有珠火山2000年噴火記録写真:2000年4月1日(空撮)

Photos of the 2000 eruption of Usu volcano: Apr. 1, 2000 (aerial photographs)

東宮昭彦(産業技術総合研究所・地質調査総合センター)

Akihiko TOMIYA (Geological Survey of Japan, AIST)


1.はじめに

有珠火山2000年噴火は西山西麓において2000年3月31日に開始し,その最初の噴火(マグマ水蒸気爆発)が最大規模のものであった. 翌4月1日以降は,西山西麓および金比羅山の2地域において次々と火口を形成しながら水蒸気爆発(一部マグマ水蒸気爆発?)を繰り返した(宇井・他, 2000:火山学会). 本報告は,この火口形成ステージの最初期である4月1日の様子をヘリコプターから捉えた空撮写真についての解説である.
全写真とも撮影は東宮による.35mmフィルムで撮影してサービスサイズに焼き付けた写真を,フラットベッドスキャナで読込んでデジタル化した.一部の写真ではコントラストを上げるためにデジタル画質補正を行なっている.
本報告の写真の一部は東宮(2001):地調研報と重複するが,解説文はその後の新知見に基づき改訂されている.

なお,以下で用いられるN11, N12形式の火口番号(北大ほかの総合観測班地質グループによる:2000年5月22日火山噴火予知連絡会資料)は,火口の形成順序とは無関係につけられている.一方,本稿の火口形成順序・時刻は,目視・ビデオ記録および写真判読による筆者の独自調査に基づいている.


2.4月1日午前の様子(観測時間=9時20分〜10時10分頃)

2.1 4月1日午前の活動の概要

この時期(4月1日9時20分〜10時10分頃)はまだ金比羅山火口群は形成されていなかった. 西山西麓において,主にN11,N12火口で小規模な爆発ないし噴煙活動(白煙のみか若干の灰混じりの噴煙が多い)が繰り返されていたほか,新しい火口としてN4やN7が形成されるのが観察された. 目立った爆発は,N11,N12における10時頃の爆発で,黒煙が300-500m程度,白煙は1000m程度上がっていた. 一方で,2000年噴火で最初に形成された火口(N1,N2,N3;3月31日13:07〜形成)では,4月1日午前・午後いずれの観察時にも全く活動が見られなかった.

2.2 4月1日午前の活動の写真

写真1:西山西麓火口群活動初期の様子(火口群の北西上空から4月1日09時20分撮影)
国道230号のほぼ真上に,隣接して2つの火口(N11, N12)が活動中である.両者はわずか数m隔てているだけだが,1つ(右)は白煙,もう1つ(左)は灰混じりの煙を上げている.どちらも,爆発というよりは“もくもく”と煙を上げている状態である. 白色の噴煙は“水蒸気”が主成分であり,火山灰の含有量が少なく,(水が液体で存在する程度に)温度も低く,一方黒っぽい噴煙は,火山灰の含有量が高いと考えられる.当時はまだ積雪があったため,黒色の降灰による降灰域(ほとんど3月31日噴火によるもの)が明瞭に識別できた.

写真2:N7およびN4開口直前の西山西麓(4月1日09時35分撮影)
依然としてN12(あるいはN11)から白煙が上がっている. この写真の約3分後にN7が,約8分後にN4が開口した(後述)のだが,本写真ではN7およびN4が出現する位置に特に異常は見当たらない.
また,後にN10が出現する位置にも異常は見当たらないが,N8?に相当する位置には火口らしきものが認識できる.もしこれが火口であるならば,N8は9時35分の時点で既に開口していたことになる.

写真3:西山西麓に新しい火口(N7)が出現した瞬間(4月1日09時38分撮影)
N12(あるいはN11)がやや活発になっていたとき,約300m南東に離れた地点から突然白色の噴煙が上がった.噴煙の噴き出す勢いは次第に強くなり,噴火開始から10秒余りで火山灰混じりになり,急速に黒色の噴煙となった.4月初期の活動は,このように次々と新しい火口を形成するという特徴があった.なお,新火口の左方向に見えている亀裂は,この火口の形成前から既に存在していた.

写真4:西山西麓のN11,N12がやや活発化した状況(火口群の南西上空から4月1日10時01分撮影)
撮影の少し前には高さ200-300mのコックス・テール・ジェットも出ていた.
4月1日の西山西麓の活動の中ではこの10時前後のものが目立っていて,黒煙が300-500m程度,白煙は1000m程度上がっていた.
撮影時には,N11,N12のほかにも,N7 (9時38分形成)およびN4 (9時43分頃形成) が同時に活動中であった.


3.4月1日午後の様子(観測時間=16時10分〜17時20分頃)

3.1 4月1日午後の活動の概要

観測時間の中では,金比羅山火口群の16時21分爆発と16時44分爆発が大きかった(特に16時21分爆発). いずれも激しい爆発の継続時間は2分程度であったが,黒煙が500m程度,白煙は1000m以上上がり,東方向に多量の降灰をもたらしていた.これらのほかにも,単発的に黒煙が高く上がるイベントが何回かあった.
西山西麓では特に大きな爆発は見られなかったが,「N6’」において火口から直接熱泥流が流下する様子が観察された.

3.2 4月1日午後の活動の写真

写真5:西山西麓で「N6’」火口が活動を開始した時の様子(4月1日16時17分撮影)
N6’は火山噴火予知連絡会資料(2000年5月22日北大提出)には記載されていない.しかし,写真のように筆者の目前で活動が確認されており,これまで認識されていなかった新しい火口と考えられる.この火口は撮影時 (16時17分) にまさに開口した可能性があるが,直前の写真がないため,それ以前から(10時〜16時の間に)開口していた可能性も否定できない.
なお,予知連資料に示されたN6の位置が実はややずれていて本当はN6’に対応する,との可能性もあるかもしれない.

写真6:「N6’」火口が活発化した様子(4月1日16時31分撮影)
N6’が活発化.直上のN7も同時に噴煙を上げているように見える.

写真7:火口から熱泥流が流出する様子(4月1日16時37分撮影)
同火口(N6’)はさらに活発化.火口から直接熱泥流が流出して,湯気を上げながら沢を流れ下っている.

写真8:活発に灰混じりの噴煙を上げる金毘羅山火口(洞爺湖温泉街北西上空から4月1日16時21分撮影)
金毘羅山火口群は,4月1日11時40分に洞爺湖温泉街からわずか数百mの至近距離に出現した. 写真は,16:21頃にやや規模の大きい爆発が起こった時の様子.
金比羅山中腹に当時2ケ所あった火口の内,下側の火口から大量の黒色噴煙が噴出した. 最盛期には黒煙が500m程度,白煙は1000m以上上がり,東方向に降灰をもたらした. しかし,噴煙は1分ほどで白色噴煙のみに変わり,急速に弱まった.激しい爆発の継続時間は2分間ほどであった.

写真9:再度灰混じりの噴煙を上げる金毘羅山火口(4月1日16時45分撮影)
16時21分のやや大きな爆発のあと一旦活動は治まっていたが,16時44分に再び爆発した.写真はそれから爆発が次第に治まっていく途中の様子.

写真10:北西上空から見た有珠山全景(4月1日16時52分撮影)
活火山のごく近傍にこれほど大きな町が作られている状況は他に例を見ない.
撮影時には金比羅山火口群が活発で,西山西麓火口群からは弱い白色噴煙が出ているだけであった.

写真11:西山西麓に次々と開いた火口の群〜その1(4月1日17時04分撮影)

写真12:西山西麓に次々と開いた火口の群〜その2(4月1日17時07分撮影)

写真13:西山西麓に次々と開いた火口の群〜その3(火口群西上空から4月1日17時07分撮影)
これらの火口の形成順序は,N1,N2,N3(3月31日13時07分〜)→N11,N12(4月1日未明)→N7(4月1日9時38分)→N4(4月1日9時43分頃)→N10, N6’, N6?, N8?(4月1日の10時10分頃から16時17分の間)であったと考えられる(カッコ内は形成された時刻;ただし,N8?は4月1日早朝に,N6’はまさに16時17分頃に開口した可能性がある).谷沿いに見えている白い筋は,火口から溢れ出してきた泥流の跡である.N11, N12の脇には泥流が溜まってできたと考えられる池が見える.

写真14:有珠山山頂部の様子(山頂の西南西上空から4月1日17時18分撮影)
小有珠溶岩ドーム,有珠新山潜在ドームなどが見える.2000年噴火活動では,山頂部には若干の亀裂が形成された程度で顕著な変動は見られなかった.


4.まとめ

有珠火山の西山西麓および金比羅山の各火口群の活動状況を,4月1日の9時20分〜10時10分頃および16時10分〜17時20分頃に上空からヘリコプターで観察した. 主な観察事項を以下にまとめる.