03035_1965
5万分の1地質図幅説明書
(旭川 第 35 号)
北海道立地下資源調査所
嘱託 橋本亘
技術吏員 長尾捨一
嘱託 菅野三郎
北海道開発庁
昭和 40 年 3 月
この調査は, 北海道総合開発の一環である, 地下資源開発のための基本調査として, 北海道に調査を委託し, 道立地下資源調査所において, 実施したものである。
目次 はしがき I. 位置および交通 II. 地形 III. 地質概説 IV. 白堊系 IV.1 下部蝦夷層群 IV.1.1 硬質灰色砂岩部層(Ly1) IV.1.2 硬質砂岩頁互層(Ly2) IV.1.3 塊状砂質泥岩部層(Ly3) IV.1.4 細粒砂岩部層(Ly4) IV.1.5 塊状暗灰色泥岩部層(Ly5) IV.1.6 砂岩頁岩薄互層(Ly6) IV.1.7 板状砂岩部層(Ly7) IV.2 中部蝦夷層群 IV.2.1 滝見橋層 a) 基底砂岩礫岩部層(My1) b) 砂岩頁岩互層(My2) c) 暗灰色泥岩部層(My3) IV.2.2 天狩峠層 a) 板状砂岩部層(My4) b) 暗灰色塊状泥岩部層(My5) IV.3 上部蝦夷層群 IV.3.1 佐久層(Uy1) IV.3.2 暗灰色シルト岩部層(Uy2) IV.3.3 暗灰色砂質シルト岩部層(Uy3) IV.3.4 砂岩頁岩互層(Uy4) IV.3.5 暗灰色砂質シルト岩部層(Uy5) IV.4 未区分白堊系(K) IV.5 白堊系を貫く火成岩類 IV.5.1 蛇紋岩(Sp) IV.5.2 微閃緑岩(Md) IV.5.3 優白岩(Lc) IV.5.4 粗粒玄武岩(Dl) V. 新第三系 V.1 築別層(Cb) V.1.1 朱鞠内挾炭部層(Cbc) V.1.2 三十線沢含化石砂岩部層(Cbs) V.1.3 朱鞠内挾炭部層と三十線沢含化石砂岩部層との関係 V.1.4 天狗の鼻泥岩部層(Cbm) V.2 古丹別層(Kt) V.2.1 羽幌岳礫岩部層(Ktcg) V.2.2 逆川砂岩部層(Kts) V.2.3 石油沢泥岩部層(Ktm) V.3 ピッシリ岳層(Ps) V.3.1 馬糞沢挾炭部層(Bz) V.3.2 釜ケ渕集塊岩部層(Psag) V.3.3 湖南凝灰質泥岩部層(Pstf) V.3.4 北大島礫岩砂岩部層(Pscg) V.4 政和層(Sw) V.5 新第三系を貫く火成岩類 V.5.1 安山岩(An) V.5.2 玄武岩(Bs) V.6 第三系の時代および対比 VI. 鮮 - 更新統 VI.1 蕗の台層(Fd) VII. 第四系 VII.1 高位段丘堆積物(Th) VII.2 低位段丘堆積物(Tl) VII.3 沖積層(Al) VIII. 地質構造および地史 VIII.1 地質構造概観 VIII.2 地史 IX. 応用地質 IX.1 石炭 IX.1.1 朱鞠内川上流地域の石炭 IX.1.2 砂金沢地域の石炭 IX.2 亜炭 IX.2.1 ピッシリ岳層馬糞沢挾炭部層(Bz)の亜炭 IX.2.2 政和層(Sw)の亜炭 IX.2.3 蕗の台層(Fd)の亜炭 IX.3 石油及び可燃性天然ガス IX.3.1 第四系中の油徴と天然ガス IX.3.2 第三系中の油徴 IX.3.3 白堊系中の油徴 IX.4 砂鉱床 IX.4.1 砂金 IX.4.2 砂白金 IX.4.3 砂クローム鉱 a) 添牛内地域の砂クローム鉱 b) 温根別北線地区の砂クローム鉱 c) 三十線沢支流の砂クローム鉱 文献 Résumé
図および表 第 1 図 相雲内川蛇紋岩地形 第 2 図 中部蝦夷層群基底の不整合面 第 3 図 築別層と白堊系の不整合見取図 第 4 図 三十線沢ルートマップ 第 5 図 三十線沢含化石砂岩部層(Cbs)の露頭 第 6 図 三十線沢含化石砂岩部層(Cbs)の生痕 第 7 図 馬糞沢挾炭部層(Bz)の含化石部露頭 第 8 図 馬糞沢挾炭部層(Bz)の化石産状 第 9 図 北大島礫岩砂岩部層(Pscg)の模式地における露頭 第 10 図 地質構造概念図 第 11 図 試錐位置図 第 12 図 炭柱図 第 13 図 朱鞠内川ルートマップ 第 1 表 層序関係総括表 第 2 表 My3 部層産化石表 第 3 表 My5 部層産化石表 第 4 表 Uy1 部層産化石表 第 5 表 Uy2 部層産化石表 第 6 表 Uy3 部層産化石表 第 7 表 三十線沢含化石砂岩部層(Cbs)産化石表 第 8 表 湖南凝灰質砂岩泥岩部層(Pstf)産植物化石表 第 9 表 原油分析値表
5万分の1地質図幅説明書
(旭川 第 35 号)
本図幅の調査は昭和 36 年から 38 年にわたる間に延約 270 日をついやした。
調査にあたっては, 東京教育大学地質鉱物学教室における進級論文及び卒業論文が参考とされているほか, 石炭に関しては北海道地下資源調査所, 札幌通産局石炭部, 幌加内鉱業株式会社所蔵の資料なども利用されている。
調査精度は, 大部分の地域は「1 / 25,000 地形図」を利用したが, 時には航空写真から製作した河川図や「1 / 5,000 歩測見取図」を作った。
新第三系の分布地域は主として菅野三郎が調査し, それ以外のところは主として橋本亘が調査した。 燃料鉱床の賦存地域を中心として長尾捨一の調査が行なわれたが, もとより, 二人, あるいは三人で協同調査を行なっている。
調査にあたっては, 羽幌, 古丹別, 幌加内, 士別の各営林署, 名寄林務署, 北海道大学 雨竜演習林の御世話になったことは絶大なものがあった。 調査の年に応じて各種の施設を十二分に利用させて頂けたので, 短期間であったのにも拘らず, この不便な山中をこの精度で調査することが出来得たのである。 ここに記して心から感謝をしたい。
また, 北海道電力株式会社においても 朱鞠内湖の島々や周辺の調査にはいろいろと便宜を供与された。 併せて謝意を表したい。
岩石の鑑定については東京教育大学の柴田秀賢教授及び黒田吉益博士の御助言を得たし, 有孔虫に関しては, 青木直昭博士並びに大原隆修士の御教示を得た。 第三紀植物化石については遠藤誠道博士に御鑑定を御願いした。 五氏に厚く御礼を申し上げる。
本図幅調査に当たり個人的に資料の提供をうけた方々は, 小岩井隆博士, 猪間明俊, 品田穣, 吉沢壮夫, 渡辺彦祐, 長瀬和雄, 松尾康弘, 戸野聡, 小屋開地稔, 平一弘, 北村一成, 和島実 各学士である。 野外調査の応援をして頂いた学生諸君は買手谷仁, 市川慧, 落合宏, 神谷英利, 磯貝文男 各学士並びに山田辰明, 川北敏章, 小坂征雄の各氏である。
朱鞠内の黒瀬定正氏には Cycadeoidea の寄贈をうけた。
以上の方々に心からの御礼を申し上げる。
本地域の中央よりわずかに東に偏ったところを 雨竜 川が南北に走っている。 これが主要交通路の場所となっていて, [ 国鉄 ] 深名 線とそれに沿う道路がある。 そして, そこに農耕地が拓かれている。 この主要幹線路に直交して, 図幅の南端から約 1 / 4 北によったところを東西に 士別 ~ 古丹別 道路 [ 以下の [注] 参照 ] が通っている。 図幅調査のはじめの頃には, この道路は 天狩 峠までしかジープを通ずることが出来なかったが, 昭和 39 年秋には全線開通した。
図幅の東側約 1 / 4 は士別市に属し, 温根別 川の支流の流域で, 各河線に沿って比較的良く農耕地が発達している。 温根別 北線の谷を通る道路 [ 以下の [注] 参照 ] は, 図幅調査開始の年に 朱鞠内 まで開通したが, 翌年からは, バスは, 湖南小学校までしか通わなくなってしまった。 そして朱鞠内行のバスは士別峠から添牛内を経由するもの一路線にしかすぎない。
古丹別川と 羽幌 川にはそれぞれ古丹別と羽幌を起点とする森林軌道があって, 前者は本図幅の西端に近いところまで, 後者は一頃は分水嶺にかなり近いところまで敷設されていた。 それぞれその終点付近に事業所があったが, 調査期間の中頃から軌道と共に撤去され始めた。 羽幌川の方にはそれにかわって自動車を通ずる林道が建設された。 しかし, 調査期間中には水害その他の事故があって, 十分利用出来なかった。 それでも, 天幕調査には良い base camp となったことがすくなくない。
朱鞠内川にそって約 9 km の林道があって調査に役立った。 また調査の最後の年には, ウツナイ川第二堰堤から貯水池の西を通って蕗の台に行く道路の建設が始められた。
こうした自動車道路のほかに, 営林署, 林務署及び大学演習林地内には多少の歩道が見られる。
本域の中央部は雨竜川とその支流の流域である。 雨竜川は本域の東北から, ほぼ中央部を南下する。 上流部は朱鞠内の北で堰止められ朱鞠内湖となっている。
大きな支流は右岸側のものに多く, その大部分が西側の山地に源を発する。 ウツナイ川だけが北から本図幅内に流れ入る。 その一部は堰止められて朱鞠内湖の一部(雨竜第二貯水池)となっている。
それと合流する朱鞠内川は本図幅内では一番大きな支流で, 石油沢, 中股沢の大支流をもち, ガロ [ ? ] の上流で二股になっている。 二股から上は ガロを作る砂岩礫岩層の山稜と羽幌川との間の分水嶺との間にある低山地の水を集めている。
朱鞠内川の南にあっては三十線沢が大きい支流である。 その南では相雲内川が大きい川で, 古丹別へ越える2級国道はここに開さくされた。 図幅南端には 新富 の農耕地を流れる 豊富内 沢が一部見られる。 その支流のタヌキ沢と 悟空 沢がこの図幅内に見られる。
雨竜川の東側の山地は, 分水嶺まで北海道大学の演習林であるが, そのなかではピラトルオマナイ川と大学五号の沢が多少大きい。
図幅の東側は温根別川とその支流の排水域で, 温根別川の沢頭は朱鞠内湖に達しようとしている。 その支流の大きなものにオロウエンベツ川とシュルクタウシベツ川がある。 後者の流域は図幅の東南部にあって図幅の約 1 / 8 の面積を占めていて, いくつかの大きな支流をもっている。
図幅の西側は羽幌川と古丹別川の流域である。 羽幌川の流域の幅は図幅の西縁部に沿って北から約 3 / 4 に達する。 東西は図幅の 1 / 8~1 / 4 ほどの間を占める。 それに比べると, 古丹別川の流域は小さく, 図幅の面積の 1 / 8 にも達しないであろう。
羽幌川水系は北から 中の二股 川とその支流, 逆 川とその支流, 大椴 沢 [ 位置不明 ] , 本流上流部とその支流, 知命 沢の5地域の集水区をもつ。
古丹別川は本図幅の西縁付近でいくつかの大きな支流に分れている。
こうした大きな水系の境をする分水嶺のうち, 重要なものは雨竜川の東西の二つである。
西のものは幌加内図幅の 三頭 山(1,009.1 m)から北に向ってつづく尾根で, 本図幅に入ってから, 813 m, 706 m の標高点をすぎ西北に向い, 羽幌川・古丹別川・相雲内川の三集水域の会合する 627 m 標高点から東北に向う。 つづいて北々西に向い 524 m の 空蝉 山 [ 位置不明 ] から東々北に向って 549 m 標高点に行き, そこから北上し, 蕗の台図幅内のピッシリ山(1,031.5 m)に向う。
このような分水嶺の屈曲について調べるために, 1 km の谷を埋めた地形復原図を作ってみる。 そうするとその原因は河川の争奪にあったらしいことがわかる。 朱鞠内川の奥の二股になったところの低夷山地や, 相雲内川上流部や逆沢で代表される部分は, 恐らく争奪の結果現在のようになったのであろう。 このように復原してみるともとの分水嶺は素直に南北に走っていたことになる。
雨竜川の東の分水嶺方面についても, このようにして地形復原図を作り眺めて見ると, シュルクタウベツ川が水量に比して谷幅が広く, かつ, 広く段丘面の発達する部分には朱鞠内湖の方に向う旧水路があったような印象をうける。
地質の特性は地形に良くあらわれている。 蛇紋岩は円味を帯びた山となり, 山腹には崖崩れが多い(第 1 図)。 中部蝦夷層群基底部層(My1)は高い山を作り, 板状砂岩部層(My4)は崖を作り, いづれも長距離に亘って追跡される。 白堊紀層泥岩は低い地形を呈する。 羽幌岳礫岩部層(Ktcg)も侵蝕に対して強いし, 釜ケ淵集塊岩部層(Psag)も同様である。
こうした地形的特徴によって構成される山地のあちらこちらに平坦面が認められる。 そうしたものの中に, 堆積物を頂いているものがある。 それらのうち古いものは現河川系よりは古いものの成生にかかわり, 若いものは現河川の両岸の河岸段丘である。
そうした礫層をもつ平坦面については第四系の記載の中で多少精しくのべる。
本域に発達する地層や火成岩の相互関係は第 1 表のように要約される。
さて本域は 神居古潭 構造帯 の直上部をその中心にもつ。 従って, この構造帯の特徴である 大塊をなす蛇紋岩 が図幅の南縁のほぼ中央より少し東寄りのところから出現し, 雨竜川を横ぎり, 北々西に向って分布する。
この蛇紋岩に伴う神居古潭変成岩類は, 模式地の神居古潭から北上し, 本図幅に南接する幌加内図幅まで連続して来るのだが, 本図幅までは達していない。
この蛇紋岩は下部蝦夷層群を貫ぬき, それ自体は, 微閃緑岩 や 優白岩 に貫ぬかれ, 新第三系に不整合に覆われている。
下部蝦夷層群に始る 白堊紀堆積物 は, 図幅の大部分を占める。 上・中・下に三分され, 中部と下部蝦夷層群との間には不整合が認められる。
下部蝦夷層群 は蛇紋岩に貫ぬかれ, それをほぼ中心核にするかのように大きく背斜している( 幌加内背斜部 )。 最下部と最上部との砂岩層(Ly1, Ly7)を除き, 一般に細粒の堆積物である。 7部層に細分され, 下部から Ly1~Ly7 と名付けられる。
幌加内背斜部の東翼には Ly1~Ly5, 西翼には Ly5~Ly7 が分布する。 東西の Ly5 は薄い凝灰岩層を介在する暗灰色泥岩層で, これ等の地層以外には顕著な凝灰岩層が見られないところから, 両翼部がこのように比較された。
化石は極めて少ないが, Ly7 が中部アルビアン世の堆積物である可能性が示されている。
中部蝦夷層群 は, 下部蝦夷層群の作る背斜を縁どるように分布する。 凝灰岩を介在する極めて厚い基底礫岩砂岩層に始り, 二つの堆積輪廻から成る。 即ち, My1~My3 と My4~My5 である。 My3 の中にセノマニアン世とアルビアン世の境の存在が予想される。 My4 は砂岩礫岩層で北方に向って厚くなる。 南方では板状砂岩層で稀に礫岩を介在するのだが, 北方においては極めて厚い礫岩層が発達しているし, 暗灰色泥岩層を介在する。 My5 層は厚い泥岩層で, 精しく調査すれば更に細分は可能である。 セノメニアン世の中における, ギリヤーク世直前亜期とギリヤーク世の境界はこの地層の中にある。
My4 層は相雲内川から, 北々西に向かうノーズ構造(鼻状構造) [ 以下の [注] 参照 ] を出し, その延長は羽幌川支流逆川及び中の二股沢の上流に出現する。
このノーズ構造の東にはやはり北々西~南々東方向をもつ白堊系の向斜部 [ 以下の [注] 参照 ] があって, 主として上部蝦夷層群下部の地層から出来ている。 この向斜部の東北隅に当たって羽幌川支流の中の二股川上流の支流の 白地畝 沢と朱鞠内川支流の中股沢の上流との間の分水嶺のところで, また一つのノーズ構造の出発点のような背斜が見られる。
上部蝦夷層群 は Uy1~Uy5 に細分される。 Uy1 は, 岩相と含有化石の両者からみて, 中川郡中川町の佐久付近を模式とする佐久砂岩層の南方延長と見てよろしい。 Uy3 は そのほぼ中部の層準に Inoceramus uwajimensis YEHARA の密集帯があるシルト岩層で 極めて厚く, 精査により更に細分されよう。 Uy4 は I. amakusensis 帯から I. naumanni 帯に亘る地層である。 Uy5 は下部に海緑石を含む緑色の砂岩層をもつ砂質シルト岩層である。
以上は図幅の西側の中・上部蝦夷層群の様子であるが, 東側のものについては, 特別な岩相をもった My1 部層の識別は容易であるが, 他の地層は化石の産出も極めて少なく, 泥質岩が多く, 従って露出も良くない。 そこで, 地層の判別は中々困難である。
Uy1 と考えても良いような岩相がオロウエンベツ川のダム地点に見られる。 西側とはかなり見掛けが異なるのだが, 仮にここに入れてある。 オロウエンベツ川に沿って図幅の東側に分布する Uy4 の判定は, オロウエンベツ川の転石から Anagaudryceras yokoyamai (YABE) を得たことと, 北海道地下資源調査所の蒐集化石(士別市 地質図, 1959)によったほか, 18 線における 風連 越林道の沢の落合のところで得られた Eupachydiscus haradai (JIMBO) [ 以下の [注1] 参照 ] や 北温 小学校 [ 以下の [注2] 参照 ] にある菊石等によった。
My5 と判定した地層も暗灰色の泥岩層がその主体であるが, 北温小学校の東に当たる温根別川の露出(図幅外)で得た Mesopuzosia spp. や Pseudouhligella japonicum (YABE) 等によった。 しかし, 温根別 仲 線地域に広く分布する泥岩からは何等きめ手になるような化石を発見できなかった。
新第三系 は図幅の中央部の少し南の添牛内地域から北方に向って, あたかも北方に下部を置いた 風構 の形「几」に分布している。
新第三系は, 西隣する 三渓 図幅から追跡して来た結果, 下部から 築別 層 , 古丹別層 の延長部が, かなりの層相変化を示しつつ本図幅に分布して来ることがわかった。 それらを不整合に覆って ピッシリ岳層 がある。
築別層 の最下部は海成化石を多産する砂岩層で, 稀に著しい礫岩層をもち, 南部や東部では蛇紋岩質砂岩で, 蛇紋岩の極めて起伏面に富んだ地形のところに, 入江をつくりながら堆積が進行して行ったことが, 基底層の分布や貝化石の産状, 性質からよくうかがわれる。 こうした状態の海侵であったので, 処によってこの中に 挾炭層 が発達し, 時の経済事情次第では稼行可能の程度の厚さの炭層を介在する。 その上に重なる泥岩層は極めて厚いものであるが, 殆ど泥岩ばかりの部分と, スランピングを伴う砂岩や礫岩をもつ部分とに分けられる。 後者は明らかに古丹別層が東に向って急速に礫や砂を失って変わってきた地層である。 本格的に古丹別層らしい岩相は羽幌川本流の上流部から, その支流の逆川にかけての一帯で羽幌岳(649.2 m)を中心として分布するに過ぎない。 図幅西北隅における古丹別層(三渓図幅からの直接の延長部)でも 礫の量は急速に減って来ている。 しかも築別層との境界は整合である。 こうした諸点は, この付近の今まで知られた事実と著しい差を示すもので, 重要なことである。
即ち, このことは, 古丹別層の礫の供給源が東にあるという従来の考えかたと全く相容れない。 また, 達布図幅 [ 添牛内図幅の南西に隣接する図幅 ] を見ると, 鍵層の凝灰岩は西に向って, 下位の地層に接しつつ消えて行く。 このことは西側に, 西の方に向って上がっていた高まりのあったことを示す。 こうした高まり全部が海中にのみ潜在していたと考えてよいのであろうか という問題にたちいたる。
ともかくも, 言われていた古丹別層の礫の粒度分布と, 本域に分布する 2,000 m 以上に達すると見積られる泥相の間の食違いについて 十分説明がなされなければならない。 次に, 古丹別層の中には多量の花崗岩礫が発見されるのだが, その母体はどこに求められるのだろうか。 一方, 本域の築別層の基底部では, 特に南や東にあれ程顕著な発達をしめして蛇紋岩礫層や蛇紋岩質砂岩が見られたのに, 古丹別層に入ると蛇紋岩礫の出現はいたって少ないようである [ 以下の [注] 参照 ] 。 これは, 手近かの蛇紋岩地帯が殆ど水没したか, 堆積物の下になってしまっていたことを示す。 そのような事情からむしろ, この間に堆積物の供給源地が変わったと判断すべきであろうか。
ピッシリ岳層 はまだ今後の研究にまつべきいろいろの問題を含んでいる。 一応これは三分される。 ピッシリ山(1,031.5 m)を作る安山岩の集塊岩 [ 以下の [注] 参照 ] を模式としている。 朱鞠内川の支流の石油沢の右股である下石油沢の上流に行くと, 本図幅に北隣する 蕗ノ台 図幅の中で, この集塊岩の下位に横たわるような 亜炭層 の分布が追跡されている。 そこでは, 海棲貝化石は発見されていないが, 石油沢やその支流の 馬糞 沢の中で, 海棲貝化石に富む砂岩層を介在する含亜炭層が見られる。 それは, 流木様の炭化木をもつような地層で, 薄い亜炭層があり, 礫の性質から, 古丹別層に不整合であることがわかるし, 安山岩礫もあることから, この地層の堆積時には 既に釜ケ淵集塊岩部層と同様の性質の火山活動が近くにあったことがわかる。 しかも, この地層はピッシリ岳からつづいている 釜ケ渕集塊岩部層(Psag) の下に入って行くようである。 この地層を 馬糞沢挾炭部層(Bz) と呼ぶ。
一方この集塊岩部層の基底部は深名線の鉄道線路やその東で見られる。 それは古丹別層の泥岩の亜角礫を主とし, それに古期岩の小円礫を混えた礫岩層であるが, なお東に行くと, それは消失し, 集塊岩部層が直接古丹別層に接するに至る。
朱鞠内の西側には, かつて亜炭層に試掘を試みたところがあって, 古くは鈴木達夫(1922)が調査している。 この含亜炭層と集塊岩層の関係は十分確められていない。
この亜炭層の様子が, 南隣する 幌加内 図幅内で 政和 層(Sw) とよばれた地層に極めて似ている。 政和層は幌加内図幅内から北に延びて, 深名線の 新富 駅と添牛内駅の中間までの低地に分布している。
こうした地層は, 恐らく同一時期のものと考えられよう。
こうした地層はその分布地域内の殆どのところで緩い傾斜を示すのだが, 断層付近では垂直になる場合も見られる。
蕗ノ台図幅調査が進むと, ピッシリ岳層の細部についての問題は解決されるかと思われる。
ピッシリ岳層本体の中には, 湖沼堆積物(pstf) があって木葉化石などを産するほか, その上部には, 集塊岩層と一部指交する 凝灰質砂岩礫岩層(psag) が見られる。
図幅のほぼ中央部から北方に向って, 底辺を北におく三角形の地帯をなして, 古丹別層の中に安山岩岩脈が発達している。 一ヵ処だけ, 釜ケ淵集塊岩部層を貫ぬいている。 なおこの地域内には玢岩と玄武岩の岩脈もそれぞれ一ヵ処づつ知られている。
本図幅の中央北部には, 今西茂・遠藤誠道(1954)が Menyanthes trifoliata L. を発見し 更新世の地層とした亜炭層がある。 この 蕗ノ台層(Fd) は [ 朱鞠内湖の ] 湖南や湖西の 300 m 前後の台地の上に発見される。 下位層のもつ相当な起伏面に対して, 上昇して行った水辺に生じた泥炭層といった出現のし方をする地層で, 最下部の亜炭層をもつところはかなり強い初成傾斜を示す。 この地層は, ウツナイ~蕗ノ台間の新道開さく部で観察すると断層で切られている。 ウツナイ川の支流の低地における本層の出現構構を説明するには, 航空写真で判読される南北性の断層線と思われるものに価値が認められよう。 このことからみて, この地層が果して更新世のものであるか, 多少の疑いを残すが, 故に鮮新世 - 更新世のものとして取扱っておき, その解決を蕗ノ台図幅の調査にまかせる。
蕗ノ台層やピッシリ岳層を不整合に覆って [ 朱鞠内湖の ] 湖西や湖南の台地の上に砂礫層が発達する。 湖南に発達するものは, 南方のオロウエンベツ川の上流部からピラトルオマナイ川上流の台地に連なるもので, 現河川系の両岸に見られる河岸段丘とは趣を異にするものである。 この砂礫層を模式とし, なお, こおした 高位礫層(Th) を一括して示した。
これ等の諸層より若いものに 河岸段丘(Tl)堆積物 及び 沖積層(Al) がある。
白堊系は上・中・下 蝦夷 層群に3分され, 中部蝦夷層群の下底には不整合が認められる。
本層群は更に Ly1~Ly7 に細分される。 蛇紋岩に貫ぬかれ, 北に沈んで行く背斜構造 [ 幌加内背斜部 と呼ぶ ] をしている。 Ly1~Ly5 はその東翼に分布し, Ly5~Ly7 はその西翼に分布する。
化石の産出少なく時代判別は困難であるが, 相雲内川における Ly6 部層, 豊富内沢における Ly7 部層(後述)や政和 一線 沢の記録 [ 以下の [注] 参照 ] に照し, アルビアン世中期にまで達している堆積物であると思われる。
この部層は図幅南部の新富駅の東の大学五号の沢で, 北海道大学 雨竜演習林内 16 / 17 林班沢や 16 林班沢分岐点付近で良く観察される。 その西縁は蛇紋岩に貫ぬかれていて下限はわからないが, 上位は次記の部層に整合すると思われる。 露出個処は多くなく, せいぜい 60 m 程度厚さを確認できる程度だが, 全体の分布からみて, その厚さは 400 m には達する可能性がある。 安藤 沢(18 林班の沢)の下流にも分布する。 そこでは西傾斜である。
本層は主として塊状で粗~中粒の砂岩から成る。 砂岩は極めて硬く, 新鮮面では多少暗色を帯び, 青味をもった灰色を呈するが, 風化面では多少褐色味をもった灰白色を呈することが多い。 処によって, 砂岩は細粒となるし, 暗灰色の硬質泥岩を挾むことがある。
粗粒部は角ばった黒色頁岩のパッチを含むことが多い。 石英を主とし, 斜長石をも含む。 岩片としては頁岩のほか砂岩, 放散虫チャート, 玄武岩質岩, 圧砕岩などが見られる。
下部蝦夷層群の全体の厚さを考慮の上, この岩相を見ると, この部層は下部蝦夷層群の基底である 富問 砂岩層に相当する可能性が強い。
砂岩の下底には load cast の発達を見る場合が少なくないので順逆の判定がつけ易い。 これが幌加内背斜部の中核をなし, その東翼を形成することがわかる。
化石は未発見である。
この部層もまた大学五号の沢の 16 林班沢, 16 / 17 林班沢, 17 林班沢などに見られる。
細粒, やや暗灰色の砂岩と, 暗灰色泥岩の互層で, 極めて堅い。 下位層からは整合, 互層漸移であるが, 上位層との直接の重りは見られず, 多くのところでは断層と判定される。
下位層と共に幌加内背斜部の東翼をつくる。
岩相的には, 各地で普通に見られる下部蝦夷層群の互層である。 化石は未発見。
厚さは 200 m は十分ある。 恐らく 450 m には達するものと見積られる。
この部層も大学五号の沢の各支流に分布する地層で, 士別市との境をする分水部の西にあって, 幌加内背斜部の東翼をつくる。
岩質は一般に軟かく, 時には第三系の砂質泥岩かと思われるような軟かさである。 やや緑色を帯び多少黒ずんだ灰色である。
このように軟かいため一般に露出が良くない。 断面を切ってみると, 断層がないものとすれば 760 m 程の厚さが得られる。
化石は発見されていない。
これもまた軟質な地層で, 下半部は細粒砂岩から成る。 この部分が士別市と幌加内町の境界部を作る。 上半は軟かいシルト岩で粘土分に富んでいて, 風化すると帯緑淡黄色となる。
本部層は大学五号の沢の 16 林班の沢, 17 林班の沢の上流のほかこの北の安藤沢(18 林班の沢)にも分布する。
厚さは 350 m 前後, 化石は未発見である。
本部層は士別市側に標式的に発達し, シュルクタウシュベツ川の支流の士別峠に向う沢(仲線沢)や その南の沢(シュルクタウシュベツ川本流の上流)にあって, 後述の My1 層の下位に出現している。
やはり, 比較的軟らかい地層であるためと, これらの川の上流部には砂利層が相当の厚さで河原を埋めているために, 露出があまり良くない。
暗灰色泥岩で塊状を呈する。 水磨面では縞目のあることがわかる。 層厚は 500 m 位で, その上部に近いところに 50 cm 程の灰白色凝灰岩層が認められる。 その下位約 60 m 程の層準には中礫程度の礫から成る礫岩の薄層がある。 赤・青等のチャートに混り泥灰質団塊が入っている。
温根別 仲線から北線に越える歩道のある沢の北にもこの部層の分布が認められる。 そこでは, My1 層のつくる東北 - 西南方向の背斜の核部として出現している。 そこでも簿い凝灰岩のあるのが見られる。 この背斜軸の方向性は十分注目すべきものと思われる。
雨竜川の西にあって, My1 層の分布の東にあたる部分は, 幌加内図幅の下部蝦夷層群の延長部のあるところである。
調査の都合上, 南は豊富内沢から始めたところ, そこにおける下部蝦夷層群の構造は, 幌加内図幅に示されたような西方への単斜ではなく, 緩く波状を呈することがわかった。 その支流であるタヌキ沢が本図幅に入る。
そこで得られた層序は, 塊状泥岩に始まり, 互層をへて, 板状砂岩層になる。 その最下部の暗灰色泥岩層の中に薄い灰白色凝灰岩層が見られることがある。 これと, その上に重なる地層に相当する岩相を東翼で見なかったこととの二つの理由から, この暗灰色泥岩層を, 東翼の Ly5 部層に相当するものと見做した。
両翼の Ly5 部層は豊富内沢から, 北は 18 線沢の中流部まで分布する。 豊富内沢支流のタヌキ沢では, かなり整然とした西傾斜で, 上位層との関係もみられ, 上位層の上下判定から, これ等が背斜の西翼に相当することがわかる。 しかし, 悟空沢の支流では多少の乱れがある。 悟空沢本流の上流部はまた整然としている。 この北の 深 沢(下流に政和層の亜炭層の露頭の記入してある沢)や, その北の 18 線沢では露出が悪い。
厚さは 570~600 m 程。 化石は未発見。
この部層は, Ly5 と Ly7 の漸移部といえる。 Ly2 と似ている形態であるが, 堅さが異なる。 前者 [ Ly2 ] は 空知 地区の下部蝦夷層群の薄互層同様に色も黒く, 堅さも硬い。 しかし, この方 [ Ly6 ] はさ程硬くない。 その点では, 中川郡中川町 佐久方面の下部蝦夷層群の上部に近い感じのものである。
帯緑, やや暗灰色の細粒砂岩と暗灰色泥岩の薄い互層で, 一般に砂岩勝ちである。 砂岩は石英, 斜長石, 少量の雲母, 磁鉄鉱などの鉱物片のほかに凝灰質砂岩等の岩片から成っている。 粒子間を填めて緑泥石が見られる。
本層は, 悟空沢本流では, 下位層に整合することが見られ, 支流では上位層に整合することがわかっている。 しかるに, 相雲内川本流では, 上位層を欠いて, My1 部層に不整合に覆われることが観察される(My1 参照)。
本層産化石は次の通りである。
前者は田中啓策 [ 通産省地質調査所の田中啓策 技官談 ] によって相雲内川中流の滝の下流部で得られたと言われるものである。 後者は同じく相雲内川で, 第三系の小露出地2ヵ処の丁度中間位の右岸である。
地層の厚さは, 相雲内川 鉱区の沢における分布から見ると 300 m 以上あるものと考えられる。
本部層は, 図幅中軸南端部の, 豊富内沢支流のタヌキ沢で良く観察される。
下位の互層の泥岩は上方に向い次第に粒度とその組成を変え, 砂岩の量を増し, 遂には泥岩を失ってしまう。 その部分からを本部層とする。
帯緑色でやや暗灰色の中粒砂岩層で, 砂岩は厚薄種々の厚さではあるが, 美しく板状整層している。
悟空沢とその支流のタヌキ沢では緩い褶曲を示し, 最も広く分布する。 それから北は 18 線沢まで分布するが, My1 部層の下の不整合のために厚さは一定せず, 相雲内川では削剥されつくしている。
厚さは, 最も良く残っているところで 250 m 程である。
図幅外の豊富内沢本流の上流で, 本層の中から次の化石を得ている。
これでは時代の判定は十分できないが, 産出層が帯緑・やや暗灰色の砂岩であるところから, 先に猪間明俊と共に政和の 一線 沢で拾得したアルビアン世の菊石, Oxytropidoceras sp. の産出層準についての推定を更に有力にした。
中部蝦夷層群は下部蝦夷層群を不整合に覆い, 2つの大きな堆積輪廻から成り, My1~My5 の5部層に細分される。 下位の輪廻(My1~My3)を 滝見橋 層, 上位の輪廻(My4 ~My5 )を天狩峠層と呼ぶ。
不整合面は2ヵ処で見られ, 上・下の構造差は極めて少ないように見える。 しかし, 全体として見ると, 西翼では4粁 [ = 4 km ] 程の間で 250 m 程の地層欠除が認められる。 東西でみれば水平7粁 [ = 7 km ] 程の間で 550 m 以上の地層欠除となり, 東側に向って欠除が大きくなるとみられる。
この地層は幌加内図幅の Ma 層の延長である。
相雲内川には本部層西翼の基底部が見られる。 そこは, 添牛内~古丹別間の国道で, 滝の 下手 約 70 m のところである。 ここに示した写真 [ 第 2 図の左の写真 ] は 1963 年の撮影である。 不整合面と僅かに斜交する断層があるため, 不整合面それ自体は, この道路の道床に近い部分に極一部しか認められない。 この道路の追切りがあまり進行していなかった 1962 年の夏の方がもっと見易かった。 しかし, それ以前には, この境は地被の為全く見ることが出来なかった。
1962 年には 5 cm 程の厚さの板状シルト岩3枚を 約 6 m 程の間で切りとっているのが見られた。 そして板状シルト岩の末端がケスタ状になっていた。 その直上部は, 下のシルト岩の 30 cm 程の長辺をもつ長方形の堊角礫を最大とし, 下位層の亜角礫に古期岩の小円礫を混える礫岩で, 極めて雑然としたものであるが, すぐ整層した礫質の砂岩或は砂質礫岩層が重る。 その石基は著しく凝灰質で, 新鮮な面では帯青, 灰白色のものが多い。 下底から約 70 m のところに厚い層灰岩と凝灰質岩の互層部があり再び砂岩層となる。 この砂岩部は帯緑灰色で, 時にスランピングを見せたり, ラブル礫岩 [ ? ] 様の部分がある。
ここでは, このように主体は凝灰質砂岩層であるが, 更に上流に行くと, 岳見沢断層 [ 位置不明 ] の南西部では凝灰質含礫粗粒砂岩が背斜している。 その西翼には顕著な, カボチャ大の円礫をもつ礫岩層が発達する。
この背斜部(逆沢背斜)を南に追うと, この含礫岩相は三頭山(1,009.1 m)につづく山稜を形成する。 そして, 南の方に向って礫の量を増す。
この背斜は, ここから北々西に向って派出して行くノーズ(鼻状)構造の基部のように見受けられる。 鼻先の部分は, 羽幌川の支流の逆川から中の二股川にかけて, 北々西に沈下する半ドーム構造で代表されているように考えられる。 そこを中の二股川背斜部と呼ぶ。 白地畝 沢の下流でその背斜構造が良く見られる。
幌加内図幅の Ma 層は平均 400 m と記載されているように, 相雲内川の支流方面でも, 断面から計算すると 600 m はあるようである。
この地層の凝灰岩は流紋岩質で, 礫岩や砂岩の石基も流紋岩質の火山灰で, 火山ガラスに富む。 また, 流紋岩礫に極めて富む部分もあり, 礫塊は時に巨礫の大きさに達する。 礫種はそのほかには, チャート, 砂岩, 閃緑岩, 石英閃緑岩, 輝緑岩, 玄武岩質岩等で先蝦夷層群に由来したものが少なくない。
東翼部では基底の不整合はシュルクタウシュベツ川の上流の中に見られる。 そこでは, 下底の不規則面が良く見られる。
地層の様子は西のものと良く似ていて, 一見してそれと同定出来る。 礫岩の量も粒径もこちらの方が劣るようである。 厚さは西翼と比べてほぼ同様である。
士別峠付近の資料のもつ粘土分について X 線で調べたところ, 方沸石 [ Analcime ] が検出された。 しかし, ほぼ同一層準と考えられる西翼部について 相雲内川の滝のところの層灰岩をしらべたところ, その方からは検出されていない [ 以下の [注] 参照 ] 。
岩相的には 山部 , 下富良野 両図幅内の 笠森 沢砂岩礫岩層や, 天塩中川 図幅の 萌幌 砂岩層と少しも変わらない。 また, この部層に見る流紋岩活動は, 北海道中軸部を通じて鍵層とされているものである。
化石は発見されていない。 しかし, この鍵層と関連づけて考えると, 石狩 金山 図幅で, 中部蝦夷層群基底から 20 m 上, 即ち鍵層である 森田 の沢凝灰岩層から算定すれば 200~450 m ほど下位にあたるところから Mortoniceras が得られているので, この鍵層はアルビアン世上部のある時期を示すことになる。
本部層は My1~My3 の移過部である。 西部では, 相雲内川以南では My1 に伴って分布するが, それから北では, 断層のためその下限を示さない。
東側では温根別 仲線の西方地域にだけ知られる。
暗灰色(多少緑色を帯びる)砂岩と暗灰色泥岩の互層である。 朱鞠内川の林道の終点付近に露出する地層は明瞭な層理面をもった互層ではない。 その点, 他のところのものと異なるのだが, 上位の My4 を規準として, 厚さなどから判定すると, 恐らく互層から泥岩に移るところの岩相が発達しているものと見られよう。
朱鞠内川支流の中股沢のガロ [ ? ] をつくる互層は凝灰質砂岩に富み, 植物片なども入っている礫岩層もあったりするので, 本部層と My1 との移過部と考えられるのである。 このように, My2 の岩相は北に向って薄化しているものと思われる。
東部では, シュルクタウシベツ川の支流で良く観察される以外は露出が貧弱である。
本部層は厚いところで 140 m 前後であろう。
滝見橋層最上部を構成する暗灰色の泥岩層で, 水磨されると多少青色をおびた灰色に見える。 塊状で, 走向・傾斜を計り難い。 処々に泥灰質団塊を介在し, Desmoceras kossmati MATSUMOTO を伴う多彩な菊石群を産する。
Parajaubertella, Graysonites, Eogunnarites, Stoticzkaia, Partchiceras 等, ほかでは比較的珍らしいものを多産する。 精しくは第 2 表に示した通りである。 まだ, 菊石全部に亘って充分検討していないので, 将来この名前には改められるものが出るであろう。 共に産出した二枚貝は殆ど調べておらないので大部分の名前を省略する。
この菊石群は kossmati 帯に属することは明かである。 これが国際対比のどこに相当するかということになるとなかなか問題がある。 例えば, Partchiceras のようなアルビアン世を指示しそうなものや Desmoceras latidorsatum のようなものがある。 Stomohamaites が出る。 一方, martimprayi 型の Mantelliceras が出る。 後者に重きをおくと, セノメニアン世ということになる。
しかし, この地方からはまだ Mortoniceras が発見されていないが, 一応鍵層を考慮しておけば, その上にも Mortoniceras は出ることが中川群中川町佐古丹川で知られている (松本達郎, 1954)。
地層の厚さは, 南方で 300 m 前後であるが, 北方では大変厚くなっているようである。 その点は My2 の互層の層厚変化と逆である。 朱鞠内川においては特に厚くなっているようであるが, 何分露出が少ないし, 鍵層も見当らないので, 繰返しの有無が判定出来ない。
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この地層は下部に板状砂岩部層を, 上部に厚い泥岩部層をもつ地層である。 Desmoceras kossmati 帯と Pseudouhligella japonicum 帯の境は泥岩部層の中にある。
この地層は造崖層で, 地形的に追跡が出来る。 南と北で厚さが変る。 つまり, 北では厚くなると共に下部に著しい礫岩層(My4a)をもつようになるばかりではなく, 間に暗灰色の頁岩層(My4b)を介在するようになる。 時には最上部にもポテト大の円礫から成る礫岩層(My4a)をもつこともある。
南部では, 明らかに幌加内図幅の Mc 層の延長で, 板状の, 中~粗粒砂岩から成り, 時に礫岩層を介在したり, 礫質砂岩などもある。 礫質は My1 部層と大差ないが, 花崗岩や泥灰質団塊も見られる。 最後のもの [ 泥灰質団塊 ? ] は北方に行くと下部の礫岩層(My4a)の中に相当多量にあって 目を引くような部分すら見られるようになることがある。 砂岩の構成鉱物にもアルカリ長石が発見される。
板状砂岩層に伴って直径 30 cm, 時に 60~70 cm に達する砂岩団球が見出されるのは My1 の砂岩層と明かに異るところで, 本層の識別に役立つ。 こうした特徴は中川図幅における佐古丹岳砂岩層の, 特に上部 [ 以下の [注] 参照 ] と極めて良く似ている。 松本達郎(1954)によれば, アルビアン世とセノメニアン世の境は 佐古丹岳砂岩層の中央部に挾まれている泥質岩部にあることがわかっている。 そして, セノメニアンを代表する kossmati 帯は, 上部砂岩を越えて佐久川泥岩層の中までつづき, そこで, チューロニアン世の代表とされる Pseudouhligella japonicum 帯と入替る。
My1 の項に記したノーズ構造の末端である中の二股川背斜部を見ると, そこにも My4 部層が北々西に沈む半ドームの西翼をつくって出現している。 板状砂岩層で大きな砂岩団球をもっている点は 三頭山の西に沿う古丹別川単斜部と全く同様である。
しかるに, この構造の東にある奥朱鞠内向斜部の東翼をつくる My4 は著しく様子が変わっている。 向斜東翼部の My4 部層の南端は相雲内川の滝の上流の橋の北で, 川の曲がりかどの崖に出ている。 そこから摺鉢山(625 m)をへて標高点 575 m をすぎて 30 線沢に行くまでは, 礫岩はさほど著しくないが, 厚さは西側に比して既に厚い。
30 線沢では下底にポテト大の礫から成る礫岩層が発達し始め, 砂岩と礫岩の互層が見事な崖を作って朱鞠内川につづいて行き, そこを越えて, 稜線をつくり, 中股沢に入り, 更に 580.2 m の稜線につづいて行く。 こうした礫岩を主とし, 時に砂岩をもったり, 砂岩と互層する相を My4a として区別した。
朱鞠川に行くと, My4 層の中央部に暗灰色の泥岩が数枚入っている。 そのうちの厚いものは朱鞠内川の支流の中股沢までつづく。 この泥相を My4b として示した。 次に砂岩を主にする部分を My4c としておいた。 朱鞠内川流域では地層の厚さは 650 m には達すると見られる。 北方へ, 中股沢をすぎるころからまた薄化し 300 m 程になる。
化石は 僅かに 朱鞠内川の二股のところで カキや Inoceramus の破片が砂岩中にあるのを見た程度であるが, 30 線沢の本部層分布地域内で得た Pachydesmoceras sp.(denisonianus 型)は本部層から由来した可能性が強い。
この地層は泥質岩から成る厚層で 1,200 m 以上に達する。 下位の My4 層との間には砂岩頁岩互層があって 整合, 互層漸移をする。 この部分は南ではやや厚く, 幌加内図幅では Md 層と名付け区分されている。 そればかりではなく, 幌加内図幅の中では d~k までの8部層にわけている。 その厚さも 2,000 m と見積られる。 上・下ではその化石に差があるし, それにこの地層の中には砂岩などに富むところもあって, それを鍵層にしての細分は不可能ではないと思われる。 しかし, 何分にも泥質岩が優性で, しかも化石の産出に比較的乏しいので, 今回の調査では一括しておくことにした。
西側では My4 の西に沿って 古丹別川の上流から南北に分布して相雲内川の上流に達する。 それから奥朱鞠内川向斜部の南部の西にそって羽幌川の上流部で長い背斜を作る。 なお, 巨視的には, 奥朱鞠内向斜部の周囲を取巻くように分布しているが, 断層のため部分的にしか出現しない。
本図幅の東側では, 大部分は, 中央の, 下部蝦夷層群を中核とする幌加内背斜部の東翼を作るように分布するほか, オロウエンベツ川ダム地点に出現する背斜の中核をなす部分がある。
この地層は天塩中川図幅の佐久川層に岩相的に似ているばかりでなく, Desmoceras kossmati 帯と Pseudouhligella japonicum 帯の境がこの中に置かれる点も良く似ている。 下部は kossmati のほかに Parajaubertella や Eogunnarites を産する。 上部は japonicum のほかにいろいろな菊石や concentricus group の Inoceramus を産する。 本部層に発見された化石は第 3 表に示した。
東部の My5 は, 温根別 北線地区のものは, 北温小学校の東に当る川の露出から Mesopuzosia pacifica MATSUMOTO のほか Pachydesmoceras sp. や Pseudouhligella japonicum と 種別不明の大型菊石を産したことから上半部の地層のあることがわかる。 温根別 仲線地区では西側の分水地区寄りの方に下半部が出ている可能性が考えられるが, 露出も少なく, 化石も破片しか得られていないので, どのあたりの層準が出ているのか不明である。 仲線小学校の北の福島団体から東方, 北線地区へ越える林道を建設中であったが, そこでは多くの小褶曲が見られる。 その林道峠のすぐ東側には炭質物に富んだ細粒砂岩層が発達しているのを見た。 北線との間の山地はこの道路開さく以前は殆ど露出が見られなかった。
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従来一般に中部蝦夷層群を規定するときには 佐久層とその相当層までを入れることにしている。 しかし, 堆積物について輪廻をもとにして区切って行くと, 佐久層を上部蝦夷層群の基底とした方がよいかと考えられるので, ここでは佐久層から上を上部蝦夷層群とする。 佐久層を Uy1 とし, 上部蝦夷層群を Uy1~Uy5 に分ける。
この地層は, 北と南では層相の変化が著しい。 分布の北端は中股沢と中の二股川の分水部に背斜をして出現する( 白地畝 背斜)。 下位層とは互層漸位し, 上位も同様である。 厚い板状の砂岩層が累重し, 巻き方の緩い菊石や Inoceramus その他の貝類が含まれている。 時に礫岩層を含み, ポテト大の礫から成る厚い礫岩層をもつところもある。 30 線沢では全層が砂岩・頁岩互層であるように, 南部では北部に比して泥の量を増していて泥岩の挾みが出現し, 次第に多くなるばかりではなく, 泥を基質とする礫岩あるいは含礫泥岩層, 泥質砂岩などが見られるようになる。 泥質砂岩の中には菊石やその他の貝殻の破片を多量に混在しているところもある。
東側ではオロウエンベツ川のダム位置に見られる砂岩礫岩層は, 凝灰岩を挾み, 生痕のある不規則形の泥灰岩小結核を多量にもつ泥質岩層に整合に覆われている。 この砂岩礫岩層も, その上に重る地層も, この図幅内では独特の岩相である。 しかも, 化石を発見出来なかったので, 果たして何層に相当するのか充分明らかにし得たわけではないが, 差当り, 佐久層の一岩相と見做しておくが, 今後, なお調べなおす必要のあることを記しておく。
本層の化石は次のようである。
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この地層は, 南では, 古丹別川本流にそって, 奥二股沢の合流点から下流, 下古丹別沢との合流点に亘る間で良く観察される。 北では朱鞠内川の二股の左の沢の支流の 小菅 沢の中や, コボウナイ沢の上流などで見られる。 しかし, 上位層との関係が見られるのは古丹別川上流部だけである。
古丹別川上流の観察では, 下部は暗灰色のシルト岩で, 下位の Uy1 層の互層に整合する。 このシルト岩は次第に粗粒物を増してシルト質砂岩になり再び粒度を減ずる。 上限は次に記す Uy3 層の互層の出現部とする。
古丹別川本流では上限から約 50 m 下位の層準に Inoceramus の密集する部分があって, その種類は I. hobetsensis NAGAO and MATSUMOTO や I. iburiensis NAGAO and MATSUMOTO である。
小菅沢で化石産地の印のしてあるところには 泥灰質団塊から割出しかかったままにして地層から取出せずにある 巨大な Mesopuzosia が置いてある。 直径は 70 cm 以上あると思われる。
本層の厚さは 360 m 前後と見積られる。
産出化石は次の表の通りである。
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この地層は朱鞠内川上流部に大きな向斜を作って標式的な露出を示す。 しかし, その向斜部は軸方向とそれに直角ないくつかの断層によってたち切られているために, そこでは下位層との関係は見られない。 その関係は古丹別川上流で見られるのだが, 上位層との関係は, この図幅の中ではどこでも見出し得なかった。
古丹別川本流では, 下古丹別沢 落合の下流において, シルト岩と砂岩の互層の始るところからを本層とする。 この地層の上限については明瞭でない。 本層の下半は薄い(1~2 cm)の粒土化した凝灰岩を良く挾んでいる。
本層の中央部に近い層準には 本層追跡の最大の手掛りとなる Inoceramus uwajimensis YEHARA の密集帯が認められる。 この密集部に重って, 緑色凝灰岩が数枚見られる。 そうしたもののなかに, 鍵層となる緑色凝灰質砂岩がある。 2~3 mm の海緑石粒をふくむ。
上半部は灰~暗灰色の砂質シルト岩である。 この部分からは Inoceramus amakusensis NAGAO and MATSUMOTO を産する。
地層の厚さは 下半部が 400~450 m, 上半部が 600 m 程である。
化石の示すところ(第 6 表)によれば, 本部層の中・下部はギリヤーク世新期から浦河世古期の堆積物で, 上部は浦河世新期に達している。
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ところで, 図幅東北部の温根別 北線地域の一部には本部層上部に対比される泥岩がある。
オロウエンベツ川の転石からは Anagaudyceras yokoyamai (YABE) を得ている。
酒匂純俊・他(1959)には lnoceramus sp., Pachydiscus sp. が出ることが記されている。 地下質源調査所の標本を見る機会を得たところ, それ等は, Eupachydiscus haradai (YOKOYAMA) らしい破片のほか Phyllopachyceras ezoense (YOKOYAMA), Tetragonites elabrus (JIMBO), Neopuzosia ? sp., Anagaudryceras sp., 及び単体珊瑚が見られた。 Inoceramus もあるが破片で鑑定出来なかった。
温根別川の上流では大きな Inoceramus の破片の転石があった。 風連 越林道のある沢の一本北の東向支流(隣接の士別図幅内)では Anapachydiscus sutneri (YOKOYAMA) の転石が見られた。 温根別 北線の斎藤源太郎のところには 温根別川と風連 越林道のある沢の落合の泥岩層 [ 以下の [注] 参照 ] から掘出したといわれる Eupachydiscus haradai がある。 北温小学校にも同種の菊石と Neophylloceras sp. が保管されていて, いずれも温根別川の転石であったといわれる。
以上, 要するに, 温根別 北線地区に発達する泥岩層のうち, 先に記した My5 に相当する部分を除くと, つまり, 温根別川では, 大体 北温小学校より北で, オロウエンベツ川ではダムの下流の南向沢の下流から下流一円と, その北の, 本流との間の丘とそれの北側などに見られる暗灰色の泥岩が, 本部層(Uy3)の上部に相当することがいえるであろう。
オロウエンベツ川の露出では, 処々に凝灰岩が介在されている。
本部層の下部は砂質シルト岩と細粒砂岩の縞状互層で, 上部は砂質シルト岩である。 下位層との重りは本図幅内では見られない。 隣接する三渓図幅内では, 特に古丹別川で良く見られる。
本図幅内では, 化石は Hyphantoceras sp. を得たにすぎないが, 西隣する三渓図幅内では化石を多産する。
地層の厚さは 500 m 前後であろう。
この部層は最下部に含海緑石緑色砂岩層をもっていて, その中に Pachidiscids を多産するので良い鍵層となる。
下位層との重りは羽幌川支流の知命沢の背斜部で良く見られる。 本図幅内にはその東翼部が出ている。
地層の厚さは 300 m 以上あると見られる。
この地層は 添牛内地域から温根別 仲線地域に分布する 新第三系築別層基底砂岩礫岩部層(Cbs)の不整合下に頭を出している暗灰色泥岩層である。
添牛内の新第三系化石産地の西の端の大学演習林の 20 林班の沢, 21 林班の沢の二股の両方, 23 林班の沢, そのすぐ東の小さな沢, 温根別 仲線地区ではダムの沢(やつめの沢)の一本南と一本北の沢に出ている。
温根別川の支流のオロウエンベツ川のダムの下流の南向支流の上流において, 築別層の下底の不整合下に出現するのは My5 部層の暗灰色泥岩層であることから察すると, 温根別 仲線地域のものは My5 部層である可能性が考えられる。
添牛内地区のものについては, 岩質的には My5 部層に似ている一方, Ly5 部層にも良く似ているし, すぐそばに Ly5 部層が出ていることでもあるし, 何とも判定を下しかねる。
不幸にして, どこからも化石を, 転石としてすら得ていない。
白堊紀層を貫く火成岩類には 蛇紋岩(Sp) とそれと密接な関係をもつと考えられる 微閃緑岩(Md) 及び 優白岩(Lc) の岩脈がある。 そのほかに, 粗粒玄武岩(Dl) と思われる岩脈がある。
蛇紋岩は図幅の中央部を南から北々西に向って細長く分布する。 下部蝦夷層群を貫ぬいていると見られるが, 直接の境は一ヵ処も発見されていない。 築別層の基底である三十線沢含化石砂岩部層(Cbs)に不整合に覆われる。
地形的には丸味を帯びた山頂をつくり, 各処に崖崩れを生じ(第 1 図), 青灰色, 青緑灰色の粘土と蛇紋岩の地はだを露わしている。 このように崩れ出して来る性質があるので, 他の地質単元との境は極めて見難くなる。
新鮮な面では暗緑色を呈する。 時に硬蛇紋岩のエメラルド色を帯びた脈が見られたり, まれには石英脈もある。
微閃緑岩及び優白岩に貫ぬかれる。
ホロウエンベツ川の上流に見られる蛇紋岩は 一見 第三系を貫ぬいているように見えるが, 蛇紋岩を検鏡するとそれを貫ぬく石英脈や方解石脈は圧砕の跡を示すものがあって, 断層によって第三系の中に入って来たものと見られる。
雨竜川の東岸部のものを検鏡すると, 蛇紋石化した残晶に橄欖石や輝石がある。 輝石はあまり強くないが帯黄褐色の多色性を示し, 単斜輝石で直消光をし頑火輝石と思われる。 褐色角閃石は外縁部が青色 陽起石化している。 また磁鉄鉱, チタン鉄鉱, 白チタン石がある。
蛇紋石の成生は2回あって, 一つは自形鉱物の間をうずめる繊維状のもので, 他は輝石結晶の縁が変質しているものである。
蛇紋岩を貫ぬいて岩脈として産出する。 暗灰色や帯緑暗灰色, 粗粒, あるいは細粒の堅い岩石で, 検鏡すれば, 自形または半自形の斜長石と角閃石から成り, 黒雲母, 陽起石, 磁鉄鉱, チタン鉄鉱を伴う。
長石はほとんど曹長石で, かなりカオリン化している。
斑れい岩組織の見られるものや閃緑岩組織の見られるものがある。
優白岩は三十線沢のガロ, 相雲川支流の鉱区の沢, 及び同じく支流の 頽雪 沢の枝沢に露出する。
三十線沢では蛇紋岩を貫ぬき, 新第三紀築別層の基底砂岩(三十線沢含化石砂岩部層)に不整合に覆われ, 一部, 断層でそれと接する。
鉱区の沢では白堊紀下部蝦夷層群の上部層である Ly6 層を貫ぬいている。 一見 凝灰岩のような外見を呈する。
頽雪沢の支流には2ヵ処の露出が見られる。 恐らく, 新第三紀築別層の泥岩相の中に断層によって出現するものと解される。
新鮮面では僅かに黒ずんだ灰色で, 風化すると灰白色となり, 多少 褐色を帯びて来る。
鏡下では, 殆ど斜長石の結晶から出来ていて, 稀に石英が認められる。 斑晶及び石基の斜長石は中性長石または曹灰長石で自形又は半自形を呈する。 斑晶は 1 mm 程であるが稀れで, 石基をつくるものは 0.1 mm 程度である。
特記すべきことは, 30 線沢ガロ産の標本にはパンペリー石があるという [ 以下の [注] 参照 ] 。 しかし, 鉱区の沢の標本には, それがなくて, 黒雲母が見られる。
岩名石は石英玢岩であろう。
この図幅に粗粒玄武岩として示した岩石は, いずれも白堊系の中に岩床あるいは岩脈として出現する 暗灰緑色塊状の岩石や灰緑色, 時にその周縁に淡紅灰色の部分のあるような岩石などである。
古丹別川流域に出現するものは, 後者 [ 灰緑色, 時にその周縁に淡紅灰色の部分のあるような岩石 ? ] に属し, 岩床状を呈する。 時には凝灰岩層と見違えるようなものもある。 厚さも 1 m に達することはまれであるが, その位置を示す意味で地図に表わした。 この岩石は断層に沿って迸入しているようである。
灰色, 灰緑色, 暗灰緑色というように産出地点や産出部分によって色が異なる。 時に紅色を帯びているところもある。 緻密で硬い岩石で, 鏡下では炭酸塩化が著しく, 殆ど原岩がわからないが, 恐らく輝緑岩様のものであろう。
なお, 古丹別川から羽幌川上流にかけての地域では, 小沢の中で相当数の転石を見受けたが本体の位置を知り得なかったところが数ヵ処ある。
北方のものの一つは羽幌川支流の中の二股川本流にあって, 本流と白地畝沢の落合の上流にある。 そこのもの以外は標本が失われてしまった。
岩石は暗灰緑色で, 緑黒色の小さな班晶が見える岩石で, 重く, 堅い。
鏡下では輝石の班晶と輝石及び斜長石から成る石基から成り, 玄武岩構造を示す。 斑晶の中には, 変質して緑泥石となっているものがある。 もとの鉱物は紫蘇輝石か, または橄欖石と思われる。
新第三系は本図幅の中央部をしめ, 北に開いた馬蹄形状或は転倒した 風構 「几」状の分布を示す。 本系は下位より築別層, 古丹別層, ピッシリ岳層の順に区分される。 これら新第三系の上位にある蕗の台層は, 新第三紀末または第四紀初期の堆積物である。
新第三系のうち, 築別層と古丹別層は整合し, ピッシリ岳層はこれら下位の地層を不整合におおっている。
本層は植村(1925, 1928)の築別層の上部砂岩層と 古丹別層下部の砂岩頁岩層(植村癸己男, 1925)を併せたものであり, 松野久也・他(1959), 菅野三郎・松野久也(1960), 服部幸雄(1961), 菅野三郎・橋本亘(1964)の築別層に当たる。
本層の模式地は 築別炭砿の通称 二股の上流 約 350 m 付近より上流の築別川の河岸である。 築別層は模式地より東南に延びて本図幅の西北隅に達する。 本図幅における本層の分布は, 図幅西北隅の羽幌川の上流地域から朱鞠内川の支流の上石油沢, 中股沢, 朱鞠内川本流, 砂金沢の上流, 三十線沢の上流を経て, 添牛内付近に達し, この付近で走向を東西性に変え, 士別峠付近に連る。 本層はこの附近からその走向を東北性に転じ, ヤツメの沢の貯水池から北方にのび, 温根別 十七線のオロウエンベツ川の上流地域まで分布する。
本層は下部より朱鞠内挾炭部層, 三十線沢含化石砂岩部層, 天狗の鼻泥岩部層に三分される。
本部層は長尾捨一(1953)によって命名されたもので, その模式地は幌加内町大字 12 号の西方の砂金沢の上流地域である。
本部層の基底部は礫岩からなり, 硬砂岩, 黒色粘板岩, 青色ないし紅色のチャートなどの 挙大ないし鶏卵大の礫岩からなる層の上部は しだいに淡褐色ないし青灰色の中粒砂岩に移過し, さらに暗灰色ないし淡青緑色の泥質岩に漸移する。 砂岩から泥質岩に移過するあたりに1~2層の石炭層が挾在される。 炭層の層厚は所により変化が著しく, 最も厚い所では山丈 2 m を越す所もあるが, 側方変化が著しい。
模式地における本部層は, その下部の露出を欠くため, 正確な層厚を判定することはできないが, 約 200 m に達するものと思われる。
本部層は築別層の最下部をしめ, 局部的に発達する。 すなわち, 模式地以外では, 図幅北部の上石油沢の支流の小岩井沢附近から東南方にのび, 上石油沢およびその南東方の中股川との間の山嶺附近に発達するにすぎない。
上石油沢と中股沢との中間区域では, 炭層下部の砂岩層から Anadara cf. trilineata (CONRAD), Crepidula jimboana YOKOYAMA などの海棲貝化石を産し, 炭層上部の淡青緑色の泥質岩中の泥灰質の団塊から Clinocardium sp., Macoma sp. などの化石を産する。
本部層の層厚は変化に富み, 模式地では層厚約 200 m と推定されるが, 上石油沢付近では約 50 m に減じ, 上石油沢以南, 中股沢から朱鞠内川本流にかけては, しだいに薄層化し, 殆どその発達をみなくなる。
朱鞠内川本流の南方の砂金沢の模式地では, 本部層が標式的に発達するも, その南方の三十線沢の上流では殆どその発達をみない。 さらにその東南方の 都築 の沢(添牛内市街の西方)では, 相雲内川との合流点から約 500 m 上流付近の河床に礫岩および砂岩が発達し, その中に炭質頁岩の薄層を挾在するにすぎない。
本部層と下位の白堊系との関係を明らかに観察し得る点は少ないが, 両者は大部分, 断層で境しているもののようである。 この両者の不整合関係は わずかに朱鞠内川の支流の中股川の河岸で観察されるにすぎない(第 3 図)。
本部層は菅野三郎・橋本亘・長尾捨一・他(1959)の天狗の鼻層の下部砂岩層, 松野久也(1959), 菅野三郎・松野久也(1960), 菅野三郎・橋本亘(1964)の築別層の下部砂岩部層に当る。
本部層は 幌加内町 共栄の西方の三十線沢上流約 4 km から上流に分布する 粗粒ないし中粒の暗緑色の砂岩層を模式とする。 模式地附近における本部層は殆ど蛇紋岩質砂岩からなっていて, 下部には風化面が黄緑色を呈する蛇紋岩の人頭大の巨礫が含有される。
模式地付近では, 本部層と下位の白堊系とは断層で境するため, その下限は観察不可能である。 しかし, 砂岩層の下部が礫岩質になり, 中に人頭大の巨礫も点在する点からみて, この部分は本部層の基底部に近いものと推定される。
三十線沢本流(第 4 図)では, 石英玢岩 [ 以下の [注] 参照 ] と本部層との直接の関係は不明であるが, 石英玢岩の露出区域の東側を北流する一支流では, 本部層が石英玢岩を明らかに不整合におおっている。
三十線沢本流において, 石英玢岩とその上流に分布する白堊系との間にある本部層は, 貝化石を多産し Mercenaria y-iizukai KANEHARA, Spisula onnechiuria (OTUKA), Pholadidea kotakae KANNO and MATSUNO, Crepidula jimboana YOKOYAMA, Nucella tokudai (YOKOYAMA) などを含んでいる(第 7 表参照)。 また本砂岩部層には Rotalia tochigiensis UCHIO などの保存良好な有孔虫化石を多産する [ 以下の [注] 参照 ] 。
また, 石英玢岩の露出区域の下流側に分布する本部層には, 泥灰岩質の砂岩層(層厚 10~30 cm)が2~3枚挾在し, この中に蘚虫類の化石が密集している(第 5 図)。 この上部は次第に泥質となり, やがて暗灰色の泥岩層に移過する。
模式地における本部層の層厚は断層で切られているため不明であるが, 少なくとも 80 m 以上であると推定される。
模式地の北方の砂金沢では, 上流の三又の南の支流に広く露出する。 この付近では, 本部層の下限近くに僅かに朱鞠内挾炭部層が認められ, 本部層の基底の礫岩層(5~6 m)がこれに整合する。 礫岩層の上部は暗灰緑色の蛇紋岩質砂岩層となり, 中に貝化石を多産する(第 7 表参照)。
この砂岩層の上部はしだいに中粒から細粒の砂岩層となり, 砂岩中に蛇紋岩の砂粒が少なくなる。 この部分には石灰質の団塊を含み, 中に保存のよい貝化石を含んでいる。 本部層の上部は暗灰色の泥岩層に移過する。
砂金沢三又の北の支流では, 下位の朱鞠内挾炭層が厚く発達するのに対し, 本部層の発達は悪い。 本部層の下部は礫岩または礫質砂岩からなり, その上部は細礫を含む粗粒砂岩となる。 この付近は砂岩の固結度も低く, 中に Chlamys cosibensis hanzawae MASUDA, Panope japonica (A. ADAMS), Balanus などの化石を多数含んでいる(第 7 表参照)。 この含化石砂岩層の上部は, しだいに泥岩層に移過する。
朱鞠内川本流では, 本部層は白堊系と大部分断層で接しているが, その一部分に不整合のところもある。 しかし何分露出が悪く, これを充分観察することができない。
さらに北方の朱鞠内川支流の中股沢では, 本部層の基底はやや粗粒の暗灰緑色の砂岩層からなり, 中に化石を多数含有する不規則な形の団塊を含んでいる。 本部層の基底は白堊系を不整合におおっているが, 不整合面近くに第三系をきる南北性の断層が走っている(第 3 図)。
上石油沢から小岩井沢付近にかけて分布する本部層は, 下位の朱鞠内挾炭層に整合するか, 直接下位の白堊系と断層で境する。 この付近における本部層の下部は, 暗緑色の中粒ないし細粒の塊状砂岩からなり, 風化面では淡褐色を呈する。 本部層の下部には貝化石を多産するが, 上部の細粒砂岩部に点在する泥灰岩質の団塊中にも保存良好の貝化石を産する。 また, 上部の細粒砂岩部には泥灰岩質の不規則な形の団塊を含むが, この中には円筒形(径 2~5 cm 位)をした多数の生痕をみるのが普通である(第 6 図)。 このような生痕のある不規則な形の団塊は, 本部層の上部の細粒砂岩中に広く観察されるもので, 本部層の一つの horizon marker となるものである。
本部層は小岩井沢の上流地域からさらに西方にのび, 羽幌川上流の中の二股川, 待宵沢, 清水沢の上流地域にも分布し, 下位の白堊系と直接断層で境する。 この付近にみられる本部層は暗緑灰色の中粒ないし細粒の砂岩層からなり, Spisula onnechiuria (OTUKA), Mya cuneiformis (BÖHM), Periploma besshoense (YOKOYAMA), Natica sp., Fulgoraria sp. の貝化石を産する。
模式地の南方では, 本部層は 都築 の沢の河床(相雲内川との合流点より約 500 m 上流)に露出する。 この付近に分布する本部層は主に礫質砂岩からなり, 中に炭質頁岩の薄層を挾在し, 稀に Macoma sp. などの海棲貝化石を産する。 これらの礫質砂岩層は上位の暗灰色泥岩層と断層で接しており, また, 基盤との直接の関係も不明である。
三十線沢含化石砂岩部層は相雲内川の谷に沿って西方まで入りこんで分布する。 すなわち, 添牛内の西方 3 km の相雲内川の河床には本部層の基底部が分布し [ 以下の [注] 参照 ] , 基盤の蛇紋岩を不整合におおっている。 この付近に分布する本部層の基底部は, 薄い礫岩層(層厚 1 m ±)からなり, その上部は灰緑色の砂質泥岩層となる。 不整合面にはイワホリガイの穿孔もみられ, Pholadidea kotakae KANNO and MATSUNO や Saxidomus sp., Peronidea t-matsumotoi (OTUKA) などの海棲貝化石を産する。
相雲内川の南方( 頽雪 沢, 都築の沢の出口の対岸部)にも本部層が分布するが, 露出が悪く, これを十分観察することができない。
添牛内の北海道大学演習林事務所の南西の雨竜川の屈曲部南岸 (二十班林沢から二十一林班沢間の雨竜川の河床および左岸)には本部層の好露出がある。 この付近における本部層は 蛇紋岩質の砂粒を主とする灰緑色ないし暗灰緑色の中粒砂岩からなり, その上部は砂岩とシルト岩との互層に移過する。 暗灰色の砂岩には海棲貝化石を多産し, とくに砂岩に挾在する石灰質の団塊中には保存良好な貝化石を多産し, Glycymeris vestitoides NOMURA and HATAI, Mercenaria y-iizukai KANEHARA, Dosinia cf. kaneharai YOKOYAMA, Spisula onnechiuria (OTUKA), Nucella tokudai (YOKOYAMA) などの貝化石と共にウニの化石をも多産する(第 7 表参照)。
この付近の本部層の走向はほぼ東西で, 北に約 30°内外の傾斜を示し, 下位の未区分白堊系(K)や蛇紋岩を不整合におおっている。
本部層は東方にのびて士別峠の南方の道路の切り割りに露出する。 この付近における本部層は青灰色の粗粒ないし中粒の蛇紋岩質の砂岩からなり, Patinopecten sp., Papyridea harrimani DALL, Peronidea t-matsumotoi (OTUKA), Crepidula jimboana YOKOYAMA などの貝化石を産する。 この部層と下位の白堊系との直接の関係は不明であるが, 厚さがいちじるしく薄い点からみて, この部層は,断層で切られているものと推定される。
この部層は, この付近から走向を北東に変え, 温根別 仲線の福島団体の西北部のヤツメ沢の谷に露出しながら北上し, 温根別 十七線のオロウエンベツ川の上流まで追跡できる。 この間, 一部で白堊系の衝上塊におおわれるが, その他の地域では白堊系を不整合におおっている。 オロウエンベツ川上流のダムに注ぐ小沢を南にさかのぼると, この部層の基底部が露出するが, 下位の白堊系との直接の関係は不明である。 この付近の谷底の転石から Mercenaria y-iizukai KANEHARA, Dosinia cf. kaneharai YOKOYAMA, Peronidea t-matsumotoi (OTUKA) などの貝化石が採集された。
この付近の, この部層の走向は南北で, 西に 60°内外の傾斜をしめす。 オロウエンベツ川以北では断層に切られ, また一部は, 集塊岩層におおわれて露出しない。
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朱鞠内挾炭部層の堆積は局所的であり, しかも, 走向方向に厚さがいちじるしく変化する。 また, 三十線沢含化石砂岩部層は, 下位に朱鞠内挾炭部層の発達する所では, 層厚が相対的に薄く, 挾炭部を欠いて直接白堊系と不整合に接する所では, 層厚を増す傾向がある。 以上の点からみて, 両部層はほぼ同時のものであり, 朱鞠内挾炭部層は 三十線沢含化石砂岩部層の基底部に局所的に発達した一異相とみることができる。 しかも, この挾炭部が, 図幅の西側にだけ発達し, 士別峠から北方の東側にある三十線沢含化石砂岩部層の基底部に発達しない点は 古環境の解析上注目すべきことである。
本部層は鈴木達夫(1922)の下部第三紀層の一部, 片山勝・田中啓策(1947)の築別層の中の頁岩層の一部, 松野久也・他(1959), 菅野三郎・橋本亘・長尾捨一・他(1959)の天狗の鼻層の中の上部泥岩部層, 菅野三郎・松野久也(1960)の築別層の上部泥岩部層, 服部幸雄(1961)の築別層中の四橋泥岩部層, 菅野三郎・橋本亘(1964)の築別層の一部に当たる。
本部層の模式地は 上石油沢と下石油沢との合流点付近から上石油沢の天狗の鼻にわたる地域である。 模式地における本部層は, 暗灰色の塊状の泥岩からなり, 所により板状の節理の発達する部分もある。 本部層は下位の三十線沢含化石砂岩部層から整合漸移するもので, 模式地における本部層の層厚は 100~120 m に達する。
本部層は大形化石に乏しく, 砂金沢における一産地以外では, いまだ同定にたえる大形化石を採集していない。
本部層は前述の三十線沢含化石砂岩部層に整合して, 広く本図幅中に分布するが, 上位の古丹別層の石油沢泥岩部層との区分は明瞭を欠く。 本部の上限は塊状の暗灰色泥岩中に砂岩層(層厚 10~50 cm)が挾在しはじめ, 互層状を呈しはじめる所をもって, 石油沢泥岩部層との境とする。
本部層は下位の第三系とは対蹠的に全く安定した層相を示し, その層厚も余り変化しないものと解される。
本部層は全層にわたり化石に乏しいが, 砂金沢の北の沢の暗灰色の塊状泥岩には, Lioconcha sp. (n. sp.) が多産する。
古丹別層は本域においては著しくその層相を変えて, 東方では本来の岩相とは全く異なった岩相にまで変わる。
礫岩相をもつ 羽幌岳砂岩礫岩部層(Ktcg) , 逆川 砂岩部層(Kts) 及び 石油沢泥岩部層(Ktm) に分けて記す。 前二者には築別層基底部である可能性についての問題が残されている。 最後のものは, 西方から東方に向かって著しく層相を変える。
松野久也・他( 鬼鹿 , 達布 , 古丹別, 三渓, 築別炭砿, 初浦各図幅)が調べたところに照すと, 本域に分布する古丹別層は, 西方において鍵層とされた凝灰岩層のうちの最下部のものより さらに下の層準であることがわかる。
本層は羽幌岳を中心とする山地と, 羽幌川上流と古丹別川との分水の一山峰の上とに分布している。 前者を模式地とし, 岳見 沢に基底を, 逆川に上限を露出する。
羽幌川上流部の本層の分布と, その基底の不整合面は長瀬和雄により見出されたものである。 不整合面は羽幌川上流部の支流, 年順 沢の二股の下流及び古丹別川の越の沢 [ 位置不明 ] で良く観察される。 礫の大きさはポテト大が多く, 時に南瓜大, 稀にはもっと大きな礫も混っている。 礫種は粘板岩, チャート等の古期堆積岩が多く, 時に花崗岩質岩石が見られる。 そのほか, 白堊系の泥灰質団塊も発見され, それに含まれる化石内容から見ると 中部蝦夷層群以上の各層準から由来したものであることがわかる。
礫は褐色を帯びていて, 礫岩全体の様子は 羽幌川本流で知命沢の落合のすぐ上流に見られる石炭層の直上の 礫岩 層 [ 以下の [注] 参照 ] に良く似ている。 そこでは約 23 m の礫岩と青灰色砂岩の互層の部があって, 上部は約 70 m の含貝化石砂岩層などをへて, スランピングをする古丹別層となる。 一方 本部層の方は, 羽幌川南部では厚さ 70~80 m でその上位は泥岩層から成るのだが, 羽幌岳方面では 400~450 m の厚層で, その上に厚い砂岩層が発達する。
本図幅内の礫岩層が, 蛇紋岩礫がなく, 花崗岩質岩の礫のあることと, 時にスランピング構造の見られるところから, 差し当たり, 古丹別層の基底と見做しておく。 その場合, 古丹別層が直接 白堊系のいろいろな層準を不整合に覆うことになって, 天北地方としては異例のことではないかと思う [ 以下の [注] 参照 ] 。
また, この地方の地史を考えるときに, 築別層としてこれを取扱うにしても, その古地理を考え難い点があるので, 後で記すような難点もあるが, 今後の重要な問題として 本部層並びに次に記す厚い砂岩部層(Kts)の対比があることを明記し, 差し当り古丹別層として取扱っておく。
この部層は逆川とその支流において最も良く観察されるもので, 極めて厚い砂岩層である。 多少緑色を帯びた灰色の砂岩層で, 厚い板状を呈し, 処によって 漣痕 [ ripple mark ] が良く発達する。 また, 処々に礫岩を介在する。 一見 築別層を思わせる。 逆川上流の支流や, 岳見沢では, やや軟質になった砂岩の中に貝殻の破片が入っているのを認めたが, 鑑定に足るものを得られなかった。
地層の厚さは 300 m と推定される。
この部層は 羽幌川の南の山頂部(上古丹別三角点 -- 512.4 m -- の東北の山稜部)では発達しない。 そこでは礫岩部層も薄く, 上部は泥岩層を介在しつつ互層漸移をして厚い泥相に変わる。
中の二股川の北向の支流に発達する新第三系は, 築別炭鉱図幅 [ 添牛内図幅の北西に隣接 ] や三渓図幅 [ 添牛内図幅の西に隣接 ] の古丹別層の延長部である。 そこでは, 古丹別層の中に, 羽幌岳礫岩部層や本部層のような厚い礫岩や砂岩相は少しも発達していないで, 別の礫岩砂岩相がわずかに発達する。
もし, 上にのべた礫岩部層と砂岩部層が古丹別層であるならば, 築別層堆積後に, その堆積盆地の末端であったところが 削剥をうけて白堊系を露出するに至った事を示す。 古丹別層下底の不整合は程度の差はあっても 苫前 郡一帯 [ 苫前町と羽幌町 ] に見られることである。 一方 本図幅内で, 明らかに築別層とされる地層と古丹別層の延長で異相を示す泥相部とは整合する。
従って, 古丹別層の堆積開始直前の陸面は羽幌岳付近から苫前郡の方にあったもので, それに引きかえて, 雨竜郡の方は引きつづき水面下にあったものと理解される。 また南方から羽幌岳の方に向って, 白堊系を露出するような上昇部があったことになる。 古丹別層の泥相の分布から見ると, 礫岩部層並びに砂岩部層は 羽幌岳付近に堆積の中心をもって 西側から東に向かって突出していたレンチルの末端部と理解されよう。
初浦図幅 [ 築別炭鉱図幅に北接 ; 苫前郡 初山別村を含む ] によれば 古丹別層の堆積の中心は 歌越別 背斜にほぼ一致する南北の方向性をもっていて, しかも南の方に粒度が粗いように読みとれる。
築別炭鉱図幅では東方程 粒度も層厚も増すと記される。 これは見方によれば, この位置は 初浦 図幅で認められたところの粒度の最も粗い区域に対して, その西側にあたるところということであるかもしれないという可能性もあり得る。
三渓図幅をみると, 礫岩の顕著に分布するところは築別向斜内であるといわれる。 そして, 周辺の古丹別層の層厚変化から見て, 松野久也は古丹別層の堆積は東方から 供給されたものと結論していると松野(1958, 1960)を引用している。
このようなことから見て, 羽幌岳部層などを古丹別層に対比すると, 従来の説と正面から反対ということになる。
築別層とした場合には, 東側の築別層基底部が蛇紋岩礫岩や蛇紋岩砂岩層に始まるにもかかわらず, 羽幌岳部層にはそれがない。 一方この部層に見られる花崗岩礫は, 古丹別層から出現しはじめるといわれ, その有無は築別層と古丹別層の区別に使用される(初浦図幅)。
本部層は渡辺久吉(1918)による古丹別層の一部に当たり, 菅野三郎・橋本亘・長尾捨一・他(1959)の石油沢層, 菅野三郎・橋本亘(1964)の古丹別層に当たる。
本部層は 下石油沢から上石油沢にかけて分布する砂岩層(層厚 10~50 cm ±)を挾む 暗灰色の泥岩を模式とする。 この泥岩層は所により硬質頁岩状を示すこともあるが, 風化すると黄褐色ないし暗褐色を呈し, もろくなる。
模式地における本部層は約 2,000 m に達する著しく厚い層厚を有する [ 以下の [注] 参照 ] 。 本層は図幅の中央部に分布し, 第三系中, 最も広い分布地域をしめしている。
本図幅の中央部をしめて分布する本層の下部は砂岩・泥岩の互層からなるが, 上部はしだいに砂層を減じて塊状の泥岩となる。 砂岩・泥岩の互層部はところによりゆるい slumping を示すが, 一部においては rubble bedding を示す所がある。
図幅の西北隅の羽幌川の支流の 清水 沢, 待宵 沢の上流地域では, 本部層の基底部にゴマ塩状の粗粒砂岩 [ 以下の [注] 参照 ] ないし細礫を含む礫質砂岩層(層厚 5 m ±)が発達し, その上部はしだいに粒度を減じて泥岩に漸移する。 この泥岩は風化面では黄褐色を呈するが, 新鮮な面では暗灰色である。 本部層の基底部から約 300 m(垂直層厚)上位の付近では, 本部層は著しい rubble bed をなし, 径数 m の泥岩の巨礫が泥質の基質の中に静在し, 崩壊しやすくなっている。 このため, 待宵沢や清水沢の上流には崩壊地が多い。
中の二股川および下石油沢地域では, 泥岩中に薄い砂岩層(層厚 0.2~0.5 m ±)が挾在するようになり, この傾向は上・下石油沢の合流点付近で築別層に整合する部分においても明らかである。 朱鞠内川の本流すじでは挾在する砂岩層が少なくなり, rubble bedding の著しい部分がある。
朱鞠内市街の西方の 養水 沢流域から 共栄 の北方の雨竜川の屈曲部付近にかけて, 本部層はふたたび砂岩層を多く挾在するようになり, 砂岩・泥岩の互層を呈するようになる。 朱鞠内市街の南方約 2 km の道路の西側の崖では, 砂岩層の厚さが 2 m 以上に達し, 泥岩と互層しながらゆるく slump している。
このような砂岩・泥岩の互層は砂金沢の入口付近, 三十線沢, 添牛内の 増田 の沢の上流地域にかけて発達する。
互層状を示す本部層は, 中央向斜の東翼部にも発達し, 朱鞠内市街の東方の雨竜川の川岸やオロウエンベツ川の上流地域にも認められる。 共栄の東方の山地では集塊岩におおわれて, その露出が少なく, また, ピラトルオマナイ川付近では本部層の露出が少ないため, 充分これを観察し得ないが, 一般に泥質の部分が多くなるもののようである。
本部層は化石に乏しく, まだ大形化石を発見しない。
主に安山岩質の集塊岩よりなり, 一部に海成層や湖沼堆積層を含む。 本層は下位より馬糞沢挾炭部層(Bz), 釜ケ渕集塊岩部層(Psag), 湖南凝灰質砂岩泥岩部層(Pstf), 北大島礫質砂岩部層(Pscg)に分けられる。
菅野三郎・橋本亘(1964)の馬糞沢層に当る。 本部層の模式地は 馬糞沢と石油沢の合流点から上流約 50 m から 300 m の間の石油沢の河岸である。
模式地における本部層は 下位の石油沢泥岩部層を不整合におおっているもののようであるが, 石油沢本流の河床における露出が悪く, これを充分観察することは困難である。 馬糞沢との合流点から約 50 m 上流付近の河床には, 暗灰色の泥岩層の上に礫岩層がみられる。 礫岩の礫種は角閃安山岩, 硬砂岩, チャート, 第三系由来の軟質の泥岩などからなり, よく水磨された径 2~5 cm の円礫である。 この中にみられる角閃安山岩の礫は, 釜が淵集塊岩(Psag)の岩質と同一である点は注目に値する。
礫岩層の上部は連続露頭では観察し得ないが, 黄褐色の粗粒砂岩となり, 中に炭質物ないし埋れ木様の亜炭を挾圧する。
砂岩層の上部は青灰色の泥質砂岩ないしシルト岩からなり, 中に厚さ 2 m 前後の貝化石層を含有する(第 7 図, 第 8 図)。 この貝化石層にはとくに Spisula sp. (n. sp. ?) が密集しており, Anadara cf. amicula (YOKOYAMA), Astarte cf. teshioensis YOKOYAMA, Macoma tokyoensis MAKIYAMA, Mya japonica JAY, Turritella sp., Natica sp. などを伴っている。
模式地における本層の層厚は約 140 m である。
模式地では本部層は南北性の軸を有する向斜構造をなし, その西翼では約 50°の東傾斜を示すが, 東翼では約 30°の西傾斜を示す。
石油沢の南の中股沢には本部層の向斜部の西翼が露出し, ここでは 本部層の基底礫岩層が下位の石油沢泥岩部層を不整合におおうもののようである。 この附近では本部層の走向は N 70°W で, 35°前後東に傾斜する。
本部層はさらに南の朱鞠内川本流すじに露出し, 林道のがけで観察される。 ここでは本部層は層厚約 30 cm の亜炭層を挾む泥質砂岩層からなり, ほぼ東西性の走向を示し, 向斜構造の軸部が確認される。 東翼は不整合に下位層を覆うようである。
海棲貝化石を含む馬糞沢挾炭部層は石油沢の支流の馬糞沢にも分布し, 向斜構造を示している。 この西翼部は西北にのびて下石油沢の上流にまで分布する。 向斜の東翼部は北にのびて, ウツナイ川支流の一の沢の上流地域にわずかに分布するが, この付近では大部分集塊岩に移過しているもののようである。
本部層の南の延長は朱鞠内川の南岸から朱鞠内市街の西方の低い丘稜地を形成し, 雨竜川の屈曲部(大学十二号付近)北方にまで達している。 この付近では露出も悪く, その層序関係を充分明らかにすることは困難であるが, 各所に薄い亜炭層の露出が認められる。
雨竜川の東方地域では, 本部層は集塊岩層の基底部をしめ, おもに石油沢泥岩部層起源の泥岩礫(小礫ないし巨礫)をもつ礫岩層からなっている。 この地域の本部層は東南方向に進むにつれて薄くなり, やがて集塊岩が直接 下位の石油沢泥岩部層を不整合におおうようになる。
今西茂・遠藤誠道(1954)によって命名されたもので, その模式地は本図幅の北方の蕗の台の朱鞠内湖の西側にある。 本部層は 菅野三郎・橋本亘・長尾捨一・他(1959)のピッシリ岳層中の上部集塊岩部層, 菅野三郎・橋本亘(1964)のピッシリ岳層の一部に当る。
本部層は 図幅の西北方にあるピッシリ山を中心に発達する角閃安山岩質の集塊岩よりなる。 本部層はピッシリ山より南西にのびて一つは馬糞沢付近に達し, その一部は朱鞠内市街の西方の養水沢の奥に分布する。 他の一部は模式地から朱鞠内ダムの周辺に発達し, 南東方にのびて朱鞠内市街の東方の山地を形成する。
本集塊岩層の一部は下位の馬糞沢挾炭部層の一部と指交するものと思われるが, これを明らかに観察し得る所がない。 しかしながら, 本部層を構成する角閃安山岩は, 馬糞沢挾炭部層の基底礫岩中に含有される点よりみて, この集塊岩の火山活動は, 馬糞沢挾炭部層の堆積当初においてすでに開始されていたものと推定される。
湖南の温根別川上流の河床付近に分布する主に凝灰質の砂岩・泥岩よりなる地層で, 炭質物を挾在する。 模式地における本部層の露出は極めて狭い範囲に限られ, その分布は充分明らかではないが, 周囲の地質条件からみて, 釜ケ淵集塊岩部層に指交するものと思われる。
本部層の一部は砂岩・泥岩の互層状を呈し, slamping を示す所もある。
暗灰色の泥岩中には Viviparus sp. などの淡水棲貝化石と共に, 炭質物や植物化石を多産する(第 8 表)。
本部層の層厚は約 30 m と推定される。
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Carpinus sp.
Cercidiphyllum sp. Corylus sp. Fagus paleocrenata ENDO F. sp. Hydranger sp. Laurus sp. Magnolia paleokobushi ENDO M. sp. Quercus sp. Rhamnus sp. Salix sp. |
朱鞠内湖中にある北大島などに発達する 黄褐色の粗粒ないし中粒の砂岩および礫岩層である(第 9 図)。 礫岩の礫は拳大から径 2 cm 位のもので, 角閃安山岩やチャート, 粘板岩などの円礫からなり, 凝灰質の基質で固結されている。 本部層の下部には薄い亜炭層(5 cm ±)が2~3枚挾在する。
本層の層厚は約 20 m 以上と思われるが, 模式地では下限は不明である。 本層の一部が集塊岩層と指交している点が図幅東北隅近くで観察されるので, 本部層は集塊岩部層の一異相であることが明らかである。
本層は図幅中央部の南部にのみ分布する。 幌加内図幅において政和層と呼ばれた含亜炭層の北の延長で, 国鉄新富駅と添牛内駅のほぼ中間にある 18 線沢の下流にまで達する。
地層は下底を現さない。 亜炭層は下部の方の細粒岩相部に介在する。 上部は礫層に富んでいる。 地層は極めて軟らかく, 段丘堆積物と区別し難いことすらある。
18 線沢の南の深沢で良く観察される。 そこでは, 国鉄鉄橋のすぐ東付近に一つの脊斜 [ 背斜 ? ] 軸があって, 鉄橋のすぐ西で向斜している。 鉄橋の上流約 400 m のところで再び背斜する。 この背斜の 150 m 程上流に約 4 m の礫層が見られる。 三枚の亜炭層は, いずれも, この礫岩より下位の層準である。 この層準を除き 殆んどがシルト岩または粘土岩で稀に砂層がある。
上部は豊富内沢の, 本図幅の西端に一露出があるのみで, 他はみな幌加内図幅内に露出する。 主として礫層からなり, 砂層も介在し, 稀に粘土層がある。 砂層や粘土層は不規則な形をしている。
本層からは鑑定にたえる化石をまだ発見していないので, その時代は明らかでない。 幌加内図幅では, これを追分階或は滝川階のものとしている。
亜炭の様子など, また, 構造上, 本層はピッシリ岳層の下部と考えられる馬糞沢挾炭部層に対比される可能性がある。 少なくとも朱鞠内の西の含亜炭層とは比較出来そうに考えられる。 そうすると稚内層に対比されることになる。
新第三系を貫ぬく火成岩には玄武岩と安山岩類がある。
安山岩には, 釜ケ淵集塊岩部層(Psag)の主体をなす安山岩噴出物と, その地層や, それより古い地層(主として石油沢泥岩部層(Ktm))を貫ぬくものとある。
玻璃質のもの結晶質のものなどが見られ, 後者には斑晶の粗粒なもの, 細粒なものなどがある。 一つの岩脈でも大きなものにあっては中央部が玢岩様を呈するものもある。 これらの分布は割合狭い地域に限られている。
ウツナイ川支流の一の沢やツツミの沢に露出している岩脈は 角閃石安山岩で暗灰色を呈する。 鏡下では角閃石が自形を呈し, 斑晶をつくる。 斜長石には累帯構造が著しく見られる。 斑晶となるものと石基をつくるものとある。
タモノ木沢 [ 位置不明 ] のものも暗灰色を呈する輝石安山岩で, 普通輝石, 斜長石から成り, 少量の磁鉄鉱が見られる。
石油沢のものは玻璃質である。
朱鞠内川支流石油沢の二股から上石油沢に入ったところにある大きな屈曲部 [ 位置不明 ] を天狗の鼻と呼ぶ。 そこの左岸にあって, 天狗の鼻泥岩部層(Cbm)を貫ぬいている。 やや暗い灰色の細粒で硬い岩石である。 風化すると多少褐色を帯びる。
鏡下では透輝石の大きな斑晶があり, 石基は短冊形の斜長石から成る。
本地域の第三系の時代および対比については, これまで各様の見解が述べられて来た。 しかし, 近時 本図幅の西方の築別地域や羽幌地域の層位学的, 古生物学的研究が進展した結果, 我々の知識も急速に進歩し, これまでの結果に改訂を要する点が生じてきた。
先に菅野三郎・橋本亘・長尾捨一・他(1959)は, 朱鞠内川の支流の石油沢, 中股沢地域の第三系を調査し, これを苫前炭田地区の築別層, 古丹別層に対比した。 その後, 苫前地区の第三系は松野久也・木野義人(1959), 服部幸雄(1961~62), 山口昇一・松野久也(1963), 菅野三郎・松野久也(1960)等による層位学的, 古生物学的研究が行なわれ, かつて築別層と一括されていた第三系は狭義の築別層と 三毛 別層に二分され, 各層に夫々特有の性格をもつ動物群の存することが明らかとなった。
本図幅の第三系の下部をしめる築別層には海棲の貝化石を多産し, 特に三十線沢含化石砂岩部層には 築別層の特徴種たる Yoldia (Cnesterium) notabilis YOKOYAMA, Mercenaria y-iizukai KANEHARA, Spisula onnechiuria (OTUKA), Pholadidea kotakae KANNO and MATSUNO などを多数産し, 古生物学的には狭義の築別層に属することは明らかである。 しかも, 本図幅の第三系は, 苫前地区の第三系の模式地まで野外において進跡され, 層位学的にも同一層準であることが確認されている。
また本部層に特徴的な 海胆 に Echinarachnius microthyroides NISIYAMA がある。 これの模式種は青森県の末の松山層に産したもので, 中新世後期の示準化石とされている。 橋本亘・氏家宏(1965)によれば, 模式種と極めて良く似るが, その歩帯溝の様子は Kewia に近い点があるので 模式種よりは時代的に多少古くなる可能性のあることが指摘されている。
築別層の層準については先に菅野三郎・松野久也(1960)によっても述べられているが, 中部中新世の上部に属し, 温暖な中部中新世型の動物群に代わって やや寒冷な水温を指示する動物群が現われはじめる時代である。
ピッシリ岳層の馬糞沢挾炭部層には Anadara cf. amicula(YOKOYAMA), Astarte cf. teshiossensis YOKOYAMA などの貝化石を産し, 上部中新世を示すものである。 政和層は多分これの異相であろう。
この地層は今西茂・遠藤誠道(1954)の命名で, 模式地は幌加内町 宇戸内 [ ← 宇津内 ? ] の南方の深名線鉄道切割である。 この地点は旧宇津内駅の南で, 本図幅の北限に近いあたりと思われる。
原記載では「厚さ 15 m 内外で, 粘土・凝灰岩・砂岩及び礫岩」から成り, 30 cm 位 の粗悪な亜炭層が挾在し, Menyanthes trifoliata LINNE の実がその部分に密集して産するという。 そこでは「釜ケ淵集塊岩を不整合に覆い, 湖成堆積層と思われる高位台地砂礫層に不整合に覆われている」と記す。 原著者等は Menyanthes を夥産するので洪積統と考えている。
この地層は朱鞠内湖の西の台地上に広く分布するだけでなく, 湖南の土堰堤の余水路や湖南小学校の西でも, 釜ケ渕集塊岩部層を不整合に覆って発達する。 温根別川の上流の一支流でも, 集塊岩層と共に傾斜している本層と思われる含亜炭層がある。
ウツナイ川の西側に新しくつくられた蕗之台に行く道路で観察すると, この地層は断層で切られたり, スランピングした部分があったりする。 それに, 最下部の亜炭層は特に著しい初成傾斜をして, 集塊岩層の斜面に接している。 一の沢の南の道路で見ると, 湖面のところから始って 359 m の標高点の峠を越えて分布する。 この高低差は 65~70 m 近いものがある。 その全体の分布を見ると, この地層が断層運動のためによってのみ生じた傾斜とは云い切れない。 ここに生じている亜炭(草炭)の様子は, 現在のダムの周辺の芦が枯れ, 水位の変動によって生じている薄い泥炭が, 湖岸のダムのために生じた崩土の上の急傾斜にへばりつくように 強く傾斜しているのに似ている。 或は, 水位が次第に上昇し, 周辺に生じている泥炭生産地を次第に上方に追立てながら形成して行った初成傾斜が 相当重要な役割をはたしているのではなかろうかと推察する。
本層に属すると思う草炭がウツナイ川支流ツツミの沢に見られる。 露出が悪く他の地層との関係を充分吟味出来ないが, 航空写真とあわせて, この地層は断層で馬糞沢挾炭部層に接するものと推定した。
第四系には段丘堆積物, 河床や氾濫原の堆積物, 崖錐, 火山灰, 泥炭といろいろな堆積物が見られる。 それ等を, 本図幅では高位段丘堆積物, 低位段丘堆積物, 冲積層の三つに区分して示した。
この地層は主として中央北部の 300 m 以上の台地の上に分布し, 蕗の台層やピッシリ岳層, 古丹別層, 築別層の上を不整合に覆っている。
礫岩の様子は深名線の沿線の人工崖や, 朱鞠内湖の湖岸の崖でよく観察される。
厚さは 10 m 前後で未固結の砂礫層である。 安山岩礫を主にし, 砂質頁岩礫を混える。 礫の大きさも, その層によって異なるが, ポテト大からそれ以下のものが多い。
この礫層と同じような高さにある, 雨竜第二貯水池の西の丘の上にも ポテト大円礫から成る礫層を主とする数米に達する地層が, 蕗の台層を不整合に覆っている。
また, 湖南小学校の台地の上もこの礫層から出来ているようで, 土堰堤のところの余水路の崖で観察されるし, 小学校から開拓地に下る坂道の一部でも見られる。
この礫層は台地の上ばかりでなく, オロウエンベツ川上流部の平坦面の上に載っているようである。 そして, ピラトルオマナイ沢の水源地付近にまで拡がるのではないかと見られる。 これ等は航空写真から平坦面を追跡して記入したものである。
このように, この砂礫層は, 北ではウツナイ川や朱鞠内湖底に沈んだ沢(雨竜川本流の一部とその支流)などの 最初の段丘礫層あるいは旧朱鞠内湖のようなものがあって それによって出来た砂礫層のように見えるが, 湖南から南への分布を見ると, 現在の河川系のものとは異って, シュルクタウシベツ川の方と連絡していた河川があって, それが残したものもあるという解釈も可能のようである。
こうした高いところにある礫層には, 朱鞠内川の支流の石油沢の下流部右岸の平坦山頂部のものがある。 下から見上げたところ, 見られるところで楽に 10 m の厚さがあると思われる。
そのほかには, 図幅南端の中央部の新富の西で悟空沢の東にあって, 西北 - 東南に走る平頂台地の上に分布する。
朱鞠内の西の台地の上に発達する礫層の中にも 次に記すようにこの中に入れられるものがある。 そこの地形を見ていると, 雨竜川の旧河道は現河道と平行して, 西の台地の上にあったように見受けられる。
上に記したものを除き, それよりも低い段丘堆積物を一括して示した。
段丘は朱鞠内旧市街地(朱鞠内第二)を中心とした付近に良く発達し, 五段程に大別される。 小学校のある段が中段で, それから河原までに2段と, 西南の背後地に2段認められる。 一番上のものは 300 m, 二番目のものは小学校の西, 神社の上で 280 m 程で2番目から下を(Tl)とする。 小学校の段は 265 m, 旧市街の低い方が 255~260 m, そしてその下に 250 m 程の段がある。 300 m のものより上に狭いものがなお一段ある場所がある。
これらの各段丘を精しく追跡したわけではないが, 添牛内 北星地区まで行くと, 第2段は 北星 の大学演習林事務所の東にある 262 m の標点のある農耕地につづく面で, 東北では 280 m 位まで上がって行く。 この面はピラトルオマナイ川やその上流の沢の本流左岸よりのところに良く発達している。
第3段が大学演習林事務所のある台地に行くと見られるが, 事務所のすぐ西にある小さな段から下が, 第4段に相当するものかもしれない。 添牛内市街地背後の台地や新富駅の西の台地なども第3段に相当すると見られる。 添牛内旧市街の台地は第4段に相当するであろう。
これ等の台地の上には, どこでも厚い砂・礫・粘土の層が発達しているし, 処によっては泥炭層が見られる。 北星の台地の上ではそのために井戸水が良くない。
シュルクタウシベツ川の右岸には仲線地域の農耕地の半ば以上を載せている台地がある。 国道より西側は可成傾斜した台地で, その下に国道の通る平な台地がある。 処によっては更にその下に狭い低い段が見られる。
ここでも砂・礫・粘土層のほかに泥炭層のあるところもある。
その点は温根別川やその支流に沿った段丘についても同様である。
河床, 氾濫原に見られる砂・礫・粘土層である。 この地方の各河川に沿って分布する。
本図幅内には多くの断層が発達していて互に切りつ, 切られつしている。 それ等を良く見ていると, 一見 新, 旧があるようで, 実は大変解析しにくい。 それに再動したとしか考えられないようなものもある。
本域の特徴はこれが神居古潭帯が北に沈んで行く末端に当るところで, 従って, 図幅南部からは幌加内図幅に見られた一大背斜構造の延長部が入り込んで来る。 その中心部にはこの構造帯の特徴である大塊をなす蛇紋岩が見られる。 これを 幌加内背斜部 と呼び, その両翼をそれぞれ, 西は 古丹別川単斜部 , 東を 温根別単斜部 と名づける。
古丹別川単斜部は 岳見沢 断層 で切られ, その直接の北方延長部を見せないし, 西は 二股沢断層 で切られる。 その西には白堊系褶曲部があって, 後者 [ 白堊系褶曲部 ] の北方延長部は岳見沢断層の北半部の西に沿って北方に延びて行く。
古丹別川単斜部の北端に近いところに 逆沢背斜 が発生している。 この部分は, ノーズとして, 北西に延び, 中の二股川背斜部 として, 中の二股川と白地畝沢の合流部付近に出現する。
両者の中間にある羽幌川奥背斜はノーズの中央部に相当するものであろう。 こうしたノーズ構造の東には 奥朱鞠内向斜部 がある。 軸に平行な数本の長い断層 と, 胴切断層 によって可成りいたんでいる。
その向斜部の東には, 小菅沢東及び西の二本の断層 で隔てられて 朱鞠内川単斜部 がある。 これは古丹別川単斜部と同じ性質を示している [ ← 西に小菅沢東及び西断層, 東に初見沢断層があること ? ] 。 そしてその北端部では, 北々西に向かって 白地畝 背斜 を派出している。
幌加内背斜部の東翼部は 温根別単斜部 と呼ばれる。 この部分は 仲線断層 をもってその東にある シルユルクタウシュベフ背斜 を中心とする褶曲部と接している。
東翼部の北方延長について, その形態は My1 部層により良く代表されている。 しかし, 仲線の奥で地層は東北に一背斜を派出している。 この様子は, その捻れの方向が西翼部の背斜の派出のし方で示されたところと正に逆である。 こうした部分の東は 温根別川断層 で切られている。
こうした白堊系の構造と, その中に発達する断層は新第三系と白堊系を境する多くの断層によって切られている。
興味あるものに幌加内背斜部の東・西両翼の断層群がある。 東側には東北 - 西南の平行断層群が見られ, 西側には北西 - 東南方向の平行断層が見られ, 両者のなす角度を2等分するような方向に蛇紋岩大塊は延びて分布する。 つまり, 蛇紋岩を中心とする杉綾模様(Herring-bone)をしている( 鯟骨断層群 )。 この形態は恰も蛇紋岩の迸入と褶曲及び断層の形成は密接な関係をもっていて, 迸入はミオ割れ [ ← 意味不明 ] をつくるような方向性があったと考えられる。 また, こうした平行断層群に切られている断層の中に蛇紋岩の迸入が行われている様子がある。 此ミオ割れ [ ? ] が押割れであるならば, 蛇紋岩の迸入は北から南に向った形であり, 張り裂けであればその逆である。 西翼におけるノーズの派出の仕方や東翼における仲線北方の褶曲方向をみると, この迸入は この付近の褶曲の発生と関連しながら 北から南に向かって行なわれたと解されよう。
こうした雄大な構造の西側には, 二股沢断層と岳見沢断層の西に, 白堊系が小さな褶曲を操返す部分があって三渓図幅に入って行く。 そして, こうした部分が北に行くと, そのまま築別背斜の中核部に入って行くのだが, それは, その基部に止まって, 築別炭坑付近では新第三系と白堊系は単一の背斜となり, 殆んど構造差をみせなくなる。
南部では, 羽幌川上流から古丹別川にかけて, 本図幅の西縁に沿うように南北に走る知命沢断層の西には, 細長く南北につづく背斜があって, その西翼は, ゆったりとした築別向斜の東翼になっている [ ← これは三渓図幅地域の話 ? ] 。
築別向斜は新第三系から成り, その西翼は, これまた雄大な構造である羽幌ドームにつづく。 そこでは, 新第三系と白堊系は殆んど構造差がない。 そして, このドームは古丹別層の堆積期に曲隆を始め古丹別層堆積後のある時期に完成している。 その点は築別背斜も同様である。 この点を見ると, 少なくとも, 白堊系分布地域の西の方には, 古丹別層堆積開始までの間に, 褶曲作用を殆ど蒙らなかった地域があったことになる。 そして, 羽幌ドームについてみると, この曲隆に関係している力は 時計方向の捻れを生じていたことが地質図の上から読みとれる。 築別背斜とこのドームの二つを雁行と見立てても同様である。
捻れの点からだけ見れば, 幌加内背斜部の西方山地の白堊系の構造に見られるものと全く同様である。 しかし, 完成の時期が完く違うことは, 本図幅中央部に分布する新第三系の基盤に対する関係を見ても明らかであるし, 朱鞠内川の中流の新第三紀の基盤は, 堆積時において水平に近いまで逆転していたという事実すらある。
石狩炭田においては, 幌内層あるいは紅葉山層の異相といわれる板垣沢層を仲介にして考えると, 石狩統の堆積前に白堊系の中に生じていた構造が 炭田地域の東側には存在していることがわかる。 そして 炭田主部は 紅葉山層堆積後の或時期に基盤の白堊系もろともに著しい褶曲を生じている。 しかし, 石狩統の堆積中にも空知背斜のように, 曲隆運動を継続した部分もある。
こうしたものと, この地方を比較して見ると, 古丹別川単斜部の西側に分布している褶曲部は 発生の時期的には石狩炭田主部に比較されるのではなかろうか。 この部分に見られる褶曲を雁行の解析から見直すと, 逆時計方向の捻れを思わせるものがある。 因みに石狩炭田主部の構造運動は逆時計方向の捻れである。
矢部長克(1959)は古丹別川単斜部の南の延長を, 夕張 山系の西に見られる単斜部に比較している。 又, 達布図幅の白堊系の西の複雑なドーム構造の発生は その西にある古第三系の褶曲と関連づけている。
次に図幅中央に帰って, 三十線沢から砂金沢にかけての朱鞠内挾炭部層の構造を見ると, 大変複雑な構造ではあるが, その発生には時計方向の捻れが見られると思う。 それは羽幌ドームなどと同一期で, 同一性質である。
なを, 第三系分布地域の褶曲構造は 朱鞠内向斜部 を中心に東西で方向性を異にし, 北に開く杉綾模様を示す。 この点, 白堊系の構造と似ている。 そして中心部の北に若い火成岩々脈が集中して出現し, 風構 「几」 の一番奥に 添牛内盆状地 がある。
本図幅内の最も古い地層は下部蝦夷層群であるが, ここではその下底を現わしていない。
幌加内図幅においては, その下に不整合に覆はれる 空知 層群の比較的上位の輝緑凝灰岩層とその中に迸入した斑糲岩とが角閃岩化している。 つまり斑糲岩の迸入と前後する構造運動があって, 斑糲岩による圧力を伴った接触熱変成的な成因によって角閃岩化されたものと解釈され, その時期については 神居古潭変成岩類を生じた広域変成よりも後で蛇紋岩の迸入以前と考えられている。 蛇紋岩の迸入の時期については白堊紀蝦夷層群の堆積後と記されている。
そこで, 空知層群の一部が角閃岩化した時期の推定であるが, それには変斑糲岩が一つの手掛りとなるかと思われる。 これと同一の火成活動として一括されているものに輝緑岩があって, 幌加内図幅では GD の記号で示されている。 ともかく GD とされた火成岩は 犬牛別 で下部蝦夷層群最下部層を貫ぬいて, 相当広く露出している。
そうすると, 幌加内図幅の見解に従えば, この角閃岩化の行なわれた時期は下部蝦夷層群堆積後であったことになる。
本域の下部蝦夷層群の下部2層は極めて硬く, 空知方面の下部蝦夷層群と似ているが, Ly3 以上の地層は比較的軟らかく, 中部, 或は上部蝦夷層群と同様, 中にはそれより軟かい地層がある。 この点は 天塩中川 方面の下部蝦夷層群中・上部に近い様子を示す。
化石が殆どないので下部蝦夷層群の堆積はいつから始まっているかわからない。 空知方面の資料からいえばアプチアン世よりは古いし, 礼文島の資料から見ればバレミアン世までは降らない。
堆積は少なくともアルビアン世中期までは継続したと思われる。 空知, 特に 富良野 方面との岩相の差は, 彼の地ではアプチアン世の Orbitolina 石灰岩までの地層しか残っていないためで, そうした事は 中部蝦夷層群堆積前の中蝦夷地変とそれに伴った削剥のためと思われる。 しかし, 中部蝦夷層群に入ると, 時代のわかっているのはセノメニアン世のほぼ下限だけである。 その位置から基底までは地層の厚さにして少なくも 700~800 m は認められる。 石狩金山 図幅では 中部蝦夷層群基底のすぐ上に Mortoniceras を産し アルビアン世新期であることが明らかにされている。 天塩中川図幅では, アルビアン世新期化石(Mortoniceras imaii (YABE and SHIMIZU) [ 松本達郎(1954) ] )を産した位置から地層の厚さにして約 700 m で中部蝦夷層群基底に至る。
このように中蝦夷地変を境にして, 上, 下の地層の示す時間的間隙は少ないにもかかわらず, 中部蝦夷層群はかなりの傾斜不整合をもって下部蝦夷層群を覆うばかりでなく, アルビアン世新期と見做される地層が 700 m もあるという事実は重要である。 しかも本域から幌加内図幅にかけて, 不整合直上には My1 → Ma 層が分布する。 この地層は厚い礫岩層を主体とする地層で, 50~700 m の厚さがある。 この堆積期に見られる流紋岩活動は, 広く北海道中軸部を通じてよい鍵層となっている。
そして, 下部蝦夷層群の基底部に既に礫などとして出現し始めていた変成岩類は, この地変から上で急にその量を増す。 中部蝦夷層群の第二回目の輪廻においては, 礫岩の堆積する場所は北に移って, 相雲内川から北で著しく, 特に 30 線沢以北が著しい。 そして, 上部蝦夷層群の下底の佐久層になると, 厚い礫層の発達する位置は更に北に移り, 朱鞠内川以北になる。
このように, 中部蝦夷層群堆積初期には背後地の上昇に伴う堆積物の急激な供給がある一方では, 堆積盆地の方はそれを受入れるに足る下降を行なっていたのである。
そして, 上部蝦夷層群堆積のある時期には 藍閃石をもった神居古潭変成岩が露出するに到っていたはずである(飯島東, 1961)。 なお, 飯島は, クローム鉄鉱が既に中部蝦夷層群下底から出現し始めることについて, 蛇紋岩すら既に中部蝦夷層群堆積前に露出するに到っていたものと解している。
幌加内図幅では蛇紋岩は白堊系堆積後, そこに生じた構造線にそって迸入したと記されている。 本域において, 蛇紋岩は幌加内背斜部の核心を作っている。 背斜軸に平行する断層の中に迸入したと思われる露出もあるし, それに, 構造のところにのべたミオ割れ [ ? ] から考えて, 蛇紋岩の迸入は背斜構造の発生と密接に関係しているものと思われる。 背斜構造の完成は少なくとも, 白堊紀末であったとしても差しつかえはない。
そこでこの地方の斑糲岩の迸入にともなった角閃岩化の時期を再び考えてみると, 白堊紀末よりは早く, 下部蝦夷群の堆積の後である。
白堊紀層を貫ぬいている火成岩には蛇紋岩に伴ったと考えられる優白岩と, 上部蝦夷層群下部の地層を貫ぬく粗粒玄武岩がある。 白堊系中の凝灰岩としては酸性または中性火成岩に由来するもので, 基性のものはない。
そうなると, 角閃岩化は中蝦夷地変に伴ったものであるか, あるいは白堊紀直上地変に伴い, かつ蛇紋岩の迸入に先んじていたという場合がある。 一方では蛇紋岩に貫ぬかれている神居古潭変成岩は 白堊紀後期には既に露出していなければならない。
白堊系の堆積後, この地方には白堊紀直上地変が生じている。 蛇紋岩の迸入は多分これに伴ったものというのが従来の考え方である。 それに従えば幌加内背斜部はこの地変で出来上がり, ノーズ構造の派出などもこれに伴ったものと考えられる。
こうした構造の発達は, すくなくも羽幌ドームの方にまではおよんでいない。 そして, 古第三紀を通じて, 少なくも本図幅内は陸であったと考えられる。
古第三紀, 幌内層の堆積後に留萌, 石狩の炭田地方に見られる造構造運動があった。 此地方は留萌炭田の末端としてどのような役割を果したか明らかではない。 しかし, 築別背斜の基部の中に入って行く小さな褶曲のある部分は, 東西に比して, 褶曲は小さいがそのくせやや複雑なところから見て, この時期に生じていた可能性がある。 それに, この部分に作用した捻れも東西の部分とは逆のようである。
新第三紀になっても, 羽幌層や三毛別層の堆積は, この地方には行なわれなかったと見られる。 築別層の堆積時において, 始めて海水の侵入を見る。 その時には中央南部の蛇紋岩が可成複雑な地形をしていた。 そこに入江となって侵入し, 次第に低所を埋めていった。 この海の縁の条件の適当なところには 稼行可能すれすれ程度の石炭層の生じたところもある。
基底砂岩は, 朱鞠内向斜部の周辺, 特にその南部では蛇紋岩質砂岩で, 添牛内の東南では, 蛇紋岩と, 神居古潭変成岩類の亜角礫を混え, 礫も実に大きなものがある。 この砂岩層には多くの海棲介化石等がふくまれている。
古丹別層はスランピングをする砂岩層や砂岩・頁岩互層部もあるが, 主として泥岩から成り, 2,000 m 以上に達する。 古丹別層の本来の層相のうちでも, 特に厚い礫層のタング [ ← 舌状堆積物 ? ] が羽幌岳付近にあって, その供給源は, 従来の通念に反して西側にあったのではないかという疑が出ている。 その部分で古丹別層は白堊系を直接覆っている。 このことは, 東側から見れば築別層の堆積が充分進行して行った後に, 古丹別層が追覆して行ったようにも見えるが, 古丹別層の下底には, 苫前 郡一帯に平行不整合があって, その基底礫岩には築別層以下の化石が発見されることを知れば, 少なくも西側一帯から海水が後退した事を示すことは明らかである。 しかしその時でも本図幅の北と, 朱鞠内向斜部は海面下にあったし, 古丹別層の堆積中には西では, 羽幌ドームの発生・発達とか, 差別的沈降を示す堆積盆の発達などが見られるように, 本図幅内にも亦 [ ← また ] 別の一つの沈降部とその南端があったと見え, 厚い地層を堆積し, その中に slamping が見られる。 しかし, 礫相は殆どない。
古丹別層の堆積後 上昇削剥をされ, そこへ再び海水の侵入を見る。 偶々 [ ← たまたま ] その頃から安山岩の噴出が始まる。 流木をもつ海成の礫岩・砂岩層に始る堆積物は亜炭をもつようになる。 一方 そうした海水の侵入を見た部分の東には, 南北に連なり亜炭層をやや厚く堆積したところがある。 こうした地層の上に安山岩の集塊岩が堆積する。 それは北部に限られていて, 南部では礫層となる。 安山岩は東に行くと, 下底に亜炭層をもたず, 下位の泥岩の礫を多量にもつ礫岩を基底にもつが, 更に東ではそれも無くて直接 古丹別層の泥岩層を覆う。 集塊岩の中には, 湖成堆積物をもつところがあるし, 上部に行くと礫や凝灰質砂岩層となる。 集塊岩の活動とほぼ同じ頃の活動と思われるものに安山岩岩脈がある。 この層の堆積がほぼ中新世の終り頃と見られる。 この地層は褶曲し, 時には直立に近い状態にまで転移する。
こうした地層などが隆起し削剥をうけ, 相当な高低差のある起状面を生じていたところに, 次第に水位が高められて行ったような状態がおこったものと推定される。 それは, 蕗の台層の初生傾斜は下位の亜炭層で特に著しく, それを説明するためには, 水辺の草炭が出来つつ水位が上がり, 草炭生産地は高い方にうつり, 古い草炭は水中に保存されるというように生じたと説明出来る方法があるからである。 そして, その後 水位は昇ったり降ったりしている。
しかし, この地層も多少の変動はうけていて, この地層の中には小さな断層や slamping も見られる。 多分 地質図に示したような, 可成 [ ← かなり ] 大きな断層を生ずるような運動が, この地層の堆積後にあったものと推測される。
この亜炭層の堆積に引きつづいたかのように, 蕗の台層の分布するところの上で, 300 m 以上の台地に蕗の台層や安山岩質集塊岩層を不整合に覆って礫層が発達する。 分布を追跡するとそれをもたらしたものは現在の河川系と多少異るものと見られる。
その後, 本図幅内は現在見るような河川系が, 争奪その他をも行ないながら発達し, 相次ぐ隆起によって, 河岸段丘を残して行った。
本図幅内に経済的価値に富む地下資源はない。 僅かに石炭が, その時の経済事情に応じて, 断続的に採掘されたり, 砂鉱床の中に稼行された事のあるものが認められる程度である。
以下そうしたものの状況を記す。
本地域は昭和 33 年に 早良 鉱業 幌加内事業所の手に依って調査されるまでは, 殆んど, その実体が知られず, 単に非常に厚層の石炭層があることが伝えられていたに過ぎなかった。 昭和 33 年に早良鉱業の依頼によって, 筆者らはその調査を行ない, 夾炭層の分布および構造を明らかにした [ 以下の [注] 参照 ] 。 その結果, 炭層の厚さおよび賦存状況を確かめるため, 昭和 34 年 8 月, 道立地下資源調査所の手によって, 6本の試錐が実施された。
夾炭層は上石油沢上流およびその支流小岩井沢に沿って露出し, 西側は白堊紀層と N 20~30°W 方向の断層で接し, 所々 断層のため地表の露出は失われるが, 南東方に延び, 朱鞠内川支流の中二股沢中流まで約 4 km 連続する。
炭層は稼行対象となるもの1層, この本層の上位に 20~30 cm のもの1層, 更に本層の下位に同じく 20~30 cm のものが1層ある。 上層は炭質頁岩とも称すべき粗悪炭である。 本層下位のものは, 炭層内に石油を含み, 試錐中におびただしい「ギラ」を浮上せしめたことがある。 本層は 上石油沢の通称「天狗の鼻」の西方から 小岩井沢の分岐点まで約 500 m 断続的に地表に露出する。 南東端のもの, 即ち試錐番号 RL-3 附近のものは, 川の中および南対岸に露出する。 この川中のものは炭質頁岩と互層し, 山丈 1.80 m, 炭丈 1.46 m で, この延長と見られる南対岸のものは, 断層の為に炭層の重複, 累重をきたし, 見掛けは 4.80 m の厚さを呈する。 朱鞠内川上流の厚炭層と称せられたものは, この露頭であって, 実際は 1.5 m 内外の炭層の重複露出にすぎない。 この炭層の深部を見るため RL-3 の試錐を実施した。 この試錐は深度 50.70 m で, 目的の炭層には 35.00 m で着炭 1.55 m の石炭と, その下位の 1.65 m の含煤縞状炭が認められた。 傾斜は 50°であるので, 換算すると大体 95 cm の石炭と 1.05 m の含煤縞状炭となる。 この試錐場所は断層に近いので, 全体的にかなり多くの破砕帯が認められた。 その北西方, 川に沿った 85 m 上流の左岸に RL-2 号を実施し, 深度 39.90 m で着炭した。 この柱状図 [ 第 12 図 ] を見ると, 全体として含炭部は 2.35 m, この内で石炭部は4層に分れて計 9 5 cm, 傾斜は 50°であるので, 実際の厚さは 55 cm 内外の炭層となっている。 この試錐で興味ある事実は, 深度 62.10 cm で, 実厚 3 cm 内外の薄炭層に遭遇したが, この時 猛烈なギラが浮上し, この炭層が油をもっていることが知られた。 次にこの RL-2 より更に 150 m 上流に RL-1 号を実施した。 ここでは, 大露頭と称せられる炭層が走向 N 36°E, 傾斜 NW 80°で露出し, 1層にまとまった良質炭が 1.5 m 内外の層厚で存在する。 しかしその延長方向の南側は断層帯で, 炭層の露出がなく, ここを斜めに通る断層で, 消失しているようである。 RL-1 号はこの深部探査を目的として, 深度 88.8 m まで掘進したが, 目的の炭層は断層のため圧滅し, 僅かにその痕跡を止めるのみであった。 即ち, 深度 52 m までは, 比較的順調な重なりで, 傾斜も 40°前後であったが, それから下では無数の破砕帯があり, 岩芯傾斜は 70°前後で, 64.50 m 位と 75.60 m 位の所に僅かな粉状炭質部を見たに過ぎない。 恐らく断層帯の中に突入したものであろう。
更にその上流 200 m, 小岩井沢の分岐点近くの左岸に UD-3 号を実施した。 この地点は断層の集合部に近いので, 可なり [ ← かなり ] の地層の乱れを予想したとうり, 深度 11.50 m から坑底に近い 70 m 位までは破砕帯の連続であって, その間に 65.50 m から約 2.5 m 位の含煤質の黒色頁岩を見たに止まり, 炭層を確認し得なかった。 以上, 上石油沢地区の炭層は白堊紀層との断層帯近くに, それと平行して露出するので, 露頭部は 50~80°に急斜するが, 深部は 30~40°の傾斜となるものと予想される。
小岩井沢の挾炭層は, 略 南北性の向斜構造の東翼の南部および西翼の北部に露出し, 何れも下位の白堊紀層とは断層で接している。
東翼南部では地表上に石炭の大塊が散乱 [ しているため ] , その走向傾斜を測定することもできないが, 厚さは少なくとも 1 m 以上のものがある。 それでここに UD-2 号試錐を行なった。 この柱状図 [ 第 12 図 ] からみると, 当然 石炭を挾んでいなければならない 20 m 辺りは著しい破砕帯であって, その下は挾炭部の下盤である砂岩・礫岩の互層帯になっている。 また 39 m の深度の含煤層(約 15 cm)は含油層であって, 既にのべた RL-2 号試錐の深度 62.10 m の含油部に当るものと推定される。 従って, この地点では炭層は断層のために失われているものと推定される。
小岩井沢向斜の西翼部も東側と同じく, 断層でその西側の白堊紀層と接し, 地表の露頭部はかなり破砕されており, 炭層も走向傾斜の測定ができない程に乱されている。 ここに施行された UD-1 号試錐は, 深度 71 m までは破砕帯が続いたのであるが, それ以下は比較的に安定し, 深度 99 m で, 1.80 m の炭質頁岩を上盤とする 2.53 m の炭層に逢着している。 この炭層は3枚の中盤をはさみ, 炭質部は 1.75 m で, 地層傾斜は 30~60°であるので, 平均 45°と見て, 炭層の実層厚は約 1.20 m である。
上石油沢地区の挾炭層は南東方に向かって, 一たんは白堊紀層との断層のため地表に露出せず, 白堊紀と接するのは天狗鼻泥岩部層の下部につづく砂岩(Cbs)となるが, その下位には当然 挾炭層が伏在することになる。 この挾炭層は二股沢の支流の西沢附近で再び地表に露出し, 断層でやや断片的に切断されるが, 約 600 m 断続して露出する。 このうち西沢のものは, かつて稼行されたことがあり, 崩れた旧坑があちこちにあり, 挾炭層は大体 南北に近い走向で東に 60°内外傾斜する。 炭層は膨縮の激しい粉炭状を呈し, 断層の影響をうけて著しく破砕されている。
以上 賦存状況について略述したが, 要するに, 現在 炭層が露出している部分は, いずれも断層帯に近い所であって, 正常な状態における炭層はもっと深部にいかないと見られないのである。 施行した試錐も, 炭層傾斜が急な為にあまり断層から離れることができず, まだ破砕帯の中の炭層を見ているにすぎない。
しかしながら, 全体の状況からみて, ここに 1~1.5 m の炭層が1層, かなり連続して存在することは確実と思われる。 この炭層は低度瀝青炭で, 時には褐炭に近い性状を呈することもあり, また時には輝炭部の多い高カロリーのこともある。 走向に沿った炭質の変化は, 現在の露頭状況からみて, かなり激しいことが推定されるので, 傾斜方向に沿った変化も 亦 , 著しいであろう。
炭量算定については, 現在の所, 予想炭量を出しうる程度の資料があるに過ぎず, それ以上の正確な数値を出すには, 更に深部の試錐を行なわなければならない。
二股沢の支流西沢および, その附近に分布する炭層は, 断層破砕帯の中に賦存し, 且つ急傾斜で非常に不安定であるので, 鉱量算定から除外する。 その他の上石油沢, 小岩井沢の予想炭量は次の通りである。
| 延長 m | 炭丈 m | 斜距離 m | 比重 | 予想炭量 t | ||||||
| 上石油沢 | 1,000 | 1.2 | 300 | 1.33 | 478,800 | |||||
| 小岩井沢東翼部 | 300 | 1.2 | 300 | 1.33 | 143,640 | |||||
| 小岩井沢西翼部 | 500 | 1.2 | 300 | 1.33 | 239,400 | |||||
| 合計 | 861,840 |
即ち予想炭量として 862,000 t 内外の炭量が算定される。 但し, この地域は現在の地形からいって, 探炭, 採炭, いずれも斜坑あるいは堅坑によらざるを得ない。 従って層厚 1 m 内外の低度瀝青炭層1枚を目的として, 堅坑開さくは採算上難しい, かつ, 現在のように道路が不便では到底採算ベースにのせることは出来ない。 ただし「名羽新線 [ 名寄と羽幌を結ぶ新しい鉄道路線 ] 」が開通すれば, 本地域の中股沢附近を通ることとなるので, 輸送面の条件は非常によくなる。
国鉄 朱鞠内駅と添牛内駅の中間, 雨竜川の西側の支流, 通称「砂金沢」を中心とする地域で昭和 28 年に筆者の一人である長尾 [ 以下の [注1] 参照 ] , また昭和 28 年度に埋炭資料として佐々保雄 [ 以下の [注2] 参照 ] の報告がある。
挾炭層は石油沢地域のものとは岩相的にかなり異っており, 挾炭部は中に 50~90 m 内外の礫岩層を挾んで上下に分かれる。 下部のものは炭質, 炭層共に稼行の対象とはならない。 主要炭層は上部挾炭部の二層であって, 層厚は各々 60 cm と 70 cm である。 炭層の膨縮は比較的激しく 140 cm から 30 cm 位までの間を上下する。 炭質は石油沢地域のものより良質であって, 特に左股沢上流の西支流の旧坑および露天掘跡のものは, 輝炭部の多い良質炭である。 以下に埋炭資料より得た炭質を記す。
| 採炭箇所 | 水分 % | 灰分 % | 揮発分 % | 固定炭素 % | 発熱量 cal | 純炭発熱量 cal |
| 炭沢露頭 | 15.53 | 8.75 | 39.32 | 36.40 | 5702 | 7532 |
| 炭沢掘割 | 13.83 | 17.73 | 35.38 | 33.66 | 4682 | 6841 |
| 一坑 | 14.62 | 12.61 | 37.88 | 38.22 | 5048 | 6937 |
本地域の左股沢上流地域は昭和 25 年頃, 鉱業権者によって採炭され, 試掘坑道が開坑されたが, 地表に近い為, いずれも崩落して採炭不能となっている。 それ故 現鉱業権者の石川 博士 の手によって露頭部の剥土と露天掘が計画され, 昭和 38 年度には稼行, 売炭された。 昭和 39 年には露天掘部分の行き詰りから坑道採炭の止むなきに至っている。 炭量としては, 露天掘地区と旧一坑地区の深部の炭層と, その地区と断層で接する南隣接部が一応考慮される。
露天掘および旧一坑地区では 60 cm のもの [ 上部夾炭層の二層のうちの一層 ] は貧化して部分的に賦存されるにすぎないので, 炭量算定から除外する。 その予想炭量は次の通りである。
また, その南隣接部は一応 0.6 m と 0.7 m の2層の炭層が存在するが, 南および北の端では炭層の露頭を確認できなかったので走向延長を 250 m として算定する。
即ち約 42000 t の理論埋炭量が予想される。
即ち本地域を通じて, 約 6 万 t の炭量が予想されることになる。
亜炭の採掘された場所は朱鞠内西方台地にある。 そこの亜炭層は 馬糞沢挾炭部層 とその相当層に含まれている。
養水沢(二号の沢 ; 朱鞠内村落の南端の西に入る沢)では3層の亜炭層が 鈴木達夫(1922)により認められている。 下部より第1, 第2, 第3層と呼ばれ, 第1, 第2層は 1 尺(30.3 cm)に達しないが, 第3層は 5 尺(151.5 cm)に達するところがあるという。 但し, 第3層は多量の粘土を混じ, 葉片状を呈し, 寧 ろ炭質頁岩に類するものと記されている。 ここのものは稼行されたことがある。
バッチャの沢(四号の沢 ; 朱鞠内村落の北端から西に入る沢)では 1 尺(30.3 cm)に達しているものもあるが, 朱鞠内川では 2 尺(60.6 cm)内外であるといわれる。 今回の調査の始りころには鈴木達夫の記載したところより西にあって, 朱鞠内川林道が朱鞠内の方に向かって上り坂になっているところで, 道路の南につぶれた坑口が認められていた。
朱鞠内川支流の石油沢と馬糞沢の合流点のすぐ上流部や, 中股沢の枝沢には炭質物が介在されているし, その南で馬糞沢挾炭部層が向斜の南端を現わす朱鞠内林道の低い崖などにも 薄い亜炭層が認められる。 これ等は稼行価値のないものと思われる。
政和層の下部にも亜炭層がある。
新富駅の北に当たる深沢の下流部に背斜や向斜をして露出する。
三層認められる。 最下部のものは深名線の東側では 40 cm であるが, 背斜をへだてた, 鉄路の西では間に 280 cm の粘土層を挾み, 上が 20 cm, 下が 30 cm の二枚の亜炭層に分かれて向斜構造をしている。 それが今一度背斜して, また露出すると挾みは 40 cm で上炭は 15 cm, 下炭は 30 cm である。 第2層は 15 cm で, 最上部のものは一番厚く 60 cm に達する。
朱鞠内湖の西の台地の上やウツナイ川の西の台地の上, あるいはウツナイ川の支流のツツミ沢とか一の沢にもこの地層の亜炭が見られる。 30 cm 程からそれ以下の厚さのものが数枚あって, ぬれると粘土様になっているところが少なくない。 乾燥すると煎餅のようにはげる。 時に強い初生傾斜をもつ。 厚い部分では 70 cm 程になるところもある。 炭化度は極めて低い。
鈴木達夫(1922)がこの地方に油徴があることを報告してから, 「1 / 20 万 北海道地質図」には片山勝・田中啓策(1944, MS.)の示した油徴地の一部が示され, 長尾捨一(1943)も 亦 油徴を追加している。
猪間明俊・他(1960, MS.)も新しい油徴を見出しているし, 同じ地域に石炭調査を行なった北海道地下資源調査所の試錐にも石油が発見された。 本調査の間に橋本は白堊系の中に確実な油徴・ガス噴出地を見出した。
こうした各油徴に関し, また得られた原油について, 橋本亘・工藤修治・猪間明俊(1943, MS.)は白堊系源と第三系源の2種があるものと考えられる旨述べている。
しかし, この地方には本格的な石油調査は行なわれた事はないし, 油田構造として充分な大きさをもつ背斜構造もしられていない。
以上のいろいろな報告書に記された油徴を整理して見ると次のようになるであろう。 (1) 第四系の中に見出されるもの, (2) 第三系のもの, (3) 白堊系中のもの及び (4) 詳細不明のものなどである。
石油沢の左股(上石油沢)と その支流の小岩井沢の合流点から 50 m 程下流の河水中に 猛烈に発泡しているところがある。 噴出地点は2ヶ処で, 僅かに離れている。 そこから下流約 10 m の左岸の礫層の中に抑留されている石油が発見された。 帯褐黄橙色で, 光の具合では緑色を帯び猫目石のような光をすることがある。 40 分程の間に約 100 cc を得た [ ← 天然ガスを得た ? ; 以下の記述では原油 ] 。
石油資源開発株式会社(JAPEX)の工藤修治の分析したところは次のようで, 著しく Aromaticity の高いのが特徴的で, このような性質の石油は, 同社の記録に徴すれば, 白堊系や古第三系の原油に多い(橋本・工藤・猪間, 1964, MS.)。
この油徴地は 新第三系の築別層基底部と 白堊系の中部蝦夷層群下部の My3 層が断層で接するところに当たるもので, この断層を通じて白堊系から由来した原油であろうという推定ができる。
残念ながら, ここの地下に伏在を推定される白堊系のこうした層準の原油は, 後述するように, 油量不足で分析されていないし, すぐ下に記す築別層の挾炭部の石炭層それ自体に見る滲油についても, 分析値をもたない。 従って, 本格的な比較が出来ないが, 30 線沢の築別層泥岩部層に産した原油とは明らかに性質が異なる。 比較のために下に一緒に示しておく(第 9 表)。
| P~H(%) | Ar(%) | As(%) | Re(%) | As / Re | Ar / P~H | As / Re + P~H | |
| 30 線沢 | 26.2 | 29.2 | 27.3 | 17.3 | 1.6 | 1.1 | 0.5 |
| 上石油沢 | 41.9 | 38.1 | 5.8 | 14.2 | 0.41 | 0.90 | 0.07 |
築別層の油徴は基底砂岩礫岩層, 挾炭層の石炭層中, 泥岩部層中などに発見されている。
基底部層中に発見されたものは, 朱鞠内川支流の中股沢から上石油沢に越えて行く探炭用の道路 (現在はあとも見られない程になっている) の登って行く小沢の中である。
鈴木達夫(1922)の油徴はこの沢に記されていて, 砂岩・頁岩層の頁岩の風化して粘土状になったところに産出すると記載されている。 この沢の入口附近には白堊系の互層部が発達する上に, 沢の奥には既に記したように新第三系の基底礫岩をはじめその上の層準が露出するので, 何層から産していたのか詳かでない。 今後充分注意して調べる必要があろう。
石炭層が含油することは4ヵ所で見出されている。 そのうち3ヵ所は今記して来た地域で, 1ヵ所は砂金沢である。
上に記した築別層基底部の油徴地からすぐ上にある石炭層の露頭掘りの際発見されたもので, 原油は黄褐色を呈し, 松脂様の独特の刺激臭がある。 石炭の割目に滲油していて, 石炭塊や石炭粒を膜状に覆っている。 炭層中の水分と共に流出する。 雨後の水溜の上にはやや厚い皮膜をつくり浮上していて, 小枝で切れば割れてしまう。 パラフィン分に富むものと推察される。 油量少なく, 分析用試料採集を行なえなかった。
北海道地下資源調査所がこの鉱区に行なった石炭調査の試錐中, 小岩井沢向斜の東翼に行なった UD-2 号(第 11 図)の 深度 38.60~39.00 m に至る間の炭質頁岩に伴って石油の存在が認められた (既述の「IX.1.1 朱鞠内川上流地域の石炭」参照)。 これは基底部層の最上部が或いは挾炭部層の最下部とされる層準である。 また, この地点は, 先に記した第四系中の油徴地に近い。 同じ含油層準は RL-2 号試錐(第 11 図)の 62.10 m でも見られている。 やはり石炭層で約 3 cm の実厚と計算されている (既述の「IX.1.1 朱鞠内川上流地域の石炭」参照)。
砂金沢の挾炭層中の油徴については長尾捨一(1943)の報告がある。 砂金沢の左股沢の背斜の西翼をつくる薄い石炭層の中に滲油しているもので, 石炭を河中に投ずればギラを生ずるという。 この附近は朱鞠内挾炭層(Cbc)の模式地である。
同じく砂金沢から報告された油徴に鈴木達夫(1922)のものがある。 その位置は砂金沢の左股沢の中で, 背斜の西翼のところに示されている。 油徴は頁岩中に発見され, 10 時間で約 5 勺(0.09 l)を得たという。 原油は緑褐色でボーメ 13° [ これはボーメ度による比重の計量値 ? ] と記されている。
ここの背斜の中核は白堊系から出来ていることがわかった。 そこで, 鈴木の油徴は何層の中のものであるか明瞭でない。 白堊系中のものであれば興味深い。
30 線沢の油徴地は猪間明俊によって採油された。 ガロの入口の築別層基底の含化石砂岩層に近い頁岩層から滲出しているもので, 沢の左岸にある。 ここはかつて試錐されたことがあるといわれる。
原油は帯褐黄色あるいは帯黄褐色である。 分析値は第 9 表に示したように, この値は一般の第三系原油の性質と少しもかわらない。
白堊系中の油徴は朱鞠内川本流で発見されている(第 13 図)。 そのほか, 油臭であれば, 泥灰岩団塊中の大きな Inoceramus の稜柱層は油臭を発することが少なくない。 図幅東方の温根別川上流 18 線附近のものでも, 相当油臭の強いものがあった。
天然ガスの発泡する地点を見出したが, それはこの図幅をはずれた西方の地点で, 古丹別川の上流である。 三渓図幅の 上 の沢 [ 以下の [注1] 参照 ] 合流点の下流 [ 以下の [注2] 参照 ] , 右岸の砂岩層の中である。 層準は三渓図幅の U6 層の下部に近いところである。
朱鞠内川中流の油徴は 新第三系の不整合面の露出から約 80 m 上流の 中部蝦夷層群下底に近い泥岩層(My3 部層)の下部層準にある 砂岩の挾みに伴った砂岩団球の周囲と割目に見出されたものである。 原油は黄褐色を呈し, 石油沢や, 石炭層に発見された原油と同様に松脂臭いような独特な刺激臭をもっていた。 しかし, この団球以外には, この砂岩のどの部分にも油徴はおろか油臭すらなかった。 原油量が少なくてその分析は出来なかった。
ここで重要なことは, ここの第三系の不整合の性質である。 白堊系と第三系の走向, 傾斜の差は極めて僅少でしかないのだが, 白堊系と第三系の初成の上磐は全く反対の方向を向いている。 即ち第三系が水平に堆積した当時, その海底面であった白堊系は水平に近い角度にまで逆転していたことになる (第 3 図をも参照されたい)。
こうした事は, 天北一円の新第三系と白堊系の関係がどこでも, 平行不整合といわれているのと全く対遮的である。 と同時に, この方面の白堊系の石油探査をする場合, 特に神居古潭帯に近い, つまり構造の発生が早い時期に行われたような部分に対して行なわれるときには, 十分考慮を払われるべき重要な問題である。
この地方には砂金沢という名が残っているように 往時には砂金は方々で掘られていたようである。 砂金について砂白金も得られていたし, 近年では砂クローム鉱が稼行されたこともある。 しかし, 今では一つも稼行されていない。
鈴木達夫(1922)の調査時には砂金沢の右の沢で稼行していたという。
鈴木が見た各産金地の沖積層には白色や赤色の硅岩が常に見られ, 恰 も産金地識別の手掛りのように記載されている。 金は 10 mm 内外の扁平成は半球, 粒状のもので, 砂白金との産出比は 8 : 2 という。
沖積層を 2~12 又は 13 尺(66~400 or 430 cm 程)掘り下げて基盤を露わし, 基盤表部の岩石と沖積層下部の砂礫とを共に樋流しをして砂金, 砂白金の採集をする。
採集量は一人平均白金 1 分(0.36 g)であるという。
雨竜川は昔は砂白金の産地としてかなり有名であった。 幌加内村中部の添牛内五線地区, それから 7 里(28 km)北部の三又などが古い文書に見られる。
大学演習林事務所の北東に当るピラトルオマナイにおいても, 白金をとった事があると番場猛夫(1958)は記している。
番場猛夫(1958)はすでに上に記したところと, 温根別 北線のオロウエンベツ川のものについて調査している。
ピラトルオマナイ川の約 3 km 上流に採掘現場があって, 土谷誠一によって昭和 31 年からクローム鉄鉱の採掘が行なわれ, 比重選鉱用テーブル一台を備え, 16 名の従業員で 31 年 4~7 月の間に精鉱 36 t, 粗鉱 20 t を得たが, 鉱量乏しきためと交通不便のために 1 年間繰業の後に休山した。
もっぱら頁岩, 安山岩の礫から成る沖積層の中に含まれる鉱床で, 表土平均 50 cm, 礫層 30 cm で, 下流部には表土と礫層の内に 30 cm の砂層を介在する。 礫層中のクローム鉱含有率は平均 132 g / 10 kg である。
富鉱部は上流に2ヵ所, 中流に1ヵ所ある。 富鉱部の鉱量は 228 t と計算されるが, 貧鉱部を合せれば 500 t には達するものといわれる。
沢の上流部にも沖積地は発達するが, そこではクローム鉄鉱の量が減り, 逆にチタン鉄鉱の量が増す。
品位は精鉱で Cr2O3 49.6 % で, 着磁率は平均 4.5 % である。 2~3 mm のやや粗粒のものを含むのが特徴である。 粗粒のものは Cr2O3 64.66 % を含有する。
オロウエンベツ川の上流地帯で, 富鉱部はダムの下流に1ヵ所, 上流の東西流路の部と, 更に上流の南北流路のところに3ヵ所ある。
ダムの下流の富鉱部が白堊層を基盤とする以外はすべて新第三系の上にある沖積層である。 その沖積層の構成礫も殆どがいわゆる硬質頁岩層から由来したもので, ダムの下流では白堊紀層の砂岩をわずかに混じている。
ダムの下流のものは 30~100 cm の表土の下に 50 cm の砂層と 50 cm の礫層があり, クローム鉄鉱は両者に含まれ, 79 g / 10 kg の原鉱品位を示す。 鉱量は 143 t とされる。
東西流路の所は 81 g / 10 kg の原鉱品位を示し, 鉱量は 72 t とされる。
最上流の3ヵ所は蛇紋岩を少し混える沖積層で, 241 g / 10 kg という高い原鉱品位を示すが, 何分にも賦存範囲が狭く, しかも交通不便である。 鉱量は 37 t と見積もられている。
この川のクローム鉄鉱は磁鉄鉱をあまり伴わず, 1 mm を越える個体結晶のものがあるし, 品位も Cr2O3 54 % と高い率は注目すべきであろう。 着磁率は平均 5.5 % である。 水選精鉱でも Cr2O3 48.6 % である。 こうした点は前記の添牛内地区と類型的である。
これらの重要な供要源の一つには築別層の基底礫岩及び砂岩層 (既述の「V.1.2 三十線含化石砂岩部層(Cbs)」の項参照) があるのではないかと思われる。
「1 / 20 万北海道地質図(3)」には, 三十線沢のガロの下流から南に入る支流に 砂クローム鉄鉱の採掘をした地点が示されているが, その鉱床の様子など一切不明である。
ここでは, 砂クローム鉄鉱の供給源は 築別層の基底砂岩礫岩層とそれに蛇紋岩それ自身も関与していると見られる。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
(Asahigawa - 35)
By Wataru HASHIMOTO, Sutekazu NAGAO and Saburō KANNO (Geologikal Survey of Hokkaido)
The area of the present sheet map is situated at the western part of Central Hokkaido. The neighbouring sheets, Chikubetsu-tanko to the northeast, Sankei to the west, Tappu to the southwest and Horokanai to the south are already published, but those to the north and east are not published yet except for that of Nayoro which occupies the northeastern diagonal.
The river Uryu, the drainage of which occupying about half of the map area, runs from north to south at the central part of this area. One of the tributaries of this river is dammed up to make the artificial lake of Shumarinai. This part of the Uryu river drainage belongs to the Ishikari Province, which protrudes north-ward into the domain of Teshio Province.
The western limit of the Uryu river drainage is represented by the watershed running from Mt. Santo [ see [note1] below ] (1,009.1 m) to Mt. Pisshiri [ see [note2] below ] (1,031.5 m) , beyond which the western slope of the watershed belongs to the drainage of the river Haboro and the river Kotanbetsu. The eastern watershed is represented by the low mountains extending from Mt. Inushibetsu [ see [note1] below ] , and the area beyond this watershed belongs to the drainage of a tributary of the river Onnebetsu, which in turn is a tributary of the river Teshio.
The main route of communication, today, is the Shinmei line of the National Railway along the river Uryu, but the national road from Shibetsu to Soeushinai has long been availed over the Shibetsu Pass since the early days of cultivation. This road was extended, in 1964, westward to Kotanbetsu, while a line of the National Railway is to be constructed from Shumarinai to Haboro.
There are several roads in the plain land of this area, but, in the mountainous land, there are only a few forestry roads or footways passing through the forest land. A narrow lane is found along the transmission line across the northern part of this map area.
The area of this sheet map, geotectonically speaking, is just on the Kamuikotan Tectonic Zone, covering also the areas to the east and west of the same Zone. Accordingly a large mass of serpentinite, which is one of the characteristics of this zone, is found extending from the southeastern corner to the center of the quadrangle. Roughly speaking the Lower Yezo group of the Cretaceous System, being intruded by the serpentinite, exhibits an anticline, althongh its western flank shows indistinct undulations. The higher horizons of the Cretaceous System, including the Middle Yezo group, are found around the Lower Yezo group, and overlie the latter group unconformably.
The homoclinic structure shown by the Middle Yezo group and the higher horizons of the Cretaceous System to the west of Mt. Santo continues to the present area. These beds, forming a nose structure at the part of the river Sōunnai, extend to the area of the Shirochiune-zawa, a tributary of the river Haboro. And at last they embrace, in the eastern area, a synclinal structure with an NNW - SSE axis.
The Neogene System of this area is developed at the central and northern parts of the quadrangle showing a peculiar distribution in shape of Japanese letter "几". In this case, however, the open side of the letter is faced to the north, while the closed side, exhibiting a synclinal structure, penetrates into the axial part of the anticline (Horokanai anticlinal part) represented by the Kamuikotan Zone.
The Cretaceous System of this area is divided into three groups, i. e. the Lower, the Middle, and the Upper Yezo groups. The Lower Yezo group is further divided into seven stratigraphic units. As to Ly1 or the lowermost unit, its lower limit is unknown on account of its being intruded by the serpentinite and of the anticlinal structure. From the lithology, it is possibly the basal sandstone formation of the Lower Yezo group. Rocks of this sandstone formation as well as of the alternation of sandstone and shale ( Ly2 ), superposing the former, are very hard, but those of the higher formations including Ly3 are rather soft. Soft sandy mudstones are found especially in Ly3 and Ly4 . Ly5 is a thick series composed of mudstone, though thin layers of light grey tuff are intercalated occasionally. They enable one to interprete that the Lower Yezo group forming the western flank of the anticline is composed of the higher horizons beginning with Ly5.
Ly6 and Ly7 are met with only in the western flank. The former consists of sandstone and shale in alternation, while the latter consists of flaggy sandstone. A fossil of Inooceramus sp. was obtained on the river Sounnai from Ly6. Another fossil of Phylloceras belonging to the group of Ph. seresitense is said to be found at the lower stream of the same river [ see [note1] below ] . On the upper stream of the Toyotominai-zawa at the northern limit of the Horokanai sheet Inoceramus sp. of concentricus group and two ammonites are obtained from beds corresponding to the extension of Ly7. One of the ammonites reminds one of Marshallites [ see [note2] below ] .
The basal part of the Middle Yezo group begins with the thick beds of sandstone and conglomerate belonging to the My1 formation. The unconformity surface at the base is observed at a cliff about 70 m toward Soeushinai from Takimi bridge [ see [note] below ] , and another locality of unconformity observed on the eastern flank is found in a tributary of the river Shurukutaushibetsu.
On the western flank, this unconformity involves at least a lack of more than 500 m sediments below it for a distance of 5 km from the southern limit of the map area to the river Sōunnai. When the eastern and western flanks are examined together, it becomes obvious that it represents a lack of more than 800 m sediments including Ly7, Ly6 and a part of Ly5.
The Middle Yezo group is divided into five formations, and two cycles of sedimentation, one represented by the sequence of My1 - My3 and another by that of My4 - My5 , are distinguished in this group. My1 is composed of sandstone and conglomerate with much amount of acidic tuff. Large boulders of dacite are contained occasionally in large quantities. In some cases, thick beds of tuffite [ see [note] below ] are intercalated in this formation. In the area of the neighbouring Horokanai sheet indications are known of liparite eruption. This formation, through the alternations of My2 , continues to the mudstones of My3 . The last metioned mudstones seem to become very thick toward the north. These mudstones yield the characteristic large ammonites among which are contained Parajaubertella and Graysonites. In the area of the river Shumarinai an ammonite fauna very rich in varieties including many individuals of Desmoceras kossmati MATSUMOTO was discovered from certain parts of the beds.
My4 , 150~170 m thick in the southern area, is composed of flaggy sandstone, and contains conglomerate in some cases. But it increases remarkably in thickness in the area of the river Sanjussen-zawa and its north. There, thick beds of conglomerate (My4a) are found in the lower part, and the same facies of remarkable conglomerate is associated occasionally with the upper part. Yet, the main part of this formation is composed of flaggy sandstone and is characterized by large sand balls contained in the sandstone. The same formation exposed along the Nakano-futamata-gawa valley in the west, though it is in the northern area as well, is represented solely by sand ball bearing flaggy sandstone. Fossils of Ostrea are found rarely in this formation exposed on the river Shumarinai.
My5 , being composed mainly of mudstone, is a very thick formation probably exceeding 1,200 m in thickness. It is not impossible to subdivide this formation, as is done in the area of the Horokanai sheet. The lower part belongs to the zone of Desmoceras kossmati, and it also yields such ammonites as Parajaubertella and Eogunnarites together with some inocerami of the Inoceramus concentricus group. The upper part belongs to the zone of Pseudouhligella japonicum. In this part marly nodules are less abundant, and fossils are embedded not in nodules but in ordinary mudstones. Accordingly sufficient fossils could not have been dug out from these mudstones on account of difficult traffic and of time limit. As a result subdivision of this formation was given up so as not to cause a trouble that might result from the similarity of lithology.
The Upper Yezo group is divided into five units beginning with Uy1 and ending in Uy5 . Uy1 , in the northern part of the map area, consists mainly of sandstone associated occasionally with conglomerate. The thickness is nearly 200 m. Its lithic facies as well as the fossils contained suggest that it is an extension of the Saku sandstone formation. It merges, through the alternation (Uy2), in the mudstones (Uy3). Uy1 changes its lithic facies toward the south where sandstone is less frequent and a facies with abundant pebbles crowded in mudstone is observed. The upper part, rich in sandstone, of My5 on the upper stream of the river Kotanbetsu is regarded as the extension of the Mi formation in the Horokanai sheet where the Ml formation, probable extension of Uy1, reduces to 50 m in thickness and the Mj + Mk formation (480 m thick in aggregate) is inserted between the Mi and Ml formations. There is, however, a possibility, from a viewpoint of lithology and fossils, that an equivalent of the Mi formation continues to the lowermost part of the Uy1 formation in the northern area.
The Uy2 formation belongs to the upper part of the zone of Inoceramus hobetsensis. The Uy3 formation is a very thick series of mudstone about 1,000~1,500 m in thickness. In the area of the Horokanai sheet, it is subdivided further into several units. At a horizon a little lower than the middle of this formation there is a bed crowded with fossils of Inoceramus uwajimensis. Sometimes two horizons with such crowded fossils are distinguished. These fossil beds serve well as key beds.
Stratigraphic relation between Uy3 and Uy2 can not be determined exactly, but is understood scarcely in the southwestern corner of the quadrangle. Also the relation between Uy3 and Uy4 can not be observed in any continuous succession in the field, but an exposure is found in the northwestern corner of this area that suggests the relation.
Uy4, being composed mainly of mudstone, belongs to the zone of Inoceramus amakusensis. At the basal part of Uy5 there are sandstones which are very rich in glauconite and effective as a key bed. In some parts of these sandstones occur fossils of Pachydiscidae abundantly. Stratigraphic relation between Uy4 and Uy5 is well observed in the Chimei-zawa, a tributary of the river Haboro.
The middle and upper Cretaceous in the eastern area are composed, except for My1 and My2, mainly of mudstone. And only the sandstone beds exposed at the dam across the river Orouenbetsu represent a characteristic lithology. They are correlated probably to Uy1 , though fossil is absent from these beds. Mudstone facies is generally poor in fossil. As to Uy4 and My5 , they are similar with each other, and an insignificant difference is seen in lithic character of tuffs contained in them. A fossil of Eupachydiscus haradai (JIMBO) was obtained fortunately in the river along the Juhassen of Onnebetsu - hokusen. Other fossils are Anapachydiscus suteri (YOKOYAMA) from a valley to the north of the Furengoe forestry road and Anagaudryceras yokoyamai (YABE) from the Orouenbetsu valley at Jushichisen in this map area, both being obtained from boulders. These ammonites suggest that the sediments on and to the north of the river Orouenbetsu belong to Uy4 .
On the other hand, a fossil of Scaphites sp. was obtained from the upper reaches of a tributary flowing into the river Orouenbetsu. It shows that there are beds of mudstone belonging either to My5 or to Uy3 .
The boundary between Uy4 and My5 is supposed to be found at a point east of Hokuon primary school, which is at the east central part of the map area. The rocks exposed in the river bed of the Onnebetsu at the eastern end of the route leading from the field office of the Forestry Department of Hokkaidō govemment are composed of dark grey mudstone together with a thick bed of tuff. They contain marly nodules abundantly. Among the fossils obtained from these beds there are Pseudouhligella japonicum (YABE) and Mesopuzosia sp. which show that these mudstone beds belong to the upper part of My5. Equivalent beds are suggested, by boulders of the river bed, to be developed in a tributary of the river Orouenbetsu. The mudstones in the Nakasen area, however, yield merely shell fragments of inocerami and ammonites, so that one can not determine to which formation they belong. Probably they may belong to My5 .
In the area from Soeushinai to Orouenbetsu, most of the Cretaceous mudstones exposed in several places and overlain by the basal part of the Neogene System may belong to My5. But they are grouped in one unit of the Cretaceous System (K) , because exposures are limited and discontinuous and no fossil has ever been found.
The Neogene System is divided into the Miocene and Pliocene Series. As to the Miocene Series, correlatives of the Chikubetsu and Kotanbetsu formations are confirmed to be developed in this area, which are traced from the area of the river Haboro. They change, however, gradually their lithic characters.
The Chikubetsu formation begins with the basal sandstone, in which coal seams are intercalated in some areas. The coal seams, in some cases, become so thick that the sandstone beds are distinguished as coal measures. They are called the Koiwai-zawa coal measures (Cbc) or the Shumarinai coal measures (Cbc) . Though they are really coal measures, yet fossils of marine shells occur in the basal part, and more abundant marine fossils are found in the sandstones just above the coal measures. At the entrance of the Garo-zawa valley, atributary of the Sanjussen-zawa, there occur many Bryozoan remains together with molluscan fossils. This locality and an area at the upper reaches of the Garo-zawa valley are chosen as type exposures of the basal sandstone beds to which the name of Sanjussen-zawa sandstone member (Cbs) is attributed. Fossils of Echinaracnius microthyroides NISIYAMA occur abundantly at Soeushinai. Marine molluscan fossils are known as shown in Table 7. The occurrence of Mercenaria y-iizukai (KANEHARA) and Spisula onnechiuria (OTUKA) mingled with Thracia, Dosinia and Crepidura is important. On the river Sōunnai and in the Soeushinai - Juhassen-zawa valley, there are sandstone - conglomerate beds lying directly on the serpentinite masses. There, boring shells of indeterminable species are found along with some fossils of Saxidomus.
Pebbles of the basal conglomerate in the central area are represented mostly by serpentinite, but those of the Kamuikotan metamorphics, slates and other rocks are known as well. Sandstones are also rich in serpentine grain, so that their fresh surfaces exhibit dark green or greenish dark grey colours.
Examining the distribution of basal sandstone and conglomerate beds, present topography as well as the tectonic lines developed there, one can understand the manner of transgression at the time of the Chikubetsu formation. The land surface was rather ragged with irregular relief. The sea invaded the land, and ingressed deep into the narrow valleys resulting in profound bays.
In the northern part of the Horokanai sheet, within the area hitherto regarded as of serpentinite, boulders of fossil bearing sandstone are obtained at a small valley and on the forestry footpath in the University forest for students' practice on the slope, It suggests a possible future finding of Miocene sediments in the present area though they may be rather small in extent.
The next higher beds are composed of massive, dark grey mudstone. They are called the Tengu-no-hana mudstone member (Cbm) . Its upper limit is shown by the first appearance of sandstone with slumping structure. These beds containing many sandstones with slumping structure are called the Sekiyu-zawa mudstone member (Ktm). Position of the boundary between these members may shift according to the state of exposures, and it may result in different thicknesses of the Tengu-no-hana mudstone member. Even though it is the case, the thickness is too large at the west side of the Tsuzukino-sawa valley to the west of Soeushinai. Probably it results from duplication of strata by faults. The thickness is about 100 m at the northern corner of the quadrangle, but it gains gradually toward the south, where it is estimated at more than 200 m.
As described above, the Sekiyu-zawa mudstone member (ktm) , lying conformably on the Tengu-no-hana mudstone member, intercalates conglomerate beds more frequently toward the west.
In the area around Mt. Haboro (649.2 m) beds of remarkable conglomerate are developed containing pebbles of chert, sandstone and slate together with some boulders of granitic rocks. In some cases, boulders of fossil bearing marl nodules derived from the Cretaceous are found associated with those cited above. The conglomerate beds, lying directly on the Cretaceous with unconformable relation, are estimated at 400~480 m in thickness, and are called the Haboro-dake conglomerate member (Ktcg) . These conglomerates are overlain by sandstones of about 300 m thickness in which fragments of fossil shells are found occasionally. These sandstones are called the Sakasa-gawa sandstone member (Kts) . Conglomerate beds similar to those described above are found on the ridge, about 500 m high, between the rivers Haboro and Kotanbetsu. There, beds of dark grey mudstone, instead of sandstones, rest conformably on the conglomerates.
These conglomerates resemble very much in character those developed at the confluence of the main stream of the river Haboro and the Chimeizawa, one of the tributaries (within the area of the Sankei sheet). At this point there are the Chikubetsu and the Sankebetsu formations below the Kotanbetsu formation, but the former two become absent within a distance of only 3~4 km to the east. Both of the conglomerates and sandstones are the thickest in the area around Mt. Haboro. Toward the south, the conglomerate beds become thin within 2~3 km. Toward the north they lose their own characters within about 4 km, and change, together with the sandstone beds, into a thick series of mudstones occasionally intercalating conglomerates and sandstones. The sandstone beds above them also change into mudstones.
The formation named Sekiyu-zawa mudstone member (Ktm) is very thick, and is supposed to be well over 2,000 m in thickness.
As is known in the area of the Tappu sheet the Kotanbetsu formation overlaps westward. Although sandstones with serpentine grain and conglomerate beds with serpentinite boulders are well developed at the basal part of the Chikubetsu formation especially in the central part of the map area, they are found rarely in the Kotanbetsu formation. It suggests that either the serpentinite area became free from the subaerial denudation or the materials were supplied from a different source area. These two ways of interpretation are equally worth considering. But pebbles of serpentinite are not wanting in this formation, and one was really discovered in the upper stream of the river Chikubetsu.
The distribution of the conglomerate facies and mudstone facies as well as the sedimentary s t ructure of the Kotanbetsu formation show that this formation, as has been said, is unquestionably a kind of orogenic conglomerate. But the problem of the source area that supplied the materials should be reexamined.
The Pisshiri-dake formation is represented mainly by andesitic agglomerates called the Kamagafuchi agglomerate member (Psag) , and is intercalated with such lake deposits as the Konan tuff member (Pstf) and the Hokudai-jima conglomerate - sandstone member (Pscg) . The Bafun-zawa coal-bearing member (Bz) is considered, probably, the basal member of this formation.
The name of the Bafun-zawa coal-bearing member (Bz) is proposed taking the following exposures as types. They are the beds exposed along the Sekiyu-zawa valley from the confluence of the Bafun-zawa upward and those along the lower stream of the latter valley. The relation with the underlying beds is not clarified definitely as yet. As subangular pebbles of shale derived from the underlying beds are known to occur in the present formation, the relation is considered to be unconformable. At the Shumarinai forestry road, an exposure which seems to represent the underlying beds is found on the eastern flank of a syncline.
The Bafunzawa coal-bearing member is composed mainly of conglomerates, and is characterized by frequent occurrence of false bedding and irregular sedimentary structures. These characteristics together with the hardness of rocks show a remarkable resemblance with those of the Bifuka formation developed in the area of the Nayoro sheet. Carbonaceous substance like drift wood is present in this formation, but there are also fossils of unquestionable marine molluscs. Many of them belong to the genus Spisula, but Anadara and Turritella are found as well. The thickness of this member is about 200 m.
Stratigraphic relation of this member to the Kamagafuchi agglomerate member is observed nowhere. That the latter overlies probably the former is understood easily. In the conglomerates of the Bafun-zawa coal-bearing member there are pebbles of pyroxene andesite resembling that of the Kamagafuchi agglomerate member. It suggests that volcanism of this kind had begun as early as the sedimentation of the Bafun-zawa coal-bearing member. This is the reason why the two series of beds are treated as different members within one and the same formation.
On the hills shortly to the west of Shumarinai, presence of lignite beds is known, which are considered to overlie the Sekiyu-zawa mudstone membr. As the lignite in this area is carbonized somewhat more highly than that in the Fukinodai formation described below, they are correlated to the lignite beds of the Bafun-zawa coal-bearing membr in the type area. No marine fossils, however, are found in the lignite beds to the west of Shumarinai.
According to the observations on the cliff along the rail road to the north of the Kohan temporary station of the National Railway and on the exposures found on the road leading from Shumarinai to Konan and Onnebetsu through the Observatrory (Tenbōdai), the basal part of the Kamagafuchi agglomerate member is composed of large, subangular, mudstone boulders derived from the subjacent Sekiyu-zawa mudstone member, and rests unconformably on the Sekiyu-zawa member with a conglomerate bed at its base. The last mentioned conglomerate bed, several meters in thickness, has smaller pebbles of older rocks together with the mudstone boulders related above. No fossils have been found as yet from this conglomerate. The thickness reduces both to the east and south, and it thins out at some length.
The Bafunzawa coal-bearing member , the lignite beds to the west of Shumarinai and the conglomerate bed at the basal part of the Kamagafuchi agglomerate member in the east are the same in that they equally overlie the Sekiyu-zawa mudstone member unconformably and are subjacent to the Kamagafuchi agglomerate memher . The stratigraphic relation, however, to the agglomerate member is known only in the case of the last mentioned conglomerate bed. If the three are contemporaneous with each other, it follows that they are the thickest at the central zone to the west of Shumarinai where they are represented by fresh water sediments containing lignite. In the western area they are represented by the sediments, containing less lignite layers, deposited under the influence of the sea water. The lignite in this area should rather be called drift woods. On the other hand they are very thin and void of lignite in the eastern area.
There is a lignite-bearing formation called the Seiwa formation (Sw) in the valley of the river Uryu. It shows an inclination generally ranging from 10 to 20 degrees, but it becomes steeply inclined toward the area of the Cretaceous System. The same characters as those described above are maintained in the same formation of the present map area. The thickness seems to be about 350 m.
The lower part is rich in mudstone and has lignite beds, while the upper part is rich in conglomerate. False bedding is observed not rarely in this upper part. The lignite is similar in character to that of the Bafun-zawa coal-bearing member as well as to that developed to the west of Shumarinai.
For the present, this formation is regarded, from its area of distribution and other characters, as a correlative of those found in the area to the west of Shumarinai.
An occurrence of similar deposits is reported in the area covered by Fukinodai sheet that, containing several layers of lignite, show vertical beds in some cases or are overturned in others. These deposits seem to lie below the Kamagafuchi agglomerate member and above the fossil bearing formation. The relation between these sediments will be clarified when the survey is extended to these areas.
Within the Kamagafuchi agglomerate member is found a series of beds regarded as lake deposits (Konan tuffaceous sandstone member (Pstf)) which yield many plant fossils besides Viviparus sp. Though the geologic age is indeterminable with certainty, they suggest a possibility of being correlated with the Bifuka coal measures, probably of Latest Miocene.
The Hokudai-jima tuffaceous conglomerate - sandstone member (Pscg) should be mentioned here. A part of this member interfingers apparently with the agglomerate formation, but most of the beds, exhibiting probably a large synclinal structure, lie above the latter. As they are exposed on tops of the islets scarcely rising above the water of the lake, observation can be made only in rare occasions when the water level is low, and what is worse the dead trees left standing in the lake prevent a boat from free navigation just in these rare occasions. Therefore data are meagre to give full descriptions of this member.
The Fukinodai formation (Fd) is determined as the Pleistocene by Seido ENDO and Shigeru IMANISHI with the fossil evidence of Menyanthes trifoliata LINNE.
That it is a peat bed deposited on the raggid surface of the Kamagafuchi agglomerate member under the conditions of ever rising water is well observed on the road from Shumarinai to Fukinodai which is now under construction. This formation is known to be cut by several faults with small throws. Accordingly the western limit of this formation in the area of a tributary of the river Utsunai may well be regarded as coincident with the fault deciphered on an aerial photograph, and it is understood as coming into contact with the Kamagafuchi agglomerate member. If it is the case, the age of this formation, or whether it belongs to the Pleistocene or not, should be considered as unsettled. Therefore, it is treated, in this text and on the geological map, as the Plio-Pleistocene series. It would be useful to lay stress, in this way, on the problem which will be clarified through the survey in the area of the Fukinodai sheet.
Terrace deposits are found on the topographic surfaces in several steps. But the correlation of these deposits is not established with certainty. Accordingly they are classified into two groups, i. e. the Riverside terrace deposits (Tl) and the Higher terrace deposits (Th) , of which the latter show special distribution at higher levels.
As to the distribution of the higher terraces, those developed around and to the south of the lake Shumarinai and in the upper stream of the river Orouenbetsu are traced and distinguished on the aerial photographs. Therefore, whether some of them are covered with gravel beds is not clarified in the field. Judging from the observations, however, on the terrace land to the north of the Konan temporary station on the Shinmei line, on some of the islets in the lake Shumarinai and on the terrace of the plantation near the Konan primary school, the Older terrace deposits are expected to be present on the flat surface around the upper stream of the river Orouenbetsu.
The deposits, attaining a several meters' thickness, are composed of unconsolidated sand, gravel and clay, of which the gravels are represented mainly by those of andesite.
Serpentinite (Sp) , being intruded into the Lower Yezo group, occurs a long the anticlinal part of the basement structure, while micro-diorite (Md) and leucocrate (Lc) are found intruded into the serpentinite.
Such kinds of igneous rocks as related above seem to be developed rather widely in the basement rocks below the Neogene System. Around the upper stream of the river Orouenbetsu a serpentinite mass limited by faults is seen amidst the territory of the Neogene formations, while in a tributary of the Tsuzukino-sawa valley an exposure of leucocrate is found which must have been elevated through faulting movement.
In the western part of the map area there are intrusives of dolerite (Dl) in form of sheet, most of which being intruded into the Uy3 formation. Generally they are so small in thickness that only two in the northern area can be illustrated on the geological map. Furthermore many of them suffer so severely from carbonatization, that the types of original rocks can hardly be discriminated. Smaller sheets other than those illustrated on the map are found in several places, and still other occurrences are suggested by boulders.
Dykes of andesite (An) are found at and to the north of the central part. They are intruded generally into the Sekiyu-zawa formation, but one is found intrusive in the Kamagafuchi agglomerate member of the Pisshiridake formation. The age of the activity, probably, is considered to be related intimately to the eruption of the Pisshiri-dake agglomerate.
One dyke of basalt (Bs) is observed in the Tengu-no-hana mudstone member at its type locality.
As to the mineral resources of this district, coal, lignite, petroleum as well as placer deposits of chromite, platinum and gold are known.
Coal is found in an area covering from the middle stream of atributary flowing into the Sekiyu-zawa which in turn is one of the tributaries of the river Shumarinai to the middle stream of the Nakamata-zawa valley. Mining has been performed or suppressed repeatedly according to the rise and fall of economic conditions.
Another distribution of coal is found in the upper reaches of the Sakin-zawa valley. It has also been worked or given up like that described above.
As to lignite , that in the area to the west of Shumarinai has been once exploited.
Petroletm as is understood from the name of the Sekiyu-zawa ("seki-yu" means stone-oil namely petroleum and "zawa = sawa" means valley), oil seepage and gas seepage are found in the upper reaches of the same valley. Within the coal beds developed from the Sekiyu-zawa to the Nakamatazawa certain parts are impregnated by petroleum, and oil impregnation is confirmed either at coal exposures and in drill holes.
Similar cases are found also in the coal beds of the Sakin-zawa, where coal impregnated by oil is discovered.
Along the Sanjussen-zawa valley oil seepage is known to occur at the entrance of the Garo valley. There, a simple test drilling was said to be performed. An oil indication found along the main stream of the river Shumarinai is represented by oil impregnation around and in fissures of the sand balls embedded in the Cretaceous System.
In spite of these abundant oil indications, an earnest oil prospecting has never been performed, because no favourable geologic structure is recognized in this district.
Placer deposits of chromite and platinum derived from serpentinite are found not in the area of serpentinite mass, but are known in the upper reaches of the river Orouenbetsu that comes down from the area of the Sanjussen-zawa sandstone formation containing much amount of serpentine sand and also in a valley of the river Piratoruomanai within the University forest to the north of Soeushinai. In these areas several sites are recognized where ore minerals are concentrated up to a grade of economic value. One of the sites in the latter area had been worked till several years ago.
The name of the Sakin-zawa ("sa-kin-zawa" means sand-gold-valley, i. e. a valley of placer gold) tells that placer gold was worked, in this area, with fairly large profits. But it is now abandoned.
昭和 40 年 3 月 25 日 印刷 昭和 40 年 3 月 31 日 発行 著作権所有 北海道開発庁