07098_1957

5万分の1地質図幅説明書

草津

(新潟 第 98 号)

通商産業技官 太田良平

地質調査所

昭和 32 年


目次

I. 地形および地質構造
I.1 概説
I.2 草津白根火山
I.3 草津白根火山活動史
I.4 浅間火山
I.5 基盤岩区域
II. 地質
II.1 概説
II.2 斜長流紋岩類
II.3 変朽安山岩類
II.4 酸性深成岩類
II.5 新第三紀~更新世火山岩類
II.6 岩脈
II.7 門貝層(新第三紀~更新世)
II.8 榛名火山
II.9 四阿火山
II.10 草津白根火山
II.11 更新統
II.12 浅間火山
II.13 沖積統
III. 応用地質
III.1 概説
III.2 硫黄鉱
III.2.1 吾妻鉱山
III.2.2 石津鉱山
III.2.3 白根鉱山
III.2.4 白嶺鉱山
III.2.5 万座鉱山
III.2.6 横手山鉱山
III.2.7 その他の鉱山
III.3 褐鉄鉱
III.3.1 群馬鉄山
III.3.2 その他の鉱山
III.4 温泉および鉱泉
III.5 石材
文献

Abstract

1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 31 年稿)

草津

(新潟 第 98 号)


本図幅地域北西部に聳える草津白根火山は活火山であって, 風光の美をもって知られ, 特に最近の火山活動は内外に著名である。 その中腹にある草津温泉は湯治場として古くから名高く, 図幅地域内にはなお多くの温泉が湧出している。 図幅地域南西部の台地は浅間高原の一部に属し, 図幅地域外南方一帯に広く連続していて景勝の地であり, 本図幅地域の大部分は上信越国立公園に包含されている。 草津白根火山周辺の山腹には 吾妻 あがつま ・白根・石津・万座およびその他の硫黄鉱床が散在し, わが国有数の硫黄資源地帯であるのみならず, 褐鉄鉱においてもわが国第一の産額を誇る群馬鉄山があり, この地域は産業上からも重要である。 この図幅は昭和 28・29 年に亘る野外作業によって完成したものであって, 本文中, 硫黄鉱床の項は岡野武雄技官が記述した。 なお野外調査に当り, 前記諸鉱山から種々の便宜を供与された。 また浅間火山の項については, 荒牧重雄氏から多くの教示を得た。

I. 地形および地質構造

I.1 概説

本図幅地域は群馬県の北西隅に位置し, その大部分は同県 吾妻 あがつま 郡に属するが, 図幅地域北西隅の狭い区域は長野県上高井郡に属し, 両者を区劃する県境は図幅地域北縁および西縁に沿ってその外側を走り, この地方の分水嶺をなしている。 図幅地域南半部をほゞ東西に貫流する吾妻川は, 万座川・熊川・須川・ ぬる 川および蛇野川等の支流を併せ, 東流して渋川(図幅地域外)に至り, 利根川に合し太平洋に注いでおり, 図幅地域北西隅の長野県に属する区域は松川の上流に当り, 松川は千曲川に合し, さらに信濃川となって日本海に注いでいる。

本図幅地域は地形上から, また地質上から, 草津白根火山区域・浅間火山区域および両火山の基盤岩区域, の3者に大別することができる。 草津白根火山区域は図幅地域西半部中央の大部分を占め, 浅間火山区域は図幅地域南西部の吾妻川以南の区域で, 基盤岩区域は図幅地域東半部および西半部北縁区域をいう。

I.2 草津白根火山

草津白根火山の山頂は一見双子山のような景観を示し, 本白根山(海抜 2,164.8 m)と白根山(海抜 2,162 m)とが 鞍状部を隔てて南北に相対している。 有史以来の活動は主として白根山南東の3爆裂火口の中央にある湯釜, および鞍状部にある弓池で行われた。 しかし草津白根火山の山体のほとんど大部分は, 本白根山附近を活動の中心として建設されたものであって, 一部は白根山附近を中心としている。 有史以後は熔岩の流出を見ず, 爆裂活動のみで火山抛出物を堆積したにとゞまる。

まずこの火山の基盤岩の分布をみると, 山体の北西部と南東部とでは高さにおいて著しい相違がある。 北西部の横手山熔岩および高井熔岩の分布する区域では, これらの熔岩からなる山稜は海抜 1,900~2,200 m を示し, 草津白根火山の高さに比較して著しい差がないばかりでなく, 横手山山頂(海抜 2,304.9 m)のごときは, この図幅地域内の最高点であって, 草津白根火山の最高点である本白根山よりも遙かに高い。 しかるに南東部においては 草津白根火山噴出物が基盤岩と接する附近の高さはいずれも低く, 長野原附近では海抜 700~800 m, 楽泉園附近では海抜 700~900 m を示し, 北西部とは著しい差があり, 白根浮石流に囲まれて聳える洞口熔岩は基盤岩であるが, その最高点は僅かに海抜 1,079.2 m である。 このように草津白根火山の NW - SE 方向の断面を考えると, その形態は著しく非対称であって, 山体は南東部では自由に展開しているにもかゝわらず, 北西部では基盤岩に遮られているため発達をみない。 これと同様の関係は須坂図幅地域内の 四阿 あづまや 火山でも見られ, 群馬県側には基盤岩がほとんど露われず, 山体は自由に延び広大な裾野が発達しているのに反し, 長野県側では基盤岩が高い位置にあるため, これに遮られて山体の発達は阻止されている。 おそらく 四阿火山と草津白根火山とを結ぶ方向に顕著な構造線が存在するものと考えられ, これを境として両地塊に格段の高低差があるように思われる。

白根山頂における水釜・湯釜および空釜の3爆裂火口の分布や, 東方山腹の殺生河原附近の 2爆裂火口(すなわち 武貝脱 ものぬぎ 池と, その西南西方約 1.5 km のフウキバラの池)および 2噴気孔(すなわち殺生河原の噴気孔と, 以上3者の西南西方向の延長上に当り, フウキバラの池から約 0.9 km で, 土流の符号がある地点の噴気孔)の分布をみると, いずれも四阿火山と草津白根火山とを結ぶ方向と, 平行な方向に1直線上に並び, 地下にこの方向の構造線が存在することを示している。 この図幅地域東半部に広く分布する基盤岩中には, 多くの構造線が縦横に走り, 地塊化しているが, 草津白根火山噴出物で覆われた部分の下位にも, 同じように基盤岩が多くの地塊に分かれ, 構造線が発達しているものと考えられ, またこの事実は白根浮石流中に突出して聳える洞口熔岩や, 図幅地域南西部に白根浮石流に覆われてみいだされる 門貝層の分布等から推察しても肯かれる。

この火山の最古の噴出物は, 白根凝灰角礫岩であって, 図幅地域内では西縁部に僅かに露われているに過ぎないが, 西隣の須坂図幅地域内に連続して延び, 万座川に沿ってよく露出し, 厚さ 3~数 m の熔岩流を挾んでいる。 当時の火山活動の中心はおそらく現今の本白根山附近にあったと推察される。

その後, 大規模の浮石流の流出があり, 続いて第1次の馬蹄形カルデラの陥没が行われたらしい。 このカルデラ壁の位置はその後の熔岩の流出や侵蝕作用のため, 現今ではあまり明確でないから地質図上には記載してない。 吾妻鉱山西方をほゞ南北方向に直線状に走る谷(大部分須坂図幅内にある)は, おそらくこのカルデラ壁の一部を示すものであろう。 この谷の西側は急崖となり, 白根凝灰角礫岩からなり, この山嶺上に浮石流堆積物の転石が僅かにみいだされ, またこの谷の東側は, この山嶺よりも遙かに低い場所に浮石流が広く分布している。 万座川下流右岸で門貝部落のすぐ南にある 1,162.6 m 高地は, 白根浮石流からなるが, 左岸の浮石流からなる山地の分布高度に比較し遙かに高い位置にある。 白根浮石流は流出当時, 低凹地を塡めて広がったものであるが, 続いて起こったカルデラの生成のために, 地盤はさらに一段と低下したと考えられる。 この白根浮石流は図幅地域中央部から南西部にかけて, 広い面積に亘り, 海抜 1,000~1,400 m の高さで高原状に分布していたのであるが, 岩質が一般に粗鬆, 脆弱であるため, 原地形は草津温泉附近にしか見られず, 一般に深い峡谷が刻まれている。 草津温泉北西方では 大沢川および谷沢の接近によって浮石流からなる台地が狭められ, 「蟻の塔渡り」(平兵衛池南方約 800 m の狭長な部分)の奇観となっている。 浮石流の岩質は一様ではなく, 場所によって凝結度を異にし, 凝結度の進んだものは塊状, 堅固となり柱状節理がみられ, さらに著しく進めば熔結凝灰岩となり, 山腹にみごとな柱状節理を示す断崖を連ねて河岸に臨んでいる。 この地形は須川沿岸の 太子 おおし 附近, 長笹沢の小倉附近, 吾妻川沿岸の滝ノ上附近, および大沢川・谷沢沿岸等において特に著しい。 また岩質の堅固な所では瀑布が懸っていて, そのうちで 常布 じょうふ ノ滝(平兵衛池西南西方 700 m)・ 嫗仙 おうぜ ノ滝(楽泉園南西方 1.4 km)および 瀬戸ノ滝(上州三原駅北東 1.6 km)等が有名である。

この厚い白根浮石流の上に各種の熔岩が載っている。 これら諸熔岩は南東方に開く第2次馬蹄形カルデラの生成を境として, 旧期熔岩と新期熔岩とに分けられ, ほかに最近の火山活動によって堆積した火山抛出物層がある。 すなわち旧期熔岩とは 谷所 やとこ 熔岩・松尾沢熔岩・青葉熔岩・矢筈平熔岩・ 独活 うど ガ沢熔岩・米無熔岩および弓池熔岩であり, 新期熔岩とは本白根熔岩と殺生熔岩である。 旧期熔岩を流出した旧火口は現今では窺うことができないが, 地形および諸熔岩の分布から考えると現今の本白根山頂附近にあったらしく, また現今の白根山頂附近に寄生火山があったように思われる。

これら諸熔岩のうち, 青葉熔岩は特に粘性が大きく, 平兵衛池附近, 青葉山(武貝脱池北西方の 1,742 m 高地)および 草軽電鉄前口駅附近等で見られるように, 熔岩流末端の急崖地形や熔岩台地地形がよく保存されている。 米無熔岩は緩傾斜の熔岩台地地形を顕著に示している。 しかし山体西側に分布する旧期熔岩は その後に起こった爆裂活動によって, あるいはまた著しい熱水変質作用のためにかなり侵蝕されている。 例えば吾妻鉱山附近には3個の大きな爆裂火口があり, 殊に小丸山(鉱山北東にある海抜 1,860 m の山)の西側の沢など, 著しく侵蝕がすゝんでいる。

弓池西方の谷もかなり侵蝕が進んでいるが, 爆裂活動や熱水変質作用による所が多いと思われ, 万座川との合流点から約 1.3 km 上流までの間は変質帯となっている。 山体北東に当る常布ノ滝附近には白根浮石流が比較的広い面積に露出しているが, これは爆裂活動に基づくものであろう。

第2次馬蹄形カルデラの生成後, ふたゝびその頂点附近に活動が起こり, まず本白根熔岩を流出した。 この熔岩は主としてカルデラ内部に流出したが, 一部は西外側にも流れた。 この熔岩は本白根山頂にある2個の大火口, および附近の小火口から流出したものである。 北部の大火口は径約 300 m, 深さ 20~40 m の茶碗形をなし, 東方壁には熔岩が, 西方壁には凝灰角礫岩が露出していて, 湛水していない。 南部の大火口は長径約 450 m, 短径約 250 m, 深さ 10~40 m の楕円形の浅い皿状を呈し, 東方に向かい開口し湛水していない。

この活動後, その北東に規模においてこれに劣らない1個の巨大な火口と, この北方に隣接しこれよりやゝ小さい1個の火口を生じ殺生熔岩を流出した。 前者は径約 500 m, 深さ 10~40 m の茶碗形で, 火口壁は頗る急傾斜であり, 下底には砂礫が散在し浅い水を湛えている。 後者は径約 250 m, 深さ 20~30 m で湛水していない。 現今両者には噴気その他の後火山活動は全くなく, 植物が密生しているが, 火口壁は頗る急で侵蝕程度から推して, 本白根熔岩を流出した前記諸火口とは明らかに時期的に異なるものである。 これらの火口とは別に南方に約 1.1 km 離れた場所からも殺生熔岩を流出したが, 火口の位置は明らかではない。 殺生熔岩の分布範囲を航空写真によって観察すると実に興味が深い。 熔岩流の流出口の直ぐ下方附近から, 熔岩流の末端に至る約3分の2までの部分では, 熔岩流の両縁に沿い高さ 5~20 m の狭長な山脈が連続していて, 内部は両縁よりも一段と低い。 これは熔岩流の冷却に際し, 両縁辺部および表面が先に凝結し, 内部がまだ熔融体にある時, 傾斜による荷重に耐えきれず熔融体を押出したものであって, 進行方向に直角に波状に進んで行った状況がよく認められ, 末端附近では中央部が特に著しく押出し, 基盤岩の上にのり上げた状況がよく窺われる。 地表では多くの岩塊が累々と重なり, 起状に富んだ地形をつくる。

白根山頂から水釜・湯釜・空釜の3爆裂火口附近および その東方一帯の現世火山砕屑物の分布する区域は, 小牛大以下の岩塊を始め火山礫・火山灰等が一面に分布しており, 岩石の露出は全くなく樹木も生えていない。 遠方から眺めると白皚々として, あたかも白雪を載いたようで, 白根山の名はこれによって生じた。 巨大な岩塊が累々として露出するなかに処々樹木の立枯れがあり, 荒涼たる感を与える。 白根山頂には東方に向かい半円形の爆裂火口地形が比較的明瞭に残っており, この爆裂火口内にも小規模の爆裂火口地形が数個みいだされるが, 最近の火山活動による火山抛出物の堆積のため, あまり明確ではない。 水釜・湯釜・空釜の3爆裂火口は NE - SW 方向に1列に並び, 北東端の水釜は径約 200 m で, 湯釜に接した一部を除いて 50~80 m の急崖で囲まれ, 北方に偏して深緑色の水を浅く湛え, 北方環壁は低くて水面から僅か 2 m の高さである。 湯釜との間に著しい隔壁はなく, 湯釜の水面は水釜の底より約 40 m 低い。 水釜の東方環壁の内面には高さ約 20 m の岩石が露出しており, この岩石はおそらく露頭ではないと思われるが, この岩石の多くの割れ目から盛んに噴気していて, 噴気孔の周辺には自然硫黄が附着している。 環壁上および環壁の外側にも多数の噴気孔があり著しい白煙をあげている。 中央の湯釜は最も大きく, 径約 250 m で, その内部は明治 15 年以後の爆発によってしばしば変化した。 内底の東半部は池をなし, その周壁は直角または著しく急傾斜で, 深緑青色の水を湛えている。 内底の西半部は池の面より 10 数 m 高く, こゝで古くから沈澱硫黄を採掘していた。 湯釜の環壁南方外側にも噴気孔があり白煙をあげている。 次に南西端の空釜は径約 150 m で, 湯釜に接する一部を除き急傾斜の壁をめぐらし, 約 80 m の高さを有し, 西壁には火山抛出物が成層しているのがみられる。 内底には僅かに浅く泥黄色の水をたゝえているが, かつては全く乾いていた。 空釜の底と湯釜西半部の底とはほとんど同じ高さで, 両者の隔壁は大部分破壊され相通じている。

本白根山と白根山との間の鞍部にも, しばしば火山活動が行われて, 多くの爆裂火口があり, そのうち弓池が最も大きく, 径約 120 m のほゞ正円形を示し緑青色の水を湛えている。 弓池の北西に接して弓池よりやゝ形の小さい爆裂火口があり, 底は湿地となっている。 弓池の南東にも爆裂火口があり, この両者のみを図上に示したが, そのほか図上に示してない小爆裂火口が附近に数個ある。

以上のほか芳ガ平附近や米無山周辺などに大きな爆裂火口地形がみられ, 北部の平兵衛池の附近にも小爆裂火口があるが, 現今ではいずれも後火山作用は認められず, 樹木が繁茂していて時期的にはもちろん白根山附近のものより旧期である。 殺生河原北東の武貝脱池は爆裂火口跡でほゞ正円形をなし, 3方に高さ 30 m 以下の環壁をめぐらし, 北方は開き南方に偏して小池がある。 殺生河原西南西のフウキバラの池も同様で東方に偏して小池がある。 両池の中間に殺生河原と称する噴気帯があり 長さ約 150 m, 幅約 50 m の範囲に亘り無数の噴気孔が白煙をあげ, 孔口には自然硫黄が附着していて, 附近は白一色となり樹木は生えていない。 以上3者の WSW 方向の延長上に当り, フウキバラの池から約 900 m の地点(地形図上には土流の符号がある)には 硫化水素の噴気孔があり, 孔口附近にはウサギ・スズメ・トンボ等の死骸が重なり, いわゆる鳥地獄を現出している。 万座温泉附近にも噴気孔が多く, 弓池から出る沢が万座川に合する地点の, やゝ手前の左岸に多くの噴気孔があり, 孔口に附着している自然硫黄を, かつて採取したことがある。 このうち, 最も強大なものをカラフキと称している。 その北に位置し万座川の左岸にも噴気孔の多い箇所がある。

図版 1 殺生熔岩の熔岩流地形。 この写真は南北の方位が逆で, 手前の方が北である。 右下隅附近に本白根山頂があり2大火口が見られ, 左下隅附近の市街が草津温泉である。

図版 2 殺生熔岩の分布区域の縁辺部 (殺生河原附近で顕著に見られ, 縁辺部は山脈上を呈し, これから左方が殺生熔岩の分布区域, やぐらは地熱利用のための試錐)

図版 3 殺生熔岩の露出状況

図版 4 水釜北東部

図版 5 湯釜中央部

図版 6 空釜北東部 (向う側に見える湯釜とほとんど通じている)

図版 7 北東から眺めた3連火山 (手前が水釜の端で湯釜を隔てて空釜があり, 湯釜は他よりも深い)

図版 8 弓池を隔てて本白根山頂を望む

図版 9 殺生河原の噴気

図版 10 カラフキ(万座温泉附近)

I.3 草津白根火山活動史 1)~24)

草津白根火山の活動については古い記録はなく, 水釜・湯釜・空釜の3爆裂火口の生成時期についても全く知られていない。 最も古い記録は文化 2 年(1805)の活動であって, 長野県方面に降灰し樹木を枯らし, このため松川上流には 100 年以上の樹齢のものがないという。 これ以後 9 回の活動が記録されているが, すでに火山活動の晩期に属し熔岩を流出したことがなく, 爆発のみを繰返しているに過ぎない。 爆発は明治 35 年の活動を除き, すべて湯釜内またはこれに近接して起こっており, 明治 35 年の活動のみは弓池北岸で起こった。 湯釜の底および壁は爆発ごとに地形変化を生じているが, 底の一部はたえず温湯の池をなしている。 従来の記録をみると爆発はこの池中で起こったことは少なく, 多くの場合その池岸かまたは北・東・南3方の壁で起こった。

明治 15 年(1882)の活動

文化 2 年以後 77 年間は全く噴煙を絶ち平穏であった。 当時水釜は清水を湛え魚虫が棲息し, 水際まで草木が生えており, 湯釜は北東部にやゝ青色で酸味を有する冷水を湛え, 南西部は乾涸し, やはり水際まで草木が生え, 空釜は全く水がなく中央の僅かな部分を除き樹木が茂っていた。 弓池は森林に囲まれ水も飲みうるほどであったという。 明治 15 年 7 月初め頃から山頂附近の地中に鳴動を感じ, 硫黄採掘の坑夫は怖れて下山した。 8 月 6 目午後 2 時頃遠雷のような音響とともに爆発した。 湯釜西方部を中心とし主要爆裂火口2個を初め, 多くの小爆裂火口を生じ, 附近に大きな岩塊を降らし, 泥土および火山灰を主として東方に飛散した。 湯釜の中央あたりに青黄色の硫黄をたえず噴き上げ小丘を作った。 活動はなお数日間続いた。 この活動以後, 水釜の水は酸味を帯び, 湯釜の水は温湯となり, 空釜には酸水を湛え, 弓池の水も酸味を有するようになった。 これまで繁茂していた山頂附近の樹木は噴き払われ, 遠い所のものは枯死した。

明治 30 年(1897)の活動

1 月以来たびたび鳴動があり, 6 月初旬から頻繁になった。 7 月 7 日午後からいっそう烈しくなり, 翌 8 日午前 4 時頃湯釜北東壁の一部が爆発し, 巨大な岩塊を抛出し附近数 100 m の範囲に降灰した。 1 時間後南西岸で再爆発し, 熱湯および泥土を約 150 m の高さに噴き上げ 3 時間続いた。 7 月 31 日午前 5 時に爆発し, 硫黄製煉所に降石し人夫 5 名が負傷した。 この爆発の中心は 湯釜から毒水沢に穿った硫黄採取用トンネルの南方約 60 m の水際で, 直径 10 m 内外の噴気孔が数ヵ所に生じ, 長さ約 10 m の割れ目を生じた。 8 月 2 日午前 2 時頃鳴動が盛んになり夜明け頃爆発し, 9 日午後 2 時半頃にも再爆発し 1 名が負傷した。 16 日まで鳴動および小爆発を繰返した。

明治 33 年(1900)10 月 1 日に小爆発があったが詳細は不明である。

明治 35 年(1902)の活動

7 月 15 日午後 4 時頃, 樹木で覆われた弓池北東岸が爆発し, 円錐形の爆裂火口を生じ水蒸気を噴き岩塊を飛散したが, 湯釜方面はきわめて静穏であった。 8 月 20 日同様の場所で小爆発があった。 9 月 4 日前記火口の外側に新たに1小爆裂火口を生じ, 万座温泉では約 3 cm の降灰があった。 9 月 17 日午後 1 時同様の場所で爆発し, 20 分間で黒煙および鳴動がやんだがかなりの降灰があった。 9 月 23 日および 24 日にも爆発があり, 12 月頃まで活動に消長を示しつつ次第に静穏になった。 この活動以前には弓池の水は飲用となったが, これ以後は弱酸性となり使用し得なくなった。

明治 38 年(1905)10 月にも爆発の記録があるが詳細は不明である。

大正 14 年(1925)の活動

1 月 22 日湯釜の北壁上部が爆発し, ほとんど直立の急崖に長さ 20 m, 幅 7 m の爆裂火口を生じ黒煙および岩塊を噴出した。 火山灰は南東方約 3 km の距離まで 10~20 cm の厚さに堆積した。

昭和 2 年(1927)の活動

12 月 29 日午前 7 時および 30 日午前 9 時に鳴動があり, 31 日午前 11 時になって爆発した。 湯釜北壁の下底に長さ 100 m に及ぶ大きな割れ目を生じ, 南東壁外側斜面にも大小の割れ目が多数生じ, 岩塊・火山灰・泥土またはガスを多量に噴出し, 湯釜内の水面は 14 m 低下した。

昭和 7 年(1932)の活動

10 月 1 日午後 2 時頃, 活動の前兆なく突如として湯釜北東壁に大小 10 余個の爆裂火口を群生した。 最南側のものが最大で径約 50 m の不正円形をなし, 割れ目は湯釜の南東壁を越えて外側に延び, 最長 500 m に達し全線に亘り各所に水蒸気およびガスが盛んに噴出した。 湯釜内の水は火山灰および硫黄華と混じて跳ね上り, 毒水沢に泥流として押出した。 硫黄採掘の人夫が降石のため 2 名死亡し, 7 名が負傷した。 4 日午後 2 時 30 分にふたゝび爆発し黒煙柱が昇り, 殺生河原方面に降灰があり夕刻まで続いた。 6 日午前 3 時頃黒煙上昇が認められ降灰が盛んであった。 8 日午前 6 時 40 分に小爆発があり, 14 日午前 3 時湯釜外側の割れ目に沿い径 2 m 内外の噴気孔を 7 個生じ, 猛烈な黒煙を上げた。 16 日から 27 日まで数回の小爆発と降灰とがあった。

昭和 14 年(1939)の活動

5 月 1 日未明爆発して, 長野原方面に多量の降灰があった。

I.4 浅間火山

浅間火山の主体は南隣の軽井沢図幅地域内にあり, この図幅地域内にはその噴出物の一部がみいだされるのみである。 いわゆる浅間高原の北端部に当り, 熱雲・泥流および浮石流等からなる広濶な台地を形成し, そのなかに深い峡谷が刻み込まれ幼年期地形を示す。 応桑泥流は応桑附近に分布し広い高原をなしており, 泥流の末端近くには比高 20 m 以下の流レ山(堆積丘)が多数点在し, 泥流地帯特有の景観を示している。 嬬恋浮石流は吾妻川右岸を広くかつ厚く覆い, さらに吾妻川に流入したもので, 現今は侵蝕作用のため相当削剝され, あるいは分断されていて, 河岸に臨み断崖をなしてよく露出している。 大笹熱雲は山腹を奔下し図幅地域南西端附近から吾妻川に流入し, 大前部落東端で停止していて, 堆積物上はほゞ平坦で大前・大笹両部落はこの上にある。 以上3火山噴出物の生成時期については記録が残っていない。 鎌原泥流は天明 3 年(1783)の活動に際し, 鬼押出の先駆として押出してきたもので, 応桑泥流と同様の流レ山地形がみられる。 この泥流は熊川・赤川等の支流はもちろん, 吾妻川にも入り中ノ条および渋川(図幅地域外)にも及んだと伝えられている。 しかし図幅には台地上の分布しか示してない。

図版 11 流レ山地形(応桑北方)

鎌原泥流に関する古文書の記事としては, 天明変異記に 「吾妻川巳の刻雨降らずして泥満せり。 是は浅間酷しく焼け地底より火気にて水を吸上げ, 焼けこぼれたるが如く火石硫黄突発し, 一旦は山焼破れ川の日向大前村へ1口, 鎌原村へ1口押出し2口一同になり嶮しき岩間を突破り云々」, 浅間記に 「浅間山煙り中に 20 丈斗り柱を立てたるが如く, 真黒なるを噴出すると間もなく直に鎌原の方へぶつかり, 鎌原を横へ三里余り押しひろがり云々」, 天明雑変記に 「押出す焼石と共に煮えながら鎌原七ヶ村へ押出す云々」 とある。

これは初めは熱雲として噴出したものであるが, その後2次的泥流となって裾野一帯に押し広がり, 大小の峡谷を埋没し丘陵地を残して吾妻川に流入したものである。 被害の最も甚だしかった鎌原部落においては総人口 597 名のうち, 8 割に当る 466 名が惨死し, 他は重傷を負い部落はほとんど全滅した。

I.5 基盤岩区域

図幅地域東半部の基盤岩区域においては海抜 1,000~1,500 m の山嶺が連亘し, おおむね壮年期の地形を云している。 基盤岩区域の構造を概観すると, 断層運動のため多くの地塊に分かれ, そしてこれらの地塊は主として熔岩からなっているため詳細は不明であるが, このなかに挾まれた火山砕屑岩の走向, 傾斜その他から判断すると, 図幅地域北縁の地塊はいずれも南方に傾動しており, その南部の松岩山を含む地塊はほとんど水平である。 さらにこれより南方一帯の多くの地塊は東方ほど深部の岩石が露われ, 西方ほど上位の岩石がみいだされるので, おゝむね西方に傾動しているものと思われる。 断層運動の行われた地質時代は明確ではないが, もちろん榛名・草津白根両火山の噴起以前であり, また必ずしも1回ではなく 須川上流の世立附近の断層のように暮坂熔岩に覆われるものがある。

吾妻川は基盤岩からなる山嶺を断層線に沿って横断し, 峡谷をつくり, 特に川原湯駅から下流の中組附近までを「吾妻峡谷」と称し, 絶壁を連ね碧水を深淵に湛え風景の美をもって聞えている。 断層が河川の流路を決定している例はこのほか図幅地域北縁の白砂川や, 中央部の蛇野川等でもみられる。 岩質が地形に著しく影響している例は, まず図幅地域東縁に近い有笠山およびその北西方山地においてみられ, こゝでは斜長流紋岩類の著しく珪化した岩体が突兀として聳えている。 また川原湯温泉附近においては, 風化作用に対し脆弱な燕熔岩が, 丸岩をはじめ須賀尾峠~燕峠間にみられる円頂または急崖をなす特異な山容を示し, あるいはまた王城凝灰角礫岩が吾妻川に面する側において, 凝灰角礫岩地域特有の峨々たる地形を示している。

図版 12 吾妻峡谷 (向う側に見えるコンクリート壁の下に鉄道線路が走る)

図幅地域北縁の大原においては, 厚い砂礫層が海抜 1,050~1,150 m の高所に広く台地状をなして堆積しており, この西方の小倉部落の周辺にも同様の堆積層が処々にみいだされ, その高さは 1,100 m 内外である。 草津温泉附近の白根浮石流からなる台地は 1,150 m 内外, 草軽電鉄前口駅附近の台地は 1,050 m 内外であり, 基盤岩区域において 暮坂牧場附近や高間山西麓附近には海抜 1,000 m 内外の平坦な地形が残っている。 これらを綜合して考えると, 草津白根火山の噴起に際し当時の低地は本火山噴出物のためほゞ平坦に埋められ, この高さが侵蝕基準面となり, 須川上流の各所に前記の砂礫層を堆積したものである。 須川沿岸の高所にも同様の砂礫層が残っており, 花敷附近では海抜 1,050 m であるが, 南方ほど低くなり長野原附近では 900 m であり, これらは下刻の際に取残されたものである。

往時吾妻川は 吾妻峡谷を東流することなく 基盤岩地域の西縁に沿い南下していたものと想像されるが, おそらく浅間火山の噴起のため堰止められて一時的に湖沼を形成し, 吾妻川沿岸でみられる吾妻粘土層を堆積したのである。 西隣の中ノ条図幅地域内から吾妻川の頭部侵蝕が, 基盤岩からなる山嶺を断層線に沿ってすゝみこれを横断したため, これから西側の水系は現今の長野原市街附近で集められ東流することとなり, 吾妻川沿岸には種々の高さの段丘面が随所にみいだされる。 前記山嶺の東側には海抜 700 m 内外の平坦地または台地が各所にみられる。 特に岩島村松谷附近が顕著であり, このほか 図幅地域北東隅の奥反下附近・ 蛇野川沿岸の大岩附近および図幅地域南東隅の坂上村大柏木附近等で見られ, この高さが前記山嶺以東の侵蝕基準面を示している。

II. 地質

II.1 概説

この図幅地域内で最も古い岩石は斜長流紋岩類で, 熔岩流と火山砕屑岩との互層からなり, 図幅地域北東部に広く分布し 吾妻川・須川沿岸にも処々みいだされる。 この岩石は局部的に2次的の珪化作用を受け, 堅緻な岩石となっている。 次いで変朽安山岩類の活動にはいったが, この岩石はほとんど熔岩流からなり, 火山砕屑岩はまれにしか挾まれていない。 そして図幅地域東半部の処々や, 図幅地域北西部に分布している。 その後, 上記両岩を貫ぬいて酸性深成岩類の迸入があった。 この図幅地域内には広範囲の露出はないが, 東縁に近く2ヵ所にみいだされ, 岩相の変化が著しい。 この図幅地域内には堆積岩類が分布していないので, 上記諸岩石の地質時代は明確には決められないが, 図幅地域外の他地方の地史と対比することにより新第三紀に属することは明らかである。

次いでふたゞび大規模な安山岩の活動にはいり, 最初現われたのが高井熔岩と暮坂熔岩で, 両者の岩質は酷似していておそらく同一のものであろう。 なお前者は西隣の須坂図幅や北西隣の中野図幅の地域内にも広く分布している。 引続いてその上に凡例に示した各種熔岩が次々に流出し, 当地方を厚く覆った。 これら諸熔岩の外観は必ずしも一様ではないが, 鏡下ではいずれもいわゆる輝石安山岩に属し, 両輝石安山岩が最も多く, まれに橄欖石あるいは外来結晶として石英を含んでいる。 その後, 当地方に大規模な断層運動が起こり, 上記諸岩石からなる地層は多くの地塊に分断せられ, かつ傾動した。 門貝層はこの頃に生じた堆積物と思われる。 以上諸岩石の地質時代については, これを正確に決定する材料がこの図幅地域内にないので, 一応新第三紀~更新世とし, 将来周辺地域の調査結果を待ちたい。

明らかに更新世にはいってから榛名火山・ 四阿 あづまや 火山および草津白根火山が次々と噴起し, これらは現今火山形態を留めており, いずれも輝石安山岩からなるが, 榛名火山には角閃安山岩をも産する。 榛名および四阿両火山はこの図幅地域内ではその一部がみいだされるに過ぎないが, 草津白根火山は図幅地域内の北西部を広く占め, 火山活動は現世にまで引続いている。 この火山の最初の噴出物である白根凝灰角礫岩は 主として東隣の須坂図幅地域内に分布し, この地域内では狭少な面積にしか現われていない。 その後厚い白根浮石流の流出があり広い面積を覆い, 第1次のカルデラが生成されたが, その後の火山活動のため現今では一部しかみられない。 山体の上半部は凡例に示した各種熔岩の重畳からなり, これら諸熔岩は本白根山頂の東方に開いた馬蹄形カルデラの形成を境として, 旧期熔岩と新期熔岩とに分けることができる。 有史以来活動しているのは白根山頂附近で その東方には現世の火山抛出物層が分布している。 この火山の熔岩は両耀石安山岩で まれに石英・黒雲母のような外来結晶を含んでいることがある。

当時, 吾妻川および須川は軽井沢方面に流れていたものと思われるが, 吾妻粘土層はおそらく浅間火山の噴起に伴ない河水が堰止められ, 一時的に湖水を生じた際の堆積物である。 その後吾妻川下流の頭部浸蝕が断層に沿って進んだために, 吾妻川は図幅地域東半部の基盤岩からなる山嶺を横断して東流することとなった。 吾妻川の本流および支流の沿岸の高所には高位段丘堆積層がみられる。 また全地域を通じローム層の堆積があった。 浅間火山噴出物は図幅地域南西部にみられ, 熱雲・泥流および浮石流からなり, 鎌原泥流は天明 3 年(1783)の生成である。 河川の流域には低位段丘堆積層および現世層がみられる。

II.2 斜長流紋岩類(R)

これは本図幅地域内では最も古い岩石であって, 図幅地域北東部から北縁中央部にかけて広く分布するほか, 吾妻川沿岸の川原湯温泉附近, その北東方の松谷附近および図幅地域中央部の沼尾附近等に, それぞれ小規摸に露出していて, 本岩類は変朽安山岩類に覆われている。 斜長流紋岩類は一般に熔岩流と同火山砕屑岩との互層からなり, 地質図上では両者を分けることは困難であるから一括して示してある。 普通にみられる熔岩は 灰青色石基中に長さ 1.2 mm 以下の微細な斜長石斑晶が密に散在しており, 有色鉱物斑晶は長さ 0.8 mm 以下であまり顕著ではない。 石英は径 1.8 mm 以下で通常は 1 mm 以下のものが多く, 少量でかつ点々とみいだされるに過ぎないが, まれに石英が大きくかつ多量に含まれることがあり, 白砂川沿岸では径 3 mm に達することがある。

これを鏡下に検すると, 一般に多少の変質を受けている。 比較的新鮮な岩石では斑晶の大部分は斜長石および石英で, 斜長石は曹灰長石に属し正長石は認められない。 有色鉱物の斑晶は少量で, かつ小さく, 変質のため原鉱物の推察が難しい場合が多い。 比較的新鮮な鉱物が認められる場合では 紫蘇輝石・普通輝石または角閃石のうち, 1~2 種からなり, 黒雲母またはその仮像を示すものはなかった。 石基はしばしば流状構造を示し微晶質であるが, これは脱ガラス作用によるものかも知れない。

火山砕屑岩は凝灰角礫岩を主とし, 全体が灰~灰青色を呈し, 粗鬆かつ脆弱で点々として石英粒がみいだされ, 層理は不明瞭である。 まれに変朽安山岩や黒色頁岩の角礫を包有することがある。

斜長流紋岩類は図幅地域の東縁中央部附近の有笠山から, 大岩およびその北方一帯にかけて, 大規模な珪化作用を受けており, 著しい箇所では一見珪岩のように全体が灰白色, 堅硬, 緻密な岩石となり, 原岩の組織は全く失われていて, 有笠山や大岩では突兀とした断崖を形成し奇観を示している。

奥反下北方に分布する岩石

図幅地域北東隅の奥反下北方に分布する岩石は, 熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなり, 熔岩は灰青色石基中に長さ 1.2 mm 以下の微細な斜長石斑晶が密に散在しており, 有色鉱物斑晶は径 0.8 mm 以下で, 肉眼ではあまり顕著ではない。 石英斑晶は径 2 mm 以下で少ない。

鏡下では斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石および石英からなり, 有色鉱物斑晶はすべて緑泥石や緑簾石等に変質しているので, 原鉱物の種類の推定は難かしいが, 普通輝石の結晶外形を示すものがある。 斜長石は柱状で破片状のものもあり, 曹灰長石に属し累帯構造は著しい。 清純のものもあるが 通常結晶の一部が曹長石・緑簾石・高陵土または方解石等に変わっている。 石英は破片状のものが多く円味を帯びている。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は微晶質であるが汚濁が甚だしく, 緑泥石・緑簾石・方解石または褐鉄鉱等を生じている。

細尾附近に分布する岩石

図幅地域東半中央部の細尾附近に分布する岩石は 熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなり, 熔岩は灰青色石基中に, 長さ 1.2 mm 以下の微細な斜長石斑晶が密に散在しており, 有色鉱物斑晶は長さ 0.8 mm 以下で肉眼ではあまり顕著ではなく, 石英斑晶は径 1.8 mm 以下で少ない。

鏡下では斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石および石英からなり, 有色鉱物は小さく, かつ少なく, 変質のため原鉱物の種類の推定は不能である。 斜長石は柱状で破片状または卓状のものもあり, 曹灰長石に属しおゝむね清純で累帯構造は著しい。 石英はやゝ円味を帯びあるいは破片状をなし清透である。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は微晶質で流状構造が認められる。

白砂川に沿い分布する岩石

図幅地域北縁の白砂川に沿って分布する岩石は, 熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなり, 熔岩は 灰褐色の石基中に長さ 1.2 mm 以下の斜長石斑晶が, 比較的密に散在していて, 石英は径 1.5 mm 以下で点々としてみいだされ, 有色鉱物斑晶は肉限では著しくない。

鏡下に検すると斑状組織が認められるが, 変質が甚だしいため石英斑晶のみが清透で残っているが, 斜長石斑晶はすべて微細な長石・石英の集合体に変わっており, 有色鉱物斑晶は全くみいだされない。 なお不定形の磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は微晶質である。

世立附近に分布する岩石

図幅地域北縁に近い世立附近に分布する岩石は, 熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなり, 熔岩は灰青色石基中に長さ 1.2 mm 以下の斜長石斑晶が密に散在しており, 有色鉱物の斑晶は顕著ではなく, 石英斑晶は通常径 1 mm 以下であるが, まれには径 3 mm に達する。

鏡下では斑状組織を呈し斑晶は斜長石・石英および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で破片状のものも認められ, 曹灰長石に属し清純で累帯構造は著しい。 石英は自形のものもあるが, 破片状または著しい融蝕されたものもみいだされ清透である。 普通輝石は長さ 1.2 mm 以下の小形で, かつ少なく, 淡緑色で多色性に乏しく劈開がよく発達している。 他に仮像をなす緑泥石があるが, 結晶外形から察すると原鉱物は普通輝石らしい。 有色鉱物の微斑晶はすべて普通輝石である。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は隠微晶貿でやゝ流状構造が認められる。

長平附近に分布する岩石

図幅地域北縁に近い長平附近に分布する岩石は, 他地域の岩石とはやゝ外観を異にし, 熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなる。 凝灰角礫岩は無層理, 塊状で全体として灰緑色を呈し, 胡桃大以下の角礫に富んでいる。 熔岩はやゝ堅硬で板状節理が発達し, 灰紫色石基中に斜長石斑晶が著しく散在していて, また緑泥石および石英が点々とみいだされる。

鏡下に検すると斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石・石英・角閃石・普通輝石等からなり有色鉱物は小さい。 そのほか緑泥石が認められる。 斜長石は汚濁が甚だしく双晶や累帯構造は不明瞭となり, 曹長石・高陵土等に変わっている。 石英は清透で破片状かまたは甚だしく円くなっている。 角閃石は緑色角閃石に属する。 普通輝石は新鮮なものは少ないが, 新鮮なものは淡緑色でやゝ多色性が認められる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は著しい流状構造が認められ微晶質である。

松谷附近に分布する岩石

図幅地域東縁に近い松谷附近に分布する岩石はほとんど熔岩のみからなっているが, 脱色作用のため全体が灰白色となり, 個々の斑晶は判別し難く, 径 1.5 mm 以下の石英粒が点々としてみいだされるのみである。

川原湯温泉附近に分布する岩石

吾妻川を挾んで2ヵ所に分布していて, これらの岩相は他地域のものとやゝ異なっている。 南岸に分布するものは熔岩のみで, 火山砕屑岩を全く挾んでいないが, 北岸に分布するものは拳大以下の斜長流紋岩角礫を含んだ凝灰角礫岩を挾んでいる。 全体がやゝ堅硬, 緻密で灰褐色の石基中に長さ 2.5 mm 以下の斜長石斑晶が, 比較的密に散在しており, 石英は径1.5mm以下で, かつ少なく, 有色鉱物は肉眼では顕著ではない。

鏡下では斑状組織が認められ 斑晶は斜長石・石英・紫蘇輝石および角閃石からなり, 有色鉱物は小さく, かつ少ない。 斜長石は柱状であるが破片状のものもあり, 曹灰長石に属しおゝむね清純で累帯構造が著しい。 石英は著しく円味を帯びており清透である。 紫蘇輝石は長さ 0.7 mm 以下の柱状を示し, 淡緑色で多色性は著しくない。 角閃石は長さ 0.7 mm 以下の柱状で緑色角閃石に属し, 淡緑~黄緑色の多色性を示し, 黒色オパサイト縁を有する。 また有色鉱物の仮像をなす緑泥石がみいだされることがある。 磁鉄鉱の微斑晶が点在してみいだされる。

石基は微晶質である。

II.3 変朽安山岩類(Pr)

変朽安山岩類は図幅地域東半部の各所, すなわち図幅地域東縁中央部附近, 須川沿岸の見寄附近および図幅地域北東隅附近等に分布し, また図幅地域北西隅にもみいだされる。 斜長流紋岩類の上にのり, 酸性深成岩類によって貫ぬかれ, 暮坂熔岩または高井熔岩によって覆われている。 上記各所にみいだされる諸岩石は必ずしも一様の岩相ではないが, おそらく同時期のものと推定される。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, まれに石英を伴ない微斑晶として磁鉄鉱がみいだされる。 斜長石は結晶外形は保たれているが, 劈開や割れ目に沿って変質作用がすゝみ, 曹長石・絹雲母および緑簾石等の2次鉱物を生じ, 全体が汚濁し双晶や累帯構造等もみられないことが多い。 紫蘇輝石や普通輝石も緑泥石化が甚だしく, 一部には緑簾石や方解石を生じ, 結晶外形により漸く原鉱物が推察されるにすぎないが, 普通輝石はまれに一部分新鮮なものが残っていることがある。 石基は著しく汚濁し多くの微小な2次鉱物を生じているが, 安山岩の石基の組織を残していることがある。

図幅地域東縁中央部附近とその北方の奥反下附近に分布する岩石

厚い熔岩流からなり火山砕屑岩はほとんど挾まれていない。 普通にみられる岩石は 暗青色石基中に長さ 1.3 mm 以下の斜長石斑晶が比較的密に散在していて, 有色鉱物斑晶は肉眼では目立たない。 この岩石は変朽の程度が必ずしも一様ではなく, 特に著しい箇所が局部的にみいだされ, これはやゝ淡色となり灰緑色石基中に斜長石斑晶が比較的密に散在し, 長さ 1 mm 以下の緑黒色斑晶が点在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は結晶外形は保たれており, まれにみられるやゝ新鮮な岩石では累帯構造や双晶が認められるが, 多くは割れ目および劈開から変質がすゝみ, 甚だしい場合では全体が著しく汚濁し, 曹長石・絹雲母・緑簾石等の2次鉱物に変わっている。 紫蘇輝石や普通輝石も緑泥石化が著しく, 一部は 緑簾石または方解石となり結晶外形によって原鉱物が推定されるのみであるが, やゝ新鮮な岩石では普通輝石が変質せずに残っていることがある。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は著しく汚濁しており, まれに柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石が認められることがあるが, 通常は磁鉄鉱・緑泥石・緑簾石・曹長石・絹雲母および方解石等の集合からなる。

なお吾妻川畔の上組部落から北西方の谷を直距約 400~500 m はいった沢の底に, 火山円礫岩が露われている。 これは人頭大以下のよく水磨された変朽安山岩の円礫の集積からなる。

見寄附近に分布する岩石

須川沿岸の見寄附近に分布する岩石は前記の岩石とは著しい相違がなく, 主として熔岩流からなり, 火山砕屑岩はほとんど挾んでいない。 北方に分布するものは径 20~40 cm の柱状節理が著しく発達している。 一般に変朽は著しくなく, 緻密で灰緑黒色石基中に長さ 1 mm 以下の斜長石斑晶が顕著に散在しており, 有色鉱物斑晶はほとんど認められない。

鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状を呈し双晶は認められるが, 割れ目に沿って変質がすゝみ 曹長石・緑簾石・絹雲母およびその他の2次鉱物が生成している。 紫蘇輝石および普通輝石は甚だしく緑泥石化し, 結晶外形によって漸く原鉱物を判別しうるが, まれに普通輝石の新鮮なものも認められる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は著しく汚濁し柝木状の斜長石・粒状の単斜輝石がまれに認められ, 通常は 磁鉄鉱・緑泥石・緑簾石・曹長石・方解石その他種々の2次鉱物の微細な集合からなる。

図幅地域北東隅附近に分布する岩石

主として熔岩流からなる。 熔岩は前2者とはやゝ外観を異にし, 灰青緑色石基中に長さ 1.3 mm 以下の斜長石斑晶が顕著に, かつ密に散在していて, 有色鉱物斑晶は長さ 1 mm 以下で少なく, かつ著しくない。

この岩石は変質し易く 風化作用または鉱化作用によって容易に淡色となり, 一見斜長流紋岩と誤り易い外観を呈する。 六合村との境界にある 1,340.6 m 高地から北東方約 1.7 km にある滝 (地形図には記載がない)の附近では硫化鉄鉱の鉱染が著しく, また黄銅鉱の微粒が点々としてみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で双晶や累帯構造はおゝむね認められるが, 劈開や割れ目に沿って変質がすゝみ 曹長石・緑簾石または絹雲母等の2次鉱物を生じている。 紫蘇輝石および普通輝石はともに柱状で, 結晶外形は保たれているが緑泥石化は著しい。 また磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は汚濁が甚だしく時には柝木状の斜長石が流状構造を示すことがあるが, 通常は曹長石・絹雲母・緑泥石・緑簾石・磁鉄鉱等の粒状集合からなる。

図幅地域北西隅に分布する岩石

この図幅地域内の分布は狭いが, 西隣の須坂図幅地域内に連続し, 広い範囲に分布している。 この図幅地域内では肉眼ではかなり新鮮で, 灰緑黒色石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石および輝石斑晶が比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり石英を伴なう。 斜長石は柱状を示し 双晶や累帯構造が認められ変質は著しくないが, 割れ目に沿って緑簾石・絹雲母または方解石等に変わっている。 紫蘇輝石および普通輝石はいずれも緑泥石化が甚だしく, 一部分は緑簾石または方解石に変わっており, 結晶外形はほとんど失なわれている。 まれに周辺および割れ目に沿い緑泥石化され, 中央に新鮮な部分を残している普通輝石がみいだされる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散在してみいだされ, 石英は著しく融蝕されている。

石基は著しく汚濁し 緑泥石・緑簾石・方解石・磁鉄鉱・長石および石英等の粒状集合からなる。

II.4 酸性深成岩類(P)

図幅地域北東隅の奥反下附近と, 図幅地域東縁中央部の中組附近との2ヵ所に分布していて, 斜長流紋岩類および変朽安山岩類を貫ぬいている。 両岩体とも岩相の変化が著しく, 奥反下附近に分布するものは主として石英玢岩からなり, 部分的に石英閃緑岩がみいだされる。 石英玢岩は酸性岩漿迸入の先駆として露われ, あるいは酸性深成岩体の周縁相をなすもので, 野外において観祭すると石英玢岩が石英閃緑岩に漸移することもあり, また明瞭な境界を示すこともある。 後の場合では 石英閃緑岩が石英玢岩中に岩脈のような判然とした形態ではなく, 全くアメーバ状の不定形ではいり込んでいるのが認められる。 既存岩石に対する接触変質は著しくなく, 酸性深成岩体に接し幅 2~3 m のホーンフェルス帯がみられる。

中組附近に分布するものは吾妻川に臨んだ山腹に広く露出し, また吾妻川の河岸に沿って露われ, 一般に硫化鉄鉱の鉱染, 脱色作用, 粘土化作用または緑泥石化作用等が著しく, 新鮮な部分は少ない。 岩体は主として花崗斑岩からなり, 周縁相である石英斑岩は既存岩石に接する附近に小規模にみいだされ, 既存岩石には顕著な接触変質が与えられている。 しかしこの岩体の西方に進むに従いほとんど石英斑岩のみからなり, 接触変質作用も著しくないようになる。

ホーンフェルス化作用を受けた変朽安山岩は全体が紫黒色を呈する堅硬, 緻密な岩石で, 個々の鉱物は肉眼では明らかではない。 鏡下に検すると原岩たる変朽安山岩の組織および造岩鉱物等は, 接触変質作用によってほとんど影響されず, 割れ目に沿って陽起石や黒雲母等を生じているにとゞまる。

石英閃緑岩

中粒, 完晶質で堅硬な岩石である。 鏡下に検すると完晶質ではあるが, 必ずしも等粒状ではなく, 長さ 0.6~2 mm の比較的大きい斜長石が自形をなして点在し, 他の部分は長さ 0.6 mm 以下の斜長石・角閃石・黒雲母および石英からなり, 正長石・ウラル石および磁鉄鉱等を伴なっている。 斜長石は卓状または柱状で曹灰長石に属するが, 結晶の縁辺部が中性長石のものが多い。 おゝむね清純で結晶の中央から外縁へ著しい反覆累帯構造を示す。 角閃石は柱状で緑色角閃石に属し, 淡黄緑~緑色の弱い多色性を示し, 緑泥石化または緑簾石化が著しい。 黒雲母は板状で淡黄~濃褐色の著しい多色性を示し, 結晶の一部または全部が緑泥石化している。 石英は清透で他鉱物を充塡してみいだされる。 正長石は斜長石の縁辺または他鉱物の間を充塡してみいだされる。 普通輝石は淡緑色でしばしば緑泥石化またはウラル石化している。 ウラル石は淡緑色で繊維状である。 磁鉄鉱は4角形または不定形を示す。

石英玢岩

この岩石は灰緑青色を示し細粒, 完晶質で個々の鉱物は肉眼では判別できない。

鏡下では完晶質で斑状組織が認められ, 斑晶は斜長石および角閃石からなる。 斜長石は長さ 0.3~1.5 mm の柱状または卓状を示し, おゝむね曹灰長石に属し累帯構造は著しい。 角閃石は長さ 0.2~0.6 mmの 柱状で緑色角閃石に属する。

石基は微晶質で 斜長石・角閃石・ウラル石・正長石・石英・磁鉄鉱, および緑泥石・緑簾石のような2次鉱物等からなり, 各鉱物は長さ 0.15 mm 以下である。

花崗斑岩

この岩石は全体が灰緑青色を呈し, 完晶質で構成鉱物は径 1 mm 以下である。

鏡下に検すると完晶質であるがやゝ斑状組織が認められ, 長さ 0.5~1.5 mm の斜長石, および長さ 0.5~1.2 mm の角閃石・ウラル石がそれぞれ自形を示して点在し, これらを塡めて 長さ 0.05~0.5 mm の 斜長石・角閃石・ウラル石・黒雲母・正長石および石英が認められる。 斜長石は柱状または卓状を示し, 曹灰長石~中性長石に属しおゝむね清純で, 著しい累帯構造を示す。 角閃石は緑色角閃石に属し, 淡黄緑~淡緑色の多色性がみられる。 ウラル石は淡緑色で繊維状である。 黒雲母は板状で淡黄~濃褐色の著しい多色性を有する。 正長石は斜長石の縁辺や他鉱物の間を塡めてみいだされる。 石英は半自形または他形で清透である。

石英斑岩

この岩石は全体が灰緑青色を示し, 斑状組織が認められ斑晶は長さ 1.5 mm 以下である。

鏡下では斑状組織を示し 斑晶は斜長石・正長石・石英および角閃石からなる。 斜長石は長さ 0.5~1.2 mm の柱状を示し, 中性長石に近い曹灰長石に属し, おゝむね清純で累帯構造が著しい。 正長石は長さ 0.5~1 mm の柱状であるが 新鮮のものは少なく, 一部は高陵土・絹雲母等に変わっている。 石英は径 0.4~1 mm で著しく円味を帯び清透である。 角閃石は長さ 0.5~1 mm の柱状を示すが, 新鮮なものはなく, 緑泥石・緑簾石等の集合に変わっていて, 結晶外形によって原鉱物を推定しうるにとゞまる。

石基は完晶質であるがやゝ汚濁し, 長石・石英・磁鉄鉱・緑泥石および緑簾石等の集合からなる。

II.5 新第三紀~更新世火山岩類

本図幅地域内でみられる諸火山岩のうち, 草津白根火山・浅間火山・四阿火山および榛名火山のように 火山形態を留めている諸火山の熔岩, および地質学的に明らかに新第三系に属すると考えられる諸熔岩を除き, 火山形態を全く, あるいはほとんど失っている諸熔岩を一括して新第三紀~更新世火山岩類とした。 すなわち高井熔岩・暮坂熔岩・ 洞口 ほらぐち 熔岩・ つばくろ 熔岩・ 万騎 ばんき 熔岩・ 菅峯 かんぽう 熔岩・王城凝灰角礫岩・高間熔岩・ 生須 なます 熔岩・ 世立 よだて 熔岩・松岩熔岩および横手山熔岩である。 これら諸熔岩のうち, 最下部にあって新第三系の上に直接載っているのは高井熔岩および暮坂熔岩である。 両熔岩はともに真黒色, 緻密, 堅硬であって岩質が著しく類似していて, これらの上に載る諸熔岩とは明瞭に区別しうる。 暮坂熔岩は図幅地域東半部に広く分布している。 高井熔岩はこの図幅地域内では北西隅に小範囲に分布しているが, 西隣および北西隣の須坂・中野両図幅地域に連続して延び, 長野県上高井郡および下高井郡に広く分布しているので, この名称がおこり, また古くから用いられている。 暮坂熔岩はおそらく高井熔岩の延長に当り, 同じものと考えてさしつかえないであろう。 両熔岩は石英含有両輝石安山岩に属し, 野外において 局部的ではあるが所により 一見変朽安山岩と見なされる程度に変質されていることがあり, 鏡下においてもほとんど常に緑泥石化がすゝんでいる。 岩石の変質作用の程度においても, これら両熔岩とその上に載る諸熔岩とはやゝ時期的に異なるものと考えられる。 両熔岩の上に載る諸熔岩は肉眼的には種々の岩相のものが含まれているが, いずれも輝石安山岩に属し, しばしば橄欖石および石英を伴ない, 噴出後に起こった断層運動の影響を受けている。

前述のようにこれら熔岩の正確な地質時代については, これを決定する材料がないので一応新第三紀~更新世火山岩類として一括したが, 周辺地域の調査結果を待ってさらに検討したい。

II.5.1 高井熔岩(石英含有両輝石安山岩)TK 26)

これは図幅地域北西隅に分布し, 変朽安山岩の上に載り, 横手熔岩および草津白根火山諸噴出物によって覆われている。 この熔岩は 西隣の須坂図幅および北西方に隣接する中野図幅の諸地域に連続して広く分布している。 熔岩流と火山砕屑岩との互層からなり, 万座温泉附近およびその北方の横手山鉱山附近では 広い面積に亘り著しく変質していて, 脱色作用にとゞまらず, 所によっては著しく粘土化しており, また珪化や明礬石化もみられる。

この岩石は全体が黒色を呈し, 堅硬, 緻密で, 個々の斑晶は肉眼ではあまり顕著ではないが, 長さ 2 mm 以下の斑晶が不明瞭に点在している。 鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, まれに石英を伴なっている。 斜長石は曹灰長石に属し柱状または卓状であるが, 破片状のものもみいだされる。 一般に清純であり包有物に乏しいが, まれにガラスや塵状包有物を含む。 累帯構造は概して著しくない。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色を示し多色性は顕著ではない。 時に割れ目に沿って緑泥石化している。 普通輝石は柱状で淡緑色を示しやゝ緑泥石化しており, (100) 双晶をなすものがある。 両輝石はともに包有物に乏しく, しばしば両者が平行連晶をなしてみいだされる。 石英は清透で著しく融蝕を受けている。 なお4角形または不定形の磁鉄鉱の微斑晶が散在している。

石基はガラス基流晶質で淡褐色ガラスに富み, そのなかに柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および粒状の磁鉄鉱が散在している。

II.5.2 暮坂熔岩(石英含有両輝石安山岩)RS

この熔岩は図幅地域東半部に広く分布し, 斜長流紋岩類および変朽安山岩類を覆っている。 厚い熔岩流が広く分布することもあるが, 通常は火山砕屑岩に富んでいて熔岩流と火山砕屑岩との互層からなる。 このことは図幅地域北縁中央に近い小倉部落北方および北西方の沢や, 図幅地域東半部のほゞ中央の暮坂峠附近および その北方の白砂川沿岸等でよく認められる。 火山砕屑岩は凝灰角礫岩または凝灰岩で, 灰緑黒~濃緑色を呈するが容易に風化して紫黒色となり, 塊状でやゝ層理が認められ粗鬆であり, 通常胡桃大(まれに拳大)以下の各種安山岩角礫を含んでいる。 火山砕屑岩の層理から判断すると 図幅地域北縁中央に近い地塊はほゞ東西の走向で常に南方に傾斜しているが, 暮坂峠から松岩山にかけて分布するものはほとんど水平である。 熔岩の方は肉眼では真黒色新鮮のように見える場合でも鏡下では多少変質している。 野外においても局部的に著しく変質していて, これより下位の変朽安山岩類と誤って判断する場合が少なくないが, この変質作用は広範囲に亘ることはない。 この岩石は堅硬, 緻密で個々の斑晶はほとんど認められないが, よく注意すると斑状組織が認められ, 斑晶はおゝむね 1.2 mm 以下である。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, これらの結晶外形はいずれもはっきりしていて, まれに石英を伴なう。 斜長石は柱状または破片状を呈し曹灰長石に属し, 累帯構造は著しい。 結晶の一部または全部に亘り虫食構造が発達している。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色を示し多色性は顕著ではなく, 普通輝石は柱状で (100) 双晶が認められ淡緑色を示す。 両輝石はともに磁鉄鉱および斜長石等を包有している。 石英は破片状かまたは著しく融蝕され円くなっている。 著しく変質を受けた岩石では 斜長石は曹長石・絹雲母または高陵土等に変わり, 有色鉱物は割れ目に沿い緑泥石化がすゝんでいる。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状で緑泥石化のすゝんだ単斜・斜方両輝石および微細な磁鉄鉱等からなる。

II.5.3 洞口 ほらぐち 熔岩(石英含有両輝石安山岩)HG

この溶岩は図幅地域のほゞ中央部の長野原町洞口部落附近に分布し, 白根浮石流に覆われている。 白根浮石流以外の岩石との関係が不明であり, あるいは草津白根火山の噴出物とも考えられるが, 東方になるほど一様に低く傾斜している白根浮石流中に本熔岩が聳えていることや, この岩石が新鮮でなくかつ世立熔岩に酷似した岩質を有する点などから考え, 図幅地域東半部に広く分布している新第三紀~更新世火山岩類と同時期のものとした。 この熔岩は 暗青色石基中に 長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶および長さ 1 mm 以下の輝石斑晶が散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, まれに石英を伴なう。 斜長石は曹灰長石に属し, 清純でしばしばガラス・輝石または磁鉄鉱の微粒を含むことがある。 累帯構造が著しく, 縁辺ほど An に乏しく顕著な外套に包まれているものがある。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色を示し, 普通輝石は柱状で (100) 双晶が見られ, 淡緑色を呈し, まれに反覆累帯構造をなすものがある。 また普通輝石と紫蘇輝石とが平行連晶をなすものがしばしばみいだされる。 石英は清透で融蝕を受け円くなっている。 なお 紫蘇輝石・普通輝石・斜長石・磁鉄鉱およびガラスからなる聚斑状集合が まれでなく認められる。

石基は 毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および 磁鉄鉱等からなる。

II.5.4 つばくろ 熔岩(両輝石安山岩)TB

この熔岩は少量の火山砕屑岩を挾んでおり, 川原湯温泉から南方一帯に広く分布し暮坂熔岩を覆い, 万騎熔岩に覆われている。 この熔岩はやゝ粗鬆で風化し易く, そのため丸岩のような瘤状の山頂や, 須賀尾峠から燕峠に至る山稜のように屏風状に絶壁を連ねた特異な山容をなし, 奇景を呈している。 節理を示さず一般に淡色で淡緑色石基中に 長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が密に散在し, 輝石斑晶は長さ 1 mm 以下で少ない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, いずれも結晶外形ははっきりしている。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し累帯構造は著しく, 結晶の割れ目に沿ってガラス化が進んでおり, しばしば磁鉄鉱・輝石またはガラス等を包有している。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡緑褐色の多色性が認められ, 普通輝石は柱状で淡緑色を示す。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織を示し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, 微小な孔隙中に方珪石や鱗珪石が生成しているのが認められる。

II.5.3 万騎 ばんき 熔岩(橄欖石石英含有両輝石安山岩)BN

この熔岩は長野原駅南方に分布し, 燕熔岩を覆い菅峯熔岩によって覆われている。 板状節理がよく発達していて, 暗青色石基中に長さ 1 mm 以下の微細な斜長石斑晶が比較的密に, かつ顕著に散在しており, 輝石斑晶は長さ 0.8 mm 以下であまり目立たない。

鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 少量の橄欖石と石英とを伴なっている。 斜長石は長柱状または柱状で亜灰長石に属し累帯構造は著しくなく, しばしば磁鉄鉱・ガラスまたは輝石等を包有している。 また結晶の割れ目に沿いガラス化しているのがみいだされる。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色の多色性を示し, まれに外縁に沿い単斜輝石の微粒を有する。 普通輝石は柱状であるがやゝ円味を帯び淡緑色を呈する。 橄欖石は単独では存在せず 不定形の磁鉄鉱および斑晶紫蘇輝石により包囲されており, 石英は清透で著しく円味を帯びている。

石基は毛氈状組織を示し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜輝石等からなり微細な磁鉄鉱粒が一面に撒布されている。 また小孔隙中に方珪石および鱗珪石の生成が認められる。

II.5.6 菅峯 かんぽう 熔岩(両輝石安山岩)MP

この熔岩は長野原駅南方に聳える菅峯の山頂を形成し, 厚い熔岩流からなり, 山頂には緩傾斜の熔岩台地地形が残っている。 節理をほとんど示すことなく円味を帯びて風化する。 緻密な岩石で 灰青色の石基中に 長さ 1 mm 以下の微細な斜長石および輝石斑晶が比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状でほとんど一様の化学成分からなり曹灰長石に属するが, 外縁部には著しい累帯構造が認められる。 なお多くのガラスを包有している。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡緑渇色の著しい多色性を示し, 貫入双晶をなすものがある。 普通輝石は柱状で (100) 双晶が認められ淡緑色を示す。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織を示し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, まれにこれらの鉱物を石英が斑点状に充塡している。

II.5.7 王城凝灰角礫岩(OJ)

この岩石は 図幅地域東半部の中央からほゞ南方にある王城山から長野原市街附近にかけて, 広い面積に分布しており, その厚さは 500 m に達し 吾妻川および須川の沿岸では絶壁をなして露出していて, 川原湯駅北西方, 王城山附近や長野原駅北方等の山地では断崖を示しているが, 高間山西方では高原状の緩やかな地形をなし農耕地となっている。 この岩石は安山岩角礫が灰白色粗鬆な火山灰で凝結されたもので, 角礫は拳大以下でまれには四斗樽大のものがあり大きさは一様ではない。 変朽安山岩および暮坂熔岩を覆い, 万騎熔岩・高間熔岩および草津白根・浅間両火山噴出物等によって覆われている。

凝灰角礫岩中に挾まれた熔岩流が 長野原市街西方および北方の2ヵ所でみいだされる。 いずれも両輝石安山岩に属し, 肉眼では全体が暗青緑色を呈し 緻密で個々の斑晶はあまり明らかではないが, よく注意すると長さ 1 mm 以下の斜長石の白色斑晶, および輝石の黒色斑晶が比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状または長柱状で亜灰長石に属し, 累帯構造は著しくガラスを多く包有している。 紫蘇輝石は長柱状でまれに単斜輝石の微粒からなる反応縁で包まれており, 淡緑~淡褐緑色の多色性を示す。 普通輝石は柱状で (100) 双晶を示し淡緑色である。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散点している。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 微細な磁鉄鉱粒が一面に撒布されている。

この凝灰角礫岩の南西部は 菅峯~須賀尾峠間を NW - SE に通ずる断層によって分断され, 吾妻川および熊川に沿ってよく露出している。 この附近でみられる岩石は 人頭大以下の安山岩岩塊・火山礫および 火山灰等の火山砕屑物が雑然と堆積したもので, 全体として暗赤褐色を示し淘汰は不良であるが成層していることがあり, まれに厚さ 1 m 以下の火山砂を挾んでいる。 層理はほとんど水平であるが所により西方に 5°内外傾斜している。 これは王城凝灰角礫岩層の一部が水中で堆積したものであろう。

II.5.8 高間熔岩(両輝石安山岩)TM

この熔岩は図幅地域東半中央部を占める高間山を形成し, 王城凝灰角礫岩の上位に分布している。 暗青色緻密な石基中に 長さ 5 mm 以下の大小種々の斜長石斑晶と, 長さ 1 mm 以下の輝石斑晶とが比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し, やゝ汚濁し累帯構造は著しくない。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の著しい累帯構造を示す。 普通輝石は柱状で淡緑色を示しやゝ多色性が認められ, 磁鉄鉱および斜長石を著しく包有するものがある。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなる。

II.5.9 生須 なます 熔岩(橄欖石両輝石安山岩)NM

これは須川沿岸の生須部落北東方の山稜を形成し暮坂熔岩の上に載っている。 暗青色石基中に 長さ 2.8 mm 以下の斜長石斑晶, および長さ 2.0 mm 以下の輝石斑晶が顕著に散在している。

鏡下では斜長石・橄欖石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 橄橄石は両輝石に比較しやゝ少量である。 斜長石は柱状で曹灰長石と亜灰長石との中間の化学成分を有し, 結晶の中核から外方へ著しい反覆累帯構造がみいだされ, 普通輝石・磁鉄鉱またはガラス等の包有物が多い。 紫蘇輝石は柱状で淡緑~淡緑褐色の多色性が認められる。 普通輝石は柱状で常に (100) 双晶が認められ淡緑色を示す。

橄欖石は短柱状で淡灰色を示し都分的にイディングス石化しており, 通常は単独で存在するが, 磁鉄鉱および斑晶紫蘇輝石に包囲されてみいだされることもある。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織を示し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, 不均質で処々に石英を充塡部とする球状部が見られる。

II.5.10 世立 よだて 熔岩(石英含有両輝石安山岩)YD

これは図幅地域東半北部の松岩山西部に分布し, 暮坂熔岩の上に載り松岩熔岩によって覆われている。 暗青色石基中に 長さ 1~3 mm の比較的大きい斜長石斑晶が顕著に点在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では目立たない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, まれに石英を伴なう。 両輝石は長さ 2 mm に達するものがあるが一般に小さく, 長さ 0.5 mm 以下のものが多い。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し反覆累帯構造は著しい。 新鮮なものは少なく, 部分的に緑簾石・高陵土その他の鉱物に変わっている。 紫蘇輝石は長柱状をなし淡緑~淡褐緑色の多色性が見られる。 普通輝石は柱状をなし (100) 双晶が認められ淡緑色を呈する。 両輝石は通常縁辺あるいは割れ目に沿って緑泥石化している。 石英は甚だしく融蝕されて円味を帯び石基部が深く彎入している。 なお 紫蘇輝石・普通輝石・斜長石および磁鉄鉱等からなる聚斑状集合がまれにみいだされる。

石基は 毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, 石英を充塡部とする球状体が点在している。

II.5.11 松岩熔岩(両輝石安山岩)MT

この熔岩は図幅地域東半部の北縁に近い松岩山山頂附近に分布している。 風化作用を受け易く, 暗青色石基中に やゝ灰褐色を帯びた長さ 1 mm 以下の斜長石斑晶が比較的顕著に, かつ密に散在しており, 輝石斑晶は長さ 1.2 mm 以下で少ない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で曹灰長石~亜灰長石に属し, 著しい反覆累帯構造が認められ, ガラス・輝石その他の鉱物を多数包有している。 紫蘇輝石は長柱状で淡禄~淡褐緑色の多色性を有する。 普通輝石は柱状で (100) 双晶をなし, 淡緑色でやゝ多色性が認められ, まれに反覆累帯構造を示すものがある。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石, および4角形または不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.5.12 横手山熔岩(石英含有橄欖石両輝石安山岩)YK

この熔岩は草津白根火山北方一帯に, 高井熔岩および暮坂熔岩を覆ってかなり広い面積に分布しており, 白根火山諸噴出物および高位段丘堆積層によって覆われている。 この熔岩の分布範囲の断面をみると, 東西方向では県境を中央として著しく非対称であり, 西側では急傾斜であるのに反し東側は緩く分布が広い。 笠岳(図幅地域外)から 横手山山頂・渋峠・山田峠・万座山山頂・万座峠(図幅地域外)を経て 黒湯山山頂(図幅地域外)に至る山稜附近の地形を考察すると, この山稜は西方に開く馬蹄形を示し, 内部の水は集められ松川となって排出され, その内壁は急であるのに反し, 外方は著しく緩傾斜である。 しかもこの内部には横手山鉱山の硫黄鉱床があり, また黒湯山山頂近くの爆裂火口中にも硫黄鉱床があり, かつて探鉱され, また硫気および熱水作用による大規模な変質箇処が多いので, あるいはこの地形は開析されたカルデラ地形を示すものかと想像される。 したがって 横手山熔岩や高井熔岩はこのカルデラに関係ある噴山物かも知れないが 確証はない。

この熔岩の斑晶は比較的大きく 長さ 2.5 mm 以下の斜長石, および長さ 1.2 mm 以下の輝石のそれぞれの斑晶が, 青黒色石基中に顕著に散在している。 鏡下では斜長石・橄欖石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 結晶外形はいずれもはっきりしている。 まれに著しく融蝕された石英を伴なっている。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し, 累帯構造は著しく清純で輝石・磁鉄鉱またはガラス等を包有している。 橄欖石は短柱状で最大の長さ 2.5 mm に達し, 淡緑色で変質は認められない。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色で多色性は著しい。 普通輝石は長柱状のものが多く淡緑色で弱い多色性が認められる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石, および微細な不定形の磁鉄鉱等からなり, 石英を充塡部とする球状体が点在している。

II.6 岩脈(d)

この図幅地域内には白根浮石流を貫ぬくもの以外に 9 本の岩脈がみいだされる。 これらの貫入時期は確実ではなく必ずしも同時期ではないかも知れないが, 便宜上一括して説明する。 9 本のうち 7 本が変朽安山岩であり, 2 本が両輝石安山岩である。

長野原町上湯原部落南西方にみいだされる岩脈(変朽安山岩)

この岩脈は燕熔岩を貫ぬき, 山腹に約 600 m 連続して屏風状に走り, 走向 N 10°W, 傾斜は不明であるが幅は少なくとも 30 m ある。 この岩石は全体が真黒色で堅緻であり, 個々の斑晶は肉眼では明らかではない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は長さ 0.8 mm 以下の柱状を示しおゝむね清純である。 両輝石は長さ 1.2 mm 以下で縁辺および割れ目に沿い緑泥石化がすゝんでいる。 石基はセリエート組織を示し, 毛氈状で頗る汚濁しており, 柝木状の斜長石, 柱状の単斜・斜方両輝石, 輝石の仮像をなす緑泥石および磁鉄鉱等からなる。

長野原町川原畑部落西方にみいだされる2本の岩脈のうち, 東方のもの(変朽安山岩)

吾妻川に臨み県道際に2本の岩脈が露出しており, 東方のものは「昇竜」, 西方のものは「臥竜」と称せられ, 昭和 9 年 12 月 28 日文部省から天然記念物として指定された。 いずれも変朽安山岩を貫ぬいている。 題目の岩脈は「昇竜」で, 幅 3 m 内外あり, 走向 N 10°W, 傾斜 75°E である。 全体が黒色, 緻密で斑状組織は明らかではないが, よく注意すると長さ 1 mm 以下の斜長石および輝石斑晶が散在しているのが認められる。

図版 13 岩脈「昇竜」

鏡下に検すると石基部に較べ斑晶が頗る多く, 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で結晶の中央から反覆累帯構造が著しく発達しており, ガラスや磁鉄鉱等を多量に包有するものがある。 有色鉱物は縁辺や割れ目に沿って緑泥石化が著しく進み, 結晶外形を失い新鮮な部分は緑泥石に包まれてみいだされる。 新鮮な部分で観察すると, 紫蘇輝石は淡緑~淡褐緑色で多色性は著しくなく, また普通輝石は淡緑色である。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散点している。

石基は著しく汚濁し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜輝石・磁鉄鉱・緑泥石およびその他の2次鉱物からなる。

長野原町川原畑部落西方にみいだされる2本の岩脈のうち, 西方のもの(変朽安山岩)

この岩脈は既述のように「臥竜」と称せられ, 幅 7~8 m あり, 走向 N 25°E, 傾斜 35°SW で吾妻川の川底をも横断している。 この岩石は著しく風化していて全体が濃灰色を呈し, 長さ 1 mm 以下の斜長石斑晶がそのなかに点在している。

図版 14 岩脈「臥竜」(対岸崖上の人家は川原湯温泉)

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で清純のものは少なく, 割れ目や劈開に沿い曹長石・絹雲母その他の2次鉱物に変わっている。 またしばしば普通輝石や磁鉄鉱を多く包有するものがある。 紫蘇輝石は長さ 1.2 mm 以下の柱状を示し, 割れ目に沿い緑泥石化がすゝんでおり, 普通輝石は長さ 1.3 mm 以下の柱状でやゝ円味を帯びている。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散在している。

石基は柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜輝石・磁鉄鉱および緑泥石その他の2次鉱物からなる。

長野原町八場部落北東方にみいだされる2本の岩脈のうち, 東方のもの(変朽安山岩)

吾妻渓谷に沿った県道際に変朽安山岩を貫ぬき2本の岩脈がみいだされ, そのうち東方のものは幅 3.7 m 内外あり, 走向 40°E, 傾斜 85°NW である。 この岩石は 灰緑色石基中に 長さ 1.0~1.5 mm の斜長石および緑泥石化した輝石斑晶が比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で累帯構造や双晶が認められるが, 割れ目に沿って変質がすゝみ曹長石・緑簾石等の2次鉱物を生じている。 紫蘇輝石は結晶外形は保持されているが, 周縁および割れ目に沿って変質し, 緑泥石・緑簾石等の2次鉱物を生じ, 新鮮な部分はこれらに包囲されてみいだされる。 普通輝石は柱状で変質せず (100) 双晶が見られる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は汚濁が甚だしく, 曹長石・緑泥石・緑簾石・磁鉄鉱等の2次鉱物の粒状集合からなる。

長野原町八場部落北東方にみいだされる2本の岩脈のうち, 西方のもの(変朽安山岩)

この岩脈は幅 1.8 m あり, 走向 N 15°E, 傾斜 80°W である。 黒色, 緻密の石基中に長さ 1 mm 以下の斜長石がやゝ密に散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では明らかではない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で累帯構造や双晶等が認められるが, 割れ目に沿って曹長石・緑簾石・高陵土等の2次鉱物に変質している。 紫蘇輝石および普通輝石はともに長さ 0.6 mm 以下で柱状を示し, 縁辺や割れ目に沿って緑泥石化がすゝんでいる。

石基は短冊状の斜長石, 柱状または粒状の輝石, 磁鉄鉱と緑泥石・緑簾石・方解石等の2次鉱物からなる。

岩島村上組部落北西方にみいだされる岩脈(変朽安山岩)

図幅地域東縁に近く上組部落北西方の沢の底に火山円礫岩を貫ぬいてみいだされ, 幅 2.5 m, 走向 N 10°W, 傾斜 85°W である。 岩石は灰緑青色石基中に長さ 1.2 mm 以下の斜長石斑晶, および長さ 1.5 mm 以下の輝石斑晶が密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状で結晶の中核から累帯構造が著しく, 包有物に乏しく部分的に方解石化している。 両輝石, 特に紫蘇輝石は変質作用が著しくすゝみ, 長柱状の結晶外形を留めたまゝ緑泥石化し, あるいはさらに部分的に方解石化し新鮮な部分を残していない。 普通輝石は柱状で (100) 双晶を示し, 部分的に緑泥石化している。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状組織で斜長石・緑泥石および磁鉄鉱等からなる。

岩島村中組部落北西方にみいだされる岩脈(変朽安山岩)

図幅地域東縁に近く中組部落から北西方の中尾部落に通ずる道路際で 松の湯鉱泉(中組部落北方)に近く露出し, 変朽安山岩および斜長流紋岩を貫ぬき, 幅約 7 m あり, 走向 65°E, 傾斜 70°N である。 この岩石は 灰緑青色の石基中に 長さ 1.2 mm 以下の斜長石および輝石斑晶が密に散在しており, なお硫化鉄鉱の微粒が点在している。

鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状を示し, 割れ目・劈開に沿いやゝ変質がすゝみ曹長石・緑簾石等の2次鉱物を生じている。 紫蘇輝石は緑泥石化が著しくすゝみ, 新鮮な部分は全くなく結晶外形により原鉱物が推定されるのみである。 普通輝石は結晶の縁辺から緑泥石化がすゝんでいる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は汚濁が甚だしく磁鉄鉱や曹長石・緑泥石・緑簾石等の2次鉱物の集合からなる。

六合村世立部落南方にみいだされる岩脈(両輝石安山岩)

図幅地域東半北部の世立部落から南東方に赴く道路際で 変朽安山岩質凝灰角礫岩を貫ぬいてみいだされ, 幅 40 cm あり, 走向 N 45°W, 傾斜不明である。 この岩石は 灰黒色石基中に 長さ 1.0~1.8 mm の輝石斑晶が比較的密に散在しており, 斜長石斑晶は肉眼では顕著ではない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石とくに普通輝石は著しく円くなっている。 斜長石は柱状で結晶の中核から外方へ反覆累帯構造が著しく, おゝむね清純である。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色を示し多色性は著しくない。 普通輝石は柱状で淡緑色を呈する。

石基は毛氈状組織で微細な斜長石, 単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなる。

六合村根広部落南東方にみいだされる岩脈(両輝石安山岩)

図幅地域北縁中央に近い根広部落の南方崖下, すなわち花敷温泉から川沿いに長平部落に赴く途中の道路際に露われ, 暮坂熔岩中に挾まれた凝灰角礫岩を貫ぬき, 幅 5 m あり, 走向 N 60°E, 傾斜 65°S である。 全体が黒色を呈する堅硬な岩石で, 個々の斑晶は肉眼では明らかではない。

鏡下では斑状組織が認められ全般にやゝ変朽している。 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, いずれも大きく長さ 2.5 mm 以下で多斑晶質である。 斜長石は柱状で清純のものが多いが, 割れ目に沿って曹長石・絹雲母・緑簾石等に変わっていることがある。 紫蘇輝石は長柱状で緑泥石化したものが多いが, 普通輝石は柱状でやゝ新鮮である。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散在している。

石基は 柝木状の斜長石・柱状の単斜輝石・粒状の磁鉄鉱および緑泥石, その他の2次鉱物からなる。

II.7 門貝層(K)

この地層は 図幅地域南西隅に近く 白根浮石流・吾妻粘土層・今井礫層および浅間火山噴出物に覆われてみいだされ, 本層の基盤をなす岩石は露われていないが, 本層の厚さは少なくとも 100~150 m に達する。 全体が厚い砂礫層からなり, 礫は人頭大以下で淘汰は悪く, そのほとんどすべては安山岩で, 変朽安山岩もみいだされ, また砂粒中に高温石英も認められた。 礫は一般に水磨は良好ではないが時にはかなり円くなっている場合もある。 この砂礫層はしばしば厚さ 50 cm 以下の粗粒~中粒砂層と互層しており, また下位の層序では 厚さ 30 cm(まれに 2~3 m)の黄褐色粘土層と互層することがある。 西窪部落から万座川に沿い約 1 km 遡った箇処では, 厚さ 10 cm 以下の粗悪な褐炭を挾んでいるのがみられる。 化石は産しない。 本層の走向は必ずしも一定しないがおゝむね N 45~90°E で, 一般に南方へ 15~35°傾斜している。

万座川入口附近で観察すると, 本層の最上部は次第に火山起原の物質に富むようになり, その上に白根浮石流が整合にのっているように観察されるが, 露出不良のため確実ではない。 この白根浮石流はやゝ熔結度が進み, 径 15 cm のレンズ状のガラス質部を多く含み, このガラス質部の流理から判断すると走向 N 65°E, 傾斜 24°S で門貝層の走向・傾斜とよく似ている。 また門貝層とその上にのる白根浮石流との広区域の分布状況から考えても, 両者は整合または平行不整合ではないかと考えられるが確証はない。

II.8 榛名火山(HR)

図幅地域南東隅にみいだされる榛名凝灰角礫岩は, この図幅地域の南東に接続する 榛名山図幅地域中に主体を有する榛名火山噴出物の一部で, 暮坂熔岩を覆い 段丘堆積層およびローム層によって覆われている。 この凝灰角礫岩は 通常人頭大以下の各種安山岩角礫が灰紫色粗鬆な火山灰で凝結されたもので, 図幅地域内では厚さ 100 数 10 m に達し, 温川の河岸に臨み断崖をなして露われている。

II.9 四阿 あづまや 火山 25)

四阿火山は西隣の須坂図幅地域内に主体を有する火山で, 須坂図幅説明書に詳細な記載がある。 群馬・長野両県境に聳えるほゞ円錐形の成層火山で, 山頂には爆裂カルデラがあり, カルデラ内には1個の中央火口丘がある。 外輪山山体は 長野県側では基盤岩に遮ぎられ発達が著しくないが, 群馬県側では熔岩流は自由に延び裾野が展開している。 この図幅地域内でみられる四阿火山噴出物は 仁田沢熔岩および上ノ貝熔岩の一部であって, 図幅地域西縁近くの狭少な範囲にみいだされるに過ぎない。

II.9.1 仁田沢熔岩(石英含有両輝石安山岩)AN

この熔岩は万座川沿岸における観察では, 門貝層の上に直接のっており, また白根浮石流によって覆われている。 この熔岩は顕著な斑状組織を示し, 灰青黒色石基中に長さ 2 mm 以下の斜長石, および長さ 1.2 mm 以下の輝石の各斑晶が比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり少量の石英を伴なっている。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状まれに卓状を示し破片状のものもみいだされる。 一般に清純で包有物に乏しく累帯構造は著しい。 紫蘇輝石は長柱状でまれに破片状を示し淡緑~淡褐緑色で多色性が認められる。 普通輝石は柱状まれに破片状であり, 淡緑色を示し, (100) 双晶をなし, まれに反覆双晶をなす。 両輝石はともに包有物に乏しい。 斜長石および両輝石にはしばしば歪みを受けたものがみいだされる。 石英はまれにみいだされ著しく融蝕を受けて円くなっている。 なお4角または多角形の磁鉄鉱の微斑晶が散点している。

石基は隠微晶質である。

II.9.2 上ノ貝熔岩(両輝石安山岩)AM

この熔岩は本図幅地域内では僅かの面積にしかみいだされないが, 上ノ貝部落東方(図幅地域外)ではみごとな熔岩台地地形を示している。 この熔岩は白根浮石流および吾妻粘土層によって覆われている。 斑状組識を呈し石基部に比較して斑晶部が著しく多く, 灰黒色石基中に長さ 1.8 mm 以下の斜長石, および長さ 1.2 mm 以下の輝石の各斑晶が密に散在している。

鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は曹灰長石に属し柱状であるが破片状のものもあり, おゝむね清純であって, まれにガラス・磁鉄鉱または輝石等の微粒を著しく包有し, 結晶の中核から甚だしい波動累帯構造を有する。 紫蘇輝石は長柱状を示し淡緑~淡緑褐色で多色性がみられる。 普通輝石は柱状であるがやゝ円味を帯びたものもあり, 淡緑色で多色性は著しくなく (100) 双晶が普通にみられる。 両輝石はともに新鮮で包有物に乏しい。 なお多角形または不規則形の磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基はガラス基流晶質で褐色ガラスに富み, そのなかに柝木状または短冊状の斜長石, 柱状または粒状の両輝石および粒状の磁鉄鉱等が散点している。

II.10 草津白根火山 11), 26~33)

この火山の構造および活動史については地形および地質構造の項で述べたが, 次に要約する。 この火山の活動の初期には爆発が盛んで厚い白根凝灰角礫岩を堆積し, そのなかには薄い熔岩流を挟んでいる。 この凝灰角礫岩はその後の変動のため, 図幅地域西縁部に僅かしか露われていないが, 西隣の須坂図幅地域内に連続しこゝでは広く分布している。 その後, 顕著な浮石流の流出があり, 現今みられるように広大な面積を厚く覆った。 この浮石流は部分的に熔結度が高く, 熔結凝灰岩となっている処がある。 続いて第1次の馬蹄形カルデラが形成されたが, その壁の位置はその後の熔岩の流出その他のため現今ではあまり明確ではなく, 地質図上にも示してないが, 吾妻鉱山西方をほゞ南北に走る長い谷の西側の崖(ほとんど須坂図幅地域内)は その一部であろう。

白根浮石流の流出以後の噴出物は熔岩流, または熔岩流と火山砕屑岩との互層からなり, これらは 第2次馬蹄形カルデラ(地質図上に示してある)の形成を境として 旧期熔岩と新期熔岩とに大別することができる。 すなわち旧期熔岩とは, 谷所 やとこ 熔岩・松尾沢熔岩・青葉熔岩・矢筈平熔岩・ 独活 うど ガ沢熔岩・ 米無 こめなし 熔岩および弓池熔岩であり, カルデラ形成後の新期熔岩とは もと 白根熔岩および 殺生 せっしょう 熔岩である。 これら熔岩は両輝石安山岩でしばしば石英を含み, まれに黒雲母を伴なっている。 ほかに白根山頂東方に現世の活動に基づく火山抛出物層がある。

なお, 津屋弘逵は本火山熔岩について詳しい岩石学的研究および化学分析をなし, 文献 32) にその記載がある。

II.10.1 白根凝灰角礫岩(Kt)

これは本火山初期の噴出物で白根浮石流によって覆われている。 この図幅地域内の分布はごく狭いが, 西隣の須坂図幅地域内では広く分布し, 拳大(まれに人頭大)以下の各種安山岩角礫を暗灰色の火山灰で凝結したもので, 浮石はほとんど含まれていない。 須坂図幅地域内では厚さ 3~数 m の熔岩流が挾まれている。

II.10.2 白根浮石流(Kp)

これは草津白根火山南東一帯の広い面積を占め, 頗る厚く 200~400 m に達する。 これは灰~灰青色の浮石質火山灰が凝結し, そのなかに 胡桃大以下の浮石 および大豆大以下の安山岩角礫を点々と含んだもので, 無層理, 粗鬆, 脆弱で節理に乏しく風化作用により崩れ易い。 角礫は安山岩よりも浮石の方が遙かに多い。 堆積物の分布区域の北西隅, すなわち小倉・田代原および品木附近に分布するものは 安山岩角礫をほとんど含むことなく, 径 2.5 mm 以下の石英粒を点々と含んでいる。 この堆積物中, 草津温泉およびこの附近でみられるものにしばしば拳大, まれに人頭大以下の安山岩角礫を包有していることがある。

浮石流の凝桔の程度は全体にわたって一様ではなく, 熔結して塊状で大きい方形節理がみられることもあり, また径 30 cm 以下のガラス質部がレンズ状に含まれていたり, 浮石が一方向に細長く伸びていることなどがある。 さらに進むと熔結凝灰岩となり, 顕著な柱状節理を山腹に連ねて露出し, これを鏡下に検しても熔岩とほとんど区別することができない。 5万分の1地形図において 白根浮石流の分布区域中で「頽岩」の符号の附してある場所は, 大抵の場合凝結度の進んだ浮石流, または熔結凝灰岩である。 熔結凝灰岩として顕著にみられるのは, 一般的に云えば浮石流の末端附近で, かつ浮石流岩体の中央からやゝ下方に当る部分に多く, なかんづく須川沿岸の太子附近では最も著しい。 こゝでは下沢から生須附近まで約 4 km の間を須川に臨む両岸の山腹に, 厚さ 100 m 内外の柱状節理を連ねてならび偉観を呈する。

図版 15 熔結凝灰岩 (太子駅附近で顕著に見られ, 白根浮石流が部分的に熔結凝灰岩となり, 山腹に柱状節理を連ねて露出する)

図版 16 熔結凝灰岩(同前)

この岩石はやゝ粗鬆で, 暗青色の石基中に 長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が 比較的密に一方向に配列して流理を示し, また長さ 0.7 mm 以下の輝石斑晶が点在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり石英を伴なっている。 斜長石はおゝむね柱状自形であるが, 著しく円くなったり, 破片状を呈するものも少なくない。 曹灰長石に属し, おゝむね清純で, 結晶の中核から外縁へ著しい反覆累帯構造を示すものが多い。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の著しい多色性を示し, 普通輝石は柱状で淡緑~淡褐緑色の弱い多色性がみられる。 両輝石には破片状を呈するものが少なくない。 石英は破片状を呈し清透である。 磁鉄鉱は微斑晶と点在している。 石基は不均質で著しい流状構造を示す褐黒色ガラス質の部分と, 微晶質~隠微晶質の部分とからなる。

このほか熔結凝灰岩は, 北方の小倉部落南東の長笹沢に臨む崖, 草津温泉北方の谷沢中流部附近の谷底, 吾妻川沿岸では万座川入口附近, 羽根尾西方の赤川入口附近などやその他でしばしばみられ, 凝結度の進んだ浮石流とは漸移している。

II.10.3 岩脈(両輝石安山岩)Kd

群馬鉄山近くの自動車道路際に白根浮石流を貫ぬき露出しており, 幅 10 数 m あり走向 N 80°E でほとんど直立している。 堅硬な岩石で黒色, 緻密な石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石斑晶が比較的密に散在していて, 有色鉱物斑晶は肉眼では明らかではない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状を示し, 曹灰長石に属し累帯構造は著しい。 やゝ汚濁し割れ目に沿ってガラス化しており, 磁鉄鉱・輝石またはガラス等を多く包有している。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色である。 普通輝石は柱状または長柱状で淡緑色を示す。 両輝石は縁辺または割れ目に沿い緑泥石化がすゝんでいる。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状で柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, しばしば石英を充塡部とする球状体がみいだされる。

II.10.4 谷所 やとこ 熔岩(石英含有両輝石安山岩)KY

これは本火山南西部にある白根鉱山(通称谷所鉱山)附近に分布し, 白根鉱山の硫黄鉱床を胚胎している。 白根浮石流との直接の関係を示す露出はみられないが, 白根浮石流の上位にあるものと思われる。 堅緻な岩石で全体が黒色を呈し, 斑状組織は明瞭ではなく, 長さ 1.2 mm 以下の斜長石および 長さ 1.5 mm 以下の輝石斑晶が比較的密に散在していて, 松尾沢熔岩に酷似している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, いずれもはっきりした結晶外形を示すものが多い。 少量の石英を伴ない, 石英は甚だしく融蝕されている。 斜長石は柱状を呈し, 曹灰長石と亜灰長石との中間の化学成分を有し, 清純で包有物にとぼしく累帯構造は著しくない。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の多色性を示す。 普通輝石は柱状で (100) 双晶が認められ淡緑色で弱い多色性を有する。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散点している。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状または短冊状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石, および4角または不定形の磁鉄鉱等からなる。 また石英によって充塡された球状部が点在している。

II.10.5 松尾沢熔岩(両輝石安山岩)KZ

吾妻鉱山の附近に分布し熔岩流と凝灰角礫岩との互層からなっているが, 熔岩流よりもむしろ凝灰角礫岩の方がやゝ多量である。 おゝむね走向 E-W で南方に傾斜し, 独活ガ沢熔岩・米無熔岩および本白根熔岩によって覆われており, 吾妻鉱山の硫黄鉱床を胚胎している。 また米無山の東側にもこの熔岩が米無熔岩の下位に小規模に露出しており, 同様に石津鉱山の硫黄鉱床を胚胎している。 この熔岩は堅硬で全体が黒色を呈し, 個々の斑晶は肉眼ではあまり明らかではなく, よく注意すると長さ 1 mm 以下の斑晶が散在しているのが認められる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 斜長石は多いが両輝石は少なく, かつ小さい。 斜長石は柱状であるが著しく円味を帯びたものもみいだされ, 一般に清純で曹灰長石に属する。 紫蘇輝石は柱状で淡緑~淡褐緑色の多色性を示す。 普通輝石は柱状で淡緑色を呈し, しばしば紫蘇輝石と平行連晶を示す。 なお磁鉄鉱の微斑晶が点在している。

石基は毛氈状で流状構造が認められ, 柝木状または短冊状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および4角または不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.10.6 青葉熔岩(黒雲母石英含有両輝石ガラス質安山岩)KA

この熔岩は本火山東半部にのみみいだされ西半部にはみいだされない。 すなわち青葉山(白根山頂から東方の 1,742 m 高地)とその北方一帯, 草津温泉西方および草軽電鉄前口駅西方等に広く分布し, 熔岩流末端の急崖地形や熔岩台地地形等がよく保存されており, 白根凝灰角礫岩および谷所熔岩を覆っている。 岩質に特微があり, 黒色ガラス質の石基中に長さ 2 mm 以下の斜長石, および長さ 1.5 mm 以下の輝石斑晶が密に散在していて, 一見して他熔岩とは区別しうる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, いずれも結晶外形ははっきりしており, まれに外来結晶として黒雲母を伴なっている。 斜長石は柱状でおゝむね曹灰長石に属し, 清純でまれに輝石またはガラス等を包有していて, 結晶の中央から外方へ著しい累帯構造を有する。 紫蘇輝石は柱状で淡緑~淡褐色の多色性が認められ, 普通輝石は短柱状で淡緑色を呈する。 黒雲母は径 0.7 mm 以下で著しいオパサイト化作用をうけ 紫蘇輝石・普通輝石・斜長石および磁鉄鉱等の粒状集合となり, 結晶の中核に新鮮な部分がまれに認められるに過ぎないが, この部分は黄褐~暗褐色の著しい多色性を有する。 またまれに著しく融蝕された石英を含む。 紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱・ガラスおよび斜長石からなる聚斑状集合が しばしばみいだされる。

石基はガラス質で, 無色のガラス中に柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石が散在しており, 磁鉄鉱を伴ない淡褐色の球顆に富む。

II.10.7 矢筈平熔岩(両輝石安山岩)KD

本火山北部の矢筈平(白根山頂から西方 2.9 km のやゝ平坦な部分)附近に分布し, 白根凝灰角礫岩の上にのっている。 全体が一様に灰青色を呈し, そのなかに長さ 0.8 mm 以下のきわめて微細な斜長石斑晶が密に散在していて, 輝石斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 輝石斑晶は長さ 0.5 mm 以下で著しく小さい。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し清純で, 結晶の中核から外方へ著しい累帯構造を示す。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐緑色の多色性を示し, しばしば単斜輝石の微粒によって包囲されている。 普通輝石は柱状で淡緑色である。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなり, 斜方輝石はしばしば単斜輝石の反応縁を有する。

II.10.8 独活 うど ガ沢熔岩(両輝石安山岩)KU

本火山西部の独活ガ沢(吾妻鉱山から北方 1.5 km の沢)附近に分布し, 矢筈平熔岩および松尾沢熔岩の上にのっている。 斑状組織が明瞭で, 暗褐色の石基中に長さ 1.2 mm, まれに 1.8 mm の比較的大きい斜長石斑晶が顕著に散在していて, また長さ 1.2 mm 以下の輝石斑晶も点々としてみいだされる。

斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, いずれも結晶外形は, はっきりしている。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し, 結晶の中央から外縁へ著しい反覆累帯構造を示し, ガラス・磁鉄鉱または輝石等の包有物に富む。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の著しい多色性を有し, 普通輝石も柱状で淡緑~淡褐緑色の多色性を有する。

石基は毛氈状組織を示し流状構造が認められ, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.10.9 米無熔岩(両輝石安山岩)KK

本火山南部に分布し松尾沢熔岩を覆っている。 灰青色, 緻密な石基中に長さ 1.2 mm 以下の比較的小さい斜長石, および輝石斑晶が密に散在していて, 板状節理が著しくまた大豆大以下の外来岩片に富む。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は柱状であるが著しく円くなったものもみられ, 曹灰長石と亜灰長石との中間の化学成分を有し, 一般に清純ではなく著しく汚濁したものもみられ, 累帯構造は顕著である。 紫蘇輝石は柱状であるがやゝ円味を帯びたものもあり, 淡緑~淡褐緑色の多色性が認められる。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, 紫蘇輝石と平行連晶をなすものが少なくない。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散点している。 また紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱および斜長石からなる聚斑状集合がみいだされる。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および4角形または不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.10.10 弓池熔岩(石英含有両輝石安山岩)KI

白根山頂と本白根山頂との間の鞍部を形成し, 青葉熔岩および独活ガ沢熔岩等を覆っている。 暗青色石基中に長さ 1 mm 以下の斜長石, および長さ 0.7 mm 以下の輝石斑晶が密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 外来結晶として石英を伴なう。 斜長石は柱状自形でおゝむね亜灰長石に属し, おゝむね清純であるがまれに輝石またはガラスを包有し, 結晶の内部から外方へ著しい反覆累帯構造を示す。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の多色性を示す。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, 紫蘇輝石とともに平行連晶をなすものがまれではない。 石英は径 2 mm の大形のものもあり, 清透で割れ目が発達し著しく融蝕されている。 なお磁鉄鉱の微斑晶が散点している。 紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱・斜長石およびガラスからなる聚斑状集合が しばしばみいだされる。 まれに孔隙に鱗珪石を生成している。

石基はガラス基流晶質であるがガラスは少量で, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および4角形または不定形の磁鉄鉱等からなり, 斜方輝石は単斜輝石の反応縁を有する。

II.10.11 本白根熔岩(両輝石安山岩)KM

この熔岩は本白根山頂から東方に広く分布し, 馬蹄形カルデラ内に流入し既存諸熔岩を覆っており, 山頂から西方には分布は狭い。 堅硬な岩石で暗青色石基中に長さ 1.2 mm 以下の斜長石斑晶, および長さ 0.8 mm 以下の輝石斑晶が比較的密に散在しており, 柱状節理がよく発達している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 結晶外形は比較的はっきりしている。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し結晶の縁辺部では累帯構造が著しい。 しばしばガラスまたは輝石等を包有し, あるいは塵状包有物に富む。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の多色性を示し, 普通輝石は柱状で (100) 双晶が認められ, 淡緑色で弱い多色性を有する。 まれに紫蘇輝石と普通輝石とが平行連晶をなすものがある。 なお紫蘇輝石・普通輝石・斜長石・磁鉄鉱およびガラスからなる聚斑状集合が認められる。

石基は毛氈状組織を示し柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および4角形または不定形の磁鉄鉱からなる。

II.10.12 殺生熔岩(石英含有両輝石安山岩)KS

この熔岩は本火山諸熔岩中で最も新しく, 本白根山頂の2火口から流下したものは草津温泉附近まで延び, また本白根山頂南部の火口から流下したものは, 草軽電鉄石津駅の近くまで及んでいる。 この熔岩の現出状態については地形の頂で述べた。 肉眼では新鮮な感があり, 光沢ある純黒色石基中に 長さ 1.8 mm 以下の斜長石が比較的密に散在しており, 輝石斑晶は長さ 1.2 mm 以下で肉眼ではあまり顕著ではない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 外来結晶として石英を伴なう。 斜長石は柱状で曹灰長石に属し清純で包有物にとぼしく, 結晶内部から外方へ著しい反覆累帯構造を有する。 紫蘇輝石は長柱状で淡緑~淡褐色の著しい多色性が認められる。 普通輝石は柱状で (100) 双晶が認められ, 淡緑~淡褐緑色の弱い多色性が認められる。 まれに紫蘇輝石と普通輝石とが平行連晶をなすものがある。 石英は著しく融蝕され円くなっており清透である。 磁鉄鉱は微斑晶として点在している。 また 紫蘇輝石・普通輝石・斜長石・磁鉄鉱およびガラスからなる聚斑状集合がみいだされる。 なお, きわめてまれに短柱状の橄欖石を含む。

石基は毛氈状組織を示し柝木状または短冊状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石および4角形または不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.10.13 火山抛出物(Ke)

白根山頂の水釜・湯釜・空釜の3爆裂火口を中心とし附近一帯に広く分布し, 小牛大, まれに小屋大以下の 大小種々の安山岩岩塊が火山礫・火山灰とともに飛散堆積したもので, この分布範囲は草木が全く生えず, 処々枯死した樹木が立ち荒涼たる感がある。

図版 17 白根山頂附近の風景

II.11 更新統

高位段丘堆積層・吾妻粘土層・今井礫層・ローム層および低位段丘堆積層からなる。

II.11.1 高位段丘堆積層(ht)

図幅地域北縁東部の大原では, ほとんど平坦な広い台地が海抜 1,100~1,150 m の高さに位置し, 白砂川の河面よりも 150~200 m 高い。 こゝでは厚さ約 4 m の表土の下に, 50~70 m の厚さで 人頭大以下の種々の粒度のよく水磨された円礫が砂とともに堆積していて, 円礫には安山岩・変朽安山岩・斜長流紋岩または石英閃緑岩等の各種がみられる。 これと同様の堆積層が これから西方約 4.5 km の小倉部落周辺の山地にも処々でみいだされ, 著しく平坦な台地をなし, 高さも大原とほゞ等しく海抜 1,100~1,200 m である。 これらの高さは これから南方一帯に広く分布している 白根浮石流の侵蝕作用開始前の原地形の高さとほゞ等しいので, これらの堆積層は草津白根火山の噴起に際し, その浮石流が 図幅地域東半部の基盤岩からなる山地までの低地を埋めた際に生じた 河川堆積物と考えられる。 そしてこの河川は, 浮石流が草津白根火山から緩傾斜をもって基盤岩からなる山地に接した位置, すなわち現在の須川とほゞ同じ位置を流れていたものと思われ, 下刻作用に伴ない須川に沿った 京塚附近・ 見寄対岸・ 生須附近および長野原市街西方の各山地の高所に, 同様の堆積層がみられ下流にゆくほど, だんだん低くなる。

図幅地域南東隅の温川沿岸に分布するものは, 厚さは最大数 10 m に達し, 榛名凝灰角礫岩の上位に直接のり, やゝ円味を帯びた礫および砂からなる。 この地域内のみの調査では成因は不明であるが, 榛名火山の噴起と関係があるものと察せられる。

II.11.2 吾妻粘土層(cl)

これは図幅地域南西部に広く分布しており, 万騎熔岩・王城凝灰角礫岩・門貝層・四阿火山諸熔岩および白根浮石流等を覆い, 浅間火山諸噴出物によって覆われている。 厚さは 100 数 10 m に達しほとんど水平の整然とした層理を示し, 通常灰褐色, 緻密で堅く, 粘着性に富んでいるが, 灰白色または灰紅色のことがあり, また塊状で成層しないことやレンズ状の砂質部を挾むことがある。 この粘土層の基盤岩に接する部分は, しばしばよく水磨された砂礫層からなり, 時には砂または細砂をレンズ状に挾み, 上方にゆくに従い粘土層と互層し遂に粘土のみの厚層に漸移する。

この粘土層の成因についてはこの図幅地域内のみの調査では, 十分に明らかにすることはできないが, 長野原以東の吾妻川沿岸に分布しない点その他から考えると, 吾妻川が現在のように東流せず, おそらく南流していた当時, この河川が何かの理由(例えば浅間火山の噴起)によって堰止められ, 一時的に湖水を生じた際の堆積物であろう。 その後湖水が消失し, おそらく海抜 1,080 m の高さで広く分布していたこの粘土層が, 相当侵蝕され起伏ある地形を生じ, その削剝面上に図幅地域内でみられる浅間火山諸噴出物が堆積したのである。

II.11.3 今井礫層(g)

吾妻川沿岸に露出し白根浮石流の上位にあり, かつ嬬恋浮石流に覆われている。 吾妻粘土層との直接の上下関係はみられず, また岩相からでは吾妻粘土層の基底にある砂礫層と区別し難いが, 吾妻川沿岸に分布し, かつ嬬恋浮石流によって直接に覆われているので, おそらく現在の地形がほゞ出来上ってからの河川堆積物であろうと考えられる。 主としてよく水磨された拳大以下の種々の大きさの安山岩円礫, および砂が成層せず雑然と集積したもので, 処により粘土層を挾みあるいは岩屑を包有することがある。 三原部落東端の道路際では 胡桃大以下の安山岩円礫と泥からなるほとんど水平の互層が露われ, このなかに厚さ 2~4 cm の粗悪な褐炭をはさんでいて, この褐炭層はほゞ平坦に四方に延び上州三原駅北方に続いている。

II.11.4 ローム層(l)

ほとんど図幅地域全域に亘りローム層が分布する。 赤褐色粘土質でかなり厚く, 1 m に達する処もある。 このローム層中には例外なく浮石層が挾まれており, この浮石層は 図幅地域北東部の大原~大岩附近で厚さ 20~50 cm, 中央部の谷所~長野原附近では 50~80 cm であり, 吾妻川の右岸で熊川以西の地域では 1~2 m であって, 浅間火山に近づくほど厚くなる。 また浮石の大きさは図幅地域北東部では胡桃大以下であるが, 浅間火山に近づくほど漸次大きくなり, 図幅地域南縁附近では拳大のものがある。 したがってこの浮石層は浅間火山から飛来したものと思われる。

なお吾妻川の右岸で熊川以西の地域では, 地表の最上位に天明 3 年に, 浅間火山から飛来した灰黒色の火山灰層がある。 これが最もよく認められるのは, 草軽電鉄上州三原駅の直ぐ南方の崖で, ここでは厚さが 30~40 cm ある。

II.11.5 低位段丘堆積層(t)

吾妻川の本流および支流に沿って分布し, いずれもよく水磨された円礫, および砂からなり, 河川の下刻作用から取り残されたものである。

II.12 浅間火山 33)~36)

浅間火山の主体は南隣の軽井沢図幅地域内にあり, この図幅地域内では 南西部の主として吾妻川南岸一帯に諸噴出物の末端がみいだされるにすぎない。 すなわち下位から 応桑 おおくわ 泥流・ 嬬恋 つまこい 浮石流・大笹熱雲および 鎌原 かんばら 泥流である。 泥流・浮石流および熱雲の諸語は火山活動の型式をあらわす語であるから, 正確には泥流堆積物・浮石流堆積物および熱雲堆積物と称すべきであるが, こゝでは慣習として上記の諸語を用うることとする。 これらのうち, 応桑泥流はその堆積物中に含まれた岩塊の岩質や分布から推して, 浅間火山噴出物ではないとの説が一部にあるが未発表であり, またこの図幅地域内のみの調査では確かめることができないので, 従来の文献通り本火山噴出物の項に入れて説明する。

なお前述のように, 地質図には記載してないがローム層中に挟まれ, 本図幅地域のほとんど全部を覆う浮石層がある。 この浮石層は嬬恋浮石流とほゞ同時期であるという意見が一部にあるが未発表であり, この図幅地域ではこれを確かめることができなかった。 金毘羅山頂北西方約 500 m 附近の沢の底に, 吾妻粘土層に覆われ下底の不明な安山岩質凝灰角礫岩が露われている。 また上州三原駅南方の崖には, 今井礫層の上にのり嬬恋浮石流に覆われた安山岩質凝灰角礫岩が局部的にあり, 下底および内部に円礫層を有する。 上記2ヵ所の岩塊は異なっており, 後者の岩塊には浅間火山 黒斑山 くろふやま のものがかなり多いが, 前者は全く異なったものである。 いずれもきわめて小規模の露出で地質図上に記載できないので, 省略してある。

この火山は改めていうまでもなく著名な活火山で, 現在も噴煙が絶えることなく時々爆発して降灰を繰返しており, 近年における活動は内外に知られ, 特に天明 3 年(1783)における活動は, かの鬼押出を形成し, その折生じた2次的泥流, すなわち鎌原泥流は本図幅地域内に及び, 鎌原部落では甚大な被害が生じた。 この火山の詳細な火山地質学的記述および火山活動史については, 火山の主体が図幅地域外にあるのでここでは触れないが文献 41) に詳しい。

II.12.1 応桑 おおくわ 泥流(AO)

この泥流は図幅地域南縁中央に近い応桑附近に分布し, 万騎熔岩および吾妻粘土層を覆い嬬恋浮石流に覆われている。 泥流は低地を埋没し, その表面は台地状に拡がり現今では農耕地となっているが, そのなかに 通常高さ 20 m 以下の大小種々の流レ山(堆積丘)が饅頭形をして多数点在し, 泥流地特有の景観を示している。 流レ山は泥流の末端にゆくに従い次第に多く, この図幅地域内では少なくとも数 10 座は数えられる。 この泥流の末端は吾妻川に流入することなく停止したもので急崖をなしている。 この泥流の露出が認められる箇所は少ないが, 小牛大以下の各種安山岩角礫が 赤褐色火山礫および火山灰とともに雑然と集積したもので, 厚さは推測し難い。

II.12.2 嬬恋浮石流(AT)

この浮石流は浅間火山から大規模に奔下したもので, 吾妻川右岸一帯を広く覆い吾妻川に入り, さらにこれに沿って流下したと思われるが, 現今では侵蝕作用によって連続を絶たれている。 明らかに 王城凝灰角礫岩・門貝層・吾妻粘土層・白根浮石流および今井礫層等を覆い, 吾妻川沿岸に断崖をなしてよく露出しており, 厚さは 100~150 m に達し, 流出当時には基盤岩の起伏をすべて埋没し, 浮石流の表面は著しく平坦であったらしく, 台地地形がよく保存されているが, 諸河川に沿っては侵蝕作用のためこれより下位の岩石を露出している。 この浮石流は全体が無層理, 塊状かつ粗鬆であって節理を有せず灰~灰紅色を示し, 鶏卵大以下の多量の浮石が火山灰とともに凝結したもので, 鶏卵大以下の安山岩角礫が点々としてみいだされ, きわめてまれに炭化木のみられることがある。

II.12.3 大笹熱雲(AZ)

これは図幅地域南西隅にみいだされる。 浅間火山から熱雲の状態で奔下してきて, 現今の大笹部落附近で吾妻川峡谷にはいり, さらにこれに沿って下り現今の大前部落東端附近で停止したもので, 大笹・大前両部落はこの堆積物の上に建設されている。 この堆積物は吾妻川河岸に柱状節理を示し, 高さ 10 数 m の断崖を連ねてよく露出しており, 明らかに今井礫層を覆っているが, 嬬恋浮石流との時期的関係は明確ではない。 この堆積物は全体が真黒色を呈し, 主として本質安山岩からなり, 人頭大以下の種々の大きさの岩塊が, 火山礫および火山灰で凝結したもので, しばしばパン殻状火山弾が含まれ, また燃焼した木片なども認められる。

図版 18 大笹熱雲とその上にある大前部落(嬬恋橋上から望む)

II.12.4 鎌原 かんばら 泥流(AK)

これは図幅地域南縁に近い鎌原部落附近に分布し, 天明 3 年(1783)の活動に際し鬼押出の先駆として流下したものである。 鬼押出の先端は図幅地域内の金毘羅山頂から南方約 4.7 km を隔てるのみである。 この際の活動は古文書の記事を参照すると, 初めは熱雲の状態で奔下したものであるが, 間もなく2次的泥流となりこの図幅地域内にはいり, 吾妻粘土層および嬬恋浮石層からなる台地上を広く覆い, 一部は各沢に入り, さらに吾妻川を流下したもので, 吾妻川沿岸の三原附近および長野原附近のみならず, さらに下流の中ノ条(図幅地域外)附近にまでも及んでおり, 吾妻川河床にその痕跡を認めることができるが, 地質図には台地上の分布のみを示してある。 この泥流は 鎌原部落南西方台地でみられるように 小高い箇所を取り残して流下しており, 台地上の分布区域の地表には 黒色火山岩塊・火山礫および火山砂等が無数に散在している。 流レ山は応桑泥流ほどには顕著ではないが, 鎌原・アテロ両部落間には高さ数 m の小丘が点在している。 また金毘羅山は泥流堆積物の先端に当る。 この泥流は必ずしも厚くはなく, この図幅地域内では 1~10 m 余である。 最も厚い処は鎌原観音堂前で, 従来低地であった同堂前の石段 113 段のうち 97 段が埋没したと伝えられ, 現今では上部の 16 段のみが地表に露われている。

II.13 沖積統(a)

吾妻川・須川・万座川およびその他の諸河川の河床をなしてみいだされ, 礫・砂および粘土からなる。

III. 応用地質

III.1 概説

草津白根火山周辺はわが国有数の硫黄資源地帯であって, 筆者の調査当時, 稼行中の鉱山には吾妻・石津および白根の諸鉱山があり, 休山中のものには 白嶺 びゃくれい 万座 まんざ および横手山等の諸鉱山があった。 また草津白根火山東麓の群馬鉄山はわが国最大の褐鉄鉱床であり, その他に2, 3の小規摸の褐鉄鉱床がある。 温泉には古来内外に著名な草津温泉をはじめ, 万座・ 川原湯 かわらゆ およびその他の温泉がある。 そのほか1ヵ所の小規模な石材産地がある。

III.2 硫黄鉱

吾妻・石津・白根・白嶺および横手山の諸鉱山の鉱床はいずれも鉱染状交代鉱床で, 以下にのべる各熔岩の熔岩流と火山砕屑岩との互層のうち, 主として火山砕屑岩を, 一部は熔岩流を交代して生成したもので, 熔岩流は鉱体のキャップ・ロックをなす場合が多く, 鉱体の形状をおゝむね決定している。 またこれらの硫黄鉱床は硫化鉄鉱を伴なうことがある。 万座鉱山は草津白根火山山頂の湯釜のなかの沈澱硫黄を稼行する。 昇華鉱床はいずれも小規模で万座温泉附近・殺生河原およびその他にもある。

III.2.1 吾妻 あがつま 鉱山 37)~39) (岡野武雄 記述 [ 文献 39) を参考にした ]

位置および交通

吾妻鉱山は群馬県吾妻郡 嬬恋 つまこい 村字干俣にあり, 草軽電鉄万座温泉口駅の北西方直距 6 km の地点にあたる。 同駅との間にはトラック道路があり, また同電鉄上州三原駅と万座温泉口駅との中間には山元と直結する索道があって, 交通・運搬ともに便利である。

第 1 図 吾妻鉱山鉱床分布図

沿革および現況

本鉱山の発見は明治 43 年と云われ, 大正 3 年に群馬硫黄株式会社吾妻硫黄鉱山となり, 同 4 年から出鉱を始めた。 その後順調に出鉱を続け, 昭和 12~13 年最盛期に達した。 昭和 15 年東洋レーヨン株式会社に買収され, 帝国硫黄株式会社の経営のもとに稼行され, 現在に至っている。

最近の生産量は次の通りである。

年度 精製硫黄(t) 硫化鉱(t)
昭和 22 3,671 1,172
同 23 3,910 3,424
同 24 5,797 2,327
同 25 9,027 9,967
同 26 11,051 16,211
同 27 13,239 9,041
同 28 14,008 12,929
同 29 21,887 -

採掘方法は従来は無充塡残柱式法によっていたが, 最近は充塡式に改められている。 採掘された鉱石はディーゼル機関車によって坑外に搬出され, 製錬に廻される。 製錬は焼取法および蒸気製錬法の2法が行われている。 焼取法(第1製錬所)は窯数 16 基(12 枚釜 12 基, 14 枚釜 4 基), うち稼動 12 基。 蒸気製錬法(第2製錬所)は粉鉱を砕粉し, 浮遊選鉱によって精鉱(S 65 %)を得, これを蒸気製錬する。 製錬能力は処理原鉱 2,000 t / 月, 精製硫黄 450 t / 月である。

地質

吾妻鉱山附近を構成する諸岩石は, 松尾沢熔岩・独活ガ沢熔岩および米無熔岩であって, 硫黄鉱床を胚胎しているのは 松尾沢熔岩の下部に属する 凝灰岩および凝灰角礫岩を主体とする部分である。 硫黄鉱床の近傍およびその周辺においては, これらの諸岩石は熱水等の影響によって蛋白石化作用等を蒙り, 周辺部一帯も脱色作用を蒙っている。

下部松尾沢熔岩は 凝灰岩・凝灰角礫岩・集塊岩および両輝石安山岩の熔岩流の互層からなり, 厚さ 100 m 以上に達する。 第1鉱床は本岩のうちの上部に発達しているものと推測される。 上部松尾沢熔岩は 黒色のガラス質および集塊岩質両輝石安山岩を主とし, 凝灰岩・凝灰角礫岩を伴ない, 厚さ最大 150 m と推定される。 これは全体的にみて硫黄鉱体のキャップ・ロックとなっている。

鉱床・鉱石

鉱床は 下部松尾沢熔岩の火山砕屑岩類中に発達する レンズ状または塊状の鉱染状交代鉱床で, 現在知られている鉱床は, 旧鉱床・新鉱床・左2番鉱床・滝口鉱床・第1鉱床・新盛鉱床の6鉱床で, ほかに無名の旧採掘跡がある。 現在稼行中の鉱床は, 滝口・第1の両鉱床のみである。 既知鉱床の賦存範囲は東西・南北おのおの 400 m の範囲にあり, これら各鉱床は母岩の傾斜に従って南方に緩く傾斜する。 鉱床の形は東西方向に細長く, 南方に緩く傾斜するレンズ状で, 凝灰岩・凝灰角礫岩を交代して発達する。 鉱床の上下両盤は安山岩で境され, 形状, 大きさは常に両盤の状況に支配されている。

鉱床の規模を次に示す。

鉱床名 長さ(m) 深さ(m) 厚さ(m) 傾斜 品位(S %)
第1鉱床 350 60 25 32° 36
滝口鉱床 180 50 20 } 15~20° 40
新盛鉱床 60 50 10 } 30 ±
新新盛鉱床 100 50 6
旧鉱床 110 80 15
新鉱床 180 75 15

鉱石の品位は鉱体の中央部に向かって高く, 周辺部に向かって低くなる一般的傾向がある。 中央部の大部分を占める鉱石は S 28~40 % で, 平均 S 35 % の上鉱であり, この上鉱部を取囲んで, S 10~20 % の貧鉱部がある。 鉱床の上下両盤では鉱石の品位は貧鉱部から急激に安山岩に移化し, 鉱床の周縁部では品位は次第に低下し, 母岩である火山砕屑岩に移行する。

鉱床が母岩に移行する部分, 特に蛋白石化作用を蒙った硬質の安山岩中には 「タカの目」状の遊離硫黄の発達が顕著であり, 軟質の母岩中には硫化鉄鉱の鉱塊の発達することがある。

母岩および変質作用

硫黄鉱床は下部松尾沢熔岩中の凝灰岩・凝灰角礫岩中に発達するが, これに反して熔岩流の部分は硫黄の鉱化作用はほとんど受けておらず, むしろキャップ・ロックの役目をしたと考えられる。 母岩の変質作用は蛋白石化作用, 粘土化作用, 脱色作用等で, これらの諸変質作用は下部, 上部松尾沢熔岩にとどまり, 他の諸岩石は受けていない。

III.2.2 石津鉱山 40) (岡野武雄 記述)

位置・交通および現況

群馬県吾妻郡嬬恋村石津にあり, 本白根山の南方川腹で米無山頂の東方直下に当り, 標高 1,550 m のところに位置する。 石津鉱山事務所への交通は草軽電鉄万座温泉口駅下車, 北方へ約 6 km の間を徒歩による。 山元で製錬された精製硫黄および山元への資材・生活必需品の輸送は, 万座温泉口駅~山元を結ぶ索道によって行っている。

最近数年間の出鉱量は次の通りである。

年度 精製硫黄(t)
昭和 24 6,017
同 25 4,233
同 26 8,299
同 27 8,249
同 28 7,822
同 29 8,392

地質

石津鉱山附近の地質は 古い方から 松尾沢熔岩・米無熔岩・本白根熔岩および殺生熔岩から構成されている。 松尾沢熔岩は暗黒色の緻密な熔岩流を主とし, 数枚の薄い火山砕屑岩を挾み, 走向 N 40~70°E, 傾斜 20~30°ES である。 しかし, 著しい変質作用を蒙り, 熔岩流と火山砕屑岩との識別は困難である。 この熔岩の露出は小範囲にとどまる。

米無熔岩・本白根熔岩・殺生熔岩はいずれも松尾沢熔岩より後期の流出であり, 地表に広く分布しているが, 硫黄鉱床生成に関係あると思われる変質作用は受けていない。

鉱床

この鉱山の硫黄鉱床は 火山砕屑岩およびその上下の熔岩流をも交代したいわゆる鉱染状交代鉱床で, 小塊状の鉱体の集合したものであり, その配列はやゝ熔岩流の構造に支配されているようである。 すなわち鉱体の落しは, 20~30°SE にやゝ明瞭である。 平面的には小塊状鉱体は互に連続し, 最も西側の鉱床はむしろ南北に細長い形態を示している。 鉱体内における鉱石の品位分布は甚だ不規則で, 高品位部と低品位部が入り乱れ, 10~50 % に変動している。 母岩の変質としては蛋白石化作用が著しく, 他に明礬石化作用, 粘土化作用がみられる。

鉱石および品位

鉱石は黄白色を呈するものが普通で, これは蛋白石化, 粘土化した岩石中に遊離硫黄が細粒状に鉱染したもので, 時に径 1~5 mm 大の「タカの目」状の遊離硫黄がみられる。 黄白色鉱石に次いで黒色の鉱石が鉱体内諸処にみられ, 細粒の硫化鉄に富み品位は高い。 その他に黄白色の地に黒色部が斑状に入ったもの, リーゼガング状のものなど種々あるが, いずれも低品位である。 石津鉱山の坑内各処から採取した鉱石の分析結果を次に示す (分析数 58 個平均)。

遊離硫黄 : 35.08 %
結合硫黄 : 0.30 %

III.2.3 白根鉱山 41)~43) (岡野武雄 記述 [ 上野三義の未発表資料を参考にした ]

位置および交通

群馬県吾妻郡草津町字前口にあり, 草津温泉の南西方 3 km に当り, 本白根山の南東山腹で 厳洞 がんどう 沢中流と, 赤仁田沢との合流点附近に位置する。 当鉱山への交通は草軽電鉄草津前口駅下車, 徒歩で厳洞沢沿いの山道を北方へ 2.5 km 進むと鉱山事務所に達する。 また別の交通としては国営バス(長野原~草津)で赤仁田駅下車, 徒歩で西方へ 2.0 km 進むと事務所に達する。 鉱床は事務所の北西方 1.0 km にある。 精製硫黄は索道で草津前口駅および赤仁田(草津町の南方 3 km)へ搬出される。

沿革および現況

本鉱山は昭和の初期, 草津町の霜田善造が発見し試掘を行なったが, 昭和 7 年に小林重武の所有となり, 同年株式会社白根硫黄鉱業所を創立, 硫黄の採掘・製錬を始め, 昭和 9 年重要鉱山に指定された。 その後順調に発展し, 昭和 16 年月産 1,000 t(窯数 20 基)を記録したが, 今次大戦によって企業を縮少した。 戦後は漸次復興し, 現在硫黄月産 1,100 t(採堀粗鉱量 5,000 t, 硫化鉱 2,000 t)に達した。

次に最近 7 年間の硫黄および硫化鉱の生産量を示す。

年度 精製硫黄(t) 硫化鉱(t) 品位(S %)
昭和 23 19,177 1,552 40.0
同 24 5,048 2,027 40.0
同 25 7,022 15,200 37.6
同 26 7,719 10,655 40.8
同 27 8,127 10,542 40.0
同 28 8,629 3,510 40.0
同 29 11,027 12,276 43.0

採鉱法としては無充塡残柱式後退払を行っている。 残柱間隔は 20 m で, 実収率 S 65 % と云われる。 製錬方法は焼取法で, 窯数 15 基(14 枚釜, 常時 13 基稼動), 鉄釜のほか一部にステンレス・スチール釜を使用している。 従業員 350 名を有する。

地質

鉱山附近の地質は 谷所熔岩・青葉熔岩・本白根熔岩および殺生熔岩から構成されている。 これらのうちで鉱床の母岩をなすものは谷所熔岩で, この谷所熔岩の比較的下部に 5~20 m の不規則な厚さを示す 凝灰岩・角礫凝灰岩等の火山砕屑岩が南に緩傾斜して発達する。

上記の4熔岩のうち, 谷所熔岩の鉱床附近を除いては変質作用を受けておらず, 谷所熔岩も赤仁田沢の川底の一部にのみ変質作用が見られるのであって, 吾妻鉱山や石津鉱山附近にみられるような著しい変質作用が 地表ではみられないのが特徴的である。

第 2 図 白根鉱山鉱床分布図

鉱床

鉱床は 谷所熔岩の火山砕屑岩および 一部の上下両盤の安山岩中に胚胎する鉱染状の交代鉱床で, ほゝ南北に3鉱体が知られている。 これら3鉱体はほゞ同一水準にあり, 南から第1, 第2, 第3鉱床と名付けられている。 第1鉱床は東西に約 200 m, 南北に約 100 m の扁平な塊状鉱体で, 蛋白石化した母岩中に遊離硫黄の鉱染した低品位の鉱体である。 第2鉱床は東西に約 250 m, 南北に約 150 m の扁平な鉱体で, 第1鉱床に類似の低品位鉱床である。 第1, 第2鉱床はいずれも採掘済みで, 現在入坑不能である。 第3鉱体は最も北にある現在稼行中の鉱体で, 東西約 250 m, 南北約 270 m, 厚さ約 20 m の不規則な形状を呈する扁平な鉱体で, 北西方へ緩く傾斜している。

鉱床は主として火山砕屑岩中に胚胎するが, 鉱化作用は上下の安山岩中にも及んでおり, 特に上盤側では 10 m も鉱染しているところがある。 富鉱部(品位 S 40~50 %)はほゞ鉱体の中央にあり, 鉱体の周辺部は硫化鉄鉱に鉱染されているところが多い。 また鉱体の周辺部には「タカの目」状の遊離硫黄が多い。

変質作用としては蛋白石化作用, 明礬石化作用等があり, 鉱体内は蛋白石化作用を主とし, また鉱体の周縁部には粘土化作用が著しい。

鉱石

鉱石は黄鼡色鉱・暗灰色鉱およびこの両者からなる縞状鉱(輪状鉱), さらに硫化鉄鉱に富む黒色鉱等に大別される。 黄色から黒色に移るに従って硫化鉄鉱の含有量が多くなる。 鉱石の主成分は遊離硫黄で, 黄色透明~半透明のものと, 粘土鉱物を含み混濁した黄白色のものとある。 その他の鉱物としては 蛋白石・重晶石・明礬石・鱗珪石・硫化鉄鉱・粘土鉱物等がある。 第3鉱床の鉱石の品位は S 21~67 % で, 平均 S 40.8 % を示す(昭和 28 年 7 月現在, 第3鉱床の2坑・3坑および中段から採取した鉱石 68 個の分析平均, 鉱山側資料)。 この鉱石の塊, 粉の割合はそれぞれ 75 %, 25 % である。

III.2.4 白嶺 びゃくれい 鉱山(岡野武雄 記述)

白嶺鉱山は群馬県吾妻郡草津町にあり, 草津町の北西西方直距 4.5 km, 白根山の南東斜面で入道沢(青葉山の北麓の沢)に沿う標高 1,650 m に位置する。 同鉱山に至る交通は, 草津町からスキー場, 殺生河原附近を経て 5.5 km を徒歩による。 調査当時は休山中で, 一切の設備は撤去されていた。

鉱床は青葉熔岩の下部(?)中に胚胎する鉱染状交代鉱床で, NE - SW にやゝ細長く, 南東に緩傾斜する扁平塊状体で, 1坑・新盛坑・新坑・第1神風坑・通洞坑によって開発された。 鉱床の規模は1坑地並で最も優勢で, NE - SW に 250 m, 幅 100 m の拡がりを示す。 鉱床の厚さは 20 m 以下であろう。 蛋白石化作用, 明礬石化作用が著しい。

III.2.5 万座鉱山(岡野武雄 記述)

万座鉱山は白根山山頂の湯釜中の沈澱硫黄鉱床を採掘しているもので, 群馬県吾妻郡草津町にある。 現地に至るには草津温泉から徒歩で殺生河原を経て登る道と, 長野県須坂市からバスで万座温泉に至り, こゝから徒歩で登る道とがある。 いずれにしても交通は不便であるが, 現地と草津温泉にある製錬所との間には索道が通じており, 物資の輸送は便利である。

第 3 図 万座鉱山鉱床分布図

白根山山頂には多くの爆裂火口があり, そのうち著名なものは水釜・湯釜・空釜・弓池等であるが, 沈澱硫黄は湯釜内にのみ知られ, その湖水面上の部分が一応採掘の対象となっている。

湯釜湖底の堆積物は下部から次のように大別される。

⑤ 黒色砂層
乾燥すると濃灰色になる。 径 1 mm 以下の珪質砂で, 少量の硫黄および硫化鉄鉱を混じている。 厚さは 2 m 以上あり, 最下底部は角礫を混ずる。
④ 淡灰紫色粘土層
一般に黒色砂層の上部にみられ, 厚さ 1~2 m, この粘土層中には厚さ 1~10 mm, 時に 20 cm 以上の硫黄鉱層が不規則レンズ状に夾在する。
③ 硫黄鉱層
② 黒色粘土層
硫黄鉱層の上部に広く分布し, 時に拳大の角礫(崖錐礫または爆裂抛出物)を混ずることがある。 この粘土層中には移動して来た硫黄鉱塊の存在することがある。 厚さは 5~10 m である。
① 崖錐堆積物
火口内西部および北東部に見られ, 黒色粘土層上に存在する。

硫黄鉱層は普通厚さ 2~5 m, 薄いところは 0.3 m, 厚いところは 16 m に及んだと云われる。 鉱層は淡黄灰色でやゝ緑色を帯びた部分と, 0.1~30 cm の水平の縞状互層を呈し, 火口湖中に静穏に堆積したことを示している。 鉱層の上部の ② 黒色粘土層との境は不整合状で, 鉱層の縞状層理を切って黒色粘土が堆積している。 黒色粘土層中には硫黄鉱層から移動して来た硫黄鉱塊が存在する。 この現象は硫黄鉱層の堆積後, 黒色粘土の堆積中に火口湖内に爆裂作用があり, 硫黄鉱層の一部が破壊飛散したためと思われる。 調査当時採掘していた硫黄鉱石は, 層厚 1.7 m(S 51.3 %)および層厚 2.2 m 以上(S 37.3 %)のものである。

この硫黄鉱床は明治 27 年頃から組織的に開発され, 昭和 23 年以後は万座硫黄株式会社が稼行した。

最近の鉱産量は次の通りである。

年度 粗鉱量(t) 品位(S %)
昭和 25 10,318 64
同 26 12,796 65
同 27 19,393 63

III.2.6 横手山鉱山(岡野武雄 記述)

横手山鉱山は長野県上高井郡山田村地内にあり, 松川の上流で横手山の直下に位置する。 本鉱山に至るには信越本線長野駅から長野電鉄にて須坂市に着き, 同市からバスで山田温泉を経て七味温泉(以上いずれも図幅地域外)に達する。 七味温泉から山元までは松川沿いに徒歩で 6 km の里程である。 鉱石は索道で山田温泉へ搬出する。

鉱山附近の地質は 基盤である変朽安山岩の上に高井熔岩が厚く覆い, 鉱山の北方および東方には横手山熔岩が高井熔岩を覆って横手山の山体を構成している。 鉱山附近の高井熔岩は熔岩流, 凝灰角礫岩の互層で, 鉱床附近ではほとんどすべて変質していて新鮮なものはみられない。

横手山鉱山の鉱床は硫黄の鉱染状交代鉱床, 硫化鉄鉱の塊状鉱床および 松川川底附近の昇華硫黄鉱床, ならびに褐鉄鉱鉱床に分けられる。 硫黄の鉱染状交代鉱床は高井熔岩の凝灰角礫岩を交代した塊状鉱体で, 主要なものは3鉱体ある。 このうち最大の規模を有するものは栄坑の鉱床で, 長径 60 m, 短径 30 m に及ぶ。 鉱石は黄白色で, 硫化鉄鉱はほとんど含まれていない。 硫黄の品位は S 20~35 %, 平均 28 %(9 個の分析平均)である。

硫化鉄鉱鉱床は旭坑にあり, 長径 50 m, 短径 25 m の偏平な塊状体の鉱床である。 鉱石は黒色, 緻密で比較的硬いが, 細粒の硫化鉄鉱と遊離硫黄の緻密な混合物である。 平均品位は遊離硫黄 14 %, 結合硫黄 27 %(5 個の分析平均)で, 平均比重 3.23 を示す。 この硫化鉄鉱が横手山鉱山の出鉱鉱石となっている。 松川川底の昇華硫黄鉱床は 横手山鉱山附近の松川本流および支流川底にある硫気孔にみられる。 稼行の対象となるような規模ではない。 横手山鉱山附近には数個の褐鉄鉱鉱床があるが, 大規模なものは知られていない。

III.2.7 その他の鉱山(岡野武雄 記述)

万座温泉の東側にある噴気孔附近の昇華硫黄鉱床は明和元年(1764)頃から採掘され, 最近では昭和 14 年頃に大規模に採掘された。 鉱床は高井熔岩の温泉作用による変質帯中に昇華硫黄の鉱染したもので, 地表部および地下のごく浅い所に存在した。 しかし現在はほゞ採掘し尽した。

万座温泉の東方の法性沢および北方の熊四郎沢の硫黄鉱床は 万座硫黄株式会杜が探鉱を行ったが, 高井熔岩中の鉱床できわめて小規模のものである。

殺生河原には, 現在弱い噴気作用が行われ, 地表温度の高い処で, 60~80 ℃ を示す処もある。 この殺生河原には昇華硫黄, 「ハリ付き」硫黄鉱床があるが, いずれも大規模な採掘の対象とはならない。

III.3 褐鉄鉱

図幅地域内の褐鉄鉱床はいずれも鉱層であって, 群馬鉄山のみが特に規模が大きく, 他の数ヵ所はきわめて小さい。

III.3.1 群馬鉄山 44)~46) [ 本項の記述は文献 45) によるところが多い ]

位置および交通

群馬県吾妻郡 六合 くに 村入山にあって草津温泉の北方直距約 3.3 km に当り, この間には良好なトラック道路が通じている。

沿革および現況

この鉱床が広く世に知られ始めたのは昭和 15~16 年頃で, 当時の調査では 200~400 万 t を有し, かなり大規模なものであることが判明した。 しかし運搬が不便のため開発されるには至らなかった。 第2次世界大戦中は鉄鉱石の不足のため大規模の開発に迫られ, 昭和 18 年日本鋼管株式会社が鉱業権を買収し諸施設を建設し, また鉱石運搬のため長野原線が敷かれた。 昭和 19 年 4 月鋼管鉱業株式会社が事業を継承し 9 月に採鉱に着手し, 翌年 1 月から送鉱を開始したが間もなく終戦となり休山した。 終戦後は 21 年 3 月から再開し現在に至っている。 この鉱山の鉄鉱産額は釜石鉱山に次ぎ本邦第 2 位を占め, 褐鉄鉱山としては第 1 位を誇っている。 会社側の発表では鉱床全体の約半量はすでに採掘され, 残鉱は 精鉱(褐鉄鉱)60 万 t および中間鉱(褐鉄貧鉱と鉄明礬石との混合)40 万 t, 合計 100 万 t が見込まれている。 鉱石は山元から南東方の須川河畔の 太子 おおし 駅まで約 7.5 km の間を2本の索道によって送られ, 1日 600 t の送鉱が可能である。 太子には鉱山事務所, 中間鉱の焼結工場, 索道の荷下し場および貨車積場等がある。

なお採鉱は階段式露天掘でさく岩機を使用し, 切羽で手選によって精鉱と中間鉱とに分けてエンドレスで中央部に集め, 精鉱はクラッシャーで粉砕し塊鉱と粉鉱(径 < 20 mm)とに分け, 塊鉱は大塊(> 50 mm)および中塊(20~50 mm)とに分けており, 中間鉱は太子に送られ粉砕のうえ焼結している。 精鉱は月産 8,000~9,000 t であり, 中間鉱は月産約 5,000 t で焼結すると約半量となる。 精鉱の平均品位は Fe 50 %, S 1~2 %, P 0.5~1 %, SiO2 2~3 % および H20 15~16 % である。 中間鉱の平均品位は Fe 40~42 %, S 6~7 %, K 4 % 内外および SiO2 3~5 % であるが, 焼結すると Fe 56~57 % および S 0.15 % となり品位が高くなる。

種類 → 精鉱(Fe %) 中間鉱(Fe %)
年度 (4 月から翌年 3 月)↓
昭和 25 225,361 t(51) -
同 26 221,960 t(50) -
同 27 181,616 t(49) -
同 28 123,254 t(49) 74,617 t(42)
同 29 90,092 t(49) 44,600 t(41)

従業員は職員 20 名, 鉱員 230 名および雑務 30 名を有する。

地形および地質

この鉱山の鉱床は草津白根火山の東麓の海抜 1,050~1,250 m の位置にあり, 附近は全体として東方に傾斜する高原状を呈している。 この高原上を流れるヌルユ沢と呼ぶ浅い谷に沿い鉱体が延びており, 上流部では谷の両側はやゝ急傾斜であるが, 下流部では広い緩傾斜の地形が発達している。 鉱体の北には長笹沢, 南には大沢川があり, 両河川とも両岸がほとんど絶壁に近い峡谷を形成している。 この地方は冬期は寒冷で積雪は多いが作業は中絶されることがない。

鉱床附近の地質は 古い方から順に 横手山熔岩・白根浮石流(正確には浮石流堆積物)および青葉熔岩からなる。 横手山熔岩は長笹沢以北にみいだされ, 鉱山の対岸では集塊岩状をなして露出している。 白根浮石流は鉱床のおもな基盤岩として広く分布し, 長笹沢とその北の沢とが小倉部落の南で合流する附近に分布するものは石英粒を含み, 粗鬆で熔結して柱状節理が発達し河岸に断崖をなして臨んでいる。 青葉熔岩は熔岩流末端の急崖地形がよく保存され, 山丘上には爆裂火口と思われる平兵衛池および大池の凹地が存在する。 鉱床の東方のトラック道路附近に白根浮石流を貫ぬく岩脈がある。 以上のほか地質図には省略したが, 鉱山附近には到る処に火山灰および浮石が薄く覆っている。

第 4 図 群馬鉄山地質鉱床図

鉱床

この鉱山の鉱床は 火山源の鉱泉から化学的沈澱作用によって地表において生成された鉱層で, 褐鉄鉱8割, 鉄明礬石2割からなり旧溪谷を埋めて細長く分布している。 鉱床は延長 2,200 m, 幅数 10~100 数 10 m であり, 厚さは中軸部で 10 数 m 以上に達することが少なくない。 なお鉄明礬石は本邦ではこれまでその産出が知られていなかったが, 昭和 22 年にこの鉱山で初めて発見されたもので, この独特の利用法についてはまだ実施されておらず, 鉄鉱の貧鉱として採掘されている。

鉱床の断面は層状を呈し, しばしば褐鉄鉱層と鉄明礬石層とが多数重なって縞状を呈し, まれに火山灰または浮石の厚さ 20~30 cm のレンズ状の夾みが存在し, また時には珪藻土の薄層が挾有されている。 概して鉄明礬石は鉱床の下盤側に, 褐鉱鉱は地表側に発達している傾向があるが, 実際の累重状態は頗る複雑で, 僅か 20~30 m の間隔で相隣る試錐の柱状図についても差異が著しく, 相互の連絡および対比の困難のことが多い。 これは 鉱石の沈積に従い表面における鉱液の流路が盛んに変転したによると思われる。 鉱床上の表土としては厚さ数 10 cm の火山灰または腐植土があったのみであるが, 現在では排土作業でほとんど除去されている。

鉱床の平面は一般に平滑緩傾斜であるが, その延長上ほゞこれを3等分する処に, たまたま急傾斜部があって, おのずから上・中および下流部に3分して考えられる。 上流部は安山岩熔岩が分布する地域内に位置し, そのうちの上流半部は安山岩を, 下流半部は往時の谷底に露われていた浮石流を直接に基盤としている。 この部は幅 100 m 以下であまり広くないが, 厚さは最も大きく中軸附近で通常 20 m 内外に達し, 現在の長笹沢または大沢川におけると同様な V ないし U 字型の峡谷を鉱石で充たしたものである。 中流部および下流部は浮石流を基盤としており, 南側は急傾斜面で劃され, 北側はきわめて緩やかな斜面をもった広濶扁平な旧溪谷に堆積している。 中流部は幅最も広く, 鉱床の北縁で厚さが薄い部分を除いた 採掘上の有効部のみでも幅 100 数 10 m に達し, かつ厚さ10 数 m に達する部分がかなりの範囲に発達し, 多量の鉱石を埋蔵している。 下流部は幅数 10 m 以内, 厚さ数 m 以内であり, 鉱液の残余からなお堆積された感がある。

次に鉄明礬石と褐鉄鉱との分布は上流部と中・下流部とでかなりの相違がある。 鉄明礬石は上流部に特に発達していて, 本鉱床の鉄明礬石総量の7~8割はこの部に存在し, 往々1層のみでも厚さ数 m に達する。 しかるに中流部に至れば鉄明礬石層は急に薄くなり, かつ褐鉄鉱を縞状に挾み, あるいは密に混じて品位をも低下する。 しかも鉱床の中央附近だけに帯状に分布するのみである。 下流部においては鉄明礬石はさらに弱勢となる。 褐鉄鉱は上流部にもかなり埋存されるが, 鉄明礬石の減少する中流部で最優勢となる。

鉱床の最上流端には 本鉱床を生成した鉱泉の湧出口の跡と考えられる凹陥地があり, 穴地獄と呼ばれている。 その側壁の一部から現在もなお弱勢な鉱泉が泌み出ている。 この鉱泉は湧出口における温度 20 ℃ 内外であり, 透明で硫化水素臭を有し酸性を呈する。 鉱泉は沢の清水と混じて流下し凹陥地底から鉱床下に伏流となり, 約 600 m 下流の鉱床中に水勢をやゝ加えて再湧出し, その後はヌルユ沢となって流下している。

鉱床を生成した鉱泉は 多量の硫酸鉄および多少の硫酸アルカリを有する硫酸酸性泉であり, これから その酸性度および濃度の変化に応じて 鉄明礬石または褐鉄鉱が選択的に沈積した。 すなわち鉄明礬石は溶液がかなり酸性を保つ条件の下で, 加水分解の中途において定着されたものであり, 褐鉄鉱は酸性度が低く加水分解が完全な場合の洗澱物である。 鉱液の酸性度および濃度の変化は 鉱泉の深所からの本質的なもののみでなく, 地表における清水の混入, 大気の作用等の表成的現象によって大いに影響されたと考えられる。

鉱石

鉱石の構成物としては褐鉄鉱および鉄明礬石のほか, 多少の岩石質物および珪藻土が認められる。

褐鉄鉱は多くは多孔質で赤褐色~黒褐色であり, まれに帯緑褐色または紫褐色を呈する。 鉱床の上流部では概して均質のものが多く, 往々黒褐色で頗る緻密, 堅硬のものがある。 中流および特に下流部では多孔質で比重の小さいものが多く, また処々に草木の印痕をとゞめるものを産する。 以上の塊鉱のほか少量の粉鉱も産する。 中流部以下では 色および組織を異にした部分が重なり合って縞状を呈するものが多い。

鉄明礬石は通常鮮黄色・帯褐黄色または帯白黄色を呈し, 褐鉄鉱とは色によって容易に識別せられ, 塊鉱を主とし粉鉱は少ない。 塊鉱は緻密質, または多少孔隙を有し, 土状・素焼土器状ないし海綿状組織を呈する。 多くは均質でまれに色および組織を異にしたものが斑らに集合することはあるが, 縞状をなすことはむしろ少ない。 鉄明礬石鉱には植物の印痕はほとんど認められず, 硬度は小さく, 少しく脂惑がある。 鉄明礬石と褐鉄鉱とは一般に分別され, それぞれ相当の厚さに堆積しているが, 縞状にあるいは密に, 時には角礫状または網目状に混交することもある。

珪藻土は褐鉄鉱層または鉄明礬石層中に挾有され, 水平レンズ状にまたは拳大の斑点をなし, まれにみいだされる。 最大の厚さは約 1 m ある。 純粋, 純白で水分を多量に含み易くクリーム状を呈する。 少量であるから利用されていない。

III.3.2 その他の鉱山

須川沿岸の六合村引沼で褐鉄鉱層を稼行しているが小規模である。 そのほか万座温泉附近, 横手山鉱山附近, 図幅地域北東隅の奥反下附近, 東縁に近い松谷附近, 南縁に近い矢竹附近にもきわめて小規模の褐鉄鉱層があるが, ほとんど未稼行である。

III.4 温泉および鉱泉 47)~49)

図幅地域内には 草津・万座・川原湯・花敷・尻焼および湯ノ平の6温泉と, 川中および松の湯の2鉱泉とがある。 温泉の分析表は省略したが文献 47)~49) に詳しい。

草津温泉 50)~52)

草津温泉は内外に著名で, その由来は古く養老年間(714~724)の発見と伝えられており, 源頼朝も建久 4 年浅間山麓の巻狩の折来浴したといわれ, その湯は白旗の湯として残っている。 草津白根火山東方山腹に位置し, 白根浮石流中から湧出する硫化水素含有酸性明礬緑礬泉で, 泉温は 70~80 ℃ である。 泉源は 10 余ヵ所あり, そのうちおもなるものは西河原・熱の湯・白旗の湯・鷲の湯および地蔵湯等で, 旅館は約 80 軒あり, 皮膚病・花柳病・癩病・痔疾およびリウマチ等に効果がある。

万座温泉 53), 54)

草津白根火山の西麓に位置し, 万座川に沿い約 800 m を隔てて上村と下村の2ヵ所に分かれ, 上村には旅館 3 軒, 下村には旅館が 2 軒ある。 わが国有数の高山温泉で高井熔岩中から湧出し, 砒素含有酸性明礬泉・硫化水素含有酸性泉および砒素含有明礬泉等に属し, 泉温は約 65 ℃ で胃腸病および皮膚病に効能がある。 なお万座温泉から白根山に登る途中や, 下村の南方約 600 m の場所にも温泉が湧出している。

川原湯温泉

長野原線川原湯駅附近にあり, 斜長流紋岩中から湧出する硫化水素含有石膏泉で, 泉温は 76 ℃ あり, 吾妻川に臨む断崖上に旅館 7 軒あり, 皮膚病・胃腸病および神経諸病に効能がある。

花敷温泉

図幅地域北縁に近い六合村入山字花敷にあり, 暮坂熔岩中から湧出する無色透明の食塩泉で, 泉温は 50~60 ℃ あり痔疾に効能があり, 旅館 2 軒を有する。

尻焼温泉

花敷温泉の上流直距約 500 m の河岸にあり, 暮坂熔岩中から湧出し, 泉温, 泉質等は花敷温泉と同様で, 旅館 2 軒を有する。

湯ノ平温泉

長野原~花敷間のバス道路に沿い両者のほゞ中央に位置し, 変朽安山岩中から湧出する石膏性苦味泉で泉温 54 ℃ あり, 胃腸病および脚気に効能があり, 旅館 1 軒を有する。

鉱泉

図幅地域東縁中央に近い岩島村松谷にある川中温泉, および松の湯(中組部落に近い方)はともに鉱泉で加熱して用うる。

III.5 石材

長野原町立石の長野原駅~草津温泉間を通ずるバス道路際で, 白根浮石流を手工具によって小規模に採掘, 加工しており, 主として土台石・石垣等に用いられる。

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EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000

KUSATSU

Niigata, No. 98

By RYOHEI OTA (Written in 1956)


Abstract

GEOLOGY

Rocks, volcanic activities and crustal movements known in the mapped area are explained successively from older to younger.

Plagio-rhyolites , the oldest rock in the mapped area, are composed of alternations of lava and pyroclastic rock. Phenocrysts of this lava consist of plagioclase, colored minerals and quartz, although the former two have been somewhat altered. Colored minerals rarely found comprise one or two kinds of augite, hypersthene and hornblende. The lava rarely happnes to contain lapillies of propylite or fragments of black shale, and here and there it has been changed to hard and compact rock due to the secondary silicification.

Propylites , which succeeded to the plagio-rhyolites, formed a thick lava flow intercalated with a few pyroclastick rocks. Phenocrysts of this lava are plagioclase, hypersthene and augite, which have been exceedingly altered to secondary minerals.

Acidic plutonic rocks are intruded into both of the above mentioned rocks, and are composed of two small separated masses in this area. They show remarkable changes of rock facies and give only slight contact metamorphic effects to country rocks.

The northern mass is mainly composed of quartz porphyrite, which changes gradually to quartz diorite or, otherwise, is penetrated by quartz diorite with distinct boundary. Therefore, quartz porphyrite is considered to be the forerunner of acidic magmatic intrusion and to be the marginal facies of the main body. It is porphyritic in texture with phenocrysts of plagioclase and hornblende, in groundmass comprised of plagioclase, hornblende, uralite, orthoclase, quartz, magnetite, chlorite, epidote, etc. Quartz diorite, rather porphyritic than equi-granular in texture, is composed of plagioclase, hornblende, biotite and quartz, accompanied with orthoclase, uralite, magnetite, etc.

The southern mass is severely influenced by impregnetion of pyrite, bleaching, kaolization or chloritization. It mainly consists of granite porphyry accompanied with quartz porphyry. The granite porphyry is rather coarse-grained, and composed of comparatively large crystals of plagioclase and hornblende, of which interspaces are filled up with small crystals of plagioclase, hornblende, uralite, biotite and orthoclase. Quartz porphyry, considered to be the marginal facies, contains phenocrysts of plagioclase, orthoclase, quartz and hornblende in somewhat altered groundmass consisting of feldspar, quartz, magnetite, chlorite, epidote, etc.

The geological age of the acidic plutonic rocks is probally Neogene, but no sedimentary formations associated with them are not found in this area, so that it is difficult to decide distinctly.

Takai lava and Kuresaka lava are the first products of the gigantic activity of andesitic magma started again. Both are similar to each other in their lithological characters, and a little affected by chloritization. Other various lavas of Neogene-Pleistocene , as named in the legend on the map, flowed on them one after another. These lavas, thickly covered almost over the mapped area, are so-called pyroxene andesite intercalated with pyroclastic rocks, though they are not always similar in appearances. They are mostly hypersthene-augite andesite, and rarely contains also olivine or xenocrystic quartz. For convenience, dykes are collected in one column in the legend, but their geological ages may be not always the same.

Afterwards, vigorous crustal movements happened all over this district, and consequently, strata composed of the above-described rocks were enforced to be separated into many blocks, or to be tilted.

Kadokai formation is considered to be the sediments at the time of the crustal movements. It is 100~150 m in thickness and composed of sand and gravel beds, rarely intercalated with clay or peat.

The age of the above-mentioned all rocks is assumed to be Neogene-Pleistocene, although there are no reliable prooves.

In Pleistocene, Haruna , Azumaya and Kusatsu-shirane volcanoes were born one after another. These volcanoes are not so much dissected, and the volcanic activities of Kusatsu-shirane are continued even at present. They are composed usually of so-called pyroxene andesite, but Haruna is partly of hornblende andesite,

In this mapped area, the erupted products of Haruna and Azumaya volcanoes are found partly, but the one of Kusatsu-shirane is widely distributed. Shirane tuff-breccia , the first product of the volcano, is found in a narrow area along the west border line of the map. Afterwards, Shirane pumice-flow flowed out and covered an extensive area, and a primary caldera which might have been created by this explosion is not so distinct at present owing to subsequent volcanic activities. This pumice-flow is 200~400 m in thickness, and is rough and fragile, rarely containing quartz grains. These two i.e. tuff-breccia and pumice-flow, occupy the lower-half of this volcano. The upper-half is accumulated with various lavas as named in the legend. These lavas are commonly hypersthene-augite andesite rarely containing olivine and xenocrystic quartz. Among them, only Aoba lava is characteristic in lithological as well as topographical features, because it carries biotite and is entirely glassy in texture of groundmass, and shows the topographies of lava-flow.

The lavas of the upper-half can be classified into the older lavas and the younger lavas . The older lavas formed a horseshoe-shaped caldera. The position of the crater which flowed out the older lavas is obscure at present, but seems to have been located near the present summit of Moto-shirane and partly Shirane in view of the present distribution of the lavas. After the formation of caldera, the younger lavas, namely, Moto-shirane lava and then Sessho lava covered the older lava, and many craters of this stage remain at the neighbourhood of the summit of Moto-shirane.

Recent volcanic activities happened near the summit of Shirane, but they were merely explosion without flowing out of lava. The oldest historic record of volcanic activity is in 1805. After that time, nine activities, -- in 1897, 1900, 1902, 1905, 1925, 1927, 1932 and 1939, were recorded. These activities took place within or near Yugama ("Hot-water cauldron"), i.e. the central one of three explosion craters aligned in north-east direction. But in 1902, eruption occurred at the northern part of the Yumi-ike (-pond) in the basin between the peaks of Moto-shirane and Shirane.

At the neighbourhood of the above-mentioned three exprosion craters, volcanic ejects beds are distributed. Fumaroles are found at the neighbourhood of the three explosion craters, Sessho-gawara (-wastland) and Manza hot-spring.

Higher terrace deposits found at the northeastern foot of Kusatsu-shirane volcano are the river sediments formed after the creation of the volcano. The Agatsuma-gawa (-river) and the Su-gawa are considered to have been streamed down southward to Karuizawa at that time. Agatsuma clay , about 150 m in thickness, is the deposit in a lake which was formed probably in relation with the eruption of Asama volcano. This deposit is composed of thick clay having gravel particularly near the base. Head erosion of the present lower stream of the Agatsuma-gawa advanced along the fault in the mountains in the eastern half of the mapped area untill it traversed the mountains, and consequently the upper stream of the Agatsuma-gawa, too, has flowed down easterwards since that time.

Imai gravel is difficult to be distinguished from lower terrace deposits only by appearances but the former is overlain by Tsumakoi pumice-flow. Loam, red brown in color and clayey, is distributed over the mapped area, although merely a small part is plotted on the map. Pumice bed is always intercalated in the loam, and become thicker and coarser in grain as it approaches nearer to Asama volcano.

Asama volcano is a famous active volcano sending up white smoke out of the crater on the summit all the time, and often erupts and scatters volcanic ash. In the mapped area, only a part of this volcano is shown. Okuwa mud-flow shows peculiar landscape dotted by many knobs, lower than 20 m in relative height. Tsumakoi pumice-flow , 100~150 m in thickness, evenly covered an undulated foundation, but has been dissected by erosion. Ozasa nuees ardentes flowed along the Agatsuma-gawa down to the east border of Omae village. Kambara mud-flow flowed down in 1783. Though only the distribution on the table land is plotted on the map, the mud-flow flowed down also along the Agatsuma-gawa and its branch streams. By this flow Kambara village were swept out and 466 persons were killed.

Lower terrace deposit and recent deposits are distributed along the Agatsuma-gawa.

ECONOMIC GEOLOGY

This area is one of the most important provinces of native sulphur and limonite resources in Japan. Besides, many hot springs gush out and are utilized as mineral bath in this area.

Many sulphur ore deposits are known at the surroundings of Kusatsu-shirane volcano. The Agatsuma, Ishizu and Shirane mines were under working when the writer surveyed, while the Byakurei, Yokoteyama, Manza and other mines were closed. All ore deposits of these mines, except the Manza mine, are of impregnative replacement type, replacing mainly pyroclastic rocks and partly lava. Shapes of ore bodies are mainly related with the attitudes of lava flow, which served mostly as cap rock for the ore deposition. The ore contains sulphur around 35 percent, higher towards the center of ore body and lower towards the border. The ore bodies often contain iron sulphide ore. The type of alteration of mother rocks is opalization, kaolinization, bleaching, etc.

The ore deposit of the Agatsuma mine , embraced in Matsuo-zawa lava, is composed of lenticular or massive six ore bodies. This mine produced 21,887 tons of refined sulphur in 1954. The ore deposit of the Ishizu mine is a swarm of small ore bodies, which are massive, connected with one another and embraced in Matsuozawa lava. This mine produced 8,379 tons of refined sulphur in 1954. The ore deposit of the Shirane mine is composed of three ore bodies, which are flatly massive and embraced in Yatoko lava. This mine produced 11,027 tons of refined sulphur and 12,276 tons of iron sulphide ore (S 43 %) in 1954. The ore deposit of the Byakurei mine is flatly massive and occurred in Aoba lava. The ore deposit of the Yokoteyama mine is composed of three massive ore bodies of sulphur and one ore body of iron sulphide. A sedimentary sulphur deposit in Yugama, found in an explosion crater on the summit of Kusatsu-shirane volcano, had been worked by the Manza mine . This is an ore bed, 63~65 % sulphur content and 2~5 m in thickness. This mine produced 19,393 tons of ore in 1952. Sublimate sulphur ore deposits were once worked near fumaroles, east of Manza hot spring and at the neighbourhood of Sessho-gawara. All other sublimate ore deposits are small in scale.

The Gamma mine has one of the largest limonite ore beds in Japan. Base rock of the deposit is pumiceflow overlying andesite. The ore body is developed in the form of filling up an valley and occupies an area of 2,200 m in length and 10~150 m in width. It is often more than 15 m in thickness in the central part. The ore body consists of alternated layers of limonite and jarosite. Jarosite is extremely abundant in the upper part of the valley and decreases its thickness rather suddenly in the middle part. In the lower part, limonite becomes predominant. The ore was deposited from an acidic mineral spring rich in iron sulphide, which gushed out in relation with volcanic activities. This mine produced 90,092 tons (Fe 49 %) and 44,600 tons (Fe 41 %) of ore in 1954. Another limonite ore bed is found at Hikinuma, Kuni-mura (-village), but is small in scale.

Building stone is obtained from Shirane pumice-flow near Tateishi, Naganohara-machi (-town).

The Kusatsu hot spring , well known for more than 1,000 years, is one of the most famous hot spring resorts in Japan, having nearly 80 hotels. This is sulphurated acid alum-vitriol spring of 70~80 ℃. The Manza hot spring comprises arsenic acid alum spring, sulphurated acid spring and arsence alum spring of 65 ℃. The Kawarayu hot spring is sulphurated sulphate spring of 76 ℃. The Hanashiki and Shiriyaki hot spring are common salt spring of 50~60 ℃. The Yunotaira hot spring is sulphated bitter spring of 54 ℃. Besides, there are two mineral springs in this area.


昭和 32 年 3 月 25 日印刷
昭和 32 年 3 月 31 目発行
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