, いちじるしく固くなっている。 このような固結部は, 不規則な層状をなして発達する。 この礫岩は, 一見したところ河成と思えるような岩相を呈しているが, 鈴木・大森(1953)によって 礫の表面や基質中からフジツボ(Balanus sp.)の化石が報告されており, また, 上位の泥岩との関係からみても海成とみてよい。 礫岩層の層厚は, この付近では 40~50 m で, 下限は日立変成岩に直接する。 鈴木・大森(1953)によれば, これより北西方で久米層が源氏川層群(多賀層に相当する)を不整合におおう部分では, 久米層基底の礫岩層はまったく発達しないという。

上部の泥岩層は, 茂宮~大橋付近では, 層厚約 20 m の部分が観察される。 淡褐色 塊状の泥岩~細砂質泥岩を主としており, 中部に厚さ約 3 m の軽石質の部分をはさみ, それより上位では軽石まじりとなる。 また, 石灰質団塊が厚さ約 30 cm の層状をなして, 一列に並んではさまれる。 泥岩層の下半部では, ときに細円礫が層状に, あるいは散在して入り, また, 化石として Sagarites や砂管もみられる。 これより北西方の常陸太田市 真弓 [ 位置不明 ] ~岡田付近(旧 世矢 せや 村)では, この泥岩層の層厚は 300 m 以上に達するといわれ, Nuculana, Portlandia, Yoldia, Lucinoma, Neptunea, Turcicula, Chlorostoma, ウニなどの化石が報告されている(鈴木・大森, 1953)。

久米層とその上位の離山層とは, 日立市 南高野 みなみこうや [ ← 本図幅地域の北端 ] 付近で整合に接するといわれる(大森・鈴木,1950)。 しかし, 今回の調査ではこの関係を確かめることはできなかった。 図幅地域内の久米層(とくにその泥岩層)の層厚が, 北方に比べていちじるしく薄いことは, あるいは離山層との間に不整合による欠如があることを示すのかも知れない。 なお須貝ほか(1957)は, ここで述べた地域の久米層を多賀層として一括して扱っている。

久米層の構造は, 第 28 図に示すように図幅地域内では, ほば東西の走向をもち南落ちであるが, その北方では阿武隈山地の西縁にそう北北西 - 南南東の走向を示し西落ちである。 しかし, この両地域の関係は不明である。

第 28 図 久慈付近の新第三系

久米層からは [ 本図幅の北西隣の常陸太田図幅地域内の ? ] 常陸太田の西方で Patinopecten yessoensis, Umbonium subsuchiense, U. tenuistriatum などを産し, また, 下位の多賀層あるいは源氏川層が後期中新統とされていることから, 久米層の時代は鮮新世初期とされている(鈴木・大森, 1953)。

V.4 離山 はなれやま 層(矢部・青木, 1924) [ Hn ]

日立市 久慈の南端の小丘に主として分布し, その北西方にもつづく。 全体としての分布面積はきわめて小さい。 この地層からは, 古く加藤(1914)によって象化石の産出が報告されている。 その後, この地層に関する報告は多いが, 戦後では, 大森・鈴木(1950)が詳しく記載している。

久慈の南端の離山では, この地層の基底からはじまる層厚約 30 m の部分が連続的に観察できる。 久慈の西方の部分では, 露出は断片的である。 離山層は, 第 29 図の柱状図に示したように, 軽石質の地層であることが特色である。 軽石質という点で多賀層の項でのべた 阿字ガ浦 部層や部田野部層と同層準として扱われてきたが, 離山層は多賀層の上位に不整合で重なるものであり, それらとは異った層準のものである。

第 29 図 離山における離山層の柱状図

離山層の基底は, 特異な形態のものであり, むかしからこの境が整合であるか, 不整合であるか議論が多い。 この基底には, 3~5 cm 大のチャート礫を含む淘汰不良の軽石質粗粒砂が 50~100 cm 厚であるのみで, 明白な基底礫岩は発達しない。 基底部の砂層は新鮮なときには いく分 暗緑色を呈し, 海緑石質とみられる。 下位の多賀層との岩相の差は明白であり, そのさかいもはっきりしている。 この境は, 離山の北端の茅根病院裏でもっともよく観察できる(第 30 図 a, b, c)。 また, その西方の日立電鉄の線路ぞい(常磐線との交点より西方)の露頭の状態を 第 31 図に示した。 これらの露頭だけでは, 両者の関係が不整合か あるいは 層間異常か不明白であるが, 離山付近をより広く見た場合にも, 離山層と多賀層は第 32 図に示すような関係にあり, 全体としてゆるい傾斜不整合の関係にあるものとみなしうる。

第 30 図 a 離山層の基底の不整合(日立市 久慈 離山の北端)

第 30 図 b 離山の北瑞における多賀層と離山層の関係

第 30 図 c 第 30 図 b の中央下部の拡大図

第 31 図 離山層と多賀層の関係

第 32 図 離山付近の模式断面図

[ 離山層の基底の ] 不整合から上方へは, 約 15 m 厚の間が白色流紋岩質の軽石凝灰岩を主とし, 軽石質砂岩・細粒凝灰岩をともなう地層であり, 側方では石灰質物で固結された塊状の軽石凝灰岩に移化する。 これより上位には, 淘汰不良の暗灰色泥質砂岩(8 m 厚), 葉理の発達した灰褐色凝灰質細粒砂岩(6 m 厚), 黄灰色塊状凝灰質泥岩(2 m 厚)が重なる。 これらの上位には, 第四系の見和層(海成段丘堆積層)が, 不整合でもって水平に広がる。

以上の離山層は, [ 前述の「V.3 久米層」の項で示した ] 第 28 図に示すように, 5°内外の傾斜で, きわめてゆるく南~南西へ傾むく。

離山層産の化石として, かつて加藤(1914)が離山の石切場から報告したゾウ化石は, 高井(1939)によって, Stegodon elephantoides(CLIFT)と同定された。 YABE(1950a, b)はこれを Stegolophodon と Stegodon elephantoides との中間的な Stegodon の新種としている。 同じ石切場からはサメの歯(Chalcalodon megalodon, Isurus hastalis, Calchalius sp.)も産出している(徳永, 1927 ; 大森・鈴木, 1950)。 本層の時代は鮮新世前期あるいは後期とされている。

VI. 第四系

VI.1 見和 みわ 層(斎藤, 1956) [ Ml : 下部, Mm : 中部, Mu : 上部 ]

見和層という名前は, [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 水戸市 見和町 [ ← 千波湖の西北西方 1 km ] の台地周辺に模式的に発達する成田層相当層に対して, 斎藤ほか(1956)が命名したものである。 この時の原記載(例えば, 見和層が溺れ谷を埋めた堆積物であるということなど)や, 見和町周辺に分布する見和相の岩相・含有化石からみて, 斎藤ほか(1956)のいう見和層が, この説明書でいう「見和層下部 [ Ml ] 」のみを指していたことは明らかである。

その後, 斎藤(1959b)は, 見和層について再度記載したさい, 東茨城台地に発達する第四系上部(この説明書でいう「見和層中・上部 [ Mm・Mu ] 」にあたる)も含めて, 見和層として扱った。 ただし, 那珂台地に発達する「見和層上部」については, 見和層として扱わなかったらしい。 このことは, 「(見和層の)砂層は主として水戸市より南東方面に発達している」 と述べていることや, SAITO(1961)の地質図で, 那珂湊付近の段丘層をすべて上市層として図示していることからもうかがわれる。

一方, この当時, 那珂台地・東茨城台地を含んだ広い範囲の段丘地形・段丘堆積物を扱った 貝塚(1957)・ 中川(1961)・ 小池(1961)は, 那珂台地と東茨城台地のそれぞれの主部(台地周辺の河岸段丘を除く部分)が, 同時期の地形面であり, 下末吉海進によって形成された一連の海成層からなっていることを明かにした。 その後, 一般に(例えば, 関東ローム研究グループ(1965)), 那珂台地とその周辺台地の海成 更新統をあわせて, 見和層とよばれている。 坂本ほか(1967・1969)は, この用法にもとずいて, 茨城県中部一帯の台地主部を構成する, 主として海成の上部第四系を見和層とよんだ。

見和層は, 層序的に上部・中部・下部に3分され, それぞれ特有の岩相を示している。 下部層 [ Ml ] は, 基盤(おもに新第三系)に刻み込まれた深く細長い幾条かの凹地を埋積した地層で, その下半部は礫層, 上半部は泥質層からなる。 厚さは, 那珂川沿岸で最大 45 m に達し, 久慈川の南岸では 20 m 前後である。 久慈川の南岸の見和層下部では, 大部分は淡水成であるが, その最上部に海成の部分がみとめられる。 那珂川沿岸では, はっきりした海成の部分は知られていない。 その最上部が河岸段丘礫層によって削られているためかも知れない。 中部層 [ Mm ] は 基盤(おもに下部第四系)あるいは 見和層下部に刻み込まれた浅い凹地を埋積した地層であり, 礫層を主とする。 厚さは図幅地域内では 5~6 m にすぎないが, 南隣地域 [ = 本図幅の南隣の大洗図幅地域 ] では最高 20 m に達する。 図幅地域内では, 那珂川の南岸で, 見和層下部の上に重なる部分がわずかに見られるにすぎない。 その岩相からみて, 見和層中部はおもに河成であろう。 上部層 [ Mu ] は, 基盤(那珂川以北では新第三系, 以南ではおもに下部第四系)あるいは見和層中・下部を平坦に削った波食面上に, 広く一様に発達する地層である。 おもに浅海成の砂~含礫砂~砂礫層よりなり, 厚さは平均して 15 m 前後である。

以上にのべた見和層の上部・中部・下部の層序関係は, [ 後述する「VI.1.3 東茨城台地の見和層」の項で示している ] 東茨城台地東端部の地質断面を示した第 57 図にもっともよく示されている。 図幅地域内では, 北端の久慈台地では上部のみが, 那珂台地では下部と上部が分布し, 南端の東茨城台地では下部・中部・上部がそろっている。

見和層は全体として, 下末吉 海進にともなって形成された。 そして, その上・中・下部は, それぞれ海進の進行によって生じた古地理環境の変遷に規制されて堆積した。 見和層堆積期の古地理環境の変遷について, 坂本ほか(1969)・坂本(1972)はおおよそ次のように述べている。

第 33 図 見和層堆積期の古地理(坂本(1972)による)

第 34 図 見和層の基底面の等高線図(坂本ほか(1969)を修正)

見和層下部 は, 下末吉海進より前に陸上で形成された河谷が 下末吉海進 前半期の急速な海面上昇によって沈水した時, この河谷の埋積層として形成されたものである。 見和層下部が埋積している河谷(凹地)は, それぞれ, 先久慈川凹地・ 照沼凹地・ 先那珂川凹地・ 勝田凹地・ 千波凹地とよばれる(坂本ほか, 1969)。 各凹地の位置(見和層下部の分布)は, 第 33・34 図に示したように, 千波凹地を除いて, 現河川の位置とかなりよく対応している。 先久慈川凹地, 先那珂川凹地としたものの上流部は, 現在の久慈川, 那珂川の峡谷部と一致する。 照沼凹地・勝田凹地は, 当時の丘陵地(あるいは台地)を刻む小河川の河谷であったと思われる。 千波凹地の上流部は現在の藤井川(那珂川の支流)の谷に一致していたであろう。 また, 先久慈川の左岸側には, 現在の山田川・里川 [ ← どちらの川も本図幅の北隣の日立図幅地域内 ] に相当するような支流があったであろう。 これらの凹地の最深部は海面下 40 m 以深に達するが, 各凹地の底の深さは, それぞれに対応する現河川の冲積層下に伏在する谷底よりも浅い。

見和層中部 は, 下末吉海進の途中の一時的な海面低下にさいして生じた浅い凹地を埋める地層であり, 河成とみられる礫層を主としている。 中部層は, 第 33 図に示すように, 水戸以南の先那珂川の下流に関連した部分にのみ見いだされる。 先久慈川下流に関連したものが発見されていないのは, おそらく, 堆積後の侵食によるものであろう。 その他の小凹地では, 存在したとしても, 岩相的に見和層上部との識別は困難であろう。 水戸以南では, 中部層の分布は, 2条に分岐しているが, 第 33 図のⅠ・Ⅱの順序で形成されたものであろう。 河道Ⅰの凹地底はもっとも深い処で -15 m 前後, 河道Ⅱでは海抜 0 m 前後である。

見和層上部 は, 下末吉海進の最盛期のゆっくりした海面上昇にともなって 基盤を平坦に削った波食台が形成されていったとき, その波食面上に堆積した地層である。 この時期には, 那珂台地一帯は, 現在の関東平野のほぼ全域に氾濫した広い浅海(古東京湾)の一部となった。 この波食面(見和層上部の基底面)のかたちについては, 坂本ほか(1969)で詳しくのべたが, ここではその後増加した資料を加えて修正したものを第 34 図に示す。 波食台は, 那珂台地の東西 15 km の間で, 高度差約 25 m, 平均勾配 1 / 600 にすぎない。 波食台形成後に, 東側が隆起する(海側への勾配を減少させる)傾向の地殻変動があった と予想させるにしても, もともとの波食台がきわめて平坦なものであったことは判る。 波食面の単調さを破るものとしては, 台地の南東部に3つの基盤凸出部が認められる。 凸出部のうち, 北の2つは新第三系の火砕岩と, 南の大洗付近のものは大洗層と, それぞれの分布が一致している。

見和層, とくにその上部層は, 図幅地域から南方へ, 平坦な広い台地を構成しながら連続し, 関東平野中・南部の成田層へつづく。 見和層と成田層の連続性は, 那珂川と霞ガ浦・北浦沿岸との間に, 開析の進んでいない広大な台地が発達しているため, 野外で直接にたしかめることは困難である。 しかし, 地形面の連続, 岩相, 化石, 層序的位置などの類似からみて, 両者を一連の堆積層とみなすことに, とくに問題はない。 おそらく見和層は, 狭義の成田層(上岩橋層と木下層をあわせたもの)に対比されるであろう。

以下, 見和層については, 那珂台地・久慈台地・東茨城台地の順で各台地ごとにのべる。 また, 那珂台地の見和層の下部については各凹地ごとに, 同上部については新川沿岸地域を主として説明する。

VI.1.1 那珂台地の見和層

[ VI.1.1.1 ] 下部層

先久慈川凹地 : 先久慈川凹地を埋積した見和層下部は, 地表では, 那珂台地の北縁で, 額田段丘礫層の下位に, その上部がわずかに露出するにすぎない。 地表でみられる限りでは, 暗灰色~灰色を呈する軟弱な細砂質シルト~粘土質シルトを主としており, しばしば植物破片を多く含み, また, 腐泥臭を有する部分もある。 シルト層は, 一般に塊状であるが, ところによっては細砂の薄層をはさみ縞状を呈することもある。 また, 淡褐色を呈し, 雲母片の多い均質な細砂層をはさむこともある。

一方, 図幅地域をわずかに西にはずれた [ 以下の [注] 参照 ] 那珂町 南酒出 みなみさかいで [ ← 図幅地域西端・額田の南西方 2 km ] 付近では, この下部層のほぼ全体が観察できる。 ここでは, [ 後述する「VI.3.1 久慈川沿岸の河成段丘礫層」の項で示している ] 第 63 図の 2 の柱状図に示したように, 段丘礫層の下位に, 10~30 cm 厚の細砂層を 50~100 cm ごとにはさむ, 暗灰色塊状で植物破片の多いシルト層が約 4 m つづき, その下位には, 約 4.5 m の非露出部をへだてて, 90 cm 厚の淡褐色泥質細砂層, 200 cm + 厚の礫層がつづく。 この礫層は, 最大径 15 cm, ふつう 3~5 cm 大の砂岩・チャート・花崗岩などの円~亜円礫を主とするもので, 上部約 50 cm 厚の砂がちの部分を除いては, 礫は密集しており, その配列に方向性は認められない。

[注]
那珂町 南酒出は本図幅地域の西端にあるが, その付近の「見和層下部層のほぼ全体が観察できる」露頭は 本図幅の西隣の水戸図幅地域内にある ?

第 35 図 先久慈川凹地の柱状図(1)。 坂本ほか(1967)による。 各柱状図上の数字は第 34 図と対応して位置を示す。

第 36 図 先久慈川凹地の断面(1)。 坂本ほか(1967)を一部修正。 0 - 0' は第 34 図に示されている断面線と対応。 以下同じ。

第 37 図 先久慈川凹地の柱状図(2)。 坂本ほか(1969)による。 凡例は第 35 図と同じ

第 38 図 先久慈川凹地の断面(2)

那珂台地の北部に伏在し, 試錐調査によって知られる見和層下部の状況については, すでに, 坂本ほか(1967), 坂本ほか(1969)で述べた。 その柱状図・断面図を, 第 35~38 図に示す。 これらの図で見られるように, 見和層下部の基底には, 厚さ 5~15 m の礫層があり, その上位に厚さ 10~20 m の泥質層が重なる。 先久慈川凹地の見和層下部については, その下半部が淡水性であり, 上半部は寒流の影響下にあった河口付近で形成されたものであることが, 珪藻化石の検討(第 3 表)から知られている(坂本ほか, 1967)。

第 3 表 那珂台地の北部における見和層下部の珪藻化石(坂本ほか(1967)による ; 試料番号は第 36 図に対応)

No. 278
   海棲種
   Actinocyclus ingens RATTRAY    30
Actinoptychus undulatus (BAILEY) RALFS 9
Coscinodiscus marginatus EHRENBERG 8
Coscinodiscus lineatus EHRENBERG 1
Coscinodiscus radiatus EHRENBERG 1
Coscinodiscus nodulifer A. SCHMIDT 1
Coscinodiscus wailesii GRAN and ANGUST 2
Denticula seminae SIMONSEN and KANAYA 72
Melosira sulcata (EHRENBERG) KÜTZING 4
Thalassionema nitzschioides GRUNOW 17
Triceratium sp. (T. formosum BRIGHTWELL) 1
Gen. et sp. indet. 3
淡水棲種
   Achnanthes lanceolata BRÉBISSON    6
Cocconeis placentula var. euglypta (EHRENBERG) CLEVE 8
Diploneis ovalis (HILSE) CLEVE 1
Epithemia turgida (EHRENBERG) KÜTZING 2
Epithemia sorex KÜTZING 2
Epithemia zebra (EHRENBERG) KÜTZING 1
Eunotia sp. 2
Fragilaria verscens RALFS 1
Frutstulia rhomboides (EHRENBERG) D, TONI 1
Neidium iridis (EHRENBERG) CLEVE 1
Navicula mutica KÜTZING 11
Navicula dicephala (EHRENBERG) W. SMITH 3
Pinnularia viridis (NITZSCH) EHRENBERG 1
Pinnularia sp. 1
Synedra ulna (NITZSCH) EHRENBERG 10
No. 279
   Gomphonema acuminatum var. coronata (EHRENBERG) W. SMITH
Synedra ulna (NITZSCH) EHRENBERG
海棲種の破片
No. 280
   Cymbella turgidula GRUNOW
Diploneis ovalis (HILSE) CLEVE
Eunotia pectinalis (KÜTZING) RABENHORST
海棲種の破片

照沼 てるぬま 凹地 : 那珂台地の東部の照沼凹地を埋積する見和層下部は, 地表では, [ 東海村 村松の南方 1.5 km の ] 照沼部落の西南の小谷に, その最上部がわずかに露出するにすぎない。 しかし, この付近は, 図幅地域内において, 見和層の上部層と下部層とが直接しているほとんど唯一の場所であり, 両者の関係を知る上で重要な場所となっている。

この付近でみられる見和層下部は, 灰褐色を呈し, 雲母片にとむ, 軟弱な細砂質シルトよりなり, 植物破片を多く含む。 植物破片はシルト中に葉理をなして入ったり, また, 禾本科 かほんか [ = イネ科 ] 植物の葉の印象が層理にそってはさまれたりしている。

シルト層とその上位の見和層上部とのさかいは, 多少の凹凸を伴ないながら, 全体としてはほぼ平坦であり, 非常にはっきりとしている。 また, このさかいから下方へ, 穿孔貝の跡がみられることもある。 これらの露頭の状況や, 境界面の高度からみて, 見和層の上部と下部とのさかいは, 見和層上部と新第三系とのさかいの不整合と同質のものであり, 波食面の一部として形成されたものである。

台地の下に伏在する見和層下部の状況については, とぼしいながら試錐資料からその概要を知りうる(第 39 図)。 ここでみられる限りでは, 見和層下部は, 全体として 8~10 m の層序であり, その下部に礫層, 上部に泥質層が発達する。

第 39 図 照沼凹地の見和層(凡例は第 35 図と同じ)

勝田 かつた 凹地 : 勝田市の市街地付近を南北に走る勝田凹地を埋積した見和層下部は, すべて地下に伏在しており, 地表ではその露出を見ることはできない。 この凹地の存在は, 勝田付近の工場群の多数の水井戸資料から推定した。

第 40 図 勝田凹地の断面(坂本ほか(1967)による ; 凡例は第 38 図と同じ)

第 40 図の断面図に示すように, 勝田凹地は, 幅約 1.5 km と狭いが, 深さは -35 m に達する。 那珂台地付近での見和層下部の基底面の深さとして最深の値は, この凹地でえられている。 凹地を埋積する見和層下部は, 下半部の約 20 m 厚が礫層であり, 上半部の約 20 m が泥質層からなっている。

先那珂川凹地 : 先那珂川凹地を埋積した見和層下部は, 本図幅地域内の那珂台地には分布しない。 後述の東茨城台地の北縁部にわずかに見られるにすぎない。 ここでは, 参考までに, 図幅地域をわずかに西へはずれた [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 那珂町 木倉 きのくら 付近の断面(第 34 図の B - B')を第 41 図に示す。 この付近では, 下半部に厚さ 15~20 m の礫層が, 上半部に 10 m 前後の厚さの泥質層が発達する。 泥質層からは, 第 34 図の Loc. A において, 坂本ほか(1969)に示したような珪藻化石が, Loc. B からはシジミ(Corbicula sp.)の化石を産した。 これらの化石からみて, この地層のほとんどは淡水成であり, ごくわずかに汽水の影響をうけたものとみられる。

第 41 図 先那珂川凹地の断面(那珂台地西部 ; 坂本ほか(1969)による ; 凡例は第 38 図と同じ)

[ VI.1.1.2 ] 上部層

見和層上部は, 那珂台地の全体にわたって, 広く一様に発達する。 おもに砂~含礫砂~砂礫層よりなり, 厚さは 15 m 前後である。 見和層上部の状況は, 那珂台地の東部の新川沿岸および台地の南東部の那珂湊の北方地域で, かなり連続的に観察できる。

新川の本流・支流の河崖に連続的に露出する見和層上部は, 岩相的にみて, おおよそ上・中・下の3部分を識別することができる(第 42・43 図)。 もっとも, この3部分はそれぞれ連続的であり, そのさかいは必ずしも明白なものではない。

第 42 図 新川沿岸の見和層の柱状図の位置(番号は第 43 図に対応)

第 43 図 新川沿岸の見和層の柱状図(番号は第 42 図に対応)

下部の厚さ 5 m 以下の部分は, 黒雲母片が多く, きわめて淘汰のよい細粒砂を主とする。 全体として淡褐色を呈し, 葉理はほとんど発達しないか, または弱い平行葉理を示す。 細砂層の基底では, 不整合面の直上にチャートの細礫が散在したり, あるいは細砂が直接に下位層に接したりする。 一方, 新川の南方では, しばしば, この基底部に 3~5 cm 大の円礫よりなる厚さ 0.5 m 以下の礫層が発達することがある。 基底礫層の発達は, 東海村 村松のすぐ西では, 基底面の凹所と一致しているが, 新川本流以南では, 基底面の起伏ととくに関係はないらしい。 細砂層中にも, まれにチャートの 1 cm 大の細円礫よりなる 5~10 cm 厚の礫層が, 小さなレンズ状にはさまれている。

第 44 図 見和層の基底の平坦な不整合(露頭下部は多賀層)

第 45 図 見和層の基底(東海村 天神山 [ 標高 17.4 m ] の北西 400 m)。 折尺を置いた面が不整合面

見和層上部の基底は, すでに述べたように, 全体としてきわめて平坦な波食面である。 しかし, その不整合面を露頭で掘り出してみると, 波食溝と思われる畝状の平行な凹凸を示すことが多い(第 45 図)。 この凹凸は, 南東東方向の伸びを示している。 また, この基底には, 甌穴 おうけつ [ pot hole ; 円形の穴 ] 状の凹みをみせることもある。

中部の 5 m 前後の厚さの部分は, 細礫の散在する粗粒砂を主とする。 全般的に黄褐色~灰褐色を呈し, 平行葉理がよく発達する。 礫は 1~3 cm 大を主とし, 花崗岩や古生層の砂岩・頁岩・チャートの円礫が多い。 この部分は, 岩相的にあまり一定せず, 礫の多い部分では砂礫層あるいは礫層となったり, あるいは礫を含まない砂鉄質の中粒砂をはさんだりする。

上部の厚さ 5 m 以上の部分は, 砂礫層を主とする。 全体として灰褐色~灰白色を呈し, 一般に斜交葉理がいちぢるしい。 礫は 1~3 cm 大の亜円~円礫で, 花崗岩や古生層の砂岩・頁岩・チャートなどの礫を主とする。 砂は石英質の粗粒砂である。 しばしば含礫砂層をはさみ, またときに亜角礫の密集層をはさむ。

那珂台地の西半部では, ここでのべた下部の細粒砂を主とする岩相が欠如し, 全体として礫まじり砂~砂礫層を主とした岩相が卓越してくる。

台地の南東部の那珂湊付近では, 北方の新川に近いところでは, 下部の細粒砂よりなる部分が認められ, その上位に含礫砂~砂礫層が発達する。 平磯の北方の海岸ぞいでは, 斜交葉理の発達した含礫中粒砂~砂礫層を主としているが, 那珂湊付近や 阿字ガ浦 付近では, 上部に砂鉄の濃集した平行葉理のいちじるしい中粒砂層が発達する(第 46・47 図)。

第 48 図 見和層上部の砂礫質の部分(平磯の北方)

第 49 図 見和層上部の砂鉄の葉理のいちじるしい部分(那珂湊の北方)

第 46 図 那珂台地の南東部の見和層の柱状図の位置(1~21 は第 47 図に, A~C は第 52 図に対応)

第 47 図 那珂台地の南東部の見和層の柱状図(番号は第 46 図に対応 ; 表示されているもの以外の凡例は第 43 図と同じ)

台地の南東部の部田野・ 阿字ガ浦 ・那珂湊付近には, 3カ所の基盤の凸出部が認められる(第 34 図)。 この基盤凸出部の周辺では, 見和層上部の基底に凹凸がいちじるしく, また, 何段かの小規模な波食台が認められる(第 50 図)。 一方, これらの凸出部の頂にも, 見和層上部の砂層はのっており, 凸出部が海進 最盛期には海底下に没していたことを示している。 見和層上部には, 全体として, 化石ははなはだ少ない。 各所の基底部で, 新第三系に喰い込んだ穿孔貝の跡がしばしば密集している(第 51 図)のを除いては, 基盤の凹凸に富む台地東南部の 2・3 カ所で, 貝化石を発見したにすぎない。 貝化石としては, 部田野の南方(第 46 図の Loc. 11)で, 細粒砂層中にはさまれた, 厚さ約 30 cm の礫層から, Fulvia muitca, Mercenaria stimpsoni, Mya oonogai を産した。 この含貝化石礫層は, 第 50 図にみられる小規模な波食台の直上に発達する礫層が西方へ連続したものである。 また, [ 部田野の西南方 2 km の ] 田宮原(第 46 図の Loc. D)では, 泥質の淘汰のわるい砂層から, 第 4 表のような貝化石を産した。 この他, 部田野~田宮原付近の 2・3 の試錐資料では, 貝殻片の混入が記載されている。

第 50 図 那珂湊市 部田野でみられる見和層上部の基底(第 34 図の「×7.72」の地点)

第 51 図 見和層基底の生痕(白色部は多賀層中の凝灰岩, 上部は上市礫層, 中間が見和層上部の細砂層)

第 4 表 見和層上部の貝化石(那珂湊市 田宮原産 ; 大山桂の同定による)

Joanisiella cumingi (HANLEY)
Lucinoma concentricum (YOKOYAMA)
Fulviamutica (REEVE)
Dosinia sp.
Mercenaria stimpsoni (GOULD)
Protothaca adamsi (REEVE)
Paphia sp.
Raeta yokohamensis (PILSBRY)
Macoma tokyoensis (MAKIYAMA)
Panope japonica (A. ADAMS)

試錐資料にみられる貝殻の混入の記載という点では, 阿字ガ浦 の西方の2カ所が注目される(第 46 図)。 この2カ所では, +4~-6 m および +5~-15 m の間に, 貝・礫まじり砂, 貝まじり細砂が存在するとされている(第 52 図の B, C)。 この貝まじり細砂は, 分布深度や層序関係からみて, 見和層上部に属するとは思えない。 おそらく, 見和層より古い第四系 -- 南隣の大洗図幅地域内で涸沼沿岸より南に発達する石崎層に相当するもの -- に属するであろう。 試錐資料からみて, 見和層より古い第四系の伏在は, 阿字ガ浦 から馬渡にかけて, 水戸射爆場の南半部を占めているものと思われる。 岩相的には, 砂層, 礫まじり砂層を主とする。 この地層の地表露出は認められていない。

第 52 図 水戸射爆場周辺の試錐柱状図(柱状図の位置は第 46 図に対応 ; 凡例は第 43 図と同じ)

VI.1.2 久慈台地の見和層

久慈台地には, 見和層上部のみが分布する。 地形の項でものべたように, この台地は, 海抜 35~40 m をさかいとして, 上下2段の平坦面が識別されるが, ここに分布する見和層上部の岩相は, 台地表面の地形とよく対応している(第 53・54 図)。 すなわち, 下位面の部分では, 見和層上部の下半部に厚さ 2 m 前後の細砂層があり, その上位に厚さ 3~4 m の礫まじり粗砂~砂礫層が発達するが, 上位面の部分では, 細砂層を欠き, 礫まじり粗砂~砂礫層が直接に基盤をおおっている。 このような台地表面の高度と見和層上部の岩相との規則的な対応は, 広大な那珂台地における岩相分布を, もっとも判りやすいかたちで再現したものといえる。

第 53 図 久慈台地の見和層の柱状図位置(番号は第 54 図に対応)

第 54 図 久慈台地の見和層(番号は第 53 図に対応 ; 凡例は第 43 図と同じ)

第 55 図 久慈台地の見和層上部(下部は多賀層, 最上部は鹿沼軽石層をはさむローム層)

久慈台地の下位平坦面において, 見和層上部の下半部を占める細砂層は, 淡褐~褐色を呈し, 均質で淘汰がよく, 黒雲母片を多量に含む軟弱な砂層である。 一般に塊状であるが, ときにはよわい水平葉理がみられる。 この砂層の基底には, ふつう円磨されたチャートなどの細礫が散在する程度で, 基底礫岩は発達しないことが多い。 しかし, ところによっては, 径 5 cm 大の古生層円礫を主とする 20~50 cm 厚の基底礫層がみられることもある。 細砂層は, 台地中央から東よりの部分に広がり, 南端の離山ではみられない。

上半部の礫まじり粗砂~砂礫層は, 台地全域にひろがる。 花崗岩や古生層の径 5 cm 大程度の円礫をまばらに含んだルーズな粗砂層を主とし, ところによって径 1~2 cm 大の細円礫が集中した砂礫層となっている。 礫は, ほぼ水平な方向性を示して配列するが, ときに斜交葉理がいちぢるしい。 下位の細砂層に明白なさかいをもって重なり, ときには凹凸のある侵食面をもって重なる。 台地の東端部では, 下位面に位置するにもかかわらず, 見和層上部の全体が厚さ約 5 m の含礫砂層となっており, 細砂層の存在が不明白となっている。 そしてここでは, その上限と下限とに細円礫が集中している。

上下の平坦面の間の緩傾斜部では, 見和層上部はごく薄い砂礫~礫層となるか, あるいはまったく欠如している。 見和層上部が欠如しているところでは, 基盤の上に厚さ 10 cm 程度の岩屑よりなる角礫層があり, その上に直接にローム層が重なっている。

第 56 図 久慈鉄工団地 [ 位置不明 ] わきの見和層

なお, 図幅地域を北にはずれたところであるが, 第 34 図の地点 A(久慈鉄工団地) [ ← 額田の南東方 1 km ? ] では, 第 56 図に示したような露頭がみられる。 この露頭の上半部は見和層上部の砂礫層であるが, 左より下半部には所属不明の泥質層がある。 この泥質層は, 主部は細かい水平葉理の発達した暗青灰色のシルト~粘土層であり, 基盤に接する部分では, 古生層や新第三系の泥岩の角礫が散在する。 この下半部には大量の木片を含んでおり, Styax sp., Juglance sp. の実を産した。 この泥質層は, 新第三系(久米層)の表面の凹所を埋めて分布しているが, 凹所の幅は北東 - 南西方向で約 25 m, 深さは数 m 程度である。 なお, この地層は, 見和層下部とよくにた岩相と賦存状態を示すが, 久慈川の南岸の見和層下部にくらべて, いちぢるしく高所に存在している。 今のところ, 見和層下部に属するものか, それともより古い時期の河谷埋積層であるか, 決め手はない。

VI.1.3 東茨城台地の見和層

図幅南西隅をわずかに占める東茨城台地には, 見和層の上・中・下部の3層準がすべてそろっている。 とくに中部層は, 那珂川以北の台地には分布せず, 図幅内ではこの台地でしか認められない。 しかし, この台地では, 北縁に低位の河岸段丘が発達しているため, 見和層の露頭は, 台地内の小谷にそって点在するにすぎず, 見和層の全容を察することは容易ではない。 ここでは, 東茨城台地東端部における見和層の発達状況を模式的な断面図(第 57 図)として示した。 また, 台地北縁部における見和層の露頭柱状図とその位置を第 58・59 図に示した。

第 57 図 東茨城台地東端部の見和層の断面

第 58 図 東茨城台地北縁の見和層の柱状図の位置(番号は第 59 図に対応)

第 59 図 東茨城台地北縁の見和層の柱状図(柱状図の番号は第 58 図に対応 ; 凡例は [ 後述する「VI.3.1 久慈川沿岸の河成段丘礫層」に示している ] 第 63 図と同じ

[ VI.1.3.1 ] 下部層

すでに述べたように先那珂川凹地の埋積層として存在しており, 全層厚はもっとも厚いところで 40 m 以上に達する。 しかし, この地域の地表で直接みられるのは, 最上部の 4~5 m にすぎない。 地表でみられる限りでは, 下部層は暗灰色塊状で植物破片の多いシルト層ないし細砂質シルト層を主としている。 ところによっては, 淘汰のよいシルト質細砂層をはさみ, また, ところによっては, 細かな葉理が発達する。 下部層全体としては, 第 57 図に示したような層序を示しており, とくに先那珂川凹地の下流部にあたるこの地域では, 2輪廻の堆積相を示していることが注目される。 化石については, 図幅の範囲内のものは検討していないが, 隣接地域の下部層(先那珂川凹地の埋積層)からは, ヒシの実や淡水性の珪藻化石の産出が報告されている(坂本ほか, 1969)。 この地域に発達するこの層準も, 同様に淡水成であろう。

[ VI.1.3.2 ] 中部層

すでに述べたように, 先那珂川凹地が見和層の下部層によって一たん埋積された後に, 一時的な海面低下があり, それにともなって2次的な凹地が形成された。 この2次的な凹地の埋積層が, 見和層の中部層である。 先那珂川凹地と2次的凹地の位置は, 図幅の範囲内では, ほぼ一致している。

中部層は, 礫層を主とする地層であるが, その厚さは, 図幅の範囲内では 5~6 m である。 これは, この地域が上にのべた凹地の縁辺部にあたっているためであって, 西あるいは南へ行くとともに(凹地の中心線へ近づくとともに), その層厚は厚くなり, 10 m 以上に達するようになる。 また, それとともに中部層の基底は低くなり, 地表では下部層がみられなくなる。 この礫層は, 一般に径 10 cm 大以下の亜円礫を主としており, 礫が赤褐色の酸化鉄の皮膜をかぶっているため, 全体としても赤褐色の色調を呈することが多い。 礫は一般に密集しており, かつ, ほぼ水平な配列の方向性を不明白ながら示していることが多い。 また砂がちの部分をレンズ状にはさんだり, 礫間に基質がなくすき間があいている部分がレンズ状にはさまれることも多い。 礫としては, 古生層のチャート砂岩や花崗岩が多く, 安山岩・流紋岩・石英斑岩などの礫もみられる。 また, 下底部には, 新第三系の多賀層や見和層下部の泥質層の 20 cm 大のブロックをとり込んでいることもある。 この基底は, 明白な侵食面をもって見和層下部に重なる。 以上の礫層は, その岩相からみて, 河成堆積物とみられる。

この礫層の上位には(中部層の最上位に), ときに泥質層が重なる。 代表的なものとしては, [ 本図幅の西隣の ] 水戸図幅地内の吉田神社下の露頭で, 厚さ 1~1.5 m の暗灰色 塊状で木片を多くふくむシルト層がみられる。

[ VI.1.3.3 ] 上部層

すでに何度ものべているようにこれは広大な面積を占める波食台をおおう堆積物である。 那珂台地の場合と同様に, 淡褐色・均質の中粒~細粒砂を主としており, 厚さは 10 m 程度である。 うすい礫層や粘土層をときにはさみ, また, ときに砂層は砂鉄質である。 ただし, この地域は, 台地の縁辺部にあたっているため, この砂層はほとんどみられず, 中部層の礫層の上にローム層や粘土層が直接かさなっている露頭が多い。

VI.2 茨城粘土層

[注]
茨城粘土層は地質図上には独立した地層として表示されていない ?

那珂台地および東茨城台地の主部では, ほぼ全域にわたって, 見和層の直上に, 粘土を主とする地層が発達している。 ここでは, この地層を, 茨城粘土層と呼ぶことにする。 坂本ほか(1967)が, 砂質粘土層と呼んだものと同じである。

第 60 図 新川の沿岸の見和層上部と茨城粘土層

茨城粘土層は, 灰白~青灰色を呈し, 塊状で, 砂まじりあるいは細礫まじりの粘土を主としている。 見和層の上位にほぼ一様に発達し, 厚さは 3~4 m である。 見和層上部・茨城粘土層・ローム層下部は, 一般に第 60 図(第 42 図の地点 19)に示すように, いずれも水平に, 堆積間隙を示すような見かけなしに重なる。 南隣の大洗図幅地域内の東茨城台地の東端部にも, この粘土層の連続が分布しており, これについては江口ほか(1967)の詳しい検討がある。 江口ほか(1967)によると, この粘土は, 粘土鉱物としては加水ハロイサイトとハロイサイトの不規則混合層鉱物を主とし, Al バーミキュライトやモンモリロナイトを伴うものであり, 成因的には火山灰起源で, 水中に堆積したものとされている。 那珂台地の粘土層についても, 同様の鉱物組成, 同様の成因のものとみなしてよいであろう。 すなわち, 見和層が陸化して低平な地表をつくった時, その規模や継続期間は別として, 浅い静かな水域があちこちに生じ, その水中に降灰がつもり, 風化をうけて, 粘土層が形成されたものであろう [ 以下の [注] 参照 ] 。 粘土層は, 久慈台地や那珂台地の東南部のように, 台地の原表面が緩斜するところでは発達しない。

[注]
那珂台地, 東茨城台地では, 全般的に鹿沼軽石層以下のローム層は, 砂まじりであり, しばしば細礫が散在している。

茨城粘土層は, 上述のように, その大半については, 火山灰がその場所で風化されて生じたものと思われる。 しかし, 一部では, 粘土層中に葉理の発達した厚さ 1~2 m の砂層あるいは砂礫層をはさんだり, また, 細砂と粘土が 5~10 cm 厚で互層したりすることがあり, この地層の少くとも一部は流水の影響下に堆積したことを示している(第 61 図, 第 43 図の地点 6)。

第 61 図 東茨城台地の茨城粘土層

茨城粘土層は, その層序的位置からみて, 関東平野の中南部の台地に広く発達する常総粘土層に対比される。

VI.3 河成段丘礫層

VI.3.1 久慈川沿岸の河成段丘礫層

1) 額田 ぬかだ 段丘礫層 [ t0 ]

那珂台地の北縁にそって連続的に発達している河成段丘を額田段丘とよび, その段丘を構成する礫層を額田(段丘)礫層とよぶ。 この礫層の状態は, 台地北縁の崖にそって, 何カ所かの露頭で観察される。 また, [ 東海村の ] 原子力研究所の内外ではきわめて多数の試錐が行なわれており, その資料によって段丘構成層の状況を知ることができる。

第 62 図 久慈川の南岸の河岸段丘

第 63 図 久慈川の南岸の第四系の柱状図(柱状図番号は第 62 図に対応)

段丘構成層は, 主として礫層よりなる(第 62・63 図)。 礫層は, 八溝山地を供給源とする古生層の砂岩の礫を主材としているが, 花崗岩礫や古生層の頁岩の礫もかなり多い。 上流部では径 10 cm 大の亜角~亜円礫を主とし, 下流部では径 5 cm 大の亜円礫を主とする。 全体として, 礫は密集しているが, ほぼ水平な方向性を示して配列しており, 下流部では礫層の中部に砂がちの層準がはさまれる。 一方, 原子力研究所の敷地内では, 礫層の中部にシルト~砂よりなる厚さ 2~3 m の砂泥質層が2枚はさまれており, 礫層は上・中・下に3分されている(第 64 図)。 このうち, 下部礫層は分布がもっとも局限されており, かなりの範囲にわたって, 下部砂泥質層が基盤の新第三系を直接におおっている(第 65 図)。

第 64 図 東海村の海岸(原子力研究所付近)における額田段丘の模式断面

第 65 図 東海村の東部の段丘

段丘構成層の厚さは, 図幅西縁地域で 3~5 m であるが, 下流へ向って次第に厚くなり, 東部では 8~9 m, 原子力研究所の敷地内のもっとも厚い部分では 13 m に達する。 なお, 段丘礫層基底の海抜高度は, 西部で 25 m 前後, 東部で 10 m 前後で, 東西約 10 km の間でほぼ 15 m 低下する。 東端部のもっとも低い所(下部礫層の分布範囲)では, 海抜約 6 m となる。

額田段丘礫層は, 第 63 図にみられるように, 新第三系の泥岩や見和層下部, ときには見和層上部の砂層を, 不整合におおっている。 上位には, 局部的に厚さ 1 m 内外の灰白色風化粘土層をのせるほか, 鹿沼軽石層を中部にはさむ厚さ 2~3 m のローム層が, 一見, 整合的にかさなっている。 このローム層は, 宇都宮地域の宝木ローム層・田原ローム層(阿久津(1960)など)にあたるものであり, 南関東の武蔵野ローム層, 立川ローム層に対比される。 したがって, 額田段丘は, 東京付近の武蔵野段丘に対比される。 また, 台地南縁の那珂川ぞいに発達する何段かの河成段丘のうちでは, その最上位の上市段丘がこれに対比される。

2) 埋没段丘 [ t5 ]

東海村の海岸では, 原子力研究所や原子力発電所におけるきわめて多数の試錐資料にもとづいて, 額田段丘の北側に接し, 冲積層下に埋没している小規模な2段の段丘の存在が知られている(第 65・66 図)。 そのうちの上位のものは, 段丘礫層表面が海水準下 8~9 m, 基底面が -15 m 内外, 幅は約 400 m であり, 原子力発電所の主部はこの面上に位置している。 また, 下位の埋没段丘は, 礫層表面が -16 m 内外, 基底面は -21~-22 m で, その幅は 100 m 以下にすぎない。 加賀美ほか(1960)は, 上位の埋没段丘の礫層を 東海村の沖の大陸棚で水深 50~70 m に散在する礫に連続するものとした。

第 66 図 東海村の東部の埋没段丘 [ の柱状図 ] (柱状図番号は第 65 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

なお, 第 65 図で額田段丘の末端の東に接して発達する面は, 現在の海水準に関連して形成された波食面であり, その高度(新第三系の表面)は -5.4~-7.8 m で, そこに分布する礫層中からは, しばしば貝殻片を産する。

VI.3.2 那珂川沿岸の河成段丘礫層

那珂川の下流部には, 河成段丘がよく発達している。 図幅地域内において, 河成段丘は, 地形の項でのべたように, 高位から, 上市・谷田・栗崎の3段に区分される。 段丘構成層は, いずれも礫層を主としており, それぞれ上市段丘礫層, 谷田段丘礫層, 栗崎段丘礫層とよぶ。 これらの礫層の上位には, 鹿沼軽石層をはさむローム層が重っている。

図幅地域内では, 上記の3段丘より低位の河岸段丘としては, 那珂川の本流ぞいでは, 冲積層の下に伏在する何段かの埋没段丘が推定されている(坂本・野間, 1969)。 また明らかに鹿沼軽石層より新期のローム層のみをのせる段丘としては, 中丸川沿岸にきわめて断片的に発達する小段丘があるにすぎない。

第 67 図 那珂川沿岸の河岸段丘(①~㉑ は第 68・69 図の, Ⓐ~Ⓓ は第 73 図の柱状図番号に対応)

1) 上市 うわいち 段丘礫層(斎藤, 1959b) [ t1 ]

上市段丘は, 那珂川の下流部でもっともよく発達する段丘であり, 図幅地域内では, 那珂川の北岸にそって海岸までつづいている。 [ 那珂川の ] 南岸での発達は, 北岸に比べて劣っている。

第 68 図 上市段丘礫層柱状図(Ⅰ)。 那珂川北岸 (柱状図番号は第 67 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

第 69 図 上市段丘礫層柱状図(Ⅱ)。 段丘北縁部と中川南岸 (柱状図番号は第 67 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

上市段丘の構成層は, 主として赤褐色を呈する河成の礫層である。 礫層は, ふつう径 5~10 cm 大以下の古生層の砂岩・チャート・頁岩や花崗岩, 石英斑岩, 安山岩などの円~亜円礫よりなり, 一般には砂岩礫がもっとも大きな割合を占める。 また礫はかなり密集し, ほぼ水平な方向性を示して配列していることが多い。 しかし, 場所により, また層準により, 構成礫の大きさ・形・種類などにかなりの差があり, 例えば, 新第三系の泥岩の角礫の多いところ, 粘土質の同時侵食礫を含むところ, 1~2 cm 大の細円礫のみが密集し, 礫間にすき間があいている部分, 斜交葉理の発達した砂がちの部分などがみられる。

全体として, この礫層は, そのもっとも厚い那珂川の北岸の部分では, 下位の礫の密集部から上位の砂礫質の部分へ, という重なりを2回くり返している。 このことは, 勝田市街の東方の砂利とり場の大露頭などで観察される。 また, 一部では, 上位の砂礫質の部分のさらに上位に, 2~3 cm 大の円礫の密集層が 1~2 m の厚さで発達していることもある。

第 70 図 上市礫層の露頭(勝田市 薬師ガ丘団地 [ 位置不明 ]

上市段丘礫層のうち, 最下流部の那珂湊市街の北方の海崖では, 礫層の間に砂泥質層をはさんでいるのが観察される。 この海崖での段丘層は, 標準的には, 下位から以下のような層序を示す。

1) 径 15 cm 大以下の円礫の密集した礫層。 1.5~3.5 m 厚。
2) 細かい葉理の発達した細砂質シルト。 2 m 厚。
3) 径 3~5 cm 大の円礫の密集した礫層。 3~4.5 m 厚。
4) 黄灰色シルト, 中粒砂層。 0.6 m 厚。 分布は局部的。
5) 斜交葉理の発達した含礫粗粒砂。 2~4.5 m 厚。
6) 径 2~3 cm 大の円礫の密集した礫層。 1~2 m 厚。

このうち, 2) の部分からは, 第 5 表のような陸水・付着棲の珪藻化石が検出された。 2)・4) の2枚の砂泥質層は, 東海村の海岸部の額田段丘礫層にはさまれる上下2枚の砂泥質層に, それぞれに対応するものとみられる。 しかし東海村の場合, 試錐記録でしか知られていないので, より精しい比較は困難である。

第 5 表 上市礫層から産出した珪藻化石。 那珂湊海岸(第 67・68 図の Loc. 12)。 阿久津純による

Amphora ovalis KÜTZING
Cocconeis placentura var. euglypta (EHRENBERG) CLEVE
Cymbella turgidula GRUNOW
C. turgida (GREGORY) CLEVE
C. affinis KÜTZING
Cyclotella comta (EHRENBERG) KÜTZING
Diploneis ovalis (HILSE) CLEVE
Eunotia sp.(破片)
Epithemia zebra (EHRENBERG) KÜTZING
Gomphonema constrictum EHRENBERG
Hantzschia sp.(破片)
Melosira italica (EHRENBERG) KÜTZING
Neidium iridis (EHRENBERG) CLEVE
Pinnulaira borealis EHRENBERG
P. divergens W. SMITH
P. gibba var. parva GRUNOW
P. maior (KÜTZING) CLEVE
Stauroneis sp.(破片)
Stephanodiscus niagarae EHRENBERG
Synedra ulna (NITZSCH) EHRENBERG

以上の段丘礫層の層厚は, 露頭での観察や試錐資料からみると, 那珂川の北岸の段丘の北縁部を除く大部分で 10 m 前後, 最大でも 13 m 程度であり, 層厚の変化は少ない(第 68・69 図)。 南岸の段丘では, 礫層の厚さは 5 m 前後である。

上市段丘礫層は, 下位の新第三系, 見和層, それに局部的には白亜系を不整合におおっている。 この不整合は, 露頭でみると多少の凹凸があるが, 全般的にはかなり平滑である。 これとさきにのべた層厚分布とを考えあわせると, 上市礫層の基底は, 中凹の谷型ではなく, むしろ浅い平底型を呈しているものとみなされる。 那珂川の北岸で, 上市礫層が新第三系の上に重なる部分では, ときに新第三系と上市礫層との間に, 見和層がごく薄く削り残されたようにはさまっていることがある。 この点や上市礫層の基底が平滑である点を考えあわせると, 上市礫層の堆積前の侵食は, ほぼ見和層をとり除いただけに止まり, 上市礫層の基底は見和層の基底をなぞって決められていると見なすことができそうである。

以上にのべた上市段丘礫層の上位には, 鹿沼軽石層(層厚約 20 cm)を中部にはさむ厚さ 2~3 m のローム層が重なっているが, そのローム層と礫層との間には, 処によって, 灰色~灰褐色の粘土層が介在している。 粘土層は, 砂質粘土ないし含礫粘土のことが多く, 層厚は 50~100 cm である。 この粘土層は, 那珂川と中丸川とにはさまれた細長い台地の 国道6号線より南東側にはほぼ全域的に分布しているが, 中丸川以北では点在的である。 また, 最下流部の那珂湊市街付近では, まったく発達しない。 南岸の段丘でもほとんどみられない。 粘土層がよく発達する那珂川と中丸川の間の台地では, ローム層の下半部はほぼ完全に粘土化しており, ローム層は鹿沼軽石層からはじまっている。 図幅地域の西隣の水戸台地でも, 1 m 内外の厚さの同様な粘土層が発達する。 ここでもところによって, 鹿沼軽石層の直下までが粘土化している。

第 71 図 上市礫層をきる小断層

那珂川の北岸の台地の先端部(第 67 図の地点 F [ ← 釜上神社の南西方 1 km ] )では, 上市礫層およびそれに被覆する粘土層を切る小断層がみられた(第 71 図)。 この小断層は, ほぼ北西 - 南東の走向で, 北東へ急斜し, 落差は 1 m 以内である。 一般的にはほぼ水平に配列している礫層中の礫が, 断層面近くでは回転し, 礫の長軸方向を断層面に平行させて並んでいる。 このような段丘層を切る小断層は, 南隣の大洗図幅地内では, 涸沼以南の地域にしばしばみとめられるが, 本図幅地内ではほとんど発達しない。 そして, これらの小断層は, 段丘崖形成時における表層部の滑落にともなう非造構性のものである。

2) 谷田 やだ 段丘礫層 [ t2 ]

那珂川の南岸の谷田~ 東前 とうまえ 間の約 4 km の間に発達する谷田段丘(貝塚, 1957)の構成層である。 段丘構成層(第 72 図の A の柱状図)は, 厚さ 2 m 以上の礫層であるが, その全容は不明である。 一部の露頭では, 5~10 cm 大の亜円礫を主とし, 構成礫には石英斑岩礫が多く, 砂岩・チャート・花崗岩礫をまじえる。 礫は密集するが, 不明白なほぼ水平の方向性を示して配列する。 礫層は, 上市礫層とちがって, いちじるしい赤褐色を呈しない。

第 72 図 低位段丘の柱状図(柱状図 A~D は第 67 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

この礫層の上位には, 厚さ 2~3 m のローム層が重なり, その中部に 20 cm 厚の鹿沼軽石層をはさむ。 礫層とローム層との間には, 50 cm 内外の厚さの灰白色粘土層をはさむ。

3) 栗崎 くりさき 段丘礫層 [ t3 ]

那珂川の南岸の六反田~東前間の約 3.5 km の間に発達する最下位の段丘の構成層である。 この段丘は, 冲積層との比高が小さいため, その構成層の状態は, 露頭ではみられない。 浅層の試錐によって, 地下 3 m 以下に礫層が存在することは確かめられたが, 礫層の状況は不明である。 礫層の上位には, 厚さ 40 cm の粘土層をへて, 厚さ 2.1 m のローム層が重なり, ローム層の中部には, 鹿沼軽石層(20 cm 厚)をはさむ(第 72 図の B の柱状図)。


以上にのべた上市・谷田・栗崎の3段の段丘は, いずれも鹿沼軽石層をはさむローム層におおわれている。 これらの段丘の被覆ローム層は, 宇都宮地域の宝木ローム層・田原ローム層に相当し, 南関東の武蔵野ローム層, 立川ローム層に対比される(関東ローム研究グループ, 1965)。 したがって, 以上の河成段丘は, いずれも南関東の武蔵野面に対比されることになる。 ただし, 武蔵野面をさらに細分した場合の対応関係は不明である。

4) 埋没段丘礫層 [ t5 ]

那珂川の下流部で冲積層下に伏在する埋没段丘については, さきに坂本・野間(1969)が簡単にふれた。 ここでは, その後に増加した資料をふくめて再検討した結果をのべる(第 73~76 図)。

第 73 図 那珂川下流の試錐位置

第 74 図 那珂川下流の埋没段丘の柱状図(1) (柱状図番号は第 73 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

第 75 図 那珂川下流の埋没段丘の柱状図(2) (柱状図番号は第 73 図に対応 ; 凡例は第 63 図と同じ)

第 76 図 那珂川下流の河岸段丘と冲積層の縦断図 (位置は第 73 図の A - B に対応)

本図幅地域内では, 埋没段丘は, 2段みとめられる。 そのうち上位のもの(第 73~76 図の河成段丘Ⅳ)は, 分布がきわめて広く, 常磐線や国道6号線のバイパスが那珂川を渡るところで, 多数の試錐によってたしかめられている(坂本・野間, 1969)。 この段丘を構成する礫層は, その表面が -4~-5 m, 基底面が -8~-10 m であり, 厚さは 4~5 m, 径 5 cm 大の礫を主としている。 この段丘は, 水戸付近から上流では, 那珂川の左岸側に連続的に分布し, 下流では, 右岸側の 常澄 つねずみ 村の付近に広く伏在するものとみられる。 常澄村付近では, 段丘礫層の表面が -11~-17 m, 基底が -15~-19 m の高度で, 礫層の厚さは 4 m 程度である。

埋没段丘のうち下位のもの(第 73~76 図の河成段丘Ⅴ)は, [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 水戸市 下市 しもいち の専売公社の敷地内における多数の試錐資料で知られる。 この段丘礫層の表面は -12~-14 m, 基底は -14.5~-17.5 m, 礫層の厚さは 5 m 程度である。 これより下位の埋没段丘としては, 千歳 ちとせ [ ← 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の那珂川を渡る橋 ] の南半部のものが試錐資料で認められるが, 他所への連続は知られていない。

以上にのべた那珂川沿岸の各段丘の縦断面の状況は, 第 76 図に示した。

VI.3.3 中丸川ぞいの河成段丘礫層

那珂湊図幅地域内でもっとも新しい河成段丘は, 中丸川の中流部に幅数 10 m, 長さ 200~300 m のきわめて小規模な断片としてのみ散在する。 この段丘は, 径 5~10 cm 大以下の亜円~亜角礫の密集した 厚さ 2 m 以下の礫層によって構成されている。 段丘礫層をおおうローム層は, 厚さ 70 cm 程度で, 鹿沼軽石層をはさまない。 その最上部には, 赤褐色の軽石粒(今市軽石)が散在する。 礫層とローム層との間には, ところにより約 20 cm 厚の灰色粘土層をはさむ(第 72 図の C・D の柱状図)。

この段丘は, 宇都宮地域の田原ローム層に相当するローム層のみをのせており, 南関東の立川期の段丘のいずれかに対比される。 また, 次に述べる緩斜面の形成とほぼ同時期のものである。

第 77 図 中丸川ぞいの低位段丘堆積物 [ t4 ? ]

VI.4 斜面堆積物 [ s ]

那珂台地内を東西に流れる中・小河川の南岸には, 北方へ傾いた小規模な緩傾斜地が断続的に発達している(第 78 図)。 この北向きの緩傾斜地をつくる礫層を, ここで斜面堆積物とよんだ。 北むきの緩斜面は新川の沿岸でとくに発達がよく, その幅は地形図上でよんで, 最大 400 m, ふつう 100~200 m, 勾配は 5°以下で, 10 / 100~3 / 100 程度である(第 79・80 図)。

第 78 図 北むき緩斜面(新川の南岸)

第 79 図 那珂台地における北むき緩斜面の分布

第 80 図 北むき緩斜面の模式断面

第 81 図 北むき緩斜面の構成層

北むきの緩斜面は, 広くローム層におおわれており, その構成層の露頭ははなはだ少ない。 ほとんど唯一の露頭は常磐線 佐和 さわ 駅の北方 1.4 km の鉄道ぞいの坂道にある(第 81 図)。 ここでは図に示したように, 見和層を凹凸のある不整合面でおおう, 厚さ 1 m 内外の礫層がこの緩斜面の構成層とみられる。 礫は 7~8 cm 大の円~亜円礫で古生層礫を主とし, 見和層上部の砂礫質の部分から抜け出してきたものとみられる。 礫は, 赤褐色の粗粒砂を基質として密集し, 配列の方向性は認められない。 礫層の上位には, 凹所を埋めて 砂礫まじりの灰白色粘土層(厚さ約 20 cm)と砂まじりローム層(厚さ 40 cm)とがあり, その上位に 下半部に濃赤褐色の軽石粒(今市軽石)が散在する 赤褐色のローム層(厚さ 60 cm 以上)がかさなる。

以上の一露頭での観察が, 同様な緩傾斜地の全体にあてはまるものかどうかはなお不明確であるが, 一応, この斜面堆積物を岩屑の斜面 匍行 ほこう [ creep ] の産物と見なしてよいであろう。 ここでは, その匍行がたんにローム層の中だけでなく, 見和層を切って行なわれていることが注目される。 なお, この緩斜面の形成は, その上を覆うローム層からみて, 宇都宮地域の田原ローム層の堆積期, 南関東地域の立川期のでき事とみられる。

VI.5 ローム層 [ l ]

北関東のローム層は, 前橋付近で新井(1956)により, また宇都宮付近では, 阿久津(1957, 1960)によって, その層序, 地形面との関係が明らかにされ, それらの結果は, 北関東におけるローム層の厚準となっている。

阿久津(1957, 1960)は, 宝積寺 ほうしゃくじ 段丘の鬼怒川岸などのローム層を岩相, 堆積状態, 重鉱物組成などをもとに上位より, 田原 たわら ローム層・ 宝木 たからぎ ローム層・宝積寺ローム層・ 戸祭 とまつり ローム層と区別し, それらはそれぞれ不整合関係にあるとした。 各ローム層は, さらに上下に二分される。

貝塚(1957)は, 石岡付近と那珂台地の代表的ローム層が, 鍵層となる軽石層と重鉱物組成によって, 宇都宮付近のローム層の田原ローム層と宝木ローム層に対比されることを明らかにした。 鍵層となる軽石層は, 七本桜 しちほんざくら 軽石層(Ht), 今市軽石層(Im), 鹿沼軽石層(Kn)で, それらの分布図は, 第 82 図に示した(貝塚, 1957)。

第 82 図 関東 北東地域の軽石層およびローム層の等層厚線図(貝塚(1957)より)。

[ 第 82 図に示されている等高線の説明 ]
Ht0 : 七本桜軽石層 0 cm
Im0 および Im25 : 今市軽石層 0 cm および同 25 cm
Kn25 および Kn50 : 鹿沼軽石層 25 cm および同 50 cm
TP0 : 東京軽石層 0 cm
A1 : 田原ローム層
A2 : 宝木ローム層

第 83 図 柱状図の位置

第 84 図 那珂湊地域のローム層の重鉱物組成

第 85 図 ローム層の柱状図(柱状図の凡例, 記号は第 84 図と同じ)。

那珂湊地域の段丘を覆うローム層の厚さは, 第 84・85 図に示した柱状図に見られるように, 非常にうすく 2~2.5 m にすぎない。 鍵層となる軽石層は, 当地域の北部に今市軽石層が, 地域全域に鹿沼軽石層が分布する。 また鹿沼軽石層の下位のローム層中に白色~黄白色の軽石が点在することがある。 この軽石層は, 貝塚(1957)の那珂台地軽石層で, 阿久津(1957)の 楡木 にれき 軽石層に対比されている。 七本桜軽石層は, 当地域の中・北部の表土直下に分布するが, 確認された地点は多くはない。

ローム層および軽石層の重鉱物組成は, 1 / 4 mm から 1 / 8 mm の大きさの鉱物について, 200~600 粒を偏光顕微鏡下で数えた。 その結果は第 84 図に示した。

ローム層は, 鍵層の軽石層, 堆積状態, 重鉱物組成などから, 2層に分けられ, それらは貝塚(1957), 阿久津(1957, 1960)にしたがって, 上位より田原ローム層および宝木ローム層とする。

田原ローム層は, 層厚 35~60 cm で, 明るい褐色を呈する。 本地域の中央部から北側の地域では, 赤褐色の軽石からなる今市軽石層が発達し, その層厚が 15 cm に達するところもある。 重鉱物組成は, 紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱を主とし, 角閃石・カンラン石をわずかに含む。

七本桜軽石層および今市軽石層の重鉱物組成は, 紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱を主とし, 角閃石を伴い, 田原ローム層の重鉱物組成とほぼ同様である。

下位の宝木ローム層との関係は, あまり明確ではないが, はっきりとした黒バンドで境するところもある(第 84 図の柱状図 79)。

宝木ローム層は, 層厚 170~200 cm で, 宇都宮付近の 4 m(阿久津, 1960)に比較すると非常にうすい。 鍵層の鹿沼軽石層より上位(宝木ローム層上部)では, 褐色で, 比較的硬く, 下位(宝木ローム層下部)では, 暗褐色を呈し, 粘土質で, 1~3 cm 大の円礫を含み, 砂粒を混じ, 塊状を呈することが多い。 上部と下部との境, すなわち鹿沼軽石層の基底部に凹凸が見られることがあり, ある期間, 堆積の休止があったことを示している。

鹿沼軽石層は地域全体に見られ, 東に薄く 12 cm で, 西に厚く 35 cm に達する。 重鉱物組成は, 紫蘇輝石・角閃石・磁鉄鉱を主とし, 普通輝石は少い。

楡木 にれき 軽石層は, 下部ローム層中に白色~黄白色の小軽石として点在する。 重鉱物組成は, 紫蘇輝石・磁鉄鉱を主とし, 普通輝石・カンラン石をともなう。

上部ローム層の重鉱物組成は, 紫蘇輝石・角閃石・磁鉄鉱を主とし, 普通輝石をともなう。 カンラン石は, 下部ローム層より多い。

下部ローム層の重鉱物組成は, 紫蘇輝石・角閃石・磁鉄鉱を主とし, 少量の普通輝石・カンラン石をともなう。

ローム層の下位は, 見和層や上市段丘礫層の風化した粘土へと移化し, 重鉱物組成では, 輝石は少く, 緑色の角閃石やガーネット [ 以下の [注] 参照 ] など風化礫から由来したと考えられる鉱物が多い。

[注]
等軸晶系で, 白色~淡桃色を呈し, 屈折率が高く, 包有物を多く含む。 第 84 図の重鉱物組成表では, 不明粒とともに図示した。

ローム層と給源火山との関係は, 阿久津(1957, 1960)によって検討された。 阿久津は, ローム層中の軽石層を西方に追跡し, 軽石の鉱物組成や組織などから, 七本桜軽石層と今市軽石層は, ともに男体山の噴出物であり, その噴出年代は, 4,000 年前から 5,000 年前と推定している。 鹿沼軽石層は, 赤城火山の中央火口丘の噴出物と推定されている。

VI. 6 冲積層 [ 以下の [注] 参照 ]

[注]
ここでは, 最終氷期最盛期(約 2 万年前)以降の海面上昇にともなって形成された, ほぼ一連の地層を一括して冲積層として扱う。 したがって, 時代的には, 更新世末~現世(完新世)に形成された地層をさすことになる。
地質図上の凡例は 「a : 冲積層(低湿地)」と 「a' : 冲積層(自然堤防)」 の2つに細分されている。

那珂湊図幅地域内では, 冲積層は, 那珂川・久慈川ぞいの幅 2~3 km の低地をつくって, また那珂台地を刻む新川・中丸川などの谷ぞいに発達する。 これらのうち, 久慈川の河口から新川の河口までの海岸ぞいには, 原子力研究所の建設に関連した, 多数の試錐調査がおこなわれており, 今までにもこの資料にもとづいて, 小池(1960)・奈須(1963)・加賀美・奈須(1964)が, 冲積層の層相やその基底のかたちを明かにしてきた。 その後, 原子力発電所, 動燃公社 東海精錬所, 日立港関連調査などの試錐資料が加わっている。 那珂川の下流部の冲積層については, 国道バイパス, 国鉄 常磐線・鹿島線などの調査に関連した試錐資料が, 下流部のほぼ全域にわたって得られ, 水戸付近にとくに集中している。

那珂川・久慈川の冲積層については, かつて坂本・野間(1969)が, その基底の埋没谷のかたちをのべ, 断面図を示したが, ここではその後増加した資料を加えて再検討した。 付加された資料については, 建設省計画局・茨城県編(1969)の 「茨城県水戸・日立地区の地盤」に収録された試錐柱状図におうところが大きい。

VI.6.1 久慈川下流の冲積層

第 86 図 久慈川下流の冲積層試錐の位置(番号は第 87 図に対応)

第 87 図 久慈川下流の冲積層の柱状図(柱状図番号は第 86 図と対応 ; 凡例は第 94 図と同じ)

第 88 図 久慈川河口の冲積層の基底の深さ(A - B は第 89 図の断面図の位置)

第 89 図 久慈川河口の冲積層の断面(A - B は第 88 図に対応)

久慈川下流における試錐の位置および柱状図を, 第 86・87 図に示した。 また, 河口部の冲積層の断面を第 88・89 図に示した。 これらの図から判るように, 久慈川の冲積層の下には, 大きな埋没谷がかくされている。 この谷は, 両岸が急斜し, 谷底が幅 2 km にわたって平坦な, いちじるしい平底型の横断面を示す。 谷壁の傾斜は, 南岸で急で, 北岸でゆるい非対称型である。 谷底の深さは, 河口付近で海面下 60 m を示すものがもっとも深く, 左岸側の半分では -50 m 程度である。 これより上流では, 河口から約 5 km 上流で -50 m という値(第 86・87 図の柱状図 8 [ ← 図幅地域北端の東西中央付近の試錐の柱状図 ] )が得られている。 また, 河谷の南岸には, 2段の埋没段丘がある。 久慈川の河口部では, 冲積層の下部の 10~10 数 m は礫層ないし砂礫層よりなり, 中部は貝殻片を産し海成と思われる砂層ないし砂質シルト層を主としている。 河口よりわずかに上流へよった久慈大橋( [ 第 89 図の ] 断面図の左よりの部分)では, 冲積層の下半部が, 腐植を含んだ砂・シルトの互層となっている。 第 89 図に示したように 互層の部分(陸成 ?)と 砂層の部分(海成 ?)との間には多少の不整合があるのかも知れない。 冲積層の上部は, シルトを主とするが, -15~-20 m 付近には 現海岸にそった南北方向に連続性のよい厚さ数 m の砂層が発達する。 この砂層の上位から, 加賀美・奈須(1964)は, Macoma sp., Pillucina yamakawai, Nassarius livescens などの浅海棲ないし汽水棲の貝の産出を報告している。 なお, 左岸側の茂宮橋の試錐では, その冲積層の基底部に, 軽石の混入が記録されている。

冲積層の表層部には, 南部では現世の波食台上の堆積物から連続する砂礫層がつづく。 また, 久慈川・茂宮川の流路ぞいには, 現河床の堆積物(前者では礫まじりの砂, 後者では腐植質シルト)がレンズ状に発達する。 中央部の腐植土をはさむ礫層および砂・シルト互層も, 久慈川の旧流路にそう河床堆積物であろう。 これらの上位は, 海岸砂丘を形成する風成砂層が広くおおっている。

VI.6.2 新川の冲積層

第 90 図 新川下流の冲積層(試錐位置と冲積層の深さ ; Ⅰ~Ⅴ は第 91 図の柱状図に対応 ; A - B は第 92 図の断面図に対応)

第 91 図 新川下流の冲積層の柱状図(番号は第 90 図に対応 ; 凡例は第 94 図と同じ)

第 92 図 新川河口の冲積層の断面(第 90 図の A - B に対応)

ここでも沖積層の下には, 深い埋没谷がかくされている(第 90~92 図)。 この埋没谷の谷底は河口部で, 少くとも -53.7 m の深さに達している。 河口より約 1.5 km 上流の谷中央部では, 冲積層基底の深さは -40.7 m を示す。 ここでは冲積層の下に伏在する埋没河成段丘は認められないが, -5 m 前後の深さの波食台はかなり広く発達する。

新川の谷を埋める冲積層は, 久慈川の場合とちがって, 基底部の砂礫層の発達がいちじるしく悪い。 冲積層の下半部は, 細砂質シルトをはさむ暗灰色~暗青灰色のシルトよりなり, その下部には泥炭層や多量の樹幹が含まれている。 冲積層の上半部は細砂層と砂礫~礫まじり砂層よりなるが, 後者は北方の波食台上の堆積物につながるもののようである。 また, この礫質層は, 断面図(第 92 図)に示したように, 一部では下位層をかなり切っているようにみえる。

久慈川や新川の冲積層下の埋没谷は, さらに東方へ延長し, 現在の海底下へも追跡される。 東海村の冲合での音波探査(加賀美・奈須, 1964)によれば, 両者は東方で合流し, 現在の水深 70 m 付近のところで海に達していた。 その旧河口部における埋没谷の谷底の深さは 105 m 内外であるという(第 93 図)。

第 93 図 東海村の沖の古久慈川(加賀美・奈須(1964)を簡略化した佐藤(1970)による)。 A は地層の境界, B は古久慈川と古汀線堆積物の境界

VI.6.3 那珂川下流の冲積層

第 94 図 那珂川河口の冲積層の柱状図(柱状図番号は第 73 図に対応)

第 95 図 那珂川下流の冲積層の柱状図(番号は第 73 図に対応 ; 凡例は第 94 図と同じ)

第 96 図 水戸付近の冲積層の試錐の位置と基底の深さ(試錐の位置の数字は沖積層の深さで, 括弧 "()" 内の数字は段丘礫層の基底 ; A - B と C - D は第 97 図の断面の位置)

第 97 図 那珂川下流の冲積層の断面(断面の位置は第 96 図に対応)

第 98 図 桜川の冲積層(柱状図番号は第 96 図と対応 ; 凡例は第 94 図と同じ)

那珂川下流の冲積層の下には, 坂本・野間(1969)が述べたように, 河口で -80 m, 河口より約 15 km 上流で -40 m に達する谷底を有する埋没谷がかくされている。 また, ここの冲積層下には, 水戸 下市付近や那珂川の南北両岸に, 何段かの埋没段丘が伏在している。 那珂川の下流における試錐資料の分布やその断面図・柱状図は, 第 73~76 図, 第 94~97 図に示した。 この埋没谷をうめる冲積層は, 下半部では砂層・砂シルト互層を主とし, あるいは, 礫層と泥層の繰返しからなっている。 上半部は暗青色の海成シルトを主とし, 貝化石を産する。 表層部には, 礫まじり粗粒~中粒砂を主とし, 腐植土層をはさむ河床堆積物が発達している。

斎藤(1959b)は, 那珂川の冲積層の上部の海成シルト層(那珂湊一高の北側の井戸)から, 第 6 表の貝化石を報告している。

第 6 表 那珂湊付近の冲積層産貝化石(斉藤(1959)による)

Acteocina cf. insignis (PILSBRY)
Arca cf. arabica PHILIPPI
Batillaria cumingi (CROSSE)
B. zonalis (BRUGUERE)
Bittium aleutaceum GOULD
Corbicula japonica PRIME
Cryptomya busoensis YOKOYAMA
Dosinia aff. penicillata (PHILIPPI)
Ostrea gigas THUNBERG
Pillucina sp.
Rapana thomasiana (CROSSE)
Spisula sp.
Syrnola cf. hurumana (YOKOYAMA)
Trapezium lyratum PILSBRY
Venerupis variegata (HANLEY)

なお, 柱状図(第 96~98 図)には, [ 本図幅の西隣の水戸図幅地域内の ] 水戸市街地の南側の桜川~千波沼の谷の冲積層の状態も示した。 ここでは, 谷の奥では全体が腐植質の暗灰色シルト~砂質シルトからなり, とくに最上部でいちじるしく腐植を含む。 また, 谷の出口の部分では, 下部が暗灰色のシルト, 上部が暗青灰色の中粒砂よりなり, 最上部に大量の腐植を含むシルト層が発達する。 なお, この部分の冲積層の基底部には, 軽石の混入が記録されている。

VI.6.4 波食台堆積物

久慈川と新川との間の海岸には, 砂丘におおわれて, 現世の波食台堆積物が分布している。 波食台は, 南北約 1.5 km にわたっており東西の幅は 300 m 以上である。 その表面は, 現海水準下 5.4~7.8 m にある(第 99 図)。 波食台の上には, 厚さ 4~6 m の礫まじり砂層ないし砂礫層が発達し, ときに貝殻片を含む。 この上位は, 広く風成砂によっておおわれている。

第 99 図 東海村の海岸の波食台の高度分布

これと同様の堆積物は, 図幅地域の海岸ぞいに, 広く発達すると思われる。

VI.6.5 風成砂 [ sd ]

図幅地域のほぼ全海岸にそって砂丘を構成する。 砂丘は, 那珂台地上に広く吹きあげており, その幅は最大 3 km に達する。 砂丘がもっとも幅広く発達する水戸射爆場付近では, すでにのべたように, 見和層の下位に, より古い第四系が伏在しており, その砂層が波打ちぎわ付近に発達している可能性がある。 他の地域で波打ちぎわは新第三系の泥岩や白亜系が分布しているのと異なり, このことが, 広い砂丘の発達をうながした原因の一つであろう。

VII. 応用地質

VII.1 地下水

本図幅地域の地下水は, 各地質時代の地層によって, その分布状態および透水性などがことなる。

一般に深度が深い帯水層中に賦存する自由面地下水は, 洪積台地においてはローム層あるいはその下位の段丘礫層中に, 冲積低地においては河川砂礫層中にあって, 浅井戸などによって飲料・雑用その他に利用されている。 また, 被圧地下水は, 新第三系の砂岩層, 更新統の砂礫層, あるいは冲積低地の河谷などに分布する深部の砂礫層中に賦存し, 水道用・工場用・かんがい用などの水源として, 深井戸によって揚水・利用されている。 これらの深井戸は, おおむね洪積台地上に分布している。

[ VII.1.1 ] 新第三系の地下水

新第三系は, 地層が全般に泥質で, 更新統および冲積層の基盤となっているが, 那珂湊市および勝田市の一部においては, 比較的空隙に富む粗粒ないし中粒の砂岩層を挾んでいるため, これらの砂岩層は帯水層を形成している。

那珂湊市の上水道の水源井は, いずれも新第三系の砂岩層を対象としている。 この地帯の被圧地下水の利用深度は 150 m 程度までで, 1井当りの揚水量は 1,000 m3 / d 程度であるが, 水位降下は大きい。 これらの比湧出量は 10~50 m3 / d / m で, 第四系に較べて小さい。

[ VII.1.2 ] 更新統の地下水

本図幅地域の大半を占める洪積台地は, 新第三系を基盤とし, 砂層ないし砂礫層に富む見和層および段丘礫層からなり, その上位を広くローム層で覆われている。 これらのローム層は, その下位に粘土層が分布している地帯では, 降水の補給を受けて帯水層を形成し, 自由面地下水が民家の浅井戸などによって利用されている。 また, 砂礫層は, いずれも帯水層として, ローム層を通して降水の補給を受けている。

台地における砂礫層の深度は, 一般に 10~30 m 程度であるが, 先久慈川凹地, 照沼凹地および先那珂川凹地などの旧河谷の凹所では, 深く 50 m 前後に及ぶ。 とくにこれらの凹地には, その基底部に厚さ 10~20 m 程度の砂礫層が発達し, 有力な帯水層を形成している。 また, 比較的台地の浅所に分布する段丘礫層は, 新川および中丸川などの小河川による開析谷によって削られているため, 礫層中の地下水が随所に湧水となって排出されている。

旧河谷の凹地地帯における帯水層は, 凹地地帯以外の帯水層に較べて透水性が大きい。 すなわち, それらの比湧出量は, 前者が 300~500 m3 / d / m であるのに対し, 後者は 100~200 m3 / d / m である。

[ VII.1.3 ] 冲積層の地下水

本図幅の北縁および南縁近くを流れる久慈川および那珂川は, いずれも洪積台地を削り, 幅 2~3 km 程度の冲積低地を形成し, 臨海部においてそれぞれ深度 60 m および 80 m 前後の河谷を作っている。 また, 新川の河谷は, 臨海部において約 60 m に達し, 河川規模に較べて深い。 これらの河川によって形成された河川砂礫層は, 帯水層として表流水から伏没した自由面地下水の補給を受けているが, その範囲はいずれも旧河床に沿った地帯に限られている。

久慈川および那珂川沿岸における自由面地下水の利用深度は, おおむね 10 m までである。 浅井戸の揚水量は, 井戸口径の割には一般に少なく, 比湧出量は, 50~100 m3 / d / m である。

東海村 村松の新川沿いにおける深井戸の揚水試験結果によると, 冲積砂礫層の諸係数は次の通りである。

ストレーナー深度(m) 透水係数(cm / s) 貯留係数
新川左岸 5~24 6.0 × 10-2 2.0 × 10-3
新川右岸 21~38 1.5 × 10-1 3.8 × 10-4

[ VII.1.4 ] 砂丘の地下水

那珂湊市の北部の 阿字ガ浦 , 旧射爆場付近から東海村 村松の日本原子力研究所・原子力発電所付近にかけての臨海部には, 厚さ数 m ないし 10 m 前後の砂丘が分布している。 これらの砂丘地帯の地下水は, いずれも降水の浸透によるもので, 一般に水質は良好であるが, 水量は乏しい。

東海村 村松における揚水試験結果によると, 砂丘の透水係数は 3.5 × 10-2 cm / s, 貯留係数は 3.7 × 10-2, また比湧出量は 40 m3 / d / m である。

VII.2 天然ガス

本地域には多くのガス徴が見られるため, 戦後 1950 年代には, 何回かのガス調査が行なわれ, 試錐も行なわれている。 しかし, 現在稼行されているものはない。

ガス徴は, 久慈川・那珂川の沿岸地域にいちじるしく, 新川の下流部でも多い。 これらのガスの分析値は第 7 表に示した。 ガスには N2 の多いものと CH4 の多いものの2型があり, 前者は台地上で, 後者は冲積地で産する。

第 7 表 那珂湊地域の天然ガス分析表。 括弧 "()" 内は O2 を 0 とした場合の補正値(井島ほか(1957)による)

ガス成分(vol. %)→
地点 ↓
CO2 CmHn O2 CH4 N2
常磐線 鉄橋(那珂川の南側)
上流約 50 m
3.9
(5.1)
0.1
(0.1)
4.5
(0)
63.5
(83.7)
28.0
(11.1)
勝田市 石川,
中丸川 曲流点の砂利とり場
3.9
(4.0)
0 0.4
(0)
46.0
(47.8)
49.7
(48.2)
勝田市 枝川,
那珂川の左岸
12.0
(12.2)
0 0.3
(0)
78.4
(79.6)
9.3
(8.2)
勝田市 上組,
那珂川の新堤防
5.3
(5.5)
0 0.5
(0)
71.8
(74.0)
22.4
(20.5)
久慈川,
常磐線 西ノ橋 中流部
9.8
(10.4)
0.1
(0.1)
1.2
(0)
77.6
(82.7)
11.3
(6.8)
日立市, 茂宮 試錐井 5.1 0 0 82.1 12.8

VII.3 石材

那珂町 額田の南西部では, かつて多賀層の泥岩を石材として, 小規模に採掘した跡がある。 那珂湊市 部田野では, 部田野軽石凝灰岩層の一部を, 石材として小規模に採掘している。

文献

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QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000

Tokyo (8) No. 11

GEOLOGY OF THE
NAKA-MINATO
DISTRICT

By Toru SAKAMOTO, Keisaku TANAKA, Tatsunori SOYA, Taiji NOMA and Kyuya MATSUNO (Written in 1972)


Abstract

The mapped area situated in the northeastern corner of the Kanto Plain is composed of the Kuji, Naka, Higashi-Ibaraki terraces and alluvial plains along the Kuji and Naka rivers. The main parts of these separate terraces were originally formed as a continuous coastal plain during the last interglacial. The Naka and Higashi-Ibaraki terraces are margined with river terraces.

A summary of the stratigraphic sequence of this area is shown in Table 1.

Table 1

Age Stratigraphy Remarks
Quaternary Recent Alluvium post-glacial
transgression
Pleistocene
Buried terace gravels
deposition
of
volcanic
ash
Terace
gravels
Kurisaki
Yada
Uwamachi, Nukada
Miwa
Formation
Upper part
Middle part
Lower part
last
inter-glacial
transgression


Neogene
Tertiary
Pliocene Hanare-yama Formation ← Stegodon marine
Kume Formation
Miocene Taga Formation ← subaqueous
  pyroclastic flow
Tono-yama Formation

Paleogene or
Late Cretaceous
Ōarai Formation ← Ōarai flora continental
Late
Cretaceous
Hetonaian Naka-minato Group marine

Upper Cretaceous

The Upper Cretaceous Naka-minato Group is narrowly exposed along the coastline in the southern part of the mapped area, forming a northeast-dipping homocline. The group is occupied by a thick marine sequence which is composed of sandstone, siltstone and conglomerate in alternation. It is dominated by turbidite deposit, accompanied by frequent slump beds such as folded strata and pebbly mudstone. The group, though its lower and upper limits are concealed by the sea water, measures up to about 1,500 m thick.

Sandstone occurs as 0.1 - 3 m thick beds frequently alternating with siltstone, showing various types of sedimentary structures characteristic of turbidites such as graded bedding and current-directional sole markings. Sandstone, however, is occasionally much thicker and massive or structureless. The sandstone is mostly gray, but occasionally dark gray and greenish gray in color, and is of various grain sizes, being chiefly medium- to coarse-grained.

Siltstone occurs not only as thin layers, less than several decimeters, frequently interbedded with sandstone but also as thicker beds up to several meters or about 100 m thick sequences. The siltstone is dark gray to blackish gray colored and occasionally abounds in sandstone lamina and calcareous concretions. It contains molluscan fossils such as ammonoids and inocerami, echinoids and forammifers.

Conglomerate occurs as several centimeters to several decimeters thick layers. In general, the conglomerates are composed of granule- and pebble-sized gravels dominantly of felsic volcanics such as rhyolite and rhyodacite. Pebbly mudstone, originating from submarine mudflow, is intercalated at various levels throughout the group. It is less than 3 m thick.

This group is divided into the Chikko, the Hira-iso and the Iso-ai Formations. The Chikko Formation occupies only a small isolated area, thus its stratigraphic relation to the northern Hira-iso Formation being unknown. It is about 30 m thick and is represented by bluish-green gray, massive sandstone. The Hira-iso Formation , about 580 m thick, is rich, in argillaceous sediment in comparison with the overlying Iso-ai Formation. The Hira-iso Formation is composed of siltstone in the lower part and alternating sandstone and siltstone in the upper. The formation yields Didymoceras, Pravitoceras (?) and Inoceramus cf. balticus. The Iso-ai Formation is conformably underlain by the Hira-iso Formation and has a thickness of about 930 m. It consists of sandstone and siltstone alternating with each other in various thicknesses and proportions, with frequent intercalations of conglomerate. The Iso-ai yields Inoceramus cf. shikotanensis, Baculites and Polyptychoceras.

The Nakaminato Group is referred to the Hetonaian, the Middle Campanian to the Maastrichtian of the international scale, presumably ranging down to the Uppermost Urakawan, the Lower Campanian.

Upper Cretaceous or Paleogene

The doubtful Upper Cretaceous or Paleogene strata in the present area are named the Ōarai Formation . This formation occupies small isolated hills in the southern part of the area, forming a gentle syncline plunging southeast-ward. The Ōarai Formation consists mainly of conglomerate, intercalated with thin sandstone and siltstone layers. In the southern adjoining sheet-map area the Ōarai Formation is composed of terrestrial, lagoonal and marshy deposits, accompanied by coal seams and plant beds.

The conglomerate is poorly sorted and composed chiefly of cobble-sized gravels. It is characterized by the predominance of granitic gravels, in quite contrast with the Naka-minato conglomerates. The intercalated sandstone and siltstone layers are several decimeters thick. The sandstone is of various grades of coarseness, being occasionally cross-bedded. The siltstone is dark gray in color.

The Ōarai Formation in the area may be represented only by the upper or uppermost part of the formation which has a total thickness of about 1,000 m. On the basis of the floral content together with the general attitude of the strata, the gross lithology and so forth, the age of the formation has been regarded by certain authors as being late Cretaceous. However, the above-mentioned age determination is debatable, because the flora includes a number of Tertiary elements (e.g. Sabarites) in addition to Mesozoic ones.

Neogene Tertiary

The Tono-yama Formation is exposed at the foot of a long sea cliff between Naka-minato and Hira-iso, forming a northeast-dipping homocline. Thickness of the formation is about 190 m. The formation consists of alternating siltstone and sandstone in the lower part, sandstone and conglomerate in alternation in the middle part, and massive sandy siltstone yielding some marine molluscan fossils in the upper part. The Tono-yama Formation is referred to middle Miocene in age.

The Taga Formation is distributed widely as the basement of the Kuji and Naka terraces, forming a gentle half-basin structure plunging eastward. In the Higashi-Ibaraki Terrace area, however, it is completely concealed under the Quaternary. The formation consists mainly of dark bluish massive siltstone or sandy siltstone yielding sporadically marine molluscan fossils everywhere. Fossils of diatoms, foraminifers, radiolarians and sponge spicules are abundant. In the southern part of the Naka terrace, subaqueous pyroclastic flow deposits (Hetano and Aji-ga-ura Pumiceous Tuff) are intercalated, and in the Kuji Terrace slumping siltstone boulder beds occur at the top horizon of the formation. It seems that the Taga Formation is late Miocene in age.

The Kume Formation exposed very narrowly at the northern margin of the mapped area begins with conglomerate and is followed by sandy siltstone. The formation in the northern adjacent area yields molluscan fossils indicating an early Pliocene age.

The Hanare-yama Formation distributed in the southern part of the Kuji Terrace is unconformably underlain by the Taga Formation and consists mainly of pumiceous tuff and pumiceous or tuffaceous sandstone. A fossil elephant (Stegodon) indicating the early or late Pliocene is known to occur at a quarry Hanare-yama.

Quaternary

The Miwa Formation is ancient coastal plain deposits formed during the last inter-glacial transgression and is correlated with the upper part of the Narita Formation and the Shimo-sue-yoshi Formation in southern Kanto. The formation is divided into the lower, middle and upper parts. The lower part (40 m in maximum thickness) composed of gravel and mud is channel-filling deposits of the early phase of the transgression. The middle part (5 - 20 m thick) consisting of fluvial gravels in the southwestern corner of the area represents an episode of slight lowering of sealevel within the transgression. The upper part (15 - 20 m thick) composed mainly of sand and pebbly sand shows the maximum of the transgression. The Kuji Terrace and the main parts of the Naka and Higashi-Ibaraki terraces are occupied by the upper part of the Miwa Formation.

River terraces are developed along the Naka and Kuji rivers. Along the Naka River are discriminated three terraces, named the Uwaichi, Yada and Kurisaki in descending order. The Nukada Terrace along the Kuji River corresponds to the Uwaichi Terrace. All these terraces in the area are correlated with the Musashino Terrace in southern Kanto.

Two buried terraces under the alluvial plain are found under the lower valleys of the Kuji and Naka.

The Loam Formation , weathered volcanic ash layers, covers the Kuji, Naka and Higashi-Ibaraki terraces with a thickness of 2 to 4 m. In the middle part of the formation the Ka-numa Pumice Bed, a remarkable key bed in northern Kanto, is intercalated with a thickness of 15 to 20 cm. At the top of the formation red pumices are scattered, which correspond to the Ima-ichi Pumice Bed in the Utsunomiya area.

Alluvial deposits along the Kuji, the Naka and other small rivers are composed mainly of sand and mud. The bottoms of the alluvial deposits are 60 m below the sea-level at the mouth of the Kuji, and 80 m at that of the Naka.


昭和 47 年 12 月 11 日 印刷
昭和 47 年 12 月 18 日 発行
著作権所有 工業技術院 地質調査所

(C) 1972,Geological Survey of Japan