本地質図域は,西部の日本海盆,奥尻島を含む奥尻海嶺,その東側の 渡島 半島西側斜面の3つの領域に区分した.奥尻海嶺と日本海盆との境界は,平坦な海盆から海嶺の斜面が始まる水深約3,500 m付近とし,奥尻海嶺と渡島半島西側斜面との境界は奥尻海嶺東縁の西側隆起の逆断層及び奥尻島東側斜面の基部とした(第3図).
本地質図の西部には水深3,600~3,700 mのほぼ平坦な日本海盆が広がる.海盆底の堆積層上部のP層及びQ層は成層構造が明瞭で,下部のM層は内部の反射面が不明瞭である(第5図).Q層は局所的な沈降域を除いて厚さは0.1秒以下,P層の厚さは1.0~0.7秒程度,その基底深度は5.5~5.8秒で,南部ほど深い傾向がある.M層の厚さは音響基盤の起伏を平坦化するように増減し,最大で1.0秒以上に達する.音響基盤の深度は6~7秒程度で,やはり西方あるいは南方へ深くなる.
本地質図北部の北緯42°46′付近の日本海盆から奥尻海嶺の西縁付近には幅5~15 km程度,比高100 m以下の複数の高まりが東西方向の線上に断続的に分布する(第6図).それらは南北に伸長した形状を持つことがあるが,断層ではなく基盤上の火山性のマウンドを堆積層が覆ったものと解釈した.その南側の北緯42°40′付近から南側約40 kmにわたり,日本海盆と奥尻海嶺の境界に沿って,幅10~15 km程度の緩やかな沈降帯が30 km以上連続する(第5図).沈降帯ではP層以下の地層がほぼ平行な反射面を保って向斜状に変形するが,厚さ0.1~0.3秒のQ層がその向斜部を埋めるように覆い,主にQ層堆積中に沈降したことを示している.この沈降構造は海底地形にはほとんど現れない.さらに南側では2列の北北東-南南西方向の逆断層と背斜構造が発達し,ほぼ平坦な海盆底に比高200 m以下の隆起が生じている(第7図)(森ほか,2019森 宏・阿部信太郎・青柳恭平・大上隆史(2019)1993年北海道南西沖地震震源域南部の地質構造と震源断層の関係.地震,71,233–241.).この構造は東傾斜の逆断層によって隆起しており,本地質図南西側の範囲外へ連続する(第3図).
その隆起帯と東側の奥尻島との間には,幅約20 km,長さ約40 kmの北北東―南南西に伸びる盆地が広がる.その中心付近の水深は約3,700 mに達し,本地質図域では最も深い海底が広がる.盆地の海底直下には厚さ0.1~0.2秒程度の明瞭な成層構造を持つ地層が分布するが,東西に向かって薄くなる.その下位層の内部反射面は盆地の西部で明瞭であるが,東側の奥尻島に近づくほど不明瞭になり,東縁付近の奥尻島西側斜面付近ではほとんど内部構造が見えない(第7図,第8図).このような反射断面の見え方の変化から,奥尻島西側斜面から供給された地滑り堆積物がこの盆地を覆っていると推定される.また,盆地の東縁付近には,それらの堆積物中にわずかな東側隆起の累積性を持つ構造が海底直下の地層中に観察されることがある(第7図,第8図,第9図).それらは地滑り堆積物の末端を見ている可能性もあるが,ほぼ南北方向に連続して分布することから,変形構造である可能性が高いと判断し,推定撓曲帯として示した(第3図).森ほか(2019)森 宏・阿部信太郎・青柳恭平・大上隆史(2019)1993年北海道南西沖地震震源域南部の地質構造と震源断層の関係.地震,71,233–241.も斜面基部を逆断層と判断している.
本地質図内の奥尻海嶺には,日本海盆に分布する地層が連続して海嶺全体を覆っている(第10図,第11図,第12図).それらは、基盤を覆う内部反射が不明瞭なM層,それを整合的に覆う成層構造が明瞭なP層で,日本海盆とほぼ同じ特徴を持つ地層が東に向かって薄くなりつつ連続する.最上部のQ層は一般に薄く,海嶺上の窪みやテラス状の平坦面にやや厚く分布する.このような地層の分布は,鮮新世までは奥尻海嶺は日本海盆から連続した平坦な盆地域であったのが,第四紀になって隆起し始めたことを示す.海嶺が複数の東側の翼が急傾斜する非対称な断面を持つ背斜構造によって構成されることから,西傾斜の逆断層によって隆起したと推定した.倉本(1989)倉本真一(1989)背弧オフィオライトの形成モデル―奥尻海嶺(日本海)の例―.地学雑誌,98,81–91. は海洋性地殻からなる奥尻海嶺が隆起していることから,背弧域におけるオフィオライトの形成過程にあると考えた.また,1993年北海道南西沖地震の直後の潜水調査船を用いた海底の観察では,奥尻海嶺東縁の急斜面で新しい崩壊や斜面直下での海底の変動などを報告している(Takeuchi et al., 1998Takeuchi, A. and Shipboard Scientific Party of R/V Yokosuka, Japan Sea Cruise (1998) Bottom response to a tsunami earthquake: Submersible observations in the epicenter area of the 1993 earthquake off southwestern Hokkaido, Sea of Japan. Journal of Geophysical Research, 103, 24109–24125.).
奥尻海嶺の北部は幅約25 kmで,ほぼ南北方向の軸を持つ2列の背斜からなる(第3図,第10図).その頂部の水深は2,000~2,500 mで,日本海盆底から1,000 m以上の比高を持つ.東側の背斜軸はNNE方向とNNW方向に変化するが,北緯42°30′から42°40′の間で,NE-SW方向の北西傾斜の逆断層(森ほか,2019森 宏・阿部信太郎・青柳恭平・大上隆史(2019)1993年北海道南西沖地震震源域南部の地質構造と震源断層の関係.地震,71,233–241.)である 茂津多 岬沖断層によって切られ(第3図,第11図),その南側で頂部は300 m近く深くなる.茂津多岬沖断層はさらに南西へ延び,西側の背斜東縁の断層と合流して南南西方向に北緯42°20’ 付近まで連続して消滅する(第3図).この付近の奥尻海嶺の幅は約45 kmに達する.その南南西延長上の約5~10 km離れた日本海盆には,先に述べた2列の東傾斜の逆断層と背斜構造が形成されている.
茂津多岬沖断層の南側で水深2,800 m程度まで深くなった東側の背斜は南側に向かって浅くなる.その東西両側にも新たな背斜構造が形成され(第12図),3列の背斜が北緯42°23′~25′付近で収束して一つの背斜にまとまり,奥尻島北端の稲穂岬付近に達する(第3図).それらの背斜の東縁の逆断層は奥尻島の稲穂岬の東側まで連続すると推定されるが,さらに南方の奥尻島東側の斜面まで連続するかは確認できない.奥尻島を含む奥尻海嶺南部の幅は約30 kmである.奥尻島の西側斜面は比高が3,000 mに達する急斜面で,海底下には反射面がほとんど見えない(第8図,第9図).斜面の北端部で地層が崩落した構造が観察できることから(第9図),斜面全体として表層の堆積物が崩落していると推定される.実際に,1993年北海道南西沖地震によって,広範囲に斜面崩壊が発生したことが報告されている(岡野ほか,1995岡野 肇・藤岡換太郎・田中武男・竹内 章・倉本真一・徳山英一・徐 垣・加藤 茂(1995)北海道南西沖地震直後の海底.JAMSTEC深海研究,11,379–394.).先に述べたように,斜面西側の海盆域で内部反射が著しく不明瞭になっており,この斜面の崩壊物が海盆底を広く覆っていると考えられる.
奥尻島には白亜紀の花崗閃緑岩などが露出することから(産業技術総合研究所地質調査総合センター編,2020産業技術総合研究所地質調査総合センター編(2020)20万分の1日本シームレス地質図V2.産業技術総合研究所地質調査総合センター,2020年4月6日更新,https://gbank.gsj.jp/seamless/.(2021年1月18日閲覧) )大陸性地殻からなると推定され,その西方沖の水深3,000 mを超える海盆域は海洋性地殻からなる日本海盆の続きであると推定される.その境界である奥尻島西方沖の急斜面は日本海形成時に西傾斜の正断層によって形成されたと推定されるが,斜面の基底付近には地滑り堆積物が厚く分布し,明瞭な正断層の存在は確認できない.
奥尻島の後期更新世の段丘は,南南東に向かって高度が低下し(宮浦,1975宮浦 正(1975) 奥尻島の海成段丘と第四紀地殻変動.第四紀研究,14,23–32.;小池・町田,2001小池一之・町田 洋(2001)日本の海成段丘アトラス.東京大学出版会,122p.),傾動を伴いつつ隆起していることを示すが,その変動を説明できる断層は確認できない.
奥尻島の北側と東側には少なくとも4か所の火山性の高まりが認定でき,おおよそ北西―南東方向に配列する.海底下ではM層以上の地層が火山性のマウンドにオンラップしているように見えることから(第12図),中新世の火山であると推定される.
1993年北海道南西沖地震は本地質図北部の奥尻海嶺を震源とし,活発な地震活動は奥尻海嶺から茂津多岬沖断層に沿って南南西に広がり,奥尻島西方及び南方沖の急斜面と地滑り堆積物に覆われた日本海盆域にまで続く(第3図)(Tanioka et al., 1995Tanioka, Y., Satake, K. and Ruff, L. (1995) Total analysis of the 1993 Hokkaido Nansei-oki earthquake using seismic wave, tsunami, and geodetic data. Geophysical Research Letter, 22, 9–12.;青柳・阿部,2000青柳恭平・阿部信太郎(2000)海底地震計観測データを用いた海域における気象庁震源の補正―1993年北海道南西沖地震直後の余震分布―.地震,53,177–180.).震源域北部では,奥尻海嶺の東縁断層が 後志 舟状海盆の表層堆積物の変形を与えていることが観察できる(第13図).一方,奥尻島北西沖の推定断層が震源断層の南部に相当する可能性がある.さらに奥尻島南西沖の本地質図範囲外にも震源断層が推定されている.
この斜面北部には急斜面とその基部の後志舟状海盆が分布し,その南側は奥尻海峡の浅海部が広がり,南部では水深が増し奥尻海盆が形成されている.
後志舟状海盆は南北長約90 km,幅15~19 kmの広がりを持ち,海盆底の水深約3,300 mである.その南部が本地質図に含まれる.海底下には厚さ3秒以上の地層が分布し,それらは下位ほど西への傾斜が大きくなる(第13図).西縁は奥尻海嶺東縁の逆断層に限られ,海底及び海底直下の地層にも変形が認められ,1993年北海道南西沖地震の直後にも潜水調査によって新鮮な海底の変動が観察されている(Takeuchi et al., 1998Takeuchi, A. and Shipboard Scientific Party of R/V Yokosuka, Japan Sea Cruise (1998) Bottom response to a tsunami earthquake: Submersible observations in the epicenter area of the 1993 earthquake off southwestern Hokkaido, Sea of Japan. Journal of Geophysical Research, 103, 24109–24125.)ことから,この断層が活動的であることを示している(第10図,第13図).海盆の東側は比高が3000 mに達する急傾面で,多くの地滑り地形が発達する.海盆からその東側のP層以上には顕著な断層・褶曲は見当たらない(第13図,第14図).斜面を覆う地層もM層,P層,Q層に区分した.M層,P層の間はほぼ整合的に見えるが,P層とQ層の間には構造差があり,特に褶曲構造の周辺ではQ層の変形が小さくなる.
茂津多 岬 西側には,平滑な急斜面が幅約20 kmにわたって水深200 m付近から水深3,000 m付近まで連続し,その海底下には明瞭な堆積層が観察されない(第13図).この急斜面の北縁に崖があり,南北に横断する反射断面では,明瞭な成層構造を持つ斜面の堆積層の南側が削り込まれた構造が観察でき(第14図),この崖を覆っていた堆積層が大規模な地すべりによって失われたことを示している.この崩落崖では,北側斜面を覆う堆積層の上部だけが崩落していることが観察されるので,平滑な斜面下にも堆積層が残っている可能性が高く,平滑に見える地滑り面をデブリが覆って,音波を散乱させていると解釈した.瀬棚沖付近から南側では地滑りが斜面下部に限られるようになり,大陸棚から斜面上部で堆積層が観察できる(第15図).そこから奥尻海峡にかけては,南北方向の西傾斜の逆断層とその上盤の背斜構造が形成されている(第3図).奥尻海峡周辺では顕著な地滑りはなく,堆積層の内部反射が明瞭で,褶曲構造も見えやすい.
奥尻海峡の南側は奥尻海盆に連続する緩やかな南へ深度を増す斜面になるが,堆積物も奥尻海峡周辺から連続し,同じ層序区分を適用した.また奥尻海峡の東縁に発達する東傾斜の逆断層が奥尻海盆内に連続し,南北方向の背斜形成している(第16図).さらに奥尻海盆の南東縁付近では海盆底の東縁に沿って南北方向の東傾斜の逆断層が形成され,その上盤の斜面から陸棚の海底下には明瞭な成層構造が認められないことから,その海岸付近に分布する更新世の火山岩(産業技術総合研究所地質調査総合センター編,2020産業技術総合研究所地質調査総合センター編(2020)20万分の1日本シームレス地質図V2.産業技術総合研究所地質調査総合センター,2020年4月6日更新,https://gbank.gsj.jp/seamless/.(2021年1月18日閲覧) )が海域まで分布すると解釈した.