01016_1962
5万分の1地質図幅説明書
(網走 第 16 号)
北海道立地下資源調査所
北海道技師 長尾捨一
北海道開発庁
昭和 37 年 3 月
この調査は, 北海道総合開発の一環である, 地下資源開発のための基本調査として, 北海道に調査を委託し, 道立地下資源調査所において, 実施したものである。
目次 はしがき I. 位置および交通 II. 地形 III. 地質 III.1 地質概説 III.2 地質各説 III.2.1 下部白堊系 III.2.1.1 芭露層 III.2.1.2 ポンサル層 III.2.1.3 オンネナイ層 III.2.2 新第三系 III.2.2.1 共進層 III.2.3 第四系 III.2.3.1 洪積層 III.2.3.2 冲積層 III.3 地質構造 III.4 湧別層群についての地質学的な諸問題 IV. 応用地質 文献 Résumé
5万分の1地質図幅説明書
(網走 第 16 号)
この図幅説明書は, 昭和 33 年から 34 年にわたって行なった野外調査の結果を整理して, まとめたものである。
この地域内の主要な構成岩層は, 北海道において, 時代未詳中生層として取り扱われているもので, 湧別層群または佐呂間層群といわれる砂岩, 頁岩, 砂岩頁岩の互層である。
この湧別層群は, 遠軽, 生田原方面にかなり広く分布しているもので, この地域には, わずかにその北西部が分布しているにすぎない。 これらは, 北海道 20 万分の1地質図においては, いちおう, 下部蝦夷層群(富良野層)として取り扱ってある。
しかし, 筆者は以前から, これらを空知層群の一部に対比されるものと考えていたので, この図幅調査においても, その解明に主力をおいた。 しかし, 湧別層群の大部分の分布は, この図幅の南の遠軽および生田原方面にあるので, 湧別層群の大きな堆積機構や, 正確な時代決定に役立つ資料は, 充分に集めることができなかった。 したがって, この説明書では, 湧別層群の岩層, 層序, および他の地域との関連性から推定できることがらについて, 記載するにとどめた。 他日, 周辺地域の湧別層群の調査の完了をまって, 決論をだしたいと思う次第である。
また, この地域は, 白堊系の油徴地とされたこともあり, それを目的として, 深度 1000 m の試錐が行なわれたことがある。 その油徴とガス徴が, はたして, 白堊紀層に起因するものであるかどうか, という点については, 多くの疑問があり現在までのところ, 否定的な事実が多い。
この地域は, 網走支庁管内, 紋別市および, 紋別郡に属する。 国鉄名寄本線が, 地域の中央部をほぼ東西方向に走り, 湧網線が, 中湧別駅よりわかれて南西方に延びている。 また, 中湧別, 湧別町間にも国鉄支線が敷かれている。
この地域の北東側は, オホーツク海に面し, サロマ湖, シブノツナイ湖およびコムケ沼などの低地湖沼が, 海岸線と平行して並んでいる。 南西方の丘陵性山地の各沢は, ほとんどその上流まで農家があり, 交通は比較的便利である。
この地域の北部は, コムケ沼, シブノツナイ湖, ポン沼およびサロマ湖などの湖沼が, 海岸線にそってならぶ低地帯と, 湧別川の冲積原によってしめられていて, 高地の面積は, 全地域の約6分の1にすぎない。 この高地は最高 230 m で, 大部分は 100~200 m のよく開析された丘陵性山地で, 各沢の頂点は, ほとんど山の稜線近くまで到達している。
これらの丘陵性山地は, 北方オホーツク海に次第に低下し, 低地帯との間に海岸線に平行した海岸段丘がみられる。 この海岸段丘は, 不明瞭ではあるが, いちおう2段の段丘によって構成され, 10~60 m の高距を示し, 高位段丘は東方へ次第に薄くなり, サロマ湖の西岸および南岸区域は, 低位段丘によってしめられる。 湧別川の河岸段丘は, 上流地域ではみられるが, 下流地域であるこの図幅内では, みられない。
海岸線と平行して存在するコムケ沼, シブノツナイ湖, ポン沼およびサロマ湖は, いずれも, 海岸とはせまい砂州でへだてられている。 このうち, シブノツナイ湖とサロマ湖は, 自由に海水と交流できるような口が開いている。 水深は, いずれも浅く, コムケ沼は 4 m 内外, シブノツナイ湖は 6 m 内外, サロマ湖は最深の所でも 19 m 内外である。 サロマ湖は周囲 90 km, 面積 150 km2 で, 昭和 6 年 4 月, 現在の湖口を人工的に開いて雪融け水による湖面の上昇を調節した。 それ以来 湖水の塩分が増加し, 湖中の生物相が, 大きな変化をきたしたことで知られている。
この地域を構成している地質系統は, 模式図 [ 第 0 表 ] に示したとうりである。 大別すれば, 下部白堊系, 新第三系, 第四系および石英粗面岩類からなっている。
下部白堊系に属するものは, 筆者が湧別層群とよんでいるもので 1), 2), 3) , この地域の基盤を構成し, 大部分の地域に露出して分布する。 岩相により, 上位からオンネナイ層, ポンサル層および芭露層に3分される。 この層群は, 全層厚が 3,000 m 内外と推定されるもので, この地域の南方 遠軽図幅, 生田原図幅, 東方 サロマ湖図幅に広く分布している。 この層群は, 全般的に硬質の砂岩および頁岩よりなり, 外観は空知層群上部の主夕張層と, よくにている。 岩相により3分した上部は, オンネナイ層といい, 主として砂岩よりなり, 中部に砂岩, 頁岩互層あるいは, 砂質頁岩の 2~10 m のものをはさんでいる。 上部の砂岩は層厚 700 m 以上で, 灰緑色のやや凝灰質の砂岩であるが, 下部のものは層厚 600 m 内外いちじるしく硬い, 鳥糞状の砂岩である。 その下位のポンサル層は, 主として硬質の暗青色頁岩で, ときに灰色硬質砂岩や石灰岩の小レンズをはさんでいる。 層厚は 800 m 内外で, ひじょうにもめたゾーンが多い。 最下部の芭露層は, 硬質の砂岩, 頁岩の見事な互層で, 主夕張層の中によくみられる互層部と, ひじょうににている。 基底部の露出がないので, 全層厚は不明であるが, 少なくとも 800 m 以上と推定される。
新第三紀に属すると思われる共進層は, この図幅の西端に, わずかに露出し, 湧別層群およびこれを貫ぬく石英粗面岩類を, 不整合におおって存在する。 全体的に暗緑褐色の礫岩および礫質砂岩であるが, 分布がせまく, しかも露出が悪いので, 詳細は明らかでない。 しかし, 礫の中に石英粗面岩が含まれていることから, 石英粗面岩噴出後の堆積物と思われる。 層厚は 100 m 内外である。
2段の海岸段丘は, いずれも海岸線と平行して分布し, 高位のものは海抜 60~20 m 位まで, 低位のものは 20~10 m 位までに, 分布している。
しかし, 両者の境界は明瞭でない。
冲積層は海岸低地, 湧別川の現河床などにみられる。 砂, 礫, 土よりなり, 薄い泥炭をはさんでいる。
湧別川の河口近くに, 試掘された深度 1,0OO m の試錐によれば, 上部の 37~75.2 m までに, 軟かい白色凝灰岩をはさむ, 暗緑色の角礫岩層に逢着している。 岩層の軟弱さからみて, それ以下の湧別層群の岩蕊とは, まったく異なっている。 おそらく, この低地帯に, 下部白堊紀層をおおって, 第三紀層が薄く存在するものと思われる。 これが共進層と同じものかどうかということは, 現在のところ断定するには資料が足りない。
石英粗面岩およびその凝灰岩は, 南西方に広く分布している。 沼の上金山附近の石英粗面岩類の, 北東端に当るものである。
この地域の湧別層群は, 下位より芭露層, ポンサル層およびオンネナイ層に3分される。 オンネナイ層は, さらに岩相の相異によって, 上中下に3分される。
主として硬質の砂岩, 頁岩の互層よりなり, 互層部は見事な縞状を呈する。 一見して, 中部蝦夷層群の佐久砂岩の互層部を古くしたような感じで, 下部蝦夷層群の神路層の互層帯, または上部空知統の主夕張層の互層部と, よくにている。 砂岩は暗緑色細粒, ないしは中粒で, ときには凝灰質の部分も存在する。 まれに, 礫岩部をもつことがある。 礫は, 黒色粘板岩およびチャートの円礫で, 大体径 3~5 cm であるが, ときには 8 cm におよぶものを含むことがある。 頁岩は黒色, ないし暗灰色である。 珪質で, 細かい短冊状あるいは小塊に, 破砕する性質がある。 この図幅の西の 上渚滑 図幅では, この層準に結晶質石灰岩の薄層をはさんでくることがあるが, 化石は検出されていない。 この図幅の西南端, 中の沢の上流に露出するものは, 走向 N 20~40°W, 傾斜東に 40~60°, 上流にいくと走向 N 10°E, 傾斜 SW 65~80°となり, ポンサル層下部の暗灰色シルト岩と整合する。 最上部より 130 m 内外下位に, まえにのべた礫質砂岩層が存在する。 この地層は, さらに, 東方 湧別川を隔てて, その東 山地に露出する。 この地層は, 図幅内においては, わずかに, 北端部に砂岩の小露出があるにすぎず, その構造を推定することが困難である。 しかし, その南方延長, 遠軽図幅にはいれば, 本間沢, 芭露川支流に良好な露出がある。 その構造はほぼ南北の走向をもって, 背斜, 向斜を反覆し, 傾斜は 40~70°である。 したがって, 図幅内のこの地層も, そのままの構造をもちこんでいるものと推定される。
湧別川の川口に近い試錐では, 75.2 m より 1,000 m までは, すべてこの地層の砂岩, 頁岩互層で, 層厚は 800 m 以上と推定される。 試錐による柱状は次のとおりである。
| 0~1 m | 表土 | |
| 1~37 m | 冲積層 | |
| 37~75.2 m | 暗緑灰色角礫岩, 白色凝灰岩をはさむ | |
| -- 以上第三紀および第四紀層 | ||
| 75.2~138.5 m | 暗灰色砂岩 | |
| 138.5~154.0 m | 黒灰色砂岩 | |
| 154.0~178.6 m | 暗灰色砂岩, 頁岩互層 | |
| 178.6~196.0 m | 暗灰色砂質頁岩 | |
| 196.0~211.4 m | 暗灰色砂岩 | |
| 211.4~315.2 m | 暗灰色砂岩, 頁岩互層 | |
| 315.2~374.1 m | 暗灰色砂質頁岩 | |
| 374.1~411.3 m | 暗褐色硬質砂岩, 暗灰色頁岩互層 | |
| 411.3~433.1 m | 灰白色塊状砂岩(やや凝灰質) | |
| 433.1~603.0 m | 暗褐色硬質砂岩と暗灰色頁岩の互層 | |
| 603.0~619.0 m | 硬質砂岩と頁岩の互層, 含灰色凝灰岩 | |
| 619.0~641.O m | 硬質砂岩, 含灰白色凝灰岩 | |
| 641.0~691.O m | 灰緑色砂岩 | |
| 691.0~719.5 m | 灰黒色硬質砂岩, 含灰白色凝灰岩 | |
| 719.5~760.0 m | 灰色砂岩, 含灰白色凝灰岩 | |
| 760.0~772.0 m | 灰緑青色頁岩(凝灰質) | |
| 772.0~830.0 m | 灰青色硬質砂岩と凝灰質砂岩互層 | |
| 830.0~890.0 m | 灰青色硬質頁岩, 硬質砂岩互層。 下部に細礫砂岩(やや角礫凝灰質) | |
| 890.0~907.0 m | 暗灰色凝灰質砂岩 | |
| 907.0~954.9 m | 暗灰色粗粒砂岩と硬質砂岩, 頁岩互層 | |
| 954.9~1.000 m | 青灰色, 凝灰質砂岩と硬質砂岩, 頁岩の互層 | |
この柱状にみられる岩層は, 上部の 75.2m 以下は, まったく芭露層であって, この沖積原の下にも, 基盤岩がのびてきていることがわかる。 なお, この試錐の岩蕊では, 傾斜は 27~28°で, 背後山地の 40~70°に比較して緩い。 この試錐において, 深度 880 m 前後の軟質凝炭質砂岩から, 小さな生物遺体の破片が発見されたが, 種属の鑑定が不能であった。
芭露層上に整合する塊状厚層の暗灰色, ないしは黒灰色頁岩層で, ときに砂岩・頁岩の互層部や硬質砂岩, 砂質シルト岩などをはさんでいる。 方解石脈が多数貫入している所もあれば, 部分的に石灰岩の小レンズをはさむ所もある。 断層が顕著に発達し, 地層の擾乱が各所においてみられる。 主部をなす頁岩層は暗緑灰色, ないしは, 黒色, 塊状, 無層理で, やや珪質であるが, 下位の芭露層の頁岩部よりは軟かい。 まれに挾有される石灰岩レンズは, どれも, 完全に結晶質で, 化石は発見されていない。 この地層は, 「中ノ沢」に全層が露出しているが, 走向は N 20~40°W, 傾斜は NE 40~60°である。 下位は芭露層と整合的で, 上位はポンサル層の砂岩部と整合する。 全層厚は 800 m 内外と算定される。
この地域に分布する湧別層群の最上部層であって, 顕著な砂岩層で特徴づけられる。 中央部にはさまれる砂岩, 頁岩互層, あるいは砂質岩の 2~10 m の地層で, 上下にわけられる。
下位のポンサル層とは整合する。 硬質, 灰緑色, 中粒ないし粗粒の厚い砂岩層で, 方解石脈のために, 鳥糞状を呈する部分が諸所にみられる。 比較的下位に, 粘板岩の細片を無数に含む層準がある。 この細片を含む砂岩と, まったく同じような岩相の部分が, 西興部 層 4) や一の橋礫岩層 5) の中にも存在する。 しかし, このような岩相が, 層準的な意味をもつものとして, 一方的な対比を行なうことはできないにしても, きわめて特異なこの岩相のつながりはもう少し追跡してみる必要があろう。
この地層の鳥糞状砂岩は, 金山附近の空知統の中の鳥糞砂岩と, ほとんどかわらない。
この地層は「中の沢」入口, 「東の沢」, および湧別川の西岩山稜地帯に広く露出し, 南北から北東に振った円弧状の向斜軸の東西両側に分布する。 岩相的には比較的特徴があり, 周辺地帯の調査にも, 鍵層として役立ってあろう。
全層厚は, 600 m 内外と推定される。
層厚 2~10 m の, きわめて薄い地層であるが, オンネナイ砂岩のほぼ中央部に, かなり連続して追跡することができる。 主として, 砂岩・頁岩の互層, あるいは砂質頁岩層である。 砂岩は硬質, 灰緑色ないしは灰色, 頁岩は黒色または暗灰色で, ときには灰黄色のものも存在する。 前記の向斜軸の両側に, 断層で, 所々転位しながらも, その構造を明瞭に表わしている。
中部層上に整合する, 厚層の塊状砂岩層で, 下部の砂岩とは, 一見して区別できる。 灰緑色, 凝灰質で, 比較的に軟かい。
一般に細粒質で, 下部の砂岩のような, 鳥糞状の部分を含まない。 中湧別市街の西方山地に, 向斜構造の中核部を構成して露出する。 層厚は, 700 m 以上と推定される。
この地層は, 図幅西端シブノツナイ川下流の東側山稜の西側にわずかに分布するにすぎない。 なお, 中湧別川口で行なわれた試錐の柱状図をみると, 上部より 37~75.2 m の間の岩層は, おそらく新しい第三紀層と思われるが, この岩蕊から推定された第三紀層と, 上記シブノツナイ川のものが, どんな関係にあるのかは, 不明である。 しかし, いずれにしても, この低地帯に湧別層群をおおって, 新第三紀層が分布することは, この丘陵山地と海岸低地との間に, 海岸線と平行した断層の存在を, 暗示している。
シブノツナイ川の下流に, 石英粗面岩質凝灰岩および湧別群層をおおって, 暗緑褐色の軟かい凝灰質の砂岩層が分布する。 この砂岩層は, ときに礫岩質あるいは角礫岩質になって, シブノツナイ川の川底に露出する。 礫は径 2~5 cm 大のものが多く, 粘板岩, 硬砂岩, チャートなどに混って, 石英粗面岩の円礫が発見される。 この礫が存在することから, この地層は, 石英粗面岩類を不整合におおっていることが推定される。 露出地点は, 緩やかな裾地で露出が悪く, 湧別層群との直接関係もみられない。 層厚はほぼ 100 m 内外と推定される。
この図幅内には, 湧別層群および新第三紀層をおおって, 海岸段丘を構成している洪積層と, 海岸低地および湧別川の低地を構成している沖積層が存在する。
湧別層群, あるいは共進層で構成されている丘陵山地のオホーツク海に面した斜面には, 海岸線と平行して海岸段丘がみられる。
分布高度は 60 m 以下である。 この段丘は, ほぼ2段の面がみとめられ, 高位のものは 60~20 m, 低位のものは 20~10 m 位である。 しかし, 両者の境は明瞭でない。 大部分の所では, 一連のようにみえる。 いずれも砂, 礫, 粘土層からなる。 中湧別市街東方約 200 m の煉瓦工場では, 低位段丘中の灰黄色粘土を採掘して使用している。 粘土層の厚さは 1~2 m で, 風化すると白色となる。
海岸低地や湧別川の氾濫原には, 砂, 礫, 粘土よりなる沖積層が広く分布している。 この中には, 泥炭をはさむ所がある。 この冲積層を流れる地下水には, メタンガスを含むものがあり, 一時は, 下位の湧別層群からの誘導ガスでないかと, 疑われたこともある。
基盤を構成している湧別層群は, ほぼ中央部において, 南北性の軸をもった一つの向斜構造がみとめられる。 東西両側には, 最下位層である芭露層が露出し, その西翼のものは, ほぼ南北に近い走向で東に急斜するが, 東翼のものは, この図幅の南の遠軽図幅で, 40~60°の小向斜, 小背斜の反覆がみとめられる。 湧別川にそった N 50°E 方向の推定断層によって, この東翼の芭露層は切断され, オンネナイ下部の砂岩層と直接するものと推定される。 湧別川川口の試錐は, この東翼の褶曲部をついたもので, 岩蕊の傾斜は 27~28°で, 湧別川西側の地層の傾斜よりは, はるかに緩い。
断層の一般方向は, 同じく南北性であるが, これと斜交するものが発達している。 まれに衝上断層型のもの [ 以下の [注] 参照 ] が, ポンサル層の中にみとめられるが, 局部的現象と考えられる。
この地域は, 道東北部に発達する湧別層群の一部の露出地である。 したがって, 湧別層群全体としての大きな構造は, 今後隣接図幅の調査が進行するにつれて, 明らかになるであろう。
湧別層群は北海道の東部海岸, 湧別, 佐呂間地域から遠軽, 生田原にかけて, 広く分布するもので, 生田原附近では, 輝緑凝灰岩層をともなう。 20 万分の1北海道地質図には下部蝦夷層群(富良野層)として取扱ってある。 この地の主要分布区域は, 紋別郡湧別町を中心とした東西約 20 km, 南北約 30 km におよぶ広大な地域である。 同様な岩層は, さらに北方, 沙留川流域, 藻興部川 流域に, また東方は, 前記 主要露出部と日高層群といわれる硬砂岩, 粘板岩, 結晶質石灰岩などよりなる弱変成岩類をへだてて, サロマ湖の南岩に分布する(この部分が, 佐呂間層群と称せられるものである)。 湧別層群の基底部は, 現在までのところ明らかでない。 しかし, 下位と目される日高層群といわれる弱変成岩類との関係は, 一部断層, 一部は関係不明の移り方で接している。 湧別層群の下部層である芭露層は, その下位と思われる日高層群の弱変成 岩類とは, 変質の度合で区別することができる。 しかし 思沙留 原野の左沢附近で, 断層近くでもめている芭露層の互層部は, その南に分布する日高累層群といわれる弱変成互層部とは岩質的に, ほとんど, 区別のつかないものもある。 また, 渚滑川 とウツツ川の合流点に, 10 万分の1地質図 興部 図幅でみると, 日高累層群の弱変成岩と中生層(筆者の湧別層群)の間に, 断層がおかれてあるが, 実際この川を北から南にさかのぼってみると, 同じような, 砂岩, 頁岩の等量互層が, 川の方向と同じ走向で連なり, 両層の主部の岩層は, 変質の度合で区別できるが, 変り目が漠然としてわからない。
また, 佐呂間層群といわれるものは, サロマ湖の南東岸に分布し, 遠軽方面の湧別層群とは, 赤色チャート, 輝緑凝灰岩, ホルンフェルス, 粘板岩, 結晶質石灰岩, 珪岩などよりなる日高層群の変成岩類よりなる地層をへだてて, その東に露出する。 主要岩相は, 黒色頁岩と硬質砂岩の互層で, 野外では, 芭露層の互層部とまったく変らない。 おそらく, 佐呂間層群とされたものは, 湧別層群の下部に該当するものと思われる。 ただし, しいていえば, 両者の砂岩の様子がやや異なっている。 佐呂間層群の中の砂岩の風化部は, 灰白色となり, 一見して珪質凝灰岩のようにみえ, 内部は暗灰色である。 しかし, 湧別層群芭露層のものは, 風化部が暗褐色で, 内部は暗緑色である。 ただし, 両層とも, リズミカルな互層で, 外観はまったく同様である。
湧別層群の地質地代に関しては, 現在までのところ, 化石上の資料はまったくない。 この地層中のレンズ状石灰岩をかなり注意してみたが, 化石は発見できなかった。 湧別川川口の試錐コーア中, 880 m 前後の軟質凝灰質砂岩中から, 生物遺体の破片をみつけたが, 種属名の鑑定ができるていどに保存されていなかった。
しかし, これら, 湧別層群の岩相は, 空知層群上部の主夕張階に対比されるであろうと思われる。 さらに, これらの岩層は, 生田原方面において, 厚い輝緑凝灰岩と接している。 また, 佐呂間層群といわれるものの下部層と推定される仁倉方面の地層から, 橋本亘が 1960 年山部層に対比される化石をだしている。 これらのことから, この層群の地質時代を, 上記のように推定しても, 大過ないであろう。
この層群ときわめて密接な関係にあるものと, 推定されるものに, 西興部層がある。 西興部層は, 1938 年竹内嘉助 6) によって, 中生層として記載された。 その後 1956 年遠藤隆次・橋本亘 4) がその礫岩層中の石灰岩礫から
などの二畳紀の化石を発見し, この礫岩層を含む一連の地層に対して, 西興部層と命名した。 この地層は, 顕著な礫岩層で知られ, 竹内はこれを思沙留地域の中生層(筆者の湧別層群)の基底部とした。 筆者は, この地域の地質概要を 1960 年に発表し 3) , この礫岩層は, 基底部ではなく, むしろ上部に近い層準であることを明らかにした。 西興部層の下部は, 層厚 200 m 内外の暗緑色ないしは, 暗灰色のグレワッケ砂岩で, 鳥糞状を呈すること, 砂岩中に粘板岩の小角片を多数含むことなどで, 岩相的には, オンネナイ層下部の砂岩とよくにている。 その上位は約 100 m の暗緑色砂岩で, 含石灰岩礫の礫岩層は, さらに, その上位に重なるものである。 この西興部層は, 日高層群といわれる弱変成岩類と断層で接し, 層準としては, おそらく, 湧別層群の上部に対比されるものと推定される。
この図幅内においては, いままでに, 利用された鉱産資源は存在しなかった。 かつて, 白堊紀層の油徴あるいはガス徴として取上げられたものがあったが, 筆者が 1958 年にそうでないことを明らかにしておいた 1) 。
この地域で石油の徴候とされたものは, 芭露小学校校宅の井戸で, 塩辛い水がでるといわれたのが根拠になっている。 この背後地を構成している湧別層群の中では, 何所にも油徴やガス徴がみられない。 この井戸の地点も, 古サロマ湖の領域内に含まれるようであるので, おそらく, その残留塩水の一部であろうと推察される。
可燃性天然ガスとしては, 沼の上中学校の北方, 信太牧場で, かつて, 飲料水をとる目的で井戸を掘ったところが, 井戸堀人夫がガスのために死亡したことがある。 また, この附近で井戸を掘っている最中に, エンジンから引火して, 爆発を起こしたといわれている。 さらに, この附近の農家の井戸が, から鳴りをしたり, ガス突出で井戸がこわれたとかいわれている。
沼の上地区のガス層に対して, 筆者ら 7) は昭和 32 年(1957 年), 次のような調査を行なった。 信太牧場における井戸掘の情況などから判断すると, ガスは, おそらく水を伴なわない空ガスで, 深度は 40 尺前後と推定された。
この推定に基づいて, 沼の上中学校の南東方約 300 m の地点に, 深度 25 m の試錐を試みた。 その結果は, 予想したとおり 14 m 50 cm~15 m 50 cm の所でガスが噴出した。
しかし, この間の岩層は浮石質の礫層で, 漏水がはげしく, ガス自体としては, 空ガスであることが明らかにされた。 また, このガス層の下には, 厚さ 30 m の, かなり多量の, 清冽な水が流れる帯水層があった(第 5 図参照)。
さらに昭和 36 年度には, コムケ沼南東側の低地に 21 ヵ所のスパイラル・ボーリングを実施し, 表面下 4.5 m までの地温測定, 水質試験を行なった 7) (第 6 図参照)。 その結果は, 浅い深度には少しも含ガスの徴候がなかった。 また, 地温も特筆するほどのものでないことが判明した。
湧別, 芭露地区の浅層ガスに対する調査は, 昭和 31 年実施した(第 7 図参照)。
現在存在している井戸は, 全部ポンプ式の汲上げで, 掘抜井戸は1ヵ所もない。 したがって, 試験のための採水に便利が悪く, しかも, ガスの噴出が不定期問歇的であるために, 調査期間中はガスが噴出せず, 採ガスを行なうことができなかった。
この採水ガス井の水質分析は, 次のとおりである。
| 番号 | 採水年月日 | 所有者名 | 深度 | 掘䥣年月日 | 水温 | pH | Cl- | Ca++ | Mg++ |
cons
KNMO4 | NH4 |
| No.1 | 31.2.5 | 出雲久治 | 21 m | 昭和 20 年 | 8.7 ℃ | 6.3 | 12 mg / l | 9 mg / l | 8 mg / l | 4 mg / l | none |
| No.2 | 〃 | 松浦 | ? | ? | 8.2 ℃ | 6.5 | 12 | 8 | 5 | 3 | 〃 |
| No.3 | 〃 | 引揚住宅共同井 | ? | ? | 8.4 ℃ | 6.5 | 11 | 9 | 11 | 3 | 〃 |
湧別川川口に行なった深度 1,000 m の試錐については, すでにのべたとおりであるが, この白堊紀層の油を目的とした試錐は, 鉱業権者の手によって行なわれた。 試掘開始は昭和 35 年 4 月 5 日で, 掘止は 36 年 2 月であったが, その間, 全然油徴もガス徴もみられなかった。
採取した岩蕊の分析結果は, 次のとおりである。
| 深度 | 岩質 | 比重 | 含水率 % | 希釈率 % | pH | KMNO3 consump. | Cl mg / l | NH4 mg / l |
| 318.2~374.1 | shale | 1.45 | 65.1 | 4.49 | 7.5 | 5,870 | 77 | ナシ |
| 374.1~389.3 | 〃 | 2.01 | 15.2 | 22.46 | 6.9 | 3,250 | 124 | ナシ |
| 412.7~414.4 | tuf-s.s | 1.69 | 47.6 | 6.75 | 7.0 | 1,341 | 1152 | 0.93 |
| 485.0~492.5 | sh. | 1.71 | 48.6 | 6.28 | 7.3 | 8,720 | 1339 | 1.46 |
| 540.0~547.7 | 〃 | 1.77 | 47.2 | 6.77 | 6.9 | 5,270 | 3395 | 0.54 |
| 624.0~629.0 | 〃 | 2.02 | 36.2 | 10.38 | 6.9 | 3,730 | 2672 | 1.92 |
| 684.6~689.3 | s.s | 2.04 | 33.0 | 10.25 | 7.2 | 7,360 | 4830 | 1.36 |
| 838.2~840.7 | tuf-s.s | ? | 22.6 | 16.32 | 7.3 | 5,940 | 4765 | 2.01 |
EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1 : 50,000
Abashiri - 16
By Sutekazu Nagao (Geological survey of Hokkaidō)
The NAKAYŪBETSU geological sheet covers an area lying between 44°10' - 44°20' N lat. and between 143°30' - 143°45' E long.
The area of this sheet is located to the west of the Saroma Lake in the northeastern part of Hokkaido, facing the Sea of Okhotsk.
Except for the limited distribution of the markedly dissected hilly land in the southwest, the map area is occupied by the coastal lowland and the fluvial plains formed by the Yūbetsu River.
The lowermost member of the strata constituting this area is the Yūbetsu group, which is the upper part of the Sorachi series and is correlatable with the Lower Cretaceous Syu-yūbari stage.
The Yūbetsu group can be divided, in ascending order, into the Barō formation, the Ponsaru formation, and the Onnenai formation.
The Barō formation consists of conspicuous alternation of sandstone and shale, and its thickness is estimated at about 800 m.
The Ponsaru formation, conformably overlying the Barō formation, is composed almost entirely of unstratified massive shale, with partial sand or sandy shale. The formation is locally intercalated with thin limestone lenses and the total thickness is about 800 m. The formation is characterized by having intensely disturbed zones.
The Onnenai formation, conformable with the Ponsaru formation, is subdivided into upper and lower parts, by the sandy shale or alternation of sandstone and shale occurring at about the middle of the formation. The lower part consists of gray or grayishgreen, compact and hard sandstone, locally having "Tori-hun" appearance due to intrusion of calcite veins. The thickness is about 600 m. The middle part, about 2 to 10 m thick, consisting of sandy shale or alternating sandstone and shale, can be traced as a key bed dividing the formation into upper and lower parts. The upper part consists largely of grayish-green, tuffaceous sandstone which is relatively soft as compared with the lower part. Approximate thickness is 700 m.
The Yūbetsu group, comprising the above-mentioned formations, stretches southward as far as the areas of the Engaru and the Ikutawara sheets, showing an extensive distribution in northeastern Hokkaido. This group contains schalstein and has been known as undifferentiated Mesozoic beds. No fossil to determine the age of this group has been reported yet. However, the schalstein-bearing beds in the Ikutawara and the Tokoro districts can be correlated with the Yamabe formation which makes the lower part of the Sorachi series, so the Yūbetsu group supposedly overlying the former may be correlated with the Syu-Yūbari formation.
The Kyōshin formation, which is inferred to be Neogene Tertiary in age, is distributed meagerly in the western part of the map area, and unconformably covers the Yūbetsu group, liparite and liparitic tuff. This formation consists of dark-greenish brown, soft, tuffaceous sandstone and conglomerate, and is about 100 m thick. Pebbles of the conglomerate are 2 to 5 cm in diameter, and most of them are clay slate, graywacke and chert, intermingled with round pebbles of liparite.
Diluvium constitutes coastal terraces in two steps along the slope facing the Sea of Okhotsk. Higher terraces are 20 to 60 m above sea level, and lower ones are 10 to 20 m, although in many cases the boundary between these two groups is quite indistinct.
Alluvium is distributed in the fluvial plains of the Yūbetsu River, as well as on the present river bed and in the coastal lowland.
Indications of petroleum and natural gas were once reported, and the Yūbetsu group was assumed to be the source. Nevertheless, from the fact that no definite evidence of petroleum occurrence has been found to this day, and from the lithological character of the Yūbetsu group, we cannot expect petroleum resources in this area.
The combustible natural gas, intermittently discharged out of wells of the farm houses in the lowland, is a methane gas, so-called "kara gas" without accompanying water, and was derived from the peat in the coastal lowland. Hence, this gas is not related to petroleum either.
昭和 37 年 3 月 10 日 印刷 昭和 37 年 3 月 15 日 発行 著作権所有 北海道開発庁