04050_1956

5万分の1地質図幅説明書

虻田

(札幌 第 50 号)

通商産業技官 太田良平

地質調査所

昭和 31 年


目次

I. 地形
I.1 概説
I.2 火山地形および構造
I.2.1 洞爺カルデラ
I.2.2 有珠火山
I.2.3 昭和新山
I.2.4 有珠火山活動史
I.3 その他の地形
II. 地質
II.1 概説
II.2 長流川累層(訓縫統)
II.2.1 安山岩質緑色凝灰角礫岩層(at)
II.2.2 灰黒色泥岩層(m)
II.2.3 斜長流絃岩質凝灰角礫岩層(pt)
II.3 訓縫期火山岩
II.3.1 石英安山岩(D)
II.3.2 斜長流紋岩(PR)
II.3.3 壮暼浮石流(SP)
II.3.4 変朽安山岩(P)
II.4 志門気層(S)
II.5 後訓縫期火山岩
II.5.1 向洞爺熔岩(M)
II.5.2 旭浦熔岩(A)
II.5.3 滝ノ上熔岩(TU)
II.5.4 ホロト熔岩(HR)
II.5.5 西丸山熔岩(NI)
II.5.6 関内熔岩(SE)
II.5.7 一ノ原熔岩(IC)
II.5.8 竹山熔岩(TY)
II.5.9 蟠溪熔岩(B)
II.5.10 幌別岳熔岩(HB)
II.5.11 来馬山熔岩(RA)
II.5.12 志門気火山熔岩(SI)
II.5.13 幌萠火山熔岩
II.5.14 倶知安別火山熔岩
II.6 土場層(DO)
II.7 岩脈(DP・DA)
II.8 登別泥熔岩(NO)
II.9 洞爺浮石流(TP)
II.10 中島火山群
II.10.1 弁天島熔岩(NB)
II.10.2 中島熔岩(NN)
II.11 更新統
II.11.1 ローム層(l)
II.11.2 湖成層(ld)
II.11.3 河岸段丘堆積層(rd)
II.11.4 海岸段丘堆積層(cd)
II.12 有珠火山
II.12.1 西山熔岩(UN)
II.12.2 外輪山熔岩(US)
II.12.3 輝石安山岩質泥流(AM)
II.12.4 石英安山岩質泥流(文政泥流)(DM)
II.12.5 火口原堆積層(ad)
II.12.6 中央火口丘熔岩(UG・UK・UO)
II.12.7 昭和新山熔岩(SS)
II.13 現世統
II.13.1 火山砕屑物層
II.13.2 火山砂礫層(v)
II.13.3 冲積層(a)
III. 応用地質
III.1 虻田鉱山(褐鉄鉱および硫化鉄鉱)
III.2 仲洞爺鉱山(褐鉄鉱)
III.3 伊達鉱山(黒鉱)
III.4 釜谷鉱山(硫化鉄鉱および褐鉄鉱)
III.5 洞爺財田鉱山(黒鉱および蠟石)
III.6 伊沢鉱山(蠟石)
III.7 その他の鉱山
III.8 石材
III.9 温泉
文献

Abstract

1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 29 年稿)

虻田

(札幌 第 50 号)


この図幅地域中には有史以来しばしば活動を繰返した有珠火山, その寄生火口丘の一つとして, 昭和 20 年に現出した昭和新山, および雄大なカルデラ地形を示す洞爺湖等が包含されていて, 従来多数の文献が発表されており, 本文の記述にはこれら文献を利用することにより多大の便宜を得た。 図幅全域に亘る既発表地質図には, 加籘武夫著「有珠岳火山および洞爺湖地質調査報文 1) 」がある。 また昭和 24 年に地質調査所において 10 万分の1洞爺図幅 (5万分の1地形図虻田・西紋鼈および豊浦3図幅に亘る) の刊行を計画し, 元商工技官(兼任)原田準平氏は 当時の北海道大学学生を指導して地質図を作製したが, 色々の事情により出版にはいたらなかった。 昭和 28 年に5万分の1虻田図幅の刊行が新しく計画され, 前記の地質図を基礎とし, 外業および内業によりさらに精度を加え完成したものである。 なお本文中鉱床の項の一部は 石橋正夫・小関幸治および種村光郎諸氏の記述に拠るところが多い。

本図幅の作製に当り貴重な資料を提供せられ, また懇切な御指導をいただいた原田準平博士に対し深謝する。

なお地質図中, 昭和新山附近の地形は, 昭和 25 年(1950)に金子政利が測量した地形図 2) を用いた。

I. 地形

I.1 概説

この図幅地域は室蘭市の北北西方約 20 km にあり, 図幅地域の中央には径約 10 km のほゞ円形を呈する洞爺湖があり, その中央には中島を浮べ, 湖の周囲には連亘した山嶺を繞らし, 風景絶佳をもって知られている。 また図幅地域南西隅には噴火湾の一部を含み, 噴火湾と洞爺湖との間には有珠火山が聳え, またその一寄生火口丘である昭和新山の近年の活動や, 北海道著名温泉の1つである洞爺湖温泉の存在により, この地域は観光地として内外に名高く, 昭和 24 年(1949)5 月洞爺湖を囲む分水嶺内, および有珠火山を含めて国立公園に指定された。 また洞爺湖北西部には広濶な台地が発達し, 北方へ後方羊蹄山麓まで続いている。 著しい河川としては図幅地域南東部に長流川, 図幅地域北西隅に貫気別川があり, いずれも噴火湾に注いでいる。

図幅地域内における交通はすこぶる発達しており, 噴火湾に沿い室蘭本線が走り, 図幅地域内に虻田および有珠両駅があり, また図幅地域南東部には長流川沿岸に胆振線が走り, この地域内には上長流・壯暼および久保内の3駅がある。 バスには虻田駅および壯暼駅から洞爺湖温泉町に至る鉄道連絡バスがあるほか, 洞爺湖温泉町から 月浦および洞爺町(通称向洞爺)を経て 留寿都(図幅地域外)に至る路線, 洞爺湖畔を一周する路線, 有珠火山山麓を一周する路線, 洞爺湖温泉町から壯暼を経て伊達紋別(図幅地域外)に至り, あるいは久保内および弁慶温泉を経て幌別硫黄鉱山(図幅地域外)に至る路線, 洞爺町から北方台地上に登り成香・花和を経て室蘭本線豊浦駅に至る路線, および図幅地域北西隅の貫気別川に沿って留寿都・豊浦間を走る路線等がある。 また湖上には洞爺湖温泉町~洞爺町間, 洞爺湖温泉町~観音島間にそれぞれ定期航路がある。

I.2 火山地形および構造

I.2.1 洞爺カルデラ

洞爺カルデラは径 8~11 km のほゞ円形を示して洞爺湖をたゝえ, 中央には中央火口丘である中島火山群がある。 湖岸はおおむね急崖をなし, 露岩が直ちに湖水に臨んでいる所が多いが, 北岸にはポロベツ川の冲積地があり, また湖岸の洞爺町・月浦・洞爺湖温泉町および仲洞爺附近には, 湖成層または火山砂礫層等が分布していて, 緩斜面をなし人家が多い。 カルデラの北西部台地には洞爺浮石流が広く分布し, これが断崖をなして湖に臨んでいるので, カルデラの生成は明らかに洞爺浮石流の流出以後である。 カルデラの生成直前のこの地域の地形は, 北隣の留寿都図幅内の地形が示すように, 第三紀火山岩類からなる山嶺が多く聳え, これらの山麓の起伏をうずめて洞爺浮石流が高原状に分布していたものと思われる。

第 1 図 洞爺湖附近の地質構造

カルデラ内および周辺には 第 1 図に示すようにカルデラ生成に伴なう断層が多くみいだされ, 例えば月浦から洞爺湖温泉町に至る湖岸, 東湖畔(旧名ホロト)から西湖畔に至る湖岸, 財田より仲洞爺に至る湖岸等は著しく直線状であって, これらは断層崖を示すものであり, 湖岸の道路際で岩石が著しく擾乱されている所がしばしば見られる。 また久保内から長流川に沿い昭和新山附近に至る断層, 久保内から駒別に至る断層, および湖の北東部の洞爺財田鉱山附近に見られる断層等は, 湖の中央を中心としてほゞ同心円状を呈しており, これらもカルデラ生成に伴なうものと思われる。 洞爺湖北酉部に多数見られる断層や, 長流川に沿い図幅地域東縁より, 久保内を経て東岸の東湖畔に至る断層等のように, 放射状に走る断層もみいだされる。 また中島火山群の各熔岩円頂丘の分布には方向性が認められ, カルデラ内はモザイク状の地塊からなり, 地質構造は錯雑しているものと思われる。

第 2 図 洞爺湖底の起伏(文献 3 による, 等深線単位 m)

洞爺湖底の起伏をみると, 等深線は大体において湖岸線と平行しているが, 中島の南部一帯は浅く, 70 m 内外の深さで有珠火山と続いており, 他の3方はこれより深く, 175 m の等深線は中島の西・北・東側を取巻き, 最深所は中島の東方中央部にあり, 179.2 m の深さを示す。 湖面は海抜 83 m であるから, 最深所は海水準下約 96 m にある。 カルデラ周辺の最低所は洞爺湖北西方の洞爺浮石流の分布する区域で, 海抜 260 m であるから, 陥没は少なくとも 356 m 以上であった。 中島の北東には深さ 2.3 m の暗礁があり, その表面は平坦で, 灰白色の石英安山岩からなるという。 また中島北西方に深さ 150 m の窪地があるが, 爆裂火口を示すものかも知れない。 なお洞爺湖の湖沼学的研究は文献 3 にくわしい。

湖岸には湖面より比高 57 m の高さにまで湖成層が堆積しているのみならず, 段丘地形が発達していて, 段丘面は湖面上 10 m, 25 m および 40 m 等の高さを有し, この地形は南東岸の滝ノ上附近および北北西岸の洞爺町附近において特に著しく, また中島にも認められる。 湖水は, 分水嶺内の水を集め, 往時は南南東岸の壮暼滝(比高約 22 m)から落下して壮暼川となり, 長流川に合流していたが, 近来長流川の水を久保内駅附近で取入れ, 東岸の東湖畔まで導いて発電に供し, 一方湖の水は洞爺湖温泉町から虻田駅西方に導いて発電に使用しており, 壮暼滝は豊水期以外には落水を欠いている。

中島火山群は中島にある7個の熔岩円頂丘と, 観音島・辨天島(観音島南西方)および饅頭島の3個の熔岩円頂丘からなり, 前記の暗礁も湖上には現われないが, 同様に熔岩円頂丘と考えられる。 これら合計 11 個の熔岩円頂丘はおおむね円錐形の急峻な地形を示し, 特に 454.8 m 高地, 382 m 高地およびその北西にある 360 m 高地等は, 典型的な熔岩円頂丘地形を示している。 中島火山群は上記の多数の熔岩円頂丘からなるが, その分布を見ると明らかに方向性があり, 例えば辨天島・観音島および 382 m 高地を通ずる4熔岩円頂丘, 454.8 m 高地および 382 m 高地を通ずる3熔岩円頂丘, 饅頭島および 382 m 高地を通ずる3熔岩円頂丘, および中島の中央にある熔岩円頂丘を南北に通ずる3熔岩円頂丘等は それぞれ1直線上に並び, 構造線の存在を想像させる。

I.2.2 有珠火山

概說

有珠火山は洞爺湖の南方に聳える活火山で, 近年におけるたびたびの活動と風景の美とは, 交通の便がよいのと相俟って内外に著名である。 この火山は典型的な二重式火山であって, よく整った截頭円錐形の外輪山山体は, 径 1.5~2.0 km のほゞ円形のカルデラを載き, カルデラ内には大有珠・小有珠およびオガリ山の3中央火口丘がある。 山麓には 金毘羅山(洞爺湖温泉町南方の 500 m 高地)・ 四十三 よそみ 山(洞爺湖温泉町東方の 240 m 高地)・ 東丸山(四十三山東南東の 300 m 高地)・ 松本山(昭和新山北西方の 247 m 高地)・ 昭和新山・ 通称山下ノ山(大有珠南方の 200 m 高地) および通称貯金山(小有珠南方の 245 m 高地)等の寄生火山が環状に見られるが, これらのうち昭和新山のみが熔岩を地表に突出させていて, ほかはいずれも潜在円頂丘であり, あるいは潜在円頂丘であろうと推定されている。 有珠火山の最高点は大有珠であって, 海抜 725 m を示し, 小有珠がこれに次ぎ海抜 611.4 m である。 カルデラ環壁の高さは海抜 460~540 m で著しい高低はない。

外輪山山体と基盤岩との関係は, 山体東方の長流川沿岸において最もよく認められる。 すなわち長流川両岸には洞爺浮石流が高さ 50~80 m の断崖をなし, ほとんど連続した露出を示しており, この上位に厚さ 3~4 m のローム層があり, さらにその上に外輪山熔岩が直接載っているのを目撃することができる。 火山体の北側は火山噴出物に覆われて基盤岩は全く露出していない。 南側においては本火山の泥流が広く分布しているが, 所々洞爺浮石流が露われている。 西側においても洞爺浮石流が所々に露出しているが, いずれも外輪山熔岩との直接の関係を示す露頭はみられない。

カルデラの北方内壁や, 山体に刻まれた多くの放射谷等でみられる露出を観察すると, 外輪山山体は厚さ 2~数 10 m の輝石安山岩熔岩, および火山砕屑岩との互層からなる成層火山である。 カルデラの南および北の環壁は馬背状に連続しており, それぞれ南屛風山および北屛風山と呼ばれている。 南屛風山は泥流で覆われ, 岩石の露出はほとんどみられないが, 北屛風山の内壁は急で岩石がよく露出しており, 環壁の最高点と火口原との差は約 100 m である。 カルデラ環壁の西方は西山に連続しており, 東方は大有珠生成の際の隆起により不明瞭になっている。

西山は表土および現世の火山砕屑物等によって厚く覆われていて, 露岩をほとんど示さないが, おそらく成層火山であろうと推定される。 西山と外輪山との侵蝕程度を比較すると明らかに西山の方が著しく, 外輪山よりも一層深い放射谷が刻まれているので, おそらく西山の生成後に外輪山が生じたのであろう。 すなわち西山は有珠火山の寄生火山ではなく, 本火山活動の初期に形成されたもので, その後活動の中心がやゝ東方に移り, 現在の有珠火山外輪山が形成されたものと解せられる。

大有珠

大有珠はカルデラ内の東部に位置し, 嘉永 6 年(1853)に現出したと考えられている。 下辺部を除けばほとんど草木を欠き, 噴気作用により生じた硫黄と水酸化鉄との滲染によって 全体が黄褐ないし赤褐色を呈する禿山となっていて, 現今なお所々から水蒸気を噴出している。

第 3 図 大有珠およびオガリ山(前面)(加籘原図 1)

山体は初めほゞ半球状の形態を示していたものと思われるが, 後に生じた爆裂作用によって, 相当破壊され原形を失っている。 すなわち南部および北部から望む時は急傾斜の半球状を示し, この輪廓が原形と考えられるが, 東部においては2次的爆裂のため, 立岩と称する巨大な岩塊が本体より分離しており, その間は崩壊した大小様々の角礫が多数累積し, 急崖を形成している。 また大有珠南部および南東部では, あたかも大有珠全体が多くの共心半球状被殼で形成されているような外観を示し, また平滑な半球状の露岩表面に多くの擦痕が刻まれている。 この擦痕は粘性の強い熔岩塊が, 隆起する際の周壁との摩擦により生じたものである。 また大有珠は大きな割目のため, 全体が少なくとも5個の部分に区画されており, それら岩体間では相対的のズリ上り・ズリ下りが生じている。 注意すべき事実は円頂丘の頂上に円礫が多数みいだされることで, 礫は主として安山岩で斜長流紋岩も見られる。 拳大以下のものが多いが, まれに人頭大のものもあり, よく水磨されていて, おそらく長流川の河床堆積物と考えられている。 この種の円礫は小有珠および昭和新山の山頂にもみいだされており, 有珠火山生成以前, 長流川は現在のように昭和新山附近で左折することなく, 現今の有珠火山の位置を流れ, 有珠・虻田両駅の中間附近で海に注いでいたと推察される。

大有珠は山体の全部が火口原中から突出したのではなく, 地形図上においても明瞭であるように, 山体南東部はカルデラ環壁を抜いている。 したがって大有珠の生成に際しては, 昭和新山の屋根山における関係と同様に, 外輪山山体の一部をも隆起せしめた。 カルデラ環壁上の一周道路を南部から北東進すると, 大有珠南部でこの隆起部に突当るが, この隆起部は 人頭大以下の輝石安山岩質角礫・火山砂礫および浮石等が 整然と成層した堆積層からなり, これは火口原堆積層の隆起したものと考えられ, 走向 N 55°E, 傾斜 28°S を示していて, この走向は大有珠円頂丘に対し切線の方向である。 この火口原堆積層の下位に, 輝石安山岩熔岩と火山砕屑岩との互層が露出していて, 前者は隆起作用のため四斗樽大以下の大きさに破砕されている。 この互層は火口原堆積層の下位にあった外輪山山体が, 隆起により露出したものである。 この隆起部の南側外方斜面は, 安山岩角礫および火山砂礫等が急崖をなし, 東方へ約 0.8 km の間連続していて, 全く草木が生えず遠方からも望まれる。 この露出の東方には, 熔岩と火山砕屑岩とが緩傾斜で成層しているのがみられる。 この急崖を構成する物質は, ほとんどすべて外輪山山体を構成する輝石安山岩質岩石であって, まれに石英安山岩がみいだされるが, これはおそらく抛出物であろう。

第 4 図 寛政年間の有珠火山(日本名山図絵 4)

第 5 図 安政 2 年の有珠火山(長沢盛至による 5)

次に大有珠の生成時期 5) について述べる。 文化元年(1804)谷文晁が著わした日本名山図絵中の有珠山の図は, 寛文 11 年(1671)に文晁の一族谷文旦が写生したものであるが, 小有珠岳のみが画かれていて大有珠はない。 また 寛政(1789~1801)末から 文化(1804~1818)の初めに著述された東蝦夷地名考中にも有珠岳の図があり, 小有珠は画かれてあるが大有珠はない。 しかるに 安政 2 年(1855)に南部藩士長沢盛至が著わした 東蝦夷地海岸図台帖中の有珠岳の図中には, 大有珠岳が画かれている。

嘉永 6 年(1853)6 月虻田場所請受人和田屋茂兵衛の願書中に 「此度新規山出来申候」, 安政元年(1854)堀織部随行員某の蝦夷地紀行中に 「去丑 4 月 13 日一つの火山を生ず」, 榊原銈蔵筆記に 「宇須山焼けて嶺半ばより崩れ2つに分れたり。 その中央に新に一つ成出でたり」 とそれぞれ述べられている。 また明治 22 年北海道庁技手石川貞治は, 虻田の古老川股専太郎より聞いた話を, 翌年の地学雑誌中に述べているが, 「山上二峰の一つはこの時に生じた」とあり, 明治 26 年同技手水科七三郎は, 同じく川股専太郎に聞いた話を翌年の気象集誌に載せ, 「今見る有珠山の凸起たる赤裸の部分はこの噴火後新たに凸出したもの」 と述べている。

上記の諸記録により, 大有珠は嘉永 6 年(1853)の噴火の際に生じたものであろうと考えられる。

小有珠

第 6 図 小有珠(加籘原図 1)

小有珠は大有珠の西隣にあって火口原中に聳え, 高さおよび大きさは大有珠に劣るが, 同様の経過を辿って生成した熔岩円頂丘である。 小有珠の生成時期については文献がない。 小有珠の北半面は草木が密生し, 岩石は全く露出していないが, 南半面は爆裂作用のため岩体が露出し, 赤褐色ないし灰青色を呈していて, 山腹には現在なお活動している噴気口がある。 また南側山麓には, 小有珠生成の際押上げたと思われる火口原堆積層が露われ, またその下位に外輪山山体と思われる輝石安山岩質凝灰角礫岩が局部的にみられる。 小有珠の山体も大有珠と同様に2次的に生じた割目のため, 全体が3~4個の部分に区画されており, 各岩体間では相対的のズリ上り・ズリ下りが生じている。

オガリ山

オガリ山は大有珠の西南西方に隣接する海抜 480 m, 火口原からの比高数 10 m の小丘で, その北斜面は樹木が繁茂していて岩石の露出は全く認められないが, 南斜面はほとんど草木が生えておらず, 南東部には山頂に近く 10 m×5 m の広さで岩石が露われ, これより数 m を隔ててその西側にも小規模の露出がある。 これを被覆して, 火口原堆積層と考えられる成層した輝石安山岩質の火山砂礫がある。 すなわち オガリ山は熔岩塊が火口原堆積層を押上げ隆起したもので, 大有珠および小有珠のように, 火口原堆積層を破って隆起するまでには至らなかったものである。

オガリ山の生成時期については 「以前は乗馬のまゝ登り得たが, 近来山が高くなり傾斜が急になったため登り得なくなった」 というアイヌ人の言葉を載せた記録 6) (明治 42 年)がある。 また別の記録 5) では, 「当地のアイヌ人並びに永年居住の和人に聞き尋ねた所, 明治 33 年頃から 9 m ばかり持上ったと申している」 と旧土人小学校職員が述べ, 「明治 25・26 年頃から漸次隆起して今は小山を形造った」 と伊達村役場吏員は述べている。 これらの記録により オガリ山は往時は緩やかな地形の小山であったのが, 明治 25~33 年(1892~1900)頃さらに隆起して急傾斜となったものと思われる。

I.2.3 昭和新山

昭和新山は有珠火山東麓の壮暼村旧フカバ部落に, 昭和 20 年(1945)に出現した寄生火口丘であって, ほゞ円形の台地状の部分と, これを貫ぬいて聳える円錐形の熔岩体とからなり, 前者は屋根山, 後者はドーム(円頂丘)と称されている。

図版 1 湖畔より昭和新山を望む。

第 7 図 有珠火山北東部の遠望(三田原図 7) )。 H : 東丸山, K : 小有珠, KI : 北屛風山, M : 松本山, O : 大有珠, T : 洞爺湖, S : 昭和新山, s : 四十三山

屋根山は直径 800~1,000 m のほゞ円形の台地状をなし, 北・東・南の3方は 20~40°の傾斜をもった斜面で取巻かれており, 斜面には雨裂がすこぶるよく発達していて, その幅の最大は 12~13 m, 深さは 7~8 m に及んでいる。 屋根山の高さは海抜 250 m 内外で, 最高点は東方にあり 274 m に達し, その表画には小屋大または小牛大以下の大小様々の岩塊が累々として露われ, 荒凉とした感を与える。 屋根山はもと九万坪と称されていた畑地が隆起したもので, かつてこの附近には外輪山熔岩が分布し, その熔岩流末端が長流川河岸に沿い, 高さ 5 m 内外の崖をなして露われていた。 屋根山の上面は起伏に富み, ドームの南東部に接する部分に深い窪地がある。 これは陥没または爆裂によるものではなく, 往時の小沢の名残りで, 下流の隆起が一層著しかったために, このような地形を生じたものである。 また屋根山の北部にも, 往時の小沢がそのまゝ持上げられた地形を残している。 屋根山を構成するものは, 有珠火山外輪山熔岩がその大部分を占め, 局部的に滝ノ上熔岩その他の諸岩石がみいだされ, また 1945 年の活動による火山噴出物等を伴なっている。 滝ノ上熔岩は ドーム頂上から東南東方約 450 m の 258 m 高地附近に特に多くみいだされ, また珊瑚岩 (ドーム頂上から西方直下の露岩) 北方約 180 m 附近にも小規模にみられる。 屋根山のうちドームに接近した部分には, 種々の火山噴出物があり, そのなかには外輪山熔岩に由来した再熱火山弾がみいだされる。 屋根山の上には所々に円礫がみいだされ, 滝ノ上熔岩の分布する区域に特に著しい。 円礫は人頭大以下の大きさでよく水磨されており, 安山岩を主とし斜長流紋岩もみいだされる。 かつてこの附近の滝ノ上熔岩の上には長流川の河床堆積物である円礫層があり, さらにその上位に有珠火山外輪山熔岩が載っていたものであろう。 これら諸岩石以外に壮暼滝附近でみられる壮暼浮石流や, 河岸段丘堆積層と思われる砂層の岩塊も, まれに認められる。

屋根山の東縁には, 棚山とよばれる海抜 100 m 内外の隆起部が取巻き, 20~30°の斜面をもって壮暼川に臨んでいる。 棚山の上面はほゞ平坦で, もと壮暼川に架っていた橋脚等がみられる。

ドームは屋根山の中央から西に偏して位置し, 底部は径約 300 m のほゞ円形を呈し, 最高点は海抜 406.9 m を示し(昭和 24 年現在), 屋根山より約 150 m 高い。 このドームは地下においてほとんど固化した熔岩塊が, 地表に押出されたものであるから, 生成機構からいえばむしろ火山岩尖と称すべきであるが, 形態的には基底の直径が高さよりも大きいので, 熔岩円頂丘に近く, 通常ドーム(円頂丘)と慣称されている。 ドームの東側の傾斜は 40~50°であるが, 西側には 70°を超える急崖があり, 北側の一部は比較的緩傾斜で, 山頂に至る登山道路が設けられている。 ドームの表面のほとんど大部分は粘土質物質で厚く覆われているが, これは粘土や火山灰等が高熱により固化したもので, 硬く脆い煉瓦状物質に変化しており, 通常赤褐色, まれに灰青色を呈する。 その表面に上昇の際, 摩擦によって生じた平行な擦痕がいたる所に印されており, そのあるものは数 m~10 数 m も連続し, その方向は垂直的のものは少なく, 東方に急傾斜するものが多い。 また同心半球状の割目が発達し, 東側において特に著しい。 ドームの頂上には人頭大以下の円礫が多数見られるが, これは屋根山でみられるものと同じく安山岩を主とし, 長流川の河床礫層に由来すると考えられる。 前述のようにドームは厚く被覆されているので, 熔岩の露頭はきわめて少なく, 山体の東半部にはほとんど露われていない。 山体西側の頂上に近い絶壁・珊瑚岩およびその附近に熔岩が露出しているが, 無数の不規則な割目により 径数 cm ないし 10 数 cm の大きさの岩片に分かれていて, 地下においてすでに固化していたものが押上げられる際, 破砕するにいたったものと考えられる。 ドーム表面特に山頂近くには, 被覆物または岩体中に長さ 1~数 m の不規則な形の裂隙があり, 内部が赤く灼熱し, 轟々たる音響をたてて, 熱風を噴いているものがしばしば認められる。 現出当時の測定によれば, 裂隙中の温度は 800~900 ℃, 最高 980 ℃ に達したという。 これらは夜間には火点となって遠方より望まれるが, 次第にその数が減りつゝある。 これらの裂隙からの噴気の化学成分の2例を第 1 表に示す。

第 1 表 昭和新山噴気の化学成分(Vol %)

(1) (2)
温度 670 ℃ 160 ℃
H2O 97.5 98.5
CO2 1.29 0.26
H2S 0.07 0.51
SO2 0.23 0.23
O2 0.02 0.09
その他 0.89 0.54
(分析 : 地質調査所 高橋清)

I.2.4 有珠火山活動史 4), 8), 9)

有珠火山の活動記録にはあまり古いものはみいだされておらず, 最古の記録としては北海道志に 「慶長 16 年(1611)冬 10 月に噴火した」 と記載されているが, これを証するに足る記録はほかにない。 比較的確実な記録として残っているのは, 寛文 3 年(1663)以後の次の6回の活動である。

寛文 3 年(1663)
明和 5 年(1768)
文政 5 年(1822)
嘉永 6 年(1853)
明治 43 年(1910)
昭和 18~20 年(1943~45)

寛文 3 年(1663)の活動 : この活動は寛文 3 年 7 月 14 日(あるいは 25 日との説もある, 旧歴)に噴火し, 同月末まで継続した。

7 月 10 日から微震および鳴動が起り, 13 日まで間断なく続いていたが, 14 日明方に至り遂に爆発した。 15 日には活動がますます激烈となり, 鳴動・降灰がおびただしく, 附近の土民の家屋で焼失または埋没したものが少なくなく, 5名の土民は避難できず死亡した。 午後 2 時頃活動は頂点に達し, 山は2ツに破れ大いに震動した。 火山噴出物は西方海上2日路の間を, 岸から沖へ 5 km の幅を埋め, 陸地のようになり, 鳴動は遠く津軽領や荘内領まで聞えたという。 この活動は月末頃になって鎮静した。

明和 5 年(1768)の活動 : この活動については, その状況を察知するに足る確実な記録は乏しい。 松前年歴捷径には 「明和 5 年 12 月 12 日(あるいは 16 日, 旧暦)有珠岳が噴火し附近に住む土民が畏怖し避難した」 とあり, 蝦夷山焼記によると, 「有珠山が噴火し終りには一面に火降り長流川辺の長屋が残らず焼失した」 とある。

文政 5 年(1822)の活動 : 文政 5 年閏正月 19 日(新暦の 3 月 12 日)に噴火し, 7 月末までに数回大爆裂があり, 大泥流を流した。

閏正月 16 日午後 10 時頃から翌朝にかけて3回地震があり, 17 日および 18 日には次第に回数を増した。 19 日には昼頃までに 100 回の地震があり, 午後 2 時に甚だしい鳴動とともに, 山上の神社の鳥居から 55 m ばかり西外側の箇所が爆裂し, 土煙を吹上げ, 噴煙とともに閃光が著しく, 午後 10 時にまた激しく噴火した。 翌 20 日も黒煙を噴出し閃光・鳴動を伴なった。 22 日午前 4 時頃活動は激烈となり, 赤熱した岩塊を飛散させ, 南屛風山は一面の火となり降灰も甚だしかった。 その後小康を保ったが, 午後 2 時頃からふたたび活動をはじめ, 震動はますます猛烈となり閃光を伴ない, その凄じさはこれまでの活動に 10 倍した。 南屛風山山麓まで黒煙が押し出し, 焼けた岩石や砂が降って, その附近の草木を焼き払った。 有珠山から東方約 43 km の 白老 しらおい 附近にも茶椀大の石が降り, また南南東方約 29 km の室蘭附近では, 降灰が著しいため昼間樺皮を焚くほどであった。 同夜半までに御嶽(意味不明)の過半は焼け崩れた様子であった。 23 日から 25 日までは活動は減衰し, 穏やかになったが, 鳴動および震動はなお続いた。 26 日には震動が多くなり, 夜にはいってから一層激しく, 27 日になると大鳴動があり, 有珠善光寺附近まで焼石を降らし, 28 日および 29 日も相変わらず活動が続いた。 2 月 1 日(新暦の 3 月 23 日)午前 7 時頃震動と鳴動とが激烈になるとともに, 大泥流が奔下し, 南屛風山を越えてアブタ方面 (こんにちの虻田ではなく虻田・有珠の中間にあるこんにちのトコタンに当る場所) へ押出し, 遂に海上に達した。 有珠附近は別状なかったが, 泥流は有珠善光寺の裏山まで押してきて, 焼石は虻田附近まで降った。 長流 おさる (図幅地域外)から虻田附近まで草木は押し倒され焼き払われてしまい, アブタ一円の家屋は残らず焼失した。 アブタ附近では海面上 15 cm も焼けた灰や砂が降ったという。 2 月 2 日以後震動は少なくなり, 鳴動や噴煙は時々起ったが, 次第に静穏に向かった。 9 日に活動がふたたび相当猛烈となり, 夜にはいってから震動がおびただしくなった。 15 日には降灰が, 22 日には噴煙があったが, 27 日頃から平穏に向かった。 3 月 2 日・4 日・17 日および 19 日にそれぞれ噴煙があったが, 4 月 12 日までは著しい活動はなかった。 4 月 13 日活動はふたたび盛んになり, 降灰があったが 28 日頃までは至極平穏で, その後 29 日・5 月 1 日および 15 日にそれぞれ噴煙がみられ降灰があった。 2 月 1 日の噴火のためアイヌ人 44 名が死亡し, 他に 53 人の犠牲者を出した。 内地人は 6 人ほど死亡または負傷した。 長流から虻田にかけて, 文化 2 年(1805)頃から官設牧場として, 多くの馬が放牧されていたが, この噴火のため飼育されていた馬 2,668 頭のうち, 1,437 頭が斃死または行方不明になった。 アブタ部落は全滅したため, 北西方 2.5 km のフレナイの地に移して虻田と称し, 旧部落の地をトコタン(廃村の意)と称した。

嘉永 6 年(1853)の活動 : この活動は 3 月初めから 7 月末まで続き, 大有珠を現出した。

3 月 6 日(旧暦)午前 6 時頃から震動が始まった。 3 月 15 日になりますます激しく, 虻田では 8 回の地震が感ぜられた。 そして遂に午後 1 時すぎ元山から北東に当る辺が爆裂し, 噴煙は夕刻まで山全体を包んだが, 煙のなかから南屛風山が漸く望まれた。 有珠附近に降灰があった。 16 日早朝噴煙はやゝ薄くなった。 22 日昼頃元山から東方に噴煙が猛烈に噴出されるのがみられた。 23 日および 24 日は噴煙はますます盛んとなり, 時々震動があった。 25 日は震動も少なく, 噴煙も次第に薄くなった。 噴火口は元山から東方 550 m ほどの所にあり, 噴煙は長流川の方向に吹き靡いていた。 25 日以後震動は次第に少なくなり, 1日 8~12 回であった。 このように 28 日まで震動が続いていたが突如として大峰(大有珠)が現出した。 一面に白煙が立昇り山体は赤・黒・黄等の色を呈し, 美観は筆に尽し難く, 現出した当時は一面に赤く光ってみごとであったという。 その後噴煙・震動が次第に減少した。

明治 43 年(1910)の活動 10)~14) : 明治 43 年 7 月 15 日初めて地震があり, 引続き鳴動・震動がしきりに起り, 25 日有珠山北麓の金毘羅山に爆裂火口が生じた。 ついで金毘羅山から東丸山の西麓に至る間に約 45 個の爆裂火口が次々に生じ, 土砂・岩屑等を噴出し, また泥流を流した。 また西丸山の西部が隆起して1新丘(四十三山)を生じ, 附近の地形は著しく変化した。 活動は 10 月に至って静穏になった。

第 8 図 明治 43 年活動の際に生じた爆裂火口および泥流(大森による 15)

7 月 15 日午後 3 時最初の微震を感じ, 翌日から次第に激しくなり, 鳴動を伴ない, 山麓の諸部落では住民が避難し始めた。 21~23 日は震動・鳴動が引続いておこった。 24 日には震動はますます強烈となり 313 回に達し, そのうち 62 回は強震であった。 午後 3 時 40 分の地震によって, 有珠村においては畑地および道路等にいわゆる泥丘が生じ, 土砂および冷水を噴出した。 25 日になると震動はますます激しく 162 回となり, うち 31 回は強震であった。 午後 4 時 40 分には一大震動がおこり, 虻田村では家屋倒壊および地割れを生じた。 午後 10 時 30~40 分頃金毘羅山に爆裂火口が生じ, 黒煙が高く上り閃光を伴ない, かつ降灰があった。 この爆裂火口は南北に長い瓢簞形で南北 90 m, 東西 27 m, 深さ 18 m に達した。 この爆裂後地震は急に減少した。 26 日午後 2 時に鳴動があり, 金毘羅山の奥および空滝沢に新たに 2 個の爆裂火口が生じ, 震動は数 10 回に及び, 空滝沢の火口からは泥流を流した。 洞爺湖の水面は約 30 cm 上昇した。 27 日午前 2 時大鳴動が起り, 空滝沢附近およびポントカリに, 夜にはいって西丸山の南西山麓に爆裂火口が生じ, それらの火口からは泥流が流出して湖岸に達し, 林檎園および人家が埋没した。 この日感じた地震は 85 回で, うち 24 回は強震であった。 湖水面は平均より約 30 cm 減退した。 28 日午前 5 時高穴に火口が生じ, 午前 7 時から大鳴動がおこり 27 回の震動を感じた。 午前 11 時高穴附近に 2 個の爆裂火口が生じた。 夕方になり震動が少なくなるとともに, 西湖畔に 1 個, 西丸山の裏に 1 個の爆裂火口が生じた。 湖水面は約 50 cm 上昇した。 29 日震動は 13 回で, うち 2 回は強震であった。 午前 5 時東丸山に近く 2 個の爆裂火口が生じ, 間歇的に蒸気を噴き土砂を飛ばし, かつ泥流を流した。 29 日以後 8 月初旬まで湖水面は1日 3~7 cm の割合で増加し, 終に計 65 cm に達した。 震動は弱まったがやはり継続しており, 噴煙は盛んで, 8 月 1 日西丸山横の噴火口から多量の泥流を湖岸まで押出し, 人家・林檎園および畑地等を埋没した。 2 日午前 3 時頃西丸山の頂上に 2 個の爆裂火口が生じ, 盛んに噴煙を上げた。 東丸山山麓からかつて望見し得た西丸山が, 新丘(四十三山)の生成のため見えなくなったことに気がついた。 3 日噴煙は6ヵ所, 泥流は5ヵ所から出て, 4個の泥流は湖岸に達した。 7 日西丸山山頂に, 8 日金毘羅山にそれぞれ爆裂火口が生じた。 8 月上旬から下旬にかけて東丸山下の湖岸で, 湖水面が1日 7~10 cm の割合で上昇するのが認められたが, この上昇は計 1.5 m で止まった。 9 月 7 日頃新丘附近にあった民家は土地隆起のため倒壊した。 10 月 2 日西湖畔の中央部に最後の爆裂火口が生じた。 この年の火山活動によって生じた爆裂火口の数は合計 45 に達し, 調査当時は 26 しか数えられなかったが, いまなお噴気を続けているものがある。 この活動では潜在円頂丘である四十三山を生じたが, 熔岩は現われなかった。 また 45 個の爆裂火口の分布をみると, N 60~70°W の方向をもった2條の帯に分けられ, この附近に構造線の存在することを示している。

昭和 18~20 年(1943~45)の活動 16)~20) : この活動は火山活動の経過において, また昭和新山熔岩円頂丘および屋根山の生成機構, ならびに形態において, 火山学上稀有の記録である。 約2ヵ年に亘るこの活動は次の3期に分けられる。

第1期 : 昭和 18 年 12 月 28 日~19 年 6 月 22 日
第2期 : 昭和 19 年 6 月 23 日~19 年 10 月 31 日
第3期 : 昭和 19 年 11 月 1 日~20 年 9 月

第1期 : 火山活動の初期で火山性地震が頻発し, 隆起および地割れが生じた。

昭和 18 年 12 月 28 日午後 7 時, 有珠火山山麓一帯に突如として強震が感ぜられ, その後も継続し, 29 日および 30 日が最も激しく, 1日 150 回以上に達した。 地震は洞爺湖温泉町附近が強く, 住民は噴火を怖れ他に避難する有様であった。 翌年 1 月 4~5 日以降, 地震は次第に微弱になったが, 東麓の柳原・フカバ(現在の昭和新山のある位置にあった部落)および 上長流地域では数も強さも衰えず, 1 月末頃柳原では1日 100 回を数えた。 間もなく東側山麓標高 80 m 附近が次第に隆起し始め, 隆起とこれに伴なう地割れによって鉄道線路の破壊, 灌漑用水路の堰止, および井戸水の減水, 枯渇等の事件が次々に起った。 この隆起は上長流~柳原間の隆起中心部では1日最大 30 cm, 平均 24 cm に及び, 4 月初旬までには原位置から 16 m, 8 月初旬までには 50 m 上昇するに至った。

この隆起活動は 4 月以降, 柳原から次第に北方へ移動し始め, 次第にフカバ部落に接近してきた。 地割れもこれに伴ない次第に北方でもみられるようになり, 特にフカバ部落の西方丘陵すなわち九万坪と称されていた畑地には, 大小様々の多数の地割れを生じ, 最大のものは延長 600 m に及んだ。 フカバ地域において地震は引続き感じられ, 爆発直前の 6 月中旬頃には1日 100 回以上, 爆発前日の 22 日には 250 回に達し, 隆起も著しくなり, 1日最大 150 cm に及んだ。

第2期 : 火山活動の最も激しい時期で, 数回の爆発に伴ない火口の生成および降灰等があった。

6 月 23 日午前 8 時半頃, 松本山の南東約 200 m の畑中に生じた地割れから, 初めて音もなく白い噴煙が緩やかに昇り始めたが, 10 時 45 分には強い爆音とともに大爆発が起り, 火山灰・火山砂礫等を抛出した。 この爆発は 2 時間でやみ, 東西 50 m, 南北 35 m の第1火口が形成された。 ここでは大小の地割れが網目のようにできて 50 m も盛上り, 皿を伏せたような小山になった。 南西の沢では泥流を生じたという。 地震は急激に減少した。 その後上記のような活動が間歇的に起り, 6 月 27 日朝第1火口の南東に接し, 大きさ 45 m×25 m の第2火口が生じたが, 噴石は少なく灰も遠くえは飛ばず, 活動の間歇時間も長かった。 7 月 2 日にはいり活動は猛烈となり, 午前 0 時 30 分大爆発が起り多量の降灰があり, フカバで厚さ 30 cm, 西湖畔で 25 cm, 滝ノ町で 10 cm に達し, 壮暼村では田畑に致命的被害を受けた。

7 月 3 日朝ふたたび大爆発が起り, 降灰がありフカバ方面では径 50 cm の岩屑が多量に落下した。 両回の大爆発の際の噴煙は 2,000 m の上空に達し, 空は一時暗くなり, 180~360 kg の噴石が火口周辺 500 m 以内に落下し, セメントのような微粉が風に運ばれ, 近隣4ヵ町村の農産物に多大の被害を与えた。 7 月 11 日にも大爆発が起り, 第3火口が生成され, その後も激烈な爆発が継続し, 8 月 1 日および 5 日にも爆発があり, 26 日には第4火口および第5火口が新たに生成された。 これは 7 月 2 日に次いで大きな爆発で, フカバ部落の家屋がことごとく壊滅したが, 以後活動は弱くなった。 9 月 9 日・23 日・27 日, 10 月 1 日・16 日にそれぞれ爆発があり, 同月 31 日に最後の大爆発があって, 第7火口が生じた。

この間隆起活動は継続して行われ, 7 月中旬から 8 月中旬までの1日最大隆起量は 2 m に及び, 全活動期間を通じての最大値を示している。 このようにして 8 月 10 日頃までの全隆起量は約 100 m に達し, 10 月下旬には海抜 130~160 m のフカバ西方の畑地には, 海抜 250 m に近い饅頭形の小山が出現し, 附近の地形は一変した。 フカバ部落とその中央を貫通していた長流~壮暼を結ぶ道路は, 東部傾斜面の上に位置することとなり, 全く崩壊して車馬の交通は停止した。 壮暼川も堰止められ小沼が出現し, 鉄道線路も東方へたびたび避退せざるを得なかった。

第3期 : 火山活動の末期でほとんど爆発は起らず, 熔岩円頂丘が出現した。

この期にはいってからは大爆発は全くなく, 連日蒸気が濛々と噴き, 屋根山の山頂を覆う程度となった。 しかし時々きわめて小規模の爆発が起り, 火山灰を含む多量の蒸気を噴出した。 地震回数も減少し, 壮暼村滝ノ下附近では1日 1~3 回の有感地震があった。 12 月 20 日蒸気のなかで山頂に黒色の尖峰の出現が認められ, 翌年 1 月 10 日にはその存在が確認された。 尖峰はますます隆起を続け, 固化した熔岩円頂丘であることが判明した。 9 月には山頂が高さ 406.9 m に達して, 上昇は停止した。 1日の平均隆起量は 0.6 m で, 屋根山より 100 m 以上も高くなった。 その後火山活動は一応終熄した状態にあるが, 噴煙は現在に至るまで継続している。

この昭和 18~20 年の火山活動はその中心が部落および耕地に近接していたが, 幸い活動期間が長期に亘り, しかも比較的緩慢に行われたので, 人畜に対する被害はほとんどなかったが, 第2期には多量の噴出物の抛出があったため, 火口の周辺, 特に北方の洞爺湖畔や北東方の壮暼村には, 厚さ数 10~数 100 cm の降灰があり, 耕地・山林等が甚だしく荒廃し, 農作物に多大の被害を受けた。 また地盤傾斜・灌漑溝破壊等により水田としての耕作が不能になり, 鉄道・道路等も改修しなければならなかった。

I.3 その他の地形

この図幅地域内において, 新第三紀火山で現在火山地形が窺われるのは, 倶知安別火山・幌萠火山および志門気火山である。 いずれも主として各種の輝石安山岩からなる成層火山であるが, 侵蝕作用を著しく受け, 山体には深い放射谷が刻まれ, 壮年期地形を呈している。 これら3火山の熔岩以外にも, 輝石安山岩が所々に分布しているが, 図幅地域縁辺に分布しているものは, この図幅範囲内のみの調査では火山形態および構造を明らかにすることができず, 洞爺湖岸に分布しているものはカルデラ生成に伴ない火山の原地形を失い, あるいは新しい地層に覆われて, 火山形態および構造は不明となっている。

河岸段丘地形は長流川沿岸, 特に久保内附近において著しく, 左岸にはみられないが, 右岸の駒別川との合流点附近や久保内駅北方等に, 海抜 175 m 内外の段丘が発達している。 また久保内駅から約 600~1,400 m 下流の右岸にも, 海抜 140 m の段丘がみられる。 しかし これらは5万分の1地形図では縮尺の関係から充分には表わされていない。 また河岸の平野は農耕地となり, 長流川はこのなかを嵌入し峡谷をつくっている。

地質構造が河川流路を決定している箇所としては, 昭和新山以東の長流川沿岸や, 洞爺湖北岸のポロベツ川沿岸がある。

有珠湾の地形は有珠火山泥流によって生じたもので, 狭い水道によって港外に通じている。 港外には海面に巨岩が多数突出して現われ, 海中には暗礁が多く, 海岸にも弯入そのほか複雑した地形がみられる。

II. 地質

II.1 概説

第 2 表 地質総括表

この図幅地域中最も古い岩石は長流川累層で, 岩相から推して新第三紀訓縫期に属すると考えられる。 これは下位から 安山岩質緑色凝灰角礫岩層・ 灰黒色泥岩層 および斜長流紋岩質凝灰角礫岩層に分けられ, それらの間は整合であって漸移している。 このうちの泥岩層は不完全な植物化石を含み凝灰質である。 なお斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の下位に石英安山岩が局部的に分布している。 この累層の堆積後, 斜長流紋岩の活動が続き厚い熔岩を流出した。 その上に壮暼浮石流および変朽安山岩が局部的に見られるが, 岩質から考えてこれまでが訓縫期であろう。 次いでこの地方には輝石安山岩質岩漿の大規模な活動が起り, 多くの火山が次々に噴起し, 多量の熔岩および火山砕屑岩を噴出した。 当時の火山は 図幅地域内の倶知安別火山・幌萠火山および志門気火山等に見られるように, 現在相当侵蝕作用を受けてはいるが, なお火山形態を留めているものもあり, 洞爺湖周辺で見られる諸熔岩のように, その後の地殼運動のため火山の原地形を失っているものもある。 なお志門気層がこの火山活動に先立ち局部的に堆積している。 土場層は洞爺浮石流の下位に不整合にみいだされ, ほとんど水平であるが, 僅かに褶曲している。 岩相から推しておそらく瀬棚統に対比しうるものと考えられる。 登別泥熔岩は図幅地域東縁に僅かの面積を占めて見られるのみであるが, 固く熔接された火山灰からなり, 浮石や安山岩角礫を含みこれは他地方において更新世旧期とされている。 洞爺浮石流は洞爺湖の北西方および南方に広く分布しており, 凝結度の弱い火山灰中に浮石や安山岩角礫を含み, その他各種岩石の角礫を伴なっていて, 洞爺カルデラ陥没に先立つ噴出物と考えられる。 中島火山群は洞爺カルデラの中央火口丘として現出したもので, 11 個の熔岩円頂丘の集合で, 主として普通輝石含有紫蘇輝石角閃石安山岩, まれに石英含有両輝石角閃石安山岩からなる。 また洞爺湖畔・河川流域や海浜にはそれぞれ更新世の堆積物がみられる。

次いで洞爺湖と噴火湾との間に有珠火山が噴起した。 この火山は西山・外輪山, 山頂カルデラ内にある3個の中央火口丘, 東麓にある1寄生火口丘(すなわち昭和新山), および山麓に環状に分布する多くの潜在円頂丘からなる。 西山は侵蝕程度からみて外輪山より旧期のものであり, 西山と外輪山とは両輝石安山岩および橄欖石両輝石安山岩からなる。 有珠火山噴起の地質時代については, 一応第 2 表のように考えているが確証はない。 中央火口丘および寄生火口丘の熔岩は紫蘇輝石石英安山岩で, いずれも岩相が酷似している。 また南方山麓一帯には 輝石安山岩質および石英安山岩質の泥流が広い面積を占めている。 なお図幅には示してないが, 有珠統(有珠火山噴出物で浮石・火山灰等からなる) および羊蹄統(後方羊蹄火山の噴出物)が地域全般にわたり堆積している。 以上のほかに現世統として火山砂礫層と冲積層とがある。

II.2 長流川累層(訓縫統)

図幅地域内に, 火山岩の基盤をなして広く分布している新第三系は長流川累層と称せられ, 下位から 安山岩質緑色凝灰角礫岩層・ 灰黒色泥岩層 および斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の3層に分けられる。 これらの相互関係はいずれも整合であって, 岩相は漸移している。 前2者間の関係は, 洞爺湖南東東岸の壮暼村東湖畔附近において直接に認められ, 後2者間の関係は図幅地域東縁に近く, 長流川と辨慶川との合流点東方附近で見られる。 長流川累層は東隣の徳舜暼図幅地域内の長流川流域, 特に胆振線北湯沢駅附近に標式的によく露われ, ここでは背斜構造を示して層厚も厚く, 岩相および層序をよく確かめうる。 しかし本図幅地域内では, 湖底または川底に点々と分かれてみいだされるので, 本図幅地域内の調査のみでは, 全般的層序を組立てることは難しい。

石英安山岩の項で後述するように, 斜長流紋岩質凝灰角礫岩層堆積のごく初期に, 局部的に石英安山岩の熔岩を挾んでいる。

本累層の地質時代については, 灰黒色泥岩層中から産する不完全な植物化石は時代決定には役立たないが, 層序および岩相によって, 本累層は訓縫統に対比しうる。

II.2.1 安山岩質緑色凝灰角礫岩層(at)

この岩層は図幅地域内では次の6ヵ所に分布しており, それらの岩質は必ずしも一様ではないが, 一般に淡緑色ないし濃緑色を示し, 大豆大以下の角礫に富む凝灰質の粗鬆な岩石からなり, しばしば変朽安山岩角礫を含んでいる。 化石は含まれていない。

東湖畔附近に分布する地層 : 洞爺湖南東東岸および道路際によく露出しており, 比較的整然と成層し, 走向 N 30~45°E, 傾斜 8°S を示す。 節理がよく発達し粗鬆であるが, やゝ硬く, 全般的に淡緑ないし濃緑色を示し, 比較的粗粒で, 小豆大ないし粟粒大の緑色または白色の角礫を無数に含んでいる。 本層の上部には細粒砂岩が互層的に介在し, 上位の灰黒色泥岩層に漸移する。

モイナイ附近に分布する地層 : 洞爺湖北北東岸の2ヵ所で見られ, 全般的に淡緑色を示す塊状, 粗鬆な岩石からなり, 2ヵ所のうち南方に露出するものには硫化鉄の微粒が散点しており, かつうずら卵大以下の変朽安山岩角礫を含んでいる。 北方に露出するものは走向 N 80°W, 傾斜 30°S を示し, 淡緑色粗鬆な岩石からなる。

洞爺財田鉱山附近に分布する地層 : 図幅地域東縁に近くポロベツ川の川底および道路際に露出している。 全体が灰緑色を示し, 大豆大以下の緑色の角礫に富む塊状粗鬆な岩石からなり, 胡桃大以下の変朽安山岩角礫をしばしば含んでおり, 所々鉱化作用のため脱色または明礬石化されている。

洞爺町附近に分布する地層 : 洞爺湖北北西岸の洞爺町市街(通称向洞爺)の東方, および南西方の2ヵ所に分布している。 両者はいずれも全体が粗鬆で軽く, 塊状で節理がよく発達しており, 淡緑色ないし濃緑色を示し, 比較的粗粒で大豆大以下の緑色および白色の角礫を多量に含んでいる。

旭浦附近に分布する地層 : 向洞爺から洞爺湖西岸の月浦に通ずる湖畔の道路際に崖を連ねてよく露出している。 淡緑色ないし濃緑色を示し堅く, また比較的粗粒で, 大豆大以下の緑色および白色の角礫を多量に含んでいる。 おおむね塊状であるが, 層理のよく見られる部分もあり, 月浦部落の北方では走向 N 50°E, 傾斜 50°NW を示す。 ここでは厚さ 60 cm 内外のチャートのような外観を有する堅硬, 緻密の灰黒色頁岩層を挾んでいる。 また局部的に変朽安山岩を挾んでいる。 旭浦附近では走向 N 45°E, 傾斜 50°NW を示す。

壮暼村上駒別附近に分布する地層 : 図幅地域東縁に近く上駒別の小学校の対岸および川底に連続して露出している。 やゝ硬く無層理で, 全体が灰青色を呈し, 小豆大以下の白色および黒色の角礫を多く含み, 硫化鉄の微粒に富んでいる。 所々著しく脱色作用を受けている。 この地層は変朽安山岩角礫または石英粒等を含まず, 灰黒色泥岩層との関係もみられないので, 安山岩質か斜長流紋岩質か不明であるが, 一応本層中に入れた。

II.2.2 灰黒色泥岩層(m)

この岩層は安山岩質緑色凝灰角礫岩層の上位にあって, 両岩層の互層部を経て漸移する。 次の7ヵ所に分布しているが, それらの岩質は必ずしも一様ではなく, 主として灰黒色の泥岩からなっている。 この泥岩は凝灰質で軽く, 脆く, かつ塊状であって, 時には剝理が発達している。 また場所によっては頁岩または細粒砂岩の岩相を示しているが, いずれの場合においても凝灰質であって, 不完全な植物化石または炭質物等を含んでいる。 植物化石は種属名の決定に堪えない。

長流川河岸に分布する地層 : 図幅地域東縁に近く胆振線久保内駅附近から東方の長流川に沿い, 直距約 3 km の間に, 深さ 10~20 m のV字形峡谷が連続していて, その東部の河岸で本岩層をよく観察することができる。 河面よりおおむね 5~8 m の高さまで本岩層が現われ, その上位には厚さ 2~4 m の河岸段丘砂礫層が載り, さらにその上位に表土が載っている。 この地層は主として軟質の灰黒色頁岩からなり, 厚さ 15 cm 以下の細粒砂岩層をしばしば挾んでいるが, 所によっては泥岩質である。 この頁岩は整然とした層理を示し, ハンマーで叩くと厚さ 1~5 cm の板状に割れ易い。 炭質物に富み, 植物化石の破片や厚さ 1~1.5 mm のきわめて薄い炭層を挾むことがある。 走向は N 75~80°E を示し, 北方に 12~20°傾斜しているが, しばしば著しい偽層を示す。 この地層の上部は, 次第に厚さ 10~20 cm の斜長流紋岩質凝灰岩を挾むようになる。

壮暼村駒別附近に分布する地層 : 前記長流川河岸地点の北方約 2 km の道路際に点々と露出するのみで, 他の岩層との関係は不明である。 この地層は黄褐色の泥岩からなり, 軽く脆弱で層理がみられ, 薄く剝げ易い。 走向 N 80°W, 傾斜 25°S を示す。

東湖畔附近に分布する地層 : 洞爺湖南東東岸の安山岩質緑色凝灰角礫岩層から漸移し, 湖岸に沿ってよく露出している。 全体が一様に黄褐色を呈する細粒砂岩からなり, まれに中粒部を挾んでいる。 塊状でほとんど層理を示さないが, 北部では走向 N 45°E, 傾斜 30°W を示す。 凝灰質でやゝ脆弱であり, 節理が縦横に発達している。 しばしば砂管がみいだされ, また炭質物に富み植物化石を含有する。

壮瞥村下久保内附近に分布する地層 : 前記東湖畔附近地点の南東方約 1.5 km に無数の転石がみいだされるのみで, 露頭は確認し得なかったが, いずれも黄褐色を呈する中粒の凝灰質砂岩で, やゝ軽く塊状で層理を示さない。

洞爺財田鉱山附近に分布する地層 : この地層は直接の関係を示す露頭はないが, 下位の安山岩質緑色凝灰角礫岩層と, 上位の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層との中間に位置し, 塊状で脆い灰褐色の泥岩からなる。 また洞爺湖北岸のモイナイにも, 安山岩質緑色凝灰角礫岩層の上位に同様の岩石の転石がみいだされるが, 露頭はない。

洞爺町附近に分布する地層 : 洞爺町市街東方および南西方の2ヵ所に分布している。 黄褐色ないし淡褐色の泥岩からなり, おおむね塊状で層理を示さないが, 所によってはほゞ水平の層理を示す。 凝灰質で軽くかつ脆く, しばしば不完全な植物化石および米粒大以下の浮石等を含んでいる。

月浦附近に分布する地層 : この地層は灰黒色, 塊状の泥岩からなり, 径 1.5 mm 以下の白色・黒色その他雑色の角礫を点々として含み, 層理を欠く。

II.2.3 斜長流紋岩質凝灰角礫岩層(pt)

この岩層は主として斜長流紋岩質凝灰角礫岩からなり, そのなかには同岩質凝灰岩層を挾み, 時には両者が互層をなし, また斜長流紋岩熔岩を挾むこともまれではない。 斜長流紋岩熔岩は凝灰角礫岩および凝灰岩と外観が酷似しているので, 地質図上においてそれらを区分して示すことが甚だ困難なので, 一括して示した。 この岩層中に挾まれた斜長流紋岩熔岩は, この岩層の上位に載る厚い斜長流紋岩熔岩とは外観が異なっており, 野外において区別しうる。

この岩層は洞爺湖東岸一帯と, 図幅地域南東部とに広く分布しており, 斜長流紋岩および輝石安山岩等によって覆われている。 洞爺湖東岸一帯に分布するものは, 珪化・脱色・蠟石化等の2次的変質作用を広く蒙っていて, 原岩の岩石とは著しく変化している。

パンケ川沿岸に分布する地層 : 長流川支流のパンケ川の下流および中流においては, 岩石は点々と露出しているのみであるが, 長流川とパンケ川との合流点より南方直距約 4.3 km 附近より上流部では, 川底にほとんど連続して岩層が露出している。 主に灰緑色, 粗鬆, 塊状で, 径 1.5 mm 以下の石英粒を点々と含む斜長流紋岩質凝灰角礫岩からなり, そのなかに斜長流紋岩熔岩や, 厚さ 20~50 cm の淡灰色凝灰岩がしばしば挾まれている。 この附近一帯の岩石は, 鉱化作用のため緑色化または脱色され, あるいは硫化鉄の微粒を多量に含むことが多く, またほゞ東西方向に幅 10 cm 以下の石英脈が数本露出している箇所がある。 パンケ川の下流および中流においては, 斜長流紋岩熔岩・無層理の淡灰色凝灰岩・灰緑色凝灰角礫岩等が河岸に沿い, それぞれ離れて単独に露出している。

この岩層中に挾まれた斜長流紋岩熔岩は斑状組織を有し, 灰緑色の石基中に長さ 2 mm 以下の斜長石斑晶, および径 1 mm 以下の石英斑晶が散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では顕著でない。

鏡下に検すると斑晶は斜長石および石英からなり, 有色鉱物斑晶は全く分解して緑泥石化し, 原鉱物を留めていないが, 角閃石の仮像を示すものがある。 斜長石は新鮮なものはきわめて少なく, 著しく変質しており, 曹長石・絹雲母および緑簾石等に変わっている。 石英は破片状のものが多く, 融蝕されて円味を帯び, 清透で割目は著しくない。

石基は微晶質で微細な長石・石英・緑泥石および磁鉄鉱等からなり, それらの間に点々として覆瓦状の方珪石が認められる。

弁慶川沿岸に分布する地層 : 辨慶川に沿っては, 河岸および道路際に岩層がよく露われており, 辨慶温泉附近より下流では, 特徴ある淡灰色凝灰岩からなっている。 この凝灰岩は一般に無層理, 塊状であるが, まれに著しく剝理が発達し, 時には中粒砂岩と互層して著しい偽層を示す。 下流部では走向 E-W, 傾斜 10°N である。 この淡灰色凝灰岩は, 図幅地域内ではこの区域とパンケ川下流以外にはみいだされない。 辨慶温泉附近より上流には, パンケ川上流にみられるものと同様の凝灰角礫岩が分布するが, 上記の淡灰色凝灰岩の上位にあたる。

久保内駅附近に分布する地層 : 胆振線久保内駅南方山地から奥達観内一帯に分布する地層は灰緑色を呈し, 塊状, 粗鬆で, 大豆大以下の緑色または白色の角礫を多量に含んだ凝灰角礫岩を主とし, これには石英粒が点々と含まれている。

久保内駅から洞爺湖畔までの山地に分布している地層は, パンケ川上流附近に分布する地層と同じく, 灰緑色凝灰角礫岩を主とし, 凝灰岩および斜長流紋岩熔岩等を挾み, 岩質も酷似し, 久保内駅から白滝鉱山に赴く途中の道路際によく露出している。 なお釜谷鉱山坑内および鉱山事務所西側の沢では, 凝灰角礫岩中に長さ 20~40 cm, 径 5~10 cm の樹幹様炭化物がしばしばみいだされる。 これは純黒色を呈し, 硫黄が所々鉱染している。

伊達鉱山附近に分布する地層 : 石英安山岩の上位にあり, 志門気層によって覆われている。 凝灰角礫岩および凝灰岩の互層からなり, そのなかに斜長流紋岩熔岩を多く挾んでいて, これらは入混って露われているので, 地質図上では区別し得ない。 凝灰角礫岩中の角礫は, 変朽安山岩・石英安山岩および斜長流紋岩の人頭大ないし拳大のものが多い。 凝灰岩は一般に灰白色塊状であるが, 所により水平の層理を示す。 凝灰角礫岩や凝灰岩は, 鉱床の附近では変質作用により粘土化されている。 斜長流紋岩熔岩は大きな石英斑晶が多く, 東ノ沢や白水沢(第 12 図参照)等でも見られるが, 事務所から大曲坑に赴く途中の道路際に露出しているものが最も著しい。 これはネバダ岩質斜長流紋岩に属し, 坑内における観察では石英安山岩を貫ぬき, その上位に載り, あたかもきのこのような形態を示している。

ネバダ岩質斜長流紋岩 (伊達鉱山事務所東方) : この岩石は鉱化作用のため灰白色を呈し, そのなかに径 2~6 mm の石英斑晶が顕著に多数散在し, また褐鉄鉱化した角閃石斑晶も点々として認められるが, 斜長石斑晶は石基と同色なので区別できない。

鏡下では斑晶は斜長石および石英からなる。 有色鉱物斑晶はすべて分解され, 原鉱物を留めていないが, 角閃石の仮晶を示すものがある。 なお加里長石斑晶はみいだされない。 斜長石は柱状で, 一般に割目に沿って変質作用がすゝみ, 緑簾石・絹雲母および高陵土等に変わっている。 また著しい累帯構造を示すものがある。 石英はやゝ融蝕を受けて円味を帯び, 清透で割目は著しくない。

石基は隠微晶質である。

斜長流紋岩 (白水沢) : 斑状組織を呈し, 緻密な淡緑灰色の石基中に径 2~4 mm の石英の透明な斑晶, および長さ 1~3 mm の斜長石の白色斑晶が, 比較的密に散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石および石英からなる。 有色鉱物斑晶は全く変質して, 原鉱物を留めていないが, 角閃石およびまれに輝石の仮晶を示すものがある。 斜長石は柱状で新鮮なものは少なく, 一般に緑簾石・方解石および曹長石等に変化している。 石英はやゝ融蝕されて円味を帯び,割目は著しくない。

石基は隠微晶質である。

洞爺湖東岸一帶に分布する地層 : この区域では本岩層は広く分布しているが, 著しく変質作用を蒙っており, 特に珪化作用が顕著であって, 突兀とした特異な山容を連ねて湖岸に臨み, 特に岩屋観音(岩屋部落北方 300 m)や烏帽子岩附近では奇景を呈している。 珪化された部分は珪岩のような外観を示し, 全体が一様に灰白色を呈しすこぶる堅緻であり, そのなかに径 1 mm 以下の石英粒が点々として見えることがある。 また所々蠟石化作用を受けた部分があり, 稼行または探鉱された箇所が少なくない。 また脱色作用を受けた部分もある。

新鮮な岩石はまれにしか見られないが, 丸山の湖岸に面した側では, 比較的新鮮な斜長流紋岩熔岩および火山砕屑岩が露出している。 斜長流紋岩は斑状組織が認められ, 淡灰緑色の石基中に長さ 1.5 mm 内外の長石, および石英斑晶が点在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では認められない。 本岩は岩質からみて, この岩層中に挾まれた熔岩流である。 火山砕屑岩は凝灰岩および凝灰角礫岩の互層からなり, 前者は一様に淡灰緑色を示し緻密で, 後者は米粒大以下の白色角礫を多量に含み, 石英粒を含有している。 走向 N 15°E, 傾斜 18°W を示す

有珠火山西麓に分布する地層 : 谷間に小規模に露出し, 有珠火山噴出物によって厚く覆われている。 斜長流紋岩質凝灰岩からなり, 走向・傾斜は明らかでない。 この部分に往時硫化鉄鉱鉱床を探鉱した坑口が残っている。

II.3 訓縫期火山岩

図幅地域内で訓縫期の火山岩と考えられるのは, 石英安山岩・斜長流紋岩・壮暼浮石流および変朽安山岩である。 石英安山岩は訓縫統と考えられる長流川累層中に挾まれており, 斜長流紋岩および変朽安山岩は, その岩相および層序関係等を他地域の岩石と対比することにより, 訓縫期のものと推定した。

II.3.1 石英安山岩(D)

この岩石は胆振線久保内駅附近, および図幅地域南東隅の伊達鉱山附近の2ヵ所に分布しており, いずれも斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の下位にみいだされ, 両者は外観および鏡下の諸性質が酷似している。 この石英安山岩は石英斑晶にきわめて乏しく, 変朽安山岩化作用を受けている。 石英安山岩と灰黒色泥岩層との直接の関係を示す露出はないが, 図幅地域東縁に近い長流川川底では, 灰黒色泥岩層の上部は次第に斜長流紋岩質凝灰岩を挾んできて, その上位に石英安山岩が載るように観察されるので, 石英安山岩は斜長流紋岩質凝灰角礫岩層堆積のごく初期の噴出物と思われる。

久保内駅附近に分布する岩石 : これは胆振線久保内駅附近の長流川河岸, および同駅から北方へ釜谷鉱山に赴く途中の道路際によく露出している。

石英斑晶にきわめて乏しく, 堅硬, 塊状で, 変朽安山岩・安山岩またはそれらの火山砕屑岩等のような外観を示すが, 詳しく広範囲に観察すると, 径 1.0 mm 以下の石英の斑晶または破片が, 僅かながら点々と含まれている。 また火山砕屑岩層を伴ない, 野外では両岩の判別が困難であるが, 久保内駅より西方の河岸では後者が明らかに成層しており, 走向 N 25~30°W, 傾斜 12~22°W を示す。

石英安山岩は肉眼で斑状組織が認められ, 灰緑色の石基中に長さ 2.5 mm 以下の灰黄色および濃緑色の斑晶が, 比較的疎らに散在しており, 変朽安山岩のような外観を示すが, まれに石英斑晶がみいだされる。

鏡下では斑状組織が認められるが, 著しく変朽安山岩化作用を受けている。 斑晶斜長石はほとんどすべて絹雲母・緑簾石・曹長石および高陵土等に変化し, 結晶外形も失い, また双晶も全く認められない。 斑晶有色鉱物はすべて緑泥石化し, 結晶外形によっても原鉱物の種類を推察し得ない。 石英は僅かにみいだされるが著しく融蝕されて円くなっている。

石基は甚だしく汚濁し, かろうじて柱状の斜長石の結晶外形が認められることがあるが, ほとんどすべての初生鉱物は分解していて, 石基全体が 微細な曹長石・緑泥石・緑簾石・絹雲母・2次的石英および磁鉄鉱等の集合 からなっている。

伊達鉱山附近に分布する岩石 : この岩石は気門別川沿岸に露出し, 灰青色, 緻密な石基中に長さ 3 mm 以下の斜長石の白色斑晶が密に散在しており, 有色鉱物斑晶は長さ 2 mm 以下で濃緑色を示す。 まれに石英の径 2 mm 以下の透明な斑晶がみいだされる。

鏡下に検すると斑状組織が認められるが, 著しく変朽安山岩化作用を蒙っている。 斑晶斜長石は柱状, まれに卓状を示し, 新鮮なものは少なく, 双晶はほとんど認められない。 結晶の大部分または全部が 絹雲母・方解石・曹長石および高陵土等の集合体に置換されている。 斑晶有色鉱物はすべて緑泥石および方解石等となり, 原鉱物の種類の推定は甚だ困難である。 斑晶石英は少なく, 著しく融蝕されて円味を帯び割目が発達している。

石基は柱状の斜長石および不定形の緑泥石の間を, 脱ガラス化作用に基づく珪長質物質がうずめている。 磁鉄鉱粒はきわめて乏しい。

II.3.2 斜長流紋岩(PR)

これは厚い熔岩流をなし, 斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の上位にある。 図幅地域内では6ヵ所に分かれてみいだされるが, 外観は必ずしも一様ではない。 この岩石は一般に多少変質しており, 斜長石の斑晶は比較的新鮮であるが, 斑晶有色鉱物は分解している場合が多く, 比較的新鮮な岩石の薄片で観察すると, 角閃石を主とし, 微斑晶として少量の紫蘇輝石および普通輝石を伴なっている。 黒雲母またはその仮晶と推定されるものはみいだされない。 また正長石も認められない。

壮暼村弁慶温泉の東方に分布する岩石 : この岩石は斑状組織を示し, 灰黒色, 緻密な石基中に, 長さ 3 mm 以下の斜長石の白色斑晶, および径 2.5 mm 以下の石英の透明な斑晶が顕著に散在しており, 有色鉱物の斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石および石英からなり, 有色鉱物はすべて緑泥石化され, 原鉱物の種類の推定はむずかしい。 斜長石は柱状を呈し, 新鮮なものは少なく, 割目に沿って変質作用がす丶み, 絹雲母および緑簾石等に変化している。 石英は清透で, やゝ融蝕されて円味を帯びている。

石基は微晶質で微細な長石・石英・緑泥石および磁鉄鉱等の集合からなる。

駒別川に沿って分布する岩石 : 壮暼村上久保内北方に分布する岩石はすこぶる堅硬で, 斑状組織が認められ, 淡青色の石基中に長さ 1~6 mm の斜長石の白色斑晶, 径 1~4 mm の石英の透明な斑晶, および長さ 1~5 mm の角閃石の濃緑色斑晶が顕著に散在している。

仲洞爺東方一帶に分布する岩石 : この岩石は斑状組織を示し, 淡青色の石基中に長さ 3 mm 以下の斜長石の白色斑晶, および径 2 mm 以下の石英の透明な斑晶が顕著に散在しており, 有色鉱物の斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石および石英からなる。 有色鉱物はほとんどすべて分解していて, 原鉱物を留めていないが, 角閃石の仮晶を示すものが多く, また全く変質されていない普通輝石が, 微斑晶として点々とみいだされることがある。 斜長石は柱状または卓状を示し, 包有物に乏しく累帯構造は著しくない。 石英は清透で融蝕されて円味を帯び, あるいは石基部が結晶内に著しく弯入しており, また割目が発達している。

石基は淡褐色を呈し, 一般に隠微晶質であるが, 一部のものでは脱ガラス作用のため微珪長質となり, そのなかに斜長石・石英および緑泥石等の微晶が点在している。

財田北方に分布する岩石 : この岩石はしばしば柱状節理を呈する。 肉眼では斑状組織を示し, 灰青緑色の石基中に, 長さ 1~5 mm の斜長石の白色斑晶, および径 1~4 mm の石英の透明な斑晶が顕著に散在しており, また長さ 4 mm 以下の角閃石の長柱状, 黒色の斑晶が点々としてみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石・石英および角閃石からなり, 微斑晶として普通輝石および紫蘇輝石を伴なっている。 斜長石は柱状で包有物に乏しく, また累帯構造も顕著でない。 一般に清純であるが, 一部または全部が著しく汚濁し, 微細な緑簾石・高陵土・曹長石および絹雲母等の集合体に変化していることがある。 石英は融蝕され常に円味を帯びており, 清透で割目はほとんど見られない。 角閃石は長柱状を呈し, いわゆる緑色角閃石に属し, 淡黄緑色ないし淡緑色を示し, 多色性が著しい。 結晶の外周を磁鉄鉱の微粒が包囲している。 普通輝石および紫蘇輝石は, 微斑晶として僅かにみいだされるのみである。

石基は微晶質で微細な長石・石英・緑泥石および磁鉄鉱等からなる。

洞爺町市街の北西方に分布する岩石 : この岩石は斑状組織が認められ, 灰褐色の石基中に長さ 0.8~2.5 mm の斜長石の白色斑晶 および径 0.5~1.2 mm の石英の透明な斑晶が散在しており, 有色鉱物の斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石および石英からなり, 有色鉱物はすべて分解している。 斜長石は柱状まれに卓状を示し, おおむね清純で累帯構造は著しくない。 石英はほゞ六角形の自形を示す場合もあるが, 一般に融蝕されて円味を帯び, あるいは石基部が結晶内に深く弯入している。 割目は著しくない。

石基は隠微晶質である。

旭浦附近に分布する岩石 : この岩石は斑状組織が認められ, 淡灰緑色の石基中に, 長さ 1~2.5 mm の斜長石の白色斑晶, および径 1~2 mm の石英の透明な斑晶が散在しており, また長さ 1.5 mm 以下の角閃石の濃緑色の斑晶が点々としてみいだされるが, 顕著ではない。

II.3.3 壮暼浮石流(SP)

壮暼駅から洞爺湖に達する直前にある壮暼滝の附近, これより北東方約 2 km の湖岸, さらにこの南方の阿波国附近の3ヵ所に露出し, 明らかに滝ノ上熔岩の下位にある。 いずれも同様の岩質の浮石流であるが, その起原は全く不明である。 この岩石は全体が灰黒色, 塊状で, 節理はみられず, すこぶる軟弱で容易に風化作用を受け, 砂となって崩れ易い。 このなかに鶏卵大以下の浮石が含まれているが, その浮石は著しく風化しており, 石英粒が点々とみいだされる。 なお浮石とともに, 小豆大以下の安山岩角礫もしばしばみいだされる。

II.3.4 変朽安山岩(P)

図幅地域南東隅と洞爺湖北方の2ヵ所にみいだされ, 前者は斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の上位に, 後者は斜長流紋岩の上位に載り, いずれも安山岩によって覆われている。

図幅地域南東部に分布する岩石 : この岩石は変朽の程度が必ずしも一様ではないが, 一般に斑状組織が認められ, 灰青緑色の石基中に長さ 1.5 mm 以下の斜長石の白色斑晶が, 顕著にかつ比較的密に散在しており, 有色鉱物の斑晶は肉眼では一般に認められない。

鏡下に検すると斑状組織が認められ, 斑晶斜長石は比較的新鮮で, 柱状まれに卓状を示し, 双晶が認められ, 累帯構造は顕著ではない。 結晶中の割目に沿って絹雲母化または高陵土化されている。 斑晶有色鉱物は場所により分解の程度に差異があり, 紫蘇輝石および普通輝石であることが明らかなものもあるが, 一般には著しく分解し, 緑泥石その他の鉱物となり, 結晶外形を留めず, 原鉱物の推定は難しい。

石基は毛氈状組織を示し, 柱状の斜長石・粒状の磁鉄鉱およ緑泥石を主とし, 絹雲母・方解石等を伴なっている。

洞爺湖北岸に分布する岩石 : この岩石はやゝ硬く, かろうじて斑状組織が認められ, 灰青緑色または灰緑色の石基中に 灰白色・灰緑色および濃緑色等の斑晶が比較的密に散在しているが, それらの原鉱物の種類はほとんど推定し難い。

鏡下では斑晶斜長石は柱状を示し, 比較的新鮮で双晶が認められる。 また顕著な累帯構造がみられる。 斑晶有色鉱物はすべて分解され, 緑泥石に変わっているが, 結晶外形からみて原鉱物は輝石であったと思われる。 なおやゝ粗粒の磁鉄鉱が点在している。

石基は 柱状の斜長石および粒状の磁鉄鉱・緑泥石の間を 脱ガラス作用に由来する長石・石英の粒状集合物がうずめている。

II.4 志門気層(S)

本層は図幅地域の南東部に分布し, 主として安山岩質角礫岩・凝灰質砂岩および頁岩からなる。 斜長流紋岩質凝灰角礫岩層の上位に載っているが, 層序関係を直接示す露出は認められない。 また本層は安山岩熔岩および火山砕屑岩類によって覆われている。 気門別川右岸の各支沢の上流によく露出していて, 桂林ノ沢(気門別部落小学校から東方直距 1.3 km)で観察すると, 厚さは少なくとも 20 m あり, 下方の約3分の1の部分は灰青黒色, 塊状の脆弱な凝灰質頁岩からなり, まれにほゞ水平の層理がみられ, 拳大ないし胡桃大の変朽安山岩角礫を含む。 中央の約3分の1の部分は灰黒色, 脆弱な凝灰質の中粒ないし細粒砂岩からなる。 上方の部分は安山岩質角礫岩からなり, 大豆大以下の大小様々の安山岩質角礫が凝結したもので, 全体が褐黒色ないし赤黒色を呈し, 凝結度は比較的弱い。

本層は気門別川を隔てて気門別部落の対岸にも小規模にみいだされる。 これは米 粒大以下の安山岩質角礫が凝結したもので, 所々泥岩の薄層を挾み, 走向・傾斜は比較的明らかで N 10°W・10°W を示す。 このように本層は気門別川の左右両岸に分布しているが, その高さに著しい相違があり, 少なくとも 100 m の差がある。 おそらく気門別川に沿い, 東西性の断層が走るものと想像されるが, 直接の露出はみられない。 しかし伊達鉱山坑内で認められる小断層はほとんど東西性であり, また同鉱山の多数の鉱床も同じ方向に配列する傾向を有する。

気門別部落北方の2ヵ所にも本層がみいだされ, これらは主として黄褐色で凝灰質の泥岩からなり, 米粒大以下(まれに大豆大以下)の安山岩質角礫を含み, やゝ層理がみられ軟く, 板状に割れ易い。

II.5 後訓縫期火山岩

変朽安山岩の流出後, この地域には輝石安山岩の大規模な激しい活動が起り, 多くの火山が次々に噴起し, 多量の熔岩および火山砕屑物を噴出した。 これら火山はその後の地殼変動あるいは侵蝕作用により, 火山原形を著しく失ったものもあるが, 図幅地域北東部の倶知安別火山, 洞爺湖西岸の幌萠火山 および図幅地域南東部の志門気火山等においては, 深い放射谷が刻まれてはいるが, 火山形態をほゞ留めている。

これら3火山はいずれも成層火山で, 倶知安別火山噴出物は 下位から駒別熔岩・奥幌別熔岩および倶知安別熔岩に大別され, 幌萠火山噴出物は 下位から幌内熔岩・月浦熔岩・ノットコ熔岩および虻田熔岩に大別される。 志門気火山噴出物には種々の熔岩があるが, 細分が困難なので地質図上では気門別熔岩として一括した。

洞爺湖沿岸でみられる諸熔岩, すなわち滝ノ上熔岩・ホロト熔岩・向洞爺熔岩および旭浦熔岩等は, 洞爺カルデラの生成のため火山原形は全く認められない。 洞爺湖南岸の西丸山は, 熔岩円頂丘の形態を示しているが, その岩質は有珠火山熔岩とは全く異なっており, おそらく第三紀火山の頂部であろうと推察される。

図幅地域縁辺にみられる 関内熔岩・一ノ原熔岩・蟠溪熔岩・幌別岳熔岩・竹山熔岩および来馬山熔岩等は, 火山の主体が図幅外にあるので, それらの火山形態は明らかでない。 特に来馬山熔岩は, 徳舜暼図幅地域内において熔岩台地地形, および熔岩流末端の急崖地形等がかなりよく保存されているので, あるいは第四紀に属するものかも知れない。 上記諸熔岩は必ずしも同一時期のものではないかも知れないが, 便宜上ここに一括して説明する。

II.5.1 向洞爺熔岩(両輝石安山岩)(M)

この熔岩は洞爺湖北岸の洞爺町附近およびポロベツ川右岸に分布している。 この岩石はその外観のみならず, 風化し易く, かつ捕獲岩に富む等の点において滝ノ上熔岩に酷似している。 斑状組織を呈し, 灰黝青色の石基中に 長さ 1~2.5 mm の斜長石の白色斑晶が顕著に散在しており, しばしば流状構造が認められる。 有色鉱物斑晶は長さ 0.8 mm 以下で, 小形かつ少量であるから, 肉眼では顕著でない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は曹灰長石に属し, 多くは破片状をなし, まれに柱状を示す。 一般に清純で包有物に乏しいが, 歪をうけ波動消光を示すものがある。 累帯構造は概して著しい。 紫蘇輝石および普通輝石はともに破片状をなし, 淡緑色を示し, 歪をうけ波動消光をなすものがあり, また包有物に乏しい。 やゝ粗粒の磁鉄鉱を伴なっている。

石基はガラス質で顕著な流状構造を示す。

II.5.2 旭浦熔岩 21), 22) (普通輝石含有紫蘇輝石橄欖石安山岩)(A)

この熔岩は洞爺湖北西岸の旭浦附近に分布しており, 向洞爺熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を呈し, 灰青黒色の石基中に, 長さ 0.8~1.5 mm の斜長石の白色斑晶が顕著に散在しており, 有色鉱物斑晶は長さ 1 mm 以下で肉眼では目立たない。 またこの岩石中には, 長さ 6~8 mm 程度の斜長石の大晶がしばしば含まれている。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および橄欖石からなり普通輝石を伴なう。 斜長石はおおむね亜灰長石に属し, 柱状で清純であり, 包有物に乏しく, 累帯構造は縁辺に僅かにみいだされるのみである。 大晶は灰長石に属し, 中核の大部分は An 95, 縁辺部は An 80 である。 紫蘇輝石は柱状を示し, 常に単斜輝石の微粒からなる反応縁によって包囲されている。 多色性がみられ, 淡黄緑色ないし淡緑色を呈する。 橄欖石は有色鉱物中最も多く短柱状を示し, 比較的新鮮で, 無色であるが, 結晶の縁辺はイディングス石化して黄褐色を呈している。 普通輝石は少量かつ小形であり, 柱状で著しく円味を帯び淡緑色を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒を多量に伴なっている。

II.5.3 滝ノ上熔岩(両輝石安山岩)(TU)

この熔岩は洞爺湖南東岸に分布している。 風化し易く新鮮な資料は得難い。 比較的新鮮な岩石においては斑状組織が認められ, 灰褐色, 粗鬆な石基中に長さ 1 mm 以下の斜長石の白色斑晶が顕著に散在し, しばしば流状構造が認められる。 斑晶有色鉱物は黒色を呈し, 長さ 0.8 mm 以下で, かつ少なく顕著ではない。 またこの岩石中には, 一般に鶏卵大ないし大豆大の捕獲岩が著しく多量に包含されている。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状を呈するが, まれに破片状のものがみいだされ, 一般に清純で, 多くは結晶の中核から外方へ著しい波動累帯構造を呈する。 紫蘇輝石は長柱状, まれに破片状を呈し, 多色性は弱く淡黄緑色ないし淡緑色を示す。 普通輝石は柱状まれに破片状を示し, 淡緑色を呈する。 両輝石とともに包有物に乏しい。 これら諸斑晶には歪のため波動消光を示すものがしばしばみいだされる。 また四角形ないし不定形のやゝ粗粒の磁鉄鉱が点々としてみいだされる。

石基はガラス質で著しい流状構造を示す。

II.5.4 ホロト熔岩(紫蘇輝石安山岩)(HR)

この熔岩は滝ノ上熔岩の上位に分布している。 肉眼では斑状組織を示し, 灰黒色, 緻密な石基中に長さ 0.7~5 mm の大小様々の斜長石斑晶が, 顕著にかつ密に散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では著しくなく, 長さ 1.5 mm の黒色斑晶が点々と見られる。

鏡下では斑晶は斜長石と紫蘇輝石とからなり, 紫蘇輝石は斜長石に比較して著しく少ない。 斜長石は曹灰長石まれに亜灰長石に属し, 柱状であるが破片状のものも見られ, 塵状包有物に富んでいる。 累帯構造は著しくない。 紫蘇輝石は柱状で, しばしば単斜輝石からなる反応縁で包囲されており, 多色性が著しく, 淡褐色ないし淡緑色を示す。 包有物は少ない。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒が多量に散点している。

II.5.5 西丸山熔岩 21), 22) (紫蘇輝石普通輝石橄欖石安山岩)(NI)

西丸山は洞爺湖温泉町の東に聳え, その熔岩は山腹および湖岸に沿った山麓に, 小牛大以下の転石として多数みいだされる。 岩石はすこぶる堅緻で比重が大きく, 真黒色の石基中に, 長さ 1~2 mm まれには 1~2 cm に達する斜長石の白色斑晶, および長さ 1~2 mm まれには 4 mm に達する橄欖石および輝石斑晶が, 顕著に散在している。

鏡下に検すると斑晶は斜長石・紫蘇輝石・普通輝石および橄欖石からなり, 有色鉱物のうち紫蘇輝石は他2者に比較しやゝ少量である。 斜長石は亜灰長石(An 80)に属し, おおむね柱状を示し新鮮であり, 累帯構造に乏しい。 まれにみいだされる斜長石の大晶は灰長石に属し, その中核の大部分は An 96~97, 縁辺部は An 82, 橄欖石および普通輝石を包有している。 紫蘇輝石は柱状でかなり円味を帯び, 多色性が見られ, 淡黄緑色ないし淡緑色を示す。 結晶の外周には単斜輝石の微粒からなる反応縁を有する。 普通輝石は結晶外形を失い, 著しく円くなっていて淡緑色を示し, (100) 双晶がみられる。 まれに累帯構造を示すものがある。 両輝石はともに包有物に乏しい。 橄欖石は短柱状を示し無色, 新鮮であって, イディングス石化は見られない。

石基はガラス基流晶質で, 褐色ガラス中に柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石が, やゝ流状構造を示してみいだされ, なお粒状の磁鉄鉱を伴なっている。

II.5.6 関内熔岩(紫蘇輝石安山岩)(SE)

この熔岩は図幅地域南縁に分布しているが, この附近は表土が厚く岩石の露出に乏しく, 火山形態は明らかではない。 岩石は肉眼では斑状組織を示し, 灰黒色の緻密な石基中に, 長さ 2 mm 以下の斜長石斑晶が比較的密に散在しており, 輝石斑晶は 1 mm 以下で少なく, 顕著ではない。

鏡下では斑晶は斜長石および少量の紫蘇輝石からなる。 斜長石は曹灰長石まれに亜灰長石に属し, 柱状で累帯構造が結晶の外縁に僅かにみいだされる。 また清純で包有物に乏しい。 紫蘇輝石は柱状を呈し, 縁辺は単斜輝石の微粒からなる反応縁によって, 常に包囲されている。 淡黄緑色ないし淡緑色を呈し, 多色性がみられ包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物は大きく, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 無数の磁鉄鉱の微粒を伴なっている。

II.5.7 一ノ原熔岩(普通輝石含有紫蘇輝石橄欖石安山岩)(IC)

この熔岩は洞爺湖北岸で向洞爺熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を示し, 灰緑黒色, 緻密な石基中に長さ 0.8~3.0 mm の斜長石の白色斑晶が, 顕著にかつ密に散在しており, まれには断面の大きさ 12×8 mm に達する斜長石の大晶が点在している。 また長さ 1~3 mm, まれに 6 mm に達する有色鉱物の黒色斑晶が見られる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および橄欖石からなり, 普通輝石を伴なう。 斜長石はおおむね亜灰長石まれに曹灰長石に属し, 柱状で一般に清純であり, 累帯構造は顕著でない。 しばしば包有物に富み, これが結晶の外縁に平行な1~3層の累帯を示すことがある。 紫蘇輝石は柱状を示し, 周縁は単斜輝石の微粒からなる反応縁で包まれ, 淡緑色ないし淡緑褐色を示し, 多色性はやゝ著しい。 橄欖石は短柱状を示し, やゝ淡緑色を帯び, 周縁はイディングス石化して黄褐色を呈している。 普通輝石は紫蘇輝石および橄欖石に比し少量かつ小形であり, 柱状で著しく円味を帯び淡緑色を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 粒状の磁鉄鉱が多量に散点している。

II.5.8 竹山熔岩(普通輝石含有紫蘇輝石橄欖石安山岩)(TY)

この熔岩は図幅地域北縁に僅かにみいだされ, 倶知安別火山の諸熔岩の上に載っているらしい。 岩石は肉眼では灰黒色, 緻密な石基中に, 長さ 1.5 mm 以下の斜長石の白色斑晶が顕著にかつ密に散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では認められない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および橄欖石からなり, 小形の普通輝石を伴なっている。 斜長石はおおむね亜灰長石に属し, 柱状を呈し一般に清純で包有物に乏しく, 累帯構造は著しくなく, 割目に沿ってガラス化している。 まれに歪を受けたものが認められる。 紫蘇輝石は柱状で淡黄緑色ないし淡緑色を示し, 多色性が認められる。 橄欖石は短柱状を示し無色で, 周縁はイディングス石化し, 黄褐色を呈している。 普通輝石は柱状で著しく円味を帯び, 淡緑色で多色性に乏しい。 有色鉱物斑晶はいずれも包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し, 短冊状または柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石からなり, 粒状の微細な磁鉄鉱が一面に撒布されている。

II.5.9 蟠溪熔岩(両輝石安山岩)(B)

この熔岩は図幅地域東縁の長流川両岸に分布し, 駒別熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を示し, 青黒色, 緻密な石基中に長さ 1.5 mm 以下の比較的小形の斜長石および輝石の斑晶が, やゝ密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状ではおおむね清純であり, 包有物は少なく, また累帯構造も顕著でない。 紫蘇輝石は柱状でやゝ円味を有し, 多色性がみられ淡黄緑色ないし淡緑色を示す。 まれに普通輝石と平行連晶をなすものがある。 普通輝石は柱状で淡緑色を呈し, 一般に (100) 双晶を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。 なお斜長石・紫蘇輝石・普通輝石および磁鉄鉱からなる聚斑状集合が多数みられ, また微斑晶としてやゝ粗粒の磁鉄鉱が散在している。

石基は毛氈状組織を示し, やゝ流状構造がみられ, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石からなり, 微細な磁鉄鉱が撒布されている。

II.5.10 幌別岳熔岩(両輝石安山岩)(HB)

この熔岩は図幅地域南東隅に分布し, その先端は長流川河岸に及んでいる。 岩石は肉眼では斑状組織を示し, 青黒色の石基中に長さ 0.7~2.5 mm の斜長石の白色斑晶, および長さ 0.8~1.5 mm の輝石の黒色斑晶が, 顕著にまた比較的密に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰ないし亜灰長石に属し, おおむね柱状を呈し清純であるが, しばしば結晶の中核に著しい塵状包有物がみられ, また割目に沿ってガラス化しているものがある。 一般に結晶の中心から外方へ著しい累帯構造が発達している。 紫蘇輝石はおおむね柱状で, 多色性は著しくなく, 淡黄緑色ないし淡緑色を示す。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, (100) 双晶が普通にみられる。 両輝石はともに包有物に乏しいが, 大形のものでは磁鉄鉱・斜長石等を含む。 また斜長石および両輝石からなる聚斑状集合がしばしばみいだされ, 四角形または不定形のやゝ粗粒の磁鉄鉱が散点している。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物はきわめて微細で, 斜長石, 単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等からなる。 なお石英を充塡部とする部分が斑点状にみいだされる。

II.5.11 来馬山熔岩(両輝石安山岩)(RA)

この熔岩は平坦な熔岩台地をなし, 幌別岳熔岩の上に分布する。 岩石は斑状組織を示し, 青黒色の石基中に長さ 2 mm 以下の斜長石斑晶が密に散在しており, 輝石斑晶は長さ 1 mm 以下で, 肉眼では顕著でない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状で包有物に乏しく, 清純で, 累帯構造は一般に著しい。 紫蘇輝石は長柱状でやゝ円味を帯び, 淡黄緑色ないし淡緑色で多色性がみられる。 普通輝石は柱状で円味を帯び, (100) 双晶がしばしば認められ, 淡緑色を示す。 両輝石はともに包有物に乏しいが, まれに磁鉄鉱粒を含む。 また両輝石からなる平行連晶が認められる。 なお斜長石および両輝石からなる聚斑状集合がしばしばみいだされ, また微斑晶として磁鉄鉱が散点している。

石基は毛氈状組織を示し微細な斜長石, 単斜・斜方両輝石および磁鉄鉱等の諸鉱物からなる。

II.5.12 志門気火山熔岩(SI)

志門気火山は図幅地域南東部に位置し, 長流川累層の 斜長流紋岩質凝灰角礫岩層および志門気層を基盤とする成層火山で, 最高点は海抜 634.6 m を示し, ほゞ火山形態を留めているが, 山体には深い谷が刻まれている。 この火山を構成する熔岩は両輝石安山岩であるが, その外観は必ずしも一様ではない。 しかし野外で分類することは著しく困難なので, 地質図上では一括し, 代表的と思われる2種の熔岩について次に記載する。

志門気第1熔岩(両輝石安山岩) : この岩石は全般が深黒色を呈し堅緻な岩石で, 肉眼では斑状組織は顕著ではなく, 長さ 1.5 mm 以下の諸斑晶がかろうじて点々とみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰長石に属し, おおむね柱状であるが, まれに卓状を示す。 包有物には乏しいが一般に汚濁している。 紫蘇輝石は柱状で, 淡黄緑色ないし淡緑色を示し多色性は弱い。 普通輝石は柱状で, (100) 双晶がしばしば認められ, 淡緑色を呈する。 両輝石はともに包有物に乏しく, しばしば歪を受けたものがみいだされる。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状または短冊状の斜長石および 柱状または粒状の単斜・斜方両輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒を伴なっている。

志門気第2熔岩(両輝石安山岩) : この岩石は深黒色の石基中に, 長さ 0.8~1.5 mm の斜長石の白色斑晶が比較的密に散在しており, 輝石の斑晶はあまり明瞭ではなく, 長さ 1 mm 以下の黒色斑晶が点々とみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状を示すが破片状のものも少なくなく, 結晶の中核から著しい累帯構造がみられ, また輝石・磁鉄鉱・ガラス等の微粒を多く包有している。 両輝石は柱状であるが, 破片状のものも見られ, いずれも包有物に乏しい。 紫蘇輝石は淡黄緑色ないし淡緑色を示し, 多色性がみられ, 普通輝石は淡緑色を示す。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物はきわめて小さく, 斜長石・輝石および磁鉄鉱等からなる。

II.5.13 幌萠火山熔岩

幌萠火山は図幅地域西端に位置する成層火山で, 最高点は海抜 624.9 m を示す。 この火山は洞爺湖に面する側は, 断層のため急傾斜を示して湖に臨んでおり, 噴火湾に面する側も断崖をなしているところが多く, 火山原地形を著しく失っている。 この火山の熔岩は外観および鏡下の性質により, 次の4種に大別しうる。

幌内熔岩(両輝石安山岩)(PH) : この岩石は斑状組織を示し, 灰青黒色の石基中に長さ 3~6 mm の斜長石の細長い白色斑晶が, 顕著に散在しており, 輝石斑晶は長さ 1.5 mm 以下で, 肉眼ではあまり顕著でない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなる。 両輝石はほゞ等量にあるが, 斜長石に比較すればその形はいずれも小さい。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状で累帯構造に乏しく, 一般に汚濁している。 紫蘇輝石は柱状でやゝ円味を帯び多色性は弱く, 淡黄緑色ないし淡緑色を示す。 普通輝石は柱状でやゝ円味を帯び, 淡緑色を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し構成鉱物はきわめて微細で, 斜長石および単斜・斜方両輝石からなり, 少量の磁鉄鉱を伴なっている。

月浦熔岩(紫蘇輝石安山岩)(PT) : この熔岩は火山砕屑岩を多く挾有し, 湖岸に沿ってよく露出しており, 月浦の近くでは断層運動のため擾乱されていて, 著しく風化している。 全体が一様に深黒色を呈し, 斑状組織はほとんど認められないが, よく観察すると長さ 2 mm 以下の諸斑晶が点々とみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石および紫蘇輝石からなる。 斜長石は亜灰長石ないし曹灰長石に属し, 清純で一般に包有物に乏しい。 累帯構造は結晶の縁辺にみいだされるのみである。 紫蘇輝石は柱状で, その外縁は常に単斜輝石の微粒からなる反応縁によって包囲されている。 多色性は著しく淡黄褐色ないし淡緑色を示し, 包有物は少ない。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 磁鉄鉱を伴なっている。

ノットコ熔岩(両輝石安山岩)(PN) : この熔岩は幌内熔岩および月浦熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を示し, 灰青黒色, 緻密な石基中に, 長さ 0.8~1.2 mm の斜長石の白色斑晶が, 比較的密にかつ顕著に散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼ではほとんど認められない。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量にある。 斜長石は曹灰長石まれに亜灰長石に属し, 柱状を呈し, おおむね清純で包有物は少なく, また累帯構造も著しくない。 紫蘇輝石は長柱状で淡黄緑色ないし淡緑色を示し, 多色性は著しくない。 普通輝石は柱状で淡緑色を呈し, 一般に (100) 双晶を示す。 まれに累帯構造を示すものがある。 両輝石はともに包有物に乏しい。 またやゝ粗粒で, ほゞ四角形の磁鉄鉱が点々としてみいだされる。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物は微細で, 短冊状または柝木状の斜長石, および柱状または粒状の単斜・斜方両輝石を主とし, 磁鉄鉱の微粒が一面に散在している。

虻田熔岩(両輝石安山岩)(PA) : この熔岩はノットコ熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を示し, 灰黒色, 緻密な石基中に長さ 2 mm 以下の斜長石の白色斑晶が, 比較的密にかつ顕著に散在しており, 長さ 6~8 mm の大晶がしばしば点々とみいだされる。 これに反し有色鉱物斑晶は長さ 1 mm 以下で, きわめて小さい。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量にある。 斜長石は曹灰長石に属し, 柱状でおおむね清純であるが, 大形斑晶では磁鉄鉱・ガラス・輝石等を多く包有し, その縁辺には著しい波動累帯構造がみられる。 紫蘇輝石は長柱状を示し, 一般にその外縁は単斜輝石の微粒からなる反応縁により包囲されており, 淡黄褐色ないし淡緑色で多色性が認められる。 普通輝石はおおむね柱状でやゝ円味を帯び淡緑色を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。 また斜長石・両輝石および磁鉄鉱等からなる聚斑状集合が, まれにみいだされる。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒が一面に撒布されている。

II.5.14 倶知安別火山熔岩

この火山は図幅地域北東部に位置する成層火山で, 最高点は海抜 879.6 m を示し, 山体は東隣および北隣の図幅地域内にも及んでいる。 長流川累層および斜長流紋岩を基盤としており, 山体には深く長い谷が多く刻まれ, 火山原地形は著しく失われている。 この火山の熔岩は外観および鏡下の性質から, 次の3種に大別しうる。

駒別熔岩(石英含有両輝石安山岩)(KB) : この岩石は堅緻で深黒色を示し, 肉眼では斑状組織は明らかでないが, よく注意すると斜長石および輝石の斑晶が認められ, いずれも小さく長さ 1.5 mm 以下である。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 石英を伴なっている。 斜長石は曹灰長石に属し, おおむね柱状であるが, 卓状のもの, 破片状のもの, かなり円味を帯びたもの等があり, いずれもおおむね清純で包有物に乏しい。 累帯構造はほとんど示さぬものが多いが, 時には結晶の中核から外方へ著しい波動累帯構造を示すものがあり, 両輝石とともに歪を受け, 波動消光を示すものがかなり多い。 紫蘇輝石は柱状で相当円味を帯びているものも見られ, 淡黄緑色ないし淡緑色で多色性は弱い。 普通輝石は柱状でかなり円味を帯び, (100) 双晶を示し, まれに反覆双晶をなし淡緑色を呈する。 両輝石はともに包有物に乏しい。 石英はこの熔岩中に普遍的に含まれており, 捕獲結晶であろうと考えられる。 清透で割目がよく発達し, 常に熔蝕を受けており, 石基部が結晶中に弯入している。

石基は毛氈状組織を示し, 微細な斜長石および単斜・斜方両輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒が一面に撒布されている。 なお斑晶石英の周辺または石基中に, 石英を充塡部とする部分が斑点状にみいだされる。

奥幌別熔岩(両輝石安山岩)(KO) : この熔岩は駒別熔岩の上に載っている。 岩石は斑状組織を示し, 青黒色の石基中に長さ 1~2.5 mm の斜長石および輝石の斑晶が, 顕著に散在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は曹灰長石と亜灰長石との中間に属し, おおむね柱状で, まれに卓状を示し, 清純で包有物に乏しく, 一般に累帯構造は著しくないが, 大形斑晶では結晶の中核から外方へ著しい波動累帯構造が認められる。 紫蘇輝石は長柱状で淡褐色ないし淡緑色を示し, 多色性が著しい。 普通輝石は柱状でやゝ円味を帯び, しばしば (100) 双晶を示し, 淡緑色を呈する。 両輝石はともに包有物に乏しいが, まれに磁鉄鉱および斜長石等を含む。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物はきわめて微細で, 斜長石および単斜・斜方両輝石からなり, 磁鉄鉱を伴なっている。 なお石英を充塡部とする部分が斑点状にみいだされる。

倶知安別熔岩(橄欖石含有紫蘇輝石安山岩)(KK) : この熔岩は最上位の熔岩である。 岩石は灰青黒色の堅緻な石基中に, 斜長石の白色斑晶および輝石の黒色斑晶が顕著に散在していて, 斜長石は一般に長さ 1~4 mm であるが, しばしば大晶が含まれており, 断面の大きさで 30×15 mm または 28×25 mm に達するものがある。 この大晶は壯暼村駒別附近のものに著しい。 輝石は一般に長さ 1~3 mm である。

鏡下では斑晶は斜長石および紫蘇輝石からなり, 橄欖石を伴なっている。 斜長石はおおむね亜灰長石に属し, 柱状を呈し累帯構造は顕著でない。 清純であるが, しばしば輝石・磁鉄鉱およびガラス等の微細な包有物に富み, これらが結晶の外縁に平行に1~3層の累帯をなすことがしばしばある。 まれにみいだされる大晶は灰長石に属し, 中核の大部分は An 96 で縁辺部は An 80 内外である。 紫蘇輝石は柱状であるが, その縁辺は単斜輝石の微粒からなる反応縁で常に包囲されている。 淡褐色ないし淡緑色を示し多色性が強く, また包有物に乏しい。 橄欖石は紫蘇輝石に比較し遙かに小形であり, かつ少ない。 新鮮な部分は無色であるが, その大部分は一般に縁辺からイディングス石化し, 黄褐色を示している。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石および柱状または粒状の単斜輝石からなり, 多量の磁鉄鉱が散点している。

II.6 土場層(DO)

土場層は図幅地域北西隅において, 貫気別川に沿い洞爺浮石流の下位に分布しており, 両者は不整合関係にある。 この図幅地域内では, 土場層の基底は現われていない。 本層はどの露頭においてもほとんど水平であり, かつ河面より僅か 3~40 m 以下の高さで分布しており, 露頭が少なくまた岩相の変化が著しいため, 層序を組み立てることは難しい。 本層は主として黄褐色の中粒砂岩からなり, 凝灰岩層・粘土層・礫層および亜炭層等を挾み, あるいはこれらが互層している。 中粒砂岩は凝結度が低くすこぶる軟弱であり, また一般に塊状であるが, まれにはやゝ層理を示すことがある。 淘汰が不良で, 小豆大ないし粟粒大の砂礫が点々として含まれ, あるいはそれらが厚さ 3 cm 以下のレンズ状をなしており, 礫は安山岩が最も多く, 浮石・石英粒および黒雲母等もみいだされる。 またこの砂岩中には, 厚さ 3 cm 以下の粘土層がしばしば挾まれている。

凝灰岩は土場部落附近の道路際に所々露出しており, 全体が灰白色を呈し, やゝ硬く塊状で, 軽くかつ粗鬆である。 粘土層は砂岩中に挾まれ, 厚さ 2 m 以上の場合がある。 灰黒色を呈し無層理, 緻密で粘性に富むもの, あるいは黄褐色を示し凝灰質で軟いもの等があり, また径 1.5 mm 以下の石英粒が点々として含まれ, あるいは黒雲母の微細な結晶が含まれている。

亜炭層は貫気別川に架る西方の橋の西側の崖(図幅地域外)によく露出しており, 図幅地域内では土場部落の東方約 400 m の道路際に露われている。 前者では灰黒色を呈し, 剝理の発達した粗悪な亜炭が2層みられ, 下層は厚さ 40 cm, 上層は厚さ 15 cm で, その間に厚さ約 2.5 m の縞炭混りの軟い粗粒砂岩を挾んでいる。 下層の下位には, 厚さ 60 cm 以上のやゝ硬い無層理の灰黒色頁岩があり, このなかにはしばしば厚さ 10 cm 以下の炭質頁岩を挾んでいる。 上層の上位には厚さ 2 m 以上の軟弱な塊状の中粒砂岩が載っている。 土場部落の東方においては, 厚さ 25 cm 以上の亜炭層が1層露われ, その上位の岩石は表土に覆われ露出していないが, 亜炭層の下位には, 上部より厚さ 10 cm の軟弱な縞炭混り中粒砂岩, および厚さ 50 cm 以上の粘土層があり, 粘土層中にも炭質物が点々と含まれている。

土場層の地質時代については, 化石の産出がないので不明確である。 西隣の豊浦図幅地域内における観察では, 本層は緩い褶曲を受けているが, 断層は認められない。 洞爺湖北西岸に露われている訓縫統中の断層の延長は, 本層中にはみいだされない。 本層を岩相上から他地域における岩層と対比することにより, 一応瀬棚統とした。

II.7 岩脈(DP・DA)

図幅地域内で岩脉は7ヵ所にみいだされ, これらは必ずしも同時期の貫入によるものでないかも知れないが, 便宣上一括した。 それらのうち5ヵ所では変朽安山岩であり, 2ヵ所では安山岩である。

II.7.1 久保内駅北東方にみいだされる岩脈(変朽安山岩)

斜長流紋岩質凝灰角礫岩層を貫ぬき, 走向 N 10°E, 傾斜 82°E を示し, 幅は少なくとも 5 m あり, 堅硬な岩石で, 冷却面に平行に節理が発達している。 この岩石は全体が灰青緑色を示し, 相当変朽しているが, やゝ斑状組織が認められ, 長さ 2 mm 以下の斜長石斑晶が疎らに散在し, 有色鉱物斑晶はほとんど認められない。

鏡下に検すると斑状組織がかろうじて識別され, 有色鉱物はすべてウラル石化し輝石の仮像を示している。 斜長石は結晶の大部分または全部が絹雲母・曹長石・高陵土等に変わり, 双晶は全く認められない。

石基は著しく汚濁していてその組織は不分明であり, 緑泥石・高陵土・曹長石・絹雲母・磁鉄鉱等の微細な諸鉱物の集合からなる。

II.7.2 久保内駅西方の河岸およびその南東方山麓にみいだされる岩脈 (変朽安山岩)

両岩脉は岩質が酷似しており, それぞれ他の走向の延長上にあるので, 連続しているものと考えられる。 山麓では他岩との関係が明らかでないが, 河岸で観察すると石英安山岩質凝灰岩中に迸入し, 走向は N 60°W である。 この岩石はやゝ硬く斑状組織が認められ, 灰緑黒色の石基中に長さ 1~2 mm の淡緑色および濃緑色斑晶が, 比較的密に散在している。

鏡下に検すると斑状組織が窺われるが, 斜長石は絹雲母・曹長石・高陵土・方解石等の集合に変化していて, 双晶は全く認められない。 有色鉱物はすべて緑泥石・方解石等に変わり, 結晶原形を失っており, 原鉱物の推定はむずかしい。

石基は汚濁していて組織は不分明であるが, 柱状の斜長石や粒状の磁鉄鉱等が認められ, また緑泥石・絹雲母等を伴ない, それらの間に微細な方解石を多量に生じている。

II.7.3 久保内・壮暼両駅間の鉄道線路際でみいだされる岩脈 (橄欖石含有両輝石安山岩)

四斗樽大以下の巨岩塊を含んだ滝ノ上熔岩中の凝灰角礫岩を貫ぬき, 幅約 2.5 m あり, 走向 N 10°E, 傾斜 82°E を示す。 この岩石は全般が濃黒色を呈し, 堅硬, 緻密で両壁面に平行な節理に富み, 肉眼では斑状組織は明らかでないが, よく注意すると長さ 1~5 mm の斑晶が点在している。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石・普通輝石および橄欖石からなり, 有色鉱物のうち橄欖石は他2鉱物に比較して小形で少ない。 斜長石は柱状で清純であり, 累帯構造はほとんど見られず, また歪を受けたものが多い。 紫蘇輝石は柱状で多色性がやゝ著しく, 淡黄褐色ないし淡緑色を示す。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, 両輝石はともに包有物に乏しい。 橄欖石はほとんどすべてイディングス石に置換され, 短柱状の結晶外形によってその存在が認められる。

石基は毛氈状組織を示し, 柝木状の斜長石と柱状または粒状の単斜・斜方両輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒が散点している。

II.7.4 洞爺湖北岸の財田東方の道路際でみいだされる岩脈(変朽安山岩)

斜長流紋岩質凝灰岩を貫ぬき幅 10 余 m あり, 走向はほゞ南北で傾斜は 85°E である。 この岩石は緻密で堅く, 全般的に灰黝青色を呈し, 肉眼では斑状組織はほとんど認められないが, よく観察すると, 長さ 1.5 mm 以下の灰緑色斑晶が点々とみいだされる。

鏡下では斑状組織がかろうじて窺われる。 斑晶斜長石は柱状で双晶が認められ, 一部または大部分が分解して, 絹雲母・高陵土等に変化している。 斑晶有色鉱物は, すべて緑泥石に変化して結晶外形を留めず, 原鉱物の推定は難しい。

石基は柱状の斜長石, 粒状の磁鉄鉱および緑泥石等を, 脱ガラス作用に由来する長石・石英の粒状集合がうずめている。

II.7.5 洞爺湖北西岸の旭浦北東の道路際でみいだされる岩脈(変朽安山岩)

安山岩質緑色凝灰角礫岩層を貫ぬき 4 m を隔てて2條あり, 北方のものは走向 N 50°W, 傾斜 52°S を示し, 幅 2 m 以上あり, 南方のものは形態が一定しない。 これらの岩石は全般的に暗緑色を呈し緻密で, 肉眼では斑状組織は明瞭でない。

鏡下では斑状組織が認められるが, 斑晶は著しく変質している。 斑晶斜長石は 結晶の全部が緑簾石・曹長石・高陵土および絹雲母等の集合によって置換されており, 斑晶有色鉱物は完全に緑泥石化し, 原鉱物の結晶外形を留めていない。

石基は塡間組織を示す。

II.7.6 洞爺湖温泉町北西西方の道路際でみいだされる岩脈(安山岩)

月浦熔岩中の凝灰角礫岩を貫ぬき幅約 1.6 m あり, 走向は N 50°W を示し, ほとんど直立している。 この岩石は深黒色, 緻密な石基中に 0.8~1.5 mm の斜長石の白色斑晶が散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼では認められない。

鏡下においても斑晶は斜長石のみで, 有色鉱物は認められない。 斜長石は柱状を呈し, 累帯構造はほとんどみられず, 新鮮, 清純で, 包有物は少なく, まれにガラス・緑泥石等がみられる。

石基は塡間組織を示す。

II.7.7 伊達鉱山附近にみいだされる岩脈(変朽安山岩)

伊達鉱山附近の東ノ沢で斜長流紋岩質凝灰角礫岩層を貫ぬき, 幅 3 m 余あり, 走向 N 80°E を示す。 この岩石は著しく変朽し脆弱となり, 濃緑色の石基中に, 長さ 0.8 mm 以下の斜長石の白色斑晶が点々とみいだされる。

II.8 登別泥熔岩(NO)

これは図幅地域東縁の長流川右岸に分布している。 この図幅地域内では露出に乏しいが, 東隣の徳舜暼図幅地域内では広く露われていて, 胆振線蟠溪駅西方の長流川河岸では約 100 m の厚さを有し, 蟠溪熔岩の上位に直接載っており, 長流川に架る鉄橋の北方では, 軟石と称し石材として採掘されている。 この岩石は塊状で約 3 m 間隔の柱状節理がみられ, 粗鬆で軽く灰黒色を呈し, そのなかに一般に大豆大(時に鶏卵大)以下の絹糸光沢のある浮石や, 米粒大以下の安山岩質角礫等を含んでいる。 これは長流川両岸でみられるように, 高位段丘面をなしており, 岩質・分布および産状等から考え, 登別泥熔岩の一部と考えられる。

登別泥熔岩の語は従来慣用されているが, 岩質からいえば Welded tuff に相当する。

II.9 洞爺浮石流(TP)

有珠火山南方山麓一帯に同火山の基盤をなしてみいだされ, 長流川左岸に連続して広い面積を占め, また洞爺湖北西方一帯に平坦な高原をなして分布している。 本層はその分布・岩質およびそのなかに包含している岩石の種類等から, 洞爺カルデラ陷没に先立つ噴出物と考えられ, 数回以上に亘り噴出し, 少なくとも初期のものは水底に堆積し, 最後には巨大岩塊を含んで大規模に押出したものである。

II.9.1 有珠火山南方山麓一帯に分布する地層

昭和新山以南の長流川左右両岸には, 10~40 m の断崖を形成して洞爺浮石流がよく露出しており, この附近では上下2層に明瞭に分けられる。 上長流駅北方の崖で観察すると, 下部層には微かな層理が窺われ, その上位に僅かの不整合を示して上部層が載っており, さらにその上位にローム層を隔てて, 有珠火山外輪山熔岩が載っている。

下部層は全体が一様に淡紅色を呈し, 塊状で節理を欠き, 一般には層理を示さない。 米粒大ないし粟粒大(まれに小豆大)の安山岩角礫および浮石等が 火山灰とともに凝結した軽く粗鬆な岩石からなり, しばしば断崖を形成して露出しているが, 軟弱な岩石でハンマーで叩くと容易に崩れてサラサラした砂となる。

上部層は塊状で層理を欠き, 淡紅色の火山灰中に胡桃大以下の各種岩石および浮石等の角礫を多量に含み, 岩石と浮石とはほゞ等量である。 断崖を形成するが, 下部層に比較して崩れ易い。 本層中には一般に人頭大以下, 時には四斗樽大ないし小牛大にも達する巨大な岩塊が, 大小雑然と含まれており, 場合によってはこのような巨大な岩塊が多数並列して, あたかも巨礫層のような観を呈するが, この場合浮石流との境界は漸移している。 火山灰中に含まれた角礫を検すると, 安山岩が圧倒的に多く各種のものがみられ, 他に斜長流紋岩・斜長流紋岩質凝灰角礫岩・緑色凝灰岩, まれには黒曜石・石英閃緑岩(?)等がみいだされる。

しかし これよりさらに南方の室蘭本線長流駅西方の崖(図幅地域外)で観察すると, 上記の下部層が最下位にあるのではなく, 下部層と同じ岩質の地層が大豆大以下, 胡桃大以下または拳大以下等の種々の粒度の 安山岩角礫および浮石を含んだ諸種の火山灰層とともに, 比較的明瞭な境界を示して, 不規則に数層重なっており, それらの各層には著しい偽層が見られることがあり, またそれらの境界には水磨された円礫が点々と含まれることもある。 しかし前記の上部層と同じ地層, すなわち巨大岩塊を含んだ火山灰層は常に最上位にある。 室蘭本線有珠駅附近および善光寺北西方に分布するものは, 含有される浮石の粒度が大きく大豆大ないし鶏卵大で, まれには拳大に達する。 虻田駅より洞爺湖温泉町に通ずる道路際, および有珠火山西方山麓に露出するものは, いずれも前記の下部層と同様の岩相を示し, 前者にはかすかな偽層がみられる。 浮石は径 1~2 mm 以下, 安山岩角礫は径 1.5 mm 以下である。 各露頭ではその上位にローム層および灰黒色火山灰層が載っている。

長流川左岸に広く分布するものは, 現世火山噴出物によって厚く覆われ, 河岸以外にはほとんど露出していない。 巨大な岩塊を伴なうものは見られないが, 種々の粒度の浮石および安山岩角礫を含んでいる。

II.9.2 洞爺湖北西方一帯に分布する地層

図幅地域北西隅の貫気別川沿岸に洞爺浮石流はよく露出しており, 土場層の上位に前記の下部層と同様の岩相のものが載っている。 浮石および安山岩角礫はやゝ大きく, 小豆大以下でまれには大豆大に及ぶ。 土場層と洞爺浮石流とはかすかな不整合を示し, 洞爺浮石流の基底部の約 3 m 間は偽層を示し, 特に不整合面に近いほど著しく, 上位に向い次第に消失する。

洞爺町から北方の台地へ登る道路際には, 高さ 10 数 m の崖が連続し, 前記の上部層に似た岩質のものが露出しており, このなかに拳大以下の各種岩塊が含まれている。 この上位には厚さ約 10 m の褐色ローム層, および厚さ数 m の黒色火山灰層等が載っていて, 台地上は広漠とした農耕地となっている。

また洞爺町から西方へ台地へ登る道路際には, 前記の下部層および上部層にそれぞれ似た岩質の地層が露われているが, 両者の接触部を示す露出はない。 前者中の安山岩角礫および浮石は小豆大以下であるが, まれに胡桃大に及んでいる。

II.10 中島火山群

中島火山群は中島にある7個の熔岩円頂丘, 観音島・辨天島および饅頭島を造る3個の熔岩円頂丘, および中島の北東岬の沖約 1.2 km にある暗礁を造る熔岩円頂丘, の合計 11 個の熔岩円頂丘の集合からなり, 洞爺カルデラの生成後その中央火口丘として出現したものである。 地形の項で述べたように, これら円頂丘の分布には明らかに規則性があり, 地下に構造線の存在することを示している。

これら諸熔岩円頂丘を構成する岩石は, 主として普通輝石含有紫蘇輝石角閃石安山岩からなり, 辨天島および饅頭島のみは石英含有両輝石角閃石安山岩からなる。 両岩種とも, 各熔岩円頂丘により外観に多少の相違がみられるが, 鏡下の性質はほぼ同様である。

II.10.1 辨天島熔岩(石英含有両輝石角閃石安山岩)(NB)

この岩石は緻密で斑状組織が認められ, 灰青黒色の石基中に, 斜長石の長さ 1~4 mm の大小種々の斑晶が顕著に散在しており, 径 1.5 mm 以下の石英斑晶がまれにみいだされ, また有色鉱物斑晶は著しくなく, 長さ 1~1.5 mm の細長い緑黒色斑晶が点々と認められる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石・普通輝石・角閃石および石英からなり, 有色鉱物中角閃石が最も多く, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石はおおむね曹灰長石に属し, 柱状のものが多いが破片状のものもみられ, 結晶の中核から外方へ著しい波動累帯構造を有する。 一般に清純であるが, まれに著しく塵状包有物に富むものがある。 紫蘇輝石は柱状で, 淡黄緑色ないし淡緑色を示し多色性は弱い。 普通輝石は柱状で淡緑色を呈し, (100) 双晶がしばしば認められ, なお聚片双晶をなすものがある。 両輝石はともに包有物に乏しい。 角閃石は著しくオパサイト化されているが角閃石の結晶外形を留めている。 石英は著しく融蝕されて円くなり, 清透で割目が発達している。 他にやゝ粗粒の磁鉄鉱が散在している。 なお饅頭島の熔岩中に橄欖石がみいだされたが, おそらく捕獲結晶であろう。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物はきわめて微細で, 短冊状または柝木状の斜長石, 柱状または針状の単斜・斜方両輝石および不定形の磁鉄鉱等からなる。

II.10.2 中島熔岩(普通輝石含有紫蘇輝石角閃石安山岩)(NN)

この岩石は全体として灰青黒色を示し緻密な岩石で, 斑状組織が認められるが斑晶は比較的少なく, 長さ 1~3 mm の斜長石の白色斑晶と, 長さ 1~4 mm の角閃石の細長い黒色斑晶とが顕著に散在しており, 紫蘇輝石斑晶もみいだされる。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および角閃石からなり, 普通輝石を伴なっている。 有色鉱物中角閃石が最も多い。 斜長石はおおむね曹灰長石に属し, 柱状のものが多いが, まれに卓状または破片状のものもみいだされ, おおむね清純であるが, しばしば輝石・磁鉄鉱および緑泥石等の微粒を多量に含み, あるいはこれらが結晶の外縁に平行な累帯をなすことがある。 一般に結晶の中核から外方へ著しい波動累帯構造を示しており, またまれに歪を受けたものがある。 角閃石はいわゆる緑色角閃石に属するものが多いが, 時には褐色角閃石であり, または全くオパサイト化され, 結晶外形のみを留めている。 緑色角閃石の場合は常に黒色縁により包囲されており, 褐色角閃石の場合はオパサイト化作用がさらに著しくなり, ほとんどまたは全くオパサイト化されたものと共存している。 角閃石は柱状または長柱状をなし, しばしば双晶を示している。 まれに紫蘇輝石を交代して角閃石が生成している現象が認められる。 紫蘇輝石は柱状をなし, 淡黄緑色ないし淡緑色を示し多色性は弱い。 普通輝石は柱状で淡緑色を示し, 両輝石はともに包有物に乏しい。

石基は毛氈状組織を示し, 構成鉱物はきわめて微細で, 短冊状または柝木状の斜長石, 柱状または針状の単斜・斜方両輝石, および粒状の磁鉄鉱等からなる。

中島の北東岬から N 25°E 方向約 1.2 km 沖にある暗礁は, その頂面が湖面下 2.3 m にあって N 25°W 方向に長く, 15 m×80 m の広さである。 これを構成する岩石は文献 6) によると次の通りである。 この熔岩は灰白色, 多孔質で, 両輝石角閃石安山岩である。 斑晶は全量の 40 % を占め, 斜長石がすこぶる多く, 長さ 15 mm に達するものがある。 角閃石は全量の 3 % を占め, 輝石は全量の約 1 % で, そのうち斜方輝石の方が単斜輝石よりも多い。 なお磁鉄鉱は全量の 1 % あり, また石英が少量存在し径 1 mm に達するものがある。 石基は微珪長質で短冊状の斜長石に富み, 少量のガラスがみられるという。

II.11 更新統

この図幅地域内でみられる更新統には, ローム層・湖成層・河岸段丘堆積層および海岸段丘堆積層がある

II.11.1 ローム層(1)

ローム層は本地域全般に亘ってみいだされ, それらの生成時期は必ずしも同じではないが, 図幅地域南西隅の虻田町附近に分布するものが特に厚いので, 地質図上にはこれのみを記載してある。 このローム層は少なくとも 10 数 m の厚さがあり, 黄褐色粘土質ロームからなる。 洞爺浮石流の上位にあって, かつ黒色火山灰によって覆われている。 海岸に面しおおむね 3~5 m の崖を連ねて, 海浜砂礫層に接している。

II.11.2 湖成層(ld)

洞爺湖周辺の陸地には, 湖成層と考えられる地層が分布しており, 洞爺湖北西岸の洞爺町附近において最も著しく, その最高位は海抜 140 m を示している。 本層は全体として種々の粒度の砂または小礫からなり, これらはよく淘汰されていて, 整然とした水平の層理を示している。 本層は崖錐・河川堆積物および現世火山噴出物等により覆われ, あるいは農耕地となっているため露出は広くないが, 河岸等の崖でよく見られる。 前述のように分布の最高位は海抜 140 m 附近にあり, 下位の諸地層を覆っているが, 地質図上では作図の都合上, 比較的分布が広い部分のみを示してある。

II.11.3 河岸段丘堆積層(rd)

長流川に沿い図幅地域東縁から壮暼村柳原附近までの河岸一帯に, 細長く河岸段丘堆積層が発達している。 長流川はこの堆積層を深く刻んで流れ, 特に久保内駅附近においては著しく, 深さ 10~20 m の峡谷をなし, また同駅北方では2~3段の段丘地形が顕著である。 この堆積層は灰褐色で, 細粒ないし中粒の砂からなり, 整然とした水平の層理を示し, そのなかに胡桃大以下の礫または粗粒砂が, 厚さ 10 cm 以下のレンズをなして多く挾まれている。

この堆積層の野外で確認しうる最高の露頭位置は, 久保内駅北方山地で海抜 200 m 附近, 壮暼駅南方山地で海抜 90 m 附近であるが, この堆積層中には粘土層が全く見られないので, 緩慢な動水中で堆積したものと思われる。 そして比較的大きな礫が現今の河面に近い低い段丘上に認められるので, 地盤の上昇にしたがい流水の速度が大となったのであろう。

II.11.4 海岸段丘堆積層(cd)

海岸段丘堆積層は, 有珠駅附近の鉄道に沿って小規模に5ヵ所, また虻田駅西方に1ヵ所みいだされる。

伊達町有珠善光寺附近でみられる本層は, 海岸に沿った国道際に露出しており, その最高位置は現在の海面より 4.5~8 m 高い。 本層は主としてよく水磨された人頭大ないし鶏卵大の円礫からなり, 厚さ 1~2 m の黄褐色粘土質細砂を1層挾んでいる。 この堆積層の上位には, 厚さ 0.5~2 m の灰黒色火山灰層が載っていて, さらにその上位には, 有珠火山輝石安山岩質泥流に由来する小牛大以下の安山岩の岩塊がある。 この火山灰層の下部には, 先住民の遺棄した貝殼が多量に含まれており, この貝殻は Pecten, Ostrea, Tapes 等を主とし, 第2次大戦中海岸の埋立工事のため貝殼層を切崩した際 そのなかから多数の土器・獣骨等が発掘されたという。 砂礫層の下位の地層はほとんど露出していないが, たゞ1ヵ所の露頭では安山岩塊の集積がみいだされ, この岩塊は多孔質で赤褐色を呈し, 粗鬆で人頭大以下の大きさである。 これは有珠火山輝石安山岩質泥流とは外観が全く異なっており, 本砂礫層の堆積以前にも小規模の泥流があったものと考えられる。 これと同じ岩質のものは, 善光寺北東方の鉄道線路の切割でも認められるが, その分布は小区域に限られているらしく, 地質図上には特に記載していない。 なお前記の貝殼層と同様のものは, 有珠駅南西正面にある小丘上の畑中にもある。

有珠駅南東方のシネウシマ附近に分布するものは, 洞爺浮石流の上位にあると考えられ, 厚さ 5 m あり, 人頭大以下の円礫からなる。 これからさらに南東東の 30.16 m 高地附近にあるもの, および有珠駅前にあるもの等は, 拳大ないし鶏卵大の礫が多い。

虻田駅西方の国道際に分布するものは, 道路に沿い 10 数 m の間に露われ, 高さは少なくとも 4 m あり, ローム層の下位にみいだされる。 中粒ないし粗粒の砂の互層からなり, 整然とした水平の層理を示し, そのなかに胡桃大ないし小豆大の円礫を含んだ砂礫層をしばしば挾み, 最上位の約 1 m は人頭大以下の円礫層からなる。

II.12 有珠火山

この火山は洞爺湖と噴火湾との間に位置し, 洞爺カルデラおよび中島火山群の生成以後に, 月浦より洞爺湖温泉町に至る構造線, 東湖畔から西湖畔に走る構造線, あるいはまた長流川に沿う構造線等の交会点に噴起したもので, 洞爺浮石流およびローム層を基盤としている。 活動の初期にはまず成層火山である西山が形成され, やゝ間をおいて活動の中心が東方に移り, 現今の外輪山が形成された。 外輪山は成層火山でよく形の整った截頭円錐形をなし, 頂部にはカルデラを戴き, そのなかに大有珠・小有珠およびオガリ山の3中央火口丘があり, 東方山麓には寄生火口丘である昭和新山がある。 西山および外輪山熔岩は両輝石安山岩で, まれに橄欖石を含み SiO2 : 52~53 % である。 3中央火口丘および寄生火口丘熔岩は岩石が互に酷似し, いずれも紫蘇輝石石英安山岩からなり, SiO2 : 68~71 % であって著しく酸性である。 したがってこの岩石は斑晶石英を欠くが, 石英安山岩と称すべきである。 また山麓には 金毘羅山・四十三山・東丸山・松本山・通称山下ノ山・通称貯金山等の 潜在円頂丘が環状に位置している。 南方山麓一帯には, 輝石安山岩質泥流および石英安山岩質泥流が広範囲を占めて分布しており, 前者の大部分はおそらく山頂のカルデラ生成の際のもので, 後者は文政年間の火山活動に基づくものである。

第 3 表 有珠火山熔岩の化学成分

外輪山熔岩 外輪山熔岩 大有珠熔岩 小有珠熔岩 昭和新山熔岩
SiO2 51.88 % 53.46 % 68.26 % 71.25 % 69.74 %
Al2O3 21.53 18.99 15.77 13.21 15.59
Fe2O3 2.45 2.75 1.91 3.19 1.52
FeO 6.36 6.74 2.15 1.96 2.59
MgO 2.08 3.82 0.99 0.84 0.85
CaO 11.09 9.79 4.37 3.10 3.63
Na2O 3.12 2.47 3.83 4.02 3.43
K2O 1.56 0.48 1.29 1.15 1.36
H2O+ 0.17 0.33 0.51 0.50 0.67
H2O- 0.20 0.25 0.23
TiO2 n.d. 1.06 0.36 0.43 0.45
P2O5 n.d. 0.32 0.18 0.46 0.22
MnO 0.20 0.22 0.31 0.27 0.08
Total 100.44 100.63 99.93 100.63 100.63
Anal. 北海道大学 八木健三 地質調査所 八木健三 八木健三

II.12.1 西山熔岩(両輝石安山岩時に橄欖石を伴なう)(UN)

この岩石は斑状組織を示し, 灰青黒色の石基中に長さ 1~2 mm の斜長石の白色斑晶が散在しており, 有色鉱物斑晶は肉眼ではほとんどみいだされない。 まれに一方向に伸長した薄い孔隙に富み, 流状構造を示すことがある。

鏡下では斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石は斜長石に比較して著しく少量, かつ小形で, 時に橄欖石がみいだされる。 斜長石は灰曹長石に属し, 柱状を示し, 清純で一般に包有物に乏しいが, しばしばガラスを多量に含むものがあり, 累帯構造は著しくない。 紫蘇輝石は柱状を示し, その周縁は単斜輝石の微粒からなる反応縁で包まれている。 淡黄緑色ないし淡緑色で多色性に乏しい。 普通輝石は柱状を呈し淡緑色で, (100) 双晶が認められる。 両輝石はともに包有物に乏しい。

石基はガラス基流晶質で, 柝木状の斜長石, 柱状または粒状の単斜輝石からなり, 磁鉄鉱の微粒および少量のガラスを伴なっており, また流状構造が認められる。

II.12.2 外輪山熔岩(両輝石安山岩時に橄欖石を伴なう)(US)

外輪山熔岩は輝石安山岩質で, その外観は場所により多少の相違がみられるが, 一般に孔隙に富み斑状組織を示し, 深黒色または灰緑黒色の石基中に, 長さ 1~5 mm の斜長石の白色斑晶が密に, かつ著しく散在していて, まれに長さ 12 mm に達する大晶がみいだされることがあり, 有色鉱物斑晶は長さ 1.5 mm 以下で, 肉眼ではあまり顕著でない。

鏡下に検すると, どの場所のものでもおおむね同様で, 著しい差異は認められない。 斑晶は斜長石・紫蘇輝石および普通輝石からなり, 両輝石はほゞ等量である。 斜長石は灰曹長石に属し, 柱状まれに卓状を示し, 一般に清純であるが, 不定形のガラスを多く包有している。 累帯構造は著しくなく, 結晶の外縁に僅かに認められる。 紫蘇輝石は長柱状を示し, 淡褐色ないし淡緑色で多色性は著しく, 一般に単斜輝石の微粒からなる反応縁で包囲されていて, まれに貫入双晶を示す。 普通輝石は長柱状のものが多く, 淡緑色で, しばしば, (100) 双晶を示す。 両輝石はともに包有物に乏しい。 またまれに単斜輝石の反応縁で包まれた橄欖石がみいだされる。

石基は毛氈状組織を示し, やゝ粗粒の柝木状の斜長石, および柱状または粒状の単斜輝石からなり, また磁鉄鉱粒が一面に撒布されている。

この岩石中にみいだされる斜長石大晶は, 肉眼では白色半透明で劈開は完全である。 結晶の大部分は大体均質な亜灰長石(An 89~90)に属し, 最外部の薄層のみが斑晶斜長石とほゞ同じ組成の曹灰長石からなる。

第 4 表 亜灰長石の化学成分

SiO2 46.04
Al2O3 34.36
Fe2O3 0.88
FeO 0.00
MgO 0.05
CaO 17.92
Na2O 1.18
K2O 0.09
H2O- 0.20
TiO2 0.06
MnO 0.00
Total 100.78
(分析者 : 八木健三)

II.12.3 輝石安山岩質泥流(AM)

有珠火山南方山麓には, 海岸までの広い範囲を占めて輝石安山岩質泥流が分布しており, 5万分の1地形図においても明らかなように, 大小種々の堆積丘が連続して著しい起伏をみせ, 火山裾野の単調を破り, 独特の景観を示している。 この泥流は本火山爆裂の際に, 山体を構成する物質が破砕せられ, 熱水と混じて流動体となり山腹を奔下したもので, 特異な地形を示すことからその分布範囲を容易に窺いうる。 また海岸に近い区域では, そのなかに含まれた小屋大ないし小牛大程度の巨岩が, 堆積丘上に累々と露出している。 有珠港外の海面には巨岩が多数突出し, 海中には暗礁が多い。 これら巨岩はいずれも外輪山熔岩と同様の輝石安山岩からなる。 この泥流の分布は広くその量は莫大であり, おそらく有珠火山山頂の爆裂カルデラが生成した際の噴出物であろう。 有珠湾の地形は有珠善光寺創建以前, すなわち慶長年間以前に生じていたことは明らかであるが, 泥流生成の確実な時期については不明瞭である。

II.12.4 石英安山岩質泥流(文政泥流)(DM)

この泥流はカルデラ南方環壁から山麓の2潜在円頂丘, すなわち通称貯金山および通称山下ノ山附近に分布しており, なお一部は貯金山山体に当って方向を変じ, トコタン(有珠・虻田両駅の中間附近)にまで及んでいる。 この泥流の上面は起伏のないほゞ平坦な拡がりをみせ, 輝石安山岩質泥流との境界は地形によって窺いうる。 この泥流の分布範囲は, 人頭大以下の石英安山岩の転石が無数にあり, 輝石安山岩の岩塊は全然認めることができない。

この泥流は石英安山岩質であり, したがって山頂のカルデラ生成以後の流出であることは明らかである。 またその分布から考えると, 有珠善光寺の裏山まで押してきて, 海面に達したという文政泥流の記録とよく一致するので, この泥流は文政泥流に相当するものであろう。

II.12.5 火口原堆積層(ad)

カルデラ内の南部と北部に比較的広い火口原が発達しており, 灌木や雑草等が繁茂し, 牧場として利用されている。 南部火口原にはかって茶沼および金沼があったが, 現在は前者は涸れ後者が残っている。 北部火口原には銀沼があったが, 明治 43 年の噴火直前に涸れた。 火口原堆積層は現在厚い表土で被覆されているが, 大有珠南方にある大有珠生成に伴なう本層の隆起部で観察すると, 火山角礫・火山砂・火山灰および浮石等によって構成されている。 同様の事実が小有珠南側山麓およびオガリ山でもみられる。

II.12.6 中央火口丘熔岩(紫蘇輝石石英安山岩)(UG・UK・UO)

大有珠熔岩・小有珠熔岩およびオガリ山熔岩は, 外観および鏡下の性質において著しく酷似しており, 差異をみいだすのが困難であるから一括して述べる。

これら岩石は全般がほとんど一様に灰青色を呈し, そのうちに長さ 0.7~3 mm の斜長石の白色斑晶が散在しており, 斜長石に比較すれば有色鉱物は遙かに少なく, 肉眼では長さ 1~2 mm の黒色斑晶が点々として見られるのみである。

鏡下では斑晶は斜長石および紫蘇輝石からなる。 斜長石は中性長石に属し, 柱状を呈し, 清純で包有物は少ないが, まれに輝石・ガラスまたは磁鉄鉱の微粒を含んでいる。 一般に累帯構造は著しくないが, しばしば結晶の中核から外方へ顕著な累帯構造が見られる。 紫蘇輝石は長柱状を呈し, 淡黄緑色ないし淡緑色で, 多色性が見られ包有物は少ない。 なお微斑晶として不定形の磁鉄鉱が点在している。

また, まれに角閃石や著しく融蝕を受けた石英の微斑晶がみいだされることがある。

石基は毛氈状で, 短冊状または柝木状の斜長石, 細長い柱状または針状の紫蘇輝石および不定形の磁鉄鉱等からなり, その間を覆瓦状の方珪石がうずめている。

II.12.7 昭和新山熔岩(紫蘇輝石石英安山岩)(SS)

この岩石は全体が灰青色を示し, そのなかに長さ 1 mm 内外の斜長石の白色斑晶がまばらに散在しており, 有色鉱物斑晶は顕著ではなく, まれに長さ 1 mm 内外の黒色斑晶が認められる。

鏡下では斑晶は斜長石および紫蘇輝石からなる。 斜長石は中性長石に属し, 柱状で包有物に乏しい。 累帯構造は一般に著しく, 波動累帯構造もまれではない。 紫蘇輝石は柱状を呈し, 淡黄緑色ないし淡緑色を示し多色性がみられる。 しばしば斜長石・紫蘇輝石および磁鉄鉱等からなる聚斑状集合がみられる。

石基は毛氈状で, 柝木状または短冊状の斜長石, 柱状または針状の紫蘇輝石および微小の磁鉄鉱等からなり, それらの間を覆瓦状の方珪石がうずめている。 なお文献 24) によると石英およびアノーソクレースをも含むという。

II.13 現世統

図幅地域内の現世統としては, 洞爺湖南岸に分布する火山砂礫層, 河川流域・湖岸および海岸にみられる冲積層, および図幅地域全域に亘り分布する火山砕屑物層があるが, 火山砕屑物層は地質図上には示していない。

II.13.1 火山砕屑物層 24), 25)

有珠火山は現世において激烈な火山活動を繰返しており, また図幅地域北縁より北方約 28 km には, 当地方の最高峯(海抜 1,893 m)である後方羊蹄火山(蝦夷富士)があり, この火山も現世において活動した。 これら火山の噴出物はかなり厚く図幅地域内の広範囲に分布しているが, 地質図上には省略してある。 これら砕屑物の分布範囲を第 9 図に略示した。

第 9 図 現世火山砕屑物分布図(山田による 25)

有珠統 C 火山灰層 : 本層は有珠火山を基点として北方に広く分布している。 多少風化して黄褐色を帯びた浮石礫の集積からなり, 所によっては上部は風化してローム層となり, 腐植を含み, 黒色を呈している。 洞爺湖北西方の台地上の花和では, 53cm, 二ノ原(図幅地域外)では 230 cm の厚さを有する。

有珠統 B 火山灰層 : 本層は有珠火山を起点として東方に細長く分布している。 風化されていないきわめて新鮮な感のある乳白色の浮石礫の集積からなり, しばしば石英安山岩の角礫を混じており, 腐植は含まれていない。 厚さは下達観内では 204 cm, 関内では 25 cm, 下久保内では 28 cm, 幌別硫黄鉱山(図幅地域外)では 136 cm である。

有珠統 A 火山灰層 : ほとんど図幅地域に亘って分布し, 灰黒色の火山灰からなる。 有珠火山北麓では最も厚く, 10 余 m に達する箇所があり, ここでは火山砂礫を混えているが, 一般に 1~2 m で, 図幅地域北縁では 20~40 cm である。 この層中にはしばしば多少の腐植を含んでいるが, 火山灰の外観はいずれも酷似しているので, 1層として取扱った。 一般に層理を示さないが, 有珠火山の西方の虻田町泉附近で観察すると, 本層が起伏のある褐色ローム層の上位に, 著しい偽層を示して載っており, これはおそらく海浜の堆積物であろうと考えられる。

羊蹄統火山灰層 : 図幅地域北縁部に分布しており, 厚さ 10~30 cm の黒色土壌, および厚さ 10~50 cm の褐色ローム層の下位にみいだされる。 うずら豆大以下の黒色・褐黄色または灰褐色の火山砂礫と 淡褐色浮石との混合した堆積層で, 厚さは少なくとも 1.5 m ある。

II.13.2 火山砂礫層(v)

有珠火山の洞爺湖に面した山麓に緩斜面をなして分布し, 明治 43 年および昭和 18~20 年の活動の際の噴出物であって, 主として火山砂礫からなる。

II.13.3 冲積層(a)

長流川・ポロベツ川・貫気別川等の諸河川の流域, 洞爺湖岸, 海岸の低地にみられ砂・礫・粘土からなる。

III. 応用地質

昭和 28 年夏野外調査当時, 図幅地域内で稼行中の鉱山は 虻田鉱山(褐鉄鉱・硫化鉄鉱)・ 仲洞爺鉱山(褐鉄鉱)・ 伊達鉱山(金・銀・銅)・ 釜谷鉱山(硫化鉄鉱・褐鉄鉱)・ 洞爺財田鉱山(金・銀・銅・亜鉛・石膏) および伊沢鉱山(蠟石)等で, ほかに探鉱中または休山中の小規模の鉱山が4ヵ所あった。

III.1 虻田鉱山(褐鉄鉱および硫化鉄鉱)

位置および交通 : 虻田郡虻田町三豊にある。 鉱床は室蘭本線虻田駅の北東方 1.3 km 附近で, 虻田・月浦間を通ずる道路近くに賦存しており, 虻田駅から現場までトラックを通じうる。

沿革および現況 : この鉱山の褐鉄鉱床は明治 25 年頃発見され, その後鉱業権者は転々として変わり, 断続して稼行されていた。 昭和 15 年現鉱業権者日鉄鉱業株式会社の所有となり採掘されたが, 昭和 22 年より休山した。 この鉱山は往時から著名で, 褐鉄鉱体はほとんどすべて採掘されており, 鉱体中を貫通している発電用水路を保護するため, 採掘不能の部分のみが残っている。 昭和 26 年より探鉱を再開し電気探鉱および試錐を施行したところ, 褐鉄鉱体の下位に硫化鉱体が賦存することが判明したので, 試錐により鉱体の大きさを確定し, また坑道を掘進する等開発準備中である。 従業員は職員 1 名, 労務者 18 名である。

第 10 図 虻田鉱山鉱床分布図

地質および鉱床 : この区域は海岸に面し, 海抜 50~200 m の丘陵をなし, 鉱床の基盤は幌萠火山熔岩(輝石安山岩)である。 赤川(褐鉄鉱床を貫通する川)沿岸には狭長な台地が発達しており, この台地は砂・礫・粘土の不規則な互層からなる。 このなかに褐鉄鉱層が2~3層挾まれているが, 既述のようにそのほとんどが大部分は採掘ずみである。

硫化鉱体の規模は 試錐によって確かめられた範囲内では, 扁平な1枚の鉱層状をなし褐鉄鉱体の下盤に直接接し, あるいは厚さ 15 m 以下の火山灰層を隔てて賦存している。 長さは約 600 m に達し, 幅は一定しないがおおむね 130 m 以下であり, 厚さは 5~15 m で最大 20 m である。 硫化鉱体の下位には, 10~25 m の火山灰層を隔てて幌萠火山熔岩がある。 この火山灰層は著しく粘土化しており, あるいは他種の岩石の変成物かも知れないが, 明確ではない。

鉱石は白鉄鉱で金属光沢を呈し, 真鍮黄色で比重が大である。

III.2 仲洞爺鉱山(褐鉄鉱)

位置および交通 : 有珠郡壯暼村仲洞爺にある。 鉱床は仲洞爺部落北端附近の湖岸から赤川(丸山の南東麓を流れる川)に沿い 約 865 m 上流までの狭長な範囲に賦存していて, 採鉱現場までトラックを通じうる。

沿革およひ現況 : 明治 33 年洞爺村洞爺の安籘市造・香川熊造両名が発見し, その後鉱業権者が転々と変わった。 現鉱業権者は日鉄鉱業株式会社で, 昭和 15 年 3 月試掘出願をなし, 昭和 26 年 6 月採掘鉱区に転願し現在に至っている。 職員 1 名および労務者 40 名を有し, 最近の産額は次の通りである。

精鉱量 t Fe %
昭和 23 1,010 -
〃 24 1,901 -
〃 25 1,528 -
〃 26 2,016 -
〃 27 3,697 51.41
〃 28 12,522 51.04

地形および地質 : 鉱床の基盤および附近の岩石は長流川累層の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層からなり, 一般に緩傾斜の地形を示すが, 所々珪化作用のため堅緻な岩石となっていて, 突兀とした地形を示す。 仲洞爺附近ではこれら山地を背後にして湖水に臨み, 台地が発達している。 この台地の最上部には厚さ 0~80 cm の黒色土壌があり, その下位に拳大(まれに人頭大)以下の玉石混りの褐色ローム層があり, このなかに褐鉄鉱層が挾まれている。 また鉱層の下位または上位に, 人頭大以下の各種火山岩塊が 褐鉄鉱の鉱染によって膠結した地層がみいだされることがある。

第 11 図 仲洞爺鉱山鉱床分布図

鉱床 : この鉱山の鉱床は1枚の褐鉄鉱層からなり, 赤川に沿い湖岸から約 865 m 上流までの狭長な範囲に延び, 幅は通常 60~90 m(最大 110 m)で, 厚さは一定せず鉱層中心線附近で 6~12 m(最大 17.25 m)であって, 両側にゆくほど薄くなっていて, 鉱層は基盤の傾斜に随い緩く傾斜している。 鉱層を覆う表土の厚さは, 鉱層中央より上流部では通常 2~8 m(まれに 18 m), 下流部では 10~20 m(まれに 27 m)である。 調査当時鉱層中心線に沿い, 湖岸より東方 30 m までの範囲は採掘ずみであり, 上流部の東端より 45 m 西方までの範囲は, 採掘中または採掘準備中で, 両者の中間は未採掘であった。 鉱層は多少層理を示し, 夾みはほとんどないが, まれに厚さ 20 cm 以下のレンズ状の貧鉱を挾むことがある。 鉱石は孔隙に富み, 植物の集積の印痕に富み, まれに径 5 cm の樹幹がみいだされる。 良品位の鉱石は黒色, 緻密, 塊状でやゝ孔隙があり, 植物の印痕に乏しい。 採鉱は階段式露天掘による。

III.3 伊達鉱山(黒鉱)

位置および交通 : 有珠郡伊達町気門別にある。 鉱床は 30 個に近い多数の鉱体からなり, 気門別部落から東方一帯, すなわち気門別川に沿い町村界に至るまでの東西 2.8 km, 南北 1 km の範囲に分布していて, 山元から伊達紋別駅までトラックを通じうる。

沿革および現況 : 明治 26 年伊達町の村沢某が発見し探鉱した。 その後秋田某が鉱業権を設定し探鉱したが, 昭和 7 年伊達町の田所篤三郎がこれを買収し探鉱した結果, 次第に有望鉱体を発見するに至った。 昭和 16 年三菱鉱業株式会社と採鉱・探鉱契約を結び, 同社に経営を委託したが, 昭和 22 年に解約し, 爾来田所篤三郎が経営に当っていて, 昭和 26 年から別子鉱業株式会社と共同名義になっている。

現在は職員 4 名および鉱員 16 名がおり, 鉱石はトラックで伊達紋別駅に搬出し, さらに国富鉱山に送っている。 最近の産額は次の通りである。

粗鉱量 t 精鉱量 t Au gr/t Ag gr/t Cu % Pb % Zn % S %
昭和 24 5,058 2,550 6.8 62 1.42 - - 30
113 54 6.0 760 - 22 19 -
昭和 25 1,250 756 6.0 30 0.80 - - 34
130 92 6.0 30 5.56 - - -
600 400 - - - - - 30
昭和 26 1,800 920 3.0 30 3.50 - - -
30 15 - 200 - 4 8 -
昭和 27 1,200 - - - 2.00 - - -
- 420 - - 4.50 - - -
1,500 - - - - - - 20
- 770 - - - - - 35
昭和 28 429 143 - - 6.1 - - -

地形および地質 : 鉱山附近は壮年期の地形を示し, 谷は深く両崖は急である。 最下位の岩石は石英安山岩で気門別川に沿って露われ, 鉱床の近くでは変質作用のため粘土化し, 凝灰岩あるいは凝灰角礫岩と区別し難い外観を示す。 この上に長流川累層の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層が載っており, これは凝灰角礫岩および凝灰岩の重畳した地層で, そのなかに斜長流紋岩熔岩が多数挾まれていて, 地質図上でそれらを区分するのは困難である。 凝灰角礫岩中の角礫は人頭大ないし拳大で, 変朽安山岩・石英安山岩および斜長流紋岩からなり, 凝灰岩は少なく, ほゞ水平の層理を示す。 この岩層は鉱床の附近では粘土化していて, 本鉱山の鉱床は主としてこの岩層中にみいだされる。 この上に志門気層が載っていて, 主として安山岩質の火山角礫岩・凝灰質砂岩および頁岩からなり, 気門別川右岸の各沢の上流にみられる。 さらにその上には志門気火山熔岩に属する安山岩質凝灰角礫岩および熔岩が載り, 最上部には有珠火山の噴出物である浮石層がみいだされる。

この区域には地質構造を支配する大きな断層は認められないが, 小規模のものは通洞坑内数ヵ所で確かめられる。 これらはすべて東西性の走向で南方に急斜または直立している。 これは鉱体の分布・形態および変質帯の方向等に密接な関係がある。

第 12 図 伊達鉱山鉱床分布図

鉱床 [ 以下の [注] 参照 ] : 鉱床は全体としてみれば黒鉱鉱床であるが, 性質を異にする種々の小鉱体群からなっている。 この鉱体群はいずれも 石英安山岩・斜長流紋岩質凝灰角礫岩・凝灰岩等のなかにこれらを交代し, あるいは裂罅に沿って生成したものである。

[注]
本項の記述は石橋正夫の北海道伊達鉱山調査報告(未印刷)による。

また鉱体群は気門別川上流の流域, 特にその北岸に沿い ほゞ東西(N 70~80°E)に走る狭長な鉱化帯(粘土化帯)中に, 連珠状をなして配列しているが, 多数の鉱体中, 典型的な黒鉱鉱床は小規模で, 黄鉱からなる鉱床が最も著しく発達している。 大部分のものは鉱染状, 網状あるいは角礫状の石英質の鉱床であり, このような性質の鉱床の形態は塊状より脉状に移化し, 一部には単純な石英脉も存在する。 このような鉱床の1つにテルル金銀鉱に富む石英脉がある。

鉱床の性質の差異は, 母岩の原性質および粘土化の程度に関係がある。 すなわち 石英安山岩中のものは鉱脉状で, 鉱石は縞状あるいは角礫状構造を示し, 凝灰角礫岩中のものは鉱脉状ないしレンズ状をなし, 網状ないし角礫状構造を呈する。 凝灰岩中のものは塊状をなし, 角礫状ないし緻密粒状構造を示す。

鉱床は地理的に次のように分けられる。

朝日鉱床群(気門別川上流)
通洞鉱床群(事務所附近)
大曲沢鉱床群(大曲沢)
黄金沢鉱床群(黄金沢・銅ノ沢・山神ノ沢)

朝日鉱床群 : 事務所西方 1~2 km の間の気門別川流域に点在する約 16 の鉱床からなる。 粘土化した石英安山岩を母岩とする 縞状石英脉(幅 30~100 cm)が大部分であるが, まれに鉱脉状の珪化角礫鉱床および塊状の珪質交代鉱床がある。 鉱石は石英を主とし, 金・銀および硫化鉱を伴なう。 特に角礫状のものは膠結部に硫化物が多量に共存する。 いずれの鉱床も規模が小さく, 品位の変化が著しい。

通洞鉱床群 : 粘土化した凝灰角礫岩および凝灰岩中に胚胎する塊状ないし鉱筒状鉱床で, 鉱石は緻密, 塊状および角礫状構造をなす。 通洞第1・第2・第3鉱床は黄鉄鉱鉱床で, 布袋鉱床は典型的な黒鉱鉱床である。 前3者はほゞ同性質のもので, 鉱床周辺は著しく粘土化し, 鉱床中心部は角礫構造を呈し, 多少黄鉄鉱の鉱染した珪化母岩の角礫状岩片が, 硫化物に富む珪質または粘土質物質で膠結されたものからなる。

特に第1鉱床では, 角礫の間隙がしばしば空隙のまゝ残存するか, あるいは粉状硫化鉱(主として黄鉄鉱)の集合で充塡されているか, または繊維状黄鉄鉱の皮殻累層によって被覆され, 輪状鉱を形成しているかである。 鉱床周縁部は黄鉄鉱を伴なう石英の網状細脉によって貫ぬかれた網状帯に移る。 布袋鉱床は凝灰岩の粘土化した部分に方鉛鉱・閃亜鉛鉱および黄鉄鉱が, 鉱染ないし交代して形成された塊状の鉱床である。 これら塊状鉱床のほかに黄鉄鉱の鉱染した粘土𨫤として, 前𨫤および北𨫤等がある。 幅数 10~数 m で走向はいずれも N 70~80°E である。

大曲沢鉱床群 : 第 24・第 25 および第 26 号の3鉱床がある。 いずれも通洞鉱床群のものと同性質の黄鉱鉱床で, 鉱床は粘土化した凝灰角礫岩を母岩とし, 珪質の角礫状構造を示す鉱石を産するレンズ状ないし脉状の鉱床である。 第 24 号鉱床はほぼ東西に延長するレンズ状をなし, その西方延長は通洞第3鉱床に連なり, 東方延長上には第 23 号鉱床の黒鉱鉱床が賦存する。 第 25 号鉱床は母岩の角礫を含む幅約 40 cm の粘土脉で, 黄鉄鉱のほかに四面銅鉱を伴なう。 第 26 号鉱床は東西性の脉状の珪質黄鉄鉱鉱床で, 黄鉄鉱および四面銅鉱を伴なう。 この西方延長上には通洞第1, 第2および布袋鉱床があり, 東方延長上に第 21 および第 22 号のテルル金銀脉がある。

黄金沢鉱床群 : 山神ノ沢第 22 および第 23 号, 本流黄金沢第 21 号, 銅ノ沢第 20 号の各鉱床があり, 粘土化した石英安山岩・凝灰角礫岩および凝灰岩中に, 東西性の鉱脉またはほゞ鉱脉状をなして賦存する。 銅ノ沢第 20 号鉱床は角礫状をなし, 珪化した母岩の岩片を黄鉄鉱およびルソン銅鉱が膠結している。 黄金沢第 21 号鉱床, 山神ノ沢第 22 号鉱床は同一鉱床で, 東西に延長する狭長な珪化帯中にある数~数 10 cm の膨縮の著しい石英脉であり, 両側に閃亜鉛鉱の銀黒あるいは「ニタリ」様の條線があり, 鉱脉内は糖晶状石英粒と少量微晶の黄鉄鉱およびテルル金銀鉱物からなる。 山神ノ沢第 23 号鉱床は粘土化した凝灰岩中に胚胎する塊状の黒鉱鉱床で, 粘土中に拳大ないし人頭大の亜鉛・鉛鉱を産する。

なお上記諸鉱床群のほかに 赤岩鉱床群(Zn : 0.7 % 程度の硫化粘土脉)・ 褐鉄鉱鉱床(風化による2次的堆積鉱床) および粘土鉱床(粘土化帯中の黄鉄鉱鉱染のない部分は耐火材として利用されている。 SK32)がある。

この鉱山の鉱床は次のような多種の鉱物を産する。 すなわち 自然金・自然銀・輝銅鉱・斑銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱・黄銅鉱・銅藍・輝安鉱・ 黄鉄鉱・ペッツ鉱・ヘッス鉱・クレネル鉱・四面銅鉱・硫砒銅鉱・ルソン銅鉱 およびマンドル鉱が知られている。

III.4 釜谷鉱山(硫化鉄鉱および褐鉄鉱)

位置および交通 : 有珠郡壮暼村久保内にある。 鉱床は胆振線久保内駅の北北東方 1.9 km の山地にあり, 久保内駅から採鉱現場までトラックを通じうる。

沿革および現況 : 昭和 15 年頃現鉱業権者釜谷実(壮暼村)が鉱業権を設定し, そのまゝ放置していたが, 昭和 19 年露頭部の露天掘を行い, 少量の鉱石を採掘した。 しかし鉱床本体の発見に至らず休山した。 昭和 23 年に硫化鉄鉱の鉱体を発見し, 翌年 4 月から採掘を始めた。 同 26 年 9 月坑道掘進中に褐鉄鉱の鉱体を発見し, 11 月以降出鉱している。 従業員は職員 2 名および労務者 60 名(運搬を除く)を有し, 最近の産額は次の通りである。

硫化鉄鉱(t) 褐鉄鉱(t)
昭和 25 12,500 -
〃 26 9,000 -
〃 27 17,000(平均 S : 46 %) 19,900(平均 Fe : 61~62 %)

地形および地質 : 鉱床の母岩は長流川累層の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層で, この附近に広く分布しており, その上には斜長流紋岩熔岩および倶知安別火山熔岩が載っている。 倶知安別火山熔岩は台地状に拡がっているが, 坑口附近は軟弱な岩石からなるため急傾斜である。

鉱床 [ 以下の [注] 参照 ] : この鉱山の鉱床は斜長流紋岩質凝灰角礫岩中に胚胎した, 硫化鉄鉱の交代鉱床であって, 坑内で観察すると鉱体の上盤に直ぐ接し, あるいは上盤から余り隔たらない所に斜長流紋岩熔岩がみられる。 既知鉱体は 6 個あり, 不規則な塊状でおおむね芋状であり, あるいは鶏卵状ないし扁平状を呈する。 規模は長軸の長さ 25~40 m, 最大の厚さ 5~10 m であって, 鉱体のうち少なくとも 5 個体はかすかに連続している。 硫化鉄鉱鉱体は一般に周縁部および割目に沿って酸化し, 褐鉄鉱体となっている場合が多い。 鉱体のほとんど全部が硫化鉄鉱で一部分褐鉄鉱化したもの, ほとんど全部褐鉄鉱で一部分硫化鉄鉱からなるもの, および全体が褐鉄鉱のみからなるもの等種々あり, 1つの鉱体において両鉱物が密雑することはほとんどない。 鉱体の周辺部では硫化鉄鉱が母岩である凝灰角礫岩の基質をみたし, 不規則な網状部を形成することが少なくない。 また鉱床の下盤は粘土化が著しい。

[注]
この項は小関幸治技官の記述(文献 26)によるところが多い。

硫化鉄鉱は一般に鉄黒色の塊鉱と粉鉱とに分けられるが, 塊鉱でも容易に風化して粉鉱となる。 塊鉱のうちには鉱化作用が不充分のために, 明瞭に原岩の組織を留めるものがある。 鉱石鉱物としては黄鉄鉱のみで, 銅・鉛・亜鉛等の鉱物および硫黄は認められない。 黄鉄鉱は緑泥石化した母岩中に一般に微粒状に包有され, その結晶形を認めることは困難であるが, 時としてやゝ顕晶質となり, 自形または半自形(径 0.1 mm 程度)を示すものがある。 褐鉄鉱は赤褐色, 粗鬆で塊状または粉状である。

III.5 洞爺財田鉱山(黒鉱および蠟石)

位置および交通 : 虻田郡洞爺村財田にある。 鉱床は財田部落からポロベツ川を約 4.5 km 遡り, 二本股を右に約 1.5 km 進んだ左岸, すなわち 441 m 高地の南南東方の河岸にある。 山元から二本股まで馬車を, それから以西はトラックを通じうる。

沿革および現況 : 大正 14 年日本鉱業株式会社が鉱業権を買収し, 大金鉱山の支山として開発に努め, 坑道延長約 2.5 km, 竪坑3本(20~60 m)を開鑿し, この間の日立鉱山への送鉱量は 5,000 t 以上と見なされる。 昭和 18 年金山企業整備により帝国鉱業開発株式会社に移譲され, 昭和 24 年さらに中村友之助が同会社から譲受けたものを, 現鉱業権者日本精鉱株式会社が譲受け, 昭和 26 年 10 月以降石膏を採掘し, 日本セメント株式会社上磯工場へ送っていたが, 27 年 1 月中止し, 2 月から蠟石を採掘し北海工業株式会社虻田製鋼所へ送っている。 労務者数名を有する。

地形および地質 : 鉱山附近は一般に壮年期地形を呈し, 右岸は硬い安山岩からなるため峻険な山容を示し, 左岸は斜長流紋岩質凝灰角礫岩と凝灰岩との互層からなり, 緩い傾斜を示すが, 南方の 629.6 m 高地附近は珪化された岩層からなり聳え立っている。 ポロベツ川は両岩の間を穿ちV字谷を形成している。 鉱床附近は長流川累層の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層が分布し, 凝灰角礫岩と凝灰岩との互層からなり, 鉱床の近くでは著しく粘土化していて, また部分的に明礬石化している。

鉱床 : この鉱山は黒鉱鉱床として往時から知られているが, 坑口はすべて崩壊し, 現在は鉱床の上部の変質した母岩から, 蠟石を露天掘で採掘している。 鉱石は白色, 堅硬, 緻密で SK 32~35 に達する。

この鉱山の黒鉱鉱床は文献 27)~29) によると次の通りである。 斜長流紋岩質凝灰角礫岩と凝灰岩との互層中に胚胎する3個の鉱体からなり, いずれも 径数 10 m に達する塊状の石膏鉱体の上部ならびに周囲を椀を伏せたような形に覆い, 緻密な黒鉱からなり, しばしば多量の粘土をみるが, 黄鉱または珪鉱はない。 鉱体の大きさおよび品位は次のようである

長軸 m 短軸 m 深さ m Au gr/t Ag gr/t Cu % Pb % Zn %
第1鉱塊 50 18 30 15 300 0.7 3.5 5.5
第2鉱塊 37 30 25 12 850 0.8 2.5 6.0
第3鉱塊 10 6 15 10 500 0.8 3.0 4.5

鉱石は主として閃亜鉛鉱および方鉛鉱の緻密な集合からなり, 往々重晶石を伴ない, 黄銅鉱および黄鉄鉱は常に少量存在するに過ぎないが, 金および銀の含有率は高く, 往時は金銀鉱として採掘されていた。 2次富化現象が著しく, 常に多少の銅藍・斑銅鉱および輝銅鉱を含む。 特に興味あるのは 黒鉱中に雄黄・鷄冠石・硫黄および輝安鉱等を随伴している事実である。

III.6 伊沢鉱山 [ 以下の [注] 参照 ] (蠟石)

[注]
本項の記述は種村光郎技官によるところが多い。

位置および交通 : 有珠郡壮暼村東湖畔にある。 鉱床は洞爺湖東岸の東湖畔部落の東方にある 606.4 m 高地の山頂近くに位置する。 運搬は採鉱現場より 250 m を簡易ケーブル, さらに 200 m を馬車により, それからはトラックを通じうる。

沿革および現況 : この鉱山は昭和 24 年 11 月から稼行を始め, 現在採鉱中の鉱体は 25 年 5 月から採掘を開始したものである。 鉱業権者は伊沢辰亮(有珠郡伊達町)で労務者 9 名を有する。

地質および鉱床 : 附近一帯の地質は長流川累層の斜長流紋岩質凝灰角礫岩層に属し, 凝灰角礫岩と凝灰岩との互層からなり, 鉱床はこれらの岩石が浅熱水作用を蒙り生成されたもので, その分布は東西 1 km, 南北 0.7 km に亘っているが, 不規則に原岩を残している所がある。 数ヵ所で探鉱されたが, 採掘可能の所は現在までの結果では2ヵ所である。 現在採掘中の場所では, 膨縮の著しい N 50°W 方向の脈状鉱体が3~4本みいだされ, 露天掘で採掘されており, 地表に近い部分が最も良質で, 深部ほど低品位になる傾向がある。

鉱石は白色・灰色または淡青色を呈し, 部分的に酸化鉄により褐色に汚染されているが, 堅緻で比重が大きく, 所々凝灰角礫岩の角礫状痕跡が認められ, 耐火度は SK 30 以下(最高 31)である。

構成鉱物はパイロフィライトを主成分とし, カオリナイト・ダイアスポアー(?)・明礬石および石英を随伴している。 パイロフィライトは 0.5~1.5 μ 程度の微晶である。

本鉱石の化学成分は次表に示すとおりである。 現在本鉱石は富士製鉄株式会社室蘭製鉄所で, 耐火煉瓦原料として月産 500 t 前後使用されている。

SiO2 70.44 %
Al2O3 24.67
Fe2O3 0.57
CaO 0.16
MgO tr.
Ig + loss 3.96
Total 99.80
(北海道工業試験所 分析)

III.7 その他の鉱山

金銀鉱 : 久保内駅北北西方約 800 m に白竜鉱山があり, 調査当時探鉱中であった。 鉱床は 斜長流紋岩および同岩質凝灰岩・凝灰角礫岩互層中に胚胎する 含金銀石英脈で, 黄銅鉱を伴なう。 1号𨫤および2号𨫤の2脉があり, 1号𨫤の平均𨫤幅は 1~1.2 m で走向 N 75~80°E を示し, 延長 35 m に達し, 2号𨫤の平均𨫤幅は約 30 cm で, 走向はおおむね N 20°E を示し, 2條の鉱脉からなるが総延長 100 m に及ぶ。 2号𨫤の品位は金 1 gr/t, 銀 30~40 gr/t および銅 2.0 % であって, 1号𨫤の品位はこれよりやゝ劣るという。

硫黄鉱 : 駒別川に沿い久保内駅北東東方 2.2 km に硫黄鉱山があり, 斜長流紋岩質凝灰角礫岩中の鉱染鉱床を昭和 28 年 4 月まで探鉱していたが, その後休山している。 坑道延長 55 m に達するという。

蠟石鉱 : 洞爺湖東岸一帯に分布している斜長流紋岩質凝灰角礫岩層中には, 蠟石鉱床が多数胚胎されているが, いずれも小規模である。 久保内駅北方 700 m にある鉱山は昭和 16~20 年露天掘で稼行し, 鉱石は SK 30~33 であったという。 駒別川下流で久保内駅の北東方 1.3 km にある鉱山は, 昭和 19~24 年露天掘で稼行し, 鉱石は SK 26 内外であったという。 また釜谷鉱山西側の沢および仲洞爺部落附近において新鉱床が発見され, 開発準備中であるが, SK 33~35 であるという。

III.8 石材

壯暼村の昭和新山屋根山の南側山麓において, 累々と露出している安山岩の岩塊を石材として採取している。 大きいものは1個約 1 t あり, 金棒と鶴嘴で1個づつ分離し, 簡易クレーンで1ヵ所に集め,ト ラックで壯暼駅まで運び, そこから苫小牧港修築工事現場へ送っている。 経営者は昭和新山石材工業所で労務者 25 名を有し, 日産最高 100 t, 平均 60 t である。

III.9 温泉

図幅地域内には次の2温泉がある。

洞爺湖温泉 : 有珠火山の北麓, 洞爺湖畔にあって, 風光の美をもって知られ, 北海道における著名温泉の1つである。 この地は明治 43 年の有珠火山活動以前は, 僅かの温泉徴候が見られるにとどまっていたが, 火山活動後は泉温が次第に高まり大正 8 年に温泉場を経営するに至り, 現在は旅館が 10 数軒ある。 弱食塩泉に属し, 泉温は 47~50°C であり, 無色, 澄明で硫化水素臭を有し, かすかに鹹味があり, 微弱アルカリ性反応を呈する。 皮膚病・リウマチ・神経痛・婦人病・外傷および胃腸病に効能があるという。

弁慶温泉 : 図幅地域東縁に近く壯暼村辨慶にある単純泉で, 辨慶川川底の斜長流紋岩質凝灰角礫岩中から湧出し, 泉温は約 80°C である。 神経痛・婦人病・リウマチスおよび皮膚病に効能があるといわれる。 胆振線久保内駅からバスが通じていて, 旅館が 1 軒ある。

文献

1) 加籘武夫 :
北海道有珠火山及び洞爺湖地質調査報文, 震災予防調査会報告,No. 65, 1909
2) 金子政利 :
昭和新山地形測量, 地質調査所報告,No. 136, 1950
3) 海洋気象台 :
洞爺湖観測報告, 海洋時報,Vol. 7, 1934
4) 原田準平・佐々木早苗 :
有史時代に於ける有珠火山の噴火活動概説, 火山,Vol. 2, 1935
5) 河野常吉 :
大有珠生成に就いて田中館理学博士に示す, 地学雑誌,Vol. 30, 1918
6) 田中館秀三 :
北海道の火山円頂丘, 地質学雑誌,Vol. 25, 1918
7) 岡本次郎 :
Morphological Note on the New Mountain,Shōwa-Shinzan,Usu Volcano, Hokkaido,Japan, Ann. Tohoku Geog. Ass.,Vol. 2,, 1949
8) 大森房吉 :
日本噴火誌, 震災予防調査会報告,No. 67,68, 1918
9) 田中館秀三 :
北海道有珠火山噴火資料, 齊籘報恩会時報,No. 39, 1930
10) 大森房吉 :
The Usu-San Eruption and Earthquake and Elevation Phenomena I ,II & III, Bull. Imp. Earthq. Inv. Com., Vol. 1,9, 1911,1920
11) 井上禧之助 :
明治43年度事業報告(6 有珠火山破裂実況調査), 地質調査所報告,No. 25, 1910
12) 佐籘伝蔵 :
有珠岳火山破裂調査概報, 地学雑誌,Vol. 22, 1910
13) 佐籘伝蔵 :
有珠岳火山破裂調査概報, 地質調査所報告,No. 22, 1910
14) 佐籘伝蔵 :
有珠岳火山破裂調査報文, 地質要報,Vol. 23, 1913
15) 小林房太郎 :
火山, 東京南光社, 1929
16) 福富孝治 :
有珠昭和新山の生成に就いて, 科学,No. 16, 1946
17) 石川俊夫 :
New Eruption of Usu Volcano,Hokkaidō,Japan during 1943~1945, Jour. Fac. Sci., Hokkaidō Univ., Ser. Ⅳ,Vol. 7,No. 7, 1950
18) 水上武 :
Recent Activities of Volcano Usu, Bull. Earthq Res. Inst.,Tokyō Univ., No. 25, 1947
19) 水上武・石川俊夫・八木健三 :
The 1944 Eruption of Volcano Usu in Hokkaidō,Japan, Bulletin Volcanologique,Ser. 2,Tome 11, 1951
20) 三松正夫 :
有珠火山の昭和活動, 趣味の地学,Vol..5,6, 1952,1953
21) 原田準平 :
本邦産火山岩中の灰長石に就きて, 火山,Vol. 2, 1936
22) 石川俊夫 :
Petrological Significance of Large Anorthite Crystals included in Some Pyroxene Andesites and Basalts in Japan, Journ. Fac. Sci., Hokkaidō Univ., Ser. 4,Vol. 7,No. 4, 1951
23) 八木健三 :
有珠火山昭和新山の岩石学的研究, 岩石砿物砿床学会誌,Vol. 33, 1949
24) 山田忍 :
北海道に於ける火山噴出物の分布に就いて, 北海道地質要報,No. 21, 1953
25) 長沼祐二郎・浦上啓太郎・富樫利八 :
北海道に於ける火山灰に関する調査(第2報), 中部胆振国に於ける火山灰の分布, 火山,Vol. 1, 1933
26) 小関幸治 :
北海道有珠郡釜谷鉱山硫化鉄鉱床調査報告, 地質調査所月報,Vol. 4, 1953
27) 渡辺万次郎 :
洞爺鉱山黒鉱鉱床に就いて, 地球,Vol. 5, 1926
28) 渡辺万次郎 :
洞爺鉱山黒鉱鉱床中の雄黄の成因に関する1資料, 地質学雑誌,Vol. 37, 1930
29) 渡辺万次郎 :
洞爺鉱山産雄黄・鶏冠石・硫黄および輝安鉱に就いて, 岩石砿物砿床学,Vol. 3, 1930
30) 福富孝治・石川俊夫 :
昭和19年有珠火山変動見聞, 地震,Vol. 16, 1944
31) 福富忠男 :
北海道の金鉱石, 北海道の地下資源資料,No. 3, 1950
32) 北海道庁 :
有珠岳・樽前岳・駒ヵ岳噴火調査, 1911
33) 北海道鉱業会 :
北海道の金属鉱床, 1952
34) 伊木常誠 :
明治 43 年 7 月有珠火山破裂の際生じた裂線について, 地学雑誌,Vol. 23, 1911
35) 井上禧之助 :
北海道西部有珠山見聞概略, 地学雑誌,Vol. 2, 1890
36) 石橋正夫 :
北海道伊達鉱山調査報告(抄録), 地質調査所月報,Vol. 1, 1950
37) 石橋正夫 :
伊達鉱山産ルソン銅鉱, 北海道地質要報,No. 21, 1953
38) 石川俊夫 :
有珠火山最近の活動に就いて, 科学教育,Vol. 1, 1947
39) 梶沼長三郎 : 有珠岳大爆裂火口其他の現状概略, 東洋学芸雑誌,Vol. 37, 1920
40) 金子純 :
北海道有珠郡釜谷鉱山電気探鉱調査報告, 地質調査所月報,Vol. 3, 1952
41) 河野常吉 :
有珠火山の噴火, 札幌博物学会報,Vol. 5, 1914
42) 木下亀城 :
本邦の黒鉱鉱床, 丸善株式会社, 1944
43) 清野信雄 :
胆振国鉄鉱調査報文, 鉱物調査報告,No. 29, 1919
44) 清野信雄 :
胆振国鉄鉱床に就いて, 地学雑誌,Vol. 32, 1920
45) 小籘文次郎 :
On the Volcano of Japan, 地質学雑誌,Vol. 23, 1916
46) 神津淑祐 :
樽前火山の新熔岩及び北海道産火山岩10余種の化学的性質に就いて, 地質学雑誌,Vol. 16, 1909
47) 水上武 :
有珠火山最近の活動に就いて,東大震研速報,No. 3, 1944
48) 水上武 :
最近の有珠山の噴火について, 地球科学,Vol. 2, 1947
49) 三松正夫 :
有珠火山活動について, 昭和新山研究協会, 1950
50) 湊正夫・石川俊夫 :
カルデラに関係ある泥流の噴出時代, 地質学雑誌,Vol. 58, 1952
51) 長尾巧 :
北海道西南部の新生代層と最近の地史, 地質学雑誌, Vol. 39, 1932
52) 長尾巧・佐々保雄 :
北海道西南部の新生代層と最近の地史, 地質学雑誌,Vol. 40,41, 1933,1934
53) 日本製鉄株式会社 :
鉱山調査報告(同会社社内報告)
54) 大日方順三 :
後志国及び胆振国の硫黄及び褐鉄鉱調査報文, 鉱物調査報告,No. 8, 1912
55) 大日方順三 :
胆振国倶知安及び虻田地方の褐鉄鉱床, 地学雑誌,No. 24, 1912
56) 大井上義近 :
有珠火山泥流上の汽丘, 札幌博物学会報,Vol. 4, 1912
57) 大井上義近 :
"Puff" Cones on Mount Usu, Jour. Geol., Vol. 24, 1916
58) 大井上義近 :
Few Interesting Phenomena on the Eruption of Usu, Jour. Geol., Vol. 25, 1917
59) 大森房吉 :
有珠山噴火概要, 東洋学芸雑誌,Vol. 28, 1910
60) 大森房吉 :
有珠山噴火概報, 地学雑誌,Vol. 23, 1912
61) 大森房吉 :
明治 43 年の有珠山噴火の「前揺れ」に就いて, 地質学雑誌,Vol. 18, 1912
62) 太田良平 :
5万分の1徳舜暼図幅, 1954
63) 高橋純一 :
有珠火山近説, 岩石砿物砿床学,Vol. 3, 1930
64) 田中館秀三 :
有珠円頂丘, 地質学雑誌,Vol. 25, 1918
65) 田中館秀三 :
北海道火山湖研究概報, 北海道庁, 1925
66) 田中館秀三 :
北海道火山近来の活動の特徴, 日本学術協会報告,Vol. 2, 1926
67) 田中館秀三 :
日本のカルデラ, 岩波講座, 1933
68) 田中館秀三・三松正夫・今村明恒 :
有珠火山噴火状況, 地震,Vol. 16, 1944
69) 津屋弘逵 :
本邦火山の構造, 岩波講座, 1933
70) 渡辺万次郎 :
On Some Interesting Features of the Deposition of Iron Ore found in Hokkaido,Japan, Sci. Rep. Toh. Imp. Univ., 3rd Ser., Vol. 3, 1927
71) 渡辺万次郎 :
北海道西部の地帯構造と火山の分布, 小川博士還暦紀念論叢, 1930
72) 渡辺万次郎 :
雄黄及び輝安鉱の溶解並びに沈澱に関する実験, 岩石砿物砿床学,Vol. 7, 1932
73) 渡辺万次郎 :
北海道伊達鉱山産テルル金鉱の産出状態, 岩石砿物砿床学,Vol. 22, 1939
74) 渡辺万次郎・山口孝三 :
北海道伊達鉱山通洞鉱床に就いて, 岩石砿物砿床学,Vol. 27,28, 1942
75) 八木健三・岡本次郎 :
有珠火山昭和新山の熔岩, 科学,No. 17, 1947
76) 八木健三 :
有珠火山昭和新山の熔岩について, 地質学雑誌,Vol. 54, 1949
77) 山崎直方 :
北海道火山雑記, 地質学雑誌,Vol. 5, 1898

EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000

ABUTA

Sapporo, No. 50

By RYŌHEI OTA (Written in 1954)


Abstract

GEOLOGY

The Osaru-gawa formation, the oldest rock in this sheet map area, is distributed in several restricted places along the lake-shore or the river-side. The formation is considered to belong to Kunnui epoch (middle Miocene) of Neogene from the lithological point of view and is divided into the following three members. They are conformably accumulated changing gradually from lower towards upper : --

Andesitic green tuff-breccia, the lowermost member of these three, is mainly composed of tuff-breccia, which is rough in appearance and light green or dark green in color, with plenty of debris smaller than soy-bean, buried in matrix. This rock often contains propylite and is intercalated with tuff, Greyish-black mudstone, that is the middle member of these three, is mainly composed of tuffaceous mudstone. The rock is greyish black in color, light, fragile, and massive, but rarely stratified. This member often shows somewhat varied facies, i. e., shale or fine grained sandstone. They are always tuffaceous, and have fossil flora. But these flora are not perfect enough so as to determine their geological age. Plagio-rhyolitic tuff-breccia, the uppermost one, is mainly composed of plagio-rhyolitic tuff-breccia intercalated with tuff, but occasionally the strata are alternations of these two or are intercalated with plagio-rhyoritic lavaflows. This member distributed in the east of Tōya-ko (-lake) is severely silicified.

Dacite, carring a little phenocrysts of quartz, is partly developing below the plagio-rhyolitic tuff-breccia. This rock is hard, compact and considerably altered with propylitisation. After the sedimentation of plagio-rhyoritic tuff-breccia, plagio-rhyolite flowed out as thick lava. The appearance of this lava is not a kind, and this lava is generally more or less altered. Although phenocrysts of colored minerals are commonly altered, but in fresh rock they are chiefly composed of hornblende and besides, micro-phenocrysts of hypersthene and augite are added in small quantities. Sōbetsu pumice-flow is massive and mainly composed of volcanic ash, containing pumice and andesitic lapilli. This is of obscure origin. Propylite covers partly the plagio-rhyolite and plagio-rhyolitic tuff-breccia, and usually phenocrysts of colored minerals in this propylite are altered to chlorite or to other minerals, though the grade of the alteration is not same. The above-mentioned rocks are considered to be of the Kunnui epoch from lithological and geological points of view.

After the Kunnui epoch, violent volcanic activities of pyroxene andesite had occurred in this district, and many volcanoes erupted one after another with lava and pyroclastics. Shimonke formation is a local sediment made up prior to such lava-flows and is composed of andesitic breccia, tuffaceous sandstone and tuffaceous shale.

Owing to the crustal movement and the erosion up to the present, many volcanoes composed of various pyroxene andesite have been so dislocated or dissected that their initial forms were considerably lost. Among them, Kutchambetsu volcano, Poromoi volcano and Shimonke volcano are the strato-volcanoes with various lavas as shown in the legend. According to the observation on the present topographies, initial forms can be imagined in some degree. Although some parts of Sekinai lava, Ichinohara lava, Bankei lava, Horobetsu-dake lava, Take-yama lava and Raiba-yama lava are distributed along border lines of the map, but the main bodies of these lavas are out of the sheet map area ; so their initial forms are difficult to be cleared by the geological survey only in this sheet map area. Particularly, volcanic topography of Raiba-yama is well preserved in the Tokushumbetsu sheet map area, so some of these volcanoes seem to be of Quaternary in age. Volcanic topographies and structures of Takinoue lava, Horoto lava, Mukō-tōya lava and Asahiura lava distributed around the Tōya-ko are obscure owing to the depression of caldera and to the covering of new sediments upon them. Nishimaru-yama, although it looks like a lava-dome of Usu-volcano merely from the topographic point of view, is basic in lithological character and is different from the lavas of Usu-volcano. Rock names of the above-mentioned lavas are shown in the legend.

Doba formation is mainly composed of sandstone. The lithological characters of this sandstone are slightly solidified, medium grained and yellowish brown in color. The sandstone is intercalated or often alternated with tuff, clay, gravel and lignite in layers and it shows nearly horizontal stratification with slight foldings. This formation can be correlated to the Setana series (upper Pliocene) from lithological and geological points of view.

Seven dykes found in the area may not be wholly in the same geological age, and five of them are dykes of propylite and two of andesite.

Noboribetsu mud-lava is composed of welded tuff containing pumice and andesitic lapilli, and it is wholly massive, rough and light showing columner joints. This mud-lava flowed at the time of explosion of Karurusu volcano. The time of this explosion is considered to be older Pleistocene in age from the geological relations in the Tokushumbetsu sheet map area.

Tōya pumice flow is mainly composed of volcanic ash, scarcely solidified and containing pumice and andesitic lapilli. The volcanic ash is light pink in color, and massive, showing no joint and stratification but often having faint false-bedding. In this formation, there are often boulders as large as walnut to human head, rarely barrel-sized, arranging in disorder or in parallel, and they are composed of almost andesite but besides, there are a little amounts of plagio-rhyolite, plagio-rhyolitic tuff-breccia, anderitic tuff-breccia, rarely obsidian and quartz-diorite (?). This formation was formed previously to the depression of Tōya caldera.

The Tōya caldera, being surrounded with steep slope, is nearly round shaped and has central cones, named Naka-jima volcano group, in the centre. The bottom of the lake between Nakajima and Usu volcano is about 70 m in depth, but in the other sides around Naka-jima it is as deep as 183 m at maximum. The Nakajima volcano group is consisted of eleven lava-domes, i. e. seven lava-domes in Naka-jima, three solitary islands and a sunken dome, showing regular zones in distribution. Rock names of these lava domes are shown in the legend, but they are not always alike in appearance.

Loam is widely distributed over the map area and especially thick parts are shown in the map. Lake deposits are found in everywhere around the lake and are 57 m above the lake level at highest and show terrace topography. They are composed of sand and gravel of various size showing parallel and regular stratification. River terrace deposits are compsed of fine or medium grained and regularly stratified sand often containing coarse grained sand or gravel smaller than walnut. Coastal terrace deposits are composed of well rounded gravels of diameters as large as hen's egg to human head.

Usu volcano is well-known with peculiar type of recent volcanic activities. It is a typical composite volcano, i. e., it is consisted of conical-shaped somma, three central cones in a explosion caldera located on the summit of that somma and Nishi-yama, west neighbouring to the somma. In addition to them, seven parasitic cones -- Kompira-yama, Yosomi-yama, Higashi-maru-yama, Matsumoto-yama, Shōwa-shin-zan and other two -- are found surrounding the foot of the mountain. But they are crypt-domes except Shōwa shin-zan. The base rocks of the volcano are Tōya pumice-flow and Loam. Nishi-yama seems to be older than the somma because the degree of dissection is proceeded in Nishi-yama. Therefore, it is considered that the volcanic activity removed eastwards after the formation of Nishi-yama and created the somma. Both lava of Nishi-yama and of the somma are two pyroxene andesite rarely containing olivine and lithological characters are almost similar to each other.

Ōusu is a lava-dome appeared in 1853, and owing to its appearance, not only atrio-deposit but also caldera wall and some parts of the somma were enforced to rise. Many rounded gravels considered to have been river deposits of the Osaru-gawa (-river) are found on the domes of not only Ōusu but also of Kousu and Shōwa-shin-zan. Kousu is a dome appeared in the same manner as Ōusu, but there is no data to determine tbe time of its appearance. Fumaroles are gushing out even now in some parts of Ōusu and Kousu. Ogari-yama is made of both atrio-deposit and lava, and at the time of formation the lava seems to push up the atrio-deposit but could not thrust it up through. Previously Ogari-yama showed a gentle slope, but it changed the form to have steep slope between 1892 - 1900. Lavas of these central cones are hypersthene dacite, quite similar to each other but having a little amount of modal quartz.

Pyroxene andesitic mud-flow and dacitic mud-flow are widely distributed covering the southern foot of the volcano. Most of the former probably flowed out at the time of explosion of the summit caldera and the latter flowed out in 1822.

Shōwa-shin-zan appeared in 1945 is composed of nearly round terrace-like part, so-called "Roof Mountain", and a rised lava, so-called "Dome", which was thrusted up through the former. The former mainly consists of somma lavas of Usu volcano, and partly Takinoue lava, plagio-rhyolitic tuff-breccia, and sandstone considered to have been river terrace deposit. All of them were crushed into boulders during the time of appearance of "Dome". In the case of this volcano the word "Dome" should be replace to the word "Volcanic spine" from the genetical point of view, because the dome had been almost solidified under the ground at the time of formation. The rock is hypersthene dacite, almost similar to the lavas of the central cone but vary with the existence of modal quartz in groundmass.

On the active history of Usu volcano, there are six reliable data, such as data in 1663・1768・1822・1853・1910 and 1943 - 45, but no data older than these. In 1910, forty-five explosion craters were born one after another between Kompira-yama and Higashi-maru-yama ; consequently Yosomi-yama, a crypt-dome, was made.

Volcanic sand and lapilli were deposited at the time of activities in 1910 and 1943 - 45. Alluvium along rivers is composed of sand, gravel and clay. And also Recent pumice and volcanic ash dispersed from Usu volcano and Shiribeshi volcano are found. These pumice and ash are distributed nearly whole the sheet map area, though they are not drawn in the map.

ECONOMIC GEOLOGY

Limonite ore deposit of Abuta mine is found as an ore bed and it had been worked for a long time. Most of limonite ore was nearly mined out, but it was confirmed by boring in 1951 that a iron sulphide ore deposit composed of marcasite exists in the lower horizon of limonite ore bed or with intervals of volcanic ash between them. It is a flat bed-like ore of about 600 m in length, 5 - 15 m (20 m in maximum) in thickness and nearly less than 130 m in width. At present it is prepared for mining. The ore deposit of Nakatōya mine is a limonite ore bed, 865 m in length, 60 - 90 m (110 m in maximum) in width and 6 - 12m in thickness at maximum along the centre line. The form of this bed is lenticular, so it is getting thinner towards margin. High grade ore is black, compact, massive and rather porous. Ordinary ore is porous and has many plant-marks.

The ore deposit of Date mine is composed of gatherings of many small scaled ore deposits, nearly thirty in all. Each ore is unlike to the other in nature. They are arranged in connection with one another in a narrow mineralized zone, which runs nearly from east to west at the northern side of the upper district of the Kimobetsu-river and were formed replacing or along fissure in dacite, plagiorhyolitic tuff-breccia and tuff. Among them, typical type of black ore is small in scale, whereas yellow ore is the most remarkable. Most of them is quartzose ore deposit in network impregnative, or brecciated, and partly is simple quartz vein.

The ore deposit of Kamaya mine is replacement ore deposit of iron sulphide ore, but it is generally oxidized to limonite partly or mostly from margin or along fissures. It is composed of six ore bodies and is formed in plagio-rhyolitic tuff-breccia. It is irregularly massive, potato-like, hen-egg like or platy. Black ore deposit of Tōya-takarada mine was once worked in large scale. At present this is closed but rōseki deposit which altered from rhyolitic tuff-breccia, the upper roof of black ore, is worked. Several rōseki deposits which altered from rhyolitic tuff-breccia are distributed in rhyolitic tuff-breccia developing in the east side district of the Tōya-ko (-lake). They are under prospecting or working in a small scale and among them Izawa mine is the largest.

Stone for public work is obtained from andesitic boulders exposed in piles at the southern foot of Shawa-shin-zan. There are two hot springs ; one of them is salt spring at Tōya-ko, and the other is simple spring at Benkei.


昭和 31 年 1 月 25 日印刷
昭和 31 年 1 月 30 日発行
著作権所有 工業技術院 地質調査所