06019_1976
地域地質研究報告
5万分の1図幅
秋田(6) 第 19 号
秋田大学 鉱山学部 藤岡一男
地質調査所 地質部 大沢穠
石油資源開発株式会社 池辺穣
昭和 51 年
地質調査所
目次 まえがき I. 地形 II. 地質 II.1 研究史 II.2 地質概説 II.3 地質構造 II.3.1 概説 II.3.2 褶曲 II.3.3 断層 II.4 権現山層 II.5 女川層 II.6 粗粒玄武岩 II.7 船川層 II.8 天徳寺層 II.9 笹岡層 II.10 新第三系凝灰岩の変質 II.11 高岡層 II.12 潟西層 II.13 段丘堆積物 II.14 砂丘堆積物 III. 応用地質 III.1 石油および天然ガス III.2 砂利と採石 文献 Abstract
地域地質研究報告(昭和 50 年稿)
5万分の1図幅
秋田(6) 第 19 号
羽後 和田地域の地質研究報告書は, 昭和 48 年度に短期間(63 日)の野外調査を行ない, 後述の各種未発表資料を使用して完成した。 本地域は秋田油田に属し, 由利北部油帯と呼ばれ, 大正年間にすでに油田開発が始っていた。 地質調査所によって小田亮平(1920~1921)の亀田油田, 千谷好之助(1922)の本荘油田, 村山賢一(1924)の和田油田などの油田図が作成された。 帝国石油株式会社および石油資源開発株式会社は, 早くから本地域の地質調査を実施し, 探鉱活動を続けている。 これらの社内報告は有益な資料であった。 さらに, 秋田県は本地域油田探査の物理探鉱や試掘を実施しており, その資料を提供していただいた。 秋田大学 鉱山学部 鉱山地質学教室では, 学生の地質学実習ならびに研究の場所として, 教官および学生により資料蒐集が続けられてきた。 これらの資料はほとんど全部が未公表であるが, 参考とし, 極めて有益であった。
羽後 和田地域の調査研究にあたって, 直接に協力していただいた秋田大学 鉱山学部 鉱山地質学教室の 高安泰助 教授・的場保望 講師および柴田金三郎 技官に深甚の謝意を表する。 資料提供に加え, 貴重な助言をいただいた秋田県 鉱務課長の上田良一 博士, 石油資源開発株式会社の前 探鉱課長の吉田義孝氏, 同社 秋田鉱業所の前 探鉱課長の鎌田恄志氏, 帝国石油株式会社の常務取締役の荒川洋一氏, 同社 新潟鉱業所の探鉱課長の小草欽次氏および 秋田大学 鉱山学部 地下資源開発研究施設の井上武 教授に感謝の意を表する。 さらに秋田大学の卒業論文および修士論文の資料を引用させていただいた 田中肇(1965), 尾田太良(1968), 吉川輝四(1969), Jusuf Effendy(1970), 伊東和夫(1970), 長久(1970), 有川隆一(1973)および藤原昌史(1974)の諸氏に感謝する。
羽後 和田地域の地形を大別すると, 西に 由利 丘陵, 東に和田盆地があり, その間を 雄物 川が大きく蛇行している。 由利丘陵(第 1 図)は, 北は秋田平野に, 南は 子吉 川より 本荘 平野に移る。 本地域内では [ 図幅地域南東部の雄和村 女米木 の南西方 3 km の ] 太平薬師 三角点(海抜 424 m)が最高峯で, 緩やかに起伏した侵蝕の進んだ低位丘陵である。 全域が新第三紀の堆積岩からなり, 局部的に粗粒玄武岩の貫入を受けているが, この粗粒玄武岩も風化にもろく, 出羽丘陵の中でも もっとも侵蝕の進んだ軟弱な岩石からなる地帯といえる。 本地域の新第三系の地質構造は ほぼ NS 方向を示しているが, この方向を地形上で的確に示すものは海岸線のみで, 河川は EW 方向の配列を示している。
由利丘陵地域内での分水界は東に片寄り, 東流して雄物川に注ぐ水系と, 西流して日本海に注ぐ水系に分れる。 前者の水系の河川はいずれも小さい。 後者の水系の河川では [ 本図幅の南隣の本荘図幅地域の北端に河口がある ] 衣 川が最長で約 13 km あり, 二古 川・ 君ガ野 川 [ ← 内道川 に河口がある ] ・ 勝手 川および鮎川が EW の流路をとって併行し, 日本海に注いでいる。 これらの河川は [ 本図幅地域の中央付近から南端に延びる ] 不動ノ滝 背斜構造地域でわずかに峡谷を呈するにすぎない。 流域の河成平地も狭い。
日本海に面した海岸は直線状の海崖(断層崖)をなし, 海崖は日本海の冬季の強風浪を受けて崩壊し, 長年にわたって後退を続けている。 この線状海崖は北由利(衝上)断層帯にあたり, その断層走向に沿って形成されている。 海岸平地も狭く, 海岸段丘も分布していない。 おそらく海蝕でなくなったものであろう。 海岸丘陵には日本海に面した海岸特有の飛砂被覆が海岸線に沿って幅広くおよんでいる。 飛砂は丘陵や低地を埋めて厚さは不定であるが, 北から大森山(海抜 123 m) [ ← 図幅地域北端 ] ・下浜山(海抜 103 m) [ 位置不明 ; 鮎川の北方 ? ] ・二古の南方の 134 m 丘などの高さまで被い, 海岸沿いに見掛砂丘をつくっている。 海岸防砂林によって砂の奥地移動が防がれている。 この砂丘は沿岸地下水の分布に影響をあたえている。
由利丘陵と和田盆地を分ける雄物川は大きく蛇行し, 河幅約 250 m で, 満々と水をたたえ悠々と静かに流れる状態は大河の観を呈している(第 2 図)。 河岸に底平地を幅広く開折し, 良水田を提供し, そこに聚落 [ = 集落 ] がよく発達している。 40 m 以下の底平地は低位段丘と沖積平地で, 秋田平野につらなる北部平地が最も低い。
和田盆地は由利丘陵よりさらに低平な丘陵地で, 北部は岩見川の東西流路で開折され, これに平行する小河川も雄物川に注いでいる。 北端部の 御所野 ~ 小阿地 の台地から岩見川の南岸の 椿台 一帯, さらに雄物川の西岸の 潟野目 [ ← 湯野目 ? ] ~小山 地域に河成段丘が発達している。 内藤(1965)によると, 第 3 図に示すように, 標高 120 m 級より最も低い赤平段丘まで 8 面を数えている。 これらの面のうち 40 m 以高の段丘面は農耕牧畜地として利用され, 最近はゴルフ場や空港 [ = 秋田空港 ] として活用されるようになった。
羽後 和田地域の地質は, 秋田油田の探鉱開発に関連して明治初年より調査されているが, 本格的には 1902 年(明治 35 年)に秋田石油調査会が設立されてから活動を始めた。 翌年より伊木常誠が秋田油田の地質調査を始めるにおよんで, 漸次 由利丘陵地帯の地質層序および構造が解明されてきた。 1919 年(大正 8 年), [ 鮎川の河口から約 2 km 上流の ] 羽川 背斜構造における綱式1号井によって深度 103 m で日産 1 kl の出油があり, [ その北方約 5 km の ] 桂根 背斜では綱式1号井による深度 282 m で出油し, 本地域に対する石油鉱業の関心が高まった。 1920 年(大正 9 年), [ 桂根背斜の東方約 1.5 km の ] 豊岩 (背斜)構造で浅層(桂根相)油層が発見され, 桂根油田の R-1 号井で 女川 層の上部の火山噴出物に貯油する深油層が発見された。 これは [ 本図幅の北隣の秋田図幅地域内(秋田市の中心部)にある ] 八橋 油田の第7油層以深の油層に相当するもので, この時期にこの地方で発見された意義は大きい。 1921 年(大正 10 年)には 勝手 および 内道川 油田が発見された。 小田(1920~1921)が [ 図幅地域南端付近の ] 亀田油田の調査を行ない, 千谷(1922)の本荘油田 [ ← 本図幅の南々隣の矢島図幅地域内 ] , 村山(1924)の和田油田 [ ← 本図幅地域の北東隅付近 ? ] など, 地質調査所による油田の地質調査が秋田油田全域に展開されるようになった。
上床(1922)が桂根油田を調査し, 黒色頁岩層を整合におおい, 砂質頁岩層におおわれる砂岩の優勢な地層を桂根層と呼んだ。 1930 年の地質学雑誌 第 37 巻 第 447 号の付録特別号の石油地質学論叢において, 当時の知識による秋田油田の地質が総括され公式に層序および地層名が提唱された。 本地域について, 大村(1930)によって第 1 表に示すような層序区分がなされ, 桂根層を天徳寺層の特異堆積物とし 「現滅頗る急なるを一の特徴とする」(p. 759)と述べている。 女川層から船川層にまたがる火山噴出物は新緑色凝灰岩と称して, 女川層より下位の緑色凝灰岩と区別している。
| 時代 | 層序・岩質・層厚 | |||||
| … | ||||||
1939 年(昭和 14 年)に豊岩油田の深層が発見され, 1941 年頃に浜田ガス田 [ ← 島根県の浜田沖 ? ] が開発, さらに 30 年たって, 1970 年(昭和 45 年)に鮎川ガス田が発見された。
西方の日本海の大陸棚油田が注目されるようになったのは, 1951 年に岩佐徳三郎による日本海沿岸の海底地質調査にはじまる。 1955 年(昭和 30 年)に石油資源開発株式会社が設立され, [ 秋田県 ] 芦川 [ 位置不明 ; 本図幅の南隣の本荘図幅地域内 ] の沖で海底地質調査をアクアラング潜水によって行なった。 次いで重力探鉱と地震探鉱が行なわれ, 1958 年(昭和 33 年)には [ 秋田県 ] 道川 [ 位置不明 ; 本図幅地域内の君ケ野川の河口の北方 ] の沖において白竜号による日本最初の沖合試掘が実施された。
羽後 和田地域の地質調査は当初は地質調査所によって始められたが, 石油会社が引続き, ながい間 繰返し調査して全域にわたって概要をつかめるようになった。 石井(1953)が本地域の層序を第 2 表に示すようまとめた。 さらに, 井上・荒川(1958)が秋田油田の業績を総括・紹介した。 和田盆地の総括的調査は池辺ほか(1956)によって実施され, 由利丘陵の地質は岩佐ほか(1957)によって綜合され, その一部は宮崎・阿竹(1966)によって調査された。 これらの業績をとりまとめて, 池辺(1962)が第 3 表のように総括した。
| 時代 | 時階 | 標準層序 | |||||||
| 階名 | 記号 | 男鹿半島 | 秋田市周辺 | ||||||
| 第四紀 | 潟西階 | Ⅸ | 潟西層 | 寺内層 | |||||
| 第三紀 |
鮮新世
~ 中新世 | 鮪川層 | Ⅷ | 鮪川層 | 鮪川層 | ||||
| 笹岡階 | Ⅶ | 脇本層 | (上部) | 笹岡層 | |||||
| 天徳寺階 | Ⅵ | (ⅥU) | (中下部) | 天徳寺層 | (上部) | ||||
| (ⅥL) | 北浦層 | 桂根層 | (下部) | ||||||
| 船川階 | Ⅴ | (ⅤU) | 船川層 | 船川層 | (上部) | ||||
| (ⅤL) | (下部) | ||||||||
| 女川階 | Ⅳ | 女川層 | 女川層 | ||||||
| 西黒沢階 | Ⅲ | 西黒沢層 | 鵜養層(ⅢU) | ||||||
| 砂子渕層(ⅢS) | |||||||||
| 台島階 | Ⅱ | 台島層 | 大倉又層 | ||||||
| 門前階 | Ⅰ |
門前層
赤島層 |
萩形層
大又層 | ||||||
| 先第三紀 | 基盤 | 花崗岩類 | 花崗岩類 | ||||||
1970 年(昭和 45 年)より秋田県による油・ガス探鉱が着手され, 秋田 鮎川・境川 [ ← 図幅地域北西部の桂根付近に河口がある ] ・勝手川・二古・ 深山 [ ← 湯野目 の南南西方 4 km ? ] ・北亀田 [ 位置不明 ] ・竹の花 [ ← 女米木 の北方 5 km ] などの試掘が行なわれた。 帝国石油株式会社と石油資源開発株式会社によってもそれぞれ試掘が進められており, また, 日本海の大陸棚油田の探鉱も活潑に実施されている。
羽後 和田地域は東北裏日本の秋田油田地域に属し, 本地域に分布する地層は主として新第三紀 中新世以降の堆積岩からなる。 火成岩としては粗粒玄武岩がわずかにみとめられるのみである。 本地域は秋田油田の一部であるので, 石油・ガス鉱床の対象層が全域にわたって分布する。 由利丘陵は古くより由利油帯として油田が開発されたところである。 全域が褶曲および断層による複雑な構造を示し, 特に由利丘陵は著しい。 したがって集油構造もよく発達し, 相隣る日本海大陸棚と共に石油・ガス探鉱の努力が払われている地域である。 第 4 表に地質を総括した。
| 時代 | 層序 | 模式図 | 岩質 | 石油・ガス | 化石 | 備考 | |||
| … | |||||||||
第 4 図に本地域付近の地質略図を, また第 5 図には本地域付近の走向線図を示す。
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[ 本図幅地域の地質図は ] 西黒沢階(中新世中期)に属する 権現山 層を最下位とし, 順次上位に, 女川 層・ 船川 層・ 天徳寺 層・ 笹岡 層と第三系が累重し, 更新世の 高岡 層・ 潟西 層と段丘堆積物, さらに現世にかけて砂丘堆積物および沖積層が堆積している。 これらのうち従来 開発されている石油・ガス鉱床は女川層・船川層および天徳寺層の下部( 桂根 相を含む)に胚胎し, 権現山層にも賦存が確認されている。
権現山層 [ Gs, Gm ] は [ 図幅地域の東西中央やや東で岩見川付近から南に延びる ] 川添 背斜部では砂岩と礫岩を主とし, 泥岩をともなっている。 [ その西の ] 不動ノ滝背斜部および田中 - 亀田背斜部の地下では泥岩を主とし, 火山噴出物を挟む堆積に変っている。 層厚は 500 m 以上である。 秋田県内の西黒沢階には黒鉱々床を多数胚胎しているが, 本地域内では火山活動が比較的弱く, この層準からまだ商業ベースに乗る鉱床は発見されていない。
女川層 [ Om ] および船川層 [ t1, Fm ] はそれぞれ硬質泥岩と暗灰色泥岩で代表され, 秋田油田全体を通じて広域 斉一相をなし, 本地域において特記することはない。 ただ石油鉱床の観点からいえば, 女川層に 爼山 火山岩類が挟まれ, これが貯油層になっていることと, 船川層の上部に酸性凝灰岩が発達し, 粗粒砕屑岩を含み, 貯油層をなしていることが特徴である。 女川層の層厚は 400~700 m, 船川層の層厚は 500~800 m である。
天徳寺層 [ Tk, Ta, t2, Ts ] はシルト岩を主としているが, 秋田油田地域では顕著な堆積 分化を示している。 そのうちでも含礫砂岩を主とする桂根相 [ Tk ] の異常発達は由利丘陵地の特色である。 桂根相は由利丘陵地の西部を中心として厚く発達しており, 北方の秋田平野, 南方の本荘平野, 東方の和田盆地においていずれも薄くなっている。 桂根相は層厚 700 m に達し, 砂岩と礫岩を主とし, 酸性凝灰岩および泥岩との互層で, 砂岩と礫岩が乱堆積をなしている。 [ 秋田市の ] 八橋 油田でも [ 仁賀保 町の ] 院内 油田でも, この砂岩が泥岩と互層し 油層となっており, 重要な貯留岩である。 差別的沈降・隆起という現象が認められるのも天徳寺層である。 本地域では北由利(衝上)断層を境に東側は衝上隆起し, 西側は沈降する。 全般に隆起に転じ, 浅海化・粗粒化堆積に移る。 天徳寺層の層厚は 300~1,500 m である。
笹岡層 [ t3, st, Ss ] は主として砂岩からなり, 和田盆地では粗粒化し 堆積埋没相を呈するが, 日本海沿岸ぞいの由利丘陵では泥質相を示す。 本層の層厚は 200~400 m である。
高岡層 [ Td ] は主として砂岩からなり, 海成層の証拠はなく, むしろ淡水成とみられる。 層厚は 30~60 m である。 潟西層 [ Ka ] は礫・砂および泥からなり, 層厚は 50 m 内外である。 雄物川沿いに段丘堆積物 [ Td ] および沖積層 [ a ] が分布している。 雄物川沿いには低平地が開折されているが, 日本海岸は平地がなく, 直線状の海蝕崖をなし後退を続けている。 北由利(衝上)断層による断層海岸である。 また, 日本海沿岸では砂丘砂が丘陵を覆い [ sd ] , 飛砂となって内部に幅広く移っている。
本地域は火成岩が極めて少なく, 地表では権現山層と女川層とを貫ぬく粗粒玄武岩々床 [ Do ] がところどころで観察される。 地下では女川階の爼山火山岩類に属すると考えられる安山岩火山砕屑岩が広く潜在している。
出羽変動による造山は激しく, 由利丘陵では特に密列する褶曲・断層が発達する。 これらは南北方向を軸とした構造で, 全体として丘陵地は隆起 複合背斜地とみられる。 約 8 条の背斜構造が併走し, 西方にいたるに従い背斜間隔が短くなり, 衝上による背斜構造の配列が生じている。 この衝上は北由利(衝上)断層と呼ばれ, この構造帯を境に東は隆起, 西は沈降という正負運動が隣合って展開している。 出羽変動主動期は天徳寺階の中期で休止し, 別な型式の造横運動が生じ, 笹岡層の基底の不整合に覆われているところがでてくる。 出羽変動の後期運動ともいうべき造構は繰返しながら潟西階の前をもって終結する。 和田盆地では天徳寺層以後の地層に強い造横連動が働いていない。
上記のような堆積と構造から, 羽後和田地域は油田地域として価値が高く, 隣接している日本海大陸棚と共に石油・ガス鉱床の探鉱・開発の対象域をなす。
羽後 和田地域の地史(第 5 表)は中新世中期の西黒沢階より始まる。 西黒沢階には和田盆地東縁に 砂子渕 層が堆積している。 砂子渕層はスピライト質玄武岩の噴出物を主体とし, 瀕海~浅海成の砂岩および礫岩をともなっている。 後期には 鵜養 泥岩(河井, 1950)に移る。 この泥岩に含まれる浮遊性有孔虫によって男鹿半島の西黒沢層に対比される。 底棲有孔虫群は陸棚外縁~漸深海(outer shelf - upper bathyal)の環境を示す。 本地域の川添背斜にみられる権現山層は火山噴出物を含む砂岩および礫岩からなり, 上部では泥岩に移り, 砂子渕層に近い岩相を示す。 西方の不動ノ滝背斜にみられる権現山層は泥岩を主とし, 火山砕屑物を含み, 暖流系の半深海~深海成層である。 秋田油田の他の地域に較べると正常堆積の泥岩が多い。
女川階の堆積物は広域 斉一相の硬質泥岩からなり, 化石が少いが, 砂質有孔虫で特徴づけられ, 還元的な停滞水域環境で石油母層の堆積をもたらしている。 後期には安山岩の噴出, 粗粒玄武岩の迸入活動が行なわれている。 この時期の海は寒流系の内海で, 古日本湾(浅野・高柳(1966); 藤岡(1972))と呼ばれる。
船川階は黒色泥岩を主とし脱珪質で凝灰岩の挟みが多くなる。 少なくとも下部においては, 生物相と環境は女川階より引続き, 大きい変化はない。 しかし, 船川層の上部になると酸性凝灰岩が多くなり, 東方においては粗粒化し, ところによって砂質岩の堆積が顕著となり, 石灰質有孔虫化石が増えている。 この時期に乱泥流が粗粒砕屑物を運び, 火山活動が活潑になってきたことが一特質となる。
天徳寺階には層相の変化および生物相の変化が著しくなり, 地域差を生じ分化現象が起った。 岩相上は由利丘陵の西部に厚い砂岩と礫岩からなる桂根相が突然出現し, 泥質岩堆積盆に砂礫の多量堆積の局地的異変を生じた。 これと共に海底火山噴出も盛んになり, その噴出物が漂礫として混入し, 乱泥流として拡がり移動し, 厚い桂根相を堆積した。 このような異常堆積期は出羽変動期を示すもので, 油田基盤の隆起と造山が行われた。 海況そのものは船川階に続いて砂質有孔虫と石灰質有孔虫の混在期で, 造構運動と関係なく, 漸次 浅海化を続けている。 和田盆地の東部の天徳寺層基底に見られる不整合現象, および油田内各地でみられる堆積盆の分化はこの時期に始まる。 古日本湾が南方で東 支那 海に通じ, 津軽海峡を通じて太平洋に連なるようになって, 暖流系の浮遊性有孔虫化石が含まれるようになった。 天徳寺階の後期にはシルト岩の安定堆積が拡がり, 造構運動も休止したとみられる。
天徳寺層の堆積後に造構運動があり, 一部地域では陸化し, 新らしい構造の上に笹岡 海侵があり, 不整合が各地でみられる。 日本海側では沈降が継続しているが, 和田盆地およびその東では堆積盆の埋没期となり, 粗粒砕屑物が堆積している。 笹岡層の堆積後に軽微な造構運動があって, 陸水化した堆積盆に淡水成と考えられる高岡層が堆積した。 この層は砂岩からなるが, 軽微ながら造構を受けていて, この造構は潟西層の前, すなわち出羽変動の終末時の造構運動によるものである。 潟西層は下位層と不整合で水平層をなす。 潟西層はヴルム氷期の上昇期における内陸湖盆の堆積である。 この湖盆は秋田平野を中心とし, 南北方向に延び, 幅は約 30 km におよび, その南限は本地域北部である。 氷期が終って繩文早期の海侵があった。 その時期には現在の海面より高く, 海水はより深く侵入し, その海岸線に季節風による砂丘を生じた。 それから, 昇降運動を繰返しながら, 砂丘も生長し, 平地も拡げられている。
羽後 和田地域は東北裏日本の秋田油田に属し, 油田集油構造に関連して古くより地質構造の調査研究が行なわれている。 本地域の造山運動は船川階の後期に始まり, 天徳寺階初期を主動期とし, 次いで数回の後続的造構運動を繰返して潟西階の前に終ったもので, 出羽変動(大村(1935); 藤岡(1968))と呼ばれている。 出羽変動による褶曲と断層は南北方向を軸とする地層の変位・変形である。 この変動が造陸と造盆の分化運動, すなわち隆起と沈降の相反する運動であって, 境界には衝上活動を生じている。 これらの運動の中には 主動期で終った構造と長期にわたって活動したとみられる構造がある。 第 6 図に本地域の地質構造を, 第 7 図に本地域の走向線図を示す。
本地域の主要構造について概説する [ 第 6 図 ] 。 隆起主帯は川添背斜と不動ノ滝背斜であって, この地帯を中軸として地背斜運動を展開している。 その東の和田盆地とは [ 図幅地域の南西部の ] 中帳 断層を境とし, 西方の過褶曲帯とは, 併走する逆断層や衝上断層によって, 究極的に北由利(衝上)断層をもって, その西方の沈降帯と境をなしている。 出羽変動の主動期以後も著しい造構運動があったのは北由利(衝上)断層に伴う両側, すなわち上下盤である。 北方の秋田平野に向っては段階的に沈降し, 少なくとも天徳寺層の上部以後の地層には緩かな構造しかみられないが, それより下位の地層は激しい構造を呈しているようである。 南へは, 地域構造が [ 本荘市街で合流する ] 子吉 川~ 芋 川の線まで延び, ここでも段階的に本荘平野に向って沈降し, 北方におけると同様な構造をなしているものと推測される。
[ 本文で用いている ] 構造の名称は公表されたものもあるが, 石油会社で古くより用いられている名称を用いた。 由利丘陵では川添背斜の西側の向斜性断層によって不動ノ滝背斜が接し, その西翼は君ケ野向斜に連なり, さらに亀田背斜に移る。 亀田背斜は断層によってづれ, 北方に延び, 田中背斜と呼ばれている。
羽後 和田地域の褶曲構造は全域に及ぶが, 由利丘陵において特に激しく, 和田盆地においては比較的緩やかである(第 7 図)。 由利丘陵でも, 大局的にみると, [ 田中背斜の西を南北に走る ] 白幡 - 鍋倉向斜を境として, その西側では衝上断層を伴なう 過褶曲 [ = 地層が圧縮されて大きく折れ曲り,両翼が同方向の斜めに倒れた褶曲 ] を呈するが, 東側では比較的波長の長い 正立褶曲 [ = 褶曲軸面が鉛直に近いもの ] をなす。 本地域内の背斜構造は中央部を南北に走る川添背斜, その西方に不動ノ滝背斜・ 亀田背斜と田中背斜・ 道川 背斜・ 羽川 背斜・ 勝手背斜・ 二古 背斜および松ケ崎背斜があり, 併走する [ 第 6 図 ] 。 これらの背斜の間は向斜もしくは断層となっている。 由利丘陵と和田盆地の境には中帳断層が, 由利冲盆との境には北由利(衝上)断層群がある [ 第 6 図 ] 。 これらの南北方向の褶曲と断層を切る東西ないし斜行方向の断層は後期のもので, 前者 [ = 南北方向の褶曲と断層 ] に較べて弱い。
川添 背斜 : [ 図幅地域南東部の 女米木 の南南西方 4 km にある ] 檜山 峠付近を極隆部とし, [ その付近では ] 権現山層 [ Gs ] を軸心部に露出し, 南北ないし北々西方向を軸とする背斜構造である。 北方に漸次 沈降しながら女川層 [ Om ] , 次いで椿川付近で船川層 [ Fm ] , さらに [ 岩見川の北岸の ] 豊成 付近で天徳寺層 [ Ta ? ] が重なり, 北方に延びて [ 本図幅の北隣の秋田図幅地域内の ] 秋田市 下北手 付近まで地表で認められる。 本地域で最大の背斜構造である。 極隆部では東翼が急傾斜(35~40°), 西翼が緩傾斜(10~25°), 椿川付近では両翼とも10~25°, 豊成以北では 10°以下の緩傾斜となる。 南方へは中帳断層によって東翼を断たれるが, 南隣の本荘地域内の熊の沢(芋川の支流)付近まで延びている。 川添背斜の東方は中帳断層に切られ, 西方は向斜性断層によって不動ノ滝背斜に接する。 [ 本図幅地域の中央~南部において ] この背斜構造には粗粒玄武岩 [ Do ] の迸入が著しく, 権現山層 [ Gs ] と女川層 [ Om ] を貫ぬいている。
不動ノ滝 背斜 : [ 女米木の西南西方 6 km にある ] 不動ノ滝 [ ← 亀田 不動の滝 ] ~ [ 本図幅の南隣の本荘図幅地域内の ] 権現山付近において, 権現山層 [ Gm ] を軸心部とする不動ノ滝背斜は, [ 本図幅地域の南端・東西中央やや西の ] 福ノ俣沢の上流から南隣の本荘地域内の虻川の上流付近を極隆部とし, 北方に沈降している。 東方は向斜性断層によって川添背斜と接し, [ その断層によって ] 北方への延長を断たれる。 西方は君ケ野向斜に移る。 両翼とも 20~30°の対称性背斜をなす。 この構造にも権現山層 [ Gm ] を貫ぬく粗粒玄武岩々床 [ Do ] が著しい。
亀田 背斜・ 田中 背斜 : 南隣の本荘地域内の岩谷~ [ 図幅地域南端の ] 亀田付近で女川層 [ Om ] を軸心部とする亀田背斜は双頭性を示し, [ 図幅地域南端付近では ] その西方を走る平行性の桜沢断層(新称)によって分離される。 [ 桜沢断層は図幅地域南端から北方に 3 km 付近で亀田背斜を東側に横切り, その北方の地域では ] 桜沢断層の西側の背斜は君ケ野川筋の田中を経て北上し, 深山・名ケ沢を経て八田に達するとみられる。 これを田中背斜と呼び, 亀田背斜と区別している。 亀田 - 田中背斜が由利油帯の主体構造とする考えから, かねてよりこの構造に対する石油試掘が行なわれている。 田中背斜は北々東走向から君ケ野の北方で南北方向に転じ, 深山方面を北上する。 君ケ野川筋の背斜で掘られた北亀田 AK-1 試掘 [ 第 31 図参照 ] ではこの背斜は急傾斜し, 逆断層による地層の繰返しがあり, 複雑である。 南半では桜沢断層の影響を受けるが, 深山方面ではほぼ対称の正立背斜である。
白幡 - 鍋倉 向斜 (岩佐ほか, 1957) : 亀田 - 田中背斜系列と道川 - 新山(石脇) [ ← 新山と石脇はどちらも本図幅の南隣の本荘図幅地域内の本荘市街にある ] 背斜系列の間の白幡 - 鍋倉向斜は最も大きく, 構造的意義の大きい向斜構造である。 鮎川の上流の白幡 [ ← 湯野目の西南西方 3.5 km ] から南へ君ケ野川の中流の高畑, 衣川下流の赤平 [ ← 図幅地域南端 ] を経て南隣の本荘地域内の芋川筋の鍋倉 [ 位置不明 ] にいたり, 本荘平野に延びる向斜構造である。 この向斜を境に以西の構造は衡上断層を伴なう過褶曲地帯となり, あいだに向斜構造を欠いた背斜構造が併走する現象を呈するところがある。
道川 背斜 : 君ケ野川筋の高畑付近を極隆部とし, 船川層 [ Fm ] が心部をなす背斜構造で, ほぼ南北に走り, 北へは鮎川の上流の 田中 [ 位置不明 ; 白幡の西方 ? ] を経て 前郷 [ 位置不明 ; 黒岩や豊巻の南西方 ? ] 方向に延びる。 南へは南隣の本荘地域内に延び, 新山(石脇)背斜群の東側の背斜となる。 この背斜軸は起伏があり, 極隆部が数が所認められる。 最北の極隆部から北方への沈降部に試掘した [ 白幡の北方 ? の ] 田中 TS-1 号試掘井 [ 第 31 図参照 ] では, 権現山層 [ Gs or Gm ? ] 中に石油とガスの徴候を確認している。 道川背斜の東翼は正常に向斜に移るが, 西翼は向斜性断層に断たれて, 北部では羽川背斜に, 中部では勝手背斜に, 南部では二古背斜に接する。
羽川 背斜 : [ 雪川の河口から 2.5 km 上流の ] 羽川油田を極隆部とし, ほぼ南北性のやや急傾斜の背斜構造で, 軸心部には船川層 [ Fm ] が露出するが, 北方に沈降して天徳寺層の桂根相 Tk ] が取巻いている。 南へは雪川の上流 [ ← 南方 ? ] に延びるが, [ 勝手油田の北方 500 m で ? ][ Fm ] および女川層 [ Om ] の凝灰岩に集油し, 羽川油田をなしている。
勝手 背斜 : 勝手油田を極隆部とし, ほぼ南北性の背斜構造である。 羽川付近より北方に沈降し, 南へは 内道川 [ ← 内道川油田 ? ] に延び, 衝上断層に切られ, 断層の上盤として消える。 西翼は, 北部では急傾斜, 羽川以南の 内道川 にかけて直立に近く, ところによって逆倒している。 西側を走る衝上断層に近づくほど急になる。 東翼は比較的緩やかで, 25~30°の傾斜を示す。 地表は船川層 [ Fm ] で, 羽川~ 内道川 間の背斜の冠において船川層と女川層 [ Om ] との凝灰質貯留岩に集油し, 勝手油田および内道川油田が開発された。 東西両翼とも衝上断層によって切られ, 北では断層の下盤として, 南では断層の上盤となっている。
二古 背斜 : 北由利断層群に挟まれて, 二古の東方をほぼ南北に走り, ほぼ直立等斜に近い合掌型の背斜構造である。 北は内道川付近で断層の下盤として没し, 南は衣川筋に達する。 東翼も急傾斜であるが, 軸心から西翼にかけては直立に近く, 逆倒するところも多い。
松ケ崎 背斜 (仮称) : 二古から南隣の本荘地域内の松ケ崎の海岸にかけて, 天徳寺層の互層 [ Ta ? ] が分布している。 ここにほぼ 羽越本線の上り [ 意味不明 ] を軸とした南北方向の断層を伴なった背斜構造がある。 この構造は [ 君ヶ野川の河口の北の ] 道川駅付近まで追跡できるが, 背斜は二古以北の延長についてははっきりしない。 南へは松ケ崎付近で海に没するが, 南隣の本荘地域内の芦川の冲で確認されている背斜構造とつらなるかもしれない。
桂根 背斜 : [ 図幅地域北端から 2.5 km の海岸付近の ] 桂根の東方に発達する半ドーム状背斜構造で, 羽川背斜の延長に当るかも知れないが, その間 [ ← 桂根油田の南 ] に断層があり, 直接つらならない。 東翼と西翼は断層であるが, 北方へゆるやかに沈み, [ 図幅地域北端の ] 内浜田 方向に延びる。 この構造の天徳寺層 桂根相 [ Tk ] ~女川層 [ Om ] に貯油する桂根油田は古くから開発された。
豊岩 背斜 : 秋田平野に臨んだ石田坂 [ ← 図幅地域北端 ] 付近に天徳寺層の互層相 [ Ta ] が軸心部をなして背斜構造の極隆部を形成している。 北方の延長は冲積平野に没して不明であるが, 南へは国見山付近まで延びる。 南部の背斜系列のうちのどの背斜に連なるか不明である。 この構造の船川層 [ Fm ] ~女川層 [ Om ] の凝灰岩に集油する豊岩油田が知られている。
羽後 和田地域の西方の日本海域において実施された物理探鉱によれば, [ 日本海の海中でも ] 由利丘陵と同じ地層が同じような構造を受け, 数条の大型背斜構造が南北方向に併走しているという。
和田盆地では, 中帳断層以東の地表においてみられる限り, 天徳寺層 [ Ts ] および笹岡層 [ Ss ] は全体としてゆるやかな大向斜盆を形成し, その間にゆるい波状構造が認められるにすぎない。 しかし, 地下における船川層 [ Fm ] と女川層 [ Om ] , さらにそれより古い地層は, 物理探鉱の結果によれば, 地表におけるような単純構造でないようである。
褶曲に伴なって断層が併走し, 地質構造を複雑にしている。 それらのうちで最も重要な役割を果しているのは, 由利丘陵と和田盆地とを境している中帳断層と, 日本海岸線に沿って過褶曲帯をつくっている北由利断層群である。
中帳断層(第 8 図)は [ 本図幅の南隣の本荘図幅地域内の ] 本荘市の東方の芋川筋の中帳部落から北方の熊ノ沢を経て, 本地域内の女米木に延びる。 本断層は川添背斜の極隆部において権現山層・女川層および船川層を切り, これら各層を天徳寺層と直接させている。 由利隆起丘陵と和田沈降盆を境する重要な構造線である。 [ 女米木の南方 3.5 km の ] 上繋 の南での本断層による見掛の落差は東側落し約 2,000 m ということになる。 断層に接する女川層・船川層などの古い地層が著しく破砕されて, 数条の平行断層を伴なう数 10 m の被砕帯をなしている。 これに反して, 天徳寺層は断層に沿って傾斜が急になり, 東方に 60~85°であるが, 地層はほとんど破砕を受けていない。 この状況は断層に沿ってよく観察される。 このことは, 中帳断層が天徳寺層の堆積後に生じたものでなく, 船川層の後に生じた断層が天徳寺層の後にも再活動し, 隆起地塊と沈降盆の境界活動を続けた役割をもつ断層と解したい。 中帳断層は 地表露頭では北々東(40°前後)- 南々東走向で直立ないし西方に急傾斜を示すが, 西から東へ働いた衝上性の断層とみられる。
由利丘陵の日本海沿いにほぼ南北方向に走る数条の東から西へ衝上性の平行した断層があり, 過褶曲と関連して地質構造を複雑にしている。 試掘井資料と既開油田の地下資料とを利用して, 2・3 の地方の地質断面図を推定して北由利断層群の性格と構造配列について考えたい。 試掘井の位置については [ 後述する「III.1 石油および天然ガス」の項の ] 第 31 図に示した。
羽川背斜~秋田鮎川 AK-1 間の地質断面図 (第 9 図) : 羽川背斜と [ 鮎川ガス田の ] 秋田鮎川 AK-1 試掘井の間で生じた地層転位の見掛落差は 1,000 m におよんでいる。 この間に2本の衝上断層があって, 鮎川系列に勝手系列が衝上し, さらに東から羽川系列が押しあげ, お互いの間で段階的に上盤(upper block)と下盤(under block)の配列を生じている。 みられる限りでは, 鮎川系列は天徳寺階の沈降量が大で 2,000 m 近い層厚を示している。 少なくとも, 東方衝上系列の上昇隆起と下盤側の沈降には相対関係があり, 北由利(衝上)断層がその役割を果しているものとみられる。
勝手背斜~勝手川 AK-1 間の地質断面図 (第 10 図) : [ 勝手川油田の ] 勝手川 AK-1 試掘井は勝手系列の桂根相の直立層から掘下げ, 低角衝上面を切って二古系列と考えられる直立の桂根相をぬき, さらに衝上面を貫ぬいて下盤の天徳寺層の上部に入っている。 上盤の衝上移動による変位変形と下盤の構造との差が比較されるし, 下盤側が天徳寺層を通じて大きく沈降していることが読める。
[ 桂根油田の ] 桂根背斜~ [ その海側の ] 境川 AK-1~ [ さらに海側の ] 長浜 SK-1 間の地質断面図 (第 11 図) : 桂根背斜と勝手背斜の間の [ 東西に走る ? ] 衝上断層は地表で確認される。 その下盤側に当る [ 陸側の ? ] 勝手系と [ 海側の ? ] 長浜系列(二古系列 ?)の間には断層 [ ← 北由利(衝上)断層 ? ] があって, この両側に背斜構造がある。 この3背斜構造の配列は, その間に向斜構造が存在しない。 運動に伴なう構造の派生というか, 出来上った構造の刺身状配列とは異なる [ ← 意味不明 ] 。
これらの地質断面図でわかるように, 北由利(衝上)断層群は同性質をもった数条の平行断層による断層群である。 これらのうちいずれが最も支配的であるかは未だ明確でない。 天徳寺層の上部以上の地層の構造形態とそれ以下の地層との間には差がある。 断層も上位の地層に及んでいないものであり, 一方で新しい地層に及ぶ長期活動断層がある。 衝上面が低角度であると上盤側と下盤側との探鉱は別途になり, 油田開発を困難にしているようである。
このほかに大きい断層および構造上重要な断層がある。 それらのうちで, 上記の南北性の構造を胴切る東西性ないし斜交性断層は小さいが, あちこちにおいてみうけられる。 地質図に示した 桂根背斜構造と道川背斜構造との間に認められる断層は, 水平的(移動)断層の疑もある。 雄物川斜面で認められる東西性断層とは別のものであるかも知れない。 このような断層が段階的に生じて. 秋田平野に向って沈降しているものと考えられる。
命名 : 藤岡一男(1967)
権現山 層は新第三系の最下位を占めて, 本地域の中南部の不動ノ滝背斜および川添背斜 [ 以下の [注] 参照 ] の各地区にほぼ N - S に細長く分布している。 主として泥岩からなる。
模式地 : [ 本図幅の南隣の本荘図幅地域内の ] 秋田県 由利郡 岩城町 権現山付近一帯。 本地域内では同町 福ノ俣 [ ← 図幅地域南端 ] の東方の沢沿い付近である。
分布および層厚 : 上述した不動ノ滝背斜および川添背斜の各地区のほか, 試掘井により 田中 - 亀田背斜・道川背斜などの各地区の地下にも広く分布していることが確認されている。 層厚は模式地において 400 m 内外であるが, 試掘井のデータからみて 500 m 以上に達すると推定される。
主として灰色 無層理の硬質泥岩からなり, シルト質凝灰岩を挟んでいる。 局地的に薄層の酸性凝灰岩を挟む。 黄鉄鉱粒を普遍的に含み, 薄く延びたパッチ状もしくはレンズ状の酸性軽石を有する。 このほか球状ないしレンズ状の石灰質~苦灰質 結核がしばしば含まれている。 不動ノ滝背斜の軸部付近の泥岩は粗粒玄武岩々床 [ Do ] の迸入により熱変質を受けている(第 12 図)。
川添背斜の軸心部に露出する本層はその最上部(層厚 50 m ±)のみである。 この部分は淡緑色を帯びる凝灰質の砂岩および細粒礫岩を主とし, 泥岩を挟み, 局地的に互層をなす。 しばしば海緑石を含む。 礫岩の礫は大きさ 2 cm 以下でよく分級円磨されている。
探山 AK-1 号試掘井 (昭和46年 秋田県) : 本井は不動ノ滝背斜の西側にある田中 - 亀田背斜の北方沈降部において試掘された。 船川層 [ Fm ] より掘下げ, 深度 1,030 m より権現山層に入り, 掘止深度 2,002 m まで続いている。 石油資源開発株式会社 秋田鉱業所(1971)によれば次の通りである。
北亀田 AK-1 号試掘井 (昭和 48 年 秋田県) : 本井は亀田背斜の北方延長とみられる田中背斜の軸部にある [ 君ケ野川沿岸の ] 田中において女川層 [ Om ] より掘下げた。 深度 190 m より掘止深度 2,003 m(垂直深度 1,983.79m)まで権現山層が続いた。 帝国石油株式会社 秋田鉱業所(1973)によれば次のようである。
田中 TS-1 号井における権現山層 (昭和 47 年の帝国石油株式会社と石油資源開発株式会社の共同試掘井) : 本井は亀田背斜の西側にある道川背斜構造に対して行なわれた試掘で, [ 鮎川の上流の白幡の西方の田中において ] 船川層 [ Fm ] より掘下げられた。 深度 536 m より掘止深度(1,351 m)まで権現山層である。 暗緑色 玄武岩質凝灰岩・橄欖石玄武岩および暗灰色 泥岩からなる。 540 m 以深は火山砕屑岩が圧倒的に優勢である。 玄武岩と輝石安山岩の熔岩がみられる。
層位関係 : 権現山層の下限は露出がないので不明である [ 以下の [注] 参照 ] 。
本層中には有孔虫化石を豊富に産する。 第 6 表に示すように浮遊性, 底棲ともに種類にとむ。 底棲有孔虫では石灰質殻を有するものが個体数として優勢である。 浮遊性有孔虫では, Globorotalia peripheroacuta, G. peripheroronda, G. praemenardii, G. scitula, G. mayeri, Globoquadrina altispira などを含み, 西黒沢階後期の Globorotalia peripheroacuta - G. scitula gigantean 帯(米谷盛ほか, 1972)に対比される。 底棲有孔虫は大部分が深海性で, 砂質有孔虫も混え停滞水域の環境を示している。
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本層の砂岩および礫岩には第 7 表に示すような大型貝化石のほかに, まれに珪化木が含まれる。 浮遊性有孔虫化石は未検出であるが, 第 8 表に示すように底棲有孔虫が認められた。 これらの化石内容および岩相からみて, 川添背斜における本層は西黒沢階の須郷田層および砂子渕層に近いといえる。
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Arca sp.
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Ammonia sp.
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深山 AK-1 号試掘井 : 泥質岩と火山砕屑岩の厚い堆積物からなり, 地表にみられる権現山層と同じ層相である。 泥質岩に含まれる有孔虫化石は第 9 表に示すように深海性の石灰質~砂質有孔虫群で, 暖流系浮遊性有孔虫にとむ。 1,030~1,100 m 間は Hopkinsina morimachiensis - Praeglobobulimima cf. pupaides zonule で, 女川層~西黒沢層の移行帯にあたる。 1,100~1,480 m 間は N. P., 1,480~1,980 m 間は Praeglobobulimina cf.pupaides - Globorotalia scitula zonule で, 石灰質有孔虫を主とし, 暖流系浮遊性有孔虫をともない, 西黒沢層に対比される。
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北亀田 AK-1 号試掘井 : 有孔虫化石は 1,300 m までは N. F. 帯で, 1,300 m 以深の泥質岩より浮遊性の Globorotalia cf. peripheroronda を, 底棲では砂質の Cyclammina sp. および Martimattiella communis を産するが, 貧化石である。
田中 TS-1 号井 : 有孔虫化石は未検出である。
命名 : 女川 層は古くは男鹿半島に模式的に発達する珪質頁岩層に対して, 大橋良一(1918, SM)・外山四郎(1925)が「女川珪質頁岩層」, 大橋良一(1930)が「女川珪質頁岩」と呼んだ。 その後, 千谷好之助(1930)によって女川層と命名された。
女川層は権現山層を被覆して本地域の中部に広く分布している。 主として硬質泥岩からなる。
模式地 : 秋田県 男鹿半島の南岸の女川付近一帯で, 本地域内では岩城町 君ケ野川の上流の不動ノ滝背斜の西翼部である。
分布および層厚 : 川添背斜, 不動ノ滝背斜および田中 - 亀田背斜の各地区に分布する。 層厚は 400~700 m である。 本地域西端部の由利冲盆 [ ← 日本海の海底 ? ] および東部の和田盆地では 600 m 以上に達する。 女川層の最大の層厚は横手市付近であって, 800 m 以上に達する(第 13 図)。
岩相 : 女川層は主として硬質泥岩からなり, 全域にわたって酸性凝灰岩を挟む(第 14 図)。 大小の泥灰岩(石灰質~苦灰質)の団塊を有する。
硬質泥岩は珪質で, 非常に明瞭な板状層理を有し, 凝灰質砂岩および酸性凝灰岩を挟む。 この板状層理は数 cm 単位で頻繁に繰り返す白黒の縞状構造による。 黒色部は暗灰色~帯褐灰色の緻密, 堅硬な泥岩および珪質の頁岩からなる。 珪質頁岩は非常に微細な葉理を示し, ときに無葉理の燧石レンズを挟む。 白色部は黒色部に較べてやや粗粒で, やはり微細な葉理を有し, 風化が進むと灰白色を示し, やや凝灰質である。 白黒の両帯は風化部では非常に対照的な色調を示す。 板状あるいは角片状の破片に砕けやすく, 割れ口は貝殻状断口を示す。 女川層の上部はいわゆる暗灰色 硬(女川岩相)軟(船川岩相)互層をなす(第 15 図)。
本地域の地表に分布する女川層はほとんど堆積岩からなり, 火山岩類としては本層中に迸入している粗粒玄武岩 [ Do ] がみとめられるのみである。 しかしながら, 地下深部では 爼山 火山岩類(井上, 1960)に相当するとみられる火山岩類がしられている。 豊岩油田および桂根油田では女川層の深度は約 700 m 以深になり, 760 m 以深(1,200 m まで確認)では含油する安山岩質玄武岩の火山砕屑岩 [ 以下の [注] 参照 ] である(井上重一・荒川洋一, 1958)。 また, 勝手および羽川油田でも女川層の上部に貯油している粗粒火山砕屑岩を挟んでいる。 なお, 本地域南隣の松ケ崎~亀田以南の女川層の最上部に輝石安山岩火山砕屑岩がみられる。
層位関係 : 下位の権現山層と整合である。 権現山層とは漸移していて, 漸移帯にある厚さ 1~2 m の灰白色の酸性凝灰岩をもって境界とした。
化石 : 女川層中の化石は大型のものが乏しく, 肉眼的にまれに Paliollum peckhami が含まれ, 普通に Saparites chitanii MAKIYAMA および魚鱗が含まれている。 まれに泥灰岩中に鯨と覚しき骨化石が認められる。 微化石では珪質殻をもつ放散虫および珪藻が多い。 放散虫(中世古, 1959)は Larnacantha ? polyacantha assemblage に属し, L. ? polyacantha CAMPBELL et CLARK, L. ? elliptica NAKASEKO, Spongodiscus spp. が個体数として多いが種類は少ないようである。 珪藻も個体数は多い。 Coscinodiscus yabei KANAYA, C. endoi KANAYA, Stephanogonia hanzawae KANAYA, Denticula hustedtii SIMONSEN et KANAYA そのほかを含んでいる。
有孔虫化石は貧困であって, 主として次の砂質有孔虫を含む(鑑定 : 的場保望)。
このほか, まれに石灰質底棲有孔虫 Globobulimina auriculata (BAILEY), Uvigerina sp. などを含んでいる。 浮遊性有孔虫も Globigerina pachyderma そのほか数種が認められる。 これらの化石からみて, 還元的な停滞深海域で寒い海水に支配されていたものと推測される。
本地域内には火成岩がごく少なく, 粗粒玄武岩の貫入があるのみである。 粗粒玄武岩は 不動ノ滝背斜および川添背斜における権現山層と女川層中に迸入岩床または岩脈をなしている。 巾は数~数 10 m である。 不動ノ滝背斜の権現山層中の粗粒玄武岩の迸入岩床は 美しい景観をなす不動ノ滝を形成している(第 16 図)。
粗粒玄武岩の代表的岩石を鏡下でみると次の通りである。
命名 : 船川層は大橋良一(1918, MS)・外山四郎(1925)が「船川黒色頁岩層」と呼んだ。 そのご, 千谷好之助(1930)によって船川層と命名された。
船川層は女川層を被覆して, 本地域の中部に広く分布している。 主として暗灰色泥岩 [ Fm ] からなる。 船川層は女川層と同様に秋田油田の第三系の代表的地層である。 船川層を構成するものはいわゆる「黒色頁岩(Black shale)」, 女川層のものは「硬質頁岩(Hard shale)」と呼ばれている。
模式地 : 秋田県 男鹿半島の南岸の船川付近一帯で, 本地域内では岩城町の二古川流域である。
分布および層厚 : 川添・ 不動ノ滝・ 田中 - 亀田・ 道川・ 羽川・ 勝手および二古の各背斜構造の心部ないし翼部に分布している。 層厚は, 由利丘陵では 550~650 m, 和田盆地では 500~600 m である。 船川層の最大の層厚は本地域外の南東方の大曲市の西方から和田盆地付近であって, 1,600 m に達する(第 17 図)。
岩相 : 船川層は主として暗灰色泥岩からなり, 酸性凝灰岩および, ところにより凝灰質砂岩を挟んでいる。
暗灰色泥岩 [ Fm ] は塊状, 無層理で, 粘土質ないしシルト質である。 新鮮な部分は黒色~暗灰色であるが, 風化すると灰白色~黄白色となり, 5~10 cm の不規則な塊状または 2~3 cm のもろい小角片にわれる。 その露出面は硫黄状粉末におおわれていることがある。
酸性凝灰岩 [ t1 ] は灰白色~白色, 軟弱, 軽石質である。 船川層中には 数枚の 2~10 m 層厚の砂質の酸性凝灰岩および無数のごく薄い酸性凝灰岩が挟まれているが, これら凝灰岩は本地域の東部では少なくなる。 船川層の上部では全般的に酸性凝灰岩が多くなり, 上述の泥岩も灰色(天徳寺岩相)味を強く帯びている。 また, 酸性凝灰岩も砂質となり, しばしば細礫を含むところがある。
羽後 和田地域の東部の和田盆地では全般的にややシルト質の暗灰色泥岩で, 船川層の上部は酸性凝灰岩の厚さと枚数において由利丘陵より劣っている。 本層の中部に顕著な凝灰質砂岩が発達するところがある。 すなわち, 第 18 図に示すように, 川添背斜の東側での試掘井によって確められた本層中部の凝灰質砂岩のレンズは, [ 図幅地域北東隅付近の和田の南方の ] 和田 R-1 で最も厚く 380 m, 南の種平 SK-1 [ 位置不明 ] にむかって薄くなり 180 m である。 泥岩の挟みを有し, 最下部の石英に富んだ凝灰質砂岩は粗粒で亜角礫を含んでいるが, 上部では細粒~中粒の青灰色~灰白色 凝灰質砂岩となる。 この中部の砂岩を境として上部の泥岩はシルト質となり, 有孔虫組成にも変化を生じている。
層位関係 : 下位の女川層 [ Om ] と整合である。 女川層とは漸移関係を示し, 女川層の上部の硬軟互層をへて脱珪し, 船川層の暗灰色泥岩となる。 その境界には厚い酸性凝灰岩 [ t1 ] が挟まれている。
化石 : 大型化石に乏しく, 軟体動物化石では Acila sp., Paliollum peckhami (GABB.) および Neptunea sp. を認めたにすぎない。 海綿の Sagarites chitanii は比較的普通的に含まれている。 放散虫や珪藻化石は女川層に較べると少ないが, これに反して有孔虫化石は多くなる。 船川層は有孔虫では Martinottiella - Cylammina zone で代表され, さらに下部は Spirosigmoilinella compressa zonule, 上部は Globobulimina auriculata - Martinottiella communis - Cyclammina japonica zonule とに区別される。 日本海大陸棚では3分して, 上部が Haplophragmaides subgrobosum - Uvigerina akitaensis zonule, 中部が Cyclammina japonica - Martinottiella communis zonule, そして下部が Spirosigmoilinella compressa zonule とされているところがある。
全般的に浮遊性は寒流系, 底棲は砂質有孔虫が優勢であるが, 本層上部, 特に和田盆地側では石灰質有孔虫が増加する。 船川層の有孔虫化石を第 10 表に示す。
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命名 : 天徳寺層は大村一蔵(1926)によって命名された。 そのご, 渡辺久吉(1932)によって「天徳寺灰色頁岩」, 大塚弥之助(1936)により「天徳寺砂質頁岩層」と呼ばれた。
天徳寺層は船川層を被覆して, 本地域の西部の日本海沿岸地方から北部の秋田平野側に分布し, さらに本地域の東部の和田盆地地方に分布している。 主としてシルト岩 [ Ts ] からなる。 本層は女川層と船川層が広域 斉―相を呈するのに較べ, その堆積相が極めて変化にとんでいる。 特に本地域の西部の由利丘陵の日本海沿いに桂根相 [ Tk ] と呼ばれる異常堆積相が局地的に発達し, シルト岩を主体とするシルト岩相 [ t2, Ts ] (天徳寺相) [ 以下の [注] 参照 ] と著しい対照を示す。
模式地 : 秋田市 天徳寺付近で, 本地域内では秋田市 境川 [ ← 図幅地域北西部の桂根付近に河口がある ] 流域一帯である。
分布および層厚 : 上述の地方に分布し, 層厚は 300~1,500 m である(第 19・20 図)。
本地域の西部の由利丘陵の天徳寺層は, 岩質により, 下部は砂岩を主とする桂根相 [ Tk ] , 次いでシルト岩・砂岩および酸性凝灰岩からなる互層相 [ Ta ] となり, 上部はシルト岩相 [ t2, Ts ] となる。 桂根相は北方にも東方にも次第にその特性を失い, 互層となり, 和田盆地では酸性凝灰岩 [ t2 ] を挟むシルト岩 [ Ts ] に変化している(第 11 表)。
| 由利丘陵(西部) | 和田盆地(東部) |
| シルト岩相 (天徳寺相) [ Ts, t2 ] | シルト岩相 (天徳寺相) [ Ts, t2 ] |
| 互層相 [ Ta ] | |
| 桂根相 [ Tk ] |
命名 : 桂根相(桂根層)は上床国夫(1922)・大村一蔵(1928)によって命名された。 そのご, 渡辺久吉(1932)により「桂根互層」, 村山賢一(1933)によって「桂根(砂岩および頁岩)層」と呼ばれた。
上床(1922)によれば桂根層の記載は以下の通りである。
大村(1928)は桂根層を認めたが, 以下のように述べている。
模式地 : 本地域内の秋田市 桂根油田付近一帯 [ ← 図幅地域北西隅付近 ]
分布および層厚 : 本地域内の北西部および西部の日本海沿岸沿いに分布し, 層厚は 0~700 m。
岩相および層位関係 : 由利丘陵では粗粒ないし中粒の砂岩勝ち互層で, 砂岩・礫岩・酸性凝灰岩およびシルト岩からなる。 桂根相は下位の船川層より急変的に堆積物が変わる。 基底は乱堆積状の含礫 粗粒砂岩ないし礫岩で, 船川層の泥岩の堆積面とは多くの場合 非連続で, ところによっては凸凹面をもち, 不整合状におおっている。 基底の礫は 権現山層とその下位層から由来する岩石・ 女川層の硬質泥岩・ 船川層の暗灰色泥岩および流紋岩・ 真珠岩・ 石英安山岩・ 輝石安山岩, さらに軽石ないし軽石凝灰岩などの大小の礫が多い。 これらの礫を不規則に含み, 極めて分級淘別の悪い乱堆積を示す。 また, 斜層理を示す。 このような乱堆積を示す粗粒砂岩が 数 m の厚さで, 酸性凝灰岩とシルト岩を挟みながら何枚も繰返して, 全体として数 100 m の層厚に達している。 このような乱堆積を示す粗粒砕屑岩は乱泥流によって運ばれたものとみられるが, これらの間に挟まれるシルト岩は軽石片を有し安定堆積を示している。 深海ないし半深海の海底に堆積したものとみられる。 乱堆積も部分的には分級が行なわれ, 縞状層理が生じているが, 一般に連続性に乏しい。 含まれている有孔虫は殻が破砕されたり磨耗している。
桂根相中に含まれ火山岩類の大(亜角)礫はこの時期に噴出したと考えられ, ほとんど変質していない。 輝石安山岩は, 北隣地域の秋田市の東方の天徳寺層の基底部にみられる羽黒山安山岩に似ている。 黒雪母角閃石石英安山岩および黒雲母角閃石流紋岩は, 桂根相中に挟まれる酸性軽石凝灰岩と同質であり, 南隣地域の本荘市の東方の山地にみられる熔岩と酷似している。
分布および層厚 : 中央部を除く全域に分布し, 層厚は 300~1,500 m である。 北由利(衝上)断層の西側では 1,000~1,500 m であるが, ほかの全域では 300~1,000 m である。
岩相および層位関係 : 桂根相 [ Tk ] は上位に向っても, また側方にも, 粗粒ないし中粒の砂岩と帯緑暗灰色のシルト岩との互層 [ Ta ] に移り, 頻度においても厚さにおいても, 始めは砂岩が優勢であるが, 次第にシル卜岩勝ちとなり, ついに砂岩が中粒~細粒となり薄化してシルト岩 [ Ts ] に挟在される状態となる。 シルト岩は軽石片を多量に有する。 酸性凝灰岩 [ t2 ] は砂岩の消長と関係なく頻繁に挟まれて互層を呈し, 粗粒の軽石粒に富むところでは外観が桂根相のようにみえる。 由利丘陵の日本海岸沿いに掘った試掘井資料(第 23 図)をみると, 桂根相 [ Tk ] から天徳寺相 [ Ts ] への垂直的変化がよくわかる。 地表では, 上方および東方において酸性凝灰岩 [ t2 ] の挟みが少くなり, 無層理のシルト岩 [ Ts ] となり, 完全に天徳寺相を呈するに至る。 桂根相が発達しない本地域東部では, 厚い白色の酸性凝灰岩 [ t2 ? ] を天徳寺層の基底として下位の船川層に整合している。
本地域の東部の和田盆地では桂根相が貧弱化し, 川添背斜の北部では砂岩をともなう酸性凝灰岩とシルト岩の互層である [ Ts ] 。 同背斜の東翼では泥質岩が優勢で, 基底を始め層内に顕著な白色の酸性凝灰岩 [ t2 ] を挟んでいる。 中帳断層に接する南部では泥質岩と酸性凝灰岩の互層である [ Ts ] 。
和田盆地の天徳寺層はシルト岩 [ Ts ] で特徴づけられており, 試掘井資料による同層の比較を第 24 図に示す。
船川層に較べて全般的に化石が多くなり, 肉眼的にもよく識別できる。
軟体動物化石としては, 桂根相の砂岩および礫岩中に頻海性の大型貝化石がしばしば含まれているが, 多くは殻が破損していて鑑定にたえない。 また, 泥質岩にも含まれる。 第 12 表に示すような種類が認められる。
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海綿の Sagarites chitanii は天徳寺層の泥質岩中に含まれ, 下部から上部に行くに従い少なくなる。 このほか, ウニの Linthia nipponica YOSHIWARA がしばしば含まれている。
有孔虫化石は一般に多い。 桂根相中のものは PF - NF 帯として扱われ, 砂岩および礫岩中のものは穀が著しく破損または磨耗している。 泥質岩には砂質~石灰質有孔虫が正常な状態で含まれている。
浮遊性有孔虫は一般的な Gbobigerina pachyderma (EHRENBERG), G. bulloides d'ORBIGNY などのほかに 暖流系の Globorotalia inflata group および Orbulina unversa group が出現し, 示準化石として利用される。
底棲砂質有孔虫は天徳寺層の桂根相およびシルト岩相の下部の泥岩に含まれ, 船川層に続いて同様な堆積環境を示すが, 石灰質有孔虫が多くなる。 日本海岸地域では同層の上部のシルト岩相の泥質岩にもしばしば砂質有孔虫が含まれる。 主な砂質有孔虫化石は次の通りである(鑑定 : 的場保望)。
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Ammonia Ketienziensis angulata (KUWANO)
Angulogerina hunghesi (GALLOWAY et WISSLER) A. kobozuraensis ASANO Anomalina glabrata CUSHMAN … |
底棲石灰質有孔虫(第 13 表)は種類も個件数も多くなり, 当時の海況変化を推察すべく化石相図(Biofaies map)の作成が必要になる。 有孔虫による天徳寺層の分帯が次のように試みられている (第 23 図および第 24 図参照)。
和田盆地における天徳寺層の有孔虫分帯は次の通りである。
下部では 砂質の Martinottiella commums のほかに M. nodulosa. Haplophragmoides が含まれ, 石灰質の Bolivineta quadnlatera および Dentahna などが共産する。 上部では 砂質有孔虫が消滅し, 深海~半深海の Angulogerina kokozuraensis, Epistominella pulchella, Cassidulina norcrossi, C. subglobosa など, 次いで浅海の Elphidium subarctlcum, Buccella inusitata などが特徴的となる。 最上部では上位の笹岡層と同様な組成である。
由利丘陵の日本海域の天徳寺層の有孔虫分帯は次の通りである。
命名 : 笹岡層は大村一蔵(1928)が命名し, そのご, 渡辺久吉〔1932〕によって「笹岡砂質頁岩」と呼ばれた。 本層は藤岡一男・高安泰助・的場保望・佐々木詔雄(1969)によって再定義された。
笹岡層は天徳寺層を被覆して, 本地域の東部に主として分布している。 主に微粒~中粒の砂岩からなる。
模式地 : 秋田市 笹岡 [ ← 秋田市街の北東方 ] 付近一帯。 本地域内では [ 図幅地域北東部の ] 河辺町 和田駅前付近である。
分布および層厚 : 本地域の東部の和田盆地に主として分布し, また西部の由利丘陵の日本海沿いに砂丘におおわれて点々とわずかに露出している。 層厚は 200~400 m である(第 25 図)。
岩相 : 本地域の東部の和田盆地における笹岡層は微粒~中粒砂岩 [ Ss ] を主とし, シルト岩 [ st ] を挟んでいる。 球状~レンズ状の砂岩を含み, しばしば斜層理を示す。 また, ときにレンズ状の礫岩を挟んでいる。 本層基底部に酸性凝灰岩ないし凝灰質砂岩 [ t3 ] がみられる。 砂岩は石灰質で貝化石を含み, 一般に粗鬆で, 上部に向って次第に粗粒となり, 礫を含むようになる。
本地域の西部の由利丘陵の日本海沿いの笹岡層は泥質砂岩および微粒~細粒砂岩 [ Ss ] からなる。 本層の基底部に, 和田盆地と同様に, 酸性凝灰岩ないし凝灰質砂岩 [ t3 ] (厚さ 5 m 以内)が発達し, そのなかに泥岩の偽礫が含まれる。
層位関係 : 和田盆地地域の東側では下位の天徳寺層を不整合におおっている所がある。 そこでは粗粒砂岩および礫岩の基底をもって下位の浸蝕面をおおっている。 西側では天徳寺層を整合に被覆し, 地域的不整合を示す。 由利丘陵の日本海沿いの本層は下位の天徳寺層を整合におおっている。
化石 : 天徳寺層以下の各層に普通にみられた海綿 Sagarites および底棲砂質有孔虫化石は [ 笹岡層には ] みとめられない。 大型貝化石および底棲石灰質有孔虫化石に富んでいる。 主なものを第 14 表および第 15 表に示す。 有孔虫の組成は天徳寺層とほぼ同様である。
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羽後 和田地域の新第三系に挟まれる凝灰岩は 第 16 表に示すような変質帯を構成している(藤岡・吉川, 1969)。 すなわち, 地表の露岩については, 上位より未変質ガラス帯, 斜プチロル沸石帯(Clino-ptilolite zone), 方沸石・モルデン沸石帯(Analcime - mordenite zone)および 自生曹長石帯という順序で層位的分帯をすることができる。 北由利(衝上)断層以東の隆起陸域では, 天徳寺層は全層を通じて無変質, そして船川層の上部の凝灰岩も無変質である。 船川層の中下部では一般に, 女川層では一様に, 斜プチロル沸石に変質している。 船川層より下位層ではモンモリロナイトが多くなっている。 権現山層では方沸石化が認められ, 上部でモンモリロナイト, 下部では緑泥石 - 絹雲母の組合せになると共に, 凝灰岩は曹長石化を受けている。 しかるに, 北由利断層以西の沈降帯では, 最上位の笹岡層の凝灰岩は全く無変質であるが, 天徳寺層の中部までの凝灰岩はすべて変質を受けている。
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勝手川 AK-1 試掘井の試料の X 線回折(第 17 表)によれば, 北由利断層の上盤側の桂根相は深度 60 m 以下で斜プチロル沸石に変質している。 下盤側では天徳寺層の上部の深度 800 m で斜プチロル沸石化がみられ, 桂根相の深度 1,220 m も方沸石に変質が進んでいる。 ほかの試掘例では船川層と考えられる凝灰岩も方沸石化している。 このように, 北由利断層を境として, 東側の隆起帯では沸石化凝灰岩の層準が下位(船川層の中下部)であるが, 断層以西の沈降帯では上位(天徳寺の上部)に及んでいる。 このことは, 船川階の後期以後における断層両側の運動が対称的にことなり, 東側では上昇し被覆層が薄く埋没深度が浅いため, 凝灰岩の沸石化が船川層の中部以上に進まずに止っているのに対し, 西側では船川階後期以後も沈降が進み, 厚い被覆層におおわれ埋没深度が大きくなって沸石化も上位層におよび, 下位層準の沸石化も斜プチロル沸石から方沸石に進んだものと考えられる。
船川層および天徳寺層の凝灰岩の岩質は黒雲母角閃石石英安山岩~流紋岩であるが, 女川層の凝灰岩については明確でない。 凝灰岩ガラスの沸石化変質の原因となった温度・圧力条件は 石油鉱床生成についても重要な条件となるであろうから, 地層の岩石密度と関連して研究を進める必要がある。
羽後和田地域の東部の和田盆地では, 地表の露岩は女川層・船川層とも沸石化しているが, 西仙北 ST-1 および ST-2(帝国石油株式会社の構造試錐 ; 本地域外東方)の試錐資料によると, 天徳寺層の下部に沸石が認められる。 ここは和田向斜盆で最も堆積の厚いとみられる地域である。
命名 : 高岡層は河井興三(1950)によって「高岡砂岩」と呼ばれた。 そのご, 藤岡一男・狩野豊太郎(1966)により「高岡砂岩」の最上部について高岡層と命名された。
高岡層は笹岡層を被覆して本地域北東端にわずかに分布し, 主として砂岩からなる。
模式地 : 秋田県 河辺郡 河辺町 高岡付近一帯 [ ← 図幅地域の北東隅の外 ; 本図幅の北隣の秋田図幅 or 北東隣の太平山図幅地域内 ]
層厚 : 30~60 m
岩相および層位関係 : 弱凝固の細粒~中粒砂岩からなり, 基底部に層厚 5 m 内外の礫がみられる。 粗悪の泥炭をともない, 灰白色~白色の軟弱な酸性凝灰岩を挟んでいる。 下位の笹岡層の被蝕面をほぼ水平に近い緩傾斜でおおい, 不整合関係を示す。
化石 : 未だ古生物は確認されていない。 湖成堆積物と考えられる。 岩質および下位層との関係などからみて男鹿半島の 鮪川 層に対比される。
命名 : 大橋良一(1930)
潟西層は新第三系を不整合に被覆して本地域北部に分布し, 主として礫・砂および泥からなる。
模式地 : 秋田県 男鹿半島の潟西台地付近であって, 本地域内では秋田市 末戸松本 [ ← 四ツ小屋の東南東方 2 km ] 付近である。
分布および層厚 : 秋田平野の東縁に沿って分布する潟西層は南にのびて 金照寺山 [ ← 本図幅の北隣の秋田図幅地域内 ; 四ツ小屋の北北東方 4 km ] を経て本地域内の 御所野 台に続き, さらに南の椿台一帯から雄物川の西岸の湯野目にかけて分布する。 一方, 日本海沿岸の大森山 [ ← 図幅地域北西部 ] から [ その南方 2 km の ] 境川に延びて, その南で消えている。 層厚は 50 m 内外である。
岩相 : 潟西層は礫・砂および泥からなる。 礫層からなり, 砂層を挟んでいる。 本地域内の模式地の末戸松本における 40 m 台地の断面(第 26 図, 第 27 図)に示されるように, 連続する堆積でなく, 3回の堆積輪廻が認められる。 下部の礫層を挟む斜層理をなす細礫・粗砂層は内藤(1965)の椿台層に当り, 中部の砂層を挟む礫層は約 6 m の厚さで, 上部は粗~中粒砂層である。 中部から下部の礫層は水平層理を示す。 上部の砂層は段丘堆積物と認められるが, それ以下は一括して潟西層に含められる。 このような砂利採取による人工崖は, 岩見川をこえた対岸の, 上野 [ ← 和田の南西方 4 km ] ~ 戸島 [ ← 和田の西南西方 3.5 km ] の間の台地末端(第 28 図)にも露出している。 ここでも同様な礫・砂層があって, その上に砂層が重なっている。 雄物川の西岸の湯野目(第 29 図)付近でも成層した礫・砂層があって, その上位に砂層が拡がっている。 内藤(1965)の椿台層は潟西層に同定されるが, 宝竜崎 面 段丘堆積物や上野台Ⅱ面 段丘堆積物としてある堆積物 [ 第 3 図参照 ] の中にも潟西層に属する礫層があると思われる。
大森山付近では, 潟西層の礫層が笹岡層を不整合におおい, 砂丘砂におおわれる。 境川以南の陸域では確認されていない。 しかし, 南隣の本荘地域内の本荘市において, 再び潟西層に相当する礫砂層が分布している。
段丘堆積物は本地域東部の雄物川沿い一帯に分布し, 泥・砂および礫からなる。
内藤(1965)によれば, 雄物川の下流と岩見川の下流沿いの段丘は次のように8面が識別されている(第 3 図)。
これら段丘面のうち現在の雄物川の河成段丘と認められるのは宝竜崎段丘である。 [ 湯野目の東北東方 2 km の ] 椿川の 鹿野戸 台, [ 湯野目の東南方 3 km の ] 石田の前田付近の低位台地, 雄和村の相川~相川野~戸賀沢 [ ← 女米木の北方 1.5 km ] の台地, さらに協和村の 向野原 [ ← 女米木の南東方 2 km ] の台地などで, 雄物川沿いに発達している。 厚い水平堆積の成層礫層の多くは潟西層に属し, これを切った段丘面は現在の雄物川に関係のない古い河成段丘面であろう。
日本海沿岸に沿って飛砂が海岸丘陵をおおい, 南北につらなり, 東へ約 1,500 m 侵入し, 100 m 級の高さまで達している。 この飛砂は北西季節風により海岸から長い年月をかけて少しづつ陸内に運ばれたもので, 粒径(0.25~10.00 mm で 0.25~0.50 m が約 95 %)および 比重(1.085~1.298 で 1.1 台が最も多い)がほぼ一定している。 下位の地形を埋めているので厚さは不定である。 地下水貯留層として重要な役割を果している。 第 30 図は [ 図幅地域北西部の大森山の南方 500 m の ] 滝ノ下 における砂丘砂の基底を示すもので, 下位の笹岡層(少し離れたところでは潟西層)をまず腐蝕土がおおい, その上に砂丘砂が堆積し, 次の腐蝕土が生成して, これをさらに新しい砂丘砂がおおっている。 この腐蝕土は文化層 [ = 遺物包含層 ; 土器や石器などの考古資料を包含する層 ] で, 広く砂丘地で追跡することができる。 これらの砂丘砂の古いものは繩文早前期に始まり, 繩文晩期と続 繩文・弥生期直後に大きく発達している。 腐蝕土には火山灰が含まれる。 砂丘砂の組成は大部分が石英で, 長石・輝石・角閃石が続き, 鉄鉱・黒雲母・火山ガラスなどが混っている。
雄物川を始め, 大小河川流域に沖積平地が発達し, 泥・砂および礫からなる。 雄物川筋では秋田平野につらなる下流域に広い沖積地が展開するが, 雄和村より上流の蛇行流域に川の両岸に断絶的にやや広い沖積地が発達する。
日本海沿岸に沿って狭い範囲に海岸沖積層があり, 同沖積層は主として砂からなる。
羽後 和田地域内では大正年間に小油田が次々と発見開発された。 最近, ガス田が発見され, その後 現在も引続いて探鉱が続けられている。 石油とガス以外の有用地下資源として特筆すべきものはない。 雄物川と岩見川分流点付近の台地における潟西層の砂利と, 亀田の北東方の不動ノ滝 [ ← 図幅地域南端・海岸から東方 4 km の亀田の北東方 6 km ; 亀田 不動ノ滝 ] における粗粒玄武岩の採石があげられる。
羽後 和田地域では 第 18 表および第 19 表に示すような油田およびガス田が発見されている。 それらの位置と現在までに実施された試掘井を併せて第 31 図に示した。 これらの油田は小規模であるが, 秋田油田では最も早く開発されたものである。 これらについて簡略に, 井上・荒川(1958)に従って紹介する。
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本油田は秋田市の南方約 8 km, 旧 河辺郡 豊岩村に位置している。 豊岩油田の試掘は 1914 年(大正 3 年)に開始された。 1939 年に深層採掘井 R.3 号が 1,115 m で成功したので, 引続き R 式 [ = ロータリー式 ? ] による 900 m 層の開発が行われた。 最も成績のよかったのは R.4 号井で, 深度 904 m で初産 8.5 kl の油と 2,000 m3 のガスをみた。 その後の坑井は大したものはなく, 1947 年(昭和 22 年)に R 式 11 号で開発を終了した。 累計生産量を第 18 表に示す。
本油田の地表には シルト岩・砂岩および酸性凝灰岩からなる 天徳寺層の互層相およびシルト岩相が露出している。 東翼が 30~60°(急傾斜), 西翼が 20~30°(緩傾斜)の南北性非対称の狭長な背斜構造をなし, 東翼は断層に切られている。 第 32 図に豊岩油田断面図を示す。 R.3 号井によれば, 0~150 m まで天徳寺層, 150~700 m まで船川層, 以下女川層であって, 760 m 以下は安山岩火山砕屑岩 [ 以下の [注] 参照 ] となっている。 油層は船川層の上部および女川層の火山砕屑岩である。
本油田は秋田市の南方 8 km, 旧由利郡 下浜村に位置している。 桂根油田は桂根相の模式地で, 地表油徴が古くよく知られていた。 明治初年に新潟県および山形県人がここで手掘を試みたことがある。 さらに, 秋田 石油調査会が設立され, 1903 年(明治 36 年)に中島博土の調査に基づいて手掘井を掘った。 1919 年(大正 8 年)に日本石油株式会社が本格的開発に着手し, C 式 1 号井が同年 8 月に深度 282 m で成功し, 初日産 1.63 kl 出油した。 その後 引続き C 式 [ = 衝撃式 ? ] で 200~300 m の油層を開発した。 1920 年(大正 9 年)6 月に R 式で深層の探査を行ない, その第1号井が同年 12 月に 785 m で日産 17 kl の石油, 14 万 m3 のガスを発見した。 1923 年(大正 12 年)が最盛時で, 年産 10,800 kl に達した。
桂根油田の地表には船川層および天徳寺層桂根相が露出している。 東翼が 30~40°, 西翼が 15~20°で, 北方に沈下する南北性の半ドーム状背斜構造をなす。 含油範囲は EW : 約 300 m, NS : 約 900 m である。 坑井によれば 0~150 m まで桂根相, 150~700 m まで船川層, 700 m 以下は女川層となる。 硬質泥岩が約 100 m あって, その下に安山岩火山砕屑岩が 1,200 m まで続いており, まだ切られていない(第 33 図, 第 34 図)。
本油田の油層は大別してⅠ~Ⅴ層に分けられ, 浅い方より 100 m, 200 m, 300 m, 700 m および 800 m の深度に分布する。
本油田は桂根油田の南方, 旧由利郡 下浜村羽川(現 秋田市)に位置している。 宝田石油杜式会社によって開発され, 1919年(大正 8 年)12 月に試掘井 C.1 号で 103 m の深度において出油を認めた。
本油田の地表には船川層の暗灰色 泥岩が露出している。 東翼が急傾斜(約 40°), 西翼が緩傾斜(約 25°)を示す南北性非対称の背斜構造をなす。 含油範囲は幅 300 m, 長さ 1,700 m である。 羽川油田付近では桂根油田の主要油層である桂根相がすでに削除されており, 坑井は船川層から掘始められている。 深度 400 m まで船川層, それ以下は女川層となる。 750 m 以下は安山岩火山砕屑岩に富んでいる。 本油田の最深井 R.26 井は深度 1,191 m まで掘っているが, 未だこの火山砕屑岩を掘りぬいていない(第 35 図, 第 36 図)。
本油田の主要油層は2枚あって, Ⅰ層は船川層の凝灰岩に集油, Ⅱ層は女川層の最上部の白色の酸性凝灰岩に集油したものである。 桂根油田のⅣ層以下に相当する。
本油田は羽川油田の南方, 由利郡 岩城町(旧 道川村 勝手)に位置している。 古くから油徴が知られていた。 日本石油株式会社によって 1921 年 3 月に綱式により背斜頂部で試掘が始められ, 2 号井と 3 号井で約 2 kl 程度の出油をみた。 また深層探掘として 1921 年(大正 10 年)12月に R.1 号井が掘られ, 既成油層の下位にさらに数枚の油層を発見した。 1927~28 年(昭和 2~3 年)が最盛期で, 年産約 9,400 kl に達した。
本油田の地表には船川層の主として暗灰色泥岩が露出している。 勝手油田は勝手背斜の極隆部に形成されたトラップで, 出油範囲は幅約 300 m, 長さ 2,000 m である。 本背斜構造の背斜軸は南北走向, 西翼は 60°以上, 時にほぼ直立, 東翼は 20~30°である。 北方へ延び, 東側の衝上断層によって羽川背斜の下盤的位置となり, さらに西方の衝上断層により二古背斜の上盤となっている。 羽川背斜と勝手背斜とは大きな複背斜をなし, その西側の一つが勝手背斜をなすといえる(第 37 図, 第 38 図, 第 39 図)。
本油田の油層は6枚を数え, 上部の3層は船川層の下部の凝灰岩に集油していて, 油田南部および西部に発達している。 下部の3層は女川層中の凝灰岩に含油したもので, 油田東部および北部に限られる。 船川層の上部では凝灰岩の挟みが多いが, 中下部では少ない。 女川層は凝灰岩に富んでいるが, 安山岩火山砕屑岩はないといわれている。
本油田は勝手油田の南方, 由利郡 岩城町(旧 道川村)に位置する。 本油田は旭石油株式会社によって掘られた。 1921 年(大正 10 年)8 月, 初日産 1.7 kl の出油があり, 1922 年 3 月には 140 m にて 90 kl の出油をみた。 また, 宝田石油株式会社も 1921 年 9 月に掘り, 深度 81 m にて 1.17 kl, さらに掘下げて 137 m にて 9 kl の初日産をみた。 浅層油層であるため開発は急速に進んだが, その後 油量が減退した。
本油田の地表には船川層が露出し, 内道川油田は勝手背斜の南方延長になっている。 東翼が緩傾斜, 西翼が急傾斜の非対称背斜構造なす。 本油田の最深井 C.6 号井は 1924 年(大正 13 年)に 1,012 m で掘止められたが, 深度 600 m 付近から硬質泥岩を主とする女川層となる(第 40 図, 第 41 図)。 915 m 付近より爼山火山岩類(井上武, 1960)に対比される。 主要油田は深度 70~80 m のものと 140 m 前後のものとあり, 上からⅠ, ⅡおよびⅢ層と呼ばれている。 Ⅲ層は船川層の厚さ 40 m 内外の凝灰岩中に, またⅠおよびⅡ層の同層の凝灰岩中に集油している。
これらの油田は 八橋 油田と同じように天徳寺層の桂根相・船川層および女川層より出油するものである。 八橋油田ではⅦ層以深の爼山火山岩類に属する火山噴出物に貯油するが, これに相当する油層の存在は重要である。 本地域は古くから開発されたが, 女川層の火山噴出物中の探鉱開発はこの時期以来発展していない。
鮎川ガス田は北由利断層群の西側の沈降帯において, 断層面の下盤の構造において 天徳寺層の下部の凝灰質砂岩に貯留する遊離ガス鉱床を開発したものである。 秋田鮎川 AK-1 号井の深度 1,553~1,600 m 間の凝灰質砂岩のガス成分と水質について 第 20 表に示す。 この型の遊離ガス鉱床は北由利(衝上)断層群の下盤構造を追跡して探鉱されている。 この型の鉱床は衝上運動にともなう新しい沈降によって 天徳寺層に生成されたものである。 今後の探鉱努力によって新しい鉱床が発見されることと期待している。
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樋口ほか(1972)は 本地域の地表および地下の権現山層の岩相および化石相について 秋田油田のほかの地域と比較した。 第 42 図に示すように, 本地域は泥岩を主体とし, 貯留岩として好適な酸性凝灰岩が発達する点に留意し, 本地域の西黒沢階の堆積岩に石油・ガス鉱床の可能性に期待をよせている。
本地域西部の和田盆地では [ 女米木の北北東方 10.5 km の ] 平尾鳥 の川筋(竹の花 AK-1, 種平 [ 位置不明 ] SK-1)以北の河辺町一帯の試掘が行なわれたが, 商業ベースに乗る鉱床はみつかっていない。 表面的には構造は単純であるが, 地下の女川層や船川層は必ずしもそうでなく, 集油構造がありうるので, この地域に油・ガス鉱床があるかどうかも一課題である。
さらに本地域西方の日本海大陸棚との関連で, 海岸域~海底の探鉱開発がある。 さきに述べた鮎川ガス田のようなガス鉱床への期待がある。 大陸棚の物理探鉱および海上試掘によると, 確実に陸域の地質が大陸棚に延長している。 第 43 図は 北道川冲・羽川冲・下浜の試掘井と桂根油田を結んだ推定地質断面図と, 道川冲と道川背斜を結んだ同断面図を示したものである。 陸域と海域の連絡を石油地質学的に明確にさせたいものである。
潟西層および河成段丘堆積物の礫および砂が末戸松本(第 27 図)・ 上野(第 28 図)・ 湯野目(第 29 図)などで台地崖の切崩しが行われている。 これらの礫および砂は篩別にしたり, そのままコンクリート骨材と道路の砂利として使用されている。
岩城町の不動ノ滝 [ = 亀田 不動ノ滝 ] 付近では, 権現山層中に迸入岩床として貫入した粗粒玄武岩 [ Do ] が採石されている。
QUADRANGLE SERIES
SCALE 1 : 50,000
Akita (6) No. 19
By Kazuo HUZIOKA, Atsushi OZAWA & Yutaka IKEBE (Written in 1975)
The area studied in Akita Prefecture, North-east Japan faces the Sea of Japan on the west. The stratigraphic sequence of the area is summarized in Table 1.
| Geological Age | Stratigraphy | Main rock facies | |||
| … | |||||
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The Neogene rocks are divided stratigraphically into five formations, that is, Gongen-yama, Onna-gawa, Funa-kawa, Tentoku-ji and Sasaoka Formations. The Neogene is characterized by sedimentary rocks and is 2,500 to 4,000 m in total thickness. The Gongenyama, Onnagawa and Funakawa Formations are composed mainly of mudstone, and the Tentokuji and Sasaoka Formations consist mainly of sandstone or siltstone.
The Gongen-yama Formation, the lowermost part of the Neogene in the mapped area, is distributed in the axial part of the Fudō-no-taki and Kawazoe anticlines. This formation in the Fudō-no-taki anticline consists mainly of grey massive hard mudstone with silty tuff, acid tuff and basalt tuff. Also, this formation in the Kawazoe anticline consists mainly of tuffaceous sandstone and fine-grained conglomerate, and intercalates mudstone.
The Onna-gawa Formation conformably overlies the Gongen-yama Formation, and is most widely distributed in the central part of the mapped area. This formation consists mainly of hard mudstone, and intercalates tuffaceous sandstone, acid tuff and dolomitic marl. The upper part of this formation is composed of an alternation of hard mudstone and dark grey mudstone. The dolerite crops out in the vicinity of the Fudō-no-taki and Kawazoe anticlines, and occurs as sheets and dikes in the Gongen-yama and Onna-gawa Formations.
The Funa-kawa Formation conformably overlies the Onna-gawa Formation, and is widely distributed in the western half part of the mapped area. This formation consists mainly of dark grey mudstone, and intercalates tuffaceous sandstone and acid tuff.
The Tentoku-ji Formation conformably (partly unconformably) overlies the Funa-kawa Formation, and is distributed in the northern and eastern parts of the mapped area. This formation is divided by rock facies into the Katsurane, Alternation and Siltstone facies, and the lithofacies of each part is as follows.
Katsurane Facies (0 to 700 m thick) : Medium to coarse-grained sandstone with conglomerate, acid tuff and siltstone, and shows deformed and disrupted bedding.
Alternation Facies (0 to 600 m thick) : Alternation of siltstone, sandstone and acid tuff.
Siltstone Facies (300 to 1,200 m thick) : Siltstone, and intercalates acid tuff.
The Sasaoka Formation conformably (partly unconformably) overlies the Tentoku-ji Formation and is narrowly distributed in the western part of the mapped area. This formation consists mainly of very fine to medium-grained sandstone, and intercalates sandy siltstone, siltstone, tuffaceous sandstone and acid tuff.
The distribution of the Neogene rocks is controlled by so-called "Oil-field Structure" in Northeastern Honshu whose trend stretches from north to south.
The western part of the area along the Sea of Japan is characterized by the intense folds and reverse faults parallel to the folding axis with a general trend of N - S to NNE - SSW direction. The Kita-yuri thrust faults along the seashore are a great fault (more than 25 km in elongation) which strikes N. 0° to 10° E.and dips 45° to 80° E. In the vicinity of the Kita-yuri thrust faults, the Funa-kawa and Tentoku-ji Formations generally form the overturned folds which strike N. 0° to 10° E.or W.and dip 60° to 85° E.
The mapped area except the west part is characterized by the gentle folds and faults parallel to the folds. The Michi-kawa, Tanaka, Fudō-no-taki and Kawazoe anticlines are alined from west to east in the mapped area. Their anticlines form a gentle structure which strikes N. 0° to 20° E.or W.and dips 20° to 50° E.or W. The synclinal fold of the eastern part, more than 20 km in elongation, shows a very gentle structure which strikes N. 0° to 30° E.and dips 5° to 20° E.or W.
The Quaternary is divided stratigraphically into five deposits, that is, Takaoka and Kata-nishi Formations, Terrace deposits, Dune sand and Alluvial deposits which are unconformable with each other, in ascending order.
The Takaoka Formation unconformably overlies the Sasaoka Formation, and is very narrowly distributed in the north-eastern corner of the mapped area. This formation consists mainly of fine to medium-grained sandstone, and intercalates gravel and peat at the basal part.
The Kata-nishi Formation unconformably overlies the Takaoka Formation, and is narrowly distributed in the northern part of the mapped area. This formation consists of gravel, sand and mud.
The terrace deposits are distributed in the eastern half part of the mapped area, and consist of mud, sand and gravel.
The dune sand is distributed along the Sea of Japan, and consists of sand. The Alluvial deposits are distributed along the river Omono, and consist of mud, sand and gravel.
The most valuable underground resources in the mapped area are oil and natural gas and their fields are named Toyoiwa, Katsurane, Hane-kawa, Katsute, Uchimichi-kawa and Ayu-kawa. The Onna-gawa and Funa-kawa Formations are economically important as oil-bearing sediments. Some of oil seepages are recognized on the axes of the anticlinal structures.
昭和 51 年 1 月 18 日 印刷 昭和 51 年 1 月 23 日 発行 著作権所有 工業技術院 地質調査所 (C) 1976, Geological Survey of Japan