04043_1960
5万分の1地質図幅説明書
(札幌 第 43 号)
工業技術院 地質調査所
通商産業技官 松野久也
通商産業技官 石田正夫
北海道開発庁
昭和 35 年
目次 I. 地形 II. 地質 II.1 概説 II.2 新第三系 II.2.1 トニカ層 II.2.2 振老層 II.2.3 軽舞層 II.2.4 萌別層 II.3 第四系 II.3.1 段丘堆積層 II.3.2 火山灰 II.3.3 沖積層 II.4 地質構造 III. 応用地質 文献 Abstract (in English)
1 : 50,000 地質図幅説明書 (昭和 34 年 6 月稿)
(札幌 第 43 号)
この地質図幅調査は北海道開発庁の依頼により実施されたものであって, 野外調査は昭和 31 年から昭和 32 年にかけて行なわれ, 室内作業は引続き地質調査所 北海道支所において行なった。 なお, 野外調査に当つては, 図幅地域の北半部すなわち追分図幅寄りの地域は主として松野が, 南半部は石田が担当して調査を行なった。
この図幅の調査に当って, 採集した有孔虫化石の鑑定は, 東北大学理学部地質学古生物学教室の浅野清博士および高柳洋吉博士に依頼した。
既成の5万分の1地形図にあらわされた地形が著しく実際と異なる箇所が多いため, 踏査図には約 35,000~40,000 分の1の縮尺の空中写真に基づいて作成した河川図を用い, 地質図の最終取りまとめに当つては, 本図幅の東半部は 空中写真から図化された地理調査所による 25,000 分の1地形図を 50,000 分の1に縮図したものを用い, 西半部は既成の 50,000 分の1地形図を用いて両者を接合して本地質図幅を作成した [ 以下の [注] 参照 ] 。
また, 図幅地域の西縁部に当る早来丘陵地 [ 以下の [注] 参照 ] のうち, 熊の頭山より西側の区域は駐留軍および自衛隊の共同使用の射撃場であるため, 立入り調査について制限があり, 他地域に比して調査の精度の著しく劣ることを附記しておく。
本図幅地域は, 東に遠く日高山脈をのぞみ, 西は札幌 - 苫小牧低地帯 13) を距てて, 支笏洞爺国立公園の山々と対峙する位置にある。 南は広大な勇払原野を距てて太平洋が望見される。
この地域は, 新第三紀の堆積岩および第四紀の段丘堆積物, 沖積層およびこれらを覆う火山灰からなり, 火成岩は全く認められない。 このため地形は全般的に低平で, 標高 400 m を超えるのは僅かに地域北東隅の一部のみである。 これを細かくみると, 3つのそれぞれ特徴ある区域に分けることが出来る。 すなわち, 図幅地域東半部の標高 170~180 m 以上の山地, 中央部のほぼ 160~170 m 以下の数段の段丘によって形成される地域, および西縁の札幌 - 苫小牧低地帯の一部をなす地域である。 これらをそれぞれ東部山地, 中央段丘地域および西部低地帯とし, 以下これらの地形について記述する。
東部山地 は支安平から宇久留を経て軽舞にいたる線より東部の地域であって, 主として軽舞層およびこれより古い振老層によって構成され, 標高は 170~180 m から 400 m に達するが, 北東部に高く南西に逐次標高を減少する傾向をもっている。 この地域は地形的に壮年期ないし満壮年期の地ぼうを呈し, 比較的顕著な山稜とこれを刻む比較的急峻な V 字形の谷とからなっている。 全般的に谷の密度が大きく, 各河川の支沢は前述の山稜に直交して櫛歯状に発達する。 山稜の顕著なものは主として硬質頁岩 -- 時には礫岩, 砂岩 -- によって構成され, 背斜, ドーム構造, 向斜あるいは断層等の地質構造を反映させている。 近悦府沢上流で硬質頁岩からなる山稜は 頗美宇ドームの構造が地形によく顕われている好例である。
中部段丘地域 は前述の東部山地の西側に接し, その西限は図幅地域の北西隅, すなわち早来丘陵地の西側から湯の沢を経て当麻内に連なる線上にある。
この地域は主として萌別層によって構成せられており, いわゆる段丘地形を呈する地域である。 すなわち, この地域には古いものから順に, 80~130 m(第Ⅱ面), 35~80 m(第Ⅲ面), 25~40 m(第Ⅳ面)の3つの明かな平坦面が認められる。 このほか 140~180 m の定高性をもつ台地性の山稜 -- 早来丘陵地の熊の頭山およびこれに連なる山稜, 早来市街地南方の三角点 163.7 m の存在する山稜および支安平から近悦府, 宇久留を経て軽舞に至る線にそって認められる山稜など -- が存在する。 この 140~180 m の定高性をもつ山稜は, かつての古い平坦面 [ 以下の [注] 参照 ] と考えられるが, 開析が進み地形上にその痕跡を残すのみで堆積物等の確証は未だ得ていない。 上記の平坦面は 数次にわたる火山灰・火山砂および火山礫等の火山砕屑物によって被覆されている。
西部低地帯 はいわゆる札幌 - 苫小牧低地帯の東縁部にあたり, 前述の火山砕屑物によって構成されている 10~20 m の極めて平坦な台地 [ 以下の [注] 参照 ] とこの間に広く発達する湿原とからなる。 この湿原中には遠浅沼をはじめ大小の沼が点在する。 基盤をなす新第三紀層はこの地域においては地表で全く認められない。
本図幅地域内の河川は厚真川および安平川の水系に属する。 何れもこの図幅地域から南下し, 南に接する鵡川図幅を経て太平洋に注いでいる。 厚真川は東に接する穂別図幅地域内にその源を発し, 北々東 - 南々西の流路をとって本図幅地域内に入り, 中央部を横断し, 厚真市街地南方で方向を変えて南下する。 その支流の主なものは, ショルマ沢, 幌内沢, チルク沢, 頗美宇沢, 宇久留沢および軽舞沢等である。 安平川は北隣の追分図幅地域内に端を発し, 図幅地域の西寄りを北から南に縦断している。 安平川は極めてゆるい河川勾配をもち, 早来市街以北では殊に蛇行が著しい。 また低平な段丘地帯にあっては, 支安平川以外に特筆すべき大きな支流はない。
次に本図幅地域内に発達する平坦面について述べる。 これらの平坦面はその高さから次の5つの面に分けられる。 すなわち以下の通りである。
第Ⅰ面は 前述のように 80~130 m 面 -- 第Ⅱ面 -- より更に一段と高い 140~180 m + の面であり 2地域に見られる。 しかし, この面は定高性をもつ稜線からその存在を推測されるが, 開析が進んでおり堆積物の存在を実証するに至っていない。
第Ⅱ面は早来丘陵地の西部に伸びる線と, 支安平から厚真川を経て軽舞沢中流に至る地域に見られる面が相当する。 この面は北隣追分図幅地域にも, また, 南隣鵡川図幅地域にも連続して認められる 33), 34) 。 この面も第Ⅰ面と同様に開析が進み, かつまた, 厚い火山灰に覆われており, 僅かに支安平から軽舞沢にかけての地域で, 堆積物が認められたにすぎない。
第Ⅲ面は第Ⅱ面の前面にかなり広範囲に分布し2地域に発達する。 一方は当麻内から厚真市街地附近をこえて, 早来丘陵地の西部に北北西 - 南南東方向に分布するものと, 他方はその東に早来市街地から安平にかけてほぼ南北方向に分布するものとが見られる。 前者は鵡川図幅の第Ⅲ面に連続するが, 一方, 後者の北方延長は追分図幅地域中にも広範囲に認められる 34) 。 しかし, 前者が堆積面と考えられるのに対し, 後者はむしろ侵蝕面であって殆ど堆積物が認められない。 両者ともそれぞれ 数次の降灰による火山灰および 二次的に高所から押し出されて再堆積したと思われる火山砕屑物によって覆われており, 上位の面との境界の識別が判然としない地域も多い。
第Ⅳ面は第Ⅲ面の前面に狭長な分布を示し, かなりの平坦面が残存している。 早来市街地西南方の下安平以南では, その堆積物が処々に見出だされるが, その以北では厚い火山灰に被覆せられ, 堆積物は殆ど認められず, 僅かに地形上からその面の存在が推定されるにすぎない。
以上述べた各平坦面の旧汀線は札幌 - 苫小牧低地帯の方向に平行であって, 洪積世末まで海峡であったこの低地帯の旧汀線に当るものと考えられる。
河岸段丘は厚真川およびその支流の頗美宇沢その他に沿って発達し, 僅かの高低差をもつ数段の面が認められる [ 以下の [注] 参照 ] 。 これらの河岸段丘と前述の平坦面との関係は その分布が極めて断片的なため詳かにすることができない。
第Ⅴ面は札幌 - 苫小牧低地帯の沖積面である。 この面は現在の海面からの高距は僅かに 10 m ないしそれ以下であり, 多くの沼とこれを取りまく広大な湿原とが発達する。
この図幅地域西部を含む低地帯に 広く極めて平坦かつ広大な海抜 10~25 m の台地が発達することは前に述べたとおりである。 この台地はすべて火山灰によって構成されていて, その基底部は地表では観察し得ない。 しかし, この火山灰は後述するように陸上に堆積したものと考えられること, また鵡川図幅地域内において, 第Ⅳ面より一段低く沖積面より一段高い面が知られており, 現在この面の大部分は沖積平原下に没しているものと考えられることからおして, 火山灰台地はこの面上に形成されたものとしてよいであろう。
本地域は全体を通じて, 新第三紀および第四紀の堆積岩が分布し, 火山灰を除いて火成岩の分布は全く認められない。
新第三系は下位から上位に整合一連の関係をもって累重するトニカ層, 振老層, 軽舞層および萌別層からなり, 第四系は少なくとも4段の平坦面を形成する段丘堆積物, 洪積期末の火山灰, 沖積氾濫原を形成する沖積層および極めて新期の火山灰, 湿原の堆積物などからなる。 これらの層序関係を模式的に示すと第 1 表 地質総括表のとおりである。
本図幅地域は樺太の西部から宗谷海峡を経て, 北海道の脊梁山脈 -- 日高山脈 -- の西側を南北に走る 樺太 - 蝦夷第三紀褶曲帯 9) の南部に当り, ここに分布する新第三紀層は南北性の軸をもつ雄大な背斜・向斜をくりかえしている。 この地域を含めて四近の褶曲構造を通観すると, 東ないし北東方脊梁山脈に近づくほどその構造が複雑, かつ, 地層の傾斜も急となり, しばしば地層のじよう乱が激しくなる。 これと反対に西ないし南西方に脊梁山脈から遠ざかるほど, 単調でかつゆるやかになる傾向をもち, 併せて新しい地層ほど西ないし南西方に分布している [ 以下の [注] 参照 ] 。
新第三系が地表上で見られるのは, この図幅地域では東部山地から中部段丘地域までであって, これより西方の低地帯に入ると沖積面下に没する。
本地域新第三系の最下位の地層であるトニカ層は, 本図幅地域で頗美宇ドームの軸部に僅かにその頂部が認められるだけである。
トニカ層に引続いて堆積した振老層は, 天坂地方の増幌層 4) あるいは古丹別層 27), 32) , 夕張地方の川端層 34) , 日高地方のアベツ層 26) あるいは受乞層 28) などと全く同様の岩相を呈し, 全般的に単調な岩相からなるが, 上部では礫岩・砂岩および泥岩の周期的な互層が発達する。 かつ, 地層の厚いわりに全くといってよい位に大型化石を産しないという特徴をもっている。 振老層は上述諸地方の地層と同じく, 東方の脊梁山地の著しい隆起と これに伴うその前縁部の沈降とによって形成されたものと考えられる。 したがって, 東部ほど粗粒堆積物が著しく, かつ, 地層の厚さも厚く, 逆に西方に向つては礫岩・砂岩の量を減じ泥岩がちとなり, 地層の厚さも薄くなっている。 本層および前述のこれと同層準の地層は, 北海道における重要な含油層準として注目されている。
振老層の上位に整合に累重する軽舞層は, その岩相から下部硬質頁岩, 砂岩泥岩互層および上部硬質頁岩に3分される。 下位の振老層およびこれら三者の重なりを見ると, 各々の境界部において指交関係が認められるところも少くないが, 比較的安定した岩相と広がりをもち, その岩質から振老層が含油層であるのに対して, 軽舞層は帽岩として極めて重要な役割りをもっている。 軽舞層は富川地域の二風谷層にほぼ対比されるものと思われるが, 二風谷層は岩相変化が激しく, かつ, 礫岩・粗粒砂岩等の粗粒物質が多く層厚も著しく厚くなっている。 また, 追分地域においては上部硬質頁岩のみが馬追山層 34) に連続し, 軽舞層の中部の砂岩泥岩互層および下部硬質頁岩は 川端層と異相関係にあることが明らかにされている。
振老層および軽舞層は その産出有孔虫化石動物群から中新世中葉から後葉にかけての堆積物と考えられる。
萌別層は本地域に分布する新第三系の最上部の地層であって, 下位の軽舞層と極めて漸移的な関係 -- あるいは一部側方に指交する -- にあって 非常に不安定な堆積状況を示している。 すなわち, 本層はそれぞれ特徴ある4つの岩相に分けられ, 岩相変化が激しく各岩相間の境界は著しく堆積時間面と斜交する。 このような特徴は この地域から日高地方の海岸にかけて分布する同層準の地層 -- 富川地域の荷菜層 26) , 静内図幅地域の厚賀層およびその直下の元神部層 28) 等 -- についてもいい得るところであって, 各地域ごとの岩相区分による層序関係をもって全体に適用することは不可能に近い。 本層の地質時代については, 下部に中新世の有孔虫化石を産するのみで, 上部については古生物学上の資料は全くない。
第四系は前述のとおり, 更新世の段丘堆積層および火山灰, 現在の沖積氾濫原堆積物, 湿原堆積物などである。 更新世の段丘堆積層中第Ⅲ面を構成する堆積物中には海棲動物化石が認められる。 また, 更新世の火山灰は各段丘面をおおい, 沖積面に切られることから更新世末の噴出と考えられ, 現世の火山灰は 現河床氾濫原を除いて地域全体をおおうことから 極めて新期の噴出と考えられる。
トニカ層は本図幅地域内における新第三系の最下部をなす地層であって, 厚真川とその支流の頗美宇沢との合流点附近に僅かに露出するにすぎない。 すなわち, 頗美宇背斜の軸部に その最上部の硬質頁岩 およびこれに挟有される安山岩質凝灰角礫岩が認められるだけであって その下限は不明である。
硬質頁岩は露出面では灰白色を呈し, 緻密堅硬で非常に凝灰質である。 さらに風化が進むと表面が赤褐色となり, 不規則な片状となって崩壊する。
安山岩質凝灰角礫岩は帯緑黒色を呈し, やや風化の進んだところでは緑灰色となり一見緑色砂岩のような外観を呈する。 さらに風化が進むと黄褐色となる。 角礫は主として普通輝石・紫蘇輝石安山岩に属する類質の亜角礫である。 基質は火山砂および火山灰質で斜長石, 輝石類の結晶片を伴っている。 また, この凝灰角礫岩は無数の石英の細脈によって貫かれている。
頗笑宇ドームは古くから注目され, 石油を目的としたいくつかの試掘井の記録がある。 これらのうち, 昭和 9 年の日本石油株式会社のロータリー1号井, 同2号井の記録によると, R 1号井では 170 m に, R 2号井では 163 m より 208.20 m にわたって 海棲軟体動物化石の産出が報告されている。 両試掘井の坑井記録 10) を図示すると第 1 図のとおりである。
本層は前述のとおり全ぼうを明らかにし得ないが, 安山岩質凝灰角礫岩を挟有する硬質頁岩層を最上部とし, その下位に海棲軟体動物化石を産する層準があること, および後述するアベツ層および川端層と同層準である振老層の下位に 恐らく整合関係に横たわるという事実などから, 平取地域の栄層 26) あるいは滝の上層 12), 16), 17), 34) に対比されるものと考えられる。 従来本層は振老層の下部とされていた 10) 。
振老層は図幅地域北東部の平取背斜およびこれから順次西南方のヤチセドーム, 頗美宇ドーム, 宇久留ドーム等の軸部に分布し, 古くから同層準の地層とともに北海道の含油層準の一つとして注目されている。 本地層名は大村一蔵 4) よる。
本層の下限は, トニカ地域以外では認められない。 ここでも本層と下位のトニカ層との関係は観察するととが出来ないが, 周辺地域においてこれら両層準に相当する地層が何れも整合関係にあること 26), 28), 34) から推して同様な関係にあるものと考えられる。
本層は全般的に極めて単調な岩相, すなわち, 主として規則的な砂岩・泥岩の互層からなるが, 下部と上部とで若干の差が認められる。 下部は砂岩・泥岩の互層からなり, 殆ど礫岩を挟有しないが, 上部に行くと互層中に礫岩が介在し, かつ, 泥岩に比べて砂岩の量がかなり多くなり, 礫岩・砂岩の互層を主体とする岩相を呈するようになる。 礫岩・砂岩・泥岩の量比はところによって異なるが, 全般的には東部ほど砂岩ないし礫岩の量が多く, かつ, 地層の厚さも厚く, 逆に西に行くに従って粗粒の堆積物は少くなり, 地層の厚さも薄くなっている(第 2, 3 図)。
以下振老層の前述の2区分された岩相について述べる。 これら両岩相は互に側方に移化し合う場合も少くない。 なお, 砂岩泥岩互層の上部には4~6枚の凝灰岩が発達する。
砂岩泥岩互層 は振老層の下部に当り, 極めて規則的な互層をなしている。
砂岩は暗灰色ないし青灰色を呈し, おおむね細粒ないし中粒であって稀に粗粒なものもある。 その構成物は主として粘板岩および珪質岩の粒からなり, 時に輝石粒を混えている。 固結度も著しく変化し, 非常に堅硬なものから, 比較的粗鬆軟弱なものまである。 板状の砂岩層中にはしばしば炭質物の粒が層理に平行に配列し, 黒い縞模様を呈する場合がある。
泥岩は暗灰色ないし黒色を呈し, 板状をなして成層するものと塊状のものとがあり, 粒度は緻密粘土質のものからシルト質ないし砂質のものまで種々ある。
前述のとおり, 本互層の下限は頗美宇ドーム地域でしか観察されないが, 本互層全体を通観すると, 砂岩および泥岩は級化互層をなし, 概して下部ほど泥岩が卓越し, 上部では砂岩の量が多くなっている。 すなわち, 下部はシルト岩ないし泥岩 1~3 m に対して細粒砂岩 5~20 cm の互層をなし, 上部は砂岩・泥岩が等量に近い細互層を示している。 一方, 本図幅地域東限ショルマ沢においては, すでにこの互層部と同層位のところから礫岩が出現している。
また本互層中にしばしば層間異常(層間褶曲, slumping sheet, ball)が認められ, その顕著なものはショルマ沢中流および紋別沢上流において発達し, 同一層準にかなり広範囲に追跡される。 本互層中の泥岩から Cyclammina spp. その他の有孔虫化石 および Makiyama sp. を産する(第 4 図および第 2 表)。
凝灰岩は平取背斜およびショルマ向斜の西翼に4~6枚認められ, 有効な鍵層として追跡される。 しかし, これらの凝灰岩は各々に特徴がなく, また厚さも一定せず, 地域々々で岩相も異なり, それぞれを識別することが困難であるため, 調査に当つては着実に追跡して行く以外に方法はない。 その発達の状態は北方に向って著しく, 北隣追分図幅地域内では顕著であるが, 本図幅より南方では同層準の地層中に殆ど認められなくなり 26), 28) , 本図幅でも平取背斜西側の頗美宇ドームでは発達が極めて悪い。
岩質は 暗緑灰色ないし青灰色泥質凝灰岩・ 黄褐色細粒凝灰岩・ 褐色粗粒凝灰岩・ 褐灰色砂質凝灰岩あるいは暗緑灰色緻密泥質凝灰岩と著しく変化する。
礫岩砂岩互層 は前述の砂岩泥岩互層の上位に, これを取りまいて分布する。 本互層はおおむね前述の砂岩泥岩互層中の最上部の凝灰岩の約 150 m 上位から始まるが, 背斜の東翼あるいはさらに東方ショルマ向斜の両翼では 凝灰岩帯の中部あたりから既に礫岩が出現し, 同時に砂岩も多くなっている。
この礫岩砂岩互層は礫岩・砂岩を主とし, 泥岩あるいは硬質頁岩を従とし, 礫岩から漸移的に砂岩・砂岩泥岩(あるいは硬質頁岩)互層という順序で重なる 典型的な堆積周期を繰り返している。
礫岩は主として黒色粘板岩の礫からなり, 硬い砂岩・珪質岩および片岩の礫を混え, 外観は黒色に近い色彩を呈する。 礫の大きさは一般に指頭大ないしクルミ大であるが, 稀には拳大に達するものもある。 これらの礫は亜角礫からよく水磨された円礫まで種々雑多であり, 時には第三紀層から由来したと考えられる泥岩の大塊が認められる。 礫岩の膠結物は同質の砂あるいは泥からなり, 礫とその量比も非常に多様であり [ 以下の [注] 参照 ] , 固結度も高低様々である。
この礫岩の著しい特徴は一般に基底部で最も粗粒であり, 上方へ次第に粒度を減じ砂岩に移化していることと, 礫の長径が一定方向をとるとかあるいは層理, 偽層などの内部構造が全く認められないことである。
砂岩は礫岩の上位にあって礫岩から移化するものと, 泥岩と互層するものとがある。 後者は板状かつ一般に細粒であって前述の砂岩泥岩互層中のものと全く変らない。 前者, すなわち 礫岩の上位に漸移的に重なる砂岩は 一般に粗粒ないし中粒であって塊状を呈し, しばしば振老層のものと思われる砂岩・泥岩 あるいはそれらの互層からなる礫あるいは岩塊を含んでおり, かつ, 石灰質団塊を含んでいる。
泥岩は砂岩と互層して存在し, 下位の砂岩泥岩互層中のものと区別出来ない。 硬質頁岩は砂岩および泥岩と互層し, 本互層の最上部に多くはレンズ状を呈して存在し, 遂には経舞層の下部の硬質頁岩に移化する。
これら泥岩, 硬質頁岩中には Maiyama sp. および有孔虫化石が肉眼で認められる(第 4 図および第 2 表)。
礫岩砂岩互層は全体的にみて, 東部では粗粒堆積物が多く, かつ, 地層が厚くなっているが, 南西に行くに従って礫岩の量は漸次減少し, 宇久留ドームの西翼では全く礫岩が認められなくなり粗粒砂岩がこれに代っている [ 以下の [注] 参照 ] 。
前述のように振老層は北に連続する川端層, 南東延長部に当るアベツ層などとともに, 地層の厚い割合に上下を通じて単調な岩相を示し, 有孔虫化石および Makiyama sp.のほかに底棲の動物化石を全くといってよい位含まず [ 以下の [注] 参照 ] , 炭層, 植物化石あるいは偽層その他の浅海を示す証拠も全くない。 さらに前述したように層間異常あるいは乱堆積の存在, 含礫泥岩の存在などから, 堆積過程中一旦沈積した堆積物の二次的滑動がしばしば行われたものと推察される。 また, すでに述べたとおり, 東部ほど粗粒堆積物が卓越し地層の厚さも厚いことから, その堆積物の供給源は東方にあったものと考えられる。
本層の地質時代については, その産出有孔虫化石 24) から中新世であることは疑いない。
軽舞層は東部山地にもっとも広く分布するほか, 図幅地域の北西部, 熊の頭山附近にも分布する。 本層は硬質頁岩を主としており, 地層名は 1928 年大村ー蔵の命名によるものであって, 標式地は図幅地域南部の厚真(旧振老)南部である。
本層は岩相から, 下部硬質頁岩, 砂岩泥岩互層および上部硬質頁岩に3分される。 これら3者の関係は漸移的であり, また, 各々の境界部において一部側方に移化し合うところがあって明確な境界は決定し難い。 また, 下位の振老層との境界も同様であって, 硬質頁岩が多量に出現するところをもっておおむね両者の境界とした。 本層の全層厚は 図幅地域の南東部で厚くほぼ 1,100 m 前後もあるが, 北部では薄くなり 600 m 程度となる。
下部硬質頁岩 はメナ沢から頗美宇沢にかけて特に著しく発達し, 振老層の礫岩砂岩互層から漸移している。 本層は一般に 厚さ数 cm から 10 数 cm の硬質頁岩と 2~5 cm の泥岩・シルト岩あるいは細粒砂岩との互層からなり, あたかも煉瓦を積み重ねたような見事な露出面を形成する。 硬質頁岩は一般に灰色ないし暗灰色を呈し竪硬緻密であり, また, ところによっては珪質となっている。 粒度は粘土からシルトまで変化する。 露頭では一般に赤褐色ないし鉄銹色を呈し, 風化が進むと灰白色の角片状あるいは葉片状の破片となって崩壊する。 泥岩あるいはシルト岩は暗灰色を呈し, 風化して灰色の小片となる。
本岩相下部は一般に砂質を帯びる硬質頁岩からなり, シルト岩および細粒砂岩を挟有しているが, 幌内附近においては硬質頁岩と板状堅硬な細粒砂岩と互層しており礫質砂岩も見られる。 中部は典型的な硬質頁岩からなり板状層理が特に著しい。 メナ沢では硬質頁岩中に約 1 m 前後の細粒砂岩が挟在する。 上部は硬質頁岩と細粒砂岩との互層からなり, また, 石灰質団塊を含有する。
砂岩泥岩互層 はメテ沢附近から北はヤチセ沢, 南は経舞油田および西では早来丘陵地でアウサリ背斜の軸心にかけて広く分布しており, 前述の下部硬質頁岩から漸移する。 両者の境界は極めて不明確であって, 硬質頁岩と砂岩・泥岩との量比が両者の区分の一応の目やすにすぎない。 すなわち, 硬質頁岩の量より砂岩・泥岩あるいはシルト岩の量が卓越するところをもって境界としている。
砂岩は中粒ないし細粒で青灰色あるいは暗灰色を呈し, 泥岩あるいはシルト岩は暗灰色を呈する。 砂岩と泥岩とは級化互層(graded alternation)し, ところによっては両者の量比に差がある。 すなわち, 幌内沢流域では砂岩よりシルト岩が多く, 西方チルク沢ではシルト質泥岩と細粒砂岩とがほぼ等量の 5~10 cm の互層となり, さらに紋別沢においては 両者とも 15~20 cm の厚さとなるとともに砂岩の粒度も粗くなる。 軽舞採油所附近では本岩相は砂岩・泥岩の等量の互層をなし, 互層中の細粒砂岩中に多量の雲母粒を含む部分があり, 当麻内沢上流では, 炭質頁岩を挟有しているのが認められる。 このほか, メナ沢附近で 本層中に厚さ数 m の殆ど黒色粘板岩および珪質岩の礫からなる細粒砂岩が認められ, 支安平川の交流シュンペ沢では灰白色の凝灰岩が認められる。 全体的にみて本岩相下部は硬質頁岩と細粒砂岩の互層, 中部は主として砂質頁岩で砂岩と互層をなし, 上部は再び硬質頁岩が多くなり, 泥岩あるいはシルト岩および砂岩と互層している。
上部硬質頁岩 は幌内方面から宇久留沢を経て軽舞沢に至る地域に広域に分布し, また知決辺沢上流以北および西老軽舞附近, さらに早来丘陵地およびその南方延長に分布する。 硬質頁岩を主とし, 泥岩あるいはシルト岩および砂岩を従とする互層からなり, 板状層理が著しい。 下位の砂岩泥岩互層との明確な境界はなく, 極めて漸移的である。 すなわち, 砂岩泥岩互層が上方の砂岩の量を減じ, これにしたがって互層中に硬質頁岩が漸次量を増して 遂には前述のような硬質頁岩とシルト岩ないし泥岩との互層となる。
本岩相下部は大部分が硬質頁岩 10~30 cm, シルト岩ないし泥岩 2~5 cm の典型的な板状互層である(図版 1)。 ただオコウコ沢においては, 厚さ数 m の青灰色板状細粒砂岩が認められるが, 他の地域では著しくない。 また中に径 30 cm 前後の石灰質団塊を含む部分もある。 中部は砂岩が少く, おおむね硬質頁岩とやや軟質のシルト質泥岩との互層からなっているが, 岩相の側方変化が激しい。 また, 宇久留沢附近では本層中部に白色凝灰岩や珪質頁岩, 細粒砂岩が介在するのが認められる。 上部は幾分シルト質の硬質頁岩からなり, 上位になるにしたがって砂岩を介在するようになり, 徐々に萌別層のシルト岩砂岩硬質頁岩互層へ移り変って行く。 なお, 本岩相中の硬質頁岩の岩質および性状は, 下部硬質頁岩と全く同様である。
軽舞層は全体を通じて大型化石の産出が極めて稀であって, 僅かに Portlandia kakimii UOZUMI および Macoma sp. その他の軟体動物化石数個体が採集されたにすぎない。 一方, 有孔虫化石は少いながらも全層にわたって認められる(第 4 図および第 2 表)。
これについては土田定次郎の報告 24) がある。 これから軽舞層の地質時代は中新世, その層位上の位置からおそらくその後期であろう。
萌別層は中部段丘地帯に広く発達するほか, 図幅地域の南東部, さらに地域西端アウサリ背斜の西翼にも分布している。 標式地は南隣鵡川図幅地域内 勇払郡鵡川町萌別である。 本地域および近接地域を含むいわゆる勇払油田に対しては古くから多くの調査があって, その新第三系上部の地層区分についての解釈に種々異論があり, 地層名についても著しい混乱が認められる。 ここに述べる本層は, 山口昇ー 33) により再定義された萌別層に連続する [ 以下の [注] 参照 ] 。
本層は中部段丘地域に一つの大きな向斜構造を形成している。 このほか図幅北西部フモンケの東部にほぼ南北性の走向を示して, 細長く分布している。 しかし, これらは段丘堆積物および火山灰により厚く覆れており, 地表に露出の見られるところは非常に少い。 本層の層厚は上限が不明であるが 1,400 m 以上である。
本層はその岩相から, シルト岩砂岩硬質頁岩互層, 砂岩シルト岩互層, 礫岩および砂質シルト岩と4つの特徴ある岩相に区分することができる。 これら各岩相の境界面は, 時間面とは全く無関係な場合が多く, 相接する両岩相の間には著しい側方への移化が認められる。
シルト岩砂岩硬質頁岩互層 は軽舞沢上流から宇久留沢上流およびチルク沢上流にかけて広く分布するほか, 経舞沢中流を切る厚真断層附近に小範囲に露出する。 下位の軽舞層の上部硬質頁岩とは完全な漸移を示しており, 両者の厳密な境界は決め難い。 すなわち, 軽舞層の上部硬質頁岩中のシルト岩および砂岩がその量を増し, 等量の互層を経て, 遂には硬質頁岩を含まなくなる。 したがって, 両者の境界はこれらの量比を一応の目安として定めた。
本互層下部は主として暗灰色板状硬質頁岩と暗灰色ないし灰色の細粒砂岩との互層からなり, やや凝灰質の青灰色シルト岩の薄層を伴っている。 中部は暗灰色ないし灰色のシルト岩および砂岩の互層を主としており, 暗灰色硬質頁岩は比較的その量が少い。 上部はシルト岩を主とし, 砂岩および硬質頁岩の薄層を挟有している。 シルト岩は概して灰色であるが, 次第に黄色を帯びて凝灰質ないし珪藻質となる。 細粒砂岩は一般に灰色ないし黄褐色を呈し, 主として塊状であるが時には板状をなしており, 炭質物を挟有するところもある。
砂岩シルト岩互層は図幅地域の南東隅および厚真断層以西に分布している。 南東隅においては, 前述のシルト岩砂岩硬質頁岩互層から漸移しでほぼ上位に累重する。 本互層はほぼ等量の細粒砂岩と青灰色ないし灰色のシルト岩とが互層をなし, 泥岩および硬質頁岩を挟有するが硬質頁岩の量は非常に少ない。 厚真断層西方で狭長に発達する本互層においては, 宇久留沢以南ではシルト岩砂岩硬質頁岩互層のほぼ上位に来るが, 宇久留沢から北方にかけては下位の岩相が礫岩に移り変っているため直接礫岩と接している。 なお, この礫岩と接する地域においては, 硬質頁岩は殆ど挟まれていない。 また, 本互層も下位の岩相と同様に礫岩と指交している。 本互層中の砂岩の中には雲母粒を多量に含有し, シルト岩は黄灰色で珪藻質となっている。
礫岩 は軽舞から近悦府および支安平川支流シェンベ沢の流域に分布し, さらに図幅地域西部の早来丘陵地および厚真向斜西翼にも発達している。 礫岩は砂岩シルト岩互層を挟んで上下2層認められ, 下位の礫岩(図版 2)は北部シュンベ沢流域では軽舞層に直接累重するが, 厚真市街より南ではこの層準に礫岩が認められず, 前述の砂岩シルト岩互層が存在する。 厚真市街からシュンベ沢の間ではこの礫岩層と軽舞層が直接するが, 両者の関係は断層である。 厚真向斜の西翼ではこの礫岩と軽舞層との間には, 厚真市街南部と同様な砂岩シルト岩互層が認められる。 また, 馬追背斜の西翼にも同様な礫岩が分布するが, 前に述べた東翼, すなわち厚真向斜の西翼と同様に, 下位にシルト岩を距てて軽舞屈を覆っている。 これらは上下の岩層と互いに側方に移化し合い, かつ, 厚さに著しい消長があり, 厳密に同一層準といい難い。
上位の礫岩は軽舞沢以北では, 後述する砂質シルト岩と指交しながらも南北によく連続して発達し, 北に向うにしたがってその厚さを増加しているが, 軽舞沢以南では非常に薄くなる。 一方, 厚真向斜の西翼でははっきりしない。 上下の礫岩はともに北方追分図幅地域に入るとシルト岩中に消失し, 僅かにその痕跡が認められるにすぎない。 一方, 南方鵡川図幅地域内には上位の礫岩が連続して追跡される [ 以下の [注] 参照 ] 。 礫岩は両者とも褐色ないし茶褐色を呈しており, 径 2~5 cm のよく水磨された円礫からなり, 礫は火成岩類, 変成岩類および古期水成岩類である。 固結度は比較的低く, 膠結物は細粒ないし中松の砂である。
砂質シルト岩 は厚真向斜を中心とする地域に広く分布するが, 段丘堆積物および火山灰に覆われて露頭は比較的少ない。 本岩相は黄灰色の凝灰質ないし珪藻質の砂質シルト岩からなり砂岩の薄層を挟有する。 炭質物を多く挟む部分および雲母粒の特に多いところも認められる。
以上のとおり岩相の側方変化が激しく, かつ, 鍵層となるものも認められず, 年代層序による細分をなすことは不可能である。
本層からは海棲軟体動物化石を産するが, 個体数および種数はともに著しく少なく保存も悪いことから, これによって時代を決定することはできない。
しかし, 本層下部から産する Cyclammina spp.(第 4 図および第 2 表) および本層と一連の関係にある由仁層 [ 以下の [注] 参照 ] の下部から報告された Cyclammina japonica ASANO 21) から, 少なくとも本層の下部は中新世と考えられる。 上部については確実な証拠はないが, 平取地方の荷菜層あるいは門別地方の厚賀層に相当するようにも考えられ, 鮮新世とも考えられる。
本図幅地域の第四系は, 段丘堆積物, 更新世末および現世の噴出物と考えられる火山灰層, 沖積氾濫原堆積物および現在の湿原に生成中の湿原堆積物などである。
これらのうち, 比較的末期に推積した火山灰層 およびこれらの流出に由来する二次的堆積物が厚く発達するために, 段丘堆積物の露出が極めて不良である。 したがって, これら第四系相互の関係については, 明確な資料がなく推定の域を出ない。 ここにその推定の結果を概念的に示すと次のとおりである [ 第 5 図 ] 。
第Ⅰ段丘面はすでに地形の項で述べたように 180 m 前後の定高性を示す山稜線であり, 平坦面はほとんど残っておらず, したがって堆積物も認められない。
第Ⅱ段丘堆積物は 80~130 m を構成する堆積物であるが, 前述のとおり厚い火山灰層に被覆され, かつ, これより高い山地に接するため, 山地の斜面を覆った火山灰の流出に由来する二次的被覆が加わり, その露出状態は極めて不良である。 したがってこの堆積物のー部と考えられる砂礫層が, 断片的に数箇所において観察されたに過ぎない。
第Ⅲ段丘堆積物は 35~80 m の段丘を構成する堆積物であるが, やはり厚い火山灰に覆われている。 しかし, 僅かに数箇所の露出での観察であるが, 本堆積物は礫・砂・シルトおよび粘土からなり, その堆積相はところによって多少異なる。 本堆積物には海成の証拠がある。 すなわち, 早来市街地西方の鉄道切割りでは, ほとんど硬質頁岩のみの礫からなる礫層を挟有するシルト中に Ostrea gigas THUNBERG の化石の密集帯が認められる。 このシルト中の有孔虫化石(第 4 表)は 50 m より浅い海の群集と考えられる。 しかし, 気候条件を示唆する種が認められず, これだけでは他地域との対比は困難である。
| Bolivina striatula CUSHMAN | Few | |
| Buccella frigida (CUSHMAN) | Abundant | |
| Discopulvinulina cf. bradyi (CUSHMAM) | Common | |
| D. cf. isabelleana (d'ORBIGNY) | Rare | |
| Elphidium advenum (CUSHMAN) | Rare | |
| E. etigoense HUSEZIMA and MARUHASI | Abundant | |
| Fissurina cucurbitasema LOEBLICH and TAPPAN | Rare |
第Ⅳ面は下安平から早来丘陵地西部にかけて分布し, 主として植物片を含む青灰色の塊状シルト質粘土からなり, その中に薄い礫層をはさみ, 下安平においてば 30~50 cm の泥炭層が介在する。 堆積物の基底は沖積面下に没し, 下部は明らかではない。 このような堆積層から推察して, この地域は内湾あるいは潟湖のような堆積環境にあったものではないかと思われる [ 以下の [注] 参照 ] 。
河岸段丘は厚真川の流域に多く見られるが, 淘汰のよくない砂・礫および粘土からなつている。
本図幅地域内は全域を通じて, 火山灰によって被覆されている。 これらの火山灰は, 札幌 - 苫小牧低地帯の西方に位置する恵庭岳, 樽前山等および支勿火山の火成活動に由来するものである。 各地における火山灰の状況は第 6 図のとおりである。
東部山地においては, 当時の地勢が堆積に不適当であったうえに, 2次的侵蝕, 削剥もあり残存するものは極めて少い。 しかし, 中部段丘地域, 西部低地帯へと順次西方へ, すなわち, 噴出源に近づくにつれてよく発達し, 厚さも大きくなる。
火山灰はその外観および堆積状態により, 上から ao, a, b, c, d および e [ 以下の [注] 参照 ] の6つに区分することができる(第 6 図および図版 3~5)。
火山灰 e は安平 - 早来間, 早来ニタッポロ, 下安平および源武の沢において見られ, 層厚はそれぞれ 200 cm +, 200 cm +, 300~400 cm および 100 cm である。 主として黒色ないし黒褐色で粒度は平均 0.5 cm 程度, すなわち, 大豆から小豆大の安山岩質岩片からなり, 斜長石および輝石類も附随し, 少量の淡褐色の軽石を混えている。 下安平においては下部に 40 cm 前後の褐灰色ローム状浮石土および 30 cm 前後の後述する火山灰 c と同じ組成の胡麻塩状の火山灰があり, 下位の段丘堆積物を不整合に覆っている。
火山灰 d は火山灰 e の上に累重し, 下安平および源武の沢等において見られ, 層厚は下安平では 100~150 cm を有するが, 源武の沢においては, 15 cm 内外となって薄く堆積している。 黄色軽石, 黄褐色ローム状軽石および火山灰質土を主とし, そのほかに少量の褐色の火山砂を混えている。
火山灰 c は安平 - 早来間, 早来ニタッポロ, 馬追山南西縁附近, 下安平と本図幅西半の南北を通じて普遍的に認められる。 淡黄灰色で軽石粒のほかに斜長石, 石英, 輝石の鉱物粒が非常に顕著であり, 胡麻塩状の外観を呈する。 粒度は直径 2 mm 以下のものが多い。 層厚は 早来ニタッポロ附近では 50 cm 前後であるが, 概して 100~200 cm である。 風化は進まず, したがって粘土は殆ど含まれない。
火山灰 b は沖積平野を除き広範囲に分布しており, 東から西へ向って厚さも粒度も増加する。 分級作用の極めて良い白色ないし淡黄褐色, 時には淡紅色を示す粒径 5~50 mm の軽石からなる。 これは勝井義雄 30) のいう支勿降下軽石堆積物に相当するものであるが, 恵庭統および樽前統 8), 18), 31) の火山灰の一部が含まれる可能性がある。
火山灰 a は下位の火山灰 b との間には時間的間隙の存在が認められる。 外観は灰白色ないし黄褐色で主として多孔質の軽石からなり, 僅かに黒色の安山岩質岩片を混える。 粒度変化は著しく概して東方, すなわち, 噴出源から遠ざかるに従って細粒となり, かつ厚さも減少する。 また, この火山灰 a は数枚の黒色ないし黒褐色の腐植土をはさんでいる。
火山灰 ao は現河床を除いてほぼ全域を通じて分布しており, 下位の a 以下とは著しい不整合関係にある。 比較的に細粒の灰白色の軽石からなり, 黒色ないし黒褐色の腐植土をはさんでいる。
次にこれらの火山灰の噴出時期であるが, 第Ⅳ段丘面上に火山灰 ao, a, b, c, d および e のすべてが堆積しているのが認められる。 火山灰 b, c, d および e は区域内の河川に刻みこまれていることから, 恐らく洪積期末の噴出に由来するものと推定される。 最も新しい火山灰 a および ao は, 前述のように現在の河床以外の地域全体を覆っていることから, 沖積世の極めて新しい時期の噴出と考えられる。
沖積層は低地帯および諸河川の主流に沿う地域およびその支沢に分布しており, 氾濫原堆積物および湿原堆積物がその主なものである。
氾濫原堆積物は厚真川, 安平川, 頗美宇沢, 宇久留沢および軽舞沢等に沿って分布しており, 礫・砂・泥ないし粘土からなる。
湿原堆積物は図幅地域の西部の低地に広く分布している。 主として草炭および泥炭質粘土からなる。
これら沖積層の表面を覆って, 極めて新しい時期の火山灰(既述の火山灰 a および ao)が広く認められることは 前述のとおりである。
本図幅地域は初めに述べたとおり, 樺太 - 蝦夷第三紀褶曲帯の南部に当っていて, 第三紀層は雄大な背斜, 向斜をくり返している。 これらの褶曲軸の主要なものは, ほぼ NNW - SSE 方向をとるが, 本地域より南では NW - SE 方向となり, ほぼ北海道の脊梁 日高山脈の方向と一致している。 これらの褶曲構造のうち, 本地域に分布する第三系の地質構造を大きく支配するのは北東から南西に, ショルマ向斜(12), 平取背斜(2), 厚真向斜(8)およびアウサリ背斜(1)である。 これらのほか, 顕著な構造として頗美字ドームを中心として南北に雁行配列する厚真複背斜がある。
これらの大きな褶曲構造に伴なって, その方向と一致するいくつかの断層が認められる。 その主要なものは東から平取断層(18), 厚真断層(17), アウサリ背斜に伴なう断層群であって, 東から西へ向つての衝上性のものが多い。
ショルマ向斜は域外北方延長は追分図幅の築別向斜となり, 南方延長は穂別図幅を経て富川図幅の二風谷向斜 26) に連なる少くとも延長 100 km に達する一大向斜構造である。
平取背斜は従来, 本図幅地域では幌内背斜と呼ばれていたもので, 南方へ追跡すると富川図幅の平取背斜 26) に連なり, 北方では本安平背斜となる。 幌内附近で沈下し, 南方では再び上昇し, 幌内以南ではその軸部を後述する平取断層によって断たれている。
厚真複背斜構造は南北に雁行配列するメナ向斜, ヤチセドーム, ヤチセ向斜, 頗美宇ドーム, 宇久留向斜, 宇久留ドーム, 軽舞ドーム, さらに域外南方にある鵡川ドーム 33) からなり, 大きくみて厚真向斜とこれの南東, すなわち, 平取背斜の南西に位置する芭呂沢向斜を距てる背斜部となっている [ 以下の [注] 参照 ] 。
厚真向斜は北方の追分向斜 34) に連続するものであって, 南方延長は低地帯下に没して不明である。 しかし, 前述の複背斜構造が芭呂沢向斜と, その南側の枝分れである清畠向斜 29) との間で消滅することから考えると, 本向斜は大局的にみて, 清畠向斜に連続するものと考えられる。
アウサリ背斜は図幅地域の西部に位置し, 北方延長は南北に追分図幅地域を縦断している。 南方延長は厚真向斜と同様に低地帯下に没し全く不明である。 この背斜はその軸と僅かに斜交する南北性の断層群によって断たれている。
平取断層は本図幅地域北東部を NW - SE 方向に走る衝上性の断層で, 従来幌内断層と呼ばれていたものであり, 北方延長は追分図幅地域まで伸び, 南方延長は穂別図幅地域を経て富川図幅地域の平取断層と連続し, さらに静内図幅地域に達する大断層である。 平取地域では大きな落差を示しているが, 本地域内の幌内附近では僅少となり, NW 方向に漸次またその落差を増す傾向を有する。
厚真断層は, 本図幅地域をほぼ南北に縦断し, 南に向うに従って, NW - SE 方向に向きを変えながら鵡川図幅地域に達する。 西側の地層が比較的整然と累重するのに対し, 東側においては, 地層はじよう乱を示し, 直立および逆転が認められ, 平取断層と同様に東から西に向って衝上した逆断層である。 また, この厚真断層に附随するいくつかの断層が認められる。
以上の2つが顕著なものであるが, これらのほかに同傾向のものとして, アウサリ背斜に伴なう2~3条の断層群がある。
前述のとおり, 本地域および周辺地域の主要な地質構造を概観すると, 広く古期岩類からなる南北性の日高山脈, あるいはこれの前面に併走する夕張山脈の方向と一致し, 古い地層は東に分布し, 新しい地層は逐次西方に分布する。
また, これらの地域を構成する地層は東ほど粗粒堆積物が多く, かつ, 地層の厚さも厚い傾向 -- 特に振老層 -- をもっており, 全体を通じて地層の傾斜も東ほど急で, 西に行くほど緩やかになる。
このようなことから, 堆積物の供給源, すなわち, 東方脊梁山地の隆起とその西側前縁部の著しい沈降を考えなければならない。 かつ, このような運動が時代の推移とともに, 漸次西へおよんだものと考えられる。 したがって, 現在認められるような脊梁山地の方向に平行な褶曲構造を形成した運動は, すでに振老層の堆積中に始まっており, 第三系堆積中ずっと継続し作用したものと推定される。 これは特に振老層堆積時に顕著であったと考えられている [ 以下の [注] 参照 ] 。
また, これらの褶曲構造と同じ方向性をもつ前述の主要な断層も既述のとおり, 東から西への衝上性のものが多く, 褶曲構造を形成した東からの側圧によるものと考えられ, 両者は密接不可分の関係にある。
以上述べた褶曲および断層を形成した造構造運動は, 第三系堆積中ずっと引続いた運動によるものではあるが, 現在みられるような地質構造が終局的に決定されたのは, 萌別層堆積後 -- おそらく鮮新世末, 第四紀以前 -- である。
本図幅地域は勇払油田 [ 以下の [注1] 参照 ] と総称されている地域の主要部に当る。 この油田については, 小林儀一郎 1) , 竹原平一 10) 等による調査がある。 また, アウサリ背斜は千歳油田 [ 以下の [注2] 参照 ] の南方延長に当る。 地質構造の項で述べた各背斜には多くの石油の表面徴候が認められる。 なかでも宇久留ドームおよび軽舞ドームは古くから産油し, 現在その産油量は全く低下しているが, なお僅かながらも稼行されている。 以下, 竹原平ーの報告 10) その他 19) からその概要を述べる。 これらの油田は記録によれば明治時代に既に試掘されたが, 本格的な産油を見るに至ったのは, 手掘りあるいは上総掘りに代って ロータリ一式鑿井機が採用されるようになった昭和 7 年頃から以降である。
| 原油名 | 初溜 | 10 % | 20 % | 30 % | 40 % | 50 % | 60 % | 70 % |
| 厚真原油 | 87 | 154 | 182 | 219 | 256 | 271 | 312 | - |
| 原油名 | 比重 | 粘度(レッドウッド秒) | 凝固点(℃) | 硫黄分(%) | パラフィン分(%) | 残留炭素(%) | タール分(%) | 泥水分(%) | 色相 | |
| 30 ℃ | 50 ℃ | |||||||||
| 厚真原油 | 0.892 | 39.5 | 34.5 | -30 以下 | 0.10 | 0.35 | 0.62 | 24.5 | 0.2 | 黒色 |
| 油田名 | P.H | SiO2(g / l) | Fe2O3・Al2O3(g / l) | Ca(g / l) | Na(g / l) | K(g / l) | HNO3(g / l) | Cl(g / l) | I(g / l) | Br(g / l) | SO2(g / l) | CO3(g / l) | Mg(g / l) | 固形総量(g / l) |
| 振老 | 8.53 | 0.016 | 0.006 | 0.013 | 4.7582 | - | 0.064 | 6.2792 | 0.031 | 0.004 | 0.001 | 1.326 | 0.035 | 12.614 |
| 軽舞 | 8.67 | 0.025 | 0.008 | 0.028 | 4.0619 | - | 0.050 | 6.1591 | 0.031 | 0.018 | 0.005 | 0.864 | 0.109 | 11.572 |
| 油田名 | CH4(%) | CmHn(%) | CO2(%) | O2(%) | CO(%) | 残滓(%) | その他(%) | 備考 |
| 振老 | 67.94 | - | 0.6 | 6.6 | 0.4 | 23.86 | 0.6 | |
| 軽舞 | 77.28 | 19.32 | 0.8 | 1.2 | 0.2 | - | 1.2 | 吹込線不定のためコアー混入 |
| 年 ↓ / 油田 → | 振老(kl) | 軽舞(kl) | 北海道合計(kl) |
| 明治 40 年 | - | 86 | 476 |
| 41 | - | 67 | 433 |
| 42 | - | 50 | 355 |
| 43 | - | 20 | 301 |
| 44 | - | 19 | 216 |
| 45 | - | 29 | 1,151 |
| 大正 2 | - | 10 | 701 |
| 3 | - | 15 | 877 |
| 4 | - | 8 | 1,495 |
| 5 | - | 8 | 1,181 |
| 6 | - | 7 | 986 |
| 7 | - | 6 | 965 |
| 8 | - | 2 | 931 |
| 9 | - | 7 | 887 |
| 10 | - | 17 | 1,176 |
| 11 | - | 90 | 1,617 |
| 12 | - | 233 | 2,625 |
| 13 | 148 | 249 | 3,937 |
| 14 | 279 | 298 | 6,761 |
| 15 | 881 | 639 | 8,423 |
| 昭和 2 | 1,895 | 793 | 12,038 |
| 3 | 1,582 | 1,369 | 15,146 |
| 4 | 2,110 | 2,396 | 15,265 |
| 5 | 1,779 | 5,386 | 17,047 |
| 6 | 1,693 | 7,727 | 18,573 |
| 7 | 1,527 | 6,882 | 16,178 |
| 8 | 2,175 | 5,626 | 14.272 |
| 9 | 3,288 | 5,078 | 13,897 |
| 10 | 3,541 | 4,232 | 12,591 |
| 11 | 3,777 | 3,171 | 11,264 |
| 12 | 3,245 | 2,560 | 10,749 |
| 13 | 3,160 | 2,177 | 9,756 |
| 14 | 2,937 | 2,149 | 9,305 |
| 15 | 2,581 | 1,707 | 8,792 |
| 16 | 2,351 | 1,632 | 8,298 |
| 17 | 2,314 | 1,609 | 7,524 |
| 18 | 1,970 | 1,182 | 6,754 |
| 19 | 1,662 | 938 | 5,853 |
| 20 | 1,333 | 778 | 4,822 |
| 21 | 1,218 | 663 | 4,037 |
| 22 | 1,277 | 713 | 4,153 |
| 23 | 1,078 | 542 | 3,607 |
| 24 | 1,106 | 500 | 3,925 |
| 25 | 1,117 | 501 | 3,927 |
| 26 | 1,052 | 504 | 3,780 |
| 27 | 1,031 | 460 | 3,722 |
| 28 | 1,047 | 434 | 3,762 |
| 29 | 1,048 | 393 | 3,627 |
| 30 | 1,007 | 345 | 3,443 |
| 31 | 986 | 248 | 3,309 |
| 32 | 871 | 35 | 2,810 |
| 総計 | 59,066 | 64,590 | 297,720 |
| 明治 36 年(1903 年) | 336 kl |
| 37 | 396 |
| 38 | 670 |
| 39 | 471 |
| 合計 | 1,873 |
本油田中, 現在までに産油をみたのは宇久留ドームの 三毛内沢 および軽舞ドーム地域であり, 前者が振老油田で後者が軽舞油田である。
位置 :
振老油田は本図幅地域の中央部厚真村厚真(旧 振老)市街の東方約 4 km に位置し, 南北延長約 3 km, 東西約 1 km の範囲であって宇久留背斜の軸部にあたる。
沿革 :
振老油田における石油鉱区は北海道石油組合, 南北石油(明治 38 年), 宝田石油(明治 41 年), 日本石油(大正 10 年), 帝国石油(昭和 17 年), 北海石油(昭和 31 年)と順次経営が移り現在に至っている。
開発当初には手掘り井によって少量の原油を採油 [ 以下の [注1] 参照 ] していたが, 大正 13 年に試掘を開始し, 上総掘りにて浅層の出油があり, さらに綱掘りを実施して深油層を発見するようになった。 綱掘り4号井は大正 15 年 9 月に深度 644 m で成功し日産 50 石を採油した。 日本石油会社においては昭和 7 年からロータリー式を採用し, 昭和 11 年 9 月ロータリ一式 45 号井は深度 800 m で日産 30 石の産油をみた。 昭和 14 年 5 月末現在では, ロータリ一式坑弁は 64 坑, 綱掘式坑井は 33 坑, 上総掘式坑井は 28 坑, そのほか大日本石油鉱業株式会社 [ 以下の [注2] 参照 ] の共同井(手掘井)18 坑の計 143 坑が開坑されていた。 本油田は昭和 11 年には 3,777 kl / 年と最盛時を示したが, その後は漸減の一途をたどり, 昭和 32 年度には 871 kl / 年の採油量を見たにすぎない。
地質および構造 :
宇久留ドームはこの地区では N 25°~30°W の方向をもち南へ緩やかに沈降し, 軸部に振老層を露出させており, その上位に軽舞層が累重する。 本ドーム軸西方にほぼ平行して走る断層が存在するために, 背斜の西翼は軸部附近を除いて一般に 40°~70°の傾斜を示すが, これに反して東翼は一般に 45°以下の緩傾斜を示しており, 本ドームは軸面が東方に傾斜しているいわゆる非対称背斜である。
油層の厚さはおおむね 1 m 以下で貯溜岩は細粒砂岩である。 本油田の油層は地表からの深度によって以下のように3大別される。
三毛内沢附近では軽舞層および振老層中に開坑し採油を行っているが, 含油砂層の膨縮および尖滅が著しいために, 一般に各油層の厚さおよび面積は大きくなく, 一坑井にかなりの出油をみても隣接坑井においてはほとんど出油しないという場合も多く, このような油層の不連続が見られる。
位置 :
軽舞油田は厚真市街の南東方約 8 km に位置し, 北西 - 南東延長は約 2 km, 北東 - 南西は約 1.5 km の範囲であり軽舞背斜の軸部に当る。
沿革 :
軽舞油田は明治 39 年 7 月インターナショナル石油会社が綱式1号井を初めて関坑し, 明治 40 年 6 月に深度 550 m で掘止め日産 10 石内外の出油があり, 引続き綱式2号井は深度 484 m, 3号井は深度 772 m まで試掘したが不成功に終り, 明治 44 年 2 月日本石油の経営に移り, 大正 10 年 11 月綱式4号井を試み, 深度 392 m で日産 12 石の出油があり, その後 119 坑を掘り昭和 6 年には 7,727 kl / 年の最高産油量を示した。 昭和 10 年以降は採油のみ続けており産油量は漸減している。 昭和 17 年に帝国石油と合併し, 昭和 25 年には帝国石油により深部開発の目的をもって深度 1,107 m まで掘鑿したが, 良好な油層に当らず廃坑した。 さらに昭和 31 年 5 月振老油田とともに北海石油の経営に移っているが, 現在は極めて少量を産油しているにすぎない。
地質および構造 :
軽舞ドームはこの地区では N 45°W の走向をもち, 宇久留背斜と雁行している。 軸部には軽舞層の砂岩泥岩互層が露出し, その上位に上部硬質頁岩が累重している。 軽舞背斜の軸心部寄りでは概して両翼とも 25°内外の傾斜を示すが, 遠ざかるにしたがいその傾斜を増し, 西翼は東翼に比して急傾斜を示し, いわゆる非対称性背斜構造である。
坑井記録によれば, 油層は概して地表下 350 m から 750 m にわたる間に賦存するが, 振老油田と同様に膨縮尖滅が著しく各坑井ごとに不連続のようである。
試掘地 :
前述した油田のほかに現在までに試掘が行われた地域には, トニカ試掘地, 紋別沢試掘地, 軽舞沢試掘地および石油沢試掘地があるが, 産油をみず何れも廃坑となっている。 これについて竹原平一の報告をもととしてその概略を述べると次のとおりである。
トニカ試掘地は厚真市街地の東約 4 km のトニカ附近に位置し, 大正 13 年以来広瀬某が綱掘式で 4 坑井を開坑したが出油量僅少のため中止し, 昭和 9 年日本石油はロータリ一式で1号井および2号井を掘鑿したが不成功に終った。 油徴深度は第 8 図のとおりである。 なお, 本地域は頗美宇ドームの軸心部でトニカ層の分布する地域である。
紋別沢試掘地はトニカの南方約 4 km に位置しており, 昭和 2 年に日本石油は東老軽舞綱掘第1号井を掘鑿し, 深度 1,524 m まで至ったが出油を見ず廃坑とした。 本試掘地は頗美字ドームの軸部にあり, 振老層中から試掘したものである。
軽舞試掘地は軽舞沢中流に位置しており, 昭和 6 年に日本石油が綱掘 21 号井を開坑し, 深度 632 m に達したが出油を見ず廃坑した。 本試掘地は軽舞背斜の南部沈降部にあり, 多数の石油徴候が認められる。
石油沢試掘地は宇久留沢側支流の石油沢との合流点近くに深度 454 m の試掘を行ったが 出油せず廃坑とした。 この地域は軽舞層の上部硬質頁岩が分布し, 宇久留ドームの南部沈降部にあたる。
以上, 本地域の油田について述べたが, 含油層である振老層および同層準の地層が広く分布し, 特に一つの大きな向斜構造中に多くの背斜あるいはドーム構造が認められるにもかかわらず, 振老および経舞油田 -- 宇久留ドームおよび軽舞ドーム -- のみが 産油を見ているにすぎない。 このことは含油層が振老層の比較的上部に限られるために, 侵蝕程度が産油を大きく支配しているものと推察される。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
(Sapporo, No. 43)
By KYUYA MATSUNO and MASAO ISHIDA (Written in 1959)
The sheet covers the area from 42°40' to 42°50' N. Lat. and 141°45' to 142°00' E. Long.. On the basis of the topographical features, the area is divisible into three portions, eastern, central, and western, extending in north-southery direction respectively.
The eastern portion, in which the Fureoi and Karumai formations develope, is a dissected mountainous region at an altitude of 180 to 400 meters. The central portion is covered by several steps of flat topped terrace planes whose foundations are mostly composed of the Moebetsu formation. The last, western portion, which is a part of the Sapporo - Tomakomai Lowland, is covered by low table lands at an altitude of 10 to 20 meters and by swampy low land.
In this area, the Neogene Tertiary and Quaternary strata are distributed. The subdivisions of the strata and their stratigraphic sequence are given in Table 1.
The Tonika formation is the lowermost member in this area. Its distribution is quite restricted ; only its uppermost horizon can be seen in the axial part of the Habiu dome. It consists of tuffaceous hard shale intercalated with a layer of augite hypersthene andesitic tuff breccia. The occurrence of marine molluscan fossils was ascertained in the horizon below the hard shale by the two test borings for petroleum in 1934. But from this molll1scan fauna the geological age of this formation was not ascertained for sure at that time.
From the similarity of the rock facies and its stratigraphical position, this formation is probably correlated to the middle Miocene Takinoue and Sakae formations in the adjacent area.
This formation is divided into two lithological units roughly : an alternation of sandstone and mudstone in the lower and an alternation of conglomerate and sandstone in the upper. The boundary between the two is not so sharp, as they interfinger with each other in many places.
The alternation of sandstone and mudstone is composed of fine or medium grained sandstone and mudstone which sometimes become silty or sandy. In the upper part of this alternation, four or six layers of tuff are interbedded ; they are traced to the north-western and south-eastern directions broadly. But their south-western extension is not clear.
The alternation of conglomerate and sandstone is composed of conglomerate and sandstone chiefly with sometimes mudstone or hard shale appearing in the alternation as intercalations. It is found that the above mentioned rocks occur with orderly repetition of a sequence of cyclothemic arrangement, in ascending order, i) conglomerate, ii) sandstone, and iii) alternation of sandstone and mudstone or hard shale. The coarser sediments such as conglomerate and coarse sandstone are dominant in the eastern area becoming finer toward the west. At Ukuru dome, at the western extremity of the distribution of the Fureoi formation, those coarser sediments are absent in its upper part.
The geological age of this formation is ascertained to be Miocene from the foraminiferal fauna contained in it.
The Karumai formation covers the above mentioned Fureoi formation conformably. It is divided into three members in ascending order, a lower hard shale, an alternation of sandstone and mudstone, and an upper hard shale.
The lower hard shale is compoosed of an alternation of platy hard shale 10 - 15 cm in thickness and of thin layers of mudstone, siltstone or sandstone. The alternation of sandstone and mudstone in the middle part of the fomation consists chiefly of sandstone and mudstone with intercalated hard shale. In the northern part of the area, this alternation has a layer of tuff in the middle portion which can be traced in some extension. The upper hard shale is an alternation of hard shale, mudstone, siltstone and sandstone. Amongst them, hard shale is most dominant.
From this formation, a small number of molluscan and foraminiferal fossils were collected. On the evidence of these fauna it is concluded that the geological age of this formation is Miocene.
The Moebetsu formation transforms from the Karumai formation gradualy, and is composed of four units of rock facies, namely, an alternation of siltstone, sandstone and hard shale, an alternation of sandstone and siltstone, a conglomerate, and a sandy siltstone. The interrelations between these different rock facies are those of lateral change.
A few examples of foraminiferal fossils which are judged to belong to Miocene fauna are contained in the basal part of the formation.
The Quaternary sediments are of (a) unconsolidated gravel, sand, silt and peat which built up the flat topped terrace surfaces, (b) volcanic fall ashes, (c) alluvial deposits and (d) moor deposits. Among the first, the silt bed which constitutes a part of the terrace 30 - 80 m high yields some fossils of shallow marine dwellers at the southern part of the town of Hayakita.
The terrace deposits and volcanic fall ashes except the uppermost member of ashes are probably Pleistocene in age, judging from the elevation of their distribution above sea level.
The Fureoi formation and its equivalent Kawabata and Masuporo formations are the main reservoir of the oil fields in Hokkaido, and the overlying hard shales of the Karumai formation serves well as cap rocks. In addition, many good structures such as anticlines and domes are distributed in this area. Among them, the Ukuru and Karumai domes have been exploited since the beginning of this century. In the period a few years before and after 1932 when the rotary boring machine was introduced to this oil field, the production increased remarkably, but since then, the output has gradually declined to 2,845 kl in 1957 which is one-third of the peak.
From the record of the wells, the reservoir rocks are distributed at comparatively shallow depths of 70 to 750 m from the surface through both domes.
On the other hand, structures other than the above two have been prospected by many companies, but there has been no production yet.
昭和 35 年 3 月 15 日 印刷 昭和 35 年 3 月 20 日 発行 著作権所有 北海道開発庁