06081_1981
地域地質研究報告
5万分の1図幅
秋田(6) 第 81 号
地質調査所 環境地質部 加藤碵一
昭和 56 年
地質調査所
目次 I. 地形 II. 地質概説 III. 花崗岩 IV. 新第三系 IV.1 粟島層 IV.1.1 ハゲノ浜砂岩礫岩部層 IV.1.2 粟島頁岩部層 IV.2 粟島浦粗粒玄武岩類 V. 第四系 V.1 更新統 V.1.1 高位段丘堆積物 V.1.2 埋没堆積物 V.2 完新統 V.2.1 低位段丘堆積物 V.2.2 沖積層 VI. 地質構造 VI.1 断層 VI.2 褶曲 VI.3 節理 VII. 応用地質 VII.1 新潟地震 VII.2 海底地すべり 文献 Abstract
地域地質研究報告
(昭和 55 年稿)
5万分の1図幅
秋田(6) 第 81 号
本地質図幅 及び 研究報告は, 昭和 54 年 6 月 及び 昭和 55 年 8 月に実施した野外調査の結果をまとめたものである。 粟島は 本来は「粟島」と「笹川」の両図幅にまたがっているが, 粟島全島を一括して「粟島」図幅とした。 この調査研究を進めるにあたり, 資料提供に加え 貴重な助言をいただいた 東京大学 地震研究所の中村一明 助教授と 地質調査所 環境地質部の垣見俊弘 地震地質課長, 岩石の検鏡をしていただいた 同所・同部・同課の下川浩一 技官 及び, 現地での資料収集に便宜を図っていただいた 粟島浦 村の本安忠次郎 村長に 深甚の謝意を表する。
粟島は 東経 139°13'~139°16', 北緯 38°26'~38°29' 付近にあって, 新潟県 新潟市の北東 約 63 km, 同県 村上市の北西 約 34 km の日本海上に位置する小島である。 全島が新潟県 岩船 郡 粟島浦村となっている。 北北東 - 南南西方向の いわゆる「粟島方向」に長軸を持ち, 長さ 約 7 km, 最大幅 約 2 km で, 島の面積は 約 9.5 km2 である。 島内の最高点である 小柴山 (265.6 m)を含む標高 200 m 前後の尾根が島の長軸方向に延び 分水嶺をなす。 陵線は 島の中央部よりいくらか東側に片寄り, とくに 島の南部でその傾向が強い。 小柴山付近の標高 220~250 m の陵線付近は 小規模な平坦面ないし緩傾斜面をなし, 古い地形面の可能性がある(第 1 図)。
島内には 段丘面と考えられる 次のような平坦な地形面が認められる。 すなわち, [ a ] 粟島の最高部をなす標高 200 m 前後の尾根上の緩傾斜面, [ b ] 島の北半部にあり 開析されたために 樹枝状に分布する標高 100 m 前後の平坦面, [ c ] 標高 50~70 m で とくに島の北部に比較的広く発達する平坦面, 及び [ d ] 標高 10 m 前後で 島の周囲に狭く分布する平坦面 があげられる。 村井(1965)によれば, これらうちの前二者 [ = a と b ] は 西北西方向にそれぞれ 4°+ 及び 3°傾いた段丘面であるとされているが, 分布は狭く, 段丘堆積物は ほとんど削剝されたり 植生におおわれているため 詳細は不明であるので, 以下の記載は省略する。 本報告では 後二者 [ = c と d ] を それぞれ 高位段丘面 及び 低位段丘面と称し, 段丘面 及び 堆積物の詳細については 一括して 第四系の項 [ =「V. 第四系」 ] で記載する。
海岸線は 一般に 島の東側では比較的単調で, 山腹は急傾斜をなし, とくに 南部では 地すべり性の崩壊が多く「くずれ浜」と称されている。 島の東側の中央部の 内浦 付近には 若干の低地がみられ, 沿岸部の砂浜と低位の段丘面がわずかに発達する。
島の西側の海岸線は 岩質に応じて ややいりくんでいる。 すなわち, ドレライトの分布地域は 突出し(第 2 図), 頁岩の分布地域は 湾入部となる傾向がみられる。 山腹は 島の東側よりも緩傾斜をなすが, 平地部の発達は悪い。
谷は 島の長軸方向に延びるものと それに直交する方向に延びるものがある(第 3 図)。 とくに, 島の中央部では 比較的大きな谷が東西方向に延び, 島を南北に二分している。 地表水は 乏しく, 涸れ沢も多い。
粟島の地質については, 古くは河野(1914)や徳重(1930)らによる簡単な報告がある。 1964 年の新潟地震 [ M 7.5 ; 震源は 粟島沖 ] の後に 多くの研究者が来島し, 同地震に伴う地殻変動や地質 及び 地質構造の調査を行い, 松川ほか(1964)をはじめとして 多くの報告がなされた。 また, 1974 年に生じた東海岸の内浦 地区の海岸線の欠壊 [ = 海底地すべりによる「粟島災害」 ] の原因の調査 及び 同災害の対策のために行なわれた 各種のボーリング 及び 物理探査等の結果は, 国土地理院(1975)から細部の報告書がまとめられた。
粟島の基盤は 白亜紀と考えられる粗粒黒雲母花崗岩 [ G ] からなり, 同花崗岩は 陸上部では 東海岸の内浦 部落の南方に小露頭があらわれているのみであるが, 東方の海底に広く分布しており, 粟島の長軸方向にほぼ沿ったドーム状構造をなす。 その上に 不整合(海域では一部 断層 ?)で 新第三紀 中新世の粟島層 [ A1・A2 ] と それを貫く粟島浦 粗粒玄武岩類 [ D ] が重なる。 粟島層は 基底礫岩であるハゲノ浜 砂岩礫岩 部層 [ A1 ] と 粟島頁岩 部層 [ A2 ] に2分される。 これらの上に 第四紀の堆積物が不整合に重なる。 更新統は 海成堆積物からなり, 高位段丘面を形成する堆積物 [ h ] と ボーリングによって知られる埋没堆積物とがある。 完新統は 海成堆積物である低位段丘面を形成する堆積物 [ l ] , 河成~海浜堆積物である 旧海浜堆積物, 崖錐堆積物, 扇状地堆積物・現河床堆積物 及び 海成~風成堆積物である 砂丘砂層・海岸砂礫層 [ ← 地質図の凡例では 一括して 冲積層(a)に区分 ] があるが, それらの分布は いずれも狭い。 これらの地質層序は 第 1 表にまとめられている。
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模式地 : 粟島の東海岸の内浦の南方のハゲノ浜
分布 : 陸上では 模式地に小露頭をなして分布するのみであるが, ボーリングの結果(第 4 図)によれば, 東方の海底に広く基盤をなして分布し, 島の形に調和的な NNE - SSW 方向に長軸を有するドーム状の高まりを形成している。 陸上部では ハゲノ浜 砂岩礫岩 部層 [ A1 ] に不整合におおわれる。 海底部では ハゲノ浜 砂岩礫岩 部層 及び 埋没堆積物に不整合におおわれる(第 5 図)。
岩相 : 肉眼的には 有色鉱物に乏しい粗粒の花崗岩である。 陸上部では 破砕 及び 風化の進行が著しいので 鏡下での観察は困難であるが, 黒雲母から変質したと思われる白雲母様鉱物が少量認められる。 国土地理院(1975)によるボーリング資料によれば, ボーリングコアーで得られた部分は 灰緑色~暗青灰色を呈する粗粒黒雲母花崗岩である。
対比 : 新潟県下には 古期岩層, 中生代層, 朝日 流紋岩類を貫いて 広く分布する 白亜紀の花崗岩類が存在し, その岩質によって 実川 型 花崗閃緑岩類 [ = 飯豊山 花崗閃緑岩 ] , 斑状花崗閃緑岩(アダメロ岩)及び 草水 - 小川 型 花崗岩類に分類されている(CHIHARA, 1959)。 本地域の花崗岩は 小川型 花崗岩に属すると考えられている(茅原・西田(1972); 新潟県(1977); 国土地理院(1975))。
粟島の新第三系堆積岩が 主として泥岩からなることは 従来から知られていたが, 茅原・西田(1972)は その主部を粟島硬質頁岩層, 基底部をハゲノ浜砂岩礫岩層と命名した。 本報告においては 両者を一括して 粟島(累)層と呼び, 上記のそれぞれを部層として扱うことにする。
命名 : 茅原・西田(1972)のハゲノ浜砂岩礫岩層を踏襲した。
模式地 : 粟島の東海岸の内浦の南方のハゲノ浜
分布 : 陸上部では 模式地の周辺にわずかに露出するのみであるが, 東方の海底には 基盤の花崗岩 [ G ] の上に広く分布する( 第 4 図参照 [ ← 内陸の地点(例えば 地点 1)の柱状図の方が 花崗岩との関係がわかりやすい ] )。
層序 : 下位の先第三紀(白亜紀)花崗岩 [ G ] を不整合におおい, 上位の粟島 頁岩 部層 [ A2 ] に整合におおわれる。 後者とは 一部 漸移している。
岩相 : 一部 褐色を帯びた優白質 砂岩~礫岩である。
模式地では, 下部は 主に礫径 1~2 cm の小円礫を花岡岩質砂で充塡した塊状のアルコース質礫岩で, よく固結している。 礫種は 先第三系のチャート, ホルンフェルス, 花崗岩 及び 粘板岩などで, 黒色頁岩の 5 mm 以下の小角礫を若干含んでいる。 上部は 塊状 無層理の細粒~粗粒のアルコース質砂岩が優勢で, 部分的に 花崗岩の小円礫が散在する。 国土地理院のボーリング資料(第 4 図参照)によれば, 模式地以外の本部層は 花崗岩細礫を含むシルト質細粒~粗粒砂岩で, 一部で頁岩を不規則な互層状にはさむ。
層厚 : 模式地では 約 6 m, ボーリング資料(第 4 図)によれば [ 模式地より内陸側の ] No. 13 では 約 11 m, [ さらに内陸の ] No. 1 で 約 10.5 m である。
対比 : 茅原・西田(1972)は 本層を 新潟県本土における中新統 中下部の 津川 層 [ ← 現在は その上部を大谷層, 下部を 戸ノ入 層に区分 ] に対比している。 しかし, 現在のところ 化石など決定的な証拠がないので, 本部層は, 後述する 七谷 層に対比されている 粟島層の主部をなす頁岩 部層 [ A2 ] の基底礫岩相とした方がよいと思われる。
命名 : 茅原・西田(1972)の粟島硬質頁岩層を踏襲した。
模式地 : 粟島の東海岸の 旗崎 の北方 [ 500 m 弱 ] の ツノラ 浜 [ 角浦浜 ] 付近の海岸
分布 : 本来は 粟島の主要部をなして分布したものであるが, 粗粒玄武岩類 [ D ] の貫・迸入によって 島内の各所に散在して分布する(第 6 図)。
層序 : 粟島 砂岩礫岩 部層 [ A1 ] に整合に重なる。 一部は 山崎断層によって断たれるが, 上限は不明である。
岩相 : 主に 黒色~黒灰色の頁岩からなり, 部分的に葉理の発達が著しく(第 7 図), また 一部で炭質物を含んでいる。 青灰色 細粒砂岩, 灰白色 凝灰質泥岩(第 8 図), 暗灰色 粗粒~礫質砂岩の薄層をはさみ, 不規則レンズ状の暗青灰色 シルト岩や泥灰岩質団塊を含む(第 8 図)。 粗粒玄武岩 [ D ] の貫入や迸入を受けている接触部付近では 熱変質により硬化し, 灰白~黄灰色になっている(第 9 図)。 一般に 節理が良く発達し, 摺曲や断層の影響を受けて破砕され 方状~細片状に割れている。 今井(1961)によれば, 頁岩の中の団塊をなす炭酸塩岩は 上部のものは Mg 成分に乏しい方解石 [ calcite ] , 下部のものは Ca に富む苦灰石 [ dolomite ] を主とする。 白色~灰白色の凝灰岩~凝灰質泥岩の薄層は 東海岸の [ 籏崎の北北西方 1 km 弱の ] ショーノミヤ [ 以下の [注] 参照 ] 付近, 西海岸の [ 小柴山の南西方 2 km 強の ] 大潤鼻 [ 以下の [注] 参照 ] 及び [ 小柴山の西方 1 km の ] 丸山浦 [ 以下の [注] 参照 ] 付近で観察され, 丸山浦では 50 cm 程度の厚さを持つが, 他はいずれも厚さ 5 cm 以下で 連続性に乏しい。
本部層の基底部の頁岩層には 海緑石粒が散在しており(茅原・西田, 1972), 下位のハゲノ浜 砂岩礫岩 部層 [ A1 ] の最上部の細粒砂岩 及び 砂質シルト岩から急激に本部層に移化している。
層厚 : 上限は不明であるが, 200 m 以上と推定される。
化石 : 大型化石は 産出せず, 松田ほか(1964)によって [ 海綿動物の ] Sagarites [ = Makiyama chitanii ? ] , 徳重(1930)によって [ 有孔虫の ] Cyclammina が, また 茅原・西田(1972)により 次の 10 数種の有孔虫化石が報告されている ; Globigerina spp., Globorotalia fohsi, Martinottiella communis, M. bradiana, Haplophragmoides sp., Ammodiscus incertus, Bulimina prpoides, B. sp., Pullenia bulloides, Spirosigmoilinella compressa, Nonion pompioides, N. pacificum, Frondicularia sp., Epistominella japonica, Hopkinsina n. sp., Ellipsonodosaria sp.。 また, [ 粟島の西海岸の釜谷の西方 500 m の ] 山崎の南方では 径 8 mm, 長さ 10 cm 程度で やや曲りくねっている 円柱状のサンドパイプが産出するが, 詳細は不明である。
対比 : 岩相の類似から 新潟県 本土の中新統 中下部の 七谷 層に対比されている(新潟県, 1962・1977)。
命名 : 新称。 茅原・西田(1972)の粟島 粗粒玄武岩を改称。
模式地 : 粟島の東海岸の旗崎
分布 : 粟島の地表の大部分を占める。 とくに 海岸部の凸部や小島部の露岩は ほとんど本岩類よりなる。
層序 : 基盤の花崗岩 [ G ] 及び 粟島層 [ A1・A2 ] に岩床や岩脈として迸入または貫入している(第 10 図)。
岩相 : ここでは 一括して粗粒玄武岩類 [ dolerites ] としたが, 実際には 玄武岩質から斑れい岩質のものまで含み, 一般に きわめて粗粒であり, かつ 岩相変化に富む。 肉眼的には, 塊状で黒灰色緻密質のものから細粒~中粒で柱状節理の良く発達した青灰色のもの, さらに 粗粒で青緑灰色~黒灰色のものまで様々である。 まれに 雲母の密集した薄層状~脈状部を含む(第 11 図参照)。
井原・西田(1972)によれば, 本岩は 主として かんらん石を普通に含む 単斜輝石斜長石ドレライトからなるが, 岩体の一部 または 全部に かんらん石を欠くものもある。 鏡下では この他に ときに斜方輝石・角閃石や黒雲母を含む。 ひん岩の中には 若干の石英を含むところもある。
代表的な岩石を鏡下でみると 次の通りである。
茅原(1967)及び 茅原・西田(1972)によれば, 本岩類は 日本海沿岸地域の 温海 ・ 弥彦 ・佐渡( 小木 )等に産する玄武岩~ドレライトと共に アルカリ玄武岩系に属する。
本岩類は, 単一の岩体の規模としては 幅が数 cm から 100 m 以上のものまで, 大小さまざまである。 幅 10 m 以下のものには, 岩床として迸入するもの 及び, 層理面にほぼ直交ないし高角度で斜交する岩脈として貫入するもの, さらに 不規則な産状を呈して貫入するものがある。 幅が数 10 m 以上のものは 主に岩床として迸入している。 いずれの岩体にも急冷周縁相が認められ, 周囲の頁岩に 軽微な接触熱変質を 数 cm~数 10 cm の幅にわたって与えている。 一般に 柱状節理をはじめ 種々の節理の発達が著しく, 山崎断層の近傍では断層による破砕を受けている。
海岸部では 若干の風化は見られるものの 一般に堅硬であるが, 内陸部では 風化が著しく, 10~50 cm 大の球部を残す玉ねぎ状風化や虫くい状風化がしばしば見られ, さらに風化が進行すると 褐色砂状を呈し 植生におおわれやすくなり, 露頭に乏しい一因となっている(第 11 図)。
対比 : 迸入や貫入の時期は 当然 粟島層 [ A1・A2 ] の堆積後で, [ 新潟県の ] 本土側に産するドレライトとの岩相の類似から 中新世後期(茅原, 1967)と推定されている。 新潟県(1977)は 寺泊 期 [ 以下の [注] 参照 ] の貫入としている。
高位段丘面は 粟島の北部の 牧平 を中心に 北東から南西に広がる標高 50~70 m の平坦面で, 松田ほか(1964)によって 牧平面とよばれた面に相当する。 第 6 図 [ = 粟島の地質図 ] に示されるように 主に島の北西端に広く分布し, この他に 島の西岸に点在するが, 東岸では不明瞭である。 牧平付近では 約 N 50°E の延長方向(旧汀線の方向)をもつが, 全体としては N 30°E ぐらいで, 島の長軸方向にほぼ平行して分布する。 比較的 平坦面の保存は良く, 北西方向に 20~40°程度傾斜している(第 12 図)。 段丘堆積物は 数 m 程度の層厚しかないため, 島の北半部をめぐる遊歩道沿いでは しばしば基盤の露出が見られる。 島の西岸に近い遊歩道沿いの露頭では, 主に 茶褐色 粗粒砂で充塡された 20~30 m 大のドレライトからなる円礫層で, 部分的に 径 10 cm 以下の頁岩の角礫~亜角礫よりなる薄層をはさむ。 松田ほか(1964)は, 新潟地震の直後に 同地震によって崩れた牧平の東部の崖の段丘堆積物を観察している。 そこでは 深く風化を受けて 最上部が明褐色の土壌化した粗粒玄武岩の基盤の上に, 褐色を呈する砂質の土で充塡された, 最大礫径 50 cm の粗粒玄武岩のくさり礫よりなる厚さ 1~3 m の円礫層が認められている。 牧平面は 海成波食合面で, 最終間氷期に形成されたと推定され, 松田ほか(1964)は下末吉期(およそ 1 × 105 年前)と推定している。
国土地理院(1975)による 内浦一帯の陸海域におけるボーリング 及び 音波探査の結果によれば, 同地域には 基盤の花崗岩 及び 第三紀層の上に, 更新世の生成と推定される砂礫層が分布する(第 13 図)。 礫径 1~8 cm 大の よく円磨された円礫からなり, 礫種は チャート, ホルンフェルス, 珪質砂岩, 花崗岩等である。 このほか, 礫径が 数 cm~数 10 cm 大の角礫~亜円礫も含まれ, 礫種は ドレライト, 頁岩等であると報告されている。 本層は 沖積層に不整合におおわれ 地表には露出していないため, 地質図には示していない。 本層の時代は 未詳であるが, 埋没地形 及び 沖積層との関係からみて 最終氷期の海退期に形成されたものと推定される。
低位段丘面は 標高 10~10 数 m, 現河床面や波食台面との比高が 6~10 m で, 島の東海岸の内浦 部落の南方にもっとも広く分布し, 西海岸の釜谷 部落付近 及び その北方にもやや広く分布する。 このほか 数 m 幅で 海食崖の基部に付着したような状態をなして ほぼ全島の周囲に分布するが, 地質図には表現しきれないので 省略されている。 内浦の南方では, 風化した褐色砂で充塡された 径 30 cm 以下のドレライトの円礫層と粗粒砂層が, 2~3 m の厚さで堆積しており, 海成層と考えられる。 他の地点では ドレライトの小円礫と頁岩の角~亜角礫よりなる。 海成面の標高は 内浦で 10 m よりわずかに高いと推定されるが, それ以上は 崖錐や扇状地堆積物, 砂丘砂等と漸移し, 詳細は不明である。
松田ほか(1964)は この段丘の生成を完新世の海進時(B.P. 4,000 年)と推定している。 現在の知見によれば, この完新世の海成段丘の形成年代は 約 5,000 年前であろう。
前項で述べた低位段丘堆積物のほかは, 島内における完新世の堆積物は 旧海浜堆積物・ 崖錐堆積物・ 扇状地堆積物・ 現河床堆積物・ 砂丘砂層・ 海岸砂礫層からなる。 これらの相互関係を模式的に第 13 図に示す。 これらの分布域は いずれもごく狭いので 一括して沖積層とし, そのおもなものを地質図に示す。
陸上では 主に 東海岸の内浦の付近の低地に分布するが, ボーリングや弾性波探査の結果(国土地理院, 1975)によれば, 内浦の東方の海底にかけて広く分布している。 主に ドレライトや頁岩の細~小円礫や貝殻片を含む砂からなる。
粟島の海岸線は その大部分がドレライトからなる急崖をなすので, 規模は小さいが 粟島の全周にわたって崖錐堆積物が分布する。 また, 沢の谷底沿いにもわずかに分布する。 一部は 島の南東岸の クズレ浜 [ ← 粟島の最南端の矢ヶ鼻の北東方の海岸 ] 付近のような地すべり性の崩積物も含む。 ほとんどが ドレライト類の大小角礫と それを充塡する風化土からなる(第 14 図)。
極めて発達が悪いが, 谷の末端付近にわずかに分布する。 ドレライト類の角~亜角礫と粗粒砂 及び 若干の粘性土からなる。
河川の発達が悪いため 谷底にわずかに分布するのみである。 ドレライト類の小角礫とその風化土からなる。
東海岸では内浦付近の沿岸部, 西海岸では釜谷付近 及び [ 小柴山の北西方 1.5 km 強の ] 立島の南東部等に散在して分布する。 中~粗粒砂からなる。
内浦 及び 釜谷等の低平地の沿岸部や 波食合と海食崖の境界部に分布する。 主に粗粒玄武岩類の円礫と砂からなる。
20 万分の1 新潟県地質図(新潟県, 1962・1977)から明らかなように, 粟島の対岸地域を含む新潟県北部では, 南北ないし北北東 - 南南西方向にのびる いくつかの地塊列や背斜列が存在する。 粟島もこれらの地塊列の一部をなし, 本土側の 角田 - 弥彦 山塊に連続すると考えられている (森本・木村, 1964)。 以下では これを「粟島 - 弥彦地塊列」とよぶ。 粟島自身は 幅 5 km, 長さ 25 km 程度の北北東 - 南南西方向にのびる浅堆の一部をなし, 堆の東側には 少なくとも東側が落ち, やはり 北北東 - 南南西にのびる断層が推定されている。 また, 粟島の周辺海域の深さ 25 m 付近にある平坦面(波蝕面)も 粟島の長軸方向に並行し, 西北西に傾むいている(NAKAMURA et al, 1964)。 さらに, 粟島付近の海域には, 水深 700~1,000 m の海底から 600~700 m の比高を持つ多くの堆が 北北西にのび, その頂部の平坦面(最終氷期の波蝕面 ; 深さ 120 m)は 北西に傾いており, その東側面は 断層と解釈される急斜面からなっている [ 以下の [注] 参照 ] 。 粟島の北部に発達する 下末吉期と思われる高位段丘面 [ h ] ( 牧平 面)も北西方向に傾動している。 1964 年の新潟地震の際, 粟島は やはり北西方向に約 55 秒 傾動・隆起した(中村ほか, 1964)。 このように, 地質時代から現在に至るまで, 粟島 - 弥彦地塊列は, 北北東 - 南南西方向を軸として 北西方向に傾動する傾向を持っているといえよう。
さて, 粟島は その過半部を新第三紀のドレライトが占め, 頁岩部もドレライトの貫・迸入によって変形・変質されており, さらに 海岸部を除く同島の中央部は, それらの風化土壌と植生によって広くおおわれているため, 地質構造を明らかにすることは困難である。 しかし, 断片的な粟島頁岩 部層 [ A2 ] の走向・傾斜の分布からみると, 同島の地質構造の概略は 第 15 図のように示すことができる。 すなわち, 粟島の新第三系の構造は, 第一義的には, 同島の長軸方向(北北東方向)とは やや斜交する北東方向を軸とし, 北西へ緩やかに傾斜していると見られる。 同島をほぼ二分する山崎断層も この方向と調和的に走っている。 東海岸の走向・傾斜の分布は, 東方海域を頂部とし 北東方向を長軸とする 半ドーム構造の存在を示唆している。 垣見・平山(1966)は, このような新第三系の構造を規制する方向を基盤方向 及び, 現在の粟島の長軸方向を 粟島方向と呼んだ。 そして, 粟島方向は, 後述するように 新潟地震による同島の傾動隆起や 牧平面の傾動方向と調和的であることから, 現在の構造運動を規制している方向であるとした。 粟島 頁岩 部層 [ A2 ] は これらの大構造に重なる小波長の褶曲構造を示し, 断層の近傍では急傾斜をなし 破砕されている。 また, ドレライトの近傍では 一般的な構造とは著しく不調和な走向・傾斜を示すところがある。 それぞれの地質構造について 以下に記載する。
[ 山崎断層は ] 松田ほか(1964)が 北東海岸のショーノミヤ付近 及び 南西海岸の丸山浦で露頭を確認し, 両者が連続すると推定した断層で, 垣見・平山(1965)が 西海岸の南部の丸山浦と山崎の間でその連続性を確認し, 山崎断層と名ずけたものにあたる。
本断層は 全体として 東側から西側へつき上げた逆断層である。 以下には 南から北へ露頭 [ = Loc. 1~6 ] ごとに断層の状況を記載する(露頭の位置は第 15 図に示されている)。
Loc. 1 [ 粟島の南西海岸の 大潤鼻 ] : 第 16 図 及び 第 17 図に示されるように, [ 山崎断層は この付近で ] やや屈曲するが, 一般に北東 - 南西方向にのび, 東に急傾斜し, ドレライト [ D ] と頁岩 [ A2 ] を境する。 頁岩は 後述するように 強く褶曲しており, 断層近傍では急角度となり, 一部が逆転している。 また, 頁岩中には 多くの小断層も発達している。 ドレライトも 断層近傍で破砕され, 破断面に沿って 方解石の脈が発達している。
Loc. 2 [ 山崎の東方 200 m 内外の地点 ] : Loc. 1 から北東にのびた山崎断層は 山崎の東の標高 50 m + の平坦面(高位段丘面 [ h ] )の西端をかすめて 釜谷に面した北岸に達する。 ここでは ドレライト [ D ] の中を通り, また 防波堤におおわれるために 直接 断層を確認できないが, 断層の近傍と推定される位置のドレライトの節理の発達や破砕 及び 風化の進行が著しい。
Loc. 3 [ 釜谷の北北東方 500 m 強の地点 ] : 断層は Loc.2 からさらに北東方向に釜谷の入江を横断してのび, 対岸の Loc. 3(第 18 図)に達する。 ここでも ドレライト [ D ] を通り, 崖上の平坦面を横切る。 断層の推定位置から 約 200 m 南東の釜谷 部落の露頭(第 19 図)では, 断層の影響で頁岩層 [ A2 ] が急傾斜している。
Loc. 4 [ 弁天岩の北東方の丸山浦に面した地点 ] : 丸山浦の露頭で, 松田ほか(1964)及び 垣見・平山(1965)の記載がある。 それによれば, 断層は 走向 N 10°E, 傾斜 55~60°E で緩く波うつ断層面を持ち, 東側のドレライト [ D ] が 西側の頁岩 [ A2 ] に衝上している。 断層の近傍では 上盤のドレライトは 数 10 cm 破砕され, 下盤の頁岩も急傾斜している(現在では 断層面は植生におおわれて観察できない)。
Loc. 5 [ 立島の東南東方 700 m 強の地点 ] : 断層は Loc. 3 から Loc. 4 にかけて ほぼ N 10°E 方向にのびてきたが, [ 長手鼻 の東方 700 m 強の ] 丸山(184 m)の西で 再び北東にすすむ。 島内では 一般に露頭条件が悪く, 地形的に断層の通過位置を推定するに留まるが, やはり 断層の近傍の頁岩 [ A2 ] は 走向・傾斜の乱れが著しく, 第 20 図のように破砕されている部分も多い。
Loc. 6 [ 粟島の北東海岸のショーノミヤ付近 ] : 断層は [ 断層の通過点のうちで ] 島内の最高点である 逢坂山 (235.1 m) [ ← 東海岸の籏崎の西方 1 km ] の北西を通って頁岩 [ A2 ] とドレライト [ D ] の境をなし, 北東岸のショーノミヤ [ ← 籏崎の北北西方 1 km 弱 ] 付近にぬける。 松田ほか(1964)によれば, ここでは N 55°E の走向を持ち, 断層近傍の岩石は 同方向のすべり面を伴って 破砕ないし擾乱を受けている。 泥岩 [ A2 ? ] は 断層に近づくと急斜して 70°N に達する。 現在では ゴミ集積処理施設ができたため 直接 観察することはできない。 [ 山崎断層の ] 推定位置を境に 南東側に 頁岩 及び 砂岩頁岩互層 [ A2 ? ] , 北西側にドレライト [ D ] が分布する。 とくに 頁岩は 数 10 m にわたって 1 cm 角の方形~細片状に破砕されている。
その他, 粟島 頁岩 部層 [ A2 ] の中には数多くの小断層が発達しており, それらは 垣見・平山(1966)によって解析された。 その結果は 第 21・22・23 図に示されている。 彼らは, いわゆる縦方向の正小断層群は その最大引張主応力軸の方位がほぼ一定し, 南北なしい北西 - 南東方向の相対的な引張りによって生じたものであることを暗示し, 大局的には, 基盤方向(北東 - 南西に長軸をもつ方向)の 半ドーム状の大きな浮き上りの初期にあらわれる応力場を反映するらしい と考えた。
粟島 頁岩 部層 [ A2 ] は 比較的 広い分布を示す所では 小褶曲構造を示すことが多い。
東海岸では 旗崎の北方のツノラバマ~ショーノミヤの間, 南海岸の矢ケ鼻~八幡鼻の間 及び, 西海岸の大潤鼻や丸山浦付近で小褶曲を観察することができる。 いずれも 波長は 短かく, 褶曲軸は 平均すると N 30~40°E 程度である。 西海岸の小褶曲を除いて 軸面はほぼ垂直である。
東海岸のツノラバマ周辺では 山崎断層の南東に 数波長の小褶曲が発達している。 波長は 100~120 m ほどで, 褶曲軸の走向は 約 N 30°E で, やや北東方向にプランジしている。 翼の傾斜は 20~50°程度で やや非対称である。 とくに小背斜は [ 軸部で折れ曲がり 翼部が平坦な ] シェブロン褶曲状を呈し, 軸部付近の頁岩の破砕が著しい(第24図)。
また, この北西翼には 第 25 図に示すような ブーディン構造が発達している。
南海岸でも小褶曲が発達しており, 一部はドレライト [ D ] の岩床にも影響を与えている。 波長は 数 10~数 100 m ほどで, 褶曲軸の走向は N 20~30°E 程度である。
西海岸の大潤鼻付近(第 15 図の Loc. 1)の頁岩 [ A2 ] の中には 第 26 図に示すような顕著な小褶曲が発達している。 この小向斜の軸面は N 70°E, 64°S 程度で, 北翼は N 60~75°E, 15~38°S, 南翼は N 40~50°E, 70°N~Vert. と非対称である。 第 27 図に示されるように 層面すべりが発達している部分もある。 褶曲の内部が 凹凸の多い小断層(N 20~65°E, 20~40°E)によって切られていることもある。 この小向斜の北側でも 軸面が水平に近い小背斜がみられるが, 多くの小断層によって破砕されている。
以上の小褶曲は ドレライト [ D ] の貫・迸入や 山崎断層の形成に伴う 受動的な地質構造にすぎないと考えられる。
粟島の新第三系の中には顕著に節理系か発達している。 村井(1965)の調査によれば(第 28 図), 基盤の花崗岩 [ G ] の中には 南 - 北, 東 - 西 及び 北東 - 南西の走向を持ち, 直立ないし高角度で傾斜する節理が認められ, 粟島 砂岩礫岩 部層 [ A1 ] の中には 北東 - 南西の走向を持ち, ほとんど直立するものと 北北東の走向で直立するものの 2組の節理系が認められるが, 露頭がきわめて限定されているので その構造地質学的意味は 明らかではない。 また, 新第三系の粟島浦 粗粒玄武岩類 [ D ] の中に発達する節理は 構造運動に起因する節理と区別し難いので, ここでは 筆者の調査結果を加えて, 主に 粟島 頁岩部層 [ A2 ] の中に発達する節理について述べる。
頁岩の中に発達する節理は 北北東 - 南南西 ないし 南 - 北方向で, 70~90°の高角の傾斜をもつものが卓越する。 この他, この節理系に直交 ないし 斜交する 直立した節理系も見られる。 山崎断層近傍では 走向傾斜は 乱れており 断層運動の影響がみられるが, それを除くと, 上述した一連の節理系は 粟島全島域 及び 対岸地域, さらに新潟・庄内平野地域に分布する新第三系中の節理系と共通の性質を示し, 地層の走向 及び 褶曲軸の方向である 北北東 - 南南西方向に主応力軸の一つが位置し, これに垂直な平面内の水平 及び 鉛直方向に他の2軸が位置すると解釈される。 この形成の主要期は 新第三紀の褶曲の完成の直後で, 鮮新世末~更新世を中心としておこった造構運動に 直接 関係すると考えられる(村井, 1965・1966)。
1964 年(昭和 39 年)6 月 16 日に新潟地震が発生し,
新潟市を中心に 多くの被害をあたえた。
この地震の震源は 北緯 38°21'・東経 139°11'
[
← 最新の震央の位置は 38゜22.2' N・139゜12.7' E
]
で,
深さ 40 km
[
← 34 km
]
とされ,
マグニチュードは 7.5 であった。
この震央は 粟島の南南西方
約 5 km
[
← 約 10 km
]
のところである。
地震波から推定された震源断層の長さは 80~100 km,
幅は 20 km で,
変位量は 西上り 4~5 m とされている(HIRASAWA(1965);
AKI(1966))。
一方,
地震発生の当時に
震央付近の海域の測深を行っていた海上保安庁 水路部の測量船 拓洋によって,
粟島の南東方
の震央付近
で 地震断層とみられる 西上りの落差 5~6 m の海底断層が発見された。
地震発生の約 2 ヵ月半後に 地質調査所(早川ほか(1965);
鎌田ほか(1966))によって 同地域周辺の音波探査が実施され いくつかの断層を発見したが,
そのうち S3 と名づけられた断層と 前述した断層とが一致することが確認された。
S3 は 栗島の東海岸より 東南東 約 7 km の海底にあり,
北北東 - 南南西(約 N 30°E - S 30°W)の方向を示し,
長さは 20 km 以上に達するが,
地震時において 断層変位の確認された地点は S3 の南端付近にあたり,
粟島の南方 約 20 km の位置であった。
水深の傾向とは逆に 断層は 西側が隆起していたが,
音波探査実施時には 海流等によって平滑化されたため,
海底地震断層の地形的変位は不明瞭になっていた。
この新潟地震によって 粟島は 0.8~1.5 m に達する 著しい西方への傾動隆起をなした。 傾動の軸の走向は およそ N 25°E で 島の長軸方向と一致しており, 傾斜は 約 55'' NW である。 隆起量の大きい [ 粟島の ] 東南部ほど 傾斜の大きい傾向がある(中村ほか(1964); NAKAMURA et al.(1964); 第 29 図)。 中村ほか(1964)が隆起量の推定に用いた海藻類の跡は 現在は観察できないが, 同様な石灰質藻から隆起を復元してみると やはり北西力向への傾動がうかがえる。
新潟地震の際には 島内の数力所に地割れが生じ, このうち 内浦地区では, 基盤の断層変位を反映したと思われる落差の明瞭な連続する亀裂帯が現われ, 中村ほか(1964)によって内浦断層と名づけられた。 内浦断層は 全長約 500 m, 平均走向は N 30°E で 島の長軸にほぼ平行して走り, 常に南東側落ちで 最大垂直変位は 約 70 cm, 走向ずれ成分は 0 または微少な右ずれであった。 内浦断層について, 中村ほか(1964) は, 海底に生じた S3 断層と同様に, 粟島と その近辺の隆起に関連した構造性の断層(地震断層)であることを示唆しているが, 活断層研究会(1980)は 地震時の地すべり変位の可能性があるとしている。 この推定は 内浦断層の変位が海岸側落下のセンスであり, また, 内浦 地区では その後(1974 年)に 大規模な海底地すべり(次節参照)が生じたことに基づくものであろう。
昭和 49 年(1974 年)3 月 22 日に, 粟島の東海岸の内浦 地区の海岸線が約 480 m にわたって最大幅 60 m も欠壊し, 同地域にあった第二・第三 防波堤, 防護壁 及び 粟島浦村の総合庁舎, 保育所, 船小屋などの約 30 棟の建造物が流失し, また, この付近の漁船, わかめ養殖施設, 小型定置網なども流失し, 多くの被害を生じた。
災害発生後に 国や県の関係諸機関による調査がなされた。 とくに, 建設省 国土地理院が事務局となって, 地質調査所を含む関係省庁 及び 大学関係者を中心に 粟島災害検討委員会が設置され, 陸海域にわたる 地形・地質学的調査 及び 各種の地球物理学的探査等の総合的な調査が実施され, 災害の原因の検討を行った(第 30 図)。
委員の一人である西村(1974)によれば, 災害後の新しい海底地形や土砂の移動量からみて 海底地すべりの可能性が強いとされている。 地すべりの原因は, 深層地下水が基盤岩と堆積層の境界付近を通って海中に流れ込んだのが主因で, さらに 潮流あるいは海底流が誘因になったと考えられている。 青木 (1974・1975) も この原因として, 港内の海底砂の大規模な移動 又は 流動が生じたためであり, この流動は 混濁流の一種と考えられる としている。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Akita (6) No. 81
By Hirokazu KATO (Written in 1980)
Awashima Island lies on the Japan Sea, about 63 km far from Niigata City of Niigata Prefecture to the north-east. The length of the island is about 7 km and the maximum width of it is about 2 km. Generally the coast-line of the east side of the island is rather smooth and the hill-slope of it is steep. In the west side of the island, on the contrary, the coast-line is more complex in response to the rock facies composing the coast. There are few plains on the island and so only two small villages, that is, Uchiura and Kamaya are existed in the east and west sides respectively.
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The basement rock of Awashima Island is made up of the coarse-grained biotite granite which is estimated to have taken place during the Cretaceus period. This granite is found only at a small outcrop to the south of Uchiura Village on the east coast. But it distributes widely in the eastern sea floor and shows a semi-dome structure. As this granite is remarkably fractured and weathered, detailes in composition and texture is unknown.
The Miocene Awashima Formation comprising clastic rocks and intruded with the Awashimaura Dolerites overlies the basement of the granite with unconformity.
The Awashima Formation is divided into two members, that is, the Hagenohama Sandstone and Conglomerate Member and the Awashima Shale Member. The former shows a basal conglomeratic facies and is composed of arkose sandstone and conglomerate. The lower part of this member comprises conglomerate whose pebbles are between 1 and 2 cm in diameter, and the matrix of which is medium- to coarse-grained arkose sandstone. Pebbles in conglomerate are composed of chert, hornfels, granite, slate and shale. The upper part of the member is composed of massive, coarse- to fine-grained sandstone and partly includes pebbles of granite. The thickness of this member is about 6 m at the type locality on the island and that is about 11 m according to the drilling data in the eastern bottom of the sea.
The Awashima Shale Member lies conformably on the Hagenohama Sandstone and Conglomerate Member and distributes in many places of the island. This member comprises mainly black to dark gray shale. Thin layers of bluish gray fine-grained sandstone, grayish white-colored tuffceous mudstone, dark gray coarse-grained to conglomeratic sandstone are intercalated in this member. The member also includes concretions of siltstone and marl. The shale is slightly altered near the contact with dolerite, and is remerkably jointed and fractured especially near the faults and folds. The thickness of this member is estimated to be more than 200 m. Fossils are poorly found except for foraminifers.
The Awashimaura Dolerites are mostly composed of olivine-bearing, or olivine-free clinopyroxene - plagioclase dolerite and show partly gabbroic or porphyritic texture. The Dolerites show various occurrences in intrusive form, such as dike, sill, etc., the width of which ranges from several centimeters to more than several tens of meters. The time of intrusion is estimated to be the middle Miocene.
The Quaternary formations narrowly distribute on the island. The Pleistocene sediments comprise a buried sediment and the higher terrace deposits. The former, which was found by drilling beneath the Holocene deposits in the coastal and sea-bottom areas around Uchiura Village, lies on the granite and Tertiary formations with unconformity. The sediment are composed of sand and gravel whose pebbles are made up of Pre-Tertiary rocks and Tertiary shale. The higher terrace deposits construct the so-called Makidaira Plane in the north of the island, which is 50 to 70 m high from the sea level and slightly tilts toward north-west. As a whole, the plane extends to N 30°E and dips 2 to 4°NW. Thickness of the deposits is less than a few meters. The terrace deposits comprise dolerite pebbles whose diameters are 20 to 30 cm and angular to sub-angular shale blocks which are smaller than ten centimeters in diameter. The Makidaira Plane is estimated to have been formed at the Shimosueyoshi Period (approximately 1 × 105 years old).
The Holocene deposits in the island are classified into the lower terrace deposits, older coastal deposits, colluvial deposits, recent fluvial deposits, dune sands and younger coastal deposits. They are mostly composed of gravel of dolerite and sand. Among them, the lower terrace deposits, the top surface of which is approximately 10 m high above the sea level, is considered to be products of the Holocene transgression.
Awashima Island belongs to the Awashima - Yahiko Block and constructs a part of the shallow bank whose width is 5 km and length is 25 km, extending from NNE to SSW. This block including Awashima Island has tilted north-west-wards since the early geologic age till the recent time. The geologic structures of Awashima Island is shown in Fig.15 in the Japanese text. The Yamazaki Fault roughly bisects Awashima Island and strikes from NE to SW, and steeply dips to the east. The eastern hanging side of the fault thrusts up to the west. The shale near the fault steeply dips and is partly over-turned. Many minor folds are shown in Awashima Shale Member. The direction of minor folds axis is N 30°to 40°E in an average. The axial planes of minor folds except those in the west coast are almost vertical. Their wave-lengths are between ten meters and a few hundred meters. Most minor folds are asymmetrical. The shale is remarkably fractured at the axial parts of folds.
At the time of the Niigata Earthquake of 1964, the island has been remarkably upheaved and tilted north-west-wards by 55 seconds. Amount of the uplift was 0.8 m in the west coast, and 1.5 m in the east coast, respectively. The contours of the amount of uplift are nearly parallel to the elongation axis of the island with a general trend of N 25°W, coinciding with the trend of several faults found on the sea bottom around the island, one of which was observed to displace at the time of the earthquake. Immediately after the earthquake, a surface break named the Uchiura Fault was found at the vicinity of the east coast of island. The fault is about 500 m long and runs nearly parallel to the east coast and displaced with a 70 cm down-throw relative to the west-side.
昭和 56 年 3 月 16 日 印刷 昭和 56 年 3 月 20 日 発行 著作権所有 通商産業省 工業技術院 地質調査所 (C) 1981,Geological Survey of Japan