02001_1963
5万分の1地質図幅説明書
(釧路 第 1 号)
北海道嘱託 勝井義雄
北海道嘱託 高橋俊正
北海道技師 土居繁雄
北海道開発庁
昭和 38 年 3 月
この調査は, 北海道総合開発の一環である, 地下資源開発のための基本調査として, 北海道に調査を委託し, 道立地下資源調査所において, 実施したものである。
噴煙をあげる十勝岳, 左手前から昭和火口, 大正火口および 62 年第2火口の噴煙(1962 年 9 月撮影, 朝日新聞社提供)。 十勝岳は, 1962 年 6 月 29 日, 大正(1926 年)の噴火以来 34 年ぶりに噴火を行なった。 この噴火によって, 中央火口丘の南側に新しく直径 140 m の 62 年第2火口が開き, 砕屑丘がつくられ, さらにその北西~東南方向にも新しい火口および亀裂が形成された。 つまり, これらは, 中央火口丘の外輪山にあたるグラウンド火口の南壁にそって活動したのである。
目次 はしがき I. 位置および交通 II. 地形 II.1 概説 II.2 火山構造と火山地形 II.2.1 十勝熔結凝灰岩の地形 II.2.2 古期・中期および新期十勝岳火山群の地形 II.2.3 火山山麓の地形 II.2.4 基盤岩類の地形 III. 地質 III.1 概説 III.2 基盤岩類 III.2.1 美瑛層(Be) III.2.2 変質安山岩(Aa) III.2.3 丸山熔岩(M) III.2.4 美瑛川凝灰集塊岩(Ba) III.3 十勝熔結凝灰岩(W) III.4 古期十勝岳火山群 III.4.1 原始ガ原熔岩(G) III.4.2 前富良野岳熔岩(Mf) III.4.3 大麓山熔岩(Tr) III.4.4 富良野岳下部熔岩(Fl) III.4.5 富良野岳凝灰集塊岩(Fa) III.4.6 冨艮野岳中部熔岩(Fm) III.4.7 富良野岳上部熔岩(Fu) III.4.8 古十勝岳下部熔岩(Ktl) III.4.9 古十勝岳上部熔岩(Ktu) III.4.10 美瑛岳下部熔岩(Bll) III.5 白金砂礫層(Sg) III.6 中期十勝岳火山群 III.6.1 白金熔岩(Sgl) III.6.2 奥十勝岳下部熔岩(Otl) III.6.3 奥十勝届中部熔岩(Otm) III.6.4 奥十勝岳上部熔岩(Otu) III.6.5 美瑛岳中部熔岩(Bml) III.6.6 美瑛岳上部熔岩(Bul) III.6.7 オプタテシケ山下部噴出物(Ol) III.6.8 オプタテシケ山上部噴出物(Ou) III.6.9 ベベツ岳熔岩(Bl) III.6.10 下ホロカメットク山熔岩(Shl) III.6.11 上ホロカメットク山下部熔岩(Kll) III.6.12 平ガ岳熔岩(Tal) III.6.13 上ホロカメットク山中部熔岩(Kml) III.6.14 三峰山熔岩(Sal) III.6.15 上ホロカメットク山上部熔岩(Kul) III.6.16 馬の背凝灰集塊岩(Ua) III.6.17 前十勝岳熔岩(Ml) III.6.18 1,840 m 峰熔岩(I81) III.6.19 石垣山熔岩(Il) III.6.20 十勝岳熔岩(Tl) III.7 新期河岸段丘堆積物(Yg) III.8 新期十勝岳火山群 III.8.1 美瑛富士下部熔岩(Bfl) III.8.2 美瑛富士上部熔岩(Bfu) III.8.3 鋸岳噴出物(Ne) III.8.4 グラウンド火口砕屑噴出物(Gf)およびグラウンド火口熔岩(Gl) III.8.5 スリバチ火口丘砕屑噴出物(Sf)およびスリバチ火口丘熔岩(Sl) III.8.6 北向火口熔岩(Kl) III.8.7 焼山熔岩(Yl) III.8.8 中央火口丘砕屑噴出物(Cf)・中央火口丘熔岩(Cl)および 1926 年泥流堆積物(Cm) III.9 扇状地および崖錐堆積物(F) III.10 冲積層(A) IV. 応用地質 IV.1 硫黄鉱床 IV.2 褐鉄鉱鉱床 IV.3 温泉 IV.4 石材 V. 十勝岳の噴火史と 1962 年の活動 V.1 1926 年以前の活動 V.2 1926 年の活動 V.3 1962 年の活動 参考文献 Abstract
5万分の1地質図幅説明書
(釧路 第 1 号)
この図幅説明書は, 昭和 35 年および昭和 36 年の2年間で行なった野外調査の結果を整理して, その概要を報告したものである。
野外調査においては, 北海道大学の河内晋平・近堂祐弘および曽屋竜典氏らの御協力を得た。 なお, 野外調査が終了したあと, 昭和 37 年 6 月 29 日に十勝岳火山が, 大正 15 年の活動以来久しぶりに噴火をした。 この噴火による被害は, 硫黄鉱山の崩壊とともに, 同鉱山に働く職員の犠牲をもたらしたばかりでなく, 山麓周辺から北海道東部地域にかけての農業および林業に大きな影響をおよぼした。 この噴火の状況は, 十勝岳火山の噴火史と共にこの説明書に集録した。 この内容については, 勝井, 高橋とともに十勝岳噴火の調査に従事した北海道大学理学部の村瀬勉・ 大場与志男・ 平井喜郎・ 岩永将暉・ 曽屋龍典・ 伊藤宏氏らの資料によるものである。 この調査に際しては, 北海道大学 石川俊夫教授, 横山泉助教授, 白銀荘管理人 和田御夫妻ならびに上富良野町役場当局から, いろいろと援助をうけた。 上記の諸氏に, 厚く感謝の意を表する。
この図幅のしめる地域は, 北緯 43°20'~43°30', 東経 142°30'~142°45' の範囲である。
行政的には, 大麓山 (標高 1,459.5 m)から上ホロカメトック山(標高 1,887 m)をとおり, 十勝岳(標高 2,077 m)をへて美瑛岳(標高 2,052.3 m)をむすぶ稜線の西部は, 上川支庁の管轄である。 一方, 稜線の東部は十勝支庁に属する。
交通は, 図幅の西部地域には道路が開さくされていて, 吹上温泉から富良野町市街に通ずる道々をはじめ, 町村道, 農道, 林道および林内歩道などが多い。 これに反して北東から西南に嶺を連ねている山岳地帯には, わずかに登山コースとして利用されている数条の林内歩道があるだけである。 とくに, 綾線の東南部地域には, 歩道すらなく, 交通は極めて不便である。
この図幅地域の地形を大きくみると, 図幅の北東隅から西南隅を結ぶ対角線の北西部は 標高 350 m から標高 700 m にいたる緩い傾斜をもつ台地状地形を呈し, 東南部地域は標高 1,000 m から 2,000 m に達する火山地形となっている。
前者の地域は, 新第三紀末葉または第四紀初期に噴出したと考えられている十勝熔結凝灰岩 [ 以下の [注] 参照 ] から構成されているほか, 火山体の山麓地域には, 扇状地や崖錐が発達している。
後者の地域は, 第四紀に噴出した十勝岳火山群によって占められている。 この火山群は, 北東に連なる大雪火山群とともに, 雄大な山岳美をほこり, わが国において最大の規模をもつ大雪山国立公園の一部にふくまれている(図版 1 参照)。
図幅地域の北西半に分布する十勝熔結凝灰岩は, 旭川 - 富良野低地帯を埋めて, 広大な火山砕屑岩台地をつくり, 侵蝕によってメサ地形を示している。 この台地を切って, 美瑛 川にそって2つの断層崖 -- 白金 温泉の上流部では NE 方向, 下流部では NW 方向 -- がみられる。
2つの断層のうち, 前者は SE に面しており, 白金温泉付近では約 100 m, 美瑛川上流の十勝熔結凝灰岩の分布地域の東端では約 200 m の高さに達する。 この断層崖は, オプタテシケ山山麓の扇状地で終っている。 また, 後者は SW に面していて, これを境として, 十勝熔結凝灰岩の台地面に喰い違いが認められる。 この喰い違いは白金温泉付近では約 50 m であるが, 美瑛川の下流に行くにしたがい, 小さくなっていく。 図幅地域の北部地域についてみると, 十勝熔結凝灰岩のつくる台地面は, この断層崖の SW 側では, 西に約 2°傾斜しており, 海抜 300~650 m の高さをもつが, NE 側(美瑛川沿いの2つの断層崖と, 図幅の北縁に囲まれている部分)では, 西に約 3°傾斜していて, 海抜 600~950 m の高さをしめしている。 このように2つの断層崖は, いずれも, 十勝熔結凝灰岩噴出直後に行なわれた 火山構造性大陥没地(major volcano-tectonic depression) の形成に伴ってできたものである(高橋, 1960 ; 第 1 図参照)。
つぎに, 十勝熔結凝灰岩の台地の切峰面について吟味すると, ベベルイ川の両岸の台地面の傾きにも, 差異がみとめられる(第 2 図参照)。 両台地とも, 約 2°の傾斜をもつが, 北側では西に傾斜しているのに対し, 南側では北西に傾斜している。 おそらくベベルイ川も, 美瑛川と同じように, 構造谷と考えられる。
図幅地域の南部地域に, 古期・中期および新期十勝岳火山群が火山列をつヘって [ 連ねて ? ] 噴出しており, 海抜 1,400~2,100 m に達している(図版 2・3・4 参照)。 これらの配列に注目すると, 火山列の南西端にある 前富良野岳 [ 以下の [注] 参照 ] から北東端にあるオプタテシケ山 (頂上部は東に隣接する十勝川上流図幅に含まれる) につらなる NE 方向の火山列が卓越している。 この火山列を, 主列とよぶことにする。 このほか, 主列から派生している NW の方向性をもつ2つの火山列がある。 その1つは, 上ホロカメットク山から下ホロカメットク山に連なるもので, 他の一つは前富良野岳から 大麓山 に連なるものである。 これらの火山列を副列とよぶ。
主列を構成している火山体をやぶった爆裂火口は, すべて NW 側に開いており, しかも新期十勝岳火山群の寄生火山的な活動は, 主列の西側にかぎられている。
古期十勝岳火山群は, 一般にいちじるしく解析をうけており, 山麓には広大な扇状地や崖錐が発達している。 この火山群は, 地形的に二つのタイプにわけることができる。 第1のタイプは, 粘性に乏しい苦鉄質の熔岩から構成されていて, 台地状の地形を残すものであって, 原始が原熔岩や古十勝岳がこれにふくまれる。 第2のタイプは, 苦鉄質の噴出物から構成されている成層火山で, 前富良野岳・大麓山・富良野岳および美瑛岳(下部熔岩)があげられる。 これらの火山体のうち, 前富良野岳・大麓山は, きわめて露出に乏しい。
中期十勝岳群は, やや解析をうけている。 地形的に, この火山群は三つのタイプにわけることができる。 第1のタイプは, 粘性に乏しい苦鉄質の熔岩からなる台地を形成しており, 白金熔岩がこれに属する。 第2のタイプは, 苦鉄質および中性の噴出物からなる成層火山で, 美瑛岳や奥十勝岳をはじめこの火山群の大部分の山体が, これにふくまれる。 第3のタイプは, 粘性にとむ珪長質の熔岩流で, 石垣山熔岩・1,840 m 峰熔岩および十勝岳熔岩があげられる。
新期十勝岳火山群は, いずも新鮮な火山形態を保ち, 苦鉄質の噴出物からなり, 成層火山・砕屑丘・小規模な熔岩流の三つのタイプの山体を含んでいる。 成層火山は, 美瑛富士および鋸岳で, 美瑛岳と 辺別 岳および美瑛岳と平が岳の間に, それぞれ噴出し, 低所を埋めて熔岩を流している。 砕屑丘は, グラウンド火口 [ 以下の [注] 参照 ] ・ 摺鉢 火口丘および中央火口丘であって, 砕屑物の噴出のほか, アア熔岩も流している。 これらのアア熔岩には, いずれも流理構造を示すグループが明瞭に残されており, 摺鉢火口丘熔岩や中央火口丘熔岩の一部には, 熔岩溝がみられる。 また, 北向火口熔岩および焼山熔岩は, 山腹および山麓の火口から流出した小規模なアア熔岩であって, これも明瞭なグループを残している。 また, 1926 年泥流の流下した地域は, 下流部においては植生が進んできたが, 上流部では未だ殆ど植生をみない。
古期および中期十勝岳火山群の山麓には, 広大な扇状地および崖錐が発達している。 これらの地形面のうち, 図幅の西部地域および南東部地域では, わずかに解析をうけており, その形成が長期にわたって行なわれたことを示している。 図幅の西部地域にみられる扇状地には, しばしば, 熔結凝灰岩の残丘がみられ, また, 南西部地域のベベルイ付近では熔結凝灰岩と扇状地の末端部が接し, 広い湿地をつくっている。 原始が原の扇状地面の上にも, 広い湿地が発達している。 図幅の南東部地域の崖錐および扇状地を削剥して流れている河川は, いずれも図幅の南縁付近で伏流となる。
図幅地域の北東隅には, この地域の火山の基盤岩類がわづかに露出している。 丸山熔岩は, 北に隣接する 志比内 図幅の丸山を構成している熔岩流であって, ややいちじるしい解析をうけているが, まだ熔岩流の流走面を保存している。 美瑛層は, 美瑛川およびその支流によって, 深く下刻され, いわゆる壮年期の地形を呈している。
十勝岳火山群から NE 方向に, 大雪火山群を経て天狗岳にいたる延長約 80 km の大雪 - 十勝火山列は, 千島火山帯の西端に位置する一つの火山列である(第 3 図参照)。
この火山列北部の東側は, 火山列に平行に, 中新世の石英閃緑岩の迸入帯によって特徴づけられる 上支湧別 構造線(長谷川 他, 1961)と, この構造線形成の以後に形成された断層が走っている。 また, 火山列南部の東側にも, 古い N - S 性の走向をもつ断層を切って, 新しい NE 方向の断層が卓越している(酒勾・長谷川, 1957)。 さらにこの図幅地域でも, 火山列の主列を構成する火山体の下位には, 日高累層群と美瑛層とを境する NE 方向の断層の存在が推定されている(高橋, 1960)。 このような NE 性の構造は, NS 性の構造をもつ古い日高帯と斜交する新しい中新世以降の構造であって, 千島弧の形成に関連して作られたものである。 このような基盤の構造に支配されて, 大雪 - 十勝火山列は, NE 方向につらなる火山列を形成したのである。
この図幅地域における火山群の基盤は, 日高累層群(地表に露出していない)・ 美瑛層・ 変質安山岩・ 丸山熔岩・ 美瑛川凝灰集塊岩層である。 これらの基盤岩類をおおって, 第三紀末葉または第四紀初頭に, 十勝熔結凝灰岩の噴出が行なわれた。 この熔結凝灰岩は, 北海道において最大の規模をもっている。
このような大規模な熔結凝灰岩の噴出活動には, 既存の火山列の下位に潜在している断層が重要な役割をはたした。 この熔結凝灰岩をもたらしたマグマの上昇によって, 基盤岩類の差別的な隆起と断層活動が行なわれ, その断層の一部からはげしい火山砕屑流が噴出したと考えられている(高橋, 1960)。 この活動のすぐ後に, カルデラ陥没がおこり, カルデラ湖が形成された。 このカルデラは, WILLIAMS(1941)の 火山構造性大陥没地(major volcano-tectonic depression)に相当する(第 1 図参照)。
十勝熔結凝灰岩および湖成堆積物(トノカリ凝灰質泥岩層 [ 以下の [注1] 参照 ] )を不整合におおって, 小規模な熔結凝灰岩(下富良野熔結凝灰岩 [ 以下の [注2] 参照 ] )が主列の位置から東方に噴出した。
洪積世末期から冲積世にかけて, 熔結凝灰岩の噴出および カルデラ形成に重要な役割を果した NE 方向および NW 方向の弱線に支配されて, 十勝火山群が活動した。 この火山群は, 噴出物の被覆関係と解析の程度から 古期・中期および新期十勝岳火山群にわけることができる。 また, この火山群の活動は, 噴出物の性質からみると2つの輪廻を考えることができる。 おもに洪積世に行なわれた初期の活動は, この火山群の主体をなすものであり, 玄武岩の大量噴出に始まり, その後, しだいに酸性熔岩の活動に移行して, 最後に黒雲母・角閃石をふくむ酸性安山岩の小規模な活動で終っている。 この一連の火山活動によって, 古期および中期十勝岳火山群に属する 16 の成層火山および寄生火山が形成された。 これらの活動の後に, 火山活動の休止期をはさんで, 小規模な塩基性熔岩で特徴づけられている新期十勝岳火山群の活動がある。 この活動によって, 7つの成層火山と寄生火山が形成された。 この活動は, 現在まで継続しており, 1926 年の泥流を伴う活動(多田・津屋, 1958 ; その他)のみにとどまらず, ここ数 100 年の間に活溌な活動を行なっていたと考えられる(山田, 1958 ; 渡瀬, 1926)。 また, 10 年前から, 中央火口丘付近の噴気活動が活撥化し, 1962 年 6 月 29 日中央火口丘南部が噴火を行なった。
十勝岳火山群の噴出物は, 岩質からみると, 玄武岩から流紋岩にいたる多様性に富んでいる。 これらの噴出物の有色鉱物には, 斑晶として橄欖石・単斜輝石および斜方輝石のほかに, 中性~珪長質岩では角閃石・黒雲母がごくふつうに伴われている。 完晶質あるいはそれに近い熔岩の場合は, 石基鉱物としてクリストバル石および鱗珪石のほか, アノソクレースのようなアルカリ長石を伴っている。 したがって, 化学組成では, 一般にアルカリ, 特に K2O にとみ, 比較的鉄に乏しく, マグネシアに富んでいる。 ほとんどの岩石は, 久野(1954)の紫蘇輝石質岩系に属するものであるが, 稀にピジオン輝石質岩系に属するもの(富良野岳上部熔岩)がみられる(勝井・高橋, 1960)。 後者の岩石は, ややアルカリにとむソレーアイト岩系の玄武岩(勝井, 1959 ; KATSUI, 1961)で, 久野(1960)の高アルミナ玄武岩の系列に属する。
この図幅地域に露出している基盤岩類は, 美瑛層・変質安山岩・丸山熔岩および美瑛川凝灰集塊岩である。 いずれも新第三紀に属する。 これらの基盤岩類の相互の関係は, 露出が断片的であるので, 不明な点が多い。
図幅地域の北東隅の, 美瑛川上流流域にわずかに露出している。 おもにプロピライトおよび緑色凝灰岩から構成されているが, この図幅地域内では, プロピライトが優勢である。 この地層は, 火山主列の下位で日高累層群と断層で接していると考えられており(高橋, 1960), N 20°E, 30°NW の走向・傾斜を示している。 弱い鉱化作用がいたる所にみられ, しばしば方解石脈および石英脈で貫ぬかれているほか, 黄鉄鉱の鉱染がみられる。
白金温泉で実施したボーリングのコアにも, 地表下 268~401 (+) m にわたって緑色凝灰岩およびプロピライトがみられることから, この地層は, 主列の西側に, 火山噴出物におおわれてはいるが, 広い範囲に分布しているものと考えられる。
この安山岩は, 大麓山付近に小規模に露出しているにすぎない。 ほかの基盤岩類との関係は全く不明である。
この安山岩は, 微弱な変質作用をうけて, わずかに黄鉄鉱が鉱染していることから, 第四紀火山岩と区別することができる。 おそらく鮮新世のものであろう。
図幅の北東隅に, 美瑛層の侵蝕面をおおって, 安山岩が分布している。 この安山岩は, 北に隣接する志比内図幅地域の丸山付近に噴出源をもつ熔岩流である。 解析も進んでおり, 十勝熔結凝灰岩でおおわれていることから, この熔岩の噴出時代は, 鮮新世(末期 ?)と考えるのが妥当であろう。
暗灰色を呈する中性の普通輝石紫蘇輝石安山岩(Vd 型 [ 以下の [注] 参照 ] )である。 やや斑晶に乏しく, 斑晶鉱物として斜長石・紫蘇輝石・普通輝石および鉄鉱がみられる。 石基は, ハリ基流晶質で褐色ガラスの中に, 長柱状の斜長石・普通輝石・紫蘇輝石および鉄鉱粒が散在している。
美瑛川上流流域にわずかに露出する凝灰集塊岩である。 十勝熔結凝灰岩でおおわれているが, すでにのべた基盤岩類との関係は不明である。 おそらく鮮新世末期の堆積物であろう。
この熔結凝灰岩は, 図幅地域の北西部地域および西部地域に広く分布している。 分布の範囲は北は旭川, 南は新得付近にまでも拡がり, その規模は北海道における最大の熔結凝灰岩である。 この熔結凝灰岩は, 図幅地域内では, 1枚しかみられない。 火山主列の東方地域に分布している二股熔結凝灰岩およびトムラシ熔結凝灰岩(酒匂・長谷川, 1957)との関係は全く不明であるが, 岩質はひじょうに似ている。
噴出時代については, 従来, 第三紀末(橋本, 1955)あるいは洪積世(ISHIKAWA & MINATO, 1955 ; 湊, 1955)などの意見がのべられている。 しかし正確な噴出時代を決定するに足る資料は, いまだ得られていない。
| 試料 | SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 1) | 71.57 | 0.29 | 13.11 | 2.62 | 0.78 | 0.07 | 0.64 | 2.19 | 3.89 | 3.39 | 0.06 | 0.60 | 0.42 | 99.63 |
| 2) | 70.00 | 0.15 | 14.08 | 1.30 | 1.51 | 0.20 | 1.34 | 3.56 | 3.80 | 2.30 | 0.20 | 2.12 | 100.56 | |
この図幅地域では, 火山構造性大陥没地が形成されたあと, すでにのべたように, トノカリ凝灰質泥岩層が湖成堆積物として堆積した。 さらに, 下富良野熔結凝灰岩が噴出した。 しかし, これらは, いずれもこの図幅地域内には露出していない。 下富良野熔結凝灰岩の噴出によって, 火山構造性大陥没地の形態は, 多少の修正を加えられはしたが, 原構造を大きく変更されてはいないと考えられている(高橋, 1960)。
古期十勝岳火山群は, 以上の2度にわたる熔結凝灰岩の噴出および それに起因するカルデラの形成をもたらした火山主列の下位にある断層にそって活動した。 この活動は, 塩基性の粘性にとぼしい熔岩の大規模な流出によって特徴づけられている。
この熔岩は, 原始ガ原付近および大麓山西麓に分布している玄武岩である。 大麓山の西麓( 布部 川流域)では, この熔岩は, 20 m の厚さをもち, 下位に約 5 m の凝灰集塊岩を伴っている。
前富良野岳は, いちじるしく解析された成層火山である。 しかし, 山腹以下では, きわめて露出に乏しいので, 火山構造の詳細を知ることはできない。 これまでの調査によると, 3枚の熔岩流が識別でき, それらの熔岩の間には, 角礫凝灰岩の薄層を挾在している。
大麓山は, 熔岩流を主とした火山である。 いちじるしく解析されているが, 山頂部付近を除いては, 露出に乏しい。
富良野岳は, 熔岩流を主とした成層火山である。 富良野岳の噴出物は, 下部から上部になるにしたがって, 岩質がいちじるしく変化する。 すなわち, 上部のものほど有色鉱物に富み, また, 橄欖石が多くなって, 紫蘇輝石が少なくなってくる。 地形的には, 解析がやや進んでいるが, 火山体の中心部は, 構造をのこしており, 火山体の構造を推察することができる。 西斜面には西方に開口している直径約 500 m の爆裂火口が存在するほか, 頂上から北東方に約 500 m のところには北東方に開く直径約 250 m の爆裂火口が, また, 頂上部には北方に開く直径約 100 m の爆裂火口がそれぞれみられる。
富良野岳下部熔岩は, 富良野岳南麓に露出している。
この集塊岩は, 富良野岳頂上の周辺に分布している。 火山体の東部によく露出してるが, 西部では, 富良野岳中部熔岩でおおわれているため, 谷に沿って露出しているだけである。 火山体の東北部では, この集塊岩は, 約 40 m の層厚をもっている。
この熔岩は, 火山体の西半部および北部に発達していて, まえにのべた富良野岳下部熔岩および凝灰集塊岩を薄くおおって流下している。
この熔岩は, 火山体の頂部に小規模に分布している。 この地域の火山岩類のうち, もっとも苦鉄質のものである。
| SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 46.79 | 1.61 | 18.03 | 4.98 | 7.52 | 0.19 | 5.76 | 10.55 | 2.67 | 0.79 | 0.08 | 0.55 | 0.38 | 99.90 |
古十勝岳は, 熔岩を主体とし, 薄い凝灰集塊岩を挾在している成層火山である。 その噴出源は, 後期の噴出物でおおわれているので不明である。 しかし, 地形から推定すると, 十勝岳付近にあったものと考えられる。 この火山の噴出物は, 下部および上部熔岩の2つにわけられる。
古十勝岳下部熔岩は, この図幅地域の東縁では, 海抜 900~1,000 m の平坦面を形成している。 厚さ 30 m の熔岩流で, 上位に数 m の凝灰集塊岩を伴っている。
この熔岩は, 図幅地域の東縁で, 海抜 1,000~1,300 m の平坦面を形成している。 この熔岩の上位には, 厚さ 10 数 m の凝灰集塊岩を伴っている。
この熔岩は, 主列の両側に分布しているが, 崩壊物でおおわれているので, 詳しいことは不明である。 主列の西側では2枚, 東側では3枚の熔岩が区別でき, 凝灰集塊岩の薄層を挾在している。
この地層は, 白金温泉付近に発達している厚い未凝固の砂礫層である。 白金温泉で実施したボーリングの結果によると, 厚さは 30 m にも達する。 砂質の基質に, 人頭大~拳大, 稀には数 m におよぶ巨礫が含まれている。 また, しばしば粘土質の部分を挾在している。 礫の種類は, 美瑛岳下部熔岩に属する安山岩が圧倒的に多い。
この地層は, 小山内(1960)によって, 湖成堆積物と考えられているが, 美瑛岳下部熔岩の大礫を多く含んでいることから, この層を洪積世の扇状地堆積物または河岸段丘堆積物と考えることもできるであろう。
中期十勝岳火山群の活動は, 古期十勝岳火山群の火山活動に続いて行なわれ, この地域の火山構造の骨格を形成した。 一般に, 山体の解析はやや進んでおり, しかも崩壊物におおわれていないので, 各所に好露出があって, 火山体の構造を明瞭に知ることができる。 噴出物の性質は, 初期のものは, 流動性にとむ苦鉄質の熔岩で特徴づけられており, 末期のものほど, しだいに粘性にとむ珪長質熔岩となっている。 活動の規模は初期のものが大きく, 末期になるにしたがって, しだいにその規模が小さくなる。 火山群の形成史の上からみれば, この時期の火山活動は, 古期十勝火山群の活動の継続とみることができる。
この熔岩は, 望岳台の西方によい露出がみられる。 3枚の熔岩流がみられ, 凝灰集塊岩の薄層をはさんでいる。 それぞれの熔岩流の末端部は, いずれも急斜面をなして止っている。 白金温泉では, この熔岩が白金砂礫層をおおっているのが観察できる。
| SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 51.90 | 1.05 | 17.69 | 2.50 | 7.72 | 0.52 | 4.96 | 9.35 | 3.04 | 1.20 | 0.15 | 0.46 | 0.11 | 100.65 |
奥十勝岳は, 解析の進んだ成層火山である。 この山体を構成している主な噴出物は, 下部熔岩であって, 中部熔岩および上部熔岩は, 下部熔岩の侵蝕面上を薄くおおっている。
奥十勝岳下部熔岩は, 少なくとも3枚の熔岩流にわけられ, それぞれの熔岩流の間には薄い凝灰集塊岩層を挾在している。 熔岩の傾斜から判断すると, これらの熔岩は, 2つあるいはそれ以上の噴出源を持つ可能性があり, 今後の精査が必要である。 奥十勝岳頂上から NE 方向に流れる沢のシー十勝川合流点付近では, 奥十勝岳下部熔岩の末端が滝を作り, 古十勝岳上部熔岩をおおっているのが観察できる。
この熔岩は, 奥十勝岳の西斜面に発達しており, 十勝岳下部熔岩の侵蝕面を薄くおおっている。 大麓山頂上付近からは, 下部熔岩を不整合に, この中部熔岩がおおっているのが観察できる。 火山砕屑物は, まったく伴われていない。
この熔岩は, 奥十勝岳頂上付近から NE 方向に流れている小規模な熔岩流である。 この熔岩と中部熔岩との被覆関係はみることができないが, 地形から推察すると, この熔岩の方が新期のものと考えられる。
美瑛岳は, 典型的な成層火山であって, 頂部の西南側にある直径 700 m の爆裂火口壁では, 10 数枚の中部熔岩および上部熔岩が, 凝灰集塊岩および角礫凝灰岩と互層している状態が観察できる。
美瑛岳中部熔岩は, 美瑛岳の主体を構成しており, 10 数枚の熔岩流が凝灰集塊岩および角礫凝灰岩と互層している。 この熔岩で構成されている部分は, 爆裂火口壁を除くと, 解析もあまり進んでいないので, 比較的新鮮な火山形態を保存している。
この熔岩は, 美瑛岳頂上部付近に小規模に露出している。 火山体の構造からみると, この熔岩を中部熔岩から一連のものと考えることもできるが, その岩質が特に違っているので, これを中部熔岩と区別した。
オプタシケ山は, 典型的な成層火山である。 わずかに解析をうけているが, 比較的新鮮な火山形態をたもっている。
下部の噴出物は, 図幅地域の北東隅に分布している。 十勝熔結凝灰岩の噴出に起因する, 火山構造性大陥没地の低所に流れこんでいる熔岩と, それに伴われている凝灰集灰岩とから構成されている。 この噴出物には, 3枚の熔岩がみられる。
オプタシケ山頂部の西に開口している爆裂火口壁 [ 以下の [注] 参照 ] に, 凝灰集塊岩と数枚の熔岩が互層しているのが観察できる。 この噴出物はオプタテシケ山の主体を構成している。
ベベツ岳は, 新しい火山形態をもっている成層火山である。 少なくとも4枚の熔岩流と, それらの間に挾在している凝灰集塊岩とから構成されている。 山体の頂部に, 直径約 350 m の NW 方向に開口している爆裂火口がある。
下ホロカメットク山は, 典型的な成層火山の地形を示しているが, 解析が進んでいないので, 地表面にそって流下している最上部の熔岩しか露出していない。
上ホロカメットク山は, 典型的な成層火山である。 ヌッカクシ富良野川の北岸では, 熔岩と角礫凝灰岩の互層している状態が観察できる。 山体の頂には, NW 方向に開口している直径 1 km の爆裂火口(旧噴火口)がみられる。 この火口は, 現在, ひじょうに激しい噴気活動を行なっている。
下部熔岩は, 三段山付近および上ホロカメットク山南斜面に分布している。 三段山付近では, 4枚の熔岩と角礫凝灰岩とが互層している。 なお, 三段山付近では, 下部熔岩の末端部(海抜 1,000 m 付近)に2ヵ所温泉が湧出している。
平ガ岳は, 成層火山であって, 少なくとも5枚の熔岩流と, それらの間に挾在している凝灰集塊岩とからできている。 山体は, それほどいちじるしい解析をうけていない。
この熔岩は, 奥十勝岳と平ガ岳の間の低所に流れこんだものである。 この熔岩流は上ホロカメットク山頂上の東方に, 海抜 1,700 m 前後の平坦面を形成している。 下部には凝灰集塊岩を伴っている。
この熔岩は, 富良野岳および上ホロカメットク山の間の低所を埋めて, おもに南方に流れたものである。 山体の北斜面には, 北西方に開口している直径約 700 m の爆裂火口が存在する。 下部には, 角礫凝灰岩を伴なっている。
この熔岩は, 粘性にとむ熔岩が小規模に流出したものであって, 旧噴火口の火口壁では, 約 100 m の厚さをしめしている。 上ホロカメットク山の西方では, 三峰山熔岩をおおっているのが観察できる。
この凝灰集塊岩は, 馬の背周辺に小規模に分布している。 山体の北斜面の西に開口している直径約 1 km の爆裂火口壁では, 約 150 m の厚さをしめしている。
前十勝岳は, 成層火山であって, 4枚の熔岩流とそれに挾在する凝灰集塊岩から構成されている。 山体自身の高さはあまり大きくない。 馬の背爆裂火口の火口壁で, 前十勝岳熔岩が上ホロカメットク山下部熔岩の侵蝕面をおおっているのが観察できる。
この熔岩は, 1,840 m 峰付近から南方に, 奥十勝岳と上ホロカメットク山の低所を埋めて流れこんでいる。 地形的にも, また, 岩質からも, 上ホロカメットク山中部熔岩と区別できる。
石垣山は, ベベツ岳南西斜面の上にできた寄生火山であって, 小規模な熔岩流から構成されている。
この熔岩は, 十勝火山群の主峰を構成している小規模な熔岩である。 やや解析されてはいるが, 熔岩円頂丘の地形が保存されている。
| SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 60.67 | 0.79 | 15.44 | 4.72 | 2.67 | 0.10 | 2.53 | 5.45 | 3.35 | 2.93 | 0.12 | 0.79 | 0.32 | 99.88 |
この堆積物は, 図幅地域の西北部および南西隅の河岸に, 小規模に分布している。 現河床と段丘面との比高は, 図幅地域の西北部では約 7 m, 南西隅では約 3 m である。 いずれも, 砂・粘土の基質の中に, 十勝熔結凝灰岩・ 古期十勝火山群および中期十勝岳火山群噴出物から由来した礫を多量に含んでいる。
中期十勝岳火山群の活動と新期十勝岳火山群の活動の間に, かなりの時間的な間隙があったことは, 火山体の解析の程度をくらべてみると容易に推定できる。 新期十勝岳火山群の活動は, いずれも苦鉄質安山岩熔岩および砕屑物の噴出によって特徴づけられている。
美瑛富士は, 十勝火山群のうちで最も典型的な成層火山である。 その噴出物は, 美瑛岳とベベツ岳の間の低所を埋めて, NW 側に流下している。 火山体の解析は, ほとんど行なわれていない。 したがって, 熔岩流は, 表層では2枚しかみられない。 2枚の熔岩流の間に凝灰集塊岩を挾在している。
下部熔岩は, 美瑛富士北麓に小規模に露出している。
この熔岩は, 美瑛富士の主体を構成しており, 岩質は, 紫蘇輝石含有普通輝石安山岩(Ⅴd 型)である。
鋸岳は, 美瑛岳と平ガ岳の間に噴出した成層火山である。 山体は, ほとんど解析されていない。 山体の頂部には, 西方に開口した直径約 500 m の爆裂火口がある。 鋸岳は, 下部に熔岩流がみられるが, 大部分は凝灰集塊岩から構成されている。
十勝岳頂上の NW 側に, 直径約 700 m の NW 方向に開くグラウンド火口があり, その内側に中央火口丘がある。 グラウンド火口を形成している火山は, 比較的大きな砕屑丘であって, 初期に熔岩流の流出があり, 後期には火山砕屑物の噴出が行なわれている。 熔岩流は, 北西斜面を流れ, 望岳台付近まで達している。 また, 望岳台から白金温泉にかけて, この火山の末期の活動に由来すると考えられる火山砕屑流堆積物が数枚, 谷に沿って分布している(第 4 図参照)。 村井(1960・1961)は, これらの火山砕屑流堆積物を 1926 年 5 月の活動の噴出物と考えたが, これらは, 中央火口丘熔岩(噴出の記録は残されていない)の下位のものである。
スリバチ火口丘は, グラウンド火口の火口壁北端に噴出した砕屑丘であって, その頂部には, 長径約 350 m, 短径約 250 m の楕円形の火口を有している。 その火口壁には, 3枚の降下スコリア層が露出している。 熔岩流は, アア熔岩であって, 少なくとも2枚が存在している。 北向火口の NW 側に流出したものは, 植生を根拠として, 流出後 140 年以内のものと推定されている(渡瀬(1926)から再計算を行なった)。 また, 山体の北西斜面にある昭和火口は, 激しい硫気活動を行なっている。
北向火口は, スリバチ火口丘北方約 500 m の地点にみられる直径約 150 m の火口である。 この火口からは, NW 方向に小規模なアア熔岩を1枚流している。
焼山熔岩は, 焼山付近にみられる小規模なアア熔岩である。 熔岩流の東端には, 直径約 50 m の浅い火口がみられる。 植生から判断すると, この熔岩もひじょうに新らしく, スリバチ火口丘熔岩および中央火口丘熔岩などの活動に対応して, 山麓から噴出したものであろう。
中央火口丘は, グラウンド火口の北西部に噴出した小規模な成層火山である。 山体の NW 側には, 直径 200 m の大正火口(新噴火口)がある。 この火口壁には, 熔岩と砕屑噴出物が露出しており, 噴気活動が行なわれている。 熔岩流はアア熔岩であって, 噴火の記録も 1857 年, 1887~1889 年および 1926 年 5 月~1928 年(多田・津屋(1927)ほか多数)などが残されている。 また, 1962 年 6 月には, 中央火口丘の南側, グラウンド火口壁に沿って噴火が行なわれた。
| SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 53.93 | 1.25 | 18.39 | 3.11 | 6.21 | 0.19 | 4.10 | 8.83 | 2.40 | 1.43 | 0.15 | 0.14 | 0.03 | 100.16 |
火山の山麓部には, 扇状地および崖錐が発達している。 これらの堆積物は, 砂質の基質の中に, 火山岩塊および礫を多く含んでいる。 火山岩塊および礫は, 十勝岳火山群の噴出物が多いが, 図幅地域の西部に発達している扇状地には, 十勝熔結凝灰岩の礫も少量含まれていることがある。
冲積層は, 十勝熔結凝灰岩の分布地域の河川に河って, 小規模な分布を示している。 砂質の基質(一部に粘土質の部分がみられる)の中に, 礫が含まれている。 礫は, 十勝熔結凝灰岩および十勝岳火山群の噴出物である場合が多い。 砂は, 大部分が十勝熔結凝灰岩から供給され, 石英粒を多量に含んでいる。
この図幅地域の北東部に分布する美瑛層の中には, 緑泥石化作用および黄鉄鉱化作用をうけた鉱化帯がみられる。 この鉱化帯の中には, しばしば浅熱水性の石英脈および方解石脈が発達している。 しかし, これまで, この図幅地域内には, みるべき鉱床は発見されていない。 したがって, この図幅地域内の有用資源としては, 大正火口そのほかにみられる硫黄鉱床と, 吹上温泉その他にみられる褐鉄鉱鉱床, および白金温泉をはじめ各所に湧出している温泉などが主なものである。 そのほかに, 石材がある。
十勝岳において, 最もいちじるしい噴気活動を続けている, 中央火口丘周辺および旧噴火口内には, 昇華硫黄の鉱床が形成されている。 この硫黄の採掘のほかに, 噴煙を煙道に導いて硫黄を採取することも行なわれてきた。
この図幅地域の褐鉄鉱鉱床は, いずれも温泉(冷泉)沈澱物として形成されたもので, 吹上温泉および翁温泉付近にみられる。 これらについては, 片山(1948)および上野・五十嵐(1957)の報告がある。 これらを参考にして, その概要をのべる。
この図幅地域内には, 白金 温泉, 吹上 温泉および 翁 温泉のほか, 熊の沢にも温泉が湧出している。 また, 旧噴火口, 大正火口および昭和火口では, 噴気活動に伴う温泉もみられる。
| 試料名 | 白金第1 | 白金第2 | 白金第3 |
| 採取年月日 | 1958, March 27 | 1958, March 27 | 1958, March 27 |
| 泉温(℃) | 45 | 44 | 43 |
| pH | 6.8 | 6.8 | 6.7 |
| 蒸発残留物(mg / l) | 4159 | 5885 | 4314 |
| Na+(mg / l) | 644 | 619 | 635 |
| K+(mg / l) | 89 | 114 | 115 |
| Ca2+(mg / l) | 288 | 532 | 306 |
| Mg2+(mg / l) | 46 | 47 | 52 |
| Fe2+ + Fe3+(mg / l) | 1.2 | 0.81 | 1.4 |
| Mn2+(mg / l) | 2.9 | 3.8 | 1.3 |
| Al3+(mg / l) | 31 | 30 | 11 |
| Cl-(mg / l) | 556 | 896 | 551 |
| HCO3-(mg / l) | 721 | 728 | 895 |
| SO42-(mg / l) | 1538 | 2189 | 1446 |
| HBO2(mg / l) | 9 | < 8 | 14 |
| H2SiO3(mg / l) | 205 | 458 | 169 |
| CO2(mg / l) | 145 | 220 | 240 |
以上のほか, 大正および昭和火口においても, 噴気活動に伴って, 強酸性の温泉がみられる。 しかしそれらは, 湧出量も少ないし, むろん利用はできない。
この図幅地域内にみられる有用な石材としては, 十勝熔結凝灰岩がある。 十勝熔結凝灰岩は, この図幅地域の西部に広く分布している。 灰白色で石英斑晶が多く, やや硬く, 石材として利用されよう。 この図幅の北西に隣接する美瑛図幅地域においては, この熔結凝灰岩は古くから採石されている。
十勝岳は, 北海道でも最奥の中央高地にあるため, 文書として残された活動記録は, 近年になってはじめてあらわれるにすぎない。
最古の記録は, 松田市太郎によってかかれた「石狩川水源見分書」(1857)で, 安政 4 年(1857 年)4 月 27 日, 「焼山」(おそらく中央火口丘)周辺に硫気孔が活動していることを記載している。 ついで, 十勝岳山麓を踏査した松浦武四郎は, 同安政 4 年 5 月 23 日, 「石狩日記」に, 「山半腹にして火脈燃立て黒烟天を刺上るを見る」と記述している。 おそらく, このとき, 中央火口丘が噴火したのであろう。 かつて中富良野に在住していた古老の言によると, この頃, 十勝岳の大噴火による泥流(水害というものもある)のために, 家族三人が惨死したという(十勝岳爆発災害誌)。
それから 30 年後の明治 20 年(1887 年)6 月 3 日の前後, 数日にわたって真紅の火焰が上昇するのを, 山麓の十人牧場の林熊七氏が認め, 踏査したところ, 丸山(中央火口丘)の下部に爆発火口が出現したことがわかった(十勝岳爆発災害誌)。 大日方(1891)の 1888 年の報告によると, 「ケンルニ(十勝岳)山頂に大噴火口あり, 周囲凡半里にして常に黒烟を噴出すること甚し, 是れ石狩河畔に於て到処望見せる所にして, 年々大噴出を為す事数回に及, 時として忠別近傍迄灰を降らすことありと云う。」とある(北海道鉱床調査報文)。 また, 山麓の住民は, 明治 22 年(1889 年)にも活動したと述べている(十勝岳爆発災害誌)。
その後, 神保小虎(1891), 小泉秀雄(1918)および納富重雄(1918)などの, 十勝岳に関する記述があるが, これらには, いずれも噴気活動だけが注目され, はげしい噴火の記録はない。 しかし, 大正 12 年(1923 年)頃から, この硫気活動は次第にはげしくなり, 明治の噴火から 30 数年ぶりに, ふたたび大正 15 年(1926 年)の噴火を迎えている。
1923 年 6 月, 中央火口丘の南側にある湯沼(第3坑)に, 熔融硫黄の沼ができ, 硫黄の生産量が, この頃から増加しつつあった。 また, 旧丸谷温泉(いまの美瑛温泉)の温度が上昇し, 湧出量が増加した。 さらに同年 8 月には, 熔融硫黄が, 7.8 m も吹き上ることがあった(田中館, 1926)。
1925 年 12 月 23 日, 中央火口丘の中央にある火口(第2坑)が活動をはじめ, 火口内に径 30 m × 20 m, 深さ 20 m の「 大噴 」火口ができた。 約2ヵ月後, 1926 年 2 月中旬頃から, 大噴は径 6~10 cm の砂礫をとばしはじめ, 4 月 5・6 日には降灰があり, 8 日頃には付近の採取硫黄に点火する状態であった。 このため, 第2・3鉱では, 硫黄採取が不可能になった。 4 月中旬には, 火柱がみえた。 5 月にはいって, 4・5 日は鳴動, 7 日夜は大噴から噴煙多く, 火柱数十尺に昇り, 大噴の隣に新しい火口を生じた。 5 月 13・14 日は鳴動・噴煙はげしく, 15 日午後からややおとろえ間歇的となり, 16・17 日には鳴動はおとろえたが, 噴煙ははげしかった。 22 日に鳴動があって, 上富良野でも感じ, 大噴から砂礫を抛出した。 翌 23 日は雨で状況不明(十勝岳爆発災害誌)。
5 月 24 日 12 時 11 分, 第1回目の大きな爆発がおこった。 硫黄鉱山の元山事務所では, 爆音についで, 5~6 秒の遠雷のごとき岩石の崩壊する響を感じ, ついで, 泥流が旧丸谷温泉をおそい, さらに下って旧畠山温泉(いまの白金温泉)の風呂場・橋を破った。 爆発地点は, 中央火口丘の西腹下方で, 山頂から約 800 m 下方, 標高 1,300~1,400 m の間と推定された(多田・津屋, 1927)。 14 時頃にも, 小規模な鳴動・噴火があり, 泥水が美瑛川・富良野川を濁した(十勝岳爆発災害誌)。
ついで同日 16 時 17 分すぎ, 第2回目の大きな爆発が起った。 この爆発で, 中央火口丘の北西半が破壊され, 崩壊物は北西斜面を 急速な乱流 となってなだれ下った(第 5 図)。
この山体の崩壊物は, 火口から 2 km の元山事務所まで, わずか 54 秒(中村, 1926)~1 分(田中館, 1926 ; 渡瀬, 1926)しかかからなかった。 さらに, この1次泥流は, 急速に積雪をとかし, 2次泥流を生じ, 美瑛川と富良野川とに分かれて流下し, 爆発後わづか 25~26 分で火口から 25 kmの下富良野原野に達した。 泥流は途中で森林帯を越えたため, 森林を破壊し, 多量の材木を含む泥水となり, 家屋・橋梁・鉄道その他を破壊した。 この噴火で, 死者 144 名, 建物 372 棟, 家畜 64 頭・602 羽が失われたが, これらは主として2次泥流の被害によるものであった(第 6 図)。
この噴火で, 中央火口丘の北西部 2,000,000 m3 が崩壊して, 1次泥流となった。 この1次泥流は, 幅 250 m 長さ約 1 km の領域に堆積しており, 堆積直後, 無数の2次噴気孔が現われたことからみても, 1次泥流はかなり熱いもの(hot volcanic avalanche)であって, これが急速に積雪をとかして, 2次泥流を生じたものである(多田・津屋, 1927)。 この泥流のほかに, 旧岩屑 10,000 m3, 新火山弾 3,000 m3 が火口の周辺に抛出された。 新火山弾は, 泥流の流出直後に抛出されたものである。 一方, 細粒の火山灰は, 火口から北(やや東より)方へ降灰した(多田・津屋, 1927)。
1926 年 5 月 24 日後, 活動はおさまり, 約3ヵ月半の休止期を経て, 同年 9 月 8 日 16 時 33 分, ふたたび爆発が起り, 黒煙 4,600 m に達し, 火口付近で 2 名が行方不明となった。 さらに, 9 日 15 時 40 分に小爆発があり, 10 日 9 時 37 分頃にも爆発があって, 十勝岳の上空は赤くみえた。 同日 15 時 48 分に, また爆発があり, 十勝川上流屈足川に火山礫が降下した。 その後, 11~21 日まで小爆発がくりかえされた。
この 9 月の噴火で, 中央火口丘 NW の側に開かれた馬蹄形状の崩壊部に, NS の径約 130 m, EW の径約 50 m, 深さ約 30 m の楕円形の火口が作られた。 その東南壁は, 5 月の噴火で形成された爆発火口壁に相当している(延原, 1927)。 この火口は「大正火口」または「新噴火口」と呼ばれた。
1926 年の噴火は, その後も, ひんぱんに活動をつづけ, 1928 年に入ってからは, 1 月 16 日, 3 月 5 日, 12 月 4 日に活動を行なっただけで, 永い休止期に入った(柴原, 1928)。
1962 年の活動は, 10 年前から噴火の前兆と考えられる, 種々の異常現象が認められ, しかもそれらは, 噴火の直前になって, 非常に活発となった。
1952 年 8 月 17 日, 摺鉢火口の西方山腹にあった弱い噴気地帯に, 径約 1 m の活発な噴気孔があけられ, 次第に成長して行った。 これらは, 「52 年噴気孔群」または「昭和火口」とよばれた。 一方, 1954 年頃から, 大正火口の噴気活動がいちじるしくなり, しばしば噴気孔から火口底へ熔融硫黄が流出した(石橋, 1954 ; 勝井・高橋の調査)。 1955 年 8 月の噴気孔群の温度測定によると, 測定値の最高地は, 昭和火口で 159 ℃, 大正火口で 160 ℃, 旧噴火口では 379 ℃ をしめし, 前年度の測定値(札幌管区気象台ほか, 1957)よりも高かった。 さらに, 同時に行なわれた地震観測では, 4,000 倍の地震計にわずかの微小地震が記録された(佐久間・村瀬, 1956)。 1959 年 6 月・10 月には, 火山性地震が明瞭に観測され(150 倍の地震計で月 40 回程度), 11 月には昭和火口の噴気が小爆爆発を起し, 泥流が約 100 m 流出し, 噴気孔の直径は 15 m に成長した(札幌管区気象台, 1962)。 また, 1961 年 8 月 14 日には, 旧噴火口で弱い水蒸気爆発があり, ヌッカクシフラヌイ川の河水が灰色に濁った(富良野町 会田氏による)。
噴気孔からの火山ガスの化学組成については, 岩崎ほか(1962)によって信頼すべき分析が行なわれている(第 3 表参照)。
| 採取地点 | 採取月日 | 温度 ℃ | H2O % | 水を除くガス成分の化学組成 | |||||||
| HF *1 % | HCl % | SO2 % | H2S % | S2 % | CO2 % | R % |
Rn *2
10-10 c / l | ||||
| 昭和火口 |
1957,
Aug. 12 | 123.4 | 95.6 | 0.06 | 14.5 | 19.0 | 10.0 | 1.1 | 53.6 | 1.7 | 3.36 |
| 大正火口 | 〃 | 97 | 95.2 | 0.004 | 4.4 | 40.5 | 4.7 | 0.09 | 50.0 | 0.3 | 3.09 |
| 〃 |
1960,
July 15 | 144 | 94.6 | 0.13 | 9.2 | 53.1 | 9.4 | - | 27.9 | 0.3 | 0.95 |
| 旧噴火口 |
1960,
July 26 | 204 | 97.3 | 0.12 | 1.9 | 12.9 | 20.8 | - | 60.8 | 3.5 | 5.4 |
大正火口については, 1957 年と 1960 年の2回にわたって測定が行なわれたが, この間に温度上昇とともに, ハロゲン・SO2・H2S の量が増加し, 逆に CO2 の量が減少しているのがしめされている。 おそらくこの傾向は, 噴火直前には, さらにいちじるしかったにちがいない。
1962 年に入って, 4 月 23 日 広尾冲地震(M ≒ 7.1)以後, 大正火口の噴気活動はさらにはげしくなり, 火山ガスの濃度・温度が高くなって, 煙道口で 200~300 ℃ に達するものがあらわれ, 硫黄の自然発火もおこった。 煙道による硫黄の生産量は急激に増加し, また新しい噴気孔が生じた。 さらに, 十勝岳付近で, 有感地震を 5 月 31 日 : 5回, 6 月 4 日 : 1回, 6 月 9 日 : 2回, 6 月 28 日 : 2回感じた。 大正火口の北西 1.2 km の地震計(310 倍)には, 5 月 23 日~6 月 27 日までに, 多い日で1日 411 回の火山性微動が記録された(札幌管区気象台, 1962)。 一方, 6 月 27~29 日には, 大正火口東壁上に, 長さ 10 m 前後の亀裂が 10 数条できており, あるものには噴気が認められた。 また, 火口壁からの落石もあった(磯部鉱業技術室, 1962)。
以上のような異常現象は, 1926 年の活動前の状況にひじょうに似ており, 地下においてマグマが上昇しはじめたことをしめしている, とみてよいであろう。 問題は, はげしい噴火が, いつはじまるかということであった。 気象庁の方でも, しばしば警戒の必要を公表していた。
1962 年 6 月 29 日 22 時すぎ, ついに噴火がはじまった。 大正火口の西北西 3 km の白銀荘の管理人 和田氏によれば, 22 時 15 分ころ, 番犬が吠えるので十勝岳の方をみると白煙が昇りはじめ, シュシューという音をきき, 同 30 分になってやや音が大きくなり, 同 45 分になって大きな爆発音をきき強い上下動を感じ, 稲妻をみた。 同 46 分, 黒い噴煙が上昇し, 同 47 分ふたたび噴煙が昇り, 稲妻・火柱をみた。 この噴火は, 22 時 55 分, 一時静穏に復した(和田氏による)。
一方, 大正火口の近くの宿舎に泊っていた硫黄鉱山の職員は, 屋根をつき破る火山岩塊で, はじめて噴火に気づき, 岩塊のために職員 5 名が死亡し, 残る 11 名(うち 2 名は気象庁技官)が負傷した。
約 3 時間後, 30 日 2 時 45 分, ふたたび噴火がはじまった。 今度は, 前回よりもはるかに大きく, 連続した遠雷のような音を発し, 幅 70~100 m, 高さ 500~700 m の火柱が垂直に上り, 稲妻が閃めき, 噴煙は 20~30 分後に 1.0~1.2 万 m に達した。 間もなく, 硫黄鉱山宿舎が燃え上った(札幌管区気象台, 1962)。 噴煙は, はじめほぼ垂直に上昇し, 原子雲状に拡がり, その頂部は成層圏底部に達し, 急速に東方に流された。 この噴煙は, 30 日朝, 札幌・千歳・帯広・紋別その他からも望見された。
第2回目の噴火開始後, 火山の東方, つまり北海道東部一帯は, 灰褐色の火山灰の雲におおわれ, 日照がさえぎられ, 降灰にみまわれた。 降灰のはじまりは, 紋別で 4 時頃, 弟子屈で 6 時頃, 根室標津で 8 時であった。 さらに降灰は, 中部千島列島のウルップ島の南方 40 哩(N 45°15', E 150°57')を航海中の船上に及んだ(海上保安庁巡視船「大東」からの報告)。 降灰地は, 農作物はもちろん, 火山ガスによる空気汚染もひどく, 人畜に被害を与え, 東麓のトムラウシ部落では避難がはじまった。 一方, 西側の美瑛町・上富良野町の住民も, 警戒体制にはいり, 白金温泉の人々も引きあげた(図版 11)。
30 日以降も, 噴火はつづき, 夜は灼熱した火山弾・スコリアなどが数秒おきに噴き上がり, 火口周辺(主として北方側)に抛物線を描いて落下し, しばしば青紫白色の稲妻が閃めくのが, 美しく望見された。 新噴出物は, 決して完全に固化したものでなく, やや流動性を保ったまま抛出されているようにみえ, 夜は赤く輝き, 光高温度計では 800~850 ℃ と測定された(勝井・村瀬・大場・西村・曾屋・伊藤による)。
こうしたストロンボリー式噴火は, 30 日第2回噴火開始後~正午すぎを頂点として, その後はややおとろえをみせ, 7 月 5 日まではつづき, 6 日夕刻, 雲が切れたとき, すでに一時休止状態にはいっており, 白煙が昇るのがみられた。 その後, 活動は一段とおとろえ, 弱い噴火が 8 月末まで時折行なわれた。 しかし, その後も, 火口から濃厚な黄色の火山ガスが噴出しつづけ, しばしば気象状態の悪い日には山腹を這いくだり, 山麓の住民をなやました。
1962 年 8 月 20 日(勝井・高橋・平井)および 9 月 8・9 日(勝井・伊藤)の調査で, 火口周辺の地形は, 第 7 図のように変化しているのを認めた。 大正火口の南側, つまり, 中央火口丘とその外輪山にあるグラウンド火口南壁との間の湯沼(もとの第3坑)に, 新らしく径 140 m の深い円形の火口(62 年第2火口)が開かれ, 多量の黄色の刺劇臭の強い噴煙を間歇的に強く噴出していた。 噴煙が多いため, 火口の深さおよび火口内の温度測定は不可能であったが, 火口の西側斜面において, 新らしいスコリア堆積物中から噴き出している淡青色透明の火山ガスの温度は, 最高 535 ℃(9 月 9 日, アルメル・クロメル熱電対による)をしめした。 火口の周辺, とくに北側には, 噴出物が堆積し, 砕屑丘となっており, その高さは, ほぼ標高 1,800 m(噴火前の高さ標高 1,750 m)に達していた。
62 年第2火口の東南に接して, 長径 130 m, 短径約 60 m の楕円形の火口(62 年第3火口)が開かれており, 白煙をあげていた。 この第3火口から, さらにグラウンド火口南壁に沿って, 延長 86 m, 幅 2~3 m, 深さ 2~4 [ m ? ] の亀裂が開いており, さらにこれに平行してグラウンド火口内側にも数条の亀裂がみられ, いずれの亀裂からも噴気が行なわれていた。
一方, 第2火口の北西方, 大正火口およびグラウンド火口の南壁にあたる部分に, 径 40 m のやや浅い火口(62 年第1火口)が開かれていたが, 既に第2火口からの噴出物で, その東南側は埋積されており, 弱い噴気がみられる程度であった。 さらに, この第1火口の北西側に接して, 同じく径 40 m 位の浅い火口が開かれていた(62 年第0火口)。 この火口も第2火口からの噴出物でうずまっており, ごく弱い噴気がみられるにすぎなかった。
以上のように, 1962 年の活動地点は, 巨視的には, 摺鉢火口・北向火口・昭和火口・中央火口丘さらに旧噴火口という, 十勝岳新期の活動の行なわれた地帯に当っており, また上記3個の新火口とその延長の亀裂は, グラウンド火口という中央火口丘の外輪山の南壁に沿う構造線上に配列している。 噴火の観測からも明らかなように, これらの4個の火口のうち, 第2火口が最もはげしい噴火を行なっており, 砕屑丘が形成されたのである。 この第2火口の位置は, もともと中央火口丘の南側にうがたれた爆裂火口(湯沼)のあったところでもある。
大正火口は, 第2火口からの新火山弾・スコリアでおおわれ, 特にその南部は埋積されてしまった。 また, 火口壁の1部崩落もあった。 しかし, 火口壁からの噴気活動は, 依然として活発で, 火口壁北部における噴気孔の温度は, 最高 369 ℃(9 月 9 日)を示していた。 一方, 昭和火口の方も, 新噴出物にうすくおおわれていたが, これらの噴出物の上には, 泥火山状の噴気孔から熱泥を噴出したあとがみられた(図版 12)。
1962 年の噴出物は, 第1回目の噴火によって既存の山体が砕かれて噴出し, 第2回目の噴火によって主として新らしいマグマが火山弾・スコリア・火山灰の形で噴出した。 第2回目の噴出物が圧倒的に多いことは云うまでもない。
第1回目(6 月 29 日夜)の噴出物は, 地表近くの既存の山体を火山岩塊および火山灰として抛出したもので, 大形の岩塊の方は, 主として北方に抛出され, そのために硫黄鉱山の惨事を招いた。 一方, 火山灰は, 南方の前十勝沢の源流部の方へ降下した(第 8 図)。 この火山灰は, 噴煙があまり高くなかったので, 遠方には達していない。 火山灰は細粒・灰色で硫気変質をうけた岩石の細粉を主としており, 多量の遊離硫黄・硫化物・硫酸塩などを含んでいた。 そのため, 1926 年の泥流の流れたあと, ようやく河水の pH 値の恢復しつつあった富良野川が, 再び汚染し, 噴火前の 5~6 月は pH 4.6~5.0 であったものが, 噴火後 7 月 1 日からは急に pH 3.4 に降下した。 さらに 7 月 10~13 日の降雨によって, 富良野川源流域から火山灰が泥灰流となって流下し, 7 月 11~13 日には pH 2.8 までになった(富良野川中流 日新橋での測定, 北海道開発局農業水産部計画課, 1962)。
第2回目の噴火では, 主として新らしいマグマが灼熱した火山弾・スコリア・火山灰となって抛出され, 少量の類質噴出物も混えていた。 火山弾・スコリア・火山岩塊などの大型の噴出物は, 火口から主に北方に抛出され, その分布は最大 1.5 km に及んでおり, 総量は 1.2 × 106 m3, 2.0 × 106 ton と推定された。 これら大型の噴出物が, 常に北方へ抛出されたことは, 火口の形態によるものであろう。 新火山弾・スコリアは, いずれも暗褐~黒色で, 極めて多孔質で, 特定の形を示すものは稀で, 大型のものは地表に落下すると同時にやや扁平化したものが多い。 落下地点の高山植物群落は, 殆んど全部焼かれていた。 しかし, 類質火山岩塊の方は, 高山植物群落を破壊するにとどまり, 焼くようなことはなかった。
新火山弾・スコリアは, 橄欖石含有紫蘇輝石普通輝石安山岩で, 十勝岳晩期の熔岩および 1926 年火山弾の組成に極めて良く似ていた(図版 13)。 火山弾の化学組成は, 次表のようであった(分析 : 勝井義雄)。
| SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Σ |
| 53.41 | 1.23 | 17.98 | 2.77 | 6.52 | 0.20 | 4.31 | 9.07 | 2.52 | 1.31 | 0.19 | 0.11 | 0.10 | 99.72 |
第2回目の噴火では, 噴煙は略垂直に成層圏に達し, 東方に運ばれ, 道東部に降灰した(第 9 図)。 噴火中における降灰地での調査, および降灰地の高等学校・中学校からの通信によれば, 6 月 30 日昼すぎまで粗粒の火山灰が降り, 以後細粒となり, 降灰量も減少した。 7 月 1 日の降灰量の総量は, 6 月 30 日の1日の降灰量よりはるかに少ない。 火山灰は, 暗褐灰色を呈し, 大部分が本質噴出物で, ごく少量の類質噴出物(特に硫気変質をうけたもの)を含んでいた。
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
(Kushiro - 1)
By Yoshio KATSUI, Toshimasa TAKAHASH and Shigeo DOI
The area of this sheet map, located in the central highland of Hokkaido between 43°20'~43°30' N lat. and 142°30'~142°45' E long., occupies the southwestern part of the Daisetsu-Tokachi volcanic chain, which is an échelon belonging to the western end of the Kurile volcanic zone. The Tokachi-dake volcano is the only active volcano in the central highland of Hokkaido, and is famous for its recent eruptions in 1926~1928 and 1962.
The nor thwestern half of this sheet map area is occupied by a wide pyroclastic plateau composed of the Tokachi welded tuff ; while in the southeastern half of the area, the Tokachi-dake volcano group forms a volcanic chain that runs from SW to NE. Talus and fan deposits are accumulated at the skirts of this volcano group. Due to wide development of such Quaternary volcanic and clastic deposits, the outcrops of the basement Tertiary rocks are rest ricted within only small areas.
The geology of this area, as shown in Table 1, can be divided into two units : basement Neogene volcanic and sedimentary rocks, and Quaternary volcanoes.
Around the Tokachi-dake volcano group, the Hidaka formation of pre-Cretaceous age and the Biei formation of Miocene age are developed as the basement rocks. Neogene tectonic movement related to the formation of the Kurile arc was also prevailed in the central highland of Hokkaido. As the result of this movement, the younger SW - NE tectonic line which crossed obliquely against the older N - S general trend of the Hidaka formation, was formed. Many volcanoes of Quaternary age were erupted along the younger tectonic line, forming the volcanic chain above mentioned.
Biei formation , composed of propylite associated with green tuff which has been subjected to alteration and mineralization, outcrops at the northeastern corner of this sheet map. This formation is considered to be Miocene in age and widely spreads under the Quaternary volcanoes.
Altered andesite outcrops only in a small area at the northern foot of the Tairoku-san. This rock is distinguishable from the Quaternary lavas in its appearance, because the former has been slightly suffered from alteration. The age of the rock, however, is not clarified.
Maruyama lava , composed of augite-hypersthene andesite, and Biei agglomerate develop in the northeastern corner of this area. They are covered by the Tokachi welded tuff, but ages of them are still uncertain.
Tokachi welded tuff , composed of pyroxene-bearing hornblende-biotite rhyolitic pumice and ash, is the most voluminous pyroclastic flow deposit in Hokkaido. In early Pleistocene (or late Pliocene ?) , following the upheaval of the basement due to rising of the rhyolitic magma, a tremendous amount of pumice flow was erupted along the above mentioned NE - SW tectonic line and its subordinate fractures. Immediately after this violent eruption, a major volcano-tectonic depresslon was formed by the differential sinking of many blocks divided by the tectonic line and fractures above mentioned. In this depression, a shallow lake appeared and the Tonokari tuffaceous mudstone was deposited. Then, the Shimo-furano welded tuff composed of hornblende-pyroxene dacitic pumice and ash, erupted also from the above mentioned tectonic line. The Tokachi welded tuff is widely developed in the northwestern half of this area, but the Tonokari tuf faceous mudstone and the Shimo-furano welded tuff are concealed by the later volcanic ejecta.
Older Tokachi-dake volcano group : After the building up of vast pyroclastic plateaux, in middle Pleistocene, outpouring of basalt and mafic andesite lavas from the above tectonic line and fractures began. As the result of this activity, Genshigahara lava and ruined stratocones of Tairoku-san, Mae-furano-dake, Furano-dake, Ko-tokachi-dake and older Biei-dake were formed.
Shirogane sand and gravel bed , a fan or river terrace deposit, develops along the Biei river near Shirogane hot spring. This bed includes boulders derived from the Biei-dake lower lava, and is covered by the Shirogane lava.
Middle Tokachi-dake volcano group : After the deposition of the Shirogane sand and gravel bed, in late Pleistocene, most of the strato-cones and lava domes of the Tokachi-dake volcano group, as shown in Table 1, were formed one after another. They are also arranged on the above tectonic line and subordinate fissures. During these activities, composition of lavas converted from basalt to felsic andesite.
Younger Tokachi-dake volcano group : In the next stage, Holocene, the younger Tokachi-dake volcano group extruded along the northwest side of the volcanic chain. These activities are characterized by Strombolian eruption of a mafic andesite magma. Compared to the activities of the preceding volcanoes, they are smaller in scale. As the result of these activities, two strato-cones and five cinder cones with lava-flows were formed. One of them, a central cone erupted in the Ground-kakô somma has been active during the historic time.
No workable metal deposits have been discovered in the mineralized rocks of the Biei formation. However, sulphur deposits, limonite deposits, hot springs and certain materials of economic importance are found in the area of this sheet map.
Sulphur deposits : A number of solfataras are emitting from the central cone and Kyufun-kakô, and they form workable sublimation-sulphur deposits. Taisho-kakô, an explosion crater formed during 1926 activity of the central cone, emits H2S and SO2 rich solfataric gases. It is able to get pure sulphur directly from the solfataric gases using chimneys set on the orifices. During the years 1955~1962, refined sulphur amounting to 21,000 tons were produced from the Taisho-kakô by the Isobe Sulphur Mine.
Limonite deposits associated with jarosite were precipitated from hot springs near Fukiage-onsen and Okina-onsen on the northwest side of the Tokachi-dake volcano group. The limonite ores range 50.49~54.56 % in Fe content, and jarosite ores contain about 6~8 % of K2O. As to the Fukiage-onsen deposit, most of the limonite ore amounted to 3,000 tons has been worked out in 1953~1954, and about 100,000 tons or more of jarosite ore still remain. The Okina-onsen deposit contains about 100,000 tons of workable limonite ore and several thousands tons of jarosite .
Hot springs : Many hot springs are welling out in this area. Most of the hot springs are characterized by high content of SO4-- and low pH (0.6~3.5), and considered to be originated from solfataric activity, except Shirogane hot spring which is welling out through drillholes from propylite of the Biei formation.
Others : Tokachi welded tuff and other basaltic and andesitic lavas are used for construction works.
This volcano has been in eruptive state four times during the last 100 years : 1857, 1887~1889, 1926~1928 and 1962. During these activities, the site of eruption has been restricted on and near the central cone. No detailed report, however, are available for 1857 and 1887~1889 activities.
1926~1928 activity : At 0h 11m p.m., May 24th, 1926, the first explosion occurred on the western foot of the cent ral cone. After temporal quiescence for some four hours, at 4h 18m p.m the second explosion took place. The greater half of the northwest side of the cone, estimated at 2,000,000 m3 in volume, collapsed and a great explosion crater (Tai sho-kakô) was formed. This activity caused a hot volcanic avalanche and suddenly melted the snow accumulated on the western side of the volcano. Accordingly, forcible mud-flow was originated and swept away the western slope of the volcano. About 25 minutes after the eruption, villages of Kami-furano and Biei, about 25 km distant from the crater, were devastated by this mud-flow, and 5,080 houses were swept aside, and 144 persons were drowned. New volcanic bombs of olivine-bearing hypersthene-augite andesite were expelled following this explosion. After the eruption of May 24th, the activity has gradually diminished, though small explosions occurred intermittently until December, 1928.
1962 activity : After a long quiescence for 34 years from 1926~1928 activity, on June 29th, 1962, Tokachi-dake was again in activity. The first explosion started from about 10h 15m p.m. and reached a climax at 10h 45m~ 55m, ejecting volcanic blocks and ash derived from the surface. Five sulfur-mine workers, sleeping near the crater, were killed by the falling volcanic blocks. After a pause for about three hours, the second eruption occurred. This activity was manifested by strong Strombolian eruption, ejecting volcanic bombs, scoriae, lapilli and ash, most of which were originated from new molten magma. The volcanic ash was blown up about 12,000 m high and fell over eastern Hokkaido. This eruption continued almost for a week, and prolonged intermittently until August. A main new crater (140 m in diameter), accessory craters and fissures opened on the southern side of the central cone. They are arranged parallel to the southwestern wall of Groundkakô which is a somma of the central cone. Volcanic bombs, scoriae and lapilli accumulated around the main crater, forming a small cinder cone.
Some abnormal phenomena were noted during several years prior to the activities in 1926~1928 and 1962, viz., increasing of temperature and H2S and SO2 contents of fumarolic gas, activities of volcanic tremor and earthquake and opening of minor fissures near the central cone.
Essential materials erupted in 1926 and 1962, are quite similar in modal and chemical compositions, as in the following table.
| sample | SiO2 | TiO2 | Al2O3 | Fe2O3 | FeO | MnO | MgO | CaO | Na2O | K2O | P2O5 | H2O (+) | H2O (-) | Total |
| (1) | 53.93 | 1.25 | 18.39 | 3.11 | 6.21 | 0.19 | 4.10 | 8.83 | 2.40 | 1.43 | 0.15 | 0.14 | 0.03 | 100.16 |
| (2) | 53.41 | 1.23 | 17.98 | 2.77 | 6.50 | 0.20 | 4.31 | 9.07 | 2.52 | 1.31 | 0.19 | 0.11 | 0.10 | 99.72 |
昭和 38 年 3 月 25 日 印刷 昭和 38 年 3 月 31 日 発行 著作権所有 北海道開発庁