04057_1970
5万分の1地質図幅説明書
(札幌 第 57 号)
工業技術院 地質調査所
通商産業技官 佐川昭
通商産業技官 植田芳郎
北海道開発庁
昭和 44 年
目次 I. 地形 II. 地質 II.1 概説 II.2 先第三系 II.3 新第三系 II.3.1 太櫓層 II.3.2 馬場川層 II.3.3 北桧山層群 II.3.3.1 小川峠層 II.3.3.2 真駒内層 II.3.4 瀬棚層 II.4 第四系 II.5 地質構造 II.5.1 褶曲構造 II.5.2 断層構造 II.6 地史学的考察 III. 応用地質 III.1 石炭 III.2 マンガン III.3 珪藻土 III.4 石材 III.5 温泉および地下水 文献 Abstract
1 : 50,000 地質図幅説明書
(札幌 第 57 号)
この地質図幅は北海道開発庁の委託によって作成された。 野外調査は 1963 - 1965 年に実施され, 利別 川の南部および 目名 川の流域は主に佐川が, それ以外の地域は主に植田がそれぞれ担当した。 室内研究は引き続き地質調査所および地質調査所 北海道支所で行なわれた。
野外調査にあたって瀬棚町・ 北桧山 町および 今金 町役場から種々便宜をうけた。 特に北桧山町役場 産業課長の上野千春氏からは貴重な資料の提供をうけた。
貝化石の鑑定は北海道大学理学部 地質学鉱物学教室の赤松守雄氏を煩らわした。 また, 有孔虫化石の鑑定は地質調査所 北海道支所の石田正夫技官に, 岩石の検鏡は地質調査所の沢村孝之助技官によって行なわれた。
この図幅は北海道南部の 渡島 半島のほぼ中央部の西海岸に位置し, 日本海に面している。 行政区分上は 桧山 支庁管内 瀬棚郡 瀬棚町・北桧山町および今金町の一部に含まれる。
この地域内の地形はほとんど段丘地形で代表されるが, 高度と形状によって山地・台地および低地の3つに分けられる。
山地は図幅地域内の北東縁部および南西縁部にわずかに存する。 北東縁部山地は, 北接の 狩場山 および [ 北東隣の ] 大平山 図幅地域にある メップ岳(1,147.2 m)および カスベ岳(1,049.2 m)が形成する山地の南側山麓の尖端部にあたり, 第三紀の火山岩類および白亜紀の花崗閃緑岩からなっており, 最高標高は約 400 m である。 南西縁部を構成する山地は, [ 本図幅の南隣の ] 久遠 図幅地域内の毛無山(816 m)の北斜面にあたる。 この山は花崗閃緑岩からなるが, 本地域では先第三紀の堆積岩類とともに標高 429.5 m の山地を形成している。
台地は 利別 川および 太櫓 川の流域を除く本図幅地域のほとんどがこれに含まれる。 地形的に4段丘がみとめられる。
最高位段丘(200 m +)は, 図幅北部の 上鈴野原 および 小倉 山付近などに分布し, 図幅南部では 金原 [ ← 東西に流れる利別川に南から合流するパンケオイチャヌンペ川沿い ] の南方にわずかに分布している。
高位段丘(30~200 m)は, 最も分布の広い段丘で図幅地域全域に広く分布している。 標式的には 三浦山形 [ ← 上鈴野原の南方 3 km ] ・ 雲内 [ ← 金原の西方 3 km ] および 野合 [ ← 太櫓の南東方 2 km ] などがあげられる。
中位段丘(20~80 m)は, 神丘 [ ← 図幅地域東端・南北中央付近 ] および 大谷地 [ ← 利別川の河口の北東方 1.5 km ] 付近に標式的な分布がある。
低位段丘(15~20 m)は, 利別川の支流の 目名 川および 真駒内 川に, また 太櫓 川の上流の 左股 [ ← 図幅地域南端・東西中央付近 ] 付近にわずかに分布している。
低地は利別川ぞいに東西方向に細長く沖積平野を作るほか, 太櫓川の中流には盆状の低地が発達する。
海岸低地には, 瀬棚港から利別川口と太櫓川口とにかけて3列の砂丘がみとめられる。 海側から陸側に向かって 第3砂丘(s3)・第2砂丘(s2)および第1砂丘(s1)とする。 第3および第2砂丘は現海岸線にほぼ平行に配列しているが, 第1砂丘は著しく陸側に湾入している。 この海岸低地を除く瀬棚の北方および太櫓の南方の海岸は 40~100 m の急崖をつくって海岸にせまっている。
河川は図幅地域中央を西流する利別川を中心に, 北側に 馬場 川が南側に太櫓川があって, いずれも日本海にそそいでいる。
利別川は両岸にほぼ直角に流入する支流をもち, 右岸下流から真駒内川および目名川が, 左岸側にパンケオイチャヌンペ川がある。
太櫓川は 若松 までほぼ南北方向に流れ, 若松を過ぎて下流では東西方向の流れとなる。 太櫓川の左岸からの支流の 小 川はほぼ本流に平行して流れている。
利別川および太櫓川はともに蛇行が著しい。
交通は瀬棚から函館本線 国縫 に至る国鉄 瀬棚線が図幅地域のほぼ中央を東西に走っている。
道路は図幅内をほぼ南北に貫く国道 229 号線があり, これと直交して先の国鉄 瀬棚線に並走する道道がある。 国道 229 号線は図幅地域の北部では海岸線にそって南下し, 瀬棚から利別川沿いに東瀬棚に至り, ここから南下して若松をへて図幅南端のほぼ中央の左股から [ 本図幅の南隣の久遠図幅地域内の ] 宮野をへて 江差 に通じている。 このほか, 各河川沿いに林道が, 台地上には農道がもうけられ, 密度の高い道路網を形成している。
この図幅地域を含めて北海道の南西部地域は, 地質学上, 東北地方の裏日本側と同様にいわゆる「グリーンタフ地域」に属しており, これらの地域は古期岩類を基盤として, 新第三系の火山砕屑岩に富む地層と これに引き続く海成の地層を厚く堆積するという共通の地史をもっている。
この図幅地域を構成する地質系統は, 先第三系とこれを覆う新第三系および第四系からなる。 その層序関係および岩質の概略を第 2 図に示した。
| 時代 | 地層名 |
層厚
(m) | 柱状図 | 岩質 |
化石
その他 | 火成活動 | |||||
| … | |||||||||||
先第三系は地域の北東隅および南西隅に分布する。 石炭紀~ジュラ紀といわれる砂岩・粘板岩およびチャートからなる地層と, これに迸入してホルンフェルス化を与えた花崗閃緑岩および これらを貫く脈岩からなっている。
新第三系は上記の2地域の間をうめて広く分布し, 北海道南西部地域の標準層序のほとんどを露出していると思われるが, 岩相の変化が著しく詳細な対比が困難である。 先第三系とは不整合関係で接し, 地域西側には主として下位の地層が分布し, 東側に向かって順次上位の地層が累重し, ゆるやかな褶曲構造を形成している。 下から 太櫓 層・馬場川層・ 小川峠 層・真駒内層および瀬棚層に分けられる。
馬場川層・小川峠層および瀬棚層はそれぞれ下位の地層と不整合関係にある。 新第三系の各層は瀬棚層を除いていずれも火山砕屑岩を主とし, 溶岩・岩脈および堆積岩を伴っている。 火山砕屑岩と堆積岩との構成比は, 一般に下の地層ほど高く, また地域の北部ほど高い。 太櫓層はその最上部に淡水棲珪藻を多く含むことなどから陸成の地層と考えられるが, 馬場川層から上位の地層は海成の堆積物からなっている。
瀬棚層は, 本図幅地域が標式地となっており, 地域中央部に前記の地層群を不整合に覆って分布し, 海棲貝化石を産する。
第四系は 大谷地 層と4段の段丘堆積層および沖積層に分けられる。
大谷地層は 利別川の河口の北部の大谷地付近と 利別川の中流の 愛知 [ ← 東瀬棚の南東方 2 km ] の東部の小区域とに分布する [ ← 愛知の東部の大谷地層は地質図上には見当たらない ] 。
段丘は河岸段丘, 海岸段丘ともに発達が良く, 上位から2段目の高位段丘堆積層は特に広く分布している。
沖積層は利別川・太櫓川およびその支流, 馬場川の下流域などに発達する氾濫原堆積物と 馬場川 - 太櫓川河口の海岸に発達する海浜堆積物があり, この海岸には3列の砂丘がみとめられる。
この地域に分布する先第三系は, 堆積岩類とこれに迸入した花崗閃緑岩およびこれらを貫く岩脈からなり, 新第三系の基盤岩類を構成している。
図幅地域南西隅の 良瑠石 - 鵜泊 間の海岸と良瑠石川の中流左岸とに囲まれる三角形の地域に分布する。 岩質はチャート・粘板岩・砂岩および輝緑凝灰岩などからなり, 後述する花崗閃緑岩の迸入によって変質をうけホルンフェルスになっている。 層序の詳細は分布が狭いために不明である。
粘板岩は黒色~灰緑色を呈しよく成層している。 砂岩は灰色~灰褐色を呈し著しく堅硬である。 チャートは灰白色を呈し, 先の粘板岩と互層する場合と均質塊状を呈する場合とがある。
ホルンフェルスは黒雲母ホルンフェルスを主体とするが, そのほか構成鉱物として菫青石 [ cordierite ] ・透輝石 [ diopside ] および電気石 [ tourmaline ] の認められる部分もある。
鵜泊海岸の 立岩 の対岸の岬および良瑠石川の中流には, 花崗閃緑岩に接して白黒2色のきれいな縞状を示し, 一見して片麻岩状のホルンフェルスが分布している。 淡灰白色の部分は粒状を呈し, 斜長石と石英とからなり, 砂質岩からの変質と考えられる。 一方, 黒色の部分は黒雲母・角閃石からなり, 肉眼でも柘榴石が観察され, 泥質岩からの変質と考えられる(図版 2)。
図幅地域北東部の目名川の中流の左岸地域と, 南西部の 水垂 岬付近に露出するほか, 古櫓多 の南部および 小川 の支流に小範囲に露出する。
岩質は角閃石黒雲母花崗閃緑岩で, 肉眼では粗粒 優白質で黒雲母に富み, 大型の角閃石を散点し その長さ 1 cm を超えるものが認められ, そのほか石英および長石類が観察される。
顕微鏡下における斜長石・角閃石および黒雲母は 通常長径が 3 mm 以下で自形~半自形を示し, その間を少量の石英および斜長石が埋めている。 石英はときに長径が 3 mm に達することがある。 黒雲母および角閃石は緑泥石化することが多く, 斜長石もその核部が汚濁していることが多い。 これらの岩石学的記載は山口 56) (1932), 浜野 7) (1943)にくわしく述べてある。
上記の堆積岩類および花崗閃緑岩を貫いてアプライト岩脈がある。 これは顕微鏡下では粒状を呈しており, 斜長石・石英・正長石あるいはペルト石からなり, 角閃石・黒雲母を伴い, わずかに燐灰石・榍石 [ titanite or sphene ] ・ジルコンを含有する。 また, まれに白雲母・黄鉄鉱も散在している。
基盤岩類相互の地質的関係は, 良瑠石川および鵜泊の海岸で花崗閃緑岩が堆積岩類に迸入し, 堆積岩類をホルンフェルス化しているほか, 良瑠石川の上流では断層関係で接しているところもある。 しかし, 大局的には第 3 図のようにルーフペンダント状の産状と考えられる。
先第三系の堆積岩類の地質時代については, この地域ではまだ古生物学上の証拠はえられていない。 しかし, 北海道南西部に分布する新第三系の基盤岩類から産出する化石は, 吉田・山口 57) (1967)によって [ 渡島半島の南西部の ] 大千軒岳 付近から中部石炭紀を示すものと, 橋本・猪郷 10) (1962)によって [ 本図幅地域の北方の ] 島牧 村からジュラ紀以降を示すものとが報告されている。 なお, 花崗閃緑岩については河野・植田 23) (1966)によって K - Ar 年代から白亜紀の生成といわれているので, ここでは中部石炭紀以降, ジュラ紀以前の堆積岩としておく。
[ 本図幅地域には ] 北海道の南西部地域における標準層序に対比される各地層が分布しているが, 模式地との岩相の差異が著しい。 なかでも [ 中新世の ] 八雲 層に特徴的な硬質頁岩相の欠除はそのよい例としてあげられる。
本図幅地域の新第三系は, 岩質および地質関係などによって, 下から太櫓層, 馬場川層, 北桧山層群( 小川峠 層・ 真駒内 層)および瀬棚層に分けられ, それらは互に不整合関係をもって累重している。
太櫓層は本地城における新第三系の基底層にあたる。
その分布は瀬棚の北方の海岸と太櫓海岸, 太櫓川下流域および良瑠石川流域に広く, 栄石 [ ← 太櫓川と丸山断層の交点の南南西方 1 km ] の南西方の小沢にわずかに露出している [ ← これは栄石の南西方 1.5 km の若松背斜と若松向斜の軸の間にある太櫓層主部(Ft)? ] 。
下位の先第三系とは不整合関係にあり, 基盤を構成する各岩類を覆って分布している。
岩質は凝灰岩・凝灰角礫岩・集塊岩・火山円礫岩および安山岩溶岩からなり, 火山砕屑岩に富むことが特徴となっている。 しかし, 本図幅地域内では 上・下限の2層準に淡水棲珪藻を含むシルト岩や褐炭層を挾有する特徴から, 下位から 良瑠石 部層, 太櫓層 主部および 嗣内 部層に3分した。
良瑠石川の上流と 小川 の支流の小範囲および 古櫓多 海岸に本部層が分布する。 岩質は灰白色砂岩・凝灰質砂岩および硬質泥岩からなり, 褐炭層を挾み, 層厚は 30 m 以下である。 しかし, 露出地域によって岩相にいくぶん差異が認められる。
良瑠石川の上流における本部層は, 断層によって花崗閃緑岩と接しているため下限が不明であるが, 観察される範囲内では灰白色砂岩・凝灰質砂岩および硬質泥岩からなる。 ここでは砂岩中に炭化木が含まれており, 上部は太櫓層 主部の凝灰角礫岩に移化している。
小川の支流の本部層は 花崗閃緑岩上に凝灰角礫岩層をへて凝灰質砂岩と硬質泥岩との互層からなり, その中に黒褐色褐炭のレンズを 3~4 層挾み, 漸次 太櫓層主部の凝灰角礫岩に移化している。
上述の2地点のほか, 古櫓多 海岸の太櫓層の基底付近に層厚約 15 m, 礫岩と凝灰質粗粒~細粒砂岩からなる地層がある。 上部は太櫓層 主部の凝灰角礫岩に移化している。
前記3地点のうち, 良瑠石川の上流における本部層の灰白色砂岩から, 根本・佐川 43) (1965), 佐川・他 4 名 47) (1969)によって燐灰ウラン石の産出が, 小川支流の褐炭中からも放射能異常が報告されている。
以上のように, 本部層は露出が限られ太櫓層 主部と上下に漸移の関係があることから, 独立した地層名を与えるべきではないが, 観察される範囲では太櫓層の比較的基底に近い層準に分布することから一応 分層した。
本部層は, 太櫓層 主部の堆積初期に基盤の地形に支配された局所的な堆積物であろう。
太櫓海岸に模式的に分布するほか太櫓川の下流, 小川の流域および瀬棚海岸に好露出がある。
本層は 安山岩質凝灰岩・ 火山礫凝灰岩・ 凝灰角礫岩・ 火山角礫岩・ 凝灰集塊岩および火山円礫岩からなり, 安山岩溶岩および岩脈を伴っており, その厚さは 400 m 以上と推定される。
火山岩塊および火山礫の礫種は, 紫蘇輝石普通輝石安山岩が多く, まれに角閃石含有紫蘇輝石普通輝石安山岩・変朽安山岩および橄欖石玄武岩を混在する。 基質は安山岩質凝灰岩からなり, 赤褐色または淡灰色を呈する。 また, ときに淡緑色の鮮かな緑色凝灰岩を示す場合もある。
太櫓海岸における本層は, 基盤の花崗閃緑岩の上に不整合関係で接している。 その層序は, 基底礫岩をもってはじまり, その上に淡黄灰色の凝灰岩・凝灰角礫岩の厚層が累重し, この中に安山岩溶岩および同質凝灰集塊岩を挾んでいる(図版 4)。
太櫓川の中流および小川の流域の本層は安山岩質火山円礫岩を主とし, 凝灰角礫岩および凝灰岩からなり, 安山岩溶岩および岩脈を伴っている。
太櫓海岸に分布する凝灰角礫岩と 太櫓川および小川の流域に分布する火山円礫岩との関係は, その円磨度が漸移すること, いずれも良瑠石部層の上位に累重することから, 同時異相の関係にあるものと思われる。
太櫓層中の安山岩は溶岩, 岩床および岩脈状の産状を示す。 溶岩とみられる主なものは 太櫓海岸から良瑠石川にかけて分布する2層と ベニカモイ [ ← 鷹ノ巣岬の東方 2.5 km ] の西方の1層とであって, 3~50 cm の板状節理が発達する。 いずれも紫蘇輝石普通輝石安山岩で, 石基はガラスと斜長石の微晶とからなるハイアロピリチック組織を示すものから, 斜長石・単斜輝石からなるサブオフィチック組織を示すものまでが認められる。 同一岩層でもところにより輝石の量の多少によって岩質の変化が認められる。
岩脈状を示すものに山越 [ ← 太櫓の南東方 3 km ] の南西方に散点的に分布する安山岩がある。 いずれも紫蘇輝石普通輝石安山岩である。 岩脈状の産状を示す安山岩については, 太櫓層中の角礫種などから太櫓層堆積中または直後の火山活動のものと考えられるので 一括した。
本層は瀬棚の北方海岸の 嗣内 ・ 中歌 ・ 梅花都 および馬場川の川口付近に分布する。 太櫓層 主部との関係は, 主部の帯緑色凝灰角礫岩から漸移している。 岩質は白色~淡褐灰色 珪藻質シルト岩を主とし, 上部に炭層を挾む砂岩が累重する(第 4 図)。 上限は次に述べる馬場川層の基底礫岩によって削剥されているが, 認められる範囲内では層厚は最大 40 m と推算される。
珪藻質シルト岩は奥野 45) (1958)によると Melosira granulata (EHRENBERG) ほかの淡水棲珪藻種を多産する。
太櫓層は前記のように安山岩質火山複合岩を主体とする地層であるが, 堆積岩相の部分から淡水棲珪藻や植物化石を産する非海成の地層で, 棚井 54) (1963)によれば, 本層から台島型化石植物群の北方型を示す次の植物化石が報告されていて(第 1 表), 後述する馬場川層と対蹠的な堆積相を示している。
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本層は三谷・他 2 名 31) (1961)の馬場川層から, 上部の浮石質凝灰岩層を除いたものに相当する。
下位層との関係は, 地域西部では太櫓層を, 地域北東部では基盤の花崗閃緑岩を覆蔽している。 なお, 局部的には太櫓層の上部の嗣内 部層の各層準(第 5 図参照)に, また嗣内 部層を欠いて太櫓層 主部に直接する関係が観察される。 本層基底の不整合は, 地層の削剥や堆積環境の淡水から海水への変化など地質学的な意義は大きい。
本層の層序は, 模式的露出地の瀬棚の北方の嗣内付近では, 下位の嗣内 部層の珪藻質シルト岩の不規則面上に基底礫岩をもって重なる(図版 7)。 基底礫岩の礫種は, 紫蘇輝石普通輝石安山岩を主とし, まれに花崗閃緑岩を混える。 最大長径 120 cm, 人頭大の礫が多い。 礫岩上位には炭質物および海棲貝化石を含む細粒砂岩があり, さらに級化成層を示す細礫岩~微細粒砂岩が重なっている(図版 8)。 この微細粒砂岩の上位は, 暗黄褐色を呈する玄武岩質凝灰角礫岩・火山円礫岩が重なる。
本層の基底部付近の砂岩から Anadara sp., Cyclina sinensis (GMELIN), Limopsis sp., Neptunea sp., Charcarodon sp. [ 以下の [注] 参照 ] を, 細粒砂岩やシルト岩から Makiyama sp. を産する。
また, トシベツ付近(多分, 旧 初音鉱山 ; 石淵 [ ← 東瀬棚の南西方 2 km ] 付近)から松本 29), 30) (1916, 1918)によって Desmostylus japonicus の産出が報告されているが, これは馬場川層の玄武岩質凝灰角礫岩から産出したものと推定される。
地域中西部のベニカモイの北方の本層は, 基底礫岩の上に軟弱で雲母片を多量に含む細粒砂岩からなる。 また, 地域南端・東西中央付近の 小川峠 付近における本層はシルト岩が卓越し, その最上部に凝灰角礫岩の巨礫を含み スランピングを示す地層が重なっている(図版 9)。 このように本層はところにより岩相の変化が著しい。
従来, 本層は太櫓層とともに [ 渡島半島(南部)の代表的な新第三紀層である ] 訓縫 層に対比されていたが, 馬場川層が海成層を示すこと, および太櫓層との間に大きな不整合のあることなどから, 三谷ら 31) によって訓縫層から分離された。
筆者らは, 訓縫層に対比されていた太櫓層を, 台島型植物化石群および淡水楼珪藻の産出などから, 秦 12) (1967)の [ 本図幅の南隣の 久遠 図幅の南隣の ] 熊石 [ 図幅 ] 地域における 関内 層に対比し, 新しい定義の馬場川層を訓縫層に対比した(第 2 表)。
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熊石地域
秦(1967) |
久遠地域
吉井ほか(1969) |
本図幅
佐川・植田(1969) |
太櫓地域
三谷ほか(1961) | ||||||||||
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馬場川層中に溶岩状に産する安山岩は, 主として角閃石含有紫蘇輝石普通輝石安山岩からなり, 地域北東部の目名川から域外北方にかけて分布する。 数層の溶岩と同質の凝灰集塊岩からなっている。
このほか, 域外北方には 斑晶が普通輝石と斜長石とからなる玄武岩質安山岩と同質凝灰集塊岩が発達する。
本属中の玄武岩は主として岩床状の産状を示す。 主な分布地は瀬棚の 三本杉岩 付近・ 中歌 - 嗣内間・ 大櫓川河口の 高山ノ下 付近および石淵などである。 このほか, 島田 51) (1961)によって 瀬棚 試掘井 [ ← 図幅地域中央付近 ] の深度 511.3 m 以深に 玄武岩~粗粒玄武岩の分布が報告されているが, これもこの玄武岩のグループに含まれるものと考えられる。
三本杉岩および高山ノ下付近に発達する玄武岩は 填間組織または間粒状組織を示す橄欖石玄武岩で, 橄欖石の斑晶は変質を受けている。 石淵付近に分布する玄武岩は石英の斑晶を含んでいる。
地域中央部を南北に幅広い帯状に分布し, 北部から北東部にかけて大きな向斜構造を示して分布する(第 8 図の地質構造図参照)。
下位層との関係は不整合で接し, 馬場川層を欠いて直接 太櫓層に覆蔽する部分も観察される。
岩質は主として凝灰岩・凝灰角礫岩・砂岩およびシルト岩からなる。 火砕岩に富む下部を小川峠層, 堆積岩に富む上部を真駒内層に2分した。
地域南端・東西中央の小川峠の道路切割を模式地とする。 凝灰岩を主とし凝灰質砂岩およびシルト岩を挾み, ところにより凝灰角礫岩が発達する。 模式地における本層下部の凝灰質細粒砂岩を挾む2層の凝灰岩を小川峠層下部層とした。
上述の小川峠を模式地とする。
南北方向の向斜構造を示して分布する。 その西翼は地域南部の若松向・背斜と, それに連なる地域北部の馬場川向・背斜によって, ゆるくうねりながら南北に細長く分布する。 向斜の東翼は目名川の中流に露出する。
下位層との関係は, 模式地の小川峠付近では馬場川層に累重するが, 小川の下流および 蛯沼 [ ← 石淵の南方 2 km ; 太櫓川の北岸 ] 付近では馬場川層を全く欠いて太櫓層を直接覆う。 また, 地域外北方の 虻羅 海岸付近では, 馬場川層の基底礫岩の直上に累重するなど, ところにより下位に接する地層の層準を異にし, 明瞭な不整合関係を示している。
岩質は模式地付近では (第 6・7 図の北桧山層群 柱状 対比図・位置図の柱状図番号 ⑨ 参照), 下から白色細粒凝灰岩と淡灰色凝灰質細粒砂岩との互層(2 m), 凝灰質細粒砂岩(0.5 m), 含黒雲母白色軽石火山礫凝灰岩(7 m)と累重する。 下部層の凝灰岩は上部層の凝灰岩に比較して, 風化面が白色を呈することが特徴的である。
地域北部の真駒内川の上流の本層は 安山岩質凝灰角礫岩および玄武岩質安山岩の枕状溶岩を挾む。 本層にはマンガン鉱床を胚胎している。 層厚は 9~28 m 以上と推算される。
下部層と同じく小川峠の道路切割を模式地とする。
分布もほぼ下部層と同じように向斜構造の両翼に分布する。
軽石凝灰岩を主とし凝灰質砂岩およびシルト岩を挾む。 凝灰岩の色調は小川峠層の下部層に比較して暗色を呈する。 模式地における本層の層厚は 51.7 m, 凝灰岩だけの厚さは 37.3 m である。
地域北方の真駒内川およびポン目名川流域における本層は 安山岩質凝灰角礫岩に移化している。 シルト岩および細粒砂岩から Makiyama sp. を産する。
三谷ほか 31) の真駒内層にほぼ同じ。
真駒内川の流域から太櫓川の流域にかけて南北に幅広く, [ 図幅地域東端付近を南北に流れる ] パンケオイチャヌンペ川の上流 [ ← 図幅地域南東隅やや西側 ] および 雲内 の北方の小沢に地窓状に分布する。
下位層との境は, 小川峠層の上部層の凝灰岩からシルト岩の厚層に変わるところをもってした。
下から 二俣凝灰岩層(K1), 雲内凝灰岩層(K2)および左股凝灰岩層(K3)の それぞれ特徴のある凝灰岩が発達しており, 地域内の鍵層になっている。
K1 [ 二俣凝灰岩層 ] の下位は風化面が黄灰色, 新鮮面では帯緑灰色のシルト岩を主とし, 本層の基底部付近ではスランピング現象が観察される。 K1 直下および K1 と K2 [ 雲内凝灰岩層 ] の間は主として細粒~微細粒砂岩からなり, 黒色スコリヤ質砂岩や白色凝灰質シルト岩の薄層を多数挾み, 遠望すると白黒2色の縞状を呈する(図版 11)。 K2 と K3 [ 左股凝灰岩層 ] の間および K3 の上位は主として微細粒砂岩からなり, K1 と K2 の間よりも凝灰質岩を挾む度合が少なく, 幅の広い縞状を呈する。 西丹羽 [ ← 東瀬棚の北東方 2.5 km ] 付近から北方に分布する本層上部の岩相は細~中粒砂岩からなり, 利別川の南方の地域よりも粗粒となっている。
本層中・上部に長径 2 m に達する泥灰質団球が含まれる。
本層は上下を通じ Makiyama sp. を産する。 とくに K1 の直上には Makiyama sp. の密集帯と「生痕」とが観察される。 真駒内川の上流および パンケオイチャヌンペ川の上流の本層細粒砂岩から Nemocardium cf. yokoyamai TAKEDA の単群集を産する。 また, 愛知 [ ← 東瀬棚の南東方 2 km ] の東方の本層から鯨骨化石を得た。
本層の層厚は 250 m 以上を算する。
若松から二俣 [ ← 若松の南方 2 km ; 図幅地域南端 ] に通ずる旧国道の崖に好露出がある(図版 12)。 そのほか, パンケオイチャヌンペ川の上流・西丹羽の北方および若松隧道の北口などで観察される。
下盤は帯緑灰色の細粒砂岩からなり, 間に帯黄灰色凝灰質微細粒砂岩を挾む上下2層の軽石凝灰岩からなる。 軽石の径は 3 cm ていど, 軽石および火山灰中に黒雲母片を多量に含む。 黒雲母の大きさはふつう 1~2 mm のものが多い。 凝灰岩は上下とも葉理が発達し, 斜層理を呈する部分もある。
層厚は若松付近で下の凝灰岩が 7 m, 中間の砂岩が 3 m, 上の凝灰岩が 3 m である。
[ 太櫓川と丸山断層の交点の西方 1 km の ] オンコヤチから雲内段丘面に上る坂道の切割に露出するほか, 濁川の流域および真駒内川の上流などで良く観察される。
オンコヤチ - 雲内間では 下の角閃石安山岩質石質凝灰岩(厚さ 20 cmで褐鉄鉱に汚染されている)と, 上の白色細粒凝灰岩(厚さ 55 cm)との間および 両凝灰岩の上下位は Makiyama sp. を多く含む微細粒砂岩からなっている。 上下の凝灰岩の層間距離は 4.65 m である。
地域南端の左股 二号橋の下流の左俣川の右岸に標式的に発達する(図版 13)。 金色の光沢を有する雲母片を多く含む軽石凝灰岩からなる。 7~10 m 下位に白色細粒凝灰岩, または凝灰質細粒砂岩の薄層を伴う。
標式地付近における厚さは 14 m を算する。
濁川の上流では本層の上位に, 本層に良く似た岩質の凝灰岩が2層累重している。
長尾・佐々 36) (1933b)の瀬棚統の一部で, 橋本・他 3 名 11) (1963)が再定義したものに当たる。
地域の東半部を占めて南北に長く広く分布している。
下位層との関係は, 池谷・植松 14) (1968)によってところにより整合であるといわれているが, この地域内では不整合関係を示している。 すなわち, 下位の真駒内層と構造差を示して分布すること(第 8 図の地質構造図参照), および基底礫岩中に真駒内層のシルト岩を礫として含んでいることである。 下位層との関係を示す例を図版 14・15 に示す。
岩質は未凝固の砂・礫およびやや凝固した泥質砂岩・シルト岩からなり, 砂層中に著しい斜層理を示す層準が観察される (第 9 図の瀬棚層 柱状対比図参照 ; 図版 16)。 その斜層理を示す砂層以外の各層準から海棲化石を普遍的に産する。
| 種名 ↓ / 産地 → | … | |||||||||||||||||||||
| … | … | |||||||||||||||||||||
| 岩質 | … | |||||||||||||||||||||
| 産状 | … | |||||||||||||||||||||
|
瀬棚層産の有孔虫化石について石田正夫は, 以下のように記している。
地域内の本層は大観すると礫質岩 → 泥質岩の堆積輪廻が2回認められる。 その第2輪廻層は [ 図幅地域東南部のパンケオイチャヌンペ川沿いの ] 金原の南方の向斜軸部において観察され, 第1輪廻層に比較して薄い互層からなる。
本層下半部の泥質砂岩中には 図版 17 に示すような円錐状の生痕と思われるものが観察され, 一定の層準を示すものと思われる。 これは松井 25) (1957)の常磐炭田 鮮新統 多賀層群中に認められる泥岩塊と 同じ成因によるものと思われる。
本層中に発達する斜層理を計測し, これを復原して古流系の方向を推定した(第 10 図)。
本地域内における瀬棚層の厚さは 130 m をこえない。
本域内に分布する第四系は 更新世の大谷地層(Oy)・ 最高位段丘堆積層(t0)・ 高位段丘堆積層(t1)・ 中位段丘堆積層(t2)・ 低位段丘堆積層(t3), 現世に属する砂丘 [ s3, s2, s1 ] および沖積層 [ a ] に分けられる。
大谷地層は 最内 沢から 大谷地 にかけてと, 愛知 [ ← 東瀬棚の南東方 2 km ] の北東部との利別川に面する低地に分布する。 最高位段丘堆積層は標高 200 m 以上の地域に小範囲に分布する。 高位 - 中位 - 低位段丘堆積層の関係は, 第 11 図および図版 18 に示したように地域南部の 鵜泊 付近で3段の海岸段丘として観察され, それぞれの段丘に対応する河岸段丘堆積層を 高位段丘堆積層 - 低位段丘堆積層として扱った。
砂丘は最内沢口から太櫓川河口まで, 利別川河口を中心に3列認められる。 その内, 内陸側の第1砂丘(s1)は更新世のいわゆる古砂丘に属する疑いがある。 沖積層は利別川をはじめ各河川の氾濫原堆積物や崖錐堆積物が発達する。
三谷ほか 31) 命名。
大谷地付近の比高約 10 m の崖を模式地とする(第 12 図)。
模式地 [ の大谷地付近 ] および最内沢付近と愛知の北東方との小区域に分布する。
下位層との関係は, 下限がいずれも沖積層下に没して判然としない。
岩質は未凝固の砂・粘土および礫を主とし, 褐鉄鉱・泥炭を挾む。 最内沢付近では斜層理が著しい。 層厚は 30 m 以上と推算される。
三谷らは, 大谷地層の分布と段丘礫層との関係から, 本層の時代を鮮新世末期としている。 しかし, 滝ノ沢 [ ← 三本杉岩の東北東方 3.5 km ] の上流で本層と同定されている地層は高位段丘堆積層に相当し, また, 丹羽 からポン目名川に越える峠に分布する砂質岩は瀬棚層に相当する。
大谷地層は明らかに瀬棚層以下とは分布を異にしており, また高位段丘以下3段の段丘堆積層に覆われている。 以上のことから, 大谷地層の時代については, 決定的な要素はないが, 一応 第四紀初期の堆積層とした。
地域北限の標高約 200 m 以上の区域および南東端の同標高の地域に分布し, 平坦面を形成する。
下位層および低位の段丘との関係は, 地域外北方の馬場川の上流から真駒内川の流域に越える坊主山(340.1 m) [ ← 本図幅の北隣の狩場山図幅地域内 ] のふもとの農道で観察される。 ここでは, 小川峠層の凝灰角礫岩の上に, 淘汰の悪い変質した安山岩角礫と緑色凝灰岩礫とが載っている。 また, その小川峠層の凝灰角礫岩を帯状に露出させて, 一段下位の高位段丘堆積層が分布する。 一方, 南部における本層は, 域外南方の 日進 [ ← 本図幅の南隣の久遠図幅地域内 ] からパンケオイチャヌンペ川に下る道路の切割で観察される。 主として人頭大以下の円礫からなる。 礫種はチャート・ホルンフェルス・変朽安山岩および安山岩など, 太櫓層以下の先第三系の地層から由来したものが多い。
本層は前述したように, 鵜泊 小学校うらの平坦面を形成する。
本層は模式地のほか, 野合 [ ← 太櫓の南東方 2 km ] ・ 山越 [ ← 太櫓の南東方 3 km ] ・雲内・三浦山形および鈴野原など, 地域内で最も広く分布する。
鵜泊付近では標高約 30 m, 太櫓中学校付近では約 90 m, 西丹羽付近では約 90 m から最高 200 m の地域に分布している。
本層の厚さは 80 m 以下と推算される。
第 13 図および図版 19 に示したように, 中部に泥炭または腐植質土を挾むことが特徴である。 岩相はところによって異なり, 太櫓中学校うらの崖では, 斜層理を示す未凝固の細~中粒砂からなり, 粒度組成上は海浜の砂相を示す。 その他の地点では, ほとんど淘汰の良い礫層からなる。
礫の組成は地域によって異なり, 南部の雲内付近ではチャートおよびホルンフェルスが主であるが, 北部の西丹羽付近ではチャート > 花崗岩質岩類 > 安山岩からなり, 丹羽の北部では安山岩 ≫ チャート・流紋岩および花崗岩質岩類の組成を示す。
礫の粒径は, 地域中央部から南北両方に向かって大となる。 西丹羽付近では径 5~10 cm が最も多いが, その他の地域では人頭大~最大径 60 cm ていどの礫が多い。
上述の泥炭または腐植質土の上位に重なる礫(砂)層は, 下位の礫(砂)層に比較して淘汰が悪く, シルトを混在する。
本層は鵜泊小学校校庭の標高約 20 m の平坦面を形成する。
[ 利別川の北方・図幅地域東端付近の ] 神丘 付近に最も広く分布するほか, 丹羽・大谷地および太櫓川流域などに分布する。
岩相は, 鵜泊付近では下部は石英質砂岩の亜円礫, 上部はアルコーズ砂からなる。 良瑠石 から 古櫓多 にかけてはアルコーズ砂からなり, 基底部に花崗閃緑岩の巨礫を含む。 その他の地域では, いずれも高位段丘堆積層から由来したものと思われる礫からなる。 神丘付近では安山岩 ≫ 花崗岩質岩の組成を示し, 最大径は 53 cm に達する(図版 20)。
本層は鵜泊付近で標高約 15 m の平坦面を形成する。
模式地では, ホルンフェルスおよび粘板岩の角礫からなり, 花崗閃緑岩の巨礫を含む。
本層は河岸段丘として各河川の流域で観察される。 真駒内川・目名川では東岸に, パンケオイチャヌンペ川では西岸に偏在することが特徴的である。
最内沢から太櫓川河口にかけて, 3列の海岸砂丘が分布する。 内陸側から第1砂丘(s1)- 第3砂丘(s3)とすると, 海岸側の第2砂丘(s2)および第3砂丘(s3)は現海岸線と平行に分布するが, 内陸側の第1砂丘(s1)は現河川の上流側に深く湾入し, s2・s3 とは分布形態を異にする。 このため第1砂丘(s1)は更新世の, いわゆる古砂丘の疑いがあり, 今後の研究にまつところが多い。
砂丘はほとんど泥質物および礫を含まず, 分級の良い細~中粒砂からなる。 乾式粒度分析の一例を第 14 図に示す。 本図による s1・s2・s3 の淘汰度 So はそれぞれ 1.328・1.224・0.909, 歪度 Sk は 0.885・1.360・1.207, 尖度 K は 0.222・0.200・0.289 と計算される。
海岸寄りの第3砂丘(s3)には地表下 20~50 cm に腐植質土が挾まれている(図版 21)。
沖積層には現河床堆積層, 氾濫原堆積層および崖錐堆積層がある。
現河床堆積層および氾濫原堆積層は, 規模の大小はあるが, 利別川をはじめとする各河川にそれぞれ発達する。 上流部では礫が, 下流部では砂が主部を占め, ともに泥を含む。 利別川下流では泥炭が発達する。
崖錐堆積層は真駒内層から上位の地層が分布する小沢の頂部に発達する。
本図幅地域の地質構造は, 地域の北東隅と南西隅とに露出する先第三系の分布区と, その間の大きな複向斜構造部とに分けられる。 この向斜構造はほぼ北北西 - 南南東方向の軸を有し, 新第三系の地層群からなっている。 この大構造の中に下記の褶曲構造と断層構造とが認められる(第 8 図の地質構造図参照)。
馬場川 - 若松向斜構造は, 地域西側にほぼ南北方向の軸をもつ向斜構造で, 北部の馬場川向斜の南部への延長が若松向斜にあたる。
馬場川向斜は瀬棚 [ 図幅地域 ] の東方の馬場川沿いに分布し, その西翼は走向ほぼ南北で東に 5~8°のゆるやかな傾斜を示しているが, 東翼のそれは西に 30°内外の急傾斜を示しており, 非対称の向斜構造である。 向斜軸の連続は良好でなく, むしろ地層の分布によって向斜軸が推定されるに過ぎない。
南部の若松向斜は, 石淵からサキリカンナイ [ ← 蛯沼とオンコヤチの間の太櫓川の北岸の平地 ? ] をへて小川峠まで追跡される。 向斜軸の方向は北部では南北, 南部では北北西 - 南南東を示している。 東西両翼の傾斜はともに 3~10°と緩く対称的な構造を示している。 向斜軸は馬場川向斜ほど不明瞭でなく, 地層の分布によってよく追跡される。
馬場川 - 若松背斜構造は, 先の向斜構造の東側に接近して並走している。
馬場川背斜は, 東西両翼ともに 30°の傾斜を示すが, 南部では緩く北部では傾斜が急になっている。
馬場川背斜の南側延長にあたる若松背斜は東翼で 5~30°, 西翼側では 7~20°の傾斜を示している。
馬場川 - 若松向斜および背斜構造はともに向・背斜軸にうねりが観察され, 地域によって走向および傾斜が一定しない。
濁川向・背斜構造は, 地域南東部の濁川に並走しており, ほぼ南北方向の軸をもつ-組の褶曲構造で, 東西両翼ともに 3~6°の緩い傾斜を示している。 北限は丸山断層で切られ, その北方への延長は不明である。 傾斜が緩いうえに褶曲軸のうねりの影響もあって, 馬場川 - 若松向斜および背斜構造と同様に褶曲軸の追跡は困難である。
これらの褶曲構造のほか, 濁川褶曲構造の東側に小 向・背斜構造が推定される。
丹羽向斜構造は, 先に述べた大きな複向斜構造の中心部に位置する向斜構造で, 瀬棚層の分布と走向傾斜から認められたものであるが, 瀬棚層の下位の地層群の分布および走向傾斜からもこの構造が認められる。 向斜軸は 地域北部の三浦山形から西丹羽をへて地域南部の金原にかけては ほぼ北北西 - 南南東方向に走っている。 全般的に舟底状の断面をもつ向斜構造を示し, 北部の西翼部で N 10°E, 6°E, 北翼部で N 88°W, 10°S, 東翼部で N 20°W, 14°Wの走向傾斜をもっている。 南部では東翼部が観察できないので詳細は不明であるが, 瀬棚層の走向傾斜などから傾斜 5~10°の緩い向斜構造を示すものと推定される。
本図幅地域に見られる断層は, 地域南西隅の NE - SW 方向およびこれに直交する NW - SE 方向の正断層と, 丸山断層に見られる逆断層とがある。 正断層は基盤岩類の地塊の差別的沈降に, 逆断層は褶曲運動に関連があるものと考えられる。
NE - SW 正断層は, 地域中央部の愛知から 奴 ノ沢をへて山越の南方を通る比較的 低角度の断層と, 地域南西隅の花崗閃緑岩を切る急角度の断層とがある。
NW - SE 正断層は, 地域南西隅で花崗閃緑岩と太櫓層とを切る, 太櫓層堆積後に完成した断層で, 傾斜は 80°SW を示す。
また, 地域中央南部で花崗閃緑岩の小分布を示す NWW - SEE 方向の断層は, 傾斜 78°S の正断層で, 太櫓層堆積後・馬場川層堆積以前に活動したことを示している。
丸山断層は, 丸山の北方の崖と西丹羽の北方で推定された。 丸山の北方では, 丸山断層に伴うものと思われる小断層群が観察されることおよび この地域の鍵層 K3 の不連続とから推定したものである。 この小断層群は, 平均走向 N 23°E, 傾斜 39°NE 西側落ちの逆断層を示している。 一方, この北方延長の西丹羽北の方では, 断層の東側地塊の鍵層 K1 およびそれをおおう瀬棚層が 66°Eの急傾斜を示している。 これはおそらく断層の引きずりによるものと思われる。
層位落差は丸山付近で 100 m と推算される。
本断層の西側地塊の西丹羽の西方では断層にそって向斜構造が推定される。
先第三系, いわゆる「古生層」に迸入した花崗閃緑岩は, 古生層に熱変質を与えるとともに冷却固結して基盤岩類を形成した。 その後, 先第三紀の永い削剥の時期をへて断裂・断層を生じ, 差別的な沈降・上昇地塊を出現させながら全体として沈降区に転じ, 著しい火山活動とともに新第三紀の地層群を堆積した。
このような背景のもとに太櫓層の堆積がはじまった。 その初期は火山活動もはげしくなく, 比較的低地の地域に良瑠石部層に代表される淡水環境の堆積があり, 次いで火山活動の優勢な太櫓層主部を形成した。 後期に入り再び淡水環境の嗣内部層を堆積すると同時に 一部地域の隆起があり削剥が行なわれた。
馬場川層の堆積期は, この地域の沈降と火山活動が広範囲に行なわれた。 馬場川層堆積の初期には, 盆地は太櫓層の堆積盆より広がったことが, 地層の覆蔽現象と海棲貝化石の産出などから推定される。
馬場川層堆積後期に入って再び火山活動が激しくなり, 火山砕屑岩の堆積や溶岩の噴出を見た。
北桧山層群堆積期 [ 以下では「北桧山期」と略記する ] は, 馬場川層堆積期 [ 以下では「馬場川期」と略記する ] と同様の堆積盆の広がりが推定されるが, 一部の地域で太櫓層の上に覆蔽する関係があるので, 馬場川期と北桧山期の間に隆起・削剥の現象があったと思われる。
この 太櫓期 [ これは「太櫓層堆積期」を意味する ] と馬場川期との間および馬場川期と北桧山期との間の一時的な降起運動は, 一部の正断層と 馬場川 - 若松向斜および背斜構造に見られる小ドーム・盆状構造を形成した。 これが, 現在見られるこれら向・背斜軸のうねりとして表現されているものと考えられる。
北桧山層群は海成の一連の地層群である。 しかし, 前半は 馬場川層堆積期の火山活動の影響が顕著に表現されている小川峠層の堆積を見たが, 後半は 比較的静穏な環境となり真駒内層を堆積している。
その後この地域は再び隆起地区となり, 同時に褶曲運動をはじめ, 向斜・背斜が形成された。 すなわち, 丸山断層(逆断層), および馬場川・若松・濁川および丹羽の褶曲構造がそれである。
瀬棚層堆積期に入って, 再びこの地域は沈降して瀬棚層の海進となるが, この後も褶曲運動は引き続き行なわれ, 瀬棚層中に見られる丹羽向斜および丸山断層を完成させたと考えられる。
第四紀に入っては海水準の変動による段丘堆積層の形成が主体となっているが, その初期の大谷地層の堆積状態は不明の点が多く, 今後の研究課題としたい。
石炭は太櫓層 良瑠石 部層と嗣内 部層との2層準に賦存する。 これらは三谷ほか 31) によって報告されている。 それによると, 石炭は瀬棚の北方の 梅花都 の暗礁下と, 虻羅 の沢にその分布が確認されている。 前者はおそらく良瑠石部層に, 後者は嗣内部層に対比される。 筆者らの調査した時点では虻羅の沢の旧坑は崩落し, 露頭も表土におおわれて, 僅かに第 4 図に示したような炭柱図が採取されたにすぎない。 嗣内部層中の石炭は同層最上部に賦存し, レンズ状の産状を示すこと, および上位層の不整合によってごく限られた分布を示すことから, 将来とも稼行対象となることはないと思われる。
北桧山町の前身の一つである太櫓村史「太櫓村勢一斑」に次のような記述がある。
マンガン鉱床および鉱山についての記載は, 伊木 13) (1912), 福富・他 5 名 5), 6) (1936a・b), 土居・他 4 名 4) (1961)などの詳しい調査がある。
本域内で往時隆盛を誇ったマンガン鉱山も, 現在では瀬棚 満俺鉱業所 弘龍坑 一坑が残っているにすぎない。 弘龍坑は馬場川の支流の滝ノ沢の枝沢に位置する。
鉱床は小川峠層の下部層の軽石凝灰岩中で認められ, その層理に平行なものと, 割れ目を充填した形状をとるものとがある。 昭和 40 年 10 月現在で約 200 t の貯鉱が見られた。 その鉱石の X 線回折および反射顕微鏡観察は 地質調査所北海道支所の岡部賢二技官によって行なわれ, βMnO2 の Polianite [ 黝マンガン鉱 ] であることが判明した。 次に X 線回折図および解析結果を示す。
| 1. 瀬棚 弘龍坑 | 2. ASTM(No.4-0951) | ||
| d(A) | I | d(A) | I |
| 3.14 | 10 | 3.14 | 100 |
| 2.42 | 5 | 2.42 | 80 |
| 2.22 | 10 | ||
| 2.12 | 2.5 | 2.12 | 50 |
| 1.98 | 1 | 1.99 | 10 |
| 1.63 | 3 | 1.64 | 80 |
| 1.57 | 1 | 1.57 | 30 |
| 1.44 | 1 | ||
このほか, マンガン鉱床を胚胎する層準は, 目名川流域において花崗閃緑岩を直接覆う馬場川層の基底付近に認められる。
瀬棚の北方の海岸に点在する嗣内部層は, ほとんど珪藻質泥岩からなっている。 奥野 45) (1958)によると, これらの泥岩から産出する珪藻化石はすべて淡水棲で, 湖成の珪藻土である。 Melosira spp. のほか瀬棚産以外に化石種としても現世種としても未報告の珍種 Gomphopleira Frickei Reichelt を産出するとされている。
珪藻土の露頭は, 北から 虻羅 トンネル入口・嗣内・中歌および梅花都の海岸と, 馬場川の瀬棚橋の上流に分布する。 これらの内, 虻羅と梅花都のものは北海道 珪藻土 工業株式会社によって 1941 年から採掘され, セメント混合材・保温材・農薬増量材およびこんろの原料として使用されたが, 1958 年休山し現在におよんでいる。
虻羅産 珪藻土の化学分析の一例を示す [ 分析 : 河島ほか 18) (1943) ] 。
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本地域の石材資源は古くから利用されている。 「太櫓村勢一斑」によると, 水垂 岬付近の花崗閃緑岩は昭和 4 年, 132 立坪 採掘され 売価 33 円で古櫓多付近の道路石垣用に使用されたことが報告されている。
石材は前述の花崗閃緑岩のほか, 安山岩および玄武岩が小規模に採掘され, 建築材, 道路敷石として使用されている。 調査期間中および近年採掘されていたものは次のとおりである。
上記のほか, 瀬棚層中部(とくに豊田 [ ← 丹羽の南南東方 3 km ; 利別川の南方 ] 付近)および砂丘の砂層や, 高位~低位段丘堆積層の礫はそのまま建築材として使用可能で, かつ相当量が期待される。
所在地 : 瀬棚郡 北桧山町 西丹羽
この温泉は 通商産業省 石油および可燃性天然ガス資源開発法にもとづく 試掘助成井に湧出したものである。 地質の詳細については, 島田 51) (1961)が述べているが, 深度 511.3 m 以深が玄武岩 - 粗粒玄武岩からなり, ストレーナは 500~585 m に仕上げ, 孔底温度 54.3 ℃, 口元温度 28 ℃ である。 第 17 図の井戸の仕様図のように 深度 280 m 付近から低温の地下水が混入している可能性もあり, 仕上げの方法によっては, さらに高温の温水が得られるであろう。
この温泉の分析書を次に示す。
利別川流域の沖積平野部では掘抜井戸によって飲料水および灌漑用水を採取している。 可燃性天然ガス調査を目的とした水質分析が三谷ほか 31) によって行なわれている。
真駒内層および瀬棚層は, 砂岩や凝灰岩など粗鬆な岩質を主とし, 真駒内層は細粒泥質岩を挾んで, 地下水の貯溜に適している。 そのうえ, 地質構造はゆるい向斜構造を示しており, 沖積平野部では地下水が自噴しているものと思われる。
そのほか, 冷水 [ ← 西丹羽の北方 3 km ] の地名に見られるように天然の湧泉も知られている。 これは冷水付近や西丹羽の北方の崖で見られるように, 段丘堆積層中の礫層が褐鉄鉱で汚染され, 広く発達する高位段丘堆積層(t1)が 良好な地下水の流路となっていることを示している。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Sapporo, No. 57
By Akira SAGAWA & Yoshihiro UEDA (Written in 1969)
This geological sheet map "SETANA" covers the area between 139°45' and 140°00' East longitude and 42°20' and 42°30' North latitude, located in the southwestern part of Hokkaido, the northern-most island of Japan. In this area, the Neogene Tertiary systems are widely distributed unconformably, covering the sedimentary rocks of the unknown age and granodiorites. The stratigraphic sequence of the area is shown briefly in the following table 1.
| Geological age | Stratigraphy (Thickness in meter) | ||
| Quaternary | Recent |
Alluvial deposits
Dune | |
| Pleistocene | Lower terrace deposits (10 ±) | ||
| Middle terrace deposits (20 ±) | |||
| Higher terrace deposits (80 -) | |||
| Highest terrace deposits (30) | |||
| Ōya-chi formation (30 ±) | |||
|
Neogene
Tertiary | Pliocene | Setana formation (130 +) | |
| Miocene | Kita-hiyama group | Ma-koma-nai formation (255 +) | |
| Ko-gawa-tōge formation (88 +) | |||
| Baba-gawa formation (200 +) | |||
| Futoro formation |
Tsuku-nai member
(40 +)
Main part (400 +) Raru-ishi member (30 +) | ||
| Pre-Tertiary |
Granodiorite
Pre-Tertiary rocks | ||
Pre-Tertiary rocks, the basement rocks of the Neogene Tertiary system, outcrop at the southwestern and northeastern corner of the mapped area, but they are widely extend to the neighbouring district. The basement rocks in the area are composed of the sedimentary formation of uncertain age, which are intruded by the Cretaceous granodiorite and aplite dikes.
The sedimentary formation consists mainly of dark grey colored clayslate, grey massive chert, thin bedded grey colored sandstone and schalstein.
The granodiorite is light grey colored medium-grained hornblend - biotite granodiorite.
Neogene Tertiary in the area is divided into Futoro formation, Baba-gawa formation, Kita-hiyama group and Setana formation, in ascending order.
The Futoro formation is composed almost wholly of pyroclastic rocks with subordinate sandstone and siltstone, unconformably covering pre-Tertiary rocks. The formation is divided into following three parts, in ascending order.
The Raru-ishi member , the lower part of the formation, consists of the brackish water sediments and is characterized by the frequent occurrence of whity colored sandstone and coal seams.
The Main part of the formation consists mainly of pyroclastic rocks of variegated colors and lavas and sills of andesite.
The Tsuku-nai member , the upper part of the formation, is composed mostly of diatomaceous siltstone, with thin beds of tuffaceous siltstone and sandstone. This diatomaceus bed is from 5 to 40 meters in thickness, and is distributed discontinuously along the sea cliff due to cutting by several fault. The diatomaceous bed contains well preserved plant fossils such as leaves, fruits and cornscales. On the basis of plant fossils, diatoms and general stratigraphy, this plant-bearing member has been considered to be of middle Miocene age, and is correlated with the Sekinai formation of the Kumaishi sheet mapped area.
The Baba-gawa formation covers unconformably the Futoro formation with a basal conglomerate. The lower part of the formation consists of dark colored siltstone, sandy shale, silty fine-grained sandstone and medium-grained sandstone repeated in various thickness, and is essentiary marine. The upper part of the formation consists mainly of andesitic tuff-breccia and greentuff, with interbedded tuffaceous sandstone, and lenticular andesitic lavas and sills.
The Kita-hiyama group lies unconformably on the older Baba-gawa and Futoro formation. The group is divided into two formation of the Ko-gawa-tōge formation and Ma-koma-nai formation. The Ko-gawa-tōge formation , the lower formation of the group, consists mainly of pumice tuff accompanied with siltstone. The Ma-koma-nai formation , the upper formation of the group, consists of siltstone with interbedded pumice tuff beds.
The Setana formation lies unconformably on the older complex consisting of the Kita-hiyama group and the Baba-gawa formation. The formation is composed mainly of alternation of sands tone and siltstone containing marine fossils (See table 3.1, 3.2 in Japanese text). The Setana formation is, according to the study of the fossils by Hashimoto (1963), referred to the age of Pliocene.
Pleistocene deposits in the area are mainly of terrestrial origin and is divided into two part, namely, older and younger Pleistcene. The former is the Ōya-chi formation and the latter forms several terrace deposits.
The Ōya-chi formation is seen in the Ōyachi, and is built up of unconsolidated layers of sand, clay and peat.
Terrace deposits are built up of irregular accumulation of gravel, sand and clay, and they are developed extenssively in the mapped area. They can be classified into following four plains : a) the Highest terrace, b) the Higher terrace, c) the Middle terrace and d) the Lower terrace.
Recent deposits are developed along the Toshi-bestu river and its branches, and they consist of sand, clay and dune sand.
The major structure which is shown by the strata of Neogene Tertiary is a synclinorium trending NNE - SSW. There are numerous minor folds of NNE - SSW in direction and some domes and basins on a small scale. Fault system are classified into those of NE, NW, N - S and E - W and the fault of NE trend is the most predominant .
Several underground resources such as manganese, coal, diatom earth, natural gas and mineral spring are hitherto known in the area.
The manganese deposits are found as a bedded form in the complicated formation which consists of andesitic tuff-breccia and agglomerate of the Futoro and Baba-gawa formations.
On the northern portion of Setana machi, the coal seams of the Futoro formation were worked on a small scale more than 20 years ago, but its production is unknown. Quality and thickness of the worked seams can not be clearly ascertained because of ill exposure by surface survey.
The diatomaceous deposits are found as bedded form in the Tsuku-nai member of the Futoro formation. The deposits was once prospected but failed.
The underground water in the area is found in Alluvial and terrace deposits and Tertiary strata along the Toshi-betsu river.
昭和 45 年 3 月 25 日 印刷 昭和 45 年 3 月 30 日 発行 著作権所有 北海道開発庁